最新更新日2020/12/29☆☆☆

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本格ミステリの要素が強い作品はタイトル(作者)の右側に本格と記しています
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2021本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2020-12-05


孤島の来訪者(方丈貴恵)本格
事故死だと思われていた幼馴染が実は殺されたのだという事実を突き止めた竜泉祐樹は、テレビ局のADとなって復讐の機会をうかがう。やがて、特番ロケの撮影のためにターゲット3名を含む9人のスタッフが、鹿児島県から船で数時間の場所に位置する幽世島といういわく付きの孤島に渡ることになる。かつてその島では雷祭という奇祭が45年ごとに行われていたのだが、今年はその45年目だった。また、その奇祭とともに財宝伝説の言い伝えが残されている島でもある。ともあれ、今では無人島となった幽世島は復讐の舞台にぴったりだった。ところが、自らが手を下す前に何者かによってターゲットの一人が殺されてしまう。一体犯人は誰なのか?皆が疑心暗鬼に陥る中、またしても祐樹がターゲットに定めていた人物が殺され.......。
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著者のデビュー作『時空旅行者の砂時計』に登場した伶奈は竜泉家の末裔という設定でしたが、本作では彼女の従弟である竜泉祐樹が主役を務めます。つまり、ストーリー的には直接のつながりはないものの、本作は竜泉家一族シリーズの第2弾という位置付けになるわけです。ちなみに、このシリーズの特徴として挙げられるのは本格ミステリの世界にSF設定を持ち込んだ特殊設定ミステリーだという点です。前作はミステリーにタイムスリップの要素を盛り込んだのに対して本作では一見典型的なクローズドサークルの形を取りながらも人に憑依する謎の存在が登場します。しかも、本作の場合、その特殊設定の用いられ方が良くできています。前作の『時空旅行者の砂時計』ではタイムスリップがミステリーの仕掛けとして機能する部分は極めて限定的でしたが、今回は特殊設定を余すところなく使いきっているところが実に見事です。特殊設定ミステリーのお手本のような作品だといえるでしょう。しかも、謎を解くための手掛かりは十分に散りばめられており、そのうえ、読者への挑戦状ではヒントまで提示する大胆不敵ぶりです。前作よりも格段に読みやすくなっている点も好印象で、さらに、挑戦状以降は怒涛の伏線回収や二転三転の展開が用意されており、本格ミステリー好きの人にとっては堪らない作品に仕上がっています。ただ、物語の盛り上げ方は今一つで、クローズドサークルものとしてのサスペンス感を期待すると物足りなさを感じるかもしれません。とはいえ、全編伏線だといっても過言ではないほどの練り込まれた構成といい、謎解き主体の作品としては本当に申し分のない出来です。年末のミステリーランキングにおいても上位にランクインする可能性は極めて高いのではないでしょうか
孤島の来訪者 〈竜泉家の一族〉シリーズ
方丈 貴恵
東京創元社
2020-11-28


アンダークラス(相場英雄)
秋田県能代市の水路で死体が発見される。亡くなったのは近隣の老人介護施設に入居している85歳になる老女で、車椅子ごと水路に転落したのが死因だった。やがて、事件の通報者であり、施設でヘルパーとして働いているアインが容疑者として浮上する。彼はベトナムから外国人技能実習生としてやってきたのだが、就職先の工場の劣悪な労働条件に耐えかねて各地を放浪した末に能代市に流れ着いたという経歴の持ち主だった。警察の調べに対してアインは末期癌の彼女に請われて自殺幇助をしたのだと自供する。これで一件落着かと思われたものの、警視庁捜査一課継続捜査班の田川信一は死体の状況から自殺幇助の類ではないと判断し、女性キャリア警視の竪山とともに調査に乗り出すが......。
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『震える舌』『ガラパゴス』に続く田川信一シリーズの第3弾です。事件の謎を通して現代日本の病巣を暴いていくスタンスはこれまでのシリーズと同様で、今回は外国人技能実習生・世界的なネット通販サービス・下請け企業などの実態が描かれています。思わず目をそむけたくなるような悲惨な現実を悲壮感たっぷりのドラマとして展開していく手管は手慣れたもので、社会派ミステリーとして申し分のない出来です。日本が近い将来に直面するであろう問題にも言及しており、なかなか考えさせられる内容になっています。また、田川が容疑者を追い詰めていく後半の展開も警察小説として読み応え十分です。ただ、過去作に比べると、エンタメ要素よりも直接的な社会批判が前に出過ぎている点が気になるところではあります。ある種の説教臭さを不快と感じるかどうかで評価が分かれる作品だといえるのではないでしょうか。
アンダークラス
相場英雄
小学館
2020-11-11


化け者心中(蟬谷めぐ実)
文政年間の江戸。母親とともに”百千鳥”という名の鳥屋を営む藤九郎は大坂出身で元歌舞伎役者の田村魚之助にいつも呼び出されては雑用をさせられていた。藤九郎は過去の因縁から魚之助のことを嫌っていたのだが、想い人のおみやが彼の熱狂的なファンだったため、無下にもできない。一方、魚之助は絶大な人気を誇る女形だったものの、3年前に贔屓の客に切りつけられ、膝から下を失っていた。しかし、歌舞伎の世界では依然大きな影響力を持っており、復帰を望む声も少なくない。そんな彼が中村座の座長である中村勘三郎に呼び出される。勘三郎の話によると、秋公演の脚本が完成し、本の作家や役者たちが芝居小屋で輪になって読み合わせをしていたところ、突然、その中央に生首が転がり落ちてきたというのだ。次の瞬間、明かりが消えて闇の中に肉を喰らう音が響いたので、この場に集まった6人のうちの誰かが人喰い鬼の犠牲になったのだと思い、みな震えあがる。ところが、再び灯りがついてみれば、床には血だまりと肉片が残されていたのにも関わらず、首を落とされた者は誰もいなかった。これは6人のうちの誰かが鬼に喰われ、鬼はその喰った相手に化けているに違いないという結論に至り、その正体を芝居の世界に詳しい魚之助に探ってほしいということだった。こうして魚之助と彼の足代わりである藤九郎は事件の真相を追うことになるのだが.......。
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第11回小説野性時代新人賞。19世紀初頭における歌舞伎の世界を描いた作品なのですが、臨場感豊かな描写が実に見事です。歌舞伎の世界を生き生きと描いているうえに登場人物の造形にも深みがあって、20代の新人の作品とはとても思えないほどです。特に、役者たちの芝居に賭ける執念には鬼気迫るものがあり、最後に正体が明らかになる鬼の心情にも驚かされます。また、鬼探しの過程が少々緊迫感に欠けるのが難といえば難ですが、その代わりに、初心な藤九郎とドSな魚之助が次第に心を通わせていくさまがバディものとして秀逸です。ミステリー的には驚くような仕掛けはないものの、そもそも本作の主眼はそこにはありません。複雑怪奇な人間の心を丁寧に紐解いていく時代ミステリーの傑作です。
化け者心中 (角川書店単行本)
蝉谷 めぐ実
KADOKAWA
2020-10-30


ババヤガの夜(王谷晶)
幼い頃より祖父から喧嘩術を叩きこまれた新道依子はその後生涯孤独の身となりながらも、内から溢れる熱に突き動かされ、喧嘩に明け暮れる日々を過ごしていた。そんなある日、ヤクザたちを叩きのめしたことで暴力団の組長にその腕を見込まれた依子は、拉致されたうえで組長の娘である尚子の運転手兼ボディガードを務めるよう強要される。犬を人質にとられてしかたなく命令にしたがうものの、今度はお嬢様然として高飛車な尚子の扱いに手を焼くことになるのだった。だが、最初は取り付く島もなかった尚子もある出来事がきっかけとなって態度を軟化させ、お互いの境遇を知るにつれて2人は次第に打ち解けていく。尚子は18歳だったが、すでに親に決められたフィアンセがいた。その男は組長と五分の杯を交わしたヤクザであり、しかも、拷問を生業とする変態サディストだった。彼の不興を買った依子に危機が迫る一方で、組長の元には十数年前に駆け落ちした妻と元若頭の居場所が判明したとの報が入る。やがて事態は大きく動き始め........。
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唯一の趣味が喧嘩だという野獣のような女性を主人公に据えたバイオレンス小説で、歯切れの良い文章から繰り出される怒涛の暴力シーンに圧倒されます。しかし、それでいながら依子と尚子の百合的な関係性は繊細なタッチで描かれており、そのギャップが印象的です。また、メイン2人以外の登場人物も悪役を含めてキャラが立ちまくっていて、物語世界にぐいぐいと引き込まれていきます。家父長制度の権化のようなヤクザの世界に女性2人が牙を剥く話なのでフェミニズムの文脈で語られることの多い本作ですが、単純な娯楽小説としても非常に面白い作品だといえます。吹き荒れる嵐のような暴力描写の末にたどり着く静謐なイメージが印象的な傑作です。
ババヤガの夜
王谷晶
河出書房新社
2020-10-22


アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿(澤村伊智)
Webマガジン・アウターQの原稿依頼に対し、駆け出しwebライターの湾沢陸男が記事の題材として選んだのは、小学生のときに子どもたちを震え上がらせた謎の落書きの再調査だった。その落書きは近所の公園の遊具の中に書かれており、「露死獣」の3文字で締めくくられていたことから露死獣の呪文と呼ばれていた。陸男は先輩ライターで長身イケメンの井出和真を伴って15年ぶりに公園を訪れるものの、事態は意外な方向に転がっていき......。
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全7編からなる連作ミステリーです。「アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿」というタイトルはまるで少年漫画のようなライトさで、本文の語り口も割と軽い雰囲気を纏っています。しかし、それで油断をしていると予想外にダークな話に行き当たり、ぞっとする羽目になります。特に、落書きの調査というたわいもない企画からとんでもない真相を引き当ててしまう『笑う露死獣』の読後感が強烈です。一方、それに続く『歌うハンバーガー』ではがらりと趣向を変えつつ、予想外の結末へと着地する展開に驚かされます。さらに、『飛ぶストーカーとアイドル』では都落ちしたアイドルのストーカーがライブ中に衆人環視の中で殺されるという事件が描かれており、その意外な真相もさることながら、この話から登場する地下アイドル・練馬なりの名探偵ぶりが印象に残ります。そして、なんといっても、『映える天国屋敷』と『涙する地獄屋敷』のラスト2編で張り巡らされた伏線が回収され、いままでの話が一本の線でつながっていく構成が見事です。連作ミステリーのお手本のような作品であり、ホラー小説の第一人者として知られている著者がミステリー作家としても高い資質を兼ね備えていることをうかがわせてくれます。著者のミステリーデビュー作である『予言の島』とはまた違った魅力を有した佳品です。


Another 2001(綾辻行人)
1998年に夜見山北中学を襲った災厄から3年が過ぎた2001年。その当事者だった見崎鳴とともに湖畔の屋敷で奇妙な体験をした比良塚想は亡き父の実家である赤沢家で暮らしていた。その彼が夜見山北中学の3年3組に進級し、災厄の対策として”いないもの”を自ら買って出る。しかも、今年は念を入れようとさらなる対策を行うことにするのだった。しかし、災厄は始まり、3年3組の生徒たちが次々と死んでいく。一体なぜ?そして、この災厄を止める方法はあるのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
2009年の『Another』、2013年の『Another S』に続くシリーズ第3弾です。前作は番外編の色が濃かったのですが、本作では再び3年3組が災厄に見舞われるということで、第1弾の正統な続編となっています。しかも、800ページを越えるボリュームを備えており、読み応え満点です。Anotherのファンであればその濃密な物語世界をたっぷりと堪能することができるでしょう。Anotherならではの惨劇描写もより一層過激さを増しています。また、ミステリーとしては1作目と同じく、3年3組に紛れ込んでいる死者探しがメインです。しかし、今回は2段構えの仕掛けが用意されており、より凝ったプロットが楽しめます。とはいえ、1作目と比べるとトリック自体はやや簡単で、ミステリーを読み慣れている人であれば、すぐにピンとくるかもしれません。したがって、本格ミステリとしての過大な期待は捨て、起伏に富んだ展開で長大な物語をしっかりと盛り上げてくれるストーリーテラーぶりを楽しむのが賢明だといえるでしょう。


汚れた手をそこで拭かない(芦沢央)
末期癌で余命いくばくもない50代の女性が、過去の顧客の事故死に責任を感じて気に病んでいる夫に対し、謎を解き明かすことで彼を救済しようとする『ただ、運が悪かっただけ』。優しい夫と幸福な家庭を築いている料理研究家が元不倫相手の男性と再会し、金を貸したことから追い詰められていく『ミモザ』。夏休みの日直当番中にうっかりプールの水を抜いてしまった小学校の男性教諭がなんとか事実を隠蔽しようと奔走する『埋め合わせ』など全5編収録。
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2017年度版このミステリーがすごい!で5位にランクインした『許されようとは思いません』などと同様のイヤミスで、ほんの小さなボタンの掛け違いや目先の保身が引き金となって奈落の底に突き落とされていくさまが巧みに描かれています。ただ、単に読んで嫌な気持ちになるだけの作品ではなく、ミステリー的な仕掛けもたっぷりと盛り込んでいる点が秀逸です。たとえば、胃が痛くなるようなサスペンスの末に開示される『埋め合わせ』の意外な結末には唖然としますし、『忘却』における隣人の熱中症死のまさかの真相にも驚かされます。人間の嫌な部分をえぐり出しつつ、予想外の展開で楽しませてくれる切れ味抜群の短編集です。
死神の棋譜(奥泉光)
2011年5月。青森で第69期名人戦の4局目が行われていた夜に将棋ライターの北沢克弘が東京の将棋会館に足を運ぶと、棋士や奨励会員たちが古い詰将棋の図式を囲んでいた。詰みそうで詰まないその図式は、近くにある鳩森神社で矢に結び付けられているのを元奨励会員の夏尾裕樹が見つけて拾ってきたものだという。しかも、先輩ライターの話によると、22年前にもこれとまったく同じ出来事があったというのだ。そのときに矢文を拾ったのは夏尾と同じく四段に昇段できずに奨励会を退会した十河樹生三段で、彼はその後行方不明となっていた。やがて、夏尾裕樹も謎の失踪を遂げる。克弘は彼の行方を追って姉弟子である玖村麻里奈二段とともに北海道の姥谷に向かうが.......。
◆◆◆◆◆◆
将棋の厳しい世界を描きつつも、いつの間にかめくるめく幻想世界へと読者をいざなっていく手管はさすがのうまさです。奥泉作品ならではの難解さはあるものの、将棋好きの人であればぐいぐいと引き込まれていくのではないでしょうか。全体的にSF色が強めですが、謎が謎を呼ぶ展開はミステリーファンにとっても十分楽しめる作りになっています。一方、この作品の真骨頂は幻想小説としての面白さであり、特に、地下神殿の描写や龍神棋の大局シーンなどには圧倒されてしまいます。また、著者の作品としてはそれほど長くなく、コンパクトにまとまっているので、奥泉作品の入門編としては最適だといえるかもしれません。ただ、将棋を全く知らないと面白さが伝わらない可能性がありますし、ミステリーとしてすっきりとした解決があるわけではないので、将棋あるいは奥泉作品初心者は注意が必要です。あくまでも独特の幻惑感を楽しむための作品なので、その点を理解したうえで手に取るのが賢明です。
死神の棋譜
奥泉光
新潮社
2020-09-25


ワトソン力(大山誠一郎)本格
目立った功績も挙げていないのになぜか警視庁捜査一課に配属されている和戸栄志。実は彼には半径20メートル以内にいる人間の推理力を飛躍的に高めるという特殊能力があったのだ。そのため、事件は彼自身ではなく、いつも周囲の人間によって解決されていく。雪の山荘・絶海の孤島・航空中の機内・バスジャックの最中の車内と、和戸の周りでは常に推理合戦が繰り広げられる。果たして熱い推理バトルの末に明らかにされる真相とは?
◆◆◆◆◆◆
主人公の周囲にいる人間の推理力を高めながら事件を解決に導いていくという、一種の特殊設定ミステリーです。ただし、推理力が高くなったからといって必ずしも真相にたどり着けるわけではないので、主人公の周囲では常に推理合戦が巻き起こり、それが大きな読みどころとなっています。推理合戦というのは本格ミステリにおける最大の見せ場といっても過言ではないほどですが、それが収録作品7編すべてにおいて行われているので、ミステリーファンにとっては堪らない作品だといえるのではないでしょうか。しかも、どれも水準以上の出来であり、後半に行くほど謎解きとしての醍醐味が増していく構成が見事です。また、ワトソン力が単なる便利な道具として扱われるだけでなく、その能力自体がミステリーの仕掛けとして機能している点もよくできています。この作者の欠点として挙げられる「物語に深みがない」という点は相変わらずですが、その分、本格ミステリとしての密度の高さは申し分ありません。ちなみに、個々の作品としては結末がない推理脚本の真相を推理する『推理台本』がパズラーとしての完成度が高く、ありがちなトリックをバスジャックの車内という特殊な舞台で効果的に用いた『不運な犯人』の2編が特に秀逸です。正直、ミステリーとしてのトリックや仕掛けなどはさほど独創的というわけではないものの、それを巧みなアレンジや演出力で見事に補っています。純度の高い本格ミステリが読みたいという人におすすめの佳品です。
ワトソン力(りょく)
大山 誠一郎
光文社
2020-09-16


インビジブル(坂上泉)
戦争の爪痕がまだ色濃く残る1954年の5月。大阪城近くの不法占拠民・通称アパッチ族の部落で顔に麻袋を被せられた議員秘書の刺殺死体が発見される。続いて、右翼団体幹部の轢死体が出てくるに至り、汚職絡みの事件である可能性を考慮して、大阪市警視庁に捜査本部が立ち上げられることになった。一方、入庁後初めての殺人事件の捜査となる若手刑事の新城は国警の守屋とコンビを組まされる。中卒で叩き上げの新城は上から目線のくせに聞き込みも碌に出来ないエリート刑事にいら立ちを募らせるが......。
◆◆◆◆◆◆
立場や育った環境が異なる2人がコンビを組み、いがみ合いながら次第に友情を深めていくという、典型的なバディものです。そういう点ではベタベタな作品ですが、一方で、「大阪警視庁」「国警(国家地方警察)「アパッチ族」などを始めとして、現代読者にはなじみの薄い舞台設定が興味深くてぐいぐいと作品世界に引き込まれていきます。作者は1990年生まれということですが、戦後の雰囲気をリアリティ豊かに描き、時代の闇を鋭く抉り出すことに成功しています。また、登場人物も生き生きと描かれており、大阪弁での軽妙な掛け合いも本作の読みどころの一つです。執筆当時の作者の年齢が20代だったとは信じがたい骨太な傑作です。
インビジブル (文春e-book)
坂上 泉
文藝春秋
2020-08-26


楽園とは探偵の不在なり(斜線堂有紀)本格
5年前にとある国で国王軍による村人たちの虐殺が行われた。その時、驚くべき出来事が起きる。天空から光の柱が降り注ぎ、コウモリのような翼を持つのっぺらぼうの獣が何匹も舞い降りてきたのだ。獣たちは次々と兵士を捕え、燃え盛る地面の中に引きずり込んでいく。あとに残されたのは虐殺を免れた村人たちと虐殺を躊躇した数人の兵士だけだった。以来、その獣は天使と呼ばれるようになり、次第に彼らの性質が明らかになっていく。天使は殺人の罪に対して裁きを行う存在らしいのだが、なぜか一人殺しただけではその裁きが実行されることはない。ところが、2人以上殺してしまうと、空から降りてきて犯人を地獄に堕とすのだ。その事実が知れ渡ると、世の中の凶悪犯たちは大人しくなり、世界に平和が訪れる。一方、名探偵として知られている青岸焦は活躍の場を失い、現在では浮気調査や犬猫探しといった地味な仕事を細々と行っていた。大富豪の常木王凱はそんな彼に対して「天国が存在するかを知りたくはないか」と声を掛け、天使たちが集まる常世島に招待する。そこで彼を待っていたのは起きるはずのない連続殺人だった。犯人はいかにして地獄行きを免れているのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
斜線堂有紀は2017年に電撃小説大賞メディアワークス文庫賞受賞の『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビューし、以来、主にライト文芸の分野で活躍しています。その一方で、「本格ミステリを書くべきだ」という編集の勧めで、一般レーベルから本作を発表し、見事ブレイクを果たします。2020年末の主要ミステリーランキングでいずれも上位にランクインしたのです。その内容は今流行りの特殊設定ミステリー+クローズドサークルものですが、本作の場合はなんといっても2人以上殺せば地獄に堕ちるという世界観が独創的かつ魅力的です。それに加え、語り口も軽快でテンポよく話が進むので物語世界に一気に引き込まれていきます。しかも、天使の設定がミステリーの仕掛けにしっかりと活かされている点が秀逸です。真相を指摘するロジックも丁寧に扱われており、さまざまな点でミステリーランキングを総なめにした『屍人荘の殺人』と相通じるものがあります。したがって、今村昌弘の作品が好きな人なら大いに楽しめるのではないでしょうか。ただ、2人以上殺せば地獄に堕ちるという設定に関しては抜け穴が結構あり、そのために最初に感じた強烈な不可能性が途中から大きく後退したのはいささか残念ではあります。とはいえ、特殊設定ミステリーとして非常に魅力的な作品であるのは間違いないところなので、この路線での新作にも期待したいところです。
楽園とは探偵の不在なり
斜線堂 有紀
早川書房
2020-08-20


アンダードッグス(長甫京)
古葉慶太はかつて農林水産省の官僚だったが、裏金作りに巻き込まれた揚句、スケープゴートにされて職を失ってしまう。その後、ネット証券マンとして糊口を凌いでいた慶太はあるとき、顧客の一人でイタリアの大富豪であるマッシモに危険な仕事を持ちかけられる。香港の中国返還を前にして海外に持ち出されるはずの超重要国家機密を強奪してほしいというのだ。集められたメンバーはイギリスの元銀行員、フィンランドの元IT技術者、警護役に雇われたオーストラリア人と、国籍も経歴もバラバラの負け犬どもだった。果たして、そんな彼らが大国の情報機関を出し抜いて目的を達成することができるのだろうか?しかも、チームの中には裏切り者が存在し.......。
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負け犬たちが思わぬ力を発揮して不可能と思われたミッションを達成するといったプロットは手垢にまみれているといえるでしょう。しかし、本作の場合は周りが裏切り者と敵ばかりで、しかも、その裏切り者と手を組みながら難局を乗り越えていかなければならないという展開に独自の緊迫感があります。そのうえ、やたらと人が死にまくりで、重要人物と思われたキャラクターさえあっさり死んでしまうので一瞬の油断もできません。とにかく、最初の50ページぐらいを過ぎると、あとはハラハラドキドキの連続です。全編がバイオレンスに満ち、読んでいるだけで血の臭いが漂ってきそうです。それに加え、主人公の闘いぶりがすさまじく、ほれぼれとしてしまいます。元官僚がなぜ、こんなにも強いのかは不明ですが、とにかく話が進むにつれて主人公はどんどん魅力的になっていきます。そして、そんな主人公が繰り広げるラストバトルは息つく暇もない山場の連続です。まさに、ノンストップアクションといった言葉がピッタリの傑作です。
アンダードッグス (角川文庫)
長浦 京
KADOKAWA
2023-09-22


探偵のはらわた(白井智之)本格
浦野灸探偵事務所で助手として働いている原野亘は岡山県警の要請により、所長の浦野とともに7人が犠牲となった寺院の放火事件を調査することになる。危篤状態の1人を残して全員がむごたらしく殺された残忍な事件だが、その裏にはさらに恐るべき事実が隠されていた。恋人を殺してその男性性器を切り取った八重定事件、日本刀と猟銃で村人30人を殺害した津ヶ山事件、厚生省技官を名乗った男が毒薬を赤痢の予防薬と偽って宝石店従業員12名を死に至らしめた青銀堂事件などなど、昭和の世を騒がせた殺人犯たちが人鬼となってこの世に蘇ったのだ。しかも、その鬼たちは他者の体に憑依しており、正体を暴くのは容易ではない。それに立ち向かえるのは推理の力を持った名探偵だけ!果たして彼らは7人の鬼の正体を見抜き、この世から滅することができるのだろうか?
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「阿部定事件」「津山三十人殺し」「青酸コーラ事件」などをモデルとした事件の犯人が蘇り、名探偵と知恵比べをするという設定はそれだけでわくわくするものがあります。それに一つの事件に対していくつもの推理が用意されている多重解決ものとして楽しめるのも白井智之ならではです。白井智之といえば、恒例の血みどろスプラッタ描写はかなり控えめですが、その分、ロジカルな本格ミステリとしての出来映えは極めて高いレベルにあります。序盤はやや凡庸に思えるものの、回を追うごとに面白さは増していきます。特に、最終エピソードにおける犯人特定のロジックとそこからのヒネリが秀逸です。同時に、本作は主人公の成長物語としてもよくできており、タイトルの真の意味がわかるシーンなどは思わず感心させられます。白井智之はグロいので敬遠してきたという人にこそおすすめしたい傑作です(とはいえ、精神的に病みそうな鬼畜描写がないというだけでグロ描写自体は健在ですが)。
名探偵のはらわた
白井智之
新潮社
2020-08-19


プロジェクト・インソムニア(結城真一郎)本格
特殊睡眠導入剤フェリキタスの開発によって莫大な財を成した新興会社のソムニウム社は、さらなる飛躍を目指して極秘の人体実験プロジェクトを行っていた。プロジェクト名はインソムニアといい、そこで行われていたのは複数の人間に同じ夢を共有させる実験だ。心に癒えぬ傷を負っていた蝶野も被験者に選ばれ、たちまちインソムニアの世界に魅了されていく。だが、被験者の一人が殺されたことで幸福に満ちた夢の世界は地獄へと変貌していった。そして、蝶野のかつての盟友、蜂谷は囁く。「聞いたことないか?夢の中で死ぬと現実でも死ぬという都市伝説の話を」と。その後も次々と殺されていく被験者たち。果たして犯人は誰なのか?そしてその目的は?
◆◆◆◆◆◆
バーチャルな世界に迷い込み、今自分のいる場所が現実なのか虚構なのかわからなくなるといった物語は、映画やSF小説などでよく見かけます。しかし、本作の場合は同じようなプロットを用いながらも、本格ミステリとして再構築しているところに新味があります。そして、科学的な設定を最初に噛み砕いて説明し、そのうえで謎解きに必要な伏線を過不足なく配置している点が見事です。そのため、専門的な知識を持ち合わせていなくても、注意深く読めば謎が解けるようになっています。フーダニットやホワイダニットとしての出来はなかなかのものです。そのうえ、犯人が仕掛けるトリックにも工夫が凝らされており、特に、夢と現実を錯誤させるカラクリが非常によくできています。アイディアが秀逸なうえに終盤における伏線回収の手際も素晴らしく、特殊設定ミステリーとしてはかなりレベルの高い作品だといえるでしょう。SF的な設定が苦手な人は多少の読みにくさを感じるかもしれませんが、序盤を乗り越えれば次第にページをめくる手が止まらなくなり、最後には極上のサプライズが味わえるはずです。
プロジェクト・インソムニア
結城 真一郎
新潮社
2020-07-17


法廷遊戯(五十嵐律人)
久我清義が通うロースクールでは無辜ゲームと呼ばれる疑似裁判が行われていた。何らかの被害にあった学生の申請に基づいて無辜ゲームが開廷し、ロースクールのなかでも天才と呼ばれる結城馨が判定を下すのだ。ある日、久我が無辜ゲームの開廷を要請する。彼が児童相談所の出身であり、その施設長に危害を加えた事実を暴露した怪文書が出回ったからだ。久我は傷害罪の事実よりも、その事件の裏にある幼馴染・織本美鈴の秘密が暴露されることを危惧していた。そして、模擬裁判に挑んだ久我は見事に怪文書を配布した犯人を特定するのだった。やがて、ロースクールを卒業した久我は弁護士になるが、美鈴は殺人事件の容疑者として逮捕される。久我は彼女の弁護を引き受けることになり.......。
◆◆◆◆◆◆
第62回メフィスト賞受賞作品。現役の司法修習生がその法律知識を駆使して書きあげたリーガルサスペンスです。しかも、新人にありがちな頭でっかちな作品に陥ることなく、血肉の通った人間ドラマに仕上がっているところが凡百のデビュー作とは一線を画しています。まずロースクール時代の模擬裁判を通して専門的な法律を分かりやすく解説しつつも、さりげなく伏線を散りばめていく手際が見事です。何気ない描写があとで重要な意味を持ってくるところなどは思わず唸らされてしまいます。ミステリーとしてのサプライズは申し分ありませんし、それと同時にやるせない気持ちになるラストも忘れ難い印象を与えてくれます。ただ、あまりにも救いがない結末は賛否の分かれるところですし、重要な情報が最後まで読者に隠匿されている点も本格ミステリを期待した人にとっては減点材料になるかもしれません。その一方で、計算し尽くされたプロットの巧みさは誰もが認めるところではないでしょうか。今年度を代表するミステリー小説の一つといっても過言ではない、新人離れした傑作です。
法廷遊戯
五十嵐律人
講談社
2020-07-14


蝉かえる(櫻田智也)本格
仕事で山形市を訪れた糸瓜京助は御隠しの森と呼ばれる地に足を伸ばした。そこは16年前に学生ボランティアとして一度来たことのある場所で、その際、彼は幽霊の姿を確かに見たのだった。京助が森の中にある神社に足を踏み入れて考えごとをしていると、ふいに30歳前後の男女が姿を現す。話しかけてみたところ、女性の方は大学で昆虫食の研究をしている鶴宮先生、男性の方は昆虫採集の素人研究家である魞沢泉(エリサワ・セン)だという。2人と話をしているうちに京助は16年前の出来事を打ち明けずにはいられなくなった。語り始める京助に対し、魞沢泉が導き出した幽霊の正体とは?
◆◆◆◆◆◆
『サーチライトと誘蛾灯』に続く全5編収録のシリーズ第2弾です。前作では変わりものの昆虫オタクにすぎなかった魞沢泉のキャラクターとしての掘り下げがなされており、そのおかげで物語に深みを与えることに成功しています。特に、最終作の『サブサハラの蠅』などはなかなかの感動作です。一方、ミステリーとしてもすべてが伏線という特長はそのままに、前作以上にレベルの高い作品がずらりと並んでいます。どの作品も、何が起きたのかを解き明かすホワットダニットを基調としたミステリーなのですが、なかでも2つの事件が意外な形で結びつく、推理作家協会賞受賞作の『コマチグモ』とミスディレクションの扱い方に長けた『ホタル計画』が秀逸です。珠玉という言葉が相応しい連作ミステリーの傑作です。


囚われの山(伊東潤)
ベテラン編集者である菅原誠一は売上が低迷し続ける歴史雑誌の立て直しを図るべく、「八甲田山雪中行軍遭難事件」の特集を企画する。そして、現地で調査を続けた菅原は軍隊の判断と行動に組織的な欠陥があったことを突き止めるのだった。特集号は好評を持って迎えられ、雑誌自体も売上を大きく伸ばす。すぐに第2弾の特集が企画され、再び青森に向かった菅原だったが、彼は遭難者の数が一人合わない事実に気付く。しかも、行軍の目的自体にも不審な点が浮かび上がり.......。
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新田次郎の『八甲田山死の彷徨』と高倉健主演の映画『八甲田山』によってすっかり有名になった史上最悪の山岳遭難事件、八甲田山遭難事件を謎解きミステリーとして描いた作品です。映画や小説のイメージが強い事件に新しい切り口を提示しており、興味をそそられます。また、ほんの小さな矛盾を足がかりにして、定説を覆していくプロセスにはこれが真実ではないのか?と思わせるだけの説得力があり、読み応え満点です。それに加え、現代の出版業界の現状や取材の手順などをリアルに描くことで物語に深みを与えることにも成功しています。ただ、主人公の離婚騒動は本筋とは関係なく、蛇足だったのではないでしょうか。その辺りをばっさり切り落とし、八甲田山の話に絞ったほうが、より完成度が高まったような気がします。


奈落で踊れ(月村了衛)
1998年。金融機関との癒着を示すノーパンすき焼き事件が発覚し、大蔵省は発足以来最大の危機に立たされていた。接待を受けていた大蔵官僚たちは苦境に立たされ、罪を逃れるために大蔵省始まって以来の変人と噂される文書課課長補佐の香良洲圭一に協力を要請するのだった。そんな中、香良洲は元妻で政治家秘書の花輪理代子から政財官界の顧客リストの存在を告げられる。彼はフリーライターの神庭絵理にリストに関する調査を依頼する。黒社会へと接近し、次第に官僚たちの思惑から外れて独自の行動を取り始める香良洲。果たして彼の真の目的とは?
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2018年発表の『東京輪舞』以来、日本の戦後史を虚実交えて描いた実録シリーズは月村了衛の新たな代表作として人気を博してきました。本作はその最新作ですが、昭和から平成へと舞台を移したうえに、モチーフとなっているのがあのノーパンしゃぶしゃぶ事件である点が目を引きます。そのネーミングからしてどう考えてもシリアスなドラマは似合いません。それでは本作はこの事件をどのように料理しているかというと、想像以上にお笑い小説になっています。省内の出世争いや汚職の内幕などはリアリティを感じさせる一方で、スキャンダルを巡って官僚たちがあたふたする姿は完全にコメディです。明治維新以来、日本の中枢を担ってきた大蔵省の解体へとつながる大事件の経緯を気軽に学べるのはこの作品の大きな美点だといえるでしょう。その一方で、香良洲を中心とした政治家、やくざ、大物官僚たちの騙し合いはピカレスクロマンとして大いに読み応えがあります。なかには実在の人物も実名で登場しており、他のシリーズ作品同様に、物語の臨場感を高めることに成功しています。さらに、架空のキャラクターたちも皆魅力的で、香良洲以上の変人が次々と出てくる展開がなんとも愉快です。一種のダークヒーローものにブラックな笑いをたっぷりまぶした著者の異色傑作です。
奈落で踊れ (朝日文庫)
月村 了衛
朝日新聞出版
2024-01-10


たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説(辻真先)本格
終戦から4年が過ぎた昭和24年。風早勝利が通う旧制中学は新制高校に改められ、彼は男女共学の高校の3年生となった。戸惑いの連続の日々を送る中、推理小説研究会の部長を務めていた勝利は顧問である別宮操先生の勧めで、同じく彼女が顧問を務める映画研究会と合同の夏休み旅行に行くことになる。ところが、その旅先で一行は密室殺人に巻き込まれるのだった。さらに、夏休み最後の日には関東に大きな被害をもたらしたキティ台風が襲来する中で奇怪なバラバラ殺人事件に遭遇する。2つの不可解な殺人を行った犯人の正体とは?
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『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』に続く那珂一兵シリーズの第2弾です。1932年生まれの作者らしく、戦後直後の混乱期をリアリティ豊かに、そして、そんな時代に青春を過ごした若者たちの姿を生き生きと描くことに成功しています。そのうえで、密室殺人やバラバラ殺人といった本格ミステリのガジェットを盛り込み、古き良き時代の推理小説のテイストを再現している点にも引き込まれるものがあります。ただ、肝心のトリックに関してはそれほど独創性はありません。なかには凡庸と感じる人もいるのではないでしょうか。その代わり、伏線の張り巡らせ方や回収の鮮やかさは見事で、この辺りはさすが熟練の味わいといったところです。それになんといっても、この時代ならではの動機に驚かされます。まさに昭和24年の推理小説です。それらに加え、ラストの仕掛けも読者に忘れ難い余韻を与えてくれます。88歳の作者による渾身の力作です。


あの子の殺人計画(天袮涼)本格
小学5年生になる椎名きさらはずっと母一人に育てられてきた。母親は一生懸命働いているものの、なかなか貧困から抜け出せないでいる。しかも、きららを水責めの刑で厳しく育てていたのだ。きららはそれを自分の行いに対する当然の罰だと思い込んでいたが、保健の先生や転校生からの指摘があり、どうも自分は虐待を受けているらしいと思うようになってくる。母への思慕の念は次第に怨嗟へと変わり、ついには母親の殺人計画を練るようになっていった。一方、その頃、川崎駅近くの路上で大手風俗店オーナーの遠山菫が刃物で刺されて死んでいるのが発見される。県警捜査一課の真壁の聞き込み捜査の結果、以前遠山の店で働いていた椎名綺羅という女性が容疑者として浮上する。だが、彼女は犯行時刻には娘のきさらと一緒にいたと主張するのだった。真壁は、生活安全課の女性捜査員ながらも数々の難事件を解決に導いてきた仲田螢の手を借り、椎名母娘の実像に迫っていくが......。
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現代における子どもの貧困問題に挑んだ『希望が死んだ夜に』に続く仲田&真壁シリーズの第2弾です。今作は子どもの虐待がテーマということですが、小学5年生の視点から描かれる壮絶なシーンの連続は読んでいて胸が痛くなるほどです。あまりのリアルさに息がつまり、途中で本を閉じたくなってしまいます。もし本作が最初から最後まで娘の視点だけだったら、読み切るのは困難だったかもしれません。実際は刑事を始めとする多くの視点から語られていくため、事件全体の構図がどうなっているのかというミステリー的興味がわくことでなんとか読み進めることができるといった感じです。そして、虐待のインパクトだけに気を囚われすぎていると思わぬどんでん返しに唖然とすることになります。さらに、そのどんでん返しによって本作の虐待というテーマをより一層際立させる結果となっている点が見事です。社会派ミステリーのテーマ性と本格ミステリとしての仕掛けが見事に融合した傑作です。
あの子の殺人計画 (文春e-book)
天祢 涼
文藝春秋
2020-05-22


暗鬼夜行(月村了衛)
読書感想文に力を入れている駒鳥中学は元作家志望で文芸誌に掲載された経験もある汐野悠紀夫に薮内三枝子という生徒の指導をさせる。三枝子は見事に市の代表となり、県の選考へと進んでいくものの、生徒のLINEにあの感想文は盗作だという噂が流れて騒ぎとなる。さらに、1972年のものを盗作したのだという情報が流れるが、肝心の読書感想文集は該当部分だけが欠けていた。やがて、この話を学校の新聞部がwebニュースとして長し、それをマスコミが嗅ぎつけて騒動はさらに大きくなっていく。しかも、その問題には学校の統廃合に反対する勢力が絡んでいるという。一方、汐野は政治家である婚約者の父親に後継ぎになることを求められ、否応なしに事件の渦中へと巻き込まれていく.......。
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冒険小説を中心に発表してきた著者が教育の現場と地方政治の問題を真正面から描いた作品です。とはいっても、本作はよくあるこじんまりとして社会派ミステリーなどとは全く性格を異にしています。人間の俗物性を徹底的に描いた本作は負のカタルシスに満ちており、二転三転の展開自体は楽しめるのの、鮮やかな逆転劇や爽快感などといったものは皆無です。ひたすら人間の悪意を煮詰めていき、最後には救いのないカタストロフィーが怒涛のごとく押し寄せてきます。特に、おぞましささえ感じる終盤の展開はある意味必読です。おそらく、教育問題や政治問題などは本作においては表層的なことにすぎず、人間の本質をオブラードに包まずに描き出すことこそが真の目的だったのではないでしょうか。読んでいると闇に心を蝕まれそうになる異色傑作です。
暗鬼夜行 (毎日文庫)
月村 了衛
毎日新聞出版
2023-05-01


おおきな森(古川日出夫)
ふと気が付くと丸消須ガルシャは夜の闇を走る列車の中にいた。彼は自分が誰でどうして列車に乗っているのかもわからないまま防留減須ホルヘーと振男・猿=コルタという2人の男に出会い、列車内で起きた不可解な溺死事件に巻き込まれる。一方、覚醒剤の過剰摂取によって幻覚症状に悩まされるようになった坂口安吾は病院での入院生活に入るもすぐに自主退院し、探偵業を始める。そして、彼は失踪した高級コールガールたちの行方を追うが......。
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「木」を6つ並べて『おおきな森』と読ませる本作は、その名の通り、読者を深い深い言葉の森に迷い込ませ、ひたすら翻弄していく作品だといえます。一応不可解な事件を巡る探偵譚のような形式をとってはいるものの、物語はミステリーとして収斂することはなく、ひたすら飛躍を繰り返していきます。そして、宮沢賢治や坂口安吾のエピソードが満州や731部隊の話につながり、『銀河鉄道の夜』が『百年の孤独』との思わぬ邂逅を果たすなど、読み進めるほどにカオスの度合いを深めていくのです。読者は振り落とされないようにしがみつくのが精一杯で、内容を咀嚼して理解する余裕など到底ありません。しかし、一方で、連想ゲームのようにどこまでも肥大化する物語の奔流に身を任せれば言葉の持つ幻惑性を堪能し、不思議なトリップ感覚を味わうことができます。そういう意味で、本作は読者としての資質が問われる作品だといえるかもしれません。ミステリーやSFといった既存のジャンルの枠には収まりきらない異色作です。
おおきな森
古川日出男
講談社
2020-04-22


透明人間は密室に潜む(阿津川辰海)本格
密室と化した殺人現場から犯人である透明人間が潜んでいる場所を探り当てる表題作のほか、探偵の助手が優れた聴覚で事件の謎に迫る『盗聴された殺人』、あるアイドルグループの揉め事が原因で起きた殺人事件の裁判で栽培員の一人がそのグループのガチオタだったことから大脱線が始まる『六人の熱狂する日本人』、豪華客船での脱出ゲームイベントで本当に閉じ込められてしまった男の脱出劇を描いた『第13船室からの脱出』の4篇を収録した作品集。
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2017年に23歳でデビューし、新本格ミステリのホープとして高い注目を集めている著者による初の作品集です。いずれもロジックにこだわり抜いた本格ミステリながらも、作品の舞台や設定は一作一作全く違ったものになっており、バラエティに富んだ謎解きを楽しむことができます。たとえば、表題作は透明人間のできることとできないことをピックアップしながら犯人の居場所を特定していくプロセスが特殊設定ミステリーとしてよくできていますし、『盗聴された殺人』の緊張感に満ちた展開のなかでの手掛かりの提示方法も実に鮮やかです。また、『第13船室からの脱出』は古典的名作である『十三独房の問題』のオマージュ的作品ですが、元ネタに勝るとも劣らないアイディアの乱れ打ちには感心させられます。しかし、そのなかでも特筆すべきはこれまた『12人の怒れる男』のパロディ的作品である『六人の熱狂する日本人』です。シリアスな法廷ミステリーと思わせてからの大脱線の連続には思わず笑ってしまいます。凄まじい勢いで押し切ってしまうタイプの作品で、著者の新境地を切り開いたともいえる異色傑作です。以上のように、本作品集は収録されている作品こそ4つと少ないものの、多様性に富んでおり、本格ミステリをいろいろな角度から楽しみたいという人にはピッタリの一冊だといえます。
透明人間は密室に潜む
阿津川 辰海
光文社
2020-04-21


暴虎の牙(柚月裕子)
昭和57年。広島の呉原ではヤクザを敵に回して一人の若者が暴れ回っていた。愚連隊・呉寅会を率いる沖虎彦だ。彼はどんな強大な敵にも噛みついていく凶暴性と周りの人間を魅了するカリスマ性で急速に勢力を拡大していた。そんな彼に広島北署二課暴力団係の刑事・大上章吾が接触する。ヤクザに喧嘩を売りまくりながらも堅気には決して手を出さない虎彦が気に入ったからだ。だが、虎彦は呉原最大の暴力団・五十子会を敵に回して全面抗争へと向かっていく。大上は何とか虎彦を止めようとするが......。それから時が過ぎて平成16年。懲役刑を終えて出所した虎彦が再び動き出す。しかし、暴対法が施行されて久しい現代の日本ではシノギもままならない。焦燥感に駆られた虎彦が暴走を始めた矢先に現れたのが、今は亡き大上の愛弟子で、呉原北署の刑事である日岡秀一だった......。
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『孤狼の血』『凶犬の眼』に続くシリーズ三部作の完結編です。1作目より過去から始まり、2作目の先を描いた本作はシリーズ全体を敷衍する形をとっており、最後を締めくくるのに相応しい大作に仕上がっています。今まで登場してきた人物が次々と姿を見せる集大成的な物語になっていますし、特に1作目で退場した大上の活躍が再び見れるのはうれしいところです。それに、シリーズを完結させるために登場させた沖虎彦というキャラが強烈で、忘れ難い印象を読み手に与えます。そのインパクトを中心に据え、既存のキャラクターに光を当てていく手管が見事です。ただ、前半の大上パートは抜群の面白さを誇っているのに対して後半の日岡パートは凄惨さばかりがクローズアップされて物語のカタルシスにやや欠けているのが難点だといえなくもありません。ともあれ、激しいバイオレンスから物悲しいラストに至る怒涛の展開は、ピカレスロマンとして非常に読み応えがあります。著者渾身の力作です。
暴虎の牙
柚月裕子
KADOKAWA
2020-03-27


暗黒残酷監獄(城戸喜由)本格
高校3年生の清家椿太郎は友人が一人もいない代わりに、女性からは異様にモテ、しかも、本人は人妻との不倫に昏い喜びを見出すような歪んだ性格をしていた。その日も墨田汐の家に上がり、まるで自宅にいるかのようにリラックスして彼女といちゃついていたのだ。ところが、そのとき、急に汐の夫が帰ってくる。あわやというところで不倫の現場から脱出する椿太郎だったが、そのときスマホに母からのメッセージが送られてくる。画面には姉が死んだと記されていた。しかも、病死や事故死ではなく、十字架に磔にされて殺されたのだ。残された手掛かりは姉の部屋で見つけた「この家に悪魔がいる」というメモのみ。悪魔とは一体誰のことを指しているのか?椿太郎は独自に調査を始めるが、その結果、家族の秘密が次々と明らかになり.......。
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第23回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品です。ただ、主人公の生活空間を舞台にしながらも実際に描かれているのは極めて現実味が乏しい一種異様な世界であるという点からは、どちらかというと、00年代初頭頃のメフィスト賞を彷彿とさせます。かなり中二病要素が満載で、ちょうど舞城王太郎や佐藤友哉のような感じなのです。それに、倫理観がぶっ壊れているところなどはまるで白井智之のようでもあります。しかし、世界観が独特すぎてかなり読者を選ぶ作品ではあるものの、波長が合えばたちまち作品世界に引き込まれてしまいそうな語り口の巧さがこの作品にはあります。主人公の椿太郎も本来であれば恐ろしく不快な人物のはずなのですが、そもそも登場人物が全員壊れているために、主人公の異様さがほどよい個性として成立してしまっているのです。すべてが異常でありながら、その異常と異常を組み合わせて、オリジナリティ豊かな作品世界を構築していく、卓越した構成力が見事です。もっとも、唐突に挿入される漫画やアニメなどのサブカルネタはさすがに不要だろうとは思うのですが、本作の場合はそれさえも、独自の味となっています。しかも、これだけ常識外の展開を繰り広げながらも、最後は伏線をきれいに回収して、ロジカルに謎が解かれていくのだから不思議です。逆に、異常世界のなかの出来事だからこそ、最後に頼りになるのはロジックだけだということなのかもしれません。賛否両論必至の異端の傑作です。
暗黒残酷監獄
城戸 喜由
光文社
2020-02-19


欺瞞の殺意(深木章子)本格
昭和41年の夏。資産家として知られる楡家で毒殺事件が起きる。犯行を自白した弁護士に無期懲役の判決が下るが、40年後に仮釈放で出所した彼は事件関係者唯一の生き残りである女性に手紙を送って無実を主張するのだった。「私は犯人ではありません。あなたはそれを知っているはずです」と。こうして始まった2人の往復書簡はやがて毒入りチョコレート殺人を巡る推理合戦の様相を帯びてくる。やがて、推理のぶつかり合いは事態を思わぬ方向へと導いていくが........。
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毒入りチョコレートを巡る推理合戦というのは明らかにアントニー・バークリーの名作『毒入りチョコレート事件』を意識していますが、そこに42年の時の重みを加え、人間ドラマとしての深みを与えている点が秀逸です。しかも、推理合戦自体が高い完成度を誇っているうえに、往復書簡という形式にも仕掛けが施されており、最後の最後まで二転三転を繰り返すという超絶技巧ぶりには感嘆の念を禁じ得ません。独創的な発想をもとにし、緻密な計算に基づいて組み上げられた極めて完成度の高い本格ミステリです。
欺瞞の殺意 (ミステリー・リーグ)
章子, 深木
原書房
2020-02-15


ドミノ in 上海(恩田陸)
日中米の合作ホラー映画を撮影するために中国にやってきたフィリップ・グレイヴン監督は悲嘆に暮れていた。上海のホテル、青龍飯店に宿泊したところ、彼が溺愛していたペットのイグアナが、食材と勘違いした料理人によって調理されてしまったのだ。一方、ある組織は秘宝を上海に持ち込もうと手はずを整えるが、一行に届く気配がない。どうやら手違いが起きたらしかった。さらに、動物園で飼育されているパンダの厳厳は自由を求めて脱走を試みるが.........。
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30人近い登場人物がすれ違いつつ、互いの運命に影響を与え合う群像コメディ『ドミノ』の19年ぶりの続編です。今回は日中米と国際色豊かな登場人物に加え、イグアナの霊やアウトローなパンダなども絡んでくる点が異彩を放っています。前作は東京駅を舞台にしていましたが、本作では上海のさまざまな場所を描きつつ、登場人物たちが一カ所に集結していくプロセスにうまさを感じます。しかも、登場人物が多くても一人一人のキャラが立ちまくっているので混乱することは全くありません。また、前作以上にコメディ色が強く、特にパンダによる脱走劇などは抱腹絶倒ものです。全編を通して一切緩みというものがなく、疾走感を保ったまま最後まで突き抜けていきます。ただ、娯楽性を重視したために非現実性の高い要素が大幅に増えている点は評価の分かれるところです。はっきりいってあり得ない展開の連続なので、前作とは異なり、ミステリーとしては評価しがたいものがあります。しかし、エンタメ小説としては間違いなく傑作です。
ドミノin上海
恩田 陸
KADOKAWA
2020-02-04


ワン・モア・ヌーク(藤井太洋)
東京オリンピックを4カ月後に控えた2020年3月6日。1本の動画によって日本中が騒然となる。その動画は東京に原爆を仕掛け、3月11日の午前零時に爆発させるという犯行予告だったのだ。当初はテロリストに原子爆弾のような精密なものを作るのは不可能だと思われていたが、中東でプルトニウム239が奪われた事実が判明し、設計図が公表されるに至ってテロ予告は俄然現実味を帯びてくる。テロリストたちの氏名はほどなく判明する。イスラム国の幹部テロリストであるサイード・イブラヒム、中国政府の核実験によって被爆したウイグル自治区出身の女性ムフタール・シュレペット、そして、女性実業家の但馬樹だ。一方、それを追う捜査陣は警察組織やIAEA(国際原子力機関)などの思惑が絡み合い、横の連携が取れないでいた。そんな中でテロを喰いとめる唯一のチャンスといえるのがテロリスト側も一枚岩ではないらしいという点だが.......。
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今日的なテーマを中心に据え、緊迫感あふれるドラマを構築することに成功したタイムリミットサスペンスの傑作です。まず、体制側VSテロリストといった単純な構図ではなく、どちらの側にもそれぞれ異なる思惑があって状況が二転三転する展開には手に汗握ります。また、原爆テロというあり得なさそうな話を緻密な取材と筆力によって説得力のある物語にしている点にも舌を巻きます。そしてなにより、正しい情報を知らせなかった為政者の罪と、デマや悪意に踊らされて正しい情報に目を向けなかった庶民の罪を同時に暴いている点が秀逸です。主犯の但馬樹をいささか完璧超人に描きすぎている点は賛否の分かれるところですが、重い主題を内包しながらも極上のエンタメ作品に仕上げた手腕は見事といわざるをえません。





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