最新更新日2019/10/15☆☆☆

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エラリー・クイーンはいわずと知れたミステリー黄金時代におけるビッグ3の一人(コンビ作家なので正確にはふたり)ですが、彼らの作風がユニークなのは約40年間、ほぼ本格ミステリ一筋で書き続けていたのにもかかわらず、その特徴が10年単位できれいに分かれている点です。そこで、4つの年代の内、まずは全盛期といわれる30年代と新しい境地に達した40年代における作風の特徴、さらには、それぞれの年代に発表された作品の内容について解説していきます。
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1930年代:ロジックの時代

エラリー・クイーンは1929年に雑誌の懸賞小説に応募した『ローマ帽子の謎』によってデビューします。そして、続く30年代は、クイーンの最大の特徴であるロジックが冴え渡っていた時代です。特に、最初期においては、現場に残されたわずかな手がかりから意外な真相を浮かび上がらせる、魔法のようなロジックで読者を魅了しました。ちなみに、その代表作はほぼ1932年発表の作品群に集約されています。


Xの悲劇(1932)
元シェークスピア俳優のドルリー・レーンを探偵役に据え、電車の中での毒針殺人という異様な事件を扱ったこの物語は、パズラーの粋を極めた作品として高い評価を得ています。3つの事件にそれぞれ華麗な推理が用意され、謎解きの面白さに酔いしれることができる名作中の名作です。また、クイーンが後期作品においてこだわりをみせたダーイングメッセージの謎が初めて登場することでも知られています。
Xの悲劇【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2019-04-24


Yの悲劇(1932)
本国アメリカよりもむしろ、日本のミステリーファンから高い評価を得ている名作です。また、最近はアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』に押され気味ですが、長い間、日本においてのオールタイムベストに選ばれ続けていた作品でもあります。大富豪の男の謎めいた自殺、異常者ばかり揃った屋敷で起こる不気味な連続殺人と、いかにもな舞台装置が用意され、やがて、事件は読者の想像を超えた方向に進み、唖然とする結末を迎えます。ある意味、日本人が思い描く理想の古典ミステリーであり、日本で圧倒的な支持を集めているのも納得の内容だといえるでしょう。
Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)
エラリー・クイーン
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-09-25


ギリシャ棺の謎(1932)
『Xの悲劇』とは逆に、ロジックの危うさについて描いた作品です。若き日の名探偵エラリー・クイーンが不可解な事件に対してもっともらしい推理を述べるのですが、それが見事に大外れし、さらなる謎を掘り起こしてしまうところから物語は始まります。作者が意識していたかどうかはわかりませんが、一種のアンチミステリー的趣向もあり、また、二転三転する展開は普通のミステリーとしても抜群の面白さです。
ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2014-07-30


エジプト十字架の謎(1932)
初期にはとにかく話が平坦で退屈といわれたクイーンですが、本作は一転して波乱万丈で見せ場満載のミステリー小説に仕上がっています。次々と被害者の首を切り落とし、Tの字型の十字架に死体を磔にする犯人の目的は何か?そして、その異常な犯罪を追ううちに浮かび上がってくる意外な真相とは?犯人の悪魔のような計略とエラーリーの見事な推理が火花を散らす、手に汗握る傑作です。
エジプト十字架の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2016-07-21


オランダ靴の謎(1931)
1932年に発表した4作品が、エラリー・クイーン全キャリアにおけるベスト4と言っても過言ではないのですが、それに続く作品を挙げるとすれば、やはり、『オランダ靴の謎』を外すわけにはいかないでしょう。この作品は綿密なロジックの構築による謎解きというクイーンの特徴をもっとも鮮明に体現した作品です。わずかな手掛かりから意外な事実が次々と明らかになっていく推理の鮮やかさは、思わずため息が出るほどの美しさです。ただ、ストーリー自体は事件関係者への取り調べが延々と続くだけという、初期作品の特徴である平板な展開そのものです。そのため、読破するには気力十分のコンディションで挑む必要があります
オランダ靴の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2013-07-20


中途の家(1936)
名作『Xの悲劇』や『オランダ靴の謎』に次いでロジックの魅力を堪能できる作品としては『中途の家』があります。重婚をして二重生活を送っていた男が2つの家庭の中間地点のあばら家で何者かに殺されていたという事件を追う物語ですが、現場に残されていたマッチ棒の燃えカスから導き出される推理が実に鮮やかです。

中途の家 (角川文庫)
エラリー・クイーン
KADOKAWA/角川書店
2015-07-25


ここまでが、クイーンが30年代に発表した作品の中でも第一級の傑作として評価されているものです。次に、これらと比べるとやや劣るものの、大いに注目すべき力作についても紹介していきます。

Zの悲劇(1933)
ミステリー史に残る名作『Xの悲劇』及び『Yの悲劇』の続編として発表された『Zの悲劇』ですが、なんといっても容疑者27人を一堂に集め、犯人ではありえない人間を次々と容疑から外していき、最後にただひとりの真犯人を浮かび上がらせる消去法推理が圧巻です。ただ、趣向が壮大すぎたせいか、ロジックの構築の美しさという点において『オランダ靴の謎』や『Xの悲劇』には劣ります。また、犯人を除く26人の容疑者を消去する過程で説得力の欠ける推理がいくつか混じっており、それがロジックの完成度を下げる結果になっています。それに、シリーズを通して語りが三人称だったのが、この作品に限って若い娘の一人称であったため、違和感を覚える人も多かったようです。しかし、一方で、悲劇シリーズ全体で見ると、衝撃の完結編へとつながる重要な布石として外せない作品だともいえます。

Zの悲劇 (角川文庫)
エラリー・クイーン
角川書店(角川グループパブリッシング)
2011-03-25


ドリリイ・レーン最後の事件(1933)
この作品は単体で読んだ場合、それほど評価が高いものにはならないでしょう。悲劇三部作に比べて事件が地味ですし、肝心の殺人事件が起こるのも後半になってからです。しかし、X・Y・Zをすべて読了したあとに読むと本書は輝きを増してきます。悲劇シリーズを通して伏線が張られており、衝撃のラストによってそれが集約されるプロットはインパクト大です。したがって、本書に手を出す前にぜひX・Y・Zを読んでおくことをおすすめします。
フランス白粉の謎(1930)
国名シリーズの第2弾です。これに続く『オランダ靴の謎』『ギリシャ棺の謎』『エジプト十字架の謎』があまりにも名作すぎために影が薄くなりがちですが、ロジックの構築の見事さは本作もなかなかのものです。特に、容疑者を集めて証拠の品を取りだしながら行う40ページにわたる推理は、パズラー好きにとってはたまらない趣向だといえるでしょう。ただし、初期作品特有の物語の退屈さもかなりなもので、手を出すにはそれなりの覚悟がいる作品でもあります。

フランス白粉の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2012-09-27


シャム双生児の謎(1933)
国名シリーズ第7作の『シャム双生児の謎』は扱う謎が地味すぎてミステリーとしては物足りなさを感じるかもしれません。なにしろ、全編を通じて議論されるのが、現場に残されたダイイングメッセージの解釈ぐらいしかないのでいかにも地味です。一方で、舞台となる山頂の館は、四方から山火事が迫っているという異常な状況下にあり、そこから生まれるサスペンスはなかなかのものです。また、生きるか死ぬかの状況の中で、エラーリーが探偵の存在意義について悩み出したりする点は、後期クイーン問題の萌芽ととらえることもできるのではないでしょうか。ちなみに、本作にはシリーズ恒例の読者への挑戦が挿入されていません。いろいろと異例ずくめの異色作です。
シャム双子の秘密 (角川文庫)
エラリー・クイーン
KADOKAWA/角川書店
2014-10-25


チャイナ橙の謎(1934)
国名シリーズ8作目の『チャイナ橙の謎』はシリーズ中でも屈指の奇抜な謎が用意されています。出版業者の待合室から身元不明の死体が発見され、しかも、現場は死体の服装から家具に至るまですべてがさかさまにされているという謎です。このさかさま事件の謎は非常に有名で、印象的な準密室トリックと相まって、シリーズの中でも知名度はかなり高い作品です。しかし、謎の奇抜さに比べ、その解答はあまりにもこじんまりとしていてカタルシスに欠けるという問題があります。しかも、この解答は西欧文化ならではのもので、日本人にはピンとこない点が、なお評価を厳しいものにしています。また、印象的なトリックも現在では図解がないとよくわからないと言われる始末で、有名な割に評価はいまひとつといった感じです。
チャイナ橙の謎 (創元推理文庫 104-12)
エラリー・クイーン
東京創元社
1960-01-01


スペイン岬の謎(1935)
国名シリーズの最終作です。『チャイナ橙の謎』からの反省か、事件の謎を「なぜ、殺された被害者は裸だったのか?」というシンプルなものに絞り、その分、濃厚で説得力の高いロジックが楽しめるようになっています。シリーズの初期を思わせる原点回帰的な作品だといえるでしょう。ただ、ミステリーとしてはどうしても地味であり、その割に話が長すぎるという欠点があります。こうして見ると、『チャイナ双生児の謎』はサスペンスはあるが、謎とロジックが物足りない、『チャイナオレンジの謎』は事件の謎のインパクトは強烈で、印象に残るトリックもあるが、ロジックに説得力が足りない、『スペイン岬の謎』は説得力のあるロジックを堪能できるが、事件と謎は地味でサスペンス不足と、国名シリーズラスト3作にはそれぞれ一長一短があることがわかります。
スペイン岬の秘密 (角川文庫)
エラリー・クイーン
KADOKAWA
2015-04-24


ニッポン樫鳥の謎(1937)
日本では国名シリーズの第10弾として扱われていますが、原題は『The Door Between』であり、本国ではシリーズにはカウントされていません。ただ、雑誌連載時のタイトルが『ニホン扇の謎』だったため、最初は国名シリーズとして書いていたものの、日米関係の悪化から改題を余儀なくされたのではないかとも考えられています。そんなこともあってか、クイーンの作品の中では本作の存在感は希薄です。しかし、実際に読んでみるとこれがなかなかの力作に仕上がっています。初期作品のように謎解きだけに終始せず、中盤から終盤にかけて悲痛な人間ドラマに絡めて真相が明るみになっていきます。そのドラマ性の高さはかなりのものです。また、名探偵エラリー・クイーンの推理も物証を並べ、ロジックの積み重ねによって真相を明らかにする従来のやり方ではなく、心理的プロファイリングによって仮説を提示する方法論へとシフトしています。地味ながら全体の完成度は高く、30年代と40年代をつなぐ橋渡し的な佳作だといえるでしょう。

ニッポン樫鳥の謎 (創元推理文庫 104-14)
エラリー・クイーン
東京創元社
1961-06


佳作、傑作、名作を連発していた30年代のクイーンですが、その中にも凡作と呼ばれる作品は存在します。特に、国名シリーズを終わらせ、ライツヴィルシリーズで新しい境地を確立するまでの間に発表した作品においてその傾向が顕著でした。一体どのような作品があり、よく知られている傑作群とは具体的に何が違うのかを見ていきます。

アメリカ銃の謎(1933)
傑作揃いの国名シリーズの中ではデビュー作である『ローマ帽子の謎』と並んで凡作と評されることの多い作品です。その第一の要因としては、2万人の観衆の前で行われた殺人という派手な舞台装置に対して、読み物としての地味すぎる点が挙げられます。また、エラーリーが犯人をわかっていながらなかなか口にしないことで、被害を拡大させてしまった点もいただけません。しかし、それよりも、トリックに説得力がなく、かなり苦しいと感じてしまうのが致命的です。それから、犯人の正体はなかなか意外ではあるものの、そんな工作をすれば普通はばれるだろうと思えてならず、やはり説得力の点でいまひとつです。細部のロジックには光る点があるだけに、全体的な大雑把さがよけいに気になってしまいます。
アメリカ銃の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2017-07-12


悪魔の報酬(1938)
ハリウッドシリーズ第1弾という位置付けをされている作品で、『ニッポン樫鳥の謎』と『災厄の町』というかなりシリアスな物語に挟まれていながら、ドタバタコメディを交えた妙に明るい作品になっているのが特徴的です。破産の憂き目にあって上流階級から没落した令嬢がヒロインなのですが、屋敷を追われて引っ越してきたのが5部屋もあるアパートなので悲壮感などは皆無です。探偵役のエラリーも記者に変装したりして、なんだか胡散臭い感じになっています。この軽薄なノリを楽しめるかどうかが、評価の分かれ目でしょう。一方、ミステリーとしては一定のレベルは保っているものの、特に大きな驚きがあるわけではありません。いずれにしても、全体的な雰囲気がコメディタッチの恋愛冒険小説といった感じなので、クイーンらしいガチガチの本格ミステリを期待した人にとってはかなりがっかりな作品だといえます。


ハートの4(1938)

ハリウッドシリーズの第2弾で、エラリーがハリウッド業界に招かれて脚本執筆の手伝いをすることになったものの、主演予定だった俳優と女優が殺されてしまうという物語です。この時期、作者であるクイーンも実際にハリウッドで働いていたわけで、そのことを念頭において読むと映画業界の描写などはなかなか興味深いものがあります。しかし、その一方で、肝心のミステリー部分は仕掛けが見え透いていて面白くありません。『悪魔の報酬』よりもさらにドタバタコメディの要素が強くなり、その分、クイーン本来の緻密なロジックが後退してしまったという印象です。この時期のハリウッド映画に大衆が求めていたのは堅苦しいロジックよりも明るい人間喜劇であり、ハリウッドシリーズは業界に身を置いたクイーン自身がその影響に染まった結果だともいえます。
ハートの4 (創元推理文庫 104-19)
エラリー・クイーン
東京創元社
1979-05


ドラゴンの歯(1939)

舞台はハリウッドからおなじみのニューヨークに戻ってきますが、作品のノリは相変わらず軽いままです。そのため、本作はハリウッドシリーズの3作目という位置付けになっており、しかも、謎解きの要素は3作の中で最も希薄です。いかにもこの時代のハリウッド映画によくありそうな恋と冒険の物語で、謎解きが完全に添え物となっています。映画向きの派手なシーンを数多く用意しており、実際に映画化もされたようですが、それが一層ミステリーとしての中身のなさを浮き彫りにしています。探偵エラリーの軽薄さにも拍車がかかり、国名シリーズやライツヴィルシリーズでファンになった読者にとってはかなりの違和感を覚えるはずです。結局、この路線は本作限りで封印されることになりますが、1951年の『悪の起源』で一度だけ復活をさせています。
ドラゴンの歯 (創元推理文庫 104-20)
エラリー・クイーン
東京創元社
1965-07-23



1940年代:ライツヴィルシリーズの始まりと後期クイーン問題

40年代に入ると、それまで事件の謎をパズルのように扱ってきたクイーンの作風に変化が生じます。事件がもたらす悲劇性がクローズアップされ、名探偵は自らの無力さに苦悩するようになってくるのです。同時に、名探偵の最大の武器であったロジックもその弱点が露わになり、ときとして名探偵の存在意義すら問われることになります。俗にいう後期クイーン問題です。この変化はある意味、迷走状態ともいえますが、逆に、いままでのクイーン作品にはなかった新たな魅力を付加する結果にもなりました。具体的にどのような作品があるのかを見ていきます。

災厄の町(1942)
本作はクイーンの一大転機となった作品です。これまで事件の傍観者にすぎなかったエラリーが身分を隠してライツヴィルの町を訪れたことで事件の渦中にどっぷりとハマります。そして、真実を明らかにすることが必ずしも正義の執行を意味しないという現実に直面して大いに苦悩することになるのです。また、ミステリーとしても、夫が隠し持っていた”妻の死を知らせる未投函の手紙”を妻自身が発見するというサスペンスフルな謎が用意されており、非常に読み応えがあります。さらに、人間ドラマと謎解きの要素が混然一体となってクライマックスの悲劇を迎える構成も見事で、本作をクイーンの最高傑作に推す人が多いのも納得だといえる出来栄えです。少々中弛みを感じるのが惜しいところですが、それは登場人物の人間性を掘り下げる必要があったためであり、作品の性格上致し方ないところでしょう。なお、本作は1979年に野村芳太郎監督の手によって『配達されない三通の手紙』のタイトルで映画化もされています。
災厄の町〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エラリイ・クイーン
早川書房
2014-12-05


フォックス家の殺人(1945)
ライツヴィルシリーズの第2弾であり、1943年にアガサ・クリスティが発表した『5匹の子豚』と同じく過去の殺人をテーマにしたものです。しかし、『5匹の子豚』がプロットにヒネリを効かせ、事件を意外な方向へと転がしていく術に長けていたのに対して、本作のほうは過去の事件を実直に調査していくだけで展開的にどうにも地味です。そのため、長い間、傑作と名高い『災厄の町』の影に隠れる形となっていました。しかし、じっくり読んでみるとホームドラマとして非常によくできており、人間を描くというライツヴィルシリーズの趣旨にかなった作品であることがわかります。また、アメリカ帰還兵のトラウマを扱った作品という点も先駆的です。それに、ミステリーとしても地味ではあるものの、決して凡庸というわけではありません。妻殺しの罪で10年以上服役している父親の容疑をいかにして晴らすかというテーマがスリリングですし、そこに至るまでが地味とはいえ、後半の二転三転する展開も読み応えがあります。もやもやとした結末については賛否の分かれるところですが、全体的な完成度は高く、40年代のクイーンを語るうえで欠かせない作品だといえます。
十日間の不思議(1948)
ライツヴィルシリーズの3作目ですが、本格ミステリとして読むならば本作に対してそれほど高い点数をあげることはできません。事件がなかなか起きないのでじれったく感じますし、エラリーの推理もいつもと違って生彩を欠いています。しかも、登場人物が少ないのでフーダニットとしての面白さは皆無です。その反面、物語としては非常に読み応えがあります。まず、無味乾燥な初期の作品とは異なり、文章が非常に読みやすくなっており、簡潔な文を積み重ねていくハードボイルドのような語り口にぐいぐいと引き込まれていきます。事件はなかなか起きませんが、不穏な空気を漂わせた物語は読み応え満点です。また、聖書をなぞったようなストーリー展開により、独特のサスペンス感を醸し出すことにも成功しています。そして、注目すべきは終盤の展開です。この出来事によってエラリー・クイーンの探偵物語は大きな岐路に立たされることになります。この辺りは本作だけでなく、次作の『九尾の猫』と合わせて読むとより感慨深いものになります。
九尾の猫(1949)
本作の舞台はニューヨークであり、厳密にいうとライツヴィルシリーズではありません。しかし、『十日間の不思議』を受けての物語となっており、シリーズを語るうえでの最重要作品ともいえます。まず、冒頭で『十日間の不思議』事件での失敗に打ちのめされているエラーリーの姿が描かれており、そこからいかにして復活を遂げていくかというプロセスが大きな読みどころとなっています。それに、今回エラーリーが対峙するのは、凡百の殺人犯ではなく、ニューヨークを恐怖のどん底に陥れている連続絞殺魔です。まるで、サイコサスペンスのような展開で、これまでのクイーン作品とは違った緊迫した空気が充満しています。それに、本作は、無関係としか思えない被害者同士の共通点を探り、犯人の真の動機を浮かび上がらせていく、ミッシングリンクものとして秀逸です。エラリー・クイーン中期の到達点というべき傑作です。
九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エラリイ・クイーン
早川書房
2015-08-21



『フランス白粉の謎』から『ドラゴンの歯』まで17長編を矢継ぎ早に発表した30年代に対し、40年代に発表した長編ミステリーはわずか5作品です。しかも、その内、4作品はより人間ドラマに力を入れたライツヴィルシリーズ及びその関連作品だったので、30年代の作品を彷彿とさせるパズラーミステリーはわずか1作きりということになります。最後に、その作品がどのようなものかを紹介していきます。

靴に棲む老婆(1943)
本作はエラリー・クイーンが初めて童謡殺人に挑戦した作品です。しかも、舞台になるのがキ印一家の住む大富豪の家といった具合に、この時期のクイーンとしては珍しく、クラシックなタイプのミステリーとなっています。ただ、サスペンスを盛り上げるには雰囲気がいささか軽く、まるで『Yの悲劇』のセルフパロディのようになっているのが残念です。一方、パズラーとしては一度解答が示されたのちにそれをひっくり返すという2段構えの構成が見事ですが、世界観が人工的でありすぎるため、今一つ事件を解決したというカタルシスに欠けるような気がします。決してつまらなくはないのですが、独特のノリになじめるかどうかによって大きく評価の分かれる作品だといえるでしょう。ちなみに、本作はエラリーの秘書として有名なニッキー・ポーターの初登場作品であり、そういう意味ではファンにとって見逃せない作品となっています。

靴に棲む老婆 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
1997-11



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