最新更新日2020/12/30☆☆☆

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本格ミステリの要素が強い作品はタイトル(作者)の右側に本格と記しています
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2021本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2020-12-05


文学少女対数学少女(陸秋槎)本格
校内誌の編集長に就任した女子高生の陸秋槎は誌面を盛り上げるには読者参加型の企画が必要だと感じ、自らが書いた推理小説の前半部分を犯人当てクイズの問題編として掲載する。そして、この謎が解けるかを読者に向けて挑戦したところ、寄せられた投書の大半は的外れなものばかりだったが、一人だけ完璧な推理を提示してきた生徒がいた。その一人とは数学の天才として学内でも有名な韓才蘆である。しかし、問題は彼女の推理が秋槎の考えていた真相とは全く異なるものであるという点だ。つまり、秋槎の小説は複数の解釈を許すものであり、問題編としては不完全な代物だったのだ。そのことにショックを受けた秋槎は才蘆に自分の書いたミステリー小説を検証するアドバイザーになってもらうよう頼みにいく。才蘆は他人との距離感が掴めないコミュ症でかなりの変わり者だったが、なんとか頼みを引き受けてもらうことに成功する。ただし、その条件としてなぜか秋槎は才蘆の前で下着姿になる羽目になり........。
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4つの短編からなる本作は、作者自身があとがきで「これは『貴族探偵対女探偵』のオマージュ」と語っている通り、麻耶雄嵩の強い影響下にあります。後期クイーン問題を取り上げ、推理小説におけるロジックの脆弱性に言及している点などは麻耶作品そのものといってもよいほどです。したがって、日本の新本格が好きな人にとっては興味深く読むことができるのではないでしょうか。一方、本作ならではのオリジナリティとしてはミステリーの謎解きに連続体仮説やグランディ級数といった数学理論を持ち込んでいる点にあります。なかでも、読者がミステリーを読む際に前提して無意識に考えていることを数学の公理に置き換えていくくだりが印象的です。それに加え、おなじみの百合要素が散りばめられているのもこの著者ならではの特徴だといえるでしょう。特に、本作の場合は下品になる一歩手前の絶妙なバランスで描いているところが秀逸です。ただ、最終結論が投げっぱなしだったり、現実の事件に遭遇した場合はロジックが通用しなかったりといった展開に関しては、中途半端ととるか、既存のミステリーに対するカウンターととるかで賛否が分かれるかもしれません。いずれにしても、挑戦的なそのスタイルは大いに評価したいところです。


地の告発(アン・クリーヴス)本格
ペレス警部は過去の事件で重要な役割を果たし、旧知の間柄でもあるマグナス老人の葬儀に参列する。ところが、葬儀の最中に大規模な地滑りが発生し、墓地と周辺の農地が大量の土砂に呑みこまれてしまう。しかも、周辺の被害状況を確認していたところ、土砂の直撃した農家の家から赤いドレスの女の死体が出てきたのだ。女は土砂の下敷きになって亡くなったわけではない。その首には明らかな絞殺痕が残されていた。すぐさま捜査が始まるが、犯人を特定するには最初に突き止めなければならないことがあった。そもそもこの女は何者なのか?
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イギリス最北端に位置するシェトランド諸島を舞台にしたペレスシリーズの第7弾。島で暮らす人々の人間模様の描写と端正な謎解きを高いレベルで両立している点が持ち味のシリーズですが、本作でもその魅力は健在です。美しい島の自然を背景としてさまざまな人間模様が巧みに描かれ、それぞれのドラマと謎の解明が一体となって進行していく展開に思わず引き込まれていきます。特に、被害者である女性の正体を巡って二転三転する前半のくだりは非常にスリリングです。中盤はやや中弛みを感じないではありませんが、後半になるとペレスとウィローの恋模様などを絡ませながら物語を盛り上げてくれます。最後に意外な犯人が明らかになり、本格ミステリとしてもなかなかの完成度を誇っています。相変わらず安定感のある面白さを提供してくれるシリーズですが、ついに次巻で完結とのことで、果たしてどのような結末を迎えるのかが今から非常に気になるところです。
地の告発 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2020-11-30


素晴らしき世界(マイクル・コナリー)
ハリウッド分署で深夜勤務を担当している女刑事レネイ・バラードは殺人事件の現場検証を終えて署に戻ってきたところ、見知らぬ初老の男が過去の事件ファイルを漁っているのを目にする。それは元ロス市警刑事のハリー・ボッシュだった。15歳の家出少女が殺害された9年前の事件を個人的に調べているのだという。レネイはボッシュを追いだすが、次第にその事件に興味を持ち始める。そして、ボッシュに協力を申し込み、お互いの仕事の空き時間を利用して過去の資料を2人で精査するようになるのだが.......。
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本作はハリー・ボッシュシリーズ第20弾『汚名』の続編であると同時に、『レイトショー』に続く女刑事レネイ・バラードシリーズの第2弾でもある作品です。主人公2人が力を合わせて真相を追っていくという展開はやはりワクワクするものがあります。ボッシュが第三者の視点から描かれているのが新鮮ですし、面識のなかった2人が捜査協力をしていくうちにどんどん信頼関係が強まっていくのもムネアツです。ただ、主人公2人が別々に捜査をするために少々散漫な印象を受け、また、それぞれが別の事件も複数受け持っているのでストーリー的に冗長な感は否めません。それでも最後はしっかり盛り上げてくれますし、冗長だと思える部分もファンであれば、シリーズものならではの味わいとして楽しむことができるのではないでしょうか。コナリーの熟練の味を堪能できる安定の佳品です。
素晴らしき世界(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2020-11-13


猿の罰(J・D・バーカー)
前代未聞の殺人鬼”四猿”を追うベテラン刑事のサム・ポーター。だが、彼には過去の記憶が一部欠落しているという問題があるうえに、かつて四猿と知り合いだったことを匂わせる写真まで発見される。捜査本部は騒然となり、ポーターは訳もわからないままに拘留されてしまう。一方、そんな混乱をよそに、四猿は着実に凶行を重ねていた。「父よ、お許しください」という句が添えられた”祈りの死体”が各地で次々と発見される。四猿による最後の審判がいま始まろうとしていた.......。
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四猿シリーズ3部作の完結編です。ノンストップノベルとして怒涛の展開が続いていたこのシリーズですが、ここにきてさらにギアが一段上がります。罠また罠の展開で状況が二転三転していきますし、主人公だったサム・ポーターまでもが信頼できない語り手だと判明したために、一体誰が味方で誰が敵なのかも判然としない状況が続きます。とにかく衝撃展開の連続です。これぞ極上のサスペンスミステリーといえるのではないでしょうか。ただ、あまりにも風呂敷を広げ過ぎたために畳み切れなかった部分があるのが少々残念です。それから、シリーズを通しての登場人物が多すぎるので1冊ごとに間を空けて読むと誰が誰だかわからなくなるおそれがあります。したがって、まだ未読の人は1~3巻までを一気に読んでしまうことをおすすめします。
猿の罰 〈四猿〉シリーズ (ハーパーBOOKS)
J・D バーカー
ハーパーコリンズ・ジャパン
2020-10-16


ガン・ストリート・ガール(エイドリアン・マッキンティ)
高級住宅地で富豪の夫婦が殺害されるという事件が起きる。当初は家族間の争いによる単純な事件だと考えられ、犯人と目されたのは被害者夫婦の息子だった。やがて、その息子も崖の下から死体となって発見される。状況は犯行を苦にしての自殺を示唆しており、実際、遺書も残されていた。だが、彼の過去を調べたショーン・ダフィ警部補はそこに引っ掛かるものを覚え、駆け出し刑事の部下と共に事件の謎を追う。だが、事件の関係者がまたしても自殺と思しき状況で死を遂げ........。
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80年代の北アイルランドを舞台にしたシリーズ第4弾です。内戦と大不況の続く当時の北アイルランドの世相が克明に描かれ、作中の事件も史実と絡めて展開していくので興味深く読むことができます。また、今回のダフィは一匹狼ではなく、チームの一員として動いており、そのことによってキャラとしての深みがより一層増しています。さらに、新人刑事をはじめとする脇を固める登場人物もみな魅力的で、これぞ警察小説といった面白さです。一方、ミステリーとしての完成度も高く、謎がどんどん広がっていき、意外な結末へと至る展開が実に良くできています。シリーズ最高傑作といっても過言ではない出来映えです。しかも、次作にはエドガー賞受賞作である『レイン・ドックス』が控えており、シリーズに対する期待はますます膨らむばかりです。


網内人(陳浩基)
2015年の香港。両親を早くに亡くしたアイは、唯一の肉親である妹のシウマンを飛び降り自殺によって失ってしまう。自殺の原因はSNSの書き込みにあった。アイは自殺する前年に痴漢被害に遭っており、目撃者の通報によって文房具屋の店主が逮捕される。これで一見落着と思われたが、翌年の4月にインターネットのとある掲示板で叔父をハメたクソ女としてアイが告発されたのだ。自殺はその人物に扇動されたネット民に追い詰められた結果だった。納得のいかないアイは知人からハイテク探偵と呼ばれるアニエを紹介してもう。彼女は妹を死に追いやった人物を突き止めてもらおうとするが、アニエはなかなか仕事を引き受けようとしない。彼は依頼者を値踏みし、その人格を丸裸にしたうえで依頼を引き受けるか否かを決めていたのだ。しかも、アニエには探偵の他に、復讐請負人というもう一つの顔があり......。
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ネットの闇を描いたサスペンスミステリーである本作は、妹を死に追いやった張本人をつきとめる前半のフーダニットと、後半の復讐譚の2部構成になっています。このうち特に面白いのが前半部の犯人探しです。ハイテク探偵のアニエが魅力的で、ネットの仕組みを逆手に取りつつ、真相に迫っていくプロセスは非常に興味深いものがあります。その名探偵ぶりは上質な本格ミステリを読んでいるかのようです。それに対して、後半になるとサイドストーリーとしてIT業界の物語が絡み、それ自体はなかなか面白くはあるものの、ストーリーの焦点がぼやけて散漫な印象を受けてしまいます。ところが、そこにも巧妙な仕掛けが施されており、終盤のどんでん返しには思わず唸らされます。本作は良質なサスペンスミステリーであると同時に、日本の新本格に通じる謎解きの面白さを併せ持ち、さらに、ネット社会における現代人の善と悪の問題を鋭く問うた社会派ミステリーとしても秀逸です。ボリュームたっぷりの物語の中にさまざまな魅力を詰め込んだ陳浩基の新たなる傑作です。
網内人 (文春e-book)
陳 浩基
文藝春秋
2020-09-28


その裁きは死(アンソニー・ホロヴィッツ)本格
実直さが取り柄の離婚専門の弁護士・プライスがワインのボトルで頭を殴られたうえで、その破片で喉を掻き切られて自宅で殺害される。それは作家のアキラ・アノンが離婚裁判に敗れた腹いせに夫側の弁護士であるプライスに向かって口走った脅し文句とそっくりの方法だった。しかも、現場の壁にはペンキで”182”という謎の文字が殴り書きされていたのだ。警察は当然のことながらアキラに疑惑の目を向けるが、元刑事の私立探偵ホーソーン及び彼の活躍を本にして出す契約を結んでいるアンソニー・ホロヴィッツが事件解明に乗り出すと、まもなく意外な事実が判明する。プライスにはリチャードスンとテイラーという大学時代の友人がおり、よく一緒に洞窟探検をしていた。しかし、6年前の探検中にリチャードスンが事故で命を落とし、テイラーもプライスに続いて地下鉄の駅で列車に轢かれて亡くなっていたのだ。果たして一連の事件の関連性は?
◆◆◆◆◆◆
『メインテーマは殺人』に続くホーソーンシリーズの第2弾です。相変わらず、クラシックミステリーのオマージュやメタ発言などを挟みながら王道的フーダニットミステリーに仕上げてています。単純だと思われた事件の謎がどんどん膨れ上がっていくさまにはワクワクしますし、散りばめられた伏線を回収しての解決も見事です。驚くべきトリックなどはありませんが非常に丁寧に作られた豊潤な香りがする本格ミステリの傑作だといえるでしょう。それに、海外作品の割にテンポよくサクサク読めるのも美点です。ただ、これは、嫌な人物を描かせたら一流という著者の長所ではあるのですが、警官や女刑事などの態度の悪さには読んでいてイライラするかもしれませんし、そのために物語がやや冗長になっている気もします。ミステリファンなら間違いなく楽しめる1冊なのですが、その点だけは賛否の分かれるところです。
その裁きは死 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2020-09-10


ストーンサークルの殺人(M・W・クレイヴン)
英国カンブリア州のストーンサークルで次々と高齢者の焼死体が発見される。死体は無残に損壊されており、猟奇殺人であることは明らかだった。しかも、3番目の被害者の遺体には、不祥事を起こして現在休職中のNCA(国家犯罪対策庁)の刑事、ワシントン・ポーの名前と5の数字が刻まれていたのだ。全く心当たりのないポーだったが、上司の判断によって彼は停職を解かれ、捜査班と合流する。そして、かつての部下であるフリン警部、天才分析官のティリー、幼馴染の地元刑事のキリアンらと捜査に当たるが、新たな犠牲者が発見され.......。
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過激な猟奇描写を除けば本作は伝統的な英国ミステリーであり、特に序盤はよくいえば王道、悪くいえばテンプレ的な展開が続きます。主人公のポーも現代ミステリーではよく見かける典型的なはみ出し刑事で、個性不足は否めません。それに加え、発端となる事件が派手な割に、その後は地道な捜査の繰り返しです。一つ間違えば酷く退屈な作品になってしまうところですが、主人公とコンビを組む分析官のティリー・ブラットショーのキャラクターがそれを救っています。彼女は分析官として天才的な頭脳を有しているものの、それ以外のことに関しては全くのポンコツです。そのティリーとポーの凸凹コンビのやり取りが微笑ましく、物語に潤いを与えてくれます。そして、捜査の進展とともに友情が育まれていくプロセスは上質なバディものとして読み応えありです。また、長年の友である主人公とキリアンとの熱い友情シーンは読む者の胸を打ちます。一方、ミステリーとしては伏線の張り方が巧妙であり、それをきちんと手繰り寄せていけばミッシングリンクを始めとしたさまざまな謎がきちんと解けるようになっているのが秀逸です。ただ、それだけに勘の良い人は途中で真相に気付いてしまうかもしれません。それでも、丹念に証拠集めをしていくポーと天才型のティリーが協力し合って真相に迫っていくプロットは大いにそそられます。今後予定されているという続編も楽しみな佳品です。
2019年CWAゴールドダガー賞受賞


指差す標識の事例(イーアン・ペアーズ)
17世紀の半ば。オリバー・クロムウェルは王制を廃して独裁政権を敷くも、国民からの支持を得られず、彼の死後まもなくチャーズル二世が王政復古を果たす。それから3年が過ぎた1663年。医学を学ぶために、ヴェネツィアからオックスフォード大学に入学したコーラは、そこで大学講師毒殺事件に遭遇する。死因は講師の酒に混入していた砒素だということで、貧しい雑役婦の怨恨による犯行だと目された。コーラはその雑役婦のサラと面識があったため、逮捕された彼女をなんとか助けようと奔走するが......。
◆◆◆◆◆◆
本作は医者の卵のコーラを始めとして、父の汚名を晴らすために脱獄したジャック、オックスフォード大学の幾何学教授のジョン、歴史学者のアントニーという4人の手記から構成されている点に特徴があります。しかも、それぞれがいわゆる信用できない語り手であり、語り手がチェンジするたびに事件の様相ががらりと変わっていくところにミステリーとしての面白味があります。4人はそれぞれ淡々と客観的事実を述べているだけのようにみえますが、皆その時代に生きている故の偏見から逃れられておらず、それが現代人である読者のめくらましとして作用している点が見事です。しかも、事件の犯人だけではなく、語り手の一人である人物の意外な正体を最後に明らかにし、歴史的陰謀に結び付けていくプロットが秀逸です。謎解きの面白さと歴史ミステリーならではのスリリングさを味わえる希有な傑作だといえます。ただ、歴史ミステリーとしての完成度の高さは折り紙つきであるものの、それ故に、歴史描写の密度が濃いすぎてこの時代に詳しくない人は少々苦労するかもしれません。それになんといっても、4人の名だたる翻訳家を揃えてパートごとに訳してもらったという大作です。読み終えるのにはいささか骨が折れるかもしれませんが、歴史ミステリーが好きだという人なら、チャレンジするだけの価値は大いにあります。
指差す標識の事例 上 (創元推理文庫)
イーアン・ペアーズ
東京創元社
2020-08-31


三分間の空隙(アンデシュ・ルースルンド)
ピート・ホフマンはアメリカ麻薬取締局(DEA)に雇われ、世界一命の安い国と言われるコロンビアで麻薬犯罪ゲリラのPRCに潜入していた。大物幹部であるエル・メスティーソの用心棒として組織内部まで潜り込むことに成功したホフマンだったが、そのことを知るのはDEAの長官とDEAに彼を売り込んだストックホルム市警のウィルソンだけだ。そんな折、米国下院議長のクラウズは特殊部隊を率いてPRCの麻薬取引現場を急襲するも、逆に罠にはめられ、囚われの身となってしまう。大物議員が拉致されたことを知り、ホワイトハウスは色めき立った。早期解決が求められるなか、ホフマンはアメリカ合衆国に切り捨てられる。彼も敵として殺害リストに加えられたのだ。かくしてホフマンの命運は、ストックホルム市警のグレーンス警部に託されることになるが......。
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グレーンス警部シリーズの第7弾であると同時に、『三秒間の死角』に続くホフマン&グレーンスシリーズの第2弾です。前作はスウェーデン推理作家協会賞やCWAインターナショナルダガー賞などを受賞し、ハリウッドでも映画化された名作でしたが、本作はさらにスケールアップして読み応え満点の仕上がりとなっています。繰り広げられるバイオレンスに心を鷲掴みにされ、怒涛のアクションシーンに引き込まれていきます。それになんといっても、ホフマンの危機に立ちあがるグレーンス警部のかっこよさが最高です。長大な物語なのにそれを全く感じさせず、一気に読むことができます。臨場感や緊迫感では『三秒間の死角』に軍配が上がるものの、娯楽性の高さでは本作のほうが上ではないでしょうか。


葬られた勲章(リー・チャイルド)
元陸軍憲兵隊捜査官で今は流れ者のジャック・リーチャーはニューヨークの地下鉄で一人の女性に気付き、彼女から目が離せなくなってしまう。なぜなら、その女性は自爆テロを企てる者の特徴をすべて備えていたからだ。ジャックは惨劇を食い止めようとして彼女に話しかけるが、次の瞬間、その女性は所持していたマグナムで自殺を遂げる。彼女は国防総省に勤める民間の事務員だった。事情聴取を終えたジャックは女の死に責任を感じ、彼女の弟と共に真相を探っていく。すると、副大統領候補への指名を噂されている元陸軍少佐のサムソン下院議員の存在が浮かび上がり.....。
◆◆◆◆◆◆
本国アメリカでは20作以上の作品が発表され、100近い国で翻訳されている人気シリーズの第13弾です(日本ではランダムに翻訳されており、本作以降の作品も何作かは既に刊行済みです)。このシリーズの魅力といえばなんといっても派手なアクションシーンですが、それを期待して読むと前巻に関しては少々期待外れに感じるかもしれません。なぜなら、自殺した女性の謎を追う展開が続き、アクション小説というよりはどちらかといえば、サスペンスミステリーのような趣だからです。出だしの緊張感溢れるシーンには引き込まれますし、捜査パートもそれなりに面白くはあるものの、いつものジャック・リーチャーシリーズを期待していると物足りなさを覚えてしまいます。ところが、下巻に入ると様相が一変します。話のスケールが一気に大きくなり、アクションに次ぐアクションで息つく暇もなくなるほどです。残虐なシーンにぞっとしながらも、ヒーロー然としたジャック・リーチャーの活躍に胸が躍ります。まさに極上のエンタメ小説です。ただ、主人公があまりにもスーパーマンなのでリアリティに欠ける点については好みのわかれるところでしょう(もっとも、それはシリーズ全体にいえることであり、今回に限った話ではありませんが)。一方、本作はミステリーとしても優れており、推理パートの面白さと事件の全容の意外さには感心させられます。全体の完成度は極めて高く、シリーズの中でも1、2を争う傑作です。
葬られた勲章(上) (講談社文庫)
リー・チャイルド
講談社
2020-08-12


汚名(マイクル・コナリー)
サンフェルナンド市警の嘱託刑事として未解決事件を手がけているハリー・ボッシュのもとをかつてのパートナーでロス市警本部強盗殺人課未解決事件班刑事のルシア・ソトがロス検事局のアレックス・ケネディ検事補とともに訪ねてくる。彼らの話によると、ボッシュが30年ほど前に連続殺人犯として逮捕し、現在も服役中の死刑囚プレストン・ボーダーズの再審請求が認められそうだという。それというのも、改めて証拠を検証し、被害者の一人の衣服に付着していた精液をDNA鑑定にかけたところ、すでに死亡している他の死刑囚のものだと判明したからだ。ボーダーズの弁護士は証拠物件の保管状況に問題がなかったことからボッシュが偽の証拠をでっちあげて不当逮捕をしたと主張しているらしい。しかも、喧嘩別れした経緯からロス市警の心証は最悪で、ボッシュに罪をかぶせる気満々だった。ボッシュはリンカーン弁護士ことミッキー・ハラーに相談し、彼の師匠であるリーガル・シーゲルの知恵を借りることになる。一方、サンフェルナンド市警の管轄では薬局を経営する親子が銃殺されるという事件が起きていた。人手が足りず、ボッシュも捜査に狩り出されることになるのだが........。
◆◆◆◆◆◆
2017年に発表されたシリーズ第20弾です。1992年の第1弾から四半世紀が過ぎ、働き盛りだったボッシュもすでに60代半ばに達しています。本作はそんなシリーズの歴史を感じさせる一編です。元パートナーだったルシア・ソトを始めとして懐かしの面々が次々と登場し、新たなドラマを展開していくさまにはグッとくるものがあり、一方で、ボッシュが初めて潜入捜査に挑むなど、ここにきて新たな魅力を付加することにも成功しています。不幸な身の上のエリザベスを救おうとするボッシュの行動はかっこよすぎですし、ミッキー・ハラーの法廷シーンも魅せてくれます。計3つの事件を解決に導いていくプロセスの中に、活劇あり、謎解きあり、リーガルサスペンスの要素ありと、多くの魅力を詰め込み、破綻なくまとめているのは見事としかいいようがありません。もやもやとした結末は賛否が分かれるかもしれませんが、それもまたこのシリーズの魅力だといえます。安定した面白さを提供してくれる佳品です。
汚名(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2020-08-12


死亡通知書 暗黒者(周浩暉)
公安局のベテラン刑事・鄭郝明が何者かに殺される。警察隊トップの韓灝が乗り出しての捜査の結果、鄭はとあるネットの書き込みに関する一件を追っており、それが原因で命を落としたという事実が浮かび上がってくる。そして、問題のネットの書き込みとは、エムメニデスと名乗る謎の人物のものだった。復讐の女神を意味するエムメニデスは法で裁かれない悪人の情報をネットで募り、彼らを自らの手によって制裁すると宣言していたのだ。省都警察は各地から精鋭たちを招集し、エムメニデス特別専従班を組織する。そのなかには18年前の警察学校時代にエムメニデスの名に絡んだ事件に巻き込まれ、人生の歯車を大きく狂わされた羅飛の姿もあった。一方、エムメニデスは大胆にもターゲットの名前と犯行日時を予告し、警察に対して挑戦状を叩きつける。万全の護衛態勢を敷く警察だったが、エムメニデスはその裏をかき、やすやすと犯行を成し遂げるのだった。果たしてエムメニデスVS特別専従班の勝負の行方は?
◆◆◆◆◆◆
中国の東野圭吾と呼ばれ、本国ではベストセラー作家の座を不動のものにしている周浩暉の初邦訳作品です。しかも、本作を含む死亡通知書三部作はドラマ化されて中国・台湾・韓国で大ヒットを記録し、2018年には英訳されたうえに英国サンデータイムスにて戦後ミステリーベスト100に選ばれるという快挙を達成しているのです。その第一弾である本作ですが、最初から最後までスリリングな展開が続き、ページをめくる手が止まらなくなるのはさすが大人気作品というだけのことはあります。リアリティという意味では結構ツッコミどころはあるものの、二転三転する展開や大胆なトリックには驚かされます。エンタメ要素に満ちた一気読み必至の傑作だといえるでしょう。ただ、話が派手な分、展開はやや大味な部分があり、その点は好みがわかれるかもしれません。いずれにしても、一刻も早い続編の発売が待たれるところです。


死んだレモン(フィン・ベル)
飲酒運転の末の自損事故によって車椅子での生活を余儀なくされたフィンは新しい生活を求めてニュージーランドの最南端に位置する町にやってくる。そして、人里離れたコテージに居を構えるのだが、その家は26年前に住んでいた少女が失踪したという曰くつきの物件だった。しかも、失踪から6週間後に隣家から彼女の骨の一部が発見され、そこに住んでいたゾイル三兄弟が逮捕されたのだが、結局証拠不十分で釈放されたという。フィンは好奇心からその事件を調べ始めるものの、数カ月後には思わぬ窮地に陥っていた。三兄弟に命を狙われた結果、海岸の絶壁で宙吊りになっていたのだ.....。
◆◆◆◆◆◆
原作にほれ込んだ翻訳家の持ち込み企画で出版が決まったというフィンランド発のサスペンスミステリーです。冒頭からいきなり絶体絶命のシーンで、一気に物語に引き込まれていきます。そこから過去と現代の話が交互に語られていき、謎を深めていきながら緊迫感を高めていく手法が見事です。そして、二転三転の展開が続き、驚きの結末へとなだれ込んでいくプロセスに思わず手に汗握ります。一方、事件の陰惨さに対して生き生きと描かれる登場人物たちの個性も作品の魅力を高めるよいスパイスとなっています。少々詰め込みすぎでしばしば話が横道に逸れるのが難だといえますが、主人公のキャラクター性に厚みを持たせるためには致し方ないところでしょう。冒頭の印象とは少々異なり、強烈なサスペンス性がウリというよりもどちらかといえば、閉塞状況にある主人公が自分の殻を破って成長する物語が主眼となっている印象を受けます。ニュージーランドの風土を交えて描かれたテンポの良いエンタメ作品です。
死んだレモン (創元推理文庫)
フィン・ベル
東京創元社
2020-07-30


壊れた世界の者たちよ(ドン・ウィンズロウ)
警察一家に生まれたジミーは麻薬取引を潰したことからメキシコ系マフィアの恨みを買い、報復として弟を無残に焼き殺されてしまう。復讐の鬼と化したジミーはニューオリンズ市警最強の麻薬班を率い、手段を選ばない私刑に乗り出すが......。
◆◆◆◆◆◆
中編小説ばかりを集めた、総ページ数700超という圧倒的なボリュームの作品集です。しかも、そのクオリティは文句のつけようがなく、一編一編がウィンズロウの魅力を凝縮したような出来に仕上がっています。まず、表題作の苛烈で容赦のない復讐劇に読者は固唾を飲むことになります。特に、クライマックスの壮絶な銃撃戦は読んでいてめまいを覚えるほどです。続く『犯罪心得一の一』は独自の美学を持つ宝石泥棒とそれを追う警官の物語を双方の視点から描いたものです。名優スティーヴ・マックイーンのオマージュ作品となっており、古典的なクライムムービーを思わせる名画の味わいを堪能することができます。また、収録作品の中でもいささか異彩を放っているのが『サンディエゴ動物園』です。チンパンジーがリボルバーを振り回しながら動物園を脱走するという珍妙過ぎる事件を始めとして全編が軽妙な笑いとロマンスに包まれており、読んでいるうちにハッピーな気分にさせてくれます。こういったタイプのウィンズロウ作品はちょっと珍しいのではないでしょうか。そして、泣ける私立探偵小説『サンセット』、ウィンズロウ作品ではおなじみの登場人物たちが勢ぞろいするサービス満点の快作『パラダイス』を経て掉尾飾るに相応しいのが『ラスト・ライド』です。メキシコの国境警備局隊員と不法入国者である少女のドラマを通してアメリカに対する著者の怒りと悲しみがひしひしと伝わり、ラスト一行で泣かされることになります。以上6篇、ウィンズロウという作家のあらゆる要素が最高の形で詰め込まれた宝石箱のような傑作です。
壊れた世界の者たちよ (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2020-07-17


時計仕掛けの歪んだ罠(アルネ・ダール)
ストックフォルムの高級住宅街に暮らす15歳の少女・エレンが何者かに誘拐される。サム・ベリエル警部は匿名の女性の通報に基づき、犯人の隠れ家と思われる家を捜索した。その結果、監禁の痕跡は発見されたものの、家の中はすでにもぬけの殻だった。ベリエルは調査を進め、過去にも15歳の少女が行方不明になった事件が2件あることを突き止める。彼は3件の事件は同一犯による誘拐殺人だと上司のアラン・グズムドソン警視に訴えるが、ありえないことだとあしらわれてしまう。しかし、ベリエルの主張は単なる憶測ではなく、彼しか知らない根拠があったのだ。ベリエルは独断で捜査を続け、ついに明らかになったのはどの現場にも自転車に乗った不審な女性がいたという事実だった。やがて、その女性を確保することに成功したベリエルは彼女を尋問するが.......。
◆◆◆◆◆◆
陰鬱なスウェーデンの風景を背景に人間の心と社会の闇に迫っていく警察小説。そういうと典型的な北欧ミステリーといった感じがします。しかし、本作はそんなうわべの印象を覆し、とんでもない方向に進んでいきます。それが顕著になるのは重要参考人である怪しげな女性の尋問を始めてからで、そこから、一時も目が離せない怒涛の展開が始まるのです。最初に真実と思われたものが次々とひっくり返され、事件の全体像が見えてくるまでは息つく暇もありません。騙しのテクニックが随所に盛り込まれ、ミステリーとしての充実度はかなりのものです。ただ、作中ではベリエル警部がやたらと焦燥感にかられて暴走を続けているのですが、読者にはその理由がなかなか明らかにされないため、読んでいて感情移入がしづらいのが難点だといえます。それから、終盤の展開が説明不足で分かりづらいのも否定できないところです。もっとも、本作はシリーズ第1弾という位置付けなので唐突なラストを含め、不明瞭な点に関しては続編で明らかになる可能性は残されています。いろいろ賛否の分かれそうな作品ではあるものの、魅力的な要素がたくさん詰まった力作であることは間違いのないところです。
時計仕掛けの歪んだ罠 (小学館文庫)
アルネ・ダール
小学館
2020-07-07


発火点(C・J・ボックス)
とある裁定文書をワイオミング州まで届けるべく、コロラド州ディンヴァーにある環境保護局第8本部から2人の特別捜査官が出発する。だが、彼らはワイオミング州の猟区管理官・ブッチの所有地で死体となって発見される。ブッチは環境保護局から嫌がらせともとれる仕打ちを受けていたため、容疑者として浮上するが、そのとき彼はすでに姿を消していた。事件の朝にブッチと言葉を交わしていた猟区管理官のジョー・ピケットは否応なく追跡劇に巻き込まれることになる。さらに、ブッチに懸けられた賞金目当てに元保安官、スナイパー崩れ、元部下の3人がブッチを追うが........。
◆◆◆◆◆◆
ジョー・ピケットシリーズの第13弾です。今作から出版元が講談社から東京創元社に代わりましたが、訳者が同じであるため、違和感なく読むことができます。必ずしも有能とはいえないものの、愚直に自分の正義を貫くジョー・ピケットの人間臭い魅力は相変わらずですし、雄大な自然の描写を堪能することもできます。それになんといっても、山火事の中で追跡劇が繰り広げられる後半の展開が圧巻です。圧倒的な迫力と臨場感には思わず手に汗握ります。ただ、そうした派手な展開の割に事件そのものは意外とこじんまりとしていますし、あいかわらずすっきりとしない結末は好みの分かれるところです。とはいえ、トータルの完成度とインパクトという点で、本作はシリーズの中でもかなり上位の作品だといえるのではないでしょうか。


あの本は読まれているか(ラーラ・プレスコット)
東西冷戦の真っただ中にあった1950年代後半。CIAはある作戦を進めていた。それは、共産圏で禁じられている本や音楽をソ連で流布させ、体制を内部から揺さぶろうというものだった。いわゆるプロパガンダ戦略である。そこで、CIAが目を付けたのがロシア革命を批判したものだとして発禁処分になった『ドクトル・ジバゴ』だ。CIAはソ連移民の娘であるイリーナにスパイとしての才能を見出し、彼女に作戦実行に必要な訓練を受けさせる。一方、ソ連で暮らすオリガは『ドクトル・ジバゴ』の作者であるボリス・パステルナークの愛人であったことから、KGBに目を付けられ.......。
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冷戦終結後四半世紀を経て機密情報が解禁されたことから明らかになったCIAのドクトル・ジバゴ作戦。本作はその史実をベースにして描いたスパイ小説です。物語は東側と西側が交互に語られ、その中で当時の世界情勢や政治体制、風俗などといったものがリアルに浮かび上がってきます。つまり、一昔前の社会がどのようなものであったのかを知るには絶好の書だといえるわけです。また、圧倒的に男性主人公の多いスパイ小説というジャンルで女スパイを中心に据えた点も目を引きます。男尊女卑の意識の強かった時代においてイリーナとサリーという2人の女スパイがしたたかに生き抜く姿が印象的です。1冊の本を巡るスパイ小説としてよくできており、スリリングな展開は読み応え満点ですが、同時に本作は恋愛小説でもあります。国家間の暗闘が繰り広げられるなかで複数の愛の形が描かれ、余韻の残るラストへとつながっていきます。
あの本は読まれているか (創元推理文庫)
ラーラ・プレスコット
東京創元社
2022-08-12


カメレオンの影(ミネット・ウォルターズ)
英国軍中尉のチャールズ・アクランドは聡明で人当たりの良い好青年だった。だが、イラクで重傷を負って彼は変貌する。病院で目を覚ました彼は記憶を失っていた。そのうえ、爆弾で顔を吹き飛ばされて片目を喪失していたのだ。異形の姿となり、性格すら以前の面影をなくしてしまうチャールズ。女性を嫌悪し、体に触れられると暴力を振るうようになる。これは頭部の損傷によるものなのか?それともイラクでの体験が引き起こした精神的外傷なのか?医師たちはチャールズの心の闇に迫ろうとするが、結局それを果たせないまま退院となってしまう。その後、チャールズは一人暮らしを始めるものの、暴力的な性格はそのままで、しばしば酒場で揉め事を引き起こしていた。そんなとき、ロンドンで一人暮らしの男性を狙った連続殴打殺人事件が起きる。チャールズは容疑者として警察に拘束されるが......。
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イギリスを代表する女流ミステリー作家の5年ぶりの翻訳本です。その出来栄えはさすがの一言で、癖の強い登場人物の心理描写や背景を巧みに描き、読者をぐいぐいと物語世界に引きずり込んでいきます。硬質な文体で描かれる登場人物たちはみな一筋縄ではいかず、決して共感しやすいとはいいがたいものがあります。しかし、ストーリーテリングの妙に翻弄され、先の展開が気になり、ページをめくる手が止まらなくなってしまうのです。そして、張り巡らされた伏線が回収され、謎が解明される終盤の展開は見事という他ありません。事件の真相だけでなく、チャールズの変貌の秘密も明らかになり、彼に対する印象ががらりと変わるくだりには驚かされます。同時に、本作は事件を通して現代英国の病巣を浮かび上がらせる優れた社会派ミステリーでもあります。実にウォルターズらしい、ミステリーの新女王の名に恥じない傑作です。
カメレオンの影 (創元推理文庫)
ミネット・ウォルターズ
東京創元社
2020-04-10


弁護士ダニエル・ローリンズ(ヴィクター・メソス)
刑事弁護士のダニエル・ローリンズ、通称ダニは連日ひどい二日酔いを抱えて裁判所に出廷していた。離婚した元夫のステファンが再婚を決めてしまったからだ。ダニはまだ彼に未練たらたらだったため、その報せは相当なショックだった。しかも、再婚相手のペイトンは上流階級の女性で、それもまた気に食わなかったのだ。そんな折、麻薬密売の容疑をかけられた黒人の少年を弁護してほしいという依頼が舞い込んでくる。少年は重度の知的障害を患っており、とても密売などができたとは思えない。それなのに、検察も判事も有罪にする気満々だった。そのうえ、被告は17歳なのに少年裁判所ではなく、地方裁判所で裁かれようとしていたのだ。やがて裁判が始まり、ダニは検察や判事の悪辣な手口に苦戦を強いられるが.......。
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検事と弁護士の経歴を持つ作家だけあって、本作はリーガルサスペンスとして非常に読み応えのある作品に仕上がっています。作者の実体験に基づいて描かれたと思われるエピソードが散りばめられており、臨場感に溢れているのです。それになにより、主人公のダニが魅力的です。酒に逃げる弱い面を見せながらも、いざとなれば軽口を叩きながら巨悪に立ち向かっていく姿にはほれぼれします。また、重いテーマを扱っていながらも軽妙な語り口のおかげでサクサク読めるのも本作の美点です。さらに、脇を固める他のキャラクターも個性豊かで、物語に彩りを与えてくれます。エンタメとして非常に優れた作品です。ただ、後半になると作者の主張が前に出すぎて物語としての完成度を少々落としてしまった感があります。涙あり、笑いあり、社会問題に鋭く切り込んだテーマ性ありといった具合に、さまざまな魅力を内包した快作だけに、その点だけが惜しまれます。


嗤う猿(J・D・バーカー)
「見ざる、聞かざる、言わざる」に見立てて残虐な殺しを続ける猟奇殺人鬼の四猿。その四猿が忽然と姿を消してから4カ月が過ぎた頃、冬の公園で少女の凍った死体が発見される。少女の体には拷問の痕跡が残されており、その奇怪な手口から世間は四猿の再来だと騒ぎ立てるのだった。ポーター刑事の執念の捜査が続くが、そんな彼も狡猾な罠にはまり、次第に追い詰められていく......。
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前作『悪の猿』でリンカーン・ライムシリーズで知られるジェフリー・ディーヴァーの後継者と目された著者のシリーズ第2弾です。もっとも、前作の段階ではディーヴァーの模造品というイメージが強く、まだまだ習作といった感が拭えませんでした。しかし、本作では見違えるような進歩をみせています。お約束の展開と意表を突いた展開を巧みに織り交ぜ、ぐいぐいと読者の興味を引きつけていく手腕が見事です。レギュラーキャラも魅力的で、毒舌を交えた掛け合いは陰惨な事件の中で一服の清涼剤となっています。ボリュームはかなりあるものの、視点を変えながら語られていく物語は非常にテンポが良くてサクサクと読んでいくことができます。特に、事件がどんどんあらぬ方向へと転がっていく、後半の展開が秀逸です。そして、その果てにたどり着くラストに驚愕させられます。こうした一連のストーリーはディーヴァー作品とはまた違った面白さがあります。ちなみに、本作は三部作の第2弾ということなので、いまから完結編の発売が楽しみです。
嗤う猿 (ハーパーBOOKS)
J・D バーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2020-03-14


ザリガニの鳴くところ(ディーリア・オーエンズ)
1950年代後半のアメリカ。幼いカイアはノースカロライナ州にある湿地帯の森の中に建てられた掘立小屋で家族と共に暮らしていた。だが、アルコール依存症である父親の暴力に耐えられなくなった母が家出をし、残された兄弟たちもそれに続く。やがて父もいなくなり、カイアは6歳にして一人で生きることを余儀なくされてしまうのだった。カイアは貝や魚を採取して生活費を稼ぐが、村の人々は彼女を”湿地の少女”と呼んで忌み嫌うようになっていた。唯一優しくしてくれたのはテイトという少年で、カイアは彼から読み書きを学ぶ。しかし、やがてテイトは大学進学のために村を去り、代わってプレイボーイとして有名なチェイスが彼女に接近する。そして、チェイスが不審な死を遂げたとき、カイアは殺人の容疑で裁判にかけられ.....。
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アメリカで500万部という売上を記録した大ベストセラーです。その実績はだてではなく、本作にはいくつもの魅力が詰まっています。まず、作者が動物学者というだけあって自然の描写が非常に美しく、それでいてリアリティ豊かです。また、その中で一人で生き抜いてゆく少女の姿を追っていくストーリーは冒険サバイバルとしての味わいもあります。さらに、貧富の差や差別問題といったアメリカの近代史を知るうえで絶好の書だともいえます。もちろん、ヒロインの成長物語としても感動的ですし、なんといっても、緊迫感あふれる法廷劇の末に驚きの結末を迎えるミステリー小説として秀逸です。見る角度によってさまざまな顔を見せる、まるで万華鏡のような名品です。
ザリガニの鳴くところ (ハヤカワ文庫NV)
ディーリア オーエンズ
早川書房
2023-12-05


探偵コナン・ドイル(ブラッドリー・ハーパー)
1888年。ロンドンでは娼婦が全身を切り刻まれて殺されるという事件が続発していた。若い医師の元にその事件の調査依頼が舞い込む。依頼人は元首相で、依頼されたのは『緋色の研究』を発表したばかりのコナン・ドイルだった。元首相はシャーロック・ホームズの推理法を用いて事件の謎を解いてほしいという。そこで、ドイルはホームズのモデルで恩師のベル博士と犯行現場である下町に詳しい男装の女流作家、マーガレット・ハークネスの協力を求める。そして、彼らはのちに切り裂きジャックと呼ばれる殺人鬼との対決に挑むことになるのだが.........。
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切り裂きジャックとシャーロック・ホームズが対決するという作品は数多くありますが、本作の場合はホームズではなく、作者のコナン・ドイルを主人公に据えた点が新鮮です。もっとも、邦題に反し、ドイルはどちらかといえばワトソン役であり、探偵役は主にベル博士が務めています。ホームズのモデルとして有名なベル博士ですが、その詳細が語られることはほとんどありませんでした。それだけに、彼がドイルとコンビを組み、ホームズのような推理を働かせる物語は読んでいて非常にわくわくします。特に、シャーロキアンにとってはたまらない展開ではないでしょうか。一方で、もう一人の探偵役であるマーガレット・ハークネスの存在も物語を盛り上げるのに一役買っています。男装の麗人で鋭い知性の持ち主といった、この時代の登場人物としてはかなり特異なキャラクター設定ですが、そのことによって、物語に深い陰影を与えることに成功しています。シャーロック・ホームズのような謎解きメインではなく、どちらかといえば冒険譚といった趣のある作品です。しかし、当時のロンドンの雰囲気がよく描かれており、切り裂きジャックの正体についても意外性があります。ホームズのファン、あるいは切り裂きジャックの事件に興味があるという人なら、読んで損をするようなことはないでしょう。


ザ・チェーン 連鎖誘拐(エイドリアン・マッキンティ)
シングルマザーのレイチェルが乳がんの定期検診のために病院へ向かっていると、その途中で電話がかかってくる。電話の主は娘を誘拐したという。しかも、犯人からの要求は身代金だけではなかった。ビットコインによる身代金の他に、他人の子どもを誘拐して自分と同じことをしろというのだ。もし、それが出来なかったり、警察に連絡したりした場合は娘の命はないと。こうしてレイチェルは見ず知らずの子どもの誘拐計画を練るはめに陥ってしまうが.....。
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被害者が一瞬にして加害者となり、どんどん被害を拡大させていく連鎖誘拐というアイディアが秀逸です。SNSを利用したいかにも現代的な犯罪が描かれています。そして、主人公の葛藤を描きつつ、予想外の出来事が次から次へと起きるのでページをめくる手が止まらなくなるのです。しかも、後半に入ると、アクション中心の展開へとシフトし、さらに畳みかけてきます。二転三転する物語といい、まさにザ・エンタメといった感じです。ただし、娯楽作品に徹した分、人物描写がどこか薄っぺらく、物語も深みに欠けている点は否めないところです。その辺りは短篇小説を膨らまして作ったことが影響しているのかもしれません。したがって、ずっしりと中身の詰まった重厚な作品を読みたいという人にとっては物足りなさを感じる可能性があります。良くも悪くもハリウッドの大作映画を彷彿とさせるエンタメミステリーです。
ザ・チェーン 連鎖誘拐 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エイドリアン マッキンティ
早川書房
2020-02-20


レイト・ショー(マイクル・コナリー)
レネイ・バラードはハワイ大学を卒業後、ロサンジェルスタイムスの事件記者を経てロス市警に入った女刑事だ。花形ポストである強盗殺人課特捜班で5年余り勤めあげるが、班長として新しく赴任したロバート・オリヴァス警部補からセクハラを受けて告発したところ、相棒のケン・チャスティン刑事の裏切りにあう。彼が保身のために目撃証言をしなかったためにセクハラ疑惑は不問とされ、逆に、レネイがハリウッド分署に飛ばされてしまったのだ。以来、彼女は新しい相棒と共に23時~7時までの深夜勤務を2年間続けてきたが、本格的な捜査は昼組にまかせ、深夜に起きた事件の初動捜査だけを行うという勤務内容にはやりがいを覚えられずにいた。そんなある日、一晩で3件の事件が起き、レネイはその処理に忙殺される。しかも、3件目はクラブで男が銃を乱射し、4人が即死するという重大事件だった。犯人は逃走し、やがて捜査班が現場に到着する。その指揮をとっているのはオリヴァスだった。彼はレネイを事件から遠ざけようとするが、彼女は銃の乱射事件と女装した男性が暴行を受けて昏睡状態に陥った2件目の事件を独自に調べ始める.......。
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ハリー・ボッシュの高齢化に伴い、シリーズの限界が見え隠れしているタイミングで発表された新シリーズの第1弾です。気になる主人公ですが、上からの圧力にも負けずに自分の信じる道を突き進む姿にはボッシュを彷彿とさせるものがあります。一方で、30代の女刑事ということで、近年のボッシュには欠けていたエネルギッシュなパワーを感じさせてくれます。とはいうものの、序盤は主人公の私生活をじっくり描くなど、キャラ付けの描写に尺をとっているため、少々退屈に感じるかもしれません。しかし、中盤からは物語も一気に盛り上がります。捜査に光明が差してきたと思えば、窮地に陥り、それをくぐり抜けると思わぬ罠が待っているといった具合に、手に汗握る展開が続くのです。その中にほろ苦いエピソードが挟まれており、ドラマに厚みを持たせることにも成功しています。そして、最後に一捻りあるのはさすがコナリー作品といったところです。今回はシリーズの土台固めといった感じの堅実な作品でしたが、今後どのように話が拡がっていくのか非常に楽しみです。
レイトショー(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2020-02-14


警部ヴィスティング カタリーナ・コード(ヨルン・リーエル・ホルスト)
ヴィリアム・ヴィスティング 警部はカタリーナという女性が謎の失踪を遂げた昔の事件の捜査資料を定期的に見返している。事件から24年が過ぎた今でも彼女の発見を諦めていなかったのだ。そして、事件を風化させないようにと、彼女が失踪した10月10日にはカタリーナの夫であるマッティン・ハウゲンの家を必ず訪ねるようにしている。ところが、今年は珍しくマッティンは不在だった。あくる日、未解決事件班の捜査官・アドリアン・スティレルがヴィスティング の元を訪ね、マッティン・ハウゲンが26年前に起きた少女誘拐事件の最有力容疑者に浮上した旨を告げる。最新技術によって身代金要求の手紙を再検査したところ、彼の指紋が出てきたというのだ。スティレルはヴィスティングに協力を要請する。それに対して、カタリーナ失踪事件にマッティン・ハウゲンが関与していることを疑っていたヴィスティングはその要請を快諾するのだった。事件の謎を解くカギはカタリーナ・コードと呼ばれる不可解なメモ。果たしてそれが意味するものとは?
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ヴィスティング シリーズの第12弾。日本ではガラスの鍵賞を受賞した第8弾の『猟犬』以来、4年ぶり2冊目の翻訳ということになります。本作は20年以上前に起きた2つの未解決事件の真相を暴いていく話なのですが、どんでん返しや衝撃の展開などといったものとは無縁です。犯人は最初から明白で、あとはいかにして犯行の事実を証明するかだけです。カタリーナ・コードの謎にしても、驚きの真相につながるようなものではありません。ある意味、すごく地味な話です。しかし、それにもかかわらず、これが実に読み応えのある作品に仕上がっているのです。特に、刑事と容疑者という関係でありながら、奇妙な友情で結ばれているヴィスティング 警部とマッティン・ハウゲンのやり取りは常に静かな緊張感を孕んでおり、手に汗握ります。地方都市の雰囲気や主人公を取り巻く人々の描写も味わい深く、渋みに満ちたその作風は大人のミステリーといった風格を感じさせてくれます。派手な仕掛けなどなくても面白いミステリーは書けるということを証明してみせた傑作です。
2019年英国ペトローナ賞受賞


あの日に消えたエヴァ(レミギウシュ・ムルス)
ヴェルネルは恋人のエヴァにプロポーズをするが、その直後、暴漢に襲われてしまう。そして、ヴェルネルの目前でレイプされたエヴァはそのまま消息を絶ってしまうのだった。失意の日々を過ごすヴェルネルは事件から10年が過ぎたある日、フェイスブックの写真にエヴァの姿が映っているのを見つける。ところが、その直後にヴェルネルは殺人の容疑をかけられ、追われる身となってしまう。彼は逃亡生活の中でチャットを通して知り合ったカサンドラの助力を得て、単身エヴァの行方を追い始めるが.......。
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物語は、失踪した婚約者を追うヴェルネルと調査会社の社長の妻で夫のDVに苦しめられているカサンドラの2つの視点によってテンポよく語られていきます。リーダビリティが高くてぐいぐい引き込まれていくうえに、読者の予想を裏切っていく筋運びが見事です。読み進めていくとまさかの展開が繰り返して起こり、ミステリーを読む快感に浸ることができます。散りばめた伏線を回収しつつ、最終章で怒涛の展開へと流れ込んでいくという、まさにサスペンスミステリーのお手本のような傑作です。ただ、読者を驚かすためにプロットを不自然にこねくり回した感もあり、その辺は好みのわかれるところです。
あの日に消えたエヴァ (小学館文庫)
ムルス,レミギウシュ
小学館
2020-02-06


夕陽の道を北へゆけ(ジャーニン・カミンズ)
リディアは本好きが嵩じ、メキシコのアカプルコで書店の経営をしている32歳の女性だ。新聞記者の夫セバスチャンと8歳の息子のルカとともに平穏な日々を送っており、しかも、最近になって彼女は本について熱く語り合える男性客と巡り合う。彼女の生活はますます充実していくが、ある日を境にすべてが暗転する。セバスチャンがカルテルを告発する記事を書いた報復として彼を含む親族16人が皆殺しにされたのだ。生き残ったのはリディアとルカのみ。カルテルに買収されている可能性が高い警察は信用できず、彼女は幼い息子を連れて貨物列車の屋根に飛び乗る。逃走の途上で2人はさまざまな人々と出会いながら数千マイル離れたアメリカを目指す。だが、カルテルのボスはメキシコ全土に殺し屋を放っていた。果たして2人は無事逃げ延びることができるのか?
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メキシコの麻薬カルテルを描いた作品としてはドン・ウィンズロウの『犬の力』シリーズが有名ですが、あちらはカルテルと連邦麻薬捜査局との長きに渡る闘いを描いたものです。それに対して、本作は麻薬カルテルの現実を市井の人々の立場から描いた点が独自の味わいとなっています。数年の取材を経て執筆に取り掛かったというだけのことはあり、リアリティの豊かさは圧倒的です。そして、そのリアリティに支えられているからこそ、ヒロインの逃走劇が単なる絵空事とは思えなくなり、行く手を遮る試練や絶望が凄まじい臨場感を伴って読み手に迫ってくるのです。列車に飛び乗り、砂漠を渡り、さまざまな人間と出会うものの、誰ひとり信用することができない。すべての場面が緊張感に満ちており、手に汗握ります。エンタメ小説として読むにはいささか重い作品ですが、テンポ自体はよく、物語としてもよくできています。それに何といっても、苦難の果てに迎える旅の終わりのシーンが秀逸です。リアルさを前面に押し出しながらも極めてエモーショナル。ドン・ウィンズロウが激賞したというのも納得の傑作です。
夕陽の道を北へゆけ
ジャニーン・カミンズ
早川書房
2020-02-05


黒と白のはざま(ロバート・ベイリー)
白人至上主義団体クー・クラックス・クランの発祥の地であるテネシー州プラスキ。そこで生まれ育ったボーは5歳のときに父が殺されるのを目撃する。農場主のアンディが犯人だと確信したボーは彼に法による裁きを受けさせるべく弁護士を志すのだった。それから45年の歳月が過ぎ、アンディはボーの父の命日に殺され、同じ木に吊るされることになる。動機、状況証拠、物証の全てがボーの犯行であることを示していた。ボーは殺人の容疑で逮捕され、死刑を求刑される。老弁護士のトムは元教え子で恩人でもあるボーを救うべく、若き弁護士リックとともに無敗の女検事に立ち向かうことになるが........。
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『プロフェッサー』に続くシリーズ第2弾です。前作は主人公復活の物語にリーガルサスペンスを絡めた骨太のドラマでしたが、今回も読み応え満点の娯楽傑作に仕上がっています。特に、仲間のために勝ち目の薄い勝負に挑む展開はベタながらも感動的で、思わず目頭が熱くなってしまいます。また、前半は殺し屋ボーンとの対決に手に汗握り、終盤は意外な真相に驚かされるといった具合に、最初から最後まで山場の連続で飽きさせない作りになっているのが見事です。ただ、そつがない分、やや深みに欠けるのは難点だといえるかもしれません。ともあれ、面白さに関しては一級のシリーズであることには間違いなく、これからの展開も気になるところです。
黒と白のはざま (小学館文庫)
ロバート ベイリー
小学館
2020-01-07





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