最終更新日2021/04/27☆☆☆

Next⇒国内本格ミステリの歴史Ⅲ.社会派推理小説の台頭
Previous⇒国内本格ミステリの歴史Ⅰ.戦前の探偵小説

第2次世界大戦中、禁じられていた探偵小説が終戦と共に解禁となったことにより、日本では本格ミステリ文化が一気に花開きます。戦前は短編中心だった探偵小説が打って変わり、長編傑作が次々と発表されるようになったのです。それはちょうと英米における1920年代からの黄金時代を見ているかのようでした。日本でも四半世紀遅れて同じような波がやってきたのです。その時代にどのような作品があったかのかを見ていきましょう。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

1946年

本陣殺人事件(横溝正史)
戦後の本格ミステリブームを牽引したのは間違いなく横溝正史でした。彼は戦争が終わると、戦前には数作を数えるのみだった長編本格ミステリの傑作を次々と発表し、大衆の心を掴んでいきます。本作はその第一弾で、国内ミステリーに登場する名探偵の中でもぶっちぎりの知名度を誇る金田一耕助初登場作品でもあります。作中に描かれている事件は、田舎の旧家の離れで新婚初夜を迎えた夫婦が何者かに日本刀で惨殺されるというものです。しかも、離れの周辺に降り積もった雪の上には足跡が一切なく、密室殺人の様相を示しています。国内の長編ミステリーとしてはおそらく初めて密室の謎を中心に据えた作品ではないでしょうか。しかも、単に欧米作品の模倣ではなく、日本刀や琴といった和風な小道具を効果的に使い、日本ならではの密室を構築した点が秀逸です。
本作は新しいミステリー小説の到来を記念する形で第1回探偵作家クラブ賞(現在の推理作家協会賞)を受賞しています。
第1回探偵作家クラブ賞受賞
1947年

蝶々殺人事件(横溝正史)

「本陣殺人事件」に続いて横溝正史が矢継ぎ早に発表した本格ミステリの傑作。ただし、本作には金田一耕助は登場しておらず、戦前の作品で活躍していた警視庁元捜査課長・由利麟太郎が探偵役を務めています。物語は、オペラの公演を控えたソプラノ歌手が行方不明になり、コントラバスのケースの中から死体となって発見されるというもの。戦前の作品や金田一耕助シリーズのようなおどろおどろしたムードはなく、交通機関を利用したアリバイトリックが主軸になっている点などは横溝作品としてはかなりの異色作だといえるでしょう。しかも、読者への挑戦なども挿入されており、本陣殺人事件以上に本格度の高い作品に仕上がっています。
不連続殺人事件(坂口安吾)
戦後「堕落論」などで人気を博し、純文学の旗手として台頭してきた坂口安吾は大の本格ミステリ好きとしても知られています。そして、自分の理想のミステリーを体現したのがこの作品です。彼は同じ本格ミステリ至上主義者でも甲賀三郎などとは違って無理のある物理トリックは毛嫌いしており、アガサ・クリティのような心理トリックこそが至高だと主張していました。本作でも奇想天外な大トリックではなく、実にさりげない方法で犯人を隠匿しています。また、犯人を指摘するロジックも見事で、本格ミステリとしての完成度は極めて高いレベルに達しています。無駄に多い登場人物とそれぞれの個性が描き切れていないせいで誰が誰だかわかりにくいという難点もありますが、純粋なパズラーを読みたい人にはおすすめの作品です。
第2回探偵作家クラブ賞受賞
不連続殺人事件 (角川文庫)
坂口 安吾
角川書店
2006-10-01


高木家の惨劇(角田喜久雄)
終戦の年の11月。暴君として君臨していた高木家の当主が何者かに銃殺される。関係者はいずれも彼を殺す動機を持っていた。ところが、その全員がアリバイを有していたのだ。捜査は困難を極めたが、次第に秘められた事実が明らかになっていき......
本作は「本陣殺人事件」「不連続殺人事件」「刺青殺人事件」などと並び、探偵小説復興の原動力になった作品です。しかし、現在では本作のみが極端に知名度が低く、語られることもあまりなくなってしまっています。トリックが安っぽいという批判もありますが、それはあくまでも表層的な問題にすぎません。実際はトリックだけに依存しているわけではなく、それを撒き餌に使った二転三転のプロットが展開されています。また、シムノンのメグレ警視をモデルとした加賀美敬介捜査一課長のキャラクターも物語を楽しむうえでほどよいアクセントとなっています。再評価が待たれる作品だといえるでしょう。
高木家の惨劇 (1965年)
角田 喜久雄
青樹社
1965


1948年

獄門島(横溝正史)

終戦から1年、戦地から日本に戻ってきた金田一耕助は戦友の死を彼の家族に知らせるために瀬戸内海に浮かぶ獄門島に向かう。亡くなった戦友は網元の跡取り息子で、3人の異母妹がいる。彼は死ぬ間際に「俺が帰らないと妹たちが死ぬ」との言葉を残していたのだ。果たして、金田一耕助が彼の死を伝えたとたん妹の一人が行方不明となり、無残な他殺死体となって発見される。彼女は木の枝から逆さ吊りにされていたのだ。
奇怪な見立て殺人、巧妙なトリック、ミスリードの妙、意外な犯人などといった具合に本格ミステリの魅力が凝縮されており、国内本格ミステリの最高峰との呼び声が高い作品です。実際、文春から発売されている東西ミステリーベスト100では1985年版と2012年版において連続1位に輝いています。また、本陣殺人事件では20代前半の若者だった金田一耕助が本作では30代になっており、おなじみのキャラクター性を確立した作品でもあります。
刺青殺人事件(高木彬光)
敗戦に伴い職を失った高木彬光が占い師の「作家になれば大成する」との言葉をよりどころにして書き上げたのが本作です。この作品は江戸川乱歩の推挙によって出版の運びとなり、たちまち大きな反響を呼ぶことになります。物語は美しい刺青を背中に持つ美女が内側から鍵のかかった浴室でバラバラ死体となって発見されるというものです。密室トリック自体は今となっては陳腐ですが、それに付随する心理の密室は読者の盲点を突くもので、見事な仕掛けとなっています。また、金田一耕助と双璧をなす名探偵・神津恭介がこの作品で登場するのも見どころのひとつです。


古墳殺人事件(島田一男)
発掘されたばかりの古墳の入り口付近で考古学者の曽根が撲殺死体となって発見される。一方、少年タイムズの編集長である津田の元には旧友である曽根からエジプトの散文詩を模した奇妙な手紙が届く。曽根の訃報を知った彼は独自に事件の真相を探り始めるが......
「獄門島」や「不連続殺人事件」などの傑作群と比べると出来はかなり劣るにもかかわらず、終戦直後の本格ミステリを語る際にはよく言及される作品です。特に、「刺青殺人事件を評す」というエッセイの中で展開された坂口安吾による評論が有名で、そもそも「刺青殺人事件」に対する批判を行っていたはずなのに勢い余って本作についても長々と語り始め、「古墳殺人事件などという棒にも箸にもかからぬ駄作に比べたら刺青殺人事件ははるかにマシ」などと完全にとばっちりを受ける形でケチョンケチョンにされているのがいかにも気の毒です。実際、本作は坂口安吾の言うとおり、トリックには無理があるし、探偵役である津田の衒学趣味もヴァン・ダインの模倣であることは確かです。しかし、今となってはそうした要素がクラシカルな探偵小説として良い味を出しており、雰囲気を楽しむにはもってこいの作品になっています。
ちなみに、島田一男はその後作風を変え、自らの経験を生かした事件記者シリーズを執筆して一躍売れっ子作家になっていきます。


1951年

八つ墓村(横溝正史)
戦国時代、尼子氏滅亡の際に8人の落ち武者たちが小さな村落に身を寄せる。当初、村人たちは彼らをかくまっていたが、やがて隠し持っていた財宝と毛利氏による褒賞金に目がくらんで皆殺しにしてしまう。ところが、その後、村には祟りが起こり、首謀者たちが次々と奇怪な死を遂げていった。恐れおののいた村人たちは8人の武者を手厚く葬り、以後この村は八つ墓村と呼ばれるようになる。時は流れて大正時代。首謀者の子孫である田治見要蔵が突然発狂し、猟銃と刀で32人を殺して行方をくらます事件が起きた。さらに、20数年後の神戸。天涯孤独の青年・寺田辰弥は突然、自分が田治見要蔵の忘れ形見だと告げられ、八墓村に向かうことになる。そして、それが3度目の惨劇の幕開けだったのだ......。
横溝正史が脂が乗っている時期に書いた代表作の一つ。とはいってもミステリーとしての骨格は脆弱で謎解きの面白さは本作ではあまり味わうことはできません。金田一耕助の存在感も薄く、まともに登場するのは最後に事件の全容を説明する時ぐらいです。したがって、これを本格ミステリとして読むとおそらく多くの人が落胆するでしょう。しかし、本作の面白さは全く別のところにあります。不気味な因縁話から始まる連続殺人のサスペンス、巨大な洞窟の中での宝探し、絶体絶命のピンチの中で芽生えるラブロマンスと、とにかく娯楽要素が満載なのです。江戸川乱歩でいえば戦前の傑作である「孤島の鬼」に似た位置づけの作品だといえるでしょう。
犬神家の一族(横溝正史)
一代で巨万の富を築いた犬神佐兵衛は家族に見守られながら息を引き取るが、その後発表された遺言状はとんでもない内容だった。犬神家には佐兵衛の恩人の孫として身を寄せている野々村珠世という娘がいるのだが、3人の孫の内の誰かと結婚することを条件に全財産を与えるというのだ。しかも、珠世が誰も選ばなかった場合は全財産の5分の2が佐兵衛の愛人の息子である青沼静馬に贈られるという。この遺言状により、佐兵衛の3人の娘の仲はますます険悪になり、孫たちによる珠世争奪戦が加熱していく。しかも、3人の孫の内、珠世が想いを寄せていた佐清は戦場で顔と喉をつぶされ、本人だという確証が得られない状態になっていた。そんな中、孫の一人である佐武の生首が菊人形として飾られているのが発見される......。
本作は市川昆監督の映画などによって広く世間に知られている作品ですが、元々の評価はそれほど高いものではありませんでした。現に、1985年に発売された文春の東西ミステリーベスト100ではランク外となっています。ところが、21世紀になってから再評価が進み、2012年版の東西ミステリーベスト100では38位まで順位を上げているのです。トリックに見るべき点がない、ご都合主義が目立つなどの批判が多い一方で、遺産を巡る一族の骨肉の争い、不気味な見立て殺人、覆面を被った怪人物といった道具立ては一級品であり、古き良き時代の探偵小説の魅力に満ちているのは確かです。その辺りが、再評価のポイントとなったのでしょう。また、問題のミステリー部分も派手さはないながらも様々な工夫が施されており、その点を高く評価する人も少なくありません。
1953年

悪魔が来たりて笛を吹く
(横溝正史)
保健所からきたと称した男が店員たちを毒殺し、宝石を奪った天銀堂事件。その容疑者となった元子爵の椿英輔は「悪魔が来たりて笛を吹く」と書いた謎の遺書を残した後に死体となって発見される。ところが、その半年後、彼の妻が英輔らしき姿を目撃したことから彼が生きているかどうかを砂占いで占うことになる。一族が集まり、同席の依頼があった金田一耕助が見守る中で占いが始まるが、突然明りが消えてフルートの音が響き渡る。そして、その翌朝、元伯爵の玉虫公丸の殺害死体が発見される.....。

現実の未解決事件である帝銀事件をモチーフに使い、それを没落貴族の悲劇と絡めて1本の推理小説として仕上げた手腕はさすがです。風神・雷神像、悪魔の紋章などの小道具の使い方も見事で、雰囲気を巧みに盛り上げていきます。一方、序盤から密室殺人が起こりますが、これは大したトリックではありません。横溝正史は戦後直後のトリックを中心に据えた探偵小説から「八つ墓村」「犬神家の一族」といった物語やプロットを重視した作品にシフトしており、それはこの作品でも顕著です。本格ミステリとしては特にすごい仕掛けがあるわけではないのですが、物語としての雰囲気作りは素晴らしく、どこか狂気を秘めた没落貴族の面々も良い味をだしています。本格ミステリというより、サスペンスミステリーとして完成度の高い作品です。
1954年

妖異金瓶梅(山田風太郎)
快楽主義者の豪商・西門慶は8人の夫人と二人の美少年を侍らせて毎日酒池肉林の宴を催していた。ところが、第七夫人の宋恵蓮が両足を切断された死体となって発見される。一体誰がなんにために?中国四大奇書のひとつ金瓶梅の世界を舞台にして描く連作ミステリー。
山田風太郎と言えば、現在では甲賀忍法帖を始めとする忍法帖シリーズが有名ですが、ミステリーマニアの間ではミステリー小説の鬼才としても著名な存在です。本作も
著者ならではエログロ趣味が飛び交い、その中でロジカルな謎解きが行われるという独自の世界が展開されています。もちろん、本格ミステリとしても上質で個々に使われるトリックもユニークなですが、この作品を真に傑作にならしめているのはその動機にあります。ホワイダニットが解明されるたびにこれほど慄然とさせられる作品も他にないのではないでしょうか。また、終盤の展開も壮絶で、ミステリーというだけでは収まりきれない山田風太郎ワールドが展開されています。同時代の有名作と比べると知名度はいま一つですが、エログロ展開が大丈夫な人にはぜひおすすめしたい大傑作です。
化人幻戯(江戸川乱歩)
元公爵の大河原義明には30近くも離れた若くて美しい後妻・由美子がいた。ある日、彼らは熱海の別荘にでかけるが、双眼鏡で景色を楽しんでいた時、崖から落下する人影を目撃する。それは大原家に出入りしていた青年・姫田吾郎だった。彼は自分の元に送られてきた白い羽根におびえていたというが......
戦後、子ども向けの少年探偵団シリーズや翻案ものを除けばほとんど作品を発表していなかった江戸川乱歩が、還暦の記念に書き下ろした久しぶりの長編ミステリーです。乱歩は短編作品ではトリッキーな本格ミステリをいくつもものにしてきましたが、長編に関しては謎解きメインの作品はほぼ皆無でした。本作ではその本格ミステリに正面から挑んでおり、そういった意味では乱歩の異色作だともいえます。その出来はというと、前半の大胆なトリックはなかなか楽しめるのですが、第二の殺人のトリックはあまりにも陳腐でしかも犯人がわかりやすいという欠点があります。本格ミステリとしてだけ採点するのであればそれほど高い点数はあげられないでしょう。しかし、その反面、異常性を秘めた犯人像には強烈なインパクトがあり、終盤からラストにかけての展開は非常に読み応えがあります。決して傑作とは言えませんが、忘れ難い印象が残る作品です。
化人幻戯 (江戸川乱歩文庫)
江戸川 乱歩
春陽堂書店
2015-11-20


1955年

人形はなぜ殺される(高木彬光)
マジシャンが集まっての魔術発表会の最中、ショーに使われるはずだった人形の首が盗まれる。しばらくしてその首が発見されたかにみえた。だが、それは本物の人間の生首だったのだ。これが名探偵神津恭介を敗北寸前にまでに追い詰めた連続殺人事件の始まりだった。
人形が次々に殺されるという奇怪な事件の裏で前代未聞のトリックが炸裂する豪華絢爛な本格ミステリです。いつもはキレッキレな推理で謎を解く神津恭介が後手に回り続けるほどの難事件で、読者への挑戦が2度も挿入されている辺りに作者の自信のほどがうかがえます。実際、本格ミステリとしての評価は極めて高く、戦後期の作品としては「獄門島」と肩を並べる存在といっても過言ではありません。ただ、地の文がやたらとテンションが高く、大時代的な言い回しを連発してくるのでその点が肌に合わないという人もいるかもしれません。

薫大将と匂の宮(岡田鯱彦)
時は平安の世。宮中には周囲の女性を虜にする体臭を放つ薫大将と、調合によって香りを自在に操る匂の宮という2人の貴公子がいた。彼らを巡る恋の鞘当てはやがて連続怪死事件へと発展する。恋愛騒動の当事者たちが次々と宇治橋から落ちて死んでいったのだ。これは何者かの手によるものなのか?宮中を震撼させる怪事を前にして、紫式部と清少納言は推理を競い合うが.....。
当時はまだまだ珍しかった時代ミステリーであるという事実に加え、紫式部と清少納言が推理合戦を繰り広げるケレン味たっぷりな趣向がたまりません。ちなみに、本作は、古本屋で見つけた『源氏物語』の続編を作者が現代文に翻訳したという体裁をとっており、
薫大将と匂の宮はそれぞれ光源氏の義理の息子と孫にあたります。そのため、源氏物語に関する知識がある程度なければ人間関係などがよくわからないという難点はあるものの、設定をうまく活かしたトリックや謎解きはよくできています。国文学者教授の肩書を持つ作者ならではの異色傑作です。
薫大将と匂の宮 (創元推理文庫)
岡田 鯱彦
東京創元社
2020-03-19


1956年

黒いトランク(鮎川哲也)
福岡県汐留駅に送られてきた黒いトランクには男の死体が詰められていた。送り主である近松千鶴夫は溺死体のなって発見され、事件は終結したかに思われた。ところが、鬼貫警部の前に近松の妻が現れ、夫は人を殺せるような性格ではないと主張する。鬼貫警部は独自に再調査を開始するが、そこで明らかになったのはもう一つの黒いトランクの存在だった......

クロッフの名作、「樽」を意識して書かれた鮎川哲也のデビュー作です。実際は1950年に雑誌宝石の懸賞に「ペトロフ事件」が当選し、中川透名義でのデビューが決まっていました。ところが、出版社とのトラブルでそれが棚上げになってしまい、本作で再デビューという形になったのです。元ネタの「樽」と同じように死体の入ったトランクの動きがポイントとなる作品ですが、とにかく犯人の巧緻な犯罪計画には圧倒されます。大小いくつものアイディアが巧みに組み合わされており、百戦錬磨のミステリーマニアでもこのトリックを独力で解くのは困難を極めるでしょう。アリバイ崩しを主眼とした作品としては間違いなく最高峰の一つです。同時に、凡人型の鬼貫警部を探偵役に配したのも先駆的で、もうすぐやってくる社会派ミステリーブームの到来を予見していたかのようです。
黒いトランク (創元推理文庫)
鮎川 哲也
東京創元社
2002-01-25


1957年

猫は知っていた(仁木悦子)
音楽大学在学中の私は病院の院長の娘・幸子にピアノを教えることになり、兄と一緒にその病院で下宿を始める。ところが、病院への引っ越しを終えた直後に幸子の飼い猫と母親が姿を消してしまう。猫はやがて姿を現すが、母親は不明のまま。兄の推理に従って防空壕を探すことにするが、そこで発見されたのは母親の死体だった。
本作は第3回江戸川乱歩賞に輝いた作品です。それまで同賞はミステリー界への功績に対して与える功労賞的な意味合いが強かったため、新人賞としては初の受賞となります。ただ、本作は本格ミステリとして抜きんでているというわけではありません。ミステリーとしての仕掛けとしては見るべきものは特になく、トリックのいくつかは発表された時代を考慮してもかなり凡庸です。しかし、プロットはしっかりしており、伏線の張り方もうまくてなかなか読ませる作品に仕上がっています。何より、若い兄妹が軽妙な会話を繰り広げながら事件を推理していくといったタイプの作品は今まで日本のミステリーにはなかったもので、ミステリー界に新風を巻き起こすものでした。ユーモアミステリを本格的にブレイクさせたのが赤川次郎だと考えると、本作は時代を20年ほど先取りしていたことになります。

悪魔の手毬唄(横溝正史
静養のために岡山県にやってきた金田一耕助は岡山県警の磯部警部に鬼首村の温泉宿「亀の湯」を紹介され、そこに投宿することになる。磯部警部の話では宿の女主人である青池リカは23年前に夫を殺され、犯人と目される詐欺師の男も行方不明だという。一方、村の若者たちの間では鬼首村出身の人気歌手、大空ゆかりが里帰りをするという話題で持ちきりだった。やがて、大空ゆかりが帰郷し、歓迎会が催される。ところが、その夜、ゆかりの同級生の泰子が行方不明となり、絞殺死体となって発見される。しかも、その口には漏斗が差し込まれ、そこから滝の水が流し込まれていたのだ。まるで、鬼首村に伝わる子守唄の歌詞をなぞるかのように......。
おどろおどろしい雰囲気、複雑な人間関係、過去の事件との因縁といった横溝ミステリーの魅力が詰め込まれた集大成的な作品です。ミステリーとしての仕掛けは比較的単純なのものですが、手毬歌をなぞった奇怪な連続殺人とそれを解き明かしてくプロセスはサスペンスに満ちており、読み応えのある作品に仕上がっています。特に、金田一耕助が老婆と峠ですれ違うシーンなどはこれから起きる惨劇を予見させる不気味さをたたえており、シリーズ屈指の名場面だといえるでしょう。
ちなみに、本作が雑誌宝石に掲載された1957年は松本清張の「点と線」の連載が始まった年でもあり、以降ミステリー界全体が急速に社会派ミステリーに傾いていきます。それに伴い、横溝正史は長いスランプに陥り、1970年代後半に角川映画によって横溝正史ブームが起きるまで半ば忘れられた存在となってしまったのです。
Next⇒国内本格ミステリの歴史Ⅲ.社会派推理小説の台頭
Previous⇒国内本格ミステリの歴史Ⅰ.戦前の探偵小説





image