物語良品館資料室

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最新更新日2024/01/08☆☆☆

ポール・アルテはフランスのディクスン・カーと称され、西洋のミステリー作家としては今時珍しい極めてクラシカルなタイプの本格派です。商業デビューは1987年と日本の新本格ブーム到来と同じ年なのも因縁めいたものを感じます。ちなみに、日本でディクスン・カーのような作風というと二階堂黎人、加賀美雅之、柄刀一の3氏辺りが想起されますが、ポール・アルテの場合はどのような作品を発表し、その出来はどうなのでしょうか。これまで日本で紹介されている作品について解説をしていきます。
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第四の扉(1987)
オックスフォード近郊に建っている屋敷では数年前に奇怪な事件が起きていた。そこに住んでいた夫人が屋根裏部屋で全身を切り刻まれて殺されていたのだ。しかも、現場は内側から鍵がかけられており、完全な密室状態だった。その事件以降、屋敷には幽霊が出るという噂が広まっていた。しかも、霊能力を持つと称する夫婦が引っ越してくると、再び奇怪な事件が起き始める。隣人が何者かに襲われ、その息子が失踪。しかも、彼は数日後の同時刻に全く別の場所で目撃される。そして、ついに新たな殺人事件が起きる......。
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著者の商業デビュー作にして、シリーズ探偵であるツイスト博士の初登場作品です。250ページほどの短い物語の中で不可思議な出来事が次々起き、魅力的な謎が盛りだくさんの前半は非常によくできています。しかし、新人にありがちなアイディアの詰め込み過ぎで後半の解決編がごちゃごちゃしすぎているのが難だといえます。肝心の密室トリックも決して独創的なものとはいえず、カー以上のものを期待していると肩すかしをくらうでしょう。しかし、本作の神髄は個々のトリックよりもストーリー全体に仕掛けられたプロット上の罠にあります。まるで世界が反転するような感覚を味わえるどんでん返しはなかなかに見事です。さらに、ラストで炸裂する文字通りの最後の一撃にもかなりの衝撃を味わうことができます。ちなみに、本作はフランスのミステリー新人賞であるコニャック・ミステリー大賞を受賞しています。日本ではあまりなじみのない賞ですが、これはピエール・ルメートルが2006年にデビュー作「悲しみのイレーヌ」で受賞したのと同じ賞です。
2003年度このミステリーがすごい!海外部門4位
2003年度本格ミステリベスト10 海外部門1位
第四の扉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ポール アルテ
早川書房
2018-08-21


死が招く(1988)
内側から鍵のかかった密室の中でミステリー作家が死体となって発見される。しかも、煮えたぎった鍋の中に顔と両手を突っ込み、その手には銃が握られているという異様な状態だった。さらに、その状況は作家が構想中だったミステリー小説「死が招く」と全く同じであることが明らかになる。
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1920年代のイギリスを舞台にしたツイスト教授シリーズの第2弾。短い物語の中で奇怪な事件が次から次へと起こるのは1作目と同じです。そのため、スピーディでテンポがよい反面、詰め込み過ぎで消化不良を起こし気味なのも前作と共通しています。密室トリックも新味に欠け、それほど感心できるものではありません。そのうえ、全体的に装飾過多であり、大して意味のない謎や演出が多々あります。しかし、その反面、2転3転の末に意外な犯人にたどり着くフーダニットとしての仕掛けはなかなか秀逸です。フランスのディクスン・カーと呼ばれ、自身もカーを愛してやまないポール・アルテですが、こうして見るとカー的な要素は単なる装飾にすぎず、その本質はどちらかというとクリスティのようなプロットで読ませるタイプの作家である気がします。

2004年度本格ミステリベスト10 海外部門1位
死が招く (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMア 19-2)
ポール・アルテ
早川書房
2022-07-20


赤い霧(1988)
1887年英国。シドニー・マイルズは10年前の密室殺人を解決するために、新聞記者を装って故郷の村へと帰ってきた。しかし、当時の関係者の協力を得て本格的な調査を始めようとした矢先に新たな事件が起きる。
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ツイスト教授シリーズを2作続けたアルテですが、3作目はノンシリーズの独立作品となっています。舞台もツイスト教授が活躍する時代よりさらに半世紀ほど昔です。相変わらず密室殺人の謎を解くという物語であるのになぜ独立した作品にしたのかと思っていると途中から意表をついた展開になります。最初の事件はページ半ばで解決してしまい、それから全く趣向の異なる物語が始まってしまうのです。これをトリップ感覚満点のカルト小説ととるか、構成がチグハグな失敗作と解釈するかで評価は変わってくるでしょう。ちなみに、密室トリックは全く評価できないのでそれを期待して読むと肩すかしをくらうことになります。かなり異端というべき作品ですが、本国ではフランス冒険大賞を受賞しています。この賞はフランス人作家以外でも受賞ができるのが特徴であり、アルテの前年度に受賞したのは英国作家のピータ-・ラヴゼイ、翌年に受賞したのが日本人作家の夏樹静子です。

2005年度このミステリーがすごい!海外部門11位
2005年度本格ミステリベスト10 海外部門1位
1988年度フランス冒険小説大賞受賞


カーテンの陰の死(1989)
マージョリー・コンウェイは深夜の街角で殺人の現場を目撃する。帽子を目深に被って顔を隠した男が女性を刺殺して頭皮を剥いでいたのだ。とっさに逃げ出したマージョリーは何とか下宿にたどり着くが、今度はそこで殺人犯と同じ服を身に付けた人物を目撃する。下宿に住む人々はみないわくありげな人物ばかりだがその中に殺人犯がいるというのだろうか?疑心暗鬼に駆られる中、住人の一人がカーテン越しの密室で刺殺されるという事件が起きる。
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本作では得体のしれない住人が同じ屋根の下で暮らしているという下宿ものというべきジャンルを扱っており、その奇怪な導入部にはかなり引き込まれるものがあります。また、
75年前の同様事件との絡ませ方やエピローグの仕掛けといったプロットの巧さはさすがです。しかし、一方で、本格ミステリとしてはかなり問題のある作品です。特に、強烈な謎に対してトリックの質が追い付いていないといういつもの欠点は、本作においては看過できないほどのレベルに達しています。密室殺人のトリックが明らかになった時にはそのあまりの適当さに多くの人が脱力感を覚えるはずです。それ以外にも、思わせぶりなシーンに大した意味がないものが多く、読み終わった時のがっかり感は相当なものです。全体的に、アルテの特徴が最も悪い形で表出した作品だといえるでしょう。
2006年度本格ミステリベスト10 海外部門3位


狂人の部屋(1990)
ハットン荘の呪われた部屋。そこは100年前に奇怪な事件が起きた場所だ。その事件というのが、引きこもりの文学青年が謎の死を遂げたというものだった。死因は全くの不明で、現場の床の絨毯がびっしょりと水で濡れていたという。そして、開かずの間となっていたその部屋を100年ぶりに開けた途端に怪異が襲いかかる。当主ハリスが不可解な状況で窓から落ちて死に、その直後に部屋を見た彼の妻が意識を失う。部屋の絨毯は100年前と同じように水で濡れていた。果たしてこの部屋には一体何があるというのだろうか?
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ツイスト教授シリーズ第4弾にして現時点での最高傑作と名高い作品です。アルテの作品は謎の強烈さに対してトリックのしょーもなさ、粒の小ささが欠点として挙げられてきましたが、本作は(ところどころ無理矢理感はあるものの)謎に対する絵解きがきれいに決まっています。特に、本作の最大の仕掛けというべき予言の処理の仕方は秀逸です。エピローグをプロローグにうまく絡ませたプロットも見事です。その上、全体を覆う怪奇ムードも作品を盛り上げることに成功しており、フランスのディクスン・カーの名に恥じない力作となっています。
2008年度このミステリーがすごい!海外部門7位
2008年度本格ミステリベスト10 海外部門1位


虎の首(1991)
休暇から帰ってきたツイスト博士をハースト警部は疲れた顔で出迎えた。郊外の村とロンドン駅で女性の腕と足の入ったスーツケースが発見されたのだという。ハースト警部からの捜査協力の要請を快諾するツイスト博士だったが、すぐに顔色が変わる。自分のスーツケースがいつの間にかすり替えられており、中なら女の首が出てきたのだ。一方、事件の発端となった村ではインド帰りの軍人が密室で殺害される。目撃者の話では犯人は杖から出現した魔神だというが......。
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いつにも増して怪奇色の強い一作です。そして、次々と不可解な謎が現れる前半の展開は安定した面白さがあります。ただ、やはりこの作品もトリックは小粒で無理があります。また、偶然の要素が大きいのもマイナス点です。総合的にはシリーズの中でも下位に位置する作品ですが、ラストにおけるツイスト博士のダークな行動はなかなか衝撃的です。多くの人は事件の真相よりもそちらの展開の方が印象に残るのではないでしょうか。
2010年度本格ミステリベスト10 海外部門3位
虎の首 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1820)
ポール・アルテ
早川書房
2009-01-09




七番目の仮説(1991)
1938年の夏の夜に巡回中の警官が奇妙な格好をした男たちを目撃する。つばの長い帽子とくちばしのついた白い仮面はまさに中世のペスト医者そのものだった。彼らはゴミ箱を漁っており、警官がそれをとがめて尋問するがゴミ箱に異常な点はなかった。ところが、その後もう一度ゴミ箱の蓋を開けるとさきほどなかったはずの死体が姿を現したのだ。しかし、その奇怪な出来事はまだ一連の事件の序章にすぎなかった。
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奇怪な事件が次々起きる序盤の展開は相変わらずの安定度。事件の異様さを強調して読者を作品世界に引きずり込んでいく手管はさすがです。一方、トリックの安易さも相変わらずで事件の謎が物語の早い段階で解明されてしまうのも腰砕けです。しかし、事件の焦点は不可能犯罪から「犯人は一体何をたくらんでいるのか」というホワイダニットの問題へとシフトしていきます。この謎に対するアプローチはなかなか面白く、第2部で
ハースト警部が6つの仮説を挙げるところから
終盤で犯人とツイスト博士が心理的対決を繰り広げる場面までダレることなく読むことができます。数多くの突飛な謎を一つの答えへと収斂させるプロセスも手際よく、前半のごちゃごちゃした部分を除けばなかなかの佳作だといえるでしょう。
2009年度本格ミステリベスト10 海外部門3位
殺す手紙(1992)
終戦直後のロンドン。空襲で妻を亡くし、働く当てもないラルフは無為な日々を過ごしていた。しかし、ある日、親友のフィリップから奇妙な指示が書かれた手紙を受け取る。その意図を図りかねながらも彼は指示通りに行動するが、警官隊に踏み込まれたり、死んだはずの妻に再会したりと次々と予想外の出来事に遭遇するのだった。一体何が起こっているのだろうか。
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ツイスト博士が登場しないノンシリーズものであり、前半は本格ミステリというよりも巻き込まれ型サスペンスといった趣向になっています。次々起きる意外な事件に翻弄されながら、ようやく全体の構図が見え始めた時にフーダニットの本格ミステリに移行する構成になっており、読者を飽きさせません。密室殺人が起こらないのがアルテらしくなくて肩すかしな面もありますが、しょぼいトリックにがっかりすることもないので逆にまとまりがよくなったともいえます。一方、ポール・アルテのマニアックな作風とある程度のリアリティが必要なサスペンスミステリーとでは水と油なところがあり、作り物めいた物語になってしまったのはややマイナス点です。しかし、テンポがよく、さらっと読めてしまうので全体としてはまずまず楽しめる作品だといえるでしょう。

2011年度本格ミステリベスト10 海外部門6位


死まで139歩(1994)
1940年代末の英国。法学士のネヴィル・リチャードソンは4月のある夜に美しい女性に出会うも彼女は暗号めいた不吉な言葉を残してロンドンの夜に消える。一方、中年男のジョン・バクストンはメッセンジャーとして雇われるがその仕事は手紙を届けて別の手紙を持ちかえるという不可解なものだった。この2つの謎はツイスト博士のもとに持ち込まれるが、両者には奇妙な共通点があった。いずれも、しゃがれ声の怪人が絡んでいるのだ。調査に乗り出したツイスト博士は怪人の電話に導かれ、郊外の異様な屋敷へとたどり着く。その屋敷の中には139足もの靴が並べられており、さらには亡くなってから何年もたっていると思われる遺体が出現する。それは埋葬されたはずの屋敷の主人だった。しかし、扉は全て施錠され、床一面にホコリが堆積している状況のなか、一体どのようにして痕跡を残さずに死体を運び込んだというのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
ミステリ作家の故・殊能将之が生前に『狂人の部屋』と並ぶポール・アルテの最高傑作と評した作品であり、実際、本作にはこれでもかというほどにミステリとしての魅力が詰め込まれています。なかでも目を引くのが次々と現れる奇怪な謎の乱れ打ちです。近年の海外ミステリーでここまで謎が魅力的な作品はちょっと例がないのではないでしょうか。それに加えて、探偵小説論議や密室講義なども取り揃えられており、本格ミステリ好きにとっては至れり尽くせりの贅沢な逸品となっています。一方、実際に作中で使用されたトリックは小粒なものの寄せ集めといった感じで、そこに期待しすぎると肩すかしを覚えるかもしれません。その代わり、靴を集めた理由がぶっとんでおり、ホワイダニットものとしてかなりのインパクトです。終盤で明らかになる真相の意外性も申し分なく、最初から最後まで〝ザ・本格”といった作品に仕上がっています。ただし、犯行に要した労力とそれによって得ることのできる効果のバランスがとれておらず、リアリティを著しく欠いている点は否めません。サービス精神と発想のユニークさでは群を抜いているだけに、リアリティの欠如をどれだけ許容できるかで評価が分かれてきそうです。
2023年度本格ミステリベスト10 海外部門5位
死まで139歩 (ハヤカワ・ミステリ)
ポール アルテ
早川書房
2021-12-02



混沌の王(1994)
芸術家の卵である青年・アキレス・ストックは探偵オーウェン・バーンズからやっかいな頼みごとを押しつけられる。依頼人の婚約者になりすまして名家であるマンスフィールド家の様子を探ってほしいというのだ。その家では過去に当主の息子が殺されたうえに犯人が忽然と消える事件が起きており、マンスフィールド家の面々は混沌の王の影に怯えていた。混沌の王とはこの地に伝わる白い面をつけた亡霊であり、今でも目撃証言が跡を絶たなかった。やがて、混沌の王を鎮めるための交霊会が開かれるが、その夜に新たな殺人が起き…。
◆◆◆◆◆◆
ツイスト博士に続く第2のシリーズ探偵、オーウェン・バーンの初登場作品。ちなみに、犯罪学者の肩書きを持つツイスト博士に対してバーンは美術評論家の顔を持つアマチュア探偵です。時代設定もツイスト博士シリーズが1930年前後が主な舞台なのに対して、本作は1900年前後という違いがあります。しかし、不気味な伝説を背景に奇怪な事件が次々と起きるという作風はどちらのシリーズも共通しており、大きな違いはありません。そうなると、気になるのは作品の出来映えですが本作に関してはまずまずといったところでしょうか。なかには肩透かしに感じる真相も含まれているものの、謎とトリックのつるべ打ちは圧巻です。特に、幽霊出現のトリックはバカミスながらインパクトがあります。加えて、伏線回収もなかなかに巧みです。ただ、派手なストーリーの割に演出が淡泊で盛り上がりに欠ける点が惜しいところ。
2022年度本格ミステリベスト10 海外部門9位


赤髯王の呪い(1995)
1948年。ロンドンでコックの修行をしていたエチエンヌは兄から衝撃的な内容の手紙を受け取る。16年前に赤髯王ごっこをして遊んでいた折りに、ドイツ人少女のエヴァが密室状態の物置小屋で呪い殺されたのを目撃したというのだ。その後、夜の電話ボックスでエヴァの亡霊を目撃したエチエンズは友人から紹介された犯罪研究者のツインズ博士に相談をする。
◆◆◆◆◆◆
本作はもともと1986年に私家版として出版されたものを改めて出版し直したもので、実質的なポール・アルテのデビュー作です。しかも、この作品は当初、ディスクン・カーのフェル博士を探偵役に据えようとしたものの、権利関係の許可が取れなくて断念したという経緯があります。つまり、この作品は元々ディスクン・カーの世界を再現しようとして書かれた作品なのです。そのため、不可能犯罪と怪奇趣味のつるべ打ちといった具合にカーの特徴が誇張された形で再構成されています。この辺りはカーファンにとってはたまらないのではないでしょうか。しかし、1作品に不可能犯罪を4つも5つも盛り込んでそのすべてが高水準ということがありえるはずもなく、メインの1つを除いてはすべ拍子抜けレベルのものばかりです。メインのトリックはさすがによく考えられていますが、特に目新しいものではなく、カーの代表作品クラスとは比べるべくもありません。一方で、謎めいた事件や怪奇趣味といった雰囲気作りは悪くないのでカーの初期作品レベルの再現と思えばそれほどがっかりすることもないのではないでしょうか。また、本作には表題作以外にもツイスト博士ものの短編が3つ収録されており、ファンにとっては必読の書となっています。
2006年度本格ミステリベスト10 海外部門3位


殺人七不思議(1997)
20世紀初頭のロンドン。探偵のオーウェン・バーンズと友人のアキレス・ストックは2つの不思議な事件について話し合っていた。一つは誰も入れないはずの灯台で灯台守が焼死した事件、もう一つは衆人環視の中で虚空から現れた矢に射抜かれて命を落とした貴族の事件だった。しかも、これらの事件には警察に対して挑戦状が送りつけられていた。やがて、容疑者として2人の男性が浮上する。彼らは資産家の息子と新進気鋭の画家で、とある令嬢を巡る恋敵だった。その令嬢は彼らに対して「私を愛しているのなら人を殺してみせて。それも美しい連続殺人を」と言ったというのだが......。
◆◆◆◆◆◆
日本では3作目の邦訳となるオーウェン・バーンズシリーズの第2弾です。本作では7つの連続見立て不可能犯罪が扱われており、ポール・アルテの諸作の中でも趣向の派手さという点では群を抜いています。ただ、あまりにも詰め込み過ぎた結果、小説としての膨らみが十分ではなく、問題の提示と種明かしの解説に終始している感があるのは残念です。また、トリック自体もそれほど感心できるものではありません。七不思議というプロットを成立させるために無理矢理7つのトリックを捻出した結果、すぐにばれそうな安易な仕掛けが目立ってしまっているのです。それでも、その趣向から醸し出される幻想的な味わいには捨てがたい魅力がありますし、枯れ木も山の賑わい的なトリック群の中には感心できるものもいくつか散見できます。それになんといっても、この稚気満面な作風は現代の欧米ミステリーにあっては非常に貴重です。そういう意味では、単なる駄作と切って捨てるには惜しい作品だといえるでしょう。
2021年度本格ミステリベスト10 海外部門3位


あやかしの裏通り(2005)
1900年代初頭のイギリス。アメリカ外交官のラルフは警察官に脱走犯と勘違いされ、夜の街を逃げ回ることになる。やがて、彼は見知らぬ裏通りに迷い込み、そこで殺人の現場を目撃する。一度は逃げ出したものの、大切なライターを忘れてきたことに気が付き、恐る恐る戻ってみると先ほどまであったはずの裏通りが忽然と消えてなくなっていたのだ。ラルフはあまりのことに驚愕し、名探偵と名高い旧友のオーウェン・バーンズに助けを求めるが........。
◆◆◆◆◆◆
2010年以降音沙汰のなかったアルテ作品が8年ぶりに出版されました。しかも、今回はおなじみのハヤカワポケットミステリではなく、行舟文化という聞き慣れない出版社です。探偵役もツイスト博士ではなく、オーウェン・バーンになっており、こちらも本邦初公開です。しかし、ポール・アルテの作風はいささかも変わっていません。次々と魅力的な謎が現れ、摩訶不思議な物語がテンポよく語られていきます。以前のアルテなら謎の面白さに対して真相のショボさにがっかりすることも多かったのですが、本作はプロットがしっかりしており、伏線をうまく回収しながら意外な真相へと導いてくれます。作家的な成長が感じられる佳作であり、8年間待った甲斐があったというものです。トリックが少々複雑すぎるという難はあるものの、これは『第四の扉』や『狂人の部屋』と並ぶアルテの代表作といってもよいでしょう。なお、
行舟文化はこれからもオーウェン・バーンズシリーズの出版を続けていくということなのでそちらの方も楽しみです。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門6位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門2位


吸血鬼の仮面(2014)
森の奥に位置する小さな村は、夜ごと目撃されるマントの怪人と幽霊騒動によってパニック状態に陥っていた。そして、その元兇と目されているのが数年前に村に引っ越してきたドリアン・ラドヴィック伯爵だった。彼はこれまでに2人の妻を亡くしているのだがいずれも不審な死に方をしており、現在は3人目の妻と暮らしている。その亡くなった妻が蘇ったという噂が広まり、真偽を確かめるために納骨堂の棺を検めることになる。だが、1年前に死んだはずの女の遺体は直前まで生きていたように瑞々しかった。一方、ロンドンでは名探偵オーウェン・バーンズのもとに老人の変死事件を調査してほしいとの依頼が舞い込み…。
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アルテ作品のなかでも特に怪奇色の強い作品であり、ホラーの定番要素を片っ端から詰め込んでいます。提示される謎に関しても腐らない死体や鏡に映らない男といった具合に怪異じみたものが多く、物語のサスペンス度はかなりのものです。ただ、トリックに関しては独創性に乏しいうえに無理のあるものばかりで正直パッとしません。それよりも、事件の背景についての解明がミステリーとしてよくできています。終盤における伏線回収やどんでん返しも鮮やか。全体的に粗が多くて傑作とは言い難いものの、凡作と切って捨てるには惜しい作品です。


金時計(2019)
1911年冬。輸入会社の社長であるヴィクトリア・サンダースは双子の弟や副社長といった身内を別荘に招待する。だが、みな一癖も二癖もある人物であり、一行の集まった別荘は不穏な空気に包まれていた。そんな中、ヴィクトリアが他殺死体となって発見される。現場は閉ざされた森の中であり、犯人のものらしき足跡はない。完全な雪の密室だった。一方、1991年の初夏。劇作家のアンドレ・レヴィックは極度のスランプに陥っていた。子どものころ見た映画のタイトルが思い出せず、それが強迫観念となって創作を妨げているのだ。そこで、近所に住む哲学者で映画マニアのアロー博士に協力を求め、一緒に映画探しを始めるのだが......。
◆◆◆◆◆◆
本作は1994年の第1弾以来数年ごとに発表を続けているオーウェン・バーンズシリーズの第7弾です。相変わらず不可能犯罪を中心とした作風で、雪密室のトリックは新鮮味こそないものの、緻密でよく考えられています。しかし、それよりも何よりも驚くべきは、オーウェン・バーンズのパート以外に80年後の世界を描いたパートが用意され、その2つが思わぬところでつながっていく点です。この意表を突いた展開には驚かされます。まさに怪作という言葉がピッタリの異形の佳品です。ちなみに、同時収録の『花売りの少女』にも足跡トリックが用いられており、こちらもなかなかよくできた作品に仕上がっています。
2020年度本格ミステリベスト10 海外部門5位


あとがき
ポール・アルテの作風には他の多くのフランスミステリーと同様に、雰囲気優先でトリックの創出やロジカルな筋立ては二の次といったところが見受けられます。そのため、新本格を読み慣れた人にとっては物足りなく感じる部分があるのは確かです。実際、不可能犯罪の名手のような触れ込みだったのに、密室トリック自体に感心できるような作品はほぼ皆無です。しかし、フランスでこのような作風の作家が存在しているという事実は、本格好きな人にとっては、それだけでうれしいものではないでしょうか。また、日本の新本格との共通点、相違点をチェックしながら読んでみるのも一興です。チャレンジしてみるのなら、まずは世評の高い「第四の扉」「狂人の部屋」辺りから始めることをおすすめします。ちなみに、アルテの作品は長編小説だけで40作を超えており、日本で紹介されているものはそのほんの一部にすぎません。作品の翻訳も2010年以降ストップしているだけに、新しい動きに期待したいところです。
※追記:早川書房の続刊はストップしたままですが、代わりに2018年から
オーウェンシリーズの刊行が始まっています。→早川書房のツイストシリーズも2021年に『死より139歩』が発売され、11年ぶりのシリーズ再開となっています。




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最新更新日2023/03/01☆☆☆

Next⇒【吹雪の山荘】クローズドサークル・ミステリーの歴史 平成編【嵐の孤島】

脱出不可能な閉鎖空間に閉じ込められ、一人また一人と殺されていく。サスペンスたっぷりのムードの中で繰り広げられるクローズドサークルは本格ミステリの中でも密室殺人と並ぶ人気テーマです。ところが、調べてみると古典と呼ばれる作品の中にはクローズドサークルをテーマにした作品がそれほど存在しないことに気づかされます。急速に数が増えていったのは日本で新本格ブームが起こってからなのです。要するに、これは近年における本格ミステリのあり方の問題なのでしょう。新本格ブーム以降の本格ミステリは刑事が探偵役を務めることがめっきり少なくなりました。かといって、大昔の探偵小説のように私立探偵が警察と協力関係を結んで捜査を行うのも無理があります(まあ現代でもそういった作品はありますが)。それに、下手に警察による科学捜査を導入されてはせっかく考えたトリックを実行するのも困難になってしまいます。その点、警察に介入される心配のないクローズドサークルを舞台にしてしまえば犯人と探偵の知恵比べが思う存分できるというわけです。そう考えれば、新本格ブーム以降の国内ミステリーが異様にクローズドサークルをテーマにした作品が多いのもある意味必然だといえるでしょう。実際、クローズドサークルという言葉が頻繁に使われるようになったのは1987年に「十角館の殺人」が発表されて以後のことだという話です。そこで、新本格
以前におけるミステリーサークルの実態を知るために、昭和の時代に発表されたクローズドサークルミステリーにはどのようなものがあるのかについて調べてみました。
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1934年(昭和5年)

姿なき招待主(グウェン・ブリストウ&ブルース・マニング)
差出人不明の奇妙な電報によって摩天楼の最上階に集められた8人の街の名士たち。正体不明の招待主は刺激的な一夜を約束していたが、実際に始まったのは命を賭けたゲームだった。突然、ラジオから招待主の声が響き、これから行うゲームに勝たなければ1時間に1人ずつ死ぬことになると告げられる。しかも、出入り口は高圧電流が仕掛けられており、脱出は不可能だった。密室の中で繰り広げられるデスゲーム。果たして犯人は誰なのか?そして、その目的は?
以前、「世界初のクローズド・サークルミステリーはおそらく1934年発表の『シャム双生児の謎』だろう」と私見を述べたものの、海外ミステリーの翻訳が進んだことでこの仮説はあっさりと覆されてしまいました。1930年に発表された本作は『シャム双生児の謎』よりも明らかにクローズド・サークルミステリーの典型的な特徴を備えています。そのため、クローズド・サークルミステリーの完成形である『そして誰もいなくなった』の元ネタではないかとも囁かれているのです。確かに、両者を読み比べてみると、「謎の人物におびき寄せられる登場人物たち」「全員を集めての犯行予告」「一人一人順番に殺されていくことで醸し出されるサスペンス」といった具合に共通点は少なくありません。それでは作品の出来はどうかというと、古典ミステリーの最高峰との呼び声高い『そして誰もいなくなった』と比べれば、さすがに完成度は一歩も二歩も劣ります。トリックはご都合主義に感じる部分がありますし、結末もインパクト不足は否めません。しかしながら、不気味な招待主の存在や繰り広げられる殺戮ショーによってサスペンスが高まっていくくだりはかなりの面白さです。どちらかといえば、謎解きよりもサスペンスを重視した作品だといえるのではないでしょうか。
姿なき招待主(ホスト) (海外文庫)
グウェン・ブリストウ&ブルース・マニング
扶桑社
2023-12-02


1934年(昭和9年)

シャム双生児の秘密(エラリー・クイーン)
自動車での旅行中、クイーン親子は山火事に巻き込まれ、命からがら山頂にある山荘に逃げ込んだ。そこには外科医の博士とその家族が住んでおり、クイーン親子は山火事が収まるまでの間、山荘に滞在することになる。ところが、その夜、エラリー・クイーンは蟹のような不気味な生き物を目撃し、しかも翌朝になると博士が銃によって殺害されているのが発見される。そして、死体の手には破られたスペードの6が握られていた。山火事が山頂に迫りくる中、果たしてエラリー・クイーンは真相にたどりつくことができるのだろうか?
本作は、おそらく世界で最初に書かれたクローズド・サークルミステリーです(その後、1930年発表の『姿なき招待主』が翻訳され、この説は誤りだったことが判明)。ただ、当時はそうしたジャンル自体が存在していなかったため、閉鎖空間で起きた殺人事件をサスペンスで盛り上げようという意識は希薄です。第2の殺人が起きても登場人物に殺人犯に対する危機感はそれほど感じられません。その代わり、本作品を盛り上げているのは山火事の存在です。殺人犯よりも刻一刻と迫ってくる炎が作品全体に緊張感を与えています。一方、クイーンの推理は本作においては冴えがありません。メインの謎となるダイイング・メッセージを巡る推理は二転三転し、大火が迫る中、犯人探しを行うこと自体が無意味なのではないかとぼやく始末です。ある意味、本作は後期クイーン問題の前哨戦というべき作品になっています。それに、大自然が猛威をふるう中で名探偵という存在が取るにたらないものに思えてきて、その価値が揺らいでいくというのは一種アンチミステリーのような趣もあります。国名シリーズ恒例の読者への挑戦もなく、クイーンらしい端正なロジックを期待した人にとってははっきり言って肩すかしな作品です。しかし、特異なサスペンスと迷える名探偵というテーマの組み合わせには捨てがたい味わいがあることも確かであり、その結果、本作は人によって大きく賛否の分かれる作品となっています。
シャム双子の秘密 (角川文庫)
エラリー・クイーン
KADOKAWA/角川書店
2014-10-25


オリエント急行の殺人(アガサ・クリスティ)
私立探偵のポワロはトルコからヨーロッパ行きのオリエント急行に乗車するが、その車内で殺人事件に巻き込まれてしまう。しかも、列車は大雪のために身動きが取れなくなってしまい、警察が介入することもできない状態だった。そこで、ポワロが事件解明に乗り出す。被害者である男性の体は刃物でメッタ刺しにされており、この大雪の中を外部から侵入するのは不可能だと思われた。状況からいって犯人は同じ車両にいるはずなのだが、乗客には全員にアリバイが成立しているのだ。果たして誰が彼を殺したのだろうか?
舞台が外界から孤立しており、警察の介入が不可能という点では確かにクローズドサークルなのですが、本作で起きる殺人事件は最初の1件だけです。そのため、クローズドサークル特有の「次は誰が殺されるのか」というサスペンスは皆無です。その一方で、限定された空間で登場人物の証言に基づいて犯人を推理していくプロセスには部類の面白さがあります。同時に、登場人物の書きわけも巧みであり、地味なプロットであるにも関わらず、物語の世界にぐいぐい引き込んでいく牽引力に満ちています。そして、最後に浮かび上がる意外な真相によって本作は永遠に名を残す名作となったのです。クローズドサークルの原典のひとつとして見逃せない作品だといえるでしょう。
オリエント急行の殺人 (創元推理文庫)
アガサ・クリスティ
東京創元社
2003-11-09


1935年(昭和10年)

一角獣の殺人(カーター・ディクスン)
英国の元諜報員ブレイクは現役の女性諜報員イブリンから仕事のパートナーと勘違いされ、そのまま任務に同行することになる。彼女の目的は外交官ジョージ・ラムデン卿からユニコーンと呼ばれる秘宝を受け取り、英国に輸送することにあった。やっかいなのはフランスの怪盗フラマンドがそれを狙っている点だ。しかも、その怪盗をパリ警視庁の敏腕刑事ガストン・ガケスが追っているというのだ。2人は受け渡し場所のホテルに車で向かうが、それを追ってきたHM卿が作戦の中止を告げる。ところが、HM卿とその運転手を含めた4人は嵐に遭遇し、身動きが取れなくなってしまう。さらに、近くに飛行機が不時着し、中からはラムデン卿を含む4人の乗客が降りてきた。途方に暮れる一行だったが、近くにある小島の古城に逃げ込み、とりあえず難を逃れるのだった。一行は城主のダンドリュー伯爵の歓迎を受けるものの、嵐はますます激しくなり、ついには島と本土を結ぶ橋が落ちてしまう。電話もない古城は完全な孤立状態だった。いかにも何かが起きそうな状況が揃う中、果たして事件は起きる。額を貫かれた男が突如階段から転がり落ちてきたのだ。衆人環視の中の出来事であり、まるで伝説の幻獣ユニコーンの仕業としか思えない奇怪な事件だった。果たしてHM卿はこの謎を解くことができるのか?そして、怪盗フラマンドの正体とは?
カーは前年度の1934年に「プレーグ・コートの殺人」「白い僧院の殺人」、この年には「赤後家の殺人」「三つの棺」と不可能犯罪ものの傑作を連発しています。まさに、脂の乗り切った時期に書かれた作品です。しかも、本作にはクローズドサークルと化した古城、謎の怪盗、イギリスの名探偵とフランスの名刑事の推理合戦、奇怪な不可能犯罪と面白くなりそうな要素がてんこ盛りです。実際、決してつまらない作品ではないのですが、あまりにも色々な要素を詰め込み過ぎたせいで全体としてまとまりのなさが露呈してしまっています。特に、キャラクターの書きわけがあまりうまくできていないため、登場人物の把握がしずらいのが大きな難点です。その上、怪盗がからんだ事件ということもあってやたらと変装している人物が多いところが混乱に拍車をかけています。さらに、肝心の不可能犯罪トリックも一般の人にはなじみのない小道具が使われているため、種明かしをされても全くピンとこないのは致命傷だといえるでしょう。とは言え、HM卿とガスケの推理合戦などは緊迫感もあってなかなか読みごたえがあります。それだけに、もう少しまとまりがあれば、佳作となりえた可能性もなくもありません。一言でいえば、いろいろと惜しい作品といったところでしょうか。
一角獣の殺人 (創元推理文庫)
カーター・ディクスン
東京創元社
2009-12-20


1937年(昭和12年)

八人の招待客(パトリック・クェンティン)
大晦日の夜。マンハッタンの高層ビルの40階に株主、会社役員、秘書の総勢8人が集まっていた。会社の合併について話し合うためだ。ところが、そこに脅迫状が舞い込み、続いてエレベーターや電話が止められる。そのうえ、ヒューズが飛んで暗闇と化したフロアでついに第一の殺人が発生し......。
本作は『八人の中の一人(1936年)』と『八人の招待客(1937年)』の2編を収録した中編集です。ちなみに、これらの作品は2019年に日本で単行本として発売される60年以上前に、それぞれ『大晦日の殺人』と『ダイヤモンドのジャック』のタイトルで雑誌に掲載されたことがあります。いずれもクローズドサークルの原型ともいえる作品であり、古典ミステリーの好きな人にとっては興味深い内容となっています。ただ、『八人の中の一人』の方は秘書のキャロルの恋愛を軸としたロマンチックミステリーの要素が強く、クローズドサークルならではの緊迫感を期待するとがっかりしてしまうかもしれません。一方、吹雪の館に集まった人々が協力して脅迫者を殺そうとする『八人の招待客』の方は、典型的なクローズドサークルものとは少々趣が異なるものの、サスペンスの盛り上げ方が巧みで読み応えありです。ただ、両作とも謎解き要素はあるものの、どちらかといえばサスペンス小説に近い作りになっているので、その点はあらかじめ踏まえておいた方がよいでしょう。


1938年(昭和13年)

ミステリ・ウィークエンド(パーシヴァル・ワイルド)
ミステリーツアーが組まれた田舎町のホテル。ところが、ツアー客の一人が本物の死体となって発見される。その上、大雪のためにホテルから出ることが不可能となり、電話も不通となってしまう。さらには、死体が別人のものと入れ替わるという怪現象が起き、事態は混沌の度を増していくが......。
典型的な吹雪の山荘もの。しかも、語り手が次々と変わっていき、その度に謎が明らかになったり逆に、深まったりするため、かなりスリリングなストーリーが楽しめます。長編というより、中編といった長さの作品なのですが、短い物語の中に大小さまざまな謎が出現し、登場人物も個性派ぞろいなので飽きることなく読み進めることができます。トリック自体は小粒で拍子抜けする部分もありますが、クローズドサークル設定を上手く利用して謎の表出と伏線回収を自在に行っている点が見事です。クローズドサークル初期の作品としてはまずまずの面白さだといえるでしょう。
2017年度このミステリーがすごい!海外版16位
2017年度本格ミステリベスト10海外版3位

1939年(昭和14年)

そして誰もいなくなった(アガサ・クリスティ)

無人島に建てられた豪邸にお互い見ず知らずの8人が招待される。出迎いに使用人夫婦が姿を現すが、彼らも館の主人には会ったことがないという。そして、ディナーの時間になっても招待主であるオーエン氏は一向に姿を現そうとはしなかった。しかし、代わりに鋭い声が響き、招待客と使用人が過去に犯した罪について告発していく。続いて、招待客の一人である青年が毒をあおって絶命する。それが恐るべき連続殺人の始まりだったのだ。
孤島に集められた人間がひとりひとり殺されていくというクローズドサークルの定型を完成させた記念すべき作品です。しかも、単なる先駆者というだけではなく、物語のテンポの良さといい、サスペンスを盛り上げていく手腕といい、真相を巧みに隠す手管といい、すべてが抜群の完成度を誇っています。特に、連続殺人の最後の被害者が死ぬ恐ろしくも哀しげな場面はミステリー史上に残る名シーンだといえるでしょう。トリック自体はたわいもないものですが、とにかく語り口の巧さが突出してそのトリックを悟らせないのです。未だにこの作品を超えるクローズドサークルミステリーは存在しないと言い切れるほどの大傑作です。


1940年(昭和15年)

九人と死で十人だ(カーター・ディクスン)

第2次世界大戦の真っただ中、軍事商船にワケありの9人が乗客として乗り込む。いつドイツのUボートが襲ってくるかわからない緊迫した状況の中、乗客の一人である女性が喉を掻き切られて殺されているのが発見される。しかも、現場には血染めの指紋がべったりと残されていたのだ。しかし、船の乗客乗員の中には該当する指紋の持ち主はいない。この船には10人目の乗客が潜んでいるというのだろうか?
カーの作品で船を舞台としたものとしてはフェル博士ものの『盲目の理髪師』の方が有名ですが、ミステリーとしての完成度自体は本作に軍配が上がります。まず、第2次世界大戦中の商船を舞台とし、いつUボートに撃沈されるかわからない、ドイツのスパイが乗り込んでいるかもしれないといった状況を整え、緊迫感を盛り上げていく手腕はなかなか見事です。その上で殺人事件が起き、該当する指紋がない事実によって10人目の乗客の存在がクローズアップされ、否応なくサスペンスが盛り上がっていきます。指紋のトリックに関しては今となってはどうということもありませんが、別のトリックと組み合わせることで、読者を真相から遠ざけるように工夫が凝らされています。また、スパイ疑惑の話が犯人の動機をうまくカモフラージュしているのも実に巧妙です。クローズドサークルの状況を上手く活用した上質なフーダニットミステリーです。
九人と死で十人だ (創元推理文庫)
カーター・ディクスン
東京創元社
2018-07-30


1960年(昭和35年)

雪と毒杯(エリス・ピーターズ)

世界的なオペラ女優の最後を看取った一行は飛行機で帰途につくが、悪天候に見舞われオーストリアの山中に不時着してしまう。なんとか山村の小さなホテルに逃げ込んだものの、大雪の影響で村は完全な孤立状態に陥っていた。そんな中、遺族の強い要望でオペラ女優の遺言状が公開されることになる。だが、その内容は長年パートナーをつとめてきたオペラ俳優に財産のほとんどを譲るというものであり、遺族たちに衝撃が走る。そして、ついに事件は起きた。そのオペラ俳優が何者かに毒殺されたのだ。
大雪によって警察の介入は不可能であるものの、村との行き来は可能というやや緩めのクローズドサークルミステリーです。また、クライマックスのアクションシーンを除いて会話中心の地味な展開が続くので、クローズドサークル特有のサスペンスもさほど盛り上がりません。その代わり、文章は読みやすくその中に巧みに伏線を張り巡らしているため、古き良き時代の探偵小説の味わいはじっくりと堪能できます。それでいて、登場人物が単なる駒になっておらず、一人一人の造形も丁寧に描かれています。また、恋愛要素なども盛り込んでいるため、物語としての読み応えもなかなかのものです。ただ、伏線をあまりにも実直に張り巡らせたおかげで犯人が分かりやすくなってしまったのがやや難点だといえるでしょう。
雪と毒杯 (創元推理文庫)
エリス・ピーターズ
東京創元社
2017-09-29


1971年(昭和46年)

殺しの双曲線(西村京太郎)
素顔を見せたまま堂々と金を奪っていくという連続銀行強盗事件が発生する。その容貌から小柴兄弟のどちらかが犯人であることは明らかなのだが、一卵性双生児である2人の顔があまりにもそっくりなためにどちらが犯人なのか特定することができない。そのため、警察はどちらかを逮捕することもできず、手をこまねいているしかなかった。一方、宮城県のホテルには招待状を受け取った人々が集まっていた。ところが、その内の一人が部屋で首をつって死んでいるのが発見される。最初は自殺だと思われたものの、その部屋の壁には「かくして第一の復讐がなされた」と書かれたカードがピンで止められているのが発見される。しかも、電話線は切られ、唯一の交通手段である雪上車も破壊されていた。そして、第2の犯行が.......。
日本では最初期のクローズドサークルミステリーです。当時はクローズドサークルという言葉自体がなく、脱出不可能な空間で連続殺人が起きる物語と言えば、少なくとも日本のミステリーファンにとっては「そして誰もいなくなった」が唯一無二の存在でした。したがって、その趣向に挑戦した本作は「そして誰もいなくなった」のリスペクト作品ということになります。さすがにあの名作に真正面から挑んだ意欲作だけあって、本作にはミステリーとしてのさまざまな技巧が施されています。特に、その代表として挙げられるのが、冒頭の双子トリック宣言です。わざわざこの作品には双子トリックが使われていると表明し、その宣言自体をミスディレクションとして使用するという大胆さが見事です。ただ、技巧に走りすぎたせいで肝心のクローズドサークルのシーンが短く、描写も淡泊になってしまった感があります。そのため、少なくともサスペンス描写という点では元ネタと比べてかなり物足りない出来になってしまっているのです。また、「そして誰もいなくなった」にはない特徴としては、なぜ互いに面識のない招待客が犯人に狙われたのかというホワイダニットの謎を盛り込んでいるという点が挙げられます。しかし、これも殺人の動機として納得できるかどうかは意見の分かれるところでしょう。といった具合に、本家越えを期待して読むと不満もいろいろでてくるのですが、同時に本作は70年代に書かれた国内本格ミステリを代表する作品の一つであることは確かです。ここはあえて元ネタは意識せず、独立した作品として楽しむのが吉でしょう。


1977年(昭和52年)

七人の証人(西村京太郎)
十津川警部は帰宅途中に何者かの襲撃を受け、誘拐されてしまう。気を失い、再び目を覚ますとそこは無人島だった。しかも、島には世田谷区の一角を正確に再現したセットが作られており、十津川警部の他にも7人の男女が誘拐されていた。誘拐犯は猟銃を手にした初老の男性。彼は1年前に殺人犯として逮捕され、獄死した青年の父親だった。男は息子の無実を証明するために、現場を再現したセットを使って事件を再検証すると宣言する。誘拐された7人はその事件の目撃者だ。また、十津川警部を誘拐したのはプロの立場から検証の是非を判断させるためだという。こうして事件の再検証が始まり、男は目撃証言の矛盾を次々と突いていく。目撃者たちはさまざまな理由で虚偽の証言をしていたのだ。そんな中、証人たちが次々と殺されていき......。
基本設定はかなり無茶苦茶なものですが、証言の矛盾をついて徐々に真実が明らかになっていくくだりは特殊設定の法廷ミステリーとして読みごたえがあります。その一方で、クローズドサークルとしてのサスペンスはそれほど盛り上がりません。また、舞台装置が派手な割に真相が地味でラストがあっさりしすぎている点は竜頭蛇尾な感が強いといえます。ただ、そうした欠点を持ちながらもプロットの妙とテンポの良さでぐいぐい読ませる作品であるのは確かです。ちょっと変わったミステリーを楽しみたいという人にはおすすめです。
七人の証人 (講談社文庫)
西村 京太郎
講談社1983-12-08


1985年(昭和60年)

死霊鉱山(草野唯雄)
雪山登山の途中で猛吹雪に遭遇した4人のOLと1人の男性は廃鉱山の中に逃げ込む。そこは幕末に鉱夫の暴動があり、その全員が斬殺されたという因縁の場所だった。寒さに震える彼らは通行止めになっている柵を壊し、それに火をつけて暖を取る。ところが、その夜から彼らは一人また一人と命を落としていくのだった......。
奇怪な伝承が残る場所に閉じ込められた登場人物が順番に殺されていくという典型的なクローズドサークルものですが、この作品にミステリーとしての面白さを期待してはいけません。伏線は見え見えで犯人はバレバレ、結局一番怪しい人物が真犯人というなんとも脱力のオチが待っています。しかし、この作品の真価は全く別のところにあります。まず、本筋とは一切関係のない濃厚な濡れ場が執拗に描写され、そのディテールの細かさはちょっと常軌を逸していると感じるほどです。また、作者の鉱山勤務の経験を活かして描かれた過去の因縁話は臨場感たっぷりで引き込まれていきます。しかし、それよりも何よりも、本作を知る人ぞ知るカルト作品に押し上げているのがラストの展開です。ミステリー的などんでん返しとは全く別の次元で驚愕のシーンが待っています。ゲテモノ大好きという人はぜひ予備知識なしで読んでほしいところです。本格ミステリとして採点すれば零点ですが、違った意味で読者に忘れ難いインパクトを残す強烈な作品です。
死霊鉱山 (光文社文庫)
草野 唯雄
光文社
2006-04-20


1987年(昭和62年)

十角館の殺人(綾辻行人)
大分県にある大学の推理小説研究会。その面々は無人島に建てられた十角館と呼ばれる館を訪れていた。そこは半年前に建物の設計をした中村青司を含む4人の他殺死体が見つかった場所だった。彼らはその事件に興味を持ち、島で1週間の合宿を始める。ところが、島を訪れてから3日目に殺人事件が起こり、島からの脱出も不可能な中、それは連続殺人に発展していく。
綾辻行人氏の衝撃のデビュー作。新本格ブームを巻き起こすきっかけとなった作品であり、平成の時代にクローズドサークルをテーマにした作品が盛んに書かれるようになったのも本作があればこそでしょう。そういう意味では、西の「そして誰もいなくなった」、東の「十角館の殺人」といっても過言ではないほどの重要作品です。ただ、本作は著者20代のデビュー作というだけあって登場人物がどうにも青臭いという問題があります。特に、サークルの面々がお互いをミステリー作家の名で呼び合う寒さは耐えがたいという人もいるのではないでしょうか。しかし、最後に明らかになる真相、あの有名な一行の衝撃はそうした小さな欠点など吹き飛ばしてしまうほどのインパクトを読者に与えてくれます。間違いなく、日本ミステリ史上に残る希有の名作です。


1988年(昭和63年)

そして誰かいなくなった(夏樹静子)
金持ちのオーナーに招待された面々は豪華クルーザーに乗り込み、洋上の旅を楽しんでいた。しかし、やがて船内から彼らの罪を告白する声が響き渡る。皆は口を揃え、「これはオーナーの悪質ないたずらだ」と一笑に付すが、翌朝、彼らの一人が死体となって発見される。そして、第2の殺人が.......
タイトルやあらすじを読んでも分かるように、これは明らかに『そして誰もいなくなった』のリスペクト作品です。しかも、作中では『そして誰もいなくなった』のネタバレまでしており、元ネタを読んでいることを前提とした作りになっています。要するに、『そして誰もいなくなった』にもうひとひねり加えて既読者を驚かせてやろうという趣向の作品なのです。しかし、伏線が分かりやすいために真相にそれほど驚きを感じられないのが残念なところです。また、前年に発表された『十角館の殺人』の衝撃が本作のインパクトを弱いものにしてしまっているのは否めません。ただ、本作は最後まで読むと『そして誰もいなくなった』以外にもクリスティの有名作の何作かを意識して構成されていることがわかります。その辺りのオマージュとしての面白さはある程度の水準に達しているので、大きな期待さえしなければそこそこ楽しめる作品ではあります。


清里高原殺人別荘(梶龍雄)
雪が降りしきるなか、ワケありの大学生男女5人組がシーズンオフの別荘地・清里に赴き、内側から窓の開かない奇妙な建物に忍び込む。彼らはある連絡を待って4日間そこに潜伏する予定だった。だが、いざ足を踏み入れてみると意外な先客がいた。姿を現した美女・秋江の挑発的な態度に戸惑う一行にすぐさま惨劇が襲いかかる。密室での刺殺、毒殺、撲殺。正体のわからぬ殺人鬼の存在によって大きく狂い始める計画。一体ここで何が起きているのか?
大雪に行く手を阻まれているわけでも人里から離れているわけでもないが、とある理由からその場を離れられないという心理的クローズドサークルです。それを除けば一人また一人と順番に殺されていくお決まりの展開が続くものの、その末に明らかにされる真相には唖然とさせられます。伏線を丁寧に回収して今まで見えていた状況自体を反転させてみせる大ネタは見事というほかありません。本作には人物設定や会話が作りものめいて感情移入がしがたく途中まで話の盛り上がりに欠ける、密室トリックがショボいなどの欠点があるのですが、そんなものはどうでもよくなってしまうほどの衝撃です。ただ、新本格と呼ばれる作品が山のように発表された現在では似たような仕掛けを有した作品もいくつか存在するため、それらを先に読んでいると期待したほどではなかったと感じてしまう可能性はあります。新本格といえば、本作が発表されたのは新本格ブームが盛り上がりの兆しを見せ始めた1988年末です。そんな時期に1928年生まれの旧世代に属する作家がこれほどまで新本格イズムに満ちた作品を発表したことに驚かされます。発表当時は全く話題になりませんでしたが、本格としての完成度は素晴らしく、綾辻行人や有栖川有栖といった新本格作家の代表作と比べても全く引けを取らない傑作です。



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最新更新日2021/05/07☆☆☆

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昭和の時代には数えるほどしかなかったクローズドサークル・ミステリーですが、1987年に綾辻行人氏の「十角館の殺人」が話題になり、そして平成の世になって以降は爆発的にその数を増やしていくことになります。その中から代表的な作品をピックアップして紹介していきます。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

1989年(平成元年)

孤島パズル(有栖川有栖)
英都大学ミステリー研の新たなメンバーとなったマリアは江神二郎と有栖を伯父の別荘がある南の島に誘う。そこには彼女の祖父が隠した時価5億円のダイヤモンドが眠っているというのだ。宝探しを兼ねてバカンスに訪れた一行だったが、台風が訪れた夜に伯父の兄である完吾とその娘の須磨子が何者かに殺害されるという事件が起きた。現場は密室状態になっており、凶器のライフルは室内からは発見されなかった。しかも、無線機は破壊され、一行は孤島に閉じ込められてしまう.......。
著者のデビュー作である「月光ゲーム」に続く学生アリスシリーズの第2弾。孤島を舞台にした典型的なクローズドサークルミステリーですが、次は誰が殺されるかといったサスペンスは希薄です。そもそも、シリーズ第1弾の「月光ゲーム」からして火山の噴火によるクローズドサークルというド派手な設定の割に話の内容は極めて地味なものでした。しかし、その反面、わずかな手がかりに基づいて犯人を特定するといった本格ミステリとしてのロジックは精緻を極めています。血痕、銃弾、
タイヤの跡のついた地図などといった手がかりを組み合わせて犯人を特定するプロセスには得も言われぬ知的興奮があります。その純度の高さは外界から隔たれた閉鎖空間であればこそでしょう。つまり、サスペンスを盛り上げるためではなく、ロジックに特化した物語を成立させるためのクローズドサークル設定というわけです。しかも、前作に比べて文章力も格段にアップし、青春小説としての瑞々しさも作品の魅力として加味されています。「十角館の殺人」と並ぶ、新本格初期の最重要作品だといえるでしょう。


1990年(平成2年)

霧越邸殺人事件(綾辻行人)
1986年。劇団暗色天幕の一行8人は信州を訪れるが、旅の途中で猛烈な吹雪に見舞われてしまう。遭難しそうなところに古い洋館を見つけ、そこで一夜を過ごすことになる。しかし、使用人の態度は冷たく、館全体がどこか異様な雰囲気に包まれていた。しかも、吹雪は一行におさまろうとせず、外界と隔絶した状態の中で団員が何者かに殺される。それは恐るべき連続見立て殺人の第一幕だったのだ。
十角館と並ぶ著者初期の代表作。十角館が大ネタ一発にすべてを集約しているのに対して、こちらは小さなトリックを散りばめて小技で楽しませてくれる作品です。十角館のような独創的なトリックはないのでそういう意味では期待外れだと感じる人もいるかもしれません。確かに、本作にミステリーの仕掛けとしてそれほど優れたアイデアは存在しません。しかし、クローズドサークルを皮切りに、不気味な洋館、見立て殺人、大小さまざまなトリックと本格ミステリファンの好物を片っ端から詰め込んだ趣向には稚気に満ちた楽しさがあります。また、本書は幻想小説としての色合いが強く、それが連続殺人のミステリアスな雰囲気を盛り上げてくれます。ただし、その幻想小説としての要素がミステリー部分に対してリンクしていない点に不満を持つ声もあり、これらの趣向に乗れるかどうかで本作の評価も変わってくるのではないでしょうか。結論としては、ミステリーとしての独創性よりも、全編に散りばめられた趣向自体を楽しむべき作品ということになります。
1991年度このミステリーがすごい!国内部門7


仮面山荘殺人事件(東野圭吾)
樫間高之は亡くなった婚約者の父に誘われて避暑地の別荘に訪れていた。別荘には高之の他に亡き婚約者の友人と親族を合わせて8人が集っていたのだが、その山荘に強盗犯が2人が侵入。軟禁状態にされ、外部との連絡経路が断たれしまう。緊迫感が高まる中、ついに殺人事件が発生する。しかし、状況的にどう考えても強盗犯は殺人事件の犯人ではありえなかった。残された7人は疑心暗鬼に駆られるが......。
強盗による監禁状態よって生み出される変則的なクローズドサークルものです。しかも、全編に渡って大胆な罠が仕掛けられており、それが見事に決まってます。ただ、いかにも人工的な舞台設定であるため、勘の良い人ならその仕掛けに気づいてしまう可能性もあります。ページ数も少なめで話もテンポよく進むので、気持ちよく騙されたいという人は深く考えずに一気に読んでしまうのが吉でしょう。


1991年(平成3年)

時計館の殺人(綾辻行人)

大手出版社の新米社員である江南孝明は推理作家の鹿谷門実やカメラマン、霊能師、大学の超常現象研究会のメンバーといった面々と一緒に少女の亡霊が出ると噂される時計館を取材することになる。その中に3日間こもり、霊との交信を試みようというのだ。ところが、館に入った面々は建物の中に閉じ込められ、脱出不可能な状態になってしまう。それが殺人劇の始まりだった......。
館シリーズの第5作目であり、同時に新本格ミステリを代表する名作の一つとして知られている作品です。なんといっても『十角館の殺人』とはまた趣向を別にした大掛かりなトリックが壮観です。ホラーじみた雰囲気の中で起きる連続殺人はサスペンスたっぷりですし、壮大なラストシーンは美しさすら感じさせてくれます。綾辻行人は本作によって史上最年少で日本推理作家協会賞を受賞しますが、それも納得の出来栄えです。
第45回日本推理作家協会賞受賞


1992年(平成4年)

ある閉ざされた雪の山荘で(東野圭吾)

オーディションに合格した7人の劇団員が演出家の東郷によって早春のペンションに集められた。一緒に通しの稽古を行うためだ。ところが、ペンションには肝心の東郷がいない。代わりに手紙が届き、そこには「豪雪によって陸の孤島と化した山荘の中で連続殺人が起こっている。そういう設定でそれぞれそれぞれ芝居を行うように」といった趣旨の指示が書かれてあった。彼らはいぶかしく思いながらも演技を始めるが、一人また一人とメンバーが姿を消し始める。果たしてこれも芝居の一環なのか、それとも本当に殺人事件が進行しているのか?残されたメンバーの間には疑心暗鬼の空気が立ち込める......。
典型的な吹雪の山荘ものですが、実際に脱出不可能な山荘にいるわけではなく、あくまでもそういう設定で演技を続けているといるという点がユニークです。しかも、団員が消えていくという想定外の出来事が起こり、それが芝居なのか、何か事件が起きているのかが不明という点が緊迫感を盛り上げます。文章も読みやすく、テンポよく物語が進む点も大きな美点だといえるでしょう。しかし、なんといっても本作の最大の見せ場はラストのどんでん返しです。これは本当に意表を突くもので、世界がひっくりかえるような衝撃を味わうことができます。ただし、逆にひどいオチだと憤る人も少なからず存在し、怒りたくなる気持ちも十分理解できる、そんな作品なのです。おおむね高い評価を得ているものの、読者の嗜好次第ではひどくがっかりしてしまう可能性も秘めている問題作だといえるでしょう。


双頭の悪魔(有栖川有栖)
家出をしたマリアを連れ戻してほしいと彼女の父親に頼まれたアリス他、推理小説研究会の面々は、マリアが滞在している高知県の木更村に向かう。しかし、村人との間に誤解が生じ、マリアとの面会を拒絶されてしまう。そこで、推理研の面々は嵐に乗じて村に侵入を決行するのだった。アリスは侵入に失敗するものの、先輩の江神はマリアとの再会を果たし、村人たちの誤解を解くことにも成功する。だが、鉄砲水が発生し、アリスの滞在する夏森村と江神たちがいる木更村が分断。しかも、電話もつながらず2つの村はお互い陸の孤島と化してしまう。そんな中、木更村と夏森村ではそれぞれ別々に殺人事件が発生するのだった。江神とアリスは隣の村でも殺人が起きていることは知らないままに、滞在している村で起きた事件の解明を試みるが......。
本作には読者への挑戦状が3度も挿入され、前作「孤島パズル」以上にロジカルな推理にこだわった作品になっています。しかも、2か所で別々に殺人事件とその捜査が進行し、探偵役もそれぞれ個別に配置されているという凝りようです。アリスたちが議論を重ねながら真相に迫っていくプロセスもミステリー好きにはたまらないものがありますし、解決編での江神の推理も大きな見どころとなっています。その完成度は極めて高く、フーダニットミステリーとしては国内屈指の傑作といっても過言ではないほどです。ただし、クローズドサークルものとしてはサスペンス感はほぼ皆無ですし、ロジカルなミステリーにこだわるあまり物語としてはいささか冗長な面があります。その点は好みが分かれるところではないでしょうか。
1993年度このミステリーがすごい!国内部門6
双頭の悪魔 (創元推理文庫)
有栖川 有栖
東京創元社
1999-04-21


1993年(平成5年)

夏と冬の奏鳴曲(麻耶雄嵩)
和音という名のアイドルと共に孤島で暮らし、彼女の死によって解散したメンバーが、その島で同窓会を開くことになる。雑誌編集社の準社員・如月烏有とアシスタントの舞奈桐璃は取材のために彼らに同行するが、島に到着した翌朝に事件は起きる。テラスに首なし死体が放置されていたのだ。しかも、真夏だというのに周囲には雪が積もっており、犯人の足跡はどこにもない。つまり、これは不可能犯だった。死んだはずの和音の影が支配する孤島の中で
烏有は否応なく事件の渦中に巻き込まれていく.......。
ミステリー界の異端児と言われる著者の中でも最大の問題作として世に名高いカルト的傑作です。本作を一言で表現するならば装飾過多。雪密室を初めてしてさまざまな事件や謎がばらまかれ、本編に関係あるのかどうかが良く分からない衒学趣味が垂れ流れていきます。そして、ようやく謎解きが始まるかと思えばとんでも推理のつるべ打ちであり、特に雪密室の真相はそのぶっ飛び具合に唖然としてしまう代物です。そして、読者の思考能力を破壊しつくした揚句、最後は事件の解決を放棄して幕となります。読者の頭の中をクレッションマークで埋め尽くすためだけに書かれた本だといっても過言ではないでしょう。これだけ聞くと単なる駄作だと思うかもしれませんし、実際に駄作だと断じる人も少なくありません。しかし、この読めば読むほど謎が深まり、永遠に続くラビリンスに引きずり込まれるような感覚は他では得難いものです。その読書体験自体が非常にスリリングなのです。その後、ネットの普及とともに、本作に隠された本当の真相を解明しようとさまざまな推理が開陳されたのもその魅力故ではないでしょうか。


1996年(平成8年)

星降り山荘の殺人(倉知淳)
広告代理店の制作課でトラブルを起こし、芸能課に左遷された杉下和夫はスターウォッチャーという肩書を持つ美形タレントの星園詩郎のマネージャーとして働くことになった。2人は山奥にあるコテージに向かう。コテージを運営している不動産会社が、宣伝のために星園を招待したのだ。そこには他にも女流作家やUFO研究家、不動産会社社長の知り合いの若い女性などが招かれていた。みんなで宿泊した上でコテージの良さを宣伝する方法を考えてほしいというのだ。だが、その次の朝。社長の岩岸がコテージの寝室で首を絞められて死んでいるのが発見される。その上、このコテージには電話はなく、猛吹雪が吹き荒れて下山することもできなくなっていた。
吹雪の山荘を舞台に繰り広げられるオーソドックスなクローズドサークルです。大仕掛けなトリックとはありませんが、丹念に張り巡らされた伏線を回収しつつ、緻密なロジックで真相に迫っていくプロセスは非常に読み応えがあります。エラリークインの国名シリーズを彷彿とさせる王道的フーダニットミステリーであり、その完成度はかなりものです。ただ、一部ではこの作品をどんでん返しによる意外な犯人がウリの作品であるように吹聴する向きもありますが、その点については大したことはありません。ミステリーを読み慣れた読者にとってはミスディレクションがあからさま過ぎるため、逆にヒントを与える結果となってしまっているのです。したがって、そうした前評判を聞いた人も過度な期待は捨て、あくまでもロジック中心の堅実な謎解きミステリーとして楽しむのが吉です。
1997年度本格ミステリベスト10 国内部門 3位


人格転移の殺人(西澤保彦)
合衆国のカリフォルニア州にあるハンバーガーショップで食事をしていた苫江利夫は記録的な大地震に遭遇する。地震の衝撃によって出入り口はふさがり、天井は今にも崩落しそうな状態であった。江利夫を始めとする店の中の人々は地下へと逃れるが、そこで意識を失い、再び意識を取り戻すととんでもない状態になっていた。それぞれの意識が別の肉体に転移していたのだ。それは地下に隠された不思議な装置によるもので、しかも、人格転移は不定期で発生し続け、6人の意識はお互いの肉体を渡り歩くことになる。そんな状況の中、連続殺人が発生する。果たして犯人の目的は?
肉体と心が入れ替わってしまうと設定はSF作品などによくありますが、それを本格ミステリに落とし込んだところが秀逸です。前半の設定説明こそ冗長に感じますが、後半になるとテンポよく物語が進むようになってぐいぐいと引き込まれていきます。人格が入れ替わっていく中で次々人が殺されるという展開もスリリングで、真相に対する興味を掻き立立てくれます。その真相もSF設定が動機やトリックに有機的に結びついており、犯人の意外性を含めて一級の出来栄えだといえるでしょう。SFの面白さとミステリーの面白さが両立しており、SFミステリーのお手本のような作品です。
1997年度このミステリーがすごい!国内部門10
1997年度本格ミステリベスト10 国内部門 8位

人格転移の殺人 (講談社文庫)
西澤 保彦
講談社
2000-02-15


すべてがFになる(森博嗣)
N大学工学部の助教授犀川と研究室の面々、そして犀川の恩師の娘である西之園萌美は、真賀田研究室のある妃真加島を訪れる。研究室の所長である
真賀田四季博士は当代きっての天才として知られていたが、過去に犯した殺人によって研究室の一角に隔離されている身でもあった。ところが、その彼女がウエディングドレスに身をまとい、四肢を切断されて殺害されたのだ。しかも、研究室のシステムは制御不能状態に陥り、ヘリの無線も壊されて外部との連絡は一切取れなくなっていた。現状を打開するために、犀川たちは四季博士の部屋を調べることになる。そして、彼女のパソコンから見つかったのは「すべてがFになる」という一文だった.....。
記念すべき第1回メフィスト賞受賞作であり、当時かなり話題にもなった作品でもあります。作者が工学部の助教授だったこともあって理系ミステリーなどとも銘打たれていますが、ミステリーとしては骨格は結構古典的です。一方、理系的な道具立てはうまく作品世界に溶け込んでおり、独自の世界観を確立させることに成功しています。特に、トロイの木馬と称されるスケールの大きな密室トリックは忘れ難い印象をの読者に与え、インパクト大です。天才設定が強調されすぎてちょっと中二的、動機の説明が不十分などといった不満点もあるものの、ベストセラーになっただけのことはあり、読み物としての面白さはかなりのレベルに達しています。



1998年(平成10年)

人狼城の恐怖(二階堂黎人)
1970年6月。とある企業からドイツにある銀の狼城に招待された10人の男女はそこで不可解な現象を体験する。そして、ついに事件が起きる。招待客の夫婦が首を切り落とされ斬殺されたのだ。一行は城から出ようとするが出口はいつの間にか塞がれており、また新たな犠牲者が.....。一方、国境挟んでフランスに建っている青の狼城ではアルザス独立サロンの面々が城主に
アルザス地方独立の活動資金援助を求めて訪れていた。ところが、彼らも城に閉じ込められ、次々に殺されていく......。そして、1971年3月。不可解なドイツ人集団行方不明事件の謎を解くために、二階堂蘭子はフランスに訪れる。だが、彼女はそこで事件を担当している主任警部から不可思議な事実を聞かされる。行方不明になった面々は古城に向かったという話だったのだが、そんな城はどこにも存在していないというのだ....。
約2700ページという大ボリュームを誇る世界最長の本格ミステリです。しかも、ドイツ編とフランス編の2つのクローズドサークルが描かれ、その中で不可能犯罪が次から次へと起こるのです。これほどまでに豪華絢爛なミステリーもなかなかないのではないでしょうか。しかも、長いからといって水増し感もなく、怪奇小説風であったり、SF小説のようであったりと物語としてもさまざまな趣向で楽しませてくれます。大小さまざまなトリックも、多少無理を感じされるものが含まれてはいるものの、よく考え抜かれたものばかりです。本格ミステリとしては空前絶後の労作だといえます。ただ、探偵役・二階堂蘭子のいけすかない性格とワトソン役・二階堂黎人の大げさなリアクションは如何にも大時代的で好みが分かれるところではないでしょうか。
1999年度このミステリーがすごい!国内部門9
1999年度本格ミステリベスト10 国内部門 1位



2000年(平成12年)

白銀荘の殺人鬼(彩胡ジュン
雪山の奥にあるペンション白銀荘。そこに10人の男女が宿泊するがその一人、立脇順一は複数の女性人格を併せ持つ多重人格者だった。順一は妻の尻に敷かれた気弱な男だったが、女性人格たちはみな残忍で密かに殺人計画を進めていた。折しも村に続くトンネルが崩落し、ペンションは完全な孤立状態にあった。そんな状況の中で2つの女性人格はお互いに競い合うように次々とペンションの人々を血祭りに挙げていくが......。
作者の
彩胡ジュンは愛川晶と二階堂黎人両氏の合作ペンネームです。あくまでも余技として書いた作品であるため、設定はいささか荒唐無稽ですが、その分プロットは非常に凝ったものになっています。典型的なクローズドサークル設定の中にサイコサスペンスの殺人鬼を潜り込ませ、それを叙述ミステリーとして描くという一見闇鍋のような作品ですが、それらはすべて計算の内です。闇鍋要素を隠れ蓑にして、最後にすべてをひっくり返すサプライズ展開が見事です。残忍な殺人シーンが続くためにスプラッターが苦手という人には厳しいかもしれませんが、サイコサスペンスと本格ミステリの異様なハーモニーが忘れ難い印象を残す佳作に仕上がっています。


生存者、一名 (歌野晶午)
新興宗教の信徒である4人の男女は都内で爆弾テロを行い、鹿児島県沖合にある屍島と呼ばれる孤島に身を隠していた。教団幹部2人も同行し、実行犯たちの労をねぎらう宴が催される。彼らは教団の手配によって海外逃亡をするのだと聞かされていた。だが、潜伏生活が始まってすぐに幹部の一人が船と共に姿を消す。残された食料は数週間分。彼らの中に猜疑心が芽生える中、もう一人の幹部が何者かに殺される......。
無人島で連続殺人が起こるというクローズドサークル定番のストーリーです。しかし、それに加えて、殺人犯の手にかからなくてもこのままではほどなく餓死し、運よく救出されても待っているのはテロの実行犯として死刑という絶望的な極限状態が何重ものサスペンスとして迫ってきます。登場人物がテロリストなので感情移入がしがたいところが難ですが、中編程度の長さなのでその辺はあまり気にせず一気に読み切るのが吉でしょう。そして、この作品の最大の見せ場といえるのがタイトルに込められた意味が分かるラストのどんでん返しです。「葉桜の季節に君を想うということ」の作者だけにその切れ味は抜群です。あまり知名度の高い作品ではありませんが、クローズドサークルものの隠れた傑作だといえるでしょう。


マスグレイヴ館の島(柄刀一)
大起業の名誉会長・松坂松太郎は熱狂的なシャーロキアンであったために、70歳の誕生日祝いとしてシャーロック・ホームズにちなんだ大々的なイベントを催すことになる。孤島に建てられた館をホームズシリーズの一編『
マスグレイヴ家の儀式』に登場する館に見立てて、長年矛盾が指摘されてきた作中の暗号を再検証しようというのだ。それに加え、新たに用意した暗号も参加者に解読を競わせるという趣向だった。一乗寺慶子をはじめとする参加者は館の検証と暗号の解読に取り組んでいたが、その最中、主催者のレジーナ松坂が自室のベランダから転落死し、松坂家のホームドクターも岬の崖まで続く足跡を残して消息を断っていた。思わぬ事態に孤島に残っている3人にイベントの中止を伝えようとするがなぜか形態はつながらない。海が荒れているため、島に渡ることも不可能だった。数日後にようやく嵐が収まり、一行は海を渡るが、そこで見たのは3人の死体だった。しかも、平地や独房での転落死に食糧庫での餓死と、いずれも不可解な死に方をしていたのだ。果たしてこの島で何が起きたのか?そして、一連の事件の犯人は?
単に孤島で殺人事件が起きるだけでなく、平行して対岸でも事件が起きるというプロットが凝っています。しかも、魅力的な謎のつるべ打ちで本格ミステリファンにとっては堪らない趣向です。そのうえ、一つ一つの謎に対して非常に凝ったトリックが用意されており、暗号解読のおまけまでついています。非常に素晴らしい作品だといいたいところですが、惜しむらくは謎を見せる演出がぎこちないうえに文章があまりにも平坦すぎます。そのため、かなりの読みにくさを感じてしまい、せっかくのトリックも素直に驚けなくなっているのです。調理の仕方がまずいので人には勧めずらい作品になってしまっていますが、素材は一級品であるだけに興味のある人はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。


2002年(平成14年)

アイルランドの薔薇
(石持浅海)
南北アイルランド統一を謳う武装集団NCFの副議長がスライゴー州の宿屋で殺される。宿屋の宿泊客は8人。その中に殺し屋が紛れ込んでいたのだ。しかし、警察に通報することはできない。この事実を外部に漏らすわけにはいかないからだ。NCFは宿の客を拘束し、犯人探しを始めるが......。
第1期KAPPA-ONEにおいて入選を果たした石持浅海氏のデビュー作。氏が得意としている特殊設定ものの本格ミステリであり、閉鎖空間でもないのに心理的にクローズドサークルが成立している点がユニークです。無理に孤島や雪山を用意しなくてもクローズドサークルが成立するといった事実を示したた点では画期的な作品だといえるでしょう。それに対して、謎解きは地味で堅実。本格ミステリとしては十分楽しめるレベルではあるのですが、設定の特異さと比べると堅実すぎて物足りなさを感じるかもしれません。とはいうものの、得意の設定を利用してのミスリード
日本ではあまりなじみのないアイルランド情勢をうまく本格ミステリの中に落とし込む手腕といい、その完成度はかなりのものです。巧さが光るいぶし銀のような佳作だといえるでしょう。


2003年(平成15年)

『アリス・ミラー城』殺人事件(北山猛邦)
孤島に浮かぶアリス・ミラー城には正体不明の宝が眠っているといわれていた。そして、その島に名の知れた名探偵たちが招待される。探偵たちは到着早々、招待主から「最後まで生き残った人間にはアリスミラーの入手権を与える」と宣言されるのだった。やがて起きる連続殺人。チェスの駒を動かすように名探偵を次々と殺していく殺人鬼の驚くべき正体とは?
雪の降る孤島に建てられた城という舞台設定を始めとして幻想的なムードが作品全体を包んでいます。これだけでクローズド・サークルものとしてはわくわくするものがありあます。また、次々と起きる殺戮の嵐もサスペンスたっぷりでダレるということは全くありません。そしてなにより、この作品の白眉は犯人の正体です。その意外すぎる犯人に対して読者は驚愕するか、意味がわからずにポカンとするかのどちらかでしょう。確かに、この真相は少々難解かもしれません。これをアンフェアだという人もいるでしょう。過去に同一のトリックがあると指摘する人もいます。それはおっしゃる通りです。しかし、個人的には不思議の国のアリスの世界を体現したようなこのトリックをいたく気に入っています。終末的な世界観と幻想的な雰囲気、そして騙し絵的なトリックが三位一体となって忘れ難い印象を刻み込む異色の傑作です。


月の扉(石持浅海)
那覇空港で離陸直前の飛行機が3人の男女によってハイジャックされてしまう。犯人グループの要求は、彼らが師匠と呼ぶ男を連れてくることだった。その師匠というのは虐待を受けている子どもを匿い、逆に誘拐犯として留置所に投獄されている人物だ。緊迫した状況の中で人質に取られた赤ん坊の母親が死体となって発見される。一体、誰がなんのためにこんなことをしたのか?
ハイジャックによってクローズドサークルが成立し、しかも語り手がハイジャック犯という非常にユニークなミステリーです。そして、ハイジャック犯の視点で描かれているからこそ、真相がうまく隠蔽されている点も巧妙です。特殊な設定下においてロジカルな推理が展開されるという、この作者ならではの持ち味が最大限に発揮された作品だといえます。ただ、ハイジャック事件の現場を舞台にしている割には緊張感のなさが気になりますし、物語としてのあと味の悪さも賛否がわかれるところです。そういう意味ではかなり読者を選ぶ作品だといえるでしょう。
2004年度このミステリーがすごい!国内部門8
2004年度本格ミステリベスト10 国内部門 3位
月の扉 (光文社文庫)
石持 浅海
光文社
2006-04-12


2004年(平成16年)

螢(麻耶雄嵩)
オカルトスポット探検サークルの6人は10年前に作曲家が6人の演奏家を殺した事件で知られる洋館へとやってきた。そこで4日間の合宿を行おうというのだ。ところが、突然の豪雨に襲われ、洋館は陸の孤島と化してしまう。そして、起きる殺人事件。学生たちは何とか犯人を特定しようとするが.......。
オーソドックスなクローズドサークルものであり、メインの仕掛けも大したものではありません。しかし、この作品の主眼はサブの仕掛けの方にあります。「読者からみれば自明の事実を登場人物は知らず、その事実を読者が知らないために重要な手掛かりを見落としてしまう」というプロットは麻耶作品ならではのひねくれ具合であり、本格マニアたちをうならせるものです。しかし、逆にいえば、ミステリー初心者にはピンとこない可能性もあり、そういった意味では読者を選ぶ作品だといえます。
2005年度本格ミステリベスト10 国内部門 3位
螢 (幻冬舎文庫)
麻耶 雄嵩
幻冬舎
2007-10-01


金田一少年の事件簿 電脳山荘殺人事件(天樹征丸)
金田一はじめは剣持警部の弟が経営している長野のペンションに招待され、美雪と一緒に出掛ける。しかし、吹雪が激しくなって遭難しそうになった2人はスキー場の外れに山荘を見つけ、そこに避難する。山荘の中にはネット上で交流をしていたミステリーサークル〈電脳山荘〉の面々が集まっていた。メンバーは女子高生のアガサ、医者のワトソン、パンクミュージシャンのシド、女流漫画家のパトリシアといった面々だ。それに、遅れて乱歩とスペンサーがやってくるという。ちなみに、ここでは本名は名乗らないというのがメンバー内で決められたルールだった。そんな中、はじめは、彼が金田一耕助の孫だということで一同から歓迎を受ける。しかし、その裏では恐るべき殺人計画が進められていたのだ.......。
本書は1992年から少年週刊マガジンで連載が始まり、一大ブームを巻き起こしたミステリー漫画の小説版です。同シリーズにおいてクローズドサークルのネタはほぼ定番化しており、今回も舞台設定や犯人像自体には目新しさはありません。その代わり、ミステリーとしての完成度は非常に高く、シリーズの中でも最高傑作の一つといわれているほどです。プロットは細かい部分までよく考えられており、特に、雪山の山荘という古臭い設定に、当時普及したばかりのインターネットを用いたトリックを結び付けている点が秀逸です。さすがに今読むとネタ的な古さは否めませんが、単なる漫画のノベライズとして埋もれさせるには惜しい一作だといえるでしょう。


2007年(平成19年)

女王国の城(有栖川有栖)
大学に姿を見せなくなった江神を心配したアリスやマリアたちは、彼の行き先である長野県と岐阜県の県境を訪れる。そこにはUFOに乗ってやってくるという救世主を信仰する新興宗教団体の本部があり、城と呼ばれていた。21歳の女性が新たな代表の座についたばかりの女王国の城だ。一行は城の中にいる江神となんとか再会を果たすが、そこで殺人事件が発生する。しかも、警察への連絡を拒む団体メンバーによってアリスたちは軟禁状態にされてしまうのだった。
一貫してクローズドサークルのミステリーを描きつけている学生アリスシリーズの第4弾。このシリーズの特徴であるロジックの細やかさは本作でも健在であり、わずかな手がかりを元にして凶器の謎や犯人像を推理していくくだりはさすがの緻密さです。パズラー好きの人にはたまらない作品だといえるでしょう。その反面、事件に関係ない話が多く、中盤のテンポはかなり悪くなっています。ミステリー研究会4人の脱出劇などサイドストーリが楽しめるかどうかで評価は大きくわかれそうです。本格ミステリとして極めて高いレベルにあることは大前提としながらも、ミステリーの密度という点では「月光ゲーム」や「双頭の悪魔」と比べるとやや落ちる気がします。
2008年度このミステリーがすごい!国内部門3
2008年度本格ミステリベスト10 国内部門 1位
第8回本格ミステリ大賞受賞
女王国の城 上 (創元推理文庫)
有栖川 有栖
東京創元社
2011-01-28


インシテミル(米澤穂信)
人文科学的被験者になるだけで時給11万2000円。そんな破格な条件につられて暗鬼館に集まってくる12人の男女。しかし、それは殺し合うことでより多くの報酬を奪い合う殺人ゲームだったのだ。もっとも、何もしなくても生き残ればある程度の報酬はもらえるため、実験期間中の1週間はお互い手をださないという暗黙の了解が自然にできあがる。ところが、3日目の朝に死体が見つかることで、タガが外れ、第2、第3の事件が発生する。果たしてこのデスゲームを生き残れるのは?
クローズドサークルにデスゲームの要素が入り混じり、そこに古典ミステリーのオマージュを盛り込んだ遊び心満載のエンタメ作品です。また、殺人事件の犯人だけでなく、主催者の意図や参加者一人一人の背景、殺人ゲームのルールに秘められた意図などさまざまな謎が絡まり合っているので読んでいる最中には大いに楽しめます。ただ、詰め込み過ぎているせいで一つ一つの謎に対する解答が薄味に感じる点が、やや物足りなく感じられるのが惜しいところです。物語としては相当な面白さがあるだけに、結末の弱さがやや残念ではあります。
2008年度このミステリーがすごい!国内部門10
2008年度本格ミステリベスト10 国内部門 4位
インシテミル (文春文庫)
米澤 穂信
文藝春秋
2010-06-10


2014年(平成26年)

○○○○○○○○殺人事件(早坂吝)
アウトドアを趣味に持つ公務員の沖健太郎はブログで知り合った仲間たちと毎年、仮面の男・黒沼の所有する孤島でオフ会をするのが常だった。赤毛の女子高生が初参加するなど、いつもと違う雰囲気が漂う中、翌日にはメンバー二人が失踪し、ついには殺人事件まで起きる。しかも、意図不明の密室事件が立て続けに起こるのだった。果たして事件の真相は?
第50回メフィスト賞受賞作品。援交女子高生が探偵役を務める上木らいちシリーズの第1弾です。下ネタがミステリーの仕掛けに直結しているのがこのシリーズの特徴であるのですが、その持ち味が1作めからいかんなく発揮されています。最後に最高に下らない真実が明らかにされ、その結果、ロジカルに謎が解けていくのです。これは別の意味で映像化不可能な作品です。クローズドサークルものでここまで脱力必至のバカミスも珍しいのではないでしょうか。このノリを楽しめるかどうか作品の評価は180度違ったものになります。ちなみに本書は「タイトル当てミステリー」と称していますが、タイトルが分かっても別に事件の謎が解けるわけではありません。
2015年度本格ミステリベスト10 国内部門 6位


2016年(平成28年)

ジェリーフィッシュは凍らない(市川憂人)
1983年。ファイファー教授たちの研究チームは真空気嚢という画期的な技術の開発に成功し、よりコンパクトで高性能な飛行船、ジェリーフィッシュを開発することに成功する。さらに、教授たちは軍からの依頼によってステルス機能を持ったジェーリーフィッシュを完成させ、テスト飛行へと旅立つ。ところが、研究員の一人が何者かに殺され、シェリーフィッシュも自動航行システムの暴走によって雪山に不時着を余儀なくされるのだった。そして、さらなる犠牲者が......。
第26回鮎川哲也賞受賞作。90年代以降、クローズドサークルを舞台にした国内ミステリーは爆発的に増えたものの、最後に登場人物が全滅していしまう「そして誰もいなくなった」形式のクローズドサークルは未だ少ないままです。本書はその全滅型クローズドサークルに真正面から挑んだ貴重な作品です。それ故、本作は”21世紀版そして誰もいなくなった”と称されることになります。単に21世紀書かれたというだけでなく、パラレルワールドを舞台にした一種のSFミステリーに仕立てたのもいかにも今世紀的です。その設定自体もよく考えられていますし、設定をうまく活用したトリックも見事です。構成もしっかりしており、全体にセンスのよさを感じます。ただ、異世界を舞台にしたスケールの大きな物語の割に、真相がこじんまりとまとまり過ぎ、サプライズ感に欠けるのが難点だといえるでしょうか。しかし、それを差し引いても、かなり完成度の高い作品であることは確かです。
2017年度このミステリーがすごい!国内部門10
2017年度本格ミステリベスト10 国内部門 3位
2017年(平成29年)

屍人荘の殺人(今村昌弘)
神紅大学ミステリ愛好家会に所属する葉村譲と会長の明智恭介は映画研究会の合宿に参加するため、美少女探偵と名高い剣崎比留子と共に紫湛荘を訪れた。だが、合宿の一日目の夜に異変は起きる。肝試しの最中にゾンビの集団が襲ってきたのだ。葉村たちは
紫湛荘での籠城を余儀なくされるが、恐怖の一夜が明けるとなんと部員の一人が密室の中で他殺死体となっているのが発見される。外にはゾンビ、中には正体不明の殺人犯。果たして彼らは謎を解き明かし、生還への道を切り開くことができるのか。
第27回鮎川哲也賞受賞作品はなんと2年続けてのクローズドサークルものです。しかも、単純な孤島や嵐の山荘ではなく、SF的設定を導入しているところも共通しています。これは、携帯電話が普及した現在、オーソドックスなクローズドサークルが困難になっているということを示しているのでしょうか。それはともかく、本書は鮎川哲也賞史上屈指の傑作と呼び声高い「ジェリーフィッシュは凍らない」をも上回る評判をとり、各種ミステリーランキングを総ナメにするという快挙を達成しています。実際、本作は魅力的な要素がたっぷりつまっている傑作です。まず、文章が読みやすく、ゾンビ襲撃から密室殺人が起きるまでの流れで一気に物語世界に引き込まれていきます。そして、籠城したペンションの外ではゾンビの群れ、屋内では連続殺人が発生するというプロットを用いて緊迫感を盛り上げる手管も見事です。しかも、ゾンビ設定が単にクローズドサークルを成立させるために存在するのではなく、事件の真相に深くかかわっている点に本格ミステリの書き手として卓越した手腕を感じさせます。これで元々はミステリー作家志望ではなかったというのだから驚きです。あえて難点を挙げるとすれば、作者本来の作風であるラノベ的雰囲気が随所に出ていた点と奇抜な設定の割に事件の真相や犯人設定は意外に地味な点について好みが分かれそうなところでしょうか。いずれにしても21世紀に発表されたクローズドサークルものとしては屈指の作品であることは間違いなく、今後これを超える作品がいつ現れるかについて注目が集まるところです。
2018年度このミステリーがすごい!国内部門1
2018年度本格ミステリベスト10 国内部門 1位
第18回本格ミステリ大賞受賞
屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
今村 昌弘
東京創元社
2019-09-11


2019年(平成31年)

魔眼の匣の殺人(今村昌弘)

神紅大学ミステリー愛好会の新会長・葉村譲と名探偵で新たにサークルに加わった剣崎比留子は斑目機関の謎を追ってW県の好見地区に向かう。そこには魔眼の匣という建物があり、村人たちからサキミ様と呼ばれて畏れられている老女が住んでいた。彼女は未来予知を行い、その予言は絶対に当たるというのだ。葉村たちを含めた数人の男女が魔眼の館を訪れたとき、サキミ様は数日の内に村で男2人、女2人が死ぬと告げる。村人たちは予言の成就を恐れて村の外に逃げ出す。しかも、外界と唯一繋がれていた橋を何者かが燃やしたために魔眼の館に逗留していた者は誰も村から出られなくなってしまった。やむを得ず、魔眼の匣の中で救助が来るのを待つ一向。このままでは4人の人間が死ぬことになるのだが、外から来た者の多くは予言に対して懐疑的だった。だが、やがて思わぬ形で最初の犠牲者が出てしまう......。
特異な設定を用い、クローズドサークルの金字塔となった『屍人荘の殺人』ですが、シリーズ第2弾である本作もまた、予言という奇抜なギミックを用い、一級のミステリー小説に仕上げています。なんといってもまず、予言を単なるこけおどしの道具として使うのではなく、謎解きの主軸としてきっちりと使いきっているのが見事です。しかも、4人死ぬという結果はすでに確定しているので、「次は誰が?」というサスペンスがより一層盛り上がってきます。とはいっても、ゾンビが暴れまわる前作に比べると作品のインパクトは弱めです。その代わり、犯人を特定する手管は実にロジカルで、その美しさはエラリー・クイーンや有栖川有栖の代表作を彷彿とさせます。フーダニットミステリーが好きな人にとっては必読の書だといえるでしょう。一方で、犯人の異常な動機については納得しがたいという人もいるかもしれません。ただ、それもロジカルに考えれば犯人像と矛盾することはなく、あくまでもロジックに殉じている点がこの作品最大の魅力だといえます。
2020年度このミステリーがすごい!国内部門3
2020年度本格ミステリベスト10 国内部門 2
魔眼の匣の殺人
今村 昌弘
東京創元社
2019-02-20





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最新更新日2022/06/28☆☆☆

ゾンビはホラー映画の中でも特に高い人気を誇っています。しかし、その人気が確立されるまでには紆余曲折がありました。決して順風満帆な道のりではなかったのです。そこで、ゾンビ映画の有名作品を紹介しつつ、その歴史を振り返ってみることにします。
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1932年


ホワイト・ゾンビ(ヴィクター・ハルペリン監督)
日本では当時「恐怖城」のタイトルで公開された最古のゾンビ映画です。ただ、ゾンビといってもホラー映画によく登場する人間を見境なく襲って人肉を喰らう怪物ではありません。ここでは死体にブードゥー教の秘儀をかけて作りだした、術者の忠実なしもべとして描かれています。むしろ、こちらの方が本来のゾンビであり、現在の形になったのはジョージ・A・ロメロ監督がアレンジを施した結果です。また、本作のゾンビは労働力として無理矢理働かされているため、恐怖どころか哀れささえ漂っています。その代わりに、ドラキュラ俳優のベラ・ルシゴがゾンビを操るブードゥー教の司祭を不気味に演じているわけですが、はっきり言って現代のホラー映画と比べるとあまりにも牧歌的すぎて恐怖を感じるシーンはほとんどありません。今となっては見るべき点はなく、最初のゾンビ映画という歴史的価値のみで語られている作品だといえるでしょう。
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1
968年

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生(ジョージ・A・ロメロ監督)
近代ゾンビを創出した記念碑的作品です。動きが遅くて一匹一匹はそれほど脅威ではありませんが、気が付くと周りを囲まれて逃げ場がなくなってしまうという設定はこの作品から始まっています。同時に、ゾンビ映画の巨匠であるジョージ・A・ロメロの監督デビュー作でもあります。一作目には作家のすべてが詰まっているという言葉の通り、この作品にはロメロ監督のすべてが凝縮されているといっても過言ではありません。しかも、単に作家のエッセンスが詰まっているというだけでなく、驚くべきはその完成度の高さです。物語の冒頭から急転直下の展開となり、その後手際良く主要人物の紹介が行われ、クライマックスへと流れ込むプロットは娯楽映画のお手本そのものです。その上、モノクロの簡素な画面によって想像力がかきたてられ、より恐怖が増幅されていきます。そして、極めつけがラストシーン。この皮肉の利いた結末が、見る者に強烈な余韻を与えます。ゾンビ映画というジャンルが確立されたのも本作の完成度の高さがあったが故だといえるでしょう。
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1974年


悪魔の墓場(ホルヘ・グロウ監督)
「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」が当時は劇場未公開だったため、日本で公開された初めての近代ゾンビ映画となった作品です。内容は明らかに「ナイト・オブ・リビング・ザ・デッド」の影響がみられます。一方で、本家はパニックホラーなのに対して本作は主人公に殺人容疑がかかるサスペンス映画風にまとめられている点にオリジナリティがあります。とは言え、本家と違って恐ろしくテンポが悪く、目の肥えた今のゾンビ映画ファンが観賞するにはかなりつらい作品です。特に、ゾンビの存在を主張する主人公とそれを信じない警察官のやり取りは、観ていてイライラするばかりです。ただ、はらわたを引き裂いて貪り食ったりするゴア描写はさすがイタリア映画といった感じでなかなかの迫力です。また、不気味な音楽とあいまって雰囲気自体は悪くないのでゾンビ映画の歴史を知るという意味では一度チャレンジしてみるのもよいのではないでしょうか。
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1978年

ゾンビ(ジョージ・A・ロメロ監督)
ジョージ・A・ロメロの名前を世界に轟かせた彼の最高傑作。同時に、ゾンビの名も世界中に広まり、以後は雨後のタケノコのごとくゾンビ映画が作られるようになります。その結果、現在ではゾンビ映画も大きく進化し、本作も恐怖という点では大した作品ではなくなってしまいました。ノロノロと動くゾンビは今見ると微笑ましくさえあります。ただ、この映画の神髄はホラー映画としての怖さでも血みどろのゴア描写でもありません。ゾンビに支配され、遠からず人類は絶滅するであろうという滅びのドラマが敷衍的に語られているところにこの作品の凄味があります。舞台のほとんどがショッピングモールの中に限定されているのにも関わらず、もうすぐ世界が滅ぶのだという詩情にも似た切なさがビンビンと伝わってきます。そうした表現力の高さが、本作をホラー映画の枠を超えた不朽の名作へと押し上げたのです。






1979年


サンゲリア(ルチオ・フルチ監督)
ゾンビの世界的ヒットを受けて製作された完全な便乗作品であり、タイトルを勝手に「ゾンビ2」にしている辺りはさすがイタリア映画といったところです。ストーリー的にも特に語るべき点はなく、ただカリブ海に浮かぶ南の島がゾンビだらけになって登場人物たちを襲うというだけの作品です。パクリ元と比べるとあまりにも物語としての深みに欠けます。しかし、その一方で、この作品はマスター・オブ・ゴアことルチオ・フルチ監督のホラー映画デビュー作でもあります。そのゴア描写は強烈で、ゾンビの体は腐敗してウジが湧き、人間の眼球を思いっきり串刺しにするなど、ロメロ監督のゾンビが単なる青瓢箪に見えるほどのインパクトがあります。その残虐性は芸術の域に達しているといっても過言ではありません。他にも、水中でゾンビとサメが闘うシュールなシーンも忘れ難い味わいがあります。ゾンビ映画史を語る上で欠かすことのできないカルト的傑作です。
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2014-08-02



1985年

死霊のえじき(ジョージ・A・ロメロ監督)
1985年にはゾンビ映画が多数上映され、ゾンビ文化が一気に花開いていきます。そして、そのトップを飾ったのが、近代ゾンビ映画の父であるロメロ監督の「死霊のえじき」でした。ただ、「死霊のはらわた」のブームと、邦題はとりあえず話題になった作品からパクるという悪しき風習のせいでタイトルが意味不明なことになっているのが、この作品の不遇さを物語っています。一大ブームを巻き起こした「ゾンビ」でしたが、本作公開当時のネームバリューはすでに「死霊のはらわた」を下回っていたわけです。ちなみに、原題は「デイ・オブ・ザ・デッド」。死者の夜→死者の夜明け→死者の日という流れで地球がゾンビに支配されていく過程を描いたゾンビ3部作の完結編という位置づけです。
本作の冒頭ではすでに地球のほとんどがゾンビによって占拠され、科学者の試算ではゾンビと人類の比率は40万対1という絶望的な数字がはじき出されています。生き残ったわずかな人間は地下の軍事基地でひっそりと生活しているという終末感満点のスタートです。基地の周辺には大量のゾンビが群がっており、もう絶望しかありません。しかし、それ以上にひどいのが軍人と科学者の内輪もめで、終始グダグダしながら自滅していくさまは見ていて非常にイライラします。確かに、人間による自滅はロメロゾンビの様式美ではあるのですが、「ナイト・オブ・ザ・リビングデット」のテンポのよい娯楽性の高さ、「ゾンビ」での人間ドラマとしての深みに比べると、本作の内輪もめは単に冗長な印象しか持てないのがつらいところです。それでもラスト15分のクライマックスはゴアシーンも含めてなかなか見応えがあり、かろうじて単なる凡作になるのだけは免れています。また、知性と感情の痕跡を持つゾンビを登場させたのもなかなか印象的ではありました。これで、ロメロ監督が最初に構想していたゾンビ対人類の派手な戦闘シーンがあれば傑作になった可能性もあったのではないでしょうか。そう考えると、予算不足でその構想を断念せざるを得なかったのが、いかにも惜しまれます。
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ロリー・カーディル
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2012-09-04






バタリアン(ダン・オバノン監督)
この年にゾンビ映画が脚光を浴びたのは間違いなくこの作品があったからでしょう。本作はホラー映画の体裁を取りながらもコミカルな味付けをすることでゾンビ映画の新しい可能性を示しました。しかも、この映画のゾンビは走るゾンビです。21世紀にスタンダードとなった全力疾走のソンビがすでにこの時点で登場していたのです。ちなみに、同じ1985年公開の「デモンズ」も走るゾンビ扱いされることがよくありますが、正確にいうとあちらは悪魔憑きであってゾンビではありません。一方、バタリアンですが、こちらは走る上に知能も人間並みです。自ら警察に応援を要請して新たな犠牲者をおびき寄せたりしています。はっきりいって歴代ゾンビの中でも手ごわさという点では最強クラスでしょう。主人公たちはそのゾンビに追い詰められていくわけで、あるのは絶望だけです。しかし、そのお先真っ暗な展開の中にコメディ要素を散りばめている点が当時の映画としては斬新だったというわけです。これ以降、コミカルなホラー映画が数多く製作されるようになりますが、笑いと恐怖のバランスという意味では現代でもこの作品が頭ひとつ抜けています。「ゾンビ」や「サンゲリア」に並ぶ20世紀ゾンビの金字塔です。
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クルー・ギャラガー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-08-02


ZOMBIO/死霊のしたたり(スチュアート・ゴードン監督)
本作はラブクラフトの「死体蘇生者ハーバード・ウェスト」を下敷きにしていますが、原作の持つ味わいなどはガン無視でとにかくエログロに突き抜けたB級ホラーに仕上がっています。全体的におバカなノリの映画でスプラッター描写が苦手でなければ気楽に楽しむことができるでしょう。特に、研究のためにはすべての行為が正当化されるとばかりに、死体蘇生に邁進してはゾンビを大量発生させてしまうウェストがよい味を出しています。同時に、生首ゾンビのビル教授もウェストに負けない怪演を見せてくれます。ゾンビ映画というよりは二人のマッドぶりを楽しむ映画だというのが正確なところではないでしょうか。
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ジェフリー・コムズ
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2013-04-12



1990年

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀(トム・サヴィーニ監督)
あの名作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のリメイク作品でストーリーも22年前の原作をほぼ踏襲しています。その中で大きな違いといえるのがヒロインポジションにいるバーバラの扱いです。原作ではキャーキャー言っているだけの存在でしたが、本作では時代を反映して闘う女性に変更されています。全体のストーリーも洗練され、より見やすくなっています。ただ、ラストのオチは原作の方が秀逸です。その他には大きなアレンジはないので安心して見られる反面、ゾンビ映画としての新鮮さには欠ける面はあるかもしれません。それにしても、同時期のホラー映画と同様、タイトルに死霊と付けられているのはなんとかならなかったのでしょうか。もちろん、本作は死霊とはなんの関係もありません。
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トニー・トッド
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2004-10-27




1992年


ブレインデッド(ピーター・ジャクソン監督)
監督は当時ホラー・コメディの作り手としてマニアから注目を集めていたピーター・ジャクソンです。そして、本作は彼のマニアックな一面を全開にした作品に仕上がっています。本当に「ロード・オブ・ザ・リング」で世界的な名声を得たのが信じられないほどのマニアっぷりです。とにかく、ぶちまけられる血の量が半端ではありません。クライマックスでは大量発生したゾンビが電気芝刈り機で切り刻まれるシーンが延々と続き、床一面が文字通りの血の海になっていきます。しかも、ゾンビが子作りに励み、速攻で赤ちゃんゾンビが生まれてくるなど、悪趣味度数も超一級です。80年代に流行ったスプラッター映画の究極形とでもいうべき作品です。しかし、逆に、行きつくとこまで行った結果、この作品以降、ゾンビをはじめとするスプラッター映画は急速に下火になっていっていくことになります。
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ティモシー・バルム
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2002-02-22


2002年

28日後...(ダニー・ボイル監督)
「デモンズ」と同じく、正確にいうとこの作品もゾンビ映画ではありません。しかし、90年代に完全に下火となっていたゾンビ映画というジャンルを復活させた功績はあまりにも大きく、その歴史を語る上で欠かすことのできない作品となっています。ちなみに、襲いかかってくるのはゾンビではなく、ウイルス感染によって錯乱状態に陥ったただの人間です。しかし、理性を失っている点はゾンビと同じで、しかも生きているので動きが機敏です。常に全力疾走で襲いかかってきます。確かに、「バタリアン」も走るゾンビでしたが、コメディ半分のあっちとは違ってこちらは100%シリアスなのでばったりと遭遇した時の恐怖が半端ではありません。映画的にも前半の廃墟と化したロンドンの描写は異様な迫力があり、今までのゾンビ映画にはなかった緊迫感を抱かせてくれます。ただ、問題は映画の後半で、「生き残った市民VS暴走した軍隊」という展開にシフトするのはいかがなものでしょうか。この手の映画で人間同士の仲間割れはお約束とはいえ、感染者が完全にメインから外れてしまったのはホラー映画としてバランスを欠いているように思います。
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2008-06-06


バイオハザード(ポール・WS・アンダーソン監督)
90年代に入ると日本のアニメやゲームが世界的に人気を集めるようになり、ハリウッドでも盛んに映画化されるようになりました。しかし、出来上がったものは「スーパーマリオ」「ストリートファイター」「北斗の拳」などといったワースト映画に名前が挙がってくるようなものばかりでした。もちろん、興行的にも大失敗です。そんな中で当時、唯一の成功作と言われたのが本作です。そもそも、ゲームの世界観を忠実に再現しようとするとどうしても作り物っぽくなってしまうのですが、この作品はその問題をうまく消化しています。いかにも、ゲームのステージっぽい人工的な舞台を構築しながらも死と隣り合わせのサスペンスをセットにすることで不自然さを感じさせない作りになっているのです。そして、ヒロインを演じたミラ・ジョヴォヴィッチの美しさもゲームキャラっぽっくて人工的な世界観とマッチしています。ただ、映画全体がスタイリッシュにまとめられているため、ゾンビ映画特有のグロテスクさはあまりなく、ラスボスのCGが今見ると安っぽい点は賛否の分かれるところでしょう。
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2012-08-22



2004年

ドーン・オブ・ザ・デッド(ザック・スナイダー監督
名作「ゾンビ」のリメイクですが、同時に走るゾンビのモデルケースとなった「28日後...」の発展型というべき作品でもあります。ショッピングモールに立て籠もるという原作の流れを踏襲しつつも、全力疾走のゾンビを相手にすることでホラー映画としての恐怖は格段にレベルアップしています。登場人物も個性的なキャラが増え、娯楽性の高さでは圧倒的にこちらの方が上です。
その反面、滅びゆく人類のドラマを詩情豊かに描くといった原作の美点は失われていますが、それは致し方ないところでしょう。いずれにしても、本作の成功によってゾンビ映画は完全に復活の流れに乗ることになります。



ショーン・オブ・ザ・デッド(エドガー・ライト監督)
「ドーン・オブ・ザ・デッド」とほぼ同時期にイギリスで公開されたゾンビ映画の傑作です。「ドーン・オブ・ザ・デッド」が走るゾンビを採用してロメロゾンビのパワーアップを図ったのに対して、こちらはロメロゾンビの上質なパロディ作品になっています。特に、「ドーン・オブ・ザ・デッド」を観た後ではゾンビののろさが余計に際立ちます。あまりにものろいので単なる酔っ払いにしか見えなくて主人公がなかなかゾンビの存在に気付かないあたりの展開が秀逸です。他にも、ゾンビ映画のお約束を上手く外すことで生じるギャグが多く、ゾンビ映画が好きな人にとっては最高に楽しい作品に仕上がっています。ただ、クライマックスに突入するとパロディ要素が後退してしまい、普通のゾンビ映画になってしまったのは少し残念です。ちなみに、2004年春の時点ではゾンビ映画は当たらないと思われていたため、これだけの傑作にも関わらず日本では劇場未公開の憂き目にあっています。
ショーン・オブ・ザ・デッド [Blu-ray]
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KADOKAWA / 角川書店
2017-07-28



バイオハザードⅡ アポカリプス(アレクサンダー・ウィット監督)
シリーズも2作目になってゲームの映画化という面がさらに強く打ち出されています。ネメシス、ジル・バレインタインといったゲームでおなじみのキャラクターが登場し、派手なドンパチが繰り広げられていくのが大きな見どころです。ただ、いかにもゲームの見せ場をつなげてみましたといった作品になっていて、ゾンビ映画が持つおぞましい魅力からはさらに後退しています。とは言っても、単純な娯楽映画としては悪くない出来なので、この作品に関しては肩の力を抜いて気楽に見るのが正解でしょう。ちなみに、本シリーズはパート6まで製作され、ゾンビ映画としては希有の長期シリーズとなっていきます。
バイオハザードII アポカリプス [Blu-ray]
ミラ・ジョヴォヴィッチ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2010-05-26



2005年

ランド・オブ・ザ・デッド(ジョージ・A・ロメロ監督)
ゾンビ映画人気再燃の波に乗ってロメロ監督も再びゾンビ映画を作ることになります。とは言っても、彼のゾンビ映画はすべて世界観がつながっているので登場するゾンビは昔ながらの走らないゾンビです。その代わり、「死霊のえじき」に続いて知能や感情を持つ覚醒ゾンビが登場するという他のゾンビ映画にはないオリジナリティが付加されています。ただ、覚醒ゾンビは言葉こそしゃべらないものの、あまりにも人間臭いのでホラー映画としての怖さは随分後退してしまった感があります。その分、人間とゾンビの対立構造が格差社会の縮図に見えてくる点が社会派映画風でもあり、従来のゾンビ映画とは違った楽しみ方ができるのが本作の魅力です。ロメロ監督だからといって王道ゾンビ映画を期待すると肩すかしを喰らうかもしれませんが、ちょっと風変わりなゾンビ映画を見たいという人にはおすすめです。
ランド・オブ・ザ・デッド [Blu-ray]
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ジェネオン・ユニバーサル
2012-04-13



2007年

28週後..(フアン・カルロス・フレスナディージョ監督)
映画の冒頭は前作のゾンビ騒動の真っ只中から始まるのですが、全速力で追いかけてくるウイルス感染者たちの怖さが半端ありません。冒頭で逃げている男は妻を見捨て、友人を裏切って生き延びようとするクズです。しかし、こんな状況に追い込まれたらきれいごとなんて言ってられないと、思わず男に同情したくなります。そして、半年後。感染者たちはゾンビでもなんでもなく、ただの人間なので人々が英国から脱出した後は食料を断たれて全員餓死します。やがて、新たな感染の恐れがないことが確認され、英国から逃げ出した人々が戻ってくるのですが、当然の如く、再びパンディミックが起きます。冒頭で見捨てられた妻が生き延びていたのが発見され、しかも彼女はウイルスのキャリアだったのです。妻と再会した男が彼女にキスをしたため、男が発症してあっという間に感染が広がっていきます。前作では暴徒と化した軍と市民との戦いが後半のメインストーリーになってしまい、ゾンビ映画としてはちょっと焦点がぼやけてしまった感がありました。それに対して、今回はパンディミックを最小限に食い止めようとして汚染地域の人間を皆殺しにしていく軍となんとか軍の包囲網を突破しようとする主人公たち、そして、いつどこから襲ってくるか分からない感染者との三つ巴の戦いが繰り広げられます。前作と違って軍の立場も理解できるだけに、より絶望感が深くなり、見応えのある映画となっています。全体のテンポもよくゾンビ映画の中では良作といってよい作品だといえるでしょう。
28週後... [Blu-ray]
ロバート・カーライル
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2017-08-02



REC/レック(ジャウマ・パラゲロ監督)
スペイン発のゾンビ映画。テレビの撮影スタッフが消防士の密着取材をするために通報のあった建物に入ったところ、謎の感染者たちに襲われるという設定です。ただ、作中では感染者たちはゾンビではなく、悪魔憑きと説明されています。そのため、「デモンズ」と同じくオカルト映画の面がある一方でウイルスによって感染するという点がゾンビ的でもあり、ジャンルとしてはボーダーライン上の作品だといえるでしょう。本作の特徴は
1999年の「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」以降流行となったPOV方式で撮影されている点です。そのため、低予算映画ながらも臨場感あふれるホラー映画に仕上がっています。POVといえば非常事態になっても決してカメラを手放さずに撮影を続ける登場人物の行動にどうしても不自然さがあったのですが、本作では撮影者をプロ根性あふれる報道スタッフにすることでその問題をクリア。また、POV作品は画面がぶれすぎて、何が起こっているのかよくわからないという声がしばしば聞かれます。かといって、見やすくするととたんに嘘くさくなるというのが頭の痛い問題でした。それに対して、本作は見やすさと臨場感をギリギリのバランスで両立させており、その完成度の高さは歴代POV映画の中でも上位に位置します。さらに、上映時間を80分程度にしてテンポよくまとめたのも功を奏して緊張感を持続させることに成功しています。ストーリー自体は単純でありふれたものですが、ドキュメンタリータッチのゾンビ映画に興味がある人にはおすすめの一本です。ちなみに、本シリーズは4作まで作られていますが、シリーズが進むごとに超能力の要素が出てくるなどしてフェイクドキュメンタリーとしての味わいやゾンビ映画っぽい世界観は失われていきます。
REC/レック [Blu-ray]
マニュエラ・ヴェラスコ
Happinet(SB)(D)
2012-04-27


プラネット・テラー in グラインドハウス(ロバート・ロドリゲス監督)
バイオ兵器が人為的な事故によって外部に漏れ、ゾンビが増殖していくというのはゾンビ映画においてはお決まりのパターンです。しかし、それなりの製作費をかけていながらも、徹底したB級感覚と低俗さにこだわり抜いている点が異彩を放っています。また、ゾンビに片足を喰われたヒロインがその足にマシンガンを装着して大暴れするという後半の展開もインパクト大です。血肉にまみれたぐちょぐちょシーン盛りだくさんというゾンビ映画の体裁をとりつつも、ホラー映画としての怖さはほとんどありません。どちらかといえば、派手にゾンビどもをなぎ倒していくバイオレンスアクションの色が強い作品です。それにツッコミどころ満載のお馬鹿なノリをプラスしており、頭をからっぽにして楽しめる面白さに満ちています。特に、俳優として出演しているタランティーノ監督の怪演は必見です。さらに、ライフルやガトリングガンをぶっ放すアクションシーンは爽快感満点で、その辺りはさすがロドリゲス監督といったところでしょうか。グロいシーンが苦手という人にはあまりおすすめできませんが、そうでなければ、ストレス解消にもってこいの快作です。



2009年

ゾンビランド(ルーベン・フライシャー監督)
ゾンビ映画のお約束を踏襲しつつ、それを笑いに転化したコメディ映画です。特に、オタクの主人公が考えたゾンビから生き残るためのルールが的を得ていて笑えます。それに、主人公と一緒に旅を続ける仲間たちもキャラが立ちまくりなのでロードムービーとしても楽しい作品に仕上がっています。コメディ仕立てのゾンビ映画としては「ショーン・オブ・ザ・デッド」と双璧となす存在だといえるでしょう。ただし、あちらが皮肉と社会風刺がたっぷりと効いているいかにも英国風味の映画だったのに対して、こちらはカラッとしたアメリカンな味わいです。どちらが好みに合うか観比べてみるのも一興ではないでしょうか。
ゾンビランド [Blu-ray]
ウディ・ハレルソン
Happinet(SB)(D)
2013-09-03



2013年

ワールド・ウォーZ(マーク・フォスター監督)
本作は北米だけで興行収入2億2000万ドルを叩きだし、ゾンビ映画史上最大のヒット作となりました。その見どころはなんといっても津波の如く襲い掛かってくるゾンビです。走るゾンビの究極形というべき存在で津波というのが全く比喩ではなくなっています。大量のゾンビがものすごい密集隊形をとりながら全力疾走するので食われるという以前に、追いつかれた時点で圧死間違いなしです。しかも、頑強なビルに逃げ込んでも積み重なってピラミッドを形成したソンビが屋上から襲いかかってくるのだから手におえません。その上、噛まれると数秒で発症するという凶悪さです。歴代でもバタリアンとタメを張る最強最悪のゾンビといえるでしょう。そんな彼らの縦横無尽の暴れっぷりは一見の価値ありです。ただ、前半派手な見せ場が散りばめられていた物語は後半急速に失速し、こじんまりとした展開に終始するようになります。未だかつてない迫力で描かれたゾンビ映画だっただけに、画竜点睛を欠く結果となったのは残念です。
ワールド・ウォーZ (字幕版)
デヴィッド・モース
2013-12-20


ウォーム・ボディーズ(ジョナサン・レヴィン監督) ゾンビの青年と人間女子との禁断の恋を『ロミオとジュリエット』に見立てて描いた恋愛コメディです。ユニークなのが、物語をゾンビの青年の視点から語っているところで、ゾンビ化してほとんどしゃべれなくなっているのにモノローグでは饒舌というギャップが笑えます。また、人肉を食べるという設定を残しつつも、ゾンビたちをキュートに描いている点も秀逸です。ストーリー自体はご都合主義が目立つものの、テンポの良さと設定の斬新さがそれを補っています。ホラーとしてのゾンビ映画を求めている人には物足りないかもしれませんが、ホラー映画は苦手という人やたまには毛色の違うゾンビ映画を見てみたいという人にはお勧めです。
ウォーム・ボディーズ [Blu-ray]
デイヴ・フランコ
KADOKAWA / 角川書店
2014-02-07


2014年

処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビ(トミー・ウィルコラ 監督) 2009年公開のノルウェー映画『処刑山 -デッド卐スノウ-』の続編です。前作は雪山に遊びに来た学生たちがナチスのゾンビに襲われる話で、「海に行けばよかった」のキャッチコピーがちょっと話題になっただけの低予算B級ホラーに過ぎませんでした。しかし、本作で大きくパワーアップ。安っぽさは残っているものの、中途半端なホラー要素を捨てて序盤からコメディに振り切ったことで全編がエネルギーに満ちています。前作で右腕を失った主人公がナチスゾンビの腕を移植しての暴れっぷりが爽快ですし、ナチスゾンビを壊滅させるためにソビエト兵をゾンビとして蘇らせるという発想もぶっ飛んでいます。人間側もゾンビ側もキャラがたちまくっており、そして何より、まるで戦争映画のようなゾンビ軍団VSゾンビ軍団の一大バトルが見応え満点です。笑って観ることのできるエンタメ系ゾンビ映画としては最上位の面白さだといえます。ただ、ハリウッド映画と違って子供でも容赦なく殺されてしまううえに、ハラワタや汚物がぶちまけられるシーンが満載なので苦手な人は注意が必要です。なお、本来であれば前作から順番に観ることおすすめしたいところですが、冒頭で前作のあらすじが紹介されているため、本作から観ても特に問題はありません。
処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビ [Blu-ray]
スティッグ・フローデ・ヘンリクセン
アムモ98
2020-07-03


2016年

アイアムアヒーロー(佐藤信介監督

日本でもゾンビ映画自体は色々と作られてきましたが、どれも変化球で真っ向勝負の作品は皆無に等しいというのが現実でした。しかし、ついにその殻を破る作品が現れました。それが本作です。原作コミックのエッセンスをうまく取り入れ、スケールの大きなゾンビ映画を作り上げています。これなら海外作品と比べても引けを取ることはないでしょう。特に、ゾンビ発生によって日常が崩壊していく様は真に迫っており、これぞゾンビ映画といった仕上がりです。映像も邦画にしてはかなり頑張っていますし、配役もうまくはまっています。ソンビ映画として新味に欠けるという問題はありますが、日本でこれだけ完成度の高いゾンビ映画が誕生したという事実に素直に喝采を送りたいというのが正直な感想です。


新感染 ファイナル・エクスプレス(ヨン・サンホ監督)
「アイアムアヒーロー」と同時期に韓国で公開された高速鉄道を舞台にしたゾンビ映画。ゾンビに噛まれた乗客が列車に逃げ込んだことで車内でパンディミックが発生。しかし、ゾンビの爆発的な増殖は国内全土に広まっており、列車に乗り続けるのも地獄、降りるのも地獄というシチュエーションがサスペンスを盛り上げてくれます。同時に、一難去ってまた一難という畳みかけるテンポの良さも特筆すべきものがあります。また、人間の利己的な部分をリアルに描いている一方で、登場人物の一人一人が魅力的でキャラの立て方も秀逸です。物語の主軸となっている父娘の関係も過剰にベタつくことなく、うまくゾンビ映画と絡めており、非常にバランスのよい娯楽映画に仕上がっています。ただ、ゾンビの設定に一貫性がなく、ご都合主義が目立つ点はやや減点対象です。
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キム・スアン,チョン・ユミ,マ・ドンソク,チェ・ウシク,アン・ソヒ,キム・ウィソン,チョン・ソギョン,チャン・ソクファン,チェ・グィファ,シム・ウンギョン コン・ユ
株式会社ツイン
2018-01-24



2017年

カメラを止めるな!(上田慎一郎監督)

37分のワンカット短編ゾンビ映画を撮影中に本物のゾンビが乱入し、それでも撮影が続行されるという、フェイクドキュメント風の手法を用いた作品です。しかも、製作費はわずか300万円という超低予算にも関わらず、口コミによって大ブレイクを果たします。それだけを聞くと、1999年にアメリカで制作されたインディーズ映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を連想する人もいるでしょう。しかし、似ているのは最初だけです。この作品は2段構えの仕掛けにより、実にオリジナリティの高い映像世界を構築することに成功しています。出だしは単なる安っぽい映画なのに、巧みに物語の世界に引きずり込んでいく手管は見事としかいいようがありません。ゾンビ映画の歴史に新たな1ページを刻み込んだ異色の傑作です。
カメラを止めるな! [Blu-ray]
濱津隆之
バップ
2018-12-05






★★★
以下の作品はAmazon Prime Videoでも視聴可能です。希望の作品の画像をクリックするとPrime Videoの該当ページに行くことができます。


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最新更新日2021/02/05☆☆☆

本格ミステリのクライマックスといえば、なんといっても探偵が事件の謎を解き、真実が白日の下にさらされる瞬間です。しかし、そのクライマックスがひとつの物語の中で何度も繰り返して味わえる作品があります。それが多重解決ミステリーです。事件の全貌が見る角度によってどんどん姿を変えていく。そんな万華鏡のような変幻自在さがたまりません。1929年の『毒入りチョコレート事件』に端を発したこのジャンルの中で個人的におすすめの作品を紹介していきます。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

1925年

陸橋殺人事件(ロナルド・A・ノックス)
ロンドンの外れにあるゴルフ場でゴルフを楽しんでいた4人組は大の探偵小説好き。その日もミステリー談義に花を咲かせていたところ、鉄道の通っている陸橋から墜落したとおぼしき男の死体を発見する。しかも、死体の顔は身元の判別がつかないほどに潰れていたのだ。警察の捜査が始まるなか、4人組は素人探偵を気取り、警察を出し抜こうとそれぞれの推理を語り始めるのだが.......。
多重解決ものの萌芽がみられる作品です。しかし、あくまでも萌芽であり、ジャンルを確立するには至っていません。なぜなら、4人の語る推理はいずれも根拠が脆弱で多重解決というほどに一つ一つの推理に説得力や魅力があるわけではないからです。そもそも、この作品は素人探偵が当たり前のように職業警官を出し抜く安易な探偵小説を皮肉ったものであり、多重解決を念頭に置いて書いたわけではないのでしょう。真相自体も魅力に欠け、肩すかしを覚えてしまう点も多重解決ものとしては物足りなさを感じてしまいますが、それもノックスがやりたかったことを考えれば当然の帰結だといえます。結局、本作はアンチミステリーとして評価されるべきものであり、多重解決的な趣向はその副産物にすぎないのです。
陸橋殺人事件 (創元推理文庫)
ロナルド・A. ノックス
東京創元社
1982-10-29


1929年

毒入りチョコレート事件(アントニイ・バークリー)
ある男のもとに送られてきた試食用のチョコレート。それを他の男が譲り受け、妻と一緒に食べる。結果、妻は毒死し、夫は死の淵をさまようがかろうじて一命を取り留めた。一連の事件の犯人は一体誰なのか?ロジャー・シェリンガムが主催する犯罪研究会の面々はその真相を突きとめるべくお互いの推理を披露しあうが…。
ひとつの犯罪に対して6人の探偵役が6つの推理を披露するというなんとも贅沢な作品です。もともとこれは、「名探偵の推理なんて解釈次第でどうにでもなる」というアンチミステリー的なアプローチであったわけですが、同時に、パズラーの極北とでもいうべき謎解きの面白さに特化した作品がでもあります。黄金時代における本格ミステリのひとつの到達点だといえるでしょう。一方、探偵役が変わるごとに新しい手がかりが追加されるので本格ミステリとしてアンフェアであるとの意見もあります。しかし、パイオニア的作品にそこまでの厳密性を要求するのは酷というものです。ここは素人探偵が繰り出すさまざまな推理を素直に楽しむのが吉です。いずれにしても、本作は多重解決ものというジャンルを生み出し、後世に強い影響を与えたミステリー史における重要作品であることは間違いないでしょう。
毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2009-11-10


1932年

ギリシャ棺の謎(エラリー・クイーン)

盲目の美術商ハルキスが亡くなり、葬儀が執り行われた。しかし、葬儀の後に金庫から遺書が消失していることが判明する。ニューヨーク市警による懸命の捜査にも関わらず、遺書を発見することはできなかった。その時、大学を卒業したばかりのエラリー・クイーンは自信たっぷりに自分の推理を披露し、遺書はハルキスの棺の中にあると断言する。しかし、中から出てきたのは遺書ではなく、身元不明の死体だった。
「毒入りチョコレート事件」は複数の探偵役が推理を競い合ういう趣向なのに対して、本作では名探偵が誤った結論を出し続け、そのたびに推理を再構築する姿が描かれています。後期クイーン問題の前哨戦というべき作品ですが、さすがに全盛期に書かれた作品だけあって後期のものと比べると推理の切れ味が違います。たとえ誤りの推理であってもそのロジックに説得力がある点が本作の大きな美点だといえるでしょう。しかも、迷走の末にたどり着いた犯人の意外性もこの作品をより魅力的なものにしています。二転三転する長大な物語を緊密なプロットで築き上げた作者の手腕には感嘆するばかりです。ただ、その分、読破するには少々骨が折れる面があり、話が動き出す後半までは忍耐が必要かもしれません。
ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2014-07-30


1936年

三人の名探偵のための事件(レオ・ブルース)
医師のサーストン氏が自宅で何者かに殺される。屋敷には怪しげな人間が何人もいるが、現場は密室状態であり、何者も犯行は不可能なように思われた。あくる日、どこからともなく3人の名探偵が姿を現し、独自に捜査を開始する。果たして、彼らの中で真相にたどり着けるのは一体誰なのか?
レオ・ブルースはイギリスの作家で本作はその処女長編であるのですが、そこで自国が誇る3人の名探偵、ブラウン神父、エルキュール・ポアロ、ピーター・ウィージイ卿をモデルにした探偵たちを登場させ、小馬鹿にするという大胆不敵なことをやっています。これを後世の作家が行うというのであれば理解できますが、当時、アガサ・クリスティとドロシー・セイヤーズはまだ現役でした。というか、全盛期真っただ中です。その中でこのネタをやってみせたレオ・ブルースは怖いもの知らずという他ありません。それはともかく、多重解決ものとしてこの作品はなかなかよくできています。3人の探偵の推理は十分楽しめる内容ですし、名探偵の存在自体がミスディレクションとなって読者の思考を真相から遠ざける手法も見事です。名探偵がことごとく失敗する一方で、当時の推理小説では道化役にされがちだった頭の固い警察官(後のシリーズ探偵となるビーフ巡査部長)が真相を言い当てるというプロットも皮肉が効いています。ただ、肝心の名探偵が元ネタの特徴をあまり上手に再現できていないため、アガサ・クリスティやチェスタントの作品を読み慣れた人にとっては微妙に感じてしまうかもしれません。


1941年

白昼の悪魔(アガサ・クリスティ)
地中海の避暑地の島で美しき元女優が殺される。しかし、関係者は全員鉄壁のアリバイで守られていた。この難事件にポワロはどう立ち向かうのか。
本作は推理合戦があるわけでも、真相が二転三転するわけでもないのですが、ポワロが容疑者全員のアリバイについて「でも、こうすれば犯行は可能だよね?」とばかりに一つずつ可能性を提示して無実の人間も含めて全員のアリバイを崩していくくだりがスリリングです。それがこの作品の本筋ではないので、多重解決としての趣向は薄いのですが、ほどよい良いアクセントとなって作品のサスペンスを盛り上げてくれます。
白昼の悪魔 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ クリスティー
早川書房
2003-10-01


1955年

はなれわざ (クリスチアナ・ブランド)
休暇を利用して地中海の孤島にやってきたコックリル警部。だが、そこでツアーのメンバーの一人が何者かに殺害される。地元警察の捜査能力に不安を感じたコックリル警部は自ら協力を申し出て、独自に捜査を始めるが......。
探偵がバカンス中、孤島で殺人事件に遭遇し、しかも容疑者全員にアリバイが成立するというプロットはクリスティの「白昼の悪魔」に酷似しています。そのアリバイを一つずつ崩していくというところまで同じでその部分が多重解決の趣向となっているわけです。しかし、当然のことながらメイントリックは全くの別物であり、「白昼の悪魔」とはまた違った大胆な仕掛けが炸裂します。読み比べてみるのも一興でしょう。
はなれわざ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
クリスチアナ ブランド
早川書房
2003-06


1975年

ウッド・ストック行最終バス(コリン・デクスター
夕闇の中をヒッチハイクをしている二人の娘。そして、その夜、一人の娘が酒場で死体となって発見される。しかも、彼女には暴行された跡があったのだ。もう一人の娘は一体どこに消えたのか。謎の多い事件に主任警部のモースが挑む。
ミステリーにおける探偵役というのは大抵、自分の推理が完全に組み終わるまで一切口外しない天才型か、足で情報を集めて真相に一歩ずつ近づいていく凡人型のどちらかなのですが、モース警部はどちらのタイプでもありません。仮説を思いついては外し、外しては新しい仮説を思いつくという試行錯誤型です。しかも、エラリー・クイーンのようにロジックで仮説を組み立てるのではなく、思い付きを羅列するだけです。そのため、読者はモース警部の行きたりばったりの推理に振り回されることになります。本作はシリーズ1作目ということもあってまだおとなしい方なのですが、それでも中盤から後半にかけては次第に彼の本領が発揮されていきます。特に、1万人以上の容疑者の中から犯人の条件を当てはめて一人に絞っていくくだりなどはなんともユーモラスです。精密なロジックではなく、あくまでも思い付きとその裏付け調査によって真相にたどり着こうとするスタイルがこのシリーズを唯一無二の存在にしています。逆に言えば、ミステリーに精緻なロジックを求めている人にはあまり合わないかもしれません。


1976年 

キドリントンから消えた娘(コリン・デクスター)
2年前に失踪した家出少女バレリーから突然、両親の元に無事を知らせる手紙が届いた。しかし、事件の捜査を引き継いだモース警部は彼女はすでに死んでいると確信を抱く。モース警部の前任者であるエインリーは交通事故で亡くなったのだが、その事故が起きた日が手紙の届いた日の前日だったのだ。モース警部はこの二つの出来事に重大な関連があるとにらむが......。
シリーズ2作目になってモース警部もいよいよ本領を発揮します。とにかく仮説を思いついては破棄し、また新たな仮説を思いついては放棄するの繰り返しが小気味良いほどに繰り返されます。二転三転どころか坂道を全力で転がっていくような勢いです。それも、手がかりの少ない事件なので穴だらけの推理を想像力で補完してそれらしい仮説に仕立てていく辺りに独自の楽しさがあります。コリン・デクスターはクロスワードパズルの作り手としても有名だったのですが、そんな彼の特質が最も色濃く出た作品だと言えるでしょう。ただ、思考錯誤の楽しさに比べてようやく明らかになった真相がインパクトに欠け、しかも、謎の一部が未解決のまま放置されている点がやや残念です。結末の意外性という点では前作の「ウッド・ストック行最終バス」の方に軍配が上がります。


1987年

そして扉が閉ざされた (岡嶋二人)
気が付くと4人の男女は地下のシェルターに閉じ込められていた。犯人は3ヵ月前に不慮の事故で亡くなった娘の母親らしい。どうやら彼女は娘を殺した犯人が4人の中にいると考え、精神的に追い込んで自白をさせようとしているようだった。4人はなんとか真相を明らかにしようと互いに議論を重ねるが......。
ただの推理合戦ではなく、緊迫した状態の中で真相を明らかにせざるを得ないという設定がサスペンスを盛り上げてくれます。また、文章が平易で、サクサクと読めるのも好印象です。登場人物はほぼ4人だけですが、容疑者が少ない中で真相の意外性をしっかり演出している点にも巧さを感じさせてくれます。端正にまとまった日本を代表する多重解決ミステリーのひとつです。
1988年度このミステリーがすごい!国内部門6


1990年

探偵映画(我孫子武丸)

「探偵映画」という映画を撮影中に監督が失踪する。映画は結末部分以外は完成しているのだが、結末の内容は監督以外誰も知らなかった。彼らは自分たちで映画を完成させるべく、結末のあるべき姿について推理を巡らす。
通常、推理合戦は現実に起こった事件について推理をぶつけ合うものですが、本作で推理するのはミステリー映画の結末です。しかも、探偵役はその映画の出演者たちであり、映画で目立ちたいために全員自分が犯人だと言いだすあたりがユニークです。真相もうまく伏線を絡ませた意外なものであり、小粒ながら完成度の高い作品に仕上がっています。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門16
探偵映画 (講談社文庫)
我孫子 武丸
講談社
1994-07


1991年

翼ある闇 メカルト鮎の最後の事件(麻耶雄嵩)
大企業の創始者一族である今鏡家を訪ねた探偵の木更津はそこで依頼人の伊都が凝らされたことを知らされる。しかも、死体は甲冑を身につけさせられ、首と足首が切断されているという異様な状態だった。木更津は推理を巡らせて首のある場所をしてくするが、そこから出てきたのは別人の首だった。
アンチミステリー風味の作風を得意としている著者ですが、その特徴はデビュー作である本作から色濃く出ています。とにかく内容がぶっとんでいるのです。犯人に破れて山籠りをする探偵というのは前代未聞ですし、真打ち登場かと思われた第2の探偵もやはり間違った推理を披露したあげくあっさり殺されてしまいます。そして、修行を終えて戻ってきた探偵がぶち上げる推理が前代未聞のとんでもないものなのです。とにかく、最初から最後までクレイジーです。ロジカルな本格ミステリを期待していた人は間違いなく怒りだすでしょうが、この突き抜けた滅茶苦茶さは一読の価値があります。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門12


1993年

13人目の探偵士(山口雅也)
探偵の地位が警察より高く、72時間の捜査優先権が保証されているパラレルワールドの英国。しかし、猫と呼ばれる謎の殺人鬼によって11人の探偵が童謡になぞらえて殺されるという事件が起きる。そして、私が目を覚ますと密室の部屋に探偵皇と呼ばれるクリストファーの死体が転がっていた。当然のごとく殺人容疑で逮捕される私だったが、私自身に殺人を犯したという自覚はない。そもそも、私は記憶喪失で自分自身が誰かもわからないのだ。
本作は元々ゲームブックとして発売されていた作品を小説に書き直したもので、そのため、マルチエンディングの趣向が盛り込まれています。密室解明が得意な名探偵、ハードボイルド探偵、女探偵といった具合に、どの探偵に依頼するかで結末が変化し、最後に真の探偵役が登場してトゥルーエンディングを迎えるといった流れです。犯人の正体は分かりやすいため、本格ミステリとしては物足りないかもしれませんが、奇抜な設定とユーモラスな雰囲気が楽しい作品です。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門11


1999年

プリズム(貫井徳郎)
小学校の女性教師が自宅で死体となって発見された。現場の窓はガラス切りを使って開けられており、箱詰めのチョコレートからは睡眠薬が検出される。彼女の勤務していた小学校では事件の噂が広まって騒然とした雰囲気になっていたが、そんな中で教え子の小宮山少年は真実を突き止めようと推理を巡らしていく......。
典型的な多重解決ものですが、本作が変わっているのは関係者が一堂に集まって推理合戦を行うのではなく、バトンタッチ形式になっているという点です。語り手が推理を行って犯人を特定したところでその犯人と目された人物が新たな語り手となり、また最初から推理を行って別の人間を犯人だと特定します。すると、その人物が新たな語り手となって推理を行うという具合に、語り手が切り替わることで前の推理が外れているという事実を読者だけが分かるようになっているのです。しかも、語り手によって被害者の先生が聖女だったり、悪女だったりとその人物像がどんどん変わっていくところがこの作品の肝です。人間とは多面的であり、ひとりひとりが見ているのはその一面にすぎないという主題がミステリーという形式を通して鮮烈に浮かび上がってきます。非常に凝ったプロットを採用しており、読者を惹きつける力のある作品だといえます。ただ、作品のテーマ上、客観的真実など存在しないという結論にならざるをえないので、普通の本格ミステリを期待していた人は肩すかしをくらうかもしれません。
1999年度このミステリーがすごい!国内部門18
1999年度本格ミステリベスト10国内部門 6位
プリズム (実業之日本社文庫)
貫井 徳郎
実業之日本社
2022-06-03


2002年

白光(連城三紀彦)

ある夏の暑い日、幼い少女が家族の留守の間に何者かに殺害され、庭に埋められていたのが発見される。この事件を契機としてごく普通の家庭だと思われていたこの一家の暗部が次第に明らかになっていき.....。
この作品には推理合戦があるわけではなく、事件の関係者がそれぞれ自分の知っている事実をモノローグで語るだけです。しかし、語り手が変わるたびにとんでもない事実が明らかになり、事件の様相がどんどん変わってくるさまはまさに多重解決的展開だといえるでしょう。物語の雰囲気は一貫して暗いトーンで統一されているため、読んで爽快感を得られる作品ではありません。しかし、幼い子供が犠牲になるという陰惨な事件と連城三紀彦ならではの文学性豊かな語り口が妙にマッチしており、反転を繰り返すプロットもあいまって独特の幻惑感を醸し出しています。ロジックが介入する余地がないので本格ミステリとしての面白さは皆無であるものの、忘れ難い印象を残す力作に仕上がっています。
白光 (光文社文庫)
連城 三紀彦
光文社
2008-08-07


世界の終わり、あるいは始まり(歌野晶午)
近所で児童の連続誘拐殺人事件が発生している中、会社員の富樫修は息子の部屋から被害者の父親の名刺を発見する。続いて、彼の机から拳銃と銃弾が出てきたことにより、息子が誘拐殺人の犯人であることが確定的となる。その事実を受け入れられない修のとった行動とは......。
大傑作「葉桜の季節に君を想うということ」の作者がその前年に発表した作品です。確かに、本作は一種の多重解決ものではあるのですが、ミステリ性という点では「白光」よりもさらに希薄なものになっています。なぜなら、そこで語られる多重解決は息子が殺人犯だというプレッシャーから逃れるために主人公が都合よく作り出した妄想にすぎないからです。したがって、本作に謎解きの要素はほぼゼロです。ただし、妄想だからといって物語が主人公の思い通りになるわけではありません。現実と辻褄を合せようとすると、妄想は必ず破綻してバッドエンドに至ってしまうのです。つまり、事件の真相を求めての多重解決ではなく、未来に希望がないということを証明するために多重解決の手法を取り入れているわけです。これはなかなか意表をついた発想だといえるでしょう。また、希望がないのにも関わらず、妙に爽やかなラストも印象深いものがあります。「プリズム」「白光」と並んで正統派本格ミステリを期待した人にはがっかりの作品ですが、風変わりなミステリーを読んでみたいという人にはおすすめです。


聯愁殺(西澤保彦)
連続無差別殺人の唯一の生き残り、梢絵は自分がなぜ犯人に狙われたかが分からなかった。そこで、推理集団・恋謎会が梢絵をゲストに呼び、その謎を解くべく推理合戦を開始する。
事件の謎を解くためにミステリーマニアの集団が集まって推理合戦を行うという実に古典的な多重解決ものです。ただ、その推理合戦の内容は後からどんどん新事実が明かされるなど、どうもご都合主義が強すぎる印象があります。また、推理の内容もそれほど切れ味があるとはいえません。ところが、そう思っていると最後にとんでもないどんでん返しが待ち受けています。実は推理合戦の部分はすべてミスディレクションであり、手の込んだ前振りでしかなかったのです。これにはびっくりしました。正統派だと思わせて裏をかく異色の傑作です。
2003年度本格ミステリベスト10 国内部門 9位
新装版-聯愁殺 (中公文庫 に 18-9)
西澤 保彦
中央公論新社
2022-06-22


2009年

丸太町ルヴォワール(円居挽)

祖父殺しの容疑をかけられた御曹司、城坂論語。彼は事件当日にはルージュと名乗る女性と一緒にいたというアリバイがあったが、彼女の痕跡は跡かたもなく消えていた。事件そのものは論語の父と叔父の駆け引きによって揉み消された。だが、その3年後に、論語は私的裁判である双龍会にかけられることになる。彼は容疑を晴らすためではなく、ルージュと再会するためにその裁判に挑むが.....。
若い美男美女だらけの登場人物がすかした会話を繰り広げるというかなり癖のあるライトノベル系の作品です。したがって、その時点で拒絶反応が出る人も少なくないでしょう。反面、後半のどんでん返しの連続は圧巻で、繰り出される技巧の多さに驚かされます。一つ一つのトリックは前例のあるものばかりですが、それが伏線回収の妙とどんでん返しによる合わせ技によって効果的に使われているのも巧さを感じさせます。また、本書の面白さを一層際立たせているのが双龍会の存在です。あくまでも正式な裁判ではないだけに、それが真実かどうかは二の次で辻褄さえあっていればなんでもありという設定が論戦の幅を広げることに成功させています。そして、そのことによって、意外なところから飛び道具が飛び出してくるといった面白さにつながっているのです。ただ、なんでもありの展開とどんでん返しのつるべ打ちがくどすぎて胃もたれを起こしてしまったという人もいるでしょう。そういった意味では、かなり好みが分かれそうな作品ではあります。
2011年度本格ミステリベスト10国内部門 8位


2010年

隻眼の少女(麻耶雄嵩)

父親の死に責任を感じていた大学生の種田静馬は死地を求めて山奥の寒村にやってきた。そこで出会ったのは左目に義眼をはめた美しい少女だった。彼女の名はみかげといい、名探偵だった母の跡を継いで探偵になるべく修行中の身だという。その2日後、村で殺人事件が発生する。疑われたのは静馬自身だった。警察に連行されそうになったところにみかげが割って入り、鋭い洞察力で彼への疑惑を晴らしてみせる。そして、彼女は自分の力でこの事件の謎を解いてみせると宣言するのだった。だが、第2、第3の事件が起き、みかげは思わぬ苦戦を強いられることになる....。
デビュー作「翼ある闇」以来、問題作を次から次へと発表している著者ですが、本作では後期クイーン問題に取り組み、「ギリシャ棺の謎」を肥大化させたような物語を作り上げています。名探偵が見事なロジックに基づいて快刀乱麻の推理を繰り出し、そして、犯人をことごとく外していくのです。しかも、それが2世代に渡って続くというのですから、クイーンもびっくりの展開です。とはいえ、ただいたずらにプロットを極端な方向に振り切っているわけではありません。最後に散りばめられた伏線が回収され、意外な真相へと着地する手管は見事です。これぞ麻耶ワールドの真骨頂だといえるでしょう。ただ、ロジックに泥濘した作品である割に、真相に無理を感じる部分があるのはいかがなものかと思うのですが......。しかし、それもまた、作者の確信犯的行為ではないかという疑念を抱かせるところが麻耶作品の麻耶作品たる所以なのかもしれません。
2011年度このミステリーがすごい!国内部門4
2011年度本格ミステリベスト10 国内部門 1位
第64回日本推理作家協会賞受賞
第11回本格ミステリ大賞受賞

隻眼の少女 (文春文庫)
麻耶 雄嵩
文藝春秋
2013-03-08


2015年

ミステリー・アリーナ (深水黎一郎)
近未来の日本。この時代には大晦日に行われる視聴者参加型のクイズ番組が大人気を博していた。クイズの内容はミステリー。番組司会自らが執筆したテキストを読み上げ、犯人が分かった人から早押しクイズの要領で答えるといった趣向だ。10回目に当たる今回、賞金はキャリーオーバーを重ね、20億円に達していた。解答者は15名のミステリーオタクの猛者たち。嵐の山荘で起きる連続殺人という物語が進行していく中、見事に犯人を指摘し、賞金を手にするのは一体誰なのか?
本作ではテレビのクイズ番組という特殊な舞台で推理合戦が展開されるわけですが、この作品の特筆すべき点はその推理の内容にあります。事件の手がかりにもとづいてロジカルに推理を組み立てる解答者など一人もいないのです。「このパターンは××トリックに違いない」といった具合に作者の思考を裏読みして犯人を当てようとします。その辺りが、ミステリー読者に対する絶妙なパロディとなっており、ミステリーに詳しい人ほど楽しめる仕組みになっています。また、15個も解答を用意したのに関わらず、長大な作品にはならずにコンパクトにまとまっている点も美点だと言えるでしょう。そのおかげで、展開がスピーディーでテンポよく楽しめる作品になっているのです。それに加え、問題編のミステリーがリアリティを最初から度外視した新本格ミステリのできそこないみたいなストーリーであるのも、風刺が効いていて笑えます。ただ、解答者のリアクションがどれも似たようなものであり、さらに多重解答の中に似たような真相がいくつかあるせいで中だるみを感じてしまうのが難点です。とは言え、それを差し引いても、多重解決ミステリーの極北とでも言うべき怪作であることは確かであり、本格ミステリファンにとっては魅力たっぷりな作品に仕上がっているのは確かです。

2016年度このミステリーがすごい!国内部門6
2016年度本格ミステリベスト10 国内部門 1位
その可能性はすでに考えた(井上真偽)
ある日、渡良瀬莉世という女性が
上苙探偵事務所を訪れる。彼女は幼い頃に新興宗教の信者たちの村で暮らしていたことがあり、その時に自分は人を殺したのかもしれないという。彼女自身には殺害の記憶はなかったが、気を失って祭壇のある祠で目を覚ました時にその傍らには男の死体とその生首が転がっていたというのだ。しかし、状況的には彼女が犯行を行うのは不可能だった。そこで、莉世はとんでもない仮説を口にする。首を切り落とした男が彼女を抱いて祠まで運んだのではないかと。それは本当に奇蹟だったのか?探偵の上苙丞は宣言する。理論的に考えうるすべての仮説を否定した時、奇蹟は成立すると。そして、その意見に真っ向から対立する論客たちが上苙と対決するが.......。
探偵が真相を推理するのではなく、奇蹟を証明するためにあらゆる仮説を否定していくというプロットがユニーク。扱っている事件も連続首切り事件という異様なものであり、これにどう決着をつけるのかと興味をそそられます。その上、探偵が奇蹟を証明するためにあらゆる可能性を否定するというスタンスなので、論客側はどんなに不自然でも物理的に可能な仮説であればOKというルールが秀逸です。本格ミステリにおいては「トリックに無理がある」などと批判されることがよくありますが、それを逆手にとったわけです。また、ラノベのような登場人物は苦手と感じる人もいるでしょうが、劇画調の雰囲気は作風とよくマッチしており、物語を盛り上げてくれます。ただ、発想は素晴らしいのですが、本編に出てくるいくつかの仮説を否定しただけで奇蹟が証明されたというのはいささか無理があるのではないでしょうか。それに、奇想天外な仮説が飛び交ったあげく、最終的に提示された真相が案外普通なのも尻すぼみのように感じます。いずれにせよ、近年まれにみる問題作であるのは間違いなく、著者が今後どのようなミステリーワールドを切り開いていくのかは非常に興味深いところです

2016年度このミステリーがすごい!国内部門14
2016年度本格ミステリベスト10 国内部門 5
その可能性はすでに考えた (講談社文庫)
井上真偽
講談社
2018-02-15




2020年

欺瞞の殺意(深木章子)
昭和41年7月。名家・楡家で毒殺事件が発生する。その日は先代当主である楡伊一郎の五七日の法要だったのだが、親戚一同が集まる中、現当主の楡治重の妻と9歳になる甥が亜ヒ酸中毒で死亡したのだ。妻は紅茶を、甥はチョコレートをそれぞれ口にしていた。そして、チョコレートの包み紙の一部が治重の上着のポケットから見つかったことから、彼は殺人容疑で逮捕される。最初は容疑を否認していたものの、一転容疑を全面的に認めて無期懲役の判決を受けるのだった。それから、42年の歳月が過ぎ、仮釈放で出所した治重はかつての想い人に手紙を送る。「ぼくは無実です。そして燈子さん。あなたはそのことを知っているはずだ」と.....。
昨今の新本格ミステリなどと比べると物語自体は地味ですが、往復書簡形式での推理合戦という趣向がユニークです。そのうえ、二転三転する推理が徐々にヒートアップしてくるので先の展開が気になって次第に目が離せなくなってしまいます。しかも、多重解決といっても単に仮説が羅列される類の作品とは異なり、一つの仮説が否定されつつもそれがヒントとなって次の仮説に活かされるといった具合に、一つ一つを単なる捨て推理に終わらせない構成が見事です。ディスカッションが行われる中で、男と女の生々しい心情が浮き彫りにされていくなどドラマ的にも深みのある作品に仕上がっています。最後のヒネリも含め、実に完成度の高い多重解決ミステリーです。
2021年度このミステリーがすごい!国内部門7位
2021年度本格ミステリベスト10 国内部門 7位
欺瞞の殺意
深木章子
原書房
2020-04-20





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最新更新日2022/04/24☆☆☆

日本で独自の進化を遂げた怪獣映画ですが、その源流はアメリカのキングコングにあります。また、ゴジラの元ネタとなった「原子怪獣現る」もアメリカの映画です。ただ、そこから先の欧米映画は怪獣を巨大モンスターというくくりで捉え、日本の怪獣映画とは別の路線を走ることになります。ところが、近年、CGの発達などからハリウッドでも日本的な怪獣映画が製作されるようになってきました。そこで、欧米のモンスター映画の中でも比較的怪獣映画的な作品を集めてその歴史を振り返ってみることにします。
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1933年

キング・コング(メリアン・C・クーパー監督)
最初の怪獣映画にして、怪獣映画の面白さのエッセンスが凝縮されている名作です。特に、圧巻なのが映画監督と船乗りの一行が映画を撮るために謎の島・髑髏島に訪れてからコングを捕らえるまでの一連のシーンです。原住民に囚われて生贄にされるヒロイン、闇から姿を現すコング、ヒロイン救出に向かった主人公たちの前に姿を現す巨大恐竜、コングに襲われてなすすべのなく谷底へ落ちていく船乗りたち、そして、コングと古代生物たちの三連戦。息つく間もない見せ場の連続に引き込まれていきます。
80年以上前の作品なのでさすがに画質は粗いですが、その荒さが特撮の粗を隠してよい味を醸し出す結果となっています。また、粗があるといってもその特撮技術は当時としては最高レベルのものであり、恐竜とコングの戦いは人形アニメとは思えないリアルな動きを見せますし、書き割りのセットで作った秘島の密林もムード満点です。そこにはどんなにCG技術が発展しても色あせない原初的な魅力が詰まっています。
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ノーブル・ジョンソン/サム・ハーディ/フランク・ライヘル/フェイ・レイ/ブルース・キャボット/ロバート・アームストロング
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2006-12-14



コングの復讐(アーネス・B・シュードサック監督)
大ヒット作の続編の割に一般にはあまり知られていない作品です。「コングの復讐」といってもコングが再登場するわけではありません。原題は「コングの息子」であり、コングよりひと回り小さなキコという白猿が主役を務めます。サイズが小さくなった分、スケールも小さくなり、そもそもキコに愛嬌がありすぎるため、怪獣映画と呼ぶには今ひとつ迫力に欠けます(ちなみに、キコはコングとは異なり、一貫して人間の味方。それに、全70分と短い映画なのに、前半は人間ドラマばかりでなかなかモンスターが登場しないのもマイナス点です。さらに、終盤の展開が駆け足過ぎて、適当に終わらせた感が半端ないのもいただけません。知名度がイマイチなのもそうしたところに理由があるのでしょう。その一方で、キコと大熊やドラゴンとの戦いは迫力十分で、その辺りはさすがにウィリス・オブライエンが特撮を担当しているだけのことはあります。
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1953年

原子怪獣現わる(ユージン・ローリー監督)
本作はゴジラの元ネタであり、恐竜型怪獣の元祖でもあるのですが、それが映画として面白いかと尋ねられればかなり厳しいものがあります。ドラマ部分に見るべきものがなく、しかも、それがやたらと長いため映画全体が冗長です。その一方で、本作がデビュー作となる特殊撮影監督レイ・ハリーハウゼンによる怪獣の動きは素晴らしく、それだけでも一見の価値ありです。しかも、単に怪獣が暴れるだけでなく、未知の細菌をばらまいてパンデミックの危機に陥る展開などもよく考えられています。翌年に公開された着ぐるみ怪獣のゴジラと特撮技術を比較しながら見るのも一興ではないでしょうか。
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1955年

水爆と深海の怪物(ロバート・ゴードン監督)
本作に登場するのは全長何百メートルはあろうかという巨大な大タコです。特撮はレイ・ハリーハウゼンの手によるもので、クライマックスで街に巨大タコが上陸して大暴れするシーンは圧巻です。特に、金門橋にタコの足が絡みつく場面はモンスター映画史上に残る名シーンだといえるでしょう。ただ、「原子怪獣現る」と同じで決してテンポがよい作品とは言えず、前半から中盤にかけては主人公たちのラブロマンスなど、どうでもよいシーンが延々と続きます。特撮が素晴らしいだけにストーリーももっとサスペンスあふれるものにしてほしかったところです。
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世紀の怪物/タランチュラの襲撃(ジャック・アーノルド監督)
将来的な食糧難を見据えて生物を巨大化させる研究をしていたところ、施設から実験中のタランチュラが逃げ出してどんどん大きくなっていくというお話です。巨大蜘蛛といえばモンスターパニック映画の定番中の定番であり、それ自体は珍しくはないものの、この映画の場合はスケールが違います。映画に出てくるほとんどの巨大蜘蛛はせいぜいバスや戦車くらいの大きさですが、本作の蜘蛛は小高い丘ほどのサイズまで成長するのです。その巨大感はまさに怪獣の風格です。ちなみに、この映画、撮影の際に本物のタランチュラを使っています。戦後の一時期B級映画でよく用いられた手法ですが、普通、本物の動物を巨大モンスターに見立てて撮影すると目も当てられないほど安っぽい作品になってしまいます。トカゲや虫は演技をしてくれず、基本的にその辺を飛び跳ねているだけです。そのため、モンスター映画としては重々しさに欠け、
どうしても嘘っぽくなってしまうのです。ところが、この映画ではタランチュラに麻酔を注射して動きを鈍くすることで、逆に、巨大生物っぽい風格を醸し出すことに成功しています。しかも、合成のレベルが高く、窓からタランチュラが顔を覗かせるシーンなどはなかなかのインパクトです。また、荒野のハイウエイをゆっくりと進む姿もリアルで、そのおぞましくも幻想的なシーンは終末感すら漂っています。怪獣映画としてはいまひとつ派手さに欠けるものの、忘れ難い印象を与えてくれる佳品です。ただ、蜘蛛を爆弾で吹き飛ばそうとしたり、戦闘機で攻撃したりするシーンまでリアルに撮影するのはやはり難しかったようで、そういった場面になると途端に安っぽくなるのは少々残念ではあります。ちなみに、本作には無名時代のクリント・イーストウッドがチョイ役で出演していますが、ヘルメットと酸素マスクを着けて戦闘機に乗っているので顔はほとんどわかりません。
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1956年

原始怪獣ドラゴドン
(エドワード・ナッソー監督)
西部劇の世界に太古の怪物が現れて大暴れするというコンセプトは「恐竜グワンジ」と酷似していますが、それもそのはずで、二つとも「キング・コング」の特撮によって一世を風靡したウィリス・オブライエンによる企画なのです。クワンジの方は後に、弟子のレイ・ハリーハウゼンが特撮を担当して傑作に仕上げたものの、本作については二人ともノータッチです。その結果、怪獣の動きは稚拙で迫力皆無、人間を咥えるシーンも人形を使っているのが丸分かりといった何とも残念な出来になっていしまいました。その上、怪獣映画と銘打たれているのになかなか怪獣が出てこないのです。ダラダラと退屈な西部劇が1時間以上も続いた挙句、怪獣映画だと忘れた頃にいきなりドラゴドンが姿を現すので唐突感が半端ありません。そのひどさは一部の好事家たちからカルト的人気を獲得するほどに突き抜けています。ちなみに、ドラゴドンという名前は日本公開の際に名付けられたもので、本来はこの怪獣に名前はありません。そもそも、怪獣ではなく、ただの恐竜の可能性大です。デザインがひどくて既存の恐竜には見えないために怪獣と命名されたのではないでしょうか。


1957年

黒い蠍(エドワード・ルドウィグ監督)

ウィリス・オブライエン晩年の作品です。地下に棲んでいた巨大な虫たちが地上にあふれ出してパニックになるという設定ですが、低予算故に町で暴れる蠍を表現するのにフィルムを黒く塗りつぶすといった乱暴な特撮も見られます。しかし、さすがにオブライエンによる巨大虫のモーション・アニメーションはよくできており、見応え十分です。蠍の他にも複数の巨大虫が登場し、蠍VS尺取虫、クモガニVS人間、蠍同士の共食いなど、さまざまな見せ場が用意されています。ストーリーは突っ込みどころ満載ですが、古き良き時代の特撮の味を楽しむには最適の作品だと言えるでしょう

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極地からの怪物 大カマキリの脅威(ネイサン・ジュラン監督)
配給の関係から日本では未公開に終わった作品ですが、これがなかなかよくできています。まず、登場するモンスターの造形が秀逸です。50年代のモンスター映画にありがちな安っぽさは皆無であり、巨大カマキリの迫力がきちんと表現されています。ちなみに、巨大カマキリは最初から姿を現して大暴れするのではなく、前半は霧に紛れて人を襲うサスペンスホラー調です。その雰囲気がモノクロの画面とマッチしていてよい感じです。さらに、怪物が都会にたどり着いてからの暴れっぷりもミニチュアのできがよいおかげで臨場感があります。また、このカマキリには飛翔能力があるのですが、空を飛ぶシーンも非常にうまく表現されていて感心させられます。さらに、特撮だけではなく、ストーリー自体も緊迫感に溢れていて見ごたえ十分です。知名度は低いものの、特撮ファンであれば見て損はしない作品だといえるでしょう。
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2013-05-17


人類危機一髪!巨大怪鳥の爪(フレッド・F・シアーズ監督)
おそらく欧米の怪獣映画史上最強クラスの怪獣が登場します。その姿は戦艦ほどの大きさを誇る巨大な鳥で、走っている列車でも軽くつまみ上げてしまいます。しかも、体の周辺を反物質バリアを巡らしているため、通常兵器は一切受付けないという無敵ぶりです。一方、ストーリーの方も前半の緊迫感漂うシーンはよくできており、決して悪くはありません。しかし、問題は怪獣の造形にあります。まるで出来の悪いパペットのような、緊張感の欠片もない間抜けヅラをしているのです。そのため、俳優陣がシリアスに演じるほど滑稽さが際立ってきます。また、特撮についてもカットによって怪獣の大きさがバラバラだったり、人形を操演しているのがまるわかりだったりとどうにも冴えません。それでも、物語は案外まともでテンポも良い作品なので暇つぶしに観るのにはよいのではないでしょうか。
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ジェフ・モロー
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2011-02-16


1959年

大海獣ビヒモス(ユージン・ローリー監督)
『原始怪獣現る』のユージン・ローリー監督がレイ・ハリーハウゼンの師匠であるウィルス・オブライエンとコンビを組んだ作品です。それだけに怪獣の特撮はしっかりしています。しかし、いかんせん出番が少なすぎです。怪獣が大暴れするのは正味数分だけで、それ以外の場面は延々と退屈なドラマが続きます。それに、核実験によって誕生したという設定といい、怪獣が街で暴れる構図といい、『原始怪獣現る』の焼き直し感が強くて新鮮味が皆無なのが致命的です。これでは日本で劇場未公開になったのも致し方なしでしょう。唯一注目すべき点は、当時のハリウッド映画としては珍しく、広島への原爆投下や第五福竜丸事件などに言及しているところぐらいでしょうか。
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ジーン・エヴァンス
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2009-08-19


1961年

怪獣ゴルゴ(ユージン・ローリー監督)
怪獣を捕えて見世物にしたところ、それはまだ未成熟な子供の怪獣であり、激怒した母親怪獣が街で大暴れするという「大怪獣ガッパ」の元ネタとなった作品です。欧米では珍しい着ぐるみの怪獣ですが、ノウハウがなかったせいかデザインがかなり粗雑です。手足のバランスがおかしいなど、どう見てもかっこよくありません。その代わり、合成技術やミニチュア建造物の精巧さは素晴らしく、怪獣が暴れるシーンは当時としてはかなりの迫力です。物語としては特に観るべき点はありませんが、怪獣映画の歴史を語る上では欠かせない1本だと言えるでしょう。
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2012-02-28


原始怪獣レプティリカス 冷凍凶獣の惨殺(シドニー・ピンク、ポール・バング監督)
アメリカと共同製作のデンマーク唯一の怪獣映画であり、本国ではカルト的な人気を誇っているといわれている作品です。見どころはなんといってもデンマーク軍全面協力の元、本物の戦車や駆逐艦が登場し、実際に機関銃掃射や砲撃を行っている点でしょう。当時の他の戦争映画などでは決して見られない異様なクオリティの高さは唖然とするほどで、エキストラを大動員して撮影した逃げ惑う群衆の描写も真に迫っています。しかし、それにも関わらず、この作品が日本では劇場未公開であり、全くの無名であるのは怪獣の特撮があまりにもチープだからです。肝心の怪獣はゴムでできたヘビのオモチャのようでリアリティの欠片もありませんし、口から酸を履き出すシーンはあまりにも合成が雑なので笑いすらこみ上げてきます。そして、人を襲うシーンに至っては、怪獣の口に人物写真を貼り付けているようにしか見えず、完全にギャグです。また、ストーリー自体もゆるく、コペンハーゲンの観光案内をするシーンがたっぷりと挿入されていたりしてかなり冗長な作りになっています。90分に満たない映画なのに全然テンポよく進みません。その駄目さ加減と本物の軍隊を使った迫力とのギャップのすさまじさはまさにカルト映画そのものです。ある意味、怪獣映画マニアにとっては必見の作品だといえるのではないでしょうか。
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2009-03-20


1976年

キングコング(ジョン・ギラーミン監督)
怪獣映画の金字塔を43年ぶりにリメイク。撮影用に実物大のコングロボットを製作したり、ポスターにはコングが戦闘機をわしづかみにするという胸躍るシーンが描かれていたりと何かと話題性にはことかかない作品でした。ちなみに、コングロボットはろくに動かない木偶の坊でしたし、本編には戦闘機など一度も登場していません。つまり、ハッタリばかりで中身の伴わない作品ということです。その結果、それなりのヒットはしたものの、評判的には酷評の嵐という結果に終わっています。33年版コングの最大の見どころと言えば、なんと言っても次々に現れる恐竜とコングの死闘ですが、76年版ではそれらのシーンがバッサリとカットされています。代わりに登場するのは何とも冴えない大蛇が一匹だけです。そのため、髑髏島のシーンが見所に乏しい間延びしたものになっているのがつらいところです。ただ、当時25歳のリック・ベイカーが担当した着ぐるみのキングコングは表情が実に豊かで、ウィリス・オブライエンのストップ・モーションアニメーションとはまた違った味わいがあります。後はこの映画がデビュー作となったジェシカ・ラングがコングの手のひらに乗るシーンもよくできており、その辺りは特撮ファンなら十分楽しめるのではないでしょうか。まあ、映画自体も33年版に比べれば不満が多いというだけの話で、実際のところはそこまでひどいというわけではありません。33年版やピーター・ジャクソン監督の2005年版の存在を頭から消去すればそれなりに楽しめる出来ではあります。実際、この作品が初コングだった人の中では面白かったという意見も少なくなく、どのキングコングを最初に観たかによっても評価は変わってきそうです。
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2017-07-28


1982年

襲う巨大怪鳥/空の大怪獣Q(ラリー・コーエン監督)
監督は低予算映画の雄ラリー・コーエン。この作品を怪獣映画として見ると、怒りを覚える可能性大です。
終盤以外で怪鳥の出番はほとんどなく、怪獣映画というよりも果てしなくクライムアクション映画に近い作品だからです。しかも、巨大な怪鳥はニューヨークの空を飛び回っているのに、その存在に誰も気づきません。理由は鳥が太陽を背にし、その光に隠れながら飛んでいるからだというのです。ちょっと常人には理解不可能な理屈です。しかし、犯罪映画として見れば、B級ではあるもののそう悪いできではありません。それに、要所要所に挿入される人食い鳥の存在と70年代映画のような乾いたタッチのクライムムービーが妙にマッチしてサスペンス感を盛り上げるのに寄与しています。さらに、太陽の光によって鳥の姿は見えず、襲われた人間の血肉だけが空から降り注ぐという演出も個人的には結構気に入ってたりもします。一風変わった映画を求めてるというのであれば一度見てみる価値はあるかもしれません。
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1986年

キングコング2(ジョン・ギラーミン監督)

キングコングサーガの中で、唯一その存在を消去したくなるような黒歴史作品です。そもそも、前作で貿易センタービルの屋上から墜落したコングが一命を取り留め、10年間眠り続けていたという設定に無理があります。しかも、人工心臓による復活のために大量の輸血が必要なコングに対して、運よく輸血可能なメスコングが発見されるという超ご都合主義。さらに、コングとメスコングが恋に落ちる展開に至っては、前作のジェシカ・ラングの存在はなんだったのだと言いたくなります。挙句の果てにまたしてもコングに逃げられ、結局、せっかく生き返らせたコングを再び殺してしまうのです。すべてが蛇足としかいいようがない駄作です。最後にコングの息子が登場しますが、もしかしてシリーズ化を狙っていたのでしょうか。
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1998年

GODZILLA (ローダンド・エミリッヒ監督)
日本が誇る怪獣ゴジラをハリウッドの手によって映画化ということで公開前には非常に話題になった作品です。しかも、監督は「インデペンデンス・デイ」のローダンド・エミリッヒということで大いに期待もされました。ところが、その結果現れたのは速く走ることしか能のない巨大なトカゲです。放射熱線も吐きませんし、軍隊の通常兵器であっさりと倒されてしまいます。しかも、大量の卵を産んで繁殖するという生物的な面が強調されすぎてゴジラが本来有していた破壊神としての神秘性は微塵もなくなっています。そもそも、製作者側は本来「原子怪獣現る」のリメイクを作りたかったのですが、企画を通すためにゴジラの名前を借りただけだという話です。それでは原典と全くイメージの違うものが出来上がってしまうのも無理はありません。それに、単体の作品として見てもジェラシックパークのようなシーンが多くて新鮮味に欠けるきらいがあります。ただ、CGで初めて描かれた巨大怪獣の映像は迫力満点であり、それがこの作品の大きな見どころとなっています。それだけに、最初から「原子怪獣現る」のリメイクとして作った方が、製作者、ファン双方にとって幸福だったのではないでしょうか。
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2005年

キング・コング(ピーター・ジャクソン監督

76年版キングコングに不満を抱いていたピーター・ジャクソン監督が全身全霊を込めて作り上げたリメイク作品です。全編において33年版のリスペクトに満ちており、見どころ満載の作品に仕上がっています。恐竜との戦いやエンパイア・ステイト・ビルでの空軍との死闘は、CGによって大幅にスケールアップしたものに仕上がり、33年版ではボツになった谷底の巨大人喰い虫のシーンも復活させるという熱の入れようです。ただ、思い入れが強すぎてあれもこれもと詰め込んだ結果、ストーリーがやや散漫になってしまったきらいがあります。上映時間100分の33年版に対して本作は188分と倍近くの長さになっており、いささか冗長である感は否めません。また、10回は死んでいそうなヒロインがことごとく運よく命拾いするなど、ハリウッド的お約束を乱発しているのも物語の緊張感を削いでいる気がします。もう30分削ってシャープにまとめれば大傑作になったのではないでしょうか。
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2012-04-13



2008年

クローバーフィールド/HAKAISHA(マット・リーヴス監督)

『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』以降一大ジャンルを成したPOV方式での怪獣映画です。個人的にはこの作品はハリウッドで製作された怪獣映画の最高傑作だと考えています。POV方式ということで、カメラがぶれすぎて観ていて酔いそうになったり、怪獣が迫ってきてもカメラを離さないという設定上の不自然さがあったりはするのものの、それを差し引いても全編に渡る緊迫感が半端ありません。普通の怪獣映画の場合、怪獣の姿を上空のカメラから敷衍して映したりしますが、本作の場合は常に逃げ惑う主人公たちの視点から事件の顛末が語られています。そのため、怪獣の全体像がはっきり見えることはめったになく、カメラには主に逃げ惑う人々や破壊される建物が映され、その合間に怪獣の体の一部がちらりとビルの谷間から見えたりします。それが非常にリアルで通常の怪獣映画にはない臨場感を味あわせてくれるのです。よくできたホラー映画のテイストに近い怪獣映画です。
第34回サターンSF映画賞受賞
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2013-07-19



2010年

トロール・ハンター(アンドレ・ウーヴレダル監督)
『クローバーフィールド/HAKAISHA』と同じく、
POV方式の怪獣映画です。しかし、クローバーフィールドが緊迫感溢れるシリアスドラマだったのに対して、こちらはとぼけたユーモアに彩られている点が持ち味となっています。物語は熊の密猟事件を調査し、その過程をドキュメンタリー映像として撮影していた学生たちが夜の森で伝説上の怪物だと思われていたトロールの襲撃を受け、トロールハンターの男に助けられるというもの。作りはドキュメンタリータッチに徹しており、トロールの生態に関するかなり詳しい解説などもあるのですが、妙なところでいい加減だったり、嘘っぽかったりするのが笑えます。また、登場するトロールも3つ首タイプ、群れで行動する小型タイプ、体長60メートルに達する超大型タイプと個性豊かで楽しませてくれます。ただ、トロールが登場するシーンはすべて夜(紫外線を浴びるとトロールは死んでしまうというという設定)なので、見えにくくてイライラするかもしれません。それからドキュメンタリータッチにこだわるあまり、前半は説明やインタビューばかりで少々退屈です。とはいえ、B級映画としてはなかなかの完成度ですし、POVとしての臨場感も申し分ありません。さらに、POV形式であるが故にノルウェーの風景が満喫できる点も意外な魅力となっています。コミカルな味付けの怪獣映画が観たいという人には特におすすめの作品です。
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2013-03-20



モンスターズ/地球外生命体(ギャレス・エドワード監督)
次作でハリウッド版ゴジラの新作を手掛けることになるギャレス・エドワード監督による異色の怪獣映画です。そもそも、怪獣映画といっても怪獣が出てくる場面がほとんどありません。本編で映し出されるのは男女2人が歩く映像だけです。怪獣映画というよりは怪獣のいる世界を舞台にしたロードムービーといった作品です。ただ、怪獣は登場しなくても破壊の爪痕や会話の節々から怪獣の存在はしっかり感じさせてくれます。この世界観をわずか130万円の製作費で構築した監督の手腕はさすがだといえます。しかし、映画として面白いかと問われれば微妙で、特に山場もなくダラダラ続くストーリーは、世界観に興味が持てなければ見続けるのが苦痛に感じてしまうでしょう。少なくとも怪獣が大暴れするような映画を期待している人はスルーした方が無難です。
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2011-11-25



2013年

パシフィック・リム(ギレルモ・デル・トロ監督)
ハリウッドの怪獣映画というと既存の生物が巨大化したものか宇宙からのエイリアンと相場が決まっており、日本の怪獣とはテイストが異なるものがほとんどでした。それに、大抵の場合は通常兵器で倒せるので強さという点からも今一つです。しかし、本作では日本の怪獣を真正面からリスペクトした超巨大モンスターが登場します。しかも、作中でも”カイジュウ”と呼ばれているのがうれしいところです。それが巨大ロボットと死闘を繰り広げるのですから日本の特撮ファンにとってはたまらない作品だと言えるでしょう。ドラマ的には不満の残る部分もありますが、そんなものは些細な問題と思えるほどの熱量を有したカルト的超大作です。
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チャーリー・ハナム
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2014-07-09



2014年

GODZILLA ゴジラ(
ギャレス・エドワード監督
16年ぶりに再リメイクされたハリウッド映画版のゴジラ。今回は98年版とは異なり、日本のゴジラをかなり忠実に再現しており、放射熱線を吐くのも通常兵器が通用しないのも原典準拠です。敵怪獣も登場して日本の怪獣映画を思わせる怪獣プロレスも見せてくれます。映像もハリウッドがCGを駆使して作っただけあって、圧倒的な迫力です。そういう意味では日本のファンにも好評な作品なのですが、ただ、人間ドラマの部分があまり面白くないという難点があります。また、怪獣映画としてみた場合にはゴジラの出番が少なすぎます。なかなか全貌を見せないジョーズ的演出なのですが、誰もが知っているキャラクターだけにもっとあっさり登場させてもよかったのではないでしょうか。さらに、クライマックスにおける怪獣同士の決戦も画面が暗くて何をしているのかよく分からないといった看過できない問題があります。東宝ゴジラに対するリスペクトという点では申し分ないだけに、色々惜しいと感じさせる作品です。
GODZILLA ゴジラ[2014] Blu-ray2枚組
アーロン・テイラー=ジョンソン
東宝
2015-02-25



モンスターズ/新種襲来(トム・グリーン監督)
超低予算映画だった前作から大幅な予算アップをして作られた続編です。そのため、前作ではほとんど登場しなかったモンスターも色々な種類が姿をみせます。それはよいのですが、人間とのからみが全くないため、怪獣映画としては著しく盛り上がりに欠けます。人間は人間で怪獣をほったらかしにして人間同士の戦争に没頭していきます。戦闘描写も怪獣もクオリティは高いのですが、その2つの要素がストーリー上全く絡んでこないのです。おそらく、人間にとっての本当のモンスターは人間だ!的な作品を作りたかったのだと思いますが、どうにもそれが上滑りしている感じです。
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2016-11-09



2016年

シンクロナイズドモンスター(ナチョ・ビガロンド監督)
他に類を見ない異色の怪獣映画です。なんといっても、ヒロインが特定の時間に近所の公園に行くと韓国に怪獣が現れて彼女と同じ行動をするという設定がぶっとんでいて意味不明すぎます。しかも、設定やDVDのパッケージはコメディっぽいのに、実際の内容はアル中のヒロインとDV男とのドロドロな愛憎劇です。主演のアン・ハサウェイは可愛く、コメディっぽい演出も多いのですが、物語は先に進むほどどんどん闇が深くなっていきます。そんな気が滅入る展開と怪獣VS巨大ロボットの豪快な描写が完全に水と油で、観ている方としてはとまどうばかりです。少なくとも、怪獣映画という理由でこの作品を選んだ人の多くは、映画に対する期待感と実際の内容が全くシンクロしないまま終劇を迎えることでしょう。とはいえ、この奇抜さについていける一部の層からは絶賛の声も聞かれ、評論家筋の評価も決して悪くはありません。観る人を激しく選ぶ問題作です。
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2017年

キングコング 髑髏島の巨神(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督)

怪獣映画の原典というべきキングコングですが、コングを怪獣と呼ぶには身長がやや低いという問題がありました。ところが、この作品のコングは30メートル以上の巨体を誇り、あれだけ苦戦していたヘリも簡単に叩き落としていきます。堂々たる怪獣ぶりです。また、コング以外にもさまざまな怪物が登場するのでハイクオリティなモンスター映画としても楽しめます。コングの天敵であるスカル・クローラーも不気味でいい感じです。一方、人間ドラマはあってないようなものなのでそちらには期待しない方がよいでしょう。ひたすら髑髏島でのアトラクションを楽しむ作品です。
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2018年

パシフィック・リム:アップライジング(スティーブン・S・デナイト監督)

太平洋海底の裂け目から来襲したカイジュウとの決戦から10年。世界には平和が訪れていた。しかし、新たなる危機を警戒していたPPDC(環太平洋防衛軍)は新世代イェガーを開発し、若いパイロットの育成に余念がなかった。一方、カイジュウとの戦いで命を落としたスタッカー司令官の息子・ジェイクは犯罪者に身をやつしていた。ついには逮捕されたジェイクだったが、10年前の英雄・森マコによって釈放され、イェガーのパイロットとして訓練を受けることになる。しかし、そんな時、シドニーに正体不明の黒いイェガーが現れ、PPDC評議会会場を襲撃。戦闘に巻き込まれた森マコは命を落としてしまう。
日本の特撮映画の世界を巨大予算をつぎ込んで再現したことで、カルト的人気を得たパシフィック・リムの続編です。巨大ロボットの活躍が存分に描かれ、10年間の科学進歩を表現するためかその動きは前作よりもかなり軽快です。また、薄暗いシーンが多かった前作と違い、今作は昼間のシーンが中心なのでロボットのアクションも見やすくなっています。しかし、そのせいでイェイガーの魅力である巨大感や重量感が薄れ、リアリティが失われてしまったのは残念なところです。また、脚本の方は前作からして完成度は決して高くはなかったのですが、単純なストーリーながらも独特の熱さが物語の牽引力となっていました。それに対して、今作はごちゃごちゃとしてまとまりがなさすぎです。やりたいことをあれもこれもと詰め込んだ結果、メリハリのない退屈なドラマになってしまっています。物語として見るべきものはなく、ほぼアクションを楽しむためだけの作品となっています。




ランペイジ(ブラッド・ペイトン監督)
ゴリラ・狼・ワニが巨大化して大暴れする巨大生物パニック映画ですが、その迫力は巨大生物ものの枠をはるかに超えています。ビルが破壊され、戦闘ヘリや戦闘機が噛み砕かれる様はまさに怪獣映画そのものです。その一方で、ストーリーに深みはなく、悪役が悪だくみをして成敗されるという単純な物語です。しかし、その単純さがB級娯楽大作としまとまりの良さにつながっています。日本映画に例えれば「三大怪獣大激突」といった趣の作品であり、そういった映画が好きな人にとっては必見の作品だといえるのではないでしょうか。
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2019-02-20




2019年

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(マイケル・ドハティ監督)
2014年のギャレス版は東宝ゴジラへのリスペクトを感じることはできるものの、寸止め演出がなんとももどかしい作品でした。それに対して、本作はファンがハリウッド版ゴジラに求めていたものを惜しみなく形にしてくれています。特に、最新技術を駆使して撮影された怪獣プロレスの迫力は感涙ものです。また、日本の技術では実現しえなかったモスラの美しさも必見です。キングギドラも3つの首が別人格を持っているなど細やかな演出が光ります。多くの人が見たかったゴジラ映画がここにはあります。ただし、難点がないわけではありません。まず、前作よりは遥かにマシだとはいうものの、やはり怪獣が出現するシーンが夜や黄昏時ばかりで画面が暗いのは気になるところです。それに、相変わらずどーでもいい人間ドラマがバトルシーンの間に挿入されて水を差してくれます。全体的には大満足の一作ではあるのですが、細部でマイナス点が見られるのが惜しいところです。



2021年

ゴジラVSコング(アダム・ウィンガード監督)
世界的に高い人気を誇る日米の2大怪獣・ゴジラ&コングは1962年の東宝映画『キングコング対ゴジラ』で一度直接対決を果たしています。ただ、なかなか楽しい作品ではあるものの、いささかコメディに寄りすぎたきらいがありました。それに、キングコングの造形も間抜け面でカッコよくありません。そのため、両者の対決をきちんとした形でもう一度見たいとという声は少なくなく、それに応える形で製作されたのが本作です。さすがに、半世紀ぶりの再映画化、しかもハリウッドの巨大予算を投入しただけあってその迫力は圧倒的です。脚本の大味感は否めないものの、巨大怪獣同士の対決を楽しむアトラクション映画としては申し分ありません。また、これまでのハリウッド版ゴジラは夜のシーンが多く、せっかくの怪獣バトルが見えにくいという問題があったのですが、それも1作ごとに改善され、本作のクライマックスでは白昼のバトルをしっかり見せてくれます。さらに、終盤にはゴジラシリーズのファンにとってうれしいサプライズも用意されており、まさにいたせりつくせりです。ただ、純粋に2大怪獣の対決を期待していた場合、このサプライズは蛇足だと感じるかもしれませんし、物語がコング中心に構成されすぎている点に不満を覚える人もいるのではないでしょうか。しかし、広い客層をターゲットとした怪獣映画としては極めてよくできた作品であることは確かです。実際、本作は好評をもって迎えられ、世界興行収入が5億ドル突破という大ヒットを記録しています。
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2021-11-03


★★★
以下の作品はAmazon Prime Videoでも視聴可能です。希望の作品の画像をクリックするとPrime Videoの該当ページに行くことができます。




最新更新日2023/09/20☆☆☆

ミステリー黄金時代の3大巨匠と言えば、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ディクスン・カーの3人ですが、こと大衆人気という点ではクリスティが他の2人を遥かに凌駕しています。それは没後半世紀近くたっても次々と新しい映画が作られていることからも明らかでしょう。古典ミステリーで未だにこれだけ映像化されているのはクリスティを除けばコナン・ドイル原作のホームズものぐらいなものです。しかし、肝心の映画の出来はどうなのでしょうか。原作同様に面白いのでしょうか?非常に気になるところです。そこで、今まで公開されたクリスティの映画作品とその原作を対比させながら解説をしていきます。
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検察側の証人(1925)
金持ちの未亡人が殺され、その容疑者として愛人関係にあった青年・レオナードが逮捕される。彼は未亡人の遺産相続人に指名されており、遺産目的の犯行だとみなされたのだ。勅撰弁護士のロバーツは彼を弁護することになったが、状況は明らかに不利だった。物的証拠こそないものの、状況証拠のすべてが彼を犯人だと指し示していた。ロバーツはレナードの妻であるクリスチーネにアリバイを証言してもらおうとするが、彼女はレナードに敵意をむき出しにしてそれを拒絶する。それでも、ローバーツは物的証拠がない点をつき、裁判を盛り返していく。そんな中、クリスチーネが裁判所に姿を現すが、彼女はなんと検察側の証人として証言台に立ち、レナードにとって不利な証言をするのだった。
クリスティの代表作と言えばほとんどが長編小説なのですが、唯一例外といえるのがこの作品です。本作はわずか30数ページの短編小説であり、1925年に雑誌に掲載されたのが初出となっています。その後、1933年発売の短編集「死の猟犬」に収録され、1952年には戯曲版を発表、翌年から上映された舞台が評判を呼んで作品の知名度は一気に高まっていきます。ちなみに、短編小説と戯曲版ではラストが全くの別物です。最初の短編小説もどんでん返しが鮮やかなのですが、戯曲版ではそれをさらにひっくり返して唖然とする幕切れを用意しています。ただ、読者によっては最初の短編の方がよかったという人もいるので読み比べてみるのも一興でしょう。
検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14
死の猟犬 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-02-20


【劇場版】
情婦(1957)
アガサ・クリスティ原作の映像化作品は数多くありますが、その中でも最高傑作と言えばこれをおいて他にはないでしょう。監督は「サンセット大通り」「アパートの鍵貸します」などで知られる名匠ビリー・ワイルダー。彼の卓越した手腕はこの作品で最大限に活かされ、終盤のどんでん返しを絶妙な間の取り方で演出しています。ワイルダー自身が書いた脚本も見事なもので、その完成度の高さは原作を超えたといえるほどです。さらに、被告人の妻を演じたマレーネ・ディートリッヒは当時56歳とはとても思えない美しさを放ち、被告人席に立つチャイロン・タワーは完璧な色男ぶりを演じています。もちろん、主役であるチャールズ・ロートンの演技力も素晴らしく、まさにパーフェクトと言うべき作品です。ただ、唯一残念なのは今となってはちょっと意味不明な感の強い邦題です。ここは原題と同じ「検察側の証人」でよかったのではないでしょうか。

情婦 [DVD]
タイロン・パワー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-04-17


ナイチンゲール荘(1934)
2千ポンドの遺産を手にしたアリクスはジェラルドという男性と出会い、短期間の交際を経た後に結婚する。郊外に一軒家を建て、愛する夫と幸せな生活を送っていたアリクスだったが、何か引っかかるものを感じていた。その原因は彼女がジェラルドの過去を全く知らない事実にあった。アリクスは好奇心から夫のことを調べ始め、やがて有名な殺人鬼に関する新聞の切り抜きを隠しているのを発見する。未だに捕まっていないその殺人鬼は結婚を繰り返しては妻を殺しているというのだが......。
本作は短編集『リスタデール卿の謎』に収録されている一編でいわゆる青髭ものです。ヒロインが夫に疑惑を抱き、やがて彼の正体を知るという展開はサスペンスに満ちており、読み応えがあります。また、最後の逆転劇も鮮やかで、その完成度の高さから各種アンソロジーなどにもよく選出されています。短編ながらクリスティの非本格もののなかでは代表的な作品だといえるのではないでしょうか。
リスタデール卿の謎 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ クリスティー
早川書房
2003-12-01


【劇場版】
血に笑う男(1937)
戦前の映画なので音質や画質は粗いものの、内容そのものは決して悪くはありません。まず、最高のホームズ俳優といわれたベイジル・ラスボーンが、紳士的でありながらも残忍さを秘めたヒロインの夫を見事に演じています。一方、ヒロインに扮するアン・ハーディングの熱演も素晴らしく、クライマックスの逆転劇を大いに盛り上げてくれます。さすがに古臭さは否めないものの、王道サスペンス映画として申し分のない出来です。細部の設定を変えながらも原作の良さを十分に引き出しており、クリスティ映画の隠れた良作だといえます。ただ、現代の映画とはテンポが違うので、人によってはクライマックスの展開がいささか唐突すぎると感じるかもしれません。
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2016-08-03


オリエント急行の殺人(1934)

中東で仕事を終えた探偵のポアロはオリエント急行に乗って帰途につく。彼が乗車した一等車両はポアロの他にさまざまな国の人が乗り合わせ、満席となっていた。やがて、その中の一人、富豪のサミュエルがポアロに話しかけてくる。彼は脅迫状を受け取っており、身の危険を感じているという。そして、ポアロに護衛の仕事を頼みたいというのだ。ポアロはそれを断るが、その翌日サミュエルは寝台席で死体となって発見される。彼の体はめった刺しにされ、12の傷跡が残されていた。彼を殺した犯人は乗客の中にいるのか?雪で立ち往生となった列車の中でポアロは独自に捜査を開始するが....。
クリスティの作品としては「アクロイド殺し」と双璧をなす、1回限りの大技が炸裂する傑作です。言われて見ればごく単純な仕掛けなのですがそれを気付かせない手管がまた見事です。1920年代のクリスティは「アクロイド殺し」だけが有名な作家というイメージでしたが、この作品を発表後は脂が乗り始め、傑作を連発するようになってきます。そういう意味では本作は彼女のターニングポイントとなった作品だったといえるかもしれません。
オリエント急行の殺人 (創元推理文庫)
アガサ・クリスティ
東京創元社
2003-11-09


【劇場版】
オリエント急行殺人事件(1974)
舞台のほとんどが列車の中であり、胸躍るアクションや手に汗握るサスペンス展開があるわけでもありません。画面に大きな動きはなく、ただ単調な会話劇が続くだけです。本来なら退屈な映画だと切り捨てるところですが、本作の見どころはそれとは別のところにあります。とにかく出演者が豪華すぎるのです。インングリッド・バードマン、アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリーといった世紀の名優が勢ぞろいしており、その存在感だけで画面に引き込まれてしまいます。ちなみに、インングリッド・バードマンはこの作品でアカデミー賞・助演女優賞を受賞しています。娯楽映画としてのわくわく感よりも、どちらかと言えば名優の堂々たる演技と豪華なセットから醸し出される文芸作品のごとき高貴な香りを楽しむ作品だといえるでしょう

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パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-08-23


オリエント急行殺人事件(2017)

43年ぶりに再映画化されたリメイク作品です。今回も豪華俳優を揃えたスター映画に徹していますが、43年前の映画との最大の違いは主役のポアロでしょう。小太りでちょび髭の皮肉屋というパブリックイメージを捨て去り、スマートで機敏に動き回る紳士という新しいポアロ像を創出しています。古くからのファンは相当な違和感を覚えるはずで、この点は賛否の分かれるところでしょう。作品的にはスタイリッシュな画面と娯楽性が加味されてすっきりと見やすくなった感じになっており、より原作に忠実でゴージャスな雰囲気の74年版とどちらがよいかといった点でも意見が分かれそうです。
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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ナイルに死す(1937)
大富豪の娘、リネットは友人のジャクリーンから失業中の婚約者であるサイモンを雇ってほしいと頼まれる。ところが、サイモンは魅力的な男性であり、彼に一目ぼれしたリネットはジャクリーンから恋人を奪う形で電撃結婚をしてしまう。2人はエジプトへ新婚旅行に出かけるが、怒り狂ったジャクリーンが彼らの後を執拗に付け回していた。偶然エジプトに居合わせたポアロはジャクリーンをなだめようとするが、彼女は全く耳を貸そうとしない。そして、ついに事件が起きた。ジャックリーンがサイモンの足をピストルで撃ち抜いたのだ。
中期以降の作品で頻繁に舞台になった中東ものの代表作。事件が起きるまでにかなりのページが割かれていますが、波乱万丈の展開が描かれているため、読んでいて退屈することはないでしょう。また、新婚旅行が始まってからの旅情ロマンと愛憎劇も大きな読みどころになっており、恋愛サスペンスとしても一級の作品です。ミステリーとしての仕掛けも秀逸な出来であり、切れ味のよい本格ミステリと濃厚な人間ドラマが見事に融合した傑作となっています。ただ、クリスティ作品を読み慣れている人にとっては犯人は見破りやすく、クリスティ作品あるあるパターンから脱却できていない点が唯一の欠点だといえます。
【劇場版】
ナイル殺人事件(1978)
スクリーンいっぱいに広がるナイル川や古代遺跡といった映像美で旅情気分を満たしつつ、連続殺人の謎をポアロと共に追っていくというアトラクション性の高い作品です。また、デヴィッド・ニーヴン 、ジョージ・ケネディ、オリビア・ハッセーといった豪華俳優陣もスクリーンに華を添えてくれます。ただ、古典ミステリーらしい芳醇な味わいといった点では「オリエント急行殺人事件」の方が一枚上手です。それに比べて、こちらは予算をたっぷりとかけた2時間サスペンスといった趣であり、どこか薄っぺらいイメージが否めません。それでも見どころ満載の映画であることには違いなく、クリスティ映画の中ではかなり健闘している作品だといえるでしょう。
ナイル殺人事件 [Blu-ray]
ピーター・ユスティノフ
ジェネオン・ユニバーサル
2013-11-27


ナイル殺人事件(2020)
脚本は原作の良さを存分に引き出しており、ミステリー映画として申し分ありません。ただ、ピラミッドなどのシーンがスタジオ撮影のため、旅情ミステリーとしてのリアリティが損なわれている点は少々残念な気がします。一方、原作にはない本作ならではの魅力として挙げられるのが事件だけでなくポアロ自身にも焦点が当てられている点です。特に、終盤のサプライズシーンはケネス版ポアロの真骨頂だといえるでしょう。ただ、前作からケネス・ブラナー演じるポアロに違和感を覚えている人にとっては不必要な要素だと感じるかもしれません。その点は好みの分かれるところです。また、1978年版との比較では豪華絢爛さでは本作、旅情気分に浸れるという点では1978年版にそれぞれ軍配が上がるのではないでしょうか。
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2022-06-01


死との約束(1938)
ポアロは中東を旅行している最中、エルサレムの最初の夜に殺人計画の相談とも思える男女の会話を耳にする。そして、ヨルダンの首都アンマンに到着したポアロは旧知の仲のカーバリー大佐にアメリカ人である老婆の不審死について調査を依頼される。彼女は生前、独裁者として家族を抑圧し続けていた人物であり、家族の誰かが彼女を殺した可能性が強いというのだ。
本作は一般にはあまり有名な作品ではありませんが、一部のマニアの間ではディクスン・カーの代表作である「皇帝のかぎ煙草入れ」の元ネタではないかと囁かれています。この作品で用いられているトリックが「皇帝のかぎ煙草入れ」のそれと酷似しているからです。ただ、本作の場合はそのトリックがあくまでもサブトリック扱いされているのでそこまで印象に残るものではありません。それに、トリックの使い方も後発である「皇帝のかぎ煙草入れ」の方がより巧妙です。その一方で、人間関係のサスペンスを書かせるとさすがにクリスティの方が上手で読み物としての面白さではやはり本作の方に軍配が上がるでしょう。まだ両方とも未読だという人はぜひ読み比べてみてください。
死との約束 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


【劇場版】
死海殺人事件(1988)
原作は波乱万丈な展開や血みどろの連続殺人があるわけでもなく、地味ながらもクリスティの筆力で読ませる静かなサスペンスが魅力の作品でした。それをそのまま映画にしたのではなかなか面白いものにはなりません。案の定、本編が1時間50分なのに事件が起こるまで約1時間かかるというなんともテンポの悪い作品となってしまっています。そして、事件が起こった後はポアロがあっという間に真相を見抜いてしまうのでバランスの悪さだけが印象に残る結果となっています。「オリエント急行殺人事件」や「ナイル殺人事件」と同じく異国情緒が楽しめる作品ということでのセレクトだったと思いますが、やはりどう考えても映画向きの素材ではなかったようです。
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ピーター・ユスティノフ
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2012-05-11


そして誰もいなくなった(1939)

イングランド南西部にある小島、インディアン島。そこにはお互い面識のない8人の男女が招待されていた。迎えに出たのは召使いの夫婦だったが、彼らも主人の顔を見たことがないという。それぞれが不審に感じながら晩餐を食べていると、謎の声が響き渡り、一人一人が犯した過去の罪を暴いていく。部屋を調べるとその声は蓄音機から発せられたものだということがわかった。その告発を招待客のひとりである青年は嘲笑い、その場で酒を飲み干す。しかし、グラスには毒が混入されており、青年はあっという間に絶命する。それが逃げ場のない孤島での連続殺人の始まりだったのだ........。
本作はおそらく世界で最も優れたミステリーのひとつでしょう。オールタイムベストの人気投票をすれば必ずベスト5以内にランクインしますし、幾度となく映画化されているという事実からもそれは明らかです。この作品の魅力はなんといってもその舞台設定にあります。10人の男女が孤島に集められて一人一人殺されるというシチュエーションにはゾクゾクとするようなサスペンスに満ちていますし、それを余計な横道にそれることなく、最後まで突き進むテンポの良さがより緊迫感を盛り上げてくれます。しかも、ホラーサスペンスじみたストーリー展開ながらもその真相は本格ミステリの作法に則った意外性に満ちたものである点が見事です。トリック自体は正直大した仕掛けでもないのですが、それを巧妙なミスディレクションによって見抜かれないようにする手腕がまた秀逸です。今となってはリスペクト作品が山のように登場したため、設定の新鮮さは失われてしまったものの、クローズドサークルものとしての密度の高さは今なお他の追随を許していません。まさに名作中の名作といえる作品です。


【劇場版】
そして誰もいなくなった(1945)
監督は「巴里祭」で有名なルネ・クレール。内容は原作を忠実に映像化した堅実な出来なのですが、その原作というのが小説版ではなくて戯曲版であるところが問題です。戯曲版はラストを変更してあり、小説版に比べるといささか衝撃度に欠けています。しかも、最初の映画化で戯曲版を採用したために、その後製作されたリメイク作品もこのラストがスタンダードとなってしまったのは残念なところです。映画であのラストを採用するのが難しいのは分かりますが、だからこそ成功すれば観客に衝撃を与えることができるのではないかと思うのですが。また、その他に、本映画の特徴としては終始緊迫した雰囲気の原作と異なり、軽妙洒脱な演出がなされている点が挙げられます。死体が次々と増えていく割にユーモラスなシーンが多いのはやはり監督の特質でしょう。原作小説に思い入れの強い人であれば不満が残る出来ですが、そうでなければ気軽に楽しめる古典映画といった評価も可能な作品です。
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姿なき殺人者(1965)
「そして誰もいなくなった」2度目の映画化です。再映画化ということもあり、目先を変える意味で舞台を孤島からアルプス山頂の山荘に変更。しかも、ロープウェイや絶壁でのスペクタルシーンを追加してなんとか見どころを増やそうと頑張っています。上映時間90分の間に登場人物の大半が殺されるという展開もテンポがよくてグッドです。ただ、いかにも60年代といった軽快で牧歌的なBGMは緊迫感を削いでしまいますし、無名の俳優を使ったためか、演技力にも難があります。その他、突っ込みどころが数多くあり、全体的な完成度では45年版よりも劣ります。大きな期待は持たずにB級映画として楽しむべき作品だといえるでしょう。
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そして誰もいなくなった(1974)
3度目の映画化にして初めてのカラ―作品です。今度は舞台を砂漠の中のホテルに移し、招待客はヘリコプターでやってくるなど一気に現代風になっています。しかし、砂漠とはいえ、陸続きが舞台では閉鎖空間の恐怖は全く表現できず、しかも演出が安っぽいのでサスペンス感はゼロです。それに加えて、今回も恒例の戯曲版ラストを採用しているのですが、描き方が悪いので原作未読者にはよく意味が分からない展開になってしまっています。どうも、「そして誰もいなくなった」に関しては映画化されるたびにダメになっていく印象があります。
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10人の小さなインディアン(1987)
小説版準拠の「そして誰もいなくなった」は観ることができないのかと多くのファンが失望していたところに登場したのがまさかのソ連版です。今までの欧米映画とは異なり、絵作りがスタイリッシュで実によい雰囲気を出しています。そして何よりも小説版に忠実な点が原作ファンにとってはうれしいところです。派手さには欠け、若干の原作改変には賛否があると思われるものの、ファンにとってはおおむね満足できる作品だといえるでしょう。ただ、最大の問題点は日本でソフトが発売されていないという点です。
サファリ殺人事件(1989)
ソ連で原作ファンが満足できる佳作が登場した一方で、本国イギリスでの映画化はますます迷走の一途をたどっています。アルプス山頂、砂漠のホテルときて、今回の舞台はアフリカサファリのキャンプ場です。しかも、断崖絶壁を手動のロープウェイで渡るような超僻地なのです。なぜこの面々は正体不明の招待状につられてこんなところまでやってきたのでしょうか?映画が始まって5分ぐらいで観客の頭は疑問符で一杯になります。無料でサファリに招待というのはそんなに魅力的なものなのでしょうか。それでもまあ、そこから先は比較的原作に忠実にストーリーが進んでいきます。全体的な印象としては、わざわざサファリを舞台にした割にはスケール感に欠ける2時間ドラマ的な凡作といった感じでしょうか。意味ありげにライオンを登場させたりしていますが、単に登場しただけで終わっていますし。とは言え、中盤以降はテンポよく進んでいくので原作を知らなければC級映画としてそれなりに楽しく鑑賞できるかもしれません。ただ、犯人の仕掛けたトリックにはちょっと難ありです。トリック自体は基本的には原作と同じなのですが、少々アドリブを効かせすぎたために明らかに実行不可能なレベルに達してしまっているのです。それから、今回もラストは戯曲版準拠のわけですが、最後の犯人との対峙シーンがちょっと変わっていてそれが本作を凡作から怪作へとジョブチェンジさせています。しかし、いずれにしても、よりによってこれがクリスティ生誕100周年記念作品というのはいかがなものでしょうか。


サボタージュ(2014)
原作「そして誰もいなくなった」とはなっているものの、これは全くの別ものです。アーノルド・シュワルツェネッガー率いる特殊部隊が順番に殺されていく話なのですが、一体どこが「そして誰もいなくなった」なのか理解に苦しむ作品です。登場人物が順番に殺されて減っていくという以外に共通点を見つけることができません。キャラクター設定が全く違うどころか、クローズドサークルですらないのです。これが「そして誰もいなくなった」原作だというのであれば、「プレデター」も立派な「そして誰もいなくなった」原作です。会社の指示で監督の意図するものとは全く別物に改変を強いられたという話ですが、たとえ監督の意図通りに編集されていたとしても「そして誰もいなくなった」らしい作品になったとはとても思えません。そのぐらい原作とはかけ離れた作品です。
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2015-12-02


そして誰もいなくなった(2015)
ソ連版を除き、新作を発表するたびに迷作の度合いを深めていく「そして誰もいなくなった」ですが、イギリスBBCがやってくれました。テレビ映画であるのにもかかわらず、今までの劇場版よりも遥かにハイクオリティな「そして誰もいなくなった」を作り上げたのです。まず舞台を安易に現代に移したりせずにきっちりと1939年のムードを再現しているところにわかっている感があります。しかも、画面全体に今までの映画にはない高級感が漂っているではないですか。本当にどちらが劇場版なのかわからないほどです。そして、どうにも緊迫感に欠けていた過去の映画に対して、本作はホラー映画かと見間違うばかりのサスペンスが充満しています。これこそが長年多くのファンが見たかった「そして誰もいなくなった」だ!と喝采をあげたくなるほどの快作です。ただ、本作は小説版準拠ではあるものの、ラストの展開を大きく変えてきています。熱心な原作ファンであればその点に不満を持ってしまうかもしれません。
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そして誰もいなくなった(2017)
仲間由紀恵、柳葉敏郎、渡瀬恒彦ら出演による、まさかのテレビ朝日製作の「そして誰もいなくなった」です。あまり期待せずに観ていたのですが、これが意外とよくできています。舞台は現代の日本なので雰囲気は全く原作と異なります。その反面、ストーリーの大筋は小説版準拠であり、作中に漂うサスペンス的な盛り上がりがかなり忠実に再現されていたのには感心しました。また、これが遺作となった渡瀬恒彦を始めとして演技陣も熱演をみせてくれます。少なくとも、「サファリ殺人事件」などよりははるかに緊張感のある作品だといえるでしょう。そして、何よりも計画がすべて遂行された後も犯人が分からないという点が最大の美点です。ちなみに、海外の作品では、小説版準拠であるソ連版やBBC版でも犯人は計画をすべて遂行する前に正体を現しています。そのため、小説を読んだ時の「え、結局誰が犯人なの?」という困惑めいた不気味さを味わえないところに若干の物足りなさがあるのです。その点に限れば、テレビ朝日版はもっとも原作に近い作品だといえます。これだけでもこの作品を見る価値はあります。特に、「そして誰もいなくなった」初体験の人にはおすすめです。ただ、そこから先の展開は原作とは大きく異なっています。小説版では犯行計画が遂行された後は、わずか数ページで真相を説明して物語は終わるのですが、テレビ朝日版ではそこから警察が孤島に乗り込んでの推理編が始まるのです。これは完全にドラマオリジナルの展開であり、しかも1時間以上とかなりの尺をとっています。このエピソードも途中までは結構面白いのですが、名探偵っぽい捜査官を登場させたわりには、すでに終わった事件の解説をするだけなので大した山場もなく終わってしまうところがちょっと中途半端ではあります。
第一夜
二夜連続ドラマスペシャル アガサ・クリスティ そしてだれもいなくなった 第一夜 [Prime Video]


以上、「そして誰もいなくなった」を原作とした8本の映像作品を紹介しましたが、初めて見る人におすすめなのがソ連版、BBC版、テレビ朝日版の3本です。ちなみに、テレビドラマとしては他にも、1949年のイギリス版、1959年のアメリカ版、1969年の西ドイツ版があるらしいのですが、これらについての詳細は不明です。


白昼の悪魔(194
1)
休暇で避暑地の島にやってきたポアロは元女優が殺害されるという事件に遭遇する。事件が発生する前から殺された女性の周辺では不穏な空気が流れており、殺害動機を持つものは大勢存在していた。しかし、いずれの容疑者もアリバイが成立しているのだ。果たして白昼を闊歩する悪魔の正体とは?
愛憎渦巻く恋愛劇を最初に提示して誰もが犯人になりうる舞台を整えていくプロセスにはうまさを感じます。そして、数多くの容疑者がいるなかで、読者はポアロと一緒にさまざまな可能性を探っていくことになります。やがて明らかになる真犯人。トリック自体は大したことはないのに、多重解決の趣向を取り入れることで一級の謎解きミステリーに仕上げた手腕は見事としか言いようがありません。さすがはミステリーの女王です。動機が弱いという欠点がありますが、作品全体の完成度の高さからみれば、それは些細な問題でしょう。クリスティの中期を代表する傑作です。

白昼の悪魔 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ クリスティー
早川書房
2003-10-01


【劇場版】
地中海殺人事件(1982)

推理物としての面白さはそれなりの水準に達している作品です。したがって、ミステリー好きなら観ても損はないでしょう。ただ、「オリエント急行殺人事件(1974)」、「ナイル殺人事件(1978)」とシリーズを重ねるごとに劇場版らしい華やかさが影を潜めていき、映画である必然性が薄れていっています。それでも、本作はスクリーン映えする地中海の美しい風景によってなんとか映画らしさを保っています。クリスティの映画としては可もなく不可もない作品といったところでしょうか。
地中海殺人事件 [Blu-ray]
ピーター・ユスチノフ
ジェネオン・ユニバーサル
2013-11-27


ゼロ時間へ(1944)
老弁護士のトレーヴは法曹関係者が集まっている中で「凡百のミステリーは殺人から物語が始まるが、真の物語はその随分前から始まっており、殺人はその結果にすぎない」という独自のミステリー観を披露する。そして、その言葉を裏付けるようにある人物は緻密な殺人事件を計画しているところだった。犯人の策謀によって関係者はその時、その場所に向かって動き始める。果たしてゼロ時間はいつ訪れるのだろうか?
本作はポアロものやミス・マープルものではなく、クリスティ作品の中ではいまひとつマイナーなバトル警視が探偵役を務めています。それはともかく、冒頭で新しいミステリーのあり方を宣言していたために、てっきり最後まで殺人事件が起こらないのかと思っていると中盤であっさりと事件が発生するのが拍子抜けです。もちろん、これはクリスティの仕掛けた罠であり、犯人の意図は最後に明らかになるのですが、これをどう評価するかは意見の分かれるところです。確かに、新しい趣向ではあるものの、それはあくまでメタレベルの話であり、物語自体は普通に書けばごく平凡な事件なのです。犯人の狙いもよくあるパターンですし、単にそれにゼロ時間という概念を当てはめたにすぎません。その趣向が面白いという人はいるでしょうし、実際に江戸川乱歩などは絶賛しています。しかし、個人的には今一つ面白みの分からない作品でした。
ゼロ時間へ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


【劇場版】
ゼロ時間の謎(2007)
フランス映画ですが、クリスティ作品の雰囲気はよく再現されており、堅実なミステリー映画に仕上がっています。ただ、探偵役のバタイユ警視が魅力に乏しく、事件も地味であるため、いまひとつ印象が薄い作品になっているのは致し方ないところでしょうか。

ゼロ時間の謎 [DVD]
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2008-06-04


ホロー荘の殺人(1946)
アンカテル卿の午餐会に招かれ、ホロー荘を訪れたポアロは、プールの傍らで銃を持って立ち尽くす女と血を流して倒れている男を目撃する。銃殺されたのは招待客の一人である医師であり、銃を持っていたのはその妻だった。当然、妻が夫殺しの犯人だと思われたのだが、なんと妻が手にしていた銃は夫の命を奪った弾丸とは一致しなかったのだ。
トリックが平凡でも卓越したミスディレクションよって真相を隠すのが上手いクリスティですが、本作に関しては仕掛けがストレートすぎてトリックがバレバレです。したがって、本格ミステリとしては決して高い点数はあげられません。ただ、本作は謎解きよりも人間心理に重点を置いた作品であり、登場人物全員の内面が執拗に描き出されています。その結果、現代では本格ミステリとしてよりも心理サスペンスとして高い評価を受けています。逆に言えば、謎解きを期待して読んだ場合は冗長で凡庸な作品としか思えないでしょう。


【劇場版】
危険な女たち(1985)
「砂の器」「鬼畜」など、ミステリー映画の傑作を何本もものにしてきた名匠野村芳太郎監督の遺作となった作品です。サスペンス映画の巨匠と言われた野村監督だけにクリスティの原作をどのように調理するかが注目されたのですが、出来上がったのはいかにも安っぽい2時間ドラマのような作品でした。最大の見どころであるはずの人間関係や心理描写がうまく描かれておらず、その結果、大多数の登場人物は何のために登場したのかよく分からない結果になってしまっているのです。野村芳太郎老いたりと思わせる作品でした。
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2012-02-22


華麗なるアリバイ(2008)
アガサ・クリスティ生誕120周年を記念して製作されたフランス映画ですが、原作のドロドロした恋愛劇の部分をクローズアップしているため、ミステリーとしては著しくサスペンスに欠ける作品になっています。そもそも、華麗なるアリバイというタイトルからして意味不明です。確かに、犯人はトリックをしかけていますが、それはアリバイとは全くの無関係です。また勝手な邦題をつけたのかと思っていると、このタイトルは原作を直訳したものであり、フランスの製作陣はなぜこのようなタイトルにしたのかと首をひねるしかありません。大した山場もなく、だらだらとストーリーが展開してなんとなく終わってしまうところはある意味フランス映画らしくはありますが、それにしても何とも見どころに欠ける映画です。

アガサ・クリスティー 華麗なるアリバイ [DVD]
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ねじれた家(1949)
外交官のチャールズ・ヘイワードと大富豪の孫であるソフィア・レオニデスは結婚を誓い合った仲だったが、戦争によって離れ離れになってしまう。それから2年。2人は再会を果たすも、ソフィアはひどく怯えていた。祖父のアリスタイドが何者かによって毒殺されたのだ。しかも、状況から犯人は一族の誰かである可能性が高いという。増改築を繰り返してねじれたように見える屋敷には心のねじれた一族が住んでいた。誰もが怪しい状況の中で互いに疑心暗鬼の目を向け合う。チャールズは警視庁副総監の父の協力を得て捜査に乗り出すが、その矢先に第2の殺人が......。
作品自体よりもクリスティが自己ベストに挙げたというエピソードのほうが有名な作品です。それでは肝心の中身はどうかというと、メインとなっているアイディアが某有名作品と酷似しているため、本格ミステリとしてはどうしても高い点をあげることはできません。しかし、この作品の肝は謎解きよりもむしろ、ねじれた一族を巡る心理サスペンスにあるように思えます。実際、ねじれた家族の心理を丹念に追い、やがて思いもよらぬ悲劇に至るプロセスは物語として非常に読み応えがあります。何を期待して読むかによって評価が大きく変わってくる作品です。
ねじれた家 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-06-14


【劇場版】
ねじれた家(2017)
原作が登場人物の心理を丁寧に追っていくタイプの作品だけに、それをそのまま映画にするとどうしても地味になります。しかも、探偵役が関係者に話を聞いて回る展開が延々と続くので恐ろしく単調です。ミステリー映画の場合、しばしば華のある探偵がその単調さを補う役割を果たすのですが、この作品にはポアロもミス・マープルも出てきません。作品の性格上名探偵を出すわけにはいかないのですが、映画になるとそれが完全に弱点となってしまっています。また、映画という媒体では直接的な心理描写ができないため、物語のメインテーマになるはずの”ねじれた一族”という部分がうまく表現できていないのも痛いところです。その結果、見せ場の乏しいなんとも中途半端な作品になってしまっています。
アガサ・クリスティー ねじれた家 [DVD]
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KADOKAWA / 角川書店
2019-10-04


パディントン発4時50分(1957)

 マギリカディ夫人は友人のミス・マープルに会いにいく途中で殺人の現場を目撃する。隣を並走する列車の中で男が女の首を絞めていたのだ。マギリカディ夫人はミス・マープルにその話をして2人で警察におもむくが、該当する事件は起きていないという。ミス・マープルは列車の窓から死体を投げ捨てたのだと推理し、事件の鍵を握ると思われるクラッケンソープ家に旧知の仲であるルーシーを家政婦として潜り込ませる。そして、数日後、ルーシーは納屋の石棺の中に死体が隠されているのを発見するが....。
事件の発端から死体発見の辺りまではサスペンスに満ちていて読み応え十分なのですが、その後は特に盛り上がりもなくダラダラと話が続いていきます。そして、最後は急転直下で犯人判明という感じで、推理の過程を楽しめる作品ではありません。これといったトリックやロジックもないので本格ミステリとしての魅力はほぼ皆無です。結局、ルーシーの活躍ぐらいしか見どころのない凡作に終わってしまっています。


【劇場版】
アガサクリスティ 奥様は名探偵~パディントン発4時50分~(2008)
原作はミス・マープルものですが、映画ではトミー&タペンスシリーズとして描かれています。2005年に公開された「アガサクリスティの奥様は名探偵」の続編を製作するためにミス・マープルものをトミー&タペンスシリーズとして改変したというわけです。ただし、本作はフランス映画であるため、主人公コンビの名前はベリゼールとプリュダンスとなっています。原作と同様に導入部には引き込まれるものの、ミステリーとしては印象が薄く、これといった見どころもありません。その一方で、主人公夫婦のやり取りが軽妙でコメディとしては結構楽しめます。特に、好奇心旺盛な奥様に扮するカトリーヌ・フロが魅力的で作品の牽引力となっています。

無実はさいなむ(1958
慈善家の老婦人が殺され、問題児である養子のジャッコが逮捕される。彼は有罪となり、獄中死を遂げた。それから2年が過ぎた時、海外から戻ってきた地理学者が遺族の住む家を訪れ、自分はジャッコのアリバイを証明できると告げる。しかし、すでに過去となった事件を蒸し返されるのは遺族にとっては迷惑でしかなかった。
シリーズ探偵の登場しない、冤罪をテーマにした作品です。全体的に暗く重いトーンで覆われており、サスペンス的な盛り上がりもあまりなく、謎解きも薄味です。その一方で、疑心暗鬼に囚われた家族の心理がよく描かれており、真綿で首を締め付けるような展開はかなり読み応えがあります。また、やがて明らかになる真相も皮肉が効いていて読者にインパクトを与えるものです。玄人好みのするクリスティ円熟の作品だといえるでしょう。


【劇場版】
ドーバー海峡殺人事件(1984)
ドーバー海峡殺人事件といってもドーバー海峡は事件と無関係です。公開当時、クリスティの映画はもれなく「(世界の名所)殺人事件」というタイトルで統一して宣伝を行っていました。その流れでひねり出されたタイトルなのですが、それにしてもストーリーとあまりにも乖離しています。映画の内容自体もスローテンポで抑揚に欠け、どうにも冴えません。画面が暗くて見にくいのもマイナス点です。ただ、事件そのものよりも探偵の苦悩をメインとして描いたことによって独自の味わいの作品となっており、波長が合う人であればこれはこれで引き込まれるものがあるかもしれません。


鏡は横にひび割れて(1962)

ミス・マープルの住む穏やかな村にも都会化の波は訪れ、新興住宅が建てられるようになってきた。そして、そこにアメリカから女優が引っ越してくるという。彼女は自宅で盛大なパーティを開くが、なんと招待客の一人が毒死してしまう。しかも、毒が混入されていたのは、本来女優が飲むはずのグラスだったのだ。果たしてこれは女優の命を狙った犯罪なのか?
動機の謎を中心に添えたホワイダニットのミステリー。特にトリックなどはなく、本格ミステリとしてはかなり地味な作品です。一方で、クリスティの円熟の味が遺憾なく発揮されている作品でもあり、丹念に張り巡らされた伏線の末に読者を意外な真相へと導いてくれます。ただ、日常の何気ない描写が多いため、これを芳醇な味わいととるか、冗長ととるかで評価が分かれそうです。「予告殺人」と並んでミスマープルものの最高傑作と呼び声の高い作品です。


【劇場版】
クリスタル殺人事件(1980)

こちらも「ドーバー海峡殺人事件」と並んで邦題が意味不明な作品。そして、映画の中身はタイトルに反してひたすら地味です。そもそも原作が地味なのでどうしても盛り上がりに欠けてしまいます。その辺りはユーモアをちりばめてカバーしようとしているのですが、どうにも全体的に冴えない出来であることは否めないところです。ミス・マープルが原作のイメージと違うのもマイナス点です。その反面、エリザベス・テイラーなどの往年の大スターが大挙して出演しており、映画マニアな人にとってはそれなりに楽しめる作品となっています。
クリスタル殺人事件 [Blu-ray]
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2013-11-27


終わりなき夜に生れつく(1967)
マイク・ロジャーは貧しい家の生まれで、職を転々としながらもいつかは素敵な女性と幸せな家庭を築きたいという夢をもっていた。そんなある日、ビショップ村のジプシーヶ丘が売りに出されていることを知る。それは呪われた伝説を持つ地として地元民から恐れられていたのだが、
マイクは海を臨む美しい眺望に魅了され、ここに家を建てることを誓う。やがて、彼は大富豪の娘・エリーと出会い、恋に落ちて結婚をするのだが......。
主人公のマイクが語る物語は当初、身分違いの恋愛模様が淡々と綴られていくだけで事件はなかなか起きません。しかし、だからといって退屈だということは全くなく、底流を流れる不穏な空気が
醸成するサスペンスにぐいぐい引き込まれていきます。そして、全体の7割ほどが過ぎたところでようやく事件が起こり、そこからは一気呵成です。一体この物語はどこに着地するのかと見守っていると終盤になって全てが反転し、読者を唖然とさせます。著者自身の有名トリックを使い回している点は不満の残るところですが、使い方はあれよりも巧みで劇的な効果をあげています。タイトルも素晴らしく、クリスティ晩年の代表作だといえるでしょう。
終りなき夜に生れつく (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-08-18




【劇場版】

エンドレスナイト(1971)
いかにも70年代っぽい絵作りが印象的な作品です。クリスティは絶賛したとのことですが、批評家からは酷評され、興行的にも失敗に終わっています。ちなみに、日本では劇場未公開です。雰囲気自体は悪くないものの、やはり、サスペンス映画なのになかなか事件が起きないというのは致命的だったようです。それに、真相が明らかになってもいささか説明不足で原作を読んでいない人にとっては分かりにくいという問題もありました。ただ、原作が好きな人なら観て損はないのではないでしょうか。


親指のうずき(1968)
トミーとタペンスは老人ホームにいる叔母のエイダを訪ねるが、その3週間後、彼女は亡くなってしまう。遺品である1枚の絵を見つけたタペンスだったが、彼女はその絵に見覚えがあった。しかも、その絵の元所有者だった老婦人が失踪を遂げたのだ......。
トミーとタペンスは1922年の「秘密機関」で初登場し、1929年の短編集「おしどり探偵」を挟んで第2長編が1941年の「NかMか」。そして、3作目が本作という非常に長いスパンで描かれたシリーズです。しかも、作中の時の流れが現実にリンクしているため、「秘密機関」では若かった2人もこの作品では初老の夫婦になっています。また、クリスティ自身も晩年に差し掛かっており、派手な展開を廃した作風にシフトしています。話のテンポはゆったりとし、華麗な謎解きもありません。美しい田園風景を味わいながら少しずつ真相に近づいていくプロセスを楽しんでいくというタイプの作品です。典型的な本格ミステリを期待している人にとってはいささか退屈なきらいがありますが、それでもラストの二転三転する展開と他のクリスティ作品にはない犯人像はなかなか印象的です。
親指のうずき (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-08-18


【劇場版】
アガサ・クリスティの奥様は名探偵(2005)

原作と同じくストーリーはかなり地味なため、途中で眠ってしまう危険性のある作品です。ただ、主演のカトリーヌ・フロは魅力的で彼女のリアクションと夫婦の掛け合いだけを楽しんでいればよい作品だといえるでしょう。本国フランスではヒットし、前述の通り、続編も作られています。
アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵 [DVD]
カトリーヌ・フロ
ハピネット・ピクチャーズ
2007-04-25





ハロウィーン・パーティー(1969)
ミステリー作家のオリヴァ夫人がハロウィーン・パーティの準備を手伝っていると、13歳の少女・ジョイスが「人が殺されるところを見たことがある」と言い出す。彼女は周囲の注目を集めるために嘘をつく癖があり、そこにいた人間は誰一人彼女の言葉を信じようとはしなかった。ところが、パーティーの後、ジョイスは遺体となって発見される。図書室で水の入ったバケツに頭を突っ込んだ状態で息絶えていたのだ。「ジョイスは本当に殺人を目撃し、そのことを知った犯人によって殺されたのではないか?」そんな疑念を抱いたオリヴァ夫人は友人のポアロに相談する。ポアロは隠遁生活を送っているスペンス元警視の協力を得て捜査を開始するが…。
本作発表時、著者は79歳。かなり晩年の作品であり、ミステリとしての切れ味はいまひとつです。無駄な登場人物やエピソードが多いために煩雑な印象を受けますし、過去のアイデアの使い回しも目立ちます。ジョイスが目撃したという殺人がどの事件のことか分からずに複数の候補を検討していくというのが本作一番の特徴ですが、それも残念ながらミステリーとしての面白さに寄与していません。単にまわりくどくなっているだけです。おまけに、最後に披露されるポアロの推理も根拠に乏しく魅力に欠けます。晩年のクリスティー作品の特徴であるゆったりとした展開にも退屈さを覚えてしまいますし、どうにもパッとしません。ちなみに、伏線が分かりやすいために犯人は最初からバレバレです。というわけで、全体的に低調な作品ですが、美しい英国庭園の描写は印象的。
ハロウィーン・パーティ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2023-08-24


【劇場版】
名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊(2023)
ケネス・ブラナー版ポアロシリーズの第3弾なのですが、過去2作とは異なり、ストーリーが原作と全くの別ものです。冒頭の展開は、旧友のオリヴァから霊媒師のインチキを見破ってほしいとの依頼を受けたポアロがベネチアで行われる降霊会に参加したところ、招待客の一人が殺されるというもの。恐ろしいことに、原作との共通点が1ミリもありません。そもそも原作の『ハロウィーン・パーティー』はクリスティーのなかではかなりマイナーな作品です。映画化か決まったときは他に有名作がいっぱい残っているのに何故この作品をチョイスしたのかと首をひねったものですが、おそらくは自分のやりたいことが自由に出来るように大胆なアレンジを加えても文句の出にくい作品を選んだのでしょう。しかし、ここまで別物なら『ハロウィーン・パーティー』を原作としてクレジットする必要性が感じられません。ポアロのキャラだけ借りたオリジナル作品でよかったとのではないでしょうか。ちなみに、肝心の内容ですが全編を通してかなりホラーテイストです。画面が暗くショックシーンが多い点などは表現をマイルドにしたイタリアンホラーといった趣があります。アガサ・クリスティーというよりもディクスン・カー原作だといわれた方がまだしっくりくる感じです。いずれにしても、ホラーミステリとしては雰囲気があってなかなか見応えがあります。ただ、謎解きミステリーとしては原作同様パッとしません。ポアロが怪異に襲われるトリックなどは安易の極みですし、最後に行われるポアロの推理も薄味すぎます。それでもクリスティー原作の推理劇という先入観を捨て、単なるサスペンスホラーな映画として観れば十分に楽しめるのではないでしょうか。

【番外編】
アガサ/愛の失踪事件(1979)

1926年。「アクロイド殺し」を発表して人気作家の仲間入りを果たしたアガサ・クリスティだったが、その私生活は決して恵まれたものではなかった。夫であるクリスティ大佐が若い秘書と関係を持ち、その事実を彼自身の口から聞かされたのだ。彼は秘書と結婚する意志があり、そのために別れてほしいという。失意のアガサは当時まだ珍しかった自動車に乗り、そのまま行方を断った。有名人の失踪ということで警察は大々的な捜査を行うが、その行方はようとして知れなかった。果たして彼女はどこに消えたのか?
この映画はアガサ・クリスティ原作のミステリーではなく、クリスティが実際に起こした失踪事件を描いたノンフィクション映画です。とは言っても、失踪中の出来事については記憶喪失という口実でクリスティ自身が口を閉ざしてしまったので、実際に何があったのかは全くの不明です。そのため、この映画では空白の部分を想像力で補い、ダスティン・ホフマン演じる新聞記者とのラブサスペンス風の作品としてまとめています。しかし、無茶な展開が許される題材ではないので、話が起伏の少ないおとなしいものになってしまったのは致し方ないところでしょう。その一方で、主演のヴァネッサ・レッドグレイヴは猫背で頼りげないクリスティを好演しており、また、映画自体が1920年代の風俗を忠実に再現しているために、それらしい雰囲気のある作品には仕上がっています。アガサ・クリスティのミステリー小説だけではなく、彼女自身にも興味があるという人にとっては観て損はない作品だといえるでしょう。
アガサ/愛の失踪事件 [DVD]
ダスティン・ホフマン
復刻シネマライブラリー
2012-08-27



★★★
以下の作品はAmazon Prime Videoでも視聴可能です。希望の作品の画像をクリックするとPrime Videoの該当ページに行くことができます。





最新更新日2020/01/12☆☆☆

2017年のミステリーランキングを独占し、ベストセラーになった『屍人荘の殺人』。この作品は第27回鮎川哲也賞の受賞作です。同賞は日本で唯一の本格ミステリ小説を専門とした新人賞であり、本格ミステリ作家を目指している人にとって、その受賞は大きな目標だといえるでしょう。ただ、この賞はミステリー新人賞の老舗である江戸川乱歩賞などに比べるといささかマイナーであり、受賞作がここまで話題になることは皆無でした。かといって、過去の受賞作に面白い作品がなかったというわけではありません。知名度は低くても読み応えのある作品は数多くあり、この賞の受賞をきっかけに有名になった作家は何人もいます。そのうえ、最近では傑作が連続して生まれているため、賞としての注目度も高まりつつあるのです。そこで、この機会に個人的におすすめの鮎川哲也賞受賞作を紹介していきます。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

1990年

殺人喜劇の13人(芦辺拓)

ミニコミ雑誌サークル「オンザロック」のメンバーが共同生活を送っている泥濘荘。その下宿屋でメンバーの一人が殺される。泥濘荘の下宿人で探偵作家志望の十沼はなんとか事件の謎を解こうとするが、やがて事件は連続殺人へと発展する....。
本作は鮎川哲也賞の記念すべき第1回受賞作です。その肩書にふさわしく、この作品には本格ミステリへの愛が詰まっています。さまざまなトリックを縦横無尽に組み合わせ、さらに、ミステリマニアなら読んでニヤリとする小ネタを散りばめており、どこからどう見てもザ・本格ミステリといった感じの作品です。ただ、いささかアイディアを詰め過ぎているきらいがあり、ごちゃごちゃしている感は否めません。それに、登場人物が大勢出てくるわりに書きわけが不十分で、誰が誰だか分かりにくいのも難点です。全体的にみて若書きが目立ちます。しかしながら、この作品が発表されたのは新本格ブーム真っただ中の1990年。その時代の熱を感じるにはうってつけの作品だと言えるでしょう。
殺人喜劇の13人 (創元推理文庫)
芦辺 拓
東京創元社
2015-01-29


吸血の家(二階堂黎人)
舞台は昭和40年代の日本。推理小説研究会の面々の前に頭巾をかぶった謎の女が現れ、「近いうちに久月の家で殺人が起きると二階堂家に伝えてください」と告げる。推理小説研究会の一員である二階堂蘭子はその話を聞き、警視庁の中村警部から久月家についての情報を入手する。それによると、久月家では戦時中に脱走兵が不可解な死を遂げたというのだ。しかも、二階堂家と久月家は縁続きの間柄だった。やがて、久月家で浄霊会を行うことになり、そこに二階堂黎子も参加することになる。そして、その翌日、久月家の関係者が死体となって発見される。
第1回鮎川哲也賞の佳作受賞作。本作も『殺人喜劇の13人』と同じく、いかにもこの時代の新本格といった趣の作品です。いわくありげな旧家で連続殺人が起こり、それを名探偵が華麗に解決する様は往年の探偵小説のリスペクトにあふれています。不可能犯罪三連発を始めとしてさまざまな仕掛けが施されており、探偵小説好きにはたまらない作品です。特に、過去に起きた事件での足跡トリックが秀逸で、これだけでも一読の価値があります。ただ、あまりにも古い探偵小説を意識しすぎているため、コテコテした感じがするのは好みが分かれるところでしょう。ちなみに、佳作どまりだった本作は当初書籍化はされておらず、『地獄の道化師』で著者がデビューした後、1992年に立風書房から発売されることになります。
吸血の家 (講談社文庫)
二階堂 黎人
講談社
1999-07


1992年

ななつのこ(加納朋子)
短大生の入江駒子は偶然本屋で「ななつのこ」という童話を見つけ、その本に夢中になる。そして、作者にファンレターを送ったところ、意外にも返事が戻ってきた。しかも、手紙の中で何気なく書いたちょっと不思議な体験談に対して作者の推理が添えられていたのだ。それ以降も手紙のやり取りは続き、「ななつのこ」の作者は駒子の身の回りで起きた謎を次々と解き明かしていくことになる。
本作は第2回受賞作であり、発表されたのは1992年。1989年の『空飛ぶ馬』より始まった北村薫氏の円紫さんシリーズによって日常ミステリーというジャンルが話題になっていたころです。そして、女子大生が不思議な体験をして探偵役の男性がその謎を解く展開といい、両者の作品には多くの共通点があります。つまり、『ななつのこ』は円紫さんシリーズをリスペクトした作品なのです。しかし、単なる模倣には終わっておらず、本書には多くの美点があります。作者が若い女性であることによる描写のみずみずしさやヒロインのリアリティという点では本書は元ネタを上回っています。謎解きに関してもひとつひとつは小粒であるものの、童話中に描かれた謎と現実での謎がリンクする構成は秀逸です。最後の仕掛けもうまくはまっており、やわらかで暖かい独自の世界観を構築することに成功しています。加納朋子氏はその後もコンスタントに作品を発表し続け、やがて日常ミステリーの第一人者としての地位を築き上げていきます。
ななつのこ (創元推理文庫)
加納 朋子
東京創元社
1999-08-19


1993年

凍える島(近藤史恵)

常連客とともに無人島に慰安旅行に出かけた喫茶店「北斎屋」の一向。男女8人のメンバーで一週間の旅行を予定していたのだが、島を訪れて2日目に常連客の一人が鍵のかかった部屋で死体となって発見される。
第4回受賞作品。著者の近藤史恵氏は複雑な人間心理を描いたサスペンス調の作品を得意とし、歌舞伎を題材とした作品が多いことでも知られる女流ミステリー作家です。しかし、デビュー作である本作においてはクローズドサークルと密室殺人といった古典的な本格ミステリに挑戦しています。それでも心理的サスペンスの味わいはこのころから色濃く出ており、それと謎解きの要素が混じり合っているのが本作ならではの特徴です。文章も詩的でノスタルジックな味わいがあり、そういった雰囲気が好きな人であればかなり引き込まれるのではないでしょうか。ちなみに、舞台となる季節は真夏なのですが、話が進むにつれて「凍える島」というタイトルがぴったりの空気を醸し出すようになり、そういったところも大きな読みどころとなっています。一方で、「コーヒー」を「コオヒイ」と表記するなど、長音を完全に廃した表現は文章をひどく読みにくいものにしています。また、ラストにはどんでん返しも用意されていますが、ミステリーの仕掛けとしては少々強引で、また、犯人の動機についても納得しがたいという人が多いのではないでしょうか。とにかく、読者を激しく選びそうなクセの強い作品です。しかし、そこがよいという人も少なからずいるのもまた事実です。
凍える島 (創元推理文庫)
近藤 史恵
東京創元社
1999-09-23


慟哭(貫井徳郎)
幼女連続誘拐事件の捜査は行き詰まりを見せ、捜査一課長は窮地に立たされる。マスコミからは責められ、警察内部では異例の出世を遂げた若手キャリアである課長との不協和音が絶えない。一方、事件によって幼い娘を失った男は心の穴を埋めようと新興宗教にのめり込んでいく。そして、その教団の中で彼は多大なお布施によって階級を上げていき、上級階級の人しか参加を許されない黒魔術の儀式を目撃するが.....。
本作は第4回鮎川哲也賞の最終候補に残ったものの、受賞には至っていません。したがって、本来なら書籍化されずに終わるはずだったのですが、当時予選委員を務めていた北村薫氏の激賞を受けて出版される運びとなったのです。しかも、この作品は発売されるや大ヒットを記録し、50万部を超えるベストセラーになっています。『屍人荘の殺人』は鮎川哲也賞始まって以来の大ヒット作品だと言いましたが、それを超えるものが落選作品の中にあったのです。本格ミステリとしては作品全体に仕掛けられた大トリックが肝となっています。しかし、ミステリーを読み慣れた人ならこの仕掛けにはおそらくすぐ気がついてしまうでしょう。しかし、だからと言って、この作品がつまらないというわけではありません。その真価はトリックによるどんでん返しよりも『慟哭』というタイトルに現されている壮絶な人間ドラマにあります。ミステリー的な仕掛けもそれを効果的に演出するための装置にすぎません。この救いのない物語の重さは読む者の心にずしりと響くものがあります。文章も老成されており、これを当時20代だった著者がものにしたという事実が驚きです。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門12
慟哭 (創元推理文庫)
貫井 徳郎
東京創元社
1999-03-17


1994年

化身(愛川晶)

両親と妹を失い天涯孤独となった操の元に数枚の写真が送られてくる。その中には保育園と絵の写真が内封されていた。そして、続いて送られてくる見知らぬ少女のポートレイト。恐怖を覚えた操は先輩の坂崎と共に調査を始めるが、そこで行き着いたのは過去の園児誘拐事件だった。しかも、誘拐されたという園児は操の幼いころと酷似していたのだ。
第5回受賞作品。自分の出生の秘密を探るという本格ミステリとしては地味なテーマですが、密室状態での園児誘拐や戸籍を用いたトリックなど謎解きの趣向にあふれており、意外と楽しめる作品に仕上がっています。深刻なテーマを扱っているわりに文章が適度に軽くて物語にスピード感があるのも好印象です。ただ、重厚さに欠ける分、薄味と感じる人もいるかもしれません。
化身 (創元推理文庫)
愛川 晶 
東京創元社
2010-09-18


1995年

狂乱廿四孝(北森鴻)

明治3年、人気歌舞伎役者の澤村田之助は脱疽のために両足を切断することになる。それでも彼は舞台に立ち続けることを選ぶ。ところが、その公演中に彼の主治医が殺害され、それはやがて連続殺人に発展する。戯作者・河竹新七の弟子であるお峯は持ち前の頭脳を活かしてその謎に挑むが......。
第6回受賞作品。タイトルにもなっている廿四孝とは有名な歌舞伎の演目であり、それと、奇想の天才画家といわれた河鍋暁斎の幽霊画の両者を巧みに事件と結び付けているところがこの作品の妙味です。また、江戸から明治に変わっていく時代の空気もよく描けており、実在の歌舞伎関係者が数多く登場している点も読みどころとなっています。ただ、トリック自体は長編を支えるにはパンチが弱く、ミステリーを読み慣れている人なら簡単に予想がついてしまうのが難点です。むしろ、この作品の原型であり、角川文庫に同時収録されてある短編『狂斎幽霊画考』の方がミステリーとしてのキレ味は数段上なので読み比べてみるのも一興でしょう。
狂乱廿四孝 (角川文庫)
北森 鴻
角川書店
2001-08


1998年

殉教カテリナ車輪(飛鳥部勝則)

わずか5年の間に500点以上もの作品を描き上げて自殺した無名の画家、東条寺桂。学芸員の矢部直樹は彼に興味を覚え、残された2枚の絵に込められた主題を読み解こうとする。しかし、そこから浮かび上がってきたのは世にも奇妙な密室殺人事件だった。
第9回受賞作であり、歴代の中でもかなりレベルの高い作品です。まず、絵画から事件の背景を読み解いていこうというアプローチが斬新です。中盤の推理合戦も楽しく、読者を真相から遠ざけるミスリードの手腕も見事としか言いようがありません。また、事件の重要な鍵となる絵画が著者自身の作品というのも異彩を放っています。トリック自体はそれほど斬新なものではありませんが、とにかくミステリーとしての仕掛けが見事な傑作です。
1999年度このミステリーがすごい!国内部門12
1999年度本格ミステリベスト10 国内部門 3
殉教カテリナ車輪 (創元推理文庫)
飛鳥部 勝則
東京創元社
2001-07


2009年

午前零時のサンドリヨン(相沢沙呼

高校に入学した須川は謎めいた雰囲気を持つ酉野初に一目ぼれをする。彼女は凄腕のマジシャンであり、しかもマジックのテクニックを駆使して須川たちが巻き込まれた不思議な事件を華麗に解決してしまう。ところが、そんな彼女も人間関係には臆病で....。
第19回受賞作である本作は高校を舞台にしたライトノベルタッチの作品です。しかし、その文章力は秀でており、老練さすら感じさせます。ミステリーとしては軽い感じでどちらかというと恋愛要素に重きが置かれているのですが、4つの短編に何重にも伏線が張り巡らされており、最後に回収する手管は実に見事です。また、青春ストーリーとしても甘さの中に苦みがある感じが良い味を出しています。著者はその後もこの路線を続けており、それはやがて傑作『マツリカ・マトリョシカ』に結実していくことになります。
2012年

体育館の殺人(青崎有吾)

高校の旧体育館で放送部の部長が刺殺される。警察は現場近くにいた女子卓球部の部長を犯人だと決めつけるが、卓球部員の柚乃はその結論に納得できなかった。彼女は部長の嫌疑を晴らすために学内一の天才と呼び声高い裏染天馬に真相解明を依頼するが.......。
探偵役がアニメおたくの高校生で全体的に軽いノリであるため、ライトノベルを思わせる作品に仕上がっています。また、驚くようなトリックが使われているわけでもなく、扱われている事件も地味です、その辺りが好みをわけるところでしょう。しかし、全編にわたるロジックへのこだわりは平成のエラリー・クイーンと呼ばれるだけはあり、特に現場に残された傘から次々と推論が導き出されるくだりはパズラー好きにはこたえられない展開です。本作は2013年版の本格ミステリベスト10において5位に選出され、続く『水族館の殺人』と『図書館の殺人』がそれぞれ2014年版と2017年版のランキング2位に選ばれるなど、着実に本格ミステリー作家としての地位を固めています。
2017年度本格ミステリベスト10 国内部門 5
体育館の殺人 (創元推理文庫)
青崎 有吾
東京創元社
2015-03-12


2016年

ジェリーフィッシュは凍らない(市川憂人)

画期的な技術で造り上げられた小型飛行船ジェリーフィッシュ号。そこに6人の技術者が乗り込み、長期飛行実験に旅立った。ところが、その際中に乗組員の一人が死体となって発見される。しかも、ジェーリーフィッシュの自動航行システムが暴走し、雪山の山腹に不時着してしまったのだ。脱出不能となった艦内ではさらなる犠牲者が.......。
第26回の受賞作品です。クローズサークルでの連続殺人を描いているところから『そして誰もいなくなった』を連想する人も多いでしょう。しかし、単なる模倣にはとどまらず、ジェリーフィッシュという特殊設定を持ち込むことでスケールの大きなトリックを成立させている点が秀逸です。しかも、大技一発に頼ることなく、それを支える小技を張り巡らせているところにも巧さを感じさせてくれます。また、個性的な刑事による捜査の様子が時折挿入されており、これがよいアクセントとして機能しています。全体的に新人離れした技を感しさせてくれる作品であり、これからが楽しみな作家と言えるでしょう。
2017年度このミステリーがすごい!国内部門10
2017年度本格ミステリベスト10 国内部門 3
2017年

屍人荘の殺人(今村昌弘)

ミステリー愛好会の葉村譲と会長の明智恭介、それに探偵少女の剣崎比留子は映画研究部の夏合宿に参加することになる。ところが、合宿1日目の夜の肝試しの最中にとんでもないできごとが発生し、映画研の面々は合宿場である紫湛荘に立て籠もりを余儀なくされる。しかも、恐怖の一夜が明けると部員の一人が密室状態で殺害されているのが発見されたのだ。しかし、なぜ犯人はこのような極限状態で殺人を実行したのだろうか?しかも、犯行はそれだけで終わらず、第2の犠牲者が......。
本作は第27回鮎川哲也賞受賞作品であると同時に「このミステリーがすごい」「文春ミステリー」「本格ミステリベスト10」のすべてにおいて1位を記録し、さらにベストセラー驀進中という、歴代の鮎川哲也賞の中でも最強の1冊として記憶される作品となりました。その魅力はなんといってもホラー仕立ての設定の面白さにあります。ホラー小説としての緊迫感でぐいぐいと読者を引っ張っていき、そこに殺人事件を発生させてホラーとしての舞台装置と本格ミステリにおける謎解きが違和感なく融合している点が見事です。新本格系らしく少女探偵が登場するなど登場人物にリアリティがないのは好みが分かれるところですが、反面、その記号的なキャラをうまく活かして分かりやすいストーリーに仕立てているのでリーダビリティは抜群です。文章もリズミカルで読みやすくまさに最強の名にふさわしい傑作です。
2018年度このミステリーがすごい!国内部門1
2018年度本格ミステリベスト10 国内部門 1位
第18回本格ミステリ大賞受賞
屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
今村 昌弘
東京創元社
2019-09-11


2019年

時空旅行者の砂時計(方丈貴恵)
間質性肺炎で危篤状態の妻。このままでは死を待つしかなかったが、突然、夫の加茂は謎の声を聞く。その声は彼女を救うには1960年に起きたある事件の真相を暴くしかないという。その事件というのが、妻の祖先である黄泉一族の連続殺人とそれに続く土砂崩れ、いわゆる”死野の惨劇”と呼ばれているものだった。加茂は声に誘われるままに1960年にタイムスリップする。すべてが土砂に呑み込まれるタイムリミットまであと4日。果たして加茂は、それまでに真相を明らかにすることができるのだろうか?

第29回鮎川哲也賞受賞作品である本作は昨今の本格ミステリの流行にならうかのように、「特殊設定+密室や見立て殺人の古典本格」といった組み合わせになっています。しかも、表面的に流行りものを追っただけでなく、特殊設定が事件の謎を解く大きな鍵となっており、最後にあっと驚く仕掛けが炸裂する構成が見事です。さらに、4日間で事件を解かなければならないという縛りを付加したことで、タイムリミットサスペンスとしての面白さも味わうことができるようになっています。ただ、設定を詰め込み過ぎたため、やたらと煩雑となり、登場人物の相関関係や全体構図を理解するのが大変だという難点があります。とはいえ、新人としては及第点を遥かに超える力作であることは確かです。
2020年度本格ミステリベスト10 国内部門 7
時空旅行者の砂時計
方丈 貴恵
東京創元社
2019-10-11







最新更新日2018/01/13☆☆☆

彗星のごとく現れてアメリカミステリー界の巨匠として君臨し、その後母国では跡形もなく忘れ去られたヴァン・ダインの12長編+αについて解説をしていきます

※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

ベンスン殺人事件(1926)
証券会社の経営者であるベンスン氏が自宅で射殺される。有力な容疑者がいるため解決は容易だと考えられていたが、その捜査に稀代の名探偵ファイロ・ヴァンスが加わることで捜査の行方は一変する。
探偵小説に関してアメリカがイギリスの後塵を拝していた時代に颯爽と現れ、一大センセーションを巻き起こしたヴァン・ダインのデビュー作です。当時のアメリカ文学はイギリスと比べて低俗なものが多いとされ、米国の知識層にとってはそれがコンプレックスにもなっていました。そうした背景の中で、衒学的な知識をまとって周囲をけむに巻く探偵ファイロ・ヴァンスの活躍譚はいかにも高尚文学を読んでいるような味わいがあり、英国コンプレックスに陥っていた米国人は大いに溜飲を下げたというわけです。しかも、この作品で扱われている事件にはモデルがあります。1920年にニューヨークで起きたエルウェル事件です。有名な未解決事件を無能な警察を尻目に見事解き明かすファイロ・ヴァンスの姿には一種の痛快さもあったのでしょう。そういった点もこの作品が成功した要因のひとつだと推測できます。ただ、当時のアメリカでは有名であっても現在の日本では知る人がほとんどいない事件であり、また、作中の事件も実際の殺人をモデルにしているだけに探偵小説が扱う謎としてはいささか地味すぎです。そのためか、本作ではファイロ・ヴァンスがどのような人物であり、どういった手法で推理をするかといったキャラクター描写にページの大半が割かれています。しかし、このファイロ・ヴァンスという探偵は今読むと鼻もちならない上にやたらと知識をひけらかすだけの痛々しい中二病患者にしか見えないところがいかにも残念です。また、彼が得意としている心理的推理も無理があるように感じます。そもそも、物的証拠の必要性を否定しながら犯人を追いつめる手段が結局物的証拠だったというのが大きな矛盾です。以上のように、現代の目線で読むとどうにも魅力の乏しい作品だと言わざるをえません。しかし、その一方で、ヴァン・ダインの作品には古き良き時代の探偵小説独特の味わいがあることも確かです。それに、古典ミステリーの基本的なスタイルを完成させたという事実も見逃せません。そこから生じる古き良き時代の芳醇さを感じることができるか否かでこの作品に対する評価も変わってくるでしょう。
カナリア殺人事件(1927)
ブロードウェイの人気女優マーガレット・オーデルは華麗さを絵に描いたようなビジュアルからカナリヤと称されていた。その彼女が完全な密室で殺害されたのだ。犯人は4人の男性のいずれかと思われるものの、決め手となる証拠はなにもない。そこで、名探偵ファイロ・ヴァンズはポーカーゲームを通じて心理分析を行い、犯人を特定しようとするが......。
本作では密室殺人の謎が前半ストーリーの牽引力となり、後半ではポーカー勝負という大きな見せ場もあるため、前作と比べるとミステリー的なケレン味は増しています。しかし、密室トリックは現代の読者にとってはあまりにも基本的すぎるレベルであり、ポーカーで犯人を特定するという手法は肝心の心理分析が単純すぎて説得力が感じられません。そういうわけで本作もミステリーとしては高い点数は進呈できないわけですが、ポーカー勝負のくだりや動かぬ証拠が見つかる瞬間の演出などはいかにも古き良き時代の古典ミステリーといった感じで雰囲気は決して悪くありません。それに、このファイロ・ヴァンズという探偵はどうも直感的に犯人を特定する能力はあるようなのですが、それを説得力を持たせて人に説明したり、相手の仕掛けたトリックを見破ったりする能力が致命的に欠けているように思えます。だからこそ、ポーカー勝負など、それらしいことをして後付けの理由を必死に作っているのではないのでしょうか。そう考えると、鼻もちならないファイロ・ヴァンズの言動にも可愛げを感じる気がしないでもありません。
カナリヤ殺人事件 (創元推理文庫 103-2)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-05


グリーン家殺人事件(1928)
ニューヨークの真ん中に時代から取り残されたように佇んでいるグリーン家の古邸。そこで恐るべき事件が起きる。屋敷に住む2人の女性が何者かに銃撃されたのだ。しかも、その後も惨劇は続き、犯人は一家皆殺しを企てているかのようだった。果たしてファイロ・ヴァンズは姿なき殺人犯の正体を暴くことができるのだろうか。
『グリーン家殺人事件』はヴァン・ダインの最高傑作のひとつであるばかりでなく、この作品が国内外に与えた影響は計り知れないものがあります。日本においても『殺人鬼』『黒死館殺人事件』という本作をリスペクトした名作が誕生しています。それに、なんといっても、本作が画期的だったのは豪邸で起きる連続殺人、全編に漂うサスペンス、名探偵の華麗な推理といった古典的な探偵小説の完成型を見事に作り上げた点です。ただ、トリックに新味がないのは相変わらずですし、作品の完成度が高いといっても現代人の目からはスタンダードすぎて陳腐に見えてしまいます。もっとも、陳腐になったのはそれだけ真似をされ続けた結果であり、この作品の偉大さを証明するものだともいえるでしょう。独創的なトリックや意外な真相などに対する期待は捨て、古典ならではの芳香をじっくりと楽しみたい作品です。
僧正殺人事件(1929)
高名な物理学者が住むテイラード宅の傍でアーチェリーの選手であるロビンが矢に刺されて死んでいるのが発見される。その状況を聞いたファイロ・ヴァンズは指摘する。これはマザーグースの一篇「コック・ロビン」だと。そして、それが世にも奇怪なマザーグース連続殺人事件の幕開けだった。
見立て殺人というアイディアを初めてミステリーの中に取り入れた歴史的な一冊です。マザーグースの歌詞になぞらえて殺人が起きるというプロットには得も言われぬ不気味さがあり、探偵小説との相性は抜群です。ヴァン・ダインが創作した犯人像も現代でいうサイコパスにを連想させ、この時代のミステリーとしては唯一無二のオリジナリティを獲得することに成功しています。一方で、トリックの創出が得意ではないヴァン・ダインですが、本作には二番煎じのトリックすら登場しません。おまけに、ファイロ・ヴァンスが犯人を特定するロジックも極めて根拠薄弱なものであり、本書に本格ミステリとしての魅力を期待すると大きな失望を味わうことになるでしょう。あくまでも独自の雰囲気を楽しむだけの作品だという割り切りが大切です。
カブトムシ殺人事件(1930)
エジプト博物館で発生した殺人事件。現場に残された証拠は明らかに博物館の館長であるブリス博士の犯行を示唆していた。ヒース部長刑事は彼を逮捕しようとするが、ファイロ・ヴァンスがそれに異を唱える。ヴァンスは自らの推理によってその逮捕が不当であることを証明してみせるのだが......。
派手な連続殺人を描いた「グリーン家殺人事件」や「僧正殺人事件」に比べて本作はすっきりとした落ち着きのある作品に仕上がっています。地味と言えば地味なのですが、物語の焦点がきっちりと定まっている分、非常に読みやすく、これまでやたらとうるさく感じていた蘊蓄もそれほど気にならないのは本作の長所だと言えるでしょう。以上のように、読み物としては決して悪くはないのですが、その反面、ミステリーとしては少々不満の残るできになっています。本作のメイントリックもいつものごとく前例のあるもので、それ自体はよいとしても、プロットの組み方が素直すぎるため、犯人の狙いがミエミエになってしまっているのです。約10年前にイギリスの有名作家が同じトリックを使っていますが、ミステリーとしての巧妙さでは先行作の方がはるかに上です。ヴァン・ダインの全盛期と呼ばれる前半6作の中では最も魅力に乏しい作品ではないでしょうか。
カブト虫殺人事件 (創元推理文庫 103-5)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-04-01


ケンネル殺人事件(1931)
中国陶器の収集家として知られている男が頭を銃で撃ち抜かれた状態で発見される。部屋は内側から鍵がかけられていたために最初は自殺かとも思われたが、やがて、背中から刃物を刺されている事実が判明する。しかも、死因は銃ではなく、背中の傷だったのだ。さらに、別の部屋では犬が大けがをして倒れているのが発見される。奇妙なことに誰もその犬がどこからやってきたのかを知らないという。まさに、五里霧中の奇怪な事件に対して名探偵ファイロ・ヴァンスはどのような光を当てるというのだろうか......。
傑作と言われる前半6冊の中では知名度は今一つの感が強い作品ですが、近年では本作こそがヴァン・ダインの最高傑作ではないかという声も挙がっています。というのも、「グリーン家殺人事件」や「僧正殺人事件」は確かにミステリー史に残る名作ではあるものの、その後リスペクトされすぎたために今では陳腐化しているきらいがあるからです。その点、本作の奇妙な事件の顛末にはオリジナリティが感じられ、魅力的です。複雑に絡み合う謎を解き明かしながら真相に向かっていくプロセスは非常に読み応えがあり、よくできたパズラーに仕上がっています。相変わらずトリックの独創性には欠けていますが、プロットの見事さがそれを補ってあまりある傑作だといえるでしょう。
ケンネル殺人事件 (創元推理文庫 103-6)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-02-26


ドラゴン殺人事件(1933)
ニューヨークの外れにある屋敷のプールで青年が飛び込んだまま浮かび上がってこないという事件が起きた。しかも、プールの水を抜いてみても青年の姿はなく、代わりに水底には巨大なドラゴンの足跡が残されていたのだ。
ヴァン・ダインの7作目はディクスン・カーばりの不可能性と怪奇性を全面的に押し出した異色作ですが、いかんせん彼はトリックの創出が得意な作家ではありません。謎の魅力とトリックのしょーもなさがアンバランスなのでどうしても脱力感を覚えてしまうのです。それはまだよいとしても、肝心のファイロ・ヴァンスにやる気が感じられないのは大問題です。得意の心理的推理は影を潜め、あてずっぽで犯人を指摘する始末です。しかも、真相は意外性のかけらもなく、関係者の多くは犯人の正体に薄々気がついていたというのはミステリーとしていかがなものでしょうか。そのくせ、捜査陣だけは五里霧中で右往左往しているというのは滑稽ですらあります。この辺りからヴァン・ダインの作品は急速に勢いを失っていくことになります。ちなみに、本作が発表された前年にはエラリー・クイーンの代表作である「ギリシャ棺の謎」「エジプト十字架の謎」「Xの悲劇」「Yの悲劇」の4作が発表されており、より洗練されたこれらの作品と比べヴァン・ダインの作風はいかにも古臭く感じてしまいます。探偵小説不毛の地であったアメリカに金字塔を打ち立てたヴァン・ダインでしたが、わずか数年の内に世代交代の波が押し寄せてきたのです。
ドラゴン殺人事件 (創元推理文庫 103-7)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-10


カシノ殺人事件(1934)
ファイロ・ヴァンスの元に「賭博場でリン・リュウェリンを監視せよ」という匿名の手紙が送られてくる。指定された日時に賭博場を監視していると、リュウェリンは毒を盛られて倒れてしまった。ヴァンスの機転によってリュウェリンは一命を取りとめるが、その代わりに、自宅で彼の妻が死んでいるのが発見される。しかも、明らかに毒殺だと思われるのにも関わらず、彼女の胃からは毒物が発見されなかったのだ。ヴァンスの注意は近くの重水研究場に向けられるが......。
ヴァン・ダインが描くミステリー小説の特徴はさまざまな蘊蓄に彩られた重厚な雰囲気とファイロ・ヴァンズ独自の探偵スタイルにあったのですが、これらの個性は「僧正殺人事件」をピークに次第に後退し始め、本作では限りなく普通の探偵小説になっています。蘊蓄は最小限にとどまり、ヴァンスも足を使って情報を集め、時にミスをして苦悩するといった具合でまるで凡庸な探偵のごときです。ドヤ顔でその絶対的な有効性を語っていた心理的探偵法など見る影もありません。変な癖がなくなって逆に読みやすくなったという見方もできますが、これではあまりヴァン・ダインの作品である必要性がないようにも感じます。そして、肝心のミステリー部分も冒頭の謎は魅力的であるものの、解決編が腰砕けなのは「ドラゴン殺人事件」と同じです。犯人の正体もミステリーを読み慣れた人なら「ああ、あのパターンか」とすぐに気が付くでしょう。要するにどっからどう見ても特に取り柄のない凡作と言うのが本作の妥当な評価だといえます。
カシノ殺人事件 (創元推理文庫 103-8)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1960-10-07


ガーデン殺人事件(1935)
ガーデン教授の屋敷では親しい人が集まり、競馬中継に耳を傾けていた。すると、一族の問題児であるウッドが、ある馬に全財産を賭けると宣言する。周囲の制止を振り切り、一人屋上の庭園に向かうウッド。そして、賭けは見事に外れ、次の瞬間、銃声が響き渡る。一同が屋上に駆けつけると、そこには銃を握り締めたウッドの死体が横たわっていた。誰もが自殺だと考えるが、やがてそれが他殺であることが判明する。しかし、関係者全員に鉄壁のアリバイが存在していた。
「ドラゴン殺人事件」辺りから下り坂にあったヴァン・ダインですが、この作品に限ってはなかなかの佳作に仕上がっています。といっても、大したトリックがあるわけではありません。その代わり、ミスディレクションの扱いに優れ、フーダニットとしての完成度はかなりのものです。また、好き嫌いの分かれるファイロ・ヴァンズの蘊蓄もすっかり影を潜め、読みやすい作品となっています。それが物足りないという人もいるでしょうが、結果としてクセのない上質なミステリーに仕上がっています。ヴァン・ダインの入門書としては絶好の作品だといえるでしょう。
ガーデン殺人事件 (創元推理文庫)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-07-05


誘拐殺人事件(1936
旧家の道楽息子が自室から突如姿を消す。現場には5万ドルの身代金を要求する紙片が残されていた。当初は営利誘拐だと思われていたものの、やがて、彼は自分の意思で屋敷から出ていったらしいことが判明する。するとこれは狂言誘拐なのか?その疑問に対してファイロ・ヴァンスは答える。「いや、彼はすでに殺されている」と。そして、第2の誘拐事件が......。
前作「ガーデン殺人事件」で復調の兆しを見せたヴァン・ダインですが、本作では見事に迷走状態へと陥っています。それでも謎めいた事件が起きる前半部分は無難にまとまっており、悪くありません。問題は後半部分であり、なんとファイロ・ヴァンスがギャングと銃撃戦を繰り広げるのです。時代の流れに迎合しようとしたのかもしれませんが、名探偵とハードボイルドの組み合わせはミスマッチ感が半端ありません。悲愴感をまとったヴァンスが決戦の場に向かうシーンなどはもはや滑稽なほどです。それでも、ミステリーとして面白ければよいのですが、事件の真相は凡庸そのもので見るべきものが何もないから困ってしまいます。かろうじて見せ場と言えば、初期の作品ではヴァンスに散々小馬鹿にされていたヒース警部がかっこよく描かれていることぐらいでしょうか。ヴァン・ダインの著作の中でも1、2を争う駄作です。
誘拐殺人事件 (創元推理文庫 103-10)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1961-02-03


グレイシー・アレン殺人事件(1938)
ファイロ・ヴァンスはグレイシー・アレンと名乗る娘の服を煙草で焦がしてしまい、お詫びに高級服飾店でサービスを受けられるように取り計らう。一方、マーカムとヒースは高級クラブで張り込みを行っている。クラブの歌手が最近脱獄したギャングの愛人であり、二人が接触するのを待ち伏せているのだ。ところが、翌朝、クラブの支配人室で皿洗いの青年が死体となって発見される。しかも、彼はグレイシーの兄だったのだ。
「誘拐殺人事件」の売り上げが惨憺たる有様だったため、出版社が持ち込んだ企画を仕方なく形にしたのが本作です。グレイシー・アレンとは当時の人気コメディアン女優であり、出版社は彼女をヒロインにした映画化前提の作品を書くように促したというわけです。その結果、ドタバタ喜劇風のユーモアミステリーができたわけですが、ヴァン・ダインの作風とはどう考えても水と油です。しかも、目玉であるはずのグレイシー・アレンのキャラを活かしきれていないために、作品全体が散漫とした印象になっています。ミステリー的なアイディアには光る部分もありますが、やはり十分には活かしきれていません。ファイロ・ヴァンスが登場する12作品の中でも「誘拐殺人事件」と並ぶ失敗作だといえるでしょう。
ウインター殺人事件(1939)
雪の降りしきる森の中の大邸宅。そこで殺人と宝石盗難事件起きる。名探偵ファイロ・ヴァンスが挑む最後の事件。
ヴァン・ダインの執筆スタイルは概要、簡略版、完成版といった具合に、先に骨格を組み上げ、次第に肉付けをしていく手法をとっていました。ところが、この作品に関しては完成以前にヴァン・ダインが亡くなってしまったために簡略版しか残っていないのです。確かに、読んでみると登場人物が多い割に、キャラクターの肉付けが不十分で物足りない点があります。かといって、ミステリーとして見るべき点も特にないため、完成していたとしても凡作という評価は覆らなかったでしょう。ただ、ケガの光明というべきか、余計な蘊蓄もなくてすっきりとした読み心地なのは本作の美点だといえます。雪に覆われた自然の美しさと静寂さが伝わってくる描写は悪くなく、前2作のようなあからさまな迷走感を醸し出していないのがせめてもの救いです。
ウインター殺人事件 (1962年) (創元推理文庫)
ヴァン・ダイン
東京創元新社
1962-06-01



ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿
タイトルだけ見るとファイロ・ヴァンスを主人公にした短編集のように見えますが、中身は実際に起こった事件の解説書でしかありません。ファイロ・ヴァンスはその解説役で登場するだけです。ヴァンスが未解決事件に対して自分の推理を語るわけでもなく、簡単なコメントを付け加えるだけなのです。したがって、本書を推理小説だと思って購入すると大いに失望することになります。ヴァン・ダインの著作を全作制覇したいという愛読家のみにおすすめできる作品です。

別名S・S・ヴァン・ダイン:ファイロ・ヴァンスを創造した男(ジョン・ラフリー)
美術評論家として不遇な時代を過ごし、一念奮起して書き上げた探偵小説によって大成功を収めたものの、新しい時代の流れに適応できずに人気急落の憂き目にあったヴァン・ダイン。今まで不明な点が多かった彼の生涯を赤裸々に描いた傑作伝記。
この著書はミステリー作家ヴァン・ダインの評伝というよりも美術評論家として活動していたウィラード・ハンティント・ライト時代の記述によりウェイトが置かれています。ヴァン・ダインについての記述は後半3分の1程度にすぎませんが、数奇な運命をたどった人生の軌跡として非常に読み応えのある伝記本となっています。また、ヴァン・ダイン自身が語っていた自らの経歴が虚飾にまみれていたという事実もミステリーファンにとっては興味深いところです。才能はあったものの、自意識の高さ故に不本意な人生を送ることになった男の姿には何ともいえない悲哀を感じさせます。今まで多くの部分が謎とされてきた彼の人生を綿密な調査と丁寧な筆致で浮き彫りにした労作です。




僧正殺人事件

対象作品である2017年11月1日~2018年10月31日発売のミステリー&エンタメ作品の中からこのミスベスト20の予想をしていきます。  ただし、あくまでも個人的予想であって順位を保証するものではありませんので、その点はご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします


このミステリーがすごい!国内版最終予想(2018年11月9日)

1位.凍てつく太陽(葉真中顕)9位(実際の順位)※20位まで記載
昭和20年。北海道の軍需工場の関係者が次々と毒殺されるという事件が発生する。アイヌ出身の刑事・日高は捜査に加わるものの、濡れ衣を着せられて投獄されてしまう。日高は脱獄を決意するが.......。
重いテーマを扱いながらも冒険あり、どんでん返しありの一級の娯楽作品に仕上がっています。
凍てつく太陽 (幻冬舎文庫)
葉真中顕
幻冬舎
2020-08-06


2位.沈黙のパレード(東野圭吾)4位
3年前に行方不明になっていた娘が火事で焼失した民家から死体で発見される。逮捕されたのは23年前に少女殺しの容疑で逮捕された後に釈放された男だった。そして、今回も黙秘の末に釈放されるが.....。
ガリレオシリーズ第9弾。2転3転する本格ミステリの面白さとドラマ性の豊さを兼ね備えた傑作。
沈黙のパレード
東野 圭吾
文藝春秋
2018-10-11


3位.宝島(真藤順丈)5位
戦後の沖縄。米軍基地の物資を盗んで庶民に与える戦果アギヤーはコザで英雄視されていたが、そのリーダーが行方不明になる。リーダーの弟、恋人、親友は彼の遺志を継いでそれぞれの道を歩み始める。
架空の人物を通して語られる戦後沖縄史。実話と虚構の融合が独特の臨場感を生むエンタメ傑作。
宝島
真藤 順丈
講談社
2018-06-21


4 位.凶犬の眼(柚月裕子)
日岡は田舎の駐在所に異動させられ、無為な日々を過ごしていた。そんな時、敵対する組の組長を殺して指名手配中の国光と出会う。拘束しようとする日岡に対し、国光は少し時間がほしいと頭を下げる。
2016このミス3位「孤狼の血」の続編。刑事とやくざとの男の世界が前作以上に濃密に描かれた力作。
凶犬の眼 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2020-03-24


5位.夏を取り戻す(岡崎琢磨)
1996年8月下旬から城野原市で小学生が失踪する事件が相次ぐ。その内、黒崎健という少年は4日後に戻ってくるが、今度は視聴覚教室で別の子供が忽然と姿を消す。事件を巡る大人と子供たちの知恵比べ。
次々と現れる謎の面白さと謎を解くことによって深みを増していく物語。伏線の妙も素晴らしい傑作。
夏を取り戻す (創元推理文庫)
岡崎 琢磨
東京創元社
2021-06-30


6位.錆びた滑車(若竹七海)3位
不運な探偵・葉村晶は尾行中、2階から落ちてきた老女とぶつかり、怪我を負う。それが縁で晶は老女のアパートに引越すことになるが、そのアパートが火事になり、老女と彼女の孫が亡くなってしまう。
話の隅々に伏線を張ってきれいに回収する手際とほろ苦いハードボイルドが魅力の安定のシリーズ。
錆びた滑車 (文春文庫)
若竹 七海
文藝春秋
2018-08-03


7 位.ペンギンは空を見上げる(八重野統摩)
ロケットエンジニア志望の小学生・ハルは意固地な性格でクラスから孤立していた。そんな彼の当面の目標は風船宇宙撮影。ある日、金髪の少女・イリスが転校してくる。彼女はなぜかハルになつき.......。
上質なジュブナイル作品であり、ミステリーとしての仕掛けが感動をより高めてくれる傑作です。
8位.火のないところに煙は(芦沢央)10位
作家の私の元に神楽坂を舞台にした怪談を書かないかという企画が持ち込まれる。それを聞いて私は8年前に、大学時代の友人からある恐怖体験をしている女性を紹介されたときのことを思い出す........。
ルポ風の形式が臨場感を高める怪談ミステリー。推理によっても拭えない恐怖が押し寄せてくる傑作。
火のないところに煙は
芦沢 央
新潮社
2018-06-22


9位.インド倶楽部の謎(有栖川有栖)14位
すべての予言が記されている「アガスティアの葉」。その神秘に触れようと神戸の屋敷に集まるインド倶楽部のメンバー。だが、その翌日から関係者が次々と殺されていく。果たして予言の秘密とは?
相変わらずロジックの冴えが素晴らしい13年ぶりの国名シリーズ。ぶっとんだ動機もインパクト大。
10位.少女たちは夜歩く(宇佐美まこと)
愛媛県松山市の中央にある城山。この地では不可思議なことが次々と起きる。死んだ人間が見える女、謎の獣に会った少年、忽然と消えた少女。悪夢じみたそれぞれの出来事はどこでつながっているのか?
恐怖に彩られた10のエピソードがリンクし、事件の背景が浮かび上がってくるホラーミステリの傑作。
少女たちは夜歩く (実業之日本社文庫)
宇佐美 まこと
実業之日本社
2021-08-06


11位.少女を殺す100の方法(白井智之)
ある日、名門女子中学校の教室で20人の生徒が銃殺されているのが発見される。一体誰がどのようにして?少女20人死を描いた5つの短編ミステリー。
凄惨でグロテスクな設定に謎解きの面白さを組み入れた鬼畜系ミステリーの極北。
少女を殺す100の方法 (光文社文庫)
白井 智之
光文社
2020-12-09


12位.骨を弔う(宇佐美まこと)
小学生5人組が埋めた人骨標本。しかし、30年後に発見されたのは彼らが埋めたのとは全く別の場所だった。「あれは本物の人骨ではなかったのか?」疑念にかられた当事者の一人が調査を始めるが.....。
過去と現在をリンクさせつつ、登場人物心の闇を掘り下げる手腕が見事。希望のあるラストも好印象。
骨を弔う (小学館文庫)
まこと, 宇佐美
小学館
2020-06-05


13位.それまでの明日(原尞)1位
沢崎の元を訪れた金融会社の支店長は料亭の女将の身辺調査を依頼する。だが、女将はすでに故人であり、肝心の依頼人は失踪。そして、沢崎は金融がらみの事件に巻き込まれていく......。
14年ぶりの新作。初期と比べるとミステリー色は薄いが、ハードボイルドに対するこだわりは健在。
それまでの明日 沢崎 (ハヤカワ文庫JA)
原 りょう
早川書房
2020-09-03


14位.黙過(下村敦史)
車に轢かれた瀕死の男。最後の希望は肝臓移植のみ。だが、2人の教授は肝臓移植に望みをかけるか、患者の命を諦めて彼の臓器を他の患者に移植するかで対立する。その裏に隠された思惑とは?
5つの短編からなる連作集。重いテーマ性とミステリーとしての仕掛けの素晴らしさを併せ持つ傑作。
黙過 (徳間文庫)
下村敦史
徳間書店
2020-09-04


15位.ベルリンは晴れているか(深野緑分)2位
戦後直後のドイツ。少女アウグステをナチスから匿ってくれた主人が毒入り歯磨き粉で死ぬ。アウグステは訃報を彼の甥に知らせるために旅立つが、なぜかユダヤ人の泥棒・カフカが同行することになり....
当時のドイツを詳細に描き上げた一級の歴史小説であり、ミステリーとしての仕掛けも見事な傑作。
ベルリンは晴れているか (ちくま文庫)
深緑 野分
筑摩書房
2022-03-14


16位.碆霊の如き祀るもの(三津田信三)6位
断崖によって閉ざされた村には古くから伝わる海と山にちなんだ4つの怪談があった。そして、その伝説を再現するようにして起こる連続殺人。刀城言耶が奇怪な4つの不可能犯罪に挑む。
冒頭100p超の濃密な怪談と70にも及ぶ謎が圧巻。謎解きはやや小粒だが、強烈な動機が印象に残る。
17位.雪の階(奥泉光)7位
昭和10年。伯爵令嬢の惟佐子は親友の寿子が富士の樹海で陸軍士官と共に死体となって発見されたことを知る。事件の調査を依頼された新人カメラマンの千代子はその裏に隠された陰謀を追っていくが...。
二・二六事件前夜を描いた文芸ミステリー。女性の個性が際立ち、時代の空気を活写した手腕が見事。
雪の階(上) (中公文庫)
奥泉 光
中央公論新社
2020-12-23


18位.アリバイ崩し承ります(大山誠一郎)15位
美谷時計店には「アリバイ崩し承ります」という貼り紙が貼ってある。時計にまつわる相談ならなんでものるというのだ。捜査に行き詰まりを感じた新米刑事はアリバイ崩しを店の女店主に依頼するが......
7作からなる連作集ですが、どの作品も考え抜かれたトリックと捻り効いたプロットが素晴らしい。
19位.雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール(呉勝浩)
2013年の猟銃殺傷事件の生き残りである雛口依子の元に犯人の妹である葵が訪れる。彼女はこの事件のことを本にするといい、真実を明らかにするために依子と行動を共にし、取材を始めるが.......。
現在と過去を行き来しながら真相が明らかになっていく構成ですが、登場人物の狂いっぷりが凄まじい
20位.鯖SABA(赤松利市)
かつては海の雑賀衆と勇名を馳せた一本釣りの漁師集団。しかし、それも昔の話。今は日銭を稼いで居酒屋で管を巻く日々を続けている。そんな彼らに危険なビックビジネスの話が舞い込み.....。
圧倒的なリアリティを伴って人の愚かさを描き上げたノワール小説。ラストの衝撃が強烈。
鯖 (徳間文庫)
赤松利市
徳間書店
2020-07-09



その他注目作40

21.グラスバードは還らない(市川憂人)10位
ガラス製造会社の研究者たち5人はガラス張りの迷宮に閉じ込められる。しかも、研究員の一人は血まみれになって殺されていた。隠れる場所のないガラスの迷宮で犯人はどこに消えたというのか。
特殊設定のクローズドサークルはサスペンス感満載な上に、意表をついた真相には驚かされます。
22.鏡じかけの夢(秋吉里香子)
願いを込めながら一生懸命磨くとその願いがかなうという鏡。その鏡はベネチアから流れ着き、次々と持ち主をかえていく。鏡砥ぎ職人、火傷を負った実業家、傷痍軍人と戦争孤児。彼らのたどる運命は?
耽美で幻想的な雰囲気の中に残酷な運命を描いたゴシックホラー。最終話のどんでん返しが印象的。
鏡じかけの夢
秋吉 理香子
新潮社
2018-05-22


23.生き残り(古処誠)
北ビルマでの米軍との戦いで中隊から分断された兵達はイラワジ河の中州で籠城を余儀なくされる。ところが、その最中、胸を刺された伍長の死体が流れ着く。これは自殺なのか殺人なのか?
極限状態の戦場を舞台にミステリーの形を借りて人間の本質を描いた戦争サスペンスの傑作.
生き残り
古処 誠二
KADOKAWA
2018-07-27


24.翼竜館の宝石商人(高野史緒)
1662年のアムステルダムで宝石商人がペストにかかって死ぬ。だが、埋葬された翌日に、彼とそっくりな男が鉄格子の嵌められた密室から生きた状態で発見される。2人の男がこの謎の解明に乗り出すが......
重厚な世界観と奇怪な謎、伏線を一気に回収しての真相解明と時代ミステリの魅力を堪能できる傑作。
翼竜館の宝石商人 (講談社文庫)
高野史緒
講談社
2020-10-15


25.ドラゴンスリーパー(長崎尚志)
パイルドライバーの異名を取る元刑事の久井。彼の元上司が何者かに惨殺される。その手口は13年前の未解決事件と酷似していた。イマドキ刑事中の戸川と再びコンビを組み、彼は真相解明に乗り出す。
シリーズ第2弾。謎が謎を呼ぶ展開に引き込まれる。迷コンビの味もますます深まり、よい感じです。
ドラゴンスリーパー
長崎 尚志
KADOKAWA
2018-04-27


26.ファースト・ラヴ(島本理生)
血まみれの女子大生が殺人容疑で逮捕される。被害者は父親。そして、「動機はそちらで見つけてください」という言葉に世間の注目が集まる。臨床心理士の由紀は真実を明らかにしようとするが.......。
159回直木賞。家族の在り方を問う重い物語。普遍的テーマとして読ませるが、ミステリー色は薄い。
ファーストラヴ (文春文庫)
島本 理生
文藝春秋
2020-02-05


27.虚像のアラベスク(深水黎一郎)
15周年記念公演の中止を強要する脅迫状がバレエ団の元に送られ、海埜警部補は甥の芸術探偵を引き連れて警備に当たる。しかし、その演目内容はトランポリンで宙高く舞うなど危険なものばかりだった。
中編集。芸術に関するすさまじい蘊蓄が、後の作品の布石となって機能する仕掛けが素晴らしい。
虚像のアラベスク
深水 黎一郎
KADOKAWA
2018-03-02


28.深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説(辻真先)
似顔絵描きの那珂一兵の元に女性記者から名古屋凡太平洋博覧会に同行して挿し絵を描いてほしいとの依頼が入る。ところが、名古屋にいたはずの女性の足が銀座で発見されるという奇怪な事件が......。
戦争をテーマに探偵小説と社会派推理との融合が独特の味わい。張り巡られた伏線とその回収が見事。
29.悪徳のロンド(中山七里)
14歳で人を殺し、今は名を変えて悪徳弁護士となった御子柴礼司。彼の元に妹が30年ぶりに姿を現す。再婚相手を殺した容疑で逮捕された母の弁護をしてほしいというのだが......。
シリーズ第4弾。いつも逆転劇に加えて、クールな御子柴が満身創痍で裁判を戦う姿が読みどころ。
悪徳の輪舞曲 (講談社文庫)
中山 七里
講談社
2019-11-14


30 .毎年、記憶を失う彼女の救いかた(望月拓実)
両親の死亡事故以降、私は記憶を1年しかとどめておくことができなくなってしまった。ある日、見知らぬ小説家が現れ、僕の正体が見破れるか賭けをしようと提案するが......。
第54回メフィスト賞。張り巡らされた伏線の末のサプライズが感動を呼ぶ恋愛小説。
31.歪んだ波紋(塩田武士)
消費者金融の取材に執念を見せ、その悪事に迫った記者が自殺した。しかも、彼は消費者金融から借金をしていたという。彼の身に何があったのか。取材仲間だった相田は彼の死について調べ始めるが...。
誤報や捏造。今日的なテーマである報道の危うさを扱い、驚愕の最終話を迎える構成が見事な連作集。
歪んだ波紋
塩田 武士
講談社
2018-08-09


32.熟れた月(宇佐美まこと)
「ウーピーパーピーの木の下に埋めた」謎の伝言を先輩に伝えるべく結は走る。余命半年を宣告された闇金業のマキ子。落ちぶれた取り立て屋の乾。それぞれの人生はやがて一つの点へと収斂していく。
業にまみれた人々の転落人生を丁寧に描きながら怒涛の伏線回収で感動へと反転させる手腕が見事。
熟れた月 (光文社文庫 う 23-1)
宇佐美まこと
光文社
2022-01-12


33.探偵は教室にいない(川澄公平)
中学生の少女・真史は机の中にラブレターが入っているのを見つける。だが、肝心の差出人の名が書かれていない。どうしたものかと悩んだ末、彼女は不登校だが頭の切れる幼馴染の少年に相談するが.....
鮎川哲也賞の連作集。地味ながら小さな事件を巡る少年少女の日常が確かな筆致で描かれている佳作。
34.ガラスの殺意(秋吉理香子)
血まみれの包丁を手にした麻由子は自ら警察に電話をし、人を殺したと告げる。しかし、病院で目を覚ました彼女はその事実を忘れていた。彼女は記憶障害なのだ。果たして彼女は本当に犯人なのか?
2転3転する展開に引き込まれるサスペンスと介護をテーマにした社会派ミステリーを両立させた秀作。
ガラスの殺意
秋吉 理香子
双葉社
2018-08-21




35.死神刑事(大倉祟裕)
1年前に殺人容疑で逮捕された容疑者に無罪判決が下された。それと同時に、その事件の捜査に加わっていた刑事の元に義藤堅忍と名乗る男が現れる。彼は警視庁の刑事で、再調査をすると宣言するが....。
無罪判決事件の再捜査専門刑事という設定がユニーク。掴みどころのない堅忍のキャラも魅力的。
死神刑事
大倉 崇裕
幻冬舎
2018-09-20


36.月の炎(板倉俊之)
小学5年生の弦太が授業で皆既日食を観察してからほどなくしてクラスメイトの家と学校のウサギ小屋が全焼する。弦太は放火を疑い、仲間たちと一緒に犯人探しに乗り出すが......。
良質なジュナイブルを思わせる魅力的な少年描写とミステリーの仕掛けが高いレベルで融合した傑作。
月の炎
板倉 俊之
新潮社
2018-02-22


37.明智小五郎回顧談(平山雄一)
すでに引退し、60代になった明智小五郎の元に蓑浦元警部補が訪問する。執筆中の「警視庁史」を取りまとめるために取材がしたいというのだ。しかし、名探偵が語る過去の秘話は驚くべきものだった。
乱歩研究の第一人者が描いたパスティーッシュ。他作者の有名作や史実とのクロスオーバーが楽しい。
明智小五郎回顧談
平山 雄一
ホーム社
2017-12-15


38.人間狩り(犬塚理人)
14歳少年が少女を殺害した20年前の犯行映像が闇オークションに出品される。一方、カード会社で仕事をしている江梨子は悪人たちをネットに晒して懲らしめる自警団にのめり込んでいた。両者の関係は?
現代社会ならではのテーマを滑らかな文章でテンポよく読ませるエンタメ小説の佳作。横溝賞優秀作。
人間狩り (角川文庫)
犬塚 理人
KADOKAWA
2020-11-21


39.パズラクション(霞流一)
スマートに標的を殺すつもりが、あらぬ偶然が重ねって、事件はとんでもない状況に。つじつま合わせをするために、殺し屋自身が探偵役となり、警察の捜査を当初の狙い通りに誘導しようとするが......
犯人が探偵を務める多重推理もの。偽推理を何度も繰り返して収集がつかなくなる過程が笑えます。
40.ドッペルゲンガーの銃(倉知 淳)  
推理作家希望の女子高生・灯里は小説のネタを探すため、キャリア刑事である父や兄の威光を利用して事件現場に潜り込む。そんな彼女が遭遇する奇妙奇天烈な不可能犯罪の真相とは?
インパクトのある謎とキャラクター同士のユーモラスな掛け合いが楽しい中編集です。手堅い佳作。
41.蒼き山嶺(馳星周)18位
長野県で山岳ガイドをしている得丸は雪の残る早春の山で旧友の池谷と再会する。公安で働いているという彼のガイドをすることになった得丸だが、彼らを追跡する謎の集団が...。
秀逸なプロットで山岳小説とミステリーの面白さを融合させた力作。ただ、最後はやや肩透かし。
蒼き山嶺 (光文社文庫)
馳 星周
光文社
2020-12-09



42.U(皆川博子)
傾国の時を迎えたオスマン帝国に捕虜として送られてきた3人の少年の運命。一方、第一次世界大戦の最中、ドイツ軍は捕獲されたUボートの自沈作戦を開始する。
300年隔てた二つの史実を一つの物語で繋ぎ合わせた着想が見事な歴史ファンタジー。
U (文春文庫)
博子, 皆川
文藝春秋
2020-11-10


43.泥濘(黒川博行)
警察OBによる親睦団体「警慈会」。しかし、その実態は老人を喰い物にするオレオレ詐欺の集団だった。桑原と二宮のコンビが腐り切った警察OBに挑むが、桑原は凶弾に倒れてしまう......。
事件の構図はややあっさりですが、桑原の暴れっぷりと2人の掛け合いは相変わらずの面白さです。
泥濘 疫病神シリーズ
黒川 博行
文藝春秋
2018-06-29


44.メーラーデーモンの戦慄(早坂吝)
特定のガラケーにだけ送られてくる死の予告状。そして、予告通りに殺されていく人々。援助交際探偵の上木らいちは顧客を殺されたことで事件解明に乗り出すが......。
尖った作風は控えめだが、サービス精神満点の良作。過去キャラ総出演もうれしいところ。
45.その道に消える(中村文則)
アパートの一室で緊縛師の死体が発見される。重要参考人として浮上する桐田麻衣子という女。だが、それは富樫刑事が恋焦がれている女だった。富樫は麻衣子の疑惑を逸らすために、偽装工作を行う。
事件を通して緊縛の奥深さを描き、読者を摩訶不思議な世界へと誘ってくれる官能幻想ミステリー。
その先の道に消える
中村文則
朝日新聞出版
2018-10-05


46.正義の申し子(染井為人)
引きこもりの佐藤純はユーチューブで悪徳業者をおちょくるパフォーマンスを繰り返し、ネットの人気者になっていた。ところが、彼の餌食になった不当請求業者の鉄平は純を捕まえようと動き出し......。
世相を反映したノワール小説だが重苦しさはなく、ライトなタッチとテンポの良さが心地よい娯楽作。
正義の申し子
染井 為人
KADOKAWA
2018-07-27


47.刑事の怒り(薬丸岳)
40代の娘が母の死体を3年間部屋に隠していた。親の年金が目的だと考えられたが、振り込まれた年金が引き出された形跡はない。犯行の動機は一体?
夏目信人シリーズ第4弾。現代の社会の闇を巧みに描き出した連作集。
第70回日本推理作家協会賞短編部門受賞作
刑事の怒り (講談社文庫)
薬丸 岳
講談社
2020-03-13


48.犯罪乱歩幻想(三津田信三)
退屈病を患う男が古びたアパートに引越してきて怪異に見舞われる『屋根裏の同居者』、芸術家が暮らす坂道で起きた殺人にミステリ作家志望の私が遭遇する『G坂の殺人』など7つの短編を収録。
乱歩愛に満ちた作品集で奇想と推理のバランスもよいが乱歩に関係ない作品が混じっているのが残念。
犯罪乱歩幻想 (角川ホラー文庫)
三津田 信三
KADOKAWA
2021-09-18


49.名探偵誕生(似鳥鶏)
小学4年生の僕は友達と一緒に幽霊団地に冒険をしにいく。そして、思わぬ窮地に陥った時に僕を助けてくれたのが名探偵のお姉ちゃんだった。主人公の成長と恋の行方を綴った青春連作ミステリー。
少年が年上の女性に憧れながら成長を遂げていく物語を本格ミステリの形式に落とし込んだ手腕が見事
名探偵誕生 (実業之日本社文庫)
似鳥 鶏
実業之日本社
2021-12-03


50.探偵AIのリアル・ディープラーニング(早坂吝)19位
人工知能を研究していた父が自宅の離れで変死を遂げる。彼の息子である高校生の輔は父の残した探偵AIと共に真相を突き止めようとする。やがて、輔はあるテロリスト集団の陰謀にたどり着くが.......。
今日的な人工知能のテーマを本格ミステリに落とし込む手腕が見事。奇才ならではの傑作連作集。
51.風神の手(道尾秀介)
青年と女子高生の淡い恋、小学生の2人が遭遇した事件、病に冒された老女のある告白、3つの物語はそれぞれ反転し、そして数十年の歳月を経てやがて一つに結びつく。
パズルのピースのような物語がやがて一つの美しい構図を浮かばせる著者ならではの文学。
風神の手 (朝日文庫)
道尾 秀介
朝日新聞出版
2021-01-07


52.サハラの薔薇(下村敦史) 
エジプトの発掘調査で王家の墓地から死後数ヵ月の死体が発見される。考古学者の峰は飛行機でパリに向かうが、その飛行機が砂漠に墜落する。生存者6名はオアシスを目指すが...。
矢継ぎ早に襲いかかるピンチを切り抜けながら謎を解いていく娯楽小説の秀作。
サハラの薔薇 (角川文庫)
下村 敦史
KADOKAWA
2019-12-24


53.沸点桜 ボイルドフラワー(北原真里)
1992年。風俗店で警備を担当している27歳のコウは店の金を持ち逃げした17歳のユコを連れ戻すことを元情夫のボスに命じられる。ところが、思わぬことからコウはユコと共に逃亡を余儀なくされ...
第21回日本ミステリー文学大賞新人賞。荒削りだが新人らしい勢いと熱量を感じさせるハードボイルド
54.人間に向いていない(黒澤いずみ)
「異形性変異症候群」それは一夜にして人間を異形のものと変える正体不明の病気だ。罹患するのは社会的不適合者の若者たちばかり。政府は彼らの人権を認めず、法的に死亡したものとして扱うが....。
第57回メフィスト賞。ホラーじみた設定で描かれる母子の愛情物語。家族とは何かと考えさせる秀作。
人間に向いてない (講談社文庫)
黒澤 いづみ
講談社
2020-05-15


55.星空の16進数
17歳の藍葉には6歳の時に2時間だけ誘拐された経験がある。その際の記憶として残っている混沌とした色彩の壁の記憶。ある日、女探偵が訪ねてきて誘拐の犯人から預かった100万円を渡されるが........。
ミステリとしてのインパクトは薄いが、色彩を通じてヒロインの世界を描いてゆく手法がユニーク。
星空の16進数
逸木 裕
KADOKAWA
2018-06-29


56.超動く家にて(宮内悠介)
使用人の僕は娘のジェシカと親密になったことを主人に責められる。激情にかられた僕は彼を殺そうとしたがそれはかなわなかった。この世界はヴァン・ダインの二十則によって支配されているからだ。
おバカSFを中心に集められた短編集だが、作者の本格ミステリに対する偏愛も散見できる好編。
超動く家にて (創元SF文庫)
宮内 悠介
東京創元社
2021-04-12


57.鳥居の密室 世界にただひとりのサンタクロース(島田荘司)
1964年。クリスマスの朝に少女は初めてのプレゼントを発見する。家は完全な密室状態で本物のサンタが訪れたとしか思えない。しかし、別室には母親の死体が。1975年。若き御手洗が過去の事件に挑む。
過去の作品に比べるとトリックは小粒で見抜きやすいが、抒情性豊かで感動的な物語は読み応えあり。
58.皇帝と拳銃と(倉知 淳)  
死神めいた乙姫警部の鋭い洞察が犯人を追い詰めていく。犯人が完全犯罪をもくろみ、乙姫警部とイケメンの鈴木刑事がその事件を追う連作倒叙ミステリー。 
古畑任三郎を彷彿とさせる作品集。ロジックのキレが素晴らしい「恋人たちの汀」が秀逸。
皇帝と拳銃と (創元推理文庫)
倉知 淳
東京創元社
2019-11-11


59.凄月 隠蔽捜査 7(今野敏)
早朝に大森署近くの私鉄がシステムダウンを起こす。続いて銀行でもサイバー障害が発生し、サイバー犯罪が疑われる。そんな中、少年が被害者のリンチ殺人事件が起き.......。
大森署編最終作。ややマンネリ感はあるが、安定した面白さをキープしているのはさすが。
60.到達不能極(斉藤詠一)
遊覧飛行中のチャーター機がシステムダウンを起こして南極に不時着してしまう。ツアーコンダクターの望月と乗客は物資を求めて到達不能極基地を目指すが、そこには過去に隠された災厄があった。
乱歩賞では珍しいSF小説。文章も達者でキャラも魅力的だが、SF的アイディアが古いのが難。
到達不能極 (講談社文庫)
斉藤 詠一
講談社
2020-12-15



チェック漏れ作品

東京輪舞(月村了衛)8位
田中角栄邸宅を警備を担当していた警察官はやがって公安刑事となり、昭和から平成にかけての歴史的事件と関わっていくことになる。史実とリンクさせて描く警察大河ストーリー。
実際に起きた事件を素材としてありえたかもしれない物語を構築していく想像力と構成力が見事。
東京輪舞 (小学館文庫)
月村了衛
小学館
2021-04-06


漂砂の塔(大沢在昌)12位
北方領土の離島にあるレアアース採掘プラントで日本人男性が両目をえぐられて殺害される。ロシア人の血を引く石上刑事は真相を突き止めるべく、捜査権のない離島に一人送り込まれるが....,
孤立無援の状態で難事件に立ち向かう物語がスリリングで読み応え十分。脇役たちも個性豊かな一級の娯楽作品に仕上がっています。
漂砂の塔 (カッパ・ノベルス)
大沢在昌
光文社
2020-09-16


スケルトン・キー(道尾秀介)13位
サイコパスのぼくは週刊誌記者のスクープ獲得の手伝いをしていた。スリルのある環境に身をおいて自分の狂気を抑えるためだ。だが、児童養護施設で育った仲間から連絡があってから平穏な日常が一変する。
サイコパスが語り手のダークでテンポのよい物語は読み応えあり。ただ、トリックはやや反則気味。
スケルトン・キー (角川文庫)
道尾 秀介
KADOKAWA
2021-06-15


ネクスト・ギグ(鵜林伸也)15位
ライブハウスのステージでボーカルが突如悲鳴をあげて倒れた。ライトが消えたタイミングで何者かに刺殺されたのだ。状況から考えて犯人はバンドの関係者しかありえないのだが.....。
ロックとは何かというロック論にこだわりながら、それが犯人探しのロジックにつながっていく手管が見事。
叙述トリック短編集(似鳥鶏)15位
私立探偵の別紙氏は元大物議員から愉快犯を捕まえてくれという依頼を受ける。ある情報から犯人の次の標的は駅にある巨大コケシだという情報を掴んだ別紙氏は駅の出入り口を見張るが......。
叙述トリックばかりを集めた連作集。トリックを見破るのはそれほど難しくないものの、遊び心満載で手軽に楽しめる作品です。
破滅の王(上田早夕里)19位
1943年。上海自然科学研究所の研究員・宮本敏明は日本総領事館に呼び出しを受ける。そこで、重要機密文書の精査を依頼されるが、それは治療法の存在しない恐るべき細菌兵器についての論文だった。
架空の細菌兵器を巡って実在の人物が暗躍するという、リアリティ豊かでスケールの大きなSF作品。ただ、話がやや拡散しすぎているのが難。
破滅の王 (双葉文庫)
上田 早夕里
双葉社
2019-11-14



2018年12月11日追記

予想結果
ベスト5→5作品中2作的中
ベスト10→10作品中5作的中
ベスト20→20作品中11作的中
順位完全一致→20作品中0作品


Next⇒このミステリーがすごい!2020年版 国内ベスト20予想
Previous⇒このミステリーがすごい!2017年版 国内&海外ベスト10予想

日本のパトカー

対象作品である2017年11月1日~2018年10月31日発売のミステリー&エンタメ作品の中からこのミスベスト20の予想をしていきます。  ただし、あくまでも個人的予想であって順位を保証するものではありませんので、その点はご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします


このミステリーがすごい!海外版最終予想(実際の順位)※20位まで記載

1位.カササギ殺人事件(アンソニー・ホロヴィッツ)→1位(実際の順位)
1955年。パイ屋敷の家政婦が階段の下で死体となって発見される。これは単なる転落死なのか?だが、続いて彼女の主人が首をはねられて殺害されることで事件は連続殺人の様相をおびてくる。
秀逸なクリスティのパスティーシュであると同時に、精緻なメタ構造が素晴らしい異色傑作。
カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2018-09-2




2位.ダ・フォース(ドン・ウィンズロウ)→5位
ニューヨーク市警特捜部のエリート刑事デニー・マローンは正義を行使することに誇りを持ちながらも違法捜査や賄賂に手を染めることに何のためらいもなかった。そんな彼に転落の時が訪れる......。
暴力と麻薬が蔓延するアメリカにおける現場刑事のリアルを圧倒的な情報量で描いた渾身の警察小説。
ダ・フォース 上 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-03-26


3位.乗客ナンバー23の消失(セバスチャン・フィツェック)→7位
囮捜査官のマルティンは5年前に妻が息子を道連れにクルーズ客船から投身自殺を図った事件から立ち直れないでいた。そんな彼にそのクルーズ客船に乗り込めという謎のメッセージが送られてくる......。
閉鎖空間で繰り広げられる謎また謎のサスペンス。常に予想の斜め上をいく展開が素晴らしい。
乗客ナンバー23の消失
セバスチャン フィツェック
文藝春秋
2018-03-28


4位.そしてミランダを殺す(ピーター・スワンソン)→2位
空港のバーで謎の美女に出会ったテッドは酔った勢いで浮気をした妻への殺意を口にする。冗談のつもりだったが、美女リリーは「彼女は死ぬべきだ」と断じ、テッドも次第にその気になっていき......。
テンポがよく、二転三転する展開にぐいぐい引き込まれます。先の読めない良質なサスペンス小説。
そしてミランダを殺す (創元推理文庫)
ピーター・スワンソン
東京創元社
2018-02-21


5位.監禁面接(ピエール・ルメートル)→8位
再就職を目指す57歳のアランに大企業の最終試験に残ったという報が届く。だが、その試験内容は異様なものだった。会社の重役会議を襲撃し、重役たちを監禁した上で尋問しろというのだ。
荒唐無稽な設定ながらも中年オヤジの暴れっぷりとサスペンスに満ちた展開はインパクト十分。
監禁面接 (文春文庫 ル 6-6)
ピエール・ルメートル
文藝春秋
2021-01-04


6位.通過者(ジャン・グリフト・グランジェ)→17位
記憶喪失の上に別人格になる遁走性フーグ症の男が深夜の駅で保護される。しかも、駅の外れでは牛の頭が被せられた全裸死体が発見される。さらに、男の治療にあたっていた医師もフーグ症にかかかり......。
分厚い本にも関わらず文章のリズムがよくてスラスラ読めます。謎が謎を呼ぶ猟奇サスペンスの傑作。
通過者 (BLOOM COLLECTION)
ジャン=クリストフ・グランジェ
TAC出版
2018-08-18


7位.あなたを愛してから(デニス・ルヘイン)→12位
性格破綻者の母に育てられたレイチェルは母の死後、父親探しの旅にでる。やがて、残酷な真実に行き当たり、結婚をしたもののすべてを失う。苦難の末、ようやく真実の愛に巡り合えたと思った彼女だが......。
ヒロインの人生の旅路を追いながら、話はどんどんとんでもない方向に転がっていく迫真のサスペンス。




8位.悪の猿(J・D・パーカー)
一人の男が道路に飛び出し、バスに轢かれて死亡する。防犯カメラの分析から男は自殺したものと判明。しかも、彼の所持品からは凶悪な殺人鬼・四猿の日記が出てきたのだ。死んだ男は四猿なのか?
ディヴァーのフォロワー的作品なので新鮮味には欠けるが、サスペンスフルな展開は読み応え十分。
悪の猿 (ハーパーBOOKS)
J・D バーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-08-17


9位.IQ(ジョー・イテ)→3位
ロサンゼルスに居を構える黒人青年アイゼイアは探偵業を営み、周囲からはIQと呼ばれていた。ある日、大物ラッパーから依頼が舞い込むが、それは巨犬使いの殺し屋を探し出せというものだった。
名探偵ホームズのオマージュに黒人文化をたっぷり盛り込み、現代風に仕立てた趣向が楽しい。
IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19


10位.白墨人形(C・J・チューター)
1986年。少年エディは4人の仲間たちと楽しい日々を過ごしていた。ところが、ある日、移動式遊園地で事故に遭遇し、運命の歯車は狂っていく。そして、少年たちは頭部のないバラバラ死体を発見する。
やや詰め込みすぎだが、少年時代への哀愁とホラー色の強いサスペンスが渾然一体となった力作。
白墨人形 (文春文庫 チ 13-1)
C・J・チューダー
文藝春秋
2021-05-07


11位.兄弟の血ー熊と踊れⅡ(アンデシュ・ルースルンド)→14位
獄中で出会った2人の兄はヨン・ブロンクス警部を憎悪するという共通点によって結ばれ、復讐計画を実行に移していく。一方、彼らの弟たちも暴力に満ちた舞台へと上がろうとしていた......。
このミス1位の続編。熱量に満ちたのノワールの傑作だが、続編の必要性については賛否がわかれそう。
兄弟の血―熊と踊れII 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンデシュ ルースルンド
早川書房
2018-09-19


12位.遭難信号(キャサリン・ライン・ハワード)
駆け出しの脚本家のアダム。その恋人であるサラが消息を絶った。事故か事件か、それとも自ら消息を絶ったのか。アダムはサラの消息を追い、手がかりに基づいて地中海のクルーザーに乗り込むが....。
錯綜する謎の魅力で一気に読ませるサスペンス。複数のエピソードを最後にリンクさせる手腕が見事。
遭難信号 (創元推理文庫)
キャサリン・ライアン・ハワード
東京創元社
2018-06-29


13位.元年春之祭(陸秋槎)→4位
紀元前100年。前漢時代の中国。名家の観一族は春の祭儀の準備をしていた。しかし、その最中、当主の妹が何者かに殺されてしまう。しかも、周辺には人の目があり、現場は完全な密室だった。
古代中国の怒涛の蘊蓄とロジカルで端正な謎解きが同時に楽しめる中華ならではの本格推理。
14位.蝶のいた庭(ドット・ハチソン)→9位 
若い女性がFBIに保護される。彼女の口から語られたのは蝶の飛び交う楽園のような温室で庭師と呼ばれる猟奇犯に支配されていく女性たちのおぞましい物語だった。
直接的な残酷描写ほとんどありませんが、恐怖が静かに立ち上ってくるサイコサスペンスの秀作。
蝶のいた庭 (創元推理文庫)
ドット・ハチソン
東京創元社
2017-12-20


15位.インターンズ・ハンドブック(ジェイン・クーン)→9位
インターンの参加者になりすまして企業に潜入し、重役や経営者を殺害する秘密組織HR社。その仕事の性格上定年は25歳。10年のキャリアを持つラーゴも25歳となり、最後の仕事に着手するが.......。
新人への手引書風に書かれたブラックユーモアが秀逸。アクションも満載で良質なB級映画の味わい。
インターンズ・ハンドブック (海外文庫)
シェイン・クーン
扶桑社
2018-04-29


16位.六つの航跡(ムア・ラファティ)
2500人の人間が冷凍睡眠で眠る恒星間移民船。だが、突然6人だけがクローン人間となって目覚める。元の体は何者かに殺害され、宇宙に旅立ってからの記憶も失われていた。一体犯人の目的は?
自分を殺した犯人を探すという設定がユニークなSF。テンポも良く、娯楽作としての完成度は高い。
六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11


17位.ローズ・アンダーファイア(エリザベス・ウェイン)
英国の女性飛行士ローズは任務の途中でナチスに捕まり、強制収容所に入れられてしまう。飢えと寒さと過酷な労働の中をローズは収容所で出会った仲間と共に生き抜き、脱出機会を待っていた.......。
『コードネーム・ヴェリティ』の姉妹編。知恵と詩を武器に極限状態を生き抜く姿を描いた感動作。
ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)
エリザベス・ウェイン
東京創元社
2018-08-30




18位.誰かが嘘をついている(カレン・M・マクマナス)
校則違反をした5人の生徒が集められた。その中の1人・ゴシップアプリを運営していたサイモンが苦しみ出して急死する。検死の結果、警察は殺人と判断し、残り4人が疑われることになるが.....。
ヤングアダルト小説。謎解きはやや薄味だが、登場人物がみな魅力的で青春群像として秀逸な作品。
誰かが嘘をついている (創元推理文庫)
カレン・M・マクマナス
東京創元社
2018-10-21


19位.サイレンズ・イン・ザ・ストリート(エイドリアン・マッキンティ)
フォークランド紛争が勃発する中、工場跡地でバラバラ殺人の死体が発見される。ショーン警部補は胴体が詰められていたたスーツケースの出所を探るが、そのケースの持ち主は射殺された軍人だった。
治安最悪の地を舞台に魅力的なキャラと軽快なテンポで紡がれる個性豊かな警察小説。
20位.ダーク・ジェントリー 全体論的探偵事務所(ダグラス・ アダムス ) 
ホテルの部屋には殺された大富豪とサメの噛み跡。奇怪な事件に巻き込まれたリチャードは旧友の私立探偵に助けを求めるが、彼は口八丁の胡散臭い男だった。SFミステリー。 
「銀河ヒッチハイクガイド」の作者らしい奇想とミステリー的手法での伏線回収が見事。

その他注目作40 

21.ブルックリンの少女(ギョーム・ミュッソ)→15位
結婚を間際に控えた人気作家のラファエルは過去をはぐらかしてきた婚約者・アンナに真実を語るように迫る。だが、彼女は失踪し、ラファエルは知り合いの刑事と共に彼女の行方を追うが.......。
緻密なプロットに基づいて描かれる謎が謎を呼ぶ展開に引き込まれます。ラストの余韻も印象的。
ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム ミュッソ
集英社
2018-06-21


22.暗殺者の潜入(マーク・グリーニー)
クレイマンはシリアの抵抗組織から独裁者の愛人を拉致する仕事の依頼を受ける。誘拐は無事に成功したものの、その愛人は独裁者についての情報を提供する代わりに、自分の息子の救出を要求する。
相変わらず、2転3転する展開にハラハラし、クレイマンの活躍にスカっとする安定の面白さです。
暗殺者の潜入〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2018-08-21


23.贖い主 顔なき暗殺者(ジョー・ネスボ)
クリスマスシーズンの街頭での射殺事件。人通りの多い街中での事件にも関わらず、目撃証言は皆無だった。あまりに奇妙な事件に対し、ハリー・ホーレ刑事は疑念を抱く......。
新章開幕といった感じのシリーズ第6弾。サスペンスに満ちた展開はさすがの風格。
24.許されざる者(レイ・GW・ペーション)
脳梗塞で倒れた捜査局元長官のヨハンソンは病院で医師からとんでもない話を聞かされる。牧師である彼女の父が、すでに時効の成立した少女殺しの犯人を知っているという懺悔を受けたというのだ。
ガラスの鍵賞他5冠達成。重い主題と軽妙な筆致のギャップが独自の魅力を放つ北欧ミステリー。
許されざる者 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2018-02-13


25.燃える部屋(マイケル・コナリー)→16位
定年再雇用制度の最終年。ボッシュは強盗殺人未解決班で新人女性刑事とコンビを組んでいた。彼らは10年前に銃撃され、半身不随になった末に先日亡くなったミュージシャンの事件を追うことになるが。
安定した面白さに加えて新しい相棒の登場によって新鮮さも加味。畳みかける展開が心地よい。
燃える部屋(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2018-06-14


26.ブラック・スクリーム(ジェフリー・ディーヴァー)
自らを作曲家と名乗る誘拐犯が国外へ逃亡。リンカーン・ライムたちはたちは手がかりを追ってイタリアに飛ぶ。そして、地元の警察と協力しながら捜査を続けるが........。
いつものメンバーと違い、癖の強いイタリア捜査陣が新鮮。ただ、犯人がいつもより小粒なのが残念。
ブラック・スクリーム 上 (文春文庫 テ 11-44)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2021-11-09


27.ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ(A・J・フィン)
精神分析医のアナ・フォックスは家族の元を離れ、屋敷に一人で暮らしていた。広場恐怖症で外に出ることのできない彼女の楽しみは映画とご近所観察。そんな彼女が隣家での殺人事件を目撃し......。
伏線を張り巡らせながら突っ走るジェットコースターサスペンス。ジョー・ライト監督で映画化決定。
28.コールド・コールド・グラウンド(エイドリアン・マッキンティ)
1981年の北アイルランド。暴力の吹き荒れるベルファスの街で巡査部長のダフィは手首を切り落とされて殺された男の事件を担当する。だが、現場から発見された手首は死体とは別人のものだと判明する。
命の軽い街で猟奇殺人の謎を追う異色警察小説。複雑な謎と時代性を絡めたサスペンスの融合が見事。
29.任務の終わり(スティーヴン・キング)
車を暴走させて大量殺人を犯した男は脳に傷を負って意志の疎通すら困難になっていた。だが、彼の周辺では奇怪な事件が続発する。一方、ホリーは元同僚の刑事からある事件について意見を求められる。
退職刑事ホリーの完結編。感動的かつきれいに纏まっているが、予定調和すぎると思う人もいるかも。
任務の終わり 上 (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2021-02-09


30.あやかしの裏通り(ポール・アルテ)→6位
1902年。ロンドンでは霧の中から姿を現し、忽然と消えていくあやかしの裏通りの噂が広まっていた。ある夜、外交官のポールはその通りに迷い込み、殺人を目撃したと主張するが......。
トリックは小粒ですが、巧妙に隠された事件の真の構図にインパクトがありあます。
31.牧神の影(ヘレン・マクロイ)
ある夜、アリスンの元に叔父の死を知らせる電話がかかってくる。しかも、叔父は軍のために暗号の研究をしていたという。その後、彼女は山奥のコテージで一人暮らしを始めるが周囲には怪しい影が....。
緻密な暗号解読とヒロインの周りで起きる恐怖描写を融合させた一級のサスペンスミステリー。
牧神の影 (ちくま文庫)
ヘレン マクロイ
筑摩書房
2018-06-08


32.犯罪者(ジム・トンプスン)
15歳の少年は幼馴染の少女と関係を持つ。その直後、少女は殺され、容疑者として逮捕されたのは少年だった。最初はマスコミの扱いも小さかったものの、次第にスキャンダラスな騒動へと発展していく。
自分の思惑のために裁判の結果を捻じ曲げようとする人々の姿を赤裸々に綴ったノワールの佳作。
犯罪者
ジム・トンプスン
文遊社
2018-08-01


33.弁護士アイゼンベルク(アンドレアス・フェーア)
女弁護士アイゼンベルクはホームレスの少女から弁護を依頼される。彼女の友人が猟奇殺人の容疑者として逮捕されたというのだ。しかも、逮捕されたのは高名な学者でアイゼンベルクの元恋人だった。
二転三転するサプライズ展開にページをめくる手が止まらない、ドイツ発のエンタメミステリー。
弁護士アイゼンベルク (創元推理文庫)
アンドレアス・フェーア
東京創元社
2018-04-28


34.消えた子供:トールオークスの秘密(クリス・ウィタカー)
誰もが顔見知りの小さな町から忽然と3歳の子供が忽然と消えた。全米で注目されたこの事件は必死の捜索にもかかわらず、手がかりひとつ出てこない。一方で、住民たちの秘密が徐々に明らかになり....。
事件の真相も意外だが、それ以上に住人たちの秘密が明らかになってく過程がサスペンスフル。


35.殺意 (ジム・トンプスン)
人口1280人の海辺の田舎町。寝たきりの中年女性スアンはゴシップ好きであり、電話でさまざまな噂話を広めている。そんな彼女に殺意を持つ12人の男女。やがて、事件は起き......。
強烈な個性を持つ12人の語り手がそれぞれ殺意を紡いでいく。濃密な密度を伴うサスペンスノワール。
殺意
ジム・トンプスン
文遊社
2018-03-30


36.ジャック・オブ・スペード(ジョイス・キャロル・オーツ)
アンドリューは政治的に正しいソフトな残酷ミステリーを書き、「紳士のためのスティーヴン・キング」と呼ばれる売れっ子作家だ。だが、その裏では別名で身の毛のよだつノワールを発表していた。
実在の作家・スティーヴン・キングを登場させつつ、書くという行為の謎に迫る異色のサスペンス。
ジャック・オブ・スペード
ジョイス・キャロル・オーツ
河出書房新社
2018-09-22


37.スパイたちの遺産(ジョン・ル・カレ)→20位
スパイ小説の名作「寒い国から帰ってきたスパイ」の続編がなんと54年ぶりに登場。今明かされる東ドイツを巡るスパイ合戦の舞台裏と後日談。 
ジョン・ル・カレ86歳の力作。ただ、前作を読んでいないと話が分かりにくいのが難。
スパイたちの遺産
ジョン ル・カレ
早川書房
2017-11-21


38.影の子(ディヴィッド・ヤング)
1975年の東ドイツ。ベルリンの壁に面した墓地で発見された少女の死体は顔を破壊されていた。刑事警察の女性班長ミュラー中尉は事件の捜査を命じられ、彼女は知らず知らずに国家の闇に近づいていく。
CWA歴史ミステリー部門受賞。共産主義国家という足枷の中での捜査がスリリングな異色の警察小説
影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)
デイヴィッド・ヤング
早川書房
2018-05-02


39.地下鉄道(コルソン ホワイトヘッド) 
19世紀。奴隷少女のコーラは新入り奴隷の誘いに応じて農園からの脱出を決意する。地下鉄に乗って目指すは北部アメリカ。しかし、悪名高い奴隷狩りの追跡が始まり......。 
史実に虚構を織り交ぜた寓話的な物語。ピュリッツァー賞受賞の傑作。
地下鉄道
コルソン ホワイトヘッド
早川書房
2017-12-06


40.ムッシュウ・ジョンケルの事件簿(メルヴィル・デイヴィスン・ポースト)
ジャングルに分け入って命を落とした探検隊の隊長。だが、残された日誌の内容は常軌を逸していた。頭が異様に大きく立方体に近い生物と遭遇したというのだ。彼は一体何を見たというのか?
パリの警視総監を探偵役に据えた1923年の短篇集。幻想的な謎と切れ味のよい推理が楽しめる傑作。
ムッシュウ・ジョンケルの事件簿 (論創海外ミステリ209)
メルヴィル・デイヴィスン・ポースト
論創社
2018-05-10


41.数字を一つ思い浮かべろ(ジョン・ヴァードン)→9位
男の元に「数字を一つ思い浮かべろ」と書かれた手紙が送られてくる。そして、手紙の主はその数字を的中させるのだった。その後も不吉な手紙は続き、やがて男は殺される。足跡ない雪の密室で。
現代の警察小説にクラシカルな味わいを混ぜた本格ミステリ。謎また謎のスピーディな展開が魅力的。
数字を一つ思い浮かべろ (文春文庫)
ジョン ヴァードン
文藝春秋
2018-09-04


42.エヴァンズ家の娘(ヘザー・ヤング)
ジャスティーン・エヴァンズは新生活を求め、娘と共に大伯母ルーシーの残した湖畔の別荘に移り住む。64年前にルーシーの妹が失踪し、父が自殺したいわく付きの場所だ。一体ここで何が起きたのか?
現在と過去を交互に描いく緊迫感あふれる大河ストーリー。抑制の効いた筆致と卓越した構成が見事。
43.ニューヨーク1954(デヴィット・C・テイラー)
赤狩りが吹き荒れる1954年。NY市警のキャシディ刑事は、自宅のアパートで拷問を受けて殺されたダンサーの事件と出くわす。だが、捜査を始めた彼はFBIの妨害を受け......。
2016年ネロ・ウルフ賞。史実を巧みに混ぜ、登場人物の魅力が光る骨太ハードボイルド。
2016年ネロ・ウルフ賞受賞
ニューヨーク1954 (ハヤカワ文庫NV)
デイヴィッド・C・テイラー
早川書房
2017-12-19


44.空の幻像(アン・クリーヴス)
旧友の結婚式に出席するため、たまたまシェトランド諸島を訪れていた女性が殺される。彼女はその前日に少女の幽霊を目撃したらしいというのだが。ペレス警部は事件の鍵を解くためにロンドンに渡る。
複雑な人間関係を紐解いていく地味な展開ながらも、情感豊かな物語で読ませる本格ミステリの佳作。
空の幻像 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2018-05-31


45.用心棒(デイヴィッド・ゴードン)
ジョーはストリップ劇場のしがないバウンサーだが、実は大物マフィアの友人で元特殊部隊の凄腕だった。ある日、劇場にFBIの手入れが入り、ジョーが逮捕される。その裏にはテロリストの陰謀が......。
ハードボイルドというには緩いが、ユーモアが効いて気楽に楽しめる娯楽作品に仕上がっています。
用心棒 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
デイヴィッド ゴードン
早川書房
2018-10-04


46.黒い羊(L・S・ホーカー)
地元ラジオ局のDJとして成功をおさめたネッサ。しかし、彼女の日常は悪夢に包まれていた。夫は人が変ったように荒れ、SNSでは彼女の偽物が差別発言を繰り返す。一体何が起きているのか?
登場人物が薄っぺらいのが難ですが、サスペンスに満ちた意外性のある展開は読み応えがあります。
黒い羊 (ハーパーBOOKS)
LS ホーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-09-15


47.偽りのレベッカ(アンナ・スヌクストラ)
万引きで捕まった私は名前を問われてとっさに11年前に失踪した少女の名を口にする。そうして、私は彼女の家族に暖かく迎えられることになるのだが、何かがおかしかった....。
現在と過去を交互に描写しながら謎とサスペンスを盛り上げていく厭ミスの傑作。
偽りのレベッカ (講談社文庫)
アンナ・スヌクストラ
講談社
2017-12-15


48.オンブレ(エルモア・レナード)
駅馬車は7人の乗客を乗せてアリゾナを走る。その中にはアパッチ族に育てられた伝説の男、ジョン・ラッセルがいた。やがて彼は馬車を襲う悪党と死闘を繰り広げる。
50年以上前に書かれたウエスタン小説。切れのある活劇と深みのある人間描写が見事。
オンブレ (新潮文庫)
エルモア レナード
新潮社
2018-01-27


49.サイレント・スクリーム(アンジェラ・マーソンズ)
校長殺害事件と不可解な放火事件。それは10年前に火災によって閉鎖された児童養護施設と結びつく。養護施設の元関係者たちが次々と殺されていく中で、事件に立ち向かう女性警部のキム・ストーン。
英国で累計250万部の人気シリーズ第1弾。凶暴なキム警部とそれを支えるチームのキャラが魅力的。
サイレント・スクリーム (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンジェラ マーソンズ
早川書房
2018-02-20


50.ミレニアム5 復讐の炎を吐く女(ダヴィドラーゲルクランツ )
リズベットは前回の事件で違法行為を犯し、女性刑務所に収監されていたが、そこでも騒動に巻き込まれる。一方、ミカエルはリズベットからある人物の調査を依頼されるが.....。
盛り上げ方の巧さとテンポの良さは相変わらずで一級の娯楽作品に仕上がっています。
ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 上
ダヴィド ラーゲルクランツ
早川書房
2017-12-19


51.アリバイ(ハリー・カー・マイケル)
夫と別れ、田舎の村で暮らす美しい女性。しかし、彼女は行方不明になり、雑木林の中から顔を潰された腐乱死体が発見される。第一発見者である別れた夫が疑われるが彼には鉄壁のアリバイがあった。
保険調査員ハイパーシリーズ。小さなトリックを組み合わせ、巧みな罠で読者の裏をかく手管が見事。
アリバイ (論創海外ミステリ)
ハリー・カーマイケル
論創社
2018-03-02


52.葬儀屋の次の仕事(マージェリー・アリンガム)
没落してロンドンの寂れた商店街で下宿生活を送っている名家のパリノード一家。奇人変人揃いの家族の中で立て続けに起きる怪死事件。その裏で進行しているたくらみ、葬儀屋の次の仕事とは?
キャピオンシリーズ12作。幻想的な閉鎖世界における特殊ロジックが奇妙な味を演出する本格推理。
葬儀屋の次の仕事 (論創海外ミステリ)
マージェリー・アリンガム
論創社
2018-04-04


53.偽りの銃弾(ハーラン・コーベン)→13位
殺人事件で夫を失った元特殊部隊のパイロット・マヤは2歳になる娘の身を案じ、自宅に隠しカメラを設置する。ところがそのカメラに映っていたのは2週間前に死んだはずの夫だった。
謎が謎を呼ぶサスペンスフルな展開と最後にすべてがひとつに繋がっていくプロットの巧妙さが見事。
偽りの銃弾 (小学館文庫)
ハーラン コーベン
小学館
2018-05-08


54.嘘ばっかり(ジェフリー・アーチャー)
平和な暮らしを何百年を続けてきた町で町長が殺された。捜査をする刑事の前には51人の町民が現れて自分が殺したと自白を始める。だが、そのどれもが捜査結果と矛盾するものばかりで.....。
奇抜な発想の元に書かれた16の短篇。ウィットに富んだ物語作りのうまさはさすがです。
嘘ばっかり (新潮文庫)
ジェフリー アーチャー
新潮社
2018-08-29


55.ピラミッド(ヘニング・マイケル)
焼け落ちた手芸店から発見された老姉妹の死体。しかし、彼女たちの死因は火事ではなく、銃弾によるものだった。刑事のヴァランダーはまるでプロの殺し屋のような犯行手口に疑念を抱くが.......。
人気警察小説シリーズの主役の若き日を描いた短編集。事件から北欧の時代背景が浮かび上がる好編。
ピラミッド (創元推理文庫)
ヘニング・マンケル
東京創元社
2018-04-21


56.ダイヤルMを廻せ!(フレデリック・ノット)
元テニス選手のトニーはある時、資産家である妻の浮気に気付く。彼はその状況を利用し、妻を殺害して財産を手に入れようと画策するが、事態は思わぬ方向に進んでいく......。
ヒッチコック映画で有名な原作戯曲脚本。丁寧に張り巡らされた伏線と無駄のないキャラ配置が見事。
ダイヤルMを廻せ! (論創海外ミステリ211)
フレデリック・ノット
論創社
2018-06-08


57.犯罪コーポレーションの冒険 聴取者への挑戦Ⅲ(エラリー・クイーン)
鉄道王ファーナムに殺人予告が届く。狩猟旅行を予定していた彼はエラリー親子を護衛に引き連れ、列車に乗り込むが、旅の途中で凶弾に倒れる。犯人は暗闇の中でいかにしてファーナムを狙撃したのか。
ラジオドラマのシナリオ集第3弾。相変わらず切れ味のよりロジックが楽しめる佳作が揃っています。
58.北氷洋:The North Water(イアン・マグワイア)
1859年春。シェトランド諸島の港から出航した捕鯨船は鯨を求めて北上を始める。だが、船内には不穏な空気が流れ、やがて事件が起きた。船医のサムナーは猟奇殺人の犯人探しを始めるが.......。
極北の地でのサバイバル。大迫力のバイオレンスものだが、血と腐臭の描写は好き嫌いが分かれそう。
北氷洋: The North Water (新潮文庫)
イアン マグワイア
新潮社
2018-08-29


59.ホワイトコテージの殺人(マージェリー・アリンガム)
小さな村のコテージで宿泊客が殺される。偶然、その場に居合わせたジェリーはロンドンの敏腕刑事である父にと共に捜査を行う。その結果、被害者は関係者全員から憎まれていることが判明するが......。
1928年発表のデビュー作。アリンガムらしい重厚さはまだ感じられないが、真相の意外さがはなかなかのもの。
ホワイトコテージの殺人 (創元推理文庫)
マージェリー・アリンガム
東京創元社
2018-06-29


60.完全記憶探偵 エイモス・デッカー ラストマイル(ディヴィッド・バルダッチ)
メルヴィンは大学フットボールのスターだったが、親殺しの罪で逮捕される。それから20年後。死刑5分前になった時、突如真犯人が現れたのだ。一体何故?完全記憶能力者のデッカーが謎に挑む。
シリーズ第2弾。個性豊かなキャラとテンポのよさで読ませるエンタメ性の高さは相変わらず。
チェック漏れ作品

真夜中の太陽(ショー・ネボス)→19位
逃亡中の殺し屋はノルウェー北部の村にたどり着く。夏の間は太陽が沈まないその地で生活を始めながら、彼は美しい女性やその息子と心を通わせていく。だが、彼の心の中には常に追跡者に対する怯えがあった.....。
ノルウェー最北の地の情景や人々を美しい文章で綴りつつ、物語は常に緊張感を孕み、その中で2転3転する展開をしていく構成が素晴らしいノワールの傑作です。
真夜中の太陽 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョー ネスボ
早川書房
2018-08-07


日曜日の午後はミステリ作家とお茶を(ロバート・ロプレスティ)→17位
ミステリ作家のジャンクスは、「ぼくは話を作るだけで、事件を解決するのは警察の仕事だよ」と常々言っているが、実際にはさまざまな事件に遭遇し、それを見事解決に導いていた。たとえば、取材を受けている最中に、犯罪の発生を察知したりといった具合に.......。
 軽妙なタッチで描かれる短いエピソードはどれもサクサクと読め、特にジャンクスと妻との掛け合いは絶妙です。極めて上質な連作短編ミステリー。
日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11



2018年12月11日追記

予想結果
ベスト5→5作品中3作的中
ベスト10→10作品中5作的中
ベスト20→20作品中12作的中
順位完全一致→20作品中1作品


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Previous⇒
このミステリーがすごい!2017年版 国内&海外ベスト10予想

このミス2019


最新更新日2019/11/12☆☆☆

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本ミス2019
対象作品である2017年11月1日~2018年10月31日までに発売された国内本格ミステリ及びそれに類する作品の中からベスト10の予想をしていきます。ただし、あくまでも個人的予想であって順位を保証するものではありませんので、その点はご了承ください。
※各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします
2019本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2018-12-06


本格ミステリベスト10国内版最終予想(2018年11月8日)

1位.アリバイ崩し承ります(大山誠一郎)→1位(実際の順位)
※20位まで記載
7つの短編すべてでアリバイに関する謎を扱っている連作集。同じアリバイものでも一作一作に創意工夫が凝らされているため、飽きることなく楽しむことができます。ミスディレクションも巧みで物語も謎解きに特化しており、これぞ本格ミステリというべき傑作です。
2位.碆霊の如き祀るもの(三津田信三)→2位
刀城言耶シリーズの第9弾。冒頭から始まる濃厚な怪談話や終盤までひたすら蓄積され続ける70にも及ぶ謎など、シリーズの本領発揮といった出来栄えです。それに比べ、推理はやや淡白で物足りなさはあるものの、動機の異様さがインパクト大でその欠点を補っています。


3位.沈黙のパレード(東野圭吾)→10位
6年ぶりのガリレオシリーズ。おなじみの物理トリックで軽いジャブを放ちながらも、フーダニットでは2転3転でなかなか犯人を絞らせないプロットが見事。意外な動機などもよく考えれれており、本格ミステリとしてたっぷり楽しめる内容に仕上がっています。

沈黙のパレード (文春文庫 ひ 13-13)
東野 圭吾
文藝春秋
2021-09-01


4位.インド倶楽部の謎(有栖川有栖)→5位
13年ぶりの国名シリーズ。トリックらしいトリックもない地味な作品ですが、ロジックを武器に真相に迫る手管はさすがです。そして、何といっても意外すぎる動機がインパクト大です。また、主役2人の掛け合いや野上刑事のキャラもいい味を出しています。
インド倶楽部の謎 (講談社文庫)
有栖川 有栖
講談社
2020-09-15


5位.グラスバードは還らない(市川憂人)→4位
パラレルワールドを舞台にしたシリーズ第3弾。ガラス張りの迷宮という特殊設定下でのクローズドサークルはサスペンスに満ちていますし、意外性に富んだ真相にはかなり驚かされます。ただ、世界観に依存し過ぎたトリックはアンフェアだと感じる人もいるでしょう。
6位.少女を殺す100の方法(白井智之)→8位
グロテスクさと本格ミステリのロジックを融合したおなじみの白井ワールド。本作は短編集ということでそのエッセンスがより純化して強烈になっています。それだけに好き嫌いは大きく分かれそうです。5つの短編の中では衝撃的な結末の『少女ビデオ公開版』が出色。
少女を殺す100の方法 (光文社文庫)
白井 智之
光文社
2020-12-09


7位.パズラクション(霞流一)→3位
予定外の状況のつじつまを合わせるために、殺し屋自身が探偵役をつとめて推理をでっちあげる多重解決ものの変奏曲。手がかりを偽造して試行錯誤を繰り返している内に事件の状況がどんどんあらぬ方向に転がっていくのが笑えます。推理コメディの傑作というべき作品。


8位.虚像のアラベスク(深水黎一郎)→17位
バレエの世界を舞台にした中編ミステリーが2作収録。前半はミステリーとしては小粒ですが、バレエの蘊蓄の洪水に圧倒される異色作。後半はその蘊蓄が伏線となってまさかのどんでん返しが味わえるバカミスの極致というべき作品です。抱腹絶倒の傑作。
虚像のアラベスク
深水 黎一郎
KADOKAWA
2018-03-02


9位.夏を取り戻す(岡崎琢磨)→18位
小学4年生たちを中心とした一種の学園ミステリーというべき作品ですが、謎を仕掛けるのが子供たちでその謎に挑むのが大人という構成が異色。密室の謎から始まり、謎が二転三転する過程が実に巧妙です。最後の伏線回収も鮮やかで、物語自体も深みを感じさせる傑作。
夏を取り戻す (創元推理文庫)
岡崎 琢磨
東京創元社
2021-06-30


10位.星詠師の記憶(阿津川辰海)→6位
デビュー作同様、特殊設定ミステリーですが、設定の構築がしっかりしているため、興味深く読むことができます。また、前作と比べると贅肉を削ぎ落としてコンパクトにまとまっている分、ロジカルな推理がより引き立っています。読みやすさが格段にアップした良作。
星詠師の記憶 (光文社文庫)
阿津川 辰海
光文社
2021-10-13



その他注目作27

11.メーラーデーモンの戦慄(早坂吝)→16位
下ネタから叙述トリックまで、とにかく色々な要素をぶちこんで読者を楽しませてくれる良作。また、最終回を思わせる過去キャラ総出演もファンにとってはうれしいところ。ただ、今回は小ネタの積み重ねなので、いつもの尖った大ネタを期待していると物足りないかも。



12.ドッペルゲンガーの銃(倉知淳)→9位
キャリア刑事の兄とミステリー作家志望の女子高生が不可能犯罪に挑む連作集。魅力的な謎とコミカルな登場人物の掛け合いが楽しくてサクサクと読む事ができます。謎に対してトリックが小粒なのがやや肩透かしですが、丁寧な謎解きには好感が持てます。
13.誘拐の免罪符 浜中刑事の奔走(小島正樹)
ミスター刑事こと、浜中刑事シリーズの第5弾。やりすぎミステリと呼ばれるほどにトリックを連発し、それ故に散漫な印象になることも多かった小島作品ですが、本作は小さなトリックを積み重ね、ホワイダニットの謎に集約させる手管が見事。なかなかの佳作です。
14.深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説(辻真先)→15位
那珂一兵の若き日を描いた番外編でエログロ満載だった戦前の探偵小説の再現を試みた作品。そして、その中に戦争ををテーマにした社会派推理の要素をブレンドした点が独自の味わいになっています。トリックに目新しさはありませんが、怒涛の伏線回収が見事です。
15.ネクスト・ギグ(鵜林伸也)→13位
ロックバンドのボーカルが衆人環視のステージで殺された謎を扱った、ロックミステリーというべき作品。中盤がロック論になっており、興味がなければやや冗長に感じられるかもしれません。しかし、それが謎解きへと転換し、伏線が回収されていくプロセスは秀逸です。


16.探偵は教室にいない(川澄公平)
第28回鮎川哲也賞。同賞前2作が本格マニア大喜びの派手な傑作だったのに対し、本作は中学生たちの日常の謎を扱った極めて地味な作品です。しかし、達者な文章によって紡ぎだされる物語は瑞々しく、読み応え十分です。本格としてより青春ものとして評価したい傑作。
探偵は教室にいない
川澄 浩平
東京創元社
2018-10-11


17.翼竜館の宝石商人(高野文緒)
17世紀のアムステルダムを舞台にして、ペストで死んだはずの宝石商人が蘇ったり、人が肖像画から抜け出したりと、怪奇色満点の雰囲気で進む物語はなかなか読ませます。また、この時代ならではのトリックもユニーです。異国情緒あふれる時代ミステリーの佳作です。
翼竜館の宝石商人 (講談社文庫)
高野史緒
講談社
2020-10-15


18.名探偵誕生(似鳥鶏)

隣のお姉ちゃんに憧れる少年の成長ストーリーを描きながら、それを名探偵の誕生譚に結び付けるところが秀逸。前半は憧れのお姉ちゃんを探偵役に添えた日常ミステリーとして読ませ、ラスト2話で成長した少年がお姉ちゃんを超える探偵になっていく姿に震えます。
名探偵誕生 (実業之日本社文庫)
似鳥 鶏
実業之日本社
2021-12-03


19.鳥居の密室 世界でただひとりのサントクロース(島田荘司)
名探偵・御手洗潔の若き日を描いた作品。京都大学に通っていた御手洗潔が1964年に起きた密室殺人に挑む。トリック自体は小粒でミステリーを読み慣れた人なら早い段階で気づく可能性が高い。その代わり、物語としての充実度は高く、感動的なラストは印象に残ります。
20.探偵AIのリアル・ディープラーニング(早坂吝)
→7位
AIを探偵役に据えた一種のSFミステリー。最初はポンコツ推理を繰り返すAIがいかにして学習を積み、名探偵ぶりを発揮するかが読みどころなっています。「フレーム問題」や「不気味の谷」といったトピックスとミステリーを上手くリンクさせているところが秀逸です。


21.ドロシイ殺し(小林泰三)→19位
シリーズ3弾。今回は蜥蜴のビルがオズの魔法使いの世界に迷い込む話ですが、残酷シーンが多数あるのはあいかわらずです。会話劇も安定の面白さで、ミステリーとしても伏線回収の妙と鮮やかな推理が楽しめます。ただ、「アリス殺し」ほどのインパクトはありません
ドロシイ殺し (創元推理文庫)
小林 泰三
東京創元社
2021-06-21


22.サーチライトと誘蛾灯(櫻田智也)
昆虫マニアの青年を探偵役に据えた連作ミステリー。亜愛一郎シリーズを思わせる軽妙なやりとりが楽しく、ほどよい長さなのでテンポよく読むことができます。また、やや小粒であるものの、伏線を丁寧に回収する作風はミステリーとしても手堅い出来です。
サーチライトと誘蛾灯 (創元推理文庫)
櫻田 智也
東京創元社
2020-04-21


23.皇帝と拳銃と(倉知淳)→14位
完全犯罪をたくらむ犯人たちを死神を思わせる風貌の警部とイケメンの若手刑事が追い詰めていく倒叙ミステリーです。犯人の心情や犯行プロセスなどがよく描かれており、それに対し、犯人を追い詰めていくロジックも堅実で説得力があります。『恋人たちの汀』が秀逸。

皇帝と拳銃と (創元推理文庫)
倉知 淳
東京創元社
2019-11-11


24.福家警部補の考察(大倉祟裕)
テレビドラマにもなった倒叙シリーズの第5弾。一定のクオリティをキープしており、福家警部補が犯人を追いつめる手際には安定した面白さがあります。特に、人間の本性が垣間見れる『上品な魔女』、犯人との攻防がスリリングな『東京駅発6時00分ー』が出色。
25.帝都探偵大戦(芦部拓)
銭形平次や神津恭介など、総勢50名の名探偵が登場するオールスターキャストもの。多くないページで50名もの探偵の見せ場を作らなければならないので詰め込み気味なのは仕方のないところ。その代わり、パステーッシュものとしては大いに楽しめる出来になっています。


26.本格ミステリ戯作三昧(飯城勇三)
バークリー、高木彬光、島田荘司など、東西の有名作家を集め、その作家の贋作と評論を並べた一風変わったミステリー本です。その贋作がパスティーシュとして非常によくできており、本物と見間違うばかりの出来です。ただ、ランキングで小説として扱われるかが問題。


27.合邦の密室(稲羽白菟)
文楽の世界をテーマにして、謎を解くことでそのテーマ性が掘り下げられていく構成がよくできています。その反面、密室ものだからといって奇想天外なトリックなどを期待すると肩すかしを喰らうことになります。ばらのまちふくやまミステリー文学新人賞準優秀作。
合邦の密室
稲羽白菟
原書房
2018-06-21


28.誰も死なないミステリーを君に(井上悠宇)
誰が殺したのかを推理するのではなく、人の死を予知できる人間が死を回避しようと奮闘する逆転の発想がユニークです。謎解きはそれほど難しくありませんが、最後に伏線を一気に回収していく辺りはよくできています。また、青春小説としても読み応えのある作品です。


29.断片のアリス(伽古屋圭一)
未来のVR内における連続殺人を描いたクローズドサークルもの。ユニークな設定に基づいたサスペンス豊かな物語が楽しめます。ただ、壮大なSF世界を舞台にした割に、謎解きは極めてオーソドックスであり、その辺が堅実であると同時に少し物足りなくもあります。
断片のアリス (新潮文庫nex)
伽古屋 圭市
新潮社
2018-02-28


30.ミダスの河 名探偵・浅見光彦VS.天地龍之介(柄刀一)
→20位
作者を別にする名探偵2人が夢の共演という趣向の企画もの。誘拐・密室殺人・宝探しと盛りだくさんの見せ場を用意して2人の探偵の活躍を描いた快作。ただ、どうしても2人に等しく見せ場を与えなければならないため、冗長になりすぎ、テンポの削がれた面はあります
31.軍艦探偵(山本巧次)
第二次世界大戦中の軍艦を舞台に日常の謎を描いている点がユニーク。しかも、その時代ならではの謎と真相を用意しているところが秀逸です。また、話が進むにつれて戦争の緊迫感が増していく様子も巧みに描かれており、よくできた戦時ミステリーに仕上がっています。
軍艦探偵 (ハルキ文庫)
山本巧次
角川春樹事務所
2018-04-13


32.コンビニなしでは生きられない(秋保水菓)
コンビニならではの謎を設定してミステリーとして仕立てたアイディアはユニーク。また、それぞれ小さな謎が最後に大きな事件へと収斂していくプロットもよくできています。ただ、謎に対する解決にかなり強引なものが混じっていたのは残念。メフィスト賞受賞作。


33.月食館の朝と夜 奇蹟審査官アーサー(柄刀一)
久しぶりの奇蹟審査官シリーズ。ただ、日本が舞台のせいか、事件が小粒でシリーズならではの神秘性に欠けている点は残念。一方、端正なロジックを駆使した本格ミステリとしては水準以上の出来です。これで長い蘊蓄を削ってテンポがよければもっとよかったのですが。


34.超動く家にて(宮内悠介)
SF短編集ですが、本格ミステリマインドを持った作品が数多く収録されています。宇宙を飛んでいる建築物の中で起こった殺人にエラリイとルルウが挑む表題作やヴァン・ダインの十二則に支配された世界を描いた『法則』など、にやりとするネタが盛りだくさんです。
超動く家にて (創元SF文庫)
宮内 悠介
東京創元社
2021-04-12


35.明智小五郎回顧談(平山雄一)
年老いた明智小五郎が、自らの半生を語る冒険譚。本作はあくまでもパロディ作品であり、本格ミステリの要素はあまりありません。その代わり、探偵小説好きな人にとっては大喜びのネタが随所に組み込まれており、ランキングではその辺りが評価されるかもしれません。
明智小五郎回顧談
平山 雄一
ホーム社
2017-12-15


36.小説X 
あなたをずっと、さがしてた(蘇部健一)
恋愛ものに見せかけたどんでん返し系ミステリー。結末を知ってしまえばバカバカしい話なのですがが、読者の意表を突いた意外性があることは確か。これをバカミスとして楽しむか、読者をバカにするなと怒るかで評価が分かれそう。
小説X あなたをずっと、さがしてた
蘇部 健一
小学館





37.
幻想リアルな少女が舞う(松本英哉)
バーチャルリアリティという今日的なテーマを大胆に取り入れたユニークな作品。ただ、本格ミステリとしては密室トリックや犯人の正体が分かりやすいという難があります。その一方で、VRやARといった設定を活かした大胆なミスディレクションは秀逸です。


チェック漏れ作品

友達以上探偵未満(麻耶雄嵩)
→11位
小粒ながらも作者らしいヒネリの効いた短編集ですが、同時に、作者らしい企みに欠けている点はどうにも物足りないものを感じます。かろうじて、最後の『夏の合宿殺人事件』で作者の鬼才ぶりを垣間見ることができます。全体的に可もなく不可もなくといった出来です。
友達以上探偵未満 (角川文庫)
麻耶 雄嵩
KADOKAWA
2020-11-21


隠蔽人類(鳥飼否宇)
→12位
調査団がアマゾンの奥地でホモサピエンスではない人類を発見したところから始まる連作ミステリー。作者が得意とする特殊設定ミステリーで、前半は堅実な出来で楽しませてくれます。ただ、後半になると突然、トンデモSFに舵を切る展開は賛否の分かれるところです。
隠蔽人類 (光文社文庫)
鳥飼否宇
光文社
2020-10-08



2018年12月6日追記

予想結果

ベスト5→5作品中4作的中
ベスト10→10作品中8作的中
順位完全一致→10作品中2作品

Next⇒本格ミステリベスト10・2020年国内版予想
Previous⇒本格ミステリベスト10・2017年版 国内&海外予想

2019本格国内ベスト10



最新更新日2019/11/12☆☆☆

本ミス2019
対象作品である2017年11月1日~2018年10月31日までに日本で発売された海外本格ミステリ及びそれに類する作品の中からベスト10の予想をしていきます。ただし、あくまでも個人的予想であって順位を保証するものではありませんので、その点はご了承ください。
※各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします
2019本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2018-12-06



本格ミステリベスト10海外版最終予想(2018年11月8日)

1位.カササギ殺人事件(アンソニー・ホロヴィッツ)→1位(実際の順位)※10位まで記載
上巻はアガサ・クリスティの完璧なパスティーシュになっており、ミステリーとしての完成度も高いため、古典ファンにはたまらない作品です。しかも、下巻になるとサスペンスに満ちた現代ミステリーが始まり、こちらも抜群の面白さ。一粒で2度美味しい傑作です。
カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2018-09-28


2位.元年春之祭(陸秋槎)→3位
古代中国、百合、推理合戦、読者への挑戦、日本のアニメ風キャラなど、作者の好きなものを全部投入したごった煮ミステリー。詰め込み過ぎの感はあるものの、好きな人にとってはたまらなく好きというカルト作品になっています。特に前代未聞の動機には唸らされます。


3位.あやかしの裏通り(ポール・アルテ)
→2位
アルテが2000年代に発表した新シリーズ。トリックが小粒なのは相変わらずですが、プロット作りには大きな進歩が見られます。伏線が巧みに張り巡らされ、真相を隠蔽する手管もなかなかです。また、幻想的な雰囲気が素晴らしく、何より事件の真の構図に驚かされす。 


4位.アリバイ(ハリー・カーマイケル)→9位
1961年に発表されたハイパー&クイーンシリーズの19弾。タイトルの通り、容疑者には鉄壁のアリバイがあるのですが、そればかりに気を取られていると足元をすくわれるという、巧みなプロットが光ります。終盤のサスペンスに満ちた展開や意外な結末が光る佳作です。
アリバイ (論創海外ミステリ)
ハリー・カーマイケル
論創社
2018-03-02


5位.牧神の影(ヘレン・マクロイ)→5位
1944年発表の戦時色が強い作品。物語の主軸をなす暗号解読はあまりにも本格的すぎて読者が謎解きとして楽しめるかは疑問。その一方で、ヒロインを取り巻くゴシックホラーじみたサスペンスや質の高いフーダニットはさすがはマクロイといった出来栄えです。
牧神の影 (ちくま文庫)
ヘレン マクロイ
筑摩書房
2018-06-08


6位.数字を一つ思い浮かべろ(ジョン・ヴァードン)
→4位
文体は現代的で雰囲気もリアリティを重視した警察小説に近いのですが、足跡のない殺人が起きるなど、中身は完全に古典ミステリーです。謎また謎の展開には惹きつけられますし、探偵役である退職刑事ガーニーの推理も鮮やかです。現代型海外本格ミステリの秀作。
数字を一つ思い浮かべろ (文春文庫)
ジョン ヴァードン
文藝春秋
2018-09-04


7位.ホワイトコテージの殺人(マージェリー・アリンガム)
1928年の作品。おなじみのキャンピオン氏は登場せず、著者の特徴である文学的な味わいもほぼ皆無です。親子探偵が活躍する普通の本格ミステリです。しかし、それが逆に、読みやすさにつながっています。また、反則気味ではあるものの、真相の意外性もなかなかです。
ホワイトコテージの殺人 (創元推理文庫)
マージェリー・アリンガム
東京創元社
2018-06-29


8位.犯罪コーポレーションの冒険 聴取者への挑戦Ⅲ(エラリー・クイーン)
→10位
クイーンのラジオドラマ脚本集第3弾ですが、相変わらず謎解きの質は高く、クラシカルなパズラーが好きなミステリーファンを楽しませてくれます。殺人の絡まないエピソードもあり、物語もバラエティに富んでいます。ただ、ⅠⅡと比べるとやや落ちるかもしれません。
9位.ムッシュウ・ジョンケルの事件簿(メルヴィル・ディヴィスン・ポースト)
『アブナー伯父の事件簿』で有名な著者による1923年発表の短篇集。パリの警視総監が探偵役の異色作で、傑作の呼び声高い『大暗号』他12篇を収録。幻想味の強い物語が多く、その謎が切れ味鋭い推理によって思わぬ方向に反転するさまがなんとも魅力的です。
ムッシュウ・ジョンケルの事件簿 (論創海外ミステリ209)
メルヴィル・デイヴィスン・ポースト
論創社
2018-05-10


10位.空の幻像(アン・クリーヴス)→6位
スコットランドの北東、シェトランド諸島を舞台にしたペレス警部シリーズの第6弾。盛り上がりには欠け、ミステリーとしての意外性も今ひとつです。しかし、情感豊かな自然の中で丹念に描かれる人間ドラマやゴシックホラーの雰囲気には魅かれるものがあります。
空の幻像 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2018-05-31



その他注目作16

11.ブラック・スクリーム(ジェフリー・ディヴァー)
シリーズ第13弾。ナポリを舞台にして、アクの強いイタリア捜査陣とタッグを組むところが読みどころ。また、小さな証拠から真実を掘り当てるライムや恒例のどんでん返しなどツボは押さえています。ただ、犯人がいつもより魅力がなく、事件も小粒なのがやや残念。
ブラック・スクリーム 上 (文春文庫 テ 11-44)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2021-11-09


12.誰かが嘘をついている(カレン・M・マクマナス)
高校で殺人が起き、容疑者の4人の学生が順番に語り手になるという構成の青春ミステリー。それぞれのキャラに魅力があり、青春群像として抜群の面白さです。謎も魅力的でサスペンスにも満ちています。ただ、本格ミステリとしての仕掛けはやや薄味です。
誰かが嘘をついている (創元推理文庫)
カレン・M・マクマナス
東京創元社
2018-10-21


13.葬儀屋の次の仕事(マージェリー・アリンガム)
1948年発表のキャンピオンシリーズ12弾。落ちぶれた名家の変人一家の間で起きる連続怪死事件を描く。キャラは魅力的だが、登場人物が多くて事件の背景となる独特の風俗・文化・行動原理が難解なため、読むのに骨が折れます。読者を選ぶ不思議な雰囲気の作品。
葬儀屋の次の仕事 (論創海外ミステリ)
マージェリー・アリンガム
論創社
2018-04-04


14.悪意の夜(ヘレン・マクロイ)
→8位
過去の出来事に絡んで殺人が起きるという展開で、前半のテンポがよいサスペンスはなかなか楽しめます。反面、謎解きやトリックといった本格ミステリの要素はいかにも薄味です。なにより、シリーズ探偵であるウィリング博士の存在感が薄すぎるのがなんとも残念です。
悪意の夜 (創元推理文庫)
ヘレン・マクロイ
東京創元社
2018-08-22


15.疑惑の銃声(イザベル・B・マイヤーズ)
1934年作。ドラマ性豊かなミステリーであり、悲劇の連鎖というべき一族崩壊の物語は読み応えありです。ただ、現代では倫理的に問題のある描写があるのは気になるところ。しかし、最後の反転もきれいに決まっており、この時代の作品としてはなかなかの佳作です。
疑惑の銃声 (論創海外ミステリ)
イザベル・B・マイヤーズ
論創社
2018-08-08


16.月光殺人事件(ヘレン・マクロイ)
本書は1934年の作品で、日本でも戦前に抄訳が発表されています。愛憎渦巻く恋愛模様の中で事件が起こり、やがて意外な犯人が浮かび上がるといった物語はクリスティを彷彿とさせます。登場人物が多く、やや冗長ではあるものの、幕切れが印象的ななかなかの佳作です。
月光殺人事件 (論創海外ミステリ)
ヴァレンタイン・ウィリアムズ
論創社
2018-09-07


17.過去からの声(マーゴット・ベネット)
1958年のCWAのゴールドダガー賞受賞作品。ジャンル的には本格ミステリですが、謎解きの妙味はあまり感じられません。むしろ、錯綜する人間関係や犯人でもないのに隠蔽工作を行ってはドツボにはまっていくヒロインのキャラクター性などを楽しむべき作品です。
過去からの声 (論創海外ミステリ)
マーゴット・ベネット
論創社
2017-11-30


18.素性を明かさぬ死(マイルズ・バートン)
超多作作家ジョン・ロードの別名義作品。1939年発表。密室状態における死因不明の怪死事件という派手な謎を用意しているのに筆の運びはあくまでも淡々としているのがロード風です。おまけに、トリックも平凡ですが、推論から真相判明の流れはよくできています。
素性を明かさぬ死 (論創海外ミステリ)
マイルズ・バートン
論創社
2017-11-02


19.サンダルウッドは死の香り(ジョナサン・ラティーマー)
1938年発表の酔いどれ探偵ビル・クレインシリーズ第4弾。狂言じみた誘拐や薄気味の悪い脅迫状などを描く一方でユーモラスな情景を挟み込み、上手い具合に緩急を付けています。そして、そうした物語の流れ自体がミスディレクションとして機能している点が見事です。
サンダルウッドは死の香り (論創海外ミステリ217)
ジョナサン・ラティマー
論創社
2018-10-05


20.死の実況放送をお茶の間へ(パット・マガー)
生放送中のテレビ番組で出演中のコメディアンが殺されるという謎を扱った1951年の作品。作者は『被害者を探せ!』など奇抜な設定で知られるパット・マガー。トリックや犯人は見当がつきやすいが、小さな手がかりから犯人を追い詰めていくくだりはよくできています。


21.血染めの鍵(エドガー・ウォーレス)
有名な密室トリックを創案したことで知られる1923年の作品で、後世の作家にも影響を与えています。ただ、本作自体は本格ミステリではなく、恋あり、サスペンスあり、冒険ありの軽スリラーに仕上がってます。読者を飽きさせない畳みかける展開が心地よい佳品です。
血染めの鍵 (論創海外ミステリ)
エドガー・ウォーレス
論創社
2018-02-08


22.ピカデリー・パズル(ファーガス・ヒューム)
『二輪馬車の秘密』で有名な著者の1889年発表の短編集。散々一発屋といわれ続けているヒュームですが、本書などは当時としてはかなり謎解き要素の強い作品集で意外と読み応えがあります。2転3転するプロットや幻想的な雰囲気などはなかなか魅力的です。
ピカデリーパズル (論創海外ミステリ)
ファーガス・ヒューム
論創社
2017-11-03


23.三つの栓(ロナルド・A・ノックス)
陸橋殺人事件のノックスが保険調査員ブリードンシリーズの第1弾として1927年に発表した作品。50年ぶりの新訳です。密室での中毒死を巡る推理対決が読みどころですが、古い作品だけあって推理は緩め。とはいえ、ノックス特有のユーモラスな雰囲気は悪くありません。
三つの栓 (論創海外ミステリ)
ロナルド・A・ノックス
論創社
2017-11-30


24.間に合わせの埋葬(C・デイリー・キング)
1940年発表のロード警視を探偵役に据えたABC三部作の完結編。なぜ、バミューダ海峡を舞台にしたのかという理由付けが秀逸。ですが、事件がなかなか起きないので冗長です。また、ロード警視の恋愛模様にページが割かれ、推理が説明不足に陥っているのも残念。
間に合わせの埋葬 (論創海外ミステリ207)
C・デイリー・キング
論創社
2018-04-04


25.無音の弾丸(アーサー・B・リーヴ)
科学探偵ケネディが活躍するシリーズ1弾の1912年発表作品です。ソーンダイク博士と同じで科学捜査を得意とする探偵ですが、ソーンダイク博士のシリーズ以上に最新科学の知識に依存し過ぎたため、作品として陳腐化するのも早かったようです。
無音の弾丸 (論創海外ミステリ)
アーサー・B・リーヴ
論創社
2018-01-20


26.ロードシップ・レーンの館(A・W・E・メイスン)
1910年の『薔薇荘にて』からスタートし、1924年の『矢の家』で一躍有名になったアノー探偵シリーズの最終作。しかし、著者が80歳を超えての作品であるせいか、物語がとっちらかっていて冗長です。結果、本格ミステリとしてはまとまりに欠ける作品になっています。
チェック漏れ作品

日曜の午後はミステリー作家とお茶を(ロバート・ロプレスティ)→7位
14の短編収録の作品集。その内容は日常の謎から殺人事件までさまざまですが、どれもユーモアやウィットに富んだ楽しいものばかりです。ただ、読み応え満点の本格ミステリがある一方で、謎解き要素の少ない作品も混じっているのは好みの分かれるところです。
日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11



2018年12月6日追記

予想結果

ベスト5→5作品中4作的中
ベスト10→10作品中7作的中
順位完全一致→10作品中1作品


本格ミステリーベスト10


最新更新日2019/03/12☆☆☆

Next⇒2019年発売!注目の国内ミステリー

本格ミステリの要素が強い作品はタイトル(作者)の右側に本格と記しています
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazonの通販ページにリンクします

蟻の棲み家(望月諒子)
7月15日の夜。中野区東中野の路上で若い女性が眉間を銃で撃ち抜かれて死んでいた。その7時間後、今度は多摩川の河原で顔が粉砕された男の死体が発見される。さらに、7月19日には再び東中野で殺人事件が発生する。アパートの浴槽で売春婦の女の死体が見つかったのだ。彼女もまた15日の事件と同じように、眉間を銃で撃ち抜かれていた。一方、フリーのライターである木部美智子は食品工場のクレーム事件を取材する。クレイマーが金を振り込むように指定してきたのはパート従業員の娘の口座だった。しかし、その娘は家出をしており、さらには工場長宛てに誘拐の脅迫文が届く。果たして一連の事件の関連性は?
前半部分は救いのない貧困の連鎖が赤裸々に描かれ、ブラック企業、風俗、闇金、幼児虐待、子どもの非行、カスタマーハラスメントと、社会の闇の見本市のような描写が延々と続きます。あまりにも陰鬱な展開に読むのが苦しくなるほどです。ここで脱落した人も多いのではないでしょうか。しかし、後半になってそれぞれの事件の関連性が見えてくるあたりから一気に面白くなります。社会の底辺を描いたノワール小説だと思っていると、最後にとんでもないどんでん返しが炸裂する傑作です。
2020年度このミステリーがすごい!国内部門19位
蟻の棲み家
望月 諒子
新潮社
2018-12-21


お前の彼女は二階で茹で死に(白井智之)本格
高級住宅街のミミズ台で凄惨な事件が起きる。赤ん坊が自宅の巨大水槽に肉食ミミズと一緒に入れられ、喰い殺されたのだ。やがて、捜査線上にミミズそっくりの姿になるという遺伝子疾患を持つ青年・ノエルが浮かび上がる。彼はかつて連続婦女暴行事件を起こしていた。果してノエルは本当に赤ん坊殺しの犯人なのか?
エログロ満載の事件を扱いながらも、それ自体が伏線となっており、やがて事件はロジカルに解決されるといういつもの白井作品です。ただ、今までは設定が特殊すぎるために時としてミステリーとしての仕掛けが見え見えになってしまうという弱点がありました。それに対して、本作はミスディレクションが巧妙になり、簡単には事件の真相が見えないようになっている点が秀逸です。しかも、特殊設定を活かした前代未聞の多重解決まで披露しており、本格ミステリとしての厚みを持たせることに成功しています。何より、バラバラに思えた事象がロジックによってまとめあげられ、一つの道筋を示すさまは圧巻です。今作は連作短編の形をとっていますが、その一つ一つに情報量がギュウギュウに詰められており、読みごたえという点でも申し分ありません。度を超えた悪趣味と謎解きが高いレベルで融合した、白井ミステリーの一つの到達点というべき傑作です。


本と鍵の季節(米澤穂信)本格
堀川次郎と松倉詩門は共に高校2年の図書委員だ。生真面目で素直な次郎に対してイケメンで長身の詩門は皮肉屋で物事を斜に構えて見るクセがある。ある日、2人は引退した図書委員の先輩から金庫の番号を当ててほしいと頼まれる。彼女の話によると、亡くなった祖父が金庫を遺したのだが、その番号を誰も知らないというのだ。
古典部シリーズや小市民シリーズなど、日常の謎を扱った青春ミステリーを得意としている著者ですが、本作ではタイプの異なる男子高校生2人を探偵役に据え、互いに足らないものを補完し合いながら推理を紡いでいく点に新味があります。その結果、謎そのものは少々薄味ではあるものの、推理が一本調子にならず、重層的な謎解きが楽しめるようになっているのが見事です。また、飄々とした2人の掛け合いが作品に軽快さを付与する一方で、事件そのものはかなりビターな結末を迎えることになります。そのコントラストも物語に良いアクセントを与えています。さらに、話が進むにつれて2人の関係性や内に秘めた影の部分が次第に明らかにたっていく流れも読み応えありです。希望と不安の入り混じったラストも印象深く、やはり、この手のジャンルを書かせれば、著者の右に出るものはないのではないかと感じさせるだけの完成度を有した作品になっています。
2020年度このミステリーがすごい!国内部門9位
2020年度本格ミステリベスト10 国内部門14位
本と鍵の季節 (単行本)
米澤 穂信
集英社
2018-12-14


刀と傘 明治京洛推理帖(伊吹亜門)本格
明治5年の京都。府立監獄舎に収容されている男の処刑が数時間後に迫っていた。だが、彼は死刑執行の前に毒を盛られて殺されてしまう。ほうっておいてもすぐに死んでしまう男を一体なぜ殺さなければならなかったのか。江藤新平と彼の腹心の部下である鹿野師光は事件の謎を追うが......。
維新十傑の一人といわれ、日本の司法制度の基礎を築いた江藤新平を探偵役に据えた連作時代ミステリーです。明治初期における歴史のうねりと本格ミステリの謎解き要素を巧みに絡ませているところなどは山田風太郎氏の明治ものを連想させます。ただ、明治ものが奇想天外な仕掛けで度肝を抜くバカミスギリギリの怪作だったのに対して、本作は張り巡らされた伏線と緻密なロジックによって真実が導き出されるという実に巧緻なミステリーに仕上がっています。意外な真相を演出しながらも明治維新という時代のリアリティを壊さないバランス感覚が見事です。また、お互いを認め合いながらも次第に対立していく江藤新平と鹿野師光の関係性も時代小説として読み応えがあります。あえて難を挙げるとすれば、通して読むとキャラクターの心情に一貫性がないと感じる箇所がいくつかあるところでしょうか。とはいえ、5つの短編はどれもクオリティの高いものばかりです。中でも、法月綸太郎氏の『死刑囚パズル』と同じ謎を扱いながら別の解を提示してみせた『監獄舎の殺人』が秀逸です。
2020年度このミステリーがすごい!国内部門5位
2020年度本格ミステリベスト10 国内部門4位
19回本格ミステリ大賞受賞


昨日がなければ明日もない(宮部みゆき)
杉村探偵事務所の記念すべき10人目の依頼人は50代半ばの品のよさそうなご婦人だった。彼女がいうには一昨年結婚した娘が自殺未遂を起こし、しかも、一カ月以上連絡が取れないとのことだった。娘の夫からは面会を拒絶され、メールをしても返信がないのだという。杉村が調査を行うと、その裏に陰惨な事件が影が浮かび上がってくる。
杉村三郎シリーズの第5弾です。3つの中編が収録されていますが、いずれも人生の理不尽さや人の悪意を巧みに描いており、人間描写のうまさはさすがです。また、そうしたドロドロとした人間ドラマに対して主役の杉村三郎の周囲にはユーモラスな人物を配しているのも一服の清涼剤としてうまく機能しています。ただ、事件自体には前作の『希望荘』にあったような救いに乏しく、後味がかなり悪い点は賛否がわかれるところでしょう。
2020年度このミステリーがすごい!国内部門8位
昨日がなければ明日もない
宮部 みゆき
文藝春秋
2018-11-29


東京輪舞(月村了衛)
巡査時代に田中角栄の警備をしていた砂田修作は、昭和50年に警視庁公安部外事第一課に配属される。そこで彼はロッキード事件、東芝COCOM事件、ソ連崩壊、地下鉄サリン事件など、昭和から平成にかけての歴史的事件とかかわっていくことになる。警察のさまざまな思惑や腐敗と絡み合うそれらの事件に対して砂田は.......。
昭和の後半から平成にかけての政治史を一人の公安刑事の数奇な運命と絡めて描いており、連作大河ミステリーとでもいうべき作品に仕上がっています。しかも、私たちがよく知っている事件が扱われ、その関係者が実名で描かれているため、臨場感が実に豊かです。そして、それらの事件の中に主人公を絡ませることで、連鎖的つながりを持たせ、ダイナミックな歴史のうねりを読者に感じさせることに成功しています。ただ、アクション満載で主人公が派手に暴れまわる、いつもの月村節を期待すると、がっかりする可能性大です。あくまでも史実ベースなのでスカっとした話は期待しない方がよいでしょう。昭和史などに興味がある人向けの作品です。それから、物語の縦軸を成す主人公のラブロマンスに関しては垢ぬけないイメージで、重厚な政治ドラマに対して少し浮いている印象があります。その辺りは賛否が分かれるところでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門8位
東京輪舞
月村 了衛
小学館
2018-10-25


ネクスト・ギグ(鵜林伸也)本格
”赤い青”はギタリストのクスミトオルを中心とするロックバンド。その日もライブハウス・ラディッシュハウスのステージに立っていたが、アンコールが始まろうとしたときに事件は起きた。ステージが一度暗転し、逆光の中にボーカルのシノハラリョウスケが姿が浮かび上がったとき、彼は悲鳴をあげてその場に倒れ込む。その胸には深々と千枚通しが刺さっていた。何者かに刺殺されたのだ。舞台が暗くなっていたとはいえ、無関係の人間が近づけば誰かが気がつくはずだ。つまり、犯人は身内の誰かということになる。ラディッシュハウスで働いている児玉梨佳は独自に事件を調べはじめるが.......。
作中ではロックとは何かという問いかけが執拗に繰り返され、興味のない人にとっては少々冗長に感じられるかもしれません。しかし、それがミステリーの仕掛けと有機的に結びつき、ロジカルなプロセスを経て事件解決へと至るプロットは本格ミステリの王道そのものです。特に、ロック論が犯人特定につながる瞬間は感動的ですらあります。同時に、ロックに賭けた青春を描いた物語としても魅力的な作品であり、ミステリーファンだけでなく、ロックファンにもおすすめしたい作品です。ただ、ロック論やロジックの魅力に比べ、犯人の仕掛けたトリックが少々雑なのがやや残念ではあります。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門15位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門13位


星詠師の記憶(阿津川辰海)本格
警視庁の獅堂刑事は被疑者を射殺してしまった責任を問われ、限りなく謹慎に近い長期休暇を取らされる。気分転換に山間の村を訪れた彼は、そこで香島という少年に出会う。少年は紫水晶を使って未来予知をしている研究所・星詠会の一員であり、しかも、その会で殺人事件が起きたというのだ。少年は獅堂にその事件を調べてほしいという。胡散臭い話に警戒を深める獅堂だったが、それでも彼は調査を始める。だが、彼の推理はことごとく星詠会の絶対予知によって阻まれていくのだった....。
本作は著者のデビュー作と同じく、パラレルワールドを舞台にしたSFミステリーです。今回は未来予知が存在している世界で、絶対だとされている予知を突き崩し、いかにして真相にたどり着けるかというのが大きな見どころとなっています。なんといっても、「一度確定した未来予知は絶対に変わらない」という設定には堅牢な密室殺人を前にしたときのようなワクワク感があります。しかも、その前提をひっくり返すロジックがまた見事です。デビュー作では著者の熱意が先走って、詰め込み過ぎの感がありましたが、今回はスマートにまとまっており、ぐっと読みやすくなっています。著者は大学を出たばかりということで、これからの成長が実に楽しみです。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門6位
星詠師の記憶 (光文社文庫)
阿津川 辰海
光文社
2021-10-13


探偵は教室にいない(川澄浩平)本格
女子中学生の海砂真史が体育の授業から戻ってくると、机の中にラブレターが入っていた。文字はパソコンで入力されており、しかも、肝心の相手の名前が書かれていない。どうしたものかと悩む真史だったが、ことを大きくしたくなので友人に相談するのはためらわれた。できれば、自分の生活とは関わりが薄くて信用ができる人物がいいと思案したところで鳥飼歩の存在を思い出す。彼は不登校でもう9年間も顔を合わせていないが、恐ろしく頭が切れる少年なのだ。やがて、再会を果たした彼が導き出した答えとは....。
第28回鮎川哲也賞受賞作品ですが、前回や前々回受賞作品のような奇想天外な設定や派手なトリックは皆無です。いわゆる日常の謎を呼ばれるものであり、謎の組み立て方にしても目新しいものはありません、ミステリーとしては凡作だと感じる人もいるでしょう。その代わり、謎解きを通して描かれる等身大の少年少女の姿が非常に魅力的です。文章も読みやすく、静謐な空気感には美しさすら感じます。北海道を舞台にしたもの物語の雰囲気とよくマッチしており、情緒性を高めるのに一役買っています。ミステリーというよりも青春小説として評価をしたい傑作です。
探偵は教室にいない
川澄 浩平
東京創元社
2018-10-11


沈黙のパレード(東野圭吾) 本格
捜査一課の刑事である草薙は12歳の少女が殺された事件の捜査に関わったことがある。そのときは蓮沼という男が逮捕されたのだが、多くの状況証拠があるにも関わらず、完全黙秘で無罪を勝ち取られてしまう。それから23年。静岡で民家の火災が発生し、その中から3年前に東京で行方不明となった19歳の女性の死体が発見された。再び捜査線上に浮かびあがる蓮沼だったが、今回も証拠不十分で釈放されることになる。さらに、彼が堂々と遺族の前に姿を現したことで不穏な空気が流れる。そして、今度はその蓮沼が何者かに殺されたのだ。これは被害者の遺族による復讐なのか?草薙は過去に幾度となく捜査協力を依頼してきた湯川と共に事件の謎に挑むが.......。
大胆な物理トリックがウリの湯川シリーズの最新作。しかし、今回は物理トリックの解明は前菜程度にとどめられ、人間ドラマにより重点をおいたつくりになっています。とはいっても、本格ミステリとして薄味というわけではありません。隠された人間関係が明らかになるにつれて、2転3転していく展開は読み応え十分です。また、最後に思いもよらぬ結末にたどり着き、タイトルの真の意味が分かるという巧妙なプロットにも唸らされてしまいます。謎解きと人間ドラマが高いレベルで結びついた希有の傑作だといえるでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門4位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門10位
沈黙のパレード
東野 圭吾
文藝春秋
2018-10-11


ある男(平野啓一郎)
里枝は25歳のときに結婚し、2人の男の子を生んだ。だが、次男を脳腫瘍で失い、夫とは離婚する。その後、谷口大祐という名の男と再婚して新しく生まれた長女と4人で幸せな家庭を築いていく。だが、その大祐が仕事中の事故で亡くなってしまったのだ。しかも、彼の兄に会ったところ、死んだ男は大祐とは全くの別人だといわれる。一体、彼は何者なのか?里枝は離婚の際に世話になった弁護士・城戸章良に相談をするが......。
難解なことが多い平野啓一郎氏の作品ですが、本作は戸籍巡るミステリー要素に引き込まれ、大人の愛や家族愛に感動させられる非常に分かりやすい作品に仕上がっています。戸籍問題にも考えさせられる点が多々あり、タメにもなる良書です。一方で、著者の思想性が強く感じられる部分もあるため、それが気になるという人は物語に入り込めない可能性もあります。よくも悪くも文学とミステリーの中間に位置する作品だといえるでしょう。
ある男
平野 啓一郎
文藝春秋
2018-09-28


夏を取り戻す(岡崎琢磨)本格
1996年の夏休みの終わりに、小学4年生の同じクラスの子どもたちが失踪するという事件が頻発する。子どもたちは数日たつと何事もなかったように戻ってくるのだが、大人たちは彼らが一体どこに隠れているのかが分からず、翻弄されていた。やがて、2人の雑誌記者が一連の事件に興味をもって調べ始める。子どもたちは一体どのようにして姿を消し、そして何のためにこのようなことをしているのか。やがて、事件の背景には5月に行われたキャンプが関係していることがわかってくるのだが......。
子どもたちをメインに据えた一種のジュブナイルミステリーとでもいうべき作品です。とはいえ、子どもたちが事件を解くのではなく、起こす側になっているのが肝です。子どもたちがなぜ事件を起こしたのかがわかってくるにつれて、切なさが読者の胸に染みいるつくりになっています。最初は単なる子どもたちの悪戯と思われていた事件から、複雑な背景が見えてくるプロセスも読み応えがあります。また、密室からの消失の謎も明かされてみればたわいもないトリックですが、いかにも子どもならではの発想という点が作品の雰囲気とマッチしていてグッドです。その上、作品全体に貼り巡らされた伏線がラストで回収される怒涛の展開には驚かされます。間違いなく一級のジュブナイル小説であり、一級のミステリー作品です。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門18位
夏を取り戻す (創元推理文庫)
岡崎 琢磨
東京創元社
2021-06-30


ベルリンは晴れているか(深野野分)
1945年7月。ドイツはすでに敗北し、現在は米ソ英仏からなる4カ国統治が行われていた。そんな中、米国慰安所でウエイトレスとして働いているドイツ人少女・アウグステは突然、ソビエト監視所に連れてこられ、尋問を受ける。彼女の恩人である男がアメリカ製の毒入り歯磨き粉によって不審死を遂げ、アウグステに嫌疑がかかったのだ。やがて、解放されたアウグステは恩人の甥に、彼の死を知らせるために旅立つ。そして、その道連れとなったのが、元悪役俳優で今は泥棒に身をやつしたユダヤ人の男・カフカだった.......。
敗戦直後のドイツを舞台にしたミステリーですが、まずその緻密な描写に驚かされます。膨大な取材によって書かれたと思われる当時の人々の暮らしぶりはリアリティに満ちていて、その混乱ぶりと苦渋がヒシヒシと伝わってきます。また、ドイツ人がナチスに対してどのように向かい合ってきたのかといった描写も重厚さに満ちていて読み応えありです。しかも、色々な立場の人々のリアルを多角的に伝え、物語に奥行を与えることにも成功しています。戦争文学としては間違いなく一級の作品だといえるでしょう。一方、ミステリーとしても驚きの結末が用意されています。ただ、全体的な雰囲気としてはミステリー的興味は薄く、ジャンル的には戦争小説に大きく傾いているため、ミステリーを期待して読むとがっかりするかもしれません。その点は注意が必要です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門2位
ベルリンは晴れているか (ちくま文庫)
深緑 野分
筑摩書房
2022-03-14


叙述トリック短編集(似鳥鶏)本格
元大物議員から別紙探偵事務所に依頼が入る。坂本竜馬の像にバズーカ―砲を持たせるなどのイタズラを続けている愉快犯を捕まえてほしいというのだ。とある情報から次の標的が駅に設置してある巨大コケシである可能性が高いことを掴んだ別紙氏は出入り口を監視するが、それでもイタズラを食い止めることはできなかった。一体何故?
タイトル通り、6つの短編にそれぞれ叙述トリックが仕掛けられた連作ミステリーです。ただ、トリック自体はそれほど凝ったものではなく、この手の作品を読み慣れている人なら真相を見抜くのは比較的容易ではないでしょうか。マニアの人ならもうひとひねりほしいと感じるかもしれません。その一方で、遊び心満載で肩の凝らない作りになっているので過度な期待を抱かずに気軽に楽しむには最適な作品です。叙述トリック入門書といった感じの作品なので、どちらかというと、叙述トリックのミステリーをあまり読んだことがないという人におすすめです。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門15位
ドッペルゲンガーの銃(倉知淳)本格
蔵の中から絞殺死体が発見される。しかし、その蔵には南京錠がかけられており、鍵を持っているのは一人だけ。しかも、鍵を盗まれないように常にネックレスにして携帯しており、就寝時も枕の下において眠るという。状況から考えて犯人は鍵の所有者としか思えない。一方、女子高生でミステリー作家志望の灯里は、小説のネタを探すべく、警視総監の父とキャリア刑事の兄の威光を利用して殺人現場に潜入するが......。
3つの短編からなる連作集で、どの作品も謎が非常に魅力的です。ドッペルゲンガーの犯行としか思えない殺人や犯人が空を飛んだとしか思えない事件など、どれもワクワクするものばかりです。それに、刑事の兄と女子高生の妹による掛け合いも楽しく、サクサクと読むことができます。妹が珍推理を並べたあとに意外な探偵が登場するというアイディアがユニークで、謎解きも丁寧です。まずは良質な連作ミステリーだといえるでしょう。ただ、魅力的な謎に対してトリックな小粒なのがやや残念です。これで真相にもうひとひねりあれば、傑作といえる出来なのですが。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門9位
グラスバードは還らない(市川憂人)本格
不動産王ヒューは会社の関係者4人を集め、タワーマンションの最上階でパーティを催す。ところが、4人はそのまま意識を失い、気が付くとガラス張りの部屋がいくつもある空間に移動させられていた。傍らにはどこから紛れ込んだ硝子鳥がいる。そして、「お前たちの罪を知っている」というヒューの言葉。やがて、彼らは何者かの手によって一人、また一人と殺されていく。一方、希少動植物の密売ルートを捜査していたマリアと漣はお得意先の一人がヒューであることを掴んでいた。ヒューの住むタワーマンションに乗り込む2人だったが、こともあろうにそこで爆破テロに巻き込まれてしまう.....。
パラレルワールドの80年代を舞台にしたシリーズ第3弾。相変わらず、特殊設定を存分にいかしてワクワクする謎を構築しています。特に、ガラス張りのクローズドサークルというのが秀逸です。また、爆破テロに巻き込まれたマリアのアクション映画のような活躍ぶりや漣との軽妙な掛け合いも楽しく、エンタメ小説としては間違いなく一級の作品です。もちろん、ミステリーとしての仕掛けも巧妙でよくできています。ただ、設定があまりにも仕掛けと直結しすぎているため、前2作に比べると真相は見破りやすいかもしれません。それと、パラレルワールドの特殊設定に頼ったメイントリックはユニークではあるものの、その是非については賛否がわかれるところです。アンフェアだという人もいるのではないでしょうか。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門10位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門4位
アリバイ崩し承ります(大山誠一郎)本格
難事件に頭を悩ませていた捜査一課の新人刑事がたまたま立ち寄った時計店には「アリバイ崩し承ります」と書かれた貼り紙が貼られてあった。若い女主人に話を聞くと、先代店主だった祖父の遺志を継いで時計にまつわる依頼はなんでも受けるようにしているのだという。そこで、新人刑事は藁にもすがる思いで容疑者のアリバイ崩しを依頼するが.......。
タイトルの通り、アリバイ崩しに特化した全7話の連作集です。設定にリアリティがありませんし、トリックも現実味に乏しいものが目立ちます。しかし、そんなことよりも、とにかく本格ミステリに純化した作品を作ろうという姿勢に好感が持てます。また、余計なものをそぎ落とした結果、一つ一つの話が短くてサクサクと読めるのも好印象です。そして、何よりもアリバイトリックが一つ一つよく練られているため、本格好きにはたまらない作品に仕上がっています。それに加え、安楽椅子探偵を務めるヒロインもきちんとキャラが立っていて魅力的です。ただ、現実味に乏しいトリックは確かに好き嫌いが分かれるところです。それに、肝心のアリバイもヒロインが一瞬で崩してしまうために、「鉄壁のアリバイが捜査陣の前に立ちふさがる鮎川哲也のような作品が読みたい」といった人にはあっけなさすぎて喰い足りないかもしれません。さらにいえば、ロジックよりもインスピレーションで解決するタイプの探偵なのでクイーン好きの人にも肌に合わない可能性があります。そうした好みの問題はあるものの、この作品が本格愛にあふれた意欲作であることは確かです。クラシカルな探偵小説が好きな人は一度チャレンジしてみてはいかがでしょうか。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門15位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門1位
アリバイ崩し承ります
大山 誠一郎
実業之日本社
2018-09-07


メーラーデーモンの戦慄(早坂吝)本格
謎の差出人メーラーデーモンからメールを受け取り、その一週間後に殺されるという事件が相次ぐ。援交探偵の上木らいちも顧客を殺され、事件解決に乗り出す。一方、前回の事件で心に傷を負った藍川刑事は長期休暇をとってペンションを訪れていた。全員が仮面を被って身分を隠して過ごす、謎のイベントに招待されたのだ。しかし、彼も同僚のピンチを知り、ペンションの宿泊客とともに推理を巡らすことになるが.....。
上木らいちシリーズ第5弾であると同時に完結編かと思うような集大成的作品に仕上がっています。幾度となく過去の事件に言及し、また、実際に過去作のキャラがゲストとして登場するのはファンからするとうれしいところです。その代わり、シリーズを初めて読むという人にとっては突然出てきたゲストキャラが誰だか分からずにとまどう可能性があります。さらに、ファンにとっても藍川刑事の活躍やゲストキャラの登場にページが割かれている分、らいちの出番が少なくなってしまったのは物足りないのではないでしょうか。ついでにいうと、恒例のエロ要素も今回はかなり控えめです。一方、ミステリーとしては大掛かりなトリックをロジカルに解いていくという基本はしっかりと押さえています。ただ、このシリーズの特徴といえば、なんといっても、読者の予想の斜め上をいく奇想です。今回はそれが不足していたのが最大の不満点だといえるでしょう。というわけで、本作はミステリーしては悪くない出来なのですが、いつものらいちワールドを期待していると少々肩すかしを喰らう可能性があります。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門16位


インド倶楽部の謎(有栖川有栖)本格
神戸の異人館街の外れにインド亭と呼ばれる屋敷がある。そこでは月に1度、家主の間原郷太を中心としたインド好きのメンバーが集まり、定例会を開いていた。その日、会の余興として、前世から現世で死ぬ日までのすべてを見通すという「アガスタティの葉」のリーディングを行うことになった。そして、デモンストレーションでは相手の過去を次々と言い当て、その後、各自の前世の名前や自分の死ぬ日などを手帳に書いてもらって会はお開きとなる。ところが、その数日後に、「アガスタティの葉」のリーディングに一役かったコーディネーターが死体となって発見された。しかも、彼の手帳には死亡したと思われる日付が記されていたのだ。果たして、その死は予言されたものだったのか?犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が事件の謎に挑むが.....。
火村英生と有栖川有栖のコンビによるミステリーはコンスタントに発表されていますが、国名シリーズ自体は2005年の『モロッコ水晶の謎』以来、13年ぶりです。相変わらず、火村と有栖のかけあいは楽しく、準レギュラーとして人気のある野上刑事が大活躍するのでシリーズのファンなら間違いなく楽しむことができるでしょう。一方、ミステリーとしてはトリックらしいトリックもなく、今回はもっぱら動機の解明に重きが置かれています。これがホワイダニットとして意表をつくもので、なかなかインパクトがあります。ただ、それだけに、その真相が受け入れ難いという人も多いのではないでしょうか。この点に関しては賛否が分かれそうです。また、今回は火村中心の構成になっているため、有栖の活躍が見たいという人には物足りないかもしれません。それでも、ロジックによる謎解きの面白さに関してはさすがの出来であり、水準以上の佳作である点は間違いないところです。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門14位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門5位
インド倶楽部の謎 (講談社文庫)
有栖川 有栖
講談社
2020-09-15


漂砂の塔(大沢在昌)
2023年。北方領土の離島にあるレアメタルプラントで日中露の合併会社で働いていた日本人が何者かに殺害される。しかも、その死体は両目をえぐられるという凄惨なものだった。武器も持てない、捜査権もない孤立無援の地に潜入捜査員として警視庁の石上が送り込まれる。ロシア人とのクォーターでロシア語と中国語に堪能な点を見こまれたからだ。だが、元KGBの施設長、謎の女医師、ナイトクラブのボスと、周囲は敵か味方かわからない者ばかり。その上、90年代に起きた猟奇事件との関連性も浮上し、事件は混迷を深めるばかりだった。
離島という閉鎖空間で主人公が孤軍奮闘する姿がテンポよく描かれており、とてもスリリングです。また、主人公がボヤキながらも頑張る姿にも共感が持て、その他の登場人物もみな個性的でキャラが立っています。そして、そんな彼らが繰り広げる虚々実々の駆け引きは非常に読み応えがあります。舞台設定も一見絵空事のようでありながら、もしかして実際にありえるかもと思わせる点が巧妙です。著者の熟練の味が楽しめる娯楽傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門12位
漂砂の塔 (カッパ・ノベルス)
大沢在昌
光文社
2020-09-16


帝都探偵大戦(芦辺拓)本格
名探偵として知られる刑事弁護士の法水麟太郎が出馬を要請される。ナチスが日本政府に対して”輝くトラペゾヘドロン”の引き渡しを求めているのだが、その背景を調べてほしいというのだ。同じ頃、青年新聞記者の獅子内俊次は車が突然消え失せるという怪事件に遭遇し、元検事の私立探偵・藤枝真太郎の元には帝室博物館から宝玉にまつわる奇妙な依頼が舞い込んでいた。果たしてこれらの出来事はどのようなつながりを持っているのだろうか?
江戸時代・戦前・戦後と3つの時代で日本中の名探偵が共演するという豪華絢爛なパスティーシュ。なんと50人もの名探偵が一挙に登場するという探偵小説好きにはたまらない作品です。ミステリーとしても各編それぞれ未解決な部分があり、それを次の世代の探偵たちが解決するという流れにうまさを感じます。ただ、限られたページで50人もの探偵が登場するため、一人一人の活躍が駆け足になってしまう点はやむを得ないところでしょう。また、古い探偵小説に詳しくない人にとってはオールスター小説といわれてもピンとこず、面白みが理解できない可能性があります。小説というよりも小説仕立ての名探偵ガイドブックとして読んだ方がよいかもしれません。


翼竜館の宝石商人(高野史緒)本格
1662年の晩夏。アムステルダムの宝石商・ホーヘフェーンがペストにかかって命を落とす。だが、遺体を埋葬したその翌日に人の出入りを厳重に管理していた館でホーヘフェーンそっくりの男が意識不明の状態で発見されたのだ。しかも、彼の発見された部屋には鉄格子が嵌められており、中に入ることは不可能だった。彼は一体何者なのか?どうやってその部屋の中に入ったのか?画家レンブランドの息子・ティトウスと記憶喪失の男・ナンドはひょんなことからその事件の解明に乗り出すことになるが......。
17世紀のアムステルダムを舞台にしたミステリーであり、登場キャラクターのほとんど全員が実在の人物であるという点が大きな特徴です。この時代についてある程度知っている人ならより一層楽しめるつくりになっています。ただ、本作は物語が進むにつれて、どんどんキャラクターが増えてきます。そのため、事前にある程度登場人物について調べておかないと少々混乱するかもしれません。翻訳調の文章も苦手な人は読みにくいと感じるでしょう。そういう意味では読者を選ぶ作品です。しかし、その一方で、重厚な世界観と二転三転する謎解きは読み応え十分です。そして、なんといっても、怒涛の展開によって美しいラストシーンに着地する幕切れが圧巻です。精緻に組み立てられた高野史緒氏ならではの傑作だといえるでしょう。
翼竜館の宝石商人
高野 史緒
講談社
2018-08-23


凍てつく太陽(葉真中顕)
1945年1月。軍事機密を巡って北海道の軍需工場関係者2人が毒殺される。憲兵隊による捜査が始まる中でさらに1人が殺されるが、当局はそれを自害として押し通す。その上で、アイヌ出身の特高警察の刑事・日崎を第1の事件の容疑者として逮捕するのだった。投獄された日崎は自ら濡れ衣を晴らすために脱獄を決意するが.....。
国や民族に対するアイディンティティとは何かといった重い主題を中心に置きながらも、スピーディな展開にワクワクできる一級の娯楽作品に仕上がっています。前半はミステリー、中盤は冒険小説、そして終盤にはまさかのどんでん返しありといった具合に読みところ満載です。人によってはもっと重厚な作風の方が好みという人もいるかもしれません。しかし、テーマ性と娯楽性がバランスよく両立しているという意味ではかなりの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門9位
第72回日本推理作家協会賞受賞
凍てつく太陽 (幻冬舎文庫)
葉真中顕
幻冬舎
2020-08-06


深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説(辻真先)本格
1937年5月。銀座で似顔絵描きをしながら漫画家を目指していた那珂一兵の元に帝国新報の女性記者が訪ねてくる。名古屋で太平洋平和博覧会の取材に同行して挿し絵を描いてほしいというのだ。一方、東京では女性の足だけが発見されるという奇怪な事件が起きる。被害者は名古屋にいた女性らしいのだが、肝心の胴体が行方不明のままだ。しかも、被害者の妹も何者かに誘拐されたという。密かに恋心を抱いていた女性が事件に関わっていたことを知った一兵は謎を解くべく推理を巡らせるが.....。
戦前の時代を舞台にし、当時流行ったエログロ探偵小説の再現を試みた作品です。ちなみに、辻真先氏は1932年年生まれの戦前派。それだけに、当時の時代の空気が実に生き生きと描かれています。また、ミステリーとしてはトリック自体は目新しいものはありませんが、全編に伏線を張りめぐらせてそれを回収する手管は見事です。そして、わずかな手がかりから鮮やかな推理によって真相に至る流れは古き良き時代の探偵小説の味わいを十分に堪能することができます。ただ、時代性を再現するために事件と直接関係ない描写が多く、それを楽しめるかどうかで評価は変わってきそうです。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門15位
深夜の博覧会
辻 真先
東京創元社
2018-08-22


パズラクション(霞流一)本格
殺し屋の和戸準は慎重に手筈を整え、ターゲットを始末した。だが、偶然に偶然が重なった結果、予定外の密室殺人が成立してしまったのだ。つじつまを合わせるため、警視庁の刑事である相棒と共に細工を施すが、事態はさらにややこしいことになり.....。
探偵が証拠をでっちあげていかにして説得力のある解決を提示するかという、倒叙名探偵小説とでもいうべき作品です。その逆転の発想が楽しく、無理やりなこじつけ推理には思わず笑ってしまいます。また、多重推理や偽の手がかりといった本格ミステリが直面しているテーマに正面から取り組んでいるという意味で、ミステリーファンなら必読の書だといえるかもしれません。ただ、バカミスとはいえ、偽推理の出来にバラツキのあるところはやや気になるところです。あとはもっと文章が読み易ければより高い評価を得られたのではないでしょうか。しかし、いずれにしても、かなり力の入った労作であり、本格ミステリ好きの人であれば、読み応え満点の作品であることは間違いないところです。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門3位


歪んだ波紋(塩田武士)
常に他誌との競争にさらされている重圧から虚報を流し、深刻な報道被害をもたらす『黒い依頼』、ある誤報が招いた悲劇を描いた『共犯者』、メディアと権力の癒着の実体を暴く『ゼロの影』、事実を誇張して報道するバラエティ番組の危うさが焦点となる『Dの微笑』など。新聞、テレビ、週刊誌、ネットなどから流れていくる真偽すら定かでない膨大な情報に人々は翻弄される。そして、その混沌に付け込み、裏で暗躍するものがいた。その正体とは?
いかにも今日的なテーマを扱った連作集であり、誤報はいかにして起こるのかという問題をミステリー仕立てにした作品として5つの短編はいずれもよくできています。しかも、伏線の張り方が巧妙で6つ目の短編ですべての関係がわかる構成の妙には唸らされます。また、それに伴う終盤の盛り上がりも素晴らしく、社会派ミステリーとしてもトリックキーな推理小説としても楽しめる一級のエンタメ作品です。
第40回吉川英治文学新人賞受賞
歪んだ波紋
塩田 武士
講談社
2018-08-09


錆びた滑車(若竹七海)
探偵の葉村晶はある老婦人を尾行していた。非常に楽だといわれた仕事だ。ところが、その老婦人は別の老女と喧嘩になり、葉村はもつれあって階段から落ちてきた2人の下敷きになってしまう。幸い怪我は軽傷ですんだものの、長年住んでいたシェアハウスが建て直されることになり、引越しを余儀なくされる。葉村は落ちてきた老女のミツエに誘われて彼女のアパートに引越すこととなった。しかし、そのアパートが放火にあい、ミツエと彼女の孫であるヒロトが死んでしまう。しかも、ヒロトの父の光貴も交通事故によって8カ月前に亡くなっていたのだ。葉村晶は不審に思い、一連の事件を調べ始めるが......。
現在、国内で最も注目されているハードボイルドシリーズの最新作です。ハードボイルドといっても決してシリアス一辺倒ではありません。カッコ良いシーンがあったかと思えば、次の瞬間にはコミカルな展開になっているといった具合に、緩急織り交ぜて読者を楽しませてくれるところにこのシリーズの魅力があります。そして、本作はミステリーとしての完成度もかなりの高さです。最初に大事件が起きるのではなく、さまざまな事件が起きる中で互いの関係性が次第に見えてくるタイプなのですが、伏線を縦横無尽に張り巡らせてそれを終盤で一気に回収していく手管は見事です。2転3転する展開は目が離せませんし、登場する数多くのキャラクターたちも、みな個性が際立っていて飽きません。今回もまた、「葉村晶シリーズに外れなし」といえる安定の面白さです。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門3位
錆びた滑車 (文春文庫)
若竹 七海
文藝春秋
2018-08-03


スケルトン・キー(道尾秀介)
児童養護施設で育った坂木錠也は自分の中にあるサイコパスの資質を自覚していた。彼は施設を出たあと、週刊記者のスクープ獲得の手伝いを始める。スリルのある環境に身をおくことで、狂気の発現を抑え込めると考えたからだ。以後、それなりに平穏な日々が続いていくが、施設の仲間からの連絡が入ってから状況は一変する。錠也の母を殺したのが彼の父である可能性が高いというのだ。
サイコパスが主人公という一風変わったミステリーです。しかも、単純なシリアルキラーではなく、自分の異常性を自覚しつつ正常であろうとしているところにキャラクターとしてのユニークさがあります。また、彼の周りで起きるダークな展開が非常にスリリングです。特に、後半に入ってからの怒涛の展開にはぐいぐいと引きずり込まれていきます。しかし、著者のミステリーがそれだけで終わるはずがありません。サスペンスミステリーとしての面白さに引っ張られていると、物語は反転してとんでもない背負い投げを喰らうことになります。この辺りはもはや著者のお家芸だといってよいでしょう。今回もそれが見事にきまっています。あらゆるところに伏線が張りめぐらされているので、再読時にはそれを確認しながら読み返してみるのも本書の楽しみの一つです。ただ、サイコパスといえば多くの人は合理的で利己主義な人物像を思い浮かべるものですが、錠也は感情的に描かれすぎているきらいがあります。そのため、サイコパスのクールな魅力を堪能したいという人にはいささか物足りないかもしれません。さらに、ミステリーとしての仕掛け自体が禁じ手というべきものなので、それを許容できるかどうかという点でも意見が分かれそうです。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門13位
スケルトン・キー
道尾 秀介
KADOKAWA
2018-07-27


生き残り(古処誠二)
第2次世界大戦の北ビルマ戦線。本隊と切り離された傷病兵の一行はイラワジ河で敵機の銃撃を受け、中州に逃げ込む。ところが、そこに伍長の刺突死体が漂着する。果たして、これは自殺なのか、殺人なのか。生き残りの兵士たちは疑心暗鬼にかられるが、周囲はゲリラに包囲されているため、中州から脱出することはできない。籠城を余儀なくされる中、兵達は一人また一人と命を落としていく.....。
戦場版クローズドサークルとでもいうべき作品です。とはいっても、ミステリーとしての意外性はほとんどありません。その代わり、終止まとわりつく不穏な空気が生み出すサスペンス感は戦争小説ならではの読み応えです。また、誰が犯人かよりも犯行動機に焦点が当てられた作品であり、本作で示される戦場の論理には背筋が凍る思いがします。生と死の意味を問う真摯な作品であり、前作『いくさの底』に比肩しうる傑作です。
生き残り
古処 誠二
KADOKAWA
2018-07-27




鯖 SABA(赤松利市)
海の雑賀衆との勇名を轟かせていた一本釣りの漁師船団。しかし、今では時代の波に呑まれ、日銭を稼いでは場末の居酒屋で管を巻く毎日だった。そんな彼らに、ある日、耳を疑うようなビッグビジネスが飛び込んできた。
赤松利市氏は62歳のときに住所不定の無職の状態でデビュー作『藻屑蟹』を書き上げ、第1回大藪晴彦新人賞を受賞した異色の経歴の持ち主です。そんな著者の長編第1作に当たるのが本作ですが、これもまた圧倒的迫力を備えた傑作に仕上がっています。まず、物語の中心をなす漁師たちの荒々しくも陰鬱な雰囲気がリアルに描写されており、その不穏な空気感に読者は序盤からぐいぐいと引きずり込まれます。また、物語は一見、落ちぶれた漁師たちの再生の物語のように見え、その部分も確かに読み応え十分です。しかし、そこから、一転、破滅に向かって滑り落ちていく展開がこそがこの作品の肝です。人間の愚かさが赤裸々に綴られ、読む者のハートを抉り取るような衝撃があります。登場人物が多すぎてそれを消化しきれていないという難点はありますが、忘れ難い読後感を味わえる問題作であることは確かです。
鯖 (文芸書)
赤松利市
徳間書店
2018-07-21


骨を弔う(宇佐美まこと)
四国の田舎町で人骨が発見される。しかし、それはプラスチックでできた人骨標本だった。その事実を地元紙の新聞記事で知った家具職人の豊は愕然とする。小学生のときに4人の仲間と人体標本の骨を捨てにいったのだが、その場所は新聞で書かれていた発見場所とは全く異なっていたからだ。豊は自分たちが捨てたのは本物の人骨ではなかったのかという疑念に捕らわれる。そして、彼は真実を確かめるために昔の仲間たちを訪ねていくことにする。盗んだ人体標本を捨てに行こうと提案した佐藤真美子は病気で亡くなったと聞かされていたため、彼は同級生だった大澤鉄平、水野京香、田口正一、そして、近所に住んでいた琴美たちに話を聞いていくが.......。
中年になった男女が子供時代を振り返るという意味でトマス・H・クックの記憶シリーズやスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』などを彷彿とさせる作品です。一方で、それらの作品にはない陰鬱な雰囲気が物語全体を覆い、著者ならではの独自の味わいも感じさせてくれます。また、かつての仲間が集まって過去の事件を推理する展開もスリリングですが、それよりも、人生に挫折した中年男女たちの再生の物語として良くできています。真実が徐々に明らかになっていき、その真実と向き合うことで登場人物の心が前向きになっていく姿が感動的です。ダークなストーリーと爽やかな結末のコントラストが印象的な傑作。
骨を弔う
宇佐美 まこと
小学館
2018-06-28


碆霊の如き祀るもの(三津田信三)本格
断崖絶壁によって閉ざされた5つの漁村からなる強羅地方。そこには古くから伝わる「海原の首」、「物見の幻」「竹林の魔」「海蛇の怪」という4つの怪談があった。刀城言耶は祖父江偲と共に民族研究のため、強羅地方を訪れる。しかし、図らずも怪談をなぞらえるように連続殺人が発生、2人はその事件に巻き込まれていくが......。
この作品、事件が起きるのが相当遅く、前半は事件のモチーフとなる怪談話の紹介が延々と続きます。しかし、この怪談がよくできていて、これだけで短編ホラー小説として十分面白いくらいです。そして、事件が起きてからは謎、謎、謎で叩き込みます。刀城言耶シリーズでは恒例となっている事件解決直前の謎の列挙もシリーズ最高の70個。それだけの謎が推理によって一気に解けていくさまはまさに圧巻です。ただ、推理そのものはどちらかという軽量級です。シリーズの代表作で見せたような怪異をロジックでねじ伏せるといった迫力には欠けています。そのため、謎解きに期待していた人は肩すかしを喰らうかもしれません。代わりに、犯人の異様な動機はインパクト大で怪異とシンクロさせて異様な雰囲気を醸し出すことに成功しています。本格ミステリとしての部分よりもホラーテイストの味わいが読みどころとなっている佳作といえるでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門6位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門2位
宝島(真藤順丈)
戦後の沖縄。若者たちによって結成された戦果アギヤーは米軍基地に侵入して物資を略奪し、その成果をコザの人に分け与えていた。沖縄の人たちからは英雄視されていた彼らだったが、やがて、転機が訪れる。ある夜、軍に追われて散り散りになって逃げている最中に、リーダーのオンちゃんが行方不明になってしまったのだ。彼の弟、恋人、親友の3人はオンちゃんの意志を継ぐべく、それぞれの道を歩み始めるが......。
3人の主要人物を中心に沖縄の現代史を描いた群像劇です。とにかく全編パワーに満ちており、抑圧された沖縄を描きながらも、その底に流れる爽やかな明るさによって本作を一級のエンタメ作品に仕上げています。ニクソン・池田共同声明、毒ガス漏洩事件、コザ暴動といった史実との絡め方も巧みであり、一方、架空の登場人物たちも血の通ったキャラクターとしての魅力があります。かなり分厚い本であるにもかかわらず、先が気になってページをめくる手が止まりません。骨太という言葉がぴったりな傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門5位
第160回直木賞受賞
第9回山田風太郎賞受賞
宝島
真藤 順丈
講談社
2018-06-21


火のないところに煙は(芦沢央)
「神楽坂を舞台にして怪談を書きませんか」という編集部の依頼があったことで、私は自身が体験したある出来事を思い出す。それは8年前のことだった。大学時代の友人に広告代理店に勤める角田尚子という女性を紹介されたのだが、彼女は怪異に悩まされているという。事の始まりはある占い師に恋人との仲を占ってもらったところ、別れなさいと言われたことだった。占いの結果に激怒した彼は以来、人が変わったようになり、別れをほのめかす尚子に対して別れるなら死んでやると言いだすのだ。そして、彼女が電話に出なかった夜に交通事故で死んでしまう。以来、彼女の担当する広告には必ず赤黒い小さな染みが付くようになる。そして、その染みをルーペで拡大して見ると......。
実録風に綴られた6話構成の連作ホラーミステリー。背筋も凍る恐怖というわけではありませんが、淡々とした語り口の中にじんわりと浮かび上ってくるような不気味さがあります。1話1話にはっきりとしたオチを付けず、宙ぶらりんにしているのも読者の不安感を煽るという点で効果的です。しかも、推理によって解ける謎とロジックでは解き明かせない怪異を重ね合わせることで重層的なサスペンスを構築することに成功しています。最終エピソードですべてが繋がり、恐怖が増幅していく仕掛けを含め、実に巧妙な作品だといえます。著者の新境地というべき傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門10位
火のないところに煙は
芦沢 央
新潮社
2018-06-22


名探偵誕生(似鳥鶏)本格
小学4年生の僕は都市伝説として広まっていた謎の怪人「シンカイ」を見るために友人と一緒に隣町の幽霊団地を訪れていた。最初は子どもたちのちょっとした冒険に過ぎなかったが、次第に不穏の影がさしかかる。その時、僕を救ってくれたのが名探偵のお姉ちゃんだった。それ以来、僕はさまざまな事件に遭遇し、お姉ちゃんと共にその謎に挑んでいくが.....。
一人の少年が年上の女性に憧れ、彼女と共に成長していく姿を綴った切ない青春ストーリーであり、それだけでも読みごたえは十分です。しかし、本作の真価はその青春物語を本格ミステリと違和感なく融合させた技巧にあります。憧れの女性は名探偵であり、彼女を追いかけて主人公自体も名探偵の道を歩んでいく。こう書くと荒唐無稽ですが、恋慕の情を通して少年が名探偵へと育っていく姿には説得力があり、そして、成長した主人公が彼女を超えて名探偵として一人だちする瞬間は非常に感動的です。本作は5つの短編からなる連作集ですが、その白眉はやはり名探偵として一人立ちする瞬間を描いた4話、5話でしょう。密室事件を扱っており、その謎解きも見事です。本格ミステリと青春小説の面白さを高いレベルで併せ持つ希有の傑作だといえます。
名探偵誕生 (実業之日本社文庫)
似鳥 鶏
実業之日本社
2021-12-03


ファーストラヴ(島本理生)
夏の日の夕暮時に多摩川沿いを血まみれの姿で歩いていた若い女性。彼女の名前は聖山環奈。父親の勤務先である美術学校に立ち寄り、その父をあらかじめ用意していた包丁で刺殺したあとだった。やがて、環奈は父親殺しの容疑で逮捕されるが、不思議なことに彼女自身動機がわからないという。そして、ついには「動機はそちらで見つけてください」と言いだすのだった。世間の注目が集まる中、この事件に関するノンフィクションの執筆を依頼された臨床心理士の真壁由紀は真実を追い求め、環菜やその周辺の人々と面談を重ねていくが.......。
本作はミステリーの形を取りながら、家族の間で起こりうる歪みや自覚なき虐待について深く掘り下げた作品になっています。関係者の証言が食い違い、登場人物の印象が2転3転する中で次第に真実が浮かび上がっていくプロセスは読者の興味をぐいぐいと引っ張っていきます。また、後半の法廷劇なども非常にスリリングです。テーマ性とドラマ性がうまくマッチした傑作だといえるでしょう。とはいうものの、本作の主題は娯楽作品というには少々重すぎます。さらに、どこの家庭でも起こりうる身近なテーマなので、身につまされて読むのがつらくなってくる可能性もあります。そういう意味では読者を選ぶ作品です。ただ、ラストは爽やかで決して読後感は悪くはありません。それから、本作はミステリーの形は借りているものの、あくまでも一般小説に近い作品です。そのため、ミステリー的なサプライズを期待すると肩すかしを喰らう可能性があります。その点もミステリーファンにとっては評価が分かれるところかもしれません。
第159回直木賞受賞
ファーストラヴ (文春文庫)
島本 理生
文藝春秋
2020-02-05


探偵AIのリアル・ディープラーニング(早坂吝)本格
人工知能研究者の合尾創が自宅のプレハブで焼死体となって発見される。息子の輔(たすく)は父の部屋でSDカードを見つけ、パソコンで起動させたところ中から出てきたのは刑事の頭脳を持つAI・「相似」だった。輔は相似の能力を借りて父を殺した犯人を見つけようとするが、その過程で彼女はフレーム問題を起こしてしまう。そこで、相似は大量の推理小説をディープラーニングすることでその問題をクリア。こうして新たな能力を得た相似はAI探偵へとジョブチェンジを果たすのだった。
美少女AIが登場するライトノベル風のミステリーです。本格ミステリとしてだけ見るならば強引なところもあってそれほど高い点数はあげられないのですが、フレーム問題、不気味の谷、チューリングテストといった人工知能を語る際に頻出するトピックスをミステリーにうまく落とし込んでいる点がユニークです。そして、そのことによってAI探偵というキャラを立たせることに成功しており、その魅力でぐいぐいと読ませていきます。一種のキャラクター小説、あるいはライトな教養小説として秀逸な作品です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門19位
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門7位


ペンギンは空を見上げる(八重野統摩)
小学6年生の佐倉ハルは将来、NASAのエンジニアになるのが夢だった。そして、当面の目標は風船宇宙撮影を独力で行うこと。その意地っ張りな性格のために彼はクラスで孤立しており、親との関係もぎくしゃくしていた。しかし、ハルはめげることなく、目標に向かって歩み続けていく。そんなある日、彼のクラスに金髪の少女・鳴沢イリスが転校してくる。彼女はなぜかハルになつき、結局、ハルとイリス、そして唯一の友人である三好の3人で宇宙撮影に挑むことになるが.......。
ちょっと大人びた少年たちの姿が巧みに描かれている非常に瑞々しいジュナイブル作品です。平易な文章は読みやすく、少年たちの成長と友情の物語が素直に心にしみわたっていきます。しかも、この物語には秘密が隠されており、それが明らかになることによって感動が加速していくという2段ロケットのような仕掛けになっています。勘のよい人は薄々気づくかもしれません。しかし、その仕掛けこそが本作をミステリーたらしめている部分であり、主人公の成長を一層印象付けるものとして有効に作用している点が秀逸です。非常に爽やかで心温まる傑作です。


未来(湊かなえ)
父親を病気で亡くし、母親も精神に問題を抱えている10歳の章子に一通の手紙が届く。その手紙には「私は20年後のあなたです」と書かれてあった。しかも、その証拠として現在存在しない東京ドリームマウンテンの30周年記念のしおりが同封されていたのだ。その手紙には「これからつらいこともあるけれど、あなたの未来はとても暖かなものになる」と書かれてあった。しかし、それから彼女の身には不幸なことが次々と襲いかかってくる。それでも未来からの手紙を励みに、耐え続けていく章子だったが......。
イヤミスの女王といわれる著者がデビュー10周年記念と銘打って発表した作品です。そのためか、主人公に襲いかかる不幸の連鎖が尋常ではありません。いじめ、DV、性的暴力、強制AV出演とまさに不幸のバーゲンセールです。思いつく限りのものを詰め込んだという印象があり、それだけに展開がやや雑に感じます。一方で、章子の物語はどういう結末を迎えるのかが気になってページをめくる手が止まらなくなる牽引力がある点はさすがです。内容は重くても文章が読みやすいのでサクサクと読み進めていける点も美点だといえるでしょう。また、章子の不幸を別視点から語る2部構成採用していることで物語に厚みを与えることにも成功しています。不幸や大人の駄目さ加減が類型的すぎるという欠点はありますが、イヤミス好きな人にはおすすめの作品です。もっとも、謎といえるのが未来から送られてきたされる手紙ぐらいなもので、ミステリー要素はほとんどありませんが。
未来
湊 かなえ
双葉社
2018-05-19


黙過(下村敦史)
新人医師の倉敷は運び込まれた重体患者を見て肝移植をすべきだと判断する。適合する肝臓が見つかる確率は低いが、その患者を救うにはそれしか方法はなかった。だが、上司の進藤准教授はその患者を見捨てるべきだという。助かる見込みはほとんどない上に、ドナー登録をしている彼の臓器を使えば他の多くの患者が救われるからだ。葛藤する倉敷だったが、今度はその患者が忽然と姿を消してしまう。一体何が起こっているのだろうか?
命を秤にかけなければならない時に人はどうすればよいのかという、答えの出ない重い命題を突き付けた社会派ミステリーです。4つの短編からなり、どの作品も悩ましい問題を提示してくるので非常に読み応えがあります。と、ここまではよくできた佳品どまりなのですが、最後に仰天の展開がまっています。最終作で張り巡らされた伏線が一気に回収され、それまでの4つのエピソードがきれいにつながっていくさまは感動すら覚える鮮やかさです。デビュー作である『闇に香る嘘』と並ぶ著者の最高傑作だといえるでしょう。
黙過 (徳間文庫)
下村敦史
徳間書店
2020-09-04


凶犬の眼(柚月裕子)
警察上層部に牙をむいたことでマル暴刑事から田舎の駐在所に左遷された日岡。そこでの穏やかな日々に虚しさを感じていたある日、知り合いのヤクザからひとりの男を建設会社の社長だと紹介される。だが、日岡は彼が組長殺しで指名手配中の暴力団員、国光だと確信する。彼の身柄を確保して手柄を挙げれば刑事に復帰できるかもしれない。そう思う日岡だったが、その彼に対して国光は「必ずあんたに手錠を嵌めてもらうから、少し待ってくれ」と頭を下げる。男気あふれる国光と接する内に日岡は......。
前作の「孤狼の血」は日岡の先輩刑事である犬上の圧倒的な存在感が物語を牽引していました。それだけに、彼のいない本作においていかにして独自の魅力を構築するのかは大きな不安材料でした。しかし、それは全くの杞憂に終わっています。本作の主人公ともいうべき国光というヤクザがとにかく魅力的で、日岡との関係性を軸にして骨太のストーリーを展開していきます。やくざと刑事のずぶずぶの関係には賛否両論あるでしょうが、2人の立場を超えた熱い絆には読んでいてぐっとくるものがります。本シリーズは3部作という話なので完結編がどういった形になるのか非常に気になるところです。
凶犬の眼 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2020-03-24


友達以上探偵未満(麻耶雄嵩)本格
女子高生の伊賀ももと上野あおは放送部の部長から伊賀の里で行われるミステリーツアーを取材してほしいと頼まれる。そのイベント内容は参加者全員が忍者か松尾芭蕉に扮してのクイズラリー。しかし、そこで芭蕉の俳句に見立てた殺人事件が発生する。探偵志望の2人は喜び勇んで首を突っ込むが......。
作者特有のひねくれたミステリーを期待している人にはちょっとがっかりかもしれないオーソドックスな本格ミステリの連作集です。その一方で、ヒロイン2人は可愛らしく、ライトノベル風のミステリーとしてはしっかり楽しめる作品に仕上がっています。また、読者への挑戦状が付いたロジカルな謎解きも水準以上です。冒頭の『伊賀の里殺人事件』は芭蕉の俳句になぞらえた見立て連続殺人を扱っており、トリッキーな仕掛けが光る好編。続く『夢うつつ殺人事件』は夢うつつの状態でたまたま耳にした殺人計画という風変わりな設定をうまく犯人当てのロジックに落とし込んでいます。そして、3作目の『夏合宿殺人事件』は2人が探偵を目指すきっかけとなったエピソードが描かれているのですが、この探偵としての立ち位置を巡る裏話が最も作者らしい作品ではあります。そういったわけでオーソドックスな謎解きが読みたい人にとっては『伊賀の里殺人事件』が、麻耶ワールドが楽しみたいという人にとっては『夏合宿殺人事件』がベストといったところでしょうか。全体としては気軽に楽しめるライトミステリーですが、ところどころにダークな雰囲気が漂っているのはやはり麻耶作品ならではです。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門11位
友達以上探偵未満 (角川文庫)
麻耶 雄嵩
KADOKAWA
2020-11-21


悪徳の輪舞曲(中山七里)
14歳で殺人を犯し、死体配達人と呼ばれた少年は御子柴礼司と名前を変え、凄腕の悪徳弁護士になっていた。そんな彼の元に妹の梓が30年ぶりに姿を見せる。母が、再婚相手を自殺に見せかけて殺害した容疑で逮捕されたというのだ。そして、梓は母の弁護を御子柴に依頼する。果たして、過去を捨てた男は肉親の事件に対してどう立ち向かうのか。
弁護士御子柴礼司シリーズの第4弾。これまでも御子柴の過去については語られてきましたが、実際に当事者である肉親が登場するのはこれが初めてです。そして、いつもクールな彼にも心の葛藤が見え隠れし、満身創痍になって裁判を闘っていく姿が大きな読みどころとなっています。二転三転するスピーディな展開は相変わらずでエンタメとしてレベルの高い完成度を誇っています。事件の構図については勘の良い人なら途中で気付くかもしれませんが、ドラマの充実度が高いのでそうした点はあまり気にならないでしょう。発表される作品すべてが面白い希有なシリーズです。
悪徳の輪舞曲 (講談社文庫)
中山 七里
講談社
2019-11-14


虚像のアラベスク(深水黎一郎)本格
創立15周年の記念講演を予定しているバレエ団に脅迫状が届く。海外から訪れた要人が記念講演を観劇することもあり、海楚警部補が警備に当たることになった。数々の難事件を解決したことで知られる甥の芸術探偵を引き連れて稽古場を訪れたものの、その内容は危険な演目ばかりで......。
中編2本からなる本作は最初の「ドンキホーテ・アラベスク」がかなりの難物です。とにかく、バレエについての専門知識が延々と語られるので読み進めるのに骨が折れます。また、芸術に関するペダントリーの洪水はヴァン・ダインの作品を連想させるものがあります。しかし、ヴァン・ダインのそれが一種のハッタリに過ぎなかったのに対して、本作のペダントリーはすべてもう一つの中編である「グラン・パ・ド・ドゥ」の伏線となっているところがすごいところです。さまざまなアイディアを形にしてきた著者の作品の中でもこれは屈指の出来だといえるでしょう。一見バカミスを装っているものの、ミステリーの仕掛けとしては極めて高度なことを行っています。蘊蓄の羅列に挫折しそうになる人もいるかもしれませんが、それを乗り越えて読み進める価値のある傑作です。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門17位
虚像のアラベスク
深水 黎一郎
KADOKAWA
2018-03-02


それまでの明日(原尞)
私立探偵の沢崎の事務所に大手消費者金融の支店長を名乗る男が訪ねてきた。彼は赤坂の料亭で女将をしている女の身辺調査をしてほしいと言うが、奇妙なことにその女はすでに亡くなっていた。不審に思った沢崎は依頼人の勤めている消費者金融を訪れる、しかし、そこで彼は強盗事件に巻き込まれてしまう。さらに、事件を通して知り合った若者からは、沢崎が彼の父親である可能性があると指摘され.....。
かつての沢崎シリーズ作品にはチャンドラー風のハードボイルドの味わいと巧みなプロットによる謎解きの面白さが融合しており、それが大きな魅力になっていました。しかし、前作の「愚か者死すべし」辺りから謎解きの要素は大きく後退し、一人称の語りによって人間関係の機微を浮かび上がらせていくという、よりハードボイルドなスタイルに特化していきます。本作でも意図不明の調査依頼や依頼人の失踪といった面白くなりそうな謎は散見するものの、それらはあっさりと流されて物語を牽引する力とはなっていません。その代わり、沢崎の息子かもと思わせる人物が登場したりと、主人公の人間関係や生き様を掘り下げる描写に多くのページが費やされているのです。また、事件そのものよりも事件の背景となっている東京という街の描写に力を入れているようにも見えます。ミステリーとして読むと肩すかしをくらうでしょうが、その反面、ハードボイルドとしての味わいはこれまで以上に深みを増しています。ミステリーファンよりも生粋のハードボイルド好きにおすすめの作品だといえるでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門1位
それまでの明日 沢崎 (ハヤカワ文庫JA)
原 りょう
早川書房
2020-09-03


月の炎(板倉俊之)
皆既日食が起きた時から小学5年生の弦太の周りで不審な出来事が起こりだす。学校で飼っているウサギが忽然と消え、その世話をしていた同級生の茜の家が全焼したのだ。消防士として殉職した父親譲りの正義感を持つ弦太は少年探偵団を結成して真相究明に向けての冒険を始めるが......。
奇を衒うことのないオーソドックスな昭和テイストのジュブナイルといった作品です。子どもたちが生き生きと描かれ、小学生ならでは真摯な正義感に心が揺さぶられます。その一方で、日食と事件の真相を上手くリンクさせたプロットも見事です。ただ、子どもなのに知恵が働き過ぎると思う場面もありますが、まあ、その辺りが気になるかどうかは好みの問題でしょう。ちなみに、作者はお笑い芸人の板倉俊之氏です。しかし、キャラクター造形のうまさといい、雰囲気作りの巧みさといい、余技でやっているとは思えないうまさを感じます。
月の炎
板倉 俊之
新潮社
2018-02-22


熟れた月(宇佐美まこと)
余命半年と宣告された闇金のマキ子、落ちぶれた取り立て屋の乾、体が不自由で生まれてからずっと車椅子の生活を続けている博。そして、陸上部のエースである阿久津先輩に憧れ、殺人事件の加害者である彼の母から「ウーピーパーピーの木の下に埋めた」という謎の言葉を託された結。それぞれバラバラの人生を送っていたと思われた人々だったが......。
一見無関係な登場人物たちのエピソードが並行して語られ、それらがやがて一つの線で結ばれていくという構成の群像劇です。伏線が回収され、それぞれの関係が明らかになっていくプロットも見事なのですが、何より素晴らしいのは登場人物の繋がりが判明すると同時に、今まで見えていた風景ががらりと反転する仕掛けです。この仕掛けによって物語がよりドラマチックに演出され、同時にミステリーとしての快感も味わえるようになっています。登場人物がもれなく不幸のドン底にいるため、読んでいる間はかなり重たい気分になりますが、それだけに世界が反転したのちの光射す展開には心打たれるものがあります。純粋なミステリーではなく、ファンタジー要素がある点は賛否が分かれるところかもしれません。しかし、いずれにしても、終盤おける怒涛の展開は圧巻で、本を読む快感を存分に味あわせてくれます。
熟れた月 (光文社文庫 う 23-1)
宇佐美まこと
光文社
2022-01-12


雪の階(奥泉光)
昭和10年秋。伯爵令嬢の椎佐子は親友の寿子が富士の樹海で死体となって発見されたという知らせを聞く。現場の状況から陸軍青年将校との心中だと判断されたとのことだ。しかし、現場には不自然な点があり、しかも椎佐子は彼女から仙台消印のハガキを受け取っていた。富士の樹海で心中する人間がその前日に仙台を訪れるのはあまりにも不自然だった。この事件には裏があると考えた椎佐子は幼馴染の新人新聞記者、牧村千代子に事件の調査を依頼する。
奥泉作品にありがちないつもの闇鍋仕様に比べると本作は格調高い文芸ミステリーといった趣があり、内容的には脱線も少なくすっきりした仕上がりになっています。ただ、そうは言っても、本作はただ単に心中事件の謎を追うだけの単純な物語でもありません。国際謀略あり、政治闘争あり、陸軍クーデターの描写ありと重層的なプロットになっており、その中で虚構と史実を巧みに交差させる手管が実に見事です。結果、本作は時代の空気を感じさせるリアリティとケレン味たっぷりの虚構性が両立した濃密なドラマを堪能できる作品に仕上がっています。また、登場人物も皆魅力的で、特に、お転婆で男社会の中で偏見に負けずに奮闘する千代子や深窓の令嬢でありながら数学や囲碁が得意で時に周囲が驚くような大胆な行動に出る椎佐子など、個性豊かな女性描写には目を引くものがあります。作品としての奥行きが感じられ、非常に読み応えのある傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門7位
雪の階(上) (中公文庫)
奥泉 光
中央公論新社
2020-12-23


蒼き山嶺(馳星周)
元山岳救助隊員の得丸志郎は現在、北アルプス地区山岳遭難救助隊を務めている。そんな彼が雪の残る早春の白馬岳で公安刑事の池谷と再会する。2人は大学の山岳部で苦楽を共にした仲だった。山頂までの案内を頼まれた得丸が麓に電話を入れると、警察に追われている公安刑事がいるという話を聞かされる。逃げる池谷を助ける羽目になった得丸だったが、しかし、彼らを追っているのは警察だけではなかった......。
山岳を舞台にした傑作小説は数多くありますが、本書もそんな作品の一つです。自然の猛威に立ち向かう苦しさが肌に染みて感じられ、敵に追われながらの登山行が手に汗握ります。主役2人に加えてもう一人、死んだ親友の妹も登場し、それぞれのキャラクターも魅力的です。サスペンス満載で非常に読み応えのあるエンタメ作品だといえます。それだけに、ラストがあっけない点が少々物足りなく感じるところではありますが。
2019年度このミステリーがすごい!国内部門18位
蒼き山嶺 (光文社文庫)
馳 星周
光文社
2020-12-09


少女を殺す100の方法(白井智之)本格
名門女子中学校の校長室に一人の教師が血相を変えて飛び込んできた。鍵のかかった教室で20人の生徒が死んでいるというのだ。それを聞いた教頭は事件の真相を学校の都合のよい方向に塗り替えるために警察よりも先に犯人を捕らえようとするが........。少女20人死をテーマにした全5編の短編集。
陰惨な鬼畜ミステリーを得意とする著者による初めての作品集です。短編だけあって夾雑物の含まれていない、より純度の高い鬼畜ワールドが展開されています。これを読むとデビュー作の『人の顔は食べずらい』などはまだまだ生ぬるかったことが分かります。しかも、あまりのグロさにドン引きしているとそんな描写の中に伏線が紛れ込んでいたりするので油断ができません。単なる残酷趣味の小説ではなく、最後にはロジカルに謎が解き明かされ、鬼畜設定とトリックが密接につながっていることが判明する点が秀逸です。ただし、第一話の『少女教室』はまだ軽い方で回を追うごとにグロさもヒートアップするため、この手のジャンルに耐性のない人は体調を十分整えてからチャレンジすることをおすすめします。
2019年度本格ミステリベスト10 国内部門8位
少女を殺す100の方法 (光文社文庫)
白井 智之
光文社
2020-12-09


風神の手(道尾秀介)
15歳の歩美は母と共に遺影専門の写真館「鏡影館」に訪れた。余命いくばくもない母・奈津美の遺影を撮影するためだ。ところが、店内に飾ってある1枚の写真を見て奈津美の顔色が変わる。彼女の頭の中を27年前の出来事がよぎった。それは高校2年の奈津美と漁師の青年との恋と別れの物語だった。
本書では女子高生の淡い初恋、小学生の友情物語、建設会社の会長である老女の告白といった具合に、一見全く関連のなさそうな3つのエピソードが語られます。ところが、ストーリーを読み進めている内にそれぞれのエピソードが他のエピソードに影響を与え合いながら全体で大きな一つの物語を形作っていたことに気づかされるのです。要は風が吹けば桶屋がもうかる的な話なのですが、それぞれのエピソードの絡ませ方が実に巧みで「そうつながるのか!」と驚かされる箇所が随所にあります。そして、最後に伏線がすべて回収されて大団円にいたる展開には心地よさすら感じます。内容的にあまりミステリーという感じではないのですが、ミステリーのテクニックを駆使して描かれた文学作品として高く評価できる傑作です。
風神の手 (朝日文庫)
道尾 秀介
朝日新聞出版
2021-01-07


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最新更新日2019/11/28☆☆☆

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本格ミステリの要素が強い作品はタイトル(作者)の右側に本格と記しています
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazonの通販ページにリンクします


償いの雪が降る(アレン・エスケンス)
ジョーはミネソタ大の
苦学生。授業の課題で身の回りの人物の伝記を執筆しなければならないのだが、彼には話を聞けそうな祖父母や親戚はいない。そこで、老人ホームにいって誰かをインタビューさせてもらえないだろうかと頼んだところ、紹介されたのが30年以上前に少女レイプ殺人の容疑で逮捕された老人だった。彼は服役中の身だったが、末期癌に犯されてこの施設に移されたのだ。だが、カールにインタビューをしてみると、どうしても人を殺すような人間には思えなかった。そこで、ジョーは過去の裁判の記録を調べていくが、次第にこれは冤罪ではないかと思うようになり.......。
エドガー賞やアンソニー賞で最終候補に残った作品です。まず、この作品の魅力の一つは主人公の造形でしょう。恵まれない環境の中でも腐らずに自分の道を進み続ける彼の姿を見ていると思わず応援をしたくなります。また、好奇心旺盛で腕っぷしも立つというキャラ設定が、うまく物語の中で機能しています。そして、何より謎解きのプロセスが秀逸です。気になる謎が次々と出てきて読者の興味を引き寄せ、わくわくする謎解きへとうまくつなげていきます。老人の死が迫っていることでタイムリミットものとしての緊張感を演出している点がうまく、後半になると急転直下の展開になるものまた見事です。ミステリーとしての目新しさはないものの、細部までよく考え抜かれた極めて完成度の高い傑作です。

2020年度本格ミステリベスト10 海外部門13位
償いの雪が降る (創元推理文庫)
アレン・エスケンス
東京創元社
2018-12-20


ピクニック・アット・ハンギングロック(ジョーン・リンジー)
1900年のオーストラリア。寄宿女学院アップルヤードの生徒たちはピクニックを楽しむためにハンギングロックの麓に馬車で向かう。ところが、ピクニック場に到着した途端、異変が起きる。岩山を登っていた少女4人の内の3人が忽然と姿を消し、離れた場所で本を読んでいたはずの教師もいつの間にか行方知れずになっていたのだ。残された一向は辺りを探すが、彼女たちの姿は見つからなかった。その後、警察を動員して山狩りが行われるも手掛かりはまったく得られず.......。
◆◆◆◆◆◆
本作は1975年にオーストラリアで大ヒットした同名映画の原作です。当初は、実話に基づた作品だと喧伝されていましたが、現在では完全な創作であることが判明しています。幻想的な映像の美しさによって現在でもカルト的な人気を誇っている映画の原作だけあって、透明感のある文章で綴られたミステリアスな物語には引き込まれるものがあります。ただ、結局何も解決しないまま終局を迎えるため、謎解きを期待していた人は肩透かしを食らうことになるでしょう。あくまでも幻惑的な雰囲気を楽しむための作品です。


モリアーティ秘録(キム・ニューマン)
ロンドンの大銀行の金庫に預けられていた回想録。それはジャワキ戦役の英雄であり、同時に犯罪王モリアーティの右腕として知られているモラン大佐の手によるものだった。そこには犯罪商会の首魁としてモリアーティがどのような悪事に加担してきたのかがつぶさに書かれてあった。歌姫アイリーン・アドラーの陰謀、魔犬が出没する地での連続怪死事件、モリアーティとホームズの対決の裏舞台などなど、犯罪王の真の姿が今、白日のもとに!
シャーロック・ホームズの宿敵として有名なモリアーティ教授に焦点を当てたパスティーッシュ作品です。原典では出番が少なく、ステレオタイプの悪役といった印象しかなかったモリアーティ教授をカリスマ性と小物っぽさを併せ持つ魅力的なキャラクターとして再構築している点が見事です。また、粗暴なイメージだったモラン大佐も原典を下敷きにしながらも、憎めない人物として描いているところに著者の登場人物に対する愛情が感じられます。その他にも、ホームズシリーズの意外な人物が意外な場面で登場し、元ネタを知っている人ならニヤリとできるシーンが満載です。とにかく、全編が著者のサービス精神にあふれており、ホームズ好きの人にはたまらない作品に仕上がっています。その代わり、登場人物がかなり多く、ホームズシリーズを読んでいることを前提にしたネタも少なくないため、原典を知らなければ途中で混乱することにもなりかねません。できれば、最低でもサブタイトルの元ネタである『緋色の研究』『赤毛連盟』『バスカヴィル家の犬』『六つのナポレオン』『ギリシア語通訳』『最後の事件』の6作品を読んでからチャレンジすることをおすすめします。
モリアーティ秘録〈上〉 (創元推理文庫)
キム・ニューマン
東京創元社
2018-12-12


大統領失踪(ビル・クリントン/ジェーム・パタースン)
アメリカ大統領のダンカンはテロ組織”ジハードの息子たち”と裏取引をしたのではないかという疑惑をかけられていた。彼を含めたごく一部の人間しか知りえない情報が漏えいしていたからだ。しかも、ジハードの息子たちはウィルス攻撃を仕掛けてくる。彼らの目的はアメリカ政府の保有するファイルを無効化することだ。そんなことになれば、アメリカの行政機関はすべて麻痺し、大混乱に陥るだろう。なんとか阻止をしなければならないが、疑惑を持たれた状態では身動きが取れない。ダンカンはテロリストの野望を食い止めるべく、自ら姿を消すが......。
作者は元アメリカ大統領のビル・クリントン。経験者だけあって細かいやり取りなどはリアリティに満ちており、他の作家では味わうことのできない臨場感を醸し出しています。それでいて、小難しい話などはなく、エンターテイメントに徹しているため、読み応えのある痛快娯楽スリラーに仕上がっています。緩急の付け方も堂に入っており、とてもこれがデビュー作とは思えないほどです。その辺りはパタースンの指導のたまものでしょうか。とにかく、エンタメ小説としては非常に完成度の高い作品です。ただ、その反面、ロシアを悪役にし、最後はアメリカ万歳という展開はいささか古臭さを感じないでもありません。元大統領の作品だけに世界情勢の複雑さをもう少し掘り下げて描いてほしかった気もします。
大統領失踪 上 (ハヤカワ文庫NV)
ジェイムズ パタースン
早川書房
2020-12-03


ブルーバード、ブルーバード(アィティカ・ロック)
黒人テキサスレンジャーのダレン・マシューズは停職中の身だった。そんな彼に友人であるFBI職員から連絡が入る。ハイウェイ沿いの田舎町ラークで起きた2つの殺人事件を調べてほしいというのだ。最初に起きた事件の被害者が都会からきた黒人弁護士で2番目の被害者が地元の白人女性だという。ダレンはその話を聞いて違和感を覚える。南部の田舎町でよくあるパターンはまず白人が被害にあい、その報復行為として黒人が殺されるという流れだからだ。ちなみに、その報復行為の多くは白人至上主義を唱えるABTによって行われている。ABTは悪名高いKKKを超える過激な集団であり、しかもその実態は麻薬密売組織だ。今回の事件にもABTの影があることを知ったダレンは地元保安官には任せておけないと、単身ラークに向かうが.....。
CWAシルバーダガー賞他、主要3賞を受賞した本作は黒人差別をメインテーマとしたミステリーです。作者は黒人女性であり、それだけに南部における白人からの差別に対する恐怖心や警戒心がリアリティ豊かに描き出されています。しかも、そうした現実がありながらもアメリカ南部に対してどうしようもなく愛着を持ってしまう主人公のアンビバレンスな心理描写が秀逸です。単純なハッピーエンドとはならない印象深いラストといいい、アメリカの今を知るには格好のテキストといえるでしょう。一方で、そうした現実をきっちりと描くために前半のテンポが相当遅いのは日本人読者にとってはつらいところです。また、ミステリーとして特に驚きの展開がない点に物足りなさを覚える人がいるかもしれません。作中に込められたテーマ性にピンとくるかどうかで評価の分かれる作品だといえるでしょう。
2020年度このミステリーがすごい!海外部門12位


ブラック・スクリーム(ジェフリー・ディーヴァー)
9歳の少女が、大人の男性が路上で拉致されるのを目撃する。やがて、苦痛に満ちたうめき声をサンプリングした音楽をバックに、瀕死の男の姿がネットにアップされる。リンカーン・ライムはわずかな証拠から監禁場所を割り出すが、犯人はすでに国外逃亡したあとだった。そして、国外での新たな事件の発生にライムたちはナポリに飛ぶ。そこで、イタリアの捜査陣と合流し、共に事件の謎を追うが......。
リンカーン・ライムシリーズの第13弾。作曲家と名乗る犯人のイカれ具合が際立っており、歴代の犯人に負けないインパクトがあります。また、新たにライムとチームを組むイタリアの刑事たちもキャラが立っていて序盤の展開は申し分なしです。また、難民問題を絡めた社会派的な一面もなかなか興味深いものがあります。ただ、事件の展開そのものはいつもよりも地味でどんでん返しの切れ味も今一つなのが残念でした。単体の作品としては十分に楽しめる出来ではあるものの、シリーズの平均値と比べるとやや物足りない作品だといえるのではないでしょうか。
ブラック・スクリーム
ジェフリー ディーヴァー
文藝春秋
2018-10-19


カササギ殺人事件(アンソニー・ホロビッツ)本格
舞台は1955年のイギリスの片田舎。准男爵の屋敷で家政婦が階段から落ちて転落死する。屋敷は内側から鍵がかけられ、彼女以外は誰もいなかった。状況から判断して事故であることは間違いない。それにもかかわらず、本当は殺されたのではないかという噂が村に流れる。
その家政婦が多くの人の秘密を握っていたためだ。しばらくして、家政婦を雇っていた主人が亡くなる。今度は間違いなく殺人だった。そして、ついにこの事件の謎を解くべく、名探偵として名高い、アティカス・ピュントが村にやってくる。以上が、人気ミステリー作家のアラン・コンウェイが、名探偵ピュントシリーズの第9弾として書き上げた『カササギ殺人事件』の冒頭部分の内容だ。編集者のスーザンはその原稿を夢中で読んでいたが、結末部分がないことに気が付いて憤慨する。しかたなく、自分で『カササギ殺人事件』の真相を解いてみようと、彼女なりの推理を試みるが......。
本作はアガサ・クリスティの優れたパスティーッシュです。上巻はまるごとアランの書いたミステリーを作中作として組み込み、古き良き時代の探偵小説がじっくりと楽しめるようになっています。葬儀から始まる物語、村人の誰もが何か秘密を抱えているような不穏な空気、名探偵の思わせぶりなセリフなど、ディテールはクリスティそのものです。その上、高品質なので古典ミステリーのファンなら夢中になること請け合いです。しかも、下巻に入ると舞台が現実に戻り、いかにも現代的なテンポの良いミステリーへと変換する、そのコントラストが見事です。そして、作中作と現実の事件の謎の相乗効果によって、読者を物語の中へとぐいぐいと引きずりこんでいきます。その上、終盤の怒涛の伏線回収とそれに伴う真相解明はカタルシス満点です。古典ミステリーとしても現代ミステリーとしても超一級という、なんとも贅沢な傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門1位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門1位
カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2018-09-28


任務の終わり(スティーヴン・キング)
メルセデス・ベンツが群衆の中に突っ込み、多くの死傷者を出した事件からすでに6年が過ぎていた。だが、その事件はまだ終わりではなかった。生き残りはしたものの重篤な後遺症を負った娘を殺し、母親も自殺するという事件が起きる。だが、探偵会社を営む退職刑事のホッジズはその一件に言い知れぬ違和感を抱くのだった。調べてみると、他にも同様の心中事件が発生していることが判明する。6年前の事件との関連性が疑われたが、犯人であるブレディは再起不能の重傷を負い、他人との意思疎通を交わすのも困難な状態にあった。
本作はホラー小説の帝王・スティーヴン・キングが初めて挑戦した本格的なミステリー小説のシリーズであり、『ミスター・メルセデス』『ファインターズ・キーパーズ』に続く3部作の完結編です。回りくどい話が多いいつものキング節は控えめでテンポよく話は進んでいきます。最後もきれに終わり、すっきりとした結末を迎えます。それだけに、濃密なキング節を堪能したいと思っているファンにとっては物足りなさを感じてしまうかもしれません。逆に、ミステリーファンの読者は完結編でサイコサスペンスから超常現象系ホラーにシフトした点に不満を抱く可能性があります。それでも、巨匠といわれるだけあって、凡百な作家では到達しえない魅力に満ちた作品であることは確かです。上記のような不満はあくまでも、キングに求めるレベルが高いが故のものなのです。
任務の終わり 上 (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2021-02-09


ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ(A・J・フィン)
アナ・フィックスは児童精神分析医だったが、広場恐怖症を発症して外に出られなくなってしまう。広い場所に出るとパニック症状を引き起こしてしまうのだ。現在は夫や子供とも離れ、一人でニューヨークの屋敷で暮らしていた。彼女の孤独を慰めるものはクラシック映画と高性能カメラによるご近所ウォッチングだけだった。だが、ある日、アナは隣家の主婦がナイフで刺され、血まみれになっている姿を目撃してしまう。しかも、酒びたりになっている彼女の証言を警察は信じようとしない。孤立無援のアナは.......。
作中で多くの名作映画を紹介し、しかも本編の物語もヒチコックのサスペンス映画などを意識した作りになっています。クラシック映画が好きの人にとってはたまらない作品だといえるでしょう。悪く言えば映画の名シーンの寄せ集めなのですが、流用ネタの組み合わせが巧みなので、古臭さを感じさせない一級のサスペンスミステリーに仕上がっているのです。また、人物描写が巧みでテンポもよく、物語にぐいぐいと引き寄せられていきます。ただ、始まってしばらくは広場恐怖症を患った女性を主人公にした一般小説のような展開が続くので、その辺りを退屈だと感じる人はいるのではないでしょうか。ちなみに、本作はジョー・ライト監督での映画化も決まっており、そちらの方も楽しみです。
兄弟の血ー熊と踊れⅡ-(アンデシュ・ルーストン)
連続銀行強盗の罪で投獄されていたトゥヴィニャック三兄弟の長男・レオが刑期を終えて出てきた。しかも、彼は獄中で共通の敵を持つもう一人の長男・トムと出会い、復讐計画を練っていたのだ。一方、先に出所していた弟たちは真っ当な仕事に就き、父もレオに変わるように説得を続ける。だが、檻の中で練り続けていた計画はついに始動する。果たしてレオのいう「存在しないものを奪い返す」とは何を意味するのか?
日本でも高い評価を得、このミスでランキング1位を記録したスウェーデンのクライムノベル・『熊と踊れ』の続編。しかも、本作は前作よりもスケールが大きく、スリルも満点です。特に、レオの真の狙いが判明するシーンはかなり驚かされます。ただ、実際の事件をベースにしていた前作に対して本作は完全なフィクションであるため、どこか絵空事である感じがするのは否めません。これが単独の作品なら問題はなかったのですが、前作のリアリティに満ちたヒリヒリした感覚を知っているだけに、それと比べるとどうしても作りものに見えてしまうのです。また、下巻になれば一気に盛り上がるものの、上巻がいささか冗長で読者側が忍耐を要求される点も難点だといえるでしょう。いずれにせよ、続編が必要だったかどうかでかなり意見が分かれそうな作品です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門14位
兄弟の血―熊と踊れII 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンデシュ ルースルンド
早川書房
2018-09-19


あやかしの裏通り(ポール・アルテ)
本格
ロンドンには霧の中で姿を現し、再び消えていく「あやかしの裏通り」があるという。そして、その裏通りを目撃した者はときとしてその通りに飲み込まれ、行方知れずになるというのだ。外交官のラルフもその目撃者の一人だ。彼はある夜、名探偵と名高い旧友のオーウェン・バーンズの家に駆け込んできた。彼の話によると、忽然と現れた現れたあやかしの裏通りで殺人を目撃して逃げ帰ったというのだが........。
ポール・アルテ8年ぶりの翻訳本。以前はツイスト博士が探偵役を務める90代の作品が中心に紹介されていましたが、本作はバーンズが探偵役を務める2005年の作品です。とはいえ、彼の作風は基本的には何も変わっていません。やはり、およそこの世の出来事とは思えないような奇怪な事件が起きるという展開には引き込まれるものがあります。その一方で、トリックが小粒なのもあいかわらずです。スケールの大きな謎に対して奇想天外なトリックを期待すると脱力してしまうことになるでしょう。それでも、謎の扱い方には過去のアルテ作品に比べて大きな進歩が見られます。謎自体がミスディレクションになっており、真相をうまく覆い隠しているのです。この辺りのプロット作りのうまさはクリスティを彷彿とさせるものがあります。探偵の魅力では過去のツイスト博士シリーズの方が上かもしれませんが、本格ミステリとしては格段に完成度が高まった力作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門6位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門2位


元年春之祭(陸秋槎)本格
紀元前100年。前漢の7代皇帝武帝が中国を統治していた時代。地方の名家である観家では春の祭儀の準備が行われていた。そんな折り、長安の有力豪族の娘である於陵葵が訪ねてくる。その応対をしたのは
観家の三女・露申だったが、2人はまるで古くからの友人のようにすぐに打ち解けていった。やがて、露申は葵に4年前に起きた殺人事件について話し始める。それは雪の夜に前当主の一家4人が惨殺されるという無残な事件だった。その話を聞いた葵は持ち前の才気を発揮していろいろな推理を披露してみせる。しかし、その後、新たな事件が起き、観家の関係者が次々と死んでいく。現当主の無逸は事態の終息を図るため、露申に真相を突き止めてほしいと依頼するが、彼女が犯人だと名指ししたのはなんと無逸自身だった......。
古代中国を舞台にさまざまな推理が飛び交う多重解決ものを構築し、その中に2度も読者への挑戦状を挟みこむという実に稚気に富んだ作品です。ちなみに、作者が影響を受けたミステリー作家として麻耶雄嵩と三津田信三の名前を挙げており、それを聞けばこのような作品になったのも納得という感じです。しかも、彼が影響を受けたのはそれだけにとどまらず、キャラ造形や主役2人の百合的な関係性など、日本のアニメからのインスパイアが随所に見受けられます。さらに、古代中国に関する衒学趣味がこれでもかというほどに積み重ねられ、あからさまに自分の好きなものをすべて詰め込みましたといった印象の作品に仕上がっているのです。そのため、決してまとまりのよい作品とはいえませんし、読みやすくもありません。特に、膨大な蘊蓄の洪水は興味がなければ頭が痛くなってくるような代物です。その一方で、この作品に対する作者の熱量は大変なものがあり、波長が合えば、物語に引きずり込まれそうな牽引力に満ちています。また、ミステリー的にはホワイダニットとしてのプロットが秀逸です。前代未聞の異常な動機が用意されているのですが、それを納得させるために巧みに伏線を張りめぐらせているのが見事です。去年の『13・67』といい、今後の中華ミステリーからは目が離せません。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門4位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門3位


数字を一つ思い浮かべろ(ジョン・ヴァードン)本格
退職した元刑事ガーニーの元に古い友人が訪ねてくる。彼の話によると、ある日、「1000までの数字を一つ思い浮かべろ」と書かれた手紙が送られてきたという。そして、同封していた手紙を開けると自分が思い浮かべた数字が書かれていたというのだ。その後も、脅迫状めいた手紙が続けさまに送られてきたため、怖くなって相談をしに来たということだった。だが、彼はやがて殺されてしまう。しかも、犯人のものと思われる雪の足跡は森の途中でぷつりと途切れていた。犯人は魔術師だとでもいうのだろうか?
本作はいかにも現代アメリカの警察小説といった雰囲気で進行していきますが、扱っている事件はクラッシックミステリーの香りに満ちているというちょっと珍しいタイプの作品です。しかも、両者の要素がうまくかみ合っており、面白さを増幅させることに成功しています。ストーリーはテンポよく、次々と浮かび上がってくる謎にわくわくします。キャラクターも魅力的で物語の合間に挿入される自然描写も見事です。その上、主人公の過去や妻との関係性も物語の良いアクセントになっています。全体的にかなり魅力的な作品です。ただ、ミステリーを読み慣れている人にとってはトリックの見当はつきやすいかもしれません。それに、トリックが分かった時点で犯人の目星がついてしまうのもネックです。もう少しトリックを練り込めば大傑作になりえた惜しい作品だといえるでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門9位
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門4位
数字を一つ思い浮かべろ (文春文庫)
ジョン ヴァードン
文藝春秋
2018-09-04


監禁面接(ピエール・ルメトール)
57歳のアランはある企業の元人事部長だ。だが、4年前にリストラされ、職を失う。以来、アルバイトをしながら再就職活動を続けているが、年齢的なこともあってなかなか採用を決められないでいた。そんなある日、突然、チャンスが巡ってくる。エントリーしていた大企業の最終試験に残ったという報せが届いたのだ。ところが、その試験内容というのがとんでもないものだった。その会社の重役会議を襲撃しろという。重役たちの危機管理能力と最終候補者の適性を同時に試すというのだ。その気になったアランは仲間たちを総動員し、テロリスト集団を装って重役たちを監禁するが......。
本作は再就職サスペンスとでもいうべき作品で、アランの再就職活動を描いた「そのまえ」、重役会議を襲撃する「そのとき」、物語の結末を描いた「そのあと」の3部構成になっています。その内、「そのまえ」は話が重く、状況説明に終始しているため、読み進めるのに忍耐が必要かもしれません。しかし、「そのとき」が始まると語り手が代わり、怒涛の展開が始まります。状況がめまぐるしく変わっていくため、先が気になってページをめくる手が止まらなくなってしまうのです。そして、読み進めるほどに物語は予想外の方向に転がっていきます。リアリティを無視した無茶な設定なのですが、それが気にならないほどに夢中にしてくれる点はさすがルメートルです。また、ルメートルといえば強烈なエログロですが、今回はそういった要素はほとんどありません。そのため、エログロが苦手な人にもおすすめです。ただ、自己中心的で短絡的な主人公は感情移入が難しく、その点は賛否がわかれるところでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門8位
監禁面接 (文春文庫 ル 6-6)
ピエール・ルメートル
文藝春秋
2021-01-04


ローズ・アンダーファイア(エリザベス・ウェイン)
ローズは18歳ながらナチスと戦うためにイギリスにやってきたアメリカ人だ。彼女が所属しているのは補助航空部隊であり、軍用機を作るための資材を運ぶのが主な任務だった。戦時下であるとはいえ、ナチスは連合軍の反撃によって戦線を後退させており、日々は比較的穏やかに過ぎていく。ところが、1944年9月に彼女はナチスに捕らえられ、捕虜にされてしまう。収容所に入れられたローズは飢えや寒さに苦しめられながらも、そこで出会った仲間たちと日々を生き抜いていった。そして、彼女たちは脱獄を決行する。その意外な方法とは?
本作は2017年に日本で発売されて好評を博した『コードネーム・ヴェリティ』の姉妹編です。とはいっても、ストーリー的なつながりはなく、共通しているのはナチスの捕虜にされた少女を主人公にしているところと世界観を共有しているという点だけです。したがって、前作を知らなければ楽しめないというわけではないので、未読の人も心配は不要です。また、前作はミステリー小説らしくプロットに大きなひねりが加えられていましたが、本作はどちらかというとストレートな冒険小説に仕上がっています。そして、クライマックスといえるのが収容所からの脱出シーンでしょう。しかし、それ以上に、本作は人間ドラマとしてよくできています。収容所での過酷な日々は読んでいると胸が痛くなるほど悲惨なものですが、その中でもユーモアを忘れず、力強く生き抜く姿には感動を覚えます。さらに、ローズは生きる糧として詩作を続けており、その詩をストーリーに組み込んでいくことで物語を豊かにしていく作者の手腕が見事です。ちなみに、戦争は終わっても物語は続き、ローズは新たな試練に立ち向かっていきます。そのパートも含め、豊饒なドラマを堪能することができる傑作です。
ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)
エリザベス・ウェイン
東京創元社
2018-08-30


暗殺者の潜入(マーク・グリーニ)
超一流の暗殺者グレイマン(目につかない男)ことジェントリーはパリの自由シリア亡命連合からの仕事を請け負う。依頼内容はシリアの独裁者アフメド・アル=アッザムの愛人であるビアンカ・メディアの拉致。彼女の口から機密情報を公表させ、政権打倒につなげるというのが依頼者側の狙いだ。謎の敵の襲撃を受けながらも、ジェントリーはパリに滞在していたビアンカの拉致に成功するが、彼女は亡命組織への協力を拒否する。彼女がアフメドを裏切れば、シリアに残してきた幼い息子・ジャマルの命が危険に晒されるからだ。そこで、ジェントリーは傭兵に扮してシリアに潜入し、ジャマルの救出を試みるが.......。
暗殺者グレイマンシリーズの第7弾。お人好しで浪花節全開のジェントリーが孤軍奮戦するかっこよさは相変わらずで、アクションまたアクションの連続に目の離せない面白さを堪能することができます。特に、シリアに入ってからのド迫力の戦闘はまさに圧巻です。また、物語の背景には複雑なシリア情勢があるのですが、それを整理して説明をしてくれるため、現在のシリアを学ぶ意味でも好著となっています。ただ、主人公が青臭かったり、無敵すぎたりする点は好みが分かれるところです。それでも、最後にはカタルシスを得られる展開は爽快で、頭をからっぽにして楽しみたいという人にはうってつけの作品だといえるでしょう。
暗殺者の潜入〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2018-08-21


通過者(ジャン・クリストフ・グランデ)
霧の深いある夜、フランスの都市ボルドーの駅で記憶喪失のホームレスが保護された。精神科医のマティアス・フレールは彼の治療に当たこになる。一方、女性警部のアナイス・シャトレはホームレスが保護された駅から死体が発見されたという報せを受ける。しかも、その死体は異様な状態だった。頭部が切断された牛の生首の中に被害者の頭が突っ込まれていたのだ。死因は純度の高いヘロインの投与。その上、体内からは大量の血液が抜かれていることも判明する。シャトレ警部は保護されたホームレスとの関連を疑い、彼に関する情報の提供をフレールに求める。だが、彼は患者の保護を第一に考え、それを拒否。やがて、記憶喪失の男は家族の元に返されるが、それが新たなる惨劇の始まりだった。
著者はジャン・レノ主演の映画で有名になった『クリムゾン・リバー』の原作者であり、本国フランスではベストセラー作家として知られています。主に、猟奇殺人を扱ったサスペンススリラーを得意としており、緻密なプロットを構築して読者を作品世界に引きずり込む手腕は一流です。そして、本作ではその作風がさらにパワーアップしています。軽く2ケタを超える人間が殺され、犠牲者が増えるたびに謎が深まっていく物語はひどくスリリングです。まるで、自分が悪夢の中をさ迷っている気分になりながらもページをめくる手が止まらなくなってしまいます。かなりの長さの大作ですが、少しもダレることなくラストまで全力疾走を続けるストーリーテラーぶりはさすがだという他ありません。冷静になって考えると気になる粗もないではありませんが、圧倒的なリーダビリティの前ではそのようなことは些細な問題だと思えるほどの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門17位
通過者 (BLOOM COLLECTION)
ジャン=クリストフ・グランジェ
TAC出版
2018-08-18


悪の猿(J・D・バーガー)
殺人課の刑事・ポーターは同僚の刑事からメールで、バスが人を轢いた事故現場に来るように告げられる。現場で待っていた同僚がポーターに見せたのは白い小箱だった。その中には日記が記されたノートと人間の耳が入っていた。箱はバスに轢かれた男が所持していたものであり、日記の内容から死んだ男の正体は4猿である可能性が高いというのだ。4猿とは世間を騒がせている殺人鬼だ。その名の由来は、まず女性を誘拐すると『見ざる、聞かざる、言わざる』になぞらえて耳・舌・目玉と順番に切り落として家族の元に送り、そのあとで女性本人を殺害するところからきていた。これまでの犠牲者は7人。そして、ここに耳があるということは8人目の犠牲者が、まだどこかで監禁されていることを意味していた。だが、犯人は死んでしまった。ポーターたちは日記を手がかりに女性の監禁されている場所を特定しようとするが......。
ジャフリー・ディーヴァーやジャック・カーリィーを連想させるストーリー展開は新味はないものの、物語は小気味よいテンポで進んでいくので一気に読み進めていくことができます。また、刑事たちの捜査パートがジョークを交えた軽快なものであるのに対して、犯人の日記パートが不気味で恐怖を感じさせるのも良い緩急になっており、読者を飽きさせません。さらに、キャラクターもみな魅力的であり、ラストの畳みかける展開も良くできています。ただ、良質なサスペンス要素に対して、謎解きの面白さは
ディーヴァーやカーリィーと比べると薄味でしょうか。ちなみに、本作はシリーズの第1弾ということなので、その辺りは続編に期待したいところです。
悪の猿 (ハーパーBOOKS)
J・D バーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-08-17


真夜中の太陽(ジョー・ネスボ)
大金と銃を持ってオスロから逃げてきた殺し屋。彼は夏でも太陽が沈まないノルウェー最北の村にたどり着き、そこで教会の堂守をやっている女性・レアやその息子・クヌートと出会う。男はウルフ・ハンセンと名乗り、レアたちの好意によって小屋で暮らし始める。彼らは日々の生活の中で次第に絆を深めていくが、ウルフを追う影はすぐそこまで迫ろうとしていた......。
繊細な文章によって紡がれる自然やそこに住む人々の情景が印象的な非常に美しい小説です。一方で、ノワール特有の暗くヒリヒリした雰囲気が濃厚に漂い、両者の組み合わせによって独特のムードを生み出すことに成功しています。どこか、殺し屋版『刑事ジョン・ブック/目撃者』といった趣もあります。ちなみに、本作はノワール小説の傑作『その血と雪を』の続編です。主人公は別人ですが、世界観を同じにしています。ただ、前作の主人公ヨハンセンが一流の殺し屋だったのに対して、ウルフはかなり頼りなく描かれているという違いがあります。殺し屋なのにいざという時に引き金一つ引くことができない男なのです。しかし、そんな頼りないところが非常に人間くさく描かれ、読んでいる内にどんどん彼のキャラクターに惹かれることになります。それだけに、後半の緊張感あふれる展開に、読者は終始ハラハラドキドキすることになるのです。同じ作者によるノワール作品でありながら『その雪と血を』とはまた違った味わいの傑作に仕上がっています。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門19位
真夜中の太陽 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョー ネスボ
早川書房
2018-08-07


あなたを愛してから(デニス・ルヘイン)
1979年に生まれたレイチェルは売れっ子作家で性格の破綻した母親に育てられていた。そんな母が大学の時に交通事故で死亡。レイチェルはそれを機に幼いときに離別した父親を探し始める。私立探偵まで雇う熱の入れようだったが、手がかりはつかめなかった。大手新聞社に入社したのち、ようやく父親との再会を果たすがそこで残酷な事実を知ってしまう。しかし、それを乗り越えようやく手に入れた真実の愛。だが、そこにも思わぬ罠が待ち受けていたのだ。
『ミスティック・リバー』『夜に生きる』など、ハードボイルドタッチの作風で知られているデニス・ルヘインですが、本作は珍しく女性の視点から描かれた物語です。しかも、前半は「一人の女性の波乱万丈記」といった感じで全くミステリーっぽくありません。しかし、後半になると思いもよらぬ方向に話が転がり始めて謎とサスペンスが敷き詰められた一級のノワールミステリーにその姿を変貌させていきます。殺人、殺し屋、逃避行と手に汗握る展開が続きます。レイチェルは人生の旅路の果てに一体どこに行きつくのか?先の展開が気になってページをめくる手が止まらなくなってしまいます。数奇な運命に翻弄された女性の数十年を描き切った大河ミステリーというべき傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門12位
犯罪コーポレーションの冒険 聴取者への挑戦Ⅲ(エラリー・クイーン)本格
鉄道王ファナームの元に犯行予告が届く。今日の5時59分に彼の命を奪うとうのだ。車両で狩りに出かける予定だったファーナムはエラリー親子を護衛に引き連れて列車に乗り込む。ところが、彼は暗闇の中で狙撃され、命を落としてしまう。一体、犯人はどのようにして何も見えない暗闇で標的を狙ったといのだろうか?
クイーンがラジオドラマ用に書き下ろしたシナリオ集の第3弾。全体的な出来栄えは前2作の方が上ですが、その分、本作は1作1作がバラエティに富んでいるという特徴があります。たとえば、犯人探しではなく、生活に困っている住人にお金を届けてくれるのは誰かを推理したり、殺人の絡まない連続放火事件の動機が謎の中心に据えられたりといった具合です。それに、短い話が多いのでテンポよくサクサク読めるのもうれしいところです。クイーンの作品は緻密なロジックが魅力であると同時に、長編小説の場合は少々冗長で退屈に感じる場合が多いという難点があります。しかし、ラジオドラマのシナリオという形式を採用することで無駄が最小限まで削ぎ落され、謎解きのエッセンスだけが楽しむことができるようになっているのです。ちなみに、クイーンのシナリオに関してはまだまだ面白いネタの作品が残っているとのことで、ぜひとも続編を発売してほしいところです。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門10位


ホワイトコテージの殺人(マージェリー・アリンガム)
本格
1920年代の初頭。英国南部の田舎町で車を走らせていた青年・ジェリーは美しい娘・ノーラと出くわす。重い荷物を持って困っている様子の彼女をジェリーは車に乗せ、自宅である白亜荘まで送る。だが、そのとき、銃声が響き、中からメイドが飛び出してきた。人が殺されたというのだ。ジェリーは敏腕刑事として知られる父親のW・Tを呼び、共に捜査を開始するが......。
著者のマージェリー・アリンガムはキャピオン氏シリーズなどで有名な女流ミステリー作家であり、ドロシー・セイヤーズのような文学色の濃い重厚な作風が持ち味でした。しかし、初めて書いたミステリー作品である本書には彼女独自の特徴はほとんど感じられず、極めてオーソドックスな探偵小説に仕上がっています。しかも、親子で探偵をするところなどはあからさまにエラリー・クイーンを連想させます。ただし、この作品が発表されたのは1928年であり、エラリー・クイーンのデビューよりも先です。しかも、クイーンの著作とは異なり、息子は美女にメロメロになっているだけのボンクラで、主に父親が探偵役を務めているのがユニークです。その上、本作のウリになっている意外な犯人も某有名作品の先取りになっている点は注目に値します。作品の雰囲気は20年代に書かれたミステリーによくある牧歌的なものなので、現代の読者が読むと少々退屈かもしれません。しかし、古き良き時代の探偵小説が好きという人にとってはなかなか味わい深い作品だと感じるのではないでしょうか。
ホワイトコテージの殺人 (創元推理文庫)
マージェリー・アリンガム
東京創元社
2018-06-29


遭難信号(キャサリン・ライアン・ハワード)
ハリウッドの脚本家を目指しているアダムはようやく成功の足がかりを掴むが、その矢先に恋人のサラが失踪する。彼女はスペインのバルセロナへ一週間の出張に出かけると告げ、それっきり音信不通になってしまったのだ。電話をしても繋がらず、メールにも返信は送られてこない。しかも、アダムの親友の恋人であるローズは「サラには別の恋人がいる」という驚愕の事実を暴露する。さらに、彼女のパスポートと共に送られてきた手紙。そこにはサラの筆跡で「ごめんなさい....S」と書かれていたが、封筒の文字は別人のものだった。一体何が起きているというのか。アダムは手がかりを追い、その先にあった豪華客船に乗り込むが......。
本作の物語はアダムを始めとする複数の語り手によって紡がれており、気になるエピソードを小出しにされるので非常に気を揉む展開になっています。そのため、前半は忍耐を強いられることになるかもしれません。しかし、後半になってそれぞれのエピソードの繋がりが見え始めた辺りから怒涛の展開となり、あとは一気読みです。非常によく練られたプロットであり、最後の真相には驚かされます。やり切れない結末は賛否両論でしょうが、読後感自体はそれほど悪くありません。『乗客ナンバー23の消失』と並ぶ船上ミステリーの傑作です。
遭難信号 (創元推理文庫)
キャサリン・ライアン・ハワード
東京創元社
2018-06-29


ブルックリンの少女(ギョーム・ミュッソ)
人気作家のラファエルは婚約者のアンナと休暇旅行を楽しんでいる最中だった。アンナはなぜか自分の過去をひた隠しにしていたのだが、ラファエルがそれを問い詰めると彼女は1枚の写真を差し出した。そこには焼死体と思われる死骸が3体映っていた。衝撃的な内容にラファエルが呆然となっている間に彼女は姿を消してしまう。アンナの失踪を招いた自らの行いを後悔したラファエルは友人で元刑事のマルクの協力を得て彼女を探し始めるが.......。
恋人の女性が姿を消し、主人公の男性が行方を追うという、同時期に翻訳された『遭難信号』と類似したプロットを持つ作品です。しかし、恋人の失踪にとどまらず、謎の不審死が次々起きるなど、物語の緊迫度はこちらの方が上です。ただ、登場人物が多く、物語も複雑なので慣れるまでは苦労するかもしれません。ともあれ、伏線回収の手管も見事でミステリーとして見事な作品であることは確かです。最後には意外な展開もあり、衝撃のラストにも驚かされます。哀しい物語ですが、読み終わったあとに感傷的な気分に浸るのもそれはそれで悪くないのではないでしょうか。濃密なドラマが堪能できるフランスミステリーの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門15位
ブルックリンの少女 (集英社文庫)
ギヨーム ミュッソ
集英社
2018-06-21


IQ(ジョー・イデ)
ロサンゼルに住む黒人の青年、アイゼイア・クィンターベイは周囲からIQと呼ばれている探偵だ。探偵の看板を掲げているわけではないのだが、彼の鋭い観察眼と優秀な頭脳は警察の手に負えない事件も解決へと導いていく。その評判によって依頼は次々と飛び込んでくるものの、報酬は払える人が払える分だけ払えばいいというのがモットーであるため、常に金に窮していた。そんな彼がある事情から大金が必要となり、大物ラッパーからの依頼を受けることになる。しかし、その依頼というのが「巨大な犬を操る謎の殺し屋を探し出せ」という奇妙なものだった......。
黒人のヒップ・ホップ文化を全面に押し出した世界観の中でシャーロック・ホームズのオマージュを展開させるという組み合わせの意外さがユニークです。そして、なんといってもホームズばりの推理を随所で披露するIQのスマートさにしびれます。とはいえ、本作はコナン・ドイルの原典のような謎解きの面白さは希薄です。どちらかというと、犯罪のはびこる街を舞台に、頭脳を活かして活躍するヒーローの姿を描いたハードボイルドといった感じです。したがって、黒人版シャーロック・ホームズということで本格ミステリを期待していた人は失望を覚えるかもしれません。その代わり、主人公のかっこよさや個性的な脇役、随所に挿入されるコミカルなシーンなど、娯楽小説としての面白さは抜群です。黒人社会の独特のノリが苦手でなければ大いに楽しむことができるでしょう。アメリカではすでに続編も発表されているとのことなので、今から日本での発売が楽しみです。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門3位
IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19


牧神の影(ヘレン・マクロイ)本格
戦地で用いられる画期的な暗号を開発中だった学者が心臓まひで急死する。彼の義理の姪であり、暗号の秘密を知る秘書でもあるアリンスは老犬を連れて山の中に移り住む。だが、一人暮らしを始めた彼女の周辺では次々と怪しい出来事が起こり始めるのだった。真夜中にどこからともなく足音が聞こえ、近所の人たちも信用できない。果たして彼女を脅かす牧神の正体とは?
本作は暗号解読をメインとした本格ミステリですが、ポーの『黄金虫』やドイルの『踊る人形』などが児戯に思えるほどの本格的なものです。とても素人には歯が立つものではありません。暗号の仕組み自体は実に論理的で素晴らしい出来なのですが、少なくとも謎解きを競うといった楽しみは最初から放棄した方がよいでしょう。それほどまでにこの暗号は難解です。逆に、犯人探しのフーダニットに関しては丁寧に伏線が張られており、ミステリーを読み慣れた人にはわかりやすいくらいです。ただ、この作品の真の魅力は不気味な牧神の影や豊かな自然描写から醸し出される強烈なサスペンスにあります。暗号解読の部分を除けば、本格ミステリというよりも緊迫感に満ちたホラーといったテイストの作品で、その不気味さはかなりのものです。1944年発表のヘレン・マクロイ初期の代表作というべき傑作です。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門5位
牧神の影 (ちくま文庫)
ヘレン マクロイ
筑摩書房
2018-06-08




空の幻像(アン・クリーヴス)本格
スコットランドの北東に広がるシェトランド諸島。その最北端に位置するアンスト島にはとある言い伝えがあった。1930年に浜辺で遊んでいた10歳の少女が波にさらわれて溺死したのだが、その彼女が時折、幽霊となって姿を現すというのだ。しかも、少女を目撃した女性はまもなく子を宿すという。その島で華々しい結婚式が行われことになった。招待者の一人、ポリー・ギルモアは友人として式に出席するが、そのあと、白夜の浜辺で白いドレスの少女が一人で踊っているのを目撃ずる。さらに、同じく友人として式に出席したエレノア・ロングスタッフも同じものを目にしていた。その翌日、エレノアは忽然と姿を消し、携帯電話には「もう死んでいるから、探さないで」という不吉なメッセージが送られてくる。そして、その言葉通り、エレノアは死体となって発見された。果たして少女の幽霊とこの事件とにはどのような関係があるのだろうか.......。
シェトランド諸島を舞台にし、地元警察のジミー・ペレス警部を探偵役に据えたシリーズ第6弾です。派手さはないものの、自然の美しさを背景にして描かれる繊細で丁寧な心理描写と島の人々が織りなす人間関係がこのシリーズの大きな魅力になっています。それに加えて、本作では幽霊譚が事件の大きなポイントとなっており、少女の幽霊の正体がなかなかわからないことで静かなサスペンスを漂わせることに成功しています。その上、立ち込める霧が重要な意味をもっていることもあって雰囲気作りはなかなかのものです。一方で、事件の真相に関してはそれほど意外性があるわけではありません。それでも過去の事件から完全には立ち直れていていないペレス警部が執念の捜査で真相に近づいていくプロセスは多いに読み応えありです。じっくりとその味わいを堪能したい現代英国ミステリーの佳作です。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門6位
空の幻像 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2018-05-31


白墨人形(C・J・チューダー)
1986年。12歳のエディには4人の遊び仲間がいた。年下ながらボス然とふるまう裕福な家庭のファット、牧師の娘のニッキー、札付きの不良を兄に持つミッキー、清掃員の母に育てられたホッポの4人だ。ある時、彼らはチョークを使って暗号を伝え合う遊びを思いつく。それが、悪夢の始まりだとは知らずに......。ある日、移動遊園地で回転遊具の故障から一人の少女が顔をえぐられるという事故が起き、その現場に居合わせたエディはそこで白墨のような顔色をした赴任教師とでくわすのだった。
本作は現代の視点から過去の出来事を語っていく回想ミステリーです。ただ、その語り口はいかにも曖昧でわざと核心にふれないようにしているかのごときスローペースなので、読者をやきもきさせます。しかし、中盤になって死者が出始めると漠然としていた物語に情報の断片が加味され、次第に全体像が見えてくるようになります。そうなると、あとはジョットコースターです。この計算し尽くされたプロットが実に見事です。子どものころには理解できなかったものが、大人になるとその意味がわかってくるというシチュエーションにはぞっとするものを感じますし、現代のパートでも事件が起こり始めて過去が追いかけてくるといった展開も手に汗握ります。ただ、真相にそこまでのインパクトはないのでそういった意味では腰砕けに感じる人もいるでしょう。その代わり、読んでいる間はページをめくる手が止まらないほどの面白さです。ちなみに、本書はスティーブン・キング推薦ということから、『スタンド・バイ・ミー』のような少年時代に想いを馳せたノスタルジックな作品を連想するかもしれませんが、そこまでの情緒性はありません。あくまでもサスペンスメインの作品です。
白墨人形 (文春文庫 チ 13-1)
C・J・チューダー
文藝春秋
2021-05-07


日曜の午後はミステリ作家とお茶を(ロバート・ロプレスティ)本格
ジャンクスは今一つブレイクしきれないベテランミステリー作家。彼は常々「僕はお話を作るだけで事件を解決するのは警察の仕事だ」と公言している。しかし、実際にはいくつもの事件や謎に遭遇してそれを解き明かしているのだ。
14作の短編を収録した連作集です。探偵役はミステリー作家ですが、彼は天才的な推理能力を持っているわけではありません。また、遭遇する事件も殺人事件から日常の謎的なものまでバラエティに富んでいるものの、謎自体はそれほど入り組んだものではないのです。どちらかといえば、物語の切り口やキャラクターの魅力によって読ませる作品です。どの作品も短いものばかりなのでテンポよく読み進められる点も美点だといえるでしょう。かなりライトなミステリーですが、語り口がうまくて引き寄せられます。特に、ぶつぶつと文句を言いながらも事件解決に奔走するジャンクスが良い味を出しています。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門7位
日曜の午後はミステリ作家とお茶を (創元推理文庫)
ロバート・ロプレスティ
東京創元社
2018-05-11


ムッシュウ・ジョンケルの事件簿(メルヴィル・デイヴィンス・ポースト)本格
探検家のジョヴァンヌは従者たちを伴ってジャングルの奥深く入り、そこでエメラルドを発見する。だが、宝を持ち帰ることなく命を落としてしまう。この顛末は従者持ち帰った
ジョヴァンヌの日誌に記されていた。しかし、その内容は頭が異様に大きく、手足の細長い生物に遭遇したという正気を失ったとしか思えないものだった。果たして、彼の身に何がおきたというのか?
M・D・ポーストは創出した探偵としては
アブナー伯父が有名ですが、本作ではなんとパリの警視総監が探偵役を務めています。内容的にも明快な筋立て非常に分かりやすかったアブナー伯父シリーズに対してこの短篇集はどの作品もどれも曖昧模糊としているのが特徴です。誰が犯人か以前に、一体何が起こったのかも分からず、読者はその幻惑感に惑わされることになります。そして、その代表的存在というべきものが、1021年発表の『大暗号』であり、現実のものとは思えない事件のあらましを説明された後に意表をついた真相が提示されるので読者は唖然とするしかなくなってしまいます。その他の作品も不可解な現象を説明されたあとで残り数行でどんでん返しがある作品が並びます。そして、その反転こそがこの作品集の持ち味です。ただ、伏線を張ってそれを回収するタイプのミステリーではないため、ロジカルな解放を好む人には物足りなく感じるかもしれません。
ムッシュウ・ジョンケルの事件簿 (論創海外ミステリ209)
メルヴィル・デイヴィスン・ポースト
論創社
2018-05-10


偽りの銃弾(ハーラン・コーベン)
元陸軍大尉のマヤは夫のジョーを何者かに撃ち殺されて未亡人となった。彼女は娘のリリーを世話してくれるベビーシッターを雇い、友人のアドバイスに従って隠しカメラを設置した。ところが、2日後にカメラを確認すると、なんと、そこに死んだはずのジョーが映っていたのだ。驚いたマヤは真相を探るべく調査を開始する。だが、調査を進める内に4か月前には夫の姉も不審な死を遂げていることが判明し......。
死んだはずの夫が映っているカメラ、相次ぐ身内の死、大資産一家の秘密、内部告発をする匿名サイトなどなど。とにかく、謎また謎の展開が続き、一気に引き込まれていきます。伏線を張りめぐらせて最後に収束させる腕前も見事です。また、女性を主人公にしたハードボイルド作品としても大いに読み応えがあります。全体的にちょっと詰め込み過ぎの感はありますが、文体が軽快で話のテンポも良いので気軽に楽しむことができます。ただ、作品自体にどこかB級的なうすっぺらさがあるので、人によってはその点が物足りないと感じるかもしれません。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門13位
偽りの銃弾 (小学館文庫)
ハーラン コーベン
小学館
2018-05-08


影の子(デイヴィット・ヤング)
1975年。ベルリンの壁に面した東ドイツ側の墓地で少女の死体が発見される。しかも、その顔はぐちゃぐちゃに潰され、身分照合すらできないほどだった。現場にはシュタージ(国家保安局)のイェーガー中佐の姿があり、この事件はカーリン・ミラー中尉に担当してもらうという。彼女は国内で唯一の班長を務める女性刑事だった。事件の状況は西ドイツから東ドイツに亡命しようとした少女が、西ドイツ側から狙撃されたように見える。しかし、そこには明らかな矛盾があった。ミュラーは知らず知らずの内に国家の闇に迫っていくが......。
主人公の刑事が事件の捜査をするもさまざまな障害にぶつかっていくというのは警察小説の定番ですが、本作の場合、その障害というのが国家保安局の圧力や密告者の存在というのが独特の緊迫感を生んでいます。この辺りは共産圏を舞台にした警察小説の妙だといえるでしょう。また、主人公のミュラーも圧力に抗って真相を求めようとするものの、あくまでも共産主義社会の信奉者として描かれており、その辺りも従来の西欧ミステリーを読み慣れている人にとってはかなり異質に感じるはずです。そして、ラストの不気味な余韻といい、著者は徹頭徹尾「社会主義国家の警察小説」というくくりにこだわっており、その結果、独自のオリジナリティを得ることに成功しています。ただ、純粋にミステリーとして見た場合は、真相が意外と矮小なものなので、肩すかしをくらうかもしれません。ともあれ、本国ではすでにシリーズ化されているとのことで、この異質な物語がどのような方向に進んでいくのか、興味をそそられるところです。
影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)
デイヴィッド・ヤング
早川書房
2018-05-02


インターンズ・ハンドブック(ジェイン・クーン)
ヒャーマン・リソース社、通称HR社はインターンの派遣会社だ。ただし、それは表向きの話。その実態はインターン参加者を装って会社の要人を殺害する暗殺集団だった。仕事の性格上、HR社の社員はうぶな若者でなくてはならない。そのため、定年は25歳と定められてる。ジョン・ラーゴはその25歳を迎え、最後のミッションに着手する。ところが、その彼に逮捕状が出され....。
本書は警察から追われている主人公がHR社の新人に向けて暗殺の手引書を書いているという形をとっており、その点がまずユニークです。しかも、主人公による語りが皮肉交じりの軽妙なものなので一気に物語世界に引き込まれていきます。しかも、その語りの合間にアクション、アクション、またアクションと続くので退屈する暇もありません。特に、主人公が新人たちに対して生き抜くためのルールを説明しているのに、彼自身がそのルールを片っ端から破っていく辺りの展開が最高です。最後には2転3転のどんでん返しも用意されており、どこかタランティーノの映画と相通じるものもあります。ポップで痛快なアクションノワールの傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門9位
インターンズ・ハンドブック (海外文庫)
シェイン・クーン
扶桑社
2018-04-29


弁護士アイゼンベルク(アンドレアス・フェーア)
女性弁護士アイゼンベルグの元にホームレスの少女が訪れ、友達を弁護してほしいと申し出る。初めは冷たくあしらうアイゼンベルグだったが、事件の内容に興味を覚えて弁護を引き受けることにした。少女の友人は猟奇殺人の容疑者として逮捕されたというのだ。しかも、留置場に容疑者に会いにいってアイゼンベルグは驚く。容疑者の名はハイコ・ゲルラッハ。高名な物理学者であり、彼女の元恋人だった。彼はなぜ自分が逮捕されたのかがわからないというが.....。
ハイテンポで展開する非常にスリリングなサスペンスミステリーです。メインストーリーの他にも冒頭には監禁されるヒロインの姿が描かれ、間幕劇として逃亡を図る母娘のシーンが挿入されています。そして、それらが本編とどう繋がってくるのかという興味で物語を牽引するプロットが見事です。また、遺体に元恋人のDNAが残されているという絶対不利な状況をどうひっくり返すのかという法定ミステリーとしての面白さもあります。500ページを超える大作ですが、それを長いと感じさせないのは作者に脚本家としての長いキャリアがあるからでしょう。ただその分、重厚さには欠け、物語は若干軽く感じてしまいますが、エンタメとして楽しむには最適といえる一冊です。
弁護士アイゼンベルク (創元推理文庫)
アンドレアス・フェーア
東京創元社
2018-04-28


ピラミッド(ヘニング・マンケル)
手芸店で火災で焼け落ちる。だが、それは単なる火事ではなかった。現場からは店主である老姉妹の焼死体が発見され、しかもその首筋には銃弾が撃ち込まれていたのだ。まるで、プロの手口だったが、一体プロの殺し屋がなんのために老女たちの命を奪う必要があったのか?犯人像を上手く描くことができず、ヴァランダーは当惑する。
スウェーデンで絶大な人気を博し、さらには35カ国に翻訳されて累計売上2000万部以上を記録したヴァランダー警部シリーズの第10弾です。本作は5つの短編で構成されており、ヴァランダーが20代前半の制服警官だったときから40すぎの中年刑事になるまでを時系列順に追った大河ストーリーになっています。単にそれぞれの時代に起きた事件を描くだけでなく、結婚や離婚といったヴァランダーの人生の節目を丁寧に追いかけているのが特徴です。そのため、シリーズのファンにとっては見逃せない一編になっています。どちらかというと、ミステリーというよりはヴァランダーの成長と彼を中心とした人間模様に重点をおいた、ヒューマンドラマとして読み応えのある佳品です。
ピラミッド (創元推理文庫)
ヘニング・マンケル
東京創元社
2018-04-21


葬儀屋の次の仕事(マージェリー・アリンガム)本格
名家パリノード一家は没落し、今はロンドンの一角のエプロン街で下宿人としてひっそりと暮らしていた。ところが、その家族の間で怪死事件が立て続けに起きる。そして、裏で動き出す葬儀屋の次の仕事とは?不可解な謎に素人探偵キャンピオン氏が挑む。
日本では随分と紹介が遅れましたが、マージェリー・アリンガムは英国ではクリスティやセイヤーズと並び称されるほどに有名な女流ミステリー作家です。本作はそんな彼女の代表作の一つとして知られる作品です。物語の読みどころはなんといってもパリノード一家の奇人変人ぶりにあります。それに加えて彼らを取り巻く街の人々も個性的で独特なユーモアが作品全体を覆っています。そして、そうした浮世離れした世界だからこそ成立するロジックとミステリーとしての仕掛けが見事です。しかも、一見奇想じみていながらも戦後ロンドンの混乱を踏まえて描き出されたその世界には独特のリアリティがにじみ出ており、物語をより奥深いものにしています。
葬儀屋の次の仕事 (論創海外ミステリ)
マージェリー・アリンガム
論創社
2018-04-04


コールド・コールド・グラウンド(エイドリアン・マッキンティ)
1981年。イギリスとの紛争が続くアイルランドでは国内でも暴力とテロがあふれていた。そんな中、北アイルランドの町で奇怪な事件が起きる。殺された男は右手を切断され、体内からはオペラ座の楽譜が発見される。しかも、現場に落ちていた右手は被害者のものではなかったのだ。刑事ショーンはそれをテロ組織の犯行に見せかけた殺人ではないかと疑う。そんな折、犯人からの挑戦状が届くが.....。
本国ではすでにシリーズ化されている作品ですが、まず、アイルランド紛争下という特異な時代設定が絶妙です。とにかく、警官はいつテロの標的になるかもわからないので緊迫感が半端ありません。ジャンルとしては警察小説というべきでしょうが、捜査をするのも命がけといった描写が既存の作品では得られない面白さにつながっています。それに加えて、主人公が英国側の人間なのに信仰はプロテスタントというどちらサイドの人間からしても異質であるという立ち位置が複雑な人間ドラマを形成していきます。また、他のキャラクターも魅力的であり、ミステリーとしても捜査が進むほどにスケールが大きくなっていく展開が秀逸です。さらに、シリアス一辺倒というわけでもなく、随所に皮肉まじりのジョークが挿入され、それが楽しくもあります。冬には続編が出る予定とのことなのでそちらも大いに期待したいところです。
殺意(ジム・トンプスン)
旧家の娘であるルアンは現在62歳で寝たきりの状態だった。そして、22歳年下の夫・ラルフに殺されると訴えている。実際、彼はルアンに殺意を抱いていた。しかし、彼女を殺したいと思っているのはラルフだけではなかった。噂好きの彼女のせいで人生を棒に振った医師の息子・ボビーも職を失いかけている検事のヘンリーもみな彼女を殺したいと思っていたのだ。やがて、ルアンは死体となって発見されるが......。
死後四半世紀経過してからブレイクしたノワールミステリーの大家・ジム・トンプスンの1957年発表の作品です。一章ごとに語り手が変わっていく全12章からなる群像劇ですが、乾いた文章の中から立ち上ってくる、虚無と絶望に包まれた不穏な空気が緊迫感を盛り上げてくれます。ロジカルな要素は皆無であるものの、登場する人物がすべて一癖も二癖もあるため、フーダニットのミステリーとして楽しむことも可能です。いずれにしても、この暗黒の空気に包まれた独特の雰囲気はトンプスンにしか醸し出すことのできないものであり、この作品もまた、これぞトンプスン印といった怪作に仕上がっています。
殺意
ジム・トンプスン
文遊社
2018-03-30


乗客ナンバー23の消失(セバスチャン・フィシェック)
囮捜査官であるマルティン・ツュヴァルツの心は壊れていた。5年前にクルーズ客船で旅に出た妻が息子を道連れにして投身自殺を遂げたからだ。そんな彼に謎の電話がかかり、妻が無理心中を図った現場であるその客船に乗るように告げる。3000人を超える乗員乗客を乗せた巨大客船”海のスルタン号”。そこで再び事件は起きる。ある母娘が行方不明となり、8週間後に少女だけが発見されというのだ。果たしてこの船の中では一体何が起きているのか?
逃げ場のない洋上で謎と策謀が交錯する、サスペンスミステリー版クローズドサークルといった趣の作品です。とにかく、謎また謎、事件解決だと思ったらまた謎といった具合に、常に新たな謎を提示することで読者を飽きさせません。しかも、巧みなプロットで読者に真相を悟らせない手管がまた見事です。いかにも怪しげで個性豊かな登場人物と次々と起こる怪事件、そして、二転三転、四転五転するサプライズのつるべ打ちと、ページをめくるてが止まらないとはこの作品のためにある言葉だといっても過言ではないでしょう。2018年上半期最大の収穫の一つというべき傑作です。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門7位
乗客ナンバー23の消失
セバスチャン フィツェック
文藝春秋
2018-03-28


ダ・フォース(ドン・ウィンズロウ)
ニューヨーク市警特捜部のリーダー、マーロン部長刑事は汚職警官として連邦留置所に収監されていた。なぜ、このようなことになったのか。実は、マーロンは麻薬組織からヘロインを50キロ押収するという大手柄を立てたのにもかかわらず、手入れの際に麻薬の一部と現金を着服していたのだ。しかも、大物麻薬ディーラーを無意味に射殺したという。時を遡り、物語はマーロンが破滅していく過程を追いかけていく......。
麻薬と暴力にまみれたニューヨーク及び、その現実と戦う警察官の姿を圧倒的な熱量で書きあげた渾身の警察小説です。見事にアメリカの今を活写しており、特に、生まれた街を誰よりも愛し、自分がその守護者だと自負しながらも汚職にまみれていくマーロンの姿には、正義と悪の二次元論では割り切れないアメリカ社会の根深い問題を体現しています。それに加え、クライマックスの畳みかけるように起きる予想外の展開も見事です。社会派ミステリーであると同時に娯楽作品としても十分読者を楽しませてくれます。ただ、主人公が悪徳警官なのでノワールアクションの要素も強く、主人公に共感がしずらいという人も多いかもしれません。その点が賛否を分けるところでしょうか。ちなみに、本作はリドリー・スコット制作による映画化も決まっており、その出来も今から気になるところです。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門5位
ダ・フォース 上 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-03-26


アリバイ(ハリー・カーマイケル)本格
男から行方不明の妻を探してほしいと依頼されたバイパーは田舎のコテージに行きつく。そして、その近くの雑木林で女の腐乱死体を発見する。女は身元が確認され、容疑者として彼女の夫が浮かび上がった。だが、彼には鉄壁のアリバイがあった。さらに、他の容疑者も浮かび上がってくるが、そんな時、さらなる殺人事件が発生する。バイパーは捜査の協力をしてみらうために相棒のクインを呼び寄せるが.......。
カーマイケルといえば本格ミステリからハードボイルドまで器用に書きわける多作作家として知られています。そんな彼の代表シリーズといえばなんといってもテクニカルな技巧を施し、謎解きの面白さを満喫させてくれるバイパー&クインシリーズです。本作もめまぐるしく展開するストーリー展開の中にさりげなく伏線が織り込まれており、読者はころりと騙されてしまいます。中盤が多少もたついているのは気になりますが、終盤になると一気にサスペンスの色が濃くなり、意外な真相へと導いてくれます。まだまだ翻訳作品の少ないカーマイケルですが、これからどんどん紹介が進んでいくことを期待したいところです。
2019年度本格ミステリベスト10 海外部門9位
アリバイ (論創海外ミステリ)
ハリー・カーマイケル
論創社
2018-03-02


そしてミランダを殺す(ピーター・スワンソン)
富豪のテッドは空港のバーでリリーという美しい女性に出会う。意気投合した2人だったが、テッドは酔った勢いで浮気をしている妻に対する殺意を口にしてしまう。ところが、リリーはドン引きするどころかテリーを強烈に後押しし、2人は具体的な殺人計画を練り始める。そして、決行の日が近づいてきた時.、意外な急展開を迎えるのだった.......。
テンポのよい語り口の中でストーリーが2転3転する極めて娯楽性の高いサスペンス小説です。最初はテッド視点から語られていた物語は、章が変わるごとに語り手がチェンジしていきます。これは別に奇をてらってとか物語に深みを持たせようとかいうことではなく、その構成自体がミステリーとしての仕掛けになっているのです。つまり、一人称視点では語り手が知っていることしか語れないという縛りを逆手にとり、語り手の盲点をつくことで読者にとっての意外性をも演出しているというわけです。この技巧が実によくできており、読者は気持ちよく騙されることになります。予想外のことが矢継ぎ早に起きるので読者はどんどん物語の中に引き込まれています。そして、気が付けばラストのオチまで一息で読み進めていることになるのです。ただ、読書中の楽しさに比べて読後に残るものがあまりないのが難点だといえるかもしれません。決して珠玉の名作というわけではないものの、気分転換や暇つぶしとして読むには絶好の一冊だといえでしょう。
2019年度このミステリーがすごい!海外部門2位
そしてミランダを殺す (創元推理文庫)
ピーター・スワンソン
東京創元社
2018-02-21




許されざる者(レイプ・GW・ペーション)
自ら関わった事件はすべて解決してきた凄腕の警察長官のヨハンソンが定年退職後に脳梗塞で倒れてしまう。一命は取りとめたものの体に麻痺が残る彼に対して、主治医が驚くべ話をする。25年前にイランから移民してきた9歳の少女が殺害されるという事件があったのだが、その有力な情報を亡くなった父から聞かされていたというのだ。彼女の父は牧師であり、懺悔室で犯人を知っているという女性の告白を受けたのだが、守秘義務があるためにそれを警察に知らせることもできないでいた。そして、苦悩の末、いまわの際で娘にそっと秘密を打ち明けたということだった。ヨハンは体の不自由な自分に代わって動いてくれる仲間を集め、執念の捜査を開始する。すでに時効を迎えている事件は果たしてどのような結末を迎えるのだろうか。
本作はヨハンソンを主人公にしたシリーズ作品なのですが、本邦初公開のこの作品がシリーズ最終作となります。しかし、だからといって最初から読まないと話が分からないといった部分もなく、単独作品として十分楽しめる作品に仕上がっています。なんといっても、常に皮肉めいたユーモアを発する主人公を初めとして登場人物がみな魅力的なため、結構重いテーマであるのにも関わらず、楽しく読むことができるのが美点です。ストーリーも主人公視点で進むのでシンプルで分かりやすく、海外作品にありがちな読みにくさも皆無です。北欧ミステリーでこれだけ軽快に読める作品というのも珍しいのではないでしょうか。さらに、ミステリーとしても犯人にたどり着くまでのプロセスやラストの意外性などはよくできており、かなりの秀作だといえるでしょう。
2011年ガラスの鍵賞受賞
許されざる者 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2018-02-13


オンブレ(エルモア・レナード)
1884年。アリゾナの荒野を走る一台の駅馬車。乗客は7人。17歳の美しい少女やインディアン管理官の夫婦らに混じって幼い頃にアパッチ族に育てられたという男、ラッセルの姿があった。そして、突如襲いかかる強盗団に対して立ち向かうラッセル。息詰まる死闘の行方は......。
半世紀以上前に発表された西部劇小説。勧善懲悪という西部劇の定型に沿いながらも乾いた文体で描かれるハードボイルドの世界に痺れます。また、主人公の冷酷と思えるほどドライな態度裏に秘めた自分を貫く強さにもかっこよさを感じます。独特のざらついた味わいが後をひく傑作です。
オンブレ (新潮文庫)
エルモア レナード
新潮社
2018-01-27


贖い主 顔なき暗殺者(ジョー・ネスボ)
クリスマスシーズンで賑わう最中、救世軍の兵士、ロベルトが射殺される。ところが、衆人環視の中の犯行だったにも関わらず、犯人の顔を覚えているものは誰一人いなかったのだ。続いて、ロベルトの兄であるヨーンが狙われるが、偶然居合わせたハリーの機転で一命を取り留める。やがて、捜査線上には”小さな購い人”という通り名で呼ばれているクロアチア人の殺し屋が浮かび上がってくる......。
ハリー・ホレー刑事シリーズの第6弾。宿敵との戦いを描いた3部作も前作『悪魔の星』で決着が付き、本作は新章の導入的な位置づけになります。ただし、導入部だからといってその面白さはいささかもトーンダウンしていません。超適応という能力を有する殺し屋との攻防と二転三転する展開は手に汗握るおもしろさですし、新しく登場するキャラクターたちも魅力的です。その上、真相の意外性も申し分なく、最初から最後まで楽しめる極上のエンターテイメントに仕上がっています。また、北欧のさまざまな社会問題を取り上げながらもそれらを主題とはせず、あくまでも背景として溶け込ませている点にもうまさを感じます。それらがよいスパイスとなり、娯楽小説としての面白さを一層深める効果をもたらしているのです。ちなみに、次作の『スノーマン』は2013年にすでに翻訳済みなので本作が気に入れば、そちらも続け読むことも可能です。

最新更新日2020/02/06☆☆☆

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SFが読みたい!2019年版
SFマガジン編集部
早川書房
2019-02-08


GENESIS 一万年の午後(堀晃・他)
人間のいない世界で宇宙を観測し続けるロボット、怪獣上げという競技が流行している世界、機械化された特殊部隊と人間に憑依した地球外生命体との激闘などなど、さまざまなタイプの作品が集められたアンソロジー集。
創元社が編纂するSFアンソロジーであり、ベテラン作家からカクヨムで活躍する新鋭作家の作品まで幅広く集められています。テーマや内容はバラバラですが、どの作品も難解さはあまり感じられず、初心者でも手に取りやすいのが特徴です。粒ぞろいの作品集ですが、その中でも情景描写の美しさが胸を打つ『一万年の午後』、SF設定に密室殺人を融合した『ホテル・アースポート』、吸血鬼に支配された地球でローマの休日風の物語が展開される『ブラッド・ナイト・ノワール』などが印象に残ります。なお、本作はシリーズ第1弾ということであり、これからどのような作品が紹介されていくのか、非常に楽しみです。


ダーティペアの大跳躍(高千穂遥)
銀河系最大の犯罪組織ルシファが惑星ダバラットにおいて違法行為であるハイパーリープの研究をしているという。WWWAのエージェントであるケイとユリはダバラットの総督との接触を図るが、その瞬間にハイパーリープが発動し、時空の彼方に飛ばされてしまう。気がつくとそこは巨大生物が跋扈する異世界だった。しかも、その地を支配しているのがユリイとケイイと呼ばれる将軍たちで......。
ダーティペアシリーズの第8弾であり、11年ぶりの新作となります。第1作目から数えると実に38年のロングランシリーズです。今回はいまどきの流行りに合わせてか異世界ファンタジーものに挑戦していますが、スペースオペラの魅力もきっちりと組み込まれており、安心して楽しめるクオリティを保っています。また、ケイとユリの分身とでもいうべきケイイとユリイの登場により、恒例の大暴れも2倍の密度。やりたい放題の極致です。力技のバカSFとして大い楽しめる作品に仕上がっています。
エイリア綺譚集(高原英理)
月の夜に博士の発明した装置で少年たちが夢物質を取り出そうとする『青色夢硝子』、滅びの世界で生きる2人が本当の夏を探しに行く『ほんたうの夏』、元ゴスロリ少女が幽霊になって澁澤龍彦の人生に遭遇する『ガール・ミーツ・シブサワ』など、珠玉の幻想文学を10篇収録した短編集。
作者が30年の間にさまざまなところで発表した物語を集めた作品集です。文体を自在に変化させつつ、幻想文学の多様な可能性を体現していく様には読んでいて強く惹かれるものを感じます。どれも美しくも妖しい物語ばかりです。明確なオチや結末がないのが物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、そこがまた読み手のイマジネーションを広げてくれるポイントとなっています。どれも印象的な作品ばかりなのですが、特に、エッセイ風の文章によって人の暗黒面にまで切り込んでいく『ガール・ミーツ・シブサワ』の語りは他の作者では味わえない独特の凄味があります。
エイリア綺譚集
高原 英理
国書刊行会
2018-11-21


トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(三方行成)
時は遥か未来。人類の多くが電子化してトランスヒューマンとなった世界。竹から生まれたカグヤは翁の元ですくすくと育っていき、トランスヒューマン界のセレブである5人の男と対決をすることになる。そして、ついには最強の存在である帝と対峙するのだが.....。
第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作品。竹取物語、シンデレラ、白雪姫などなど、誰でも知っている童話を濃密なサイバーパンクSFに落とし込んだ奇想天外な連作集です。軽妙な語り口によっておなじみの物語が改変されていく面白さと恒星崩壊に由来するガンマ線バースト到来によるカタストロフィが混然一体となって、作者ならではの世界を構築している点が魅力的です。ただ、童話の忠実な再現から始まる前半3作に比べ、後半3作は原典との関連性が薄くなり、パロディ的な面白さが失われてしまったのが残念です。
裏世界ピクニック3 ヤマノケハイ(宮澤伊織)
季節は秋。コトリバコの呪いを退け、後遺症らしきものも見当たらないということで空魚と鳥子は裏世界ピクニックを再開する。お弁当と農機を持ち込んでの散策は文字通りのピクニック気分だった。2人は展望台のような場所で小休止をとる。ところが、そこを出ると周囲の様子は一変。しかも、空魚はヤマノケと呼ばれる怪異に取りつかれてしまい......。
人気シリーズの第3弾。ただ、今作は裏世界での怪異描写は控えめとなっており、現実世界での人間模様がメインとなっています。そこで描かれるは人の心の闇です。1、2巻が怪異に対する恐怖だとすると、本作の怖さはサイコホラーのそれに近いといえるでしょう。それはそれで十分怖くはあるのですが、前巻までの裏世界の怖さを期待していた人にとっては拍子抜けだと感じるかもしれません。また、後半の展開がホラーというよりも異能力バトルになっていた点にも不満を感じる人はいるはずです。一方で、シリーズの通底奏音を成していた百合成分は一気に濃度を増し、特にクレイジーサイコレズといったジャンルが好きな人にとっては大満足の一冊になるのではないでしょうか。激しく賛否の分かれそうな気がします。


熱帯(森見登美彦)
学生時代、京都で暮らしていた森見は古本屋で一冊の100円本と出会う。タイトルは”熱帯”で作者は佐山尚一となっていた。森見はそれを買って帰り、毎日少しずつ読み進めていく。しかし、ある朝目を覚ますと、本がなくなってしまっていたのだ。それから16年。彼は勤務先の国会図書館で調べたり、出版社の編集者に問い合わせたりして本を探し続けていたのだが、手掛かりは全くつかめない。ある日、森見は謎のある本を持ち寄り、その謎について語り合うという、奇妙な読書会に参加する。彼はそこで"熱帯の話をするつもりでいた。ところが、参加者の一人である20代の女性がまさにその”熱帯”の本を手にしているのを目撃する。思いきって話しかけたところ、彼女は「自分はこの本を最後まで読んでおらず、誰も読み終えることはできない」というのだが........。
語り手がどんどん変わっていき、回想の中に回想を重ねていくという、入れ子状態の迷宮小説です。幻惑的なうえに話が込み入っているため、油断すると振り落とされそうになりますが、必死にしがみついていくことで奇想天外で濃密な世界が開けてきます。本作は、本を巡る冒険物語であり、本好きな人にとってはたまらない作品です。しかし、その味わいを十分に堪能するにはかなりの体力を有することも確かです。そういう意味で激しく読者を選ぶ作品だといえます。前半は”誰も読み終えることのできない本”に関する興味深い展開が続き、内容的にもそれほど難解ではないのですが、混沌の度合いが増してくる後半に入ると一気に脱落する人の数が増えてくるようです。そのため、本作は別の意味で”読み終えることのできない本”だと揶揄されていたりもします。
2020年版SFが読みたい!国内部門9位
熱帯 (文春文庫 も 33-1)
森見 登美彦
文藝春秋
2021-09-01


ハロー・ワールド(藤井太洋)
専門分野を持たないなんでも屋エンジニアの文椎。彼が3人のチームで開発した広告ブロッカーアプリがインドネシア方面で爆発的にヒットし始める。調べてみると、政府の広報をブロックできるのが人気だという。しかし、なぜ人々はブロッカーアプリを購入してまで政府広報を消したがっているのか?さらに調べていくうちに、文椎は図らずもその国の政府による不正の事実をつかんでしまう。
本作はエンジニア技術をテーマにした連作集です。ジャンル分けをするならば近未来SFということになりますが、舞台は2020年前後。ほとんど、現代小説といって差し支えなく、その中でアプリ、ドローン、仮想通貨といった極めて今日的なテクノロジーをクローズアップしているのが特徴です。それらは物語の中で思いがけない使われ方をされ、そのことで、現代がすでにSF的世界に突入している事実を読者に示します。現実とSFをリンクさせるそのアプローチが非常にスリリングなのです。同時に、ITの現状についてもわかりやすく解説がなされており、ITの現場でどんなことが行われているかを学ぶにも格好の書だといえるでしょう。話の流れがややワンパターンなのが難ですが、テクノロジーとアジアの今に興味のある人におすすめしたい好著です。
2019年版SFが読みたい!国内部門4位
第40回吉川英治文学新人賞受賞


零號琴(飛浩隆)
惑星〈美縟〉にはその起源に深くかかわったとされる巨大楽器〈美玉鐘〉の言い伝えがあった。実在の有無も定かでない伝説的存在だったが、30年ほど前から突如として〈美玉鐘〉のパーツが発掘され始めたのだ。惑星〈美縟〉の人々はそれを組み上げ、500年祭での秘曲〈零號琴〉の演奏を目指す。そんな折り、特殊楽器技芸士のトロムボノクと相棒のシェリュバンは大富豪・パウルに招かれて〈美玉鐘〉に降り立った。果たして、仮面劇が演じられる祭りの夜に明らかになる〈美玉鐘〉と〈美縟〉の真実とは......。
寡作ながら新作が発表されるたびにSFファンを熱狂させてきた著者の最高傑作というべき作品です。とにかく、本作のイマジネーションの豊さと奇想というべきSF的アイディアの数々には目を見張るものがあります。しかも、奇想SFについて回る小難しさは皆無です。確かに、文章の言い回しは難解ですが、そこさえクリアすれば気軽に楽しめるドタバタ劇の顔が見えてきます。これだけオリジナリティの高いSF世界を構築していながら娯楽作品として成立している点は驚嘆に値します。詩的で硬質な幻想世界とアニメやラノベ的軽さが共存している点は、本作ならではです。この作品を一言でいえば、音楽SFということになるのでしょうが、それだけでは表現しえないさまざまな魅力が詰め込められています。間違いなく2018年の国内ベストワンSFであり、オールタイムベスト級といっても過言ではない傑作です。
2019年版SFが読みたい!国内部門1位
第50回星雲賞受賞
零號琴 上 (ハヤカワ文庫 JA ト 5-4)
飛 浩隆
早川書房
2021-08-18


少女たちは夜歩く(宇佐美まこと)
杏子の母親は男に執着心が強い女性であり、彼女はそんな母を毛嫌いしていた。そして、高校進学を期に杏子は母親と決別し、一人暮らしを始める。やがて、彼女は大学生の水口と恋仲となるが、偶然再会した中学時代の教師・有田の存在も気になり始め、なんとか彼を手に入れようとするのだった。彼女はあれだけ嫌っていた母親と同じ運命を辿るのであろうか?
全10話の連作集です。ジャンル的にはダークファンタジーですが、1話目を読んだ限りではどこにファンタジー要素が?と思うことでしょう。しかし、続けて読んでいくと各話が少しずつリンクしていき、1話に隠された本当の物語が浮かび上がってくるという構成が見事です。全編に渡って常に不穏な空気が流れている点も読んでいてゾクゾクとします。1話1話が短いのでテンポ良く読むことができ、そのため、迷宮をさ迷っているような不安感も昏い悦楽に転化されていきます。曖昧模糊としたエピソードの断片から全体の絵図を完成していく、ミステリーとしての楽しみもあり、背筋の寒くなるラストもインパクト大です。ホラーとミステリーを両輪として活躍してきた著者の集大成的な傑作だといえるでしょう。
少女たちは夜歩く (実業之日本社文庫)
宇佐美 まこと
実業之日本社
2021-08-06


ランドスケープと夏の定理(高島雄哉)
21世紀後半の日本。僕は、22歳で教授になった天才物理学者の姉に呼びだされる。向かった先は姉の勤める国際研究施設であり、そこでは途方もない実験が行われているという。なんとそれは異なる知性の会話を成立させる完全辞書の存在を証明するための実験だったのだ。こうして僕は姉と共に、知性を巡る冒険の旅に足を踏み入れていくのだが.......。
第5回創元SF短編賞受賞作に2つの中編を加えた連作集です。欧米のハードSFを想起させる難解な作品ですが、ラノベのような一人称スタイルにそこはかとない萌え要素を加味している辺りがいかにも日本風です。専門用語が飛び交い、正直よく分からない部分も多いのですが、情緒的な描写が多くて物語自体は心地よく読み進めていける点に本作の魅力があります。また、SF的アイディアも独創性が高く、あらゆる知性には普遍性があるという命題を設定し、首尾一貫した理論で物語をまとめ上げた手腕が見事です。極めて完成度の高いハードSFの傑作だといえるでしょう。
2019年版SFが読みたい!国内部門5位


オブジェクタム(高山羽根子)
彼は少年時代に秘密基地で祖父の静吉が壁新聞を作っていたことを思い出す。静吉はそれを街中に貼って回っていたのだ。なんのためにそんなことをしているのかという疑問に対して静吉は意味を与えるのは自分ではなく読む人のすることだという。記憶の断片の中から浮かび上がる回想の物語。
さまざまな断片を集めたコラージュのような作品であり、物語は唐突に始まり唐突に終わりを告げます。したがって、伏線を回収してきっちりとした結末に至る真っ当な物語を期待していると失望することになるでしょう。また、ジャンル的にもSFともいえず、文学ともいえないといった具合に曖昧模糊としており、掴みどころがありません。その代わり、断片の中のある視覚的イメージが鮮やかで、それらを拾い集めていくと実に不思議な感覚に包まれていきます。その浮遊感にも似た感覚こそが、この作品の白眉です。既存の物語の形式にとらわれない、文学の一つの可能性を提示したといえる傑作です。
オブジェクタム
高山羽根子
朝日新聞出版
2018-08-07


名もなき王国(倉数茂)

売れない作家の私はある若手作家の集まりで澤田瞬という青年と出会う。彼は私と似たような境遇にあり、たちまち意気投合して好きな作家や作品について語り合うことになる。その中で私は世間では名前の知られていない、お気に入りの幻想小説作家である沢渡晶の名前を出した。ところが、驚くべきことに沢渡晶は澤田瞬の伯母だというのだ。そして、語られる瞬の数奇な人生と叔母が隠遁していた屋敷での不思議なエピソード。果たして物語はどこにたどり着こうとしているのだろうか。
3人の作家の人生とそれぞれが書いた小説が交錯していくうちに、何が現実で何が虚構なのかが曖昧になっていく構成に読者は翻弄されることになります。そして、驚くべきは最後の反転です。そのどんでん返しによって、混沌とした物語がいかに精緻に組み立てられていたのかに気付かされます。ただ、最初の内は全体の物語世界が曖昧模糊としているため、それに引っかかりを覚えると読み進めるのが苦痛になる可能性があります。一方で、作中作の一つ一つが短編小説としてよくできているので、読みにくさを覚えた場合は短編集として楽しんでみるのも一つの手です。いずれにしても、終盤に近付くにつれて霧が晴れてきて世界観がくっきりと見渡せるようになるプロセスにはなんともいえない爽快感があります。SFともミステリーともファンタジーともいえない、ジャンルミックスな傑作です。
名もなき王国
倉数 茂
ポプラ社
2018-08-03


文字渦(円城塔)
古代中国。陶工のは貴人に命じられて秦の始皇帝の陵墓に納める人型の像を作り続けていた。ところが、2000年が過ぎ、現代の人々がその墓を掘り返すとの作った像と一緒に竹簡に記された3万もの文字が出てきたのだ。この大量の文字は一体何を意味するか。
古代中国から人工知能が自動筆記を行う未来まで。文字に関する12の短編が収録されています。とにかく、文字というものに対してあらゆる角度からアプローチが行われている極めて実験色の強い作品集です。特に、ルビと本文の内容が全く異なる『誤字』は日本語の表現力の限界に挑戦したような作品であり、
その発想力の豊さに驚かされます。その他にも、大量殺字事件を描いた『幻字』や源氏物語に感情移入する自動筆記機械が登場する『梅枝』など、まさに文字を使ったセンスオブワンダーの世界です。これぞ文字SF。完読するには多少骨が折れますが、それだけの価値はあるのではないでしょうか。文学の新しい地平を開く21世紀の奇書です。
2019年版SFが読みたい!国内部門2位
第39回日本SF大賞受賞
第43回川端康成文学賞受賞
文字渦(新潮文庫)
円城塔
新潮社
2021-01-28


パラレルワールド(小林泰三)
大災害を機に世界は2つに分裂し、一つの世界では妻が亡くなり、もう一つの世界では夫が亡くなり、そして、5歳の息子であるヒロだけが両方の世界を行き来できる存在となる。最初、両親はその事実を信じなかった。片親をなくしたヒロが精神的ショックで妄想を語っているのだと思っていたのだ。しかし、ヒロが両親にしか知りえない事実を口にするようになり、2人は次第にパラレルワールドの存在を確信するようになっっていく。こうして、絶対に交わることのない2つの世界を股にかけた両親の子育てが始まるのだが.......。
パラレルワールドの設定をうまく活かしたヒューマンドラマになっており、悲しくも心温まる家族愛が描かれています。しかし、それも第1部のみで、第2部に入るとヒロの他に、パラレルワールドを行き来できる殺人鬼が登場。悪逆非道の敵との知力を尽くしたバトルに突入していきます。この理詰めの頭脳戦が読み応え満点です。ただ、いつもの小林ワールドのようなカルトな味わいはかなり後退しているのでファンにとっては物足りないかもしれません。その反面、一般読者には読みやすい仕上がりとなっており、小林泰三氏の作品を読んだことのない人には入門編としておすすめです。
パラレルワールド (ハルキ文庫)
泰三, 小林
角川春樹事務所
2019-09-14


飛ぶ孔雀(山尾悠子)
シブレ山の石切り場で事故があって以来火は燃えにくくなった。その近くには大蛇が出ると伝えられているシビレ山がある。そこにある回遊式庭園では大茶会が催され、「火を運び女」によって選ばれた娘たちに孔雀が襲いかかる。
幻想文学の旗手として注目を集めながらも、その遅筆ぶりから幻の作家とも呼ばれる著者の8年ぶりの新作です。肝心の作品の中身はどうかというと、これまでの山尾作品の中でもより一層難解さに磨きをかけた問題作に仕上がっています。曖昧模糊としたエピソードの断片によって語られる物語は読み進めるのにかなり骨が折れます。間違ってもエンタメと呼べるような作品ではありません。しかし、その悪夢を想起させるようなイメージの羅列には麻薬的な魅力に溢れているのもまた確かです。大きなストーリーよりもピースの寄せ集めによってできた手触りを楽しむべき作品だといえるでしょう。
2019年版SFが読みたい!国内部門6位
第39回日本SF大賞受賞
飛ぶ孔雀
山尾 悠子
文藝春秋
2018-05-11


断片のアリス(伽古屋圭市)
世界は雪と氷に閉ざされたため、人生のほとんどをVRネットシステム〈ALiS〉で過ごすようになった未来社会。ハルもそんな一人だが、職場に向かう途中でVR空間の山小屋に閉じ込められてしまう。しかも、そこから転送もログアウトもできなくなってしまったのだ。混乱するハルの前に一匹のコオロギが現れ、この世界から出るには青い髪の少女に頼めばよいという。とりあえず、ハルはコオロギのいう通りに赤エビ亭に向かうが、それが恐るべきデスゲームの始まりだったのだ。
SF、冒険、謎解き、アクション、クローズドサークル、デスゲームと、さまざまなエンタメ要素をバランスよく配置した娯楽小説の佳品です。とにかく、テンポがよくて常に先が気になる展開を用意している点にうまさを感じます。また、序盤から伏線を貼り巡らせ、その回収によってミステリー要素とSF要素をひとつにまとめ上げる手腕も見事です。驚愕のラストも含め、こういったジャンルが好きな人にとっては満足度の高い一品だといえるでしょう。あとは好みによりますが、エンタメ要素が盛りだくさんすぎてもう少し焦点を絞ってほしかったという人はいるかもしれませんね。
断片のアリス (新潮文庫nex)
伽古屋 圭市
新潮社
2018-02-28


超動く家にて 
宮内悠介短編集(宮内悠介)
地球帰還の権利を賭けて野球盤での勝負が行われる「星間野球」、駆け落ち中の恋人たちの車に怪しげな二人が同乗して珍道中を繰り広げる「ゲーマーズ・ゴースト」、ウアン・ダインの二十則に支配された世界で殺人を計画する「法則」など16編が収録された異色の短編集。
SF作家として多彩な才能を発揮している宮内悠介氏ですが、本作品集ではぶっとんだ発想のおバカSFが中心に集められています。とにかく、この一冊だけでもさまざまなアイディアが散りばめられており、その引き出しの多さには驚かされます。その上、有名なヴァン・ダインの二十則に基づいて世界を構築した「法則」、叙述トリック乱れ打ちの「超動く家にて」、ミステリー界でありがちな論争をパロディ化した「エラリー・クイーン数」とSFファンだけでなく、ミステリーマニアがニヤリとするようなネタまで盛り込まれています。その芸達者ぶりはとどまるところを知りません。しかも、内容はおバカなのに文章や設定はしっかりとしているために読み応えは十分という優れモノです。俊英の芸がたっぷり堪能できる珠玉の作品集です。
2019年版SFが読みたい!国内部門8位
超動く家にて (創元SF文庫)
宮内 悠介
東京創元社
2021-04-12


最後にして最初のアイドル(草野原々 )
生まれてすぐにアイドルオタクになった古月みかはアイドルを目指して懸命に努力をしているが、才能には恵まれていない。一方、新園眞織は才能にはあふれていたが、アイドルに対しては冷めたスタンスを取っていた。そんな二人が高校のアイドル部で出会って親友になっていく。ところが、その数年後、太陽に巨大フレアが発生し、人類の危機が迫る。そんな中、彼女たちは地獄と化した世界を生き抜くためのアイドル活動を始めるが.......。
本作は著者のデビュー作であり、しかも2017年星雲賞において短編賞を受賞しています。新人が星雲賞を受賞するというのは山田正紀氏の「神狩り」以来42年ぶりの快挙です。しかも、その内容がぶっとんでいて、表紙を見てライトノベルのようなものかと油断していると途中からとんでもない展開が待っています。オタク文化とハードSFを融合したあげく、予想外の結末に着地を決める、まさに怪作というべき作品です。ハードSFならではの敷居の高さはあるものの、テンポのよさと独特のリズム感があるので、それに身を任せてしまえばOKです。そうすれば、今まで味わったことのない酩酊感とトリップ感覚にどっぷりと浸ることができるでしょう。
2019年版SFが読みたい!国内部門7位
第48回星雲賞短編部門受賞


半分世界(石川宗生)

会社から自宅へ帰宅する途中に19329人に増殖した吉田大輔氏とそれに対する社会の混乱を描いた「吉田同名」、300年に渡って町ぐるみの球技が続いている「白黒ダービー小史」、ある家の前半分が消失し、その中で生活する人々の様子をその他大勢の人間がウォッチする「半分世界」など、日常が壊れた奇妙な世界をテーマにしたSF短編集。
表題作は第7回創元SF短編賞受賞作です。どの作品もとびっきりのセンスオブワンダーな世界を扱っているのですが、SFと言ってもサイエンスへの言及はほとんどありません。サイエンスフィクションというよりもどちらかと言えば不条理小説といった感じです。語り口は軽やかで、非常に楽しい作品集に仕上がっています。しかも、奇抜な発想が単なる発想倒れには終わっておらず、アイディアの膨らませ方やディテールの描き方が実に巧みです。そのため、読んでいると、どんどん物語世界に引き込まれていきます。人間や事象に対する考察も鋭く、一種の知的興奮も味わえる作品に仕上がっています。極めて高いオリジナリティと完成度を兼ね備えた傑作です。
2019年版SFが読みたい!国内部門9位
半分世界 (創元SF文庫)
石川 宗生
東京創元社
2021-01-20



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SFが読みたい!2019年版
SFマガジン編集部
早川書房
2019-02-08



言葉人形(ジェフリー・フォード)

街を歩いていた私は偶然、言葉人形博物館と書かれた看板を見つける。その響きに心惹かれた私は博物館の中に入り、経営者である老夫婦に話を聞いてみることにする。彼らの話によると、言葉人形というのはかつて農作業に従事していた子供たちが孤独をなぐさめるために空想の中で遊んでいた架空の友人なのだという。ある日、牧師の妻は不良少年に罰を与えるために、〝刈り取り人”の言葉人形を与えるのだが......。
幻想文学の巨匠として知られるジェフリー・フォードの短編が13作収録されていますが、傑作選というだけあってどれもレベルの高いものばかりです。まさに珠玉の傑作というべき一作であり、読者を物語世界に引きずり込む力に満ちています。長編小説が書けるほどのアイディアを重厚さと繊細さの入り混じった語りで調理する腕前が見事です。その中でも表題作の『言葉人形』と主人公の父の造形が巧みな『創造』は読者に強い印象を与える逸品だといえるでしょう。2018年の翻訳SFを代表するといっても過言ではない名品です。


クロストーク(コニー・ウィリス)
脳に外科手術を施すことによってお互いの気持ちをダイレクトに伝え合うことができるようになった世界。大手携帯電話会社のコムスパンに勤めるブリディは周囲の反対を押し切って彼氏であるトレントと一緒にその手術を受ける。ところが、ブリディと接続されたのはトレントではなく、コムスパンの変人開発技術者・シューウォーツだったのだ。しかも、接続されたのは単に感情だけではなかった。お互いの思考まで筒抜けになり、彼女のプライバシーは裸同然にされていく......。
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞など、主要SF賞を幾度となく受賞し、当代随一の女流SF作家といわれているコニー・ウィルスの2016年発表の作品です。70歳を超えて書かれた作品とは思えないほどのパワーに満ちており、ぐいぐいと引き込まれていきます。最初はスローテンポで少々退屈するものの、中盤以降は怒涛の展開が続き、あとは最後まで一気読みです。また、ドタバタ劇の中に伏線を張り巡らせて収束していく手法などはさすがの巧さです。メインの話が単なるラブコメで長さの割に話がこじんまりしているのは賛否の分かれるところですが、長さを感じさせないだけの面白さはあります。巨匠の名人芸が光る佳作です。


トランクの中に行った双子(ショーニン・マグワイア)
ジャックことジャクリーンとジルことジリアンは双子の姉妹。ジャックは母親の希望通り可憐な少女に、一方、ジルは父親の望む活発な女の子に育っていった。しかし、実のところ2人は親から押し付けられた役割に心底うんざりしていたのだ。そんなある日、彼女たちは昔祖母が住んでいた空き部屋で不思議なトランクを見つける。トランクの中には階段が伸びており、その先には赤い月に照らされた荒野が広がっていた。ヴァンパイアが支配するその世界で、2人は抑圧から解放された理想の生活を手に入れるのだが.....。
ヒューゴ賞やネビュラ賞に輝いた『不思議の国の少女たち』の前日譚であり、前作の主要キャラであるジャックとジルの過去が語られます。仄暗い雰囲気は相変わらずで、しかも、双子の行く末を知っているだけに、物語は一層物悲しさに包まれています。一方で、前作では断片しか語られなかった双子の過去が次第に明らかになっていくプロセスには、パズルのピースが揃っていくような面白さがあるのも確かです。前作がクセのあるアンチファンタジーだとすれば、本作はストレートなダークファンタジーといったところでしょうか。美しくも残酷な世界観が印象に残る佳作です。
トランクの中に行った双子 (創元推理文庫)
ショーニン・マグワイア
東京創元社
2018-12-12


星間帝国の皇女~ラスト・エンペロー~(ジョン・スコルジー)
銀河帝国はフローと呼ばれる自然現象を利用して恒星間航行を実現していた。だが、交易国家である帝国の礎となっていたフローが崩壊しようとしている。フローの崩壊はすなわち銀河帝国の崩壊を意味していた。父の死後、若くして皇位の座についた皇女カーデニアは、破滅の迫る帝国で権謀術数渦巻く権力争いに巻き込まれていく.......。
銀河帝国の危機を描いた3部作の第1弾。SFとしてはかなりベタでむしろ古臭ささえ感じる作品です。数千年後の未来が舞台なのに、IDチェックや指紋認証といったものが現代と変わらないのも安っぽさを感じます。つまり、SF小説としては極めて凡庸なのです。しかし、だからといって、物語としてつまらないかといえばそんなことはありません。登場人物のキャラが立っており、軽妙な掛け合いなどは大いに楽しめますし、ユーモアに彩られた文章も読み応え満点です。ストーリーに目新しい点はなくても、エンタメとしてのツボを心得ているので続きが気になる作りになっています。素材は平凡でも熟練の腕によって美味しさを最大限まで引き出した佳作といったところでしょうか。


鐘は歌う(アンナ・スメイル)
街は廃墟と化し、文字による記録が失われた世界。話す言葉も少なくなり、人々は旋律によって情報を伝え合っていた。そんな中、両親を亡くしたサイモンは母の遺した一つの名と一つのメロディを胸に農場を離れ、ロンドンに向かう。そこで彼は盲目の少年、リューシャンとの邂逅を果たすが.......。
人々は鐘の音で支配され、世界には奇病が蔓延しているというデストピアを舞台にしたファンタジー作品です。しかも、内省的なファンタジー小説にありがちな、説明不足からくるわけのわからなさが作品自体を霧のように覆っています。したがって、本作を読む際にはまず、その入口で読者としての資質が問われることになります。わけのわからなさ自体を楽しめる人でなければ読み進めるのは苦痛に感じるかもしれません。その一方で、後半に進むに連れて徐々に霧が晴れ、世界の全体像が見えてくる物語構成は見事です。退廃的な世界観の中にゆったりと浸りたいという人におすすめの佳作です。
鐘は歌う
アンナ・スメイル
東京創元社
2018-11-21


不思議の国の少女たち(ショーニン・マグワイア)
そこは特殊な学校だった。生徒たちはみな異世界に行った少年少女ばかりで、もう一度異世界に戻りたいと切望している。そんな彼らに、現実との折り合いを付ける方法を教えるのがこの学校の役割だ。そこに転入してきたナンシーもその一人だった。だが、彼女がかつて行ったのは死者の世界。そして、彼女の転入が契機となったかのように、次々と不気味な事件が起き始める。
主人公が異世界に飛ばされる物語というのは古今東西に星の数ほど存在しますが、そこから戻ってきてた主人公たちの苦悩を主軸にしている点に本作のオリジナリティがあります。しかも、物語の雰囲気自体も決してファンタジックなものではなくかなりダークです。しかし、そうした苦悩やダークな事件の物語はスリリングでかなり読み応えがあります。凄惨な事件なども描かれているためファンタジーを期待して読むとショックを受けるかもしれませんが、凡百なファンタジー作品では物足りないという人にとっては刺激的な作品となるのではないでしょうか。本作は3部作の1作目ということで、続編の発売が待たれるところです。
2017年ヒューゴ賞中長編小説部門受賞
2017年ネビュラ賞中長編小説部門受賞
2017年ローカス賞中長編小説部門受賞
不思議の国の少女たち (創元推理文庫)
ショーニン・マグワイア
東京創元社
2018-10-31


トム・ハザードの止まらない時間(マット・ヘイグ)
トム・ハザードは1581年生れ。だが、老いるのが極端に遅くて21世初頭の現在でも40歳くらいにしか見えない。彼は魔女狩りやペストの大流行を生き抜いた後に自分と同じ遅老症の大富豪・ヘンドリックスと出会い、秘密組織アルバトロス・ソサエティに加入させられる。それからは自分の正体がばれないよう8年ごとに新しい身分を用意してもらう代わりに、組織の任務をこなすようになったのだ。そして、現在はロンドンで歴史の教師をしているのだが......。
SF小説に分類されていますが、サイエンスな話では全くありません。その中身はどちらかというと歴史ファンタジーといった趣があります。魔女狩り、シェークスピア一座との出会い、クック船長との冒険譚といった具合に、歴史的なエピソードが主人公の目を通して生き生きと描かれています。この回想シーンはかなり読み応えありです。また、主人公もさわやかな性格で好感が持てます。なかなかのボリュームですが、テンポがよくてサクサクと読むことができる佳作です。ただ、回想編の波乱万丈な面白さに対して、現代編が予定調和で面白みに欠けるのが残念なところです。ちなみに、本作はBBCドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』で現代版シャーロック・ホームズを演じてブレイクしたベネディクト・カンバーバッチ主演で映画化が決まっています。


六つの航跡(ムア・アラファティ)
2500人の冷凍睡眠者を乗せて宇宙を航行する恒星移民船。地球を旅立ってからすでに25年の月日がすぎていた。だが、宇宙船のクルーである船長以下6人が何者かに殺されてしまう。死んだ6人はクローン装置によって新たな生を授かることになる。だが、彼らの記憶は宇宙船が出発した25年前で途切れていた。つまり、この宇宙船で何があったのかが何一つ分からず、たとえ自分が犯人だったとしてもそれを知るすべはないのだ。さらには宇宙船を管理していたはずのAIが停止しており、宇宙船そのものも従来の航路を大きく外れていた。一体この船で何が起きたというのだろうか?6人のクルーは疑心暗鬼にかられながら真相を探り始めるが.....。
宇宙を舞台にしたクローズドサークルミステリーであり、SFならではの設定とそれぞれいわくありげな過去を持つ登場人物のからみによってサスペンスが盛り上がっていきます。表紙のイラストは小難しそうなハードSFを連想させますが、実際は会話中心で話が転がっていく、軽快なテンポの物語です。SFが苦手な人でも読み進めるのにそれほど苦にはならないでしょう。キャラクターが魅力的でどんでん返しの連続なので、読み応えは十分です。読者が推理を楽しむ本格ミステリではありませんが、SFサスペンスミステリーとしてかなり完成度の高い作品だといえます。
2019年版SFが読みたい!海外部門5位
六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)
ムア・ラファティ
東京創元社
2018-10-11


チェコSF短編小説集(jr.,ヤロスラフ・オルシャ)
「ブラッドベリの影につかまった」という言葉を残して火星探査中に行方不明になったメル・ノートン。一体彼の身に何が起きたのか......。
ロボットという言葉が生まれた国として知られているものの、日本ではなじみの薄い小国チェコスロバキアのSF小説を集めた短編集です。1912年~2000年の作品が集められており、これ一冊でチェコの20世紀SF史が一望できるようになっています。全体的には幻想小説風味だったり、文明批判の手段としてSF設定を導入したりと文芸色が強いという印象でしょうか。いずれにしても、欧米SFとは調理法の違う独特の味わいを楽しむことができます。特に、古い映画を見ているようなノスタルジックな雰囲気を楽しみたい人におすすめです。


われらはレギオン 3 太陽系最終大戦(デニス・E・テイラー)
恐るべきアザーズの侵攻からパヴ人の星系を守る戦いは敗北に終わってしまう。次に狙われるのは間違いなく地球だ。アザーズの侵攻に備えて地球圏に絶対防衛線を敷く500体のボブたち。だが、地上にはいまだ1400万人の避難民たちが移民の順番を待っていた。しかも、ボブたちはアザーズへの対処に集中することはできず、雑務に追われている状況だったのだ。そんな中、ついにアザーズの艦隊が太陽系に襲来する......。
AIとなって分裂したボブたちの活躍を描いた3部作の完結編。しかし、アザーズとの最終決戦に向けて話が盛り上がっていくのかと思えば、まったくそんなことはありません。同時多発的にいろんな事件が起こり、それを無数のボブの活躍によって解決に導いていくのは今まで通りです。そして、色々なエピソードを並行してテンポ良く読ませてくれるのがこのシリーズの良さだといえるでしょう。ただ、その一方で、最終決戦のカタルシスといったものを期待していた人にとってはかなり散漫に感じたかもしれません。最後も展開が早すぎて物足りなく感じた人もいるでしょう。その辺りは好みの分かれるところです。それでも、大きく広げられた風呂敷は綺麗に畳まれており、SF三部作としてかなり楽しい作品に仕上がっていることは確かです。
2019年版SFが読みたい!海外部門7位(三部作での順位)


動乱星系(アン・レッキー)
24歳になるイングレイは辺境の地にある小
星系国家の政治家の娘だった。しかも、彼女を含めた3人兄弟はみな養子であり、後継者争いに敗れれば路頭に迷うことになる。ちなみに、その内一人はすでに家を去り、現在後継者争いでリードをしているのは兄のダナックだ。そこで、彼女は母の政敵であるエアシトの子・ガラルを流刑地から脱走させることで形勢逆転を図ろうとする。だが、現れたのは外見こそそっくりだが、その中身はガラルとは全くの別人だった。この脱走計画に全財産をはたいたイングレイはやもなく、その相手にガラルのなりすましをさせるという賭けにでる。しかし、それがとんでもない騒動を引き起こすことになり......。
ヒューゴ賞、ネビュラ賞、星雲賞など、世界各国のSF賞を総ナメにした叛逆航路三部作の続編です。とはいっても、前シリーズとは世界観が同じであるだけで、舞台や登場人物などの共通点は皆無です。そのため、続編というよりは外伝といった方がしっくりときます。しかし、その面白さは前シリーズと比べても少しも劣っていません。一癖も二癖もある登場人物たちが織りなす政治闘争とミステリー要素の強い物語にはグイグイと引き込まれていく牽引力があります。それに加えて、人類とは異なる文化や生活習慣などの描写を挿入することで、読者に忘れ難い印象を与える手法はSF小説として極めて巧緻です。なにより、前作に比べてぐっと読みやすくなったのがうれしいところです。ただ、それは同時に、普通のエンタメ小説に近づいたことを意味します。前シリーズのように、読みずらいけれど独創的でオリジナリティあふれる尖がったSFを期待していた人にとっては少し物足りないかもしれません。

動乱星系 (創元SF文庫)
アン・レッキー
東京創元社
2018-09-20


接続戦闘分隊:暗闇のパトロール(リンダ・ナガタ)
接続戦闘分隊の分隊長であるジェームズ・シェリーはボディアーマーに身を包み、アフリカで反乱分子掃討の哨戒任務についていた。一瞬の油断が死を招く過酷な任務なのだが、ジェームズは彼の持つ危険察知能力によって分隊の危機を幾度も救ってきた。ところが、彼の能力は誰かによって操られた結果ではないのかという疑惑が浮かび上がってくる。そして、その疑惑はやがて世界を混乱へと導いていくことになり.....。
物語全体を不穏な世界観で包み込み、その中に緊迫感あふれる戦闘シーンを組み込むことでサスペンスに満ちたミリタリーSFに仕上がっています。SFガジェットのかっこよさも申し分なしです。
非常に映像的な作品であり、ハリウッドで映画化しても面白いのではないでしょうか。謎が多く残されている点は消化不良感がありますが、本作は3部作の第1弾ということなので、その辺は続編が発売されるのを待ちたいところです。


七人のイヴⅢ
(ニール・スティーヴンスン)
月の破片が地球を滅ぼしてから5000年の月日が過ぎた。宇宙に脱出して生き残ったわずかな人類は7つの人種に分かれ、かつて月のあった軌道上に新たな文明を築いていた。そして、いよいよ地球への帰還が検討され、壊滅状態にある地表のテレフォーミングが開始される。ところが、それが新たな火種となり、人類は2つの陣営に分かれて覇権争いを開始する.....。
人類滅亡の危機を描いた3部作もいよいよ完結編。しかし、ここにきていきなり5000年後とは驚かされます。そして、そこに詰め込まれているSF的アイディアやプロットは素晴らしく、これぞセンス・オブ・ワンダー世界といった感じです。ただ、その反面、これだけのスケールの一大叙事詩を描きながら情緒性が欠乏しているため、正直感情移入がしにくく、決して読みやすいとはいえません。特に、延々と続く技術的な説明などを興味深く読めるか、冗長と感じるかで評価は分かれそうです。
2019年版SFが読みたい!海外部門3位(三部作での順位
七人のイヴ Ⅲ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ニール スティーヴンスン
早川書房
2018-08-31


竜のグリオールに絵を描いた男(ルーシャス・シェパード)
遥か昔に魔法使いに敗れた巨大な竜は呼吸も心臓の鼓動も停止し、しだいに自然と同化をしていった。全身は草木で覆われ、その間を川が流れ、体の上には村までできた。だが、それでも竜は生きている。暗い思念波を放ち、人々を操り続けていたのだ。そして、その竜を自分の生涯をかけて倒そうとした男がいた。果たしてその方法とは?
竜にまつわる4つの物語を描いた連作集。どの作品にも巨竜グリオールの影があり、登場人物の行動がどこまで巨竜の思念波の影響によるものかがわからない点が不気味です。それと同時に、4つの物語は全く方向性の異なる作品なのに、それぞれが圧倒的な面白さを誇っています。特に、竜の体内で10年間過ごすことになった女性の半生を描いた『鱗狩人の美しき娘』における情景描写の鮮やかさと、竜を巡る事件を法廷ミステリーとして描いた『始祖の石』におけるスリリングな展開は読者に強烈な印象を与えることでしょう。2018年海外SFのベスト候補といっても過言ではない傑作です。
2019年版SFが読みたい!海外部門2位
竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)
ルーシャス・シェパード
竹書房
2018-08-30


天才感染症(デイヴィッド・ウォルトン)
国家安全保障局で働くニールは暗号のエキスパートだ。突如発信された南米からの謎の通信も彼のひらめきによって解読し、現状を確かめるべく国家安全保障局の長官と共に南米に赴くことになる。そして、そこで見たものは、突然大量に発生した天才たちによる反政府運動だった。そして、謎の天才発生騒動はアメリカ本土にまで飛び火する。
菌といえば体を害するものだけではなく、乳酸菌やビフィズス菌のように人間と共生関係にあるものも少なくありません。それらの菌は人間の健康を維持するのになくてはならない存在です。このように、一言で菌といってもいろいろあるわけです。そして、本書に登場する菌はなんと感染した人を天才にします。多言語習得などは朝飯前で、アルツハイマーだって治しちゃいます。なんともうらやましい限りですが、これにはもちろん裏があり、やがて大変なパニックが起きるという筋書きです。とにかく、展開がスピーディで文章も読みやすいのでぐいぐいと引き込まれていきます。暗号解読と菌という全く無関係な素材を一つに結び付けるアイディアも見事です。極めて質の高い娯楽作品だといえるでしょう。ただ、物語の展開的にハリウッド的ご都合主義が目立つ点は賛否の分かれるところかもしれません。
天才感染症 上 (竹書房文庫)
デイヴィッド・ウォルトン
竹書房
2018-08-02


プロジェクトネメシス(ジェレミー・ロビンソン)
山奥に遺棄されたミサイル基地。その地に訪れた国土安全保障省の捜査官と女性保安官は突如銃撃戦に巻き込まれる。それを逃れ、偶然発見したのが人の肉片と鋭い爪跡、そして何かが脱皮した痕跡だった。実はそこでは政府による恐るべき実験が行われていたのだ。だが、謎の巨大生物は政府のコントロールを離れ、形態を変えながら獰猛さを増していく。果たして人類に対抗するすべはあるのだろうか。
設定自体はありがちなモンスターパニックですが、作者の素材を調理する手腕が優れているため、派手アクション小説としてしっかり楽しめる出来に仕上がっています。展開が早く、怪物がどんどん成長していくため、かなりのスリルを味わえます。かといって、シリアス一辺倒ではなく、主人公がユーモアを忘れない辺りがアメリカンです。また、日本の怪獣映画に対するリスペクトも随所に感じられるため、その手のジャンルが好きな人ならより夢中になれるのではないでしょうか。ハリウッドのB級モンスター映画と東宝怪獣映画をミックスしたような快作です。
プロジェクト・ネメシス (角川文庫)
ジェレミー・ロビンソン
KADOKAWA
2018-07-24


七人のイヴ Ⅱ(ニール・スティーヴンスン)
月が分裂してから2年の月日が過ぎた。ついに月の破片が地表に降り注ぐハードレインが現実のものとなり、地球上の人類はあっけなく滅ぶ。生き残ったのは宇宙ステーション・クラウドアークに避難した1500人ばかりの人たちだけだ。しかも、その彼らにしてみても将来的に生き残れる見通しは全く立っていない。絶望的な状況の中、生き残った人々は今後の方針を巡って対立を深めていくが........。
パニック描写が控えめで理知的な印象の強かった前作と比べ、本作では物語の緊迫度が一気に増しています。人類滅亡をテーマにした作品の割にその淡白な雰囲気が物足りなかったという人はこの第2部の方が満足度は高いかもしれません。一方で、1500人の生命を維持するために、水とエネルギーをいかにして確保するのかといった命題などにはハードSFならではの面白さがあります。「7人のイヴ」が何を意味するのかも明らかとなり、あとは8月末に発売される完結編を待つばかりです。果たして人類に未来の希望は提示されるのでしょうか。
2019年版SFが読みたい!海外部門3位(三部作での順位)
七人のイヴ Ⅱ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ニール・スティーヴンスン
早川書房
2018-07-19


われらはレギオン 2 アザーズとの遭遇(デニス・E・テイラー)
不慮の事故で命を落とし、遥か未来で恒星間探査機として蘇ったボブは自らのコピーを大量に作り、宇宙に広がっていく。一方、地球に帰還したコピーボブは核戦争によって滅亡寸前になっている人類を目のあたりにした。愚かな人類に呆れながらも、ボブたちは移住可能な惑星を探し始める。だが、そんな中、宇宙資源を喰い荒らす未知の生命体アザーズと遭遇。人類はさらなる窮地へと追い込まれるのだった.....。
壮大なSF世界を描きながら、 ボブたちの軽いノリの議論によって話が動いていくので、SF初心者でもそれほど苦労せずにサクサク読めるところが秀逸です。また、それでいながら、SFネタをいっぱい詰め込み、マニアにとっても大満足の作品に仕上がっています。そして、今まで無双を続けきたボブが、強すぎる敵アザーズにどう立ち向かうのかも興味がそそられます。完結編である『太陽系最終大戦』が非常に楽しみです。
2019年版SFが読みたい!海外部門7位(三部作での順位)
蜜蜂(マヤ・ルンデ)
人工巣箱の開発によ19世紀半ばより始まった養蜂だったが、21世紀初頭には蜜蜂の大量死が相次ぎ、
養蜂は危機的状況に陥る。そして、21世紀末。蜜蜂の滅んだ世界で人類は手作業によって人工授粉を行っていた。1852年のイギリス、2007年のアメリカ、2098年の中国と、3つの時代の3組の家族を通して描かれる人類の物語。
本作は33カ国以上で翻訳され、世界的ベストセラーになったノルウエーのSF小説です。派手さはなく、決して明るい話でもありません。蜜蜂のいない世界では植物が育たず、人類は滅亡の危機に瀕しています。しかし、静寂に満ちた未来の描写や3つの時代の物語がやがて一つにつながり、小さな希望が浮かび上がっていくプロセスは読み応えがあります。奇想天外なセンスオブワンダーを期待していた人には物足りないかもしれませんが、丁寧な描写の積み重ねの末に静かな感動が押し寄せてくる傑作です。
蜜蜂
マヤ・ルンデ
NHK出版
2018-06-26


巨神覚醒(シルヴァン・ヌーヴェル)
正体不明の巨大ロボット・テーミスを発掘し、国連地球防衛隊が設立されてから9年の月日が流れた。そして、ついに恐れていた事態が起きる。2体目のロボットが現れたのだ。しかも、突然、ロンドンのど真ん中に。なぜ、どのようにして姿を現したのかもわからず、恐怖に駆られた人類は強硬手段に打って出て手痛い反撃をくらってしまう。ロンドンは地獄と化し、死者は400万人に及んだ。しかも、ロンドン以外の世界中の大都市にもロボットは姿を現す。その数は全部で13体。果たしてその目的はどこにあるのか?
巨大ロボットをテーマにしたSF小説の第2弾です。前作は比較的ゆったりとした展開でしたが、今回は冒頭からフルスロットです。ついにテーミスが実戦に投入され、活劇と謎解きがもりだくさんの内容になっています。とにかく、展開がスピーディで臨場感が半端ではありません。一方、そうはいっても、本作は大味なロボットアニメにありがちな派手にドンパチを繰り返すだけの作品でもないのです。むしろ、絵的にはどちらかというと地味で、見どころはアニメではお約束の一言で流されがちな巨大ロボットの存在的矛盾を大真面目に考察している点にあります。そのため、一見ロボットアニメ風でありながら、ハードSFならではの面白さが際立つ作品に仕上がっているのです。抜群に面白いSF作品であり、最後の衝撃的な展開にも驚かされます。これは今から来年発売予定の完結編が楽しみです。
巨神覚醒〈上〉 (創元SF文庫)
シルヴァン・ヌーヴェル
東京創元社
2018-06-21


七人のイヴⅠ(ニール・スティーヴンスン)
突如として、月が7つに分裂した。しかも、2年後にはその欠片が地球に降り注ぎ、地上の生物は全滅するという。各国政府は人類生き残りの策として現代の箱舟というべき宇宙ステーションの開発にとりかかる。現代技術と2年という限られた時間の中で果たして人類は生き残りの道を切り開くことができのだろうか。
人類滅亡をテーマにした3部作の1作目。とはいっても滅亡を前にしたパニックシーンなどはほぼ皆無であり、いかにして絶望的な状態から人類を救いだすかという科学的シミュレーションが物語の大半を占めています。そのため、いわゆるパニック小説を期待した人には肩すかしを喰らうかもしれません。一方、ハードSFが好きな人にとっては非常に興味深い作品に仕上がっています。物語はまだまだ序盤でこれからどういう展開を見せるのかが楽しみです。
2019年版SFが読みたい!海外部門3位(三部作での順位
七人のイヴ Ⅰ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ニール・スティーヴンスン
早川書房
2018-06-19


接触(クレア・ノース)
ケプラーは自分の身体を持たないゴーストだった。その代わり、ケプラーには他人の体に乗り移る能力を持っていた。その日も、若い女性の体を間借りしていたケプラーだったが、突如何者かに狙撃される。とっさいに近くの人間に乗り移って難を逃れるものの、女は殺されてしまう。ケプラーは狙撃犯の体を乗っ取り、自分がなぜ命を狙われたのかを探っていく。どうやら、その秘密はかつての宿主にあるらしいのだ。ケプラーは自分の長い人生を遡っていくが......。
SFといってもサイエンスな要素はほとんどなく、どちらかといえば文学色の濃い作品です。特に、次々と人体を取り替えていくさまが詩的な文体で綴られるところなどは美しさすら感じます。その代わり、あまりにめまぐるしい人体交換にケプラーが現在誰になっているのかがわかりにくく、混乱してしまうのが難点でしょうか。とはいえ、雄大な時の流れの中を生きるケプラーの愛の物語は独特の心地よさがあります。細かいところは気にせずに、ゆったりとした気分で楽しみたい作品です。
接触 (角川文庫)
クレア・ノース
KADOKAWA
2018-05-25


メカ・サムライ・エンパイア(ピーター・トライアス)
第二次世界大戦で枢軸国が勝利した世界。アメリカ合衆国は東海岸側をドイツに、西海岸側を日本に支配されていた。時は1990年代。ゲームおたくのマックこと不二本誠は皇国機甲軍の巨大ロボ「メカ」のパイロットを目指すものの、士官学校の入試に落ちてしまう。落胆するマックだが、ひょんなことからテロリストたちと戦うことになり、その功績によって民間警備会社のメカパイロット候補生に推薦される。一方、その頃、東側のドイツ領では日本の「メカ」に対抗すべく、巨大生体兵器「バイオメカ」を開発し、侵攻の機会をうかがっていた。
オタク版「高い城の男」と日本でも評判を呼び、第48回星雲賞海外部門などをを受賞した「ユーナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」の続編です。前作は作者のオタク趣味を全面に出しながらも、肝心の巨大ロボット「メカ」があまり登場しませんでした。歴史改変ゲーム「USA」を巡る陰謀と日本に支配されたアメリカのディストピア描写が物語の主題であり、巨大ロボットはチョイ役に過ぎなかったのです。そのため、表紙買いした人の中には詐欺だと思った人もいるのではないでしょうか。それに対し、本作は正真正銘のロボットバトル小説です。冴えない主人公がロボットのパイロットとなり、そこに美少女が絡みながら強大な敵と戦うという、いかにも日本のアニメから影響を受けたストーリーが展開されていきます。その一方で、全体主義におけるディストピア描写も前作から引き継がれており、しかも、ディストピアを支配される側からではなく、支配する側から描写することでこの作品ならではのオリジナリティを獲得することに成功しています。王道的な巨大ロボットアニメを異質な世界観で装飾した、前作とはまた違った意味でカルト度の高い傑作です。
2019年版SFが読みたい!海外部門6位
メカ・サムライ・エンパイア 上 (ハヤカワ文庫SF)
ピーター・トライアス
早川書房
2018-04-18


われらはレギオン1 AI探査機集合体(デニス・E・テイラー)
ソフトウェア会社の社長でオタクのボブはSF大会の会場で事故に遭遇し、命を落としてしまう。しかし、人体冷凍保存会社と契約をしていたために、117年後の世界でよみがえることになる。未来社会においてアメリカはキリスト教原理主義国家となっており、ボブも肉体を持たないAIとなっていた。しかも、彼は国家の所有物として、恒星探査機で移住可能な第2の地球を探すこととなるのだった。永遠の命と無尽蔵の生産能力を手に入れたボブは近隣の星域を旅しつつ、次々と新発見や新発明を続けていくが......。
生まれ変わったら未来社会のAIになっていたという、ラノベでいうところの異世界転生ものです。とにかくストーリー展開にはまどろっこしさは一切なく、冒頭で数ページで主人公が死に、間に生まれ変わったと思ったら未来世界の様子が駆け足で描写され、あっという間に宇宙へ旅立っていくという序盤のハイスピードぶりには圧倒されるばかりです。しかも、その段階ですでにさまざまなSF的アイディアが詰め込まれており、否応なしに期待感を煽ってくれます。そして、第2部に入ると、いよいよ主人公無双が始まります。今度はラノベでいう俺tueee系です。ここでのミソは主人公がコピーを繰り返し、自己増殖をしていく点です。そのおかげで多視点同時進行が可能となり、敵対宇宙船との戦闘、惑星移住プロジェクト、宇宙人とのファーストコンタクトといった具合に、さまざまなプロットが並行して語られるのが楽しくて仕方がありません。全編がユーモアに彩られ、気楽に読める上質のエンターテイメントに仕上がっています。本作は三部作の1作目ということなので今後の展開が実に楽しみです。
2019年版SFが読みたい!海外部門7位(三部作での順位)


FUNGI-菌類小説選集ー第Ⅱコロニー(オリン・グレイ編)
キノコの蔓延したサイバーパンクの世界でキノコの根源を突き止めるべく蒸気飛行船で冒険の旅に出た発明家の姿を描いた「ど真ん中の怪物」、アウトローたちがキノコ人間の討伐に迎い、彼らのおぞましい秘密を知る「奴らはまず豚を迎えに来る」、菌類との往復書簡によって綴られるユーモラスな一編「菌真者への手紙」など12篇からなる奇想に満ちたアンソロジー。
キノコをテーマにしたアンソロジーの第2弾です。サイバーパンク、ヒロイックファンタジー、メルヘン、SFホラーと、同一のテーマを扱いながらもアプローチの仕方がバラエティに富んでいるのはあいかわらずです。ただ、パワフルだった第1弾と比べると若干落ち着いた味わいの作品が中心となっている気はします。しかし、いずれにしても、他の本では決して体験しえないオンリーワンの存在感は健在です。菌類が苦手という人にはこの独特の世界観はキツイものがあるかもしれませんが、異様な世界に入り込んでトリップ感覚を味わいたいという人にはおすすめです。


スタートボタンを押してください‐ゲームSF傑作選‐(ケン・リュウ、桜坂洋・他)
牛丼屋のバイトの最中に強盗に襲われて殺されたはずの俺の奇妙な体験を描いた「リスポーン」、ゲームに熱中するあまり大学を辞めた元恋人と話をするべくネットゲームにログインするとその彼から救助メッセージを受け取る「救助よろ」、ゲーム嫌いのはずの妻がFPSに夢中になる奇妙な理由を描いた「キャラクター選択」など、ゲームをテーマにしたSFアンソロジー集。
「紙の動物園」のケン・リュウや「火星の人」のアンディ・ウィアーなど、ヒューゴ賞、ネピュラ賞、星雲賞受賞作家をずらりと並べたアンソロジーです。日本からはハリウッドで映画化もされた桜坂洋の作品も収録されています。それだけにクオリティは折り紙つきで、ゲーム好きの人にとっては文句なく楽しめる作品集となってます。また、どれもゲーム世界の魅力にSF的アイディがうまく絡み合っており、この二つのジャンルの相性のよさをうかがわせてくれます。ただ、それだけに、本国では26作品収録なのが日本版では12編に圧縮されていしまっているのが残念。これはぜひ完全版の登場を待ちたいところです。
スタートボタンを押してください (ゲームSF傑作選) (創元SF文庫)
ケン・リュウ
東京創元社



2018-03-12

スターシップ・イレヴン(S・K・ダンストール)
何者かによってもたらされたエネルギー・イレブンによって人類は光速の壁を越え、銀河系全域へと勢力を広げていった。しかし、原理すら不明のそのエネルギーを扱えるのはライズマンと呼ばれる選ばれし者だけだった。イアンは優れたライズマンだったが、イレヴンと歌でコミュニケーションが取れると思い込んでいたため、周囲にバカにされていた。そんな彼が皇女ミッシェルに連れ出され、近づくもの全てを消滅させる謎のエイリアンの調査をすることになるが.....。
特異な能力を持つ主人公とセクシーなヒロインが織りなす捲き込まれ型スペースオペラです。よくいえば王道展開、悪く言えばベタなのですが、キャラクターが魅力的で物語に勢いがあるのでぐいぐい引き込まれていきます。気弱で周囲に振り回される主人公もいざとなれば歌を武器で戦うというギャップがいい味を出しています。やや詰め込みすぎな感もあるものの、その濃密さが魅力だったりするので一概にそれが欠点とはいえません。ちなみに、作者のS・K・ダンストールは姉妹の合作ペンネームで、詰込み気味の作風も彼女たちの創作スタイルに関係しているようです。物語は中途半端なところで終わりますが、本作は3部作という話なので続編の発売が待たれるところです。
スターシップ・イレヴン〈上〉 (創元SF文庫)
S・K・ダンストール
東京創元社
2018-02-21


折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー(ケン・リュウ編)
去年は陳浩基の「13・67」の登場で中華圏ミステリーが一躍注目を集めることになりました。一方、SF界では中国系アメリカ人のケン・リュウが怒涛の活躍を続けています。
中国は経済だけでなく、サブカルチャーの分野においても大きく飛躍していこうとしているわけです。本書はそのケン・リュウによって本場中国の作品だけを集めたアンソロジーです。収録作品は遺伝子改造をされたネズミの駆除を行うために街中を駆け回る「鼠年」、受容体の改造によって常人とは異なる時の流れの中で生きることになった人間の意識を描いた「麗江の魚」、当たり前に幽霊のいる世界にSF的解釈を組み込んだ「百鬼夜行街」など、幻想的なイメージが広がっていく作品が多いのがいかにも中国的です。その一方で、老人介護と介護ロボットの問題をテーマにした「童童の夏」などといった作品もあり、中国でも日本と同じように少子高齢化が問題になっていることを伺わせます。他には行きすぎた検閲によって禁止用語が指定されるのではなく、健全語しかしゃべれなくなる「沈黙都市」なども中国を象徴した作品だといえるでしょう。ただ、それを単なるディストピア小説としてではなく、ユーモアを交えて描いているところに独特の味わいがあります。いずれにせよ、これらの作品群からは国内SFや欧米のそれとはまた違ったセンスオブワンダーの世界を感じることができます。もっと中国SFが読んでみたいと読者に思わせるには十分なクオリティを有したアンソロジーだといえるでしょう。
2019年版SFが読みたい!海外部門1位
アルテミス(アンディ・ウィアー)
人類初の月面都市アルテミス。直径500メートルの土地に建てられたこの都市は5つのドームからなっており、その中には2000人の人間が暮らしている。そこで運び屋の仕事をしている女性、ジャズ・パシャラは大物実業家から謎の仕事を依頼される。その依頼内容に疑念を抱いたパシャラだったが、破格の報酬にめがくらんでその依頼を受けてしまう。ところが、それには都市の未来を左右する巨大な陰謀が隠されていたのだ。
「火星の人」で商業デビューを果たし、一躍ブレイクしたアンディ・ウィアー待望の2作目です。火星の次は月を舞台にした近未来SF作品ですが、ディテールのうまさは相変わらずで月面都市がどのような仕組みで成立しているかという説明部分だけでもかなり読ませるつくりになっています。後半に入ると逆に、アクション中心の展開になり、こちらもテンポがよくてなかなかの面白さです。最後のどんでん返しにつながるネタも著者の持ち味がよく活かされています。ただ、アクションが増えた分、「火星の人」に比べてハードSF的な面白さが後退してしまい、ハリウッド映画的な雰囲気に近づいたのは賛否の分かれるところです

2019年版SFが読みたい!海外部門8位
アルテミス(上) (ハヤカワ文庫SF)
アンディ・ウィアー
早川書房
2018-01-24


世界の終わりの天文台(リリー・ブルックス=ダルトン)
北極諸島の天文台で研究を続けているオーガスティンの前に幼い少女が姿を現す。しかも、彼女を迎えにくる者は誰もいない。どうやら世界はなんらかの理由で滅亡の危機に瀕しているらしい。一方、木星調査船アイテルの乗組員たちは調査を終えて地球への帰途についていた。しかし、突然地球との連絡が途絶え、不安に苛まれながら航海を続けていく。終末を迎えた世界で二つの物語はどうつながっていくのか。
物語は回想シーンを多用しつつ、生き残った人々の内省的な描写がメインになっています。
人類絶滅のプロセスをダイナミックに描いていく作品ではないのでパニック小説のようなものを期待していると肩すかしをくらうでしょう。ストーリーも起伏に乏しく、カタルシスを感じる場面は皆無です。その代わり、詩情豊かな文章で綴られる終末世界は静けさに満ち、なんとも言えない情感をかきたててくれます。静謐な世界に浸り、余韻を楽しむタイプの作品だといえます。

世界の終わりの天文台 (創元SF文庫 SFフ 12-1)
リリー・ブルックス=ダルトン
東京創元社
2022-08-12



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最新更新日2019/06/28☆☆☆

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2018年に発売されたおすすめライトノベルの内、第1巻のみの限定レビューです。
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多分僕が勇者だけど彼女が怖いから黙っていようと思う(花果唯)
ルークはある日、女神の夢を見る。彼女はルークを勇者と呼び、聖剣と共に旅立つようにいう。しかも、勇者が現れるという神託を受けた聖女が都からやってきて、ルークこそが勇者ではないかとつきまとうのだった。だが、怖くて愛しい幼馴染のために彼は自分が勇者であることをひたすら否定し続ける。その内、神託を聞きつけた魔物までが村に押し寄せてくる。果たして、ルークは幼馴染への愛を貫けるのか?
俺tueee系主人公とツンデレヒロインを組み合わせたラブコメファンタジーです。最初は主人公に対するヒロインの扱いが酷過ぎて若干引いてしまうほどですが、内心では主人公にベタ惚れであることが分かってくると次第に可愛く感じてきます。突然、現れた聖女に嫉妬するところなんかも愛らしい。ギャップ萌えの極致といったところでしょうか。ただ、暴力系ヒロインが苦手という人には少々キツイかもしれません。
同棲から始まるオタク彼女の作りかた(村上凛)
海外赴任でインドに家族が引越す中、オタク文化のない国では暮らせないと、一人日本に残った一ケ谷影虎。彼の当面の目標はオタクに理解のある彼女を作ることだ。そして、意を決して臨んだのが秋葉原で開催されているオタク恋活&友活パーティだった。しかし、そこでオタクとは全く縁のなさそうなクラスメイトのリア充女子・二科心と出くわす。実は彼女はリア充を装った隠れオタクだったのだ。思わぬ出会いにうろたえ、何もできないままにパーティを終えた2人は互いをなじり始める。その揚句、影虎は心に「オタク男子が好む女性像を教える」、心は影虎に「オタク女子が求める理想の男性像を教える」という協定を結ぶことになる。しかも、思わぬ成り行きで2人は同棲を始めることになり.....。
本作は著者のデビュー作である『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』と似たような展開をたどります。そのため、非常に既視感の強い作品となっており、新鮮さには欠けています。いがみ合っていた男女が同棲を始めるというのもテンプレ通りです。その代わり、著者が得意とする分野だけあって、安定した面白さを感じさせてくれるのはさすがです。また、作者が女性であるため、女性心理にリアリティを感じさせてくれる点は同系統の他作品にはない魅力だといえるでしょう。しかも、オタク男子の描き方にも女性作者とは思えないうまさがあり、その相乗効果によって高品質のラブコメに仕上がっています。あとは、ここからデビュー作といかに差別化を図っていくのかが注目されるところです。


異種族レビュアーズ えくすたしー・でいず(葉原鉄)
多種多様な種族が混在している異世界の住人は性に対する嗜好もさまざま。それらの需要に応えるため、街にはマニアックなお店が数多く存在している。人間族の冒険者・スタンクはそうした店を巡っては異種族の悪友たちとレビューをし合い、お互いの感性をぶつけ合っていた。そんな彼らがどんな種族のどんな趣味にも応えてくれるという”時を超える召喚士”の噂を耳にする。一行は今まで叶うことのなかった夢のプレイを求めて噂の出所を掴もうとするが.....。
異世界の風俗嬢をクロスレビューするという異色のコンセプトでカルト的な人気を誇るコミックのノベライズ作品です。エロティシズムをテーマにしている作品だけに、小説ではコミックに及ばないのではと思うかもしれませんが、全くそんなことありません。ノベライズの著者がアダルト小説出身なのでこの手の描写はお手のものですし、何よりコミック版と比べてエロ度が格段にアップしているのがうれしいところです。コミック版はあくまでもレビュー自体が話の中心だったわけですが、本作ではプレイシーンもがっつり描写されています。それも、ライトノベルの限界に迫る勢いです。その上、ただのエロ小説に堕することなく物語としての面白さやキャラクターの魅力などもしっかりと表現されており、非常にバランス感覚に優れた作品だといえます。コミック版が好きだという人には特におすすめです。
航空軍士官、冒険者になる(伊藤暖彦)
超空間航行中に正体不明の敵の攻撃を受けた帝国軍の宙航艦は爆散。ただ一人脱出したアランは目前の惑星に不時着するが、そこはアランと同種の人類が繁栄する魔法の世界だった。アランは共生関係にあるナノマシンを駆使して未知の惑星でのサバイバル生活を始めることになる。
なろう小説における異世界転生もののファンタジーな雰囲気を踏襲しつつも、そこにスペースオペラの設定を組み込むことにより、物語に新鮮さを与えることに成功しています。サイエンスとファンタジーの両方の要素を織り交ぜて話が展開していくので、その辺りに独自の味わいがあります。また、主人公とヒロインの文化の違いからくるギャップなどもなかなか楽しく描けており、好感触です。ただ、1巻はまるごとプロローグといった感じなので盛り上がりに欠ける点が弱点だといえるかもしれません。今後の展開に期待したいところです。
航宙軍士官、冒険者になる
伊藤 暖彦
KADOKAWA / エンターブレイン
2018-11-30


Free life Fantasy Online(子日あきすず)
フルダイブ型VRMMORPG「FLFO」を妹からプレゼントされたおっとり美少女JKの琴音。さっそくプレーを始めた彼女が選択した種族はゾンビだった。妹が愛する巨乳は腐り落ち、漂う腐臭のおかげで誰も近寄ってこない。しかし、のんびりマイペースな彼女はコツコツとソロプレーを続けていく。果たしてその先には何が待っているのだろうか?
なろう系ラノベの世界では相変わらず異世界転生ものが人気ですが、本作は命を落とした主人公が異世界で生まれ変わるわけでも、ゲームの世界から抜け出せなくなるわけでもありません。ただ単に日々のプレイ日記を綴っていくだけです。ある意味、ゲームの実況動画をそのまま小説にしたような感じです。そのため、劇的な展開を期待していた人は肩すかしをくらうかもしれません。また、ゲームに関する説明が多いので冗長だと感じる人もいるでしょう。しかし、その反面、世界観や設定が細かいところまでよく考えられており、ゲーム好きの人にとっては非常に興味をそそられる内容となっています。この架空のゲームのことをもっと知りたくなって先へ先へと読み進むことになるのです。さらに、清楚系美少女なのにゲームプレイ中は腐敗ゾンビという主人公のギャップも良い味をだしています。決して派手な展開があるわけではないのですが、癖になる面白さがこの作品にはあります。ちなみに本作は「小説家になろう年間ランキングVR部門」にて第2位に輝いていますが、それも納得の完成度です。


百竜殺しと武器屋の幼女(秋月煌介)
アーヴェイは魔獣殺しと名高い凄腕の冒険者。ただ、魔力がすごすぎるために武器がそれに耐えきれず、頻繁に壊れてしまうという悩みがあった。修理費もバカにならず、生活にも困窮するありさまだ、おまけに目つきが悪く、見た目が怖いので相棒を持つこともできない。そんな折り、アーヴェイは偶然助けた12歳の娘に慕われる。しかも、彼女は武器工房の娘で......。
ヒロインの可愛らしさが印象的ですが、それだけにとどまらず、王道冒険ストーリーとしてしっかり楽しめる出来に仕上がっている点に好感が持てます。遺跡探索のロマンとキャラクターたちの掛け合いによるコメディ、ヒロインの可愛らしさと冒険の緊迫感。そういった要素が絶妙なバランスで配置されているのが見事です。設定周りもしっかりしており、安心して楽しめる佳作だといえます。


予言者の経済学(のらふくろう)
王女アルフィーナは西より災いが訪れるという予言を告げ、国民に危機を訴える。だが、叛逆者の血を引く彼女の言葉に耳を傾けるものはいなかった。一方、この世界に転生してきた経済学部出身のリカルドは行商人の養子になって商売を始めるものの、大商人の妨害に苦しめられていた。そんな彼にアルフィーナは手を差し伸べる。そのことがきっかけでアルフィーナと懇意になったリカルドは予言にあった災厄から王国を守る決意をするが.......。
転生者が前世の知識を活かして活躍する物語ですが、現代兵器を使ってファンタジー世界で無双するといったような単純なものではありません。ファンタジー世界の危機に対して、主人公は現代の経済学で立ち向かおうとします。現実に存在する理論を駆使し、仮説と検証を繰り返して危機に対処しようとするプロセスは非常にスリリングです。しかも、問題解決のプロセスというのが、現実社会でも応用可能に感じるほどに練り込まれているため、読んでいると知的好奇心を刺激されることになります。また、魅力的な世界観といい、伏線回収の手際の良さといい、物語としても完成度の高さを感じさせてくれます。ただ、やたらと専門用語の横文字が出てくる点が鼻につく気がしないでもありません。ともあれ、ミステリーにも似たロジカルな手法はラノベ界に新風を吹き込むものであり、これからの展開が楽しみです。


陰の実力者になりたくて(逢沢大介)
少年が憧れたのは主人公でもラスボスでもなかった。一見目立たないモブでありながら、物語に介入する『陰の実力者』こそが彼の理想だったのだ。そのため、少年は目立たない生活を送りながら、密かに努力を続けていた。だが、それも空しく、交通事故によって少年はあえなく人生を終えてしまう。そして、彼は異世界へと転生し、新たな人生を歩むこととなった。ラッキーとばかりに少年・シドは異世界を舞台に架空の『闇の軍団』を設定し、軍団を倒すべく暗躍ごっこを始める。しかし、その組織は実在していたのだ。やがて、壮絶な勘違いから少女たちがシドの配下となり、彼のために命を賭けて世界の闇と闘うことになるが......。
なろう系主人公というのは世界が自分を中心に回り過ぎていている傾向があります。また、主人公自身も自分の興味のあるものしか見えていないタイプが多いため、読者からすると「コイツはサイコパスなんじゃなかろうか?」と感じてしまう場合も少なくありません。本作の主人公は、まさにそうしたタイプを煮詰めたようなキャラクターです。友人も部下も自分の欲望のために駒のように使っていきます。作品の雰囲気もシリアス感満載で、まともに書くと胸糞悪い話になりそうです。ところが、部下が主人公の考えを勝手に先読みし、あるいは偶然が積み重なって主人公の意図しないところで正義をなされていくのです。そのギャップが笑えます。しかも、文章が読みやすく、テンポもよいのでサクサクと読めるところもグッドです。主人公が好感を持てるタイプではないため、その点は賛否が分かれそうですが、逆転の発想が楽しい一級のエンタメ作品に仕上がっています。
陰の実力者になりたくて! 01
逢沢 大介
KADOKAWA / エンターブレイン
2018-11-05


君は世界災厄の魔女、あるいはひとりぼっちの救世主(大澤めぐみ)
数百年の長きに渡って繰り広げられてきた魔法の国アビエニアと機械の国グランデリニアの戦いは愛を説く新たな教えによって終結する。だが、それから2年。戦争終結2周年を祝う祝典の最中、災厄の魔女マリア=アンナが現れて皇帝を殺害。続いてかつての上司である魔法省長官のライルをも手にかけたアンナは「善き人はすべて殺す」と宣言するのだった。世界そのものを敵に回した姉弟の目指すものとは一体何なのか?
奇しくも最近発売された『名もなき竜に戦場を、穢れなき姫に楽園を』と似たような設定の作品です。しかし、あちらが長き戦いをいかにして終わらすかといった物語なのに対し、こちらはようやく訪れた平和をぶち壊す物語と、見事にベクトルが正反対です。一言でいえば、本作はダークファンタジーということになりますが、主人公サイドが善人たちを無慈悲に殺していくというのはやはりインパクトがあります。しかも、SFや哲学的な要素を孕んでおり、なかなか考えさせられる作品でもあるのです。ストーリー自体もひねりがあり、かなり刺激的な仕上がりになっています。また、救いがないのにどこか落ち着いた感じのラストも印象的です。ただ、王道とは真逆をいく物語なので主人公の行動に納得できるかどうかで賛否がわかれそうではあります。
サラリーマン流 高貴な幼女の護りかた(逆波)
優秀な営業マンである榊平蔵は会社帰りにとある事件に巻き込まれ、謎の組織に襲われる。その際、”刀”を手にしたことで異能力に目覚めるのだった。人ではなくなった平蔵は表社会からその存在を抹消され、陰から日本を守護する組織〝近衛”に入隊する。そして、護衛対象である高貴な一族の一人娘・日桜や近衛の仲間たちとの交流を深めつつ、他国の陰謀に立ち向かうことになるのだが......。
冷静沈着でキレものの主人公が魅力的に描かれ、しかも、さまざまな経験を通して考え方が徐々に変わっていく描写が良くできています。それに対して、11歳のヒロイン・日桜様はひたすら可愛く、平蔵に対してベタベタと甘える反面、包容力も兼ね備えている点に癒されます。一方、バトルものとしては政治や経済の話を挿入して物語に深みを持たせながら、終盤の熱い展開になだれ込んでいく流れがグッドです。また、刀の蘊蓄がかなり出てくるので、刀好きの人なら興味深く読むことができるのではないでしょうか。しっかりと地に足のついた、完成度の高い作品です。


名もなき竜に戦場を、穢れなき姫に楽園を(ミズノアユム)
魔法に長けた魔導王国とテクノロジーの発展した機械帝国。両国は果てのない戦いを続けていた。そんな中、最強と恐れられる両国のエースは不可思議な場所に迷い込み、邂逅を果たす。屍喰竜のクロトと輝動鋭機を駆るために生み出されたロアはお互いの正体を知らないまま、胸に抱いた想いを吐露していくが.....。
科学と魔法が対立する世界を緻密な設定で組み上げており、SFファンタジーとしてかなり読み応えがあります。主人公とヒロインも魅力的で100年戦争をいかに終結に導くかという壮大な物語を1冊でまとめあげた手腕も見事です。ただ、どうしても詰め込み過ぎの部分が出てしまい、終盤が多少駆け足になってしまった印象がなきにしもあらずです。話を膨らませて全3巻か全5巻ぐらいにすれば、さらに面白くなったような気もします。
七つの魔剣が支配する(宇野朴人)
キンバリー魔法学校に今年も新入生たちがやってくる。だが、そこは魔法使いだけではなく、トロールや亜人類たちがひしめく、魑魅魍魎の世界だった。きまぐれに人を呑みこむ地下迷宮に怪物じみた上級生たち。そんな魔境を生き抜くオリバーは日本刀を提げた少女・ナナオと運命の邂逅を果たすが......。
ハリーポッターのような世界観の中に剣戟の要素を組み込んだヒロイックファンタジーです。中盤までは各キャラクターに魅力は感じるものの、物語自体は可もなく不可もなくといった感じです。しかし、後半になると怒涛の展開が始まり、一気に惹きこまれていきます。特に、ラストシーンは絶品です。一見、普通の学園ファンタジーかと思わせてから始まる骨太のドラマには本当に驚かされます。ここから、強大な敵にどう立ち向かっていくのか。2巻の発売が待ち遠しくなる傑作です。
七つの魔剣が支配する (電撃文庫)
宇野 朴人
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-10-07


俺はアリスを救わないことに決めた(清水苺)
立川誠は誰からも好かれる爽やかなイケメンだが、中学時代は肥満が原因で周囲からイジメを受けていた。そんな彼を救ったのが魅惑的な雰囲気を持つ美少女・遠越有栖だった。だが、彼女は一度救った誠をゴミのようにあっさりと捨てる。有栖は心に淫魔を棲まわせたとんでもない悪女だったのだ。その彼女が再び彼の前に現れる。「また昔のように遊びましょ」と囁く有栖に誠の心はかき乱される。一方、誠によって助けられた純真な少女・葛城りるは有栖に翻弄される誠を救おうとするが......。
主人公と美少女2人の三角関係を描いた一種の恋愛ものですが、初々しい恋愛のドキドキ感や可愛い女の子に囲まれて萌え萌えといった雰囲気は一切ありません。物語は常にダークな空気をまとい、登場人物のほぼ全員が頭おかしいのでまるでホラーのようです。悪女の有栖はもちろん、主人公の誠も純真なはずの葛城りるももれなく狂っています。また、エロ表現の多い作品でもあるのですが、それもサービスシーンなどいったものではなく、ひたすら淫靡で不健康です。とにかく、最初から最後まで悪夢を見ているような作品で、それだけにインパクトは抜群です。読者を選ぶ一方で、一度ハマる抜けだせなくなりそうな倒錯的な魅力があります。
やりすぎた魔神殲滅者の七大罪遊戯(上栖綴人)
天使が降臨したことで異能力者であふれることになった裏吉祥寺。そんな中、実際に異世界に召喚されたことのある小鳥遊士狼はケタ外れの力を身に着けている。背徳のタブーを犯すことで魔神を殲滅し、七つの大罪の力を手に入れたというのだ。彼はその力を背景に、異能グループのトップに立ち、気ままな日々を過ごしていた。しかし、ある日、男たちに追われる少女を助けた際に、誤って「禁断の色欲」を彼女に刻んでしまい.......。
『はぐれ勇者の鬼畜美学』『新妹魔王の契約者』と、2作連続でアニメ化を果たした著者の新作です。その内容はいつものようにバトルとエロスが満載の俺tueeee系ですが、今回は特にやりすぎ感が冴えわたっています。まるで、ブレーキの壊れた暴走トラックのごとくで、続刊ではこれ以上アクセルを踏み込めるのかと心配になるほどです。特に、「千年に一度の委員長」こと鴻崎唯の普段の清楚さと色欲の魔法が発動しているときエロさのギャップがたまりません。3度目のアニメ化は間違いないと思わせるだけのパワーを持つ力作です。

JK堕としの名を持つ男、柏木の王道(永菜葉一)
資産家の令嬢たちが借金返済のために殺し合いをさせられている聖ルルド学園。有栖川グループの社長は学園の悪事を暴くため、一人娘の姫乃を編入させる。そして、自分の部下である柏木啓介を娘の私物としてゲームに参加させるが......。
現在のラノベは哀れな社畜が異世界に転生して俺TUEEEするのが主流となっていますが、本作は現世で社畜のまま、俺TUEEEするのが異色だといえるでしょう。というか、なろう系ラノベ以外ではむしろそれが王道なのかもしれませんが。それはともかく、本作の場合、主人公が社畜ぶりがあまりにも規格外なので共感する以前に笑えてきます。そして、そんな社畜が俺TUEEEするギャップが秀逸なのです。他のキャラも魅力的で、息つく間もない怒涛の展開とマシンガンのように繰り出されるギャグに圧倒されます。エロありバイオレンスありのエンタメ傑作です。


理想の娘なら世界最強でも可愛がってくれますか?(三河ごーすと)
かつて世界を救った英雄・白銀冬真も今は平凡なDランクの主夫。一方、彼の娘である白銀雪奈は魔法騎士学園に最強のSランクとして入学を果たす。娘の成長に涙する冬真だったが、ある日、彼の元に娘と一緒に学園に通うようにとの指令が下り......。
前半から中盤にかけては親バカ主人公とファザコン娘のほのぼのエピソードが続き、心温まる物語を楽しむことができます。ところが、後半になると雰囲気は一変。最初に提示されていた絶望的な設定ー人類は胞子獣に敗れて地下でかろうじて生存圏を確立しているーが前面に押し出されてきます。物語はダークさを増し、話の展開は絶望へと一直線です。この温泉から極寒の雪原に放り出されたような温度差が本作の最大の読みどころであり、同時に、賛否の分かれるポイントでもあります。とりあえずは次巻がどうなるのかが非常に気になるところです。


鏡の国のアイリス-SCP Foundation-(日日日)
主人公は本を開くと必ず女の子の写真が挟まっているという怪奇現象に悩まされていた。ある日、彼は本を開いた瞬間全く見知らぬ空間に飛ばされる。刑務所のような殺風景な場所に立っているのは写真の女の子だった。彼女は、この場所がSCP財団の研究所の中だという。SCP財財団とは自然法則に反した存在や現象を保護・研究する組織だというのだが.....。
2007年のネット上のとある創作に端を発し、今や世界中に広まった創作コミュニティ・SCP財団。本作はその基本設定を題材としたライトノベルです。いってみればクトゥルフ神話の現代版みたいなものですが、SCP財団をあまり知らないという人でも楽しめる点が魅力となっています。SCPとは何かについて解説を交えながら話が進むので、SCPの知識が全くなくても何の問題もありません。むしろ、SCP財団入門のために書かれた作品だといってもよいでしょう。SCP経験者は内容がライトすぎて物足りないかもしれませんが、知らない人にとってはその魅力をわかりやすく教えてくれる良書です。SCP財団に興味がある人は入門書として読んでみるのもよいのではないでしょうか。
脇役艦長の異世界航海記~エンヴィランの海賊騎士~(漂月)
出勤途中の電車に揺られていたはずの俺は気が付くと見知らぬ浜辺にいた。なぜか異世界に飛ばされいたのだ。そこで俺はパラレルワールドの日本から転移してきたAI戦艦シューティングスター号と出会う。言葉の通じない未知の世界を生き抜き、それぞれの日本に戻るために俺たちは協力関係を結ぶことになるが......。
自分を脇役と考えている主人公が意外とと前向きで好感の持てる人物として描かれているのでストレスなしにサクサクと読むことができます。世界観は割となんでもありですが、ポンコツAI少女やペンギン騎士といった魅力的なサブキャラクターたちがうまく物語を牽引していっています。安心して読める冒険活劇の佳作といった感じです。
はじらいサキュバスがドヤ顔かわいい。(旭蓑雄)
三次元女子には何の魅力も感じない二次元オタの男子高校生・ヤス。彼は同人即売会で憧れの絵師・夜美と出会うが、彼女は人の性欲を集めて貪るサキュバスだった。ところが、彼女は男性恐怖症のため、上司から課せられたノルマを達成できないでいた。それで仕方なく、エッチな絵を描いて間接的に男性の性欲を集めていたのだ。そんな彼女は人畜無害なヤスに目をつけ、彼と交際することで男性に慣れようとするが......。
ストーリー自体はテンプレラブコメなのですが、とにかくヒロインの可愛さが尋常ではありません。ドヤ顔・赤面・ポンコツという要素がことごとくキュートでそれだけで押し通したような作品です。したがって、主人公とヒロインの関係にひたすらニヤニヤしながら楽しむべき作品だといえるでしょう。逆にいえば、本当にそれだけの作品なのでキャラが合わなければ厳しいかもしれません。
異世界語入門~転生したけど日本語が通じなかった(Fafs.f.sashimi)
八ケ崎翠は異世界に転生した。目の前には銀髪の美少女がいる。そうなれば、後はチート能力を得てハーレム生活が待っている。誰しもそう思うところだが、なんとこの世界では日本語が通じなかったのだ。翠は慌てて異世界の言語を学習し、銀髪の少女・シャリアとコミュニケーションを取ろうとするが......。
異世界転生ものではスルーされがちな言葉の壁の問題を真正面から描いた異色作品です。ラノベらしい雰囲気は堅持しつつも、未知の国にいきなり放りだされたときにどのようにしてコミュニケーションを取ったり、現地の言語を習得したりすればよいかという問題を真正面から描いています。その切り口がなんともユニークです。また、言語に対する作者の教養の深さが窺え、読者の知的好奇心を刺激する内容になっています。語学習得について興味があるという人には特におすすめの作品です。
僕は何度も生まれ変わる(十文字青)
社畜SEだった僕は交通事故に遭い、29歳でその人生を終えた。だが、異世界で犬頭人と猫耳人のハーフとして転生する。ある日、僕の住んでいた村は戦火に巻き込まれ、お嬢様のミシャトと一緒に逃げる。しかし、帝国軍に追い詰められ、僕たちは崖の下へ飛び込んだ。2度目の死を経験した僕は次に、猟師のギルヒーとして転生する。その後、帝国軍への復讐の念に駆られて反乱軍の志願兵となった僕だったが、帝国の姫将軍・ランゼリカによって3度目の死を経験することになった。そして、蜥蜴人として三度の転生を果たすが.....。
冒頭はしがないサラリーマンが異世界に転生するといった手垢のついた展開でまたかといった感じですが、その後の展開が異色です。転生してもハーレムなど作る暇もなく、100ページも満たない内に5回も転生を繰り返します。しかも、必ず18歳の時に同じ女に殺されるというのが読者の興味を引っ張っていきます。物語の雰囲気もかなりハードで、その辺りも昨今の異世界転生ものに比べると異色だといえるかもしれません。また、1巻の表紙を飾っているのがヒロインではなく、ラスボスというのも珍しいのではないでしょうか。さらに、主人公は決して俺tuee系ではないので非常に泥臭く、しかし、そういったところにも好感が持てたりします。非常に熱く、先の気になるファンタジー戦記ものです。
顔が可愛ければそれで勝ちっ!!バカとメイドの勇者制度攻略法(斉藤ニコ)
姫八学園は自由な校風と豪華な設備、それに「なんでも願いがかなう」とされる勇者制度で知られる学校だ。国立大理は希望に胸を膨らませてその学園に入学するが、彼を待ち受けていたのは築118年のオンボロ男子寮だった。夢の学園生活に暗雲だだよう中、女子寮メイドの東條風花と仲良くなって状況は一変。まさに、これぞ青春と思っていたところに今度は風花が退学になると聞かされる。大理は男子寮の仲間と協力し、勇者制度を使って彼女を救おうとするが.......。
第23回スニーカー賞特別賞受賞作。タイトルや設定からも連想される通り、『バカとテストと召喚獣』を彷彿とさせるドタバタラブコメディです。キャラの個性ががきっちりと描き分けられており、話のテンポもよいので安定した面白さがあります。特に、女の子の可愛らしさや男性キャラの掛け合いの楽しさが特筆すべき点です。一方で、まだまだ掘り下げられていないキャラも多いため、2巻以降の展開も気になるところです。


神アプリ曰く、私たち相思相愛らしいですよ?(真野真央)
凛珠は積極的な性格なのに、幼馴染の翔がデレるとへたれるという悪癖を持っていた。そのせいで、2人の関係は一向に進展しない。コミュニケーションアプリで2人の相性を診断してもわずか1%という結果になってしまうのだ。ついに、幼馴染との仲を諦めた翔は相性アプリを使って新しい恋を探し始めるが......。
現代ならではの小道具を用いた新世代型のラブコメですが、主人公が変にひねくれていなくて真っすぐなキャラなので読んでいて好感が持てます。斜に構えた主人公はもううんざりという人にはおすすめの作品です。また、次々と出てくるヒロインもみなキャラが立っていて魅力的です。特に、ヒロインたちが主人公にアプローチをかける方法がそれぞれ個性的で楽しめます。そんな中でもイチオシなのがヘタレ加減が超可愛い幼馴染でしょうか。ハーレムラノベとしては極めて高いレベルにあり、2巻以降の展開にも大いに期待が持てます。
魔王の処刑人(真島文吉)
歴史が途絶えて久しい魔の島には伝説の不死の水があるという。その伝説に魅せられて今まで多くの探索者がこの島に挑んできた。処刑人サビトガもまた、自らが使える王家のために魔の島に上陸する。そこで、シュトロと名乗る男と出会い、共に宝を探すことになるが....。
メインの話は宝探しなのですが、探索者たちのバックボーンがすさまじく濃厚で、その一つ一つが1冊の本になりそうです。とにかく、登場する男性キャラがみなハードボイルドで、そのエピソードはずしりと読みごたえがあります。その一方で、孤島での生活もリアルに描かれており、そのサバイバル知識にも興味がひかれます。ただ、そういった要素が面白すぎて肝心の宝探しが今一つ盛り上がらないのが気になるところです。その点は2巻以降のお楽しみといったところでしょうか。
魔王の処刑人 1
真島 文吉
主婦の友社
2018-07-02


青春失格男と、ビタースイートキャット(青友一馬)

高校に入学して早々、野田進は清楚系女子の宮村花恋と運命的な出会いを果たす。子猫を助けようとして桜の木から落ちてきた彼女を彼が救ったのだ。しかも、彼女に惚れられ、誰もがうらやむ青春がスタートする。しかし、当の進はその状況を疎ましくさえ感じていた。そんな時、エキセントリックな天才児西條理々が彼の前に現れ、進は彼女との共犯関係に救いを求めようとするが.....。
第30回ファンタジア大賞審査員特別賞受賞作。一般人が思い浮かべる理想の青春というものに違和感を覚えつつもその価値観を完全には捨てきれない進、優しい世界への嫌悪からSM行為に走る理々、進と特別な関係でいたいが故に過激な行動に打って出る花恋と見事に歪んだキャラクターが一同に会し、その歪んだ日常を描いた異色の青春小説です。SMや露出などの過激な描写に目が行きがちですが、この作品で描かれている心の闇は思春期には誰もが持っている部分です。そうした青春時代の閉塞感が多少誇張されつつも、非常にうまく描かれています。青春失格といいながら、逆説的にこれぞ青春といった作品でもあります。ラノベとしては少々展開が地味であり、SMといった要素も読者を選びますが、読んでいてノスタルジックな気分に浸れる良作です。


スカートのなかのひみつ。(宮入裕昴)
女装が趣味の天野翔は大通りでクラスメイトの八坂幸喜真とで出くわす。翔の女装を一発で見抜いた
幸喜真は可愛いと彼を誉め、女装で学校に通学することを勧めるが......。女装アイドルを目指す少年とタイヤ泥棒をする女子高生のたちの物語が交錯するハイテンション青春ストーリー。
第24回電撃文庫大賞最終候補作。破天荒で凄まじい熱量を有した青春群像劇です。特に、主人公の相棒である八坂の熱さと男気にはぐっとくるものがあります。また、他のキャラも魅力的で、さまざまな小道具を用いて彼らの心情を巧みに表現してく技巧が見事です。物語の軸が後半まで見えてこないのでややじれったさを感じるものの、そうした瑕疵は勢いで押し切ってしまうだけのパワーがあります。読み終わった後に爽やかな気分にしてくれる力作です。
スカートのなかのひみつ。 (電撃文庫)
宮入 裕昂
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-06-09


三角の距離は限りないゼロ(岬鷺宮)
高校2年生の矢野四季は相手が望むキャラクターを演じてしまう悪癖があった。そんな自分に嫌気がさしていたある日、四季は転校生の水瀬秋玻にその悪癖を知られてしまう。
秋玻は四季に対して「人の目など気にせず胸を張っていればいい」と彼の本質を肯定する言葉を告げる。四季は物静かでまっすぐな心を持つ彼女に魅かれていくのを感じたが、実は彼女にも人に言えない秘密があった。なんと彼女は天然でプレッシャーに弱い春珂というもう一つの人格を持つ多重人格者だったのだ。
主人公と2人のヒロインによる三角関係を描いたラブストーリーですが、2人のヒロインというのが同じ肉体を持つ主人格と副人格という設定がユニークです。しかも、そこに主人公の葛藤が加わることで物語に厚みを与えることに成功しています。心理描写も丁寧であり、ストーリー展開もオーソドックスながらも良質です。苦みを感じさせながらも爽やかな読後感といい、極めて完成度の高い青春小説に仕上がっています。
三角の距離は限りないゼロ (電撃文庫)
岬 鷺宮
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-06-09




乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です。(三嶋与夢)
ある日、階段から転がり落ちて命を落とした俺は異世界で貧乏貴族の三男・リオンとして転生する。ところが、そこは超男尊女卑の乙女ゲーの世界だったのだ。攻略対象のイケメン軍団以外は女性から家畜のように扱われる世界でリオンは虐げられ、挙句の果てに50代の女性と結婚させられそうになる。そこで、一念奮起したリオンは前世で妹にプレイを強要された乙女ゲーの知識を頼りに逆襲に打って出るが......。
ラノベで転生ものといえば、さえない男の主人公が異世界ファンタジーの世界でハーレムを作るか、平凡な女主人公が乙女ゲーの世界でイケメンに取り囲まれるかのどちらかです。たまに、魔王に転生したり、スライムに転生したりという変化球はありますが、セオリーとは真逆の冴えない男が乙女ゲーの世界に転生するというパターンはなかなか珍しいのではないでしょうか。しかも、乙女ゲーのお約束を破ってど外道な手段で成り上がっていく様は痛快ですらあります。「イケメン死すべし」を合言葉に主人公の快進撃がどこまで続くのか、なかなか楽しみなシリーズです。


西野~学内カースト最下位にして異能世界最強の少年~(ぶんころり)
西野は強大な異能力を持つ少年であり、裏社会では凄腕エージェントとして名が売れていた。そして彼自身も仕事一筋で、孤独な生きざま是としてきたのだ。だが、高校2年の文化祭で彼は気づいてしまう。青春の尊さと異性交遊の大切さを。その日から彼は心機一転、生活態度を改めて学内カーストを駆け上がるべく、あの手この手を考えるが.......。
冴えない主人公が実はすごい能力を秘めているといった物語は昔からよくあるパターンです。しかし、本作の場合、日常シーンの空回りぶりが半端なく、それがギャップからくる笑いに繋がっています。一見、俺tueee系ハーレムラノベのように見せかけて実はその真逆をいく異色作です。正直1巻は顔見せの要素が強く、話はほとんど進んでいませんが、これから面白くなってく要素に満ちており、大いに期待したところです。


ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか~好きになったJKは27歳でした~(望公太)
男子校に通う桃田薫は通学途中に痴漢に襲われていた女子高生を助ける。女子高生の名前は織原姫。ふたりは互いに魅かれ合い、交際を始めるが、彼女にはとんでもない秘密があった。織原姫は女子高生ではなく、27歳のOLだったのだ。
高校生の主人公とアラサー巨乳美女との恋愛を描いたラブコメ作品です。ただ、年上といっても包容力のあるお姉さんといったありがちが設定ではありません。ヒロインは主人公より12歳も年上ですが、恋に奥手であるため、あくまでも対等な関係で恋愛が進んでいくところが結構新鮮です。また、単にネタに走ったイロモノ作品というわけでもなく、年の差カップルの難しさを正面から描いている点に好感がもてます。一方で、ヒロインの可愛らしさもこの作品を語る上で欠かせないポイントです。特に、年上だからと主人公をリードしようとして空回りしてしまう辺りは非常に愛らしいものがあります。主人公も一本芯の通った好感の持てる人物として描かれており、読んでいる内に初々しいこの2人を応援したくなるところが本作ならではの持ち味だといえるでしょう。


天才王子の赤字国家再生術~そうだ、売国しよう~(鳥羽徹)
若き王子・ウェインは文武に秀でており、臣下や国民からの信頼も篤かった。だが、優秀であるが故に自国のダメさ加減を誰よりも理解しており、内心ではそんな弱小国の運営を重荷に感じていたのだ。本来怠け者である彼は悠々自適な隠居生活を夢見て売国を目論む。しかし、国を高く売るための工作を弄するたびに、ウェインは自国に想定外の利益をもたらしていく。彼の名声はますます高まり、売国の夢はどんどん遠のいていくばかりだった。
周囲が勘違いして無能な主人公が持ち上げられていくというのはよくあるパターンですが、本作の場合は主人公自体が有能である点がよいアクセントとなっています。有能なのに思惑通りに物事が運ばず、熱狂的に主人公を支持する部下や民衆と内心穏やかでない主人公のギャップが笑えます。また、売国といっても私利私欲だけではなく、自国民の幸せも考えた上での行動なので不快感を抱かずに読むことができるのも本作の美点だといえるでしょう。ヒロインが可愛いのもグッドです。ただ、主人公の目論見は別にして、表面上は順風満帆な国家運営なので、その辺りの展開がゆるすぎると感じる人もいるかもしれません。緊迫感のある展開などにはあまり期待せず、気軽に楽しみたい作品です。


ぼくたちの青春は覇権を取れない。ー昇陽高校アニメーション研究部・活動録ー(有象利路)
昇陽高校アニメーション研究部。それは部とは名ばかりでダラダラとアニメについてしゃべっているだけの場所だった。しかも、部員は2年生のぼくと3年生の部長、副部長の3名だけで新入部員は現在ゼロ。5月の報告会までに最低あと2人部員を集めなければ廃部が決まってしまうのだ。そんな時、ぼくは放課後の教室で不思議な雰囲気を漂わせるクラスメイト・岩根美弥美と遭遇し、彼女が観たいというアニメを探すことになるが......。
本作は第24回電撃大賞最終候補作品。つまり、落選作の拾い上げですが、とてもそうは思えないレベルの高さを感じさせます。まず個性の強いキャラクターの掛け合いが読んでいて楽しく、特に型破りな部長のキャラが非常に魅力的です。一方、物語としては日常ミステリーのような雰囲気の前半部分こそ謎解きに強引な部分が見られたものの、ヒューマンドラマに移行する後半部分からは一気呵成の展開で読者をぐいぐいと引き込んでいきます。新人らしからぬ話の膨らませ方のうまさといい、今後が楽しみな作家です。
ぼくたちの青春は覇権を取れない。 -昇陽高校アニメーション研究部・活動録- (電撃文庫)
有象利路
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-05-10



ぱすてるぴんく。(悠寐ナギ )

ぼっちの高校生活を送っている軒嶺緋色だったが、ネット上では楢山スモモという女の子と愛を育んでいた。ところが、その彼女がモニター越しではなく、ある日突然目の前に現れたのだ。彼女は愛媛県から引越してきたと言い、彼に対して同居を迫ってくるが....。
冒頭のあらすじと表紙の絵柄から甘々なラブコメを想像していると、意外に重い青春模様が描かれていて驚かされます。確かに基本はラブコメなのですが、その中に思春期特有の痛々しさや苦みがたっぷりと含まれており、両者の程よいバランスが青春グラフティとして絶妙な味わいを形成しているのです。SNSという現代のコミュニケーションツールを巧みに取り入れている点も秀逸で、現代ならでは恋愛模様を活写した佳作に仕上がっています。作者はまだ10代とのことで、そういわれてみればいかにも生まれた時からネットが当たり前にあった世代の作家が書いた作品という感じがします。


海辺の病院で彼女と話したいくつかのこと(石川博品)
一人で山を走るの好きだという孤独な少年・蒼は将来に対する夢もなく、両親との折り合いも悪かった。そんな陰鬱な日常はある日急変する。両親や近所の人たちが全身を金属片で覆われる奇病に侵され命を落としていったのだ。蒼自身もその病気に侵されるが、かろうじて一命をとりとめる。この奇病は魔骸と呼ばれるモンスターが原因らしく、蒼は感染の副産物として魔骸と戦う力を手に入れるのだった。そして、蒼は同様の力を持つ仲間たちと共に、魔骸を駆逐するという「夢」のために壮絶な戦いに身を投じていくが......。
物語の概要としては主人公がある日異形の力を持つという、いかにもありがちな中二バトルですが、悲惨な状況の中で歪な夢のために戦うという設定には胸が締め付けられる思いがします。しかも、すべてが終わってから過去を振り返るという形で語られているため、寂寥感が半端ありません。さらに、血しぶが舞う文字通りの死闘の末に訪れるあまりにも理不尽な終焉。青春時代に多くに人が体験する残酷な現実をファンタジーホラーの形を借りて具現化した読む人の胸に突き刺さる傑作です。
海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと
石川 博品
KADOKAWA / エンターブレイン
2018-04-28


優雅な歌声が最高の復讐である(樹戸英斗)
隼人はU-15 で日本代表に選ばれるほどの有望選手だったが、ケガでサッカーをあきらざるを得なくなってしまう。そして、それ以後ゾンビのように無気力な学生生活を送っていた。そんな時、アメリカで人気シンガーとして一世を風靡し、日本に戻ってきていた歌姫の瑠子が隼人を合唱コンクールの指揮者に指名する。彼女は隼人のことを以前から知っているようだったが......。
少年と少女が出会い、絆を深めながら互いを高め合うという、これぞ王道といった感じのボーイミーツガールストーリーです。序盤は少々展開にもたつきが感じられるものの、中盤以降は怒涛の盛り上がりと共に甘酸っぱいラブストーリーが展開されていきます。今時のライトノベルではめったに見られない真っ向勝負の青春グラフティです。
優雅な歌声が最高の復讐である (電撃文庫)
樹戸 英斗
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-04-08


放課後の帰宅部探偵(如月新一)
森山深緑は中学時代の反省から高校では部活に打ち込もうと決めていた。だが、部活巡りをしてもどうもピンとくるものがない。そんなとき、隠れ倶楽部があるとの噂を耳にする。調査をしてみるとトラブルメーカーとして有名な2年生の水縞白亜にで出くわし、彼女こそが隠れ倶楽部の部員であることが判明するのだった。白亜は深緑に対して入部テストを出題するが.......。
探偵ものといっても殺人事件などはなく、いわゆる日常の謎を扱った青春ミステリーです。ミステリーとしてはやや軽めで物足りなさを感じるかもしれませんが、キャラが立っており、文章も読みやすいので青春ものとしてはなかなか楽しめる出来に仕上がっています。ツボはきちんと押さえている作品なので2巻以降の飛躍に期待したいところです。
放課後の帰宅部探偵 (SKYHIGH文庫)
如月新一
メディアソフト
2018-04-25


錆喰いビスコ(瘤久保慎司)
錆び風が吹き荒れ、すべてを錆つかせていく終末世界。キノコ狩りの赤星ビスコは師匠を救うため霊薬キノコの”錆喰い”を求めて旅をしていた。その途上で、ビスコは錆対策に奔走する美少年医師の猫柳ミロと出会う。ミロはキノコがサビ対策に有効だという事実を知り、ビスコと共に東北の地を目指すことになるが......。
第24回電撃文庫大賞銀賞受賞作品。電撃レーベルとしては珍しい王道少年漫画的なノリの作品です。また、文章も作風によくマッチしています。平易で情景描写も的確なため、臨場感満点でテンポよく読み進めることができるのです。バトルと冒険の物語は痛快で、しかも、世界観にオリジナリティがあるので思わず引き込まれていきます。エンタメとして非常に優れた作品でああり、今後の展開が楽しみです。
錆喰いビスコ (電撃文庫)
瘤久保 慎司
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-04-09


特殊性癖教室へようこそ(中西鼎)
就活に失敗した伊藤は祖父のコネでなんとか教員の職を手にするが、彼の受け持ったクラスはなんと、特殊な性癖の持ち主だけが集められた特殊性癖教室だった。しかも彼の役目は生徒たちの特殊性癖を伸ばすことにあるというのだ。
第22回秋スニーカー大賞の特別賞受賞作品です。最近何かと増加の傾向にある角川スニーカー文庫のエロラノベですが、本作はその中でも飛びぬけており、アクセルを踏み切った感があります。まさに本番さえなければなんでもOK状態です。アウトラインはコメディタッチの新人教師奮闘記といった作品なのですが、とにかく主人公が何かアクションを起こすたびに想像を絶するエロい騒動に巻き込まれてカオスな状態に突入していきます。その上、登場人物全員が変態なので頭がクラクラする描写のオンパレードです。激しく読者を選ぶ作品ですが、その勢いと物語の持つ熱量には不思議と魅かれるものがあります。


インスタント・メサイア(田山翔太)
魔族に故郷を滅ぼされた少年は奴隷商人に引き取られ、無気力な青年「ナイン」となっていた。しかし、すべてを諦めたように見える彼の心の奥底には常に暗い復讐の炎が灯り続けている。やがて、殺されるために魔族に買われたナインだったが、彼は巧みに魔族の女たちに取り入って下僕としての地位を手に入れる。そして、復讐を果たすために魔族たちの心を徐々に侵食していくが.......。
おちゃらけた主人公が美女ぞろいの魔族たちに囲まれて過ごす日常描写は一見よくあるハーレムラノベのようです。しかし、その裏では復讐の念に駆られる主人公の狂気やサイコホラーのようなシーンが描写され、そのギャップにクラクラします。また、徐々に精神を病んでいきながらも終盤重大な決断を行う主人公の心理描写も大きな見どころとなっています。読む者に強烈な印象を残すダークファンタジーの傑作です。


クトゥルフ神話 探索者たち 鈴森君の場合(墨の凛)
高校に入学した鈴森はそこで小学時代の同級生・伊吹みのりと再会する。しかし、彼女は深淵研究会というオカルト団体に属しており、明らかに様子が変だった。彼は伊吹を正気に戻すべく研究会の調査に同行するが、そこで見たものは紛れもないクトゥルフ神話の世界そのものだった。しかも、鈴森の頭の中には【判定】というログが常時表示されるという奇妙な能力まで発現し......。
クトゥルフ神話を題材にしたテーブルRPGの世界を忠実に小説という形式に落とし込んだ異色冒険ファンタジーです。しかも、最初はよくある萌えラノベかなと思っていると、クトゥルフ神話の得体のしれない不気味さもしっかり再現されており、かなり原典に忠実だったりします。そのため、クトゥルフ神話やTRPG初心者の入門編としても最適な読み物です。また、TRPGをある程度知っている人にとってはあくまでも小説なのに主人公を自分で操作しているような錯覚に襲われ、より深く感情移入をすることができるでしょう。アイディア先行型の一発ネタ作品のように見えてなかなか読みごたえのある力作です。


英雄の娘として生まれ変わった英雄は再び英雄を目指す(鏑木ハルカ)
英雄レイドは魔神との死闘の末、相打ちとなって果てた。そして、気が付くと彼は赤ん坊になっていた。なんとレイドはかつての仲間である聖女マリアと剣士ライエルの娘として生まれ変わったのだ。両親の才能と前世の記憶を受け継いだレイドは魔法剣士として再び英雄になることを心に誓うが.......。
なろう系によくある転生ものですが、主人公をはじめとしたキャラクターが魅力的なのでぐいぐい引き込まれていきます。また、チートな才能で無双するのではなく、努力によって強くなっていく点も好感が持てます。前世の記憶はあっても虚弱体質のためにそれをうまく活かせないという設定が絶妙のバランスを生み、ストーリーの緊張感を持続させているのもグッドです



ひげを剃る。そして女子高生を拾う。(しめさば)
ずっと片想いをしていた会社の先輩に振られた吉田は、ヤケ酒を飲んだ帰り道に路上でうずくまっている女子高生に出くわす。「ヤラせてあげるから泊めて」という彼女に呆れながらも一夜の宿を提供した吉田だったが、なし崩しの内に二人の同居生活が始まってしまう。26歳のサラリーマンとJKがおりなす日常ラブコメディ。
独身男性の妄想が炸裂したような設定ですが、特にエロいことがあるわけでもなく、物語は主人公とヒロインや同僚たちとの軽妙なやりとりで進んでいきます。一話一話が短くてテンポが良いのでサクサクと読める、肩の凝らない作品となっています。また、登場人物たちはそれぞれ等身大の魅力を持っているため、極端にデフォルメされたラノベキャラに辟易しているという人にはおすすめです。さらに、主人公と上司の後藤さんや後輩の三島との絶妙な距離感も心地よく、今後恋愛模様がどうなっていくのかも気になるところです。


はぐるまどらいぶ。(かばやきだれ)
食堂の看板娘であるアンティは魔法が使えないことにコンプレックスを持っていた。だがついに15歳になり、能力おろしの日を迎える。この儀式を行えば、潜在能力が掘り起こされ、誰でも魔法が使えるようになるのだ。どんな魔法が現れるのかと胸を踊らすアンティだったが、発現したのは前例がなく、何の役に立つのかもわからない「歯車式」というものだった。落ち込むアンティ。しかし、両親に励まされてなぜか冒険物を目指すことに......。
熱血ヒロインによる王道冒険ファンタジーですが、とにかく読みやすい文体を駆使してテンポと勢いで押していくところに独特の心地よさがあります。また、特異な能力と世界観が徐々に掘り下げられていく点がなかなか読み応えありです。さらに、主人公が陽性のキャラクターであるため、作風全体が明るくてからっとしているのも好感が持てます。これからの展開が楽しみな作品です。


俺もおまえもちょろすぎないか(保住圭)
ちょっとでもいいなと感じた女の子には即座に告白しては玉砕を繰り返す高校1年の少年・星井出功。彼はどんなことでも正面から受け止める中学2年の少女・初鹿野つぶらに告白する。そして、ふたりは付き合うことになるが.......。ちょろい二人が出会って始まる青春tラブコメディ。
「ましろ色シンフォニー」など、アダルトゲームのライターとして知られる保住圭氏の初ラノベ作品。いちゃらぶ描写には定評のある保住氏だけに延々と続く交際シーンをダレることなく最後まで描き切っています。ひたすら甘くて可愛らしい作品ですが、そこに至るまでの動機付けがしっかりしているので素直に二人を応援したくなります。とにかく癒されたいという人におすすめの作品です。

俺もおまえもちょろすぎないか【電子特典付き】 (MF文庫J)
保住 圭
KADOKAWA / メディアファクトリー
2018-02-25


最強同士がお見合いした結果(菱川さかく)
対立する2つの国が和平交渉の一環として重要人物同士の見合いを行うことになる。片や最強の剣士アグニス。対するは最強の魔術師レファ。ところが、実際のところ、そのお見合いは互いの最強戦力を自軍に取り込むための謀略の場だったのだ。その上、最強の2人も恋愛に対しては全くのポンコツで会場を焦土に変えながらの膠着状態が続くが.......。
ファンタジーの世界を舞台にしたラブコメ作品ですが、ポンコツキャラ2人による盛大に勘違いした恋の駆け引きが笑えます。キャラクター的にも脳筋の剣士と暴走キャラの魔術師という組み合わせがよいバランスを保っており、最後まで飽きずに読むことができます。また、アグニスの補佐を務める妹キャラとレファの補佐を務める従者キャラも味があって魅力的です。ただし、コメディオンリーの作品というわけでもなく、メインストーリーは結構重めの作品だったりします。かといって、それがコメディの雰囲気を壊すこともなく、絶妙なバランスで両立している点に作者の卓越した手腕が感じられます。
最強同士がお見合いした結果 (GA文庫)
菱川 さかく
SBクリエイティブ
2018-02-16


うちの聖女さまは腹黒すぎだろ。(上野遊)
落ちこぼれのカイが騎士に登用されたと勘違いして辺境の地を訪れてみれば、そこでの仕事は財務顧問として聖女さまの小遣いを稼ぐというものだった。しかも、聖女ローラの命令は温泉を掘れだの飛竜の牙を取ってこいだの無茶なものばかり。果たしてカイは念願の騎士になれるのだろうか?
テンポが良くてそつのないオーソドックスなライトノベルといった感じの作品であり、安心して読むことができる一冊です。ただ、その分、個性に欠ける面は否めませんが、過疎地振興問題をテーマに取り入れている点はなかなか興味深いものがあります。続編があればぜひこのテーマを掘り下げてほしいところです。また、キャラクターも魅力的ではあるのですが、タイトルにもなっている聖女がいうほど腹黒でないのは賛否の分かれるところではないでしょうか。
うちの聖女さまは腹黒すぎだろ。 (電撃文庫)
上野 遊
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-02-09


高2にタイムリープした俺が、当時好きだった先生に告った結果(ケンノジ)
しがない人生を送るアラサーの俺が、ある日目が覚めると高2の春にタイムリープしていた。人生をやり直せることになり、まず俺がしたのは当時憧れていた先生への告白だった。しかも、これがあっさりとOKをもらえ、俺と先生は晴れてカップルになるが........。
時間を逆行して人生をやり直すというのはこの手の作品では定番のひとつではあるのですが、本作は他の類似作品と比べても飛びぬけて中身がありません。タイムパラドックスのようなSF的テーマはどこにも見当たらず、先生と生徒が恋人関係に陥る背徳感さえ皆無です。タイムリープというのは単に話の枕でしかなく、あとは主人公とヒロインがひたすらイチャイチャするだけです。しかし、これが意外と楽しい作品に仕上がっています。教師である柊木春香の言動がいちいち愛らしく、その可愛らしさで最後まで引っ張っていった感じです。また、1話1話が短い上にテンポが良いので読んでいて全くストレスを感じません。ガッツリと読書をしたいという人には向きませんが、疲れた心を癒したいという人にとってはぴったりの一冊だと言えるでしょう。


魔人の少女を救うもの Goodbye to Fate(西乃りょう)
勇者一行から追放された2流の傭兵ウィズは少女アーロンと出会い、彼女の目的を果たすために共に北を目指す。これは「選ばれなかった少年」と「見放された少女」の決して語られることのない英雄譚......。第9回GA大賞優秀賞受賞作品。
俺tueee系全盛のライトノベル界にあって主人公が普通に弱いというだけで目新しさを感じてしまいます。しかも、ギャグがほとんどなく、ほぼシリアス一辺倒です。今時珍しい正統派ダークファンタジーだと言えるでしょう。これがデビュー作ということもあり、話の作りは少々荒削りなのですが、その分、主人公とヒロインの関係性が丁寧に描かれており、絶望の中であがき続ける主人公の姿も説得力があります。それゆえ、本作は読む者の心を揺さぶり、涙を誘う力作に仕上がっているのです。ぜひその後の物語も読んでみたいと思わせる作品です。
魔人の少女を救うもの Goodbye to Fate (GA文庫)
西乃 リョウ
SBクリエイティブ
2018-01-17


悪徳領主ルドルフの華麗なる日常(増田匠見)

辺境の領主ルドルフは領土を運営する際に悪魔と契約する。悪辣非道な治世を行うことで民の怨嗟の声を集めて悪魔の力の源とし、その力を借りて好き勝手をしようというのだ。ところが、ルドルフが悪事を行うと相手から感謝をされることになる。表と裏の二つの物語が楽しめる技巧に満ちたストーリー。
領主は悪辣非道なことをしているのにその標的からは感謝されてしまうというコメディです。領主とその標的となる相手とのふたつの視点で物語が語られており、視点を変えると同じ行為でも解釈が180度違って見えるというギャップが笑いを生み出しています。基本的に違う視点で同じ物語を繰り返して読むことになるのですが、描き方にメリハリを利かせているので読んでいて飽きがこない点が秀逸です。
悪徳領主ルドルフの華麗なる日常 (アース・スターノベル)
増田 匠見
アース・スター エンターテイメント
2018-01-16


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最新更新日2019/01/02☆☆☆

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2018年に発売されたおすすめのコミックの内、第1巻のみの限定レビューです。
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テロール教授の怪しい授業(石田点)
大学に入学したばかりの佐藤は悪質な勧誘に引っ掛かりそうになったところを怪しげな顔の外国人に助けられる。彼は大学教授で名はティム・ローレンツ。佐藤はティムに誘われるままに新入生の相談会に顔を出し、彼のゼミに入ることになる。だが、ティムのゼミで扱われているテーマはテロリズムであり、新しく入ってきたゼミ生たちに対して「君たちはテロリスト予備軍です」と宣言するのだった。
原作は『幼女戦記』のカルロゼン氏。物語性は乏しく、講義を中心とした作品ですが、インパクトのある絵と力強い言葉によって思わず引き込まれていきます。講義の内容も刺激に満ちたフレーズと分かりやすい例え話で構成されおり、非常に理解しやすいものなっています。特に、若い人はこの作品から学べることも多いのではないでしょうか。一種の教養漫画としておすすめしたい作品です。
Still Sick(灯)
清水真琴29歳。産業機械メーカーの開発部でチームリーダーを務める彼女は密かに同人活動を行っていた。オタク仲間にも理解されることがなかった百合趣味をずっとひた隠しにしていた彼女だったが、ある日後輩の前川茜にその事実を知られてしまう。そして、それでも屈託のない笑顔で接近してくる茜を真琴は訝しく思っていたが、実は茜には漫画家として活動していた過去があったのだ。しかも、彼女は他にも秘密を抱えており.......。
最近増えてきた社会人百合漫画ですが、艶っぽいシーンはほどんどなく、逆にカラッとした2人の関係性に微笑ましさを感じます。会話のテンポもよく、イイ性格をしている茜とチョロイ真琴の掛け合いは見ていて飽きません。また、漫画家復帰を目指す業界ものとしての側面もあり、そうしたジャンルとしても楽しめる作品になっています。


ケサランなにがしとスープ屋さん(堀井優)
フィンランドの田舎町でスープ屋さんを営んでいるティナの元に綿毛のような小さな球体が舞い込んくる。兄の話によるとそれはケサランバサランだという。幸運をもたらす物体だというので飼育することにするが、それは日に日に形を変えていく。そして、一週間後には猫のような姿になり、2本足で歩き始めたのだ。ティナはその愛くるしい生物に”ケサランなにがし”という名前をつける。こうして、未知の生命体とのほっこり暮らしが始まるのだが...。
猫をさらに愛くるしくしたような生命体が読者の心をなごませてくれる究極の癒しコミックです。昔の少女漫画を連想させるアナログな絵柄が世界観にマッチしており、ほのぼのとした雰囲気をより高めてくれます。大きな事件などは何もなく、ひたすら癒しの空気が辺りを包んでいきます。心が疲れた時に読むには最適の作品だといえるでしょう。


園田の歌(作画・永田諒 原作・渡邊ダイスケ)
シリアルキラーであることが露見し、復讐屋に追われる身となった園田夢二。その6年前。彼は女性シリアルキラーである近野智夏と共に大学の漫画研究会に所属していた。ある日、園田はチンピラ達に絡まれていた近野を助けるが、そのことでチンピラ達に報復される。復讐と自分の欲求を満たすためにそれぞれチンピラを殺害した園田と近野はやがて互いの秘密を知ることになり......。
法の裁きを逃れた犯罪者たちを被害者に代わって罰を下す復讐屋の活躍を描いた『善悪の屑』及び『外道の歌』。本作はその登場人物の一人である園田夢二の学生時代を描いたスピンオフ作品です。原作ではなんの罪もない人たちを殺していく胸糞の悪いド外道として描かれていますが、本作では今のところ悪人しか標的にしていないのでまるでダークヒーローのようなかっこよさがあります。また、園田一人では殺伐とした雰囲気になるところを、とぼけた味を出している近野との掛け合いやなごみ系キャラである漫研の面々を登場させることで絶妙な緩急がつけられています。絵もきれいで娯楽性の高さでいえば、原作よりもこちらの方が断然上ではないでしょうか。スピンオフ作品としては異例ともいえる魅力に満ちており、今後の展開が楽しみです。
園田の歌(1) (ヤングキングコミックス)
渡邊ダイスケ
少年画報社
2018-11-26


その着せ替え人形は恋をする(福田晋一)
五条新菜の祖父はひな人形の店を営んでおり、彼は小さな頃からひな人形の頭師になることを夢見ていた。しかし、人形作りの修業に夢中になるあまり、一人の友達すらいない寂しい高校生活を送っていた。そんなある日、放課後の被服教室でひな人形の着物を作る作業をしているところをギャル系美少女の北川海夢に目撃されてしまう。慌てる新菜だったが、海夢は彼の腕前を見て、自分のために服を作ってほしいという。実は、彼女はコスプレに憧れる筋金入りのオタク少女だったのだ。
ギャルがクラスの冴えない男に恋をするという作品は最近増えてきましたが、その中でも本作はヒロインの可愛さが秀でています。絵がきれいで、豊かな表情が愛らしさをよく表現しています。そして、何より、見た目や言動はバリバリのギャルなのに、中身はディープなオタクというギャップがたまりません。また、主人公はいわゆる陰キャラですが、特に屈折しているわけでもなく、素直な性格なのも好感が持てます。物語は他のキャラが必要以上に絡むこともなく、2人の関係を中心に描かれており、サクサク進んでいくのもよい感じです。特に、ヒロインが次第に主人公への恋心を自覚していくあたりの流れは必見です。非常に上質なラブコメディに仕上がっています。


ノラと雑草(真造圭伍)
警部補の山田はJKリフレのガサ入れで、亡くなった娘とそっくりな少女・海野詩織に出会う。彼女は母親から虐待を受け、一人で生きていく手段として違法風俗で働いていたのだ。山田はなんとか詩織を助けたいと考えるが........。
貧困DVの問題を正面から描いた社会派コミックです。実際にあった事件の要素を巧みに組み込んでおり、作品全体がリアリティに満ちています。それだけに、読んでいてつらくなる痛々しさがありますが、展開の緩急の付け方が上手いため、自然と物語に引き込まれていきます。ストーリーはまだまだ序盤といった感じですが、果たしてヒロインは救われるのかが非常に気になるところです。


来世ではちゃんとします(いつまっちゃん)
アニメの下請け会社に勤める5人の男女はいずれも恋愛面でこじらせている者ばかり。リアルな恋愛に興味が持てずに彼氏しない歴=年齢を更新し続けている腐女子ギャルの梅ちゃん。承認欲求が肥大化して5人の男を囲っているおっとり美人の桃ちゃん。風俗嬢にガチ恋愛して求愛するためにお金を貯めている檜山くん。最初の恋愛のトラウマで処女しか愛せなくなった林くん。女にモテるのに関係を持つとすぐに醒めてしまう松田くん。現世での幸せが絶望的な20代後半の社畜たちはそれでも日々を生きていく......。
癖のある社会人たちの性事情を赤裸々に綴った4コマ漫画です。一見、リアリティの薄い極端なキャラだけを集めているように見えますが、その中に多くの読者が共感できるあるあるネタを散りばめている点が秀逸です。極端と共感をうまくブレンドしているため、飽きることなくぐいぐい引き込まれていきます。また、絵はヘタウマ系なのですが、そこがまた4コマ漫画として良い結果をもたらしています。もし、これがリアルな絵だったら生々しすぎて引いてしまったかもしれません。独特の苦みが絶妙なアクセントになっている社会人コメディの秀作です。
見上げると君は(小堀真)
17歳の少年・渋木勇希は小学生の女の子に見間違えられるほどに低身長で可愛らしい顔立ちをしている。そのため、男として見てもらえず、勇気を出して行った告白も見事玉砕に終わってしまった。そんなとき、背の高いクールな女子高生ストリートミュージシャン・高峰千加子と出会う。そのカッコよさに衝撃を受けた勇輝はどんどん彼女に夢中になっていくが......。
かっこいいヒロインと可愛い主人公。少女マンガのラブコメをちょうど男女逆転させたような設定です。その逆転の発想が新鮮な味わいを与えてくれます。物語自体は特に大きなイベントがあるわけではなく、ゆったりと進んでいく感じですが、語り口がうまくて引き込まれるものがあります。爽やかな青春ラブコメを読みたいという人におすすめの作品です。
草薙先生は試されている。(安田剛助)
草薙先生はクールな女教師。生徒たちに対しても威厳のある態度を取り続けてきた。だが、そんな彼女のアイデンティティはある日を境にもろくも崩れ去ってしまう。なんと12歳の教え子に告白されたのだ。しかも、相手はかつての親友かつ片思いの相手・八重の娘だった。その娘・一姫に八重の面影を重ねる草薙先生は、猛烈にアタックをかけてくる彼女にいいように振り回されていく.......。
生徒と教師の恋愛模様をコミカルに描いた百合4コマです。確かに、最近は百合漫画が増えてきましたが、そんな中でも12歳と36歳の二周り離れた年の差カップルというのはなかなかレアです。しかも、百合漫画特有の可愛らしさを担っているのが12歳の一姫ではなく、36歳の草薙先生だという点に独自の味わいがあります。とくにかく、一姫の言動に一喜一憂する草薙先生がチョロ可愛すぎます。これは百合漫画の歴史に新たな一ページを刻んだ作品だといえるのではないでしょうか。


カムヤライド(久正人)
時は古墳時代。国津神を封印したことでヤマト族の王は列島を治め、戦乱の世は終わりを告げる。だが、謎の人物がその封印を破り、日本各地に戦乱の火種をばら撒いていく。しかも、叛乱者たちは国津神によって人知を超えた力を与えられていたのだ。のちにヤマトタケルと呼ばれるオウスの皇子は叛乱の鎮圧に向かうが、敵の力は圧倒的でたちまち窮地に追い込まれる。自軍は全滅し、彼自身も敵に弄ばれていた。そのとき、埴輪売りのモコが現れ、敵を一瞬の内に倒してしまう。彼こそは国津神に対抗する唯一の力を持つヒーロー・カムヤライトだった。
古墳時代の日本を舞台とし、そこに特撮変身ヒーローを登場させる斬新な世界観が魅力的です。古事記で描かれた神話世界を忠実に再現し、その中に変身ヒーローを違和感なく溶け込ませているのがまた見事です。独特の絵柄とストーリーは読者を選びますが、古事記版クトゥルー神話といった趣は慣れればクセになります。また、次々と登場する多彩な怪物やケレン味たっぷりの必殺技は特撮好きの人も楽しめるのではないでしょうか。ちなみに、怪物に嬲られるお色気担当は美少女ではなく、女装で有名なヤマトタケル(オウス皇子)です。そんな遊び心も楽しい異色作です。


あせとせっけん(山田金鉄)
女性に絶大な人気を誇る化粧品&バス用品メーカー・リリアドロップ。そこに勤めている八重島麻子は重度の汗かきで、そのことに対してコンプレックスを抱いていた。ところが、偶然出会った商品開発プランナーの名取香太郎に「君の体臭は素晴らしい」と絶賛されてしまう。しかも、戸惑う麻子に対し、香太郎は商品開発のために毎日君の匂いを嗅ぐくると力強く宣言するのだった.....。
主人公がヒロインの体臭を嗅ぐ。絵面的にはどうみても変態そのものですが、それをあくまえでも爽やかなトーンで描いているギャップが独特の魅力になっています。ちなみに、メインとなるストーリーはオフィスラブですが、その手のジャンルにありがちなギスギスした人間関係などは皆無です。石鹸の香りのごとく爽やか、爽やか、爽やかで押し通しています。ただし、大人の恋愛を描いているのでエロイ展開はあります。それでも、エロが前面に押し出されることはなく、健全な香りでまとめあげているところがこの作品の非凡な点だといえるでしょう。
鮮血のマーダーゲーム(杉本亜未)
海原凪はかつて恋人との未来のために犯罪に手を染めた経験のある女性だ。そして、刑期を終えた現在では、静岡県熱海市でホームセンターの店員として働いている。そんな彼女がふとしたきっかけで中年刑事・木田真一と外国の大学で犯罪心理学を研究している小柄な青年・大澤幸多とともに女性拉致殺害事件の謎を追うことになが.......。
B級サイコサスペンスといった作品ですが、伏線が丁寧に張られており、かなり読み応えがあります。また、ヒロインが単に美人とか可愛いというのではなく、生々しい存在感を放っている点もサスペンスドラマの雰囲気によくマッチしています。さらに、表面的な事件の背後にヒロインの過去を絡ませ、物語に厚みを持たせているのもグッドです。大澤幸多の調査能力がチートすぎる点だけがリアリティという意味でバランスを崩している気もしますが、全体的にはなかなかよくできた作品だといえるでしょう。


ボクらは魔法少年(福島鉄平)
小田桐カイトはヒーローに憧れる小学5年のわんぱく坊主。ある日、隣のクラスに転校してきた不思議な雰囲気をまとった少年から「正義の味方になってみないかい」と声をかけられる。二つ返事で承諾するカイトだったが、その正義の味方というのは理想とは全くかけ離れた女装姿の魔法少年だった。一度交わした契約は破棄できないということでカイトはイヤイヤ魔法少年を続けていくが、次第に自分自身の可愛らしさに魅せられていく.......。
掲載されている雑誌は青年誌ですが、ストーリーやギャグはシンプルであまり大人が楽しめるような要素はありません。児童漫画によくあるギャグテイストのヒーロー漫画といった趣です。ところが、そこに女装という要素を加味するだけで、何か全く別の世界が開けてきます。健全なのか倒錯的なのかよくわからないアンビバレントな世界です。とりあえず、主人公が可愛いのでショタものや女装ものが好きの人であれば間違えなく楽しめるでしょう。物語は王道でシチュエーションは変化球というギャップを楽しむ作品です。
繭、纏う(原百合子)
森の奥にひっそりと建つ星宮女学園。中高一貫のその学校には伸ばし続けた髪を卒業直前に切り、その髪で高等部新一年生の制服を作るという伝統があった。そんな学園に通う洋子はひねくれた性格で友達ができない。唯一親しく話しかけてくるのが、学園の王子様・佐伯だった。洋子は佐伯の軽薄な態度を胡散臭く感じながらも次第に惹かれていく。しかし、佐伯には星宮さんという想い人がいるようで......。
髪で制服を作るというホラーじみた設定と繊細な絵柄がマッチした百合漫画です。特に、空に舞う髪の描写が美しくて引き込まれていきます。また、髪と制服にまつわるミステリアスな物語も興味深く、どこか文学作品のような香りさえ漂ってきます。ただ、時系列がバラバラに進むストーリーは漠然と読んでると混乱をきたすかもしれません。雰囲気を味わいながらゆっくりと読み進めていきたいところです。
繭、纏う 1 (ビームコミックス)
原百合子
KADOKAWA / エンターブレイン
2018-09-12


私の拳をうけとめて!(murata)
学生時代にヤンキーとして鳴らした式部は仲間の結婚報告に焦りを感じ、脱ヤンを目指す。まずは大人の女性らしい服を買おうとブティックに入るが、そこで高校時代にライバルだった空森と再会する。数年越しの決着をつけるべく、夜の公園で決闘をする2人。だが、なぜか式部は空森から愛の告白を受け、成り行きで交際を始めることに......。
不器用な2人が愛らしいゆるーい感じの百合コメディです。といっても、きらら系ともまた違い、シュールギャグなども組み込まれていてそこが独自の味わいになっています。どちらかといえば、コメディというより、ギャグテイストが強めの作品でしょうか。また、百合といっても1巻では単に2人で遊んでいるだけですが、ここから互いの関係がどう進展するのか、しないのか。非常に気になるところです。


忘却バッテリー(みかわ絵子)
中学生離れした長身から140キロ超のストレートを投げおろす清峰葉流火とその球を軽々と受け、天才的なリードの冴えをみせる要圭。他校の野球部から怪物バッテリーと恐れられていた2人はなぜか名門校の誘いを全部断り、野球部のない地元の都立高校に進学する。実は、清峰の女房役である要圭が記憶喪失になって野球を忘れてしまったのだ。
話の軸となっているのは由緒正しい熱血野球漫画なのですが、記憶を失ってアホの子になってしまった要圭がいるおかげで全体の8割くらいは単なるギャグ漫画と化しています。そして、残り2割に熱い野球シーンが詰め込まれているわけですが、その極端なギャップがたまりません。また、主役2人以外の脇役もいい味を出しており、特に語り手の山田くんによる的確なツッコミはかなり笑えます。色々な側面が楽しめる作品であり、これからどのような展開になるのかが興味深いところです。
はしっこアンサンブル(木尾士目)
藤吉晃は極端に低い自分の声にコンプレックスを感じ、「声を出さなくてもよい職業に就けるかも」という想いから工業高校に進学する。しかし、そこで合唱部の立ち上げを目指す木村仁と出会う。しかも、彼は晃の低音ボイスに魅力を感じ、一緒に合唱部をやろうと誘ってくるのだった。
『げんしんけん』でおたくの青春を描いた作者が、今度は工業高校の合唱部という全く異なる世界に挑戦しています。しかし、何をテーマにしても群像劇のうまさが光るのはさすがです。一人一人のキャラがしっかりと立っており、並列して語られるドラマをきちんと魅せることに成功しています。合唱に関する蘊蓄も興味深く、飽きることなく読むことができます。現在は鉄板の仲間集めでストーリーを引っ張っていますが、今後どのような展開が待っているのか非常に楽しみなところです。
魍魎少女(白石純)
本能寺の変があった年に親友の八房の手によって七つに切り裂かれた雪之条。しかし、不死身の彼はわずかな肉片になっても自我を保っていた。そして、弟子の林檎丸と共に肉体を取り戻す旅に出る。それから300年以上の月日が過ぎ.......。
大正時代を舞台にした伝奇活劇。とにかく、幼い少女の姿をした主人公が容赦なく敵を切り捨てていく大立ち回りが圧巻です。ストリー的にはやや詰め込み過ぎの感はあるものの、それが大きな傷になっていないのは、やはり、見ごたえたっぷりのアクションが毎回挿入されているからでしょう。絵は綺麗で見やすく、一癖も二癖もあるキャラも魅力的です。平成版どろろ(ただし戦うのは百鬼丸じゃなくてどろろ!)といった感じの作品です。
魍魎少女 1巻
白石純
ノース・スターズ・ピクチャーズ
2018-08-20


男子高校生を養いたいお姉さんの話(英貴)
両親が借金を残して蒸発。高校生の空本実はあまりのことに途方に暮れるが、なんと、隣のお姉さんが借金をすべて肩代わりしてくれたのだ。それどころか、住む家のない実に対して部屋を提供し、身の回りの世話もしてくれるという。そこまで好意に甘えることはできないという実に対して、お姉さんはむしろ彼の世話をすることこそが前々からの夢だったと告白する。こうして2人の同居生活が始まるが........。
おねショタの同居ものでいかにもエッチな展開が始まりそうなシチュエーションですが、お姉さんが主人公を神格化しすぎているためにそっちの方面に発展することはありません。その代わり、ストーカー気質のお姉さんが繰り出す暴走機関車の如き言動が可愛らしく、それが本作の見どころとなっています。お姉さんが少年を愛で、そのお姉さんを読者が愛でる作品です。


極主夫道(おおのこうすけ)
不死身の龍と呼ばれ、最凶ヤクザとして恐れられた男は過去を捨て、今は愛する女と共に暮らす日々。近所の人たちと親交を深めながら、彼は専業主夫道を邁進していくが.....。
劇画タッチで描かれる主人公の顔は極悪ヤクザそのものなのに、その彼があくまでも真剣に主夫に取り組んでいるというギャップがシュールすぎて笑えます。話のテンポもよく、脇役たちもいい味をだしています。特に、ちょっとオタクな奥さんとの掛け合いが微笑ましくてグッドです。
極主夫道 1巻: バンチコミックス
おおのこうすけ
新潮社
2018-08-09


プラネットウィズ(水上悟志)
記憶喪失の少年・黒井宗矢はなぜか、メイド服の少女・銀子と猫の着ぐるみのような生物に引き取られて暮らしている。そんなある日、日本に巨大な未確認飛行物体が襲来。自衛隊の戦闘機も歯が立たないその物体を突如現れた謎のヒーロー集団が迎撃する。その時、銀子は宗矢に告げる。彼らを倒すのがあなたの役割だと。
知る人ぞ知る鬼才・水上悟志氏がアニメ用の企画として立ち上げた作品です。もともと、アニメのネームとして描いたというだけあって、その内容は2018年7月に始まったアニメ版とほぼ同じです。1巻ではまだ仕込みをしている最中であり、キャラクターたちのコミカルなやりとりの裏には壮大な設定が見え隠れしています。特に、主人公が悪役的ポジションに立っており、正義サイドも裏になにかありそうな展開には王道少年漫画にひとひねりもふたひねりも加えたような面白さがあります。本作は全6巻で完結の予定ということで、一体どういう着地を見せてくれるのか、今から非常に楽しみです。


天国大魔境(石黒正数)
四方を壁で囲まれた小さな世界の中で少年少女たちは隔離されて暮らしていた。外には怪物たちが蠢く汚れた世界が広がっていると大人はいう。だが、ある日、少年の一人、トキオの元に「外の外に行きたいですか?」というメッセージが届く。一方、外の世界ではマルとお姉ちゃんが魔境となった世界でサバイバルを続けながら天国を求めて旅をしていた。
『それでも町は廻っている』の石黒氏の新作です。前作とは異なり、コメディ色の少ないシリアスなSF作品に仕上がっています。といっても、随所に独特のユーモアが挿入されている辺りはさすがに石黒作品といった感じです。本筋としては一種のディストピアものですが、物語がどういった方向に進んでいくのかはまだ定かではありません。ただ、謎が謎を呼ぶ展開には非常に引きまれるものがあります。伏線もいろいろと貼られており、それが今後どのように回収されていくのかも楽しみです。
アスペル・カノジョ(萩本創八)
人と接するのが苦手な横井は売れない同人を描きながら新聞配達をして生計を立てている。そんな彼の元にファンだという18歳の女の子が訪ねてきた。しかし、彼女の言動には危うさが見え隠れし、手首にはリストカットの跡が.....。
見知らぬ女の子が突然押しかけてきて同居が始まると書けば、よくあるハーレム作品のようですが、本作の状況はそんな生易しいものではありません。同人作品として昇華することでアスペをなんとか飼い馴らしている主人公とアスペ全開のヒロインが織りなす現実との軋轢をリアルに描いているために、作品の空気は常にピリピリとしています。はっきりいって、読む側にとっては非常に緊張を強いられる作品であります。そういう意味ではこの作品を受付けない人も少なくないでしょう。一方で、世の中に生きづらさを感じている人にとっては心の響く作品になっていることも確かです。アスペを抱えている人間に対する細部の描写がリアリティに満ちており、そうした描写の的確さが単なる娯楽作品とは異なるこの物語の吸引力となっています。それに加え、すぐにも壊れそうなアスペ同士の恋愛関係にも、その危うさ故に目を離せない魅力があります。これから先、どのように物語が動いていくのか、非常に気になる作品です。


呪術廻戦(芥見下々)
化け物じみた身体能力を持つ高校生・虎杖裕仁は祖父が亡くなった夜に伏黒恵という同い年の少年と出会う。彼は呪物を探しており、その気配を感じ取って裕仁の元に来たという。だが、
裕仁が持っていたのは呪物の入っていた箱だけであり、その中身は彼の所属しているオカルト研究部の先輩たちが所有していたのだ。このままだと先輩たちは死んでしまうといわれ、夜の学校に駆け付けるとすでに呪いは発現したあとだった。窮地に追いつめられた裕仁は呪物を自ら喰らうが......。
主人公が妖怪のような姿をした怪異と戦いを繰り広げる熱血バトル作品です。その魅力はなんといっても怪異と現代社会を違和感なく融合させた独自の世界観にあります。キャラクターの描写もしっかりしており、特に、従来の少年漫画ではあまりみないタイプのヒロイン・野薔薇の造形が見事です。主人公も行動原理がしっかりしており、ぶれないところに好感がもてます。バトルよりも細かい描写やプロットに上手さが光る新人漫画家の期待作です。
夜明け後の静(石川秀幸)
明治の世になり、武家はさまざまな特権を失う。しかし、旗本の娘として誇り高く育てられた静は時代の変化を認められないでいた。旧時代の価値観に基づいて生きている彼女は女学院に入学しても全く順応できず、日々トラブルを巻き起こすことになるが.......。
プライドばかり高いポンコツお嬢様とそれを暖かく見守るご学友との交流を描いたコメディ作品です。とにかく、ヒロインが可愛く、無知故に勘違いをしては赤面する姿にはほのかなエロスさえ感じます。また、周囲の学友たちはそんなヒロインを高嶺の花として愛でるように見守っているのでライトな百合漫画の趣もあります。さらに、明治時代の生活や文化がかなり細かく描かれており、この時代に興味がある人にもおすすめの作品です。


化物語(大暮維人)
高校3年に進学したばかりの阿良々木暦は、足を滑らせて階段から落ちてきた同じクラスの戦場ヶ原ひたぎを思わず受け止める。ところが、彼女の体はほとんど体重を感じさせないほど軽かったのだ。蟹に体重を奪われたという戦場ヶ原に対し、阿良々木は春休みに知り合った怪異の専門家を紹介するが.......。
2006年に小説が発表され、2009年にはアニメ化もされていずれも大ヒットを記録した人気シリーズのコミカライズです。作画は「天上天下」や「エアギア」で知られる大暮維人氏。もともと、肉感的でセクシーな絵を得意とする作者だけに原作の雰囲気に合うのかと危惧しましたが、これまでの画風とは異なる透明感あふれる絵で化物語の世界観をうまく表現しています。どちらかというと、アニメよりも原作小説のイラストに近い感じです。ストーリーは原作とほぼ同じですが、シリーズ恒例の言葉遊びは大幅にカットされています。まあ、その辺りを漫画で忠実に再現するとひどくテンポが悪くなってしまうのでやむを得ないところです。その代わり、原作にはないシーンや表現を多用しており、漫画ならではの魅力を打ち出しすことに成功しています。原作シリーズが好きだった人なら読んで損はないでしょう。とはいえ、テレビアニメが放送されたのは9年も前なので今更感があるのは否めません。これからいかにしてコミックならではの魅力を深化させていくのか、その点に注目が集まります。


齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定~やだ、この生贄、人の話を聞いてくれない~(ムロコウイチ)
5000年もの長い月日を洞窟の中でひっそりと暮らしていた老龍の前に一人の少女が訪ねてくる。彼女は自分を生贄として差し出す代わりに魔王討伐に加わってほしいと願い出る。少女の住む村では老龍のことを魔王の力をも凌ぐ邪竜だと認識していたのだ。ところが、実際のところ、彼は図体がでかいだけで何の力もない草食ドラゴンにすぎなかった。老龍は誤解を解こうとするが、思い込みの激しい少女は彼の言葉をことごとく曲解して話を進めていく......。
榎本快晴氏によるライトノベルのコミカライズ作品。生贄だけど最強の少女・レーコと見た目だけ厳めしい最弱のドラゴンが織りなす冒険コメディです。とにかく、コメディのテンポがよく、2人の全くかみ合わない掛け合いとひたすらレーコに振り回されるドラゴンの姿が笑えます。時折、挿入されるシリアスシーンも全体を引きしめるアクセントになっていて良い感じです。キャラも可愛くて気軽に楽しめるエンタメ作品に仕上がっています。


君に愛されて痛かった(知るかバカうどん)
中学時代のいじめが原因で周りの顔色ばかりうかがうようになるかなえ。そして、異常なほど膨れ上がった承認欲求を満たすために援助交際を行うようになる。その現場を他校の生徒・寛に目撃されるが、彼はかなえに優しく接してくれる。そんな彼に恋心を抱くかなえ。一方、クラスの中心的存在の一花も寛に恋愛感情を抱いていた。その彼女にかなえと寛の抱擁シーンを目撃されたことからかなえは再びいじめの標的にされてしまい.....。
女子高特有のドロドロした人間関係を描いた作品で、壮絶なイジメシーンには読んでいて胸が痛くなります。しかし、ヒロインのかなえも単に大人しいだけの少女ではなく、筋金入りの屈折キャラです。やりすぎ感満載の逆襲にでます。この逆襲シーンがどんびきしながらも昏いカタルシスを感じる名シーンです。こうした人間の闇の部分を徹底的に露わにしていく容赦ない描写こそが本作の魅力だといえるでしょう。ハッピーエンドが全く見えてこないこの作品。果たしてどのような悲劇にたどり着くのか、目が離せません。


ロッキンユー!!!(石川香織)
高校1年の真神はモテることしか頭にない少年だが、地味で暗そうな先輩が部活紹介のレクレーションで演奏したギターのインパクトに衝撃を受ける。その音が忘れ難くてロック研究会の門を叩く真神。そこでキモいけれど熱い魂を持つ先輩・不二美アキラと意気投合した真神はバンドをやろうと提案するが.......。
ロックへの熱い想いを絵の中で全力で表現しているロック好きの人にはたまらない作品です。とにかく、演出や絵の見せ方がテーマと噛みあっていて読者にそのビートが突き刺さってきます。20世紀後半に一時代を築いたロックという文化を21世紀の青春物語としていかに魅せるかという意味においてとても革新的な意欲作です。


彼女がお兄ちゃんになったらしたい10のこと(アカコッコ)
七瀬は高校入学を機にシェアハウスで一人暮らしを始めることになるが、その家には分担で家族の役を演じるという決まりがあった。クジで兄に選ばれた七瀬は、13歳の妹、10歳の母親、女性警官の父親と共に疑似家族な生活を始めるが.......。
可愛い女の子たちが共同生活をするというほのぼの4コマでありながら、ありとあらゆるところに狂気と倒錯に満ちているギャップにクラクラします。エロゲのようにな兄妹イベントに、小学生と巨乳パパのおねロリいちゃラブとなんだかわけのわからんことになっていますが、最終的に癒される気分にしてくれるびがこの作品の美点だといえるでしょう。百合好きな人におすすめの作品です。


GIGANT(奥浩哉)
映画監督志望の高校生・零は街中にAV女優のパピコを中傷する張り紙が大量に貼られているのを発見する。パピコのファンである零は夜中に家を飛び出してそれをはがして回る。そこに、一人の女性が声をかけてきた。それはなんとパピコその人だった。
次々と話題作を発表する奥浩哉氏の最新作。ヒロインが巨大化するなど日常の中での異変が徐々に大きくなっていく展開に引き込まれます。主人公とヒロインの心情的な描写の上手さもさすがです。物語はまだ始まったばかりでどういった方向に進んでいくかも不明ですが、先の展開が非常に気になる期待作です。


トニカクカワイイ(畑健二郎)
勉強はできるがかなり変わり者の由崎星空(ナサ)は高校受験を目前にした雪の日にトラックにはねられてしまう。その時、彼を救ったのが一人の謎めいた少女だった。ナサは彼女の可愛らしさに一目惚れをし、その場で結婚の約束をして気を失う。意識を取り戻すと彼女はどこかに姿を消していた。それから3年が過ぎ、一人暮らしをしているナサの前に再び彼女が姿を現し......。
不思議な女の子と電撃結婚を果たした主人公がひたすらイチャイチャするだけの漫画です。しかし、タイトルの通り、ヒロインの司がとにかく可愛いので飽きずに読み進めることができます。甘々な雰囲気とクーデレなヒロインのキャラクター性がほどよくマッチしており、実によいブレンド具合です。また、ラブコメ漫画にありがちな恋の駆け引きなどをすっとばしていきなり結婚生活から入るところなどは一種の潔さすら感じます。ストリー的な焦点となりそうなのは謎の多い司の正体ですが、1巻ではほとんど触れられていないため、これからどのような展開になるのかが気になるところです。


しっくすぱっく(イコール)
ごはん好きの円宮たまみは女子大に進学し、一人暮らしの自炊生活を満喫していた。ただ、お腹に贅肉がついてしまうのが悩みの種。そんな時、たまたま勧誘されたラグビー部に入ることになり、戸惑いながらも練習に参加するが.....。
7人制の女子ラグビーを題材にした部活ものです。女の子たちのキャラクターはそれぞれ可愛らしいのに体つきはヒロイン以外きちんと筋肉質なのが、逆に新鮮です。それに、部活を楽しんでいる様子を丁寧に描いているも好感が持てます。さらに、この作品のオリジナリティといえるのが、低糖質食のロカボ食の描写にかなりのページを割いているところです。部活ものにプラスしてダイエット漫画、料理漫画の要素が加味されている点に独自の味わいがあります。まだまだ部活はスタートしたばかりなのでこれからどういった展開になるのかが楽しみです。
しっくすぱっく!(1) (ヤングキングコミックス)
イコール
少年画報社
2018-05-10




メタモルフォーゼの縁側(鶴谷香央理)
3年前に夫を亡くし、気力も衰えてきた75歳の老夫人はふと立ち寄った本屋で気まぐれに漫画を購入する。家に帰って中を確認するとそれはBL本だった。そのままBLにはまっていく老夫人は腐女子の書店員と知り合い、次第に交流を深めていくが.......。
BL好き同士が友情を深めていく作品は他にもありますが、本作のヒロインは75歳というのが異質です。かといって、イロモノとして扱うのではなく、あくまでも品の良いおばあちゃんというキャラクター性を崩さずにそれを描き切っている点が印象的です。ゆるやかなテンポで紡いでいくBL好きの女子高生との友情物語も心に染みいる心地よさがあります。優しいメルヘンのような物語であり、腐女子をテーマにした作品としてはかなりの異色作です。
ハコヅメ~交番女子の逆襲~(秦三子)
安定した職を求めて警察に就職した新米女性警官の川合。しかし、あまりの激務に、辞表を提出しようと考えていた。そんな時にパワハラで左遷された超美人の藤部長が指導員としてやってくる。2人はさっそくパトロールにでるが......。
女性警官2人によるバディものといえば「逮捕しちゃうぞ」を思い浮かべる人もいるかもしれません。掲載誌も本作と同じモーニングです。ただ、あちらは現実離れした痛快娯楽作品だったのに対して、こちらは絵も話もかなり地味です。とは言っても、決してつまらないわけではなく、どのエピソードもジワジワと効いてくる面白さがあります。その根源となっているのは10年間県警に勤めていたという作者の経験から醸し出されるリアリティです。どのページを開いてもいかにも警察内でありそうなエピソードが描かれているのですが、適度に誇張され、シニカルな笑いを生み出している点が秀逸です。作中では最もファンタジー要素の強い藤部長の存在も娯楽性を高めるための程よいアクセントとなっています。基本コメディ作品ではあるものの、シリアスな問題提議も絶妙なバランスで配合されており、お仕事漫画としてはかなり完成度の高い作品だといえるでしょう。


世話やきキツネの仙狐さん(リムコロ)
ブラックな会社に勤める中野は連日残業続きで心身ともにボロボロになっていた。その夜も終電で自宅のマンションに帰ってきた彼だったが、部屋の中ではなんと見知らぬ幼女が食事を作って待っていたのだ。狼狽する中野に対して彼女は自分を800年生きている仙狐だと名乗る。彼女は彼の世話をするためにやってきたというが........。
見た目は幼女だけど中身は世話好きのお姉さんというギャップがなんともいえない甘い雰囲気を醸し出している癒し系コミックです。ストレス社会に生きる男性の、誰かに甘えたいという願望を存分にかなえてくれます。しかも、ただ癒されるだけでなく、適度に散りばめられたギャグとのバランスもよく、最後まで飽きずに読むことができます。特に、ケモ耳、「のじゃ」口調のロリババアキャラが好きという人には必読の書だといえるでしょう。


超能力少女も手に負えない(中村力斗)
愛葉実子は胸が大きいこと以外は何の特徴もない普通の少女だったが、ある夜突然超能力に目覚めてしまう。一方、人助けをしたいという願望がサイコパスの域まで達している少年・坪倉守流は困っている人すべてを救えるようになるために超能力の修行を始める。しかも、実子が使った超能力を自分の力だと思い込んだために事態はややこしいことになり.......。
隙あらば奇行に走る守流や何かというと政府に実子を売り飛ばそうとする妹など、登場人物のインパクトが強烈で、マシンガンのように繰り出されるギャグと切れ味抜群の実子のツッコミが笑いを誘います。ひとつひとつのネタはそれほど目新しいものではありませんが、とにかくボケ倒し、ツッコミ倒しで勢いのあるギャグ漫画です。
いにんぐ!(茶麻)
3年の部員が引退し、部長の座に就いた女子野球部員のさくら。しかし、部員は彼女と野球に全く興味がなくて数合わせで入部したゆまの2人だけだった。しかも、さくらは選手ではなく、野球が好きなだけのマネージャーだ。やがて、やる気満々の1年生かなえが加わるものの、野球部は部員不足を理由に同好会に格下げされてしまう......。
野球をしない女子野球部員による日常ほのぼのコメディです。基本的にダラダラとした掛け合いが続くだけですが、モノマネ少女のさくらを始めとしてそれぞれキャラが立っているので飽きずに読むことができます。また、野球シーンはありませんが、選手のモノマネや野球盤など、野球ネタは満載なので野球好きの人であればかなり楽しめる作品になっています。野球の魅力をちょっと変わったアプローチで描いた佳品です。


ピヨ子と魔界町の姫さま(渡会けいじ)
一見どこにでもあるような平凡な街並み。しかし、そこは魔族や龍族たちが棲む魔界町だった。そんな町に引っ越してきた人間のピヨ子は魔界の姫様と仲良くなり、さまざまな体験をしていくが.......。
日常のあるあるネタを魔界設定の中に落とし込んだシュールコメディ。まず、やんごとなきお方には全く見えない超庶民派の姫様がなかなかキャラが立っていてよい感じです。また、魔界設定なのに人間界と同じ日常風景が淡々と続くのも独特のシュールさがあって癖になります。しかし、この作品の個性をより際立たせているのが語り手であるピヨ子の存在です。一見、真面目で大人しそうな女の子なのですが、魔界の住人の誰よりもイカれているサイコパスであることが徐々に明らかになります。そのギャップから生まれるブラックな笑いが最高です。ツッコミ不在のボケに狂気で上塗りするスタイルには妙に癒されるものを感じます。


綺麗にしてもらえますか。(はっとりみつる)
海辺の街・熱海でクリーニング店を営む金目綿花奈は明るくて働き者で温泉が大好き。とある事情で2年前からの記憶を失っているけれど、街の人々と触れ合いながら充実した毎日を過ごしている。そんな彼女の日々を描いた日常ストーリー。
クリーニングをテーマにした日常漫画ですが、素晴らしいのはその描写の細やかさです。クリーニングというのがどういう仕事なのか、そのテクニックが微に入り細に入り描かれています。そして、その濃厚な描写によって仕事を愛するヒロインのキャラクター性が浮かび上がってくる点が見事です。同時に、若い女性らしい愛らしさや謎めいた過去などの描写をそこに付け加えることによって奥深いキャラクター性の獲得に成功しています。本作はほぼ
金目綿花奈の魅力を描くためのだけの作品だといっても過言ではありません。ただ、だからといって、それ以外の部分がおざなりにされているわけではなく、圧倒的な画力によって描かれた熱海の風景やリアリティあふれる街の人々のディテールも一級品です。非常に完成度の高い作品だといえます。
不徳のギルド(河添太一)
キクルは自分を磨くために幼少のころより訓練を続けて一流の狩人になるが、女っ気のない青春に虚しさを覚えて引退を表明する。だが、エースである彼に抜けられると大幅な戦力ダウンとなり、街がモンスターに襲われてしまう危険があるのだ。そこで、ギルド職員のエノメは彼の気が変わるようにと、可愛い新人の女の子を紹介してはその指導を依頼する。しかし、新人たちはみなひどいポンコツで......。
女戦士や女魔導師たちが、狩りに挑んでは失敗し、モンスターに凌辱されるお話です。しかし、本作の最大の見どころとなっているのはエロシーンよりもむしろポンコツな女の子たちに対する主人公の的確なツッコミです。これが切れ味抜群でかなり笑えます。一見お色気漫画風ですが、どちらかというとギャグ要素の強い作品です。
不徳のギルド 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)
河添太一
スクウェア・エニックス
2018-03-22




蒼天の拳 リジェネシス(辻秀輝)

前作から数年後。2万点に及ぶ美術品のありかを示した秘宝目録。それはエリカの記憶の中にあった。その秘密を我がものしようとするオランダ軍がエリカを誘拐する。危機一髪のところで拳志郎によって救出されたエリカだったが、敵の背後には北斗の使い手がいることが明らかになる。そして、
拳志郎は運命に引き寄せられるようにオランダが支配するインドネシアへと旅立つが.......。
週刊コミックバンチの休刊と共に連載が打ち切られた蒼天の拳が7年ぶりに復活。ちなみに、作画は原哲夫氏ではなく、そのアシスタント。それにしても絵があまりにもそっくりなのには驚かされます。バトルも躍動感満点でこれぞ北斗の拳といった仕上がりです。むしろ、大人向けを意識してやや大人しい印象を受けた前作よりも北斗の拳らしさがアップしており、これ
からの展開が非常に楽しみです。
蒼天の拳 リジェネシス 1巻
原哲夫
ノース・スターズ・ピクチャーズ
2018-03-20


やんちゃギャルの安城さん(加藤雄一
生真面目でガリ勉タイプの瀬戸君になぜかいつも絡んでくるギャルの瀬戸さん。思わせぶりな彼女の言動に瀬戸君はどぎまぎするばかりだが.....。思春期ラブコメディ。
どうみてもギャル版「からかい上手の高木さん」ですが、最初は安城さんの上から目線キャラにイラッと感じるかもしれません。しかし、次第に彼女の可愛らしさや子供っぽい部分が垣間見えてくるようになり、その心情が少しずつ明らかになっていくプロセスにこそ本作の神髄です。また、冴えない少年がなぜか美少女に好かれるといった安易な展開に流されることなく、安城さんが瀬戸君を気にかけるきっかけになったエピソードもきちんと描いている点も好感がもてます。
同棲生活 わたしを好きってことでしょ(さつま揚げ)
料理が得意なライターのみうさんと中小企業に勤める社畜のゆうさん。社会人同棲百合カップルの日常を描いたショートストーリー。特に劇的な展開があるわけではなく、百合カップルがひたすらイチャイチャするのを楽しむ漫画です。二人とも社会人なので大人の事情なども描かれていますが、それでも可愛らしい空気をキープしているところに独特の味わいがあります。また、全ページフルカラーというのもうれしいところです。さらに、単行本には二人の出会いも描かれているため、web版を読んだという人にもおすすめです。
同棲生活 わたしを好きってことでしょ (MFC)
さつま揚げ
KADOKAWA / メディアファクトリー
2018-02-22


おじさまと猫(桜井海)
ペットショップの小さなケースの中で売れ残っていた不細工な猫。1歳になっても買手が付かず、一生この中に閉じ込められたままなのかと絶望していたところに初老の男性が現れる。男は猫にふくまるという名を与え、一緒に暮らし始めるが......。
妻を失ったおじさまと愛情を知らずに育ってきたふくまるとの日々のふれあいを描いた作品です。ふくまるのブサ可愛いリアクションや普段は物静かな落ち着いたたたずまいの紳士なのに、ふくまるのことになると心配で右往左往し始めるおじさまの愛らしさに癒されます。また、コミカルなタッチで描かれているにも関わらず、おじさまとふくまるの背景に常に孤独の影がつきまとっているために、読んでいるとすごく切ない気分になってきます。ペットを飼ったことのある人には特におすすめの作品です。


二月の勝者ー絶対合格の教室ー(岩瀬志帆)
中学受験を対象とした中堅どころの進学塾「桜花ゼミナール」は合格実績が振るわず、校長が左遷されてしまう。代わりにやってきたのは黒木蔵人という拝金主義者の男だった。彼は新人講師・佐倉麻衣に向かって、受験塾とは子供の将来を売る場だと断言する。
受験漫画と言えば最近続編が始まった「ドラゴン桜」が有名ですが、あっちは東大受験に対してこちらは中学受験です。私立中学への受験生が増加している昨今だけによりキャッチャーなテーマだと言えるでしょう。また、人情派の佐倉先生と理論派の黒木とのぶつかり合いを描きながら中学受験の現状を浮き彫りにしていくという手法もベタながら分かりやすくて好感が持てます。「ドラゴン桜」に負けない熱と情報量を内包している作品であり、これから先の展開が非常に気になる作品です。
サマータイムレンダ(田中靖規)
幼馴染の潮が亡くなったという知らせを聞き、久しぶりに故郷に戻ってきた慎平。だが、潮の妹である澪の様子がおかしい。潮は海で溺れていた女の子を助けようとして溺死したという話だったが、彼女の遺体には首を絞められた痕跡が残っていたという。しかも、彼女が亡くなる3日前に澪は潮にそっくりな女性の姿を目撃していたのだ。それは罹患したものが死に追いやられるという影の病なのか?謎が謎を呼ぶサスペンスホラー。
高い画力で描かれた、現代から取り残されたような離島の描写がとても印象的です。夏の陽光と水着少女といった要素と重苦しくシリアスなムードのコントラストも作品をメリハリの効いたものにしています。また、本作の核となるアイディアはある意味使い古されたものですが、表現力の豊かさによって先が気になるストーリーにまとめ上げている点も見事です。
さぐりちゃん探検隊(あきやま陽光)
インドア派の紡には子供の頃よく一緒に過ごしたさぐりという幼馴染がいる。病弱で外に出ることができなかった彼女だったが、何年かぶりに再会するとすっかり元気になっていた。しかも、病弱だった時の反動で、超アクティブな探検少女と化していたのだ。紡はさぐりに誘われ、色々な場所に連れまわされるが......。
ピクニックに適した実在の場所をガイドブック風に紹介していく作品ですが、ヒロインの無防備な姿が可愛らしくて作品世界に引き込まれていきます。他の登場人物も個性がしっかりと描き分けられており、それぞれキャラが立っていて魅力的です。一方で、最初は探検メインで描かれているのですが、話が進むにつれて学園モノやラブコメものにシフトしていくような気配もあり、今後どういった路線で進んでいくのかが気になるところです。


飼育少女(仲川麻子)
女子高生の鯉住のぞみはある日、生物教師の対馬先生からなぜか腔腸動物のヒドラをプレゼントされる。訳もわからず飼育を始める彼女だったが、次第に生物を飼う楽しさに目覚めてきて.......。
絵柄のせいもあって、華やかさやドラマチックといった要素は皆無であり、淡々と生物を飼育していくだけの漫画です。非常に地味な作品なのですが、その微妙な空気の中にそこはかとないおかしみが感じられ、読んでいて不思議と飽きることがありません。どことなく小動物版「動物のお医者さん」といった趣も感じられます。


元彼が腐男子になっておりまして。(麦芋)
彼氏の家にBL本を忘れた隠れ腐女子の赤土桃はその気まずさから彼との関係を自然消滅させる。それから何年もたったある日、BLコーナーで本を物色する男性を目撃する。初めて腐男子を目撃して興奮の色が隠せない桃だったが、それはなんと彼女の元彼だった。腐女子と腐男子がおりなすオタクコメディ。
達者な絵でキャラが生き生きと描かれており、オタクの世界の楽しさが上手に表現されています。ラブコメというよりは共通の趣味を持つ者が集まってダラダラ過ごす心地よさを描いた作品です。同じ趣味を持っている人ならより共感を持って楽しむことができるでしょう。


もっこり半兵衛(徳弘正也)
月並半兵衛は剣術に秀でており、藩の指南役を務めていた。しかし、とある事情で脱藩をし、江戸にたどり着く。そこで半兵衛は隠居した元大老・柳沢吉保の命を助けた縁で江戸の夜廻りの仕事をすることになるが......。それから8年、8歳の娘と暮らしながら江戸の平和を守る半兵衛の活躍を描いた活劇コメディ。
「剣客商売」や「腕に覚えあり」のような剣劇ドラマに著者ならではのギャグや下ネタ、ハートフルコメディなどを織り交ぜた痛快時代劇です。舞台を江戸時代に移しても相変わらずの徳弘ワールドが展開されるわけですが、さまざまな要素がバランスよく配置されて一級の娯楽作品に仕上がっています。キャリを重ねた作者の安定感が心地よい作品です。


DINER ダイナー(河合孝典)
大場加奈子25歳。事務用品の問屋に勤めながら死んだような人生を送っていた彼女は、小遣い稼ぎのために闇サイトのビジネスに手を染める。ところが、雇い主のカップルがヤクザの金に手を出したため、一緒に捕えられて生き埋めにされかかる。その時、彼女を買取るという男が現れて九死に一生を得るのだが、彼女が働かされることになったのは殺し屋専門の会員制定食屋だった......。
ホラー作家・平山夢明氏の小説のコミカライズ。とにかくグロテスクな描写には定評のある平山夢明氏だけにコミック版の描写も尋常ではありません。小奇麗な絵柄に似合わないエログロ描写が次々と飛び出してきます。凶悪無比な殺し屋と彼らより強い店主のボンベロに挟まれてピリピリした空気の中で物語は進んでいきますが、たまに緩いシーンも挿入され、それがよいアクセントになっています。ただ、ヒロインである加奈子の思慮があまりにも浅く、その辺りが許容できるかどうかで賛否が分かれそうです。ともあれ、人の命が紙よりも軽い裏社会での接客業。果たして加奈子は生き残ることができるのか?今後の展開に目が離せません。1巻&2巻同時発売。



もふかのポプリ(喜月かこ)
わけあって獣人たちの町に引っ越してきた人間族の少女ミカ。慣れない街で周囲の獣人たちから奇異の目で見られ、絡まれているところを助けてくれたのは犬族の女子高生ケイだった。人間嫌いだというケイだが、互いに強く魅かれあうようになり.......。
差別問題というシリアスな背景があるものの、基本的にゆるふわな雰囲気で展開される百合ラブコメです。しかも、ケモナー要素を前面に押し出しているところが本書の特徴であり、動物の習性をうまくラブコメに絡めていくところがマニア心をくすぐります。ケモノと百合の両方好きだという人にはおすすめです。
もふかのポプリ(1)【電子限定特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)
喜月かこ
徳間書店(リュウ・コミックス)
2018-01-12


水上悟志短編集「放浪世界」(
水上悟志)
団地で幼馴染のアイたちと平和に暮らしていた少年ユウはある日、宇宙人にさらわれ、衝撃の事実を知らされる。渾身の大傑作「虚無を行く」他、「竹屋敷姉妹、みやぶられる」、「エニグマバイキング」など、SF漫画本来の面白さを体現させた短編集。
ラブコメからシリアスまで振り幅の大きな作風の中で確固とした世界観を確立し、それをSF的アイディアでまとめ上げる手腕が見事です。特に、「虚無を行く」の壮大な世界観と逆転につぐ逆転の展開は読む者を圧倒させる凄味があります。SF漫画が好きな人には必読の書だと言えるでしょう。


二本松兄妹と木造渓谷の冒険(水上悟志)
機動すずめに追われていた小妖のねりねは、拝み屋の二本松兄妹に助けられる。福をもたらす力のあるねねりは退魔師一族の零堂天吉から狙われていたのだ。
笑いあり、バトルありの痛快娯楽漫画。ヒロインのねねりが可愛く、敵キャラも憎めない性格をしているので肩の力を抜いて楽しむことができます。退魔師兄妹も良い味をだしており、テンポが良くて爽快感も味わえる良作です。それだけに1巻で終わってしまうのが残念でもあります。


恋せよキモノ乙女(山崎零)
大阪で両親や姉と一緒に暮らしている野々村もも。彼女の楽しみは亡くなった祖母の着物を身につけて遠出をすることだった。ある日、京都の喫茶店に出かけたももは、そこで素敵な男性とめぐり合う。
今時珍しい素朴な恋愛を描いた佳品。とにかく着物に対するこだわりが強く感じられる作品であり、和装に興味のある人ならその蘊蓄を読んでいるだけでも楽しい気分になれるでしょう。また、ヒロインは社会人なのですがとても愛らしく、着物に着換える場面は単なるお色気シーンとは全く異なるフェチズムを感じさせてくれます。ストーリ的には紀行漫画とラブストーリーを融合させたような感じであり、その独特の空気が癖になりそうです。


スライムライフ(メガサワラ)
プライドの高い黒魔術少女のダルルは魔物派遣会社を利用して自分に見合った魔物を雇用しようとするが、やってきたのは見るからに弱そうなスライム君。すぐさま返品しようとするものの、彼のあまりの可愛らしさに抗えず、ついつい契約を結んでしまう。
スライムが可愛く、その可愛さにメロメロになる魔導師少女が愛らしいゆるふわコメディです。ツンデレ魔導師と天然系スライムの掛け合いがお互いの可愛らしさを引き出し、大きな癒しを生んでいます。その他のキャラもみなポンコツでいい味を出しています。




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最新更新日2021/04/10☆☆☆

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日本は、世界でも類を見ないほど本格ミステリが盛んな国です。しかし、一朝一夕でそうなったわけではなく、その発展の裏には長い歴史があります。一体どのような過程を経て今に至るのか、主要な作品を紹介しながら見ていきます。

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1889年

無惨(黒岩涙香) 
日本最初のミステリー小説として認定されている本書は、『鉄仮面』、『幽霊塔』など海外小説の翻案で知られる黒岩涙香の手によるものです。この作品が発表された1889年は、江戸川乱歩が生まれる5年前、イギリスでシャーロックホームズが誕生した翌年に当たります。大まかなストーリーは、無惨な死体となって発見された男の手に握りしめられていた髪の毛をもとに、ベテランと若手のふたりの警官が真相を推理していくというものです。文章が明治時代独特のもので、また展開もまどろっこしく、現代の読者にとって面白い作品かと問われるとかなり厳しいものがります。しかし、日本の探偵小説が本格的に開花する1920年代よりはるか以前にこうした作品が生まれていたという意味ではなかなか興味深い作品だといえるでしょう。
1917年

半七捕物帳(岡本綺堂)
明治時代の新聞記者が老人となった半七から昔の手柄話を聞きだす構成で語られる物語。江戸時代の風俗を背景に、半七が難事件を解決する姿を描いた時代劇版シャーロックホームズといった趣向の作品です。とにかく、まだ日本にミステリーが根付いていなかった時代にこれだけ完成度の高い謎解き主体の小説が存在していたことが驚きです。一つ一つが短く、文章も歯切れがよいのでサクサクと読める点も作品としての魅力を高めています。何より、物語や謎解きが現代でも楽しめるクオリティなのが最大の美点です。ミステリー好きの人にとっては必読の書だといえるでしょう。


1923年


二銭銅貨(江戸川乱歩)

探偵小説の巨人・江戸川乱歩の デビュー作。本書は、ポーの『黄金虫』やシャーロック・ホームズの『踊る人形』のような暗号解読ミステリーと見せかけて最後に意外な結末を迎えるという、今までの日本ミステリーにはなかった巧妙さに満ちた作品です。これ以後、日本のミステリーは短編小説を中心として独自の発展を遂げることになります。
二銭銅貨 (江戸川乱歩推理文庫)
江戸川 乱歩
講談社
1987-09T


真珠塔の秘密(甲賀三郎 )
戦前の日本を代表する本格ミステリ作家で、本格の名付け親でもある甲賀三郎の処女作。江戸川乱歩より4カ月遅れてのデビューとなります。本書は短編というよりショートショート程度の短さで、模造品とすり替えられた真珠の塔の謎とその顛末について描かれています。
真珠塔の秘密 (青空文庫POD(大活字版))
甲賀三郎
青空文庫POD
2016-07-31


1924年

琥珀のパイプ(甲賀三郎)
デビュー作の『真珠塔の秘密』は数ページほどの短い作品であり、著者の本領が発揮されたのはこの作品からです。深夜に起きた住宅の火災をなんとか消火すると中から夫婦の刺殺死体と子供の毒殺死体が見つかる。さらには、その事件は奇妙な万引き事件や宝石強奪事件と繋がっていき、より謎は深まっていくが......
30ページほどの短編の中に不可解な事件がてんこ盛りで、それが最後にはジグソーパズルのピースをはめ込むようにすべてきれいに説明されるさまは、本格ミステリが未発達だった当時の日本では画期的であったことは想像に難くありません。ただ、現代の読者の目から見ると、偶然が重なりすぎ、本格ミステリなのに変装の名人の怪盗が暗躍するなど、明らかに詰め込み過ぎでごちゃごちゃした印象を受けます。ともあれ、日本の本格ミステリ史を語る上では外せない作品であり、甲賀三郎の代名詞とも言える科学トリックがこの時すでに登場しているのも印象的です。
1925年

D坂の殺人事件(江戸川乱歩)

金田一耕助と並ぶ日本の名探偵の代名詞、明智小五郎が初登場した短編ミステリー。ただし、この頃の明智小五郎はスーツを着こなしたスマートな紳士ではなく、髪の毛がぼさぼさでよれよれの着物を着た貧乏な若者であり、見た目はまるで金田一耕助のようです。ストーリーは古本屋で起きた不可能状況での殺人を語り手の青年と偶然出会った明智小五郎が推理し合うというもの。随所に乱歩らしさは見られるもののミステリーとしては特筆すべき点はななく、今となっては明智小五郎初登場という一点のみで記憶されている作品です。
D坂の殺人事件 (角川文庫)
江戸川 乱歩
KADOKAWA/角川書店
2016-03-25


心理試験(江戸川乱歩)
完全犯罪を画策し、それが瓦解するさまを犯人の視点から描いた倒叙ミステリー。しかしながら、明智小五郎が犯人を追い詰めるロジックが素晴らしいため、戦前を代表する短編本格ミステリのひとつに数えられています。
心理試験 (江戸川乱歩文庫)
江戸川 乱歩
春陽堂書店
2015-11-20


1926年

ニッケルの文鎮(甲賀三郎)

大掛かりな科学トリックと二転三転する終盤の展開。現代的な本格ミステリというよりは怪盗ルパンのようなハッタリの効いたスリラー小悦です。本格至上主義者という著者のレッテルから連想されるイメージとはかなりズレを感じますが、江戸川乱歩以上だったという当時の大衆人気はその派手な展開故のものだったのでしょう。著者の持ち味が存分に発揮された初期の代表作です。
ニッケルの文鎮
甲賀 三郎
2012-10-01


1928年

陰獣(江戸川乱歩
本格派の寒川と変格派の大江春泥という江戸川乱歩自身をモデルにしたふたりの探偵小説家が登場する自己パロディ色の強い作品。内容もそれに呼応するように、乱歩の二面性であるトリックを中心とした理知な作風と倒錯的な露悪趣味の作風が混然一体となっています。当時としては驚くべき大トリックを用いた乱歩流本格ミステリの到達点。
陰獣 (江戸川乱歩文庫)
江戸川 乱歩
春陽堂書店
2015-02-20


1929年

赤いペンキを買った女(葛山二郎)
会社員の給与を運んでいた車が襲われた事件を巡る法廷ミステリー。ラストのどんでん返しが鮮やかで、江戸川乱歩から戦前のベスト短編ミステリーと激賞された作品です。


孤島の鬼(江戸川乱歩)
乱歩の長編作品の中での最高傑作。ただ、本格ミステリの要素は前半のみで、密室殺人などもありますが極めて薄味です。それよりも、全般を覆う怪奇趣味と後半の冒険譚に乱歩の持ち味が存分に生かされています。
孤島の鬼
江戸川 乱歩
東京創元社
2012-10-25


1931年

殺人鬼(浜尾四郎)
ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』に触発されて書き上げた本格ミステリの傑作。上流階級の屋敷で起きる連続殺人という王道展開にふたりの探偵の対決が楽しめるという古き良き時代の探偵小説ですが、その巧みな伏線と論理的解決は、今読んでもレベルの高さが感じ取れるほどです。
1932年

デパートの絞刑吏(大阪圭吉)
夜間のデパートで、宿直の男が首を絞められた後に屋上から落されるという奇怪な事件とその意外な真相を描いた短編ミステリー。
甲賀三郎の推薦により若干20歳で発表した大阪圭吉のデビュー作。探偵役のキャラクターは類型的で面白味に欠けるものの、この時代の日本では珍しい端正な本格作品であり、才気を感じさせる佳作に仕上がっています。
とむらい機関車 (創元推理文庫)
大阪 圭吉
東京創元社
2001-10-25


1933年

鉄鎖殺人事件(浜尾四郎)
著者の代表作である『殺人鬼』の影に隠れがちですが、本格ミステリとしての骨格は、こちらも負けず劣らずしっかりしたものになっています。探偵が犯人に翻弄されて何度も失敗を繰り返し、ワトソン役の恋愛騒動が事件に絡んでくるという辺りがプロット上の工夫でしょう。ただ、今となって犯人は分かりやすい作品ではあります。なお、浜尾四郎は、この翌年には新作『平家殺人事件』の連載を開始しますが、脳溢血で急逝したため未完に終わってしまいました。当時としては貴重な長編本格ミステリの書き手だけだっただけに残念です。

鉄鎖殺人事件 (河出文庫)
浜尾四郎
河出書房新社
2017-10-05


完全犯罪(小栗虫太郎)
横溝正史が以前から患っていた結核が悪化して大吐血。新青年に掲載予定だった作品が執筆不可能になって、急遽穴埋めとして持ち出されたのが本作でした。著者が中学生の先輩に当たる甲賀三郎のところに送り、甲賀三郎が推薦状を書いて新青年に送った原稿がたまたまそこにあったというわけです。その結果、本書は大反響を呼んで無職だった小栗虫太郎は一躍人気作家となります。本作は中国南部を舞台にソ連の士官が娼婦の変死の謎を究明するという特異な設定で、幻想的ともいえる奇想天外な密室トリックが印象的な作品です。
完全犯罪―他8編 (春陽文庫)
小栗 虫太郎
春陽堂書店
1996-12T


1934年

黒死館殺人事件(小栗虫太郎)
この作品は一見、上流階級の屋敷で起こる連続殺人を描いた本格ミステリの王道風ではあります。しかし、探偵役の法水麟太郎は事件に奇妙な符号らしきものを強引に見出しては、捜査そっちのけで自らの博識ぶりを披露。常人には思いつかない突拍子もない仮説を提唱し続けていきます。その博識ぶりも天文学、心理学、医学、錬金術と限りがなく、膨大な知識の海の中に事件の本質さえ埋没してしまいます。事件をかく乱しているのが犯人ではなく、探偵自身
(本人にその意図はなく、大真面目に推理しているだけですが)であるというのがアンチミステリーの傑作と言われるゆえんでしょう、そして、その奇抜さから本作は夢野久作『ドグラ・マグラ(1935)』、中井英夫の『虚無の供物(1964)』と並ぶ国内ミステリー三大奇書のひとつに数えられています。
【「新青年」版】黒死館殺人事件
小栗 虫太郎
作品社
2017-09-28


とむらい機関車(大阪圭吉)
毎週、同じ機関車が同じ場所で豚を轢き殺すという異様な謎から始まり、やがて異様な結末へと至る。独特の雰囲気と意外な真相がマッチした戦前屈指と言える短編ミステリーの名品です。
とむらい機関車 (創元推理文庫)
大阪 圭吉
東京創元社
2001-10-25


1935年

船富家の惨劇(蒼井雄)
国内で初めて時刻表によるアリバイトリックが用いられた作品です。しかもそれだけにはとどまらず、緻密な殺人計画、意外な動機、最後のどんでん返しと本格ミステリの魅力がたっぷりと詰まっています。戦前の長編本格ミステリとしては浜尾四郎の『殺人鬼』と双璧をなす存在と言えるでしょう。ただ、それに続く『瀬戸内海の惨劇(1937)』は奇抜な謎で期待させるものの、話が進むにつれてご都合主義が目についてくる凡作でした。そして、戦後の本格ミステリブームの中でもこれといった作品は発表できず、結局、蒼井雄の名は、ミステリー界における一発屋の代名詞となってしまいます。
1936年

人生の阿呆(木々高太郎)
低俗とされていた探偵小説も突きつめれば芸術となりうるとした探偵小説芸術論を提唱した
木々高太郎が、その実践を試みたのが本作です。暗号や読者への挑戦など本格ミステリの要素を盛り込みながらも主人公の成長を物語の軸とした紀行文学風でもある本作は、見事第4回直木賞を受賞します。当時としては、探偵小説が文学賞を受賞するなどというのは前代未聞の快挙であり、著者は当初の目的を果たしたように思われました。しかし、本書は時の流れの中で風化していった作品のひとつであり、今となってはミステリーとしても文学としても中途半端な過渡期の作品という評価を得ているに過ぎません。結局、著者の理想を形にするには、松本清張の登場を待たねばなりませんでした。
人生の阿呆
木々 高太郎
沖積舎
2002-11-29


真珠郎(横溝正史)
謎解きよりも猟奇趣味や耽美趣味を主体とした作品が多かった戦前の横溝作品の中において、本作は両者の要素が絶妙にブレンドされている、戦前と戦後の橋渡し的な作品となっています。序盤にクセの強い人物が次々と登場し、中盤で血まみれの惨劇が繰り返され、終盤ですべてが反転して驚くべき真相が明らかになるというプロットもよくできています。
また、本作は顔のない死体トリックの新バージョンを考案したという意味でも重要な作品です。なにより、全編通して謎めいた存在として語られる真珠郎の正体には驚かされます。文学的な味わいもあり、非常に読み応えのある作品です。戦後に書かれた金田一耕助シリーズの代表作と並び称されるべき傑作だといえます。


あやつり裁判(大阪圭吉)
「その女はなぜ、全く異なる複数の事件の目撃者となり、何度も裁判所の証言台に立ったのか?」
まず、この謎の設定が秀逸。これで一気に物語に引き込まれます。真相はややリアリティに欠けるものですが、発想自体は独創的で面白い。
ユーモアで味付けされた短編ミステリー。
あやつり裁判
大阪 圭吉
2012-10-01


1937年

坑鬼(大阪圭吉)
崩落寸前の坑道で繰り広げられる連続殺人。狂気じみた空気が緊迫感を生み、最後には張りめぐらせた伏線を回収して合理的な解決へと至る。
圧倒的な迫力があり、奇想とロジックを併せ持った傑作です。著者はこの時点で江戸川乱歩や甲賀三郎がデビューした年齢より遥かに若い25歳でしたが、当時の本格ミステリの書き手の中では飛び抜けた実力を誇っていました。しかし、大きな人気を得るには至らないまま、やがて戦争へと向かう空気の中で探偵小説は禁止され、他ジャンルへの転身を余儀なくされてしまいます。その後、戦争激化に伴って著者も戦地に赴き、1945年にルソン島で病死します。享年32。日本のミステリー界にとっては大きな損失でした。
坑鬼
大阪 圭吉
2012-10-04





1940年

顎十郎捕物帳(久生十蘭)
舞台は幕末の江戸。巨大な顎をもっているために顎十郎と呼ばれている北町奉行同心の仙波阿古十郎が難事件を解決していく連作短篇です。本作の魅力は人を食ったような顎十郎のキャラクターと奇妙奇天烈な謎にあります。なかでも、御用船に乗っていた囚人・役人・船員ら計23人が消失する『遠船島』、ちょっと目を離した隙に12メートルもある見世物小屋の鯨が消え失せる『両国の大鯨』など不可能犯罪ものが多く含まれているのが印象的です。もっとも、現代の目から見れば肩透かしなトリックも多いのですが、強烈な謎で読者の興味を惹き、伏線を回収しながらそつなく着地を決める手管はなかなかのものです。また、1編25ページほどの短い話なのに加え、登場人物が皆ユーモラスなのでテンポ良く読めるのも美点だといえるでしょう。ちなみに、本シリーズは全部で24話執筆されていますが、その他に都築道夫による遺族公認の続編・『新顎十郎捕物帳』があります。

顎十郎捕物帳 (朝日文庫)
久生 十蘭
朝日新聞社
1998-04T


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最終更新日2021/04/27☆☆☆

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第2次世界大戦中、禁じられていた探偵小説が終戦と共に解禁となったことにより、日本では本格ミステリ文化が一気に花開きます。戦前は短編中心だった探偵小説が打って変わり、長編傑作が次々と発表されるようになったのです。それはちょうと英米における1920年代からの黄金時代を見ているかのようでした。日本でも四半世紀遅れて同じような波がやってきたのです。その時代にどのような作品があったかのかを見ていきましょう。
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1946年

本陣殺人事件(横溝正史)
戦後の本格ミステリブームを牽引したのは間違いなく横溝正史でした。彼は戦争が終わると、戦前には数作を数えるのみだった長編本格ミステリの傑作を次々と発表し、大衆の心を掴んでいきます。本作はその第一弾で、国内ミステリーに登場する名探偵の中でもぶっちぎりの知名度を誇る金田一耕助初登場作品でもあります。作中に描かれている事件は、田舎の旧家の離れで新婚初夜を迎えた夫婦が何者かに日本刀で惨殺されるというものです。しかも、離れの周辺に降り積もった雪の上には足跡が一切なく、密室殺人の様相を示しています。国内の長編ミステリーとしてはおそらく初めて密室の謎を中心に据えた作品ではないでしょうか。しかも、単に欧米作品の模倣ではなく、日本刀や琴といった和風な小道具を効果的に使い、日本ならではの密室を構築した点が秀逸です。
本作は新しいミステリー小説の到来を記念する形で第1回探偵作家クラブ賞(現在の推理作家協会賞)を受賞しています。
第1回探偵作家クラブ賞受賞
1947年

蝶々殺人事件(横溝正史)

「本陣殺人事件」に続いて横溝正史が矢継ぎ早に発表した本格ミステリの傑作。ただし、本作には金田一耕助は登場しておらず、戦前の作品で活躍していた警視庁元捜査課長・由利麟太郎が探偵役を務めています。物語は、オペラの公演を控えたソプラノ歌手が行方不明になり、コントラバスのケースの中から死体となって発見されるというもの。戦前の作品や金田一耕助シリーズのようなおどろおどろしたムードはなく、交通機関を利用したアリバイトリックが主軸になっている点などは横溝作品としてはかなりの異色作だといえるでしょう。しかも、読者への挑戦なども挿入されており、本陣殺人事件以上に本格度の高い作品に仕上がっています。
不連続殺人事件(坂口安吾)
戦後「堕落論」などで人気を博し、純文学の旗手として台頭してきた坂口安吾は大の本格ミステリ好きとしても知られています。そして、自分の理想のミステリーを体現したのがこの作品です。彼は同じ本格ミステリ至上主義者でも甲賀三郎などとは違って無理のある物理トリックは毛嫌いしており、アガサ・クリティのような心理トリックこそが至高だと主張していました。本作でも奇想天外な大トリックではなく、実にさりげない方法で犯人を隠匿しています。また、犯人を指摘するロジックも見事で、本格ミステリとしての完成度は極めて高いレベルに達しています。無駄に多い登場人物とそれぞれの個性が描き切れていないせいで誰が誰だかわかりにくいという難点もありますが、純粋なパズラーを読みたい人にはおすすめの作品です。
第2回探偵作家クラブ賞受賞
不連続殺人事件 (角川文庫)
坂口 安吾
角川書店
2006-10-01


高木家の惨劇(角田喜久雄)
終戦の年の11月。暴君として君臨していた高木家の当主が何者かに銃殺される。関係者はいずれも彼を殺す動機を持っていた。ところが、その全員がアリバイを有していたのだ。捜査は困難を極めたが、次第に秘められた事実が明らかになっていき......
本作は「本陣殺人事件」「不連続殺人事件」「刺青殺人事件」などと並び、探偵小説復興の原動力になった作品です。しかし、現在では本作のみが極端に知名度が低く、語られることもあまりなくなってしまっています。トリックが安っぽいという批判もありますが、それはあくまでも表層的な問題にすぎません。実際はトリックだけに依存しているわけではなく、それを撒き餌に使った二転三転のプロットが展開されています。また、シムノンのメグレ警視をモデルとした加賀美敬介捜査一課長のキャラクターも物語を楽しむうえでほどよいアクセントとなっています。再評価が待たれる作品だといえるでしょう。
高木家の惨劇 (1965年)
角田 喜久雄
青樹社
1965


1948年

獄門島(横溝正史)

終戦から1年、戦地から日本に戻ってきた金田一耕助は戦友の死を彼の家族に知らせるために瀬戸内海に浮かぶ獄門島に向かう。亡くなった戦友は網元の跡取り息子で、3人の異母妹がいる。彼は死ぬ間際に「俺が帰らないと妹たちが死ぬ」との言葉を残していたのだ。果たして、金田一耕助が彼の死を伝えたとたん妹の一人が行方不明となり、無残な他殺死体となって発見される。彼女は木の枝から逆さ吊りにされていたのだ。
奇怪な見立て殺人、巧妙なトリック、ミスリードの妙、意外な犯人などといった具合に本格ミステリの魅力が凝縮されており、国内本格ミステリの最高峰との呼び声が高い作品です。実際、文春から発売されている東西ミステリーベスト100では1985年版と2012年版において連続1位に輝いています。また、本陣殺人事件では20代前半の若者だった金田一耕助が本作では30代になっており、おなじみのキャラクター性を確立した作品でもあります。
刺青殺人事件(高木彬光)
敗戦に伴い職を失った高木彬光が占い師の「作家になれば大成する」との言葉をよりどころにして書き上げたのが本作です。この作品は江戸川乱歩の推挙によって出版の運びとなり、たちまち大きな反響を呼ぶことになります。物語は美しい刺青を背中に持つ美女が内側から鍵のかかった浴室でバラバラ死体となって発見されるというものです。密室トリック自体は今となっては陳腐ですが、それに付随する心理の密室は読者の盲点を突くもので、見事な仕掛けとなっています。また、金田一耕助と双璧をなす名探偵・神津恭介がこの作品で登場するのも見どころのひとつです。


古墳殺人事件(島田一男)
発掘されたばかりの古墳の入り口付近で考古学者の曽根が撲殺死体となって発見される。一方、少年タイムズの編集長である津田の元には旧友である曽根からエジプトの散文詩を模した奇妙な手紙が届く。曽根の訃報を知った彼は独自に事件の真相を探り始めるが......
「獄門島」や「不連続殺人事件」などの傑作群と比べると出来はかなり劣るにもかかわらず、終戦直後の本格ミステリを語る際にはよく言及される作品です。特に、「刺青殺人事件を評す」というエッセイの中で展開された坂口安吾による評論が有名で、そもそも「刺青殺人事件」に対する批判を行っていたはずなのに勢い余って本作についても長々と語り始め、「古墳殺人事件などという棒にも箸にもかからぬ駄作に比べたら刺青殺人事件ははるかにマシ」などと完全にとばっちりを受ける形でケチョンケチョンにされているのがいかにも気の毒です。実際、本作は坂口安吾の言うとおり、トリックには無理があるし、探偵役である津田の衒学趣味もヴァン・ダインの模倣であることは確かです。しかし、今となってはそうした要素がクラシカルな探偵小説として良い味を出しており、雰囲気を楽しむにはもってこいの作品になっています。
ちなみに、島田一男はその後作風を変え、自らの経験を生かした事件記者シリーズを執筆して一躍売れっ子作家になっていきます。


1951年

八つ墓村(横溝正史)
戦国時代、尼子氏滅亡の際に8人の落ち武者たちが小さな村落に身を寄せる。当初、村人たちは彼らをかくまっていたが、やがて隠し持っていた財宝と毛利氏による褒賞金に目がくらんで皆殺しにしてしまう。ところが、その後、村には祟りが起こり、首謀者たちが次々と奇怪な死を遂げていった。恐れおののいた村人たちは8人の武者を手厚く葬り、以後この村は八つ墓村と呼ばれるようになる。時は流れて大正時代。首謀者の子孫である田治見要蔵が突然発狂し、猟銃と刀で32人を殺して行方をくらます事件が起きた。さらに、20数年後の神戸。天涯孤独の青年・寺田辰弥は突然、自分が田治見要蔵の忘れ形見だと告げられ、八墓村に向かうことになる。そして、それが3度目の惨劇の幕開けだったのだ......。
横溝正史が脂が乗っている時期に書いた代表作の一つ。とはいってもミステリーとしての骨格は脆弱で謎解きの面白さは本作ではあまり味わうことはできません。金田一耕助の存在感も薄く、まともに登場するのは最後に事件の全容を説明する時ぐらいです。したがって、これを本格ミステリとして読むとおそらく多くの人が落胆するでしょう。しかし、本作の面白さは全く別のところにあります。不気味な因縁話から始まる連続殺人のサスペンス、巨大な洞窟の中での宝探し、絶体絶命のピンチの中で芽生えるラブロマンスと、とにかく娯楽要素が満載なのです。江戸川乱歩でいえば戦前の傑作である「孤島の鬼」に似た位置づけの作品だといえるでしょう。
犬神家の一族(横溝正史)
一代で巨万の富を築いた犬神佐兵衛は家族に見守られながら息を引き取るが、その後発表された遺言状はとんでもない内容だった。犬神家には佐兵衛の恩人の孫として身を寄せている野々村珠世という娘がいるのだが、3人の孫の内の誰かと結婚することを条件に全財産を与えるというのだ。しかも、珠世が誰も選ばなかった場合は全財産の5分の2が佐兵衛の愛人の息子である青沼静馬に贈られるという。この遺言状により、佐兵衛の3人の娘の仲はますます険悪になり、孫たちによる珠世争奪戦が加熱していく。しかも、3人の孫の内、珠世が想いを寄せていた佐清は戦場で顔と喉をつぶされ、本人だという確証が得られない状態になっていた。そんな中、孫の一人である佐武の生首が菊人形として飾られているのが発見される......。
本作は市川昆監督の映画などによって広く世間に知られている作品ですが、元々の評価はそれほど高いものではありませんでした。現に、1985年に発売された文春の東西ミステリーベスト100ではランク外となっています。ところが、21世紀になってから再評価が進み、2012年版の東西ミステリーベスト100では38位まで順位を上げているのです。トリックに見るべき点がない、ご都合主義が目立つなどの批判が多い一方で、遺産を巡る一族の骨肉の争い、不気味な見立て殺人、覆面を被った怪人物といった道具立ては一級品であり、古き良き時代の探偵小説の魅力に満ちているのは確かです。その辺りが、再評価のポイントとなったのでしょう。また、問題のミステリー部分も派手さはないながらも様々な工夫が施されており、その点を高く評価する人も少なくありません。
1953年

悪魔が来たりて笛を吹く
(横溝正史)
保健所からきたと称した男が店員たちを毒殺し、宝石を奪った天銀堂事件。その容疑者となった元子爵の椿英輔は「悪魔が来たりて笛を吹く」と書いた謎の遺書を残した後に死体となって発見される。ところが、その半年後、彼の妻が英輔らしき姿を目撃したことから彼が生きているかどうかを砂占いで占うことになる。一族が集まり、同席の依頼があった金田一耕助が見守る中で占いが始まるが、突然明りが消えてフルートの音が響き渡る。そして、その翌朝、元伯爵の玉虫公丸の殺害死体が発見される.....。

現実の未解決事件である帝銀事件をモチーフに使い、それを没落貴族の悲劇と絡めて1本の推理小説として仕上げた手腕はさすがです。風神・雷神像、悪魔の紋章などの小道具の使い方も見事で、雰囲気を巧みに盛り上げていきます。一方、序盤から密室殺人が起こりますが、これは大したトリックではありません。横溝正史は戦後直後のトリックを中心に据えた探偵小説から「八つ墓村」「犬神家の一族」といった物語やプロットを重視した作品にシフトしており、それはこの作品でも顕著です。本格ミステリとしては特にすごい仕掛けがあるわけではないのですが、物語としての雰囲気作りは素晴らしく、どこか狂気を秘めた没落貴族の面々も良い味をだしています。本格ミステリというより、サスペンスミステリーとして完成度の高い作品です。
1954年

妖異金瓶梅(山田風太郎)
快楽主義者の豪商・西門慶は8人の夫人と二人の美少年を侍らせて毎日酒池肉林の宴を催していた。ところが、第七夫人の宋恵蓮が両足を切断された死体となって発見される。一体誰がなんにために?中国四大奇書のひとつ金瓶梅の世界を舞台にして描く連作ミステリー。
山田風太郎と言えば、現在では甲賀忍法帖を始めとする忍法帖シリーズが有名ですが、ミステリーマニアの間ではミステリー小説の鬼才としても著名な存在です。本作も
著者ならではエログロ趣味が飛び交い、その中でロジカルな謎解きが行われるという独自の世界が展開されています。もちろん、本格ミステリとしても上質で個々に使われるトリックもユニークなですが、この作品を真に傑作にならしめているのはその動機にあります。ホワイダニットが解明されるたびにこれほど慄然とさせられる作品も他にないのではないでしょうか。また、終盤の展開も壮絶で、ミステリーというだけでは収まりきれない山田風太郎ワールドが展開されています。同時代の有名作と比べると知名度はいま一つですが、エログロ展開が大丈夫な人にはぜひおすすめしたい大傑作です。
化人幻戯(江戸川乱歩)
元公爵の大河原義明には30近くも離れた若くて美しい後妻・由美子がいた。ある日、彼らは熱海の別荘にでかけるが、双眼鏡で景色を楽しんでいた時、崖から落下する人影を目撃する。それは大原家に出入りしていた青年・姫田吾郎だった。彼は自分の元に送られてきた白い羽根におびえていたというが......
戦後、子ども向けの少年探偵団シリーズや翻案ものを除けばほとんど作品を発表していなかった江戸川乱歩が、還暦の記念に書き下ろした久しぶりの長編ミステリーです。乱歩は短編作品ではトリッキーな本格ミステリをいくつもものにしてきましたが、長編に関しては謎解きメインの作品はほぼ皆無でした。本作ではその本格ミステリに正面から挑んでおり、そういった意味では乱歩の異色作だともいえます。その出来はというと、前半の大胆なトリックはなかなか楽しめるのですが、第二の殺人のトリックはあまりにも陳腐でしかも犯人がわかりやすいという欠点があります。本格ミステリとしてだけ採点するのであればそれほど高い点数はあげられないでしょう。しかし、その反面、異常性を秘めた犯人像には強烈なインパクトがあり、終盤からラストにかけての展開は非常に読み応えがあります。決して傑作とは言えませんが、忘れ難い印象が残る作品です。
化人幻戯 (江戸川乱歩文庫)
江戸川 乱歩
春陽堂書店
2015-11-20


1955年

人形はなぜ殺される(高木彬光)
マジシャンが集まっての魔術発表会の最中、ショーに使われるはずだった人形の首が盗まれる。しばらくしてその首が発見されたかにみえた。だが、それは本物の人間の生首だったのだ。これが名探偵神津恭介を敗北寸前にまでに追い詰めた連続殺人事件の始まりだった。
人形が次々に殺されるという奇怪な事件の裏で前代未聞のトリックが炸裂する豪華絢爛な本格ミステリです。いつもはキレッキレな推理で謎を解く神津恭介が後手に回り続けるほどの難事件で、読者への挑戦が2度も挿入されている辺りに作者の自信のほどがうかがえます。実際、本格ミステリとしての評価は極めて高く、戦後期の作品としては「獄門島」と肩を並べる存在といっても過言ではありません。ただ、地の文がやたらとテンションが高く、大時代的な言い回しを連発してくるのでその点が肌に合わないという人もいるかもしれません。

薫大将と匂の宮(岡田鯱彦)
時は平安の世。宮中には周囲の女性を虜にする体臭を放つ薫大将と、調合によって香りを自在に操る匂の宮という2人の貴公子がいた。彼らを巡る恋の鞘当てはやがて連続怪死事件へと発展する。恋愛騒動の当事者たちが次々と宇治橋から落ちて死んでいったのだ。これは何者かの手によるものなのか?宮中を震撼させる怪事を前にして、紫式部と清少納言は推理を競い合うが.....。
当時はまだまだ珍しかった時代ミステリーであるという事実に加え、紫式部と清少納言が推理合戦を繰り広げるケレン味たっぷりな趣向がたまりません。ちなみに、本作は、古本屋で見つけた『源氏物語』の続編を作者が現代文に翻訳したという体裁をとっており、
薫大将と匂の宮はそれぞれ光源氏の義理の息子と孫にあたります。そのため、源氏物語に関する知識がある程度なければ人間関係などがよくわからないという難点はあるものの、設定をうまく活かしたトリックや謎解きはよくできています。国文学者教授の肩書を持つ作者ならではの異色傑作です。
薫大将と匂の宮 (創元推理文庫)
岡田 鯱彦
東京創元社
2020-03-19


1956年

黒いトランク(鮎川哲也)
福岡県汐留駅に送られてきた黒いトランクには男の死体が詰められていた。送り主である近松千鶴夫は溺死体のなって発見され、事件は終結したかに思われた。ところが、鬼貫警部の前に近松の妻が現れ、夫は人を殺せるような性格ではないと主張する。鬼貫警部は独自に再調査を開始するが、そこで明らかになったのはもう一つの黒いトランクの存在だった......

クロッフの名作、「樽」を意識して書かれた鮎川哲也のデビュー作です。実際は1950年に雑誌宝石の懸賞に「ペトロフ事件」が当選し、中川透名義でのデビューが決まっていました。ところが、出版社とのトラブルでそれが棚上げになってしまい、本作で再デビューという形になったのです。元ネタの「樽」と同じように死体の入ったトランクの動きがポイントとなる作品ですが、とにかく犯人の巧緻な犯罪計画には圧倒されます。大小いくつものアイディアが巧みに組み合わされており、百戦錬磨のミステリーマニアでもこのトリックを独力で解くのは困難を極めるでしょう。アリバイ崩しを主眼とした作品としては間違いなく最高峰の一つです。同時に、凡人型の鬼貫警部を探偵役に配したのも先駆的で、もうすぐやってくる社会派ミステリーブームの到来を予見していたかのようです。
黒いトランク (創元推理文庫)
鮎川 哲也
東京創元社
2002-01-25


1957年

猫は知っていた(仁木悦子)
音楽大学在学中の私は病院の院長の娘・幸子にピアノを教えることになり、兄と一緒にその病院で下宿を始める。ところが、病院への引っ越しを終えた直後に幸子の飼い猫と母親が姿を消してしまう。猫はやがて姿を現すが、母親は不明のまま。兄の推理に従って防空壕を探すことにするが、そこで発見されたのは母親の死体だった。
本作は第3回江戸川乱歩賞に輝いた作品です。それまで同賞はミステリー界への功績に対して与える功労賞的な意味合いが強かったため、新人賞としては初の受賞となります。ただ、本作は本格ミステリとして抜きんでているというわけではありません。ミステリーとしての仕掛けとしては見るべきものは特になく、トリックのいくつかは発表された時代を考慮してもかなり凡庸です。しかし、プロットはしっかりしており、伏線の張り方もうまくてなかなか読ませる作品に仕上がっています。何より、若い兄妹が軽妙な会話を繰り広げながら事件を推理していくといったタイプの作品は今まで日本のミステリーにはなかったもので、ミステリー界に新風を巻き起こすものでした。ユーモアミステリを本格的にブレイクさせたのが赤川次郎だと考えると、本作は時代を20年ほど先取りしていたことになります。

悪魔の手毬唄(横溝正史
静養のために岡山県にやってきた金田一耕助は岡山県警の磯部警部に鬼首村の温泉宿「亀の湯」を紹介され、そこに投宿することになる。磯部警部の話では宿の女主人である青池リカは23年前に夫を殺され、犯人と目される詐欺師の男も行方不明だという。一方、村の若者たちの間では鬼首村出身の人気歌手、大空ゆかりが里帰りをするという話題で持ちきりだった。やがて、大空ゆかりが帰郷し、歓迎会が催される。ところが、その夜、ゆかりの同級生の泰子が行方不明となり、絞殺死体となって発見される。しかも、その口には漏斗が差し込まれ、そこから滝の水が流し込まれていたのだ。まるで、鬼首村に伝わる子守唄の歌詞をなぞるかのように......。
おどろおどろしい雰囲気、複雑な人間関係、過去の事件との因縁といった横溝ミステリーの魅力が詰め込まれた集大成的な作品です。ミステリーとしての仕掛けは比較的単純なのものですが、手毬歌をなぞった奇怪な連続殺人とそれを解き明かしてくプロセスはサスペンスに満ちており、読み応えのある作品に仕上がっています。特に、金田一耕助が老婆と峠ですれ違うシーンなどはこれから起きる惨劇を予見させる不気味さをたたえており、シリーズ屈指の名場面だといえるでしょう。
ちなみに、本作が雑誌宝石に掲載された1957年は松本清張の「点と線」の連載が始まった年でもあり、以降ミステリー界全体が急速に社会派ミステリーに傾いていきます。それに伴い、横溝正史は長いスランプに陥り、1970年代後半に角川映画によって横溝正史ブームが起きるまで半ば忘れられた存在となってしまったのです。
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最新更新日2018/08/30☆☆☆

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社会問題や庶民の身近な問題に重きを置き、リアリティのある事件を描く社会派推理小説は松本清張の登場と共に多くの読者の支持を得て一大ジャンルを築いていくことになります。日本が経済発展を遂げる中で生じた社会のゆがみを描いたそれらの物語は、実際にその中で生活している人々の共感を得ることになったのです。それに対して、絵空事にすぎない豪邸での連続殺人や名探偵の活躍を描いた物語は次第に飽きられ、衰退していきます。ただ、勘違いしてほしくないのはこれはあくまでも探偵小説の衰退であって、本格ミステリが顧みられなくなったわけではないという点です。本格ミステリの書き手はこの時期にも増え続け、さまざまな作品を発表しています。以前の作品と比べて変わったところといえば、名探偵が快刀乱麻の推理によって事件を解決するのではなく、主に刑事や新聞記者などが地道な捜査によって真相に近づいていくという点です。同じ本格でも古典的な作品に慣れ親しんだ人にとってはその地味さが物足りないと感じるかもしれません。しかし、逆に言えば、舞台や登場人物をリアリティのある設定にしながらも、犯人の仕掛けたあまりリアリティがあるとはいえないトリックを暴く物語が発表され続けていたという事実は、日本人が根本的なところでは本格ミステリに愛着を持ち続けている事実を示しているとも言えるのではないでしょうか。それではこの時代に一体どのような作品が発表されたのかを見ていきます。
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1958年

点と線(松本清張)
東京の料亭で働いていた女中と官僚の男が博多の海岸で死体となって発見される。最初は心中事件かと思われたが、次第に不自然な点が明らかになってくる。捜査の結果、機械工具会社の経営者・安田が容疑者として浮かび上がるが、彼には事件当日北海道にいたという鉄壁のアリバイがあった。
同年同作者が発表した「眼の壁」と並んで社会派推理小説ブームの火付け役となった作品です。しかし、物語の主眼となっているのは容疑者のアリバイをいかに崩すかという点であり、作品のフォーマットは本格ミステリそのものです。それでは本格ミステリとして面白いのかといえば、実際のところ微妙と言わざるをえません。有名な”4分間の空白”は多くの人に矛盾点が指摘されていますし、肝心のアリバイも単純すぎて拍子抜けするほどです。リアルといえばリアルなトリックなのでしょうが、2年前に発表された「黒いトランク」の緻密なトリックなどと比べてしまうとどうしても見劣りがしてしまいます。また、事件の背景に汚職の影があるというだけで、社会派要素もそれほど大きなウエイトを占めているわけではありません。作品の出来としては後発の「眼の壁」や「ゼロの焦点」の方がはるかに上です。本作は日本のミステリー史を語る上では欠かせない分水嶺的な存在ですが、同時に、時代の流れによる風化には耐えられなかった作品とも言えるのではないでしょうか。

点と線 (新潮文庫)
松本 清張
新潮社
1971-05-25


りら荘事件(鮎川哲也)
元は個人の別荘だったりら荘に集まる7人の大学生たち。ところがそこで殺人事件が発生する。現場には死を意味するスペードのAが残されていた。そして、第2の殺人が......。
戦後の本格ミステリを支えてきたのが横溝正史なら高度成長期における本格ミステリの中心的存在だったのは間違いなく鮎川哲也です。しかも、横溝正史や高木彬光が必ずしも本格ミステリ一筋の作家ではなかったのに対して鮎川哲也は生涯本格ミステリを書き続けました。今でこそ珍しくなくなりましたが、当時は本格ミステリ一筋という作家は貴重な存在だったのです。もちろん、ジャンルの問題だけでなく、そのクオリティも素晴らしいものがあり、現在では本格ミステリ作家の代表的存在として位置付けられています。ただ、そうはいうものの、彼の作風は刑事が地道に捜査をするというどちらかというと地味なものであり、その点は社会派推理小説に近いものがありました。戦後の探偵小説とは明らかに異なるスタイルを選択したのです。そんな彼が珍しく「館における連続殺人と名探偵による解決」というクラシカルなスタイルのミステリーを構築したのが本作です。それゆえか、警察が介入しているのに連続殺人事件が起こり続け、被害を受けている学生たちも一向にりら荘から逃げ出そうとしないなどという具合にリアリティの点では大いに問題のある作品になっています。その代わり、本格ミステリとしての出来は超一級です。驚くような大トリックこそないものの、小さなトリックと伏線を巧みに織り込み、フーダニットとしてこれ以上はないという作品に仕上がっています。特に、トランプやペンナイフといった小道具の使い方は名人芸の域に達しています。探偵役の星影龍三が類型的すぎてキャラの魅力が薄いせいもあり、小説的な面白さは今一つですが、パズラー好きの人にとっては見逃せない必読の書だと言えるでしょう。

りら荘事件 (創元推理文庫)
鮎川 哲也
東京創元社
2006-05-27


1959年


黒い白鳥(鮎川哲也)
線路沿いで発見された銃殺死体は労使抗争で揺れる紡績会社の社長だった。容疑者として、敗色濃厚な労働組合の委員長や新興宗教がらみの人間が浮かび上がるが決定的な証拠はなく、捜査は難航する。そんな中、鬼貫警部はあることに着目して九州へと向かう。
本作は「黒いトランク」と並ぶ著者初期の代表作です。同じように時刻表を用いたアリバイ崩しが中心に据えられていますが、その緻密さは「黒いトランク」に勝るとも劣らない見事なものです。また、本作は純粋な本格ミステリではあるのですが、労働争議など戦後日本の風俗が生々しく描かれており、社会派推理小説にも通じる雰囲気があります。そうした点からもやはり、名探偵が活躍するタイプの探偵小説は当時時代遅れになっていたことを強く意識させられる作品でもあります。
第13回日本探偵作家クラブ賞受賞



憎悪の化石(鮎川哲也)
熱海の旅館で男が殺害される。彼のカバンから出てきたのは恐喝のネタらしき物品だった。彼は常習的に人を脅して金品を巻き上げていたのだ。そして、その被害者は十指に余るほどだった。当然、その中に殺人犯がいると思われたのだが、なんと全員にアリバイが成立し、捜査は暗証に乗り上げてしまう。
鮎川哲也は本作と「黒い白鳥」の2作によって第13回探偵作家クラブ賞を受賞しています。いずれも本格ミステリとして一級品であり、当時の作者の創作力の高さを物語っています。しかも、本作ではアリバイ崩しがふたつもあるという豪華さです。一つ目はかつて前例がない大胆な発想で基づくもので、二つ目は得意の時刻表を利用した巧妙なトリックです。ただ、「黒い白鳥」と比べると無理のある部分も多く、緻密さに欠ける面があります。後世の評価に差がついたのはそういった点にあるのではないでしょうか。

第13回日本探偵作家クラブ賞受賞


成吉思汗の秘密(高木彬光)
名探偵神津恭介は東京大学の病院に長期入院をしており、暇を持て余していた。友人の松下研三は彼に暇つぶしとして義経=ジンギスカン説の真偽を検証してみてはどうかとすすめる。神津恭介は持ち前の推理力で義経がジンギスカンだった根拠を次々と挙げていく。ところが、専門家の井村助教授が彼の前に現れ、その推理は根拠薄弱だと反論を繰り広げる。それに対して神津恭介は......。
本作は1951年にイギリスで発表された「時の娘」にインスパイアされて執筆した作品です。ただ、実証主義に徹した元ネタに対して想像による飛躍の多い本作は歴史ミステリーとしての完成度は大きく劣ります。その代わり、歴史ロマンをかきたてる技巧には優れており、神津恭介の推理には引き込まれるものがあるのも事実です。また、源義経という日本人にとってはロマンを喚起しやすい人物を題材にした点も勝因だと言えるでしょう。ロジカルなミステリーのはずなのに最後に輪廻転生説を持ちだしてまとめるのは問題ありですが、それも含めてフィクションと割り切って楽しみたい作品です。ちなみに、神津恭介の出番は本作以降極端に少なくなり、検事霧島三郎、弁護士百谷夫妻といった、よりリアリティのある人物が探偵役を務めることになります。この辺りにも時代の流れというものが感じ取れます。



一本の鉛(佐野洋)
女性ばかりが住むアパート、白雪荘。そこでホステスのあかねが殺される。現場には常連客の太田が茫然と立ち尽くしていた。彼は殺人の容疑者として逮捕されるが、バーのママである杏子は温厚な彼が犯人とはどうしても思えなかった。そこで、知人の弁護士とともに独自の調査を行うと意外な事実が浮かび上がってきて.....。
佐野洋は鮎川哲也と並ぶ、この時代を代表する本格ミステリの書き手でした。ただ、ミステリーを知的遊戯と位置付けた彼の作品からはセンセーショナルな犯罪や大がかりなトリックなどは排除されています。リアリティを重んじながら真相の意外性を追及していくのが彼のスタイルだったのです。そのため、長編デビュー作である本作も物語の展開はあくまでも地味です。その分、静かに立ち上るサスペンスとさりげない技巧にはすでに完成の域に達しています。コテコテの古典派ミステリに胃もたれを感じた時に清涼剤として読むにはぴったりの作品です。
一本の鉛 (角川文庫)
佐野 洋
角川書店
1996-10


1960年

招かれざる客(笹沢左保)

商産省と組合が激しく対立する中、組合側の闘争計画が商産省側に漏れ、闘争は組合側の敗北に終わってしまう。組合内部にスパイがいたのだ。組合はまもなくスパイを特定するが、その人物は何者かに殺害されてしまう。そして、それが連続殺人事件の始まりだった。
笹沢左保は木枯らし紋次郎の作者として知られていますが、元々は本格ミステリの書き手でした。長編デビュー作である本作も出だしこそ社会派推理小説を意識しているものの、すぐに本格ミステリのフフォーマットにシフトしていきます。凶器消失、アリバイ、暗号とさまざまなトリックを惜しみなく使用している点から見ても本格ミステリに対する並々ならない愛情が感じられます。トリックの独創性という点ではいまひとつなのが残念ですが、それでもクラシカルなミステリーとして大いに楽しめる作品に仕上がっています。

佐紀子の姉由記子は本多昭一と共に失踪する。昭一は労使闘争の真っただ中にある会社の御曹司であり、従業員の佐紀子とは許されない恋だったのだ。二日後昭一の死体が発見される。しかし、由記子は消息を絶ったままだ。果たして彼女はどこに消えたのか。佐紀子は恋人の豊島と共に真実を追い求めるが......。
ロマンと本格ミステリの融合という著者の特徴が色濃く出た作品です。相変わらず謎やトリックが派手で楽しませてくれるのですが、「招かれざる客」と同じでトリック自体にそれほど独創性が感じられない点はややマイナスです。探偵作家クラブ賞の受賞もミステリーの出来だけではなく、その独自の作風が評価された結果ではないでしょうか。
第14回日本探偵作家クラブ賞受賞


霧に溶ける(笹沢左保)
ミスコンに人生を賭ける女性たち。彼女たちは死力をかけて勝ちあがり、最終候補の5人に選ばれるが、その内2人が立て続けに不審な死を遂げる......。
笹沢左保は1960年に「結婚って何さ」を含む4作のミステリーを発表し、その多作ぶりをアピールします。その中でも現在において最も高く評価されているのが本作です。かつては、ミスコンを巡って殺人が起きるというバカっぽさから「招かれざる客」や「人喰い」よりも低く見られていた感がありますが、伏線の張り方の妙やトリックの独創性などといった本格ミステリとしての完成度は両作品を凌駕しています。ミステリーのアイディアがふんだんにつぎ込まれており、それが破綻なくまとまっている点が見事です。60年代を代表する本格ミステリのひとつだと言えるでしょう。
霧に溶ける (祥伝社文庫)
笹沢左保
祥伝社
2020-10-15


團十郎切腹事件(戸板康二)
美しい立女形の行方を突きとめる「立女形失踪事件」、八代目市川團十郎自刃の謎を読み解く表題作など老歌舞伎俳優・中村雅楽が見事な推理で謎を解く探偵譚。
戸坂康二は元々歌舞伎評論家として著名な存在でしたが、江戸川乱歩のすすめで推理小説を書くことになります。本書に収録されている作品群はミステリーの仕掛けとしてはそれほど凝ったものではありません。それよりも、洗練された簡潔な文章で私たちがあまりなじみのない歌舞伎の世界に誘う手管が見事です。また、単にトリックのためのトリックに陥らず、なぜ犯人がそのトリックを用いたかを説得力を持たせて描いているので再読に耐えられる点もこの連作集の魅力だといえるでしょう。いわばミステリとしても文学としても完成度の高い作品であり、それを証明するかのように本作は本格ミステリとしては史上初とも言える直木賞受賞の快挙を達成しています。
第42回直木賞受賞


1961年

危険な童話(土屋隆夫)

仮釈放されて刑務所を出た男がピアノ教師である木崎江津子の家で殺害される。警察は江津子を逮捕するが、証拠となる凶器が出てこない。さらに、彼女の抑留中に謎の人物からハガキが送られてくる。ハガキには自分が犯人だと書かれ、しかも犯人しか知りえない事実が記されていたのだ。
土屋隆夫は本格ミステリと文学の融合を標榜した作家であり、それが最も高いレベルで結実したのが本作です。ミステリーとしてはかなり地味な事件を扱っているのですが、章と章の間には謎めいた童話が挿入され、強烈なサスペンスを生んでいます。しかも、その童話は単に作品の雰囲気作りのためのものではなく、事件と密接につながり合っているのです。両者の関係が明らかになる瞬間がこの作品のクライマックスであり、そこから文学的な香りが立ち上ってきます。凡百のミステリーには達しえない抒情性に満ちた秀作だといえるでしょう。
危険な童話 (光文社文庫)
土屋 隆夫
光文社
2002-04


猫の舌に釘をうて(都筑道夫)
愛する有紀子が塚本の妻となり、私は彼への殺意を抑えがたくなってしまった。しかし、塚本を殺せば有紀子が不幸になる。そこで、私は代償行為として塚本によく似た男を殺すことにするが....,,。
奇抜な設定と技巧を凝らしたプロットが特徴的な都筑道夫の代表作。本作では記述者が犯人であり、探偵であり、被害者であるというまるでセバスチャン・ジャプリゾの「シンデレラの罠」を彷彿とさせる仕掛けが施されています。そのため、「シンデレラの罠」のリスペクト作品だと思われがちですが、実際の発表時期は本作の方が1年早いのです。また、その後も同様の趣向の作品はいくつか誕生しているものの、完成度の高さでは本作が随一でしょう。ただ、これはあくまでも犯人=探偵=被害者を成立させるためだけのアイディア先行の作品です。事件そのものは意外と平凡であるため、従来の意味でのミステリーの面白さを期待すると肩すかしをくらうかもしれません。
枯草の根(陳舜臣)
金融業を営む中国人の老人が死体となって発見される。ただちに捜査が行われるが、目撃者の証言から現場は出入り不可能な密室状態であることが明らかになってくる。被害者と親しい関係にあった中華料理店の店主・陶展文は独自に事件を探りはじめるが.......。
本作は作者自身の出自を活かして神戸の中国人街を舞台に描いた作品です。風格のある文章で描かれた異文化の描写には独特の味わいがあり、それが作品の魅力としてうまく機能しています。また、驚くようなトリックはないものの、伏線回収が巧みで高いレベルの謎解き作品としてまとめられています。本作は第7回江戸川乱歩受賞作ですが、その完成度は高く、歴代受賞作の中でも上位に位置する作品だと言えるでしょう。


人それを情死と呼ぶ(鮎川哲也)
建設省で汚職事件が明るみになり、逮捕者や自殺者が続出する。また、捜査は企業側にも及ぶが、すべてを知る立場にいた販売部長が消息を絶ち、2ヶ月後に白骨死体となって発見される。死因は毒物によるもので近くには女性の死体も転がっていた。警察は心中事件と判断するが、その事実を信じられない彼の妻と妹は独自に事件を調べ始める。
松本清張の「点と線」に影響を受けて執筆した作品であり、同作品の不満点の改善を試みた意欲作でもあります。それだけにミステリーとして様々な工夫が凝らされており、単純なアリバイ崩しものだと思っていると終盤になって事件の構図ががらりと変わるどんでん返しが見事です。鬼貫警部の出番が少ないこともあって著者の作品の中ではそれほど有名とは言えませんが、その完成度の高さは代表作のひとつと呼ぶにふさわしいものです。
人それを情死と呼ぶ (光文社文庫)
鮎川 哲也
光文社
2001-07-20


1962年

時間の習俗(松本清張)

相模湖畔で業界紙の社長が殺される。関係者の一人であるタクシー会社の専務は犯行当日には九州にいたというアリバイを持っていたが、そのアリバイがあまりにも完璧なため、逆に刑事たちは疑念を膨らませていき......。三原警部補と鵜飼刑事が鉄壁のアリバイに挑む。
松本清張の作品としては珍しく社会派要素のない純粋な本格ミステリです。しかも、物語の大半が容疑者のアリバイ崩しに費やされるという純度の高いパズラーです。そのトリックも考え抜かれたものであり、それを徐々に突き崩していくプロセスはなかなかスリリングです。本格ミステリとしての出来であれば「点と線」よりもこちらの方が上でしょう。ただ、アリバイの根拠となるのがカメラで撮影したフィルムであるため、現代の読者にはピンとこない可能性もあります。また、アリバイ崩しに終始している作品なので他の清張作品のようなドラマ的な盛り上がりはあまり期待しない方がよいでしょう。

時間の習俗 (新潮文庫)
松本 清張
新潮社
1972-12-19


1963年

影の告発(土屋隆夫)

デパートのエレベーターで男が毒殺される。手がかりは彼が死に際につぶやいた「あの女がいた」の一言。男の人間関係を探っていく内に有力な容疑者が浮かび上がってくる。しかし、彼には鉄壁のアリバイがあった。
本作は探偵作家クラブ賞が推理作家協会賞に名前を変えての初めての受賞作品です。また、シリーズ探偵の千草検事が登場するシリーズ第1弾でもあります。「危険な童話」と同じように殺人事件の捜査と描写の合間に謎めいた少女のモノローグが挿入され、それがやがて事件に結びついていくという構成が取られています。文学性豊かな作品であり、かつては「危険な童話」と並ぶ土屋隆夫の代表作とも言われていました。しかし、本編自体が単純なアリバイ崩しものであることと、今となって時代遅れの感が強いカメラを使ったトリックが用いられていることから近年ではやや評価を落としているようです。
第16回日本推理作家協会賞受賞


弁護側の証人(小泉喜美子)
八島財閥の放蕩息子である杉彦はストリッパーの蓮子と恋に落ち、新婚生活をスタートさせる。ところが、財閥当主の龍之助が何者かに殺害されてしまう。一体誰が犯人なのか?
作家・生島治郎の妻だった著者が新人賞に応募し、入選には至らなかったものの高木彬光の後押しによって出版にこぎつけたデビュー作。騙しのテクニックが巧妙でこの手のトリックの先駆者的存在に位置づけられる作品です。ただ、現代のミステリーを読み慣れた読者ならこのトリックに気付く人は多いのではないでしょうか。仕掛けがすべての作品だけにそれに気づくか、騙されるかで評価が分かれそうです。
弁護側の証人 (集英社文庫)
小泉 喜美子
集英社
2009-04-17


太陽黒点(山田風太郎)
苦学生の鏑木明はバイト先で社長令嬢の多賀恵美子と出会い、特権階級への足がかりを得る。彼は恋人の容子を捨て、金持ちたちへの復讐を企てるが.....。
物語は悲劇的な青春ストーリーといった類のもので一見ミステリーには見えないかもしれません。ところが、これには隠された仕掛けがあり、最後にすべてが反転してサプライズを迎えることになります。著者自体が失敗作だと言っているようにかなり強引な仕掛けではあるのですが、無理筋を著者の圧倒的な筆力でねじ伏せています。逆にそういった部分に凄みを感じ、大きな魅力となっているのです。鬼才が生んだ歪な傑作といえる作品です。
太陽黒点 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-09-25


1964年

虚無への供物(中井英夫)

かつては宝石商として財をなした氷沼家だが、祖父の光太郎を皮切りに次々と不審な死を迎えていく。そして、両親を洞爺丸事故で失った紅司も密室状態の浴室で謎の死を迎える。シャンソン歌手の奈々村久生、一家の御意見番である藤木田誠など、氷沼家にゆかりのある者たちが一堂に会し、この悲劇を止めるために推理合戦を始めるが......。
本作は「ドグマグラマ」「黒死館殺人事件」と並んで国内ミステリー三大奇書のひとつに数えられている作品です。ただ、あらすじから想像できるような壮大なミステリーを期待すると肩すかしを食らうかもしれません。悲劇的な事件を扱っている割に探偵役の面々の態度はいかにも軽くて不謹慎ですし、肝心の推理の内容もお粗末なものが多いからです。決して文章や話が難解だということはないのですが、どうにもとりとめがなく、とらえどころのない作品です。しかし、そのとりとめのなさこそがこの作品の本質だとも言えます。探偵役たちのそうした行為には犯人の意図と表裏をなしており、それが明らかにされる終章こそがクライマックスあり、本作がアンチミステリと呼ばれている所以なのです。そうした作者の狙いにピンとくるかどうかでこの作品の評価は大きく分かれるでしょう。


1966年

炎に絵を(陳舜臣)

商事会社に勤める葉村省吾は神戸の支店に配属されることになる。そこで彼は父にかけられた辛亥革命の革命資金横領の汚名を晴らそうと真相を探り始めるが、やがて殺人事件が発生し......。
本作は主人公を中心とした産業スパイもののようなストーリー構成になっており、大小さまざまな事件が起こります。それがあまりにも雑然としているので何を物語の基点として考えたらよいのか分からず、もやもやした気持ちになるでしょう。しかし、終盤になるとそれらの出来事が一本の線で結ばれ、一つの絵となって読者の前に提示されます。この鮮やかさこそが本作の神髄です。良質なミステリーを発表し続けた陳舜臣の中でも特に完成度の高い傑作です。


1967年

伯林‐一八八八年(海渡英祐)

主人公は若き日の森鴎外。彼はドイツに留学中に奇怪な殺人事件に巻き込まれる。しかも、殺されたのは鉄の宰相ビスマルクの甥だった。
本作は第13回江戸川乱歩賞受賞作であり、歴史上の人物が探偵役を務める歴史ミステリーのハシリでもあります。森鴎外の青春物語としても楽しめる出来であり、ビスマルクの存在感は物語に深みを与えています。ミステリー部分に大きなサプライズがない点は残念ですが、実在の人物を巧みに配置して読みごたえのある作品に仕上げた手腕は見事です。ミステリー史において新たな可能性を提示した作品であるといるでしょう。


1969年

血みどろ砂絵(都筑道夫)

渡し船に乗っていた下手人の男が岡っ引きの監視下で忽然と姿を消す。この謎に挑むのはなめくじ長屋に住む砂絵描きの先生。彼は同じ長屋住まいの大道芸人を手足のように使って情報を集め、見事な推理で事件の謎を解き明かす。
江戸時代を舞台にしたミステリー・なめくじ長屋シリーズの第一弾です。砂絵の先生を探偵役に据えた連作ミステリーなのですが、どの作品も奇想天外な謎とアクロバティックなロジックが光ります。しかも、江戸の風俗が丁寧に描かれ、ときにはその時代ならではのトリックが飛び出すところが大きな魅力となっています。岡本綺堂の半七捕物帳を彷彿とさせる傑作です。
血みどろ砂絵 なめくじ長屋捕物さわぎ (角川文庫)
都筑 道夫
角川グループパブリッシング
2008-06-25


高層の死角(森村誠一)
大ホテルの社長が完全な密室状態で殺されているのが発見される。捜査陣はこの密室トリックを見破り、秘書の有坂冬子に対する容疑を深めていく。しかし、彼女にはアリバイがあった。被害者が死亡した時刻には捜査一課の刑事である平賀と一夜を過ごしていたのだ。しかも、その冬子も何者かに殺害されてしまう.......。
一大ブームを巻き起こした社会派推理小説ですが、60年代後半には早くもその人気は下火になってきます。推理小説とは名ばかりのミステリー色の薄い風俗小説が乱発されるようになったからです。そんな時に社会派の新たなホープとして登場したのが元ホテルマンの森村誠一です。彼の作風はビジネスマンの厳しい実態をリアルに描きながらもミステリーマニアが喜びそうな大トリックを作中に組み込むといった大胆なものでした。そして、その代表作といえるのが、第15回江戸川乱歩賞を受賞した本作です。まず第1の殺人ではホテルマンとしての経験を活かした密室トリックを披露し、第2の殺人では容疑者に鉄壁のアリバイを用意させます。これが二重三重四重と仕掛けられた堅牢なもので、この難攻不落のアリバイをいかに突き崩すかが大きな見どころとなっています。本作の発表後、森村誠一作品はサラリーマンを中心として爆発的な人気を得ました。その人気はとどまることを知らず、やがて、松本清張と並ぶ社会派2大巨匠に位置づけられるまでになったのです。

高層の死角 (角川文庫)
森村 誠一
KADOKAWA/角川書店
2015-02-25


1970年

天使が消えていく(夏樹静子)
婦人会機関紙の記者である砂見亜紀子は取材の最中、生後3カ月の心室中隔欠損の赤ん坊・神崎ゆみ子に出会う。その天使のような微笑みに心打たれた亜紀子はゆみ子のことを記事にする。すると、記事の効果か、匿名の男性から手術代に使ってほしいと寄付があり、ゆみ子は無事手術を受けられることになった。だが、母親の志保は男に捨てられたこともあって、ゆみ子に愛情を感じていないようだった。ゆみ子を邪険に扱うばかりか、彼女に殺意を持っている節さえあった。しかし、ある夜、志保は「あんたにもらった人形、消えてしまう」という不可解な言葉を残して命を落とす。一方、博多ではホテルで宿泊客が殺され、続いてホテルの社長が不審死を遂げる。一体、一連の事件はどういったつながりがあるのだろうか。
本作は『高層の死角』と江戸川乱歩賞を争い、惜しくも受賞を逃した夏子静子のデビュー作です。長らく『高層の死角』の影に隠れていましたが、現代では本作の方を高く評価する声も少なくありません。作者の夏子静子はどちらかといえば社会派推理小説に属するミステリー作家です。しかし、森村誠一がサラリーマン社会の厳しさを描いたのに対して、彼女は現代の家庭や女性が抱える社会問題を事件の背景として描いている点に大きな特徴があります。そして、本作も女性ならではの視点で心理トリックを仕掛け、最後のどんでん返しにつなげています。その反転が実に見事です。また、ミステリーとしてだけでなく、物語のそつのない展開にも新人離れしたうまさを感じさせてくれます。サプライズと感動的な結末を同時に味わえる、隠れた名作というべき逸品です。
天使が消えていく (光文社文庫)
夏樹 静子
光文社
2005-12-01


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最新更新日/2019/01/15

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森村誠一という超大型新人を得たものの、社会派推理小説自体は70年代にはジャンルとしての勢いを失っていきます。代わって注目され始めたのが、もっと気軽に楽しむことができる量産型軽ミステリーの書き手です。なかでもその代表的存在といえるのが、西村京太郎、山村美紗、赤川次郎、内田康夫の4氏です。70年代後半から80年代にかけては彼らの作品のドラマ化や映画化が相次ぎ、大衆の人気を一手に集めることになります。一方、社会派ブームが廃れたことで、その影響を逃れた本格ミステリの書き手たちも新しい時代に向けての一歩を踏み出していきます。刑事や新聞記者が事件の謎を追う、リアリティ重視の作品だけでなく、さまざまなタイプの本格ミステリが誕生するようになったのです。
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1971年

名探偵なんて怖くない(西村京太郎)
エルキュール・ポワロ、エラリー・クイーン、ジュール・メグレ、明智小五郎。とある大富豪が世界中から名探偵を集め、挑戦状を叩きつけた。3億円事件の犯行を再現し、模倣犯の行動を推理することで本物の3億円事件の真相に迫ってもらおうというのだ。探偵たちはその提案を承諾し、模倣犯の行動を次々に言い当てていく。ところが、計画にない殺人事件が発生し、3億円も灰になってしまう。そのため、今度は本物の殺人事件の謎を追うことになる探偵たちだったが......。
『四つの終止符』や『天使の傷跡』など、初期は社会派推理小説が中心だった西村京太郎も70年代に入ると、徐々に娯楽色が強い作品を発表するようになります。本作はその代表作品の一つです。なんといっても、ミステリー好きなら誰もが知っている名探偵が一堂に会するわけですから、ファンにとってはたまらない展開です。また、単なるパロディでは終わらず、ひねりの利いたプロットやそれぞれの推理手法を活かした解決など、本格ミステリとしてもよくできています。著作権の問題があり、現代ではまず実現不可能な企画なので、そういう意味でも貴重な作品だといえるでしょう。ただ、『アクロイド殺し』『化人幻戯』など、各探偵が登場する作品のネタバレをしているので未読の人は注意が必要です。


殺しの双曲線(西村京太郎)
お互い無関係の6人の男女に手紙が届く。それは東北の山荘への招待状だった。全く身に覚えのない彼らは半信半疑で山荘に向かったが、そこで手厚い歓迎を受ける。しかし、すっかりいい気分になった彼らにはまだ知る由もなかった。やがて起きる連続殺人によって恐怖のどん底に叩き落とされることを。一方、東京では双子による巧妙な犯罪が警察の頭を悩ませていた。果たしてこの2つの出来事のつながりとは?
『名探偵なんて怖くない』が名探偵のパロディなら、本作は『そして誰もいなくなった』のオマージュです。西村京太郎はこの年、稚気に富んだミステリー2作を発表していずれも好意的な評価を得ています。特に、本作はあの名作に挑戦したということもあって高い注目を集めました。その出来は期待に違わぬもので、使い古された双子トリックをミスディレクションとして用い、読者の裏をかくやり方などは実に巧妙です。こうした遊び心のある作品の登場はその後のミステリーの潮流を予見するものでした。そして、西村京太郎自身も、時を経ずして新しいステージに上がっていくことになります。


1972年

皆殺しパーティー(天藤真)
街を牛耳る大会社の社長・吉川太平を亡き者にしようとする密談を偶然耳にする男女。男は怪しい人影を追跡するものの、逆に殺されてしまう。一方、彼のガールフレンドである早苗は犯人の正体を掴もうと、吉川家に秘書として入り込むが.......。
天藤真はブラックな物語をユーモラスに描くことに長けていますが、その特徴が最もよく現れているのが本作です。とにかく、次から次へと人が死んでいくというのにちっとも悲惨な感じがせず、むしろ読んでいく内にだんだん楽しくなっていきます。また、殺されるべき人物が一向に死ぬ気配がなく、周辺の人物だけがバタバタと死んでいくというプロットも読者の興味を掻き立てます。真相はミステリーを読み慣れた人なら予想の範囲内であり、そういう意味では本格ミステリとして飛びぬけて素晴らしいというわけではありません。しかし、この作品にはそんなことはちっとも気にならないほどの面白さが満ちています。特に、序盤から終盤までダレることなく、2転3転する物語をテンポ良く転がしていく手腕には目を見張るものがあります。かなりドロドロとした話なのに読後感は爽快な気分になれる点といい、天藤真にしか書き得ない傑作です。


1973年

殺しへの招待(天藤真)
ある日、5人の男の元に殺人予告が送られる。その内容は「自分は手紙を送った男性の内の誰かの妻であり、今から1カ月以内に夫を殺す」と書かれてあった。標的は自分ではないと言いきれない男たちは戦々恐々とし、疑心暗鬼にかられながらも対策を講じていくが......。
設定が非常にユニークで先への興味で読者をぐいぐいと引っ張っていく、シチュエーションミステリーとでもいうべき傑作です。キャラクター描写も巧みでとにかく読者を飽きさせません。2転3転する展開も良く考えられており、緻密なプロットに唸らされます。特に、なぜわざわざ殺人予告の手紙を無関係な人間にまで送ったのかという動機の謎が秀逸で、ラストのぞっとする展開もインパクト大です。


1975年

花の棺(山村美紗)
20歳になる副大統領の娘キャサリン・ターナが父親の付き添いで来日する。その目的はニューヨークで生け花の個展を開いたマイコ・オガワなる人物を探すことだった。キャサリンは彼女の作品に感銘を受け、ぜひ教えを請いたいと考えていたのだ。ところが、ようやく探し出した目的の女性・小川麻衣子は密室状態の建物の中で死体となって発見される。しかも、事件はその後も続き.......。
ミステリー界の女王こと山村美紗の初期の代表作です。山村美紗といえば、70年代後半から80年代にかけてミステリー界で一大勢力を形成した多作流行作家の一人です。そうした作家の共通点として多作故にミステリーとしてはどうしても薄味になってしまうという難点があります。しかし、本作は初期の作品ということもあって、トリックなども非常によく考えられています。和室の密室殺人やキャンピングカーの消失などといった派手な謎が続き、特に、前者の密室トリックは日本家屋の特性をいかした見事なものです。ただ、トリックを使う必然性に欠けるなどプロットはお世辞にも緻密とはいえません。しかし、どんどん人が殺される派手な展開と強烈な謎で読者を飽きさせないように工夫が凝らされているため、細かいことを気にせずに気軽に楽しむには絶好の一冊だといえるでしょう。
花の棺 (光文社文庫)
山村 美紗
光文社
1986-11


警視庁草紙(山田風太郎)
明治6年。西郷隆盛を九州に追いやったことで明治政府は大久保利通を中心に動き始め、彼から厚い信任を得ていた川路利良は警察の近代化に乗り出す。一方、そんな世の中の流れが気に入らない元同心の千羽浜太郎と元岡っ引きの冷酒かんハチは、元江戸南町奉行で現在は隠遁生活を送っている駒井相模守信興の知恵を借りて警視庁に対決を挑むが.....。
奇想天外なミステリーの書き手として一部のマニアの間で知られていた山田風太郎は『甲賀忍法帖』の大ヒットで一躍人気作家となり、60年代には数多くの忍法帖シリーズを書き上げています。このまま忍法帖一色の作家になってしまうのかと思われましたが、70年代に入ると再びミステリーの世界に戻ってきます。それが通称『明治もの』シリーズであり、本書はその第1弾です。18の短編からなる連作集ですが、まずなんといっても、夏目漱石、樋口一葉、森鴎外、三遊亭円朝など、数多くの有名人が意外な登場の仕方をするのが大きな読みどころとなっています。これは本書に限らず、風太郎作品にはしばしば見られる特徴ですが、ここまで豪華絢爛縦横無尽にさまざまな人物が入り乱れているのは他に例がありません。歴史好きの人なら読んでいて必ずニヤリとするはずです。また、虚実織り交ぜて明治時代の空気を見事に活写した手腕も見事です。そして、短編を全て読むことで1つの大きな物語が浮かび上がっていく連鎖式が読者にサプライズを与えます。この手法は今でこそ珍しくはなくなりましたが、それをいち早く確立したのが山田風太郎であり、本作においても実に効果的に使われています。必ずしも純粋な本格ミステリといえる作品ではありませんが、個々の短編の中には密室殺人などもあり、多彩な楽しみ方ができる傑作です。

警視庁草紙 上 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-08-25


1976年

11枚のとらんぷ(泡坂妻夫)
アマチュアマジシャンによるマジックショーが開かれるが、仕掛けの中から出てくる役目の女性が姿を見せない。彼女はその時すでに自宅のマンションで殺されていたのだ。しかも、死体の周辺にはマジシャンクラブのメンバーである鹿川が自費出版した奇術小説集『11枚のトランプ』の作中に使用されていた小道具が散乱していた。
鹿川は自著の内容を手がかりにしながら事件の謎を追うが......。
泡坂妻夫は社会派推理ブームと新本格ブームという2つの時代の狭間で本格ミステリを支えた功労者の一人です。彼は70~90年代にかけ、独創性に富んだ仕掛けを施した数々の傑作を生み出していきます。その創作力の根源となっていたのが自身が積み重ねてきたマジシャンとしての知見です。特に、デビュー作である本書は作者のそうした特性が最もストレートな形で現れています。作中作として組み込まれている11作の短編はそれぞれ手品趣味の濃厚なミステリーの小品として楽しめますし、さらに、それらをすべて伏線として殺人事件を解くカギを散りばめているプロットは極めて巧妙です。ただ、手品の描写がたっぷりと描かれているため、純粋に殺人事件の推理を楽しみたいという人にとっては少々冗長に感じるかもしれません。その辺は趣味の分かれるところでしょう。ともあれ、本格ミステリとしてのレベルは極めて高く、70年代を代表する傑作の一つであることは確かです。
11枚のとらんぷ【新装版】 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
2023-11-13


グリーン車の子供(戸板康二)
老歌舞伎役者の中村雅楽は盛綱陣屋への出演依頼を打診されるが、なかなか首を縦に振らない。子役の演技が気に入らないからだ。そんな折り、雅楽は大阪での法要からの帰り道の新幹線で、一人の幼い女の子と出会う。そして、東京駅に到着する直前で
盛綱陣屋への出演を決断するのだった。果たしてその理由とは?
歌舞伎役者の中村雅楽を探偵役に据えた作品集の第2弾。1作めの『団十郎切腹事件』は直木賞受賞の栄誉に輝きましたが、本作は日本推理作家協会賞の名前になって初めて設立された短篇部門の受賞に輝いています。しかも、80年代末に北村薫の円紫さんシリーズによって世に広まった”日常の謎”の先駆け的作品でもあります。ミステリーとしては真相だけ聞くとたわいもないものばかりですが、謎解き以前にそもそも何が謎なのか曖昧なまま物語が進行していくプロットが実に巧みです。語り口のうまさも相まって独特の空気を形成し、歌舞伎ミステリーとしての魅力を高めています。小説としての格調の高さが心に染みいる名品揃いの短篇集です。
第29回日本推理作家協会賞短編部門受賞


1977年

乱れからくり
(泡坂妻夫)
興信所に入社したボクサー崩れの敏夫は所長から浮気調査のための尾行を命じられる。だが、その最中、依頼人の男が乗っていたタクシーに隕石が激突したことで彼は死亡。しかも、それを機に彼の血族である馬場一族に不幸が襲いかかる。馬場一族は老舗の玩具会社を営んでいるのだが、彼らの住んでいるのは曲がり屋敷と呼ばれる巨大迷路だった。そこで次々と関係者が奇怪な死に方をしていく。果たして犯人の正体とは?
泡坂妻夫の第2作は1作目に続いて手品趣味満載の本格ミステリです。しかも、『グリーン家殺人事件』のような屋敷ものの趣向になっているため、この時代、クラシカルな本格ミステリに飢えていた人にとっては非常に魅力的な作品でした。しかも、意外な犯人設定を始めとして、ミステリーとしてのアイディアも満載で、新人にして日本推理作家協会賞を受賞したのも納得の出来です。ただ、偶然に頼り過ぎている部分がある点と『11枚のとらんぷ』と同じく、蘊蓄が長すぎてテンポを殺している点は賛否が分かれるところです。
第31回日本推理作家協会賞受賞
乱れからくり (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
1993-09-12


1978年

幽霊列車(赤川次郎)

山間を走る列車から8人の乗客が忽然と姿を消すという奇怪な事件が起きた。上司から命じられて捜査にやってきた宇野刑事はそこで、女子大生の永井夕子と出会う。彼女はミステリーマニアで、この事件に興味を覚えて独自に調査をしているのだというが.....。
70年代に入って社会派推理小説は徐々に後退を始め、代わって、娯楽性の高いミステリーが増えてきました。そして、その流れは1978年に決定的なものとなります。この年を起点として、のちに大活躍を始める戦後生まれのミステリー作家たちが大挙してデビューし始めるのです。中でも最大の衝撃といえるのが30歳でデビューした赤川次郎の存在でしょう。彼は今までのどのミステリーとも異なる、軽くてポップな作風を確立します。そして、たちまち若い読者層を魅了し、一大センセーションを巻き起こしたのです。本作はそんな彼の持ち味が存分に発揮されたデビュー作であり、特筆すべきなのはなんといってもヒロインである夕子のキャラクター造形です。明るくて屈託のない女子大生で、中年男性とあっさりと肉体関係を結んでしまう名探偵。現代であれば、類似したキャラクターを何人か挙げられそうですが、当時としては前代未聞の探偵役といっていいでしょう。その80年代を予見させる軽さは革命的ですらありました。また、著者がベストセラー作家となって量産体制に入る前の作品なのでミステリーとしてもしっかりしています。ユーモラスな雰囲気とブラックな真相のギャップが印象的な表題作の他にも、真夏の避暑地で凍死した死体が現れる『凍りついた太陽』、晴天なのに傘とレインコートを身につけている死体の謎に挑む『ところにより、雨』など、プロットの切れ味が鋭い作品が揃っています。現代風ミステリーの原点というべき金字塔です。
新装版 幽霊列車 (文春文庫)
赤川 次郎
文藝春秋
2016-01-04


三毛猫ホームズの推理(赤川次郎)
血を見ると貧血を起こすダメ刑事の片山義太郎は殺人事件のチームから外され、羽衣女子大で組織化されているという売春グループの捜査担当に回される。ところが、その直後、捜査を依頼した羽衣女子大の文学部部長の森崎が死体で発見される。彼は何者かに後頭部を殴られたものと推測された。しかし、現場となった新校舎建設のためのプレハブは内側から鍵がかけられ、完全な密室状態だった。片山は森崎の飼っていた雌の三毛猫・ホームズを預かることになるが、彼女は意外な推理力を発揮して.....。
赤川次郎の初期の代表作として有名な三毛猫ホームズシリーズの第1弾です。猫が探偵役を務めるユニークな作品ですが、ホームズが意味深な行動をするのを片山刑事が勝手に深読みして推理に結び付けていくため、実は片山刑事が名探偵じゃないのかと思わないでもありません。また、タイトルだけ見た場合、多くの人はお気楽なユーモアミステリーを連想するでしょう。ところが、物語自体は結構ドロドロした重い内容になっています。それでも、あくまでも軽いタッチのユーモアミステリーに仕上げてしまうところが赤川流だといえます。本作の大ヒットで赤川次郎の人気は決定的なものになりますが、単なるユーモアからくる面白さだけではなく、ミステリーとしての充実度もなかなかのものです。特に、メインの謎として扱われている密室トリックはちょっと無理はあるものの、その奇抜な発想には驚かされます。軽いタッチの作風の中にさまざまなアイディアを詰め込んだ傑作です。


ぼくらの時代(栗本薫)
ぼくこと栗本薫は私立大学の4回生。バンドの仲間たちとテレビ局でアルバイトをしている最中にアイドルのファンたちの連続怪死事件に遭遇する。なりゆきで真相を探ることになったぼくたちは関係者に聞き込みを開始した。だが、はからずも芸能界の闇を暴き、新たな犠牲者を出してしまうことに......。
本書は第24回江戸川乱歩賞受賞作で、栗本薫が若干25歳のときに発表した作品です。当時の最年少受賞記録であり、作者が女性ということもあって大きな話題にもなりました。作品としては赤川次郎以上に当時の若者像を全面に押し出しており、それが注目を集めた理由でもあります。ただ、赤川次郎の作品が古さを感じさせない一種の普遍性を獲得したのに対して、本作は現代性を強調しすぎたために、今読むと逆に、かなり古臭く感じてしまいます。そういう意味では現代の読者が楽しむのはちょっと苦しいかもしれません。特に、犯人の動機は今となっては理解不能な域に達しています。その他にも、2つの密室殺人や意外性の演出などいろいろ盛り込まれていますが、ミステリーの仕掛けとしてはどれも今一つです。当時の時代の空気を知りたい人にのみおすすめといったところでしょうか。


匣の中の失楽(竹本健治)
探偵小説を愛好する青少年が集まるグループの中で不可解な事件が起こり始めたのは、グループ最年少のナイズルこと片城成がメンバーたちが登場する実名小説を書くと宣言してからだった。まず、行方知れずになっていたメンバーの一人、曳間了が他殺死体となって発見される。メンバーたちは真相をさぐるべく推理合戦を繰り広げるが、その最中、第2の事件が起きる。
というのが、ナイズルが書き始めた実名小説の概要だった。その執筆途中、メンバーの一人である真沼寛は通称黒の部屋からかき消すように姿をくらまし、部屋の中には血痕が残されるという事件が起きる。メンバーたちは集まって推理合戦を繰り広げるが真相は不明なまま第2の事件が起き....。だが、それはナイルズが書いている小説に過ぎず、現実の世界では曳間了殺害に続く新たな事件が起きていた。
作者が本作を執筆したのは栗本薫のデビューよりさらに若い23歳のときです。『虚無への供物』からの影響を強く受けたオマージュ的作品ですが、ここでも今までのミステリーにはなかった独特の若者像が目を引きます。といっても、赤川次郎や栗本薫の作品に描かれている、いわゆる今どきの若者像とも少し違っていて、全体的にオタクっぽい雰囲気が漂っているのが大きな特徴です。まだオタクという言葉すらなかった時代ではあるものの、オタク文化の萌芽がこの頃から見受けられるというのはなかなか興味深いものがあります。また、ミステリーマニアが集まって推理合戦を繰り広げるというのは『虚無への供物』にもあった趣向ですが、ミステリーマニアというよりもミステリーオタクといった感じの描写になっており、より新本格の雰囲気に近づいてきた気もします。そういう意味では、新本格ブームに向けての助走は実はこの辺りで始まっていたといえるのではないでしょうか。ただ、ミステリーとして見た場合、新本格のような凝ったトリックや意表をついた仕掛けがあるわけではなく、ただ、現実と虚構の壁をひたすら曖昧にし、読者に幻惑感を与えるためだけの作品です。それ故に、アンチミステリーとして高い評価を受けている本作ですが、本格ミステリを期待して読むと大いに肩すかしを喰らうことになるでしょう。


富豪刑事(筒井康隆)
5億円強奪事件の時効まであとわずか。容疑者を4人までに絞り込んだものの、どうしても決定的な証拠が出てこない。「とにかく尾行を続けてボロを出すのを待つしかない」という線で捜査方針が決まりそうになったとき、富豪刑事こと神戸大助がある提案をする。それは4人の容疑者を超豪華パーティーに招待し、金を使わせるように仕向けるというものだった。
本作に登場する探偵役はキャデラックを乗り回し、1本8500円もする葉巻を愛用する富豪刑事です。難事件にぶつかっても地道な捜査をしたり、ちまちまと推理を組み立てるようなことはせず、金の力で豪快に事件を解決します。ちなみに、作者はSF界の鬼才・筒井康隆です。さすがに、鬼才といわれるだけあって、ミステリーを書かせてもその奇想ぶりが光ります。キャラクター小説として非常にすぐれた出来であり、4つの短編はどれも楽しく読むことができます。また、ユニークな密室トリックなどもあるため、本格ミステリが好きな人にもおすすめです。
富豪刑事 (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社
1984-01-12


亜愛一郎の狼狽
(泡坂妻夫)
航空機のDL2号に爆破予告があった。警戒のために空港に向かった刑事たちだが、そこには亜という変な名字のカメラマンがいるくらいで特に異常なところは見当たらなかった。犯行予告の時刻も何事もなく過ぎる。ところが、飛行機の搭乗者のひとりである柴という男は「警備が足りない」と文句をいう。爆破予告は彼のもとにもあったというのだ。そして、「自分は殺される」だと訴えるので刑事が彼の家に向かってみると、彼の家の前に亜がいて、続いて血まみれの男が家から飛び出してくる。それは柴の運転手である緋熊だった。
すごい美形にも関わらず、常に挙動不審で白目をむきながら事件を解決する。探偵小説不毛の時代に、泡坂妻夫は本シリーズにおいて実に個性的な名探偵を生み出しました。しかも、単に個性的というだけでなく、奇抜な着眼点から意外な真相を導き出す卓越した推理力も魅力的です。思いもよらぬところからロジックを展開し、あっという間に解決へと導いていくプロセスはまるで魔法のようです。また、それぞれの作品に使われているトリックも小粒ながら考え抜かれており、ミステリーマニアを唸らせる仕上がりになっています。国内の本格ミステリの中でも屈指の短篇集だといえるでしょう。ただ、読者が推理に参加する余地はほとんどないため、その辺は好みの別れるところでしょうか。なお、本シリーズには他にも、『亜愛一朗の転倒』と『亜愛一朗の逃亡』がありますが、いずれも高い完成度を誇っています。
亜愛一郎の狼狽 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
1994-08-12


寝台特急殺人事件(西村京太郎)
1970年代の後半に突如巻き起こったブルートレインブーム。週刊誌記者の青木はその人気の秘密を探って記事にするために、東京駅発西鹿児島行きの寝台特急に乗り込んだ。途中、薄茶のコートを身に付けた気になる女性に出会い、彼女をモデルにしてブルートレインの列車を撮影する。だが、ちょっと目を離した隙にカメラからフィルムが抜かれてしまった。さらに、青木は列車内の異変に気づいて車掌室に向かうが、その途中で後頭部を殴られて気を失う。その翌日、薄茶のコートの女が死体となって多摩川で浮かんでいた....。一体、何が起きたというのか?
80年代に一大ブームを巻き起こしたトラベルミステリーシリーズの第1弾です。西村京太郎はこのときすでに一級のミステリー作家として名を知られていましたが、このシリーズが爆発的な人気を得ることによって国内でも1、2を争うベストセラー作家となっていきます。そして、それが可能となったのも本作の成功があればこそです。それだけに、本作はシリーズの中でも屈指の面白さを誇ります。おなじみとなっていく時刻表トリックも完成度が高く、何より、事件の背後に潜む陰謀が徐々に明らかになっていくプロセスが非常によくできています。一体何が起こっているのかというホワットダニットを扱った作品として秀逸です。さらに、後半の怒涛の展開もサスペンスに満ちていて、本当に完成度の高いエンタメ傑作です。


1979年

バイバイエンジェル(笠井潔)
モガール警視の娘・ナディアは伯母のオデット・ラルーヌの元に脅迫状が届いたと聞き、不安を募らせる。しかも、脅迫状を送ってきたのは20年前に謎の失踪を遂げた地下抵抗組織の指導者らしいという話だ。そして、惨劇は起きる。ラルーヌ家で中年女性の死体が発見されたのだ。その死体は頭部がなく、服装はオデットのものだったが、体格が似ている妹のジョゼットの可能性も捨てきれなかった。そして、壁にはAと書かれた血文字が残されていた。それは一体何を意味するのか。ナディアは現象学を駆使する青年・矢吹駆と共に事件の謎を追うが......。
本作は著者のデビュー作であり、自らの学生運動の挫折を総括するために書かれたものです。そういう意味で本作もこの時代ならではの作品だといえるでしょう。実際、その創作意図も反映して物語の中には現象学の理論や政治闘争の理念といったものが、これでもかというくらいに詰め込まれています。本来ならこういった蘊蓄の部分は冗長になりがちです。しかし、この作品ではそれが物語に異様な迫力をもたらすことになっています。特に、後半の思想対決はしびれるほどのインパクトを読む者に与えてくれます。とはいっても、それは思想的な部分に興味が持ててこそであり、そうでない人にはやはり、冗長なだけの作品だと感じるかもしれません。一方、本格ミステリとしては現象学と推理を融合した趣向はもとより、首のない死体の扱い方を含め、トリックに工夫が見られ、謎解きの部分だけでも十分楽しめるできに仕上がっています。
第6回角川小説賞受賞


明治断頭台(山田風太郎)
明治維新と共に復活した弾正台。その役目は権力をかさにきて不正を行う役人を正すことにあった。その任についていた香月経四郎と川路利良の2人の青年は弾正台に持ち込まれる不思議な事件の解決を競うようになるが.....。
明治ものは忍法帖と並ぶ山田風太郎の代表シリーズですが、その中でも特に高い評価を得ているのが本作です。全部で6作の短編からなる連作集であり、どの作品も
忍法帖を彷彿とさせる奇想天外な大トリックが飛び出すのが見どころになっています。しかも、明治ならではの仕掛けが炸裂するところに時代ミステリーとしての味わいがあります。ちなみに、この作品には探偵役は存在しません。香月経四郎と川路利良の2人もただ事件に振り回されるだけです。それではどのように解決をするのかというと、巫女の姿をしたフランス人が死者を憑依させて真相を語らせるのです。これだけなら単なるオカルトですが、最終話でそれまで張られてきた伏線を一気に回収し、驚くべき真相を提示します。これには本当に驚かされます。また、随所に歴史上の人物が登場し、意外な活躍を見せるのもよいスパイスとなっています。史実と奇想の絶妙なミックスが素晴らしい時代ミステリーの大傑作です。
明治断頭台 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-06-22



1980年

戻り川心中(連城三紀彦)
大正時代の天才歌人・苑田岳葉は桂木文雄という女性と恋に落ちるが、家族の反対にあって心中事件を起こす。だが、2人とも死にきれず、結局2人の仲は引き裂かれてしまった。次に、岳葉は文雄と似た朱子という女と心中をするが、今度は女だけが死んで岳葉が助かる。だが、岳葉はその3日後に自害する。しかも、朱子が死んだ日に文雄も命を絶っていたのだ。一連の事件にどうにも不可解なものを感じた私は真相を探り始めるが.....。
名花と称せられ、日本ミステリー界に燦然と輝く芸術的傑作が本作です。収録されている5つの短編はいずれも濃厚な文学の香りが漂い、その中から意外性に満ちた真相が浮かび上がってくる様はまさに芸術そのものです。この連作集で主に扱われている謎はホワイダニットですが、思いもよらない動機は読者の認識を揺るがすような衝撃を与えてくれます。しかも、事件の顛末を語る文章は格調高く、その美しさにはため息がでるほどです。まさに、文芸ミステリーの最高峰だといえるでしょう。
第34回日本推理作家協会賞短編部門受賞
戻り川心中 (光文社文庫)
連城 三紀彦
光文社
2006-01-01


猿丸幻視行(井沢元彦)
大学院生の香坂明は人間の意識を過去の人物と同化させられるという新薬のモニターとなる。そして、この機会を利用して一族に代々伝わる猿丸太夫額の暗号を解明するため、高名な民族学者である折口信夫の意識と同化する。彼の頭脳ならば暗号の謎も解けるに違いないと思ったからだ。一方、香坂と意識を同化させられたことに気づいていない折口は友人の柿本から持ち込まれた暗号の解読に取り組んでいた。折口は持ち前の推理力で暗号の秘密に迫るが、あと一歩のところで壁にぶつかってしまう。それから一カ月後。田舎に帰っていた柿本から暗号が解けたという知らせが届いた。だが、彼の実家を訪れると柿本はその秘密を教える前に不可解な自殺を遂げてしまう。
第26回江戸川乱歩賞を受賞した本作は和歌や民俗学、歴史などが絡んだ暗号ミステリーで、非常に知的好奇心が刺激される作品です。特に、柿本人麻呂に関する推理は説得力があり、歴史に興味のある人ならワクワクしてくるはずです。また、これに続いて多くの歴史ミステリーが登場したことから、後世への影響力という意味でも見逃せない作品だといえます。ただ、本書に限らずこの時代の乱歩賞に多かったことですが、メインテーマの面白さに対して、殺人事件の謎が単にミステリーとしての体裁を整えるための付け足しになってしまっているという弱点があります。ここはやはり、殺人事件は切り捨てて歴史に関するテーマ一本に絞った方がよかったのではないでしょうか。


死者の木霊(内田康夫)
信州の小京都といわれる飯田市。その郊外にあるダムでバラバラ死体が発見される。警察は借金がらみの争いだと判断し、容疑者夫婦の自殺と共に事件は終結したものとみなす。だが、それに納得できない竹村巡査部長は独自に捜査を続けていき......。
本作は後にベストセラー作家となった内田康夫のデビュー作です。しかし、そのスタートは自費出版という非常に地味なものでした。それが新聞の書評に取り上げられたことなどで注目を集め、次第に人気が高まっていきます。ただ、本作はマニアを唸らせるようなトリックや読者をあっといわせるどんでん返しがあるわけではありません。また、事件を巡る強烈なサスペンスや社会的テーマで読者の興味を引っ張っていく作品とも異なります。それでは、どの辺に本作の読みどころがあるのかというと、主人公である竹村巡査部長の執念の捜査です。いかにして真相にたどりつくかというプロセスが確かな筆力で描き出されており、そのストーリーを追っていくことで良質なミステリーを読んだという気分にさせてくれます。この筆力こそが人気作家となる者の資質ということなのでしょう。
死者の木霊 (角川文庫)
内田 康夫
角川書店
2003-03-25


1981年

占星術殺人事件(島田荘司)
1936年2月26日。奇しくも2・26事件と同じ日に画家の梅沢平吉が密室状態のアトリエで殺される。しかも、現場に残された遺書には奇怪な内容が書かれていた。6人の処女が星座にちなんだ体の一部を切り離し、その断片を合成して完璧な人間・アソートを作り上げるというのだ。果たして、そこに書かれた内容は現実のものとなる。梅沢平吉の死から1カ月後、6人の美女が行方不明になり、その後、バラバラ死体となって発見された。死体の部位が一カ所ずつ駆けた状態で。欠けた部位を持ち去った犯人は本当にアソートを完成させたとでもいうのだろうか。それから40年の月日が過ぎ、迷宮入りした事件の謎に素人探偵の御手洗潔が挑む。
今では新本格ミステリの父とも呼ばれる島田荘司のデビュー作です。同時に、本作は新本格の原点という意味で、早々と古典的名作の地位を確立した作品でもあります。なぜなら、この作品には新本格ミステリの理想形というべき要素がたっぷりと詰め込まれているからです。たとえば、6人の美女のバラバラ殺人といった奇怪な事件、変人だが卓越した推理力を発揮する名探偵といった要素がそれに当たります。そして、とどめはなんといっても、奇想天外な大トリックです。これは本当に驚くべき発想であり、新本格ミステリがブレイクした以降も叙述トリック以外でここまでサプライズを演出するトリックはなかなかないほどです。当然、後続の作家に与えた影響は計り知れないものがあります。中盤がやや冗長という欠点はあるものの、本格ミステリとして恐るべき完成度を誇っています。間違いなく、国内本格ミステリのベスト5にランクインする名作中の名作です。


サマー・アポカリプス(笠井潔)
真夏のパリ。黄昏のセーヌ湖畔で矢吹駆は何者かに狙撃される。ただ、肩を撃たれたものの、命には別状はなかった。そのため、駆は静養を兼ねてモガール警視と彼の娘であるナディアと共に南フランスのエスクラルモンド荘に向かう。そこにはナディアの友人のジゼール・ロシュフォールが滞在しており、彼女は原子力産業をリードする大企業の経営者一族だった。さらに、原子力発電反対派の急先鋒であるシモーヌや彼女の弟でジゼールの恋人であるジャリアンが絡み、明らかに不穏な空気をまとっていた。そして、事件は起きる。
エスクラルモンド荘に滞在していたドイツの骨董商だというワルターフェスタが邸内で殺されたのだ。しかも、彼は鉄球をぶつけられて絶命したのだが、そのあとで石弓で射られていた。なぜ、犯人はわざわざ2度に渡って彼を殺害したのか?多くの謎を残したまま、第2、第3の事件が発生するが......。
現象学推理を駆使する素人探偵・矢吹駆シリーズの第2弾。前作は推理小説としての面白さより、思想性の強さが前面に出過ぎていたきらいがありましたが、本作はミステリーとしての魅力がより強化されています。その結果、得意の思想論と謎解きのバランスが非常に良い作品になっているのです。まず、2度殺された死体、密室、見立て殺人と言った具合に、本格ミステリとしての謎がケレン味たっぷりに描かれており、ミステリー好きの読者の興味を引っ張っていきます。そして、それに対する謎解きも、独創的なトリックなどはないものの、ジグソーパズルのように精緻で見事です。それに何よりも思想性とミステリー要素が一つになっているプロットには美しさすら感じます。ただ、雰囲気が重厚すぎて哲学や宗教といったものに興味がない人には厳しいかもしれません。その一方で、そういったものに知的好奇心を刺激されるという人にとっては読み応え満点の大作ミステリーに仕上がっています。



1982年

斜め屋敷の犯罪(島田荘司)

オホーツク海に面した高台に建てられた奇妙な建築物。それは3階建ての円筒状の西洋館であり、意図的に斜めに傾けられていた。そのため、流氷館という正式な名称があるにもかかわらず、地元の人々はこの建物を斜め屋敷と呼んでいた。その斜め屋敷でクリスマスパーティが開催され、館のオーナーであり、大企業の会長でもある浜本幸四郎の縁者たちが集まる。ところが、翌朝運転手の上田が登山ナイフで胸を刺されて死んでいるのが発見された。しかも、扉は内側から鍵がかけられ、現場は完全な密室だった。警察の捜査が始まるが何の進展も見られない。そんな中、取引先の社長である菊岡も同じような状況で殺される。
本作は『占星術殺人事件』に続いて書かれた御手洗潔シリーズの第2弾です。奇妙な館を舞台にしている上に、読者への挑戦を挿入しているといった具合に、本格度の高さは前作をも上回ります。しかも、前作に続いてスケールの大きなトリックを考案し、本格好きの読者を唸らせてくれます。とはいっても、このトリックだけに頼った作品だったとすれば、単なるバカミスに終わったかもしれません。しかし、この壮大なトリックのリアリティのなさを新人離れした筆力でねじ伏せ、エキセントリックな御手洗潔の存在感で説得力を持たしてしまう辺りはさすがです。また、大トリックを補強する小トリックの扱いも上手く、当時の本格ミステリとしてはかなりのレベルの高さにあります。本作もまた『占星術殺人事件と』と同様、新本格の作家に強い影響を与えた作品として知られています。新しい時代へ向けての種をまいたという意味で歴史的意義の高い傑作です。


平家伝説殺人事件(内田康夫)
巨額の保険をかけられた男が高知行きのフェリーから転落する。それから2年後、東京のマンションである男が不可解な自殺を遂げる。一見、何の関連も見い出せない2つの事件だったが、フリーのルポライターである浅見光彦は自殺した男が2年前の転落事件の際に、そのフェリーに同船していた事実を突き止める。しかも、事件はさらに続き......。
サスペンスドラマでおなじみの浅見光彦シリーズ第2弾です。とはいっても、第1弾である「後鳥羽伝説殺人事件」での浅見光彦の出番は少なく、後半に登場して事件の謎を解くだけの存在でした。したがって、本作が本格デビュー作という位置付けになります。そして、同時に、本作は浅見光彦シリーズの最高傑作といえる作品でもあります。まず、冒頭で倒叙形式のミステリーと思わせておいて、そこから二転三転するプロットが見事です。また、人間消失と密室殺人という2つの不可能犯罪が立て続けに起きることで、読者の興味を引くことに成功しています。もっとも、この不可能犯罪に関してはトリックが小粒すぎて期待しすぎると落胆する恐れがあります。それに対して、犯人をなかなか絞らせずに最後のどんでん返しに持っていく騙しのテクニックは秀逸です。さらに、旅情たっぷりの雰囲気も本作から如実に感じられるようになり、シリーズ随一のヒロインとの呼び声高い稲田佐和が登場する点も見逃せません。シリーズの魅力がすべてこの一冊に詰め込まれているといっても過言ではない傑作です。ただ、最大の問題はタイトルが『平家伝説殺人事件』なのに、事件が平家伝説となんの関係もないという点でしょうか。


アリスの国の殺人(辻真先)
綿畑克二は幼いころより『不思議の国のアリス』の大ファンであり、出版社の幻想館に就職したのも児童文学に関連した仕事に就きたかったからだ。それなのに、彼が配属を命じられたのは全く興味のない漫画雑誌の編集だった。その夜も編集長に説教された克二はスナック蟻巣で酒を飲んで酔い潰れる。そして、彼は自分が不思議の国にいる夢を見る。チェシャ猫殺猫事件が起き、自分がその容疑者にされるという夢だ。翌朝、出社した克二は驚く。編集長が軽井沢の別荘で何者かに殺害されたというのだ。しかも、その事件は夢で見た事件と奇妙な類似性を見せ始め.......。
テレビアニメや特撮番組の草分けの時代から数多くの脚本作品を手掛け、小説家としては実験的ミステリーを得意とした著者の中期の集大成というべき作品です。物語は現実と『不思議の国のアリス』の世界が交互に描かれるメタ構造になっているのですが、その中に手塚治虫のヒゲオヤジや赤塚不二夫のニャロメなどが登場して不条理ギャグの物語が展開されていきます。また、そうしたなんでもありの展開ながら夢の世界と現実世界のそれぞれに大トリックを用意し、現実の世界では現実の理論で、夢の世界では夢の理論で真相を解き明かす趣向がよくできています。そして、なんといっても白眉はラストです。ユーモアミステリーかなと読み進めていくと、いきなり最後にダークな展開に引きずり落とされてしまいます。決して後味の良い物語とはいえませんが、インパクトは抜群の傑作です。ただ、アニメキャラが乱入してくる不思議の国の雰囲気に関してはかなり好き嫌いが分かれるところではないでしょうか。
第35回日本推理作家協会賞受賞
1983年

あした天気にしておくれ(岡嶋二人)
優秀な血筋を受け継ぎ将来を嘱望されているサラブレッドのセシアが4人の場主によって3億2千万円で購入される。ところが、馬主の一人・鞍峰が牧場にセシアを運んでいる途中、思わぬ事故でセシアの足が骨折してしまう。ケガは治ったものの、セシアの将来は完全に断たれてしまった。責任問題に発展することを恐れた
鞍峰は競走馬の管理をまかされている朝倉と共にセシアの狂言誘拐を目論む。高額の身代金を要求してもデビュー前の馬にそんな大金を払う馬主はいない。そこで、彼らが計画したのは身代金が支払われなかったので馬も戻ってこないという筋書きだった。ところが、他の場主たちが身代金を支払うことを主張したために事態は意外な方向に転がっていく......。
岡嶋二人は『焦げ茶色のパステル』で第28回江戸川乱歩賞を受賞してデビューをしますが、本作は前年に同賞を落選した作品です。したがって、執筆順でいえば本作が実質上のデビュー作となります。しかも、作品の内容的にも落選した本作の方が圧倒的に面白く、現在では著者の代表作の一つに数えられているほどです。なぜ、そのような傑作が受賞を逃したかというと、メイントリックに前例があり、しかも、現実では実行不可能だと思われたからです。しかし、本作の真骨頂はトリックの独創性ではなく、その使われ方にあります。一見、サスペンスミステリー風に描かれている本作ですが、本格ミステリとしてのトリックを最大限の効果が生じるように組み立てられており、その物語構成は実に見事です。文章も読みやすく、先の展開が気になる筋運びも極めて巧妙だといえるでしょう。プロットの面白さでは当代随一と言われた著者の特徴が色濃く出た傑作です。


写楽殺人事件(高橋克彦)
大学で助手を務めている津田は古書市で思いがけない情報を手に入れる。古い写真図録に伝説の浮世絵師、写楽の正体は近松昌栄であると記されていたのだ。その仮説に基づいて調査を行うと、
昌栄が写楽であるという証拠が次々と出てきた。そして、この説は津田の恩師である西島教授の手柄として発表されることになる。津田は西島にボストン美術館留学の推薦をもらっているため、逆らえない立場にあったのだ。ところが、その発表直前に西島は火事によって命を落としてしまう。警察の捜査の結果、放火殺人の可能性が濃厚ということだった。果たして犯人の正体と目的は?
第29回江戸川乱歩賞受賞作品であり、歴史ミステリーとしては猿丸幻視行に並ぶ傑作です。なんといっても、本書の魅力は写楽の正体に迫るプロセスです。日本史5大ミステリーの一つともいわれるこの謎に対して、緻密な論理と膨大な知識を用いて迫っていく物語は知的好奇心を刺激するパワーに満ちています。歴史好きの人にとっては必読の書だといえるでしょう。ただ、それに対して、殺人事件の謎にあまり魅力がないのは『猿丸幻視行』と同じです。やはり、この手のミステリーは歴史の謎一本に絞った方がよいのではないでしょうか。それから、肝心の写楽の正体については結構、堅実な結論に落ち着くため、ミステリーに意外な真相を求めている人にはあまり向いていないかもしれません。
写楽殺人事件 (講談社文庫)
高橋 克彦
講談社
1986-07-08


夜よ鼠たちのために
(連城三紀彦)
孤児院で育った少年は孤独を慰めるために鼠を飼い、信子と名付けていた。ところが、少年の友人であるダボがその鼠を殺してしまう。逆上した少年はダボに襲いかかり、その結果、2人とも矯正施設に入れられることになった。半年後、彼らの歪んだ人格は矯正され、少年とダボは和解する。少年は孤児院を出たあと、大人になって愛する妻と幸せな家庭を持つことになった。ところが、その妻が白血病で死んでしまう。男は白血病の権威だという妻の担当医とダボを殺す計画を立てるが.........。
連城三紀彦のミステリーには文学的な味わいという魅力の他に、叙述トリックを多用するという特徴があります。世界が反転するような驚きを味わえる超絶技巧と呼ぶにふさわしいテクニックを持っていたのです。新本格ブームが起きてから以降は、叙述トリックをメインに据えた作品も数多く登場するようになりました。一連の連城作品はその先駆けとでもいうべき存在です。中でも、初期の代表作を一つ挙げるとすれば本作ということになるでしょう。9つの短編にはさまざまな仕掛けが施されており、どの作品も騙される快感を味わうことができる絶品ばかりです。もちろん、すべてが同じクオリティというわけではなく、出来不出来はあります。しかし、多少の瑕疵は卓越した文章力でカバーし、唯一無二の物語世界に誘ってくれる点がまた、この作者ならではの魅力です。濃厚な連城三紀彦ワールドが味わえるという点で『戻り川心中』と双璧をなす存在だといえるでしょう。


1985年

だれもがポオを愛していた(平石貴樹)
アメリカボルティモア市郊外。日系人兄妹が住むアシヤ屋敷が爆破される。直前に予告電話があり、これはエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』に見立てた犯行らしい。続いて同じく、ポーの『ベニレス』と『黒猫』に見立てた死体が発見される。一体犯人の目的はどこにあるのか?女子大生の更級ニッキが事件の謎に挑むが......。
新本格ブーム以前に書かれた、徹底的にロジックにこだわったタイトな本格ミステリです。ポーの作品に見立てた犯罪という派手な謎を扱っている割に、トリックらしいトリックはなく、ひたすらフーダニットにこだわっています。しかも、プロットはかなり複雑で推理に必要な情報も断片的に提示されるため、ポーに興味がない人は読んでいて退屈さを覚えることになるかもしれません。また、本作は海外ミステリーを翻訳しているという体裁をとっており、文章全体が翻訳調なのでそれがまた、読みにくさに拍車をかけています。その反面、解決編においてロジックで犯人を絞り込んでいくくだりなどはパズラーとして超一級の出来栄えです。傑作なのは間違いないところですが、一方で、読者を選ぶ作品であることも確かです。ポーの作品に興味がある人、エラリー・クイーンの初期作品が大好きだという人ならかなり楽しめるのではないでしょうか。


北の夕鶴2/3の殺人(島田荘司)
警視庁捜査一課の刑事である吉敷竹史の元に別れた妻・通子から3年ぶりに電話がかかってくる。ただならぬ気配を感じ、彼は通子を追って上野駅に向かう。だが、列車に乗っている通子を見つけたのは、その列車が北に向かってホームから離れたあとだった。翌日、青森署から捜査依頼が入る。上野発の夕鶴9号で殺された女の身元照合をしてほしいというのだ。しかも、驚くべきことに死んだ女の服装は昨日見た通子のものと全く同じで......。
島田作品の2大探偵の一人、
吉敷竹史シリーズの第3弾です。それまでの2作もトラベルミステリーにしては結構派手なトリックが仕掛けられていました。しかし、本作ではトラベルミステリーの枠を完全に超えた大トリックが炸裂します。それ自体は現実ではまず実行不可能なものですが、とにかく、その発想の大胆さには驚かされます。あまりにもぶっとんだトリックなので、真相を聞いた瞬間唖然としてしまうほどです。ただ、『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』がトリックのバカバカしさを探偵役の突き抜けた個性でうまく中和しているのに対して、本作の探偵役である吉敷竹史はどちらかというと普通の刑事です。そのため、トリックの無茶さ加減だけが浮いてしまう結果となっています。御手洗潔シリーズの2作と比べると知名度的に今一つ劣るのはその当たりに原因があるのでしょう。それでも、このトリックには一読して忘れ難いインパクトがあることは確かです。派手なトリックを使ったミステリーが好きだという人にはぜひ読んでほしい作品です。


放課後(東野圭吾)
女子高に勤務する教師・前島は最近何者かに命を狙われているのを感じていた。しかも、生徒指導の村橋が教師用の更衣室で青酸中毒で殺されたのだ。現場は内側から鍵がかけられ、完全な密室だった。前島は顧問をしているアーチェリー部のキャプテン・前原恵子と共に事件の謎に迫っていくが......。
第31回江戸川乱歩賞受賞作。ミステリーとしてはそれほど飛び抜けた出来ではないのですが、それでもさすがは東野圭吾です。
デビュー作からすでにプロットや物語にはうまさを感じさせる部分が多々あります。特に、女子高ならではの生々しい雰囲気は非常によく描けており、個性的な学園ミステリーとして読み応えのある作品に仕上がっています。また、本作の一番の特徴といえるのが前代未聞の動機です。これを意表をついたホワイダニットものとして受け入れるか、リアリティがなさすぎるとして拒絶するかによってこの作品の評価は変わってきそうです。ちなみに、東野圭吾はその後、実力派としてミステリーファンからは一定の評価を得るものの、新本格ブームや当時高い人気を誇っていた冒険・ハードボイルド群の中にあって、ポジション的にどこか中途半端な存在でした。しかし、それでも、良作をコンスタントに発表し続け、デビューから十数年後には『秘密』『白夜行』という話題作を連発します。そして、そのことが決定打となり、国内でも1、2を争う人気作家へと昇り詰めていったのです。
放課後 (講談社文庫)
東野 圭吾
講談社
1988-07-07


1987年

しあわせの書~迷探偵ヨギ・ガンジーの心霊術(泡坂妻夫)
宗教法人の惟霊講会は後継者問題で揺れていた。一方、ヨーガと奇術の達人であるヨギ・ガンジーは信者の失踪事件を追っていたが、死んだはずの人間が教祖の桂葉華聖によって蘇ったという話を聞いて教団に興味を持つ。
桂葉華聖の著書である”しあわせの書”を入手して教団に潜り込んだガンジーは彼の超能力が認められ、後継者を決める断食レースの審判を依頼されることになるが......。
泡坂妻夫のミステリー小説は奇術の原理を応用した仕掛けが多いことで知られています。『11枚のトランプ』『乱れからくり』などはその代表例です。しかし、その中でも最高傑作をひとつ選ぶとすれば、その筆頭候補に挙がるのは本作ではないでしょうか。とはいっても、本作のトリックが飛びぬけて素晴らしいというわけではありません。確かに、読唇術などの謎はよくできていますが、それだけなら本作はせいぜい佳作どまりです。問題は本編のトリックではなく、本そのものに仕掛けられた罠です。本当にこれには驚かされます。このような企みはそれ以前には例がなく、泡坂妻夫だからこその作品だといえるでしょう。ただ、あまりにも独創的な試みであるため、うっかりすると、仕掛けそのものに気付かないおそれもあります。ここはぜひともじっくりと読み進め、心から驚いてほしいところです。



そして扉が閉ざされた(岡嶋二人)
4人の男女は見知らぬ場所で目を覚ます。そこは核シェルターの中で彼らを閉じ込めたのは3カ月前に事故で死亡した咲子の母親だった。彼女は咲子が殺されたと思い込んでおり、これはその復讐として彼女が仕掛けた罠だった。4人はシェルターから脱出する方法を模索しながら、咲子の死んだ日のことを話し合う。一体、あの日に何が起きたのか?彼女は本当に殺されたのか?推理を重ねる内にやがて意外な真実が浮かび上がってくるのだが.......。
どちらかというとサスペンスものが多かった岡嶋二人が徹底的に本格ミステリにこだわり抜いて書いたという作品です。それだけに本作は謎解きの面白さに満ちています。登場人物を最小限に絞って真相を探り合う展開は緊迫感に満ち、読者の興味を引っ張り続けることに成功しています。それに、最後の最後まで真相が確定せずに二転三転する展開も秀逸です。中には真相が肩すかしだと感じる人がいるかもしれませんが、その結論に至るまでのサスペンス感に満ちた推理合戦の濃密さは他の作品ではなかなか味わえないものです。岡嶋二人らしい技巧が光る傑作だといえるでしょう。
1988年度このミステリーがすごい!国内部門6位


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最新更新日2019/1/21☆☆☆

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1987年は日本ミステリー界にとって大変革の始まりの年となります。講談社ノベルスと島田荘司が仕掛けた本格ミステリ復興運動が若いミステリーファンの心をとらえ、新本格ミステリの名のもとに一大ブームを巻き起こしたのです。講談社ノベルスからは
島田荘司の後押しによって次々と20代の新人がデビューし、それに呼応するかのように創元社も鮎川哲也とタッグを組んで新人発掘に力を入れていきます。こうして、新本格は若い作家たちによって一大ジャンルを形成するまでになり、80年代に台頭してきた冒険&ハードボイルド小説と人気を二分していくことになります。果たしてその時代にはどのような作品があったのでしょうか?それを知ってもらうために、新本格ブームが起きてから10年間に発表された主な作品を紹介していきます。
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1987年

十角館の殺人(綾辻行人)
1985年9月。大分県の孤島に建てられた屋敷から火の手が上がり、当主である中村青司とその妻、さらには使用人夫婦の死体が焼け跡から発見される。しかも、それは事故ではなく、殺人だったのだ。それに加えて、当日島を訪れていた庭師が行方不明となっていた。明けて1986年3月。大学の推理小説研究会の一行がその島を訪れる。島に残された十角館と呼ばれる建物で一週間過ごし、半年前に起こった事件の謎に挑戦するというのだ。しかし、研究会のメンバーの一人が殺され、やがてそれは連続殺人へと発展していく。
国内ミステリー史を語る上で決して欠かすことのできない超重要作品です。当時、本格ミステリのトップランナーだった島田荘司の推薦を受けて発表され、講談社から新本格と命名された本作はたちまち若いミステリーファンの間で話題となります。同時に、島田荘司が提唱していた古典的な探偵小説への復興運動が盛り上がりをみせていきます。そのブームが一時的でない、息の長いものとなったのも本作の評判があったればこそでしょう。物語の枠組みは『そして誰もいなくなった』を模倣したような典型的なクローズドサークルものですが、そこに仕掛けられたトリックはある意味元ネタを超えたといっても過言ではないほどです。それほどまでにあの一行は衝撃的だったのです。その後、新本格の中で似たようなトリックを使用した作品が数多く登場したため、現代の読者が読むとそこまでのインパクトは感じないかもしれません。しかし、この作品がミステリー史に残した足跡は非常に大きなものがあります。その事実は今でも色あせることなく、燦然と輝いているのです。


1988年

異邦の騎士(島田荘司)
ふと気がつくと男はすべての記憶を失っていることに気がつく。自分の名前すら覚えていないのだ。なりゆきで石川良子という女性と暮らすことになった男は、石川敬介という仮の名を得て工場で働き始める。しばらく平穏な日々が続くが、自分の正体を探っていく内に敬介は益子秀司という名の男の手記を手に入れる。そこには敬介の筆跡で妻と娘を死に追いやったサラ金会社の社長とヤクザに対する復讐劇の経緯が綴られていたのだ。この手記に書かれている内容が本当であれば敬介の本名は益子秀司であり、しかも殺人犯だということになるが?
本作が発表されたのは1988年ですが、原稿を執筆したのは1979年であり、実質的には御手洗潔シリーズの第1弾にあたる作品です。なぜ、発表が遅れたかというと、シリーズの最初に持ってくるにはパンチが弱い作品だからと作者は述べています。確かに、先行作品である『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』と比較すると、本格ミステリとしては物足りない点があるのは確かです。先の2作に比べてロジックやトリックといった点では見劣りがします。しかし、サスペンスミステリーとして読むとこれが素晴らしい出来なのです。記憶喪失の男を巡る物語は波乱万丈でドラマチックです。サスペンスに満ちていてあっと驚くようなどんでん返しもあります。単独作品としては先の2作に劣りますが、御手洗潔シリーズを語る上ではある意味、最重要作品ともいえる傑作です。
1988年度このミステリーがすごい!国内部門5位
異邦の騎士 改訂完全版
島田 荘司
講談社
1998-03-13


迷路館の殺人(綾辻行人)
ミステリー界の重鎮である宮垣葉太郎の還暦パーティに招かれた一同は、彼の秘書から宮垣が自殺したことを聞かされる。驚く一同に対して宮垣の遺書というべき録音テープが公開される。しかし、それはさらに驚くべきものだった。招待客の中には4人のミステリー作家がいるのだが、彼らに小説を書かせて最も優れた作品を創り上げた者に遺産をすべて譲るというのだ。しかも、期限は5日間でその間は迷路館と呼ばれるこの屋敷から一歩も出てはいけないという。そして、小説の条件として挙げられたのが、迷路館を舞台として作者自身が被害者となるミステリー作品でなければならないというものだった。巨額の遺産に目がくらんだ作家たちはそれぞれの部屋に閉じこもって執筆にとりかかる。だが、そんな彼らが一人また一人と殺されていく.......。
『十角館の殺人』で一大センセーションを巻き起こした綾辻行人は次々と作品を発表します。その中でも最初の重要作品といえるのが館シリーズ第3弾である本作です。作中にさまざまな謎が仕掛けられており、段階的にそれが解明されていくプロセスには本格ミステリの魅力が詰まっています。こうした作風はこれまでの国内ミステリーにはあまりみられなかったものです。特に、本格ミステリではご法度である秘密の通路を堂々と登場させ、それを逆手にとってサプライズに結び付けていく展開には驚かされます。ただ、その一方で、本作はあまりにも人工的でリアリティに欠けるという弱点があります。そのため、感情移入がしづらく、読み進むのに骨が折れると感じる人もいるかもしれません。それは後に続く新本格派の作家たちに共通する弱点であり、しばしば批評家たちの槍玉に上がることになります。
1988年度このミステリーがすごい!国内部門7位


長い家の殺人(歌野晶午)
学生バンドであるメイプル・リープはメンバーの大半が大学卒業を間近に控えていた。彼らは最後のライブに備えるべく秋のロッジに合宿にやってきたのだが、初日の夜に行方不明者が出て、翌日に他殺死体となって発見される。
当然、メンバーが疑われたが、犯人が明らかになることはなかった。そして、季節は過ぎ、メイプル・リープはメンバーを一人欠いたままラストライブの日を迎える。ところが、今度はライブのステージで事件が起きたのだ.......。
歌野晶午は綾辻行人に続いて島田荘司推薦でデビューを果たした2人目の新本格作家です。これによって新本格とは綾辻行人の専売特許ではなく、複数の若手作家によるムーブメントだという認識に変わっていきます。ただ、本作の完成度は綾辻行人のそれと比べると大きく落ちるものでした。トリックはバレバレでミステリーを読み慣れている人ならすぐにピンとくるレベルですし、小説としてもかなり拙さを感じます。もし、発表当時に読んでいれば「やはり、『十角館の殺人』クラスの作品は簡単に出るものではないな」と落胆を覚えたことでしょう。両作品の完成度の差を見れば、この作家は早晩消えていくに違いないと思われても仕方がないところです。ところが、歌野晶午は1991年の『死体を買う男』で作家としてのレベルアップを果たし、2003年には『葉桜の季節に君を想うということ』で超絶技巧ぶりを見せつけてブレイクします。新本格ブームの波に乗ってデビューした作家はデビュー当時は未熟でそれから何年もかけて成長するというパターンが多いのですが、歌野晶午はその代表的存在だといえるでしょう。


密閉教室(法月綸太郎)
11月のある朝に、生徒が教室で死んでいるのが発見される。現場は密室殺人の様相を示しており、しかも教室の机と椅子がすべて撤去されているという異常な状況だった。遺書が残されていたが、それはなぜかコピーになっていた。クラスメイトの工藤順也は独自に調査に乗り出すが......。
法月綸太郎は綾辻行人、歌野晶午に続いて島田荘司推薦でデビューした新本格第3の新人作家です。弱冠24歳でのデビューであり、それだけに、内容も先の2人以上に青臭さを感じさせるものになっています。本来であれば、むず痒くて読んでいられないという代物になっていたことでしょう。ところが、その青臭さが探偵役である主人公の苦悩と妙にマッチし、ほろ苦い味わいの青春ミステリーとしてうまい具合にまとまっているのです。ミステリーとしては提示される謎が魅力的で、二転三転する展開には引きつけられるものがあります。確かに、文章がこなれておらず、ミステリーとしても小説としても未熟な部分は目立ちますが、将来性は十分に感じることのできる意欲作だといえるでしょう。
1988年度このミステリーがすごい!国内部門8位
新装版 密閉教室 (講談社文庫)
法月 綸太郎
講談社
2008-04-15


1989年

月光ゲーム Yの悲劇’88(有栖川有栖)

江神二郎や有栖川有栖が所属する英都大学推理小説研究部の面々は矢吹山に合宿に訪れ、他大学の面々と楽しい時を過ごしていた。ところが、神南学院短期大学の山崎小百合が書置きを残して失踪する。戸惑いの空気が流れる中、火山の噴火が突如として始まる。一行は下山を試みるが、山道は土砂崩れによって塞がれていた。さらに、雄林大学の戸田文雄が刺殺死体となって発見される。なぜか、地面には「Y」という文字が記されてあった。噴火と殺人犯の存在におびえる中、今度は
雄林大学の一色尚三の姿が消え、北野勉の刺殺死体が発見される。果たして姿なき殺人鬼の正体とは?
島田荘司の推薦によって次々と新人がデビューする一方で、本格ミステリ作家を目指す者にとってのもう一つの道が開かれます。それが”鮎川哲也⇒東京創元社”というルートです。そして、その第一の成功者というべき存在が有栖川有栖です。まず、1986年に短編ミステリー『やけた線路の上の死体』が鮎川哲也の編纂したアンソロジー『無人踏切』に収録されます。そして、江戸川乱歩賞に投稿した本作が東京創元社の目にとまり、〝鮎川哲也と13の謎”シリーズの1作として発売される運びとなったわけです。本作はタイトルを見ても分かる通り、エラリー・クイーンばりのロジックによる推理を主体とした作品です。推論によって犯人を特定する面白さにこだわり抜いており、作者の情熱がヒシヒシと伝わってきます。ただ、その反面、登場人物が多すぎて冗長、舞台装置が派手な割に話が地味、動機に説得力がないといった辺りに、プロットを活かしきれていない未熟さが見てとれます。熱意は大いに買えるものの、まだまだ習作といった感じの作品です。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門17位
月光ゲーム―Yの悲劇'88 (創元推理文庫)
有栖川 有栖
東京創元社
1994-07-10


8の殺人(我孫子武丸)
中庭に橋を渡して8の字の形になっている通称8の字屋敷。そこでボウガンによる連続殺人が発生する。一人目は鍵をかけて寝ていた状態で射殺され、2人目は密室と化した部屋の扉の内側で磔状態になっていた。果たして犯人はいかにして犯行を実行したのか?速見警部補は推理マニアの弟や妹と共に謎に挑むが......。
我孫子武丸は島田荘司推薦によってデビューした4人目の新本格作家です。これまでの3人とは異なり、ユーモアタッチの作品となっています。そのため、ストーリーが平板でややとっつきにくい印象のあった先行作品と比べ、ぐっと読みやすくなっているのが何よりの長所です。ただ、その反面、軽すぎて緊迫感に欠ける点やトリックが分かりやすいところを物足りなく感じる人もいるでしょう。また、いかにもアマチュアのミステリマニアが書いたような密室講義やペダントリーについても余計だと思うかもしれません。全体としてはそこそこ楽しめるが、強い印象に欠ける作品といったところです。この作者はこのままユーモアミステリーの分野に進んでいくと思われていました。ところが、1992年に『殺戮に至る病』を発表し、その陰惨な内容と衝撃的な結末に多くの読者が驚かされることになります。さらに、1994年にはシナリオを手掛けたゲームソフト『かまいたちの夜』が発売され、大ヒットを記録します。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門18位
新装版 8の殺人 (講談社文庫)
我孫子 武丸
講談社
2008-04-15



空飛ぶ馬(北村薫)

女子大生の私は、ふとしたきっかけで以前からファンだった落語家の円紫さんと知りあうことになる。ある日、喫茶店に入った私と円紫さんは、3人の女性が競うようにして大量の砂糖をカップの中に投入しているのを目撃する。彼女たちはどうしてそのようなことをしていたのか?疑問に思う私に対して円紫さんの口から意外な推理が語られる。
新本格ブームが盛り上がりを見せようとしていた時期に本格ミステリのジャンルにおいてもう一つの潮流が誕生します。それが本作を祖とする〝日常の謎ミステリー”です。この手の作品は10年以上前にすでに戸坂康二が『グリーン車の子供』で先鞭をつけていましたが、ジャンルを確立したのは本作のフォロワー作品が次々と登場するようになってからです。この作品がなぜそこまで強い影響力を持っていたかというと、血なまぐさい殺人事件をテーマにしなくても魅力的なミステリーは書けるという事実を分かりやすく示したからでしょう。それに気づくことによって推理小説の間口は非常に広くなりました。そして、90年代には日常の謎ミステリーの傑作が数多く誕生することになります。本作でいえばなんといっても『砂糖合戦』が秀逸です。魅力的な謎の提示と意外な真相、謎解きによって明らかになる日常の中に潜む心の闇といった要素が揃っており、日常の謎ミステリーのお手本のような作品になっています。また、謎解きの合間に語られる文学や落語の蘊蓄も物語世界に厚みを与えることに成功しています。ただ、それが冗長だと感じる人もいるでしょう。さらに、頭でっかちで面倒くさそうな性格のヒロインが苦手だという人も少なくないはずです。確かに、好みが大きく分かれそうではあるものの、ミステリー史において重要な位置付けの作品であることは間違いないところです。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門2位


孤島パズル(有栖川有栖)
英都大学推理小説研究会の新メンバーである有馬麻里亜は南の島にある伯父の別荘に5億円相当のダイヤが眠っているという話をする。そして、その別荘に招待された江神二郎と有栖川有栖は宝探しとバカンスを兼ねて島を訪れるのだった。そこで、楽しい一時を過ごす3人だったが、2日目に突然、台風が襲来し、本土との連絡が断たれてしまう。しかも、伯父の義理の兄である牧原完吾とその娘である須磨子が何者かに銃殺された。現場は密室状態で凶器のライフルも見当たらない。絶海の孤島に閉じ込められた状況の中、新たな殺人が起きるが.......。
エラリー・クイーン張りの緻密なロジックに果敢に挑戦しながらも習作の感が拭えなかったデビュー長編に対し、わずか数カ月後に発売された本作は凄まじい完成度を誇る傑作パズラーに仕上がっています。なんといっても、タイヤの跡を巡るロジックが圧巻です。同時に、シリーズヒロインが登場したことによって青春小説としての読み応えもぐっとアップしています。新本格ブームの初期において『十角館の殺人』と双璧を成す重要作品です。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門16位


倒錯のロンド(折原一)
山本安雄は公募新人賞の受賞を目指して絶対の自信作『幻の女』を書き上げるが、その原稿が水島一郎という人物に盗まれてしまう。水島はその原稿を新人賞に応募し、華々しいデビューを飾る。白鳥翔というペンネームで売れっ子作家になり、狙っていた女も手に入れた。ところが、山本安雄が現れ、嫌がらせを始めるのだった。果たして、原作者と盗作者の攻防の末に行きつく結末とは?
折原一のデビュー作は密室をテーマにした連作ミステリー『5つの棺』であり、デビュー長編は”鮎川哲也と十三の謎”の一作目として発売された『倒錯の死角 201号の女』です。しかし、執筆順でいえば、本作こそが処女長編だといえるでしょう。計画では一足先に江戸川乱歩賞に受賞し、華々しくデビューする予定だったといいます。しかし、最終候補どまりに終わり、結局、島田荘司推薦という形で講談社から発売されることになったのです。このような経緯を見てもこの時代だからこそ世に出た作品だといえます。その中身は共感できない人物ばかりが登場するクセのある内容で、楽しい読書体験を得られるとはいいがたいものがあります。登場人物の言動は精神異常の域に達しており、読んでいて気分が悪くなる人もいるかもしれません。しかし、そこにミステリーとしての仕掛けがあります。異常性ばかりに気を取られていると、叙述トリックの罠に気付かずにすっかり騙されることになってしまうのです。しかも、叙述トリックといっても切れ味鋭いどんでん返しというよりもかなり強引な力技なので好き嫌いが分かれることになるでしょう。しかし、この熱にうなされたような文章と力づくでねじ伏せるようなどんでん返しの繰り返しには、一度はまれば抜け出せなくなりそうな魅力に満ちています。折原一はその後、叙述トリックの名手と呼ばれるようになり、新本格ブームの中で独自の地位を築いていくことになります。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門10位


奇想、天を動かす(島田荘司)
浅草で浮浪者風の老人が女店主を刺殺する。消費税の12円を請求されたことに腹を立てたのが動機らしいのだが、老人は名前すら名乗らずに完全黙秘を続けていた。この事件には何か裏があると考えた捜査一課の吉藪竹史は独自に捜査を行う。その結果、浮かび上がってきたのは数十年にも及ぶ壮大な犯罪の構図だった。
新本格ブームの仕掛け人である島田荘司が、ミステリーの可能性の幅を広げるために、あえて社会派ミステリーと本格ミステリの融合を試みた意欲作です。結果として、この作品は壮絶な人間ドラマと荒唐無稽な謎が融合した一種異様な迫力を持つ作品に仕上がっています。特に、突然歩き出す死体、消失するピエロ、赤い目をした巨人の出現といった具合に、完全にファンタジーとしか思えない出来事が次々と起こるくだりが圧巻です。そして、それを現実の事件としてロジカルに解き明かしていくところにこの作品の凄味があります。同時に、社会派推理としてのテーマが明らかになることで事件の真の構図が理解できるようになっている点に物語としての深みを感じさせてくれます。扱われているテーマとその描き方は今となっては否定的な見方をされかねない問題を含んでいますが、ミステリーとしては数多くの魅力が詰まった傑作です。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門3位


生ける屍の死(山口雅也)

20世紀末。アメリカ各地で死者が蘇るという奇怪な事件が続けさまに起きていた。原因は全くの不明だ。そんな中、ニューイングランドの片田舎でスマイル霊園を経営していたスマイリー一族の間で事件が起きる。一族の当主の孫であるパンク青年・グリンが毒入りの紅茶を飲んで死亡したのだ。だが、彼はゾンビとなって蘇り、自分は遺産の相続争いに巻き込まれたのだという仮説を立てて調査を始める。ところが、それからも事件は続いていった。まず、当主のスマイリーが毒物を呷って死亡し、長男のジョンが刺殺される。生と死が曖昧になった世界で一体なぜ犯人は殺人を続けるのだろうか?
昨今の新本格は異世界やパラレルワールドを舞台とした、いわゆる特殊設定ミステリーが主流となっています。これは2010年代以降に顕著となった傾向です。しかし、新本格ミステリの黎明期にすでにこのジャンルにおける大傑作が誕生していました。それが本作です。世界観がオリジナリティに富んでいるため、そこから生まれる謎も独特で、既存の作品にはない面白さを引き出すことに成功しています。また、死んだ人間が生き返ることで巻き起こるドタバタ劇もユーモアたっぷりに描かれており、本作の魅力のひとつとなっています。さらに、この設定だからこそ可能となったロジックやトリックの扱いも見事です。登場人物がいささか多すぎ、文体も翻訳調であるために少々読みにくいという欠点はあるものの、本格ミステリの歴史におけるエポックメーキングとなった傑作であることは確かです。この時代の本格ミステリを語る上では『十角館の殺人』や『空飛ぶ馬』と並んで欠くことのできない作品だといえるでしょう。
1989年度このミステリーがすごい!国内部門8位


1990年

夜の蝉(北村薫)
私と親友の江美と他3人の学生はその一人の父親が所有している軽井沢の別荘に遊びに行く。ところが、そこで奇妙な事件が起きるのだった。まず、チェスのクイーンの駒が紛失する。それが冷蔵庫の中から発見されると、今度は卵がなくなっていた。卵は浴室の脱衣場の棚から発見されるが、そこにあったはずのスタンド式の鏡が消えている。果たして一連の出来事は何を意味するのか?
私と円紫さんシリーズの第2弾。前作の『空飛ぶ馬』が5作の短編から構成されていたのに対して本作は3作しか収録されていません。謎解きが少なくなったという意味では物足りなく感じるかもしれませんが、読み物としてはむしろ魅力がアップしています。まず、文章が洗練され、読みやすくなっています。謎の扱いも前作よりもスリリングです。何より、3つの短篇が有機的に繋がり合い、通して読むと私の成長物語として構成されている点が見事です。日常の謎ミステリーを世に広めたという意味で知名度の高いのは『空飛ぶ馬』の方ですが、完成度の高さでは本作に軍配が上がるのではないでしょうか。
1991年度このミステリーがすごい!国内部門2位
第44回日本推理作家協会賞連作短編集部門受賞


マジックミラー(有栖川有栖)
余呉湖の畔にある別荘で女の死体が発見された。彼女の名前は柚木恵。一億円の保険金がかけられていたことから夫の新一及び双子の弟である健一に容疑の目が向けられる。しかし、犯行時刻に新一は福岡県の博多に、健一は山形県の酒田にいたことがそれぞれ証明され、アリバイが成立する。捜査は行き詰まり、長い年月が過ぎた。捜査本部が解散するとの噂を耳にした恵の妹の三沢ユカリは、かつて姉と付き合っていた推理作家の空知雅也と私立探偵に調査を依頼する。だが、それから半年後、新たな事件が起きる。新一・健一のいずれかと思われる死体が発見され、もう片方も行方不明になったのだ.......。
とにかくアリバイトリックにこだわり抜いた作品です。作中のアリバイ講義も興味深く、クイーン流のロジックを得意とする有栖川
有栖にしてはかなり毛色の変わった作品となっています。しかも、オーソドックスなアリバイ崩しにとどまらず、そこに双子トリックを絡ませ、二重三重の罠をしかけている点が秀逸です。著者の作品の中ではあまり有名とはいえないものの、隠れた名作というべき逸品です。


頼子のために(法月綸太郎)
17歳で何者かに殺された頼子は子供を宿していた。彼女の父親である大学教授の西村は通り魔の犯行で処理しようとする警察の判断に納得できない。独自に真犯人を突き止めた彼は自らの手で復讐を果たし、自殺を試みるが........。
1作目が後期クイーン問題、2作目がディクスン・カーばりの雪密室、3作目がコリン・デクスターの迷走推理といった具合に、
法月綸太郎の初期作品は古典ミステリーの強い影響下にありました。そして、4作目となる本作は明らかにニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』を意識したプロットとなっています。そのため、初期作品はどうしてもオリジナリティに欠け、習作というイメージがぬぐえません。しかし、その中において本作は頭一つ抜けた存在であり、著者の代表作として高く評価する人も少なくないのです。正直、ミステリーとしての仕掛けはそれほど大したものではないのですが、人間ドラマの深みがそれまでの新本格には欠けていた物語としての読み応えを与えてくれます。そして、救いのないラストが忘れ難いインパクトを読者の心に刻むことに成功しています。謎解きに息苦しいまでの悲劇性を加味した異色傑作です。
1991年度このミステリーがすごい!国内部門16位


霧越邸殺人事件(綾辻行人)
1986年の晩秋。劇団のメンバー8人は公演の打ち上げ旅行に出かけるが、その帰り道の途上で車が故障してしまう。やむなく、信州の山中を歩く羽目になり、猛吹雪に襲われた一行は偶然発見した謎めいた洋館に避難する。そこで、宿を借りる許可を得たものの、対応したのは無表情な使用人たちだけで、主人は姿を現そうとしなかった。やがて、一向に降りやまない雪の中、館の中で殺人事件が発生する。しかも、それは北原白秋の『雨』に見立てた童謡殺人だったのだ。
館シリーズの変奏曲とでもいうべき本格ミステリです。奇妙な館の中で連続殺人が起きるというプロットは館シリーズと同じですが、あちらが大ネタ一発で勝負することが多いのに対して、本作は小さなトリックの積み重ねで成り立っています。また、吹雪の山荘、童謡殺人、ミステリー談義といった具合に、ミステリーのお約束が過剰に詰め込まれている点も印象的です。その一方で、裏の主役というべき館の存在感が全面的にクローズアップされており、ロジックだけでは割りきれない幻想的な要素が滲み出ているのも本作ならではの特徴だといえるでしょう。著者の趣味が全面に押し出された作品であり、幻想風味の本格ミステリが好きな人にはたまらない作品に仕上がっています。ただ、ロジックで解決できる部分と幻想小説の部分を安易に並べてしまったためにご都合主義に見えてしまうという欠点があります。さらに、サービス満点の本格要素もやや詰め込み過ぎで、ゴタゴタとした印象になっているのは否めないところです。新本格初期を代表する作品ではあるものの、そういった点から賛否の分かれやすい面があります。
1991年度このミステリーがすごい!国内部門7位


消失!(中西智明)
その街で起きた3件の殺人事件の被害者はいずれも赤毛の持ち主だった。しかも、どの事件でも犯人と死体が現場から消えるという不可解な現象が起きていたのだ。警察は事件そのものの存在を認めずに動いてくれない。一方、探偵の新寺仁は妹の頼みで独自に調査を開始するが.....。
中西智明は新本格ブームのさなか、弱冠22歳でデビューした京都大学推理小説研究会出身の作家です。この時期にデビューした新本格系の作家の多くが息の長い活動を続けているのに対し、彼の作品はこの1作だけです。それ故に、本作は幻の傑作として一部のマニアに高い評価を得ることになります。確かに、若書きのせいか、文章表現は稚拙で物語としての完成度は高いとはいえません。また、トリック自体も相当無理があります。しかし、それらを差し引いても、本作の大仕掛けは空前絶後の驚くべきものです。良くも悪くもこの時代だからこそ生まれた怪作だといえるでしょう。
1991年度このミステリーがすごい!国内部門20位
消失! (講談社文庫)
中西 智明
講談社
1993-07-06


ロートレック荘事件(筒井康隆)
幼い頃の事故で足が不自由になった重樹。その後、事故の現場である別荘は実業家の木内に買い取られ、ロートレックの絵が飾られていることからロートレック荘と呼ばれるようになっていた。久しぶりに別荘を訪れた重樹は美しい娘たちとバカンスを楽しむ予定だった。だが、2発の銃声が鳴り響き、美女の死体が発見される。それが惨劇の始まりだった。
筒井康隆はSF小説の鬼才であると同時に、さまざまな趣向の作品に挑戦し続けたことでも知られています。新本格ブームのさなかに発表された本作もその一つで、意外性たっぷりの謎解きミステリーにチャレンジしています。技巧的な実験小説を得意としていた著者らしく、文章そのものに仕掛けられたトリックが見事です。作品の雰囲気は随分と違うものの、一行の衝撃という意味では『十角館の殺人』に通じるものがあります。また、真相が明らかになってからが長すぎるという意見もありますが、あのエピローグがあったおかげで哀切に満ちた悲劇性を物語に付加することに成功しています。巧緻に組み立てられた、実に筒井康隆らしい傑作です。
1991年度このミステリーがすごい!国内部門11位


殺人喜劇の13人(芦辺拓)
泥濘荘では大学のミニコミ誌を発行しているサークルメンバーが共同で暮らしていた。ところが、メンバーの一人が縊死体として発見される。ミステリー作家志望の十沼は事件の謎を解こうとするが、その後も被害者は増え続けていく。彼の窮地にミニコミ誌の客員執筆者で素人探偵の森江春策が立ち上がる......。
新本格ブームの盛り上がりを受けて創設された鮎川哲也賞。史上初の本格ミステリ限定の公募新人賞であり、その初の受賞作品が本作です。全編が本格愛に溢れており、第1回を飾るにふさわしい力作だといえます。稚気に満ち、さまざまな小技でミステリー好きの読者を楽しませてくれます。設定が鮎川哲也の代表作である『りら荘事件』に似ているのもマニアにはたまらないところです。一方で、登場人物がやたらと多く、キャラの書き分けも不十分なために読みづらく感じるのは大きな難点です。また、トリックが多いのはいいのですが、詰め込み過ぎて消化不良を起こしている感もあります。しかし、逆にいえば、鮎川哲也賞が登場したからこそ、従来のミステリー賞では世に出ることができなかった、アマチュアらしい稚気に富んだ作品に光が当てられるようになったのだともいえます。実際、この賞の存在によって、日本の本格ミステリはその可能性を大きく広げる結果となっていくのです。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門20位
殺人喜劇の13人 (創元推理文庫)
芦辺 拓
東京創元社
2015-01-29


1991年

ぼくのミステリな日常(若竹七海)
建設コンサルタント会社で働いている若竹七海は学生時代の経験を買われ、社内報の編集長に抜擢される。周囲の協力もあり、準備は着々と進んでいくが一つ問題があった。上から小説を入れるようにとのお達しがあったのだ。プロを雇う予算などなく、頭を抱えていたところに、先輩から知り合いの物書きを紹介してもよいという話が持ち込まれる。そして、匿名を条件に12の短編が提供されるのだが、それはいずれも日常にまつわる謎をテーマにしたものばかりだった......。
北村薫の円紫さんシリーズに続いて登場した日常の謎ミステリーです。この作品以降、北村薫以外にも日常の謎を扱ったミステリーが目立つようになり、本作はさながらフォロワー第1号という位置付けになるかもしれません。ただ、北村薫の単なる模倣になっていないのが本作の秀逸な点です。もっとも、日常の謎ものとしてはそのクオリティは本家よりも大きく劣ります。切れ味の鋭い作品もないではないですが、中にはミステリーといえないものもあり、全体として統一感がないようにも感じます。しかし、最後まで読むと12の短編が一つの線でつながり、一連の物語に隠されていた真の事件が姿を現すようになっています。このプロットが実に見事です。企みに満ちた遊び心満載の佳品だといえるでしょう。同時に、一見ほのぼのとした日常の謎に著者ならではのビターな味がブレンドされており、その点も読書を楽しむ上でよいアクセントとなっています。その後、若竹七海はしばらく本格ミステリのフィールドで作品を発表していましたが、今一つ伸び悩んでいる感がありました。しかし、1996年から現代風ハードボイルドというべき葉村晶シリーズをスタートさせ、高い人気を得ることになります。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門6位


一の悲劇(法月綸太郎)
山倉家に息子を誘拐したという電話が入る。しかし、一人息子の隆史は学校を休んで部屋で寝ている。実は、犯人は隆史ではなく、級友の茂を誘拐したことが判明。隆史の父・史郎は茂を助けるために身代金の受け渡し場所に向かう。しかし、次々と新たな指示を出す犯人に振り回されたあげく、石段から転がり落ちて失神してしまう。意識を取り戻したのは茂の死体が発見された後だった。当初、茂が死んだのは史郎が身代金を渡せなかったからだと思われていたが、彼が身代金の受け渡しに向かったときにはすでに茂は死んでいたことが判明する。やがて、有力な容疑者が浮かび上がるものの、その男には鉄壁のアリバイがあった。犯行時刻にはミステリー作家の法月綸太郎と一緒にいたというのだ。
前作『頼子のために』と並んで法月綸太郎の出世作といわれる作品です。今まであった青臭さが抜け、誘拐事件を巡る悲劇を陰影深く描くことに成功しています。また、犯人の意外性には欠けるものの、2転3転するプロットは良く考えられており、読者の興味を断ち切ることなく、ラストまで引っ張っていってくれます。物語性と謎解きの面白さとのバランスの良さが光る佳作です。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門19位
一の悲劇 (ノン・ポシェット)
法月 綸太郎
祥伝社
1996-07-01


闇ある翼 メルカトル鮎最後の事件(麻耶雄嵩)
名探偵の木更津悠也と助手の香月実朝は依頼人から連絡を受け、今鏡家の蒼鴉城に出向いた。しかし、時はすでに遅く、依頼人である伊都と息子の有馬は首なし死体となって発見される。伊都の死体には甲冑が着せられており、それを外すと足首も切り取られていることが判明した。しかも、惨劇はそれで終わりではなかった。事件の翌日には伊都の弟が、やはり首を切断された状態で発見される。一体、犯人はなんの目的で被害者の首を次々と切断していくのか?
熱に浮かされたような新本格ブームもひと段落という時期に発表された爆弾級の問題作です。弱冠21歳の若者が書いた本作は本格ミステリのお約束を片っ端から破壊するアンチミステリーの極北というべき作品であり、その掟破りの作風はたちまち賛否両論を巻き起こすことになります。しかも、若さゆえに独りよがりの展開が目立ち、それが作品を必要以上に難解なものにしています。文章もまだまだ拙い印象です。そのため、頭でっかちな同人作品と唾棄する人も少なくありませんでした。一方で、どこまでも深読み可能な内容と特異すぎる名探偵の造形に魅了された人たちは恐るべき大傑作と持ち上げます。とにかく、その評価の割れっぷりは賛否両論の多かった初期の新本格の中でも別格といえる存在でした。しかし、本作を巡る論争はさらなる問題作となった『夏と冬の奏鳴曲』の序章にすぎなかったのです。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門12位


歳時記 ダイアリイ(依井貴裕)
サークルの先輩が飛び降り自殺をする。遺書はなく、その代わり、彼女は現実の連続殺人事件を下敷きにした小説を残していた。彼女の叔父はそれを後輩の多根井に託す。生前の姪が推理力を高く評価していたという事実を多根井に告げ、君ならこの小説に秘められた意味をひも解くことができるのではないかというのだ。多根井は寝食を忘れてその謎に取り組むが......。
作者はアマチュアマジシャンで泡坂妻夫の弟子である依井貴裕。それだけに、騙しのテクニックは一流です。作中作に仕掛けられた罠に読者の多くはまんまと嵌まってしまうことになるでしょう。しかも、巧みに張り巡らされた伏線のおかげで極めてロジカルに謎が解けるようになっているのが見事です。ある意味、泡坂妻夫とエラリー・クイーンのいいとこどりをしたような快作だといえます。ただ、仕掛けにこだわるあまり、文章が不自然になって読みにくいという難点があります。また、ロジックは結構複雑で、どちらかといえば、マニア向けの作品です。ちなみに、著者はかなりの寡作で4作目の『夜想曲 ノクターン』が1998年に発売されて以降、新作は発表されていません。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門17位
歳時記(ダイアリイ) (黄金の13)
依井 貴裕
東京創元社
1991-09


時計館の殺人(綾辻行人)
大手出版社に勤める新米編集者の江南孝明は推理作家の鹿谷門実の元を訪れる。江南はオカルト雑誌の特別企画で異能の建築家・中村青司の設計した時計館に取材をしにいくことを説明し、鹿谷に同行してくれないかという。その館には10年前に死亡した少女の霊が出るという噂があるのだ。こうして、オカルト雑誌の副編集長やカメラマン、霊能力者、大学の超常現象研究会の面々らとともに3日間の泊まり込み取材が始まるが、そこで待ち受けていたのは陰惨な連続殺人事件だった......。
館シリーズの中でも『十角館の殺人』と並ぶ傑作で、新本格ミステリを代表する作品として知られています。十角館がプロットの中に仕掛けられたトリックならば、本作は館そのものに仕掛けられたトリックであり、そのダイナミックさには思わず度肝を抜かれてしまいます。また、トリックを補完する小技や張り巡らされた伏線も見事です。そして、なんといっても、惨劇の末にたどり着くラストシーンの美しさは特筆ものです。ある意味、新本格における一つの到達点だといえるのではないでしょうか。
1992年度このミステリーがすごい!国内部門11位
第45回日本推理作家協会賞受賞


キッド・ピストルズの冒涜(山口雅也)
凶悪事件の多発や警察機構の腐敗などによって警察の権威は地に落ちていた。政府は問題解決のために警察官の大幅増員を図るが、それが裏目に出て街の不良少年や前科持ちが警察官を名乗るようになり、警察組織の凋落に拍車をかけていく。その一方で、優秀な私立探偵たちが警察の手に負えない事件を次々と解決し、国民の信頼を得ることになる。その結果、探偵皇を頂点とする探偵士協会が設立され、警察はその下部組織となっていったのだ。そんな中、パンクスタイルの警察官・キット・ピストルズは4つの童謡殺人に遭遇する。やたらと奇抜な推理に走りたがる探偵たちをしり目に、キット・ピストルズは堅実にロジックを組み立てて事件を解決へと導いていくが......。
『生ける屍の死』に続いて発表されたパラレルワールドを舞台にした本格ミステリです。パンク族が探偵役を務める童謡殺人ものという破天荒な設定に対し、ミステリーとしては極めて正攻法であり、精緻なロジックによる推理を楽しむことができます。特に、『曲がった犯罪』の完成度の高さは瞠目に値します。伏線、推理、物語性とすべてが完璧です。本シリーズはその後も『十三人の探偵士』『キッド・ピストルズの妄想』『キッド・ピストルズの慢心』と新作を発表し続け、好評を博していきます。ただ、クセのある世界観は好き嫌いが分かれるかもしれません。逆に、奇抜な設定の割にキッド・ピストルズが意外と常識人なので、その辺りに物足りなさを感じる可能性もあります。しかし、いずれにしても、正統派パズラーを読みたいという人にはおおいにおすすめしたいシリーズです。
1993年度このミステリーがすごい!国内部門8位


1992年

双頭の悪魔(有栖川有栖)
『孤島パズル』の一件で心に深い傷を負ったマリアは四国の木更村に身を寄せる。そこは世俗から離れて暮らす芸術家たちの村だった。一方、連絡が取れなくなったマリアを心配した英都大学推理小説研究会の面々は彼女を迎えにいく。しかし、村の住人との行き違いから彼らはマリアとの面会を拒絶されてしまう。そこで、推理研は隣の夏森村に宿をとり、江神部長が木更村への潜入を決行する。なんとかマリアに会うことに成功するものの、大雨によって夏森村との交通が寸断されてしまうのだった。さらに、夏森村も土砂崩れによって外界との行き来が不可能になってしまう。そんな状況の中で木更津村と夏森村の双方で殺人事件が発生する。木更津村では江神とマリアが、夏森村では残された推理研の面々がそれぞれの事件を解決しようと推理を巡らすが......。
読者への挑戦状を3回も挿入し、その趣向に負けないだけの中身を兼ね備えたフーダニットミステリーの名作です。挑戦状の中身は夏森村の事件、木更村の事件、それらの事件の全体像を推理させるというものですが、それぞれの謎に緻密なロジックが用意されているという贅沢さです。また、推理研の面々がディスカッションを繰り返しながら真相にたどり着く趣向も多重解決もののような面白さがあって楽しめます。さらに、若書きの印象が強かった前2作と比べると小説としての完成度も大幅にアップしています。この作品もまた、『時計館の殺人』と並ぶ新本格ミステリの到達点の一つだといえるでしょう。ただ、2つのクローズドサークルを舞台にした殺人という派手な趣向の割に、サスペンスや大掛かりなトリックなどといった要素は希薄です。したがって、そういったケレン味を求めて読むと肩すかしを喰らうかもしれません。あくまでもロジックにこだわりぬいた逸品であり、派手な趣向が印象的な『時計館の殺人』とは好対照をなす作品です。
1993年度このミステリーがすごい!国内部門6位
双頭の悪魔 (創元推理文庫)
有栖川 有栖
東京創元社
1999-04-21


哲学者の密室(笠井潔)
ユダヤ系財閥の長であるダッソー家の邸宅で滞在客が死体となって発見される。しかも、現場である3階は厳重に施錠され、1階と2階には監視の目が光っていた。つまり、殺人現場は入ることも出ることも不可能な三重密室だったのだ。しかも、現場にはナチスの短剣が残されていた。その謎を追う内に、矢吹たちは30年前のユダヤ人収容所で起きた三重密室殺人の謎にたどり着く。果たして、矢吹駆の現象学的直観推理は真実を見通すことができるのだろうか?
哲学的思考とミステリーにおけるロジックの融合を極めて高いレベルで実現した労作です。ちなみに、本作の主題となっているのはハイデッガーの実存主義ですが、哲学書などと比べると非常にわかりやすく描かれています。そして、それを戦争や密室殺人の意味と絡めて描いている点が巧みです。矢吹駆シリーズの中でも哲学ミステリーという意味では最も成功した作品だといえるでしょう。ただ、純粋にミステリーとして見てみるとトリックや犯人の正体に意外性はなく、物足りなさが残ります。ミステリーを楽しむならシリーズ前作の『サマー・アポカリプス』、哲学ミステリーの世界にどっぷりと浸りたいのなら本作ということになるのではないでしょうか。
1993年度このミステリーがすごい!国内部門3位
哲学者の密室 (創元推理文庫)
笠井 潔
東京創元社
2002-04-12


殺戮に至る病(我孫子武丸)
東京の繁華街で猟奇殺人を重ねる殺人鬼が世間を騒がしていた。一方、主婦の雅子は息子の部屋から血のついたビニール袋を見つけたことから、自分の息子こそが世間を騒がしている殺人鬼ではないかと疑い始める。
サイコサスペンス風の物語で、犯人の異常性が非常に生々しくグロテスクに描かれています。しかも、事件を探っている雅子も子供離れしていない痛々しさがあるため、読んでいると非常に息苦しいものを感じます。しかし、実はそれが巧妙な隠れ蓑になっているのです。あまりにも異様な空気に包まれているため、読者の多くは作中に仕込まれた伏線を見逃してしまいます。その結果、まさかの結末に衝撃を受けることになってしまうのです。この時期の新本格の中でも屈指のどんでん返しが味わえる傑作です。
1993年度このミステリーがすごい!国内部門16位


ななつのこ(加納朋子)
短大生の入江駒子は本屋で『ななつのこ』という童話を見つける。その表紙の絵に強く惹かれた彼女は本を購入し、家に帰って読み始める。本の内容は、田舎の少年・はやてが診療所にいる不思議な雰囲気の女性・あやめさんの助言を受け、身の回りに起きた小さな事件を解決していくというものだった。その物語を大いに気に入った駒子は作者の佐伯綾乃にファンレターを送り、それがきっかけで文通が始まる。駒子は手紙を送る際に自分が体験したちょっとした不思議な出来事を報告するようになるが、すると、佐伯綾乃は返信の手紙の中で作中のあやめさんのようにそれらの謎を鮮やかに解き明かしてみせる。果たして佐伯綾乃は何者なのか.....。
第3回鮎川哲也賞受賞作品です。北村薫の『空飛ぶ馬』がミステリー界に与えた影響は大きく、その後、日常の謎を扱ったフォロワー的作品が次々と発表されることになります。その中でも代表的な作家といえば彼女をおいて他にはないでしょう。加納朋子はフォロワーでありながら、本家以上に日常の謎という形式を極めていくことになります。本作はその加納朋子のデビュー作であり、同時に代表作の一つです。『空飛ぶ馬』と比較した場合、ミステリーとしての面白さでは劣るかもしれません。謎解き自体もライトなものが多いのは確かです。しかし、本作には若い女性作者ならではのリアリティがあります。円紫シリーズの私がどこか堅苦しさやとっつきにくさがあるのに対し、本作のヒロインである駒子は等身大で愛嬌がある点が大きな魅力だといえるでしょう。文体からも優しさと繊細さがにじみ出ており、謎解きを通して優しく甘酸っぱい世界に浸ることのできる点が秀逸です。
ななつのこ (創元推理文庫)
加納 朋子
東京創元社
1999-08-19


吸血の家(二階堂黎人)
警視正の父を持ち、ハリウッド女優のような美貌を誇っている二階堂蘭子はまだ学生であるにもかかわらず、名探偵として活躍していた。ある日、蘭子と双子の兄である二階堂黎人が行きつけの喫茶店にいると頭巾で顔を隠した女が現れ、近く雅宮家で殺人事件が起きるという。女はそれだけを告げると吹雪の中に飛び出した。後を追う蘭子たちだったが、女の足跡は途中で消えてしまっていた。彼女の話に出てきた雅宮家というのは二階堂家の親戚筋に当たり、江戸時代には遊郭を営んでいた女系一族だ。現在、雅宮家には絃子、琴子、笛子という美しい三姉妹がおり、絃子の病弱な娘・冬子のために女霊媒師による浄霊会が行われるという。そこで何かが起きるに違いないと踏んだ蘭子は雅宮家に訪れるが、果たして奇怪な密室殺人が発生する。
本作は第1回鮎川哲也賞に佳作当選したものを改めて出版した作品です。二階堂黎人は本作を発表する前に、講談社から『地獄の奇術師』でデビューすることになりますが、作品の出来は本作の方が数段上です。なんといっても、おどろおどろしい雰囲気の中で起きる不可能犯罪の連続にはワクワクするものがあります。特に、24年前に起きたという足跡のない殺人のトリックが見事です。新本格系の作家といえば、どちらかというとエラリー・クイーンの影響が顕著なケースが多いのですが、二階堂黎人の場合は怪奇趣味や不可能犯罪など、ディスクン・カーからのインスパイアが強く見受けられます。本作はその特徴を遺憾なく発揮した初期の代表作であるといえるでしょう。また、二階堂蘭子シリーズといえば蘭子のアクの強いキャラが賛否を分けていますが、本作ではそのキャラクター性も抑え気味なので、そういった意味でもおすすめです。
吸血の家 (講談社文庫)
二階堂 黎人
講談社
1999-07


1993年

異人たちの館(折原一)
フリーライターの島崎は過去に新人賞を受賞した経験があるものの、それ以後は鳴かず飛ばずでゴーストライターをしながら糊口を凌いでいた。ある日、小松原妙子という女性から我が子の生涯を本にしてほしいという依頼が舞い込む。8歳で児童文学賞を受賞して天才少年と呼ばれた小松原淳は富士の樹海で行方不明となっていた。気乗りはしなかったが、200万円という報酬につられて島崎は仕事に着手する。ところが、淳の過去を調べている内に島崎の周囲で不気味な異人が出没するようになり......。
叙述トリックの名手として知られる折原一の集大成的な作品です。ただ、叙述トリックといってもラストで世界が反転するような驚きが味わえるといったものではなく、小技を使って二転三転する展開を楽しむようにできています。したがって、驚愕のどんでん返しを期待すると物足りなさを感じるかもしれませんが、逆に、叙述トリックに関する引き出しの多さを堪能しながら読み進めることができます。叙述トリックのおもちゃ箱とでもいうべき力作です。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門9位
異人たちの館 (文春文庫)
折原 一
文藝春秋
2016-11-10


魔法飛行(
加納朋子)
文通相手の瀬尾さんに小説を書くと宣言した駒子は身の回りで起きた出来事を物語にして綴り始める。奇妙な行動をする女の子、幽霊騒動、学園祭のある出来事など。それらのちょっと不思議な物語に対して、瀬尾さんはそこに明快な解答を提示してみせる。そして、クリスマスイヴの日に......。
『ななつのこ』に続く駒子シリーズの第2弾です。4つの日常の謎が扱われていますが、ミステリーとして特に大仕掛けがあるわけではありません。しかし、謎解きを通して暖かな気持ちになれる不思議な感覚がこの作品にはあります。また、伏線を回収して美しいラストへと繋げる手管も見事です。さらに、駒子を始めとする女性キャラたちもみな愛らしく魅力的です。有栖川有栖の名解説「ロジックじゃない、マジックだ」という言葉が示す通り、通常の本格ミステリとは別の尺度で評価すべき傑作だといえるでしょう。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門6位
魔法飛行 (創元推理文庫)
加納 朋子
東京創元社
2000-02-18


夏と冬の奏鳴曲(麻耶雄嵩)
女優・真宮和音とその魅力に取りつかれた男女6人の共同生活は1年後に和音の死という形で終焉を迎える。それから20年の月日が過ぎ、故人を偲ぶために関係者がかつて和音と共同生活を送った和音島に集まる。雑誌記者の如月烏有と助手の舞奈桐璃も取材のためにその島に訪れていた。島に到着してから2日目の朝。8月だというのに館のテラスには雪が積もり、その中に首無死体が倒れていた。しかも、足跡は発見者のものしかない。一体、犯人はどのようにして犯行を成し得たのか?そして、この難事件を前にして名探偵メルカトル鮎の出した答えとは?
おそらく新本格史上最大の問題作です。少なくとも、まともな本格ミステリを期待して読むと、ほとんどの人は失望するか怒りだすでしょう。なにしろ、探偵の口から説明されるトリックは現実的に考えてありえないものばかりですし、肝心の謎が解かれないままに物語は終わってしまいます。しかし、本作にはさまざまな伏線とダミーの真相が散りばめられており、推理を巡らせれば真相にたどり着けそうな雰囲気に満ちています。そんな思わせぶりなところがこの作品の魅力なのです。伏線を回収して一つの真相にたどり着くためではなく、読者の想像力を刺激して謎を果てしなく拡散させていくために本作にはさまざまな技巧が盛り込まれています。その効果は絶大で、アンチミステリの一つの到達点と評する人もいるほどです。一方で、酷い詐欺だとこき下ろす人も存在します。毀誉褒貶が激しいという意味ではおそらく本作を凌ぐ作品は存在しないでしょう。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門17位


冬のオペラ(北村薫)
叔父の経営する不動産会社に就職した姫宮あゆみは同じビルの2階で”名探偵 巫弓彦”という案内板を見つける。しかも、「人知を超えた難事件を即座に解決します」と書かれているのだ。あゆみはその文面に興味を覚え、事務所を訪ねてみる。そこには壮年の紳士がおり、名探偵の定義について質問すると、「名探偵とは存在であり、意志である」と宣言するのだった。その言葉に感銘を受けたあゆみは自ら名探偵の功績をつづる記述者となることを志願するが......。
若い女性がワトソン役で年配の男性が探偵役を務めるという点では「円紫さんと私」シリーズと同系統の作品だといえるでしょう。しかし、本作は探偵役もワトソン役もキャラが立っており、より楽しく読むことができます。また、名探偵とは何かといったテーマ性があり、日常の謎の他に殺人事件が起きる点などからよりミステリー色の強い作品となっています。ゆるゆるとした雰囲気ながら、端正な本格ミステリとしても十分堪能できる出来です。
「円紫さんと私」シリーズの文学的な香りやちょっとお高くとまっているところが苦手という人はこちらからチャレンジしてみることをおすすめします。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門6位
冬のオペラ (角川文庫)
北村 薫
KADOKAWA
2002-05-23


慟哭(貫井徳郎)
世間を騒がす連続幼女誘拐殺人。その捜査は行き詰まり、捜査一課長の佐伯は世間からの批判を浴びて苦悩する。一方、耐えがたい悲しみの末に新興宗教にハマった男は、安らぎを求めて人が踏み込んではならない闇へと自ら落ちていく。その魂の行きつく果てとは?
本作は第4回鮎川哲也賞の最終候補作品です。受賞は逃したものの、北村薫の熱烈な後押しによって世に出ることになります。そして、大変な評判となり50万部の大ヒットを達成したのです。一体、何がそんなにすごいのかというと、まず何と言っても物語全体を貫く悲劇性です。まさに慟哭そのものといった作品で、その点に読者は大きな衝撃を受けるはずです。それに加えて、全編に仕掛けられた大トリックに仰天することになります。本作はドラマとトリックの双方で大きなインパクトを味わえる異端の傑作というべき存在です。ただ、あまりにも後味が悪いのでこの作品を毛嫌いする人も少なくありません。また、ミステリーを読み慣れた人ならメイントリックにはすぐに気が付いてしまう可能性があります。そういった意味では賛否が激しく分かれる作品です。鮎川哲也賞を逃したのもその辺りに原因があるのでしょうが、そうした既存の評価軸では測れない魅力がある点が、この作品を異端の傑作たらしめているともいえます。
1994年度このミステリーがすごい!国内部門12位
慟哭 (創元推理文庫)
貫井 徳郎
東京創元社
1999-03-17


1994年

日曜の夜は出たくない(倉知淳)
ある朝、住宅街の路上で死体が発見される。死因は墜落死。最初は近くのマンションから転落したものと思われていたが、検死解剖の結果、マンションよりもずっと高い場所から落ちたことが判明する。しかも、死体のそばには寄り添うようにして鳥が死んでいたのだ。その死体は空中を散歩していたとでもいうのだろうか?
著者のデビュー作であり、変人探偵として高い人気を誇る猫丸先輩シリーズの第1弾でもあります。難事件が起きるとどこからともなく、猫丸先輩が現れては鮮やかに謎を解いていく姿に心地よさを感じます。血生臭い事件が多い割に、読後感が良いのも猫丸先輩のキャラクター性があってのことでしょう。新本格系の中では突出した魅力を持つ探偵だといえます。一方、ミステリーとしての切れ味も抜群で、しかも、不可能犯罪から感動路線までさまざまなスタイルを楽しむことができる作品集に仕上がっています。最初の一編である『空中散歩者の最後』に関してはトリックに無理があるのは難点ですが、それ以外は高いレベルの作品ばかりです。デビュー作としては希有の完成度を誇る傑作だといえるでしょう。
1995年度このミステリーがすごい!国内部門19位


姑獲鳥の夏(京極夏彦)
1950年代の初頭。東京の雑司ヶ谷にある久遠寺産科医院を巡って奇怪な噂が流れる。その病院の娘は20カ月もの間身籠った状態であり、しかも、彼女の夫は密室から忽然と姿を消したまま行方不明になっているというのだ。その噂を耳にした作家の関口巽は、拝み屋で古本屋の店主でもある京極堂こと中禅寺秋彦に意見を求めに行く。京極堂は関口の話を聞いても特に驚く様子もなく、「世の中には不思議なことなど何もないのだよ」とうそぶく。やがて、関口は久遠寺産科医院を巡る事件に巻き込まれることになるのだが.......。
京極夏彦がデビューしたのは新本格が誕生してから7年が過ぎ、ブームも一段落した時期でした。そのデビュー作は一見、新本格の流れを汲んでいるように見えます。少なくとも、謎めいた事件が起き、それを個性的な探偵役が解き明かしていくという点は新本格そのものです。しかし、実際に読んでみると、本作が新本格とは明らかに異質な存在であることがわかります。従来の新本格に顕著だった古典へのリスペクトが皆無なのです。たとえば、
麻耶雄嵩は古典ミステリーを意識した上でそのコード破りを行っていますが、そういったものとも異なります。初めから古典を意識することなく、極めてオリジナリティの高い世界を構築しているのです。また、従来の新本格に比べるとキャラが立っており、重厚でありながらどこかラノベに近いテイストが感じられます。これらは後に台頭する新新本格と呼ばれる作品群に見られる特徴であり、本作はそのジャンルの先駆けとなる作品として位置づけられます。そういう意味において、『十角館の殺人』と並ぶ重要作品といっても過言ではありません。一方、ミステリーとしては、現実的にありえないような奇怪な現象を怒涛の蘊蓄によって力技で解き明かしてみせるところが目を引きます。これも本来の本格ミステリとしては反則もいいところなのですが、圧倒的な筆力で読者を納得させてしまうところが見事です。ただ、その反則ぶりに、「これは本格ミステリではない!」といって受け付けない人もいるでしょう。そういった部分も含めて本書の発売は事件であり、たちまち多くの注目を集めることとなったのです。
1995年度このミステリーがすごい!国内部門7位



1995年

魍魎の匣(京極夏彦)
1952年8月。中央線の最終電車が人身事故を起こす。列車に轢かれたのは私立鷹羽女学院中等部の女生徒であり、柚木加菜子という名の美少女だった。一緒にいた友人の楠本頼子の話によると、加菜子は黒づくめの男によって駅のホームから突き落とされたのだという。加菜子は瀕死の重傷を負って謎めいた研究所に収容されるが、厳戒態勢の中、忽然と姿を消してしまう。一方、関口巽は京極堂の妹で新聞記者の中禅寺敦子や雑誌記者の鳥口守彦と共に、世間を騒がしている武蔵野バラバラ連続殺人事件の謎を追っていたのだが.......。
衝撃のデビュー作からわずか4カ月後に発売された百鬼夜行シリーズの第2弾。まず、驚かされるのが本の厚さです。前作もかなり長大な作品でしたが、本作はそんなレベルを遥かに超え、読んでいると手が痺れてくるほどです。そして、物語自体もその長さに負けないほどにさまざまな要素がギュウギュウに詰め込まれています。謎解きミステリー、サイコホラー、SF、キャラクター小説といった具合に、多様なジャンルが絡まり合って唯一無二の物語世界を構築しているのです。特に、終盤の怒涛の展開は従来の新本格では太刀打ちできないほどの濃密さがあります。相当にグロテスクな話なので好き嫌いは別れると思いますが、ハマると夢中になってしまう要素に満ちています。一方で、純粋に本格ミステリとしての要素だけ取り出してみると、トリックもフーダニットも案外単純で、そこに物足りなさを感じる人もいるかもしれません。しかし、本作を本格ミステリとしてだけ語るのはそもそも無理がある話で、ミステリーの枠を超えたエンタメ小説の大傑作として評価するのが妥当なところでしょう。
1996年度このミステリーがすごい!国内部門4位
第49回日本推理作家協会賞受賞作品



過ぎ行く風はみどり色(倉知淳)
方城兵馬は不動産業者として財を成し、現在では隠居生活を送っている。妻はすでに亡く、兵馬は生前彼女を邪険に扱っていたことを深く悔いていた。できれば謝罪をしたいと願っていたところに、長男の直嗣が霊媒師を連れてくる。霊媒師の名は穴山慈雲斎といい、霊能力を使って兵馬の妻を呼び出すというのだ。さっそく降霊会が開かれるものの、慈雲斎の霊能力はインチキだと主張する超常現象の研究者が現れ、方城家は騒然となる。しかも、騒動のさなか、離れにいた兵馬が密室で殺されてしまう。慈雲斎は悪霊の仕業だと主張し、今度は調伏のための降霊会が開かれることになった。しかし、その席上で第二の殺人が起き.......。
短篇がメインの猫丸先輩シリーズの中で唯一の長編小説です。しかも、どちらかといえば日常の謎を扱うことが多い本シリーズにおいては珍しく、連続不可能犯罪という、いかにも新本格といった題材に挑戦しています。しかし、作品のクオリティは長編になってもいささかも落ちることはありません。むしろ、シリーズ最高傑作に推す声もあるほどです。なんといっても幾重にも仕掛けられた騙しのテクニックが秀逸です。読者にミスリードを誘うための多層構造は長編ならではの仕掛けだといえるでしょう。また、このシリーズの特徴であるユーモラスな筆致も健在です。トリックに関しては多少苦しい点があるのは否めませんが、そうした瑕疵は読んでいる間はさほど気になりません。それほどまでに魅力に満ちた傑作なのです。

七回死んだ男(西澤保彦)
高校生の大庭久太郎は同じ日を九回繰り返すという特殊能力を持っている。ただし、その能力がいつ発動するかは本人にも分からない。そんな彼が正月に祖父の家にいく。財産分与の話を明日に控え、親戚一同は殺気立っていた。それでも、その日は何事もなく終わったのだが、ここで能力が発動して久太郎は1日前にタイムスリップをする。ところが、2回目のリピートで祖父が殺されてしまったのだ。久太郎はなんとか祖父を助けようと、リピートするたびに殺人を阻止しようとする。だが、何をやっても祖父は殺されてしまう。一体、これはどうしたわけなのだろうか?
国内において最初にブレイクしたSFミステリーといえばおそらく『生ける屍の死』ということになるはずです。しかし、それがジャンルとして定着したのは西澤保彦の存在があったればこそでしょう。彼は鮎川哲也賞に3回連続落ちていますが、島田荘司に送った原稿が講談社から発売されて1995年の1月にデビューを果たしています。同年6月にはデビュー第2作を発表し、そして、10月にすでにこの傑作をものにしているのです。恐るべき急成長ぶりです。ちなみに、本作の素晴らしさは特殊設定が謎解きと緊密に結びついている点にあります。SFミステリーといっても、SFは雰囲気作りにすぎず、ミステリーの部分と遊離している作品も少なくありません。それに対して、本作はSF設定を十分に理解したうえで仮説を組み立てなければ謎が解けないようになっているのです。そして、真相が明らかになったときには緻密に組み立てられたプロットに思わず唸らされることになります。また、文章もコミカルで読みやすく、リーダビリティが極めて高い作品です。古今東西のSFミステリーの中でもトップクラスの傑作だといえるでしょう。



1996年

鉄鼠の檻(京極夏彦)
中禅寺敦子とカメラマンの鳥口守彦は取材で箱根山中にある明彗寺を訪れていた。一方、商談で敦子たちと同じ旅館に滞在していた骨董商の今川は、『姑獲鳥の夏』の事件以来、東京を離れていた久遠寺親子に出くわす。そんな中、その旅館で忽然と僧侶の死体が現れる。周囲に足跡はなく、状況はあまりにも不可解だった。さらに、他の僧侶たちも次々と殺されていく。やがて、榎木津や京極堂たちが箱根に集結し、事件解明に乗り出すが........。
この年から本格ミステリだけを対象にした年間ランキング企画・本格ミステリベスト10の刊行が始まりますが、本作はその記念すべき第1回の1位作品です。実際、この作品には読者が大いに楽しめるさまざまな要素が詰め込まれています。歴代のキャラが集結するストーリーはファンにとってはうれしいところですし、恒例の蘊蓄もシリーズ屈指の面白さです。禅についての実に興味深い話を堪能することができます。舞台も魅力的で、謎また謎の展開にも強く惹かれるものがあります。その一方で、ミステリーとしてはヒネリや意外性に著しく欠け、謎解きを期待した人は大いに肩すかしを喰らうことになるでしょう。小説としてのクオリティは間違いなく高いだけに、何に期待するかによって評価が変わってくる作品だといえます。
1997年度このミステリーがすごい!国内部門7位
1997年度本格ミステリベスト10国内部門1位


名探偵の掟(東野圭吾)
雪深い奈落村で殺人事件が起きる。男は斧で頭を割られており、しかも、現場は完全な密室だった。捜査を指揮する大河原警部は名探偵である天下一にその事実を告げるが、彼は「ああ、またか」とうんざりした顔をしてみせる。
本作はこのミステリーがすごい!97年版で3位と、東野圭吾の作品としては初めてベスト10入りを果たし、本自体もスマッシュヒットを記録しています。1985年のデビュー以来、良作を連発しながらもヒット作に恵まれなかった著者がミステリーファンに注目されるきっかけとなった作品であり、その後の大ブレイクを予感させる出世作です。全体的に新本格ブームを皮肉ったような内容になっており、そこにはミステリー業界に対する恨み節と本格ミステリへの愛着といったアンビバレントな心情を読み取ることができます。同時に、ミステリーファンが今までツッコミたかったポイントを片っ端から代弁してくれるため、ミステリーに詳しい人ほどニヤリとできる内容になっています。一方で、ミステリー初心者が読むと、何が面白いのか分からないといったことにもなりかねません。また、同じパターンが12回続くので最後の方は食傷気味になるのが難点です。それでも、本格ミステリが好きな人にとっては大いに楽しめる作品であることは間違いなく、ミステリーのパロディ作品としては屈指の傑作だといえます。
1997年度このミステリーがすごい!国内部門3位
1997年度本格ミステリベスト10国内部門6位
名探偵の掟 (講談社文庫)
東野 圭吾
講談社
1999-07-15


すべてがFになる(森博嗣)
国立N大学犀川研究室の一行は、旅行で真賀田研究所のある愛知県の真加島を訪れる。また、研究室のメンバーではないものの、犀川創平の恩師の娘である西之園萌絵も旅行に参加していた。真賀田研究所には優秀なスタッフが揃っており、真賀田四季博士の元で精力的に研究を続けている。真賀田博士は当代きっての天才と名高い人物だが、ある殺人事件の犯人としても有名であり、研究室の一角に幽閉されている身でもあった。ところが、犀川たちが島を訪れてからまもなく、誰も接触することができないはずの彼女が手足を切断されて殺される。しかも、研究室のシステムが暴走を始め、ヘリや無線も破壊されたために島からの脱出はおろか、外部への連絡もできなくなってしまう。犀川たちはなんとか事件解決の糸口を見つけようとするが.....。
この年より編集者自らが審査員を務めるメフィスト賞の募集が始まります。それまで公募新人賞といえば、審査員は有名作家が努めるものと相場が決まっていただけに、当時としては非常にユニークな試みでした。本格ミステリの新人発掘を目的とした公募新人賞としてはすでに鮎川哲也賞が存在していましたが、メフィスト賞はもう一つの柱としてその存在感を示すことになります。もっとも、メフィスト賞自体はエンタメ全般を対象とした賞であり、本格ミステリに特化したものではありません。しかし、当時、新本格の総本山だった講談社ノベルスが主催した賞だけあって、本格ミステリの要素が詰まった作品が集中することになります。ただし、従来の価値基準では測れない京極夏彦の登場が賞を設立するきっかけとなっただけあって、この賞からは古典回帰志向が強い新本格とは一線を画した作品が輩出されることになります。いわゆる新新本格の傑作を数多く生み出した賞なのです。第1回受賞作である本作はその代表的存在だといえます。ストーリーは孤島に集められた登場人物たちが殺人事件に巻き込まれるという、いかにもオーソドックスなクローズドサークルものです。一方で、作中に仕掛けられた大胆すぎるトリックには驚かされます。実際には実現不可能な方法ですが、独自の世界観を構築することで読者に違和感を与えないことに成功しています。ただ、天才という概念を安易に使うなど中二的な部分があり、キャラもどこかラノベ的なのは好き嫌いの分かれるところです。いずれにせよ、この作品以降、新新本格と呼ばれる作品群が高い注目を集めることになり、メフィスト賞からも清流院流水、舞城王太郎、西尾維新などといった個性的な作家が次々とデビューすることになります。もっとも、これらの作家は次第に本格ミステリから離れていくケースが多く、新本格と違って確固としたジャンルを確立するにはいたりませんでした。その代わり、新新本格ならではの作風は新たにデビューした新本格作家にも引き継がれており、古典的本格ミステリのエッセンスにラノベ風の世界観やキャラクターをブレンドしたものが現代における本格ミステリのトレンドとなっています。
1997年度本格ミステリベスト10国内部門4位


人格転移の殺人(西澤保彦)
カリフォルニア州の小さなハンバーガーショップで食事をとっていた苫江利夫は、数十年ぶりという大地震に巻き込まれてしまう。なんとか一命は取り留めたものの、出口は塞がれ脱出は不可能になっていた。今にも天井が崩落しそうな危機的状況の中で
苫江利夫は他の客と共にドアの向こうにある地下室に逃げ込む。だが、そこは人格転移装置の秘密実験場であり、気がつくと彼らの人格は別の体に乗り移っていた。しかも、不定期に人格と肉体がシャッフルされるというやっかいなものだ。そんな状況の中で起きる連続殺人事件。果たして犯人は何のために肉体と人格がバラバラの相手を殺害していっているのだろうか?
『七回死んだ男』に続くSFミステリーですが、こちらも非常によくできています。特に、SF設定を活かしきったミステリーとしての仕掛けが見事です。めまぐるしい展開から伏線を回収して一気に解決へと至るプロセスには名人芸といえるうまさがあります。プロットは複雑で結構ややこしいのですが、文章が平易でサクサク読めるのが好印象です。何より、『七回死んだ男』と本作が連続して成功したことでSFミステリーというジャンルが広く世に知られることになった点に大きな意義があります。今でこそ本格ミステリとSFの融合は一種の定番となりつつありますが、当時はその存在自体がまだまだ珍しかったのです。
1997年度このミステリーがすごい!国内部門10位
1997年度本格ミステリベスト10国内部門8位
人格転移の殺人 (講談社文庫)
西澤 保彦
講談社
2000-02-15


星降り山荘の殺人(倉知淳)
ワンマン経営の広告代理店に勤めていた杉下和夫は上司と揉めて芸能部に左遷されてしまう。そこでの初めての仕事はタレント文化人であるスターウォッチャー・星園詩郎のマネージャーだった。最初はキザで薄っぺらい印象の彼を毛嫌いしていた和夫だったが、卓越した洞察力と秘めたる思いを知って次第に心を許していく。
星園詩郎は雪山の山荘に招待されていたため、和夫も同行することになる。山荘には他にも数人の招待客がいた。人気作家にUFO研究家、女子大生の2人組などだ。彼らを招いた不動産会社の社長はこの寂れた山荘に客を呼び込むための企画を考えてほしいという。ところが、その夜、社長の部下が何者かに殺害される。折しも外は猛吹雪で外界からの助けは望めない状況だ。星園詩郎と和夫は独自に犯人探しを開始するが......。
外界から隔絶した舞台で殺人が起きるクローズドサークルものは新本格ブーム以降、一気にその数を増やしていきます。本作もそんな作品の一つです。ただし、多くの人が期待するようなサスペンス感は皆無で、物語のテンポもゆったりとしています。トリックなども非常に地味です。したがって、クローズドサークルならではの怒涛の展開を期待していると肩すかしをくらうでしょう。その代わり、オーソドックスなフーダニットとして高い完成度を誇っています。ロジックも良く練られており、ミステリーサークルを巡る考察が特に秀逸です。一方で、ミスディレクションが結構あからさまなため、ミステリーを読み慣れた読者なら簡単に犯人の目星がつくという弱点があります。ケレン味よりも堅実な謎解きミステリーを楽しみたいという人におすすめの作品です。
1997年度このミステリーがすごい!国内部門12位
1997年度本格ミステリベスト10国内部門3位


絡新婦の理(京極夏彦)
刑事の木場修太郎は世間を騒がせている目潰し魔の謎を追っていた。映画会社の社長である川島新造が何かを知っているのではないかと踏んで話を聞きに行くが、彼は「蜘蛛に訊け」という謎の言葉を残して行方をくらませてしまう。一方、聖ベルナール女学院の生徒である呉美由紀と渡辺小夜子は望めば人殺しさえしてくれるという”蜘蛛”の噂を追っていた......。果たして目潰し魔とは誰なのか?そして、裏で糸を引いている蜘蛛の正体とは?
美しささえ感じさせる冒頭から、絡み合う糸のように交錯した事件が一点へと収束していくラストまで、隙のない構成が見事です。かなり長い物語ですが、全く無駄のない展開には感嘆すら覚えます。ある意味、京極ミステリーの完成形ともいえる作品です。その一方で、犯人は結構分かりやすいという弱点があります。これを読むと京極ミステリーの本質は謎解きの面白さにあるわけではないことが良く分かります。ミステリーというよりも小説としての超絶技巧が光る傑作です。
1998年度このミステリーがすごい!国内部門4位
1997年度本格ミステリベスト10国内部門2位


あとがき
80年代末~90年代初頭にかけて一大ブームを巻き起こした新本格ですが、発表された作品群はすんなりと当時のミステリー界に受け入れられたわけではありません。評論家を中心にひどいバッシングが巻き起こったのです。しかも、そのバッシングは決して新しい才能に嫉妬してとか、老害が新しい価値観を受け入れられなかったからというものではありませんでした。確かに、そういった面も少しはあったかもしれませんが、より本質的には新本格作家が発表する作品が小説として純粋に下手だったのが主な要因です。そもそも、本来であればまだまだ修業時代であるはずの作家の卵たちを強引にデビューさせたのだから無理もありません。そういう意味では評論家たちのバッシングは至極当然だったのです。そして、このような場合、一過性のブームが過ぎればほとんどの作家は実力不足で消えていくというのがよくあるパターンです。しかし、そうはなりませんでした。未熟だと言われた作家は数年の内にみるみる成長し、初期メンバーのほとんどが脱落することなく、活躍を続けていったのです。逆に、まだまだ実力不足だという理由で彼らのデビューを先送りにしていれば、その多くは作家になることなく終わっていたかもしれません。これに関しては仕掛け人となった島田荘司と鮎川哲也の両氏の慧眼おそるべしといったところです。結局、ブームが過ぎたあとも新本格は国内ミステリーの重要ジャンルとしてしっかりと根付き、日本は世界でも類をみない本格ミステリ大国となっていったのです。

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