最新更新日2020/08/14☆☆☆

60年代を代表する英国本格ミステリ作家であるD・M・ディヴァインと入れ替わるように登場し、70年代半ば以降の英国本格ミステリを牽引していったのがコリン・デクスターです。デクスターはクロスワードパズルのカギ作りの名手として知られ、彼の書いたミステリー小説もパズルのように試行錯誤しながら謎に挑んでいくスタイルに特徴があります。四半世紀の作家生活で彼の発表した長編小説は13作品に過ぎませんが、英国推理作家協会においてゴールドダガー賞とシルバーダガー賞を2度づつ受賞という栄誉に輝いていることからもわかるように、近年を代表する英国本格ミステリ作家の一人であることは間違いのないところです。ただ、絶大な人気を誇る本国に比べると日本の本格ミステリマニアの間では賛否両論あるようです。なぜ否定的な意見が少なからず存在するのか?実際のところ作品の出来はどうなのか?そのあたりのところを順を追って紹介していきます。
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ウッドストック行最終バス(1975)
若い2人の女性がウッドストック行きの最終バスを待っていたがなかなか来ない。しびれを切らした片方の女性、シルビアはヒッチハイクをしようと提案し、通りかかった赤い車に乗せてもらうことにするのだった。だが、その夜遅く、シルビアはブラックプリンスという酒場の中庭で撲殺死体となって発見される。しかも、性的暴行を受けた痕跡が残されていたのだ。さらに、もう一人の娘の行方は杳として知れなかった。一体彼女はどこに消えたのか?事件を担当することになったモース警部はその頭脳をフル回転させ、自分で組み立てた仮説を検証することで事件の真相に迫っていこうとするが.......。
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仮説を組み立てては崩していくという迷走推理でおなじみのモース警部ですが、シリーズ1作目ではその傾向はまだおとなしめです。モースに推理癖があるというよりは、物語の前半で怪我をして動けなくなったので、しかたなくベッドの中で推理を巡らせるという流れになっているのです。モースが常に自分の立てた仮説に溺れるようになったのは2作目以降であり、そういう意味では、本作はオーソドックスな謎解きミステリーに近いといえます。しかし、そんな中でも白眉なのが人口1万人の町の中から、犯人を1人に絞り込む消去法推理です。モースの立てた仮説の一つなのですが、あまりにも机上の空論すぎて思わず笑ってしまいます。一方、真相の意外性も十分にインパクトのあるものであり、本格ミステリとしての完成度の高さではシリーズ中1、2位を争う傑作だといえます。


キドリントンから消えた娘(1976)
2年前に失踪して以来、行方の知れなかったバレリーから両親宛てに手紙が届く。そこには「元気だから心配しないで」と書かれてあった。彼女は一体どこで何をしているのか?そもそも失踪の原因はなんだったのか?謎は深まるばかりだが、前任者から事件を引き継いだモース警部は確信を抱いていた。バレリーはすでに死んでいると。だが、捜査を続けていく内に事件は意外な展開を見せ始め........。
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作者がその本領をいかんなく発揮した作品であり、コリン・デクスターの最高傑作だと祭り上げられた時期もありました。確かに、モースが仮説を立てては崩し、再び新たな仮説を立ててはまた崩していくといったプロセスには、まるで謎解きの森をさ迷っているような幻惑感があります。二転三転四転五転と反転を繰り返すどんでん返しの連続は、多重解決で有名な『毒入りチョコレート事件』や『ギリシャ棺の秘密』などを軽く上回る勢いです。その錯綜ぶりは前代未聞であり、そういう意味では新境地を築いた偉大な作品だといえなくもないでしょう。ただ、その一方で、モースの推理がほとんど思い付きに近いものなので、ロジカルな推理を期待した人にとっては物足りないものを感じてしまうかもしれません。あまりにもお手軽に仮説を出してくるのでもうどれでもいいやと思えてくるのです。それに、最後に提示される真相もいま一つパッとせず、不完全燃焼感があります。少なくとも、真相の意外性という点では前作の『ウッドストック行最終バス』の方が遥かに上です。何より、事件の発端となったあの謎が最後まで解かれていない点が大きな不満点です。したがって、本作は本格マニアが好みそうなロジカルな推理や意外な真相などではなく、錯綜する謎自体を楽しむべき作品だといえます。その辺りの楽しみ方が理解できるかどうかで評価は大きく変わってきそうです。


ニコラス・クインの静かな世界(1977)
海外学力検定試験委員会の新たな審議委員にニコラス・クインが推薦されたことで、委員会は騒然となる。なぜなら、クイン氏は極度の難聴であり、委員の役割をこなすのは困難だと考えられていたからだ。当然のことながら事務局長のパートレットはクイン氏の選出に難色を示したが、委員の一人であるループはクインの優れた知力と誠実な人柄を理由に委員推薦の意思を貫き通す。そして、彼が強硬な主張を続けた結果、6対5の投票結果をもってクイン氏の任命が決定したのだ。ところが、クイン氏は読唇術を使ってなんとか無難に業務をこなしていたものの、任命から3カ月後に毒殺されてしまう。人畜無害だと思われていたクイン氏を一体誰がどんな理由で殺したというのだろうか?モース警部はルイス部長刑事とともに捜査を開始するが........。
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前作の『キドリントンから消えた娘』では、全編を通してモースの迷走推理が繰り返されたのに対して、本作は中盤辺りまでは比較的まともな捜査が行われ、二転三転する展開はほぼラスト4分の1に集約されています。その結果、中盤がダレ気味なうえに終盤が少々詰め込み過ぎになっているのです。したがって、終盤の短い推理編の中でモースの考えがコロコロ変わっていくのについていけるかが、この作品を楽しめるかどうかの鍵だといえるでしょう。また、最終的に暴いた真相よりもそのひとつ前のダミー推理の方が魅力的なのも本格ミステリとしては微妙なところです。ダミー推理が優れていること自体は作品の魅力を高めるための重要なファクターではあるのですが、真相がその魅力を下回ればどうしても竜頭蛇尾な印象になってしまいます(まあ、デクスター作品の場合、それは本作に限った話ではないのですが)。さらに、ダミー推理を否定して新たな推理を採用するだけの根拠に乏しいのも問題です。とはいえ、考えが二転三転し、深まる謎に七転八倒するモースが好きだという人からは本作を含めて最初の3作品はいずれも高い評価を得ている作品ではあります。その評価が少し変わってくるのは次の4作目からです。


死者たちの礼拝(1979)
四月のまだ肌寒い日。休暇中のモースは暇を持て余して教会に訪れ、そこで昨年起きた奇妙な殺人事件の情報を入手する。信徒が教会で賛美歌を歌っている最中に教区委員の一人が聖具室で刺殺されたのだ。しかも、遺体の胃の中からは致死量のモルヒネが検出されたという。犯人はなぜ、彼を二重に殺害したのだろうか?さらに、その翌月には牧師が同じ教会で謎の墜落死を遂げていた。2つの事件はつながっているに違いないと感じたモースは独自の捜査を試みる。しかし、彼の捜査は遅々として進まず、しかも、協会関係者の腐乱死体が新たに発見され.......。
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コリン・デクスターが人気作家となるきっかけを作った作品であり、彼は本作で初のCWA賞(英国推理作家協会賞)を受賞しています。ただ問題は、本作ではこれまでシリーズのセールスポイントだったアクロバティックな推理がかなり控えめになっている点です。いろいろな仮説自体はでてくるものの、前3作に比べるとどうにもダイナミックスさに欠けているのです。さらに、犯人も行き当たりばったりな行動が多く、合理的な説明がなされない点が多いのも本格ミステリとしては物足りなさを感じてしまいます。しかし、その分、次々と死体が登場し、謎が謎を生む展開にはワクワクしますし、前作まではなかった容疑者同士の愛憎劇などといった要素も読み応えがあります。CWA賞ではそうした物語面での面白さが評価されたのではないでしょうか。それに、モースの七転八倒する迷走推理がうっとうしくて肌に合わないという人には比較的スマートに事件を解決する本作の方が楽しめる可能性は高いといえます。本来の魅力を抑え、正統派エンタメ小説に寄せた一冊です。
1979年CWAシルバーダガー賞受賞


ジェリコ街の女(1981)
モースはあるパーティに出席し、そこでジェリコ街に住んでいるアン・スコットという女性に出会う。すっかり意気投合したふたりは再会の約束をする。そして、パーティの数カ月後にモースは勤務途中でアンの自宅に立ち寄るが返事はなかった。モースは諦めて引き返すが、その後、彼女は首吊り死体となって発見される。一見自殺のように見えるものの、モースはその結論に納得がいかない。事件を担当することになったのは同僚のベル警部だが、モースも密かに事件を調べ始めるのだった。やがて、アンの隣家の男が何者かに殺されるに至り、モースの頭脳は激しく回転し始めるが......。
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前作に続きシルバーダガー賞を連続受賞したシリーズ第5弾です。しかし、本作でもお得意の迷走推理は封印したままで、ますます普通の本格ミステリに近づいていきます。いくつかユニークな仮説は出てくるものの、それらは十分に検証されないまま放置されてしまうのです。そのなかにあって、ミステリーとしての最大のセールスポイントだといえるのが最後に明らかになる意表を突いたトリックです。ただ、それも実現性という点では疑問が残り、手放しで褒められるものではありません。また、例によって真相よりもダミー推理の方が魅力的なのもすっきりしない点です。オイディプス王の悲劇に基づいた壮大な推理は奇想と納得度を兼ね備えたなかなかの完成度だけに、あれが真相でもよかったのではないでしょうか。一方で、全編に渡ってユーモラスな雰囲気に満ちており、癖がなくてすっきり読みやすいという点は前作以上です。それに、初期作品と比べると文章が格段にうまくなっていますし、悲劇的な結末も味わい深いものがあります。つまり、物語の完成度としては初期作品より遥かに上なのです。したがって、本作も『死者たちの礼拝』同様、『キガリントンから消えた娘』あたりの作風が苦手だという人にはおすすめの作品だといえます。
1981年CWAシルバーダガー賞受賞
謎まで三マイル(1983)
オックスフォード大学の教授が突如失踪する。そして、ほどなくして、運河から手足と頭部が切断された死体が発見される。持ち物から死体は失踪した教授のものだと思われた。モース警部もその線で捜査を開始する、だが、事件は思わぬ展開をみせる。当の教授から自分は生きているという手紙が送られてきたのだ。それでは死体の主は一体誰なのか?
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シリーズ6作目はいわゆる顔のない死体ものです。この場合、犯人は誰かという謎と同時に被害者が誰かという謎を解かなくてはならないのですが、特筆すべきは本作の登場人物の少なさです。主要人物といえるのが5人ほどしかいません。しかも、中盤を過ぎたあたりからその登場人物がどんどん消されていき、犯人候補も被害者候補もいなくなってしまうという驚くべき展開をみせるのです。真相もかなり意外なものであり、珍しく真っ当な本格ミステリとして面白い作品に仕上がっています。少なくとも、謎解きの魅力という点ではシルバーダガー賞を受賞した先の2作よりも上だといえます。また、まるでクローズドサークルもののように主要人物がほとんど死んでいく後半の展開も読み応えありです。ただ、謎解きの解法が複雑でわかりづらく、真相そのものも少々ご都合主義に感じられる点は賛否のわかれるところです。それに、後半が怒涛の展開なのに対して、中盤までがやや冗長に感じます。もう少し、前半をテンポ良くし、終盤の推理を丁寧に処理すれば、傑作になりえたのではないでしょうか。


別館三号室の男(1986)
大晦日にホテルに集まった人たちが新年を迎えてホテルを去ると、あとには一つの死体が残されていた。死体が発見されたのは別館三号室であり、殺されていたのは大晦日の夜に催された仮装コンテストの優勝者だった。新年早々捜査に駆り出されたモースは現場の状況と従業員の証言から犯人は仮装コンテストの出場者の中にいると判断する。だが、彼らの使っていた名前はすべて偽名だったために捜査は難航する。被害者には妻らしき女が同行していたというが、彼女も姿を消していた。手掛かりは何一つなく、被害者の名前さえわからない。だが、ルイスの地道な捜査が実を結び、ある事実が明らかになるのだが....。
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本作はモースの迷走推理は控えめなのに対して、ルイスと2人で事件についての考察を行いながら可能性を探っていくという描写が目立っています。2人のやりとりは楽しく、珍しくルイスが推理を披露するところも含め、いつもとは違った面白さがあります。また、今までモースに振り回されっぱなしだったルイスも逞しさが垣間見られるようになり、シリーズを追い掛けてきたファンにとっては感慨深いものがあるのではないでしょうか。さらに、冒頭の不可解な謎も申し分なく、被害者の身元もわからず、事件の関係者からの事情聴取すらできないなかで、一体どのようにして事件の真相に迫っていくのかといったプロセスにも興味がそそられます。ただ、肝心の事件の真相が凡庸です。魅力的な謎に対して真相の意外性がほとんど感じられない点はいかにも残念です。モースもあまり突飛な仮説を立てなくなったので、そういう意味でも物足りません。シリーズものの一編としては見逃せないものの、ミステリーとしての出来は水準以下です。


オックスフォード運河の殺人(1989)
モースは病院へと直行する救急車の中で横たわっていた。自宅で吐血して倒れていたところを発見されたのだ。モースの脳裏に自分の死亡記事が浮かぶ。だが、診断の結果は胃潰瘍だった。酒と煙草に溺れる長年の不摂生がたたったらしいが命に別条はないという。だが、しばらくは入院をしなければならなかった。モースは退屈を持て余し、『オックスフォード運河の殺人』という本を手に取る。素人郷土研究家による自費出版本であり、1859年に2人の船員が一人旅をしていた女性を殺して死刑になった事件の詳細をまとめたものだ。しかし、読み進めていくうちに、モースは著者が重要な事実を見落としていることに気付く。果たして船員たちは本当に女を殺したのか?モースの頭脳が激しく回転を始める。
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入院中のベッドの上で歴史的な事件に対して推理を巡らせるという、まるでジョセフィン・テイの名作『時の娘』を彷彿とさせる作品です。ちなみに、『オックスフォード運河の殺人』の方も本国ではその年の最高ミステリー小説に贈られるゴールドダガー賞を受賞するなど、非常に高い評価を受けています。しかし、残念ながら日本ではそこまでの高評価は得られていません。その理由としては、モースならではの論理的アクロバットがほとんどない点と歴史上の事件を扱っているために推理の根拠がいつも以上に薄弱という2点が挙げられます。少なくとも、ミステリーとしての出来は『時の娘』の方が数段上です。その一方で、話のテンポは良く、読み物としては悪くありません。特に、ユーモアを効かせて描かれるモースの入院生活のエピソードが結構面白かったりします。モースの謎のモテモテぶりを始めとして、彼のキャラクターとしての魅力を楽しむべき作品だといえるのではないでしょうか。
1989年CWAゴールドダガー賞受賞


消えた装身具(1991)
オックスフォードを訪れていたアメリカ人ツアー旅行客の老婦人がホテルで急死した。死因は冠状動脈血栓症による心臓麻痺で事件性はないとの結論が下される。一方で、彼女が持っていたはずの高価な中世の装身具がカバンごと紛失しており、そちらは盗難事件としてモース警部が担当することになった。最初はおざなりに捜査を行っていたモースだが、被害者から装身具を受納することになっていた博物館のスタッフが死体となって発見されるや、彼の頭脳は激しく回転を始める。だが、連続殺人の可能性が濃厚との考えに基づいてツアー客やガイドの証言を集めたものの、彼らの証言内容は激しく食い違っており......。
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本作はテレビドラマ用の脚本をノベライズしたもので、そのためか内容はシリーズの中でもかなり薄味なものになっています。一応、いつものように推理が二転三転するものの、一つの新事実によって仮説が根底からひっくり返るなどといったダイナミックスさに欠けているのです。軽く修正を加える程度なのでその辺りはどうしても物足りなさを感じます。真相が明らかになる最後のプロセスももたつき、どうにもパッとしません。登場するのも年寄りばかりでキャラクターの魅力もいまひとつです。最大の読みどころはオックスフォードの観光名所案内といったありさまで、いかにもテレビドラマ向けな軽量級の作品といった印象です。


森を抜ける道(1992)
休暇中の旅先でモースは『タイムズ』の見出しに目を止める。記事によると、1年前にイギリスを旅していたスウェーデンの娘がリュックだけを残して失踪した事件があったのだが、その真相を暗示しているともとれる詩が警察に送られてきたというのだ。詩の内容は「スウェーデン人の娘は森で殺されて埋められており、発見されるのを待ち望んでいる」と解釈できるものだった。その詩が頭から離れなくなったモースは休暇を早々に切り上げ、死体が埋められているという森を大々的に捜索する。そして、白骨化した死体を発見するのだが.......。
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『別館三号室の男』辺りからどうにもパッとしなかったシリーズが完全復活を遂げたとして、日本のミステリーファンの間では特に高い人気を誇る作品です。いくつもの仮説が乱れ飛ぶ点はシリーズ初期と同じ趣向なのですが、本作の場合はそれをモースの脳内で繰り広げるのではなく、新聞の記事を読んだ複数の読者が推理合戦を繰り返すところが新味となっています。もっとも、素人推理である分、モースの迷走推理以上に主観的な解釈になっている点は賛否の分かれるところですが、試みとしてはなかなかユニークです。ちなみに、枝葉の謎に関しては結構ヒネリが効いていたりするものの、メインの事件の真相はそこまで意外というわけではありません。推理の切れ味や結末の意外性よりも、どちらかといえば、不可解な事件に対する興味や先の読めない展開、あるいは各エピソードの面白さなどで引っ張っていく作品だといえます。ミステリーとしてのテクニックばかりが突出していた初期作品に対して、本作は小説としての総合力で読ませる佳品だといえるでしょう。
1994年度このミステリーがすごい!海外編 第5位
1992年CWAゴールドダガー賞
受賞


モース警部、最大の事件(1993)
クリスマスの日、ミセス・マイクルズは入院している娘のためにブドウを買い、買い物袋の中に400ポンドの寄付金が入った封筒をブドウと一緒に入れる。ところが、酒場のカウンターに買い物袋を置いて電話をかけている間に寄付金だけが封筒ごとなくなってしまったのだ。容疑者は店内にいた30名。しかも、金に困っている常連客ばかりで犯行のチャンスは全員にあった。モースは事件解決のために一計を案じるが........。
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1975年のデビュー以来、雑誌などにポツポツと掲載されていた作品を一冊にまとめた、コナン・デクスター唯一の短編集です。ちなみに、全11作品が収録されていますが、すべてがモース警部シリーズというわけではありません。モースが登場するのは全7編で、しかもその内、1作はほんのチョイ役で登場するだけです。したがって、実質的にはモースシリーズ6編、非モース作品5編という構成になっています。そして、どちらかというと、非モース作品の方が良い出来のものが多いように感じます。というのも、短編では尺が短すぎてモースお得意の迷走推理がうまく機能していないのです。一応どんでん返しはあるのですが、なんだか窮屈な印象を受けてしまいます。一方、非モース作品はいずれもユニークな発想が光り、特にシャーロック・ホームズのパスティーシュである『花婿は消えた?』が秀逸です。ホームズの名推理を兄のマイクロフトがひっくり返して新たな推理を開陳する展開にはワクワクしますし、それを最後に意外な人物が再度ひっくり返すのが皮肉が効いていて愉快です。また、オチがぶっ飛びすぎている『モンティの拳銃』も良い味を出しています。ちなみに、モースものでは男が語る奇妙なエピソードを聞いて、モースが驚愕の真相を導き出す『ドードーは死んだ』がベストでしょう。以上のように、注目すべき作品もあるものの、全編を通して読むと、やはりコリン・デクスターは長編でこそ真価を発揮する作家だという印象を受ける結果となっています。
カインの娘たち(1994)
大学の寄付金集めを担当していたフェリックス・マクルーア博士が何者かに刺殺された。捜査の結果、過去に博士に雇われていたことがあり、現在は博物館の警備員をしているテッド・ブルックスが容疑者として浮上する。しかし、彼はその直後から行方不明となり、数週間後に刺殺死体となって発見された。テッド殺しに使用されたナイフはマクルーア博士の刺殺痕と完全に一致する。しかも、そのナイフは博物館から盗まれたものだった。そして、テッドに深い恨みを持つ3人の女性の存在が明らかになるも、彼女たちには鉄壁のアリバイがあった.......。
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本作は最初から容疑者が絞り込まれているため、二転三転といった展開はほぼないといっていいでしょう。その代わり、このシリーズとしては珍しく、アリバイ崩しに焦点が置かれています。そのため、ごく普通のミステリーといった印象を受けます。すっきりとした構成で読みやすく、アリバイトリックもなかなかよく考えられているので、モースシリーズならではのゴチャゴチャした展開が苦手という人にもおすすめしやすい作品です。一方で、シリーズのファンにとっては事件の謎以上にモースの体調が気になるところです。緊急入院をし、引退をほのめかすなど明らかにシリーズを畳みにきています。実際、本作を含めたラスト3作がシリーズ最終章というべき展開になっており、事件よりもむしろモースの行く末に目が離せなくなってくるのです。


死はわが隣人(1996)
オックスフォード大学の学寮長引退が目前に迫り、後継者選びの選挙活動が激化するなか、大学にほど近い閑静な住宅街で住人の女性が射殺されるという事件が発生する。モースは糖尿病に悩まされながらも聞き込みを開始するが、被害者が人から恨みを買っていたなどといった話は皆無だった。しかし、一癖も二癖もある住人たちの錯綜する証言を突き合わせているうちに、モースは学寮長選挙との意外な接点を発見する.......。
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もともとシリーズ最終作として書かれた作品です。そのため、表面的な描写に終始していたモースとルイスの関係が本作では初めて内面まで深く踏み込んで描かれており、コンビとしての成長を実感できる作りになっています。この辺りはシリーズのファンにとっては必読のシーンだといえます。その一方で、ミステリーとしての出来は芳しくありません。モースによる大胆な仮説は皆無で、トリックも平凡、なによりモースが事件をきっちり解明する前になんとなく解決してしまった点がいただけません。ミステリー的な部分だけを取り出してみればシリーズでも最低の部類に入る凡作です。


悔恨の日(1999)
持病の糖尿病で療養中のモースの元に上司のストレンジ主任警視が現れ、1年前に起きた未解決事件の再調査を依頼する。その事件とは、全裸で手錠を掛けられた看護婦が自宅の寝室で撲殺死体となって夫に発見されるという異常なものだった。有力な手掛かりもなく、迷宮入りすると思われた事件だったが、最近になって匿名の情報提供者が現れたという。いかにもモースが好みそうな事件だったが、彼自身はなぜか再調査には乗り気ではない様子だった。そんなモースの態度に不安を覚えながらも、ルイスは捜査を開始するが.....。
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シリーズ最終作です。もともとは前作の『死はわが隣人』でシリーズは終了となる予定だったものの、ファンから抗議が殺到して急遽もう一冊書きあげたという経緯があります。そういった作品は得てして蛇足になってしまいがちなのですが、本作の場合は逆にファンの声が良い方向へと作用し、前作よりも最終作に相応しい作品に仕上がっています。ミステリーとしてのプロットもしっかりしていますし、長年モースの相棒を務めてきたルイスの活躍も見逃せません。それに何よりも、完結編らしい趣向をしっかり盛り込んでいる点に好感が持てます。初期作品を読んでいた頃にはまさかこのシリーズの最終作を読んで泣くことになるとは思いもしませんでした。本作単体ではなく、シリーズの完結編として評価したい佳品です。
悔恨の日 モース主任警部 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
コリン デクスター
早川書房
2015-11-30


あとがき
コリン・デクスターの読者には主に3つのタイプが存在します。1つ目は2転3転4転5転するめまぐるしいどんでん返しに魅了されてファンになった読者です。こういう人たちはシリーズの中でも特に3作目までを強く支持し、それに次ぐ作品として評価しているのがシリーズ10作目の『森を抜ける道』です。一方、モースとルイスのコンビや全編を覆う軽妙なユーモアが好きだという人は、キャラクター性や世界観が固まってくる中期以降の作品を好む傾向があります。さらに、ロジカルな本格ミステリを期待してモースシリーズを読む人も少なくありません。しかし、彼らの多くは推理の根拠となるロジックの弱さにがっかりして、デクスターの作品から離れていくことになります。このように、デクスターはそこに何を求めるかによって評価が大きく分かれている作家なのです。そのことを念頭に入れ、まずは自分の好みに合いそうな作品から挑戦してみてはいかがでしょうか。