最新更新日2020/12/31☆☆☆

シャーロック・ホームズの登場以来、英米のミステリーは長きに渡って日本人に愛され続けてきました。しかし、常に本格ミステリの最前線を走っていた戦前の姿は見る影もなく、今では社会問題や重厚な人間ドラマを中心とした作品が多くを占めるようになっています。英米以外の西洋文化圏においても状況は似たようなものです。もちろん、ドラマ重視のミステリーもそれはそれで魅力的ではあるのですが、謎解き主体の作品を読みたいと思っているミステリーファンにとっては少々寂しいものを感じるのではないでしょうか。そこで、おすすめしたいのが中華圏の国々から発表されている、いわゆる華文ミステリです。これらの国は日本のサブカルチャーの影響を強く受け、英米とは全く違った形でミステリーを発展させてきました。一言でいうなら、日本の新本格に近い作品が非常に多いのです。具体的にどのような作品があるのかを紹介していきます。
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2004年

バドミントンコートの亡霊(林斯諺)
哲学者で名探偵としても名高い林若平の元にはしばしば難事件が持ち込まれてくる。今回もテニスコートで女性が殺された事件について再調査してほしいとの依頼が入る。殺人が行われたテニスコートは密室状態であり、唯一犯行が可能だった人物は事件後に自殺していた。当然、その人物が犯人とされたが依頼主は釈然としないという。話を聞き、林若平はめまぐるしく推理を働かせていくが......。
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本作は、台湾でのミステリー普及のために2003年より始まった公募新人賞、人狼城推理文学賞(現・台湾推理作家協会賞)において初の大賞受賞作となり、さらに、EQMM(エラリー・クイーンズ・マガジン)に台湾ミステリーとして初めて掲載されるという栄誉に輝いています。一見、ディクスン・カーの『テニスコートの謎』や『ユダの窓』などを彷彿とさせる短編ミステリーですが、作者自身はエラリー・クイーンを敬愛しており、本作の場合も安楽椅子探偵のロジカルな推理が読みどころとなっています。密室トリック自体は大したことがない代わりに、論証を重ねて犯人の意図をつぶさにあぶり出していく手管が見事なのです。クイーン好きというのもうなずける端正なフーダニットミステリーです。


錯誤配置(藍霄)
ある日、精神科医でミステリー作家の藍霄は不審なメールを受け取る。そこには突然、自分が周囲から忘れられてしまったという奇妙な体験が書かれていた。しかも、自分は7年前に起きた未解決事件の犯人だと名乗り、藍霄を共犯だと名指ししているのだ。やがて、メールの差出人は首切り死体となって発見されるが......。
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1967年生まれの藍霄は台湾ミステリー界においていち早く日本の新本格に着目した作家であり、1990年からスタートした”秦博士シリーズ”は、当時としてはかなり完成度の高い本格ミステリとして人気を博していました。本作はその秦博士シリーズの一編であり、「幻想的な謎とその謎の解明」という島田荘司理論に忠実な作品に仕上がっています。特に、冒頭の幻惑的な謎の提示は強烈です。たちまち物語の中に引きずり込まれていきますし、複数の図面を用いて説明される密室殺人にもワクワクするものがあります。前半から中盤まであの手この手で読者を飽きさせない手管も見事です。ただそれだけに、トリックが強引で謎解きも不十分に感じられたのが少々残念ではあります。
錯誤配置 アジア本格リーグ1
藍シャウ
講談社
2009-09-11


2007年

犯罪の赤い糸(籠物先生)
駆け出しの作家である籠物先生は取材のためにある夫婦の元を訪れる。そこで聞かされたのは10年前に起きた誘拐事件とそれに絡んだ夫婦の馴れ初めの物語だった。
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第5回人狼城推理文学賞の大賞受賞作品です。過去に起きた誘拐事件を2つの視点から語るというユニークなプロットを採用しており、ヒネリを効かせた仕掛けには思わず唸らされます。短編の割に少々詰め込み過ぎの感がありますが、ユーモアを交えたサスペンスフルな物語は軽快で、ぐいぐいと引き込まれていきます。
犯罪の赤い糸
寵物先生
2014-10-01


2008年

人体博物館殺人事件(御手洗熊猫)

芸術家の小栗虫子は若くして「人体芸術の博物館」を設立し、探偵の御手洗濁を始めとする5人のゲストを招待する。彼らは奇抜な展示品の数々に目を奪われるが、博物館には怪盗からの挑戦状が届く。しかも、ゲストの一人が二重密室の中から死体となって発見されたのだ。
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御手洗濁、小栗虫子、泡坂昌男、鮎川漂馬といった登場人物の名前を見てもわかるように、本作は日本ミステリーを偏愛している作家による同人的短編小説です。しかも、発表当時、作者は20歳そこそこの学生だったため、小説としてかなり稚拙です。肝心の密室トリックも複雑すぎてなんだかよくわかりません。しかし、奇想天外な事件の発端はワクワクするものがありますし、全編通して日本ミステリーに対する愛に満ちており、その稚気に富んだ作風は微笑ましさを感じます。一種の怪作として評価すべき作品です。
人体博物館殺人事件
御手洗熊猫
2014-10-01


2009年

虚擬街頭漂流記(籠物先生)
2020年。台湾政府は大地震によって寂れてしまった西門町をネット上でヴァーチャストリートと呼ばれる仮想都市として再構築する計画を進めていた。その制作に携わっていたエンジニア・顔露華はデバッグのためにバーチャストリートの中に潜っていく。だが、そこで彼女は男の撲殺死体を発見するのだった。仮想空間で起きたことは現実世界にも反映されるようにできているため、その男は現実世界でも死んでいることになる。これはれっきとした殺人事件だった。問題は誰が殺したかだが、犯行時刻にヴァーチャストリートにいたのは露華と上司の大山だけだ。しかも、2人には完璧なアリバイがあり.......。
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記念すべき第1回島田荘司推理小説賞受賞作品です。VRをテーマにしたSFミステリーですが、丁寧に分かりやすく描かれており、小難しさはありません。登場人物が少ないこともあり、混乱することなくSFガジェットが散りばめられた世界を堪能することができるはずです。そして、そのガジェットを隠れ蓑にしたミステリーとしての仕掛けが見事です。ストーリー的にも一つの謎が解ければ新たな謎が出てくるという構成になっているため、飽きずに読み進めていくことができます。さらに、終盤で意外な真相が明らかになり、それが感動的な結末へとつながっていく展開も秀逸です。近未来的な舞台装置を十全に使いきった、これぞ21世紀型本格ミステリだといえる逸品です。
虚擬街頭漂流記 (文春e-book)
寵物先生
文藝春秋
2016-07-22


おれみたいな奴が(水天一色)
老靳はある有名な研究所に勤めていたものの、学がなかったために実験用のネズミの世話を押し付けられていた。うだつのあがらない人生だったが、それでも平穏な日々が続いていくはずだった。だが、同姓のエリート研究員が赴任したことで運命の歯車が狂い始め、老靳は破滅へと向かって進んでいく.....。
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第5回全国偵探推理小説大賞最優秀短編賞受賞作品。倒叙形式のミステリーであり、前半は主人公の鬱屈した生活を丹念な筆致で描いているので読んでいると気が滅入ってきます。ところが、この辺りの描写はミステリーとして計算し尽くされたもので、後半の謎解きの布石として見事に活かされています。端正なプロットが光る好編です。
おれみたいな奴が
水天一色
2014-10-01


死亡通知書 暗黒者(周浩暉)
2002年10月。優秀な刑事で周囲からの人望も厚かったA市公安局の鄭郝明が宿舎内の自室で殺害されているのが発見される。発見者は龍州市公安局隊長の羅飛刑事だった。刑事大隊長の韓は管轄外の刑事がこんな場所にいたことを訝しがり、事情を尋ねると羅は鄭刑事が18年前に担当した事件の話を聞きにきたのだという。それは、エウメニデスと名乗る正体不明の人物が法で裁けぬ悪人に犯行予告を出したうえで殺害した2件の事件で、その内の1件では羅の警察時代の友人と恋人が爆発に巻き込まれて命を落としていた。そんな過去の事件をなぜ今さら調べているのかといえば、数日前にエウメニデスから手紙を受け取ったからだ。そして、鄭刑事も同じように手紙を受け取ったらしい。その手紙には羅の警察学校時代の学生番号と新たな犯行を匂わせる文章が綴られていた。現役警官が殺害されたことですぐさま専従班が設置され、羅と韓もそのメンバーに選ばれる。各自が得意分野を活かして捜査を行う中、エウメニデスはそれをあざ笑うかのように厳重な警備をかいくぐってターゲットを殺していく。かつて苦い敗北を喫した相手に羅飛はどう立ち向かうのか?
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本作は羅飛シリーズの一編であり、同時に死亡通知書3部作の第1弾に位置づけられている作品です。ちなみに、死亡通知書とは殺人予告のことで、死を宣告された相手を天才殺人鬼からいかにして守るかが物語の焦点になっています。映画でいえば、ハリウッドの刑事アクションと香港ノワールの良いとこどりをしたような内容です。冒頭からラストまで見せ場見せ場の連続で、ページをめくる手が止まらなくなります。また、綿密に仕込まれたトリックもよく考えられており、本格好きの読者にとっても満足度は高いのではないでしょうか。犯人が超人すぎて現実味が欠ける点は好みの分かれるところですが、B級サスペンスと割り切れば間違いなく楽しめる極上のエンタメ作品です。さらに、警察サイドの描写も欧米とも日本とも異なるタッチなので、警察小説好きな人にとっても興味深い内容だといえます。ラストの気になる引きも見事で、続編への期待を掻き立ててくれます。中国でベストセラーとなったというのもうなずける傑作です。
2021年このミステリーがすごい!海外部門4位
2021年本格ミステリベスト10海外部門5位


2011年

世界を売った男(陳浩基)
マンションの一室で若い夫婦が胎児と共に惨殺されるという事件が発生する。香港西区警察署の許友一がその事件を担当して一週間がすぎ、ふと気がつくと彼は自分の車の中にいた。酷い2日酔いで、どうやら家には帰らず車の中で眠り込んでいたらしかった。許は慌てて警察署に向かうが何かがおかしい。やがて署に着いた彼は愕然とする。建物の玄関口は改装されており、しかも、昨日までは2003年だったはずなのに、ポスターには2009年と書かれていた。なんと彼は記憶喪失になり、6年間の記憶を失っていたのだ。そのとき、女性雑誌記者の蘆沁宣が声をかけてくる。6年前に起きた未解決の惨殺事件について取材をする約束をしていたのだと彼女はいう。こうして許は記憶を失ったまま、女記者と共に6年前の事件の謎を追うことになるが.......。
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『13・67』で大ブレイクを果たした陳浩基の日本デビュー作品であり、第2回島田荘司推理小説賞を受賞しています。物語は主人公が6年間の記憶を失うところから始まっており、その謎めいた導入部には読み手を引き込む牽引力があります。自己の喪失という重いテーマを扱っているものの、溌剌とした女記者に引きづり回される展開は意外と軽快です。そして、その中で繰り広げられる、謎解き・サスペンス・アクションといった物語はエンタメとして非常によくできています。特に、後半の大きなサプライズを経たのちの展開は、先が気になってページを捲る手が止まらなくなってしまいます。また、ミステリーとしても、記憶喪失の謎は専門知識が絡んでくる点が好みの分かれるところではあるものの、巧みに伏線を張り巡らせて納得度の高いものに仕上げているのが見事です。一方、殺人事件におけるフーダニットは見当が付きやすく、物足りなさが残ります。トリックが強引、推理に無理があるなど、『13・67』と比べるとまだまだ未熟な部分は散見されますが、そういった荒削りな部分も含めてかなり面白い作品であることは確かです。
世界を売った男 (文春文庫)
浩基, 陳
文藝春秋
2018-11-09


2013年

ぼくは漫画大王(胡傑)
小学生の健ちゃんは父親から大量の漫画を買い与えられており、彼は友人らに蔵書の数や知識量の多さを誇っていた。一方、母親は息子を甘やかす夫を苦々しく思っていて、ついには喧嘩をして家を出て行ってしまう。ところが、家出をしていた妻が自宅に戻ってみると、夫は何者かに殺され、健ちゃんは外から鍵をかけた部屋に閉じ込められていた。一体ここで何が起きたのか?そして、少年時代のトラウマから鬱鬱とした人生を送る方志宏という男との関連性は?
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第3回島田荘司推理小説賞受賞作品です。物語がいきなり12章から始まり、1章に戻るという大胆な構成を採用しており、そこに大仕掛けを仕込むというプロットが目を引きます。ただ、そのために作者が仕掛けたトリックが露呈しやすくなってしまったのはなんとも残念です。特に、日本の新本格ミステリを読み慣れている人なら、このネタはすぐにピンとくるでしょう。狙いは悪くないだけに仕掛けの構築の甘さが惜しまれます。一方で、本作は台湾の風俗を描いた作品としてはユニークなものに仕上がっています。台湾に日本のサブカルチャーがいかに深く根付いているかがわかりますし、台湾の文化や生活の描写も興味深く描かれているのです。台湾に行ってみたいと思わせる点においては非常に優れた作品だといえるのではないでしょうか。
ぼくは漫画大王
傑, 胡
文藝春秋
2016-05-28


逆向誘拐(文善)
国際投資銀行を標的とした誘拐がカナダで発生する。ただし、誘拐されたのは人ではなく、VIP向けの機密データだった。しかも、要求された身代金はわずか10万ドル。決してはした金ではないものの、犯行のリスクに見合うものではない。しかも、犯人の指示は奇妙なもので......。果たして犯人の狙いはどこにあるのか。システム情報部の植嶝仁は、このままでは華僑の父が率いる財閥までもが巻き添えになりかねないことを知り、軟禁状態にありながら犯人の正体を暴こうとする。
◆◆◆◆◆◆
第3回島田荘司推理小説賞を『ぼくは漫画大王』と分けあった作品です。犯人の奇妙な指示や奇抜な身代金の受け渡し方法などを始めとして、誘拐ものの新機軸としてなかなか読ませる作品に仕上がっています。パソコンやネットワークを駆使したトリックもよく考えられており、誘拐の裏にあった真相も意外性があって驚かされます。ただ、ネタばらしがあっさりとしすぎているため、クライマックスとしての盛り上がりに欠けるのがいささか残念です。それから、全体的に軽いノリなのも好みが分かれるところではないでしょうか。
逆向誘拐
善, 文
文藝春秋
2017-08-28


憎悪の鎚(鶏丁)
不動産仲介業者ばかりを狙った連続殺人が発生する。しかも、全員がマンションの最上階で殺されており、現場はいずれも完全な密室だった。そんな中、ミステリマニアで刑事を兄に持つ僕は、兄の心配をよそに不動産会社に就職するが.....。
◆◆◆◆◆◆
本作は密室殺人を扱った短編ばかりを揃えた作品集『1/13密室殺人(日本では未訳)』の一編であり、短編なのにたてつづけに4つの密室殺人が発生するという派手な内容になっています。さすがは中国版密室の帝王です。ただ、これだけ詰め込んでしまうと、さすがに一つ一つのトリックは小粒にならざるを得ず、密室トリック自体に大きな驚きはありません。その代わりに、トリックの解明だけで終わらせるのではなく、そこから意外な事実が飛び出し、意表をついたロジックにつながっていくあたりが良くできています。全体的には少々大味ではあるものの、中身がぎっしりと詰まっている意欲作です。
憎悪の鎚
鶏丁
2015-10-21


2014年

13・67(陳浩基)
2013年の香港。卓越した推理力によって刑事でありながら名探偵の異名をとっていたクワンも末期がんに侵され、昏睡状態にあった。彼の愛弟子であるロー警部はある事件の容疑者を病室に集め、クワンに謎解きをしてもらうと宣言する。クワンは一見意識がないようにみえるが、耳は聞こえており、脳波測定器を使えばコミュニケーションを図ることができるというのだ。ロー警部はクワンに質問をし、脳波の変化でノーかイエスかを判断していくが.......。
◆◆◆◆◆◆
2017年に日本で発売され、大ブレイクを巻き起こした作品です。この成功により、それまで台湾と提携関係にあった島田荘司推理小説賞の受賞作品だけが紹介されていたにすぎなかった華文ミステリへの注目度が一気に高まることになります。本作の何がそんなにすごいのかというと、その根幹にあるのは壮大かつオリジナリティの高いプロットです。6篇からなる連作短編は2013年から始まり、次第に時を遡って1967年へと至ります。一作一作が緻密なロジックに基づく極上の本格ミステリであるうえに、1967年の左派勢力の反英暴動を起点とした香港の近代史が一望できる社会派ミステリーにもなっているのが見事です。なかでも香港返還を控えた時期に起きた囚人脱走事件を描いた『クワンの一番長い日』における大胆なトリックには唸らされます。本格ミステリと社会派ミステリーが見事な融合を果たした大傑作です。
2018年このミステリーがすごい!海外部門2位
2018年本格ミステリベスト10海外部門1位
第8回台北国際ブックフェア賞
13・67 上 (文春文庫)
陳 浩基
文藝春秋
2020-09-02


2015年

(雷鈞)
生まれながらにして盲目の阿大は中国の孤児院で育てられたのちに、ドイツ人の夫婦に引き取られ、養子となる。養父母の愛情に包まれ、ドイツですくすくと育っていく阿大だったが、あるとき、中国で6歳の少年が何者かに木の枝で眼球をくりぬかれるという事件が起きたことを知る。阿大はその少年を励ませるのは自分しかいないという確信と、自慢の推理力をいかして真相を突き止めたいという想いから中国に渡る決意をするのだった。彼を心配する養父母は、お目付け役としてインターポール職員の温幼蝶を同行させ、阿大は彼女と共に中国文明発祥の地である黄土高原に向かって出発する。一方、地元の警察は被害者の伯母を犯人だと睨んで捜査を進めていた。だが、彼女は村の井戸に身を投げて命を絶ってしまう。これで事件は終結だと考えられていたが、阿大はその結論にひっかかるものを感じ、独自に調査を開始する。
◆◆◆◆◆◆
第4回島田荘司推理小説賞受賞作品です。主人公が盲目のミステリーといえば、江戸川乱歩賞作品の『闇に香る嘘』を彷彿とさせますが、本作にはあの作品に負けない大仕掛けが用意されています。正直、メインとなる目潰し事件のほうは、独自の叙情性には惹かれるものがあるものの、謎解きミステリーとしては大したことありません。しかし、それとは異なるベクトルにサプライズが用意されているのです、これが意表をつくものであり、多くの人はまんまと騙されるはずです。冒頭で「この物語には叙述トリックが仕掛けられている」と堂々と宣言しているところからも、作者の自信のほどがうかがえます。ただ、その仕掛けを成立させるための設定に少々無理があり、それを許容できるかどうかで評価が分かれそうではあります。
2020年このミステリーがすごい!海外部門16位
2020年本格ミステリベスト10海外部門6位
黄
鈞, 雷
文藝春秋
2019-07-24


2016年

元年春之祭(陸秋槎)
紀元前100年の前漢の時代。かつて国の祭祀をとりしきったこともある名家の観一族は、春の祭儀の準備に追われていた。だが、そんな折、当主の妹が何者かに殺されてしまう。しかも、殺害現場に通じる道筋には人の目があり、それを避けて通るのは不可能だった。犯人は一体どのようにして犯行を成し遂げたのだろうか?見聞を深めるために偶然観一族の家に滞在していた豪族の娘、於陸葵は持ち前の才気を発揮しつつ、真相の究明を試みるが........。
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非常に珍しい、古代中国を舞台にした本格ミステリです。しかも、作中には古代中国に関する膨大な蘊蓄が入り乱れているので読み進めるのに苦労するかもしれません。日本のアニメからの強い影響がみられるキャラクター描写や百合的な要素も好みの分かれるところではないでしょうか。しかしながら、蘊蓄がミステリーの仕掛けとして機能している点はよくできていますし、アニメ的な味付けに抵抗がなければ、登場する女の子たちはみなキャラが立っており、魅力的に感じるはずです。それに、探偵役とワトソン役の少女たちによる激しい推理合戦や2度に渡る読者への挑戦もミステリーマインドをくすぐる絶妙なアクセントとしての役割を果たしています。そして何よりも、古代中国だからこそ成立しうる殺人の動機がホワイダニットミステリーとして秀逸です。荒削りで極端な作風は激しく読み手を選ぶものの、その分、一度ハマればどこまでも夢中になれるカルト的な要素に溢れています。数ある華文ミステリの中でもオンリーワンの存在だといえる異色傑作です。
2019年このミステリーがすごい!海外部門4位

2019年本格ミステリベスト10
海外部門3位
元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)
陸 秋槎
早川書房
2018-09-15


2017年

雪が白いとき、かつそのときに限り(陸秋槎)
ある冬の朝、地方都市の学生寮の庭で女学生の死体が発見される。凶器は指紋のないナイフだったが、死体は雪で覆われており、周囲に足跡がなかったことから自殺として処理される。それから5年が過ぎた頃、生徒会長の馮露葵は寮長の顧千千から相談を受ける。いじめ騒動に端を発して、5年前の事件のよからぬ噂が校内に広がっているというのだ。真相を探るべく、露葵は図書館司書である姚漱寒の協力を得て調査を始めるが、結果明らかとなったのはその事件に関わった人々の苦い過去だった。そんな折、学生寮では新たな殺人事件が発生する。しかも、それは5年前の事件と酷似した雪の中での密室殺人だった......。
◆◆◆◆◆◆
古代中国を舞台にした『元年春之祭』から一転した、現代の高校生活を描いた学園ミステリーです。しかし、少女が活躍する百合ミステリーの趣向は相変わらずで、過剰なまでのロジックへのこだわりも健在です。ヒロインたちの間で繰り返される真相を巡るディスカッションは読み応えがありますし、推理のための材料を集めたうえで消去法によって一気に結論を提示する方法には美しさすら感じさせてくれます。そのうえ、そこから一捻りを加えて新たな推理に発展させる手管が、また見事です。さらに、少女たちの繊細な心理描写と儚さを感じさせる独特の世界観にも惹きつけられるものがあります。ただし、ユーモアの類はほとんどなく、終始暗い雰囲気で物語が進行していく点は好みが分かれそうです。そして、何より物議を醸し出したのは犯行動機です。作者はこの部分に労力を注ぎ込み、独創的な動機を提示しています。意表を突いた動機という点では前作と同じなのですが、『元年春之祭』と異なり、本作の舞台は現代です。古代中国ならどんな突飛な動機でも当時のことを誰も知らないだけに、「そういうこともあるのかな?」と、なんとなく納得してしまいます。しかし、現代を舞台に奇抜すぎる動機を出されると感覚的に「そんなバカな!」と感じてしまいがちです。本作がまさにそれで、この動機に納得できるかどうかは意見の分かれるところではないでしょうか。とはいえ、アンチミステリー的な趣向も含め、作者の本格ミステリ愛が随所に感じられる作品であり、本格ミステリのファンなら読んで損のない佳品であることは確かです。
2020年このミステリーがすごい!海外部門15位
2020年本格ミステリベスト10海外部門4位



網内人(陳浩基)
早くに両親を失ったアイは親代わりとして中学生の妹・シウマンを育ててきたが、彼女はアパートから身を投げて命を絶ってしまう。愕然とするアイはやがてシウマンが自殺した理由を知る。彼女は少し前に痴漢の被害に遭っており、そのときは犯人が逮捕されて一見落着となったのだが、それからしばらくして逮捕された男の甥を名乗る人物が、インターネットの掲示板で叔父の無実を主張してシウマンの中傷を始めたのだ。しかも、多くの人間が扇動に乗せられてシウマンに対するバッシングが広がったため、精神的に追い詰められて自殺に至ったというのが真相だった。妹を死に追いやった人物に対する怒りが抑えられないアイは逮捕された男の甥なる人物への復讐を誓う。そして、知人からハイテク探偵・アニエのことを教えてもらい、彼に妹を中傷した人物の身元を調べてもらおうとする。だが、アニエはすぐには依頼を受けようとはせず、復讐を成し遂げるだけの覚悟があるのかを彼女に問いかけるのだった。実は、アニエには復讐請負人というもう一つの顔があったのだ。
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日本語に訳すなら「ネットの住人」とでもいうべきタイトルの本作は、インターネットを取り巻く現状やIT関連のガジェットなどがこれでもかというほどに盛り込まれており、いかにも現代ミステリーといった作品に仕上がっています。特に、ハッカーのノウハウを用いたハイテク探偵の捜査ぶりは近未来SFの趣さえ感じられ、大いに興味をそそられます。また、現代の社会問題についても鋭く言及しており、『13・67』と同じく、社会派ミステリーと本格ミステリーの融合という点でも秀逸です。それに加え、毒舌のハイテク探偵もキャラが立っており、お人好しで機械音痴のアイとのコンビはバディものとして良い味を出しています。何より、膨大なネットの海から標的を炙りだしていくプロセスは非常にスリリングで、21世紀型ミステリーとして抜群の面白さです。ただ、全体的に少々長すぎるため、物語が横道に逸れる中盤の展開は冗長だと感じるかもしれません。しかし、その部分にも巧妙な仕掛けが施されており、終盤のどんでん返しへと繋がっていきます。さらに、復讐劇が始まり、本格ミステリからサスペンスミステリーに移行してからはまさに怒涛の展開で、ページをめくる手が止まらなくなってしまいます。社会派としての着目点に優れ、同時にエンタメ小説としても文句なしの面白さを誇る傑作です。
2021年このミステリーがすごい!海外部門14位
2021年本格ミステリベスト10海外部門2位
網内人 (文春e-book)
陳 浩基
文藝春秋
2020-09-28


2019年

ディオゲネス変奏曲(陳浩基)
大学生の僕は土曜日の授業が終了したのちに雨宿りをするため、一般教養の選択科目の教室に潜り込む。すると、そこでは「推理小説鑑賞、創作と分析」という講義が行われていた。その講義は初回にもかかわらず、出席者は僕を含めてわずか7人しかいない。しかも、担当教授は、今から推理ゲームをして正解にたどり着いた者には無条件で成績Aを与えると宣言する。そのゲームの内容というのは、7人の中に紛れ込んでいる教授の助手であるXが誰なのかをディスカッションしながら推理していくというものだった。ただし、成績Aをもらえるのは先着1名のみ。つまり、Xを言い当てるためにはみんなで協力し合いながらも、出し抜かなければならないのだ。果たしてゲームの勝者は?
◆◆◆◆◆◆
全17編を収録した自選短編集です。その内容は本格ミステリ、サスペンス、SF、ホラーetcとバラエティに富んでおり、著者の引き出しの多さをうかがわせてくれます。女性のブログを見ながらネットストーカーをしている青年の描写から始まってそこから二転三転していく『藍を見つめる藍』、編集者から「一流のミステリー作家はみな人を殺している」とそそのかされたミステリー作家志望の男が密室殺人を計画する『作家デビュー殺人事件』、惑星探査中の事故に謀殺の疑惑が持ち上がる『カラー星第九事件』などといった具合に、個性的で高品質な作品な揃っています。そんな中でも白眉といえるのが巻末の『見えないX』です。教室で行われる推理ゲームの最中に新しいロジックや他者を出し抜くテクニックが次々と生み出され、怒涛の勢いで意外な結末へとたどり着く展開にただただ圧倒されます。フーダニットミステリーの極北とでもいうべき傑作です。以上のように、読み応え満点の作品がずらりと並んでいます。習作だと思われる小品が混じっていて多少玉石混合気味になっているのが惜しまれますが、それを差し引いても質と量を兼ね備えた実にゴージャスな作品集です。
2020年このミステリーがすごい!海外部門5位
2020年本格ミステリベスト10海外部門3位



おわりに
ここで紹介した作品は華文ミステリのごくごく一部に過ぎません。日本への紹介はまだ始まったばかりであり、未訳のものの中には傑作、怪作、問題作などが数多く存在します。しかも、その多くが日本ミステリーからの強い影響を受けているため、海外ミステリーが苦手な読者でも親しみやすいという特徴を有しています。つまり、本格的な紹介が始まれば、海外ミステリーの読者人口を一気に増やしていく可能性が高いのです。これからどのような作品が登場するかが非常に楽しみです。