最新更新日2019/11/28☆☆☆

Next⇒2019年発売!注目の海外ミステリー

本格ミステリの要素が強い作品はタイトル(作者)の右側に本格と記しています
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償いの雪が降る(アレン・エスケンス)
ジョーはミネソタ大の
苦学生。授業の課題で身の回りの人物の伝記を執筆しなければならないのだが、彼には話を聞けそうな祖父母や親戚はいない。そこで、老人ホームにいって誰かをインタビューさせてもらえないだろうかと頼んだところ、紹介されたのが30年以上前に少女レイプ殺人の容疑で逮捕された老人だった。彼は服役中の身だったが、末期癌に犯されてこの施設に移されたのだ。だが、カールにインタビューをしてみると、どうしても人を殺すような人間には思えなかった。そこで、ジョーは過去の裁判の記録を調べていくが、次第にこれは冤罪ではないかと思うようになり.......。
エドガー賞やアンソニー賞で最終候補に残った作品です。まず、この作品の魅力の一つは主人公の造形でしょう。恵まれない環境の中でも腐らずに自分の道を進み続ける彼の姿を見ていると思わず応援をしたくなります。また、好奇心旺盛で腕っぷしも立つというキャラ設定が、うまく物語の中で機能しています。そして、何より謎解きのプロセスが秀逸です。気になる謎が次々と出てきて読者の興味を引き寄せ、わくわくする謎解きへとうまくつなげていきます。老人の死が迫っていることでタイムリミットものとしての緊張感を演出している点がうまく、後半になると急転直下の展開になるものまた見事です。ミステリーとしての目新しさはないものの、細部までよく考え抜かれた極めて完成度の高い傑作です。

2020年度本格ミステリベスト10 海外部門13位
償いの雪が降る (創元推理文庫)
アレン・エスケンス
東京創元社
2018-12-20


ピクニック・アット・ハンギングロック(ジョーン・リンジー)
1900年のオーストラリア。寄宿女学院アップルヤードの生徒たちはピクニックを楽しむためにハンギングロックの麓に馬車で向かう。ところが、ピクニック場に到着した途端、異変が起きる。岩山を登っていた少女4人の内の3人が忽然と姿を消し、離れた場所で本を読んでいたはずの教師もいつの間にか行方知れずになっていたのだ。残された一向は辺りを探すが、彼女たちの姿は見つからなかった。その後、警察を動員して山狩りが行われるも手掛かりはまったく得られず.......。
◆◆◆◆◆◆
本作は1975年にオーストラリアで大ヒットした同名映画の原作です。当初は、実話に基づた作品だと喧伝されていましたが、現在では完全な創作であることが判明しています。幻想的な映像の美しさによって現在でもカルト的な人気を誇っている映画の原作だけあって、透明感のある文章で綴られたミステリアスな物語には引き込まれるものがあります。ただ、結局何も解決しないまま終局を迎えるため、謎解きを期待していた人は肩透かしを食らうことになるでしょう。あくまでも幻惑的な雰囲気を楽しむための作品です。


モリアーティ秘録(キム・ニューマン)
ロンドンの大銀行の金庫に預けられていた回想録。それはジャワキ戦役の英雄であり、同時に犯罪王モリアーティの右腕として知られているモラン大佐の手によるものだった。そこには犯罪商会の首魁としてモリアーティがどのような悪事に加担してきたのかがつぶさに書かれてあった。歌姫アイリーン・アドラーの陰謀、魔犬が出没する地での連続怪死事件、モリアーティとホームズの対決の裏舞台などなど、犯罪王の真の姿が今、白日のもとに!
シャーロック・ホームズの宿敵として有名なモリアーティ教授に焦点を当てたパスティーッシュ作品です。原典では出番が少なく、ステレオタイプの悪役といった印象しかなかったモリアーティ教授をカリスマ性と小物っぽさを併せ持つ魅力的なキャラクターとして再構築している点が見事です。また、粗暴なイメージだったモラン大佐も原典を下敷きにしながらも、憎めない人物として描いているところに著者の登場人物に対する愛情が感じられます。その他にも、ホームズシリーズの意外な人物が意外な場面で登場し、元ネタを知っている人ならニヤリとできるシーンが満載です。とにかく、全編が著者のサービス精神にあふれており、ホームズ好きの人にはたまらない作品に仕上がっています。その代わり、登場人物がかなり多く、ホームズシリーズを読んでいることを前提にしたネタも少なくないため、原典を知らなければ途中で混乱することにもなりかねません。できれば、最低でもサブタイトルの元ネタである『緋色の研究』『赤毛連盟』『バスカヴィル家の犬』『六つのナポレオン』『ギリシア語通訳』『最後の事件』の6作品を読んでからチャレンジすることをおすすめします。
モリアーティ秘録〈上〉 (創元推理文庫)
キム・ニューマン
東京創元社
2018-12-12


大統領失踪(ビル・クリントン/ジェーム・パタースン)
アメリカ大統領のダンカンはテロ組織”ジハードの息子たち”と裏取引をしたのではないかという疑惑をかけられていた。彼を含めたごく一部の人間しか知りえない情報が漏えいしていたからだ。しかも、ジハードの息子たちはウィルス攻撃を仕掛けてくる。彼らの目的はアメリカ政府の保有するファイルを無効化することだ。そんなことになれば、アメリカの行政機関はすべて麻痺し、大混乱に陥るだろう。なんとか阻止をしなければならないが、疑惑を持たれた状態では身動きが取れない。ダンカンはテロリストの野望を食い止めるべく、自ら姿を消すが......。
作者は元アメリカ大統領のビル・クリントン。経験者だけあって細かいやり取りなどはリアリティに満ちており、他の作家では味わうことのできない臨場感を醸し出しています。それでいて、小難しい話などはなく、エンターテイメントに徹しているため、読み応えのある痛快娯楽スリラーに仕上がっています。緩急の付け方も堂に入っており、とてもこれがデビュー作とは思えないほどです。その辺りはパタースンの指導のたまものでしょうか。とにかく、エンタメ小説としては非常に完成度の高い作品です。ただ、その反面、ロシアを悪役にし、最後はアメリカ万歳という展開はいささか古臭さを感じないでもありません。元大統領の作品だけに世界情勢の複雑さをもう少し掘り下げて描いてほしかった気もします。
大統領失踪 上 (ハヤカワ文庫NV)
ジェイムズ パタースン
早川書房
2020-12-03


ブルーバード、ブルーバード(アィティカ・ロック)
黒人テキサスレンジャーのダレン・マシューズは停職中の身だった。そんな彼に友人であるFBI職員から連絡が入る。ハイウェイ沿いの田舎町ラークで起きた2つの殺人事件を調べてほしいというのだ。最初に起きた事件の被害者が都会からきた黒人弁護士で2番目の被害者が地元の白人女性だという。ダレンはその話を聞いて違和感を覚える。南部の田舎町でよくあるパターンはまず白人が被害にあい、その報復行為として黒人が殺されるという流れだからだ。ちなみに、その報復行為の多くは白人至上主義を唱えるABTによって行われている。ABTは悪名高いKKKを超える過激な集団であり、しかもその実態は麻薬密売組織だ。今回の事件にもABTの影があることを知ったダレンは地元保安官には任せておけないと、単身ラークに向かうが.....。
CWAシルバーダガー賞他、主要3賞を受賞した本作は黒人差別をメインテーマとしたミステリーです。作者は黒人女性であり、それだけに南部における白人からの差別に対する恐怖心や警戒心がリアリティ豊かに描き出されています。しかも、そうした現実がありながらもアメリカ南部に対してどうしようもなく愛着を持ってしまう主人公のアンビバレンスな心理描写が秀逸です。単純なハッピーエンドとはならない印象深いラストといいい、アメリカの今を知るには格好のテキストといえるでしょう。一方で、そうした現実をきっちりと描くために前半のテンポが相当遅いのは日本人読者にとってはつらいところです。また、ミステリーとして特に驚きの展開がない点に物足りなさを覚える人がいるかもしれません。作中に込められたテーマ性にピンとくるかどうかで評価の分かれる作品だといえるでしょう。
2020年度このミステリーがすごい!海外部門12位


ブラック・スクリーム(ジェフリー・ディーヴァー)
9歳の少女が、大人の男性が路上で拉致されるのを目撃する。やがて、苦痛に満ちたうめき声をサンプリングした音楽をバックに、瀕死の男の姿がネットにアップされる。リンカーン・ライムはわずかな証拠から監禁場所を割り出すが、犯人はすでに国外逃亡したあとだった。そして、国外での新たな事件の発生にライムたちはナポリに飛ぶ。そこで、イタリアの捜査陣と合流し、共に事件の謎を追うが......。
リンカーン・ライムシリーズの第13弾。作曲家と名乗る犯人のイカれ具合が際立っており、歴代の犯人に負けないインパクトがあります。また、新たにライムとチームを組むイタリアの刑事たちもキャラが立っていて序盤の展開は申し分なしです。また、難民問題を絡めた社会派的な一面もなかなか興味深いものがあります。ただ、事件の展開そのものはいつもよりも地味でどんでん返しの切れ味も今一つなのが残念でした。単体の作品としては十分に楽しめる出来ではあるものの、シリーズの平均値と比べるとやや物足りない作品だといえるのではないでしょうか。
ブラック・スクリーム
ジェフリー ディーヴァー
文藝春秋
2018-10-19


カササギ殺人事件(アンソニー・ホロビッツ)本格
舞台は1955年のイギリスの片田舎。准男爵の屋敷で家政婦が階段から落ちて転落死する。屋敷は内側から鍵がかけられ、彼女以外は誰もいなかった。状況から判断して事故であることは間違いない。それにもかかわらず、本当は殺されたのではないかという噂が村に流れる。
その家政婦が多くの人の秘密を握っていたためだ。しばらくして、家政婦を雇っていた主人が亡くなる。今度は間違いなく殺人だった。そして、ついにこの事件の謎を解くべく、名探偵として名高い、アティカス・ピュントが村にやってくる。以上が、人気ミステリー作家のアラン・コンウェイが、名探偵ピュントシリーズの第9弾として書き上げた『カササギ殺人事件』の冒頭部分の内容だ。編集者のスーザンはその原稿を夢中で読んでいたが、結末部分がないことに気が付いて憤慨する。しかたなく、自分で『カササギ殺人事件』の真相を解いてみようと、彼女なりの推理を試みるが......。
本作はアガサ・クリスティの優れたパスティーッシュです。上巻はまるごとアランの書いたミステリーを作中作として組み込み、古き良き時代の探偵小説がじっくりと楽しめるようになっています。葬儀から始まる物語、村人の誰もが何か秘密を抱えているような不穏な空気、名探偵の思わせぶりなセリフなど、ディテールはクリスティそのものです。その上、高品質なので古典ミステリーのファンなら夢中になること請け合いです。しかも、下巻に入ると舞台が現実に戻り、いかにも現代的なテンポの良いミステリーへと変換する、そのコントラストが見事です。そして、作中作と現実の事件の謎の相乗効果によって、読者を物語の中へとぐいぐいと引きずりこんでいきます。その上、終盤の怒涛の伏線回収とそれに伴う真相解明はカタルシス満点です。古典ミステリーとしても現代ミステリーとしても超一級という、なんとも贅沢な傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門1位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門1位
カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2018-09-28


任務の終わり(スティーヴン・キング)
メルセデス・ベンツが群衆の中に突っ込み、多くの死傷者を出した事件からすでに6年が過ぎていた。だが、その事件はまだ終わりではなかった。生き残りはしたものの重篤な後遺症を負った娘を殺し、母親も自殺するという事件が起きる。だが、探偵会社を営む退職刑事のホッジズはその一件に言い知れぬ違和感を抱くのだった。調べてみると、他にも同様の心中事件が発生していることが判明する。6年前の事件との関連性が疑われたが、犯人であるブレディは再起不能の重傷を負い、他人との意思疎通を交わすのも困難な状態にあった。
本作はホラー小説の帝王・スティーヴン・キングが初めて挑戦した本格的なミステリー小説のシリーズであり、『ミスター・メルセデス』『ファインターズ・キーパーズ』に続く3部作の完結編です。回りくどい話が多いいつものキング節は控えめでテンポよく話は進んでいきます。最後もきれに終わり、すっきりとした結末を迎えます。それだけに、濃密なキング節を堪能したいと思っているファンにとっては物足りなさを感じてしまうかもしれません。逆に、ミステリーファンの読者は完結編でサイコサスペンスから超常現象系ホラーにシフトした点に不満を抱く可能性があります。それでも、巨匠といわれるだけあって、凡百な作家では到達しえない魅力に満ちた作品であることは確かです。上記のような不満はあくまでも、キングに求めるレベルが高いが故のものなのです。
任務の終わり 上 (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2021-02-09


ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ(A・J・フィン)
アナ・フィックスは児童精神分析医だったが、広場恐怖症を発症して外に出られなくなってしまう。広い場所に出るとパニック症状を引き起こしてしまうのだ。現在は夫や子供とも離れ、一人でニューヨークの屋敷で暮らしていた。彼女の孤独を慰めるものはクラシック映画と高性能カメラによるご近所ウォッチングだけだった。だが、ある日、アナは隣家の主婦がナイフで刺され、血まみれになっている姿を目撃してしまう。しかも、酒びたりになっている彼女の証言を警察は信じようとしない。孤立無援のアナは.......。
作中で多くの名作映画を紹介し、しかも本編の物語もヒチコックのサスペンス映画などを意識した作りになっています。クラシック映画が好きの人にとってはたまらない作品だといえるでしょう。悪く言えば映画の名シーンの寄せ集めなのですが、流用ネタの組み合わせが巧みなので、古臭さを感じさせない一級のサスペンスミステリーに仕上がっているのです。また、人物描写が巧みでテンポもよく、物語にぐいぐいと引き寄せられていきます。ただ、始まってしばらくは広場恐怖症を患った女性を主人公にした一般小説のような展開が続くので、その辺りを退屈だと感じる人はいるのではないでしょうか。ちなみに、本作はジョー・ライト監督での映画化も決まっており、そちらの方も楽しみです。
兄弟の血ー熊と踊れⅡ-(アンデシュ・ルーストン)
連続銀行強盗の罪で投獄されていたトゥヴィニャック三兄弟の長男・レオが刑期を終えて出てきた。しかも、彼は獄中で共通の敵を持つもう一人の長男・トムと出会い、復讐計画を練っていたのだ。一方、先に出所していた弟たちは真っ当な仕事に就き、父もレオに変わるように説得を続ける。だが、檻の中で練り続けていた計画はついに始動する。果たしてレオのいう「存在しないものを奪い返す」とは何を意味するのか?
日本でも高い評価を得、このミスでランキング1位を記録したスウェーデンのクライムノベル・『熊と踊れ』の続編。しかも、本作は前作よりもスケールが大きく、スリルも満点です。特に、レオの真の狙いが判明するシーンはかなり驚かされます。ただ、実際の事件をベースにしていた前作に対して本作は完全なフィクションであるため、どこか絵空事である感じがするのは否めません。これが単独の作品なら問題はなかったのですが、前作のリアリティに満ちたヒリヒリした感覚を知っているだけに、それと比べるとどうしても作りものに見えてしまうのです。また、下巻になれば一気に盛り上がるものの、上巻がいささか冗長で読者側が忍耐を要求される点も難点だといえるでしょう。いずれにせよ、続編が必要だったかどうかでかなり意見が分かれそうな作品です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門14位
兄弟の血―熊と踊れII 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンデシュ ルースルンド
早川書房
2018-09-19


あやかしの裏通り(ポール・アルテ)
本格
ロンドンには霧の中で姿を現し、再び消えていく「あやかしの裏通り」があるという。そして、その裏通りを目撃した者はときとしてその通りに飲み込まれ、行方知れずになるというのだ。外交官のラルフもその目撃者の一人だ。彼はある夜、名探偵と名高い旧友のオーウェン・バーンズの家に駆け込んできた。彼の話によると、忽然と現れた現れたあやかしの裏通りで殺人を目撃して逃げ帰ったというのだが........。
ポール・アルテ8年ぶりの翻訳本。以前はツイスト博士が探偵役を務める90代の作品が中心に紹介されていましたが、本作はバーンズが探偵役を務める2005年の作品です。とはいえ、彼の作風は基本的には何も変わっていません。やはり、およそこの世の出来事とは思えないような奇怪な事件が起きるという展開には引き込まれるものがあります。その一方で、トリックが小粒なのもあいかわらずです。スケールの大きな謎に対して奇想天外なトリックを期待すると脱力してしまうことになるでしょう。それでも、謎の扱い方には過去のアルテ作品に比べて大きな進歩が見られます。謎自体がミスディレクションになっており、真相をうまく覆い隠しているのです。この辺りのプロット作りのうまさはクリスティを彷彿とさせるものがあります。探偵の魅力では過去のツイスト博士シリーズの方が上かもしれませんが、本格ミステリとしては格段に完成度が高まった力作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門6位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門2位


元年春之祭(陸秋槎)本格
紀元前100年。前漢の7代皇帝武帝が中国を統治していた時代。地方の名家である観家では春の祭儀の準備が行われていた。そんな折り、長安の有力豪族の娘である於陵葵が訪ねてくる。その応対をしたのは
観家の三女・露申だったが、2人はまるで古くからの友人のようにすぐに打ち解けていった。やがて、露申は葵に4年前に起きた殺人事件について話し始める。それは雪の夜に前当主の一家4人が惨殺されるという無残な事件だった。その話を聞いた葵は持ち前の才気を発揮していろいろな推理を披露してみせる。しかし、その後、新たな事件が起き、観家の関係者が次々と死んでいく。現当主の無逸は事態の終息を図るため、露申に真相を突き止めてほしいと依頼するが、彼女が犯人だと名指ししたのはなんと無逸自身だった......。
古代中国を舞台にさまざまな推理が飛び交う多重解決ものを構築し、その中に2度も読者への挑戦状を挟みこむという実に稚気に富んだ作品です。ちなみに、作者が影響を受けたミステリー作家として麻耶雄嵩と三津田信三の名前を挙げており、それを聞けばこのような作品になったのも納得という感じです。しかも、彼が影響を受けたのはそれだけにとどまらず、キャラ造形や主役2人の百合的な関係性など、日本のアニメからのインスパイアが随所に見受けられます。さらに、古代中国に関する衒学趣味がこれでもかというほどに積み重ねられ、あからさまに自分の好きなものをすべて詰め込みましたといった印象の作品に仕上がっているのです。そのため、決してまとまりのよい作品とはいえませんし、読みやすくもありません。特に、膨大な蘊蓄の洪水は興味がなければ頭が痛くなってくるような代物です。その一方で、この作品に対する作者の熱量は大変なものがあり、波長が合えば、物語に引きずり込まれそうな牽引力に満ちています。また、ミステリー的にはホワイダニットとしてのプロットが秀逸です。前代未聞の異常な動機が用意されているのですが、それを納得させるために巧みに伏線を張りめぐらせているのが見事です。去年の『13・67』といい、今後の中華ミステリーからは目が離せません。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門4位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門3位


数字を一つ思い浮かべろ(ジョン・ヴァードン)本格
退職した元刑事ガーニーの元に古い友人が訪ねてくる。彼の話によると、ある日、「1000までの数字を一つ思い浮かべろ」と書かれた手紙が送られてきたという。そして、同封していた手紙を開けると自分が思い浮かべた数字が書かれていたというのだ。その後も、脅迫状めいた手紙が続けさまに送られてきたため、怖くなって相談をしに来たということだった。だが、彼はやがて殺されてしまう。しかも、犯人のものと思われる雪の足跡は森の途中でぷつりと途切れていた。犯人は魔術師だとでもいうのだろうか?
本作はいかにも現代アメリカの警察小説といった雰囲気で進行していきますが、扱っている事件はクラッシックミステリーの香りに満ちているというちょっと珍しいタイプの作品です。しかも、両者の要素がうまくかみ合っており、面白さを増幅させることに成功しています。ストーリーはテンポよく、次々と浮かび上がってくる謎にわくわくします。キャラクターも魅力的で物語の合間に挿入される自然描写も見事です。その上、主人公の過去や妻との関係性も物語の良いアクセントになっています。全体的にかなり魅力的な作品です。ただ、ミステリーを読み慣れている人にとってはトリックの見当はつきやすいかもしれません。それに、トリックが分かった時点で犯人の目星がついてしまうのもネックです。もう少しトリックを練り込めば大傑作になりえた惜しい作品だといえるでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門9位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門4位
数字を一つ思い浮かべろ (文春文庫)
ジョン ヴァードン
文藝春秋
2018-09-04


監禁面接(ピエール・ルメトール)
57歳のアランはある企業の元人事部長だ。だが、4年前にリストラされ、職を失う。以来、アルバイトをしながら再就職活動を続けているが、年齢的なこともあってなかなか採用を決められないでいた。そんなある日、突然、チャンスが巡ってくる。エントリーしていた大企業の最終試験に残ったという報せが届いたのだ。ところが、その試験内容というのがとんでもないものだった。その会社の重役会議を襲撃しろという。重役たちの危機管理能力と最終候補者の適性を同時に試すというのだ。その気になったアランは仲間たちを総動員し、テロリスト集団を装って重役たちを監禁するが......。
本作は再就職サスペンスとでもいうべき作品で、アランの再就職活動を描いた「そのまえ」、重役会議を襲撃する「そのとき」、物語の結末を描いた「そのあと」の3部構成になっています。その内、「そのまえ」は話が重く、状況説明に終始しているため、読み進めるのに忍耐が必要かもしれません。しかし、「そのとき」が始まると語り手が代わり、怒涛の展開が始まります。状況がめまぐるしく変わっていくため、先が気になってページをめくる手が止まらなくなってしまうのです。そして、読み進めるほどに物語は予想外の方向に転がっていきます。リアリティを無視した無茶な設定なのですが、それが気にならないほどに夢中にしてくれる点はさすがルメートルです。また、ルメートルといえば強烈なエログロですが、今回はそういった要素はほとんどありません。そのため、エログロが苦手な人にもおすすめです。ただ、自己中心的で短絡的な主人公は感情移入が難しく、その点は賛否がわかれるところでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門8位
監禁面接 (文春文庫 ル 6-6)
ピエール・ルメートル
文藝春秋
2021-01-04


ローズ・アンダーファイア(エリザベス・ウェイン)
ローズは18歳ながらナチスと戦うためにイギリスにやってきたアメリカ人だ。彼女が所属しているのは補助航空部隊であり、軍用機を作るための資材を運ぶのが主な任務だった。戦時下であるとはいえ、ナチスは連合軍の反撃によって戦線を後退させており、日々は比較的穏やかに過ぎていく。ところが、1944年9月に彼女はナチスに捕らえられ、捕虜にされてしまう。収容所に入れられたローズは飢えや寒さに苦しめられながらも、そこで出会った仲間たちと日々を生き抜いていった。そして、彼女たちは脱獄を決行する。その意外な方法とは?
本作は2017年に日本で発売されて好評を博した『コードネーム・ヴェリティ』の姉妹編です。とはいっても、ストーリー的なつながりはなく、共通しているのはナチスの捕虜にされた少女を主人公にしているところと世界観を共有しているという点だけです。したがって、前作を知らなければ楽しめないというわけではないので、未読の人も心配は不要です。また、前作はミステリー小説らしくプロットに大きなひねりが加えられていましたが、本作はどちらかというとストレートな冒険小説に仕上がっています。そして、クライマックスといえるのが収容所からの脱出シーンでしょう。しかし、それ以上に、本作は人間ドラマとしてよくできています。収容所での過酷な日々は読んでいると胸が痛くなるほど悲惨なものですが、その中でもユーモアを忘れず、力強く生き抜く姿には感動を覚えます。さらに、ローズは生きる糧として詩作を続けており、その詩をストーリーに組み込んでいくことで物語を豊かにしていく作者の手腕が見事です。ちなみに、戦争は終わっても物語は続き、ローズは新たな試練に立ち向かっていきます。そのパートも含め、豊饒なドラマを堪能することができる傑作です。
ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)
エリザベス・ウェイン
東京創元社
2018-08-30


暗殺者の潜入(マーク・グリーニ)
超一流の暗殺者グレイマン(目につかない男)ことジェントリーはパリの自由シリア亡命連合からの仕事を請け負う。依頼内容はシリアの独裁者アフメド・アル=アッザムの愛人であるビアンカ・メディアの拉致。彼女の口から機密情報を公表させ、政権打倒につなげるというのが依頼者側の狙いだ。謎の敵の襲撃を受けながらも、ジェントリーはパリに滞在していたビアンカの拉致に成功するが、彼女は亡命組織への協力を拒否する。彼女がアフメドを裏切れば、シリアに残してきた幼い息子・ジャマルの命が危険に晒されるからだ。そこで、ジェントリーは傭兵に扮してシリアに潜入し、ジャマルの救出を試みるが.......。
暗殺者グレイマンシリーズの第7弾。お人好しで浪花節全開のジェントリーが孤軍奮戦するかっこよさは相変わらずで、アクションまたアクションの連続に目の離せない面白さを堪能することができます。特に、シリアに入ってからのド迫力の戦闘はまさに圧巻です。また、物語の背景には複雑なシリア情勢があるのですが、それを整理して説明をしてくれるため、現在のシリアを学ぶ意味でも好著となっています。ただ、主人公が青臭かったり、無敵すぎたりする点は好みが分かれるところです。それでも、最後にはカタルシスを得られる展開は爽快で、頭をからっぽにして楽しみたいという人にはうってつけの作品だといえるでしょう。
暗殺者の潜入〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2018-08-21


通過者(ジャン・クリストフ・グランデ)
霧の深いある夜、フランスの都市ボルドーの駅で記憶喪失のホームレスが保護された。精神科医のマティアス・フレールは彼の治療に当たこになる。一方、女性警部のアナイス・シャトレはホームレスが保護された駅から死体が発見されたという報せを受ける。しかも、その死体は異様な状態だった。頭部が切断された牛の生首の中に被害者の頭が突っ込まれていたのだ。死因は純度の高いヘロインの投与。その上、体内からは大量の血液が抜かれていることも判明する。シャトレ警部は保護されたホームレスとの関連を疑い、彼に関する情報の提供をフレールに求める。だが、彼は患者の保護を第一に考え、それを拒否。やがて、記憶喪失の男は家族の元に返されるが、それが新たなる惨劇の始まりだった。
著者はジャン・レノ主演の映画で有名になった『クリムゾン・リバー』の原作者であり、本国フランスではベストセラー作家として知られています。主に、猟奇殺人を扱ったサスペンススリラーを得意としており、緻密なプロットを構築して読者を作品世界に引きずり込む手腕は一流です。そして、本作ではその作風がさらにパワーアップしています。軽く2ケタを超える人間が殺され、犠牲者が増えるたびに謎が深まっていく物語はひどくスリリングです。まるで、自分が悪夢の中をさ迷っている気分になりながらもページをめくる手が止まらなくなってしまいます。かなりの長さの大作ですが、少しもダレることなくラストまで全力疾走を続けるストーリーテラーぶりはさすがだという他ありません。冷静になって考えると気になる粗もないではありませんが、圧倒的なリーダビリティの前ではそのようなことは些細な問題だと思えるほどの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門17位
通過者 (BLOOM COLLECTION)
ジャン=クリストフ・グランジェ
TAC出版
2018-08-18


悪の猿(J・D・バーガー)
殺人課の刑事・ポーターは同僚の刑事からメールで、バスが人を轢いた事故現場に来るように告げられる。現場で待っていた同僚がポーターに見せたのは白い小箱だった。その中には日記が記されたノートと人間の耳が入っていた。箱はバスに轢かれた男が所持していたものであり、日記の内容から死んだ男の正体は4猿である可能性が高いというのだ。4猿とは世間を騒がせている殺人鬼だ。その名の由来は、まず女性を誘拐すると『見ざる、聞かざる、言わざる』になぞらえて耳・舌・目玉と順番に切り落として家族の元に送り、そのあとで女性本人を殺害するところからきていた。これまでの犠牲者は7人。そして、ここに耳があるということは8人目の犠牲者が、まだどこかで監禁されていることを意味していた。だが、犯人は死んでしまった。ポーターたちは日記を手がかりに女性の監禁されている場所を特定しようとするが......。
ジャフリー・ディーヴァーやジャック・カーリィーを連想させるストーリー展開は新味はないものの、物語は小気味よいテンポで進んでいくので一気に読み進めていくことができます。また、刑事たちの捜査パートがジョークを交えた軽快なものであるのに対して、犯人の日記パートが不気味で恐怖を感じさせるのも良い緩急になっており、読者を飽きさせません。さらに、キャラクターもみな魅力的であり、ラストの畳みかける展開も良くできています。ただ、良質なサスペンス要素に対して、謎解きの面白さは
ディーヴァーやカーリィーと比べると薄味でしょうか。ちなみに、本作はシリーズの第1弾ということなので、その辺りは続編に期待したいところです。
悪の猿 (ハーパーBOOKS)
J・D バーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-08-17


真夜中の太陽(ジョー・ネスボ)
大金と銃を持ってオスロから逃げてきた殺し屋。彼は夏でも太陽が沈まないノルウェー最北の村にたどり着き、そこで教会の堂守をやっている女性・レアやその息子・クヌートと出会う。男はウルフ・ハンセンと名乗り、レアたちの好意によって小屋で暮らし始める。彼らは日々の生活の中で次第に絆を深めていくが、ウルフを追う影はすぐそこまで迫ろうとしていた......。
繊細な文章によって紡がれる自然やそこに住む人々の情景が印象的な非常に美しい小説です。一方で、ノワール特有の暗くヒリヒリした雰囲気が濃厚に漂い、両者の組み合わせによって独特のムードを生み出すことに成功しています。どこか、殺し屋版『刑事ジョン・ブック/目撃者』といった趣もあります。ちなみに、本作はノワール小説の傑作『その血と雪を』の続編です。主人公は別人ですが、世界観を同じにしています。ただ、前作の主人公ヨハンセンが一流の殺し屋だったのに対して、ウルフはかなり頼りなく描かれているという違いがあります。殺し屋なのにいざという時に引き金一つ引くことができない男なのです。しかし、そんな頼りないところが非常に人間くさく描かれ、読んでいる内にどんどん彼のキャラクターに惹かれることになります。それだけに、後半の緊張感あふれる展開に、読者は終始ハラハラドキドキすることになるのです。同じ作者によるノワール作品でありながら『その雪と血を』とはまた違った味わいの傑作に仕上がっています。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門19位
真夜中の太陽 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョー ネスボ
早川書房
2018-08-07


あなたを愛してから(デニス・ルヘイン)
1979年に生まれたレイチェルは売れっ子作家で性格の破綻した母親に育てられていた。そんな母が大学の時に交通事故で死亡。レイチェルはそれを機に幼いときに離別した父親を探し始める。私立探偵まで雇う熱の入れようだったが、手がかりはつかめなかった。大手新聞社に入社したのち、ようやく父親との再会を果たすがそこで残酷な事実を知ってしまう。しかし、それを乗り越えようやく手に入れた真実の愛。だが、そこにも思わぬ罠が待ち受けていたのだ。
『ミスティック・リバー』『夜に生きる』など、ハードボイルドタッチの作風で知られているデニス・ルヘインですが、本作は珍しく女性の視点から描かれた物語です。しかも、前半は「一人の女性の波乱万丈記」といった感じで全くミステリーっぽくありません。しかし、後半になると思いもよらぬ方向に話が転がり始めて謎とサスペンスが敷き詰められた一級のノワールミステリーにその姿を変貌させていきます。殺人、殺し屋、逃避行と手に汗握る展開が続きます。レイチェルは人生の旅路の果てに一体どこに行きつくのか?先の展開が気になってページをめくる手が止まらなくなってしまいます。数奇な運命に翻弄された女性の数十年を描き切った大河ミステリーというべき傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門12位
犯罪コーポレーションの冒険 聴取者への挑戦Ⅲ(エラリー・クイーン)本格
鉄道王ファナームの元に犯行予告が届く。今日の5時59分に彼の命を奪うとうのだ。車両で狩りに出かける予定だったファーナムはエラリー親子を護衛に引き連れて列車に乗り込む。ところが、彼は暗闇の中で狙撃され、命を落としてしまう。一体、犯人はどのようにして何も見えない暗闇で標的を狙ったといのだろうか?
クイーンがラジオドラマ用に書き下ろしたシナリオ集の第3弾。全体的な出来栄えは前2作の方が上ですが、その分、本作は1作1作がバラエティに富んでいるという特徴があります。たとえば、犯人探しではなく、生活に困っている住人にお金を届けてくれるのは誰かを推理したり、殺人の絡まない連続放火事件の動機が謎の中心に据えられたりといった具合です。それに、短い話が多いのでテンポよくサクサク読めるのもうれしいところです。クイーンの作品は緻密なロジックが魅力であると同時に、長編小説の場合は少々冗長で退屈に感じる場合が多いという難点があります。しかし、ラジオドラマのシナリオという形式を採用することで無駄が最小限まで削ぎ落され、謎解きのエッセンスだけが楽しむことができるようになっているのです。ちなみに、クイーンのシナリオに関してはまだまだ面白いネタの作品が残っているとのことで、ぜひとも続編を発売してほしいところです。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門10位


ホワイトコテージの殺人(マージェリー・アリンガム)
本格
1920年代の初頭。英国南部の田舎町で車を走らせていた青年・ジェリーは美しい娘・ノーラと出くわす。重い荷物を持って困っている様子の彼女をジェリーは車に乗せ、自宅である白亜荘まで送る。だが、そのとき、銃声が響き、中からメイドが飛び出してきた。人が殺されたというのだ。ジェリーは敏腕刑事として知られる父親のW・Tを呼び、共に捜査を開始するが......。
著者のマージェリー・アリンガムはキャピオン氏シリーズなどで有名な女流ミステリー作家であり、ドロシー・セイヤーズのような文学色の濃い重厚な作風が持ち味でした。しかし、初めて書いたミステリー作品である本書には彼女独自の特徴はほとんど感じられず、極めてオーソドックスな探偵小説に仕上がっています。しかも、親子で探偵をするところなどはあからさまにエラリー・クイーンを連想させます。ただし、この作品が発表されたのは1928年であり、エラリー・クイーンのデビューよりも先です。しかも、クイーンの著作とは異なり、息子は美女にメロメロになっているだけのボンクラで、主に父親が探偵役を務めているのがユニークです。その上、本作のウリになっている意外な犯人も某有名作品の先取りになっている点は注目に値します。作品の雰囲気は20年代に書かれたミステリーによくある牧歌的なものなので、現代の読者が読むと少々退屈かもしれません。しかし、古き良き時代の探偵小説が好きという人にとってはなかなか味わい深い作品だと感じるのではないでしょうか。
ホワイトコテージの殺人 (創元推理文庫)
マージェリー・アリンガム
東京創元社
2018-06-29


遭難信号(キャサリン・ライアン・ハワード)
ハリウッドの脚本家を目指しているアダムはようやく成功の足がかりを掴むが、その矢先に恋人のサラが失踪する。彼女はスペインのバルセロナへ一週間の出張に出かけると告げ、それっきり音信不通になってしまったのだ。電話をしても繋がらず、メールにも返信は送られてこない。しかも、アダムの親友の恋人であるローズは「サラには別の恋人がいる」という驚愕の事実を暴露する。さらに、彼女のパスポートと共に送られてきた手紙。そこにはサラの筆跡で「ごめんなさい....S」と書かれていたが、封筒の文字は別人のものだった。一体何が起きているというのか。アダムは手がかりを追い、その先にあった豪華客船に乗り込むが......。
本作の物語はアダムを始めとする複数の語り手によって紡がれており、気になるエピソードを小出しにされるので非常に気を揉む展開になっています。そのため、前半は忍耐を強いられることになるかもしれません。しかし、後半になってそれぞれのエピソードの繋がりが見え始めた辺りから怒涛の展開となり、あとは一気読みです。非常によく練られたプロットであり、最後の真相には驚かされます。やり切れない結末は賛否両論でしょうが、読後感自体はそれほど悪くありません。『乗客ナンバー23の消失』と並ぶ船上ミステリーの傑作です。
遭難信号 (創元推理文庫)
キャサリン・ライアン・ハワード
東京創元社
2018-06-29


ブルックリンの少女(ギョーム・ミュッソ)
人気作家のラファエルは婚約者のアンナと休暇旅行を楽しんでいる最中だった。アンナはなぜか自分の過去をひた隠しにしていたのだが、ラファエルがそれを問い詰めると彼女は1枚の写真を差し出した。そこには焼死体と思われる死骸が3体映っていた。衝撃的な内容にラファエルが呆然となっている間に彼女は姿を消してしまう。アンナの失踪を招いた自らの行いを後悔したラファエルは友人で元刑事のマルクの協力を得て彼女を探し始めるが.......。
恋人の女性が姿を消し、主人公の男性が行方を追うという、同時期に翻訳された『遭難信号』と類似したプロットを持つ作品です。しかし、恋人の失踪にとどまらず、謎の不審死が次々起きるなど、物語の緊迫度はこちらの方が上です。ただ、登場人物が多く、物語も複雑なので慣れるまでは苦労するかもしれません。ともあれ、伏線回収の手管も見事でミステリーとして見事な作品であることは確かです。最後には意外な展開もあり、衝撃のラストにも驚かされます。哀しい物語ですが、読み終わったあとに感傷的な気分に浸るのもそれはそれで悪くないのではないでしょうか。濃密なドラマが堪能できるフランスミステリーの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門15位
ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム ミュッソ
集英社
2018-06-21


IQ(ジョー・イデ)
ロサンゼルに住む黒人の青年、アイゼイア・クィンターベイは周囲からIQと呼ばれている探偵だ。探偵の看板を掲げているわけではないのだが、彼の鋭い観察眼と優秀な頭脳は警察の手に負えない事件も解決へと導いていく。その評判によって依頼は次々と飛び込んでくるものの、報酬は払える人が払える分だけ払えばいいというのがモットーであるため、常に金に窮していた。そんな彼がある事情から大金が必要となり、大物ラッパーからの依頼を受けることになる。しかし、その依頼というのが「巨大な犬を操る謎の殺し屋を探し出せ」という奇妙なものだった......。
黒人のヒップ・ホップ文化を全面に押し出した世界観の中でシャーロック・ホームズのオマージュを展開させるという組み合わせの意外さがユニークです。そして、なんといってもホームズばりの推理を随所で披露するIQのスマートさにしびれます。とはいえ、本作はコナン・ドイルの原典のような謎解きの面白さは希薄です。どちらかというと、犯罪のはびこる街を舞台に、頭脳を活かして活躍するヒーローの姿を描いたハードボイルドといった感じです。したがって、黒人版シャーロック・ホームズということで本格ミステリを期待していた人は失望を覚えるかもしれません。その代わり、主人公のかっこよさや個性的な脇役、随所に挿入されるコミカルなシーンなど、娯楽小説としての面白さは抜群です。黒人社会の独特のノリが苦手でなければ大いに楽しむことができるでしょう。アメリカではすでに続編も発表されているとのことなので、今から日本での発売が楽しみです。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門3位
IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19


牧神の影(ヘレン・マクロイ)本格
戦地で用いられる画期的な暗号を開発中だった学者が心臓まひで急死する。彼の義理の姪であり、暗号の秘密を知る秘書でもあるアリンスは老犬を連れて山の中に移り住む。だが、一人暮らしを始めた彼女の周辺では次々と怪しい出来事が起こり始めるのだった。真夜中にどこからともなく足音が聞こえ、近所の人たちも信用できない。果たして彼女を脅かす牧神の正体とは?
本作は暗号解読をメインとした本格ミステリですが、ポーの『黄金虫』やドイルの『踊る人形』などが児戯に思えるほどの本格的なものです。とても素人には歯が立つものではありません。暗号の仕組み自体は実に論理的で素晴らしい出来なのですが、少なくとも謎解きを競うといった楽しみは最初から放棄した方がよいでしょう。それほどまでにこの暗号は難解です。逆に、犯人探しのフーダニットに関しては丁寧に伏線が張られており、ミステリーを読み慣れた人にはわかりやすいくらいです。ただ、この作品の真の魅力は不気味な牧神の影や豊かな自然描写から醸し出される強烈なサスペンスにあります。暗号解読の部分を除けば、本格ミステリというよりも緊迫感に満ちたホラーといったテイストの作品で、その不気味さはかなりのものです。1944年発表のヘレン・マクロイ初期の代表作というべき傑作です。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門5位
牧神の影 (ちくま文庫)
ヘレン マクロイ
筑摩書房
2018-06-08




空の幻像(アン・クリーヴス)本格
スコットランドの北東に広がるシェトランド諸島。その最北端に位置するアンスト島にはとある言い伝えがあった。1930年に浜辺で遊んでいた10歳の少女が波にさらわれて溺死したのだが、その彼女が時折、幽霊となって姿を現すというのだ。しかも、少女を目撃した女性はまもなく子を宿すという。その島で華々しい結婚式が行われことになった。招待者の一人、ポリー・ギルモアは友人として式に出席するが、そのあと、白夜の浜辺で白いドレスの少女が一人で踊っているのを目撃ずる。さらに、同じく友人として式に出席したエレノア・ロングスタッフも同じものを目にしていた。その翌日、エレノアは忽然と姿を消し、携帯電話には「もう死んでいるから、探さないで」という不吉なメッセージが送られてくる。そして、その言葉通り、エレノアは死体となって発見された。果たして少女の幽霊とこの事件とにはどのような関係があるのだろうか.......。
シェトランド諸島を舞台にし、地元警察のジミー・ペレス警部を探偵役に据えたシリーズ第6弾です。派手さはないものの、自然の美しさを背景にして描かれる繊細で丁寧な心理描写と島の人々が織りなす人間関係がこのシリーズの大きな魅力になっています。それに加えて、本作では幽霊譚が事件の大きなポイントとなっており、少女の幽霊の正体がなかなかわからないことで静かなサスペンスを漂わせることに成功しています。その上、立ち込める霧が重要な意味をもっていることもあって雰囲気作りはなかなかのものです。一方で、事件の真相に関してはそれほど意外性があるわけではありません。それでも過去の事件から完全には立ち直れていていないペレス警部が執念の捜査で真相に近づいていくプロセスは多いに読み応えありです。じっくりとその味わいを堪能したい現代英国ミステリーの佳作です。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門6位
空の幻像 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2018-05-31


白墨人形(C・J・チューダー)
1986年。12歳のエディには4人の遊び仲間がいた。年下ながらボス然とふるまう裕福な家庭のファット、牧師の娘のニッキー、札付きの不良を兄に持つミッキー、清掃員の母に育てられたホッポの4人だ。ある時、彼らはチョークを使って暗号を伝え合う遊びを思いつく。それが、悪夢の始まりだとは知らずに......。ある日、移動遊園地で回転遊具の故障から一人の少女が顔をえぐられるという事故が起き、その現場に居合わせたエディはそこで白墨のような顔色をした赴任教師とでくわすのだった。
本作は現代の視点から過去の出来事を語っていく回想ミステリーです。ただ、その語り口はいかにも曖昧でわざと核心にふれないようにしているかのごときスローペースなので、読者をやきもきさせます。しかし、中盤になって死者が出始めると漠然としていた物語に情報の断片が加味され、次第に全体像が見えてくるようになります。そうなると、あとはジョットコースターです。この計算し尽くされたプロットが実に見事です。子どものころには理解できなかったものが、大人になるとその意味がわかってくるというシチュエーションにはぞっとするものを感じますし、現代のパートでも事件が起こり始めて過去が追いかけてくるといった展開も手に汗握ります。ただ、真相にそこまでのインパクトはないのでそういった意味では腰砕けに感じる人もいるでしょう。その代わり、読んでいる間はページをめくる手が止まらないほどの面白さです。ちなみに、本書はスティーブン・キング推薦ということから、『スタンド・バイ・ミー』のような少年時代に想いを馳せたノスタルジックな作品を連想するかもしれませんが、そこまでの情緒性はありません。あくまでもサスペンスメインの作品です。
白墨人形 (文春文庫 チ 13-1)
C・J・チューダー
文藝春秋
2021-05-07


日曜の午後はミステリ作家とお茶を(ロバート・ロプレスティ)本格
ジャンクスは今一つブレイクしきれないベテランミステリー作家。彼は常々「僕はお話を作るだけで事件を解決するのは警察の仕事だ」と公言している。しかし、実際にはいくつもの事件や謎に遭遇してそれを解き明かしているのだ。
14作の短編を収録した連作集です。探偵役はミステリー作家ですが、彼は天才的な推理能力を持っているわけではありません。また、遭遇する事件も殺人事件から日常の謎的なものまでバラエティに富んでいるものの、謎自体はそれほど入り組んだものではないのです。どちらかといえば、物語の切り口やキャラクターの魅力によって読ませる作品です。どの作品も短いものばかりなのでテンポよく読み進められる点も美点だといえるでしょう。かなりライトなミステリーですが、語り口がうまくて引き寄せられます。特に、ぶつぶつと文句を言いながらも事件解決に奔走するジャンクスが良い味を出しています。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門7位
日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11


ムッシュウ・ジョンケルの事件簿(メルヴィル・デイヴィンス・ポースト)本格
探検家のジョヴァンヌは従者たちを伴ってジャングルの奥深く入り、そこでエメラルドを発見する。だが、宝を持ち帰ることなく命を落としてしまう。この顛末は従者持ち帰った
ジョヴァンヌの日誌に記されていた。しかし、その内容は頭が異様に大きく、手足の細長い生物に遭遇したという正気を失ったとしか思えないものだった。果たして、彼の身に何がおきたというのか?
M・D・ポーストは創出した探偵としては
アブナー伯父が有名ですが、本作ではなんとパリの警視総監が探偵役を務めています。内容的にも明快な筋立て非常に分かりやすかったアブナー伯父シリーズに対してこの短篇集はどの作品もどれも曖昧模糊としているのが特徴です。誰が犯人か以前に、一体何が起こったのかも分からず、読者はその幻惑感に惑わされることになります。そして、その代表的存在というべきものが、1021年発表の『大暗号』であり、現実のものとは思えない事件のあらましを説明された後に意表をついた真相が提示されるので読者は唖然とするしかなくなってしまいます。その他の作品も不可解な現象を説明されたあとで残り数行でどんでん返しがある作品が並びます。そして、その反転こそがこの作品集の持ち味です。ただ、伏線を張ってそれを回収するタイプのミステリーではないため、ロジカルな解放を好む人には物足りなく感じるかもしれません。
ムッシュウ・ジョンケルの事件簿 (論創海外ミステリ209)
メルヴィル・デイヴィスン・ポースト
論創社
2018-05-10


偽りの銃弾(ハーラン・コーベン)
元陸軍大尉のマヤは夫のジョーを何者かに撃ち殺されて未亡人となった。彼女は娘のリリーを世話してくれるベビーシッターを雇い、友人のアドバイスに従って隠しカメラを設置した。ところが、2日後にカメラを確認すると、なんと、そこに死んだはずのジョーが映っていたのだ。驚いたマヤは真相を探るべく調査を開始する。だが、調査を進める内に4か月前には夫の姉も不審な死を遂げていることが判明し......。
死んだはずの夫が映っているカメラ、相次ぐ身内の死、大資産一家の秘密、内部告発をする匿名サイトなどなど。とにかく、謎また謎の展開が続き、一気に引き込まれていきます。伏線を張りめぐらせて最後に収束させる腕前も見事です。また、女性を主人公にしたハードボイルド作品としても大いに読み応えがあります。全体的にちょっと詰め込み過ぎの感はありますが、文体が軽快で話のテンポも良いので気軽に楽しむことができます。ただ、作品自体にどこかB級的なうすっぺらさがあるので、人によってはその点が物足りないと感じるかもしれません。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門13位
偽りの銃弾 (小学館文庫)
ハーラン コーベン
小学館
2018-05-08


影の子(デイヴィット・ヤング)
1975年。ベルリンの壁に面した東ドイツ側の墓地で少女の死体が発見される。しかも、その顔はぐちゃぐちゃに潰され、身分照合すらできないほどだった。現場にはシュタージ(国家保安局)のイェーガー中佐の姿があり、この事件はカーリン・ミラー中尉に担当してもらうという。彼女は国内で唯一の班長を務める女性刑事だった。事件の状況は西ドイツから東ドイツに亡命しようとした少女が、西ドイツ側から狙撃されたように見える。しかし、そこには明らかな矛盾があった。ミュラーは知らず知らずの内に国家の闇に迫っていくが......。
主人公の刑事が事件の捜査をするもさまざまな障害にぶつかっていくというのは警察小説の定番ですが、本作の場合、その障害というのが国家保安局の圧力や密告者の存在というのが独特の緊迫感を生んでいます。この辺りは共産圏を舞台にした警察小説の妙だといえるでしょう。また、主人公のミュラーも圧力に抗って真相を求めようとするものの、あくまでも共産主義社会の信奉者として描かれており、その辺りも従来の西欧ミステリーを読み慣れている人にとってはかなり異質に感じるはずです。そして、ラストの不気味な余韻といい、著者は徹頭徹尾「社会主義国家の警察小説」というくくりにこだわっており、その結果、独自のオリジナリティを得ることに成功しています。ただ、純粋にミステリーとして見た場合は、真相が意外と矮小なものなので、肩すかしをくらうかもしれません。ともあれ、本国ではすでにシリーズ化されているとのことで、この異質な物語がどのような方向に進んでいくのか、興味をそそられるところです。
影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)
デイヴィッド・ヤング
早川書房
2018-05-02


インターンズ・ハンドブック(ジェイン・クーン)
ヒャーマン・リソース社、通称HR社はインターンの派遣会社だ。ただし、それは表向きの話。その実態はインターン参加者を装って会社の要人を殺害する暗殺集団だった。仕事の性格上、HR社の社員はうぶな若者でなくてはならない。そのため、定年は25歳と定められてる。ジョン・ラーゴはその25歳を迎え、最後のミッションに着手する。ところが、その彼に逮捕状が出され....。
本書は警察から追われている主人公がHR社の新人に向けて暗殺の手引書を書いているという形をとっており、その点がまずユニークです。しかも、主人公による語りが皮肉交じりの軽妙なものなので一気に物語世界に引き込まれていきます。しかも、その語りの合間にアクション、アクション、またアクションと続くので退屈する暇もありません。特に、主人公が新人たちに対して生き抜くためのルールを説明しているのに、彼自身がそのルールを片っ端から破っていく辺りの展開が最高です。最後には2転3転のどんでん返しも用意されており、どこかタランティーノの映画と相通じるものもあります。ポップで痛快なアクションノワールの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門9位
インターンズ・ハンドブック (海外文庫)
シェイン・クーン
扶桑社
2018-04-29


弁護士アイゼンベルク(アンドレアス・フェーア)
女性弁護士アイゼンベルグの元にホームレスの少女が訪れ、友達を弁護してほしいと申し出る。初めは冷たくあしらうアイゼンベルグだったが、事件の内容に興味を覚えて弁護を引き受けることにした。少女の友人は猟奇殺人の容疑者として逮捕されたというのだ。しかも、留置場に容疑者に会いにいってアイゼンベルグは驚く。容疑者の名はハイコ・ゲルラッハ。高名な物理学者であり、彼女の元恋人だった。彼はなぜ自分が逮捕されたのかがわからないというが.....。
ハイテンポで展開する非常にスリリングなサスペンスミステリーです。メインストーリーの他にも冒頭には監禁されるヒロインの姿が描かれ、間幕劇として逃亡を図る母娘のシーンが挿入されています。そして、それらが本編とどう繋がってくるのかという興味で物語を牽引するプロットが見事です。また、遺体に元恋人のDNAが残されているという絶対不利な状況をどうひっくり返すのかという法定ミステリーとしての面白さもあります。500ページを超える大作ですが、それを長いと感じさせないのは作者に脚本家としての長いキャリアがあるからでしょう。ただその分、重厚さには欠け、物語は若干軽く感じてしまいますが、エンタメとして楽しむには最適といえる一冊です。
弁護士アイゼンベルク (創元推理文庫)
アンドレアス・フェーア
東京創元社
2018-04-28


ピラミッド(ヘニング・マンケル)
手芸店で火災で焼け落ちる。だが、それは単なる火事ではなかった。現場からは店主である老姉妹の焼死体が発見され、しかもその首筋には銃弾が撃ち込まれていたのだ。まるで、プロの手口だったが、一体プロの殺し屋がなんのために老女たちの命を奪う必要があったのか?犯人像を上手く描くことができず、ヴァランダーは当惑する。
スウェーデンで絶大な人気を博し、さらには35カ国に翻訳されて累計売上2000万部以上を記録したヴァランダー警部シリーズの第10弾です。本作は5つの短編で構成されており、ヴァランダーが20代前半の制服警官だったときから40すぎの中年刑事になるまでを時系列順に追った大河ストーリーになっています。単にそれぞれの時代に起きた事件を描くだけでなく、結婚や離婚といったヴァランダーの人生の節目を丁寧に追いかけているのが特徴です。そのため、シリーズのファンにとっては見逃せない一編になっています。どちらかというと、ミステリーというよりはヴァランダーの成長と彼を中心とした人間模様に重点をおいた、ヒューマンドラマとして読み応えのある佳品です。
ピラミッド (創元推理文庫)
ヘニング・マンケル
東京創元社
2018-04-21


葬儀屋の次の仕事(マージェリー・アリンガム)本格
名家パリノード一家は没落し、今はロンドンの一角のエプロン街で下宿人としてひっそりと暮らしていた。ところが、その家族の間で怪死事件が立て続けに起きる。そして、裏で動き出す葬儀屋の次の仕事とは?不可解な謎に素人探偵キャンピオン氏が挑む。
日本では随分と紹介が遅れましたが、マージェリー・アリンガムは英国ではクリスティやセイヤーズと並び称されるほどに有名な女流ミステリー作家です。本作はそんな彼女の代表作の一つとして知られる作品です。物語の読みどころはなんといってもパリノード一家の奇人変人ぶりにあります。それに加えて彼らを取り巻く街の人々も個性的で独特なユーモアが作品全体を覆っています。そして、そうした浮世離れした世界だからこそ成立するロジックとミステリーとしての仕掛けが見事です。しかも、一見奇想じみていながらも戦後ロンドンの混乱を踏まえて描き出されたその世界には独特のリアリティがにじみ出ており、物語をより奥深いものにしています。
葬儀屋の次の仕事 (論創海外ミステリ)
マージェリー・アリンガム
論創社
2018-04-04


コールド・コールド・グラウンド(エイドリアン・マッキンティ)
1981年。イギリスとの紛争が続くアイルランドでは国内でも暴力とテロがあふれていた。そんな中、北アイルランドの町で奇怪な事件が起きる。殺された男は右手を切断され、体内からはオペラ座の楽譜が発見される。しかも、現場に落ちていた右手は被害者のものではなかったのだ。刑事ショーンはそれをテロ組織の犯行に見せかけた殺人ではないかと疑う。そんな折、犯人からの挑戦状が届くが.....。
本国ではすでにシリーズ化されている作品ですが、まず、アイルランド紛争下という特異な時代設定が絶妙です。とにかく、警官はいつテロの標的になるかもわからないので緊迫感が半端ありません。ジャンルとしては警察小説というべきでしょうが、捜査をするのも命がけといった描写が既存の作品では得られない面白さにつながっています。それに加えて、主人公が英国側の人間なのに信仰はプロテスタントというどちらサイドの人間からしても異質であるという立ち位置が複雑な人間ドラマを形成していきます。また、他のキャラクターも魅力的であり、ミステリーとしても捜査が進むほどにスケールが大きくなっていく展開が秀逸です。さらに、シリアス一辺倒というわけでもなく、随所に皮肉まじりのジョークが挿入され、それが楽しくもあります。冬には続編が出る予定とのことなのでそちらも大いに期待したいところです。
殺意(ジム・トンプスン)
旧家の娘であるルアンは現在62歳で寝たきりの状態だった。そして、22歳年下の夫・ラルフに殺されると訴えている。実際、彼はルアンに殺意を抱いていた。しかし、彼女を殺したいと思っているのはラルフだけではなかった。噂好きの彼女のせいで人生を棒に振った医師の息子・ボビーも職を失いかけている検事のヘンリーもみな彼女を殺したいと思っていたのだ。やがて、ルアンは死体となって発見されるが......。
死後四半世紀経過してからブレイクしたノワールミステリーの大家・ジム・トンプスンの1957年発表の作品です。一章ごとに語り手が変わっていく全12章からなる群像劇ですが、乾いた文章の中から立ち上ってくる、虚無と絶望に包まれた不穏な空気が緊迫感を盛り上げてくれます。ロジカルな要素は皆無であるものの、登場する人物がすべて一癖も二癖もあるため、フーダニットのミステリーとして楽しむことも可能です。いずれにしても、この暗黒の空気に包まれた独特の雰囲気はトンプスンにしか醸し出すことのできないものであり、この作品もまた、これぞトンプスン印といった怪作に仕上がっています。
殺意
ジム・トンプスン
文遊社
2018-03-30


乗客ナンバー23の消失(セバスチャン・フィシェック)
囮捜査官であるマルティン・ツュヴァルツの心は壊れていた。5年前にクルーズ客船で旅に出た妻が息子を道連れにして投身自殺を遂げたからだ。そんな彼に謎の電話がかかり、妻が無理心中を図った現場であるその客船に乗るように告げる。3000人を超える乗員乗客を乗せた巨大客船”海のスルタン号”。そこで再び事件は起きる。ある母娘が行方不明となり、8週間後に少女だけが発見されというのだ。果たしてこの船の中では一体何が起きているのか?
逃げ場のない洋上で謎と策謀が交錯する、サスペンスミステリー版クローズドサークルといった趣の作品です。とにかく、謎また謎、事件解決だと思ったらまた謎といった具合に、常に新たな謎を提示することで読者を飽きさせません。しかも、巧みなプロットで読者に真相を悟らせない手管がまた見事です。いかにも怪しげで個性豊かな登場人物と次々と起こる怪事件、そして、二転三転、四転五転するサプライズのつるべ打ちと、ページをめくるてが止まらないとはこの作品のためにある言葉だといっても過言ではないでしょう。2018年上半期最大の収穫の一つというべき傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門7位
乗客ナンバー23の消失
セバスチャン フィツェック
文藝春秋
2018-03-28


ダ・フォース(ドン・ウィンズロウ)
ニューヨーク市警特捜部のリーダー、マーロン部長刑事は汚職警官として連邦留置所に収監されていた。なぜ、このようなことになったのか。実は、マーロンは麻薬組織からヘロインを50キロ押収するという大手柄を立てたのにもかかわらず、手入れの際に麻薬の一部と現金を着服していたのだ。しかも、大物麻薬ディーラーを無意味に射殺したという。時を遡り、物語はマーロンが破滅していく過程を追いかけていく......。
麻薬と暴力にまみれたニューヨーク及び、その現実と戦う警察官の姿を圧倒的な熱量で書きあげた渾身の警察小説です。見事にアメリカの今を活写しており、特に、生まれた街を誰よりも愛し、自分がその守護者だと自負しながらも汚職にまみれていくマーロンの姿には、正義と悪の二次元論では割り切れないアメリカ社会の根深い問題を体現しています。それに加え、クライマックスの畳みかけるように起きる予想外の展開も見事です。社会派ミステリーであると同時に娯楽作品としても十分読者を楽しませてくれます。ただ、主人公が悪徳警官なのでノワールアクションの要素も強く、主人公に共感がしずらいという人も多いかもしれません。その点が賛否を分けるところでしょうか。ちなみに、本作はリドリー・スコット制作による映画化も決まっており、その出来も今から気になるところです。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門5位
ダ・フォース 上 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-03-26


アリバイ(ハリー・カーマイケル)本格
男から行方不明の妻を探してほしいと依頼されたバイパーは田舎のコテージに行きつく。そして、その近くの雑木林で女の腐乱死体を発見する。女は身元が確認され、容疑者として彼女の夫が浮かび上がった。だが、彼には鉄壁のアリバイがあった。さらに、他の容疑者も浮かび上がってくるが、そんな時、さらなる殺人事件が発生する。バイパーは捜査の協力をしてみらうために相棒のクインを呼び寄せるが.......。
カーマイケルといえば本格ミステリからハードボイルドまで器用に書きわける多作作家として知られています。そんな彼の代表シリーズといえばなんといってもテクニカルな技巧を施し、謎解きの面白さを満喫させてくれるバイパー&クインシリーズです。本作もめまぐるしく展開するストーリー展開の中にさりげなく伏線が織り込まれており、読者はころりと騙されてしまいます。中盤が多少もたついているのは気になりますが、終盤になると一気にサスペンスの色が濃くなり、意外な真相へと導いてくれます。まだまだ翻訳作品の少ないカーマイケルですが、これからどんどん紹介が進んでいくことを期待したいところです。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門9位
アリバイ (論創海外ミステリ)
ハリー・カーマイケル
論創社
2018-03-02


そしてミランダを殺す(ピーター・スワンソン)
富豪のテッドは空港のバーでリリーという美しい女性に出会う。意気投合した2人だったが、テッドは酔った勢いで浮気をしている妻に対する殺意を口にしてしまう。ところが、リリーはドン引きするどころかテリーを強烈に後押しし、2人は具体的な殺人計画を練り始める。そして、決行の日が近づいてきた時.、意外な急展開を迎えるのだった.......。
テンポのよい語り口の中でストーリーが2転3転する極めて娯楽性の高いサスペンス小説です。最初はテッド視点から語られていた物語は、章が変わるごとに語り手がチェンジしていきます。これは別に奇をてらってとか物語に深みを持たせようとかいうことではなく、その構成自体がミステリーとしての仕掛けになっているのです。つまり、一人称視点では語り手が知っていることしか語れないという縛りを逆手にとり、語り手の盲点をつくことで読者にとっての意外性をも演出しているというわけです。この技巧が実によくできており、読者は気持ちよく騙されることになります。予想外のことが矢継ぎ早に起きるので読者はどんどん物語の中に引き込まれています。そして、気が付けばラストのオチまで一息で読み進めていることになるのです。ただ、読書中の楽しさに比べて読後に残るものがあまりないのが難点だといえるかもしれません。決して珠玉の名作というわけではないものの、気分転換や暇つぶしとして読むには絶好の一冊だといえでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門2位
そしてミランダを殺す (創元推理文庫)
ピーター・スワンソン
東京創元社
2018-02-21




許されざる者(レイプ・GW・ペーション)
自ら関わった事件はすべて解決してきた凄腕の警察長官のヨハンソンが定年退職後に脳梗塞で倒れてしまう。一命は取りとめたものの体に麻痺が残る彼に対して、主治医が驚くべ話をする。25年前にイランから移民してきた9歳の少女が殺害されるという事件があったのだが、その有力な情報を亡くなった父から聞かされていたというのだ。彼女の父は牧師であり、懺悔室で犯人を知っているという女性の告白を受けたのだが、守秘義務があるためにそれを警察に知らせることもできないでいた。そして、苦悩の末、いまわの際で娘にそっと秘密を打ち明けたということだった。ヨハンは体の不自由な自分に代わって動いてくれる仲間を集め、執念の捜査を開始する。すでに時効を迎えている事件は果たしてどのような結末を迎えるのだろうか。
本作はヨハンソンを主人公にしたシリーズ作品なのですが、本邦初公開のこの作品がシリーズ最終作となります。しかし、だからといって最初から読まないと話が分からないといった部分もなく、単独作品として十分楽しめる作品に仕上がっています。なんといっても、常に皮肉めいたユーモアを発する主人公を初めとして登場人物がみな魅力的なため、結構重いテーマであるのにも関わらず、楽しく読むことができるのが美点です。ストーリーも主人公視点で進むのでシンプルで分かりやすく、海外作品にありがちな読みにくさも皆無です。北欧ミステリーでこれだけ軽快に読める作品というのも珍しいのではないでしょうか。さらに、ミステリーとしても犯人にたどり着くまでのプロセスやラストの意外性などはよくできており、かなりの秀作だといえるでしょう。
2011年ガラスの鍵賞受賞
許されざる者 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2018-02-13


オンブレ(エルモア・レナード)
1884年。アリゾナの荒野を走る一台の駅馬車。乗客は7人。17歳の美しい少女やインディアン管理官の夫婦らに混じって幼い頃にアパッチ族に育てられたという男、ラッセルの姿があった。そして、突如襲いかかる強盗団に対して立ち向かうラッセル。息詰まる死闘の行方は......。
半世紀以上前に発表された西部劇小説。勧善懲悪という西部劇の定型に沿いながらも乾いた文体で描かれるハードボイルドの世界に痺れます。また、主人公の冷酷と思えるほどドライな態度裏に秘めた自分を貫く強さにもかっこよさを感じます。独特のざらついた味わいが後をひく傑作です。
オンブレ (新潮文庫)
エルモア レナード
新潮社
2018-01-27


贖い主 顔なき暗殺者(ジョー・ネスボ)
クリスマスシーズンで賑わう最中、救世軍の兵士、ロベルトが射殺される。ところが、衆人環視の中の犯行だったにも関わらず、犯人の顔を覚えているものは誰一人いなかったのだ。続いて、ロベルトの兄であるヨーンが狙われるが、偶然居合わせたハリーの機転で一命を取り留める。やがて、捜査線上には”小さな購い人”という通り名で呼ばれているクロアチア人の殺し屋が浮かび上がってくる......。
ハリー・ホレー刑事シリーズの第6弾。宿敵との戦いを描いた3部作も前作『悪魔の星』で決着が付き、本作は新章の導入的な位置づけになります。ただし、導入部だからといってその面白さはいささかもトーンダウンしていません。超適応という能力を有する殺し屋との攻防と二転三転する展開は手に汗握るおもしろさですし、新しく登場するキャラクターたちも魅力的です。その上、真相の意外性も申し分なく、最初から最後まで楽しめる極上のエンターテイメントに仕上がっています。また、北欧のさまざまな社会問題を取り上げながらもそれらを主題とはせず、あくまでも背景として溶け込ませている点にもうまさを感じます。それらがよいスパイスとなり、娯楽小説としての面白さを一層深める効果をもたらしているのです。ちなみに、次作の『スノーマン』は2013年にすでに翻訳済みなので本作が気に入れば、そちらも続け読むことも可能です。