最新更新日2018/4/21☆☆☆

F・W・クロフツことフリーマン・ウイルス・クロフツはミステリー黄金期が到来した1920年に名作「樽」でデビューし、その後も優れた作品をコンスタントに発表していきます。その質と量は黄金期の3大巨匠、クリスティ、クイーン、カーにも匹敵するほどです。ところが、この3人に比べるとクロフツの存在感はどうにも希薄です。本国ではすでに忘れられた作家ですし、比較的翻訳に恵まれている日本でも有名な作品といえば「樽」とあとはせいぜい「クロイドン発12時30分」ぐらいのものです。その理由はどこにあるのか。また、クロフツの作品が持つ魅力とは一体何なのか。おすすめ作品を紹介しながらその辺りを探っていきます。
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樽(1920)
ロンドンの波止場で積み荷を降ろす途中、吊り上げられた樽が落ちて破損してしまう。中から出てきたのは数枚の金貨と人間の手だった。積み荷会社は慌てて警察を呼ぶが、樽は忽然と姿を消してしまう。数日後、樽を持ち去ったのがフランス人画家のフェニックスであることが明らかになり、彼は殺人容疑で逮捕されるが......。
本作はアリバイ崩しものの古典的名作と世間では思われがちですが、実はアリバイが問題にされるのは終盤近くになってからであり、扱いもそれほど大きなものではありません。それよりも、この作品の主軸となっているのは英仏の刑事や私立探偵たちが不可解な動きを見せる樽に対してコツコツとその謎に迫っていくプロセスにあります。手がかりを集めながらジワジワと真相に近づいていくこの感覚はその後発展を遂げる警察小説の面白さにつながっています。名探偵が閃きによって事件を解くミステリーが中心だった時代に、これほど緻密な捜査小説を完成させていたとは実に驚くべき事実です。樽が名作だといわれる理由もその巧緻なプロットと先見性の高さにあるのではないでしょうか。
樽【新訳版】 (創元推理文庫)
F・W・クロフツ
東京創元社
2013-11-21


ポンスン事件(1921)
一代で財をなし、市長まで務めたウィリアム・ポンスンは、引退をして悠々自適な毎日を過ごしていた。ところが、そんな彼が行方不明になる。捜索の結果、邸宅の裏を流れる川の下流で彼の死体が発見される。現場の近くにこなごなになったボートがあり、最初は事故死だと考えられていた。だが、検死の結果、後頭部に打撲の跡が見つかり、しかも死体が水を飲んでいないことから殺人事件の可能性が高まってくる。容疑者は結婚相手を巡って対立をしていた息子のオースチンと金に困っている甥のコスグローブ。しかし、2人にはアリバイがあった。事件を担当するタナー警部はオースチンのアリバイを崩して彼を逮捕するが、彼は犯行を否認する。そんな中、第3の容疑者が浮上するが.......。
警察官が執念の捜査を続け、容疑者のアリバイを崩していくといったクロフツのスタイルがより深まっていったデビュー第2作品す。ただし、この作品で扱われているアリバイトリックは小粒で大したことはありません。その代わり、プロットにひねりが加えられており、単なるアリバイ崩しミステリーだと思っていると2転3転する展開に翻弄されることになります。地味ながらよく考え抜かれた佳品です。
ポンスン事件 (創元推理文庫 106-2)
F.W.クロフツ
東京創元社
1989-12-12


フローテ公園の殺人(1923)
南アフリカの鉄道のトンネル近くで死体が発見される。夜遅くにそこを通過した貨物列車に轢かれたということが判明するが、死体はバラバラになっており、身元が分からない。しかも、事故なのか自殺なのかも判然としないままだ。しかし、鉄道近くのフローテ公園から死体を引きずったと思われる痕跡が発見され、殺人の可能性が一気に高まってくる。被害者の身元も大手食品会社の経理部課長補佐だと判明する。捜査の結果、怪しい人物は次々と浮かんでくるものの、どれも決定打に欠けるものばかりだった。焦る捜査陣は事件当夜怪しい行動をとっていたある人物を逮捕するが......
例によって殺人事件の捜査が丹念に描かれている作品ですが、本作はそれがあまりにもくどすぎるので前半は読んでいてもどかしさを感じるかもしれません。しかし、南アフリカの事件が意外な結末を迎え、舞台をスコットランドに移してからは非常にスピーディでスリリングな展開が楽しめます。そして、本作の白眉はなんといっても地味なアリバイ崩しだと思わせておいての最後のどんでん返しでしょう。この時代にここまで結末に驚きを感じさせる作品が存在したこと自体が驚きです。間違いなく、クロフツ初期を代表する傑作です。
フローテ公園の殺人 (創元推理文庫)
フリーマン・W・クロフツ
東京創元社
1975-09-12


フレンチ警部最大の事件(1925)
宝石商の支配人が殺され、金庫からは3万3千ポンドの宝石が消えた。金庫の鍵は2つとも厳重に保管され、合いカギを作ることは不可能だった。一体、誰がどのようにして宝石を盗み出したというのか?スコットランドヤードの敏腕警部・フレンチが捜査に乗り出すが......。
シリーズ探偵となるフレンチ警部の初登場作品です。典型的な足で捜査をするタイプの警察官であり、同時期に活躍していた名探偵たちと比べると華や個性は著しく欠如しています。しかし、一方で、粘り強い捜査によって真相に近づこうとする彼の姿は、他の名探偵にはない強い共感性を読者に与えてくれます。その辺りがフレンチ警部の魅力だといえるでしょう。また、本作ではフランス、スペイン、オランダ、スイスといった具合にヨーロッパじゅうを飛び周り、旅情たっぷりの捜査劇が楽しめます。事件そのものには大きな仕掛けはないのですが、さまざまな謎と小さなトリックが随所に組み込まれていて飽きさせません。妻や部下など、フレンチ警部を取り巻くキャラクターたちも魅力的であり、シリースのスタートを飾るのにふさわしい佳品に仕上がっています。


スターヴェルの悲劇(1927)
荒野に建つ陰気なスターヴェル屋敷はある夜に出火し、焼失してしまう。焼け跡からは主人と召使夫婦の焼死体が発見され、金庫の中の紙幣は灰になっていた。事故かとも思われたが、ある疑念が持ち上がり、フレンチ警部が乗り出すことになる。しかし、事件はフレンチ警部の地道な捜査をあざ笑うかのように意外な展開を見せていく。
本作はいつにもまして警察側の地道な捜査がクローズアップされており、さまざまな謎が複雑に絡み合った事件を小さな手がかりをヒントにして徐々に解きほぐしていく捜査小説としての面白さを存分に味わうことができます。とは言え、今回のフレンチ警部は優秀な探偵役とは言えず、終盤まで犯人の緻密な計画に翻弄され続けることになります。むしろ、上司であるミッチェル主席警部が鋭い洞察力を見せ、フレンチ警部は彼に助け舟を出される始末です。このように、本作では主人公一人の力ではなく、組織全員で謎に立ち向かうというスタイルが顕著です。その辺りにも警察小説としての萌芽を見ることができます。また、ミステリーとしては得意のアリバイ崩しを封印した純粋なフーダニットに仕上がっています。最後の最後でフレンチ警部が真犯人に気が付くどんでん返しがあり、その仕掛けも秀逸です。さすがに現代のミステリーファンであれば犯人の正体を見破るのはそれほど難しくはありませんが、全体のプロットが非常によくできているのは確かであり、警察小説と本格ミステリの両方の面白さを堪能できる傑作だといえます。
スターヴェルの悲劇 (創元推理文庫)
F.W. クロフツ
東京創元社
1987-09


マギル卿最後の旅(1930)
紡績業で財を成したジョン・マギル卿は70歳となり、引退してロンドンで暮らしていた。そんな彼が新しい紡績の機械を発明し、その成果を跡を継いだ息子に見せるべく設計図を携えて北アイルランドへと旅立った。ところが、マギル卿は旅の途中で消息を絶ってしまう。フレンチ警部が捜査に乗り出してマギル卿の足取りを追っていくが、それも途中でプツリと途切れてしまう。そんな時、警察に匿名の手紙が届く。そこには、マギル卿の息子であるマルカム少佐の敷地内に怪しげな人影を目撃したと書かれてあった。そこで、少佐の邸宅を調べてみると、庭からマギル卿の死体が出てきたのだ。果たして誰が彼を殺したのか?
クロフツ中期の代表作とされる作品です。被害者の長い旅路の中に仕掛けられた重層的なアリバイ工作とそれを崩そうとするフレンチ警部の丹念な捜査ぶりが、地味ながらもファンにとってはこたえられない魅力となっています。同時に、英国の鉄路や旅の描写も読みどころの一つです。最初のページの地図を頭に入れながら読んでいけば、より作品の魅力を堪能することができるでしょう。
マギル卿最後の旅 (創元推理文庫)
F.W. クロフツ
東京創元社
2002-11-08




英仏海峡の謎(1931)

英仏海峡を漂う一艘のヨット。その中には2人の男の死体が転がっていた。しかも、彼らは世界恐慌のあおりを受けて倒産した証券会社の社長と副社長であり、会社の金庫からは150万ポンドの現金が消失していた。フレンチ警部が捜査に乗り出し、容疑者は3人に絞られるが......。

デビューから10余年後に書かれた本作はクロッフのスタンダードの結晶とでもいうべき作品です。不可解な事件の謎を足を使って少しずつ解明し、やがて容疑者に行きつくものの。鉄壁のアリバイが立ちふさがり、それを崩そうと悪戦苦闘する。そしてアリバイを突き崩したあとには犯人とのドンパチも用意されているというすっかりお約束の世界です。それが退屈だという人も少なくないでしょうが、一度はまれば癖になる味わいがあります。それに、ポンスン事件のタナー警部ーや製材所の秘密のウイリス警部が登場し、フレンチ警部と力を合わせて謎に挑んでいくというのもファンにとっては胸熱の展開ではないでしょうか。また、アリバイトリックは単純ではあるものの堅実であり、それがまた捜査小説としての面白さを引きたてています。クロッフの特徴がよく現れており、クロフツ上半期の総決算ともいうべき作品です。

英仏海峡の謎 (創元推理文庫 106-9)
F.W.クロフツ
東京創元社
1960-12-23


死の鉄路(1932)

海岸線の見通しの悪い路線で鉄道会社次席技師のロナルド・アッカリーが列車に轢き殺された。最初は事故だと思われたものの、現場近くで怪しげな男が目撃されたとの情報が入る。そこで、地元警察は殺人の可能性ありと判断し、スコットランドヤードに応援を求める。派遣されたフレンチ警部が捜査を進めると、殺人の可能性は濃厚になるばかりだった。そこで、関係者のアリバイを調査するが、全員アリバイが成立してしまう。
クロッフは元々鉄道技師であり、デビュー後しばらくは兼業作家を続けていました。本作はそんな彼が本職で得た知識を存分に活かして描いた力作です。序盤から鉄道会社の描写が緻密に描かれ、その臨場感が大きな読みどころになっています。ドロドロした社内トラブルについても言及している辺りなどは社会派推理小説にも通じる味わいがあります。そして、フレンチ警部によるいつもの緻密な調査も楽しめる上に、意外な犯人も用意しているというサービスぶりです。クロフツ本人としてもかなり力の入った作品であることを伺わせてくれます。ただ、その一方で、意外性の提示方法がフェアでないなど、現代の読者からみると色々瑕疵の多い作品であることは確かです。その辺りが本作を今一つマイナーな作品にとどまらせている原因だといえます。しかし、そういった面も含めて、色々と興味深い作品であることは確かです。
死の鉄路 (創元推理文庫 (106‐27))
F・W・クロフツ
東京創元社
1983-11-25


ホッグズ・バックの怪事件(1933)
ある町で引退した医師が失踪した。それも数分前まではくつろいで新聞を読んでいたのに忽然と姿を消したのだ。そして、また新たな失踪者が......。
クロフツの作品としては犠牲者が多く、次々と姿を消していく人々の謎でグイグイと読ませていきます。そして、フレンチ警部の緻密な捜査もあいかわらずです。その捜査の結果、最後は64の手がかりを挙げて推理を披露してくれます。さすがに64個にもなるとくどすぎですし、エラリー・クイーンのような華麗なロジックがあるわけでもありません。しかし、そこに至るまでの捜査の細やかさはこれぞクロッフというべきものであり、ファンにとっては大いに堪能できるのではないでしょうか。また、謎に対する解答も一つ一つは大したことはないのですが、幾重にも構築されたプロットが秀逸です。いつものクロッフとはかなり毛色の変わった趣向を扱いつつも、クロッフらしさも存分に味わえる佳作です。


クロイドン発12時30分(1934)
富豪のアンドリュウ氏は交通事故にあった娘を見舞うために飛行機でパリに向かった。その彼がパリへの途上で死亡してしまう。死因は毒によるもので発作的な自殺だと思われた。しかし、実際は甥のチャールズによる計画殺人だったのだ。アンドリュウ氏の死によって破綻寸前だった工場は救われ、チャールズは自分の立案した計画の完璧さにほくそ笑む。ところが、その計画は目撃者の存在によって綻びを見せ始める。そして、チャールズにフレンチ警部の捜査の手が伸びようとしていた。
フランシス・アイルズの「殺意」、リチャード・ハルの「伯母殺人事件」と並ぶ三大倒叙ミステリーのひとつです。ビック3の中でも最もオーソドックスな作品で、意外な展開やミステリー的な仕掛けといったものはほとんどありません。それだけに現代の読者にとっては物足りないものを感じるかもしれませんが、倒叙ミステリーとはどういったものかを知る上では格好の教科書だといえるでしょう。驚きの展開などはないものの、犯人が綿密な殺人計画を立てそれが次第に崩れていく様を丁寧に描写しているので犯罪記録の物語としては読みごたえ十分です。また、犯人の視点に立つと完璧な計画に思えたものが、フレンチ警部から見ると穴だらけの計画だったというのも、緻密な犯行に悪戦苦闘するフレンチ警部の姿を描いてきたこれまでのシリーズとは逆のパターンでユニークです。


列車の死(1946)
第2次世界大戦中期。ドイツ軍に押されていたイギリスはこの状況を打開すべく、列車による極秘の輸送作戦を開始する。ところが、ちょっとしたアクシデントで列車の出発が遅れたところ、先行した旅客列車が爆音とともに転覆する。作戦情報がドイツ軍に漏洩していたのだ。スパイの存在に気付いた政府はロンドン警視庁に極秘捜査を命ずる。一進一退の攻防の中、フレンチ警部はスパイ組織壊滅のために一計を講じるが.......
本作はクロッフ後期の代表作といわれる作品ですが、殺人事件の捜査もアリバイ崩しもありません。完全なスパイサスペンスです。読みどころはフレンチ警部が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされる後半の展開ですが、クロッフの鉄オタぶりが存分に発揮される前半の鉄道描写も興味深いものがあります。ただ、本格ミステリとしての要素はおまけ程度なので、いつものクロフツを期待するとがっかりする可能性は大です。



あとがき

こうして振り返ってみると、クロフツの作風は本格ミステリ愛好家の趣向とは微妙にずれていることがわかります。彼の作品にはクリスティのような巧みなプロットによる意外な真相といった趣向は一部の作品を除けば希薄ですし、クイーンの如き華麗なロジックといった要素も皆無です。かといって、カーのお株を奪う大トリックがあるわけでもありません。アリバイ崩しの名手などといわれていますが、トリック自体は案外大したことはないのです。その代わり、彼の作品には事件の謎を粘り強く追い続け、少しずつ真相が明らかになっていくといった捜査小説としての魅力があります。名探偵がそれまで秘匿し続けた真相を最後の最後で唐突に語り始めるのではなく、探偵役と読者が常に同じ目線に立って事件を追っている感覚。この面白さが理解できるかどうかでクロフツの作品の評価は変わってくるのではないでしょうか。

クロフツ樽