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日本は、世界でも類を見ないほど本格ミステリが長い時間をかけて発展し続けた国です。一体どのような歴史を経て今に至るのか、主要な作品を追いながら見ていきます。


1889年

無惨(黒岩涙香) 
日本最初のミステリー小説として認定されている本書は、『鉄仮面』、『幽霊塔』など海外小説の翻案で知られる黒岩涙香によるものです。この作品が発表された1889年は、江戸川乱歩が生まれる5年前、イギリスでシャーロックホームズが誕生した翌年に当たります。本書の大筋は、無惨な死体となって発見された男の手に握りしめられていた髪の毛をもとに、ベテランと若手のふたりの警官が真相を推理していくというもの。文章が明治時代独特のもので、また展開もまどろっこしく、現代の読者にとって面白い作品かと言われるとかなり厳しいものがります。しかし、日本の探偵小説が本格的に開花する1920年代よりはるか以前にこうした作品が生まれていたという意味ではなかなか興味深い作品です。
無惨
黒岩 涙香
ゴマブックス
2016-07-20


1923年

二銭銅貨 (江戸川乱歩)
探偵小説の巨人・江戸川乱歩の デビュー作。本書は、ポーの『黄金虫』やシャーロック・ホームズの『踊る人形』のような暗号解読ミステリーと見せかけて最後に意外な結末を迎えるという、これまでの古典的な日本ミステリーにはなかった巧妙さに満ちた作品です。これ以後、日本のミステリーは短編小説を中心として独自の発展を遂げることになります。


真珠塔の秘密(甲賀三郎 )
戦前の日本を代表する本格ミステリ作家で、本格の名付け親でもある甲賀三郎の江戸が乱歩より4カ月遅れてのデビュー作。本書は短編というよりショートショート程度の短さで、模造品とすり替えられた真珠の塔の謎とその顛末について描いています。
真珠塔の秘密
甲賀三郎
オリオンブックス
2016-04-15


1924年


琥珀のパイプ(甲賀三郎)
デビュー作の『真珠塔の秘密』は数ページほどの短い作品だったため、著者の本領が発揮されたのはこの作品からです。深夜に起きた住宅の火災をなんとか消火すると中から夫婦の刺殺死体と子供の毒殺死体が見つかる。さらには、その事件は奇妙な万引き事件や宝石強奪事件と繋がっていいき、より謎は深まっていくのだった。
30ページほどの短編の中に不可解な事件がてんこ盛りで、それが最後にはジグソーパズルのピースをはめ込むようにすべてきれいに説明されるさまは本格ミステリが未発達だった当時の日本では画期的な作品であったとことは想像に難くありません。ただ、現代読者の目から見ると、偶然が重なりすぎ、本格ミステリなのに変装の名人の怪盗が暗躍するなど、明らかに詰め込み過ぎでごちゃごちゃした印象を受けます。ともあれ、日本の本格ミステリ史を語る上では外せない作品であり、甲賀三郎の代名詞とも言える科学トリックがこの時すでに登場しているのも印象的です。
琥珀のパイプ
甲賀 三郎
2012-10-01


1925年


D坂の殺人事件(江戸川乱歩)

金田一耕助と並ぶ日本の名探偵の代名詞、明智小五郎が初登場した短編ミステリー。ただし、この頃の明智小五郎はスーツを着こなしたスマートな紳士ではなく、髪の毛がぼさぼさでよれよれの着物を着た貧乏な若者だった。ストーリーは古本屋で起きた不可能状況での殺人を語り手の青年と偶然出会った明智小五郎が推理し合うというもの。随所に乱歩らしさは見られるもののミステリーとしては特筆すべき点はななく、今となっては明智小五郎初登場という一点のみで記憶されている作品です。
D坂の殺人事件 (角川文庫)
江戸川 乱歩
KADOKAWA/角川書店
2016-03-25


心理試験(江戸川乱歩)
完全犯罪を目指し、それが瓦解する様を犯人の視点から描いた倒叙ミステリーですが、明智小五郎が犯人を追い詰めるロジックが素晴らしいため、戦前を代表する短編本格ミステリのひとつに数えられています。
心理試験 (江戸川乱歩文庫)
江戸川 乱歩
春陽堂書店
2015-11-20


1926年

ニッケルの文鎮(甲賀三郎)

大掛かりな科学トリックと二転三転する終盤の展開。現代的な本格ミステリというよりは怪盗ルパンのようなハッタリの効いた作品です。本格至上主義者というレッテルから連想されるイメージとは少しズレを感じますが、江戸川乱歩以上だったという当時の大衆人気はそれ故のものだったのでしょう。著者の持ち味が存分に発揮された初期の代表作です。
ニッケルの文鎮
甲賀 三郎
2012-10-01


1928年

陰獣(江戸川乱歩
本格派の寒川と変格派の大江春泥という江戸川乱歩自身をモデルにしたふたりの探偵小説家が登場する自己パロディ色の強い作品。内容もそれに呼応するように、乱歩の二面性を示す、トリックを中心とした理知な作風と倒錯的な露悪趣味の作風が混然一体となっています。当時としては驚くべき大トリックを用いた乱歩流本格ミステリの到達点。


1929年

赤いペンキを買った女(葛山二郎)
会社員の給与を運んでいた車が襲われた事件を巡る法廷ミステリー。ラストのどんでん返しが鮮やかで、江戸川乱歩から戦前のベスト短編ミステリーと激賞された作品です。


孤島の鬼(江戸川乱歩)
乱歩の長編作品の中での最高傑作。ただ、本格ミステリの要素は前半のみで、密室殺人などもありますが極めて薄味です。それよりも、全般を覆う怪奇趣味と後半の冒険譚に乱歩の持ち味が存分に生かされています。
孤島の鬼 (江戸川乱歩文庫)
江戸川 乱歩
春陽堂書店
2015-02-20


1931年

殺人鬼(浜尾四郎)
ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』に触発されて書き上げた本格ミステリの傑作。上流階級の屋敷で起きる連続殺人という王道展開にふたりの探偵の対決が楽しめるという古き良き時代の探偵小説ですが、その巧みな伏線と論理的解決は、今読んでもレベルの高さが感じ取れるほどです。
殺人鬼
浜尾四郎
オリオンブックス
2014-11-21


1932年

デパートの絞刑史(大阪圭吉)
夜間のデパートで、宿直の男が首を絞められた後に屋上から落されるという奇怪な事件の意外な真相を描いた短編ミステリー。
甲賀三郎の推薦により若干20歳で発表した著者のデビュー作。探偵役のキャラクターは、類型的で面白味に欠けるものの、この時代の日本では珍しい端正な本格作品で、才気を感じさせる佳作に仕上がっています。



1933年

鉄鎖殺人事件(浜尾四郎)
著者の代表作である『殺人鬼』の影に隠れがちですが、本格ミステリとしての骨格は、こちらも負けず劣らずしっかりしたものになっています。探偵が犯人に翻弄されて何度も失敗を繰り返し、ワトソン役の恋愛騒動が事件に絡んでくるという辺りがプロット上の工夫でしょう。ただ、今となって犯人は分かりやすい作品ではあります。なお、浜尾四郎は、この翌年には新作『平家殺人事件』の連載を開始しますが、脳溢血で急逝したため未完に終わってしまいました。当時としては貴重な長編本格ミステリの書き手だけだっただけに残念です。



完全犯罪(小栗虫太郎)
横溝正史がかねてから患っていた結核が悪化して大吐血。新青年に掲載予定だった作品が執筆不可能になって、急遽穴埋めとして持ち出されたのが本作でした。著者が中学生の先輩に当たる甲賀三郎のところに送り、甲賀三郎が推薦状を書いて新青年に送った原稿がたまたまそこにあったわけです。その結果、本書は大反響を呼んで無職だった小栗虫太郎は一躍人気作家となります。本作は中国南部を舞台にソ連の士官が娼婦の変死の謎を究明するという特異な設定で
で、幻想的ともいえる奇想天外な密室トリックが印象的な作品です。

1934年

黒死館殺人事件(小栗虫太郎)
上流階級の屋敷で起こる連続殺人を描いた本格ミステリの王道ながら、探偵役の法水麟太郎は事件に奇妙な符号らしきものを強引に見出しては、捜査そっちのけで自らの博識ぶりを披露。常人には思いつかない突拍子もない仮説を提唱し続けるという一種異様な作品です。その博識ぶりも天文学、心理学、医学、錬金術と限りがなく、膨大な知識の海の中に事件の本質さえ埋没していきます。事件をかく乱しているのが犯人ではなく、探偵自身であるというのがアンチミステリーの傑作と言われるゆえんで、本作はその奇抜さから夢野久作『ドグラ・マグラ(1935)』、中井英夫の『虚無の供物(1964)』と並ぶ日本三大奇書のひとつに数えられています。
黒死館殺人事件 (河出文庫)
小栗 虫太郎
河出書房新社
2008-05-02


とむらい機関車(大阪圭吉)

毎週、同じ機関車が同じ場所で豚を引き殺すという異様な謎から始まり、やがて異様な結末へと至る。独特の雰囲気と意外な真相がマッチした戦前屈指と言える短編ミステリーの名品です。
とむらい機関車 (創元推理文庫)
大阪 圭吉
東京創元社
2001-10


1935年

船富家の惨劇(蒼井雄)
国内初の時刻表アリバイトリックが用いられ、緻密な殺人計画、意外な動機、最後のどんでん返しとさまざまな趣向が詰まった傑作です。戦前の長編本格ミステリとしては浜尾四郎の『殺人鬼』と双璧の存在と言えるでしょう。ただ、それに続く『瀬戸内海の惨劇(1937)』は奇抜な謎で期待させるものの話が進むにつれてご都合主義が目立つ凡作でした。そして、戦後本格ミステリブームの中でもこれといった作品は発表できず、結局、蒼井雄の名は、ミステリー界における一発屋の代名詞となってしまいます。


1936年

人生の阿呆(木々高太郎)
低俗とされていた探偵小説も突きつめれば芸術となりうるとした探偵小説芸術論を提唱し、その実戦を試みたのが本作です。暗号や読者への挑戦など本格ミステリの要素を盛り込みながらも、主人公の成長を物語の軸とし紀行文学風でもある本作は、見事第4回直木賞を受賞します。当時としては、探偵小説が文学賞を受賞するなどというのは快挙であり、著者は当初の目的を果たしたように思われました。しかし、今となっては、時の流れの中で風化していった作品のひとつであり、ミステリーとしても文学としても中途半端な過渡期の作品という評価を得たに過ぎません。結局、著者の理想を形にするには、松本清張の登場を待たねばなりませんでした。
人生の阿呆 (創元推理文庫)
木々 高太郎
東京創元社
1988-07


1937年

坑鬼(大阪圭吉)
崩落寸前の坑道で繰り広げられる連続殺人。狂気じみた空気が緊迫感を生み、最後には張りめぐらせた伏線を回収して合理的な解決へと至る。
圧倒的な迫力があり、奇想とロジックを併せ持った傑作です。著者は、この時点で江戸川乱歩や甲賀三郎がデビューした年齢より遥かに若い25歳でしたが、当時の本格ミステリの書き手の中では圧倒的な実力を誇っていました。しかし、大きな人気を得るには至らないまま、やがて戦争へと向かう空気の中で探偵小説は禁止され、他ジャンルへの転身を余儀なくされてしまいます。その後、戦争激化に伴って著者も戦地に赴き、1945年にルソン島で病死します。享年32歳。日本のミステリー界にとっては大きな損失でした。
坑鬼
大阪 圭吉
2012-10-04


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