最新更新日2019/11/11☆☆☆


謎解き一辺倒だった30年代の作風から脱却し、よりドラマ性を重視したライツヴィルシリーズで新境地を切り開いたクイーンは50年代に入ると、さらに新しい試みに挑戦していきます。しかし、それが成功したのかと問われると、正直首を縦に振ることはできません。作者が意図したとおりの効果を読者に与えることができず、どうにも迷走している感が強かったのです。それでも中には光る作品も存在しますし、失敗作といわれているものも単なる駄作と切って捨てるには惜しい、独特の味わいがあります。そこで、今回はそんな50年代の作品群を一つずつ紹介していきます。

ダブルダブル(1950)
ニューヨークのエラリーの元に差出人不明の手紙が届く。その中身は複数の新聞の切り抜きであり、記事の内容はライツヴィルに住んでいる工場経営者が心臓病で亡くなり、彼の主治医であるドッド博士が遺産を相続し、共同経営者のジョン・スペンサー・ハートが使いこみが発覚するのを恐れて自殺したというものだった。さらに、3日後には、エラリーの古い知人で町の乞食と呼ばれているトム・アンダースンが行方不明になったという記事が送られてくる。一体誰がどのような意図でこのような記事を送ってくるのか?エラリーには皆目見当もつかなかったが、翌日トム・アンダースンの娘であるリーマが訪ねてきた。リーマは父親が殺されたことを確信しており、エラリーに真相を暴いて欲しいというのだ。こうしてエラリーは懐かしのライツヴィルに向かうことになるが......。
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『九尾の猫』で後期クイーン問題にひと段落つけた作者が次のテーマに選んだのが童謡殺人です。童謡殺人といえば『僧正殺人事件』や『そして誰もいなくなった』などが有名ですし、クイーン自身も『靴に棲む老婆』をすでに発表済みでした。しかし、いずれの作品も童謡通りに殺人を行うこと自体に大した必然性はなく、あくまでも作品の雰囲気づくりにすぎないという弱点があったのです。それに対して、本作は童謡殺人に必然性を持たせたところが画期的です。また、動機の隠し方が巧妙で一級のホワイダニットミステリーとしての味わいもあります。さらに、本当に殺人が起きているのかわからない、曖昧模糊としたまま物語が進んでいくという展開も今までにない味わいを感じさせてくれます。以上のように光るアイディアは盛りだくさんなのですが、通して読んでみるとあまり面白くないのです。その原因はやはり、物語の転がし方が今一つであり、話にメリハリが欠けているからでしょう。そのうえ、エラリーの推理もパッとせず、事件は曖昧な部分を残したまま幕を閉じてしまいます。試みとしてはユニークなのにプロットの粗さがそれを台無しにしている非常に惜しい作品です。
ダブル・ダブル (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-5)
エラリイ・クイーン
早川書房
1976-06-01


悪の起源(1951)
映画全盛の時代が終焉に向かい、テレビの時代が始まろうとしていた。エラリーは小説のアイディアを求めてハリウッドにやってくる。かつての栄華は失われたとはいえ、まだまだ魅力の尽きないこの地に腰を落ち着け、小説の執筆に専念しようとしたのだ。しかし、そんなエラリーの元に若い女性が訪ねてきた。彼女は「犬に父が殺された」と訴える。よくよく話を聞いてみると、宝石商の父の元に脅迫状と一緒に死んだ犬が送られてきて、心臓が弱っていた彼女の父はそのショックで命を落としたということらしい。犬の死体を送りつけてきた犯人を探してほしいというのだが、最初エラリーはその依頼を断るつもりでいた。だが、宝石商の共同経営者の元にも意味不明の脅迫状が送られている事実を知り、エラリーはようやく重い腰を上げる。彼らを死ぬほど怯えさせているものは一体何か?そして、2人の宝石商の秘められた過去とは?
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30年代の終わりに発表した『悪魔の報酬』『ハート4』『ドラゴンの歯』からなるハリウッドシリーズ。本作はそのシリーズの12年ぶりの新作です。以前の作品は国名シリーズを終えて新しいスタイルを模索していた時期に書かれたこともあって、過剰なまでにロマンスや娯楽性を強調したものになっていました。しかし、ライツヴィルシリーズを経て書かれた本作はさすがに人間心理を重視した落ち着いた作風になっています。ミステリーとしては後半にならないと殺人事件が起こらないのが難点ですが、中期以降のクイーン作品はドラマ性で読ませるのが特徴です。本作の場合も、派手な事件は起きなくても裕福な家庭に秘められた人間の悪意をテーマにしつつ、ぐいぐいと読者を引き込んでいきます。また、次々と登場する個性豊かな登場人物もなかなか魅力的です。さらに、後期作品では定番の多重解決的な趣向も堂に入っています。ただ、犯人を特定する根拠があまりにも貧弱すぎるという弱点があるのです。少なくとも、30年代の作品に見られた、ため息が出るほどに美しいロジックの冴えは見る影もありません。それに、悪の存在を進化論になぞらえた趣向も壮大ではあるものの、それが成功しているかというと、どうにも微妙です。狙いは決して悪くないのですが、プロットをこねくり回したあげく、説得力に欠けたものになっています。『ダブルダブル』と同じように着想には光るものがあるにもかかわらず、うまくまとめることができなかった一作だといえます。
悪の起源 (1959年) (世界ミステリシリーズ)
エラリイ・クイーン
早川書房
1959


帝王死す(1952)
巨大軍事産業のトップに君臨しているキング・ベンディゴの元に殺人予告の脅迫状が届く。もし、彼に万が一のことがあれば、世界中が大混乱に陥りかねない。それを阻止するようにという政府からの要請を受けたクイーン父子は、半ば拉致されるようにキングが帝国を築いている洋上の島に送り込まれた。だが、彼らの努力も甲斐なく、キングは完全な密室で何者かに射殺されてしまう。しかも、犯行に使われた銃はエラリーの監視下にあったのだ。一体、いかにしてキングを殺害したのか?
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クイーンとしては珍しい、密室殺人を扱った作品です。密室はかなり堅牢なもので謎としてはなかなか魅力的です。しかし、その事件が起きるのが物語の後半も後半に入ってからなので、本格ミステリとしては物語のバランスが悪すぎます。そのうえ、肝心の密室トリックも小粒すぎてがっかりです。むしろ、本作の魅力は冷戦時代を背景にした社会派ミステリーのような雰囲気と動機の究明にあります。犯人の真の狙いを悟らせないように施されたミスディレクションは巧妙ですし、突破口となる手掛かりの配置も秀逸です。しかも、その末に明らかになる動機もなかなかインパクトがあります。ただ、やはりプロットの歪さはいかんともしがたく、全体を通して読むとどうにも座りの悪い作品になっています。冷戦下を舞台にしたドラマとしては意外と読み応えがあるものの、本格ミステリとしては凡作の域を出ていないというのが正直なところです。
帝王死す (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-13)
エラリイ・クイーン
早川書房
1977-06-01


緋文字(1953)
ミステリー作家のローレンスと女流演出家のマーサは誰もが羨む仲の良い夫婦だった。ところが、結婚から数年が過ぎたころからローレンスはマーサの不倫を疑うようになり、彼女が少しでも他の男性と仲良くしていると感情を爆発させてしまう始末だった。このままではマーサの身に危険が及ぶと判断したエラリーと秘書のニッキーはなんとか2人の仲裁をしようとする。しかし、ついに事件が起き......。
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中期以降のクイーン作品はなかなか事件が起きない傾向が強いのですが、本作はその中でも極めつけです。なんと殺人事件が起きるのが、残り50ページほどになってからです。その間、エラリーは延々と不倫が疑われている女性の浮気調査を続けるだけです。エラリーが探偵役を務める作品の中では異色中の異色作だといえるでしょう。実は、不倫騒動の物語は壮大な前振りであり、それらがすべてミスディレクションとして機能しているのです。そして、最後に提示される逆転劇はなかなか鮮やかです。とはいうものの、解くべき謎は現場に残された「XY」のダイイングメッセージぐらいなので本格ミステリを期待した人にとってはどうしても物足りなさが残ります。しかも、日本人には推理不可能なネタなのが残念です。ただ、本作はクイーンが秘書のニッキーと初めて本格的にコンビを組む作品であり、そういう意味ではファンにとっては見逃せない作品だともいえます。ちなみに本作のタイトルは、ナサニエル・ホーソンの名作『緋文字』から引用したものですが、内容的にはほとんど関係ありません。
緋文字
エラリイ・クイーン 青田勝訳
ハヤカワ・ポケット・ミステリ
1975-01-01


ガラスの村(1954)
ニューイングランド北部に位置する寒村で老女流画家が撲殺されるという事件が起きた。犯行時刻頃に彼女の家に入った男を見たという村人の証言によって、物乞いをしている移民の男が疑われる。男は金を盗んだ事実は認めたが、殺人の件は否認する。彼女の家に入ったのは薪割りを頼まれたからだというのだ。だが、肝心の薪はどこにも見当たらなかった。村人たちは男を拘束し、自らの手で裁きを下そうとするが......。
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クイーンが発表した初めてのノンシリーズ作品であり、当時アメリカで吹き荒れていたマッカーシズムに対する反論だといわれているクイーン流社会派ミステリーです。作中では、偏見に満ちた住民裁判の恐ろしさが描かれており、その中でいかにして公平な裁きを行うかが焦点となっています。本作を本格ミステリとして見ると、トリックや仕掛けは小粒であり、物足りなく感じる人も少なくないでしょう。しかし、偏見に満ちた裁判の中で事実を一つ一つ拾いあげながら真実に迫っていくプロセスは非常に読み応えがあります。特に、画家の絵が決め手となって意外な事実が明らかになるくだりなどは、さすがの鮮やかさです。社会風刺に重きをおいた作品ながらも、ロジックや謎解きの面白さもしっかりと盛り込んでいます。印象的なラストシーンも含め、50年代のクイーン作品の中では間違いなく最高峰といえる傑作です。
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)
エラリイ・クイーン
早川書房
1976-08-01


クイーン警視自身の事件(1956)
定年退職を迎えたリチャード・クイーンはまだまだ現職として働く自信があったが、規則にしたがって警察を去らざるを得なかった。そんなとき、暇つぶしに訪れたネリー島で、島の所有者のアルトン・ハンフリィの元で保母として働いているジェシィ・シャーウッドと出会う。一度きりの出会いだと思っていたのだが、ジェシイが世話をしているアルトンの養子の赤ん坊が枕に顔をうずめて死んでしまうという事件が起きる。そして、地元警察の捜査に協力する中で、リチャードとジェシイは再会することになったのだ。ジェシィは枕カバーに残っていた手形を根拠に他殺を主張するも、肝心の枕カバーが見つからず、結局、赤ん坊の死は事故として処理されてしまう。一方、リチャードはジェシイの言葉を信じ、一緒に真相を探ることになるが.......。
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いつもは息子のエラリーの引き立て役に甘んじているリチャード・クイーン警視ですが、シリーズ24作目にして初めて主役の座をものにします。もっとも、この時点ではすでに警察官ではないのでタイトルに偽りありですが。ともあれ、リチャードの推理は名探偵と名高い息子のエラリーと比べると心もとないものがあります。エラリーならすぐにたどり着くような答えにもなかなか気付かないので、読んでいるほうはかなりじれったく感じてしまうのです。その代わり、リチャードとジェシイという熟年カップルのゴシックロマンとして読めば、なかなか面白い出来に仕上がっています。ハリウッドシリーズのような浮ついた感じではなく、ロマンスと冒険を地に足がついた物語として描いていますし、恋人のピンチに颯爽と現れるリチャードなどという構図は今までのシリーズにはなかったカッコよさです。ただ、ジェシイと2人で事件を解決することにこだわり、情報を地元警察に秘匿するなど、過去作のクイーン警視のキャラと比べて違和感があるのは気になるところです。これを定年退職と老いらくの恋という環境の変化がなせる業だと許容できるかどうかで評価も分かれるのではないでしょうか。


最後の一撃(1958)
1929年12月。『ローマ帽子の謎』を発表したばかりのエラリーはクレイグ家のクリスマスパーティに招待されていた。幼い頃実の父を亡くし、養子としてクレイグ家に引き取られたジョン・クレイグは25歳の誕生日の日に正式な遺産相続人となり、同時に婚約者のラスティと結婚する予定だった。このパーティはその発表の場でもあったのだ。やがて、パーティ会場にサンタクロースに扮した男が現れ、みんなにプレゼントを配り始める。ところが、それはパーティの演出などではなかった。誰もその男のことを知らないというのだ。続いて、図書室で老人の他殺死体が発見される。この老人に関しても、彼が何者であるかを答えられる者はいなかった。さらに、その事件以降、ジョンは人が変わったようになり、異常な行動を取り始める。一体、この事件の裏には何があるのか?
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エラリーが駆け出しの時代に遭遇した事件が27年の時を経て解決するという壮大なプロットの作品であり、明らかにシリーズ完結を意識した作りとなっています。しかし、本作がグランドフィナーレに相応しいものかというと大いに疑問です。確かに、散りばめられた数々の謎は魅力的ですし、前半の展開はなかなか引き込まれるものがあります。しかし、その謎の大半が大して意味がないものだということが判明する解決編で物語は大きく失速していくことになるのです。しかも、犯人の狙いというのがあまりにも回りくどすぎて説明されても素直に納得しがたいものがあります。それに、なぜこの事件の解決に30年近い歳月を要したのかもよくわかりません。最後の作品ということでいろいろ盛り込んだ結果、きれいにまとめることができず、グダグダになってしまったといった感じです。探偵エラリーが活躍するシリーズ作品の中ではほぼ最低レベルの出来栄えといえます。ちなみに、実際には本作はシリーズ完結編とはならず、名探偵エラリーは5年後に発表された『盤面の敵』で何事もなかったように復活することになります。本当のシリーズ最終作となったのは1971年発表の『心地よく秘密めいた場所』です。ただ、こちらも本作と同様、グダグダさ加減が半端ない駄作に終わってしまっています。

最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)
エラリイ・クイーン
早川書房
1977-07




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