最新更新日2019/10/13☆☆☆

佐野洋は社会派ミステリー全盛期において、鮎川哲也とともに本格ミステリを支えた日本ミステリー史における超重要作家の一人です。しかも、短編の名手といわれて1200篇以上の短編小説を発表しつつも、80作以上の長編作品を残しているという多作ぶりです(ちなみに、鮎川哲也はジュブナイルを合わせても長編作品は30作足らずで中短編も100程度)。あるいは、推理小説の発展に貢献した人物に贈られる、日本ミステリー文学大賞の第1回受賞者だという事実からもその偉大さは疑いようもありません。しかし、それにも関わらず、鮎川哲也とは対照的に現在では忘れられた作家となってしまった感があります。その原因の一つとしては、鮎川哲也には『黒いトランク』『黒い白鳥』『リラ荘事件』などといった光り輝く名作の数々があるのに対して、佐野洋にはこれといった代表作がないという点が挙げられます。強いていえばデビュー長編の『一本の鉛』、日本推理作家協会賞受賞作の『華麗なる醜聞』、氏の最大長編である『轢き逃げ』辺りになるのでしょうが、胸を張って代表作といえるかというと、ちょっと首をかしげてしまいます。それともう一つ、作品のリアリティにこだわるあまり、大がかりなトリックや派手な連続殺人といった要素を完全に否定した点も作品が忘れられてしまった要因の一つです。当時はその作風が時流とマッチしていたのですが、時代が変わった今となっては地味な作品というイメージだけがクローズアップされる結果となっています。ただ、たとえそうであっても、このまま忘れ去られてしまうにはあまりにも惜しい作家です。そこで、数多くの作品群の中から主なものをピックアップし、実際どのような作品があったのかを紹介していきます。
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長編小説

一本の鉛(1959)
女性専用アパート、白雪荘の一室でホステスの絞殺死体が発見される。現場では常連客の大田垣が立ちつくしていたことから警察は彼を逮捕する。かねてから、大田はあかねに思慕の念を抱いており、状況証拠はすべて黒だった。だが、あかねが勤めていたバーのママ、杏子は温厚な彼が犯行に及んだとはどうしても思えなかった。そこで、知人の弁護士である海老沢に協力を要請し、独自に調査を開始するが.......。
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佐野洋の長編デビュー作品です。密室の謎も出てきますが、それはあくまでも軽いジャブ程度の扱いにすぎません。ミステリーを読み慣れた人なら、トリックはすぐに予想がつくのではないでしょうか。一方、本作の肝といえる動機の謎は極めて巧妙です。犯行の狙いがわからないために真犯人の正体がなかなか見えてこないのですが、最後に明らかになる動機はちょっと他作品では例がないもので、その謎が解けるとともにタイトルの意味が判明するという趣向には唸らされます。また、全体的に洒落たムードがするのもそれまでの国内ミステリーにはなかった要素であり、当時の読者には新世代ミステリーとして好評を博したのではないでしょうか。ただ、全体的な地味さはいかんともしがたく、作品が纏う雰囲気に目新しさを感じない現代の読者が楽しむのは、厳しいものがあるかもしれません。


ひとり芝居(1960)
 
恋人との結婚資金に悩んていた男が夜行列車で不倫旅行中のカップルと出くわす。男は2人の素性を調べ上げて恐喝を始めるが、相手の男性は恋人の上司だった.....。
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本格ミステリとして読むにはやや伏線が弱いものの、二転三転する展開は面白く、上質なサスペンスミステリーに仕上がっています。また、犯人を隠すプロット上の仕掛けも見事で、結末の意外性はなかなかのものです。著者の隠れた代表作といえる傑作です。なお、本作は1961年に野村芳太郎監督の手によって『恋の画集』のタイトルで映画化されています。コメディタッチに脚色されていますが、こちらもなかなかの佳品です。


秘密パーティ(1961)
とある料亭では地方議員たちがホステスを集めて秘密パーティを開催していた。最初にくじ引きでカップルを決め、ブルーフィルムの上映会が始まる。ところが、その最中に一人の女性が血を吐いて死んでしまったのだ。状況的には明らかに毒殺だったが、スキャンダルを恐れた議員たちは医師にニセの診断書を書かせて病死として処理する。しかし、しばらくして彼らの元に脅迫状が届き始め.......。
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恐喝者は誰かという謎一本に絞ったシンプルな内容を、語り口のうまさでぐいぐいと読ませる辺りはさすが佐野洋です。解決編も派手な演出などはなく、残り10ページになって淡々と真実が語られるだけというあっさりしたものですが、そこで始めて明らかになる仕掛けは実に大胆不敵なものです。この仕掛けを読者に気づかせないように巧みな工夫がなされているのも佐野洋ならではというべきでしょう。そのため、本作を佐野洋の最高傑作として推す人もいます。ただ、その仕掛けも現代では凡庸なトリックとなってしまっているので、勘の良い人は途中でピンとくるのではないでしょうか。


未亡記事(1961)
四六新聞の亀沢部長が亡くなったという連絡を電話で受けた記者の浅田は死亡記事を書き、彼の通夜に出掛ける。ところが亀沢が死んだというのは嘘で彼の妻もそんな連絡をした覚えはないというのだ。しばらくして、今度は本当に亀沢らしき死体が発見される。ただし、彼だと判断できるものは洋服のネームのみであり、電車に轢かれた死体は顔も指紋も滅茶苦茶になっていた。亀沢は本当に死んだのか?そして、浅田の元にかかってきた偽の電話とこの事件とはどんな関係があるのか?
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いわゆる顔のない死体もので、定石からひとひねり加えた作品になっていますが、ミステリーを読み慣れた現代の読者からすると、その仕掛けに大きな驚きを感じることはないでしょう。ただ、未亡記事という設定にはセンスの良さを感じますし、切れ味の良い結末もなかなかのものです。短い作品でサクサク読めるので、興味があるなら読んで損はない作品です。


死んだ時間(1963)
大学病院の医局員である加賀は愛人の時任杏子がCMタレント殺しの犯人として自首したことを知る。不審に感じた加賀が調べてみると、彼女には加賀以外の男と熱海に旅行に行っていたというアリバイが浮かび上がってくる。ところが、杏子はそのアリバイを頑なに口にしないばかりか、加賀がアリバイの裏付けを取ろうとすると、関係者らはそれを否定しようとし始めるのだ。戸惑いながらも独自の調査を進めていく加賀だったが、その先には思いもよらぬ犯罪の闇が待ち受けていた.........。
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謎の設定がうまく、意外な展開で読者の興味を引き付ける技巧の冴えはさすがです。渦中の人物である杏子を最後まで登場させないことによって、不可解さを高めるプロットにも巧さを感じます。ホワイダニットミステリーとしてよくできた佳品です。ただ、杏子の行動原理は現代の感覚からみれば、納得しがたい部分もあり、その辺りは賛否がわかれるのではないでしょうか。


華麗なる醜聞(1964)
中央日報の粺田は、フランス紙で元駐日P国大使に関するスキャンダル記事を目にする。記事によるとその大使はハイ・ホステスとの関係が元で離婚騒動に発展し、挙句の果てに更迭されてしまったというのだ。ハイ・ホステスとは一体何か?粺田の意を受けた記者たちが取材を重ね、やがて未解決の連続爆弾事件との関係性が浮かび上がってくる。
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日本推理作家協会賞受賞作であり、佐野洋の長編作品の中では比較的名前の知られている作品です。ちなみに、この作品は本格ミステリの要素が乏しく、どちらかといえば、新聞記者たちの取材自体に焦点が当てられています。したがって、謎解きの面白さに期待した人は肩透かしを食らうでしょう。一方、記者たちの取材によって徐々に真実が明らかになっていくプロセスはスリリングで、その筆の冴えはさすが佐野洋といったところです。ただ、当時実際に起きた事件をモチーフにしているだけに、リアルタイムで読めばもっと楽しめたのでしょうが、今となってはさすがに古さを感じます。ちなみに、本作が発表されたのは社会派推理小説全盛の時期ですが、その当時に発表された作品群のほとんどは今ではすっかり忘れ去られています。この作品もそれらと同じ弱点が内包されているというわけです。
第18回日本推理作家協会賞受賞


透明受胎(1965)
ある日、津島は車に轢かれ、なぜかその日から急速に老け始める。一方、車を運転していた田部佳代は40代になるというのだが、どうみても20代前半にしか見えなかった。やがて、津島は佳代と深い仲になるが、彼女はある事件の容疑者となる。だが、彼女にはアリバイがあり.......。
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今となってはやや意外な気もしますが、佐野洋はそのキャリアの初期においていくつかのSFミステリーをものにしています。その中でも本作は一時期、著者の代表作の一つに数えられたこともある作品です。確かに、男性読者用のサービスシーンなどを交えながら平易な文章でぐいぐい読ませる力はかなりのものです。SFネタとミステリー要素の融合も自然な形で行われているところなども評価すべき点だといえるでしょう。ただ、SFネタの扱い方は今となっては古臭く感じますし、クローン人間やナチスドイツが研究していた不老不死の薬といった派手な道具立てが揃っている割には展開が地味なのも否めません。当時としてはミステリーとSFをうまく融合したという事だけでもある程度のインパクトはあったのでしょうが、果たして現代の読者が楽しめるかどうかは微妙なところです。


轢き逃げ(1970)
精密機器の会社で課長の座に就いていた守口は愛人とのドライブ中に人を轢いてしまう。保身のために現場から逃げ出した彼は、密かに車の補修を行うなどして徹底した隠蔽工作を行う。だが、警察の捜査の手は着実に守口の元に迫っていた。一方、被害者の遺族も独自に真相を調べ始め......。
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犯人の視点からの倒叙ミステリーとオーソドックスなフーダニットミステリーを組み合わせた、いわばニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』のような作品です。前半は轢き逃げの犯人がいかに事件を隠蔽するかというプロセスに引き込まれ、後半になると意外な展開から犯人探しが始まるという2段構えのプロットにも巧さを感じます。錯綜した人間関係を整理しながら事件の真相に迫っていく手管も見事です。以上の点から、昭和の時代には本作を佐野洋の最高傑作に推す人も少なくありませんでした。しかし、現代の目から見ると無駄な部分が多くて、少々冗長です。元々、切れ味の良い短編ミステリーを得意としていた作家だけに、いたずらに長くなって切れ味が鈍ってしまった感があります。凝った構成の割には真相が案外平凡だったのもマイナス点です。本作もまた、『華麗なる醜聞』や『透明受胎』などと同様に、時代の変化による風化を免れなかった作品だといえます。
轢き逃げ (光文社文庫)
佐野 洋
光文社
2015-03-27


同名異人の四人が死んだ(1973)
流行作家である名原信一郎は中篇ミステリー”笑う達磨”を発表するが、その中で被害者として描かれていた人物と同名の人間が立て続けに変死する。最初は単なる偶然と思われたが、3件目の事件が起きるにいたってもはや偶然の一言ではすまされなくなった。犯人の狙いは一体どこにあるのか?新聞社の学芸部員として名原信一郎を担当している米内は独自に調査を開始するが........。
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小説と同じ名前の人物が死んでいくという魅力的な謎で読者の興味を引き付け、そのうえ、平易な文章によってテンポよく読ませることに成功しています。リーダビリティの高さはかなりのものです。ただ、強烈な謎に対して真相に意外性が乏しい点がいささか物足りません。これで真相にもうひとヒネリあれば傑作になりえたのですが......。



短編集

銅婚式(1959)
『不運な旅館』『赤いすずらん』『さらば厭わしいものよ』『二度目の手術』
『銅婚式』
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佐野洋のデビュー作『銅婚式』を含む処女短編集です。どの作品も粒ぞろいであり、デビュー当初から短編の名手だった事実をうかがわせてくれます。特に、表題作はデビュー作だけあって力が入っており、回想殺人をテーマにして見事な仕掛けを披露してくれます。その他にもトリッキーな作品が満載で、ブラックなオチが忘れ難い印象を残す『不運な旅館』や洒落たオチに感心させられる『赤いすずらん』など、今読んでもその魅力はいささかも衰えていません。この時期の国内ミステリー短編集を代表する存在だといえるのではないでしょうか。なお、本作はもともと東都書房から発売されたもので、現在、講談社から出ているものには、『離婚作戦』『不貞調査』『カメラに御用心』の3作品が新たに追加されています。


金属音病事件(1961)
『金属音病事件』『人脳培養事件』『かたつむり計画』『五十三分の一』『F氏の時計』
『恋人の魅力』『懸賞小説』
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佐野洋がキャリアの初期に多く書いていたSFミステリーを集めた作品集です。その中でも、ミステリー色が強い作品として秀逸なのが表題作で、特異な患者の特徴を利用した仕掛けが見事です。他にも、この時代ならではのSFミステリーの形というものが満喫できる作品が揃っており、60年代テイストのSFが好きな人にはおすすめの作品集です。なお、現在発売されている角川文庫版には『五十三分の一』『恋人の魅力』『懸賞小説』は入っておらず、代わりに、『匂う肌』『チタマゴチブサ』『異臭の時代』の3作品が収録されています。


殺人書簡集(1962)
『殺人書簡集』『御用の節は』『完全離婚』『失踪計画』『愛すればこそ』
『割れたガラス』『一等車の女』『推理小説を読みましょう』『EPマシン』
『迷惑なプレゼント』『あなたも犯罪者』『お試しください』
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本作はタイトルからもわかる通り、手紙のやりとりだけで物語を組み立てた作品を集めた短編集です。佐野洋はこうした企画ものが得意中の得意で、本作でもその超絶技巧ぶりに思わず唸らされてしまいます。法律の条文を利用して完全犯罪を試みる『完全離婚』など仕掛けが見事に決まった佳品揃いです。なお、現在発売されている徳間書店版には『EPマシン』が入っておらず、代わりに『かわいい悪魔』が収録されています。
殺人書簡集 (徳間文庫)
佐野 洋
徳間書店
1982-05


見習い天使(1963)
『黒い服の女』『誘拐犯人』『すえあれたボーナス』『モデル・ガン殺人事件』
『にせの殺し屋』『最初の嫉妬』『親切で誠実な男』『盗作計画』『当方独身』
『指名手配コンクール』『唯一の方法』『親ごころ』『大きな遺産』『まいた種』
『女の条件』『アンケート』『卒業記念』
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佐野洋としては珍しいショートショート集です。短編の名手として知られる著者ですが、ショートショートでもなかなかの切れ味を見せてくれます。なんといっても秀逸なのが語り手を天使に設定している点です。天使なのですべてを見通すことができるうえに、恣意的に読者をミスリードしたりします。このアイディアをフルに活用して短い枚数の中でうまい具合に話のメリハリをつけているのが見事です。多彩なエピソードが揃っていますが、中でも奇妙な味ものの傑作といえる『大きな遺産』や意表をついたオチが印象的な『盗作計画』などが印象的です。
見習い天使 (1963年)
佐野 洋
新潮社
1963


婦人科選手(1966)
『ある証拠』『噂の夫婦』『蛇の卵』『婦人科選手』『五十三分の一』
『チタマゴチブサ』『違法駐車』『陽の当たる椅子』『馬券を拾う女』 
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著者が脂の乗り切った時期に書いた作品であり、切れ味の鋭い佳品ばかりが揃っています。佐野洋は今でいう”日常の謎ミステリー”のようにちょっとした謎から話を広げていくスタイルを得意としており、たとえば、外れ馬券を大量に拾う女性にスポットを当て、馬券の意外な使い道を明らかにしていく『馬券を拾う女』などはその代表例だといえるでしょう。また、プロ野球選手にそっくりな人物が夜の街に出現する謎を扱った表題作や愛用の車を残して消えた夫を心配する妻が、妹から意外な告白をされる『駐車違反』などもなかなかの傑作です。


入れ換った血(1970)
『入れ換わった血』『狂女の微笑』『満月様顔貌』
『メスの怒り』『毛皮の家』『棘のある肌』
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医学ミステリーを中心に集めた作品集です。この時期の佐野洋の短編ミステリーはどの作品も水準レベルを軽くクリアしているのですが、その中でも、意外な動機に驚愕する表題作は頭一つ抜けた存在だといえるでしょう。また、『棘のある肌』もあまりにも悲痛なラストが忘れ難い印象を残す秀作です。


小説三億円事件(1970)
『系図三億円事件』『三億円犯人会見記』『三億円犯人の情婦』
『三億円犯人の秘密』『三億円犯人の挑戦』
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1968年に発生し、今なお未解決の三億円事件に材を取った連作短編ミステリーです。三億円の隠し場所などがうまく考えられており、ひょっとしたらこれが真相かもと思わせる瞬間があることが佐野洋ならではの巧さだといえるでしょう。三億円事件については半世紀の間にさまざまな作家が小説の題材にしてきましたが、その中でも、本作はセンスの良さが光っています。


大密室(1971)
『大密室』『温かい死体』『別人になる』『汚れた手』『完璧な賭け』
『妻の肉を喰った・・・・』
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光もなく、音も響かない完全密封の部屋に男女が閉じ込められ、女が死体で発見されるというケレン味たっぷりな表題作が印象に残ります。その他にも、一人二役やオカルト譚といった、クラシックなミステリーのネタを現代風にうまく調理している点にいかにも佐野洋らしい巧さを感じます。
大密室 (徳間文庫 111-2)
佐野 洋
徳間書店
1981-05


七色の密室(1977)
『青の断章』『紫の情熱』『赤の監視』『緑の幻想』『紺の反逆』
『黄の誘惑』『白の苦悩』
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リアリストとして定評のある佐野洋としては珍しく、本格ミステリの大ネタである密室トリックに挑んだ作品集です。ただ、そうはいっても、特に大がかりな仕掛けや独創的なトリックがあるわけではありません。たとえ密室殺人のような大ネタでも、どこまでもリアリティにこだわり、作風はあくまでも地味です。その代わり、密室に対する切り口に関しては工夫を凝らしており、物語のプロットも良く考えられています。特に、密室の謎を一旦解明しておいてから、さらにひとひねりを加えた『青の断章』や麻雀をやっていた4人が密室で謎の中毒死を遂げる『緑の幻想』などが印象的です。ただ、密室トリック自体は本当に地味なので、その辺りに過剰な期待をすると失望することになるでしょう。
1977年文春ミステリーベスト10第8位(国内・海外混合ランキング)


匂う肌(1977)
『ピンク・チーフ』『虚飾の仮面』『匂いの状況』『賭け』『匂う肌』
『反対給付』『使者からの葉書』『内部の敵』『手記代筆者』
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佐野洋の傑作選で、1959年発表の表題作を始めとして幅広い年代から収録されており、また、フレンチミステリー風のサスペンスものからSF仕立てのものまで、バラエティに富んだ構成になっています。まず、最初の『ピンク・チーフ』はピンク・チーフという名のゲームが行われた翌日に殺人が起きるという筋立てで、ゲームのルールの裏に秘められた意味が次第に明らかになっていくプロセスが読者の興味を引き立てます。一方、『死者からの葉書』は文字通り、死んだ人間からハガキが届く謎を扱っているのですが、とにかく先を読ませずに意外な方向に物語を転がしていくプロットの巧みさは見事というしかありません。その他の作品も佳品揃いで、さすがに短編の名手の傑作選というだけのことはあります。


姻族関係終了届(1978)
『死亡届』『姻族関係終了届』『被害届』『認知届』『養子離縁組届』
『欠勤届』『弁護人選任届』
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これまた佐野洋の十八番である同一テーマで固めた短編集です。今回は役所に提出するさまざまな届出を共通テーマにしているのですが、1枚の届出用紙に秘められた秘密を浮かび上がらせ、意外な結末へと持っていく手際が見事です。
どの作品も小さなネタを元に話を広げていくのがうまくて感心させられます。
崩れる(1982)
『ある自殺』『崩れる』『慰謝料』『人脳培養事件』『検事の罠』
『透明な暗殺』『誘った人』『善意の報い』『駐車禁止』
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表題作は1964年発表の作品です。元夫を刺殺した女性の話で、「彼が手にしたモデルガンを本物の銃だと勘違いし、身の危険を感じて思わず刺してしまった」という女性の主張が真実かどうかという点に焦点があてられています。これがなかなかヒネリの効いた逸品です。その他の作品も佐野洋ならではの技巧が詰め込まれており、意外な結末を堪能することができます。


折々の殺人(1986)
『その時の2人』『固い背中』『盛り上がる』『階段の女生徒』『夢の旅』
『衰える』『ひそかな願い』『意地悪な女』
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古今の和歌や俳句にインスパイアを受けた作品を集めた短編集です。各エピソードの前には作品の元になった歌の解説を佐野洋自身が行っており、雰囲気を盛り上げてくれます。一方、本編のほうは、表の事象を反転させてその裏側にあるものを浮かび上がらせていく手法に優れ、佐野洋ならではの技巧を存分に楽しめる作りになっています。ただ、反転のさせかたがあまりにもさりげないので、かえって印象に残りずらいかもしれません。良くも悪くも佐野洋らしさがにじみ出ている作品集です。


大密室:佐野洋密室ミステリー傑作集(2000)
『青の断章』『紫の情熱』『赤の監視』『緑の幻想』『紺の反逆』
『黄の誘惑』『白の苦悩』『密室の裏切り』『声の通路』『大密室』
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1977年に発売された『七色の密室』をベースにして『密室の裏切り』『声の通路』『大密室』の3作を追加した密室ずくめの一冊です。新たに追加された作品の中で白眉といえるのはやはり『密室の裏切り』でしょう。渡辺剣次編纂の密室アンソロジー『13の密室』にも選出された名品で、ホワイダニットとしての密室にこだわっている点が他の作家の密室ものとは一味違います。ちなみに、1971年に発売された『大密室』と本作は表題作が同じだけで、それ以外は全く別の作品が収録されています。くれぐれも間違えないようにしてください。



エッセイ・評論

推理日記(1973~2012)

ここまで紹介してきた作品群を見てみると佐野洋は小さなネタを上手く膨らませ、限られた枚数で切れ味鋭くまとめるのに長けた作家であることがわかります。そうした反面、長編を支えるだけのトリックや仕掛けを考えるのは苦手だという側面がありました。そのため、出来上がったものはどうしても薄味になりがちです。発表当初はセンスの良さで読ませることができたのかもしれませんが、時代がすぎてセンスが古くなれば忘れられるのも致し方ないといえるでしょう。一方、短編のほうはどれもクオリティの高いものばかりですが、シリーズものでない短編小説はオールタイムベスト級なものでない限り世間からは忘れられてしまう運命です。リアリティを重視するあまり、どの作品も地味な印象になったのも時代の風化に耐えられなかった一因だといえます。しかし、実は佐野洋にはこれぞ代表作というべき大傑作が一つあります。それがミステリー評論の『推理日記』です。1973年から2012年の長きに渡り、その時々のミステリー作品やミステリーに関するトピックスを扱った批評コラムで、これがあれば国内ミステリーの現代史を概ね理解することができます。忌憚のない意見を書き過ぎて連載当初は、揚げ足取りだの独善的だのいわれたりもしましたが、そういわれるほど率直な意見を述べているからこそ読み物として面白いのだともいえます。見識にも優れていて警察機構や法律に関する知識、さらには創作における視点の問題などをわかりやすく説明していたりするので、ミステリー作家志望者のバイブルにもなった名著です。これからミステリーをたくさん読んでいきたいという人にとってもこのシリーズは大いに参考になるでしょう。ただ、色々な作品のネタバレを結構普通にしているので、その点だけは注意が必要です。



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