最新更新日2023/09/20☆☆☆

ミステリー黄金時代の3大巨匠と言えば、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ディクスン・カーの3人ですが、こと大衆人気という点ではクリスティが他の2人を遥かに凌駕しています。それは没後半世紀近くたっても次々と新しい映画が作られていることからも明らかでしょう。古典ミステリーで未だにこれだけ映像化されているのはクリスティを除けばコナン・ドイル原作のホームズものぐらいなものです。しかし、肝心の映画の出来はどうなのでしょうか。原作同様に面白いのでしょうか?非常に気になるところです。そこで、今まで公開されたクリスティの映画作品とその原作を対比させながら解説をしていきます。
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検察側の証人(1925)
金持ちの未亡人が殺され、その容疑者として愛人関係にあった青年・レオナードが逮捕される。彼は未亡人の遺産相続人に指名されており、遺産目的の犯行だとみなされたのだ。勅撰弁護士のロバーツは彼を弁護することになったが、状況は明らかに不利だった。物的証拠こそないものの、状況証拠のすべてが彼を犯人だと指し示していた。ロバーツはレナードの妻であるクリスチーネにアリバイを証言してもらおうとするが、彼女はレナードに敵意をむき出しにしてそれを拒絶する。それでも、ローバーツは物的証拠がない点をつき、裁判を盛り返していく。そんな中、クリスチーネが裁判所に姿を現すが、彼女はなんと検察側の証人として証言台に立ち、レナードにとって不利な証言をするのだった。
クリスティの代表作と言えばほとんどが長編小説なのですが、唯一例外といえるのがこの作品です。本作はわずか30数ページの短編小説であり、1925年に雑誌に掲載されたのが初出となっています。その後、1933年発売の短編集「死の猟犬」に収録され、1952年には戯曲版を発表、翌年から上映された舞台が評判を呼んで作品の知名度は一気に高まっていきます。ちなみに、短編小説と戯曲版ではラストが全くの別物です。最初の短編小説もどんでん返しが鮮やかなのですが、戯曲版ではそれをさらにひっくり返して唖然とする幕切れを用意しています。ただ、読者によっては最初の短編の方がよかったという人もいるので読み比べてみるのも一興でしょう。
検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14
死の猟犬 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-02-20


【劇場版】
情婦(1957)
アガサ・クリスティ原作の映像化作品は数多くありますが、その中でも最高傑作と言えばこれをおいて他にはないでしょう。監督は「サンセット大通り」「アパートの鍵貸します」などで知られる名匠ビリー・ワイルダー。彼の卓越した手腕はこの作品で最大限に活かされ、終盤のどんでん返しを絶妙な間の取り方で演出しています。ワイルダー自身が書いた脚本も見事なもので、その完成度の高さは原作を超えたといえるほどです。さらに、被告人の妻を演じたマレーネ・ディートリッヒは当時56歳とはとても思えない美しさを放ち、被告人席に立つチャイロン・タワーは完璧な色男ぶりを演じています。もちろん、主役であるチャールズ・ロートンの演技力も素晴らしく、まさにパーフェクトと言うべき作品です。ただ、唯一残念なのは今となってはちょっと意味不明な感の強い邦題です。ここは原題と同じ「検察側の証人」でよかったのではないでしょうか。

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2014-04-17


ナイチンゲール荘(1934)
2千ポンドの遺産を手にしたアリクスはジェラルドという男性と出会い、短期間の交際を経た後に結婚する。郊外に一軒家を建て、愛する夫と幸せな生活を送っていたアリクスだったが、何か引っかかるものを感じていた。その原因は彼女がジェラルドの過去を全く知らない事実にあった。アリクスは好奇心から夫のことを調べ始め、やがて有名な殺人鬼に関する新聞の切り抜きを隠しているのを発見する。未だに捕まっていないその殺人鬼は結婚を繰り返しては妻を殺しているというのだが......。
本作は短編集『リスタデール卿の謎』に収録されている一編でいわゆる青髭ものです。ヒロインが夫に疑惑を抱き、やがて彼の正体を知るという展開はサスペンスに満ちており、読み応えがあります。また、最後の逆転劇も鮮やかで、その完成度の高さから各種アンソロジーなどにもよく選出されています。短編ながらクリスティの非本格もののなかでは代表的な作品だといえるのではないでしょうか。
リスタデール卿の謎 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ クリスティー
早川書房
2003-12-01


【劇場版】
血に笑う男(1937)
戦前の映画なので音質や画質は粗いものの、内容そのものは決して悪くはありません。まず、最高のホームズ俳優といわれたベイジル・ラスボーンが、紳士的でありながらも残忍さを秘めたヒロインの夫を見事に演じています。一方、ヒロインに扮するアン・ハーディングの熱演も素晴らしく、クライマックスの逆転劇を大いに盛り上げてくれます。さすがに古臭さは否めないものの、王道サスペンス映画として申し分のない出来です。細部の設定を変えながらも原作の良さを十分に引き出しており、クリスティ映画の隠れた良作だといえます。ただ、現代の映画とはテンポが違うので、人によってはクライマックスの展開がいささか唐突すぎると感じるかもしれません。
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オリエント急行の殺人(1934)

中東で仕事を終えた探偵のポアロはオリエント急行に乗って帰途につく。彼が乗車した一等車両はポアロの他にさまざまな国の人が乗り合わせ、満席となっていた。やがて、その中の一人、富豪のサミュエルがポアロに話しかけてくる。彼は脅迫状を受け取っており、身の危険を感じているという。そして、ポアロに護衛の仕事を頼みたいというのだ。ポアロはそれを断るが、その翌日サミュエルは寝台席で死体となって発見される。彼の体はめった刺しにされ、12の傷跡が残されていた。彼を殺した犯人は乗客の中にいるのか?雪で立ち往生となった列車の中でポアロは独自に捜査を開始するが....。
クリスティの作品としては「アクロイド殺し」と双璧をなす、1回限りの大技が炸裂する傑作です。言われて見ればごく単純な仕掛けなのですがそれを気付かせない手管がまた見事です。1920年代のクリスティは「アクロイド殺し」だけが有名な作家というイメージでしたが、この作品を発表後は脂が乗り始め、傑作を連発するようになってきます。そういう意味では本作は彼女のターニングポイントとなった作品だったといえるかもしれません。
オリエント急行の殺人 (創元推理文庫)
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東京創元社
2003-11-09


【劇場版】
オリエント急行殺人事件(1974)
舞台のほとんどが列車の中であり、胸躍るアクションや手に汗握るサスペンス展開があるわけでもありません。画面に大きな動きはなく、ただ単調な会話劇が続くだけです。本来なら退屈な映画だと切り捨てるところですが、本作の見どころはそれとは別のところにあります。とにかく出演者が豪華すぎるのです。インングリッド・バードマン、アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリーといった世紀の名優が勢ぞろいしており、その存在感だけで画面に引き込まれてしまいます。ちなみに、インングリッド・バードマンはこの作品でアカデミー賞・助演女優賞を受賞しています。娯楽映画としてのわくわく感よりも、どちらかと言えば名優の堂々たる演技と豪華なセットから醸し出される文芸作品のごとき高貴な香りを楽しむ作品だといえるでしょう

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オリエント急行殺人事件(2017)

43年ぶりに再映画化されたリメイク作品です。今回も豪華俳優を揃えたスター映画に徹していますが、43年前の映画との最大の違いは主役のポアロでしょう。小太りでちょび髭の皮肉屋というパブリックイメージを捨て去り、スマートで機敏に動き回る紳士という新しいポアロ像を創出しています。古くからのファンは相当な違和感を覚えるはずで、この点は賛否の分かれるところでしょう。作品的にはスタイリッシュな画面と娯楽性が加味されてすっきりと見やすくなった感じになっており、より原作に忠実でゴージャスな雰囲気の74年版とどちらがよいかといった点でも意見が分かれそうです。
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ナイルに死す(1937)
大富豪の娘、リネットは友人のジャクリーンから失業中の婚約者であるサイモンを雇ってほしいと頼まれる。ところが、サイモンは魅力的な男性であり、彼に一目ぼれしたリネットはジャクリーンから恋人を奪う形で電撃結婚をしてしまう。2人はエジプトへ新婚旅行に出かけるが、怒り狂ったジャクリーンが彼らの後を執拗に付け回していた。偶然エジプトに居合わせたポアロはジャクリーンをなだめようとするが、彼女は全く耳を貸そうとしない。そして、ついに事件が起きた。ジャックリーンがサイモンの足をピストルで撃ち抜いたのだ。
中期以降の作品で頻繁に舞台になった中東ものの代表作。事件が起きるまでにかなりのページが割かれていますが、波乱万丈の展開が描かれているため、読んでいて退屈することはないでしょう。また、新婚旅行が始まってからの旅情ロマンと愛憎劇も大きな読みどころになっており、恋愛サスペンスとしても一級の作品です。ミステリーとしての仕掛けも秀逸な出来であり、切れ味のよい本格ミステリと濃厚な人間ドラマが見事に融合した傑作となっています。ただ、クリスティ作品を読み慣れている人にとっては犯人は見破りやすく、クリスティ作品あるあるパターンから脱却できていない点が唯一の欠点だといえます。
【劇場版】
ナイル殺人事件(1978)
スクリーンいっぱいに広がるナイル川や古代遺跡といった映像美で旅情気分を満たしつつ、連続殺人の謎をポアロと共に追っていくというアトラクション性の高い作品です。また、デヴィッド・ニーヴン 、ジョージ・ケネディ、オリビア・ハッセーといった豪華俳優陣もスクリーンに華を添えてくれます。ただ、古典ミステリーらしい芳醇な味わいといった点では「オリエント急行殺人事件」の方が一枚上手です。それに比べて、こちらは予算をたっぷりとかけた2時間サスペンスといった趣であり、どこか薄っぺらいイメージが否めません。それでも見どころ満載の映画であることには違いなく、クリスティ映画の中ではかなり健闘している作品だといえるでしょう。
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ナイル殺人事件(2020)
脚本は原作の良さを存分に引き出しており、ミステリー映画として申し分ありません。ただ、ピラミッドなどのシーンがスタジオ撮影のため、旅情ミステリーとしてのリアリティが損なわれている点は少々残念な気がします。一方、原作にはない本作ならではの魅力として挙げられるのが事件だけでなくポアロ自身にも焦点が当てられている点です。特に、終盤のサプライズシーンはケネス版ポアロの真骨頂だといえるでしょう。ただ、前作からケネス・ブラナー演じるポアロに違和感を覚えている人にとっては不必要な要素だと感じるかもしれません。その点は好みの分かれるところです。また、1978年版との比較では豪華絢爛さでは本作、旅情気分に浸れるという点では1978年版にそれぞれ軍配が上がるのではないでしょうか。
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死との約束(1938)
ポアロは中東を旅行している最中、エルサレムの最初の夜に殺人計画の相談とも思える男女の会話を耳にする。そして、ヨルダンの首都アンマンに到着したポアロは旧知の仲のカーバリー大佐にアメリカ人である老婆の不審死について調査を依頼される。彼女は生前、独裁者として家族を抑圧し続けていた人物であり、家族の誰かが彼女を殺した可能性が強いというのだ。
本作は一般にはあまり有名な作品ではありませんが、一部のマニアの間ではディクスン・カーの代表作である「皇帝のかぎ煙草入れ」の元ネタではないかと囁かれています。この作品で用いられているトリックが「皇帝のかぎ煙草入れ」のそれと酷似しているからです。ただ、本作の場合はそのトリックがあくまでもサブトリック扱いされているのでそこまで印象に残るものではありません。それに、トリックの使い方も後発である「皇帝のかぎ煙草入れ」の方がより巧妙です。その一方で、人間関係のサスペンスを書かせるとさすがにクリスティの方が上手で読み物としての面白さではやはり本作の方に軍配が上がるでしょう。まだ両方とも未読だという人はぜひ読み比べてみてください。
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【劇場版】
死海殺人事件(1988)
原作は波乱万丈な展開や血みどろの連続殺人があるわけでもなく、地味ながらもクリスティの筆力で読ませる静かなサスペンスが魅力の作品でした。それをそのまま映画にしたのではなかなか面白いものにはなりません。案の定、本編が1時間50分なのに事件が起こるまで約1時間かかるというなんともテンポの悪い作品となってしまっています。そして、事件が起こった後はポアロがあっという間に真相を見抜いてしまうのでバランスの悪さだけが印象に残る結果となっています。「オリエント急行殺人事件」や「ナイル殺人事件」と同じく異国情緒が楽しめる作品ということでのセレクトだったと思いますが、やはりどう考えても映画向きの素材ではなかったようです。
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そして誰もいなくなった(1939)

イングランド南西部にある小島、インディアン島。そこにはお互い面識のない8人の男女が招待されていた。迎えに出たのは召使いの夫婦だったが、彼らも主人の顔を見たことがないという。それぞれが不審に感じながら晩餐を食べていると、謎の声が響き渡り、一人一人が犯した過去の罪を暴いていく。部屋を調べるとその声は蓄音機から発せられたものだということがわかった。その告発を招待客のひとりである青年は嘲笑い、その場で酒を飲み干す。しかし、グラスには毒が混入されており、青年はあっという間に絶命する。それが逃げ場のない孤島での連続殺人の始まりだったのだ........。
本作はおそらく世界で最も優れたミステリーのひとつでしょう。オールタイムベストの人気投票をすれば必ずベスト5以内にランクインしますし、幾度となく映画化されているという事実からもそれは明らかです。この作品の魅力はなんといってもその舞台設定にあります。10人の男女が孤島に集められて一人一人殺されるというシチュエーションにはゾクゾクとするようなサスペンスに満ちていますし、それを余計な横道にそれることなく、最後まで突き進むテンポの良さがより緊迫感を盛り上げてくれます。しかも、ホラーサスペンスじみたストーリー展開ながらもその真相は本格ミステリの作法に則った意外性に満ちたものである点が見事です。トリック自体は正直大した仕掛けでもないのですが、それを巧妙なミスディレクションによって見抜かれないようにする手腕がまた秀逸です。今となってはリスペクト作品が山のように登場したため、設定の新鮮さは失われてしまったものの、クローズドサークルものとしての密度の高さは今なお他の追随を許していません。まさに名作中の名作といえる作品です。


【劇場版】
そして誰もいなくなった(1945)
監督は「巴里祭」で有名なルネ・クレール。内容は原作を忠実に映像化した堅実な出来なのですが、その原作というのが小説版ではなくて戯曲版であるところが問題です。戯曲版はラストを変更してあり、小説版に比べるといささか衝撃度に欠けています。しかも、最初の映画化で戯曲版を採用したために、その後製作されたリメイク作品もこのラストがスタンダードとなってしまったのは残念なところです。映画であのラストを採用するのが難しいのは分かりますが、だからこそ成功すれば観客に衝撃を与えることができるのではないかと思うのですが。また、その他に、本映画の特徴としては終始緊迫した雰囲気の原作と異なり、軽妙洒脱な演出がなされている点が挙げられます。死体が次々と増えていく割にユーモラスなシーンが多いのはやはり監督の特質でしょう。原作小説に思い入れの強い人であれば不満が残る出来ですが、そうでなければ気軽に楽しめる古典映画といった評価も可能な作品です。
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姿なき殺人者(1965)
「そして誰もいなくなった」2度目の映画化です。再映画化ということもあり、目先を変える意味で舞台を孤島からアルプス山頂の山荘に変更。しかも、ロープウェイや絶壁でのスペクタルシーンを追加してなんとか見どころを増やそうと頑張っています。上映時間90分の間に登場人物の大半が殺されるという展開もテンポがよくてグッドです。ただ、いかにも60年代といった軽快で牧歌的なBGMは緊迫感を削いでしまいますし、無名の俳優を使ったためか、演技力にも難があります。その他、突っ込みどころが数多くあり、全体的な完成度では45年版よりも劣ります。大きな期待は持たずにB級映画として楽しむべき作品だといえるでしょう。
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そして誰もいなくなった(1974)
3度目の映画化にして初めてのカラ―作品です。今度は舞台を砂漠の中のホテルに移し、招待客はヘリコプターでやってくるなど一気に現代風になっています。しかし、砂漠とはいえ、陸続きが舞台では閉鎖空間の恐怖は全く表現できず、しかも演出が安っぽいのでサスペンス感はゼロです。それに加えて、今回も恒例の戯曲版ラストを採用しているのですが、描き方が悪いので原作未読者にはよく意味が分からない展開になってしまっています。どうも、「そして誰もいなくなった」に関しては映画化されるたびにダメになっていく印象があります。
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10人の小さなインディアン(1987)
小説版準拠の「そして誰もいなくなった」は観ることができないのかと多くのファンが失望していたところに登場したのがまさかのソ連版です。今までの欧米映画とは異なり、絵作りがスタイリッシュで実によい雰囲気を出しています。そして何よりも小説版に忠実な点が原作ファンにとってはうれしいところです。派手さには欠け、若干の原作改変には賛否があると思われるものの、ファンにとってはおおむね満足できる作品だといえるでしょう。ただ、最大の問題点は日本でソフトが発売されていないという点です。
サファリ殺人事件(1989)
ソ連で原作ファンが満足できる佳作が登場した一方で、本国イギリスでの映画化はますます迷走の一途をたどっています。アルプス山頂、砂漠のホテルときて、今回の舞台はアフリカサファリのキャンプ場です。しかも、断崖絶壁を手動のロープウェイで渡るような超僻地なのです。なぜこの面々は正体不明の招待状につられてこんなところまでやってきたのでしょうか?映画が始まって5分ぐらいで観客の頭は疑問符で一杯になります。無料でサファリに招待というのはそんなに魅力的なものなのでしょうか。それでもまあ、そこから先は比較的原作に忠実にストーリーが進んでいきます。全体的な印象としては、わざわざサファリを舞台にした割にはスケール感に欠ける2時間ドラマ的な凡作といった感じでしょうか。意味ありげにライオンを登場させたりしていますが、単に登場しただけで終わっていますし。とは言え、中盤以降はテンポよく進んでいくので原作を知らなければC級映画としてそれなりに楽しく鑑賞できるかもしれません。ただ、犯人の仕掛けたトリックにはちょっと難ありです。トリック自体は基本的には原作と同じなのですが、少々アドリブを効かせすぎたために明らかに実行不可能なレベルに達してしまっているのです。それから、今回もラストは戯曲版準拠のわけですが、最後の犯人との対峙シーンがちょっと変わっていてそれが本作を凡作から怪作へとジョブチェンジさせています。しかし、いずれにしても、よりによってこれがクリスティ生誕100周年記念作品というのはいかがなものでしょうか。


サボタージュ(2014)
原作「そして誰もいなくなった」とはなっているものの、これは全くの別ものです。アーノルド・シュワルツェネッガー率いる特殊部隊が順番に殺されていく話なのですが、一体どこが「そして誰もいなくなった」なのか理解に苦しむ作品です。登場人物が順番に殺されて減っていくという以外に共通点を見つけることができません。キャラクター設定が全く違うどころか、クローズドサークルですらないのです。これが「そして誰もいなくなった」原作だというのであれば、「プレデター」も立派な「そして誰もいなくなった」原作です。会社の指示で監督の意図するものとは全く別物に改変を強いられたという話ですが、たとえ監督の意図通りに編集されていたとしても「そして誰もいなくなった」らしい作品になったとはとても思えません。そのぐらい原作とはかけ離れた作品です。
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そして誰もいなくなった(2015)
ソ連版を除き、新作を発表するたびに迷作の度合いを深めていく「そして誰もいなくなった」ですが、イギリスBBCがやってくれました。テレビ映画であるのにもかかわらず、今までの劇場版よりも遥かにハイクオリティな「そして誰もいなくなった」を作り上げたのです。まず舞台を安易に現代に移したりせずにきっちりと1939年のムードを再現しているところにわかっている感があります。しかも、画面全体に今までの映画にはない高級感が漂っているではないですか。本当にどちらが劇場版なのかわからないほどです。そして、どうにも緊迫感に欠けていた過去の映画に対して、本作はホラー映画かと見間違うばかりのサスペンスが充満しています。これこそが長年多くのファンが見たかった「そして誰もいなくなった」だ!と喝采をあげたくなるほどの快作です。ただ、本作は小説版準拠ではあるものの、ラストの展開を大きく変えてきています。熱心な原作ファンであればその点に不満を持ってしまうかもしれません。
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そして誰もいなくなった(2017)
仲間由紀恵、柳葉敏郎、渡瀬恒彦ら出演による、まさかのテレビ朝日製作の「そして誰もいなくなった」です。あまり期待せずに観ていたのですが、これが意外とよくできています。舞台は現代の日本なので雰囲気は全く原作と異なります。その反面、ストーリーの大筋は小説版準拠であり、作中に漂うサスペンス的な盛り上がりがかなり忠実に再現されていたのには感心しました。また、これが遺作となった渡瀬恒彦を始めとして演技陣も熱演をみせてくれます。少なくとも、「サファリ殺人事件」などよりははるかに緊張感のある作品だといえるでしょう。そして、何よりも計画がすべて遂行された後も犯人が分からないという点が最大の美点です。ちなみに、海外の作品では、小説版準拠であるソ連版やBBC版でも犯人は計画をすべて遂行する前に正体を現しています。そのため、小説を読んだ時の「え、結局誰が犯人なの?」という困惑めいた不気味さを味わえないところに若干の物足りなさがあるのです。その点に限れば、テレビ朝日版はもっとも原作に近い作品だといえます。これだけでもこの作品を見る価値はあります。特に、「そして誰もいなくなった」初体験の人にはおすすめです。ただ、そこから先の展開は原作とは大きく異なっています。小説版では犯行計画が遂行された後は、わずか数ページで真相を説明して物語は終わるのですが、テレビ朝日版ではそこから警察が孤島に乗り込んでの推理編が始まるのです。これは完全にドラマオリジナルの展開であり、しかも1時間以上とかなりの尺をとっています。このエピソードも途中までは結構面白いのですが、名探偵っぽい捜査官を登場させたわりには、すでに終わった事件の解説をするだけなので大した山場もなく終わってしまうところがちょっと中途半端ではあります。
第一夜
二夜連続ドラマスペシャル アガサ・クリスティ そしてだれもいなくなった 第一夜 [Prime Video]


以上、「そして誰もいなくなった」を原作とした8本の映像作品を紹介しましたが、初めて見る人におすすめなのがソ連版、BBC版、テレビ朝日版の3本です。ちなみに、テレビドラマとしては他にも、1949年のイギリス版、1959年のアメリカ版、1969年の西ドイツ版があるらしいのですが、これらについての詳細は不明です。


白昼の悪魔(194
1)
休暇で避暑地の島にやってきたポアロは元女優が殺害されるという事件に遭遇する。事件が発生する前から殺された女性の周辺では不穏な空気が流れており、殺害動機を持つものは大勢存在していた。しかし、いずれの容疑者もアリバイが成立しているのだ。果たして白昼を闊歩する悪魔の正体とは?
愛憎渦巻く恋愛劇を最初に提示して誰もが犯人になりうる舞台を整えていくプロセスにはうまさを感じます。そして、数多くの容疑者がいるなかで、読者はポアロと一緒にさまざまな可能性を探っていくことになります。やがて明らかになる真犯人。トリック自体は大したことはないのに、多重解決の趣向を取り入れることで一級の謎解きミステリーに仕上げた手腕は見事としか言いようがありません。さすがはミステリーの女王です。動機が弱いという欠点がありますが、作品全体の完成度の高さからみれば、それは些細な問題でしょう。クリスティの中期を代表する傑作です。

白昼の悪魔 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
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2003-10-01


【劇場版】
地中海殺人事件(1982)

推理物としての面白さはそれなりの水準に達している作品です。したがって、ミステリー好きなら観ても損はないでしょう。ただ、「オリエント急行殺人事件(1974)」、「ナイル殺人事件(1978)」とシリーズを重ねるごとに劇場版らしい華やかさが影を潜めていき、映画である必然性が薄れていっています。それでも、本作はスクリーン映えする地中海の美しい風景によってなんとか映画らしさを保っています。クリスティの映画としては可もなく不可もない作品といったところでしょうか。
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ゼロ時間へ(1944)
老弁護士のトレーヴは法曹関係者が集まっている中で「凡百のミステリーは殺人から物語が始まるが、真の物語はその随分前から始まっており、殺人はその結果にすぎない」という独自のミステリー観を披露する。そして、その言葉を裏付けるようにある人物は緻密な殺人事件を計画しているところだった。犯人の策謀によって関係者はその時、その場所に向かって動き始める。果たしてゼロ時間はいつ訪れるのだろうか?
本作はポアロものやミス・マープルものではなく、クリスティ作品の中ではいまひとつマイナーなバトル警視が探偵役を務めています。それはともかく、冒頭で新しいミステリーのあり方を宣言していたために、てっきり最後まで殺人事件が起こらないのかと思っていると中盤であっさりと事件が発生するのが拍子抜けです。もちろん、これはクリスティの仕掛けた罠であり、犯人の意図は最後に明らかになるのですが、これをどう評価するかは意見の分かれるところです。確かに、新しい趣向ではあるものの、それはあくまでメタレベルの話であり、物語自体は普通に書けばごく平凡な事件なのです。犯人の狙いもよくあるパターンですし、単にそれにゼロ時間という概念を当てはめたにすぎません。その趣向が面白いという人はいるでしょうし、実際に江戸川乱歩などは絶賛しています。しかし、個人的には今一つ面白みの分からない作品でした。
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アガサ・クリスティー
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2004-05-14


【劇場版】
ゼロ時間の謎(2007)
フランス映画ですが、クリスティ作品の雰囲気はよく再現されており、堅実なミステリー映画に仕上がっています。ただ、探偵役のバタイユ警視が魅力に乏しく、事件も地味であるため、いまひとつ印象が薄い作品になっているのは致し方ないところでしょうか。

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ホロー荘の殺人(1946)
アンカテル卿の午餐会に招かれ、ホロー荘を訪れたポアロは、プールの傍らで銃を持って立ち尽くす女と血を流して倒れている男を目撃する。銃殺されたのは招待客の一人である医師であり、銃を持っていたのはその妻だった。当然、妻が夫殺しの犯人だと思われたのだが、なんと妻が手にしていた銃は夫の命を奪った弾丸とは一致しなかったのだ。
トリックが平凡でも卓越したミスディレクションよって真相を隠すのが上手いクリスティですが、本作に関しては仕掛けがストレートすぎてトリックがバレバレです。したがって、本格ミステリとしては決して高い点数はあげられません。ただ、本作は謎解きよりも人間心理に重点を置いた作品であり、登場人物全員の内面が執拗に描き出されています。その結果、現代では本格ミステリとしてよりも心理サスペンスとして高い評価を受けています。逆に言えば、謎解きを期待して読んだ場合は冗長で凡庸な作品としか思えないでしょう。


【劇場版】
危険な女たち(1985)
「砂の器」「鬼畜」など、ミステリー映画の傑作を何本もものにしてきた名匠野村芳太郎監督の遺作となった作品です。サスペンス映画の巨匠と言われた野村監督だけにクリスティの原作をどのように調理するかが注目されたのですが、出来上がったのはいかにも安っぽい2時間ドラマのような作品でした。最大の見どころであるはずの人間関係や心理描写がうまく描かれておらず、その結果、大多数の登場人物は何のために登場したのかよく分からない結果になってしまっているのです。野村芳太郎老いたりと思わせる作品でした。
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華麗なるアリバイ(2008)
アガサ・クリスティ生誕120周年を記念して製作されたフランス映画ですが、原作のドロドロした恋愛劇の部分をクローズアップしているため、ミステリーとしては著しくサスペンスに欠ける作品になっています。そもそも、華麗なるアリバイというタイトルからして意味不明です。確かに、犯人はトリックをしかけていますが、それはアリバイとは全くの無関係です。また勝手な邦題をつけたのかと思っていると、このタイトルは原作を直訳したものであり、フランスの製作陣はなぜこのようなタイトルにしたのかと首をひねるしかありません。大した山場もなく、だらだらとストーリーが展開してなんとなく終わってしまうところはある意味フランス映画らしくはありますが、それにしても何とも見どころに欠ける映画です。

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ねじれた家(1949)
外交官のチャールズ・ヘイワードと大富豪の孫であるソフィア・レオニデスは結婚を誓い合った仲だったが、戦争によって離れ離れになってしまう。それから2年。2人は再会を果たすも、ソフィアはひどく怯えていた。祖父のアリスタイドが何者かによって毒殺されたのだ。しかも、状況から犯人は一族の誰かである可能性が高いという。増改築を繰り返してねじれたように見える屋敷には心のねじれた一族が住んでいた。誰もが怪しい状況の中で互いに疑心暗鬼の目を向け合う。チャールズは警視庁副総監の父の協力を得て捜査に乗り出すが、その矢先に第2の殺人が......。
作品自体よりもクリスティが自己ベストに挙げたというエピソードのほうが有名な作品です。それでは肝心の中身はどうかというと、メインとなっているアイディアが某有名作品と酷似しているため、本格ミステリとしてはどうしても高い点をあげることはできません。しかし、この作品の肝は謎解きよりもむしろ、ねじれた一族を巡る心理サスペンスにあるように思えます。実際、ねじれた家族の心理を丹念に追い、やがて思いもよらぬ悲劇に至るプロセスは物語として非常に読み応えがあります。何を期待して読むかによって評価が大きく変わってくる作品です。
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【劇場版】
ねじれた家(2017)
原作が登場人物の心理を丁寧に追っていくタイプの作品だけに、それをそのまま映画にするとどうしても地味になります。しかも、探偵役が関係者に話を聞いて回る展開が延々と続くので恐ろしく単調です。ミステリー映画の場合、しばしば華のある探偵がその単調さを補う役割を果たすのですが、この作品にはポアロもミス・マープルも出てきません。作品の性格上名探偵を出すわけにはいかないのですが、映画になるとそれが完全に弱点となってしまっています。また、映画という媒体では直接的な心理描写ができないため、物語のメインテーマになるはずの”ねじれた一族”という部分がうまく表現できていないのも痛いところです。その結果、見せ場の乏しいなんとも中途半端な作品になってしまっています。
アガサ・クリスティー ねじれた家 [DVD]
グレン・クローズ
KADOKAWA / 角川書店
2019-10-04


パディントン発4時50分(1957)

 マギリカディ夫人は友人のミス・マープルに会いにいく途中で殺人の現場を目撃する。隣を並走する列車の中で男が女の首を絞めていたのだ。マギリカディ夫人はミス・マープルにその話をして2人で警察におもむくが、該当する事件は起きていないという。ミス・マープルは列車の窓から死体を投げ捨てたのだと推理し、事件の鍵を握ると思われるクラッケンソープ家に旧知の仲であるルーシーを家政婦として潜り込ませる。そして、数日後、ルーシーは納屋の石棺の中に死体が隠されているのを発見するが....。
事件の発端から死体発見の辺りまではサスペンスに満ちていて読み応え十分なのですが、その後は特に盛り上がりもなくダラダラと話が続いていきます。そして、最後は急転直下で犯人判明という感じで、推理の過程を楽しめる作品ではありません。これといったトリックやロジックもないので本格ミステリとしての魅力はほぼ皆無です。結局、ルーシーの活躍ぐらいしか見どころのない凡作に終わってしまっています。


【劇場版】
アガサクリスティ 奥様は名探偵~パディントン発4時50分~(2008)
原作はミス・マープルものですが、映画ではトミー&タペンスシリーズとして描かれています。2005年に公開された「アガサクリスティの奥様は名探偵」の続編を製作するためにミス・マープルものをトミー&タペンスシリーズとして改変したというわけです。ただし、本作はフランス映画であるため、主人公コンビの名前はベリゼールとプリュダンスとなっています。原作と同様に導入部には引き込まれるものの、ミステリーとしては印象が薄く、これといった見どころもありません。その一方で、主人公夫婦のやり取りが軽妙でコメディとしては結構楽しめます。特に、好奇心旺盛な奥様に扮するカトリーヌ・フロが魅力的で作品の牽引力となっています。

無実はさいなむ(1958
慈善家の老婦人が殺され、問題児である養子のジャッコが逮捕される。彼は有罪となり、獄中死を遂げた。それから2年が過ぎた時、海外から戻ってきた地理学者が遺族の住む家を訪れ、自分はジャッコのアリバイを証明できると告げる。しかし、すでに過去となった事件を蒸し返されるのは遺族にとっては迷惑でしかなかった。
シリーズ探偵の登場しない、冤罪をテーマにした作品です。全体的に暗く重いトーンで覆われており、サスペンス的な盛り上がりもあまりなく、謎解きも薄味です。その一方で、疑心暗鬼に囚われた家族の心理がよく描かれており、真綿で首を締め付けるような展開はかなり読み応えがあります。また、やがて明らかになる真相も皮肉が効いていて読者にインパクトを与えるものです。玄人好みのするクリスティ円熟の作品だといえるでしょう。


【劇場版】
ドーバー海峡殺人事件(1984)
ドーバー海峡殺人事件といってもドーバー海峡は事件と無関係です。公開当時、クリスティの映画はもれなく「(世界の名所)殺人事件」というタイトルで統一して宣伝を行っていました。その流れでひねり出されたタイトルなのですが、それにしてもストーリーとあまりにも乖離しています。映画の内容自体もスローテンポで抑揚に欠け、どうにも冴えません。画面が暗くて見にくいのもマイナス点です。ただ、事件そのものよりも探偵の苦悩をメインとして描いたことによって独自の味わいの作品となっており、波長が合う人であればこれはこれで引き込まれるものがあるかもしれません。


鏡は横にひび割れて(1962)

ミス・マープルの住む穏やかな村にも都会化の波は訪れ、新興住宅が建てられるようになってきた。そして、そこにアメリカから女優が引っ越してくるという。彼女は自宅で盛大なパーティを開くが、なんと招待客の一人が毒死してしまう。しかも、毒が混入されていたのは、本来女優が飲むはずのグラスだったのだ。果たしてこれは女優の命を狙った犯罪なのか?
動機の謎を中心に添えたホワイダニットのミステリー。特にトリックなどはなく、本格ミステリとしてはかなり地味な作品です。一方で、クリスティの円熟の味が遺憾なく発揮されている作品でもあり、丹念に張り巡らされた伏線の末に読者を意外な真相へと導いてくれます。ただ、日常の何気ない描写が多いため、これを芳醇な味わいととるか、冗長ととるかで評価が分かれそうです。「予告殺人」と並んでミスマープルものの最高傑作と呼び声の高い作品です。


【劇場版】
クリスタル殺人事件(1980)

こちらも「ドーバー海峡殺人事件」と並んで邦題が意味不明な作品。そして、映画の中身はタイトルに反してひたすら地味です。そもそも原作が地味なのでどうしても盛り上がりに欠けてしまいます。その辺りはユーモアをちりばめてカバーしようとしているのですが、どうにも全体的に冴えない出来であることは否めないところです。ミス・マープルが原作のイメージと違うのもマイナス点です。その反面、エリザベス・テイラーなどの往年の大スターが大挙して出演しており、映画マニアな人にとってはそれなりに楽しめる作品となっています。
クリスタル殺人事件 [Blu-ray]
アンジェラ・ランズベリー
ジェネオン・ユニバーサル
2013-11-27


終わりなき夜に生れつく(1967)
マイク・ロジャーは貧しい家の生まれで、職を転々としながらもいつかは素敵な女性と幸せな家庭を築きたいという夢をもっていた。そんなある日、ビショップ村のジプシーヶ丘が売りに出されていることを知る。それは呪われた伝説を持つ地として地元民から恐れられていたのだが、
マイクは海を臨む美しい眺望に魅了され、ここに家を建てることを誓う。やがて、彼は大富豪の娘・エリーと出会い、恋に落ちて結婚をするのだが......。
主人公のマイクが語る物語は当初、身分違いの恋愛模様が淡々と綴られていくだけで事件はなかなか起きません。しかし、だからといって退屈だということは全くなく、底流を流れる不穏な空気が
醸成するサスペンスにぐいぐい引き込まれていきます。そして、全体の7割ほどが過ぎたところでようやく事件が起こり、そこからは一気呵成です。一体この物語はどこに着地するのかと見守っていると終盤になって全てが反転し、読者を唖然とさせます。著者自身の有名トリックを使い回している点は不満の残るところですが、使い方はあれよりも巧みで劇的な効果をあげています。タイトルも素晴らしく、クリスティ晩年の代表作だといえるでしょう。
終りなき夜に生れつく (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-08-18




【劇場版】

エンドレスナイト(1971)
いかにも70年代っぽい絵作りが印象的な作品です。クリスティは絶賛したとのことですが、批評家からは酷評され、興行的にも失敗に終わっています。ちなみに、日本では劇場未公開です。雰囲気自体は悪くないものの、やはり、サスペンス映画なのになかなか事件が起きないというのは致命的だったようです。それに、真相が明らかになってもいささか説明不足で原作を読んでいない人にとっては分かりにくいという問題もありました。ただ、原作が好きな人なら観て損はないのではないでしょうか。


親指のうずき(1968)
トミーとタペンスは老人ホームにいる叔母のエイダを訪ねるが、その3週間後、彼女は亡くなってしまう。遺品である1枚の絵を見つけたタペンスだったが、彼女はその絵に見覚えがあった。しかも、その絵の元所有者だった老婦人が失踪を遂げたのだ......。
トミーとタペンスは1922年の「秘密機関」で初登場し、1929年の短編集「おしどり探偵」を挟んで第2長編が1941年の「NかMか」。そして、3作目が本作という非常に長いスパンで描かれたシリーズです。しかも、作中の時の流れが現実にリンクしているため、「秘密機関」では若かった2人もこの作品では初老の夫婦になっています。また、クリスティ自身も晩年に差し掛かっており、派手な展開を廃した作風にシフトしています。話のテンポはゆったりとし、華麗な謎解きもありません。美しい田園風景を味わいながら少しずつ真相に近づいていくプロセスを楽しんでいくというタイプの作品です。典型的な本格ミステリを期待している人にとってはいささか退屈なきらいがありますが、それでもラストの二転三転する展開と他のクリスティ作品にはない犯人像はなかなか印象的です。
親指のうずき (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-08-18


【劇場版】
アガサ・クリスティの奥様は名探偵(2005)

原作と同じくストーリーはかなり地味なため、途中で眠ってしまう危険性のある作品です。ただ、主演のカトリーヌ・フロは魅力的で彼女のリアクションと夫婦の掛け合いだけを楽しんでいればよい作品だといえるでしょう。本国フランスではヒットし、前述の通り、続編も作られています。
アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵 [DVD]
カトリーヌ・フロ
ハピネット・ピクチャーズ
2007-04-25





ハロウィーン・パーティー(1969)
ミステリー作家のオリヴァ夫人がハロウィーン・パーティの準備を手伝っていると、13歳の少女・ジョイスが「人が殺されるところを見たことがある」と言い出す。彼女は周囲の注目を集めるために嘘をつく癖があり、そこにいた人間は誰一人彼女の言葉を信じようとはしなかった。ところが、パーティーの後、ジョイスは遺体となって発見される。図書室で水の入ったバケツに頭を突っ込んだ状態で息絶えていたのだ。「ジョイスは本当に殺人を目撃し、そのことを知った犯人によって殺されたのではないか?」そんな疑念を抱いたオリヴァ夫人は友人のポアロに相談する。ポアロは隠遁生活を送っているスペンス元警視の協力を得て捜査を開始するが…。
本作発表時、著者は79歳。かなり晩年の作品であり、ミステリとしての切れ味はいまひとつです。無駄な登場人物やエピソードが多いために煩雑な印象を受けますし、過去のアイデアの使い回しも目立ちます。ジョイスが目撃したという殺人がどの事件のことか分からずに複数の候補を検討していくというのが本作一番の特徴ですが、それも残念ながらミステリーとしての面白さに寄与していません。単にまわりくどくなっているだけです。おまけに、最後に披露されるポアロの推理も根拠に乏しく魅力に欠けます。晩年のクリスティー作品の特徴であるゆったりとした展開にも退屈さを覚えてしまいますし、どうにもパッとしません。ちなみに、伏線が分かりやすいために犯人は最初からバレバレです。というわけで、全体的に低調な作品ですが、美しい英国庭園の描写は印象的。
ハロウィーン・パーティ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2023-08-24


【劇場版】
名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊(2023)
ケネス・ブラナー版ポアロシリーズの第3弾なのですが、過去2作とは異なり、ストーリーが原作と全くの別ものです。冒頭の展開は、旧友のオリヴァから霊媒師のインチキを見破ってほしいとの依頼を受けたポアロがベネチアで行われる降霊会に参加したところ、招待客の一人が殺されるというもの。恐ろしいことに、原作との共通点が1ミリもありません。そもそも原作の『ハロウィーン・パーティー』はクリスティーのなかではかなりマイナーな作品です。映画化か決まったときは他に有名作がいっぱい残っているのに何故この作品をチョイスしたのかと首をひねったものですが、おそらくは自分のやりたいことが自由に出来るように大胆なアレンジを加えても文句の出にくい作品を選んだのでしょう。しかし、ここまで別物なら『ハロウィーン・パーティー』を原作としてクレジットする必要性が感じられません。ポアロのキャラだけ借りたオリジナル作品でよかったとのではないでしょうか。ちなみに、肝心の内容ですが全編を通してかなりホラーテイストです。画面が暗くショックシーンが多い点などは表現をマイルドにしたイタリアンホラーといった趣があります。アガサ・クリスティーというよりもディクスン・カー原作だといわれた方がまだしっくりくる感じです。いずれにしても、ホラーミステリとしては雰囲気があってなかなか見応えがあります。ただ、謎解きミステリーとしては原作同様パッとしません。ポアロが怪異に襲われるトリックなどは安易の極みですし、最後に行われるポアロの推理も薄味すぎます。それでもクリスティー原作の推理劇という先入観を捨て、単なるサスペンスホラーな映画として観れば十分に楽しめるのではないでしょうか。

【番外編】
アガサ/愛の失踪事件(1979)

1926年。「アクロイド殺し」を発表して人気作家の仲間入りを果たしたアガサ・クリスティだったが、その私生活は決して恵まれたものではなかった。夫であるクリスティ大佐が若い秘書と関係を持ち、その事実を彼自身の口から聞かされたのだ。彼は秘書と結婚する意志があり、そのために別れてほしいという。失意のアガサは当時まだ珍しかった自動車に乗り、そのまま行方を断った。有名人の失踪ということで警察は大々的な捜査を行うが、その行方はようとして知れなかった。果たして彼女はどこに消えたのか?
この映画はアガサ・クリスティ原作のミステリーではなく、クリスティが実際に起こした失踪事件を描いたノンフィクション映画です。とは言っても、失踪中の出来事については記憶喪失という口実でクリスティ自身が口を閉ざしてしまったので、実際に何があったのかは全くの不明です。そのため、この映画では空白の部分を想像力で補い、ダスティン・ホフマン演じる新聞記者とのラブサスペンス風の作品としてまとめています。しかし、無茶な展開が許される題材ではないので、話が起伏の少ないおとなしいものになってしまったのは致し方ないところでしょう。その一方で、主演のヴァネッサ・レッドグレイヴは猫背で頼りげないクリスティを好演しており、また、映画自体が1920年代の風俗を忠実に再現しているために、それらしい雰囲気のある作品には仕上がっています。アガサ・クリスティのミステリー小説だけではなく、彼女自身にも興味があるという人にとっては観て損はない作品だといえるでしょう。
アガサ/愛の失踪事件 [DVD]
ダスティン・ホフマン
復刻シネマライブラリー
2012-08-27



★★★
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