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1920年代になるといよいよ本格ミステリが花開きます。短編ミステリに代わって長編が主役の座につき、長編ミステリーの巨匠たちが登場します。1920年から約20年間が黄金期と呼ばれる時代です。

1920年

スタイズル荘の怪事件(アガサ・クリスティ)
黄金期はいきなりミステリーの女王の登場から始まります。とは言っても、クリスティが大きな名声を得たのはその後、名作を積み重ねていってからです。本作もよくできた良作ではありますが、同時期の名作群と比べると特別目を引く存在ではありませんでした。どちらかというと地味な作品です。しかし、クリスティのすごいところは数10年に渡り一定のクオリティを維持したところにあります。この時代の本格ミステリの作家はデビューから数年でピークを迎え、その後急速に衰えるパターンが多かったのですが、クリスティは20年代、30年代、40年代、50年代とコンスタントに傑作を発表し続けていきます。そこがクリスティが「女王」と言われたゆえんでしょう。


樽(F・W・クロフツ)
樽は黄金期の到来と共に誕生した新しいタイプのミステリーです。事件の謎を解くのは神のごとき名探偵ではなく、これまで名探偵の引き立て役に甘んじてきた平凡な刑事です。それも明晰な頭脳ではなく、粘りずよく足で証拠を集めて鉄壁なアリバイで身を守っている犯人の牙城を崩していきます。結局、このスタイルは黄金期においても主流になることはありませんでしたが、なぜか1960年代以降に日本で盛隆を極めた社会派ミステリーや戦後本格ミステリの第一人者である鮎川哲也などの定番スタイルとして引き継がれていきます。
さて、本作は名探偵が登場しない分、表面的には地味であり、アリバイ崩しの名作と言われているわりには、トリック自体は単純でいささか肩透かしです。しかし、緻密な捜査によって事件の真相に迫っていく過程には無類の面白さがあります。これは名探偵の推理が始めるまで単調な尋問が続くだけの従来の探偵小説にはなかった要素です。そのへんの魅力は現代でも警察小説あたりに引き継がれているのではないでしょうか。
樽【新訳版】 (創元推理文庫)
F・W・クロフツ
東京創元社
2013-11-20


1921年

赤い館の秘密(A・A・ミルン)

後年『くまのプーさん』で有名になった著者が唯一書いたミステリー小説。殺人事件を扱っているにもかかわらず、全編が牧歌的でユーモラスな空気に包まれており、それがこの作品の魅力となっています。発表当時は大変な評判となりましたが、今となってはミステリーとして見るべき点はなく、ほとんど忘れられた作品になっています。



1922年

赤毛のレドメイン家(イーデン・フィルポッツ)

レドメイン家をめぐる連続殺人を描いた本作は、江戸川乱歩が激賞したことで有名です。日本ミステリー界の第一人者である乱歩が熱烈に本作を誉めたたえ、黄金期NO.1作品だと高らかに宣言した時点で本作の評価は決定づけられました。それ以降というもの本作は長きに渡り、ミステリー史における不朽の名作とされ、人気投票においてもエラリー・クイーンの『Yの悲劇』と長きにわたって1位争いを繰り広げてきたのです。しかし、この作品がここまで愛され続けいるのは日本ぐらいのもので、本国イギリスではほとんど忘れられた作品となっています。また、日本でも乱歩がいなければここまでの人気を得ることはなかったでしょう。
本作は現代においても、日本では未だ有名作品ですが、さすがに往年の人気には翳り生が見られ、「トリックに見るべき点はなく、ストーリーも冗長でまどろっこしい」という評価が多く見られるようになりました。ただ、それでも今もなお色褪せないのが、登場人物の造形の深さです。特に、歪んだ自意識をあらわにする犯人の告白シーンは必読です。ちなみに、本作の発表は1922年ですが、彼自身は19世紀から作家として活躍をしており、『赤毛のレドメイン家』を書き上げたのは60歳の時のことです。作品全体から漂う文学的な香りと人物造形の深さは作家としての長いキャリアに起因しているのでしょう。


1924年

矢の家(A・E・W・メースン)
『グリーン家殺人事件』のひな型とも言われる黄金期初期の名作。大仰で芝居がかった探偵といい、犯人との水面下で火花散る駆け引きといい、古き良き時代の探偵小説の香りが堪能できる作品です。ただし、最初からバレバレの犯人、検出不能の未知の毒物、秘密の抜け穴の存在など、本格ミステリとしては黄金期よりも何世代も前の作品ではないかと思うほど古さを感じさせる作品です。クラッシックミステリーの雰囲気を楽しむのだと割り切って読むのが吉ではないでしょうか。
矢の家 (創元推理文庫 113-1)
A.E.W.メースン
東京創元社
1959-05-25


1925年

陸橋殺人事件(ロナルド・ノックス)
ノックスはカトリック教会で英国第2位の座まで上りつめた超大物司教。しかし、そんなイメージに反し、30代の終わりから40代にかけて、彼はユーモアと風刺の効いたミステリーを発表しています。
本作はミステリーマニアの4人がゴルフ中に陸橋の下で顔の潰れた死体を発見し、探偵の真似事を始めるというもの。ノックスのデビュー長編であり、ノックスらしく従来の探偵小説を皮肉った内容になっています。アンチミステリーのはしりということで黄金期を代表する傑作と評価される一方で、単に王道外しをしただけの退屈な作品という声も少なくありません。ちなみに、彼がミステリーを書いていた事実は、やはり教会内部では快く思われてなかったらしく、再三の忠告を受けた末、1937年を最後に筆を折ってしまいます。
陸橋殺人事件 (創元推理文庫)
ロナルド・A. ノックス
東京創元社
1982-10-29


1926年

アクロイド殺し(アガサ・クリスティ)
クリスティはどの年代でもクオリティが安定している稀有な本格ミステリ作家であると言いましたが、実は1920年代だけはちょっと例外だと言えます。この頃のクリスティは本格ミステリメインというわけでなく、スパイ小説や冒険小説の著作が多く、しかも、ことごとく低評価でした(本人は楽しんで書いていたようでしたが)。そして、残りの本格作品もどうもぱっとしません。
そもそも、クリスティは派手なトリックで読者を驚かせたり、緻密なロジックで熟練のミステリーファンを唸らせたりするタイプではありません。その真価は卓越したプロットと巧妙なミスディレクションで読者をけむに巻く技巧にあります。ミステリー的アイディアに過剰に頼らなかったからこそ息の長い活躍が可能だったわけですが、20年代のクリスティはまだその技巧が十分に成熟していなかったのです。したがって、本来ならクリスティがミステリー作家として開花したのは1930年代からと言うべきですが、この『アクロイド殺し』を生み出したことにより、20年代のクリスティは他の年代に負け劣らず、大きな功績をミステリー史に刻むことになりました。本作のメイントリックはそれほどまでに画期的なものだったのです。その影響は現代にまで及び、現代本格ミステリの傑作と呼ばれるものの多くは、『アクロイド殺しの』のバリエーションだと言っても過言ではないほどです。
ちなみに、『アクロイド殺し』のメイントリックは、正確にはクリスティの独創というわけではありません。1917年にスウェーデンの作家レオ・ガリングが『スミルノ博士の日記』という作品の中で同じとアイディアを用いています。しかも、それ以前にもノルウエーの作家が類似したアイデアの作品を発表していたと言います。しかし、当時のクリスティに北欧のミステリー作品の存在を知りえたとは思えず、また、作品の出来や知名度から見ても、発明の名誉はクリスティに属するものと考えて問題ないでしょう。
いずれにしても、本作のトリックはミステリーを読み始めると遠からずネタばれをくらってしまう運命にあるので、ミステリーに興味を覚えたならば、なるべく早い段階で読んでしまうべき作品だと言えます。
アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)
アガサ クリスティ
東京創元社
2004-03


ベンスン殺人事件(S・S・ヴァン・ダイン)
当時、ミステリー後進国だったアメリカに彗星の如く現れたヴァン・ダイン。彼の書くミステリーは教養に満ちた高級な読み物だと認識され、英国的教養にコンプレックスを感じていた当時のアメリカ人に熱狂的に支持されました。本作はそのデビュー作です。本作では事件そっちのけで、彼の作品の魅力の根源たるファイロ。ヴァンスについての描写が続きます。犯罪を芸術のように評し、心理分析こそが犯人を特定する唯一絶対の方法だとうぞぶき、その博識ぶりを周囲にひけらかしてはけむに巻くその姿は、教養に憧れる読者の理想の体現者だったのでしょう。しかし、現代人から見るとその教養がどうにも怪しげなところが難点です。しかも、本作はヴァンスのキャラクター性ばかりが目立ち、事件自体は地味で盛り上がりに欠けます。本作単体としてではなく、アメリカをミステリー黄金期に導いた大いなる源流として評価すべき作品でしょう。
ベンスン殺人事件 (創元推理文庫 103-1)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-05






1927年

シャーロック・ホームズの事件簿(アーサー・コナン・ドイル)

ホームズシリーズの最終作です。作者が何度も幕引きを試みた大人気シリーズは結局、黄金期まで書き続けられることになりました。さすがにこの頃になるとかつての輝きはなく、ホームズが語り手を務めたり、過去の作品の焼き直しだったりと迷走ぶりが目立ちます。そんな中で、トリッキーな作風で後続の作品にも影響を与えた『ソア橋の難問』の魅力がひときわ引き立っています。ちなみに、作者のコナン・ドイルが没したのは、本書発表の3年後の1930年です。71歳でした。
シャーロック・ホームズの事件簿 (河出文庫)
アーサー・コナン ドイル
河出書房新社
2014-10-07


1928年

グリーン家殺人事件(S・S・ヴァン・ダイン)

大富豪の屋敷で起こる連続殺人という探偵小説のスタンダードを完成形へと導き、さらに、モダンな味付けで洗練度を高めた1920年代の本格ミステリの最高峰と目される作品。トリックは発表当時からすでに目新しさはありませんでしたし、事件関係者のほとんどが死んでしまうので犯人は簡単にわかりますが、巧緻に組み立てられたミステリー作品としての風格は内外に多大な影響を与えました。エラリー・クイーンの名作『Yの悲劇』は明らかにグリーン家のアレンジですし、戦前の日本を代表する長編ミステリーである『黒死館殺人事件』と『殺人鬼』は共にグリーン家のような作品が書きたいという思いが結実したものです。現代人の鑑賞に耐えうるかは微妙なところですが、ミステリー史を語る上では欠くことのできない作品だと言えるでしょう。
グリーン家殺人事件 (創元推理文庫 103-3)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-06


1929年

僧正殺人事件
(S・S・ヴァン・ダイン)
『グリーン家殺人事件』と双璧をなすヴァン・ダインの代表作であると同時に見立て殺人というジャンルを確立させた記念すべき作品です。マザーグースの唄の内容に沿って次々と人が殺されるというプロットはサスペンスたっぷりで、重厚な作風と相まって上質な探偵小説の香りに浸るには最適の作品です。ただ、本作にはトリックらしいトリックはなく、真相の意外さも皆無なため、本格ミステリというよりはサイコサスペンスの原型だと思って読んだ方がよいかもしれません。ちなみに、ヴァン・ダインの人気は本作がピークであり、世界恐慌の影響で教養に対する庶民の憧れが後退したこともあって30年代に入ると急速にその支持を失っていきます。



毒入りチョコレート事件(アントニイ・バークリー)
実験的な作品が多く、鬼才とも言われるバークリーの代表作。この作品でバークリーは、ひとつの事件に対して複数の真相を提示する多重推理というジャンルを確立しています。探偵の推理などは解釈次第でどうにでもなるものだという皮肉が入っている点では『陸橋殺人事件』と相通ずるものがあります。しかし、6人が披露する推理がそれぞれ単独でも魅力的なものであり、ラストにもちゃんとサプライズを用意している点が、単にミステリーのお約束を破壊しただけにとどまった『陸橋殺人事件』と大きく異なる点です。本格ミステリを新たなステージへと牽引した名品だと言えるでしょう。
毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2009-11-10


ローマ帽子の謎(エラリー・クイーン)
ヴァン・ダインの影響を強く受け、アメリカ第2の人気本格ミステリ作家となったクイーンのデビュー作。いとこ同士のコンビ作家である彼らの作風は、わずかな手掛かりをもとにして、ロジックの積み重ねによって真相にたどり着くというものです。作中には読者への挑戦状も挿入し、ヴァン・ダインの提唱した「ミステリーは読者との知的ゲーム」という考え方をさらに推し進めました。
本作でもその特徴はいかんなく発揮されており、ローマ帽子はなぜ現場から消えたのかという謎に対する解答も鮮やかです。ただし、登場人物が多い割に描き分けができておらず、延々と続く捜査場面も単調で退屈というクイーン初期の欠点も如実に表れています。全編通してひたすら地味な作品なので純粋に知的ゲームが好きだという人におすすめの作品です。
ローマ帽子の秘密 (角川文庫)
エラリー・クイーン
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-10-25


1930年


夜歩く(ジョン・ディクスン・カー)
密室の帝王ことカーのデビュー作。これでプロットのクリスティ、ロジックのクイーン、トリックのカーと黄金期3巨匠が出そろったことになります。ただし、本作のトリックはチープなものであり、この時点でのカーはまだまだ本領を発揮しているとはいえません。その代り、精神病院を脱走して妻をつけ狙う前夫、人狼伝説、黒猫、首切り死体と怪奇ムードたっぷりの物語は忘れ難い印象を読者に与えます。総評としては凡作と切り捨てるには惜しい佳作といった感じです。この時カーは若干24歳。その才能を開花させるにはあと数年の月日が必要でした(ちなみに、エラリー・クイーンもデビュー時は24歳です)。
夜歩く【新訳版】 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー
東京創元社
2013-11-28


第二の銃声(アントニイ・バークリー)
バークリーは『試行錯誤』やフランシス・アイルズ名義の『殺意』など、代表作と目される作品は昔から日本でも入手可能だったものの、あまり翻訳に恵まれた作家とは言えませんでした。特に、本格ミステリに関しては『毒入りチョコレート事件』だけの作家の如き扱いを受けていました。しかし、実際は黄金期の鬼才というべき存在で、本格ミステリの傑作をいくつも発表していたのです。その事実が判明したのは、1994年に本書が国土刊行会から発売されたのが始まりです。
本書は某有名作品の本家取りですが、細部まで実によく考えられており、本家にあった欠点を見事なアレンジで修正しています。二転三転するプロットといい、最後のどんでん返しといい、この時代に書かれた本格としては頭ひとつ抜けた存在です。『毒入りチョコレート事件』を超えるバークリーの最高傑作との声もあります。
第二の銃声 (創元推理) (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2011-02-12


1931年

オランダ靴の謎(エラリー・クイーン)

病院内で起きた連続殺人の謎を追う名探偵エラリー・クイーン。デビュー3作目にして得意のロジックの冴えが究極まで高まった作品です。わずかな手掛かりをもとに推論を重ねて思いもよらぬ事実を次々明らかにし、真実までたどり着くさまは美しさすら感じます。推理の見事さではミステリー史上屈指の傑作といっても過言ではないでしょう。ただし、登場人物が多くて区別が付きにくく、関係者の尋問だけが続く退屈な展開という点はデビュー以来相変わらずです。本当に展開に変化がなく、淡々と話が進むので名探偵の推理が始まるまでかなりの忍耐を強いられことになるでしょう。

オランダ靴の謎【新版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2009-06-25


1932年

ギリシャ棺の謎(エラリー・クイーン)
1932年はエラリー・クイーンにとって特筆すべき年になりました。わずか1年間でミステリー史に名を残す傑作を4つも発表したのです。そのひとつめが国名シリーズ第4弾の『ギリシア棺の謎』です。この作品では学校を卒業したばかりの若き日のエラリー・クイーンが描かれています。自分の推理力に絶対の自信を持つ名探偵の卵は、しかし、犯人の奸計によって一度は敗れ去ります。『オランダ靴の謎』でロジックの美しさを極めたクイーンは今度はロジックの危うさについての物語を語るために、まだ若くて未熟な名探偵を登場させたのです。この辺りのテーマは後期クイーン問題の萌芽ともとらえることもできるでしょう。
ともあれ、二転三転するプロットの面白さはそれまでのクイーン作品にはなかったもので、作家的成長がうかがえます。しかも、誤答でありながらもエラリー・クイーンの最初の推理は十分魅力的であり、しかも、誤った推理によってさらなる謎が現れるという仕掛けには重層的な面白さがあります。アイディアをふんだんに詰め込んだ傑作であり、クイーンの最高傑作に推す声もあるほどです。

ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2014-07-30


エジプト十字架の謎(エラリー・クイーン)
奇跡の1932年のふたつめは国名シリーズ第5弾である『エジプト十字架の謎』です。単調で退屈な展開が最大の欠点であるとされてきたクイーンは一転して派手でケレン味の強い作品を発表します。本書で扱っているのは、首なし死体がTの字の十字架に磔にされるという事件です。それが何件も立て続けに起こるというのだから実に派手です。さらに、終盤にはスリリングな犯人追跡シーンまであるというおまけつきです。推理ゲームに徹した最初期の作品に比べると格段に面白さが増しています。しかも、事件の真相も意外性十分でミステリーとしての面白さも申し分なしです。そのため、長きに渡って国名シリーズの最高傑作と目されていきました。ただ、ハッタリに頼っている分、これまでの作品に比べるとロジックの構築が甘いという声も少なくありません。実際、近年では『ギリシア棺の謎』と人気が逆転した感があります。とはいえ、展開の面白さと読みやすさからクイーンの入門書としては最適な作品であり、クイーンを読んだことがないという人にはおすすです。

エジプト十字架の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーン
東京創元社
2016-07-21


Ⅹの悲劇(エラリー・クイーン)
1932年。国名シリーズで『ギリシャ棺の謎』と『エジプト十字架の謎』というふたつの傑作をものにしたエラリ-・クイーンは、さらにバーナビー・ロス名義で、ドルリー・レーンという新たな名探偵を創出します。聴覚を失った元シェークスピア俳優という設定ですが、探偵が代わってもロジックの積み重ねを頼りに真相へと至るという探偵法は相変わらずです。特に本書では『オランダ靴の謎』に劣らない見事なロジックの構築美を築き上げています。また、市電の中での毒針による殺人から始まり、第2、第3の殺人までそれぞれに犯人特定につながる手がかりがさりげなく提示し、それを基にして鮮やかに絵解きをするクライマックスには、本格ミステリでしか味わえないカタルシスを感じさせてくれます。また、本書では、後年エラリー・クイーンの代名詞と言われるダイイングメッセージが初めて登場するのも印象的です。晩年の作品には無理なものも多かったのですが、本書でのダイイングメッセージの扱い方は実に見事です。どこを切り取っても超一級の本格ミステリだと言えるでしょう。

Xの悲劇 (角川文庫)
エラリー・クイーン
角川グループパブリッシング
2009-01-24


Yの悲劇(エラリー・クイーン)
奇跡の1932年最後の作品はみんな大好き『Yの悲劇』です。戦後から約半世紀の間、ミステリーのオールタイムベストと言えばこの作品が定番でした。「Yの悲劇』こそが史上最高の見捨て位r-だったのです。そして、その魅力の核になっていたのが意外すぎる真相です。ただ、今日ではその犯人像はさほど意外なものではなくなりつつあります。盤石と思われたオールタイムベスト1の座も今では揺らぎきています。実際、人気ランキングで1位の座を奪われることも目立つようになりました。しかし、それでもなお、本書はキ印の一家、筋書き殺人、マンドリンの凶器の謎などミステリーマインドをくすぐる魅力に満ちています。そして、衝撃度は薄れたとは言え、最後にドルリー・レーンが真相を国にするシーンはやはり印象的です。今なお黄金期屈指の作品であることには間違いないでしょう。
Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)
エラリー・クイーン
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-09-25


1933年

ジャンピング・ジェニィ
(アントニイ・バークリー)
バークリーの作品の中でも最もアンチミステリーの色が濃く出た作品です。ここでは事件を解くはずの名探偵が事件を自殺に偽装すべく奔走します。真相を明らかにしようとする気が全くない代わりに、あの手この手で警察をミスリードしようとする名探偵というのも前代未聞でしょう。そして、最後のオチもバークリーらしい良い味を出しています。正統派本格ミステリを期待した人には肩透かしかもしれませんが、普通の名探偵ものは読み飽きて、ちょっと変わったものが読みたいという人に最適の1冊です。
ジャンピング・ジェニイ (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2009-10-29


1934年


黒死荘の殺人(カーター・ディクスン)
1930年に『夜歩く』でデビューしたジョン・ディクスン・カーは最初予審判事のアンリ・バンコラを探偵役に本格ミステリを書いていましたが、どれも怪奇ムード優先の作品でミステリーとしては凡庸なものばかりでした。しかし、1933年にはフェル博士が探偵役を務める『魔女の隠れ家』や『帽子収集狂事件』を発表し、ミステリー作家としての成長をアピールします。そして、彼の真価が初めていかんなく発揮された作品がカーター・ディクスン名義で書かれた本書です。第3の名探偵ヘンリ・メリヴェール卿のデビュー作であり、濃厚な怪奇性と謎解きの面白さを併せ持つ逸品です。これ以降、カーは数々の傑作をものにしていくことになります。
黒死荘の殺人 (創元推理文庫)
カーター・ディクスン
東京創元社
2012-07-27


オリエント急行の殺人(アガサ・クリスティ)
クリスティは1920年にデビューして以来、コンスタントに作品を発表し、また『アクロイド殺し』という不朽の名作もものにしました。しかし、彼女の全キャリアを通して見ると最初の十数年はまだまだ真の力を発揮していたとは言えません。クリスティがミステリーの女王のふたつ名にふさわしい活躍をし始めるのは本作からだと言っていいでしょう。この作品は『アクロイド殺し』とはまた異なる意外な真相を創案し、黄金期を代表する作品のひとつとなちました。そして、それ以降、クリスティは次々と傑作、名作を生みだしていくことになります。ちなみに、本作品は1974年にイングリッド・バーグマン、アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリーなどの豪華キャストで映画化され、格調高いミステリー映画の傑作としても知られています。



ナイン・テーラーズ(ドロシー・L・セイヤーズ)
セイヤーズは、『本国イギリスではクリスティ以上の人気がある』などの話が伝わっている割にその全貌がなかなかつかめない作家でした。最高傑作とされる本書ですら1998年新訳が出るまでは入手が困難だったほどです。そして、肝心な本書の内容ですが、村の墓から顔をつぶされた上に両手を切断された死体が見つかり、その真相を追うというもので、ピーター卿シリーズの9作目にあたります。
その緻密なプロットといい、豊かな物語性といい名作の名に恥じないものではありますが、日本人には全くなじみのない鐘鳴法の蘊蓄に多くのページが割かれ、それが読者の敷居を高くしています。セイヤーズを評する言葉にミステリーと文学の融合という言葉がありますが、この文学性の部分に魅力を感じなければどこが面白いのかわからないということにもなりかねません。セイヤーズの作品の日本への紹介が遅れていたのもその辺に原因があるのでしょう。したがって、セイヤーズ初心者であれば、いきなりこの代表作に手を出すのではなく、比較的敷居の低い1927年の『不自然な死』辺りから試してみるのが無難でしょう。

ナイン・テイラーズ (創元推理文庫)
ドロシー・L. セイヤーズ
東京創元社
1998-02


1935年

三つの棺(ジョン・ディクスン・カー)

本書を発表した時点で存在していた密室トリックのパターンを網羅した密室講義の存在が名高いカーの代表作です。ストーリーそのものも不可能犯罪がたてつづけに2件も起こるという大変贅沢なものであり、探偵小説独特の謎の提示によるワクワク感が存分に味わえます。ただ、肝心のトリックが複雑すぎてカーの作品の中でも特に無理が感じられるものなので、その辺は賛否の分かれるところでしょう。もっとも、あまりに密室の存在感が強烈なために目くらましになっていますが、本書の主眼は密室トリックにあるわけではありません。壮大なミスディレクションによって隠蔽された唖然とするような真相こそが本書の魅力なのです。
三つの棺〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョン・ディクスン・カー
早川書房
2014-07-10


1936年

中途の家(エラリー・クイーン)

1932年に頂点を極めた後もクイーンは佳作を発表し続けていましたが、最大の特徴である緻密なロジックの構築という点ではやや下り坂であるという印象はぬぐえませんでした。本書はそんなイメージを一掃する会心の作品です。マッチの燃えカスからさまざまな真実を導き出すロジックの冴えはまさにクイーンの真骨頂です。ただ、ロジックを全面に押し出した作風はこの辺りが限界だったようで、しばらく試行錯誤が続き、1942年の『災厄の町』からはより人間ドラマに力を入れた新境地の本格ミステリにシフトしていくことになります。
中途の家 (角川文庫)
エラリー・クイーン
KADOKAWA/角川書店
2015-07-25


ABC殺人事件(アガサ・クリスティ)
一見無関係な人々が殺されていくが犯人にとっては彼らを殺害する合理的な動機があったというミッシングリンクの謎の魅力を世に広めた作品です。今となっては他愛もない謎とその回答ですが、それもクリスティというパイオニアがあってこそでしょう。
ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2003-11-11


1937年

火刑法廷(ジョン・ディクスン・カー)
本書は伝説的毒殺魔が妻とそっくりなことに主人公が気がつくところから始まり、やがて、女性の姿が壁の中に消えたり、密閉された霊廟から死体が消失したりと不可思議な出来事が起こるというものです。いかにもカーらしい怪奇性と不可能犯罪に彩られた作品ですが、そこにまさかのひねりが加えられています。自らの作風を逆手にとった見事などんでん返しです。現代ミステリーでもこの手を使う作品はたまに見受けられ、そういう意味で本作品も大いなるパイオニアのひとつだと言えるでしょう。
火刑法廷[新訳版] (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョン・ディクスン・カー
早川書房
2011-08-25


ナイルに死す
クリスティは1930年に古代中東史が専門の考古学者と結婚しており、その影響もあって中東を舞台にした数多くの作品を残しています。そして、本書はその中でも最高傑作と目される作品です。クリスティとしては珍しく長大な作品ですが、エジプトを舞台にした異国情緒の味わいがあり、恋愛を主軸としたロマンチックミステリーの趣もありと、とにかく退屈をさせません。クリスティの作品の中でも屈指のドラマ性豊かな作品でしょう。その上、本格ミステリとしても一級品であり、文句なしの傑作と言えます。


1938年

ユダの窓(カーター・ディクスン)
カーお得意の怪奇性を封印し、ほぼ裁判シーンだけで構成された法廷ミステリーです。しかし、これがすこぶる面白い出来に仕上がっています。発見時には内側から鍵がかけられた部屋で他殺死体と一緒だった男。誰がどうみてもその男が犯人でしかありえない事件をヘンリ・メリヴェール卿の弁護によってひっくり返していくプロセスは実にスリリングです。謎めいたユダの窓というキーワードも巧みに使われており、サスペンスを盛り上げてくれます。カーの作品の中でもリーダビリティの高さは群を抜いており、カー初心者にもおすすめしたい傑作です。



1939年

そして誰もいなくなった(アガサ・クリスティ)

黄金期最後を飾る作品は同時に黄金期の最高傑作でもある『そして誰もいなくなった』です。孤島に10人の男女が集められ、マザーグースの歌の内容を模してひとりずつ殺されていくストーリーにはこれ以上ない極上のサスペンスがあり、事件のラストシーンも非常に印象的です。そして、エピローグで犯人が明らかになるのですが、その真相は実に巧妙なミスディレクションによって隠蔽されていたことが判明し、プロットの見事さに舌を巻いてしまいます。しかも、多くの人間が殺害されるのに長大な物語にはならず、コンパクトにまとめられている点も完成度を高める要因となっています。どこから見ても隙のない作品であり、現在ではオールタイムベスト1位の最有力と目されている名作中の名作です。



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