最新更新日2020/04/06☆☆☆

ジュール・ヴェルヌはフランスの小説家であり、SF作家の祖だといわれています。SF小説の源流というべき物語自体は太古から存在していましたが、そうした作品をコンスタントに発表した最初の作家だというわけです。一方で、ジュール・ヴェルヌは決してSF小説だけの作家ではなく、その本質は冒険小説家だといっていいでしょう。サイエンスフィクションを描くというよりは奇想天外な冒険物語を描くために、当時の最新技術や科学知識を積極的に作品の中に取り入れた感が強いのです。実際、彼の作品の中には全くSF要素のない王道的な冒険物語もたくさんあります。具体的にどのような作品があったのか、70冊以上に及ぶ著作のなかから代表的なものを選んで紹介していきます。
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二十世紀のパリ(1861)
1960年。16歳のミッシェルは教育金融総合公社を優秀な成績で卒業するが、彼の前途は多難だった。20世紀のフランスは科学万能主義に支配され、彼の専攻していた詩やラテン語などは無価値なものだとされていたからだ。希望を見いだせぬまま彼は銀行の計算担当の職に就き、やがて恩師の娘に恋をする。しかし、パリは大寒波に襲われ、その影響でミッシェルは職を失う。彼はなけなしのお金でパンではなく、彼女に送る花を買うが......。
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ジュール・ヴェルヌが無名時代に書いた作品ですが、陰鬱で荒唐無稽な話だとして出版社はこれを本にしませんでした。そのため、本作は幻の作品として長い間、タイトルだけが語り継がれてきました。ところが、1991年にジュール・ヴェルヌの曾孫が未発表原稿を発見し、執筆から130年の時を経て出版されることになったのです。内容的にはディストピア小説の原型とでもいうべきもので、文明批判に満ちた暗い展開は多くの人が思い浮かべるジュール・ヴェルヌ作品のイメージとはかけ離れています。どちらかといえば、ジョージ・ウェルズの作品に近いものがあります。それに、娯楽性も乏しいので出版社が本にしなかったのもなるほどといった感じです。しかし、今この作品を読むと、ある一面においては未来社会を正確に予測しており、驚かされる部分も少なくありません。もちろん、外れている部分もあるので現実との比較をしつつ読んでみるのも一興ではないでしょうか。
二十世紀のパリ
ジュール・ヴェルヌ
集英社
1995-03T


気球に乗って5週間(1863)
発明家にして探検家のサミュエル・ファーガソン博士はナイル川の源流を見つけるために、気球に乗ってアフリカ大陸を東西に旅するという計画を立てる。アフリカ大陸はさまざまな危険が潜む未開の地であり、今までに何人もの冒険者が命を落としてきた。その原因の多くはアフリカ大陸の完璧な地図が未だ存在していないことに起因している。つまり、ナイル川の源流を見つけ、地図を完成に近づけることは大変な名誉となるのだ。ファーガソン博士は従僕のジョーと親友で銃の名手のディック・ケネディを引き連れ、気球に乗り込む。しかし、その先には人食い人種や猛獣といったさまざまな危険が待ち構えていた......。
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驚異の旅シリーズの第1弾という位置付けの作品であり、ジュール・ヴェルヌを人気作家へと押し上げた彼の出世作です。実際、この作品には当時の最新科学に基づいた設定、危機また危機という起伏に富んだストーリー、個性的な登場人物といった具合に、その後のヒット作品に共通する基本要素がすべてつまっています。つまり、ジュール・ヴェルヌは本作によって作家としての基本スタイルを固めたのだといえます。たとえば、人食い人種に襲われるエピソードなど、現代の視点で読んでみるといかにもクラシカルで時代がかっていますが、その大時代的なところこそがジュール・ヴェルヌ作品の魅力なのです。また、本作には実際にナイル川の源流を求めて探検をしたジョン・ハニング・スピークや彼の冒険仲間であり千夜一夜物語の英訳でも知られるリチャード・フランシス・バードンらにも言及しており、当時を知るうえでの絶好の資料となっています。いずれにせよ、本作は読み手がジュール・ヴェルヌの良き読者になれるかどうかを図るための格好の試金石だといえます。


地底旅行(1864)
鉱物学教授のオットー・リーデンブロックは骨董店で購入した古文書にルーン文字で書かれたメモが挟まっていることに気づく。その文章を解読したところ、メモには「アイスランドにあるスネッフェルス山の火口から中に入って進んでいけば地球の中心にたどり着く」という趣旨の内容が書かれていることが判明する。その文書に心躍らせた教授は準備を整え、甥のアクセルと現地で雇った案内人のハンストともに火口を降りていく。途中何度も危機に直面しながらも数十日をかけて何千キロも進んだ彼らはついに地下の大空洞に到達するのだが........。
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言語学、地質学、古生物学と、科学知識が散りばめられた冒険譚であり、この作品にはSF小説としての原初的な面白さがつまっています。さすがに、現代の読者が読むと、節々に科学的な間違いがあることに気づいてしまうでしょうが、力強い筆致で描かれる物語は些細な誤謬などどうでもよいと思えるほどのワクワク感に満ちています。ちなみに、本作が面白いのは地底旅行のシーンだけではありません。前半の言語学に基づく暗号解読は実にスリリングですし、アイスランドのシーンは優れた旅行記として読むことも可能です。もちろん、地底世界のイマジネーション豊かな描写にも圧倒されてしまいます。このように、本作は最初から最後まで隙のないエンタメ作品に仕上がっているのです。これぞ血沸き肉躍る冒険小説の傑作です。
地底旅行 (岩波文庫)
ジュール・ヴェルヌ
岩波書店
1997-02-17


月世界旅行(1865、1870)
南北戦争終結後、火器兵器の開発に携わっていた元軍人たち“大砲クラブ”の面々は、その技術転用として月に砲弾を撃ち込むアイディアを出す。ケンブリッジ天文台の協力の元、具体的な計画を立案した彼らは世界中に寄付を募り、それを資金にしてフロリダ州タンパに巨大な砲台を建造する。着々と計画が進むなか、大砲クラブの会長であるインピー・バービケンの商売敵だった二コール大尉は無謀な計画に対し、成功するはずがないとあざ笑うのだった。一方、フランス人のミッシェル・アルダンは当初無人の予定だった砲弾に乗り込みたいとの要請を出し、砲弾の設計を変更させる。やがて、バービケンと二コールは和解し、彼らもアルダンと一緒に砲弾に乗り込むことになる。そして、ついに砲弾が発射されるが、その軌道は予定よりわずかに逸れていた。このままでは砲弾は月に到着することなく、月の衛星になってしまう......。
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本作は1865年の『地球から月へ』と1870年の『月世界に行く』の2部構成からなるSF小説です。ちなみに、本作が発表される200年も前にフランスの作家、シラノ・ド・ベルジュラックは3段式ロケットで月に行く『月世界旅行記』を書いています。それに比べると、砲弾で月に行くというのは大きく後退している感が否めません。しかし、ジュール・ヴェルヌがあえて砲弾という手段にこだわったのは、兵器を平和転用する話にしたかったためだといわれています。それに、砲弾型宇宙船という発想自体は荒唐無稽かもしれませんが、砲弾をどうすれば月まで到達させることができるかといった科学的考証については正確に描かれているため、古典SFとして読み応えのある作品に仕上がっています(もっとも実際に本作の計算通り砲弾を射出すれば、中に入っている人間は一瞬でぺちゃんこになってしまいますが)。また、エーテル宇宙論など、現在では否定されている科学的仮説も散見するため、当時の最先端の科学がいかなるものかを知るうえでも絶好の書だといえるでしょう。ただ、本作は今では未知の領域ではなくなった月に行って帰るだけの話で、宇宙人やモンスターなどが出てくるわけではありません。そのため、現代人が読むと見せ場の乏しい単調な物語に感じてしまう可能性があります。
月世界旅行―詳注版 (ちくま文庫)
ジュール ヴェルヌ
筑摩書房
1999-08T


海底二万里(1870)
謎の怪物によって船に大きな穴を開けられるという事件が相次ぐ。怪物の正体は角を持つ巨大なクジラではないかという仮説を立てたフランスの海洋生物学者、アロナックス博士は助手のコンセイユや銛打ちの名手、ネッド・ランドと共に、怪物調査の任についたアメリカの軍艦に乗船する。しかし、その怪物の前では軍艦すらも歯が立たず、アロナックスら3人は海に投げ出されてしまう。彼らを救ったのは未知の技術で造られた潜水艦、ノーチラス号だった。そのノーチラス号こそが怪物の正体だったのだ。そこで彼らはネモ船長と名乗る男に出会い、3人は彼の客人として扱われる。ネモ船長は過去に酷い目にあった復讐のために、海に身を潜めて船を攻撃していたのだ。こうしてアロナックたちはノーチラス号に乗って世界中の海を巡ることになるが......。
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ジュール・ヴェルヌの祖国であるフランスでは当時、世界に先駆けて動力潜水艦の開発を進めていました(人力による潜水艦は17世紀から存在しています)。それに触発されて執筆したのが本作です。ちなみに、『海底二万里』といえば、ダイオウイカ退治や軍艦との死闘といったスペクタルなイメージがあるかもしれませんが、それは映画の話です。原作である小説版は海底の風景や海の生物の描写に大半を割いたドキュメンタリー番組のような内容になっています。そう聞くと退屈な作品のように感じる人もいるかもしれませんが、その海中の描写が実にイマジネーション豊かでワクワクさせてくれるのです。また、登場人物も個性豊かで魅力的です。なかでも特に注目すべきはネモ船長でしょう。普段は物静かで冷静沈着でありながら、海のことになると子どものように情熱的、また、人類を激しく憎悪している一方で、窮地に陥っている人には救いの手を差し伸べるといった複雑な人間性が忘れ難い印象を与えてくれます。初期のSF小説を代表する名品です。
海底二万里(上) (新潮文庫)
ジュール ヴェルヌ
新潮社
2012-08-27


八十日間世界一周(1873)
謎多き若き富豪、フィリアス・フォッグはロンドンの紳士クラブ”リフォームクラブ”で会員たちと賭けをする。全財産の半分を使って80日間で世界一周できるかどうかに残りの財産すべてを賭けるというのだ。こうしてフォッグは執事のパスパルトゥーと世界一周の旅に出掛ける。10月2日午後8時45分の列車でロンドンを出発。約束の期限は12月21日の同時刻だ。そのときまでに”リフォームクラブ”に現れなければフィリアスの負けとなる。フォッグとパスパルトゥーは予定通りの時刻にスエズ運河に到着する。だが、2人を追う影があった。スコットランド・ヤードの刑事が銀行強盗の容疑者としてフォッグをマークしていたのだ。
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単に世界一周をするだけの話なので『月世界旅行』や『海底二万里』などに比べるとスケールが小さくなっているように思うかもしれません。しかし、そこにリミテッドサスペンスの要素を組み入れると同時に、ドタバタコメディやロマンスの要素を盛り込み、一級の娯楽作品に仕上げることに成功しています。また、主人公たちが立ち寄る各国の風俗描写も(現代人の目から見ればややトンデモ風味ですが)ほどよいスパイスとなっています。話のテンポが良く、最後のどんでん返しも見事であり、そのうえ、余韻の残るラストも印象深いという、あらゆる面において隙のない傑作です。
八十日間世界一周 (創元SF文庫)
ジュール・ヴェルヌ
東京創元社
1976-03-20


神秘の島(1875)
南北戦争の最中、南軍の拠点であるバージニア州リッチモンドがグラント将軍率いる北軍によって包囲される。南軍は気球を用いて外部に救援要請を出そうとするが、捕虜として捕えられていた北軍支持者の一団がそれを奪取して脱出するのだった。しかし、気球は高度を下げ始め、太平洋の無人島に着陸してしまう。島は航路から離れた場所にあり、救助は期待できない。島に降り立った5人の男と1匹の犬はサイラス技師をリーダーとしてその島で自活することを決意する。しかし、奇怪な出来事が次々と起こり.......。
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無人島に漂着した男たちが知恵と勇気で生き抜いていく『15少年漂流記』のひな型とでもいうべき作品です。ただ、『15少年漂流記』と比べると、奇想天外ぶりが目立ちますし、科学知識を用いて島を文明的にしていくサイラス技師もチートすぎです。いささかやり過ぎ感がありますが、そこが面白いと感じる人もいるでしょう。確かに、当時の科学知識を総動員して行われるサバイバル生活にはSF小説に通じる面白さがあります。それに、『海底二万里』のネモ船長が再登場する点も見逃せないところです。
神秘の島〈第1部〉 (偕成社文庫)
ジュール ヴェルヌ
偕成社
2004-09-01


チャンセラー号の筏(1875)
1869年アメリカ。帆船チャンセラー号は乗員乗客28名を乗せ、イギリスに向かって出発する。だが、途中で火災が発生し、鎮火活動の甲斐なく船が沈んでしまったのだ。生き残った一行は筏に乗り移って脱出する。だが、筏では風任せに漂流するしかなく、陸地にいつ到着するかはわからなかった。そのうえ、水と食料はすぐに尽き......。
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本作は1816年に起きたメデューズ号の難破事件をモチーフとしたものです。この事件では難破船から筏で脱出した147人が13日間洋上を漂流し、実に132人が命を落としています。ジュール・ヴェルヌはその様子を絵画で再現したテオドール・ジェリコーの『メデューズ号の筏』を見て強い感銘を受け、本作を執筆したというわけです。そのため、ジュール・ヴェルヌ作品にはつきものである冒険ロマンの要素は皆無です。ひたすらシビアな展開が続き、地獄のような状況からいかにして生還するかがテーマとなっています。それでも、聡明な人物がみんなを率い、決して絶望一色には染まらないところはジュール・ヴェルヌならではといったところでしょうか。極限状態における人間の選択を描いた重厚なドラマです。
チャンセラー号の筏 (集英社文庫)
ジュール・ヴェルヌ
集英社
2009-04-03


皇帝の密使(1876)
アレクサンドル2世統治下のロシアはウズベック族の抵抗を受け、シベリアへの侵入を許していた。そのうえ、東方の拠点であるイルクーツクに総攻撃がかけられようとしていたのだ。イルクーツクには皇帝の弟である大公がおり、裏切り者のオガリョフによって命を狙われている。シベリア総督にこの危機を知らせる必要があるが、各地で電線が切断されているため、直接連絡を取ることは不可能だった。残る手段は密使を送ることだけだ。その任を受けた伝令隊長のミハイル・ストロゴフは商人に化け、モスクワを立つ。こうして敵のただ中を突破する8500キロの長大な旅が始まるが......。
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ロシアのロマノフ王朝を舞台にし、密命を帯びた主人公の活躍を描いた王道的冒険小説です。危機まだ危機の展開には手に汗握りますし、その合間に挿入されるイギリス人記者とフランス人記者の凸凹コンビのユーモラスな描写が一服の清涼剤として機能しています。かなり長大な物語ですが、陰謀あり、活劇あり、コメディあり、ロマンスありといった具合にイベント盛りだくさんで飽きさせません。日本ではそれほど知名度は高くないものの、著者の代表作の一つに数えられる傑作です。
皇帝の密使(上) 驚異の旅
ジュール・ヴェルヌ
グーテンベルク21
2013-03-29


必死の逃亡者(1879)
中国清朝の時代。若き富豪キンフーはニューヨーク株式市場の大暴落により、一夜にして全財産を失ってしまう。その事実を知ったキンフーはまず、許嫁に自分のことを忘れるようにと手紙を送り、次に哲学者のワンに自分を殺してくれと依頼する。だが、その後、破産の事実が誤報だと知り、キンフーは慌てて殺しの依頼を取り消そうとするが、ワンは姿を消したあとだった。召使いのソンとボディーガードとして保険会社から派遣されたアメリカ人2人とともにワンの行方を追うキンフーだったが.......。
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主人公が中国人で舞台も中国という点が異彩を放つ、中期の作品です。内容的には主人公が冒険を通して成長していくというものであり、教訓小説としてよくできています。また、ジュール・ヴェルヌの冒険ものは割と横道に逸れながら話を膨らませていく手法が目立つのですが、本作は無駄を省き、一直線に物語が進んでいくテンポの良さが目を引きます。手軽に読むことができる佳品です。
必死の逃亡者 (創元SF文庫)
ジュール・ヴェルヌ
東京創元社
1972-06T


蒸気で動く家(1880)
イギリスによる植民地支配に異を唱えるセポイの叛乱で捕虜を殺し合い、あまつさえ互いの伴侶を手にかけたイギリス陸軍士官のエドワード・マンロー大佐と叛乱軍首領のナーナー・サーヒブ。叛乱は鎮圧され、闘いはイギリス軍の勝利に終わったものの、マンロー大佐の心は暗く沈んでいた。そこで友人たちは彼を励まそうと、蒸気で動く象型ロボットが牽引する豪華客車を準備する。それを使い、気晴らしにインド縦断の旅に出ようというのだ。旅の途中、一行は虎狩りなどをして英気を養う。しかし、マンロー大佐はかつての激戦区を辿り、憎きナーナーの居場所を突き止めることに執念を燃やしていた。一方、闘いに敗れて逃亡中のナーナーも密かに叛乱軍の残党を再編成し、マンロー大佐に復讐する機会をうかがっていたのだった......。
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『気球に乗って5週間』のような秘境ものであり、猛獣たちの攻撃や叛乱軍の奇襲などでハラハラドキドキさせる手法はさすがのうまさです。しかも、蒸気で動く鋼鉄の象で移動するというアイディアがユニークです。さらに、単なる冒険譚では終わらず、そこに復讐譚を絡めることで物語に深みを与えることにも成功しています。そしてなんといっても、並行して描かれる2つのエピソードが最後に交錯し、大団円を迎えるラストが見事です。現代の人が読むとイギリスの支配に反旗を翻している勢力を悪役に据えている点に抵抗を覚えるかもしれませんが、ジュール・ヴェルヌは一方的にイギリスの肩を持っているわけではありません。イギリス軍の残虐さにも言及しており、当時としてはかなりバランスの取れた描写だといえるのではないでしょうか。いずれにしても、本作にはジュール・ヴェルヌの代表作とはまた一味違った不思議な魅力があります。著者の代表作は一通り読んでしまったという人はこの作品に挑戦してみてはいかがでしょうか。
ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション IV 蒸気で動く家
ジュール・ヴェルヌ
インスクリプト
2017-08-21


ジャンガダ(1881)
アマゾンの奥地で大農園を営むグラール一家の娘、ミンハが医学生のマノエルと結婚することになる。その結婚式に出席するために一家は巨大な筏で使用人とともにアマゾン川を下る。だが、家長であるホアン・グラールにはある秘密があった。その秘密が謎の男トレスの出現で明るみになる。ホアンには、ダイヤモンド輸送隊を襲った強盗団と結託していた罪で死刑判決を受けたという過去があったのだ。身に覚えのない彼は死刑執行の直前に脱走し、アマゾンの奥地に逃げ込んだというわけだ。彼は過去を清算するために、自分の無実を信じてくれていたマナウス判事を頼って再審請求をする決意を固める。だが、マナウスはすでに亡くなっており、そのあとを継いだのは頑なな性格のハリケス検事だった。果たしてホアンは自分の身の潔白を証明することが出来るのだろうか?
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巨大な筏に乗って旅をする冒険小説ですが、1875年発表の『チャンセラー号の筏』とは随分雰囲気が違います。途中ワニに襲われるなどといったイベントはあるものの、川下りそのものは比較的のんびりしたものです。アマゾン川を下る旅や密林の様子の詳細な描写は興味深く読むことができる反面、冒険的な要素はあまりありません。その代わり、第2部に入るとホアンの過去がクローズアップされ、一気に緊迫の度合いを増していきます。さまざまな事件が立て続けにおきてページをめくる手が止まらなくなってくるのです。そして、本作の白眉といえばなんといっても暗号です。後半登場する暗号がかなり凝っていて暗号ミステリーとしても読みごたえがあります。ミステリーとしての面白さも満喫できるという点において、ジュール・ヴェルヌの新境地ともいえる佳品です。
ジャンガダ
ジュール・ヴェルヌ
文遊社
2013-07-27


アドリア海の復讐(1885)
1867年。祖国ハンガリーの独立のために裏で動いていたサンドルフ伯爵は、使用人であるサルカーニの密告によって逮捕されてしまう。同士のバートリ教授やザトマール伯爵らも捕まり、国家反逆罪で死刑が宣告される。死を覚悟する3人だったが、サルカーニたちの罠にはめられたのだと知ると、復讐を誓うのだった。3人は脱獄を試みるものの、計画は失敗に終わる。バートリ教授やザトマール伯爵は死に、サンドルフ伯爵は海の藻屑と消える。だが、彼は死んでいなかった。15年後。アンテキルト博士と名乗る医者がラグサに現れる。彼こそが嵐の海から奇跡の生還を果たし、復讐のために戻ってきたサンドルフ伯爵その人だった。
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1844~1846年にかけて新聞に連載され、大人気を博した『モンテ・クリスト伯』を下敷きにしたジュール・ヴェルヌ版巌窟王です。本筋自体は単純な勧善懲悪ものなので少しあっさるしすぎているきらいがありますが、その分、本家よりもすっきりした構成ですらすらと読むことができます。それに、科学知識を用いた復讐劇や当時の政治情勢を盛り込んだ冒険活劇など、ディテールに凝っているのでジュール・ヴェルヌのファンなら大いに楽しむことができるはずです。ただ、後半に入ると展開が駆け足になり、やや雑に感じられるのが残念なところです。それに、復讐の物語という割に残酷度が薄く、穏便な終着点を迎えている点も好みのわかれるところではないでしょうか。


征服者ロビュール(1886)
世界各地で空の上からラッパの音が鳴り響くという現象が立て続けに起きる。それはまるで黙示録のラッパ吹きのようだった。各国の天文台はその正体を突き止めようと躍起になるが、すべては徒労に終わる。そんなある日、アメリカのフィラデルフィアで気球愛好家たちの集会が開かれる。テーマは飛行船のプロペラを前につけるか後ろにつけるかというものだった。喧々諤々の議論の最中にロビュールと名乗る男が現れ、「私は空気よりも重いもので世界を支配した」と宣言する。彼こそが一連の怪事件を引き起こした首謀者だったのだ。その夜、集会の代表者であるプルデントとエヴァンズ、それに使用人の一人が誘拐されるという事件が起きる。犯人はロビュールであり、プルデントたちが連れてこられたのは巨大な空中戦艦アルバトロス号だった。こうして、彼らは驚くべき世界一周の旅を体験することになるのだが......。
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本作には電気の力でプロペラを動かし、時速200キロで空を飛び、しかも数十日間補給なしで空中に浮き続けることができる夢のような乗り物が登場します。そして、その乗り物に乗せられた主人公たちが世界を旅する展開は、まさに空中版『海底二万里』といった趣です。なんといっても、ノーチラス号以上にロマンあふれる空中戦艦の存在感に胸が躍ります。それがどのようにして動いているかの理屈も当時の最新科学知識を用いて説明されており、ロマンを感じさせてくれます。ただ、名作と名高い『海底二万里』と比べると、展開のメリハリに欠け、どうにも単調です。それに、ロビュールにネモ船長のようなキャラクターとしての掘り下げがなく、その点も話が味気なく感じられる一因となっています。設定が非常に魅力的で印象に残るシーンも随所に見られるだけに、作品としての練り込み不足が惜しまれます。ちなみに、ロビュールは1904年発表の『世界の支配者』にも再登場しますが、ここでもキャラクターが掘り下げられることはありませんでした。


十五少年漂流記(1888)
1860年2月15日。ニュージランドの首都オークランド市にあるチェアマン寄宿学校は夏休みに入り、8歳から14歳までの14人の少年は帆船に乗ってニュージーランド沿岸を一周する旅に出掛ける予定だった。ところが、出航時間を待ちきれない少年たちは夜の間に船に乗り込み、しかも、いたずらでたずなを緩めてしまったことにより、真夜中の海に出航してしまう。船長も船員も乗り込んでおらず、彼らのほかに船にいたのは見習い水夫の黒人、モーコーのみ。彼らには船を制御するすべがなく、結局、南アメリカ南端の群島まで流されてしまう。幸い、船には2カ月分の食料と銃や望遠鏡などが装備されていたため、彼らは助けがくるまでその地に生活基盤を築こうとするのだが.......。
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1876年の『トムソーヤの冒険』や1883年の『宝島』などに並ぶジュブナイル小説の原初的な作品です。物語は少年たちが無人島で生き抜くというシンプルなものながら、さまざまなイベントを盛り込むことで飽きさせない作りになっています。少年たちのキャラクターもしっかりと立てられており、それ故、力を合わせて困難に立ち向かう姿にはワクワクするものを感じます。また、最初は仲たがいをしていた彼らがある事件をきっかけに理解し合う展開はベタながらも感動的です。一方で、無人島でリーダーを決める際に、黒人には投票権が与えられないという、差別的な表現が気になる人もいるかもしれません。しかし、本作が発表された時代を考えればいたしかたないところでしょう。それに、黒人のモーコー自体は有能で魅力的な人物として描かれており、作者自身に黒人を差別しようという意図があったわけではないはずです。逆に、そういった時代背景を踏まえて読むと本作はより興味深いものとなります。冒険小説の王道ともいえる古典的傑作です。
十五少年漂流記 (新潮文庫)
ジュール・ヴェルヌ
新潮社
1951-11-20


カルパチアの城(1892)
ルーマニアのトランシルヴァニアのとある古城。そこには城主のゴルツ男爵が住んでいたのだが、彼は随分前から行方不明となっていた。ところが、ある日、羊飼いが行商人から買った望遠鏡を覗いてみると、その城の窓から黒い煙があがっているのが見えたのだ。その話を聞き、村人2人が古城へ調査に向かう。だが、辺りには不気味なうめき声が響き、見えない手で引きずりまわされ、命からがら逃げかえるのが精一杯だった。旅の途中で一連の出来事を耳にしたテレク伯爵は自分がその城を調べてみるという。ゴルツ男爵はかつての恋敵であり、因縁深い彼の名を聞いて真相を確かめずにはいられなくなったのだ。果たして城の怪異の正体とは?
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トランシルヴァニアの古城を舞台にした怪異譚としては、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』よりも5年早く書かれた作品です。とにかく前半はいかにもといった雰囲気で怪奇ムードを盛り上げてくれます。ただし、単なる怪談で終わらせるのではなく、終盤に入ると怒涛の展開と科学的アプローチで謎を解いていく辺りはジュール・ヴェルヌらしさが色濃くでています。怪奇趣味とミステリー要素をうまく絡め合わせた冒険小説の佳品です。
動く人工島(1895)
巡業でアメリカを訪れていた弦楽四重奏団の4人組は、マンバーという男によってある街に招待される。しかし、それはただの街ではなかった。エンジンでスクリューを回して海上を移動する巨大な人工島だったのだ。名前をスタンダード島といい、約1万人の裕福なアメリカ人が住んでいるという。マンバーが4人を招待したのは1年かけて南太平洋を一周する間、お抱えの楽団として島民に娯楽を提供してもらうためだった。こうして航海に乗り出した4人は南太平洋でさまざまな体験をする。だが、思想や習慣の違いなどから、島民同士の対立が次第に表面化していき.......。
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科学の粋を集めた人工島の様子が生き生きと描かれていて、これぞ古き良き時代のSF作品といった感じがします。亜熱帯の植物や火山帯などの紹介も詳しくなされており、自分も一緒に旅をしているような気分を味わえます。一方で、主人公格であるはずの4人組の存在感が薄く、物語の起伏が乏しいのが難点だといえるでしょう。その代わり、後半に入って人工島の問題点が浮き彫りになり、破局へと至る流れは破滅のカタルシスに満ちており、読み応えがあります。ユートピア小説のようでもあり、ディストピア小説のようでもあるといった具合に本作にはさまざまな要素が詰め込まれています。いわば、ジュール・ヴェルヌのイマジネーションを集約させたような力作です。
動く人工島 (創元SF文庫)
ジュール・ヴェルヌ
東京創元社
1978-02-10


氷のスフィンクス(1897)
地質専門家のジョーリングは南極大陸から2000キロの位置にあるケルゲレン諸島の調査を終え、トリスダン・ダ・クーニャ島に向かうハルブレイン号に乗船する。船はレン・ガイ船長に率いられて南に向かうが、その航海の目的の裏にはエドガー・アラン・ポーの長篇小説、『ナンタゲット島出身のアーサー・ゴートン・ピムの物語』の存在があった。実はあの物語は創作ではなく、実際に起きた出来事だというのだが.......。
◆◆◆◆◆◆
推理小説の始祖にして怪奇小説の大家であるエドガー・アラン・ポーは1837年に唯一の長篇小説である『ナンタゲット島出身のアーサー・ゴートン・ピムの物語』を発表しています。しかし、物語の結末があまりにも曖昧で未完ともとれる内容だったため、後世の作家が主人公が見たものが何かを解き明かす解決編の執筆に挑戦しました。ラブ・クラフトの『狂気の山脈にて』は特に有名ですし、近年の作品としてはルーディ・ラッカーの『空洞地球』などが知られています。本作もそうした作品群の一つです。ラブ・クラフトはクトゥルフ神話という壮大な与太話の中にポーの物語を組み込もうとしたのに対し、ジュール・ヴェルヌはあくまでも科学的アプローチで真相に迫ろうとします。そのため、『狂気の山脈にて』などと比べると神秘性が薄く、スケールダウンを感じさせてしまう点は否めません。その代わり、極限状態における人間ドラマとしてはなかなかの出来です。良くも悪くも作者の科学的志向がよく現れている作品だといえるでしょう。
サハラ砂漠の秘密(1919)
イギリスの名門貴族の出であるジョージ・パクストン大尉はアフリカでの任務の最中に反逆罪に問われ、銃殺刑に処せられる。しかし、その事実が信じられない妹のジェーンは、パクストン家の名誉を回復すべく、20歳近く年上の甥のサン・ベランを従え、アフリカの奥地に赴くのだった。途中で出会ったフランスの調査団に同行し、旅を続けるが途中で不穏な空気が立ち込めてくる。そして、ハリー・キラーなる人物によって囚われの身となってしまう。彼らが連れてこられたのはサハラ砂漠のど真ん中。そこには科学の粋を集めた秘密都市があり、天才科学者が発明した武器によって守られていた。ハリー・キラーが絶対的な支配者として専制君主制を敷き、黒人が奴隷として無理矢理働かされていたのだ。一行はなんとかそこから逃げ出そうとするが........。
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ジュール・ヴェルヌが1905年に亡くなったのちに、未完の『調査旅行(1904)』と『砂漠の秘密都市(1905)』をつなぎ合わせて息子のミシェル・ヴェルヌが完成させた作品です。前半は秘境冒険小説の要素がぎっしりと詰まり、後半は完全なSF小説になっており、ジュール・ヴェルヌの集大成といった趣があります。また、前半でさまざまな謎が散りばめられ、後半でその謎が解明されて一つにつながっていく点も娯楽小説としてよくできています。さらに、男勝りのヒロインと中年男であるサン・ベラの凸凹コンビの存在が物語の絶妙なスパイスとなっているといった具合に、キャラの配置も秀逸です。不幸な事件の影響もあり、晩年は暗い作品が多かったジュール・ヴェルヌですが、息子の手が加わった影響か、本作はストレートに楽しめる娯楽傑作に仕上がっています。
サハラ砂漠の秘密 (創元SF文庫)
ジュール・ヴェルヌ
東京創元社
1972-03-24