最新更新日2019/05/18☆☆☆

クリスチアナ・ブランドがミステリー作家としてデビューしたのは英米におけるミステリー黄金期がちょうど終わりを告げようとしていた1941年です。その頃、読者の多くは名探偵による謎解きよりも、よりリアルな犯罪心理やサスペンス性を求めるようになっていました。デビューの翌年にサスペンスミステリーの名作『幻の女』が出版されたのはその象徴的な出来事だといえるでしょう。一方、ブランドは女流作家らしく、人間の悪意をえぐりだす作風を得意としながらも、同時に、男性作家顔負けの理知的で先鋭的な本格ミステリを書き続けていきます。そのクオリティの高さは黄金期三大巨匠のアガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーらに勝るとも劣らないものがありました。そして、英米の本格ミステリが衰退していく中でその存在はひときわ輝いていくことになります。具体的にどのような作品があるのか、翻訳されている全作品について解説をしていきます。
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ハイヒールの死(1941)
老舗のブティックが新しい支店をオープンすることになった。従業員の間では誰がその店の支店長を任されるのかという噂でもちきりになる。そして、最有力候補に挙げられていたのが才色兼備の仕入れ主任・ミス・ドゥーンだった。しかし、実際にはオーナーの美人秘書が選ばれる。意外な結果に、その秘書が毒殺されるのではないか、などという声が冗談半分に囁かれた。しかし、毒殺は現実のものとなる。しかも、殺されたのは美人秘書ではなく、
ミス・ドゥーンだったのだ。一体なぜ?美女に滅法弱いチャールズワース警部がこの謎に立ち向かうが....。
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クリスチアナ・ブランドのデビュー作です。このころから人の悪意に対する描写は顕著で、そうした作風の原点は作者の話によると、一緒に働いていた職場の嫌な同僚にあったといいます。つまり、その同僚の顔を思い浮かべながら書いた結果、ブランドならではのあの強烈な作風が誕生したというわけです。ただ、全盛期の作品に比べると、本作は全体的にまだまだパンチの弱さを感じます。登場人物の大半が女性という舞台の中でブラックユーモアの味を多少感じる程度で、謎解きにしても悪意の描写にしてもまだまだ小粒です。どちらかというと、登場人物の造形に力が入っており、その分、本格ミステリとしてはいささか無駄な描写が目立っています。しかもその割には、美女ぞろいのせいで登場人物の見分けがつきにくいのもマイナス点です。ミスディレクションの妙など、才能の一端をのぞかせる部分はあるものの、まだまだ、習作といった印象です。
ハイヒールの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
クリスチアナ ブランド
早川書房
2003-10


切られた首(1941)
イングランド南部の丘原には大地主・ペンドックの邸宅があった。そこで38歳の素人画家・グレイスが何者かに首を切り落とされているのが発見される。しかも、彼女の頭には奇妙な帽子が被せられていた。それはペンドックが密かに愛している娘がロンドンの一流店から注文したものだった。さらに、殺される何時間か前に、グレイスはその突飛なデザインの帽子を見て呆れかえり、「そんな帽子を被って野垂れ死にたくはないものだ」と言い放った一幕があったという。果たして犯人はなぜ、グレイスの首を切り落とし、その帽子を彼女の頭に被せたのか?その上、雪に囲まれた現場には犯人の足跡は残されておらず、謎は増すばかりだった。この難事件にコックリル警部が立ち向かう。
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ブランド作品の中では最も有名な探偵、コックリル警部の初登場作品です。ただ、やはり本作も随所にブランドらしさは散見するものの、まだまだ習作の域をでていません。残酷さの中にユーモアが感じられたり、後半に入るとダミーの推理が次々と飛び交うところなどはまさにブランド印です。しかし、二転三転の展開にも全盛期の作品ほどのうねりが感じられませんし、肝心の推理にも今一つカタルシスに欠けるきらいがあります。足跡のトリックも肩透かしですし、なにより、意外性を狙った犯人の設定が空振り気味なのが痛いところです。おまけに、「なぜ、首を切ったのか?」という謎にも大きな驚きはありません。いろいろ盛り込んではいるのですが、どうも全体的に散漫としているのです。結局、ブランドが本領を発揮するのは次作からということになります。
切られた首 (ハヤカワ・ミステリ 515)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
1984-04


緑は危険(1944)
第二次大戦下の陸戦病院で手術を受けていた郵便配達人が不審な死を遂げる。もし、これが殺人だとするなら、状況から考えて犯人は医師や看護婦など計7人に絞られることになる。コックリル警部はその仮説に基づいて捜査を開始するが、7人の中に郵便配達人に怨みを持っていたり、殺して得をするような人物は見当たらなかった。しかも、今度は看護婦が手術衣を身につけて刺殺されるという事件が起きる。果たして犯人の狙いはどこにあるのか?
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全編にミスディレクションが張り巡らされており、事件の手掛かりが大胆に提示されているのに読者はその存在に気づかないという、フーダニットミステリーの大傑作です。容疑者が実質6人に絞られる中で、あの手この手でなかなか犯人を特定させない手管は見事としかいいようがありません。また、戦時下の雰囲気に臨場感があり、連続殺人のサスペンスを否応なしに盛り上げてくれます。さらに、時折、顔を見せるブラックなユーモアも、いかにもブランドらしくて印象的です。そして、最後には怒涛の解決編へと至り、読者は意外な真相に驚かされることになります。本格ミステリの教科書ともいうべき完璧な作品です。なお、本作は1946年に映画化もされており(日本公開時のタイトルは『青の恐怖』)、こちらも高い評価を得ています。
緑は危険 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-1)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
1978-07-01


自宅にて急逝(1946)
”白鳥の湖邸”と呼ばれる豪邸に住むリチャードは気難しい性格であり、何度も遺言状を書き直していた。パーティーが催され親族が集まったその日も財産を妻のベラだけに残すと言い張って別棟のロッジに引き籠ってしまう。ところが、翌朝になってリチャードが死亡しているのがそのロッジで発見されたのだ。彼は心臓病を患っていたことから、当初は病死だと思われていたが、検死解剖の結果、体内にアドレナリンを注入されていたことが判明する。だが、奇妙なことにロッジの周辺には発見者以外の足跡はどこにもなかった。犯人は一体、足跡を残さずにどうやってロッジに出入りしたというのか?
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知名度は今一つですが、そのクオリティの高さは『緑は危険』に勝るとも劣らないものがあります。特に、一癖も二癖もある容疑者たちに対するねっちこい描写はこれまでの作品以上に冴えをみせています。また、ディスカッションを通して事件の様相が二転三転するさまはこれぞ本格ミステリといった楽しさです。しかも、ドラマチックなクライマックスシーンはブランドの作品の中でも屈指のインパクトを誇っています。ただ、足跡のトリックはバカミスの類であり、その点は大きく賛否が分かれるところです。
自宅にて急逝 (ハヤカワ・ミステリ 492)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
1984-06-01


ジェゼベルの死(1948)
帰還軍人たちによる野外劇が幕を開けようとしている。期待と興奮の渦巻く観客席にはコックリル警部の姿もあった。実は、出演者の3人に謎めいた脅迫状が届いており、その警備に訪れていたのだ。やがて、舞台の上に脅迫状が送られてきた一人、ジェゼベルことイゼベル・ドルーが姿を現す。男に寄生していると噂される悪名高い中年女だ。その彼女が衆人環視の中、張りぼての塔の上から落下する。しかも、彼女の首には絞め殺された跡があったのだ。だが、舞台裏へと続く扉は施錠されており、見張りもついていた。果たして、何者が彼女を殺したというのか?
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衆人環視の野外劇の中で不可能犯罪が起こるというセンセーショナルな幕開けで話を盛り上げ、一体どのように犯行を成し遂げたのかというハウダニットの問題で読者の興味を引き寄せます。中盤の、仮説を構築しては崩していくという繰り返しも本格ミステリとして読み応えがありますし、後半の自白合戦が始まるという展開にも驚かされます。そして、二転三転の展開の末に炸裂するどんでん返しが圧巻です。なんといっても、最後に明らかになる衝撃的なトリックには忘れ難いインパクトがあります。さすがはブランドの最高傑作といわれるだけはある作品です。40年代の本格ミステリを代表する大傑作だといっても過言ではないでしょう。ただ、それだけに、状況描写が把握しずらく、読み進めるのに若干苦労するという難点があるのは惜しいところです。本作に限らず、ブランドの文章にはそうした傾向があり、その点がクリスティとの力量差となって現れているような気がします。
ジェゼベルの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-2)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
1979-01


猫とねずみ(1950)
雑誌”乙女の友”でミス身の上相談というコーナーを担当しているカティンカ・ジョーンズは故郷であるウェールズの土を久しぶりに踏んだ。彼女の目的は
ミス身の上相談の相談者の一人であり、編集部の人気者となっている少女・アミスタに会うことだった。アミスタの知らせによると、相談していた恋の悩みは男性からのプロポーズを受けるという形で解消し、近々結婚する予定だという。ところが、彼女が書いて送った住所には彼女の姿がなく、家の主人や召使に尋ねてもそんな女は知らないと口をそろえる。しかし、その屋敷には秘密がありそうだった。カティンカはアミスタを巡る秘密を探ろうと決意するが......。
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本作は本格ミステリとして紹介されることが多いのですが、どちらかというとサスペンス寄りの作品です。探偵役もいつものコックリル警部ではなく、本作が初登場となるチャッキー警部が務めています。この警部が飄々としており、なかなかいい味をだしています。また、肝心のストーリーの方もアミスタとは何者なのか?という謎を中心に二転三転する展開はさすがの面白さです。後半の犯人追跡劇も読み応えがあります。ただ、前半が少々冗長なのとサスペンスとロマンスが中心の物語であるため、謎解きミステリーとしては散漫な印象を受けるのが惜しいところです。
猫とねずみ (ハヤカワ・ミステリ 472)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
1983-01


疑惑の霧(1952)
数メートル先も見えない濃い霧に包まれたロンドンでフランス人男性のラウールが撲殺される。チャールズワース警部は、妹のロウジーを妊娠させたとして
ラウールを恨んでいたトーマス・エヴァンス医師が犯人だと睨んでいたが、ロウジーの要請で事件の調査に乗り出したコックリル警部は別の人物を疑っていた。容疑者には事欠かない疑惑の霧の中でやがて姿を見せる真実とは?
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ブランドの作品らしく、登場人物の描き込みと二転三転する展開は安定の面白さです。法廷シーンもおおいに盛り上がり、読み応えがあります。ただ、引っ張り過ぎて中盤が少々冗長なのがネックでしょうか。その代わり、本作はトリックを1ページ目から仕掛け、最後のページで事件の真の意味を明かすという大胆な構成が取られています。最後の最後ですべての疑惑の霧を一気に吹き飛ばすプロットには思わず唸らされてしまいます。ただし、最後の衝撃というのは真相が一変するどんでん返しの類ではなく、意味が分かってくるとジワジワと効いてくる仄めかしなので、読む際にはその味をじっくりと噛み締めてほしいところです。
疑惑の霧 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
2004-05-25


はなれわざ(1955)
コックリル警部は休暇を過ごすために観光ツアーに参加して、イタリアの孤島を訪れていた。そして、彼の滞在するホテルで観光客の一人が殺される。容疑者は被害者と接点のあるツアー客6人。しかし、彼らは犯行時刻には全員海辺に出ており、コックリル警部自身によって目撃されているのだ。つまり、容疑者全員にアリバイが成立していることになるのだが......。
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孤島を舞台にした不可能性の高い犯罪と大胆なトリックから、かつてはブランドの最高傑作と目された作品です。しかし、現在では『緑は危険』と『ジェゼベルの死』が持ち上げられたために相対的に評価を落とした感があります。それに、中盤がややダレるのと、メイントリックがあまりにも現実味が感じられないのもマイナス点です。とはいうものの、コックリル警部が容疑者のアリバイを一つずつ否定するくだりなどは本格ミステリとしてわくわくするものがありますし、真相を隠蔽するミスディレクションの冴えも見事です。最高傑作とはいえなくても、ブランドを代表する傑作の一つであることは間違いないところでしょう。ちなみに、コックリル警部の出番はこれ以降なく、本作はシリーズ最終作という位置付けになります。
はなれわざ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
クリスチアナ ブランド
早川書房
2003-06


ゆがんだ光輪(1957)
サン・ホアン・エル・ピーター島は数年前に不可解な殺人事件が起きた場所だ。その地に、事件を解決へと導いた
コックリル警部の妹が降り立つ。折しも、島では評判の高い修道女・ポアニータを聖女として認定してもらおうという機運が高まっていた。しかし、島を治める大公はなぜかローマ教会への推薦を渋る。聖女認可による観客増加をあてにしていた宝石商のトーマスは大公の煮え切らない態度に業を煮やし、警察署長たちと手を組んで陰謀をめぐらすが.....。
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ここに来てまさかの、コックリル警部の妹が探偵役を務めるシリーズ番外編が登場します。しかも、舞台となっているのが『はなれわざ』の事件が起きたサン・ホアン・エル・ピーター島です。しかし、かといって、本作には陰惨な殺人事件があるわけでも、大した謎があるわけでもありません。謎らしい謎といえば、なぜ大公は聖女の推薦を渋るのかといったもんだいくらいです。全体的には本格ミステリというよりも、架空の島を舞台にした英国人の旅行記及びサスペンス風味のラブロマンスといったところでしょうか。特に、島の特異な風俗描写には力が入っているように思えます。また、宗教論争が物語の主軸の一つになっているため、読みにくいと感じる人もいるかもしれません。とはいえ、場面展開をこまめに繰り返してサスペンス感を高めたり、伏線を張り巡らせて複数の事件を一気に収束させたりする手腕はさすがです。本格ミステリの意外な真相などとはまた違いますが、物語としては驚くべき展開も用意されており、なかなか楽しめる作品に仕上がっています。
ゆがんだ光輪 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
クリスチアナ・ブランド
早川書房
1999-11


薔薇の輪(1977)
ロンドンで名声を博している女優のエステラ。彼女の人気の源はウェールズに住んでいるという体の不自由な娘・ドロレスにあった。
エステラとドロレスの母娘の交流を綴った手記が絶大な支持を得ていたのだ。だが、刑務所にいた暴力的な夫・アルが特赦で出所し、娘に会いたいといいだしたところから事件が起きる。
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ブランド晩年の作品ですが、本作では『猫とねずみ』のチャッキー警部が久しぶりの登場となります。その出来はというと、さすがに往年の傑作群には及んでいません。しかし、捉えどころのない様相を示す事件に対して、あらゆる可能性を追求しながら次第に真相へと近づいていくプロセスには安定した面白さがあります。細部に施された技巧もまだまだ健在という印象を受けます。ただ、往年の作品に比べると人物描写が薄っぺらく、真相の意外性も今一つなのが残念なところです。
薔薇の輪 (創元推理文庫)
クリスチアナ・ブランド
東京創元社
2015-06-28


暗闇の薔薇(1979)
元女優のサリー・モーンは唯一の主演作だった『スペインの階段』のリバイバル上映を70キロ離れた映画館まで新車を走らせて観に行く。ところが、その帰り道、一台の車が後をつけてきていることに気づく。サリーはなんとか車をまくことに成功するが、今度は嵐で倒れた巨木によって行く手を阻まれてしまったのだ。焦ったサリーは巨木の反対側にいた男と車を交換し、無事自宅にたどり着くことができた。ところが、翌日不思議な事実が明らかになる。彼女が乗って帰った車のナンバープレートは彼女自身のものであり、つまり、車の交換などされていなかったのだ。しかも、そのトランクからは映画館で切符売りを務めていた女性の死体が発見され....。
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まず、事件発生までが上質なサスペンス映画の味わいで、この時点で一気に引き込まれます。ただ、中盤までがやや冗長です。主人公がエキセントリックで感情移入が難しい人物であるというのもその一因でしょう。しかし、後半になると再びエンジンがかかり、サスペンス満点の展開が始まります。主人公の周囲からは次々と人が消え、この先どうなるのだろうと、ページをめくる手が止まらなくなるのです。相次ぐどんでん返しや、息を呑むラストも見事です。本格ミステリとしてだけでなく、サスペンス小説としても一級の作品だといえるでしょう。全盛期の切れ味には今一歩及ばないものの、晩年の作品群の中では頭一つ抜けた傑作です。
暗闇の薔薇 (創元推理文庫)
クリスチアナ・ブランド
東京創元社
1994-07-21


領主館の花嫁たち(1982)
アバダール屋敷に家庭教師として雇われたテティ。聡明な女性だったが心には傷を負っていた。そんな彼女に母親を亡くした双子の姉妹は懐いてくる。だが、この屋敷には恐ろしい秘密が隠されていたのだ。
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クリスチアナ・ブランドの最後の長編作品はなんとミステリーではなく、ゴシックホラーです。そして、ミステリーという縛りがなくなったせいか、これまであった屈折したユーモアがすっかり影を潜め、その代わり、ブランドならではの悪意の描写がむき出しになっています。登場人物に根っからの悪人はいませんが、館の存在に翻弄されて邪悪さを露出させていく展開は息をのむほどです。派手さはないものの、その雰囲気は『シャインニング』や『山荘綺譚』などのモダンホラーを彷彿とさせます。心理的にじわじわと迫りくる不気味さがあるのです。ただ、どんな怪異が起きるのかと期待すると、大したことは起きないので肩透かしをくらうかもしれません。本作はあくまでも、怪異を題材にとったゴシックロマンがメインとなっています。本を手に取った際は、その点を踏まえたうえで読むことをおすすめします。
領主館の花嫁たち (創元推理文庫)
クリスチアナ・ブランド
東京創元社
2016-12-11


招かれざる客たちのビュッフェ(1983)
青年ジェイルズは老人に対して、彼の育ての親であるジェミニー・クリケットが殺された一件について語りだす。その事件が不可解だったのは、クリケット氏が完全な密室で発見されたのと死を前にした彼が警察に電話を掛け、謎の言葉を残している点だった。しかも、その一時間後には警察官も同じメッセージを残して何者かに殺されたのだ。ジェイルズと老人はその謎を解くべく議論を続けるが.....。
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あまりにも有名な『ジェミニー・クリケット事件』を始めとして、クリスチアナ・ブランドの代表的短篇が16作も収録されています。まず、ジェミニー・クリケット事件』では奇怪な密室殺人が扱われており、その濃密な味わいは古今東西の短篇ミステリーの中でも1、2を争う出来です。ミステリーファンなら必読の作品だといえるでしょう。また、張り巡らされた伏線とヒネリの効いた結末が見事な『婚姻飛翔』や最後の一撃が印象的なイヤミス的倒叙ミステリーの『カップの中の毒』などもブランドならではの傑作です。他にも傑作・力作が目白押しであり、これ一冊にブランドの魅力が凝縮されているなんとも贅沢な短編集です。
1991年度このミステリーがすごい!海外部門5
招かれざる客たちのビュッフェ (創元推理文庫)
クリスチアナ・ブランド
東京創元社
1990-03-22


ぶち猫 コックリル警部の事件簿(2002)
ティナは夫を毒で殺したが、罪に問われることはなかった。結局、医師が「強い薬」といったのを「多くの薬」と聞き間違えたということで、過失として処理される。だが、コックリル警部は彼女を疑う。ティナには愛人がおり、「私は彼女に殺される」という夫のメモが残されていたからだ。だが、彼が残したもう一つの言葉”ぶち猫”とは一体何を意味するのか?
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クリスチアナ・ブランドの死後十数年たってから発売されたものだけに、寄せ集め感がするのは否めません。収録された作品もその出来にかなりのバラツキがあります。しかし、だからこそ、ファンにとっては見逃せない一冊だともいえます。なぜなら、戯曲やコックリル警部の魅力を皮肉交じりに紹介したエッセイなど、今まで目にできなかったブランド作品の隠された一面を垣間見ることができるからです。その中でも表題作の戯曲『ぶち猫』はなかなかの力作です。三幕構成の内、三幕目が得意のどんでん返しの繰り返しであり、シナリオ形式で書かれているだけにその面白さをテンポ良く味わうことができます。


あとがき
クリスチアナ・ブランドは非常にクオリティの高いミステリー作家ですが、惜しむらくは寡作でした。約40年の作家生活で残した作品の数は長編小説に限っていえば19作に過ぎません。せめてこの倍程度の作品を書いていたなら、クリスティ、クイーン、カーにも比肩しうる存在となったことでしょう。それが非常に惜しまれます。ただ、ブランドにはまだ未訳の長編小説が7作品残されています。発表年数は1946~1978年に及び、その詳細は不明です。今後はそれらの作品がいつ翻訳されるかが注目されるところです。


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