最新更新日2016/03/01☆☆☆

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シャーロックホームズが一大ブームとなってからはそれに追随する作品が次々と誕生し、名探偵が難事件を解決するというフォーマットが固まってきました。それに伴い、今まで通俗ロマンとの境が曖昧だった探偵小説というジャンルも、一気に謎解きの面白さに重きを置くようになり、本格ミステリの傑作が続出する土壌が整っていきます。
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1891年

ビッグ・ボウの殺人(イズレイズ・ザングルウィル)

おそらく、密室殺人をメインテーマに据えた世界初の長編ミステリー小説です。そのトリックはシンプルで使い勝手よいために、その後さまざまな作品でアレンジされて使用されています。そのため、今ではありきたりなトリックのひとつになってしまいましたが、当時としては画期的なアイディアでした。しかし、アイディア一発のトリックだけに頼った作品というわけでもありません。巧妙なミスディレクションといい、推理合戦で可能性を潰していくことによって不可能性を高める手法といい、この時代に書かれとは信じられないほどに近代的で洗練された本格ミステリです。ちなみに、日本ではミステリーファンの間でその名は知られていたものの、本作はずっとマイナーな存在でした。そのため、本格的な密室トリックを最初に扱ったミステリー小説と言えば1907年の『黄色い部屋の謎(黄色い部屋の秘密)』だという認識がしばらく続くことになります。

ビッグ・ボウの殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 サ 4-1)
イズレイル・ザングウィル
早川書房
1980-01T


1892年

シャーロックホームズの冒険
(アーサー・コナン・ドイル)
ホームズが活躍する短編小説は、1891年からストランド・マガジンに連載され、大変な評判を呼びます。それが単行本としてまとめられたのが本作で、『赤毛連盟』、『まだらの紐』、『唇のねじれた男』などの名作が目白押しです。ミステリーとして完璧に近い短編集で、本作の後世への影響は測り知れないものがあります。また、この作品を境に謎解きをメインとしたミステリーと言えば短編という時代がしばらく続くことになります。
シャーロック・ホームズの冒険 (角川文庫)
コナン・ドイル
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-02-25


1894年

シャーロックホームズの回想(アーサー・コナン・ドイル)
ホームズシリーズの第2短編集。出来は悪くないものの、1作目に比べるとパワーダウンは否めません。それよりも衝撃的なのは、この作品集がホームズの死によって締めくくられている点です。これは、歴史小説に本腰を入れるため、ホームズシリーズに見切りをつけたかったコナン・ドイルの意向によるものです。



1902年

バスカヴィル家の犬(アーサー・コナン・ドイル)
旅行中に魔犬伝説の話を聞いて触発されたドイルは、生前の未発表事件という形で久々にシャーロック・ホームズの新作を発表します。過去の長編2作と違って犯人の回想はなく、全編通して謎と怪奇に彩られた本作は、ホームズシリーズの最高傑作だと評判になりました。実際、本作が後世に与えた影響は大きく、近代的な長編ミステリーのひな型となった作品でもあります。ただ、未だ黎明期とあって長編一冊を維持するにしては謎と推理の要素が薄く、その点が現代読者には物足りないところです。


ダブリン事件(バロネス・オルツィ)
当時、売れない作家だったバロネス・オルツィが、シャーロック・ホームズの人気にあやかって雑誌連載を始めた隅の老人シリーズ。本作はその中の代表傑作のひとつです。
億万長者の死後に発見された遺言状は、浪費癖のある長男に財産の大半を贈り、彼が愛していた次男にはわずかな金額しか残さないという不可解なものだった。同じ日、彼の弁護士が公園で殺害される。このふたつの出来事の関連は?やがて、隅の老人の口から意外な真相が語られる。
1901年に『フェンチャーチ街駅の謎』で初登場した隅の老人は、一般的には安楽椅子探偵の起源とされていますが、実は足を使って証拠を集めたりとイメージ以上にアクティブです。しかし、本書では新聞の記事を読んだだけで真相を推理しており、安楽椅子探偵の名が伊達ではないことを証明しています。また、隅の老人は他の探偵たちと違い、話し相手のポリー・パートン記者に推理を披露するだけで、警察に協力して犯人を逮捕しようという気が一切ありません。したがって、ポリー女史に話した推理が果てして本当に真相なのかも実際のところは不明なのです。その曖昧さが、逆に独特の雰囲気を作品にまとわせています。
その後、作者のパロネス・オルツィはフランス革命を題材にした歴史ロマン『紅はこべ』シリーズを発表し、一躍売れっ子作家になっていきます。

隅の老人【完全版】
バロネス・オルツィ
作品社
2014-01-31


1905年

シャーロック・ホームズの帰還(アーサー・コナン・ドイル)
『バスカヴィル家の犬』を発表したことでホームズ完全復活の要望が高まり、それに応える形でドイルは1903年からストランド・マガジンでシリーズの連載を再開します。最後の事件で、ホームズは死を装って身を隠していたという設定にして復活を果たしたのです。そして、連載作品を短編集としてまとめたのが本作で、『踊る人形』『六つのナポレオン』『金縁の鼻眼鏡』といった代表作が収められています。ドイルも筆が乗っていたのか、シリーズを終わらせがっていた前作の『回想』よりも短編集としての完成度は高いものになっています。


13号独房の問題(ジャック・フットレル)
シャーロックホームズの登場から20年近くたって登場した手強いライバル、思考機械ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドーゼン教授のデビュー作品です。トリッキーな作品が多い思考機械シリーズですが、本作では脱走不可能といわれた独房からいかにして抜け出すかというとびっきりの不可能状況を用意しています。トリックもなかなか凝っていて、本格ミステリ発展期を代表する短編作品と言えるでしょう。作者のフィットレルは歴史小説や恋愛小説などを手掛ける傍ら、思考機械シリーズをコンスタントに発表していきましたが、1912年にタイタニック号に乗船し、帰らぬ人となりました。享年37。
思考機械【完全版】第一巻
ジャック フットレル
作品社
2019-05-10


1907年

赤い拇指紋(オースティン・フリーマン)
シャーロック・ホームズの後追いで創出された数多くの名探偵の中でも、最大のライバルと言われたソーンダイク博士のデビュー作。ダイアモンド盗難事件の現場に血染めの指紋が残されていたために逮捕された男の冤罪を晴らすべくソーンダイク博士が立ち上がるといった物語です。ソーンダイクシリーズは、当時の最新科学を駆使したトリックで高い人気を博しましたが、それ故に今読むと古臭さが目立ちます。また、フリーマン自身はミステリーにおけるフェアプレイを主張していましたが、科学トリックメインの彼の作品は専門知識がないと推理のしようがないという難点があります。この辺りは、日本本格ミステリの父である甲賀三郎との共通する部分です。本作も当時としては最新捜査技術だった指紋をクローズアップしていますが、今となっては指紋トリックで長編1冊を支えるのは少々苦しいものがあります。



1908年

黄色い部屋の謎(ガストン・ルルー)

スタンガーソン博士の娘が眠っている部屋で突如銃声と悲鳴が響き渡る。内側から鍵がかけられたドアを破壊して中に入ると、部屋は荒らされ、その中に血まみれになった娘が倒れていた。彼女を襲った犯人は一体どこに消えたのか?
1909年に新聞連載が始まった『オペラ座の怪人』でも有名なフランスの作家ガストン・ルルーによる本格ミステリ。その強烈な謎と工夫を凝らしたトリックによって、本書は密室ミステリーの古典的名作の地位を確立しました。1909年には本作の続編である『黒衣夫人の香り』が発表されますが、こちらは謎解き要素に乏しく、冒険小説に近い作品です。
黄色い部屋の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
ガストン・ルルー
東京創元社
2020-06-30


1909年

手がかり(キャロリン・ウェルズ)
名探偵フレミング・ストーンの初登場作にして、女流ミステリー作家ウェルズのデビュー作。フレミング・ストーンはこの後70作以上の長編ミステリーに登場し、当時は「もっとも多くの長編作品に登場した名探偵」と言われていました。
画像データなし

1911年

ブラウン神父の童心(G・K・チェスタトン)
シャーロック・ホームズのブレイク以来、次々と登場したフォロワー作品たち。その中で、不朽の名作『シャーロック・ホームズの冒険』に唯一肩を並べ得るミステリー短編集が本書です。探偵役のブラウン神父は、見た目こそ小柄で冴えない男ですが、鋭い観察眼を持っており、奇妙な事件の中から得意の逆説を用いて思いもよらぬ真相をあぶり出していきます。そのプロセスが実にスリリングです。ブラウン神父シリーズは本書以外に、『ブラウン神父の知恵(1914)』、『ブラウン神父の不信(1926)』、『ブラウン神父の秘密(1927)』、『ブラウン神父の醜聞(1935)』とあり、全部で5冊発売されています。良作揃いではありますが、その中でも本書は出色です。『見えない男』、『奇妙な足跡』、『秘密の庭』、『折れた剣』など名作短編がずらりと並んでいます。

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)
G・K・チェスタトン
東京創元社
2017-01-12


1913年

トレント最後の事件(E・C・ベントリー)
世間一般には、探偵小説に恋愛要素を取り入れた作品と喧伝されていますが、この作品の主眼はそこにはありません。名探偵と言えば、すべてを見通す神のごとき存在だった時代において、そのテンプレートを破壊して皮肉ったところに独特の面白味があります。後のアントニー・バークリーの趣向を思わせるアンチーミステリーの傑作です。また、本書は、短編中心だった推理小説が長編に転換するきっかけとなった作品とも言われ、ミステリー史を語る上でも重要な位置を占めています。ちなみに、ベントリーは本書の23年後に『トレント自身の事件』を発表し、名探偵トレントを復活させますが、こちらの評判は芳しくなかったようです。

トレント最後の事件【新版】 (創元推理文庫)
E・C・ベントリー
東京創元社
2017-02-19


1915年

恐怖の谷(アーサー・コナン・ドイル)
シャーロック・ホームズの長編としては4作目にして最後の作品です。ただし、作中の時系列としては、『シャーロックホームズの回想』でホームズがモリアーティ教授と対決する以前の物語となっています。『バスカヴィル家の犬』では一度は捨てた事件編と過去編との2部構成を再び採用しており、この時代のミステリーとしては、なんとも時代遅れな印象です。4つの長編の中では比較的マイナーな存在であり、実際に読んでみてもホームズの存在感が薄く、事件もあっさり解決してしまうので物足りなさを感じてしまいます。ただし、事件が解決した後に語られる過去の因縁話の方がすこぶる良い出来です。アメリカの炭鉱町を舞台にしたハードボイルド風の物語はサスペンスたっぷりで、最後のどんでん返しも鮮やかに決まっています。ホームズと関係のない部分での面白さなのでクローズアップされることは少ないですが、シリーズの隠れた傑作だと言えるでしょう。
恐怖の谷 (角川文庫)
コナン・ドイル
KADOKAWA
2019-10-24


1917年

シャーロック・ホームズ最後の挨拶(アーサー・コナン・ドイル)
シーリズの第4短編集。本書でドイルは、ふたたびホームズシリーズの幕引きをしようと試みます。末尾に収録された『最後の挨拶』では、第一次世界大戦直前のイギリスを舞台に老境に達したホームズの姿が描かれています。ミステリー黄金期を直前に控えた時期であり、ホームズの物語もさすがに時代遅れになりつつありました。本書も往年の作品と比べるとクオリティの低下が目立っており、確かにこの辺りが潮時だったのかもしれません。しかし、実際には、本書はホームズ物語の完結編とはならず、10年後に5冊目の短編集が出版されることになります。
1918年

アブナー伯父の事件簿(M・G・ポースト)

アメリカの作家・ポーストが生み出したアブナー伯父は、同時代のイギリスの名探偵たちと比べると異質です。牧場を営む大柄な男で、もめごとがあれば推理するより先に手が出るようなタイプに見えます。しかし、実際は信仰心が篤く、論理的な思考によって難事件を解決に導いていくのです。また、小説の舞台が西部開拓時代というのも上流階級の屋敷で起きた殺人事件を扱ってきた従来の英国探偵小説とは少々毛色が異なります。
本書は1911年からサタデー・イブニング・ポストに連載されていたものを1冊にまとめたものです。現代の目から見ると、読者が推理するための十分な情報が提示されておらず、本格ミステリとして物足りない部分があります。しかし、それを差し引いても、25ページほどの短い物語の中でアブナー伯父が小気味良いテンポで事件を追及していき、解決に導く鮮やかな手並みは物語として面白く、ポーストの作家としての熟練の技を感じさせます。ミステリ小説不毛地帯だった当時のアメリカの中では、一歩抜き出た存在だといえるでしょう。ただ、日本語版は、シリーズ最高傑作との呼び声も高い『ドゥーム・ドルフ事件』が出版社の都合で未収録なのが残念なところです。



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