最新更新日2018/01/13☆☆☆

彗星のごとく現れてアメリカミステリー界の巨匠として君臨し、その後母国では跡形もなく忘れ去られたヴァン・ダインの12長編+αについて解説をしていきます

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ベンスン殺人事件(1926)
証券会社の経営者であるベンスン氏が自宅で射殺される。有力な容疑者がいるため解決は容易だと考えられていたが、その捜査に稀代の名探偵ファイロ・ヴァンスが加わることで捜査の行方は一変する。
探偵小説に関してアメリカがイギリスの後塵を拝していた時代に颯爽と現れ、一大センセーションを巻き起こしたヴァン・ダインのデビュー作です。当時のアメリカ文学はイギリスと比べて低俗なものが多いとされ、米国の知識層にとってはそれがコンプレックスにもなっていました。そうした背景の中で、衒学的な知識をまとって周囲をけむに巻く探偵ファイロ・ヴァンスの活躍譚はいかにも高尚文学を読んでいるような味わいがあり、英国コンプレックスに陥っていた米国人は大いに溜飲を下げたというわけです。しかも、この作品で扱われている事件にはモデルがあります。1920年にニューヨークで起きたエルウェル事件です。有名な未解決事件を無能な警察を尻目に見事解き明かすファイロ・ヴァンスの姿には一種の痛快さもあったのでしょう。そういった点もこの作品が成功した要因のひとつだと推測できます。ただ、当時のアメリカでは有名であっても現在の日本では知る人がほとんどいない事件であり、また、作中の事件も実際の殺人をモデルにしているだけに探偵小説が扱う謎としてはいささか地味すぎです。そのためか、本作ではファイロ・ヴァンスがどのような人物であり、どういった手法で推理をするかといったキャラクター描写にページの大半が割かれています。しかし、このファイロ・ヴァンスという探偵は今読むと鼻もちならない上にやたらと知識をひけらかすだけの痛々しい中二病患者にしか見えないところがいかにも残念です。また、彼が得意としている心理的推理も無理があるように感じます。そもそも、物的証拠の必要性を否定しながら犯人を追いつめる手段が結局物的証拠だったというのが大きな矛盾です。以上のように、現代の目線で読むとどうにも魅力の乏しい作品だと言わざるをえません。しかし、その一方で、ヴァン・ダインの作品には古き良き時代の探偵小説独特の味わいがあることも確かです。それに、古典ミステリーの基本的なスタイルを完成させたという事実も見逃せません。そこから生じる古き良き時代の芳醇さを感じることができるか否かでこの作品に対する評価も変わってくるでしょう。
カナリア殺人事件(1927)
ブロードウェイの人気女優マーガレット・オーデルは華麗さを絵に描いたようなビジュアルからカナリヤと称されていた。その彼女が完全な密室で殺害されたのだ。犯人は4人の男性のいずれかと思われるものの、決め手となる証拠はなにもない。そこで、名探偵ファイロ・ヴァンズはポーカーゲームを通じて心理分析を行い、犯人を特定しようとするが......。
本作では密室殺人の謎が前半ストーリーの牽引力となり、後半ではポーカー勝負という大きな見せ場もあるため、前作と比べるとミステリー的なケレン味は増しています。しかし、密室トリックは現代の読者にとってはあまりにも基本的すぎるレベルであり、ポーカーで犯人を特定するという手法は肝心の心理分析が単純すぎて説得力が感じられません。そういうわけで本作もミステリーとしては高い点数は進呈できないわけですが、ポーカー勝負のくだりや動かぬ証拠が見つかる瞬間の演出などはいかにも古き良き時代の古典ミステリーといった感じで雰囲気は決して悪くありません。それに、このファイロ・ヴァンズという探偵はどうも直感的に犯人を特定する能力はあるようなのですが、それを説得力を持たせて人に説明したり、相手の仕掛けたトリックを見破ったりする能力が致命的に欠けているように思えます。だからこそ、ポーカー勝負など、それらしいことをして後付けの理由を必死に作っているのではないのでしょうか。そう考えると、鼻もちならないファイロ・ヴァンズの言動にも可愛げを感じる気がしないでもありません。
カナリヤ殺人事件 (創元推理文庫 103-2)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-05


グリーン家殺人事件(1928)
ニューヨークの真ん中に時代から取り残されたように佇んでいるグリーン家の古邸。そこで恐るべき事件が起きる。屋敷に住む2人の女性が何者かに銃撃されたのだ。しかも、その後も惨劇は続き、犯人は一家皆殺しを企てているかのようだった。果たしてファイロ・ヴァンズは姿なき殺人犯の正体を暴くことができるのだろうか。
『グリーン家殺人事件』はヴァン・ダインの最高傑作のひとつであるばかりでなく、この作品が国内外に与えた影響は計り知れないものがあります。日本においても『殺人鬼』『黒死館殺人事件』という本作をリスペクトした名作が誕生しています。それに、なんといっても、本作が画期的だったのは豪邸で起きる連続殺人、全編に漂うサスペンス、名探偵の華麗な推理といった古典的な探偵小説の完成型を見事に作り上げた点です。ただ、トリックに新味がないのは相変わらずですし、作品の完成度が高いといっても現代人の目からはスタンダードすぎて陳腐に見えてしまいます。もっとも、陳腐になったのはそれだけ真似をされ続けた結果であり、この作品の偉大さを証明するものだともいえるでしょう。独創的なトリックや意外な真相などに対する期待は捨て、古典ならではの芳香をじっくりと楽しみたい作品です。
僧正殺人事件(1929)
高名な物理学者が住むテイラード宅の傍でアーチェリーの選手であるロビンが矢に刺されて死んでいるのが発見される。その状況を聞いたファイロ・ヴァンズは指摘する。これはマザーグースの一篇「コック・ロビン」だと。そして、それが世にも奇怪なマザーグース連続殺人事件の幕開けだった。
見立て殺人というアイディアを初めてミステリーの中に取り入れた歴史的な一冊です。マザーグースの歌詞になぞらえて殺人が起きるというプロットには得も言われぬ不気味さがあり、探偵小説との相性は抜群です。ヴァン・ダインが創作した犯人像も現代でいうサイコパスにを連想させ、この時代のミステリーとしては唯一無二のオリジナリティを獲得することに成功しています。一方で、トリックの創出が得意ではないヴァン・ダインですが、本作には二番煎じのトリックすら登場しません。おまけに、ファイロ・ヴァンスが犯人を特定するロジックも極めて根拠薄弱なものであり、本書に本格ミステリとしての魅力を期待すると大きな失望を味わうことになるでしょう。あくまでも独自の雰囲気を楽しむだけの作品だという割り切りが大切です。
カブトムシ殺人事件(1930)
エジプト博物館で発生した殺人事件。現場に残された証拠は明らかに博物館の館長であるブリス博士の犯行を示唆していた。ヒース部長刑事は彼を逮捕しようとするが、ファイロ・ヴァンスがそれに異を唱える。ヴァンスは自らの推理によってその逮捕が不当であることを証明してみせるのだが......。
派手な連続殺人を描いた「グリーン家殺人事件」や「僧正殺人事件」に比べて本作はすっきりとした落ち着きのある作品に仕上がっています。地味と言えば地味なのですが、物語の焦点がきっちりと定まっている分、非常に読みやすく、これまでやたらとうるさく感じていた蘊蓄もそれほど気にならないのは本作の長所だと言えるでしょう。以上のように、読み物としては決して悪くはないのですが、その反面、ミステリーとしては少々不満の残るできになっています。本作のメイントリックもいつものごとく前例のあるもので、それ自体はよいとしても、プロットの組み方が素直すぎるため、犯人の狙いがミエミエになってしまっているのです。約10年前にイギリスの有名作家が同じトリックを使っていますが、ミステリーとしての巧妙さでは先行作の方がはるかに上です。ヴァン・ダインの全盛期と呼ばれる前半6作の中では最も魅力に乏しい作品ではないでしょうか。
カブト虫殺人事件 (創元推理文庫 103-5)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-04-01


ケンネル殺人事件(1931)
中国陶器の収集家として知られている男が頭を銃で撃ち抜かれた状態で発見される。部屋は内側から鍵がかけられていたために最初は自殺かとも思われたが、やがて、背中から刃物を刺されている事実が判明する。しかも、死因は銃ではなく、背中の傷だったのだ。さらに、別の部屋では犬が大けがをして倒れているのが発見される。奇妙なことに誰もその犬がどこからやってきたのかを知らないという。まさに、五里霧中の奇怪な事件に対して名探偵ファイロ・ヴァンスはどのような光を当てるというのだろうか......。
傑作と言われる前半6冊の中では知名度は今一つの感が強い作品ですが、近年では本作こそがヴァン・ダインの最高傑作ではないかという声も挙がっています。というのも、「グリーン家殺人事件」や「僧正殺人事件」は確かにミステリー史に残る名作ではあるものの、その後リスペクトされすぎたために今では陳腐化しているきらいがあるからです。その点、本作の奇妙な事件の顛末にはオリジナリティが感じられ、魅力的です。複雑に絡み合う謎を解き明かしながら真相に向かっていくプロセスは非常に読み応えがあり、よくできたパズラーに仕上がっています。相変わらずトリックの独創性には欠けていますが、プロットの見事さがそれを補ってあまりある傑作だといえるでしょう。
ケンネル殺人事件 (創元推理文庫 103-6)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-02-26


ドラゴン殺人事件(1933)
ニューヨークの外れにある屋敷のプールで青年が飛び込んだまま浮かび上がってこないという事件が起きた。しかも、プールの水を抜いてみても青年の姿はなく、代わりに水底には巨大なドラゴンの足跡が残されていたのだ。
ヴァン・ダインの7作目はディクスン・カーばりの不可能性と怪奇性を全面的に押し出した異色作ですが、いかんせん彼はトリックの創出が得意な作家ではありません。謎の魅力とトリックのしょーもなさがアンバランスなのでどうしても脱力感を覚えてしまうのです。それはまだよいとしても、肝心のファイロ・ヴァンスにやる気が感じられないのは大問題です。得意の心理的推理は影を潜め、あてずっぽで犯人を指摘する始末です。しかも、真相は意外性のかけらもなく、関係者の多くは犯人の正体に薄々気がついていたというのはミステリーとしていかがなものでしょうか。そのくせ、捜査陣だけは五里霧中で右往左往しているというのは滑稽ですらあります。この辺りからヴァン・ダインの作品は急速に勢いを失っていくことになります。ちなみに、本作が発表された前年にはエラリー・クイーンの代表作である「ギリシャ棺の謎」「エジプト十字架の謎」「Xの悲劇」「Yの悲劇」の4作が発表されており、より洗練されたこれらの作品と比べヴァン・ダインの作風はいかにも古臭く感じてしまいます。探偵小説不毛の地であったアメリカに金字塔を打ち立てたヴァン・ダインでしたが、わずか数年の内に世代交代の波が押し寄せてきたのです。
ドラゴン殺人事件 (創元推理文庫 103-7)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-10


カシノ殺人事件(1934)
ファイロ・ヴァンスの元に「賭博場でリン・リュウェリンを監視せよ」という匿名の手紙が送られてくる。指定された日時に賭博場を監視していると、リュウェリンは毒を盛られて倒れてしまった。ヴァンスの機転によってリュウェリンは一命を取りとめるが、その代わりに、自宅で彼の妻が死んでいるのが発見される。しかも、明らかに毒殺だと思われるのにも関わらず、彼女の胃からは毒物が発見されなかったのだ。ヴァンスの注意は近くの重水研究場に向けられるが......。
ヴァン・ダインが描くミステリー小説の特徴はさまざまな蘊蓄に彩られた重厚な雰囲気とファイロ・ヴァンズ独自の探偵スタイルにあったのですが、これらの個性は「僧正殺人事件」をピークに次第に後退し始め、本作では限りなく普通の探偵小説になっています。蘊蓄は最小限にとどまり、ヴァンスも足を使って情報を集め、時にミスをして苦悩するといった具合でまるで凡庸な探偵のごときです。ドヤ顔でその絶対的な有効性を語っていた心理的探偵法など見る影もありません。変な癖がなくなって逆に読みやすくなったという見方もできますが、これではあまりヴァン・ダインの作品である必要性がないようにも感じます。そして、肝心のミステリー部分も冒頭の謎は魅力的であるものの、解決編が腰砕けなのは「ドラゴン殺人事件」と同じです。犯人の正体もミステリーを読み慣れた人なら「ああ、あのパターンか」とすぐに気が付くでしょう。要するにどっからどう見ても特に取り柄のない凡作と言うのが本作の妥当な評価だといえます。
カシノ殺人事件 (創元推理文庫 103-8)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-10-07


ガーデン殺人事件(1935)
ガーデン教授の屋敷では親しい人が集まり、競馬中継に耳を傾けていた。すると、一族の問題児であるウッドが、ある馬に全財産を賭けると宣言する。周囲の制止を振り切り、一人屋上の庭園に向かうウッド。そして、賭けは見事に外れ、次の瞬間、銃声が響き渡る。一同が屋上に駆けつけると、そこには銃を握り締めたウッドの死体が横たわっていた。誰もが自殺だと考えるが、やがてそれが他殺であることが判明する。しかし、関係者全員に鉄壁のアリバイが存在していた。
「ドラゴン殺人事件」辺りから下り坂にあったヴァン・ダインですが、この作品に限ってはなかなかの佳作に仕上がっています。といっても、大したトリックがあるわけではありません。その代わり、ミスディレクションの扱いに優れ、フーダニットとしての完成度はかなりのものです。また、好き嫌いの分かれるファイロ・ヴァンズの蘊蓄もすっかり影を潜め、読みやすい作品となっています。それが物足りないという人もいるでしょうが、結果としてクセのない上質なミステリーに仕上がっています。ヴァン・ダインの入門書としては絶好の作品だといえるでしょう。
ガーデン殺人事件 (創元推理文庫)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-07-05


誘拐殺人事件(1936
旧家の道楽息子が自室から突如姿を消す。現場には5万ドルの身代金を要求する紙片が残されていた。当初は営利誘拐だと思われていたものの、やがて、彼は自分の意思で屋敷から出ていったらしいことが判明する。するとこれは狂言誘拐なのか?その疑問に対してファイロ・ヴァンスは答える。「いや、彼はすでに殺されている」と。そして、第2の誘拐事件が......。
前作「ガーデン殺人事件」で復調の兆しを見せたヴァン・ダインですが、本作では見事に迷走状態へと陥っています。それでも謎めいた事件が起きる前半部分は無難にまとまっており、悪くありません。問題は後半部分であり、なんとファイロ・ヴァンスがギャングと銃撃戦を繰り広げるのです。時代の流れに迎合しようとしたのかもしれませんが、名探偵とハードボイルドの組み合わせはミスマッチ感が半端ありません。悲愴感をまとったヴァンスが決戦の場に向かうシーンなどはもはや滑稽なほどです。それでも、ミステリーとして面白ければよいのですが、事件の真相は凡庸そのもので見るべきものが何もないから困ってしまいます。かろうじて見せ場と言えば、初期の作品ではヴァンスに散々小馬鹿にされていたヒース警部がかっこよく描かれていることぐらいでしょうか。ヴァン・ダインの著作の中でも1、2を争う駄作です。
誘拐殺人事件 (創元推理文庫 103-10)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1961-02-03


グレイシー・アレン殺人事件(1938)
ファイロ・ヴァンスはグレイシー・アレンと名乗る娘の服を煙草で焦がしてしまい、お詫びに高級服飾店でサービスを受けられるように取り計らう。一方、マーカムとヒースは高級クラブで張り込みを行っている。クラブの歌手が最近脱獄したギャングの愛人であり、二人が接触するのを待ち伏せているのだ。ところが、翌朝、クラブの支配人室で皿洗いの青年が死体となって発見される。しかも、彼はグレイシーの兄だったのだ。
「誘拐殺人事件」の売り上げが惨憺たる有様だったため、出版社が持ち込んだ企画を仕方なく形にしたのが本作です。グレイシー・アレンとは当時の人気コメディアン女優であり、出版社は彼女をヒロインにした映画化前提の作品を書くように促したというわけです。その結果、ドタバタ喜劇風のユーモアミステリーができたわけですが、ヴァン・ダインの作風とはどう考えても水と油です。しかも、目玉であるはずのグレイシー・アレンのキャラを活かしきれていないために、作品全体が散漫とした印象になっています。ミステリー的なアイディアには光る部分もありますが、やはり十分には活かしきれていません。ファイロ・ヴァンスが登場する12作品の中でも「誘拐殺人事件」と並ぶ失敗作だといえるでしょう。
ウインター殺人事件(1939)
雪の降りしきる森の中の大邸宅。そこで殺人と宝石盗難事件起きる。名探偵ファイロ・ヴァンスが挑む最後の事件。
ヴァン・ダインの執筆スタイルは概要、簡略版、完成版といった具合に、先に骨格を組み上げ、次第に肉付けをしていく手法をとっていました。ところが、この作品に関しては完成以前にヴァン・ダインが亡くなってしまったために簡略版しか残っていないのです。確かに、読んでみると登場人物が多い割に、キャラクターの肉付けが不十分で物足りない点があります。かといって、ミステリーとして見るべき点も特にないため、完成していたとしても凡作という評価は覆らなかったでしょう。ただ、ケガの光明というべきか、余計な蘊蓄もなくてすっきりとした読み心地なのは本作の美点だといえます。雪に覆われた自然の美しさと静寂さが伝わってくる描写は悪くなく、前2作のようなあからさまな迷走感を醸し出していないのがせめてもの救いです。
ウインター殺人事件 (1962年) (創元推理文庫)
ヴァン・ダイン
東京創元新社
1962-06-01



ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿
タイトルだけ見るとファイロ・ヴァンスを主人公にした短編集のように見えますが、中身は実際に起こった事件の解説書でしかありません。ファイロ・ヴァンスはその解説役で登場するだけです。ヴァンスが未解決事件に対して自分の推理を語るわけでもなく、簡単なコメントを付け加えるだけなのです。したがって、本書を推理小説だと思って購入すると大いに失望することになります。ヴァン・ダインの著作を全作制覇したいという愛読家のみにおすすめできる作品です。

別名S・S・ヴァン・ダイン:ファイロ・ヴァンスを創造した男(ジョン・ラフリー)
美術評論家として不遇な時代を過ごし、一念奮起して書き上げた探偵小説によって大成功を収めたものの、新しい時代の流れに適応できずに人気急落の憂き目にあったヴァン・ダイン。今まで不明な点が多かった彼の生涯を赤裸々に描いた傑作伝記。
この著書はミステリー作家ヴァン・ダインの評伝というよりも美術評論家として活動していたウィラード・ハンティント・ライト時代の記述によりウェイトが置かれています。ヴァン・ダインについての記述は後半3分の1程度にすぎませんが、数奇な運命をたどった人生の軌跡として非常に読み応えのある伝記本となっています。また、ヴァン・ダイン自身が語っていた自らの経歴が虚飾にまみれていたという事実もミステリーファンにとっては興味深いところです。才能はあったものの、自意識の高さ故に不本意な人生を送ることになった男の姿には何ともいえない悲哀を感じさせます。今まで多くの部分が謎とされてきた彼の人生を綿密な調査と丁寧な筆致で浮き彫りにした労作です。




僧正殺人事件