物語良品館資料室

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最新更新日2022/11/15☆☆☆

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本ミス2023
対象作品である2021年11月1日~2022年10月31日の間に発売された謎解き主体のミステリー作品の中からベスト10の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。それらの点についてはあらかじめご了承ください。
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2023本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2022-12-07


本格ミステリベスト10海外版最終予想(2022年11月15日)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
記載方法は以下のようになっています。
予想順位.タイトル(作者名)本ミスの順位(このミスの順位 文春の順位 読みたいの順位)
ただし、「→本ミスの順位(このミスの順位 文春の順位 読みたいの順位)」の部分が記載されているのは予想ランキングあるいは本ミスで10位以内のものだけです。
なお、このミス、文春、 読みたいはそれぞれ「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」の略です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

1位.キュレーターの殺人 (M・W・クレイヴン)→3位(文春4位 読みたい8位)
被害者の指を切断する連続殺人の謎にポー刑事とティリー分析官が挑むシリーズの第3弾。ふんだんにアイディアを盛り込み、謎が謎を呼ぶ展開で楽しませてくれます。二転三転しつつ衝撃的なラストへと至るストーリも秀逸。ただ、その動機でそこまでするか?という問題については賛否がわかれそう。


2位.ポピーのためにできること(ジャニス・ハレット)1位(このミス3位 文春4位 読みたい5位)
メールやメモなど、事件の証拠資料のみで構成された異色作。700頁もあるうえに事件が起きるまでが長いものの、謎を小出しにして上手く読者の興味を引いています。伏線やミスディレクションの配置も巧みで推理パズルとしては空前の完成度です。ただ、真相も小出しなので大きな驚きには欠けるかも。


3位.殺しへのライン (アンソニー・ホロヴィッツ)→2位(このミス2位 文春2位 読みたい2位)
ホーソーン&ホロヴィッツ シリーズ第3弾。島に集められた人々の紹介をじっくりと行う前半はスローテンポですが、事件発生以降、登場人物の秘密が次々と暴かれていくくだりは面白く、その末の伏線回収も鮮やかです。ただ、メインの謎である死体の一部をあえて縛らなかった理由についてはイマイチ。


4位.死まで139歩 (ポール・アルテ)→5位(文春20位
埋葬されたはずの死体が二重密室の屋敷で139足もの靴と共に発見されるという謎にツイスト博士が挑むシリーズ第8弾。故・殊能将之が絶賛したことで知られ、やりすぎ感満載の不可思議な謎にわくわくします。現実味に乏しいトリックは賛否が分かれるものの、最後に明らかになる真相には呆然自失。
死まで139歩 (ハヤカワ・ミステリ)
ポール アルテ
早川書房
2021-12-02


5位.ロンドン・アイの謎(シヴォーン・ダウド )→4位(このミス7位
衆人環視の観覧車で起きた人間消失の謎に12歳の少年が挑むジュブナイルミステリー。ジュブナイルといっても張り巡らせた伏線を回収しての推理は本格的で大人のミステリーファンをも唸らせるレベルです。また、ユーモアに溢れ、テンポも良いので娯楽小説としても十分に楽しむことができます。
ロンドン・アイの謎
シヴォーン・ダウド
東京創元社
2022-07-12


6位.優等生は探偵に向かない (ホリー・ジャクソン)→7位(このミス5位 文春3位 読みたい3位)
女子高生がSNSや関係者インタビューを駆使して真相に迫っていく面白さは今回も健在。ピップとラヴィのコンビも魅力的で、終盤に明らかになるまさかの事実にも驚かされます。ただ、それは調査の結果、たまたま明らかになった事実にすぎません。推理要素に乏しく、本格としての味わいは薄いかも。


7位.英国屋敷の二通の遺書 (R・V・ラーム)※ランク外
インド人作家による現代インドを舞台にした本格ミステリ。代々当主が非業の死を遂げる呪われた屋敷が地崩れによって孤立し、事件が起きるといった古典的探偵小説の雰囲気がたまりません。また、遺書に関する仕掛けもヒネリが効いています。ただ、本格としては推理の手掛かりが不十分なのがやや難。
英国屋敷の二通の遺書 (創元推理文庫 M ラ 12-1)
R・V・ラーム
東京創元社
2022-03-19


8位.レオ・ブルース短編全集(レオ・ブルース)※ランク外
短編全40作品を網羅したマニア垂涎の逸品。ただ、どれも10ページほどと短いため、物語としてのメリハリは十分ではありません。その代わり、奇妙な味と皮肉の効いたオチという著者ならではの魅力を満喫することが出来ます。また、比較的長めの「ビーフのクリスマス」はフーダニットとして秀逸。
レオ・ブルース短編全集 (海外文庫)
レオ・ブルース
扶桑社
2022-04-28


9位.名探偵と海の悪魔 (スチュアート・タートン) →4位(このミス4位 文春6位 読みたい6位) 
前作『イヴリン嬢は七回殺される』が特殊設定ミステリの傑作だったのに対し、本作は謎と冒険と怪異の全方位的娯楽作品となっています。その分、本格としてのボリュームが薄くなっているのは残念ですが、謎解きのレベルは水準を超えていますし、なにより、冒険譚としては抜群の面白さです。
名探偵と海の悪魔 (文春e-book)
スチュアート・タートン
文藝春秋
2022-02-23


10位.魔王の島(ジェローム・ルブリ)※ランク外(このミス10位 文春13位 読みたい9位)
1949年に両足の欠損した子供たちの死体が打ち上げられたノルマンディ沖の孤島を巡る物語は二転三転し、独特のトリップ感覚を味わうことができます。そして、その末にたどり着く真相がある意味非常に衝撃的です。ただ、反則スレスレのご都合主義な点は否めないので、その辺りは好みが分かれそう。
魔王の島 (文春文庫)
ジェローム・ルブリ
文藝春秋
2022-09-01



その他注目作品18

11.辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿(莫理斯 (トレヴァー モリス))→10位(このミス12位 文春17位 読みたい12位) 
ホームズを中国人に置き換えたパスティーシュ作品で、「血文字の謎」「黄色い顔のねじれた男」「親王府の醜聞」「ベトナム語通訳」など、どこかで聞いたことのあるタイトルの短編が6篇収録されています。原典のネタを活かしつつも再構築し、思いもよらぬ結末に着地する構成が見事です。
辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿 (文春e-book)
莫理斯(トレヴァーモリス)
文藝春秋
2022-04-22


12.邪悪催眠師 (周浩暉) 
人の死をも自在に操る催眠術師と公安局刑事隊長の羅飛が対決する、『死亡通知書 暗殺者』の前日譚。スリラーとして優れた作品である同時に、催眠術を中心としたロジックもしっかりとしており、犯人探しのパズラーとしてもよくできています。ただ、催眠術が万能すぎるのは気になるところ。
邪悪催眠師 (ハーパーBOOKS)
周 浩暉
ハーパーコリンズ・ジャパン
2022-08-24


13.彼は彼女の顔が見えない (アリス・フィーニー)
夫が人の顔を判別できない相貌失認症だという設定がキーとなる謎解き要素満載のサスペンス小説。なかには仕掛けが読みやすいものもありますが、とにかくあの手この手で読者を騙そうとする手数の多さには圧倒されます。ただ、仕掛けを盛り込み過ぎたために、リアリティが犠牲になっている面も。
彼は彼女の顔が見えない (創元推理文庫)
アリス・フィーニー
東京創元社
2022-07-29


14.窓辺の愛書家 (エリー・グリフィス )
殺人コンサルタントと称して多くの推理作家に執筆協力をしていた老婦人の謎に挑む、刑事ハービンダーカーシリーズの第2弾。ミステリ小説を巡る謎が魅力的で、前作の『見知らぬ客』と比べて本格色が濃くなった点がうれしいところです。特に、散りばめられた伏線を巧みに回収する手管が秀逸。


15.壊れた世界で彼は (フィン・ベル)
ギャングが一家を人質にとって田舎町の民家に立て籠もるというサスペンスものながら、目まぐるしい展開の中で事件の核心を上手く隠蔽し、最後に伏線を回収して意外な真相を開示する手管が見事です。ただ、いささか回りくどい表現が多くて中盤ではかなりの中弛みを感じてしまうのが難。
壊れた世界で彼は (創元推理文庫)
フィン・ベル
東京創元社
2022-05-30


16.ゲストリスト(ルーシー・フォーリー )
アイルランドの孤島で結婚式を挙げていたところ、暴風雨が迫るなかで殺人事件が....。といった感じで典型的なクローズドサークルものにみせかけつつも、時系列をバラバラにし、犯人はもちろん被害者が誰かも分からない展開がスリリング。純粋な本格ではありませんが、終盤の伏線回収は見事です。
ゲストリスト (ハヤカワ・ミステリ)
ルーシー フォーリー
早川書房
2021-11-04


17.修道女フィデルマの采配(ピーター・トレメイン )
7世紀のアイルランドを舞台に王女で法廷弁護士の修道女フィデルマが活躍する、日本オリジナル編纂の短編集第5弾。ヒネリの効いたホワイダニットが光る『法定推定相続人』やラストのオチが秀逸な『魚泥棒は誰だ』、オオカミ少年をモチーフにした奇妙な味の『「狼だ!」』など、秀作揃いです。


18.死亡告示 トラブル・イン・マインドII (ジェフリー・ディーヴァー)
クライムノベルの色が強い作品集ですが、中編小説の「永遠」は本格としても読み応えがあります。探偵役を務める刑事の統計学を用いた推理がミステリマインドをくすぐりますし、著者十八番の二転三転の展開も申し分なしです。なにより、意外性に満ちた真相がホワイダニットものとして秀逸。
死亡告示 トラブル・イン・マインドII (文春文庫)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2022-05-10


19.真夜中の密室(ジェフリー・ディーヴァー )
リンカーンライムシリーズ第15弾。施錠した部屋でも楽々と侵入する怪人ロックスミスの暗躍と、リンカーン・ライムが警察の政争に巻き込まれる話が並行して語られ、それぞれにどんでん返しが用意されています。ロックスミスとの対決はあっさりですが、その分、仕掛けの多さは魅力的。
真夜中の密室 リンカーン・ライム (文春e-book)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2022-09-27


20.デイヴィッドスン事件(ジョン・ロード)→8
1929年発表の作品で、物語は私利私欲に走って多くの人から恨みを買っている2代目社長が何者かに殺されるというもの。名探偵の推理によって容疑者が逮捕されるのですが、そこからヒネリのある展開が待っています。メインの仕掛けは当時すでに先行例があるものの、その犯人像はなかなかに強烈です。


21.悪魔を見た処女(エツィオ・デリコ/カルロ・アンダーセン)
ロープにぶら下がっている悪魔を少女が目撃する表題作はかつて江戸川乱歩が「トリックが巧妙で雰囲気や意外性も秀逸」と称賛した黄金期の作品。凄い傑作というわけではないものの、古典の芳醇な香りを満喫できる佳品です。それに比べ、併録の『遺書の誓ひ』は突出した点がなく、やや凡庸。
悪魔を見た処女 (論創海外ミステリ 280)
カルロ・アンダーセン
論創社
2022-04-27


22.ウィンストン・フラッグの幽霊 (アメリア・レイノルズ・ロング)
B級ミステリの女王ことロングの1945年の作品です。ミステリ作家のミス・パイパーと犯罪心理学者のトリローニーを探偵役に配した物語は、消えた死体や遺言状の謎を中心にテンポ良く語られ、思わず引き込まれていきます。驚くべきトリックなどはありませんが、そつなくまとめられた佳品です。
ウィンストン・フラッグの幽霊 (論創海外ミステリ 285)
アメリア・レイノルズ・ロング
論創社
2022-06-30


23.ヨーク公階段の謎 (ヘンリー・ウェイド)→9
大手銀行の頭取がロンドンの名所で急死した事件の謎をロンドン警視庁の若手警部が追う1929年発表のプール警部シリーズ第1弾。プール警部が関係者から話を聞く展開が延々と続くため、正直かなり退屈です。その代わり、手掛かりをそろえたうえでミステリ的な仕掛けを解き明かしていくくだりは秀逸。
ヨーク公階段の謎 (論創海外ミステリ 287)
ヘンリー・ウェイド
論創社
2022-09-10


24.エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人(S・J・ベネット)
90歳を越えたエリザベスⅡ世が殺人事件の解決に乗り出すという日本ではありえない作品です。しかも、2016年当時の国際状況に触れられており、日本の元首相の名前が出たりもします。フーダニットミステリーでこれといったトリックなどはありませんが、設定の妙と軽妙な雰囲気が楽しい佳品です。


25.殺人は自策で(レックス・スタウト)
ネロ・ウルフシリーズ第22弾の本作は複数の作家をでっち上げの盗作で訴える詐欺事件が起き、やがてそれが殺人へと発展するというもので読者への挑戦状付きなのが目を引きます。ただ、その割に推理の根拠が薄弱なのは残念なところ。一方、キャラの魅力と軽妙な掛け合いは安定の面白さです。
殺人は自策で (論創海外ミステリ 279)
レックス・スタウト
論創社
2022-03-03


26.ピーター卿の遺体検分記 (ドロシー・L・セイヤーズ 
ピーター卿シリーズ第1短編集(1928年発表)の新訳です。長編作品とは異なり、重厚で文学的な作風は影を潜め、その代わり、探偵役であるピーター卿の颯爽とした活躍を存分に楽しむことができます。また、風変わりな事件や凝ったタイトルも楽しい一方で、肝心の謎解きはやや物足りなさも。
ピーター卿の遺体検分記 (論創海外ミステリ 277)
ドロシー・L・セイヤーズ
論創社
2021-12-28


27.レイン・ドッグズ (エイドリアン・マッキンティ)
ショーン・ダフィシリーズ第5弾。ハードボイルドな警察小説にも関わらず、第3弾『アイル・ビー・ゴーン』に続いて密室殺人が扱われている点が目を引きます。しかも、事件の現場が古城といういかにもな雰囲気なのがうれしいところです。ただし、謎解きメインの作品ではないので過剰な期待は禁物。
レイン・ドッグズ ショーン・ダフィ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エイドリアン マッキンティ
早川書房
2021-12-16


28.サナトリウム(サラ・ピアース)
山奥のホテルが雪崩で孤立するなか連続殺人事件が発生するという、『ゲストリスト』以上にクローズドサークルな作品ながら、中身は本格ではなくサスペンスです。それでも、不気味な館の描写やいわくありげな舞台を絡めた真相など、それらしいムードは味わえます。ただ、動機の説得力がいま一つ。
サナトリウム (角川文庫)
岡本 由香子
KADOKAWA
2021-11-20


2022年12月7日追記
予想結果
ベスト5→5作品中5作的中
ベスト10→10作品中7作的中
順位完全一致→10作品中0作品

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2023本ミス海外

最新更新日2021/12/18☆☆☆

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昨今ではさまざまな出版社から年間のミステリーランキングが発表されるようになってきています。それらのランキングは面白い作品を探す指針として大いに参考になる反面、ランキングから漏れた作品はつまらないという誤解を生む原因にもなっています。しかし、実際はランクインしなかった作品がすべてつまらないというようなことは決してありません。ランキングの趣旨から外れている、あるいは投票者の好みに合わないなどといった理由でランキングから外れてしまったものの、読む人が違えば非常に面白く感じる作品も少なくないのです。そこで、各種ミステリーランキングにランクインしていない、それどころか下記のリンク先でランキング候補にすら挙がっていないものの中からおすすめの作品を紹介していきます。
このミステリーがすごい!2022年版 国内ベスト20予想
2022本格ミステリ・ベスト10 国内版予想

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水よ踊れ(岩井圭也)
1997年。瀬戸和志は恋人だった梨欣の死の謎を追うために、建築学院の交換留学生として中国返還を直前に控えた香港を訪れる。幽霊屋敷の活動家、ビルの屋上のボートピープル、黒社会の住人、共産党員と噂の大物建築家など、さまざまな人々との出会いを通じてこの都市の真の姿が露わになっていく...。
◆◆◆◆◆◆
本作はミステリー的な謎解きよりも当時の香港の空気を克明に描くことに主眼を置いた作品です。それを通して現代にも通じるテーマ性が浮かび上がってくる骨太の作品に仕上がっています。特に、香港の街並みのリアルな描写やそこに住む人々の熱量には圧倒されるばかりです。また、主人公がアイデンティティを追い求めるドラマとしても読み応えがあります。香港の民主主義が踏みにじられている今だからこそ読むべき傑作です。
水よ踊れ
岩井 圭也
新潮社
2021-06-17


スモールワールズ(一穂ミチ)
単身赴任の夫の元に妻が訪れている間にまだ赤ん坊だった娘が死んでしまい、面倒を見ていた妻の母親が疑われる『ピクニック』。犯罪加害者と被害者家族の手紙のやり取りを描いた『花うた』。実家に出戻ってきた既婚者の姉に弟が翻弄される『魔王の帰還』など、全6編収録の作品集。
◆◆◆◆◆◆
全体的にミステリー要素は薄く、人間同士のつながりの機微に焦点を当てた一般文芸に近い作品集です。ただし、第74回日本推理作家協会賞短編部門候補作となった『ピクニック』はミステリーとしてよくできています。典型的な冤罪ものかと思い、真相が気になりつつページをめくっていると最後に明かされる真相にぞっとさせられます。また、ミステリーではないものの、破天荒でいながら繊細な姉を、弟の視点から描いた『魔王の帰還』は爽やかな読後感を得られる傑作です。
スモールワールズ
一穂ミチ
講談社
2021-04-21


白鯨 MOBY-DICK(夢枕獏)
土佐の中ノ浜村で漁師の次男として育った万次郎は14歳のときに遭難し、アメリカ捕鯨船・ピークオッド号に救出される。その船の船長であるエイハブは白いマッコウクジラに片足を食いちぎられた過去を持ち、白鯨に対する復讐の念をたぎらせていた。そして、その情念は万次郎をも巻き込んでいく.......。
◆◆◆◆◆◆
実在の偉人とアメリカ文学の最高峰『白鯨』を融合させたスケールの大きな物語に圧倒されます。白鯨といえば名作であると同時に難解なことでも有名ですが、それを原作の設定を活かしつつも血湧き肉躍る一大冒険スペクタルに仕上げたのが見事です。導入部におけるジョン万次郎の幼少時のエピソードから引き込まれ、そのまま500ページ超の物語を一気に読ませる筆力はさすがの一言。特に、悠々と海を往く白鯨の迫力は圧巻です。ただ、原作の魅力であったエイハブ船長の狂気の描写が希薄になってしまった点にものたりなさがありますが、それは本作が娯楽小説に寄せている性格上致し方ないところでしょう。
白鯨 MOBY-DICK
夢枕 獏
KADOKAWA
2021-04-14


まだ人を殺していません(小林由香)
義兄が猟奇殺人の犯人として逮捕されたことで、大好きだった亡き姉の息子である良世を引き取って育てることになった翔子。しかし、良世は掴みどころのない子供で翔子はどう接して良いのかわからない。しかも、彼の不気味な一面が彼女を動揺させる。果たして、良世は本当に悪魔の子なのか?
◆◆◆◆◆◆
設定が非常に重くて読んでいて苦しくなってくるほどですが、苦悩しながらも成長していく翔子と良世の物語は読み応えがあります。ミステリーでありながら子育ての大変さを教えてくれる力作です。一見極端な話のように思えるものの、実は普遍的なテーマを扱っています。本作で描かれている子どもの考えていることがわからないというのは多くの親の共感を得るのではないでしょうか。そういう意味では子育て世代の人たちに特におすすめの作品だといえるでしょう。ただ、伏線回収に無理があり、ミステリーとしての完成度は低めです。


霧をはらう(雫井脩介 ) 
入院中の子供たちの点滴にインスリンが混入され、4人のうち2人が死亡する。殺人容疑で逮捕されたのは生き残った女児の母親だった。同室の人と揉め、立ち入り禁止のナースセンターに出入りしていたことから嫌疑をかけられたのだ。若手弁護士の伊豆原はほとんど勝ち目のない裁判に挑むが.......。
◆◆◆◆◆◆
いわゆる冤罪ものですが、被告が周囲をイラつかせる性格で無罪を信じきれない点が一筋縄ではいかないつくりになっています。また、そうした被告の描写を含め、登場人物一人一人にリアリティが感じられるのが見事です。心理描写も丁寧で、また、少々長すぎる感はあるものの、地道な調査で真実に迫っていく過程は読み応えがあります。さらに、張り巡らせた伏線を回収してのどんでん返しもよくできています。いろいろな要素が絶妙に組み合わさって構築された完成度の高い作品です。
霧をはらう (幻冬舎単行本)
雫井脩介
幻冬舎
2021-07-28


みんな蛍を殺したかった(木爾チレン)
京都の女子高に通う桜、雪、栞の3人はオタクで、底辺女子高においてすらスクールカーストの最下層に甘んじていた。そんなある日、東京から蛍という美少女が転校生としてやってくる。しかも、3人の所属する生物部に入部を希望し、「私もオタクなの」と告白する。こうして4人の交流が始まるが...。
◆◆◆◆◆◆
見栄やコンプレックスといった思春期ならではのドロドロした世界を描いたイヤミスながらも、読みやすい文章と先が気になる展開とが相俟ってページをめくる手がとまらなくなります。時系列をバラバラにしながら蛍の死の瞬間へと収斂していく構成がユニークですし、その末に訪れる結末があまりにも衝撃的です。伏線を張り巡らせての仕掛けも見事で、読者を予想外の結末へと導きます。さらに、続くラストにも驚かされますが、読者によっては最後まで続く不幸の連鎖に暗澹たる気持ちにさせられるかもしれません。冷静に考えればツッコミどころも結構あるのですが、読んでいる間はあまり気にならないのは作品の内包する勢い故でしょう。暗黒の青春ミステリーとでもいうべき秀作です。
みんな蛍を殺したかった
木爾 チレン
二見書房
2021-10-01


野呂邦暢ミステリ集成(野呂邦暢)
取材先の島で失踪後に溺死したカメラマンの謎を残されたカメラのフィルムから解明していこうとする『失踪者』、夢を見るとそれがそのまま実現する男の最後の夢を描いた『まさゆめ』、引越し先で発見した絵が男の記憶を揺さぶる『もうひとつの絵』など、8編の中短編とミステリ関連エッセイを収録。
◆◆◆◆◆◆
1973年に『草のつるぎ』で芥川賞を受賞し、1980年に42歳の若さで早逝した著者の作品集。ミステリ的な謎を扱いながらも文学色が強く、日常の中に不穏な空気を滲ませる描写が秀逸です。なかでもベストといえるのが自衛隊時代の経験を活かして書き上げた『失踪者』でしょう。山に逃げ込んだ主人公のサバイバル生活が描かれているのですが、そこに土着の犬神進行を絡め、サスペンス感満点の作品に仕上げています。また、その他の作品も人間心理に焦点を当てた謎の提示が秀逸な好編揃いです。一方、併録されている8篇のエッセイからは著者ならではのミステリ観がうかがえ、興味深いものがあります。
野呂邦暢ミステリ集成 (中公文庫)
野呂 邦暢
中央公論新社
2020-10-22


姉の島(村田喜代子)
美々浦では海女は85歳で170歳の倍暦となり、仕事仕舞いをして陸に揚がるのがならわしとなっていた。しかし、海女の仕事を続けたいミツル姉や小夜子は90歳までは潜り続けるつもりでいた。やがて、彼女たちはいくつもの沈没船が眠るこの海域で、後進のための海図作成に取り組み始めるが...。
◆◆◆◆◆◆
第49回泉鏡花文学賞受賞作。退役海女たちが主役の異色冒険小説です。海女と沈没船や潜水艦の組み合せにはロマンを掻き立てられますし、天皇海山といったワードにはワクワクするものがあります。また、老女たちのおおらかな語り口も秀逸です。既存の冒険小説にはない心地よさを感じさせてくれますし、彼女たちの楽しげな様子は高齢社会を生きる我々に勇気をもたらしてくれます。さらに、海の中の幻想的な描写が素晴らしく、冒険の果てに至るラストが圧巻です。唯一無二の読後体験をもたらしてくれる傑作。
姉の島
村田 喜代子
朝日新聞出版
2021-06-07


ヴィンテージガール 仕立屋探偵 桐ヶ谷京介(川瀬七緒)
高円寺で仕立屋を営む桐ヶ谷京介は美術解剖学や服飾などの知識を用いて服の持ち主の生活を見抜く力を有していた。ある日、彼は10年前に起きた少女殺害事件の公開捜査のテレビ番組を目にする。そして、身元すらわかっていない少女のワンピースがあまりに時代遅れなことに引っ掛かりを覚え......。
◆◆◆◆◆◆
服飾などの専門知識を用いて事件の謎を解いていくスタイルが斬新で引き込まれていきます。ちなみに、著者の川瀬七緒は服飾デザイナーとして働いていた経験があります。つまり、デビュー10年目にして著者のバックボーンを活かした作品を世に問うたわけです。これまでも、昆虫法医学をはじめとしてさまざまな蘊蓄を絡めたミステリーを発表してきた著者ですが<本作はその知識により一層の深みが感じられます。特に、探偵役である京介の推理は、服を見ただけでここまで分かるのかと驚きを禁じ得ません。また、相棒も個性的で京介との良いコンビぶりを披露してくれますし、わき役たちもキャラが立っていてみな魅力的。シリーズ化が期待される注目作です。


小麦の法廷(木内一裕)
新人女性弁護士の杉浦小麦は初めての刑事裁判に臨む。裁判の内容は仲間内で起きた傷害事件で被告も罪を認めているという簡単なものだった。ところが、その同時刻にとある倉庫内オフィスで3人の男が銃殺されており、2つの事件の関連性が浮かび上がる。周囲が敵だらけのなか、孤立無援の小麦は.....。
◆◆◆◆◆◆
童顔で元レスリングのオリンピック候補という小麦のキャラが立ちまくっており、物語の大きな牽引力となっています。そのうえ、ストーリーのテンポがよくて要所要所で笑いを盛り込むなど、これぞエンタメといった感じです。一方、事件そのものは少々小粒ではあるものの、続く裁判シーンでしっかり盛り上げてくれます。それになんといっても、スリリングな攻防の末の鮮やかな逆転劇が見事です。一気読み必至の傑作リーガルサスペンス。
小麦の法廷 (講談社文庫)
木内 一裕
講談社
2022-10-14


子供は怖い夢を見る(宇佐美まこと)
母が新興宗教に入信したことで航は妹を虐待によって殺されるが、クラスメイトの蒼人とその家族が妹を生き返らせてくれる。蘇った妹は失踪し、20年以上経ってから奇跡的に再会するも世界には未知の感染症が蔓延していた。しかも、妹を救ってくれた一家がその感染症に関係していることを知り......。
◆◆◆◆◆◆
不思議な家族と新型コロナを彷彿とさせる感染症との関係性に焦点を当てたファンタジーミステリーです。いじめやその原因となっている新興宗教の問題など、読むのがつらくなりそうなテーマをファンタジー要素を絡めてほど良い口当たりに仕上げています。とはいえ、全体的にはイヤミス的なトーンなのですが、それを最後に感動のフィナーレへと導いていく手管が見事です。ただ、現実的なテーマにファンタジー要素を絡めて描くこと自体に違和感を覚える人も一定数いるのではないでしょうか。
子供は怖い夢を見る
宇佐美まこと
KADOKAWA
2021-09-29


遠巷説百物語(京極夏彦)
浪人・宇夫方祥五郎は盛岡藩筆頭家老の密命を受けていた。御譚調掛として巷に流れる噂話を調べたうえで、その真偽を見定めよというのだ。祥五郎は幼馴染で世事に通じている乙蔵から奇異な話を聞かさる。店から出て行った座敷童衆、夕暮れ時に現れる目鼻のない花嫁などなど。果たしてその真偽は?
◆◆◆◆◆◆
シリーズ第6弾。今回は舞台が怪異の本場・遠野ということもあり、また、独特の方言も相俟ってどこか不思議な雰囲気を醸し出しています。その辺りの空気感は素晴らしいの一言です。そして、遠野物語の逸話を巧みに用いつつ、遠野に留まらない巨大な陰謀が浮かび上がってくる仕掛けが見事です。ただ、スケールが大きい分、話が大味になってしまったのは好みの分かれるところではないでしょうか。あと、せっかく遠野が舞台なのに著者ならではの蘊蓄が乏しかった点も物足りなさを感じます。とはいえ、登場人物も魅力的で夢中になって読ませるだけの魅力があることは確かです。


琉球警察(伊東潤)
1953年。警察官に採用された奄美郡島徳之島出身の東貞吉は、琉球警察名護警察署に配属される。そして、そこで米軍現金輸送車襲撃事件の主犯逮捕という手柄を立て、公安担当になるのだった。彼は沖縄返還運動を主導する人民党の末端で15歳の島袋令秀に接近し、スパイにしようとするが......。
◆◆◆◆◆◆
主人公の目を通して語られるアメリカ占領下における沖縄の実情を臨場感豊かに描いたのが見事です。実在の人物である瀬長亀次郎のエピソードは興味深いものがあり、戦後沖縄の様子が克明に描かれているので大変勉強にもなります。沖縄が戦後見舞われた悲劇とそれを目のあたりにしながら自分の置かれた立場との矛盾に苦悩する主人公の姿が胸を打ち、そして最後にはエンタメとしてカタルシスが得られる展開も用意されています。ただ、悪役がステレオタイプの小物だった点に多少の物足りなさも。
匣の人(松嶋智左) 
巡査部長の貴衣は刑事課から交番勤務へ異動させられ、つかみどころない性格の新人巡査・里志とペアを組むことになった。ある日、2人は別荘地の保養所で他殺体を見つける。被害者は近所の通称アジアンアパートに住む技能実習生。貴衣子は不穏な動きを見せる里志に対し、事件の関与を疑うが…...。
◆◆◆◆◆◆
著者が元警察官ということもあって警官の日常や事件への取り組みが細部までリアリティ豊かに描かれており、派手さはなくても興味深い内容に引き込まれていきます。また、新人とベテランのコンビが仕事を通じて少しずつ信頼関係を深めていく描写も良くできています。ミステリーというより人間ドラマに重きを置いた作品として秀逸です。ただ、いろいろな要素を詰め込みすぎた結果、一つ一つのエピソードが若干薄くなってしまった感もあります。
匣の人
松嶋 智左
光文社
2021-04-21


アフター・サイレンス(本多孝好)
高階唯子は県警からの委託で事件被害者やその家族のケアを行う臨床心理士。今回のクライエントは殺された男の妻だった。犯人は男の不倫相手で関係を一方的に解消した男を自宅近くの公園で待ち伏せて刺し殺したのだ。だが、ナイフは自分のものではなく、刺したことも覚えていないと主張し始め......。
◆◆◆◆◆◆
臨床心理士が主役を務める全5篇収録の連作ミステリー。事件は被害者はもちろん、その家族や加害者家族にも深い傷跡を残します。ミステリーとしての謎解きの要素はそれほど強くないものの、そうした被害者家族や加害者家族の心理を丹念に追ったドラマとして読ませる好編です。同時に、それに対して、カウンセラーに一体なにが出来るのかを丹念に描いており、すごく勉強にもなります。自身が加害者家族であるという主人公のつらい立場も含め、深く考えさせられる作品です。
アフター・サイレンス
本多 孝好
集英社
2021-09-03


だから僕は君をさらう(斎藤千輪)
守生光星は父が誘拐事件を起こしたすえに事故死したのちに養護施設に入り、それから16年間、ミュージシャンを目指しながらひっそりと生きてきた。だが、ある少女と出会ったとき、彼は自らが誘拐犯となる。大切な人を守るために罪を犯す決意をしたのだ。果たして2人の運命は?
◆◆◆◆◆◆
第2回双葉文庫ルーキー大賞受賞作。ミステリー仕立てになっていますが、どちらかというとヒューマンドラマとして読み応えのある作品です。誘拐という手段で少女を守ろうとした主人公の決断には読者の心を揺さぶるものがありますし、全編を覆っている優しい空気には安らぎすら覚えます。切なくも心地良い読後感を味わえる佳品です。ただし、現実離れした絵空事の優しい世界は苦手という人には向いていないかもしれません。
だから僕は君をさらう (双葉文庫)
斎藤 千輪
双葉社
2020-11-12


感染捜査(吉川英梨)
海上保安庁・潜水士の岸本が相模湾沖での潜水作業中に行方不明となる。数日後、岸本は泳いでいるところを豪華客船に救出されるが、彼はすでに人ではなかった。一方、警視庁の天城由羽刑事は不審船による違法薬物持ち込みの情報を追っていた。その薬は国を滅ぼしかねない危険なものだというのだが....。
◆◆◆◆◆◆
刑事と海上保安官が増殖するゾンビに立ち向かうパンデミックサスペンスです。中盤からの怒涛の展開とノンストップアクションは読み応え満点。また、本作におけるゾンビ(灰人)は死者ではなく、生きたまま凶暴化しているので安易に射殺できない点もサスペンス感を高めています。また、登場人物のキャラも立っており、特に来栖隊長のカッコ良さには痺れます。一方で、杓子定規な正義感を振りまわし、非常時に臨機応変な対応が取れないヒロインの天城由羽に対してはイライラする人が多いかもしれません。それと、食人などのグロい描写は好みがわかれるところです。
感染捜査
吉川 英梨
光文社
2021-05-25


氷室の華(篠たまき)
ユウジは小学生のときに白姫澤村に住む祖父を訪ね、そこで彼の子孫が当時は貴重だった氷を洞窟に保管する氷室守だった事実を知る。しかも、その洞窟で氷室守に託されたもう一つの役割が明らかにされる。それからというもの、ユウジは背徳にまみれた蒐集を始めることになるのだが.......。
◆◆◆◆◆◆
物語自体には非現実的な要素は全くないものの、全編に渡って幻想的な味付けがなされており、狂気の美の描写には強く惹きつけられます。派手なショックシーンなどではなく、淡々とした語りの中に織り込まれた生々しさにぞっとさせられるのです。また、村に残るおぞましい因習や陰湿な村八分の存在も読者に忘れ難い印象を与えることになります。まるでじめっとした湿気とひんやりした冷気を同時にその身に浴びているようです。それに、全編を覆う官能的な味わいもこの作品ならではといえるでしょう。ただ、ミステリーとしては特にヒネリもなく、やや凡庸です。
氷室の華 (朝日文庫)
篠 たまき
朝日新聞出版
2021-03-05


善医の罪(久下部羊)
意識不明の重体で病院に運ばれてきた66歳の男性。執刀医の白石ルネはこれ以上の延命治療は難しいと判断し、家族の了承を得て尊厳死を選択する。その3年後、マスコミの報道によって事態は一変する。彼女が患者に筋弛緩剤を静脈注射したというのだ。報道を知って遺族はルネを告訴するが.......。
◆◆◆◆◆◆
現役の医師ならではの視点から描かれた尊厳死を巡るミステリーです。延命治療の悲惨な末路やひたすら保身に走る病院の対応など、現実社会でも問題になっているテーマが描かれており、非常に考えさせられます。また、医療に従事する側の問題だけでなく、そこに遺族側のエゴが絡んでくるところにリアリティを感じます。そして、さまざまな思惑の絡んだ裁判シーンがスリリングで読み応え満点です。ただ、リアルではあるけれどなんともやるせない結末は好みがわかれるかもしれません。
善医の罪
羊, 久坂部
文藝春秋
2020-10-23


第四トッカン 警視庁特異集団監視捜査第四班(鷹樹烏介)
都内で呪術を用いた猟奇犯罪が多発する。警察はそれに対抗すべく、警視庁公安部に特異集団監視捜査第四班、通称・第四トッカンを発足させる。呪いのスペシャリストである井手口に率いられたメンバーはやがて中国闇組織である龍門会が呪術テロをたくらんでいる事実を突き止めるが........。
◆◆◆◆◆◆
警察小説に呪術などのスーパーナチュラルな要素を組み込んだ伝奇アクション。全体の雰囲気はハードボイルドなのですが、呪詛を弾丸に込めて撃つなどといった発想はいかにも80年代の伝奇バイオレンス風です。一方で、刀を振りまわして戦うロリ少女が出てくるあたりはアニメ風でもあります。好みはわかれるかもしれませんが、娯楽性が高くてキャラも立っているので気軽に楽しむことができるのは確かです。ただ、矢継ぎ早に出てくる技の描写はややわかりにくいかもしれません。


ネスト・ハンター 憑依作家 雨宮縁(内藤了)
出版社事務員のシングルマザーが幼子と無理心中を遂げる。だが、編集者の真壁は生前、彼女がもらした「最近息子が離婚した夫と遊んでいるらしい」という言葉に引っ掛かりを覚える。一方、執筆時に自作の主人公になりきることから憑依作家と呼ばれる雨宮緑は、そこに殺人の可能性を嗅ぎ取り......。
◆◆◆◆◆◆
執筆時に小説の主人公になりきる作家が事件の謎に挑む憑依作家シリーズ第2弾。憑依作家で性別不明の緑を始めとするキャラクターが魅力的で、レギュラー陣の軽妙な掛け合いも健在です。ちなみに、前作では主人公になりきるという特性がミステリーとして活かしきれていなかったのですが、本作ではその不満も解消されています。一方で、母子家庭を狙う犯人の醜悪さは相当なものです。事件を通して人間の悪意を浮き彫りにしていくところは胸糞展開ながら読み応えがあります。続きが気になるクライムサスペンスの佳品です。


コンサバター 幻の《ひまわり》は誰のもの(一色さゆり)
修復士であるスギモトの元にゴッホの《ひまわり》が持ち込まれる。行方不明になっていた11枚目のひまわりでその真贋鑑定と修復をしてほしいというのだ。しかし、その絵はフェルメールの絵画と共に盗まれ、犯人は引き換えにヒスロー空港地下倉庫に眠る膨大な数の美術品を要求してくるのだが......。
◆◆◆◆◆◆
コンサバターシリーズ第2弾。数々の美術品やその歴史的背景などについて語られる内容が興味深く、勉強にもなります。また、今回はゴッホとフェルメールの絵に焦点を当てたエピソードなのですが、それらの美術品に絡んだ壮大なストーリーは読み応えありです。美術界の闇に関する問題も実際にありそうな話でサスペンス感を高めるのに寄与しています。さらに、『ダ・ヴィンチ・コード』を彷彿とさせる、各国を飛び回っての謎解きも面白く、先の展開が楽しみなシリーズです。


ナキメサマ(阿泉来堂)
突然、有川弥生という女性が倉阪尚人の自宅に訪ねてきた。彼女は尚人が高校時代に付き合っていた小夜子のルームメイトだという。そして、小夜子が帰郷したまま音信不通になったので一緒に探してほしいと告げる。だが、たどり着いた小夜子の故郷では人間業とは思えない惨殺死体が次々と見つかり.....。
◆◆◆◆◆◆
第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞読者賞受賞。キャラが薄っぺらだったり、トリックのために表現が窮屈になったりといった欠点はあるものの、ホラー描写とミステリー要素が満載で読み応えは十分です。たとえば、村に滞在していた主人公が初めてナキメサマと遭遇するシーンの不気味さには思わずぞっとしてしまいます。また、ミステリーとしては小説全体に大きな仕掛けが用意されています。ただ、伏線の張り方が素直すぎるので勘の良い人なら途中で仕掛けに気がついてしまうかもしれません。しかし、そこからもう一つのどんでん返しが用意されているのには驚かされます。ホラーとミステリーの魅力を巧みに融合させた佳品だといえるでしょう。


罪人に手向ける花(大門剛明)
女性検事の黒木二千花は元検事の父の影響から悪は絶対に赦さないという強い信念を持っていた。そんな彼女が担当することになった殺人事件の容疑者は、23年年前に父が起訴を見送った加瀬という男だ。しかも、彼の弁護人はかつて「お父さんはやっていない」訴えた加瀬の息子だった......。
◆◆◆◆◆◆
自白したにも関わらず、証拠不十分で無罪になった男が新たな事件でまたしても容疑者として浮上するという冒頭の展開で掴みはOK。23年前の事件から始まった物語は意表を突く展開の連続でぐいぐいと引き込まれます。また、キャラも魅力的です。特に、結構重たい話を、現代パートから登場するゆるふわ検事のキャラクター性でうまく中和しているのが目を引きます。さらに、意外な真相にも驚かされます。さまざまな魅力が詰まったリーガルサスペンスの傑作です。

最新更新日2021/12/12☆☆☆

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昨今ではさまざまな出版社から年間のミステリーランキングが発表されるようになってきています。それらのランキングは面白い作品を探す指針として大いに参考になる反面、ランキングから漏れた作品はつまらないという誤解を生む原因にもなっています。しかし、実際はランクインしなかった作品がすべてつまらないというようなことは決してありません。ランキングの趣旨から外れている、あるいは投票者の好みに合わないなどといった理由でランキングから外れてしまったものの、読む人が違えば非常に面白く感じる作品も少なくないのです。そこで、各種ミステリーランキングにランクインしていない、それどころか下記のリンク先でランキング候補にすら挙がっていないものの中からおすすめの作品を紹介していきます。
このミステリーがすごい!2022年版 海外ベスト20予想
2022本格ミステリ・ベスト10 海外版予想

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パリ警視庁迷宮捜査班 魅惑の南仏殺人ツアー(ソフィー・エナフ)
アンヌ・カペスタン警視正率いる特別捜査班の元に新たな殺人事件が舞い込む。被害者には拷問の跡があり、しかも、殺されたのはアンヌの元夫の父親だった。事件の捜査には刑事部やフランス国家警察も介入し、三つ巴の様相をみせる。やがて、過去の2つの未解決殺人事件との関連性が浮かび上がるが...。
◆◆◆◆◆◆
前作はフランス版特捜部Qなどといわれていましたが、この第2弾ではコメディ色が鮮明に打ち出されています。もともと前作の段階から個性豊かなキャラクターが揃っていたところに、新たに濃いメンバーが2人追加されたことによってドタバタぶりに拍車がかかる結果となったのです。特に、レヴィッツとポルシェのエピソードは抱腹絶倒です。また、そうしたドタバタや事件の捜査などを通して互いの信頼関係が高まっていくくだりなどもチームものとして読ませます。捜査が遅々として進まなかった割に最後はあっさり解決してしまったので事件そのものの印象は薄いものの、キャラの魅力だけで十分楽しめる好編です。


夜(ベルナール・ミニエ)
ノルウェーの教会で女性の惨殺死体発見され、オスロ警察の女性刑事シュステンが捜査に乗り出すが、遺体からは彼女の名を記したメモが発見される。さらに、被害者の勤務先である北海の石油プラットフォームからはセルヴィス警部の宿敵である連続殺人鬼ジュリアン・ハルトマンのDNAが発見され...。
◆◆◆◆◆◆
セルヴィス警部シリーズの第4弾です。今回も物語は刺激的。序盤こそ少々冗長なものの、中盤以降は急転直下の連続で息つく暇もありません。むしろ、どんどん話が転がっていくので読んでいて疲れてくるほどです。特に、シリーズを通しての宿敵であるハルトマンの登場シーンはどれもハッタリが効いていてワクワクしてきます。その他にも、セルヴィスが撃たれて生死の境をさ迷い、彼とコンビを組むことになったシュステンと濃厚なラブロマンスを繰り広げ、さらには息子のために肝臓移植に望むといった具合にイベントもりだくさんです。フランスでベストセラーになったのもうなずける面白さだといえるでしょう。ただ、なかには「詰め込み過ぎで胃もたれを起こしそう」「いくらなんでもハルトマン無双すぎ」「エログロが強烈すぎてキツイ」などといった不満を覚える人もいるかもしれません。その辺は好みの分かれるところです。
夜 (ハーパーBOOKS)
ベルナール ミニエ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-05-17


最後の巡礼者(ガード・スヴェン)
2003年。第2次世界大戦の英雄、カール・オスカーの他殺死体が自宅で発見される。ナチスの鉤十字が刻まれたナイフでめった斬りされたのだ。捜査は行き詰るが、トミー・バーグマン刑事は2週間前に発見された3体の白骨死体との関連性を見出す。そして、ときは1939年に遡る........。
◆◆◆◆◆◆
2014年ガラスの鍵賞受賞作品です。現代と過去をめまぐるしく行き来するので最初は状況の把握に苦労するかもしれません。しかし、一通り理解したあとは世界大戦時における英国の二重スパイと現代の殺人事件が絡んだ二転三転の展開にぐいぐいと惹き込まれていきます。また、日本ではあまり知られていない世界大戦時のノルウェイについて知ることができる点も興味深いものがあります。本作は、そのノルウェイにおける戦後処理と戦争犯罪の問題をスパイ小説&警察小説の形で描いた力作です。
最後の巡礼者 (上) (竹書房文庫)
スヴェン,ガード
竹書房
2020-10-01
最後の巡礼者 (下) (竹書房文庫)
スヴェン,ガード
竹書房
2020-10-01


続・用心棒(ディヴィット・ゴードン)
かつて陸軍特殊部隊にいたジョー・ブロディ―は用心棒として暗黒街でも一目置かれる存在になっていた。そんな彼の元に裏社会の顔役たちの依頼が舞い込む。テロ計画の原資となっているヘロインを奪い、供給元を潰してほしいいうのだ。ジョーは各分野のエキスパートを集め、計画を実行に移すが....。
◆◆◆◆◆◆
用心棒シリーズの第2弾。今回は強奪ミッションということで、個性豊かな仲間とチームを組むというB級映画の王道的な快作に仕上がっています。ド派手なアクションが用意されており、主人公以外にも一人一人見せ場が用意されているのが好印象です。なかでも、金庫破りの名人で、FBI捜査官のドナと並んでヒロイン格のエレーナが魅力的。前作に続いての大活躍にほれぼれします。予定調和的な展開には少々物足りなさを感じるかもしれませんが、その分、安心して楽しむことができます。
続・用心棒 (ハヤカワ・ミステリ 1966)
デイヴィッド・ゴードン
早川書房
2021-04-01


森の中に埋めた(ネレ・ノイハウス)
キャンプ場でトレーラーが突如炎上し、大爆発を起こす。車内からは男性の焼死体が発見され、オリヴァーとピアは捜査を開始した。ほどなくしてトレーナーの持ち主はオリヴァーの級友の母親と判明するが、彼女は何者かに殺される。しかも、次々と起きる事件の関係者はオリヴァーの知人ばかりで.....。
◆◆◆◆◆◆
オリヴァー&ピアシリーズ第8弾。今回はとにかく登場人物の多さに圧倒されます。しかも、謎を解く鍵は42年前の事件にあるため、本をスムーズに読み進めようと思えば、まず5ページに渡る登場人物表に加えてそれに付随する家系図を頭に叩き込んでおかなくてはなりません。必然的にかなり手ごわい読書になりますが、登場人物が一通り揃ったころには物語もテンポアップし、ぐっと面白くなってきます。一癖も二癖もある関係者たちの40年以上に渡る過去を洗い直し、一見のどかな村に秘められた醜悪な人間関係が次第に明るみになっていくプロセスは読み応え満点です。また、本作はシリーズ主人公であるオリヴァー自身の事件でもあり、彼の少年時代のトラウマと事件の関連性についても大いに興味をそそられます。オリヴァーの生い立ちを含め、閉鎖社会の悲劇を描いた傑作です。
森の中に埋めた (創元推理文庫)
ネレ・ノイハウス
東京創元社
2020-10-30


テムズ川の娘(ダイアン ・セッターフィールド)
19世紀後半のイギリス。テムズ川流域に位置する村の居酒屋に重傷を負った男が少女の死体を抱えて現れる。酒場は騒然となるが、少女が息を吹き返したことで酔っ払いたちは沸き立った。その噂はたちまち近隣一体に広がり、その少女の家族だという者たちが3組も現れる。果たして彼女は何者なのか?
◆◆◆◆◆◆
『13番目の物語』の大ヒットで知られる著者の幻想歴史ミステリーです。ただ、ミステリーとしては大した話ではありません。実際、700ページに及ぶ長大な物語において謎解きは先送りされ、どんどんわき道にそれていきます。ミステリーを期待した人にとってはそれが退屈だと思うかもしれません。しかし、そこで語られる村の生活や村人たちの生い立ちなどからはビクトリア時代ならではの空気が濃密に感じられ、読み応え満点です。謎解きそのものよりも芳醇な物語世界の香りを満喫するための作品だといえるでしょう。
テムズ川の娘 (小学館文庫)
ダイアン・セッターフィールド
小学館
2021-09-07


咆哮(アンドレアス・フェーア)
湖の凍てついた氷の下から16歳の少女の死体が発見される。プリンセスドレスを身にまとい、口には数字の書かれたブリキのバッジが押し込められていた。発見者であるクロイトナー上級巡査が手柄を立てようと躍起になるなか、捜査を指揮するヴァルナ―の自宅の屋根から新たな少女の死体が発見され.....。
◆◆◆◆◆◆
ドイツを代表するミステリ作家の一人であるアンドレアス・フェーアが2009年に発表したデビュー作です。ミステリーとしての切れ味はいまひとつながらも、チームで地道に捜査を続けるヴァルナ―と野生の勘で突っ走る暴走警官のクロイトナーとの対比が楽しく、警察小説として読み応えがあります。また、悲惨な事件を扱いながらも合間合間にユーモアを散りばめ、シリアスな話から一瞬でギャグに転換するパターンがインパクト大です。荒削りな部分も散見されるものの、クロイトナーの破天荒な魅力がそれらの欠点を補っています。
咆哮 (小学館文庫)
アンドレアス・フェーア
小学館
2021-01-04



羊の頭(アンドレアス・フェーア)
上級巡査のクロイトナーはトレーニングのためにリーダーシュタイン山の頂上まで足を運び、そこで小悪党のクメーダーと出くわすも、突然気分が悪くなって嘔吐する。そして、振り返るとクメーダーは頭部が吹き飛んだ遺体となって横たわっていた。クメーダーの恋人が失踪した2年前の一件との関連は?
◆◆◆◆◆◆
ヴァルナー&クロイトナーシリーズの第2弾です。さまざまな事件が複雑に絡み合い、回想シーンも多いので最初は読みづらさを感じるも、それらが一つに結びついて驚愕の真相へと至る後半は読み応え十分。DV絡みの重苦しい事件を刑事たちの突飛な行動でギャグへと転化する手法も相変わらずです。一方、クロイトナーは前作で冴えまくっていた野生の勘が影をひそめ、狂言回しに徹しています。しかし、二転三転の末に意外な真相へとたどりつくなど、ミステリーとしてはより面白くなっています。ただ、勧善懲悪が果たされず、すっきりしないラストに関しては好みがわかれそうです。
羊の頭 (小学館文庫)
アンドレアス・フェーア
小学館
2021-09-07



パッセンジャー(リサ・ラッツ)
わたしがシャワー室から出てくると夫が非常階段から落ちて死んでいた。逃げないとという思いにかられ、その日からわたしの逃亡生活が始まった。別人になりすましてスタートした第二の人生。だが、たちまち正体不明の追手による襲撃を受ける。その窮地を女バーテンダーが救ってくれたのだが......。
◆◆◆◆◆◆
自分が殺したわけでもないのになぜか逃亡生活を始める主人公の不可解さと迷走っぷりが気になり、物語に引き込まれていきます。テンポが良く、ややご都合主義な点が散見されるものの、疾走感溢れる逃走劇はスリリングで読み応え満点です。序盤は多少のもたつきを感じるかもしれませんが、中盤を越えてラストまでは一気呵成の展開で息つく間もありません。そして、溜飲の下がる結末も好印象。一種のロード―ムービー的なミステリーであり、非常に映像化向きな作品です。
パッセンジャー
リサ・ラッツ
小鳥遊書房
2021-09-06


クロス・ボーダー(サラ・パレツキー)
探偵のヴィクは親友ロティの又甥にあたるフェリックスが殺人の容疑を掛けられていることを知り、助けに向かう。殺人事件の謎を追うヴィクだったが、今度は元夫のディックの姪が行方不明になったとの報せが入る。2つの事件を同時に調べることになったヴィクは次々と襲撃犯に襲われることになり.....。
◆◆◆◆◆◆
1982年にスタートした女探偵 V・I・ウォーショースキーシリーズの第20弾であり、本国アメリカでは2018年に発売されています。主人公のヴィクはもういい年のはずなのに今回も大男を相手に取っ組み合いを繰り広げるなど相変わらずのタフっぷりで、満身創痍の活躍をみせてくれます。ちなみに新しいロマンスも始まり、恋多き女性という属性も未だ健在です、今回は若者たちから信用されず、なかなか協力してもらえないというジェネレーションギャップに苦戦するものの、弱きを助け強きを挫く物語は安定の面白さです。
クロス・ボーダー 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
サラ パレツキー
早川書房
2021-09-16


夜の爪痕(アレクサンドル・ガリアン)
パリ警視庁のフィリップ警視は長年売春斡旋業取締部に勤務して夜の街を駆けまわっていたが、妻との関係を修復するために夜の世界を離れて犯罪捜査部に異動する。ところが、その直後に彼の情報提供者だったエスコートガールが全裸の惨殺死体となって発見される。捜査が難航する中、第2の事件が......。
◆◆◆◆◆◆
パリ警視庁賞受賞作。パリの街並みが生き生きと描かれており、夜のパリを知りつくした主人公の捜査もリアリティ満点です。そのあたりは、さすが書き手が現職警官だけのことはあるといったところでしょうか。また、情緒に流されることのない落ち着いた文章も作品のテーマと合致して読みやすくなっています。ただ、そのために人によっては盛り上がりに欠けて退屈だと感じるかもしれません。終盤には衝撃的な展開が用意されているのですが、それに対しても描写が淡々としすぎている点は賛否が分かれそうです。
夜の爪痕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 12-1)
アレクサンドル・ガリアン
早川書房
2021-07-01


完璧すぎる結婚(グリア・ヘンドリックス)
裕福で優しいリチャードとの婚約。だが、それからというものネリーは無言電話や見知らぬ女性からの視線に悩まされるようになる。しかも、リチャードの部屋にまで怪しげな女性が訪ねてきたのだ。一方、リチャードの前妻であるヴァネッサは彼の婚約を知り、なんとか結婚を阻止しようとするが.......。
◆◆◆◆◆◆
一見よくある恋愛サスペンスといった印象ですが、第一部の終盤ですべてがひっくり返されます。あまりにも衝撃的過ぎるので頭が混乱するほどです。ただ、続く第2部が予定調和的な展開で思ったほど盛り上がらないのが物足りなく感じます。とはいえ、一度混乱した頭を整理したい人にとってはちょうど良い塩梅かもしれません。そして、第3部に入るとサスペンス感が増し、二転三転していく展開に手に汗握ります。このタイプの作品としては珍しく、読後感が意外と爽やかなのも好印象。


汚れなき子(ロミー・ハウスマン)
真夜中の病院にひと組の母娘が搬送されてくる。母親は自動車事故で重傷を負っていたものの、娘の方は無傷だった。ただ、その娘に話を聞いても要領を得ない。やがて、彼女の口からは小屋での奇妙な暮らしぶりと、その末に母が自分たちを監禁していた父を殺そうとしたことなどを語り始めるが......。
◆◆◆◆◆◆
冒頭から語り手がめまぐるしく代わり、異様な雰囲気を醸し出しながら真相を巧みに隠蔽していく手管が秀逸です。語り手があまりにも多い故に多少の分かりにくさはあるものの、謎だらけの物語から次第に真実が浮かび上がってくる物語は無類の面白さです。苦しく暗い話ながらも真相が気になってページをめくる手が止まらなくなります。そして、それまで第三者からのみ語られてきた母親のレナが最後の最後で自ら心情を吐露する構成が見事。ただ、人間不信になりそうな残酷シーンが結構あるのでそういうのが苦手な人は注意が必要です。
汚れなき子 (小学館文庫 ハ 12-1)
ロミー・ハウスマン
小学館
2021-06-07


誘拐の日(チョン・ヘヨン)
難病に侵された娘の治療費を手に入れるためにやむなく誘拐を企てるミョンジュン。ところが、標的に定めた11歳の少女ロヒを誤って車ではねてしまう。命に別状はなかったものの、彼女は記憶喪失に。そのうえ、ロヒの両親はすでに殺されていたことが判明する。そして、事態は思わぬ方向へ......。
◆◆◆◆◆◆
韓国発のユーモアミステリー。ミステリーとしては少々ご都合主義な部分があるものの、誘拐を諦めて親に連絡しようとすると、いろんな出来事がつながっていって思いもよらぬ自体を引き起こしていくという展開は先が読めずにぐいぐいと引き込まれていきます。それに加え、散りばめられた伏線の数々が最後にきっちり回収されるのも見事です。また、この手の作品ではありがちですが、ジンとくるハートフルな要素もあり、きっちりと感動させてくれます。非常によくできたエンタメ作品です。
誘拐の日 (ハーパーBOOKS)
チョン ヘヨン
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-06-17


平凡すぎる犠牲者(レイフ・GW・ペーション)
年金生活を送っているアルコール依存症の男が撲殺死体となって発見される。よくある簡単な事件だと誰もが考えていた。だが、有力な容疑者に挙げられていた第一発見者の新聞配達人が何者かに殺され、事件は混迷の色を深めていく。ベックステレーム警部はこの事態をいかに打開していくのか?
◆◆◆◆◆◆
シリーズ第2弾。主人公である警部は客観的に見れば下品なだけの無能警官なのですが、それがなぜか事件を解決してしまうところに独自の面白さがあります。60~70年代にブラックユーモアを基調としたミステリーとして人気を博したドーヴァー警部シリーズを彷彿とさせる部分も多く、好感度ゼロの探偵役を笑い飛ばせるかどうかで好き嫌いが分かれそうな点も共通しています。実際、シリーズ第1弾では主人公に対する嫌悪感が作品を楽しむ上での大きなネックになっていたのですが、本作ではそれらの要素がかなりこなれてきていて笑いとして転化できているのでおすすめです。また、最後には意外な真相も用意されており、北欧の今を描いた社会派ミステリーとしても秀逸です。
平凡すぎる犠牲者 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2021-01-09


リトル・グリーンメン(クリストファー・バックリー)
20世紀末。米国とエイリアンが手を結んで秘密兵器を作っていると思わせ、共産圏を牽制していた政府機関のMJ-12。だが、部局員のネイサンが独断で、超売れっ子のパーソナリティ・バニオン氏のUFO拉致事件を演出したことで、バニオン氏はUFO信者となってしまい、思わぬ騒動へと発展していく...。
◆◆◆◆◆◆
世間では数多くの陰謀論が渦巻いていますが、本作はそれを極端にしたようなドタバタコメディです。トンデモ陰謀論に基づく事件をもっともらしく演出しようとする涙ぐましい努力が描かれており、そのバカバカしくも現代のフェイクニュース問題に通じる点がブラックな笑いを生んでいます。また、それが次第に大事になっていく展開も読み応えありです。訳文もわかりやすく、テンポの良い快作に仕上がっています。ただ、なかにはアメリカならではの躁的なユーモアセンスが合わないという人もいるかもしれません。
リトル・グリーンメン 〈MJ-12〉の策謀 (創元推理文庫)
クリストファー・バックリー
東京創元社
2021-05-31



プエルトリコ行き477便 (ジュリー・クラーク)
夫のDVに悩まされていたクレアは家出を決意するも、夫のスケジュールが変更になったことで計画が頓挫しそうになる。そこに夫を安楽死させて警察から追われているエヴァという女性が現れ、飛行機チケットの交換を持ちかけられる。提案に乗るクレアだったが、彼女が乗るはず飛行機が墜落し......。
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序盤から緊迫した展開が続き、一気に引き込まれます。そのうえ、次々と予想外の出来事が起こり、サスペンスとしての読み応えは申し分なしです。ヒロインが逃げおおせることが出来るかどうかで手に汗握りますし、同時になぜ彼女がここまで苦境に陥ったかの背景も詳しく語られており、現代の社会問題として考えさせられるものがあります。一方、エヴァの複雑なキャラクター性も魅力的。それに、単純なハッピーエンドでないビターで切ないラストも物語に深みを与えています。


ローン・ガールハードボイルド(コトニー・サマーズ)
ラジオの人気DJ・マクレイの元に自分が祖母代わりに育ててきた19歳の少女・セイディが失踪したので探してほしいという電話がかかってくる。乗り気ではないマクレイだが、上司の要請もあり、調査を開始する。その結果、セイディが妹のマティを殺した義父の命を狙っているという事実が判明し......。
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エドガー賞ヤングアダルト部門受賞作品です。メインストーリー自体はよくある悲劇的な事件の顛末を描いたものですが、その描き方が秀逸です。まず、セイディの視点で事の発端が語られ、のちにマクレイの調査でその顛末を補足するという手法がサスペンス感を高めています。また、ヒロインが犯人を探し求めて調査の旅を続ける物語もロードムービー的なミステリーとして読み応えありです。ただし、特に謎解きの要素があるわけではなく、邦題に反してハードボイルド的な要素も皆無なのでその辺りに期待していると肩すかしをくらうことになります。


ロンドン謎解き結婚相談所(アリスン・モントクレア)
1946年のロンドン。戦争中情報部に所属していたアイリスと戦争で夫を失ったグエンは共に結婚相談所を立ち上げる。ところが、会計士の青年に女性を紹介したところ、その女性が殺されしまう。しかも、青年が逮捕されてしまったのだ。それがマスコミに報道され、結婚相談所は経営の危機に陥るが....。
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逮捕された青年の無実を信じて真相究明に奔走する女性2人のバディもの。それぞれのキャラが立っており、テンポが良くてさくさく読むことが出来ます。ヒロイン2人の掛け合いが小気味良く、洒落た会話が秀逸です。同時に、2人の友情が次第に深まっていくプロセスにはぐっとくるものがあり、バディものとして極めて上質な作品だといえるでしょう。戦後復興期のロンドンの様子が詳しく描かれているのが興味深く、物語の中心となる犯罪組織との対決もスリリングです。
ロンドン謎解き結婚相談所 (創元推理文庫)
アリスン・モントクレア
東京創元社
2021-02-12


ベイカー街の女たちと幽霊少年団(ミシェル・バークビイ)
入院したハドソン夫人は同室の患者に覆いかぶさる黒い影を目撃し、そのうえ、彼女がいる特別病棟では不可解な死が繰り返される。一方、見舞いに訪れたワトソン夫人からはロンドンで少年の失踪事件が相次いでいるという話を聞く。2人はストリートキッズの力を借りて2つの事件を調べ始めるが......。
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シャーロック・ホームズでおなじみのミセス・ハドソン&メアリー・ワトソンの活躍を描いたシリーズ第2弾。今回は当時の英国における社会的背景を踏まえたうえで、母と子の関係性に焦点が当てられています。また、精神異常者による犯罪や貧困などにも言及されていて、当時のロンドンを知るうえで興味深い内容となっています。このように、かなりシリアスなテーマを内包しているものの、物語自体はあくまでもハドソン&メアリーの活躍がメインなので雰囲気的にはそれほど暗いわけではありません。今回もホームズの世界が上手く描かれており、安定の面白さですが、肝心のホームズの出番が少ないのはやや残念。それに、後味の悪い結末も好みの分かれるところです。


白が5なら、黒は3(ジョン・ヴァーチャー)
クリントン大統領時代のアメリカ。黒人の父親と白人の母親の間に生まれたビルは自分に黒人の血が流れていることを周囲に隠していた。そんな彼の元に旧友のアローンが現れ、黒人青年に対する傷害事件を起こす。アーロンは逃走に手を貸すことになり、警察に怯える。しかも死んだはずの父が現れ......。
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アメリカで深刻な問題となっている人種差別をシリアスな筆致で描いたクライムノベルです。アメリカの暗部に対する描写は生々しく、リアリティに満ちています。同時に、話のトーンはひたすら暗く、読み進めるほどに人種の間に横たわる溝の深さを突き付けられて暗澹たる気持ちになってしまいます。主人公の絶望に最後まで付き合わされることになり、はっきりいってつらい読書体験です。読後も尾を引き、いろいろと考えずにはいられなくなります。しかし、それこそが作者の狙いなのでしょう。そういう意味では非常に良くできた作品です。
白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)
ジョン・ヴァーチャー
早川書房
2021-02-03


毒花を抱く女(ルイース・ボイイエ・アブ・イェンナス)
1年前にレイプされたうえに愛する父も事故で亡くしたサラは、過去を乗り越えて新たな人生を踏み出すべく田舎から首都・ストックホルムに出て仕事を始める。だが、死んだはずの父から電話があり、自分の入浴写真がインスタに投稿される。そこには国家を揺るがす陰謀が秘められていた.....。
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前半はヒロインの日常描写が延々続くため、少々退屈するかもしれません。しかし、彼女の身の回りで不可解な出来事が続発し、国家的陰謀が見え隠れし始めるあたりから俄然面白くなってきます。誰が敵で誰が味方なのか分からなくなってくる展開はサスペンスフルですし、ラストもなかなかに衝撃的です。ただし、説明不足に感じる点が多いという難点はあります。とはいえ、本作は三部作の第一弾ということなので、その辺りの説明は続編に期待したいところです。
毒花を抱く女 (ハヤカワ文庫NV)
ルイース ボイエ アブ イェンナス
早川書房
2020-10-01


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2022落ち穂拾いコンバイン

最新更新日2021/11/09☆☆☆

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1947年に作家としてデビューした山田風太郎は当初ミステリーを中心に作品を発表していましたが、次第に『金瓶梅』や『水滸伝』といった中国の奇書に強く惹かれていきます。そして発表したのが『金瓶梅』をミステリーとして再構築した『妖異金瓶梅』です。続いて着手した『水滸伝』の翻案は頓挫したものの、奇想天外な忍法を用いれば日本版『水滸伝』が書けるのではないかという着想を得てそれを形にしたのが『甲賀忍法帖』です。そして、望外な好評をもって迎え入れられた結果、忍法帖はシリーズ化され、60年代を通して一大ブームを巻き起こすことになります。ただ、ナンバリングがされていたわけではないのでシリーズといってもどこまでが忍法帖なのかよくわからないところがあります。そこで、正式に忍法帖とされている作品を整理し、そのうえでどれから読むべきか迷っている人のために、各作品のあらすじやレビューをまとめていきます。
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甲賀忍法帖(1959)
卍谷の甲賀衆と鍔隠れの伊賀衆はともに服部半蔵の配下でありながら互いを憎悪しあっていた。半蔵の定めた両門争闘の禁制によってかろうじて平和を保っている有様で、一向に和解の兆しがみえなかった。そんな折、甲賀組の首領の孫・弦之介と伊賀組の頭目の孫娘・朧が恋に落ちる。2人が結ばれることで甲賀と伊賀の長きにわたる確執も氷解するかに思われたが、慶長19年4月末に事態は急変する。甲賀組首領・甲賀弾正と伊賀組頭目・お幻が徳川家康の命によって突如駿府城に呼び出されたのだ。徳川第3代将軍を竹千代と国千代のどちらにするかで家康が悩んでいたところ、天海から後継者選びについての提言があり、それを受け入れたのだという。その提言というのは、甲賀衆及び伊賀衆から各10名の忍びを選出してどちらかが死に絶えるまで戦わせ、伊賀が勝てば竹千代を、甲賀が勝てば国千代を後継者に指名するというものだった。やがて、甲賀・伊賀の死闘の幕がきって落とされる。選ばれた20名はいずれも恐るべき技の持ち主だった。そして、そのなかには弦之介と朧の姿も。果たして2人の運命は?
◆◆◆◆◆◆
忍法帖シリーズの第1弾であり、山田風太郎の代表作として必ず名前が挙げられる作品です。同時に、少年漫画などによくある能力バトルものの元祖というべき存在で、この手の作品が好きな人にとってのバイブルといっても過言ではないでしょう。まずなんといっても、20名もの忍者がそれぞれ奇想天外な技を駆使して死闘を繰り広げるという展開にわくわくします。しかも、単に強い方が勝つのではなく、最強と思われていた敵が相性次第であっけなくやられてしまうのも意外性満点です。それに加えて、著者が得意とするケレン味たっぷりの語りも雰囲気を盛り上げてくれます。不意打ちが多く、読者によっては決着が呆気なさすぎると感じる人もいるかもしれませんが、勝つためには手段を選ばないという戦いには既存の時代劇にはなかった緊張感があります。さらに、テンポの良さも申し分なく、意表を突く展開が続くので読んでいて飽きるということがありません。まさに、エンタメ小説の歴史的名品です。
甲賀忍法帖 (角川文庫 緑 356-2)
山田 風太郎
KADOKAWA
1974-01T


江戸忍法帖(1960)
5代将軍徳川綱吉の治世。御用人の柳沢吉保は次期将軍を己が手に掌握しようとするが、先の4代将軍・家綱には御落胤の葵悠太郎がいた。そのことを知った吉保は配下の甲賀忍者に悠太郎の暗殺を命じる。このとき、伊賀忍者の血筋である服部半蔵の子孫は途絶え、分家である甲賀服部玄斎が忍者の頭領となっていた。玄斎は悠太郎を討ち果たした者に孫娘と首領の座を与えると宣言する。一方、悠太郎は凄腕の剣士に育っていたが、将軍の地位にはなんの興味ももっていなかった。だが、それで引き下がる甲賀忍者ではない。しかも、角兵衛獅子芸人のお縫がその争いに巻き込まれ、弟の丹吉を殺されてしまう。自身も家臣を殺された悠太郎は、お縫と共に復讐を決意するが......。
◆◆◆◆◆◆
前作の『甲賀忍法帖』は10VS10のチームバトル戦だったのに対して、本作は主人公とヒロインが複数の敵に立ち向かうというオーソドックスな作りになっています。しかも、主人公が忍者ではなく剣士なのでますます普通のチャンバラ劇っぽい印象を受けます。もちろん、敵は忍者で超人的な忍法も使いますが、『甲賀忍法帖』と比べるとなんだか地味です。特殊能力を持たないただの剣士である悠太郎に倒されていくために余計にそう感じるのでしょう。ついでにいうなら、シリーズ恒例のエロチックな描写もかなり控えめです。とはいえ、話はテンポ良く進み、闘いも迫力自体はあるので退屈することはありません。特に、終盤の死闘は凄まじいの一言です。また、恋敵である鮎姫とお縫が悠太郎を助けるために共闘するという熱い展開も用意されています。忍法帖ならではのケレン味を求めている人にとっては物足りないかもしれませんが、そういったアクの強さが苦手だという人にはおすすめの王道的な作品です。
江戸忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


飛騨忍法帖(1960)
時は幕末。乗鞍丞馬は飛騨幻法を使う忍者で無類の強さを誇っていたが、直心影流の達人である旗本の宗像主水に敗れ、彼につき従うことになる。ところが、宗像主水は彼が師事している勝海舟と小栗上野介との抗争に巻き込まれたすえに、旗本5人衆に闇討ちにされてしまう。丞馬は彼の妻とともに仇を討つべく、旗本5人衆に戦いを挑むが.....。
◆◆◆◆◆◆
週刊漫画サンデーにて『飛騨幻法帖』のタイトルで連載されていたものを単行本刊行時に『飛騨忍法帖』へと改題し、さらに文庫版刊行時には『軍艦忍法帖』のタイトルに変わっています。しかし、再び元のタイトルに戻され、現代では両タイトルが併存している状態です。さて、本作の舞台ですが、前2作より、ぐっと時代がさがって幕末です。主人公の敵となる旗本たちも剣術ではなく、近代兵器を携えて戦います。しかも、6連発コルト拳銃、カノン砲、果ては軍艦などといった具合になんでもありです。そう聞くと、そんな彼らに対して忍法でいかに立ち向かうのかが気になるところではないでしょうか。ところが、その辺りはあまり盛り上がらず、敵も小物ばかりです。むしろ忍法帖の要素は控えめで、激動の時代を背景とした人間ドラマが中心の作りになっています。したがって、奇想天外な忍法帖を期待した人は物足りなさをおぼえるでしょう。また、敵だけでなく主人公も仲間を惨殺するような男なので『江戸忍法帖』のような爽やかさもありません。全体的に内容も散漫としており、シリーズの中では凡作という位置付けになっています。
軍艦忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29
飛騨忍法帖
山田 風太郎
文藝春秋
2003-04-26


くノ一忍法帖(1961)
大坂夏の陣。徳川家康率いる幕府軍の猛攻によって大坂城は落城を目前に控えていた。そこで、真田幸村は豊臣家の血筋を絶やさぬようにと5人のくノ一に密命を下す。信濃忍法には男を絶倫にする吸壺の術というものがあり、それを駆使して豊臣秀頼の子種を貰い受けよというのだ。大坂城陥落後、秀頼の妻で家康の孫でもある千姫は救出されて江戸へと向かうが、そこには彼女の侍女になりすましたくノ一たちの姿があった。その事実を知った家康は千姫にくノ一たちを差し出すよう要求する。だが、千姫は豊臣家を滅ぼした家康に対する憎しみをあらわにし、「彼女たちを殺すなら自害する」と言い放つのだった。千姫を溺愛していた家康は困り果て、配下の服部半蔵に相談する。それを受けた半蔵は鍔隠れの里から選りすぐりの伊賀忍者5人を呼び寄せてくノ一たちの暗殺を命じるが、くノ一たちも妖艶な女の武器を駆使して迎え撃つ。果たして死闘の行方は?
◆◆◆◆◆◆
『甲賀忍法帖』以来の忍者VS忍者ですが、豊臣家の血筋存続を賭けた死闘といいつつ、やってることはセックス合戦というギャップがひどくシュールです。しかも、胎児を宿した妊婦が戦い、死んでいくので生々しいうえにグロテスクでもあります。そもそも、淫術関係の忍法が延々と続く展開は多彩な術が楽しめた『甲賀忍法帖』などと比べると単調でスケールダウンしている感は否めません。伊賀忍者も伊賀忍者で純粋な戦闘力に劣るくノ一に対してちょっと油断しすぎではないでしょうか。その代わり、後半は意外な展開で盛り上げてくれますし、史実との絡ませ方のうまさはさすが風太郎といったところです。衝撃的なラストもインパクトがあります。また、忍法天女貝、忍法やどかり、忍法筒涸らしなどといった奇想天外なセックス忍法は風太郎の発明であり、後世への影響力も見逃せません。いずれにせよ、好き嫌いの激しく分かれそうな作品です。
くノ一忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店
2003-02-25


外道忍法帖(1962)
島原の乱から数年。キリシタンの摘発と迫害は過酷を極めていた。拷問によって棄教し、今ではキリシタンを取り締まる側となっていた元宣教師のフェレイラは、ある女性信者の取り調べを行っていた。その目的は、天正遣欧少年使節がローマ教皇に謁見した折に授かった莫大な価値の財宝を探し出すことにあった。使節のひとり、ジュリアン中浦からかつて聞いた話によると、15人の処女信者・十五童女が胎内に持つ金の鈴に財宝の隠し場所が記されているという。取り調べの結果、フェレイラはジュリアンの話が真実であるという確信を得るのだった。彼の報告を受けた幕府老中・松平伊豆守は財宝をキリシタンたちより先に手に入れるべく、伊賀忍者の天草衆を長崎の地へと派遣する。天草扇千代を頭領とする一党は、一族再興をかけて十五童女を追うが......。
◆◆◆◆◆◆
十五童女と天草衆との対決に甲賀忍者が割り込んできて、総勢四十五名で三つ巴の戦いが繰り広げられます。その結果、多くの人が予想する通り、一つ一つの戦いがとんでもなく駆け足です。登場するなり、忍法をひとつ披露してはあっという間に散っていきます。キャラの書き分けも攻防の妙味もあったものではありません。奇想天外な忍法に対する発想力に対しては唸らされるものがあるだけに、個々の戦いをもう少し丁寧に描いてほしかったところです。ただ、中盤以降のスピーディな展開はちょっと例がないほどで、一種の実験小説としては一読の価値があるかもしれません。愛憎入り混じった壮絶なラストも印象的です。
外道忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


忍者月影抄(1962)
享保17年。日本橋の晒し場にはいつの間にか3人の女の死体が晒されていた。しかも、彼女たちはいずれも将軍徳川吉宗が紀州藩藩主だったときの側女であり、裸体の背中にはみみず腫れのような文字で「公方様」「御側妾」「棚ざらえ」と記されている。これは、清廉を気取る吉宗がかつて多くの側女を囲った事実をひた隠しにしていることを皮肉る文言であった。南町奉行・大岡越前守忠相によって事の次第を聞かされた吉宗は、この一件を尾張藩主・徳川宗春の仕業だと看破する。しかし、証拠もなしに御三家の当主を処罰するわけにもいかない。そして、なにより問題は、吉宗には将軍就任以前に18人の側女がいたことだ。残りの者も同じように晒し者にされ続ければ、幕府の権威が傷つくことは必定だった。それを嫌った吉宗は残り15名の側女の保護もしくは抹殺を伊賀忍者のお庭番に命じる。だが、宗春はすでに甲賀忍者を動かしていた。さらに、その争いに江戸柳生と尾張柳生の対立が絡み......。
◆◆◆◆◆◆
徳川吉宗と宗春の対立というバックボーンはあるものの、彼らは戦いの舞台を整えるだけの役割で本筋には絡んできません。そして、あとは特にドラマ性を有していない忍者と剣士が延々と戦うだけです。したがって明確な主人公も存在しません。映像作品に例えるなら、映画というよりもオープニングとエンディングにだけストーリーが用意されている格闘ゲームのようなものです。したがって、本作に忍者の悲哀や剣士の生きざまなどといった要素を期待すると肩すかしをくらうでしょう。そうしたものは本当に一切ありません。その代わり、派手な忍法合戦をたっぶり楽しむことができます。登場する忍法は、蠟涙鬼・夢若衆・不死鳥などをはじめとしてインパクトの強いものばかりで、特に、忍法足三本の奇天烈さは前代未聞ではないでしょうか。ただ、忍法が強烈すぎて柳生剣士はほぼやられ役です。そのため、剣術好きな人は不満を覚えるかもしれませんが、とにかく派手なバトルが好きだという人にはおすすめです。
忍者月影抄 忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


忍法忠臣蔵(1962)
戦がなくなり、平和が訪れた太平の世。それに伴い、忍者もそのありようが変わり、いまでは小役人のような立場になっていた。御広敷伊賀者として大奥に仕える無明綱太郎はそのような現状に飽き足らず、時折、伊賀鍔隠れの里へ赴いては忍法の修行を積んでいた。そんな彼が女中のひとりに恋をし、夫婦になる約束を交わす。ところが、祝言を目前にして将軍に見初められた彼女は思わぬ栄達に目がくらみ、忠義を理由に夫婦になる約束を反故にしてしまう。怒った綱太郎は忍法を用いて、初夜に将軍の目の前で彼女を惨殺し、松之廊下刃傷事件の騒動に紛れて出奔するのだった。一方、松之廊下の一件の理不尽な沙汰によって藩主切腹とお家断絶の憂き目にあった赤穂浪士たちは密かに仇討の機会を窺っていた。その後、ひょんなことから上杉家の家老・千坂兵部にかくまわれることになった綱太郎は、あるとき2つの任務を依頼される。ひとつは赤穂浪士たちを味方であるはずの上杉の刺客から守ること。もうひとつは、女忍者たちとともに彼らを骨抜きにして仇討ち計画を頓挫させてほしいというものだった。大石内蔵助を中心に赤穂浪士たちの仇討ち計画が進行していくなか、さまざまな思惑が交錯するが.......。
◆◆◆◆◆◆
赤穂浪士暗殺を目論む能登忍者とそれを阻止しつつ、赤穂浪士を骨抜きにしようとするくノ一の暗闘が主軸となっている作品ですが、そのなかにあって圧倒的な存在感を放っているのが主人公の無明綱太郎です。忍法帖シリーズトップクラスの強さに加えて、裏切った女を刺身にしてしまう邪悪さが読者に忘れ難いインパクトを与えます。好き嫌いが大きく分かれそうなキャラクターではあるものの、そのダークヒーローとしての輝きは唯一無二です。忠義嫌いの主人公によって仇討という美談の欺瞞をえぐり出していくストーリーも痛烈ですし、無常観漂うラストにも痺れます。一方で、浪士たちの苦悩や大石内蔵助の得体の知れなさといった赤穂浪士サイドの物語も読み応えありです。『甲賀忍法帖』のような壮絶な忍法合戦の要素には欠ける代わりに、くノ一によるさまざまな色仕掛けの忍法を堪能することができるのも大きな見所だといえるでしょう。とにかく、忠臣蔵という史実を変えることなく、虚実を巧みに絡ませ、これだけ面白い話に仕立てていく手管が見事です。色仕掛けを繰り返すだけの中盤がやや単調という弱点はあるものの、シリーズでも上位に位置する傑作だといえます。
忍法忠臣蔵 忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


信玄忍法帖(1964
戦国最強と謳われる武田信玄の軍がついに上洛を開始する。三方ヶ原の迎え撃つ徳川軍を一方的に打ち破り、上洛も時間の問題だと思われた。ところが、その武田軍が突然甲斐に戻ってしまう。信玄死去との噂が流れる中、徳川家康はその真偽を確かめるべく、配下の伊賀忍者を甲斐に派遣する。一方、自らの死を悟った信玄から「死後3年はその事実を隠せ」と命じられた軍師・山本勘助は影武者を用意し、信玄健在を世間に喧伝するのだった。やがて、伊賀忍者は各国の使者に変装して甲斐に侵入し、真田源五郎率いる猿飛・霧隠の忍者たちがこれに立ち向かう。果たして、武田家臣団は信玄の死の秘密を守り抜くことができるのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
本作は信玄の生死を巡って伊賀忍者と真田忍者が死闘を繰り広げ、そこに北条家配下の風魔一族が介入してくるという展開なのですが、奇想天外な忍法合戦は比較的控えめです。その代わり、信玄の死から武田家滅亡までを描いた歴史小説の色を全面に押し出しています。とはいえ、そこは忍法帖シリーズだけあって一見馬鹿馬鹿しいようなエロチックな忍法も登場します。しかし、そういった要素と史実との絡め方が絶妙で滅びゆく戦国大名の悲哀が実に見事に表現されているのです。派手な忍法を期待していた人にとっては物足りないかもしれませんが、小説としての完成度は決して低くありません。史実と奇想の混じり具合が絶妙な佳品です。
信玄忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


風来忍法帖(1964)
北条家の本拠地である小田原城は豊臣秀吉率いる大軍によって包囲されていた。そして、そのどさくさにまぎれて戦場荒らしをしていたのが7人の香具師。その名を悪源太助平、七郎義経、弁慶、陣虚兵衛、夜狩りのとろ盛、昼寝睾丸斎、馬左衛門という。彼らは北条配下の武将の奥方などをさらってはたっぷり愉しんだ挙句、売り払って金に換えていた。ところが、武州岩槻城主の妹である麻也姫がその現場を目撃したことで風向きが変わる。悪源太たちは麻也姫配下の風魔忍者3名にこてんぱんにのされ、悪源太に至っては麻也姫の足蹴にされてしまったのだ。その仕返しにと姫の貞操を狙って城に赴くものの、城を守る先の風魔忍者に返り討ちにされてしまう。このままでは勝ち目がないことを思い知らされた彼らは風魔組に紛れ込んで忍法の修行を積むが......。
◆◆◆◆◆◆
壮絶な物語が多い忍法帖シリーズにおいては珍しく、全編に渡って陽気な空気に彩られている作品です。主人公たちは女を犯して売り飛ばすというおよそ最低の奴らで序盤の描写は読んでいてうんざりするものの、それだけに次第に麻也姫に心酔していき、ついには彼女を護るために絶望的な戦いに身を投じていく展開は前半とのギャップによってかなりぐっとくるものがあります。やっていることは最低ながらも、愛嬌や人の良さがそこはかとなく滲みでてくる描写も絶妙です。7人はみな個性豊かであり、また、怪力・槍投げ・参謀・巨根といった具合にそれぞれ違った特技を有していることもあってキャラ立ちという面では申し分ありません。一方、ストーリーの方も敵味方が激しく入れ替わる怒涛の展開で文句なしの面白さです。それに、ユーモラスな前半と切ないラストのギャップには思わず泣かされてしまいます。奇想天外な忍法合戦もさることながら、なにより香具師や麻也姫といったキャラクターの魅力を全面に押し出した快作です。
風来忍法帖 (角川文庫 緑 356-10)
山田 風太郎
KADOKAWA
1976-12T
柳生忍法帖(1964)
寛永19年(1642年)。会津藩の国家老である堀主水は突如一族を率いて出奔する。再三の諫言にも耳を貸さず、悪逆非道な行為を繰り返す藩主の加藤明成を見限ったからだ。後の世にいう会津騒動である。それに対し、明成は彼らを捕縛したうえで、堀一族の女たちが匿われている尼寺・東慶寺を強襲。会津七本槍と呼ばれる明成子飼いの家来の手によって女たちは次々に惨殺されていく。寺の後見人である徳川家康の孫・天樹院千姫が出てきたことによって騒ぎは収まるものの、最終的に生き残ったのは堀主水の娘・お千絵以下7名のみだった。彼女たちは加藤明成と会津七本槍に復讐を誓うが、このままではとうてい勝ち目はない。千姫から相談を受けた沢庵和尚は柳生一族屈指の剣侠・柳生十兵衛を紹介する。十兵衛に彼女たちの指南役を務めさせ、会津七本槍を打ち破る術を身につけさせようというのだ。果たして勝負の行方は?
◆◆◆◆◆◆
忍法帖シリーズの登場人物のなかでも最大の人気を誇る柳生十兵衛の初登場作品です。本作では助っ人に徹しているので積極的には戦おうとしないものの、時折みせる強さは圧倒的。飄々としながらもいざというときには凄まじい力を発揮する姿が格好良いですし、女に迫られると思わず狼狽する意外な一面も魅力となっています。一方、ストーリーの方は忍法帖といいながら忍者が一切登場しない点が目を引きます(もっとも、連載時には『尼寺五十万石』というタイトルで忍法帖にはカウントされていませんでしたが)。しかも、味方サイドは剣士ですらないただの小娘たちです。その彼女たちが鎖鎌、1丈8尺の槍、かすみ網といった異形の技を使う相手に対していかに立ち向かっていくかといった点が読者の興味をそそっていきます。また、忍法帖シリーズとしては珍しくエログロ趣味は控えめで最後はハッピーエンドです。そういう意味では初心者にもおすすめしやすい作品といえるのではないでしょうか。


忍法八犬伝(1964)
安房の里見家は八犬伝ゆかりの「伏姫の珠」を将軍に献上する約束を交わしていたものの、里見家取りつぶしを画策する謀臣・本多佐渡守の命を受けた服部半蔵によって偽物とすり替えられてしまう。進退窮まった里見家では八犬士の血を引く重臣たちが切腹することで時間を稼ぎ、本物の珠の奪還を甲賀で忍法修行をしている重臣の息子たちに託そうとする。だが、甲賀にいるはずの後継者たちは忍法修行のつらさに耐えかね、江戸に逃げ出していた。しかも、すっかり太平の世に浸かりきっていた彼らは使命を果たす気などはさらさらなく.....。
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どうしようもないろくでなしたちが女のために一念奮起するという点では『風来忍法帖』と同じパターンです。しかし、物語の核となる女性のキャラクターは大きく異なります。凛とした佇まいの麻也姫に対し、17歳の藩主奥方である村雨はかなりの天然キャラです。無邪気な可憐さが非常に愛らしい一方で、無自覚に男心をもてあそぶところなどはある意味悪女ともいえます。そこに魅力を感じるかどうかは好みのわかれるところでしょう。また、八犬士たちが力を合わせて戦うのではなく、それぞれが単独で伊賀忍者に立ち向かっていく展開も意表を突いています。ちなみに、今回の敵は伊賀くノ一なので例によって男にとって官能的かつ恐ろしい忍法が盛りだくさんです。特に、忍法・袈裟御前などは考えただけでぞっとします。しかも、それに加えて、『くノ一忍法帖』でもおなじみの忍法・天女貝の使い手までいる始末です。一方、八犬士側には忍法・蔭武者という対くノ一用の忍法の使い手がいるのですが、彼ら三名の対決はある意味本作のハイライトです。さらに、忍法・地屏風はあまりのあり得なさに思わずツッコミたくなってしまいます。このように、色々とぶっ飛んだ要素の多い本作ですが、最後には姫を守るために散っていく八犬士たちを見て胸が熱くなってしまいます。『柳生忍法帖』などとは対照的なマニア向けの傑作です。


忍法相伝73(1965)
伊賀大馬は小さな運送会社に勤めるしがないサラリーマンだったが、ある日、祖先の伊賀忍者が書き残した巻物・忍法相伝を発見する。ところが、忍法相伝の1~72は×印がつけられている。どうやら、術を試みたものの失敗に終わったらしかった。そこでまだ×のついていない73を試してみると紙幣をはじめとしてあらゆる印刷物が白紙となる。さらに、大馬は相伝99によって大臣に愚かな国民から税を収奪する喜びをスピーチさせ、相伝108によって男性を懐妊させる。彼は国文学者・松中半兵衛と謎の美女・鳥羽壺子の手を借り、次々と騒動を起こしていくが......。
◆◆◆◆◆◆
本作の雛型である『忍法相伝64』を除けば忍法帖シリーズ唯一の現代ものです。従来の忍法帖とはあまりにも作風が違いすぎるために長らく絶版状態になっていました。シリーズ恒例の忍法を駆使しての死闘といった要素は欠片もなく、その代わりに痛烈な風刺を盛り込んだドタバタ劇が繰り広げられていくのですが、この風刺という要素が作品を風化させることになった主な原因となっています。要するに、現代の読者が読むと元ネタが良くわからないパロディが多すぎるのです。それに、生死を賭けた戦いに忍法が用いられてこその忍法帖であり、社会風刺の道具に使われてもいまひとつ盛り上がりに欠けます。著者自らが最低の出来と評したのももっともだといえます。シリーズ完走を目指しているマニア以外はあえて手に取る必要はないのではないでしょうか。忍法帖中1、2を争う駄作です。
忍法相伝73 (ミステリ珍本全集01)
山田風太郎
戎光祥出版
2013-09-01


自来也忍法帖(1965)
伊勢藤堂藩三十二万石の嫡男・蓮之介が将軍家斉の面前で怪死する。跡継ぎを失い、お家断絶の危機に瀕する藤堂藩だったが、家斉から三十三番目の世子である徳川石五郎を蓮之介の妹・鞠姫に婿入りさせてはどうかと提案される。だが、彼は白痴の失語症だった。要するに、出来損ないの息子を将軍から押し付けられたのだ。一方、藤堂藩の取り潰しを目論み、くノ一の術で蓮之介を殺害した服部蛇丸は石五郎も亡き者にしようとするが、そこに自来也と名乗る正体不明の忍者が立ち塞がり......。
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忍法帖では珍しい正統派ヒーローアクションです。そのうえ、ラストも非常に爽やかときています。エログロ要素は満載ですが、それを除けば王道的な少年漫画のような作品だといっても過言ではありません。普段は高飛車なのにときどき乙女になる鞠姫も漫画チックで良い味を出しています。ただ、エログロ忍法合戦と正統派ヒーローアクションの組み合わせは少々ちぐはぐに感じてしまうのも確かです。また、読者には自来也の正体がバレバレなのに引っ張り続ける展開も人によってはイライラしてしまう可能性があります。その辺りをヒーローもののお約束として割り切れるかがこの作品を楽しめるかどうかの分かれ目だといえるでしょう。ちなみに、伊賀のくノ一が用いる忍法乳しぼりはシリーズ中1、2を争う頭の悪さなのである意味必見です。
自来也忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-08-25


魔天忍法帖(1965)
徳川家斉治世の時代。公儀隠密の鶉平太郎が任地から戻ってみると、恋仲だった女が別の男に嫁いでいくところに出くわす。かっとなって花嫁行列に斬りかかった平太郎は追われる身となり、近くの衣裳小屋に逃げ込む。絶体絶命の状況のなか、今の時代に絶望する平太郎だったが、そこに突然現れたのはなんと初代服部半蔵だった。半蔵は平太郎を自分たちの時代に連れていってやるという。だが、彼に導かれてやってきた世界は石田三成が豊臣秀吉に反旗を翻し、江戸城をも攻め落とそうとしているパラレルワールドだった。三成の叛意に気づいた真田幸村は配下の忍びに秀吉の妹であるちゃちゃ姫や千姫を逃がすよう命じる。一方、千姫が亡き恋人に瓜二つなことを知った平太郎は彼女に近づくために猿飛佐助と行動を共にするが.......。
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忍法帖はハチャメチャな忍法合戦をいかに史実に溶け込ませるかといった点に妙味があるわけですが、本作の場合はパラレルワールドを用いて最初から史実を無視しているところに特徴があります。いわば『高い城の男』のような歴史改変SFです。ただ、あまりにも支離滅裂な内容なので改変SFとして楽しめるかといえば微妙なところです。一応、一見支離滅裂な歴史にも一定の法則性があることが次第に明らかにはなるのですが、それでは何故そんな法則が働いているのかといえば、特に理由はないというのはいただけません。しかも、最後のオチが酷過ぎです。序盤では広げた大風呂敷にワクワクするものの、それをたたみきることができなかった失敗作です。シリーズ中では『忍法相伝73』と並ぶ駄作だといえるでしょう。
魔天忍法帖 新版 (徳間文庫)
山田 風太郎
徳間書店
2002-11T
魔天忍法帖 (1980年) (徳間文庫)
山田 風太郎
徳間書店
1980-10T


魔界転生(1967)
天草四郎の参謀として島原の乱に身を投じた森宗意軒は戦に敗れ、幕府に復讐を誓う。そして、そのための切り札として編み出したのが忍法魔界転生だった。それは、現世に不満を抱く強靭な生命力の持ち主を魔人として現世に蘇らせるという恐るべき術だ。この術により、宮本武蔵・荒木又右衛門・宝蔵院胤舜といった錚々たる剣豪たちが魔界からの転生を果たす。さらに、由比正雪と手を組み、紀州大納言・徳川頼宣をそそのかした森宗意軒は転生衆を使って幕府転覆を狙う。一方、森宗意軒からの転生の誘いを拒絶した柳生十兵衛は父である柳生但馬守宗矩を含む7人の魔界衆に闘いを挑むが......。
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『甲賀忍法帖』と並ぶ忍法帖シリーズの最高傑作です。その魅力はなんといっても後世に名を残す剣豪たちと柳生十兵衛が死闘を繰り返すドリームマッチの面白さにあります。『柳生忍法帖』ではほとんど自分で戦うことのなかった柳生十兵衛がいよいよ本領を発揮するのです。とはいえ、敵は魔界転生の秘術でパワーアップした剣豪たちであり、まともにぶつかったのでは天才剣士の十兵衛といえども勝ち目はありません。そこで策略を巡らせるのですが、その際の駆け引きには焼けつくような緊張感があり、手に汗握ります。そして、一瞬で決まる勝負に痺れます。まさに、究極の剣豪ファンタジーだといえるでしょう。ただ、絡め手の勝負が多いため、真正面からの激突を期待していた人にとっては物足りなさを覚えるかもしれません。とはいえ、魅力的な魔界衆の描き方といい、史実との巧みな絡め方といい、本作が抜群に面白い娯楽小説であることは間違いありません。ちなみに、本作は『おぼろ忍法帖』というタイトルで連載されたのちに、『忍法魔界転生』と改題され、さらに映画化の際に映画のタイトルと合わせて以後は『魔界転生』の呼称で統一されています。そもそも、本作は忍法帖シリーズに数えられているものの、冒頭の忍法魔界転生以外は全く忍法が登場しないのでこれは結果的に正解だといえるでしょう。また、映画の影響でラスボスのイメージが強い天草四郎ですが、小説では中ボスにすぎません。全体的な物語の流れも大きく異なっているので、傑作と名高い1981年版の映画などと比べてみるのも一興ではないでしょうか。


伊賀忍法帖(1967)
戦国の魔王・松永弾正は三好義興の妻・右京太夫に邪恋を抱き、なんとか彼女を手篭めにしたいと考えていた。そこに幻術師の果心居士が姿を現し、淫石を作ることを提案する。それを用いて千利休秘蔵の平蜘蛛の釜で茶を立てると、茶を飲んだ女は男の前で淫獣と化すというのだ。ただ、それには果心の弟子である7人の忍法僧・七天狗によって大量の女を強姦し、採取した愛液を煮詰めなければならなかった。その場に居合わせた千宗易や柳生新左衛門(のちの石舟斎)はあまりのおぞましさに慄然とするも計画は実行に移される。数千に及ぶ美女が狩られ、強姦された女たちは死か狂人の末路を辿っていった。そして、捕えられた女の一人に伊賀忍者・笛吹城太郎の妻である篝火(かがりび)がいた。彼女は城太郎と共に駆け落ちし、伊賀に向かう途中で忍法僧の襲撃を受けて拉致されるも、辱められるのをよしとせずに自ら命を断ってしまう。だが、右京太夫にそっくりな篝火を惜しんだ弾正は忍法によって彼女を蘇らせ、自らの寵妃とする。一方、かろうじて一命をとりとめ、篝火の行方を追う城太郎の前に現れたのは「淫石」を入れた平蜘蛛の茶釜を携えた瀕死の女だった。彼女は忍法で篝火をよみがえらせる代償として犠牲にされたのだが、頭のなかには篝火の記憶が残っていた。彼女から一連の経緯を聞かされた城太郎は七天狗や松永弾正に復讐を誓うが.......。
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エログロ要素が多いことで知られている忍法帖シリーズのなかでも本作は特に強烈です。しかも、奇想天外な忍法合戦に伴うエログロ描写ではなく、一方的に凌辱され、人間の尊厳を踏みにじられる展開が延々と続きます。多くの女性が秘術のために酷い目に合わされるのは読んでいてつらくなってくるほどで、これはかなり読者を選びそうです。その反面、主人公が復讐のために孤軍奮闘するストーリーは王道で安心して楽しむことが出来ます。ただ、エログロ描写が強烈なのに比べて忍法合戦はいささか地味です。主人公の城太郎は奇想天外な忍法を使わない正統派忍者ですし、期待の七天狗も 人間ブーメランや人体接合などといったびっくり人間ぶりで楽しませてくれるものの、どうにも間抜けっぽさが目立ち、凄味に欠けます。タイトルが似ているからといって『甲賀忍法帖』と同じものを期待すると肩すかしを喰らうでしょう。ラストも意外性はあるものの、消化不良気味です。インパクトは十分すぎるほどあり、決して凡作などではないのですが、傑作というにはためらってしまうなんとも評価に困る作品です。なお、本作は『魔界転生』に続く忍法帖シリーズ第2弾として1982年に真田広之、渡辺典子主演で映画化されています。さすがにエログロ描写はかなり薄いものになっていますが、奇想天外な忍法は当時にしてはそれなりに頑張って再現されています。
伊賀忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店
2003-01-24
忍びの卍(1967)
幕藩体制が盤石なものになりつつある一方で相次ぐ改易に揺れる徳川家光の治世。大老・土井大炊頭は長きにわたる伊賀、甲賀、根来三派の対立を憂い、御公儀忍び組を一派にまとめようと画策する。そこでまず、柳生流剣法の使い手である配下の椎ノ葉刀馬に命じ、各組から選ばれた代表者による忍法披露を査察させる。つまり、最も優れた一派だけを残そうというのだ。しかし、刀馬は、根来組・虫籠右陣の忍法ぬれ桜、伊賀組・筏織右衛門の忍法任意車、甲賀組・百々銭十郎の忍法白朽葉といった奇怪な忍法に圧倒されるばかりだった。しかも、報告を受けた大炊頭が選んだのは刀馬の評価が最も低かった甲賀組だった。納得のいかない虫籠右陣は筏織右衛門を巻き込んで評定を覆そうとするが......。
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伊賀、甲賀、根来の三つ巴の戦いが描かれる本作ですが、従来の忍法合戦とは異なりメインの忍者は3人だけです。しかも、登場する忍法も冒頭で紹介されたものだけで他の忍法帖と比べるとボリューム不足だと感じるかもしれません。しかし、限られた数の忍法でも応用を利かせてさまざまなバリエーションを生み出しているのが見事です。また、シリーズ恒例の女体を用いたエロ忍法も見逃せないところです。さらに、目先の忍法合戦だけでなく、その背後にある陰謀が次第に明らかになり、歴史的事件に繋がっていくという展開も読み応えがあります。そもそも、なぜ土井大炊頭は甲賀組を選んだかという謎が大きな焦点です。最後に彼のたくらみが明らかになるのですが、その用意周到な手管には唸らされてしまいます。地味ながらも細部まで考え抜かれた良作だといえるでしょう。
忍びの卍 (角川文庫 緑 356-7)
山田 風太郎
KADOKAWA
1975-08T


忍法笑い陰陽師(1967)
江戸時代。果心堂は甲賀卍谷で忍法の修行をおさめたれっきとした甲賀忍者だったが、太平の世ではその忍法も使い道がない。元伊賀忍者の妻・お狛と共に江戸にでた彼は、生計を立てるために易者を始める。ある日、武士の客が訪れ、絶世の美女を賭けた試合を行うので勝敗を占ってほしいという。そこで、果心堂は男に勝たせるためにある忍法を施すが......。
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雑誌に掲載された5つの短編を連作シリーズとして一冊の本にまとめたもので、最初は『笑い陰陽師』というタイトルがつけられていました。その後、角川文庫で出版する際に、頭に忍法をつけ足したのが現在のタイトルです。元忍者の易者が客の悩みを得意の忍法で解決するというパターンが繰り返され、どれも下ネタギャグに走っている点が異彩を放っています。恒例の史実との絡みもほとんどなく、ただただ笑いに徹しているといった感じです。しかし、忍法帖は大真面目にバカなことをするから面白いのであってそれをギャグでやってもちっとも笑えないという意見もあり、実際これを読んでどこまで笑えるかは人によって大きく異なるでしょう。とはいえ、本作も100%ギャグ仕様というわけではなく、笑いの中に人生の悲哀が感じられ、結末は結構切なかったりします。その辺はやはり忍法帖です。
忍法笑い陰陽師 忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


忍法剣士伝(1968)
戦国大名の北畠具教は剣の達人として知られるだけでなく、剣士の保護と支援も行っていた。しかし、そんな彼の元にも近畿地方の統一を目指す織田信長の手が伸びつつあった。北畠家に勝ち目はなく、その命運は具教の娘の旗姫を信長の息子・茶筅丸(後の織田信雄)の嫁として差し出すかどうかにかかっていた。旗姫自身は具教の配下である伊賀忍者・木造京馬の言に従うという。京馬は北畠存続のためには、旗姫の輿入れもやむなしという考えだったが、京馬の兄弟子で旗姫に恋心を抱いていた飯綱七郎太は断固反対の意を示した。そればかりか、幻術師果心居士から伝授された忍法「びるしゃな如来」を旗姫にかけてしまう。それは、一目見ただけで姫に対する激しい執着心を抱かせて術にかかった者同士を殺し合わせ、なおかつ彼女に一定以上近づいた者は激しく射精して無力化されてしまうという恐るべき術だった。しかも、北畠具教を案じて集結していた凄腕剣士12人がその術にとらわれてしまったのだ。果たして、旗姫の運命は? 
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河北新報にて『忍者不死鳥』のタイトルで連載していたのを単行本化の際に現在のタイトルに改題したものです。びるしゃな如来という忍法帖シリーズの中でもかなりバカバカしい忍法が登場する作品ですが、それを史実に巧みに絡ませ、破綻なくまとめ上げる手腕は一級品です。しかも、塚原卜伝・宮本無二斎・諸岡一羽・宝蔵院胤栄・鐘巻自斎・伊東一刀斎といった半ば伝説上の剣豪たちが一堂に介して死闘を繰り広げるという展開にワクワクします。しかも、剣豪の出自や強さを示すエピソードなども読み応え満点です。ただ、あまりにもビッグネームばかりを集め過ぎたためにはっきりとした優劣をつけるわけにもいかず、勝負の帰趨が煮え切らないものになってしまったのは少々残念です。また、その剣豪たちがびるしゃな如来にかかって果ててしまう描写が繰り返し描かれているため、全体的にはかなりコミカルな仕上がりになっています。そこが同じ剣豪同士の戦いであっても『魔界転生』などとは似て非なる点です。怪作と呼ぶのが相応しい作品ではないでしょうか。
忍法剣士伝 (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店
1986-07T
忍法剣士伝 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2021-10-21


銀河忍法帖(1968)
佐渡金山の開発によって徳川幕府を財政面から支える大久保長安は、ある日家康にサイエンス兵器を披露する。その威力は凄まじく、数十名の伊賀忍者を一方的に蹂躙し、伊賀の精鋭たちもサイエンス兵器を手にしたおなご衆の前になすすべがなかった。そのおなご衆を引き連れて長安は佐渡に向かうという。護衛を申し出てすげなく断られた伊賀五人衆はやむを得ず遊軍として長安一行についていくことになった。一方、江戸の無頼漢である六文銭の鉄は旅の巡業者に扮した朱鷺という女から自分の護衛と兄の敵である大久保長安の暗殺を依頼される。朱鷺の正体は豊臣方の真田くノ一だった。鉄は依頼を引き受けたものの、彼女のコントール下を離れ、勝手に事態をかき回していく。一方、長安は朱鷺を捕らえて女精酒にしようとするが......。
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もともとは『天の川を斬る』のタイトルで週刊文春に連載されていたのをのちに改題したものです。忍法帖のなかでは知名度はいまひとつですが、その面白さは他の代表作と比べても決して引けは取りません。本作の魅力はまずなんといっても大久保長安の描写にあります。忍法帖シリーズでは歴史上のさまざまな人物が悪役として登場しますが、この長安の造形はその中でも群を抜いています。渋さを感じさせる佇まいながらもとんでもない変態で同時に気宇壮大な野望を描く稀代の天才という、いわば悪のカリスマそのものです。そして、彼が考案した秘密兵器の数々も読者の少年心をくすぐります。一方、しがない無頼漢でありながらおそるべき体術と不死身っぷりで伊賀五人衆やおなご衆を打ち破っていく六文銭の鉄も無類のカッコよさです。さらに、ヒロインの朱鷺も凛とした美しさがあり、そんな2人の絆が徐々に深まっていくところにぐっときます。それらに加えて、ラストシーンの美しさも特筆もので、まさにエンタメ時代小説の極致ともいうべき傑作です。
銀河忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


秘戯書争奪(1968)
13代将軍の家定は虚弱体質であるばかりか凡愚であり、歴代でも最低クラスの将軍だと噂されていた。31歳にもなるのに世嗣ぎがいないのは子供のつくり方を知らないからだといわれるほどだ。そこで、城中奥医師の多紀法印は古来より宮中に伝わる門外不出の奇書『医心方』の入手を目論む。これには、陰萎早漏を治す秘術が網羅されているというのだ。やがて稀代の『奇書』をめぐって、甲賀忍者VS伊賀忍者の死闘が始まるが......。
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もともとは『秘書』というタイトルで発表されていた作品を改題したものなのですが、甲賀と伊賀の死闘の理由があまりにもバカバカしく説得力にも乏しいので駄作の烙印を押されています。そのうえ、くノ一と伊賀忍者が戦うという設定は『くノ一忍法帖』の、互いのリーダーが恋仲なのは『甲賀忍法帖』の安易なセルフオマージュのようでオリジナリティに欠ける点も否めません。全体的に低調な作品であることは否定しがたいところですが、B級だと割り切り、頭をからっぽにしてハチャメチャな展開を受け入れればそれなりに楽しい作品ではあります。特に、くの一の官能的な魅力と伊賀忍者の強烈な個性はなかなかのものです。
秘戯書争奪 忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29
秘書 (1968年) (新潮小説文庫)
山田 風太郎
新潮社
1968T


忍法封印いま破る(1969)
徳川家康も恐れた稀代の傑物・金山総奉行の大久保長安。その長安には山窩の娘に生ませた野生児・おげ丸が存在し、今や、幕府忍び組きっての伊賀忍者に成長していた。彼は父の長安から「我が子を身籠った娘を護衛せよ」との密命を受けていた。だが、長安の死後、彼の血を引く者をすべて抹殺せよと命じられた甲賀組が動き出す。おげ丸と長安の遺児を身籠もった3人の側室に、3代目服部半蔵が指揮する甲賀五人衆の魔手が伸びる。おげ丸は昨日までの仲間を裏切った後ろめたさから防御にのみ忍法を使い、攻撃のための忍法を封印して戦うが……。
◆◆◆◆◆◆
報知新聞に『忍法封印』のタイトルで連載され、角川文庫版で今のタイトルに改題された作品です。『銀河忍法帖』の続編となっていますが、主役も敵もすべて一新されているため、物語としてのつながりはさほど感じられません。本作において特筆すべきはなんといっても主人公であるおげ丸の強さでしょう。忍法を自ら封印しながら敵の攻撃を全く問題とせず、シリーズ最強の名を不動のものにしています。しかし、忍法を封印しているために戦いがどうにも盛り上がらないのが難点です。どちらかといえば、戦いよりもむしろ出産や育児に対する主人公の悪戦苦闘ぶりが読みどころとなっています。各登場人物の心理描写が細やかに描かれ、朴訥とした主人公も好感度は高いものの、忍法帖の読者が期待しているものとは明らかにベクトルが異なりすぎているのです。ちなみに、忍法帖本来の見せ場はほぼ終盤に集中しており、ここでようやく封印を解いたおげ丸の忍法ラッシュを存分に味わうことができます。ただ、バットエンドで終わることの多い忍法帖シリーズのなかでも本作の幕切れはあまりにも凄惨です。すべての面において異彩を放つ作品であり、これを楽しめるかは意見の分かれるところです。
忍法封印いま破る 忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


忍者黒白草紙(1969)
南町奉行・鳥居耀蔵の元に箒天四郎と塵ノ辻空也という2人の忍者が召し出される。耀蔵は彼らを使って法では裁けない悪を懲らしめようとしていたのだ。それを聞いた箒天四郎は耀蔵の考えに賛同して配下となるが、権力嫌いの皮肉屋である塵ノ辻空也は話を断って出奔する。やがて、天四郎は耀蔵の命にしたがって天誅を加えていくが、どうも行く先々で空也が邪魔をしているらしい。幕府にとっての悪を討とうとする者と護ろうとする者。果たして勝負の行方は?
◆◆◆◆◆◆
漫画サンデー連載時のタイトルは『われ天保のGPU』だったのを単行本化の際に『天保忍法帖』とし、さらにそこから文庫化の際に現在のタイトルへと改題した作品です。××忍法帖という通りの良いシリーズ名をわざわざ変えたことからもわかる通り、本作は忍法帖としてはあまりにもスケールが小さすぎます。忍者は2人しか登場しませんし、忍法合戦による死闘もありません。肝心の鳥居耀蔵も単なる融通の効かない頑固おやじにすぎず、いかにも小物です。大久保長安などの巨悪っぷりとは比べるベくもないでしょう。ただ、だからといって、本作が地味なだけのつまらない作品かといえば決してそんなことはありません。歌川国貞や柳亭種彦などをはじめとした市井の人々はみんな個性豊かで魅力的であり、そんな彼らのしたたかな生きざまが面白くてぐいぐい引き込まれていきます。また、鳥居耀蔵の行った恐怖政治に対する著者の考察も鋭く、歴史ものとしても一読の価値ありです。
忍者黒白草紙 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-04-11


忍法双頭の鷲(1969)
若年寄の堀田正俊は宮将軍を擁立せんとする大老・酒井忠清を失脚に追い込み、さらに忠清へ忠誠を誓っていた伊賀組を追放する。代わって公儀隠密に抜擢されたのが正俊子飼いの根来衆だった。その最初の任務は不穏な噂のある大名家の探索であり、若き根来忍者の秦漣四郎と吹矢城助がその任にあたることとなった。彼らが潜入してみると、大名家にもやむを得ない事情を抱えている事実が判明し、2人はそれを踏まえて公平な視点で調査に当たろうとする。ところが、各藩の領地には根来組への復讐に燃える伊賀忍者たちが先行して潜入していた。彼らの執拗な妨害に対し、2人はどう立ち向かうのか?
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本作は『隠密忍法帖』という中編を大幅加筆して1969年に光文社カッパ・ノベルズから発売されています。そのときのタイトルが『妖の忍法帖』であり、角川文庫版で現在のタイトルへと改題されたという経緯があります。タイトルから忍法帖の文字が外された作品は地味なものが多いのですが、本作もご多分にもれず奇怪な忍法を駆使しての殺し合いといった要素は控えめです。その代わり、ユーモアを散りばめ、主人公たちの友情や恋を描いた青春ものとしての面白さがあります。忍法帖としてはいささかパンチが欠ける点は否めないものの、バッドエンドを迎えることの多い本シリーズにおいてハッピーエンドを味わえる本作は貴重な存在だといえるでしょう。
海鳴り忍法帖(1971)
1565年。将軍足利義輝の御前試合にて、剣聖と謳われた上泉伊勢守の弟子たちは怪しげな忍法を扱う根来忍者にいともたやすく敗れ去ってしまう。若き鍛冶職人であるミカエル厨子丸はその現場を目撃し、剣の時代が終わりを告げたことを悟るのだった。同年6月に松永弾正が根来僧兵1万2千を率いて将軍邸を襲撃し、足利義輝を殺害するという事件が発生。松永弾正は御台である夕子の方と愛妾の昼顔御前を我がものにしようとするも、堺の豪商・呂宋助左衛門がその野望を阻む。付き人の曾呂利伴内と共に夕子の方を救出し、堺に匿ったのだ。ところが、厨子丸の恋人である鶯が夕子の方と間違えられて捕らえられ、そのまま惨殺されてしまう。復讐に燃える厨子丸は自由の精神と富を守らんとする呂宋助左衛門と手を組み、近代兵器で松永弾正率いる根来僧兵3万に立ち向かうが.....。
◆◆◆◆◆◆
もともと時代小説文庫から発売された際のタイトルは『市民兵ただ一人』というもので、その名の通り主人公1人で忍法を扱う根来僧兵3万と闘う話です。間違いなくシリーズ中最大の戦力差であり、冒頭で剣の達人たちを蹂躙した忍者の大軍に対し、近代兵器を手にした主人公がいかに立ち向かうかが大きな見せ場となっています。なんといっても、主人公が考案し、次々と大軍を打ち破っていく新兵器の活躍が痛快です。それに加え、一世を風靡した忍法をその立役者である著者自身によって否定してみせるという意外性の面白さもあります。これまで忍法帖シリーズで大活躍していた忍者たちが本当にあっけなく倒されてしまうのです。ただ、物語としてはそれだけでは終わらず、稀代の妖女である昼顔が場をかき回します。この悪女っぷりが強烈で、登場人物のほぼ全員を翻弄した挙句、戦いの趨勢に決定的な影響力を及ぼしてしまうほどです。ここまで強さのインフレを行っておきながら忍法も武器も持たない生身の女性が最凶だったというオチが忘れ難い読後感を読者に与えます。いろいろな意味でシリーズの終焉を予感させる異色作です。
海鳴り忍法帖 (角川文庫)
山田 風太郎
KADOKAWA
2014-05-29


忍法創世記(2001)
室町幕府誕生から数十年が過ぎた足利義満の治世。天皇家は未だに南北に分かれて騒乱を繰り広げており、同じ頃、大和の柳生一族と伊賀の服部一族もまた隣国同士でいがみ合いを続けていた。両者はこの不毛な争いに終止符を打つべく、柳生三兄弟に服部三姉妹を娶らせることで両者を融合させようとする。そのための儀式が両国の国境で行われ、両家の合体は無事行われたかにみえたが、思いもよらぬ事件が舞い込んでくる。牢の姫宮に仕える大塔衆が柳生に救援を求めてきたのだ。牢の姫宮は、後醍醐天皇の実子でありながら謀殺の憂き目にあった大塔の宮のひ孫にあたる人物である。一方、伊賀でも楠木正儀軍の残党である菊水党が助力を仰ぐべく訪ねてくる。こうして夫婦でありながら敵味方に分かれての戦いを余儀なくされた柳生三兄弟と服部三姉妹だったが......。
◆◆◆◆◆◆
長編作品としては最後に執筆された忍法帖です。ただし、作中の時系列は室町時代初期と最も古く、忍法帖サーガの起源を描いたエピソード0的な内容になっています。忍法創世記が週刊文春で連載していたのは1969年のことですが、著者自ら駄作だと断じたため、生前は単行本になることはありませんでした。本作だけ発行年が極端に新しいのはそのためです。しかし、実際のところ、本作はそこまでひどい作品ではありません。確かに、多人数VS多人数の戦いは劣化版『甲賀忍法帖』ですし、中だるみを感じる部分もあります。その代わり、後半の畳み掛ける展開は読み応え満点で、クライマックスでの劇的な展開も山田風太郎ならではです。それに、足利義満や世阿弥などといった歴史上の人物を絡めた室町時代の描写にも興味深いものがあります。一方、コミカルな前半とシリアスな後半の温度差がありすぎる展開や、同趣向の『甲賀忍法帖』と比べるとエロ忍法の要素が強すぎる点などは好みの分かれるところでしょう。しかし、インパクトがあることだけは確かです。捨てがたい魅力がありますし、忍法帖を語るうえでは欠かせない作品だといえます。
忍法創世記 (小学館文庫)
山田風太郎
小学館
2013-01-21
忍法創世記 (山田風太郎コレクション)
山田 風太郎
出版芸術社
2001-09-01


山田風太郎忍法帖短篇全集(2004-2005)
忍法帖シリーズの短編作品は90前後存在し、それらを収録した短編集はさまざまな出版社からバラバラに発売されています。収録作品が重複しているものも少なくないため、なかなか全部揃えようという気にはなれません。そこで、そういう人のために、筑摩書房から発売されたのが全12巻の短篇全集です。忍法帖として発表されたすべての短編が網羅されているというマニア垂涎の一品となっています。ちなみに、最後に書かれた忍法帖はこの全集の12巻に収録されている1974年発表の『開化の忍者』であり、英国に渡って一旗揚げることを夢見ている元公儀隠密の伊賀忍者3人組が現在の雇い主である英国人通辞の毒牙にかかろうとしている女性を救うため、得意の忍法で奮闘するという話です。その他、短篇のおすすめ作品としては以下のようなものがあります。

1巻収録
・本田正信が忍者だったという仮説に基づいて緊張感あふれる政治サスペンスに仕立てた『忍者本多佐渡守

2巻
収録
・忍者同士の壮絶な死闘とそれに巻き込まれた娘の悲劇をミステリー的技法で描いた『忍者枝垂七十郎

3巻
収録
・四肢を切断されたうえに目耳舌を潰された者同士のまぐわうシーンが強烈な『忍法鞘飛脚

4巻
収録
・使命を帯びたくノ一が死地をくぐり抜け、江戸へとひた走る姿の壮絶さと哀切に満ちた美しさに圧倒される『捧げつつ試合

5巻
収録
忍法馬吸無のとんでもなさに絶句必至の『〆の忍法帖

6巻収録

・オランダの超カルト映画『ムカデ人間』を数十年も前に先取りした『呂の忍法帖

7巻収録

・凄まじい技量を持つ首切り役人が切り離した首と胴体を他人のものと入れ替えて繋ぎ合せ、どちら側の人格が体を支配するかの実験を繰り返した挙句、とんでもない結末を迎える『忍法小塚ッ原

8巻
収録
・キャプテン・キッド、黒髯ティーチ、ハウエル・デイヴィス、ジョン・シルバーの海賊四人組が赤穂浪士の堀部安兵衛や甲賀くノ一と対決する『ガリヴァー忍法島

9巻
収録
・瞳に記憶を焼き付けるという忍法の顛末を報告書の体で語り、そこに現在進行形の物語を挿入することで独特の効果を上げている『忍法瞳録

10巻
収録
・国木田独歩の『忘れ得ぬ人々』の冒頭数ページをまるまる拝借し、そこから紡いでいった物語をミステリーの技法を用いてひっくり返す『天明の隠密

11巻
収録
・男根を切り落とした男が2本の男根を持つ二刀流の忍者と対決する『怪異二挺根銃
・自分の意識を他者に移すことのできる忍法をSFチックに描いた『さまよえる忍者
・策略によって将軍の前で失禁に追い込まれて自害した娘のための復讐を、シモネタ満載ホラーとして描いた『怪談厠鬼
・遣米使節団の一員としてアメリカに渡った元お庭番の活躍をアメリカ人の視点から描くことでコメディに転化させた『お庭番地球を回る

12巻
収録
・聴診器を当てて精子と卵子の相性をみるというぶっとんだアイディアの『伊賀の聴恋器
・江戸川乱歩のパロディが楽しい『伊賀の散歩者
・細川忠興の息子である長岡与五郎は宮本武蔵との勝負を熱望するも、忍法喇嘛仏によって青龍寺組頭領の孫娘であるお登世と秘部を結合したまま旅を続けるはめになる『剣鬼喇嘛仏

などなど。
それ以外にも奇想に満ちた傑作・怪作が盛りだくさんです。


おわりに
以上が主なシリーズ作品ですが、実際には他にも忍法帖シリーズに含めるべきかどうかが微妙なものが数多く存在します。たとえば、忍者は登場しないものの、幻術使いの魔人や剣豪が入り乱れて戦い、やっていることは忍法帖と大差ない『武蔵野水滸伝』、忍法などのファンタジー要素はないものの、『柳生忍法帖』『魔界転生』に続く十兵衛三部作の位置付けの『柳生十兵衛死す』、直江四天王と直江勝吉(本多政重)との確執を描いた歴史小説ながら忍者も登場する『叛旗兵』、『忍法相伝73』や『忍法忠臣蔵』の原型である『忍法相伝64』及び『忍者 帷子乙五郎』などです。その他にも、『おんな牢秘抄』や『八犬傳』などが忍法帖に含まれる場合があり、明確な線引きは極めて困難です。さらに、連載時には『尼寺五十万石』というタイトルで忍者も登場しないのにもかかわらず、単行本化の際に『柳生忍法帖』と改題され、なぜか忍法帖シリーズの仲間入りをしたという例もあります。こうなると完全にお手上げで、完璧な分類など不可能に思えてきます。しかし、このような混沌としたところも忍法帖シリーズの魅力だといえるのではないでしょうか。

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山田風太郎といえば、多くの人は甲賀忍法帖を始めとする忍法帖シリーズを思い浮かべるのではないでしょうか。実際、忍法帖は映画化・漫画化・アニメ化といった幅広いメディア展開を見せており、山田風太郎の代名詞といえる存在であることは間違いのないところです。しかし、同シリーズは半世紀に及ぶ作家生活のうち、60年代を中心とした一時期に発表していたにすぎません。彼の作品群の中にはその他にもさまざまな傑作が存在します。なかでもマニアから高い評価を受けているのがミステリーです。なぜなら、山田風太郎のミステリーには他の作家が思いつかないような奇想が詰まっており、後世に与えた影響も少なくないからです。そこで、具体的にどのような作品があるのかを知ってもらうために、代表的なものをピックアップして紹介していきます。
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厨子家の悪霊(1949)
山形県の豪農として知られる厨子家の当主・荘四郎は顔に大きな傷を負って以来、屋敷の奥に引き籠ってしまう。彼に代わって権能を振るっていたのが後妻の馨子であり、厨子家には他に連れ子の芳江と厨子家の長男で精神に異常をきたしている弘吉がいた。ある日、雪原の中で馨子夫人の惨殺死体が発見される。しかも、現場には右目から血を滴らせた犬と短剣を握りしめて立ちつくす弘吉の姿があった。状況は弘吉による犯行としか思えなかったが、そこに真犯人を名乗る者からの挑戦状が届き.......。
◆◆◆◆◆◆
デビュー間もない頃に発表された本格ミステリですが、一読して目を引くのがどんでん返しの存在です。それも一度や二度ではなく、延々とどんでん返しが繰り返されていくのです。中編小説にしてここまで執拗にどんでん返しが続く作品は過去に例がないのではないでしょうか。しかも、そのどんでん返しに捜査陣だけではなく、犯人までもが翻弄されるというのだからびっくりです。一通り読み切ったうえで改めて本作を読み返してみると、この仕掛けを成功させるために組み立てられた緻密なプロットに唸らされます。初期作にして同時代のミステリーとは一線を画した奇想ぶりがすでに顕著です。


妖異金瓶梅(1954)
宋の時代。地方随一の豪商にして稀代の好色漢として知られる西門慶は、8人の妻を同居させて自由奔放な生活を送っていた。一方、彼と義兄弟の契りを交わした応伯爵は放蕩の末に破産し、西門家で居候の身となっている。そんな折、第七夫人の宋恵蓮と第八夫人の鳳素秋が両足を切り落とされた死体となって発見される。応伯爵はこの一件をはじめとして次々に起きる怪事件の謎をなんとか解き明かそうとするが......。
収録作品
赤い靴/美童と美女/閻魔天女/西門家の謝肉祭/変化牡丹/銭鬼/麝香姫/漆絵の美女/妖瞳記/邪淫の烙印/黒い乳房/凍る歓喜仏/女人大魔王/蓮華往生/死せる潘金蓮
番外篇:人魚燈籠※「邪淫の烙印」の別バージョン
◆◆◆◆◆◆
中国四大奇書のひとつ『金瓶梅』に材をとった連作伝奇ミステリーです。それだけでも十分なオリジナリティを感じますが、本作が真に特異なのは探偵役に犯人を捕える気がさらさらない点にあります。それでは探偵役の応伯爵は何をしているかというと、犯行に用いられた手口を解明し、自分の推理を得々と犯人に語って聞かせるだけです。犯人が野放しにされているので新たな犯行がすぐに起こり、応伯爵はまた自分の推理を犯人に語って聞かせることになります。こんなミステリーは前代未聞ではないでしょうか。また、トリックそのものは独創性に欠けるものの、トリックの用いられ方がなかなかに強烈です。そのうえ、犯人と探偵との関係性及び、犯人の口から語られる動機が忘れ難い印象を与えます。しかし、なにより本作を傑作たらしめているのが終盤の「凍る歓喜仏」から「死せる潘金蓮」に至る怒涛の展開です。それにより、バラバラだった個々のエピソードが一本の線で繋がれ、全体が長編ミステリーとして変貌を遂げます。のちに連鎖式と呼ばれるようになったこのプロットが見事です。さらに、著者ならではのエログロ描写も絶好調で、その凄まじさがヒロインである潘金蓮の魅力を引き立てています。奇書と呼ばれた原作に負けないだけの奇想に満ちた怪作です。


十三角関係(1956)
荊木歓喜はチンプン館という新宿のボロアパートに住む酔いどれ医者。売春婦の堕胎を専門としており、蓬髪肥満で片足を引きずり、頬には大きな三日月傷があるという異様な風体をしていた。ある日、少女に妓楼(遊女屋)への道を尋ねられ、彼女をそこまで送っていく。ところが、妓楼では奇怪な事件が起きていた。店の名物である大きな風車の羽根にバラバラにされた女の死体がくくりつけられ、ゆっくりと回っていたのだ。被害者は妓楼の女主人であり、死亡推定時刻の前後に7人の客が彼女の部屋を入れ違いに訪れていたという。だが、犯行の動機が見当たらず、捜査は難航する。しかも、時間的制約などから7人にはいずれも犯行は不可能だった。この謎に荊木が挑むが......。
◆◆◆◆◆◆
山田風太郎唯一のシリーズ探偵である荊木歓喜が活躍する長編作品であり、冒頭の陰惨な事件で一気に引き込まれます。その後は古典的な探偵小説のセオリーにしたがって関係者の聞き込みがしばらく続き、少々冗長に感じるかもしれません。しかし、被害者の裏の顔が明らかになってくる辺りからゾクゾクする展開が始まり、最後に荊木歓喜が告げる犯人の正体に驚かされます。複雑な人間関係の中から暴きだされる歪な動機も衝撃的で、フーダニットとしてもホワイダニットとしても、さらには二重三重の不可能性を突破するハウダニットとしても秀逸な作品です。本格ミステリとしては極めてオーソドックスな作りながらも、事件が内包する鮮烈な印象には忘れ難いものがあります。
帰去来殺人事件(1958)
荊木歓喜は1カ月前に起きた殺人事件の際に行方不明となった被害者の息子を追って、ある地方の村にやってきた。やがて、その村には歓喜の仇敵というべき人物が2人も暮らしている事実が明らかになる。歓喜の顔に傷を負わせ、片足の自由を奪った者たちだ。そして、その内の一人が何者かによって殺される。被害者の死に際の言葉と地面に残された足跡から容疑者として浮上したのは歓喜自身だった。歓喜は村で再会した旧友・千葉の協力を得て真相を探るも、2人の前で新たな殺人が.......。
◆◆◆◆◆◆
荊木歓喜の身に降りかかった事件を描いた本作は、中編ながらずしりとした読み応えがあるうえに、ミステリーとしての完成度もすば抜けています。まず、奇抜すぎるアリバイトリックに驚かされ、二転三転の末に明らかになる真相も意外性満点です。犯人の正体に衝撃を受けると共に、やがて明らかになる犯行動機が物語に深みを与えています。探偵自身の事件という後期クイーン的な面白さもあり、謎解きとドラマ性の高さを併せ持った傑作です。
帰去来殺人事件
山田 風太郎
出版芸術社
1996-07-01


誰にも出来る殺人(1958)
人間荘という名のアパートの12号室に越してきた私は、押し入れの奥に一冊のノートが残されているのを見つける。そこにはこの部屋で暮らしていた過去の住人たちの手記が記されていた。たとえば、第一の住人は13号室に住む山名という盲目の男が失踪した妻を探している話を耳にし、第二の住人は16号室に住む仁木という男に4号室の津田を殺させようとし、第三の住人は失踪した妻子を探している15号室の椎名に同情してある計画をたてるといった具合だ。そして、すべてを読み終えた私は一連の出来事の裏に隠された恐るべき真相に気付いてしまうのだが.......。
収録作品
女をさがせ/殺すも愉し/まぼろしの恋妻/人間荘怪談/殺人保険のすすめ/淫らな死神
◆◆◆◆◆◆
独立した複数の短編ミステリーが最終章でひとつに繋がり、長編ミステリーへと姿を変える連鎖式。『妖異金瓶梅』において初めて披露されたこのスタイルは本作でさらなる深化を遂げます。ひとつひとつの短編にそれぞれ意外な真相が用意されているのにも関わらず、最後にそれらがすべてひっくり返されるのです。これは当時としては非常に斬新な手法でした。とはいえ、現代ミステリーを読みなれている読者にとっては真相自体は見当がつきやすいのではないでしょうか。しかし、それでもラストが衝撃的なことにはちがいありませんし、中編小説でこれだけ見事なプロットを構築しうるのはやはり山田風太郎ならではです。


青春探偵団(1959)
町の北にはちょっとした城山があり、霧ガ城高校はその南の麓に位置している。また、東の麓には男子寮の青雲寮、西の麓には女子寮の孔雀寮があり、それらの寮に住む少年少女たちが結成したのが探偵小説愛好会"殺人クラブ"だった。彼らは月に一度、城山に集まっては会合を行っていた。メンバーには美男子にして霧ガ城高校始まって以来の麒麟児との呼び声高い秋山小太郎、柔道二段の大男ながら気の弱い大久保大八、おっちょこちょいでトラブルメーカーの穴山早助、才色兼備の優等生ながらもいたずら好きの織部京子、世話やきで心配性の伊賀小笹、柔道初段の女豪傑・竹ノ内半子の6名がいた。彼らは若さゆえの冒険心に身を任せてさまざまな事件に首を突っ込んでいくが......。
収録作品
幽霊御入来/書庫の無頼漢/泥棒御入来/屋根裏の城主/砂の城/特に名を秘す
◆◆◆◆◆◆
全6篇からなる連作短編であり、足跡のない殺人を扱った純本格から浜辺でならず者と陣取り合戦を繰り広げるドタバタ劇までバラエティに富んだ作品が揃っています。全体的にはタイトルの通り、若者たちが破天荒な青春を謳歌する描写に力点が置かれており、またヤングアダルト向けということもあって、ミステリーとしての完成度はそれほど高くありません。一方、青春ものとしても現代の読者が読むと古臭く感じるのは否めないところです。ターゲット層の関係から著者十八番のエログロ描写も完全に封印されています。過激といえばせいぜい学生たちが酒やタバコをたしなむ描写があるくらいでしょうか。そういうわけで、他の風太郎作品に比べると物足りなさを感じるのは確かですが、それでも一見ジュブナイルのような作風の中に人間の暗い情念が垣間見えるのは著者ならではの味わいだといえます。個々の作品としてはダイイングメッセージの謎を解き明かした後に意外な展開が待ち受ける「特に名を秘す」が秀逸。余韻が残る結末といい、掉尾を飾るのに相応しいエピソードです。


夜よりほかに聴くものなし(1962)
ベテラン刑事の八坂はある日、母子が車に轢かれた現場に遭遇する。車を運転していたのは金持ちの御曹司で、居合わせた男の証言から事件は過失の事故だという結論が下された。御曹司は起訴されるも判決は無罪同然の軽いものだった。それから2年が過ぎた頃、八坂は証言をした男が御曹司の運転手として働いている事実を知る。果たしてその理由とは?
収録作品
証言/精神安定剤/法の番人/必要悪/無関係/黒幕/一枚の木の葉/ある組織/敵討ち/安楽死
◆◆◆◆◆◆
五十路の刑事・八坂を主役に据えた全10篇の連作小説です。一話数十ページとボリュームが薄いこともあり、トリックや謎解きの要素は希薄ではあるものの、その代わりにどの作品も人間の業の深さを感じさせる濃密なドラマに仕上がっています。また、時代性を取り入れて社会批判的なテーマを浮き彫りにしながらもその底流に流れる奇想がいかにも山田流です。ちなみに、ミステリーとしては動機の解明を主題としたホワイダニットものになっており、表面的な動機の裏に隠された歪ともいえる犯人の真の狙いが浮かび上がっていくところは読み応えがあります。最後に八坂刑事がつぶやく、「それでも、私はあんたに手錠をかけなければならん」という決め台詞も心に染み入るものがあり、なかなか味のある佳品です。ただ、ネタ切れになったのか終盤に近付くにつれて動機の奇想度は薄まっていく感があり、その点は少々残念です。


棺の中の悦楽(1962)
脇坂篤は学生の頃に家庭教師をしていた少女に恋をし、彼女を護るために殺人にまで手を染める。しかし、それから数年後、大人の女性へと成長した教え子は彼を自分の結婚式に招待するのだった。失意のどん底に突き落とされた脇坂に追い打ちをかけるように、彼の殺しの現場を目撃したという男が現れる。名を速水といい、公金横領の罪でこれから服役するのだという。殺人の件を黙っておく条件として速水が提示したのは、横領した1500万円を自分が出所するまで預かっておくことだった。だが、人生に絶望していた脇坂はその金を使って女を囲い、金が尽きる3年後に自殺する計画を立てる。果たしてその先に待ち受ける運命は?
◆◆◆◆◆◆
本作は謎解き主体の本格ミステリではなく、フレンチミステリー風の心理サスペンスになっています。丹念な心理描写を積み重ねたうえでの意外な幕切れが衝撃的です。また、そこに至るまでの女性遍歴の描写もなかなかにユニーク。全くタイプの異なる女性たちとの出会い・交際・別れにはさまざまなバリエーションがあり、飽きさせません。底知れない人間の欲望を見事に描き切り、そこにミステリーとしてのサプライズを絡めた傑作です。


太陽黒点(1963)
昭和30年代の東京。美貌の持ち主で才気溢れる鏑木明はアルバイト先の屋敷で社長令嬢の多賀恵美子に見染められ、特権階級への足掛かりを手に入れる。献身的に尽くしてきた恋人の容子を捨て、彼は今まで胸に秘めてきた上流階級への復讐を企てるが.....。
◆◆◆◆◆◆
一見屈折した青春小説であり、ある程度読み進めても全然ミステリーらしくならない作品です。それでいながら、章が進んでいくごとに"死刑執行1年前・・・死刑執行8ヶ月前・・・"といった具合にカウントダウンが行われていくのが不穏さを掻き立てます。そして、カウントダウンが終わった後に全く異なる物語の構図が露わになり、意外すぎる真相が明らかになるプロットに驚かされます。序章で語られたビスマルクの外交戦略がまさかこんな形で繋がっていようとは多くの人は考えもしなかったでしょう。そして、著者の戦争体験があったからこそ書き得た犯人の動機がまた強烈です。ご都合主義がやや目立つ点や観念的な動機は好みの分かれるところですが、なんとも壮大で異質な、著者ならではの傑作だといえます。


警視庁草紙(1975)
明治6年。征韓論を巡る対立に敗れた西郷隆盛は薩摩へと去り、明治政府は大久保利通を中心に動き始める。一方、警視庁が創設されたばかりの警察組織も大久保利通からの信任が厚い川路利良初代大警視(現・警視総監)の手によって近代的な組織へと変貌していこうとしていた。しかし、元同心の千羽浜四郎と元岡っ引きの冷酒かん八はそんな世の中の動きを快く思っていなかった。彼らは警視庁にひと泡吹かせようと、元江戸南町奉行・駒井相模守の人脈と知恵を借り、対決を挑んでゆくが......。
収録作品
明治牡丹燈籠/黒暗淵の警視庁/人も獣も天地の虫//幻談大名小路/開化写真鬼図/残月剣士伝/ 幻燈煉瓦街/数寄屋橋門外の変/最後の牢奉行/痴女の用心棒/春愁雁のゆくえ/天皇お庭番/妖恋高橋お伝/東京神風連/吉五郎流恨録/皇女の駅馬車/川路大警視/泣く子も黙る抜刀隊
◆◆◆◆◆◆
1958年に発表した『甲賀忍法帖』が大人気を博したことで、著者の創作の軸足は忍法帖シリーズに移ることになります。しかし、その忍法帖も60年代の終わりと共に見切りをつけることになり、70年代に入ると忍法のような伝奇的要素のない時代小説を中心にさまざまなジャンルを手がけるようになったのです。なかでも、忍法帖と比肩しうるシリーズといえるのが"明治もの"です。その長編第一弾である本作は18の独立したエピソードからなる長大なミステリー小説であり、内容も密室殺人から歴史ミステリに幻想ミステリ、さらには人情ものとバラエティに富んでいます。それに加え、永倉新八、夏目漱石、樋口一葉、森鷗外、幸田露伴、細谷十太などといった実在の人物が意外なところで登場するのも歴史好きの人にとってはたまらないところです。しかも、後半になるとそれまでの登場人物やエピソードが絡み合って歴史的陰謀が露わになっていく構成が見事です。連作短編が最後に大長編へと変貌する連鎖式のプロットはさらに磨きがかかっています。前半の痛快な物語とラストのやるせなさなども含め、ボリュームたっぷりで非常に読み応えのある大傑作です。
警視庁草紙 上 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
山田 風太郎
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-08-25


幻燈辻馬車(1976)
明治15年。元会津藩町方同心の干潟干兵衛は会津落城の際に妻のお宵を、西南の役では共に従軍していた息子の蔵太郎を亡くし、今では孫娘のお雛と一緒に辻馬車稼業を営んでいた。そんな彼らの周囲ではさまざまな事件が起き、いつしか自由党壮士と明治政府の暗闘に巻き込まれていく。干兵衛はお雛との平穏な生活を望みながらも、会津藩士だった頃の自分を自由党壮士の姿に重ねてしまうのだった。やがて、赤い盟約書を巡って事態が急変するなかで干兵衛が選んだ道とは?
◆◆◆◆◆◆
本作は、謎解きミステリーの要素は希薄な代わりにエンタメ小説としての完成度が高く、明治ものの最高傑作との呼び声高い作品です。まず、序盤は辻馬車を営んでいる主人公が出会った人々とのエピソードがテンポ良く描かれていくのですが、その人々というのが、姿三四郎、嘉納治五郎、伊藤博文、坪内逍遥、中江兆民、田山花袋などをはじめとする有名人が目白押しで彼らのエピソードだけでも読んでいて楽しくなってきます。変わったところでは人斬り以蔵こと岡田以蔵の実弟が兄に劣らぬ剣鬼ぶりを披露したりします。それに加え、ピンチの時にお雛が助けを求めると、娘を護るために軍服姿を身に纏った蔵太郎の幽霊が血まみれの刀を持って駆けつける奇想ぶりも見逃せません(ちなみに、蔵太郎の呼びかけに応じてお宵の幽霊も現れます)。また、ミステリーとしては政府の密偵の正体を探る展開が軸になっており、その正体についてはちょっとしたヒネリが加えられています。さらに、綺麗事だけでは済まさずに自由民権運動の暗黒面にも切り込んでいるところは歴史小説として非常に読み応えがあります。切ないながらも清々しさを感じさせるラストも印象深く、さまざまな魅力を内包した本作の面白さは空前絶後といっても過言ではないほどです。
明治断頭台(1979)
1869年。発足したばかりの明治政府は役人の不正を調査するための機関・弾正台を設置し、香月経四郎や川路利良らを大巡察に任命する。2人は次々と怪事件に遭遇するも、経四郎がフランス逗留中に知遇を得た美女・エスメラルダの力を借りて謎を解いていく。彼女はギロチン発案者の末裔であり、しかも、イタコの能力があるというのだ。事件が起きるたびに巫女姿となったエスメラルダは被害者の霊を呼び寄せて真相を探っていくが.....。
収録作品
弾正台大巡察/巫女エスメラルダ/怪談築地ホテル館/アメリカより愛をこめて/永代橋の首吊り人/遠眼鏡足切絵図/おのれの首を抱く屍体/正義の政府はあり得るか
◆◆◆◆◆◆
本作は明治ものの長編第4弾であり、『警視庁草紙』で敵役だった川路利良が主役の一人を務めています。しかも、『警視庁草紙』では憎々しげな面が強調されていたのに対して、本作では意外に情に厚い面が垣間見られるのが印象的です。一方で、福沢諭吉、東郷平八郎、内村鑑三、山県有朋、西郷隆盛などといった歴史上の人物が意外なところでストーリーに絡んでくる面白さも健在です。また、ミステリーとしてはこれまでにない派手な物理トリックが頻出している点が異彩を放っています。たとえば、ビジュアル的に忘れ難い大トリックを使用した「怪談築地ホテル館」、アクロバティックな足跡トリックが炸裂する「アメリカより愛をこめて」、この時代ならではのアリバイ工作に唸らされる「永代橋の首吊り人」などといった具合です。そしてなにより、得意の連鎖方式でそれぞれのエピソードが一つに結びつき、その結果明らかになる真相にびっくりさせられます。個々のエピソードも十分に奇抜なのですが、それらをまとめてさらにスケールの大きな話へと着地させた点が秀逸です。山田風太郎のミステリー作品としては『妖異金瓶梅』や『警視庁草紙』などに並ぶ傑作だといえるでしょう。


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最新更新日2021/09/25☆☆☆

ミステリーのジャンルのひとつに館ものミステリーがあります。大きな屋敷を舞台にした連続殺人を扱った作品です。古き良き時代の探偵小説の豊潤な香りが存分に味わえる故に、このジャンルをこよなく愛している人は少なくありません。しかし、この館ものは、「密室殺人」「クローズドサークル」「アリバイ崩し」などとは異なり、ジャンルとしての定義がいささか曖昧です。ちなみに、館ものミステリーの典型的な特徴としては、
1.いわくありげな一族が住んでいる
2.大きな屋敷で
3.連続殺人が起き
4.探偵役の推理によって真相が明らかになる。
などといった要素を挙げることができます。しかし、一方で、実際はこれら全ての条件を満たしていなくても館ものと呼ばれている作品は少なくないのです。そこで、館ものミステリーというジャンルがどのような変遷をたどってきたかを知るために、主な作品を挙げつつ、その歴史をみていきます。なお、新本格ブーム以降、館ものミステリーは急速に数を増やし、それにつれてその構成要件も揺らいでいくことになるため、まずは昭和の作品に絞って紹介していきます。
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館ものミステリーにおけるジャンルの発展と完成
館ものミステリーの原点を探っていくと数が多すぎてきりがないので、ミステリー黄金期と呼ばれた1920年代以降の作品に限定してみてみます。そうするとまず、『赤い館の秘密(1921)』があります。作者は『くまのプーさん』の産みの親として有名なA・A・ミルンで、開幕早々15年ぶりに館を訪れた兄が殺され、館の主人である弟が失踪するという事件が起きます。滑り出しは上々ですが、これ以降事件は起きませんし、館に集まっていた人々もすぐに帰ってしまい、2度と登場しなくなります。これでは館ものとしてはいかにも物足りません。ちなみに、本作ではある有名なトリックが用いられており、それがミステリー史に名を残す一因となるわけですが、いまとなっては作風同様牧歌的すぎです。少なくとも、現代の読者でこれに驚く人は皆無でしょう。そして、次に登場するのがイーデン・フィルポッツによる『赤毛のレドメイン家(1922)』です。このときすでに60歳のベテラン作家だったイーデン・フィルポッツの手によるもので、黄金期の作品としては大時代的な古めかしさがあります。しかし、その一方で、普通小説出身の作家だけあって、風景描写や人物描写が生き生きとしており、この時代の探偵小説にありがちだった無味乾燥としたものになるのを免れています。また、『赤い館の秘密』と同じくトリック自体は今となってはありふれたものとなってしまい、犯人の見当もすぐについてしまうものの、最後に明かされる犯人像は現代においてもなお強烈です。それになにより、レドメイン一族を標的とした不可解な事件が次々と起きるという展開は『赤い館の秘密』よりよほど館ものらしいといえるでしょう。ただ、本作は一族を巡る事件ではあっても、特に館が舞台というわけではありません。そこで、その次に注目したいのが『矢の家(1924)』です。館の主の不可解な死によって遺産相続争いが起こり、探偵が屋敷に乗り込んでくるという展開は典型的な館ものミステリーだといえます。ちなみに、作者のA. E.W.メースンはイーデン・フィルポッツと同じくこのときすでにベテラン作家であり、1910年の時点で館ものミステリーの原初的作品といえなくもない『薔薇荘にて』を発表しています。そのせいか、未知の毒物や秘密の通路などといったものが無造作に登場し、どうにも内容が一昔前の探偵小説といった趣なのです。そのうえ、メインの事件が1件だけで連続殺人に発展しない点にも物足りなさがあります。そんな中、ついに館ものミステリーの決定版というべき作品が登場します。1928年発表の『グリーン家殺人事件』がそれです。
赤い館の秘密【新訳版】 (創元推理文庫)
A・A・ミルン
東京創元社
2019-03-20
赤毛のレドメイン家【新訳版】 (創元推理文庫)
イーデン・フィルポッツ
東京創元社
2019-11-20
矢の家【新版】 (創元推理文庫)
A・E・W・メースン
東京創元社
2017-11-22


1928年(昭和3年)

グリーン家殺人事件(ヴァン・ダイン)
大都会ニューヨークでポツンと取り残されたように佇むグリーン家の古邸。屋敷の主であるトバイアス・グリーン夫人には5人の子どもがいたが、彼らは互いに反目しあっていた。そして、ついに事件が起きる。ある雪の夜、長女と末娘が何者かによって銃撃されたのだ。長女は亡くなり、末娘のアダ・グリーンは一命を取り留める。屋敷の外に続く足跡が確認される一方で、凶器である銃が発見できないことから物取りの犯行だと思われていたが、名探偵ヴァンスだけは新たな事件を予見していた。そして、彼の危惧した通り、長男のチェスター・グリーンが銃殺され、事件は連続殺人の様相を呈してくる。果たして、恐るべき犯人の正体は?
◆◆◆◆◆◆
発表されるやいなや大変な評判を呼んだ作品です。本作をもって「いわくありげな一族が住んでいる大きな屋敷で連続殺人が起き、探偵役の推理によって真相が明らかになる」という館ものミステリーのテンプレートが完成し、以後後続の作品に大きな影響を与えていくことになります。とはいえ、本作のプロットはなにもヴァン・ダインの独創というわけではなく、過去のさまざまな作品を参考にして書かれた形跡がはっきりとみてとれます。特に、『矢の家』は犯人像や探偵の推理手法などを始めとして類似点が多く、本作のプロトタイプだといっても過言ではないほどです。一方で、いかにも大時代的だった『矢の家』を近代的にリフォームし、連続殺人によってサスペンスが途切れぬように工夫を施したのはヴァン・ダインの手柄だといえるでしょう。ともあれ、当時においてその完成度の高さは他の追随を許さず、結果、目指すべき探偵小説のスタンダードという地位を手に入れることになります。ただ、ミステリーを読みなれた現代の読者からすると、トリックが単純で犯人の正体がわかりやすい点は物足りなさを覚えるかもしれません。
グリーン家殺人事件 (創元推理文庫 103-3)
ヴァン・ダイン
東京創元社
1959-06-08


1931年(昭和6年)

殺人鬼(浜尾四郎)
かつて鬼検事として知られ、今は私立探偵を営んでいる藤枝真太郎の元へ資産家・秋川駿三の娘であるひろ子が訪れる。彼女は父親が何者かに脅迫され、生命の危機におびやかされている旨を告げ、その件についての調査を依頼するのだった。ところが、藤枝が調査に着手する前にひろ子の母・徳子が何者かによって毒殺されてしまう。秋川家の屋敷を訪ねた藤枝は警察当局とともに関係者の取り調べを行うが、そこに彼のライバル的存在である探偵の林田英三が姿を見せる。秋川駿三の依頼によって彼もまた事件の調査を手掛けるというのだ。はからずも互いに事件の解決を競いあう形になる藤枝と林田だったが、彼らの奔走をあざ笑うかのように秋川家の人々は次々と犯人の魔の手にかかっていく。果たして、姿なき殺人鬼の正体とは?
◆◆◆◆◆◆
『グリーン家殺人事件』に触発されて書かれたものとしては最初期にあたる作品であるのと同時に、当時短編が中心だった日本のミステリー界においては貴重な長編本格ミステリです。とにかく、作中において幾度となく『グリーン家殺人事件』についての言及があり、どれほどグリーン家を意識していたかが手に取るようにわかります。ちなみに、勢い余って『グリーン家殺人事件』のネタバレまでしているので未読の人は要注意です。そんな本作ですが、まだまだ日本がミステリー後進国だった時代に書かれたものとは思えないほど完成度の高い作品に仕上がっています。まず、『グリーン家殺人事件』を読者に強く意識させつつも、それとは全く異なる、当時としてはかなり意外な犯人を創出した点が見事です。また、伏線も丁寧なうえに、中盤にはさまざまな仮説を検討することで中弛みを防いでいます。さらに、探偵による最後の推理も大ボリュームで、読み応え満点です。『グリーン家殺人事件』の弱点を改善してさらなる高みを目指した野心作だといえるでしょう。ただ、トリックに関しては幸運に頼る部分が大きく、その点は賛否が分かれそうです。


1932年(昭和7年)

Yの悲劇(エラリー・クイーン)
ニューヨーク湾で腐乱死体が引き揚げられる。遺留品から死体は家族全員が奇人変人だと噂されているハッター家の当主である科学者のヨーク・ハッターだと判明し、体内からは青酸カリが検出された。遺書が残されていたこともあって警察はこの一件を自殺だと結論付ける。しかし、その2カ月後、ハッター家で新たな事件が起きる。ヨーク・ハッターの甥にあたる少年・ジャッキーがエッグノックを飲むなり、のたうち回って苦しみ始めたのだ。エッグノックからはストリーキニーネが検出されるが、問題はそれがヨークの妻・エミリーと前夫との間にできた娘で目と耳が不自由なルイーザのために用意されたものだという事実である。ジャッキーが毒を飲んだのはエミリーのエッグノックを横取りした結果だった。すると、これはエミリーを狙っての犯行だったのか?ジャッキーは飲んだ毒が少なかったこともあってなんとか一命を取り留めたものの、今度はエミリーがマンドリンで撲殺される。しかし、マンドリンには人を死に至らしめるだけの殺傷力はなく、もともと心臓の弱かった彼女の死因は殴られたショックによるものだった。犯人はなぜそんな確実性の低いものを凶器として選んだのだろうか?一方、エミリーと寝室を同じにしていたルイーザは犯人らしき人物と接触し、そのときバニラの香りを嗅いだというが......。
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本作が『グリーン家殺人事件』をモチーフにして書かれたのは明らかです。犯人が殺人を思い立った経緯や登場人物が犯人に触れたと証言するくだり、あるいは事件の鍵を握るあるものが開かずの間に隠されているなど、あまりにも多くの共通点があります。しかし、両者を読み比べてみても、それほど似ているという印象は受けません。なぜなら、クイーンは『グリーン家殺人事件』を手本にしながらも徹底したブラッシュアップを行い、全くテイストの異なるミステリー小説を創り上げたからです。その最もたるものが犯人の意外性です。『グリーン家殺人事件』は消去法でなんとなく犯人がわかってしまうのに対して、本作の場合は当時としてはかなりの意外性を演出することに成功しています。また、それに付随する凶器の謎も見事です。なぜ、マンドリンが凶器として選ばれたのか?このファンタスティックな謎と歪な答えは王道的なつくりの『グリーン家殺人事件』では味わえないものであり、唯一無二の魅力に満ちています。もちろん、その真相を違和感なく成立させるためにハッター家という狂気の一家を設定し、異様な雰囲気の中に事件そのものをなじませるといった創造上の工夫も見逃せません。その結果、本作は特に日本において高い人気を獲得し、ミステリー小説におけるオールタイムベストの1位に選出されるまでになったのです。
Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)
エラリー・クイーン
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-09-25


エンジェル家の殺人(ロジャー・スカーレット)
エンジェル家には双子の兄を長とするダライアス一家と弟のキャロラス一家が存在する。ダライアスとキャロラスの父親は50年前に亡くなっていたが、その際、兄弟のどちらかが死んだ場合に生き残った方に全財産を譲るという遺言を残していた。以来、ダライアス一家とキャロラス一家は対立し、L字型の館を二分する形で暮らしていた。両家とも信託基金によって安定した収入を得ているものの、兄弟のいずれかが亡くなった場合、家長を失った家族は無一文で屋敷から出ていかなければならない。そして、その可能性が高いのはダライアス一家の方だった。ダライアスは持病の心臓病が悪化し、余命いくばくもない状態だったのだ。そこで、彼は自分の家族のために弟であるキャロラスと交渉すべく、弁護士を呼び寄せる。だが、そのとき、ついに悲劇の幕が開く。キャロラスが何者かによって殺されたのだ。
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『グリーン家殺人事件』や『Yの悲劇』などに比べると知名度はかなり落ちますが、日本においては江戸川乱歩が激賞したことで知られている作品です。その魅力は特異な設定にあります。単にいわくありげな一族が暮らす屋敷で事件が起きるだけでなく、彼らが暮らす屋敷が奇妙な形をしていて、しかも、事件の発端が異常な遺言状によるものだという設定は館ものミステリーの形式を一歩推し進めたものだといえます。なぜなら、それらの要素は後年日本のミステリーに大きな影響を与えることになるからです。奇妙な館というのは新本格に連なるモチーフですし、異常な遺言状に関しては横溝正史の『犬神家の一族』が直接的な影響を受けています。また、それらに加えて、エレベーターを用いた密室トリックもなかなかユニークです。そうしたさまざまな魅力があるにも関わらず、知名度が低いのは全体的に描写があっさりしているからでしょう。登場人物の描写も探偵の推理も淡泊過ぎて盛り上がりに欠けるのです。ミステリー史において名作としての地位を築き損ねた非常に惜しい作品だといえます。
エンジェル家の殺人 (創元推理文庫)
ロジャー スカーレット
東京創元社
1987-05T





1935年
(昭和10年)

黒死館殺人事件(小栗虫太郎)
神奈川県高座郡の一角にそびえ立つケルト・ルネサンス式の大城館は、黒死病の死者を収容したかつての施設に似ているとの嘲りを受けて以来、黒死館と呼ばれるようになっていた。館の創設者で当主だった降矢木算哲博士は自殺し、それからまもなく不可解な事件が起きる。降矢木家が秘蔵していた弦楽四重奏団のひとり・ダンネベルク夫人が毒殺され、その死体からは謎の発光現象が確認されたのだ。事件を担当する支倉検事は刑事弁護士の法水麟太郎に出馬を要請する。降矢木家は、天正遣欧少年使節の千々石ミゲルがトスカーナ大公妃のビアンカ・カペルロに生ませた私生児が興した家だという。また、ダンネベルク夫人をはじめとする四重奏団の4人は幼少時に黒死館に連れてこられて以来一度も外に出たことがなかった。やがて、算哲博士が死の直前に彼らと養子縁組を結んだ事実が明らかになる。しかし、そもそもなぜ西洋人である4人が日本に連れてこられ、今になって養子縁組を組んだのかは判然としなかった。一方、法水は鐘鳴器の音の違いからすでに第2の事件が起きていることを看破し、果たして鐘鳴器の中から給仕長・川那部易介の死体が発見される。さらに、法水は一連の状況から算哲の姪である押鐘津多子が犯人だと指摘するが......。
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異様な一族が住む異様な館で連続殺人が起きるという点において本作は典型的な館ものミステリーだといえます。しかし、本作を異形たらしめているのは探偵役である法水麟太郎の存在です。彼はあらゆるものに事件との符合を見出しては得々と自分の推理を語り始めます。いや、推理ならまだいいのですがそのほとんどは単なる知識のひけらかしです。しかも、その知識は宗教・哲学・心理学・物理学・医学・薬学・人類学・占星術・紋章学と多岐に渡り、そのうえ、聞き慣れない言葉を並べてまくしたてるので読者の理解力はたちまちキャパオーバーに達してしまいます。その挙句、単なる思い付きとしか思えない意味不明なトリックについて説明し始めるのだから堪ったものではありません。結果、読者は蘊蓄の海に溺れ、法水による推理の何が正解で何が間違いなのかもわからなくなってしまいます。もはや、事件自体がどうでもよくなってくるのです。以上のように、異様な館やそこに住む一族にではなく、探偵の繰り出す知の奔流によって読者が翻弄されていくのが本作の特徴であり、通常の価値基準では図ることのできない奇書といわれる所以でもあります。ちなみに、そうした装飾部分を剥ぎ取って純粋にミステリーの部分だけを取り出してみると、この作品は驚くほどこじんまりとしています。いわば『黒死館殺人事件』とは『グリーン家殺人事件』における蘊蓄部分だけを肥大化させた奇形児なのです。そして、その歪さを楽しめるかどうかによって本作は異形の傑作にも単なる駄作にもなり得ます。数ある館ものミステリーの中でも異色中の異色作です。
【「新青年」版】黒死館殺人事件
小栗 虫太郎
作品社
2017-09-28


1939 年(昭和14年)

暗黒星(江戸川乱歩)
関東大震災による被害を免れた麻布は古いレンガの建物が残るさびれた街だった。そして、そこに風変わりな資産家・伊志田鉄造が暮らす西洋館があった。鉄造の長男・一郎は絶世の美青年だったが、連日自分が殺される悪夢に悩まされているという。しかも、ただの夢に過ぎないはずのその出来事はやがて現実の悪夢へと変化していったのだ。まず、一郎が何者かに襲われ深手を負う。駆けつけた明智小五郎が目撃した犯人らしき人物は覆面にインバネスコートをまとった黒ずくめの男だった。伊志田家に雇われた明智は小林少年と警戒にあたるが、その甲斐むなしく、鉄造の妻と次女が惨殺され、明智もまた犯人の放った凶弾に倒れてしまう。そのなかで不審な行動をとり続ける長女の綾子が容疑者として浮上するが......。
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いわくありげな西洋館で連続殺人が起きるという典型的な館ものミステリーですが、あくまでも本格風味のスリラーに過ぎないので謎解きはそれほど凝ったものではありません。真相隠蔽やミスリードの手管があまりにもテンプレートすぎるので、ミステリー好きの読者なら犯人の正体はすぐに見破ることができるでしょう。一方、十八番の猟奇趣味や耽美な描写も乱歩の代表作と比べるとおとなしめで物足りなさを感じます。唯一の見所といえば、妙にテンションが高くて時代かかった、ノリノリの明智小五郎を見れることぐらいでしょうか。江戸川乱歩の館ものミステリーという貴重な作品ではあるものの、本格にも変格にも振り切れずに中途半端になってしまっているのが少々残念です。
暗黒星 (江戸川乱歩文庫)
江戸川乱歩
春陽堂書店
2019-05-13


1947 年(昭和22年)

高木家の惨劇(角田喜久雄)
終戦間もない1945年11月7日の昼下がり。警視庁の加賀美捜査課長は、たまたま入った日比谷の喫茶店で、注文した飲み物に蜘蛛が入っていたと大騒ぎする青年を目撃する。あまりに度を越した騒ぎっぷりに周りの客はあきれ果てていた。しかも、ちょうどその頃、青年の実家では当主の高木孝平が睡眠中に何者かに射殺されるという事件が起きる。加賀美は、先の青年・高木吾郎がアリバイ作りのために自分で蜘蛛を入れてわざと騒ぎを起こしたのではないかと推察。捜査を進める中で親族や使用人の多くが殺人の動機を持っていることが判明するも、彼らは鉄壁のアリバイで守られていた。そして、第2の事件が.......。
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本作は戦後の探偵小説復興の一翼を担った作品であるにも関わらず、今ではほとんど忘れ去られています。その要因は館ものミステリーでありながら舞台設定が地味で物語として盛り上がりに欠ける点にあります。しかも、密室やアリバイといったトリックも古典的すぎてパッとしません。しかし、そういった表面上のチープさに反してミステリーとしての土台は非常にしっかりしています。単にトリックを暴いて終わりではなく、トリックが明らかになった時点で新たな謎が生じる展開が非常にによくできているのです。同様に、アリバイを巡って二転三転する展開も読み応えがあります。そして、なにより、最後に明らかになる犯人像が強烈です。その完成度の高さは同時期を代表する『本陣殺人事件』や『不連続殺人事件』などと比べても決して劣るものではありません。再評価が待たれる傑作です。


1948 年(昭和23年)

不連続殺人事件(坂口安吾)
1947年夏。県内屈指の財閥である歌川家の山荘には数多くの客が滞在していた。一族の長である歌川多門の嫡男、一馬の手紙によって呼び寄せられた人たちだ。その中には名探偵と名高い巨勢博士の姿もあった。手紙には「恐るべき犯罪が行われようとしている」などと不吉なことが書かれていたのだが、一馬自身はそんな手紙は書いた覚えがないという。とはいえ、山荘に集まった人々は複雑な人間関係で結ばれており、何が起こってもおかしくはない状況だった。そんな中、ついに事件が起きる。流行作家の望月王仁が刃物で心臓を一突きにされ、全裸死体となって発見されたのだ。だが、これはほんのプロローグに過ぎなかった。山荘に滞在し続ける人々が一人また一人と正体不明の殺人犯の犠牲となっていき......。
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昭和前期を代表する作家の一人である坂口安吾は大の探偵小説マニアとして知られていました。そんな彼が自ら理想とする探偵小説の形を体現したのが本作です。いわくありげな登場人物が次々と殺されていくというオーソドックスな館ものミステリーで、日頃から否定的だった物理トリックを一切用いずに優れたミステリーを書こうとしたところに著者ならではのこだわりがあります。その完成度は極めて高いレベルにあり、特に、心理の足跡のくだりはフーダニットミステリーの極みに達したといっても過言ではないほどです。また、その他にも不自然さを回避した無理のない仕掛けがあちこちに施され、パズラー好きにとっては非常に読み応えのある作品に仕上がっています。ただ、そうはいっても、全く欠点がないわけではありません。まず、事件の関係者だけで30人近く登場させたのは明らかにやりすぎです。最終的に生き残った人物が少なすぎて犯人の見当がつきやすくなってしまった『グリーン家殺人事件』の二の舞を避けようとしたのかもしれませんが、ものには限度というものがあります。おかげで登場人物の把握が非常にしずらくなってしまっているのです。それに、ガンガン人が殺されていっているのに誰もかれもあまりにも無警戒すぎで、ついでにいえば、新たな犯行を防げない警察も無能すぎです。いくら探偵小説のお約束とはいえ、ここまでくるとどうしても不自然に感じてしまいます。できれば、警戒したのだけど犯人に裏をかかれてしまった的な描写が多少欲しかったところです。以上のように、ミステリ史に名を残す傑作であることは間違いないものの、文学の巨匠が書いたにしては読み手への配慮やリアリティに欠けている部分が少なくありません。その点は好みの分かれるところではないでしょうか。
不連続殺人事件 (新潮文庫)
安吾, 坂口
新潮社
2018-08-29


1949年(昭和24年)

能面殺人事件(高木彬光)
ある夜、クセモノ揃いの千鶴井家に居候中の柳光一は2階の窓から笑う鬼女を目撃する。その正体は千鶴井家に秘蔵されている般若の面だった。しかも、ただの面ではなく、能楽師・宝生源之丞の呪詛を宿しているといわれているいわくつきの面だ。光一の父の旧友である石狩弘之検事はそれを大きな事件の前触れだと考え、これから起きることを手記に記しておくよう光一に依頼する。何か起きたときにそれを捜査に役立てようというのだ。一方、今は亡き千鶴井家元当主の弟である泰次郎は鬼女の出現以来、得体の知れない恐怖におびえ、信頼できる探偵はいないかと光一に相談する。そこで、光一が紹介したのが彼の高校時代の友人で探偵小説家志望の高木彬光だった。だが、光一が高木を連れて千鶴井家に戻ってくると、泰次郎はすでに死んでいた。彼の死体が発見された部屋は内側から鍵がかけられており、死体からは外傷も毒も発見できなかったという。心臓麻痺による病死としか思えない状況だったが、死体にはなぜか香水が降りかけられていた......。
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デビュー作にして戦後ミステリーを代表する傑作と名高い『刺青殺人事件』に続いて発表され、第3回探偵作家倶楽部賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞した作品です。館ものミステリーの中に連続密室殺人や死因不明の殺人といった謎を散りばめ、さらに、冒頭であの『アクロイド殺し』に挑戦状を叩きつけているところからもかなりの意欲作であったことがうかがえます。ただ、それが成功しているかといえば、意見の分かれるところです。まず、色々あるネタのうち、最も力を入れていたと思われるのが『アクロイド殺し』に挑戦した"意外な犯人"に関するアイディアでしょう。ところが、これがちっとも意外ではないのです。それどころか、アクロイド殺しに挑戦とわざわざ宣言してしまったためにかえって犯人の見当がつきやすくなっています。また、外傷を残さずに殺すトリックは最後に解明されるものの、実際にその方法で殺害しても痕跡を完全に隠しおおせるかはかなり疑問です。さらに、密室トリックに関しては、現場を密室にした理由や鬼女の面などの小道具の用い方などの細かいアイディアには光るものがあるのですが、肝心の密室トリックが複雑すぎて文章で説明されてもよくわからないのです。なにより、文章そのものがぎこちなくて小説世界に入り込みずらいのが最大の難点だといえるでしょう。その他にも、『アクロイド殺し』『グリーン家殺人事件』『僧正殺人事件』などの海外有名作品のネタバレを盛大に行っている点もいただけません。このように、いろいろ不備のみられる作品ではあるものの、一方で、本格ミステリに対する迸る情熱はひしひしと感じます。探偵作家倶楽部賞の受賞もその情熱が認められたからでしょう。どちらかといえば、アマチュア然とした大いなる稚気を楽しむべき作品だといえます。
1951年(昭和26年)

犬神家の一族(横溝正史)
裸一貫で製糸業を始め、一大財閥を築き上げた犬神佐兵衛が他界した。あとには莫大な財産が残されたが、相続に関する遺言状は故人の意向により一族が一堂に会したときに公開されるという。ちなみに、佐兵衛には母親が異なる娘が3人おり、それぞれが婿養子をとって息子が1人ずついた。彼らの仲は良いとは言い難く、昔から反目し合っていた。やがて、戦地に行っていた長女松子の一人息子・佐清(すけきよ)が復員し、ようやく一族全員が揃う。だが、彼は戦地で顔と喉を負傷し、醜い傷跡を隠すためにゴムマスクを被っていた。本当に佐清なのかと疑念が渦巻く中、遺言状が公開される。その内容は、佐兵衛の恩人・野々宮大弐の孫である珠世に全財産を譲るという異様なものだった。しかも、遺産相続のためには3人の孫である佐清、佐武、佐智のいずれかと結婚しなくてはならず、結婚を拒否すると彼女の相続権は失われるというのだ。さらに、その場合は、佐清、佐武、佐智が各5分の1ずつを相続し、残り5分の2を佐兵衛の愛人だった青沼菊乃の息子・青沼静馬が相続すると記されていた。ここに至って三姉妹の対立は決定的なものとなり、珠世の争奪戦が始まることとなる。そして、ついに事件は起きる。次女・竹子の一人息子である佐武が殺されたのだ。そのうえ、佐武の首は切り落とされ、菊人形のそれとすり替えられていた。犯人はなぜそのようなことをしたのか?犬神家の顧問弁護士の依頼で調査に訪れていた金田一耕助が事件解明に乗り出す。一方、偽物の嫌疑がかけられていたゴムマスクの男は自分が佐清であることを証明するべく、出征前に神社に奉納した手形との照合に応じるが.......。
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不可思議な遺言状を巡って血族の間で奇怪な殺人事件が起きるという昭和型館ものミステリーの決定版ともいえる作品です。現代の読者が読むと、仮面の男の正体や犯人は分かりやすいかもしれませんが、精緻なプロットに基づいて構築された物語は読み応え満点です。血縁同士の争いから始まって不気味なゴムマスクの男、家宝にちなんだ見立殺人と、これほど見事な道具立てを揃え、かつそれらを活かしきった館ものミステリーもなかなかないのではないでしょうか。また、現代のミステリーファンにとってはわかりやすいとはいえ、細部まで考えぬかれた仕掛けも見事です。本作は映画としても有名ですが、原作小説では映画化の際に削ぎ落された探偵小説としてのコクをたっぷり味わうことが出来ます。古典的名作として押さえておきたい一作です。


1954年(昭和29年)

呪縛の家(高木彬光)
医師の松下研三は旧友の卜部鴻一から親族の身に惨劇が起きる予兆があるので名探偵として名高い東大医学部法医学教室の神津恭介と一緒に来てほしいと乞われる。あいにく神津恭介は旅行中だったため、松下研三が単身で鴻一の暮らす奥武蔵野の八坂村を訪れる。鴻一は大伯父の卜部舜斎を教祖とする紅霊教の本部に住んでおり、そこに向かう途中で研三は怪しげな男から、「今宵、汝の娘は一人、水に浮かびて殺さるべし」という不吉な予言を告げられるのだった。しかも、本部に到着してから鴻一に詳細を尋ねたところ、その男は卜部六郎という紅霊教の元門弟で、卜部家でこれから起こる4つの殺人事件を予言しているというのだ。果たしてその直後に3人の又従妹のうち三女の土岐子が、何者かに毒を飲まされる。命に別状はなかったものの、続いて長女の澄子が浴槽の中で短刀に胸を刺されて死体となって発見される。惨劇を防ぐべく風呂場の入り口には見張りを置き、扉は内側から鍵を掛けていたのにも関わらずだ。当然、不吉な予言をした卜部六郎が疑われて警察の尋問を受けるが、彼はその直後に卒倒し、村の開業医である菊川医院に送り届けられる。研三は菊川医師から、意識を取り戻した六郎が「悪魔の娘は殺さるべし。火に包まれて殺さるべし。」との予言を口走ったと聞かされる。ようやく駆けつけた神津恭介は次女の烈子と三女の土岐子を鍵のかかる部屋に匿い、予言の成就を阻止しようとするが.....。
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予言殺人、二重密室、複数回に渡る読者への挑戦と、同じ著者の『能面殺人事件』に負けず劣らず、さまざまな要素が詰め込められた濃厚な館ものミステリーです。ただ、いちいち表現が大仰で鼻につくという著者の欠点が目立ちます。また、『能面殺人事件』は名作ミステリーのネタバレがひどいことで知られていますが、本作の場合は巨匠の某作品のトリック及び予言殺人、複数回の読者への挑戦という趣向をそのまま流用しているという問題があります。とはいえ、他作者のトリックをアレンジしたり、有名作品の趣向に挑戦するといったことはミステリー界においては普通に行われているのでそれ自体が悪いというわけではありません。ただ、同じ作品から複数の要素を一度に流用しすぎです。これだけの要素をいっぺんに流用してしまうとオリジナリティが感じられなくなってしまい、同時に、元ネタを知っている人にトリックを見破られやすくなってしまいます。『能面殺人事件』と同じくその辺りの洗練しきれていない感じがどうしても好事家によるアマチュア作品といった印象を抱かせてしまうのです。面白くなりそうな要素は十分あるだけに非常に惜しい作品だといえます。


1956年(昭和31年)

りら荘事件(鮎川哲也)
埼玉と長野の県境近くに証券会社のワンマン社長が建てた別荘があった。名はライラック荘といい、彼の好きな花にちなんで名付けたものだ。ところが、それもいつしか他人の手に渡り、今では芸術大学の寮として使用されている。ライラック荘という名も使われなくなり、学生たちの間ではライラックをフランス語に訳したりら荘の呼称で親しまれていた。そこに、大学生7名が訪れる。美術科と音楽科の生徒による共同合宿だ。ところが、地元の炭焼き男である須田佐吉の死体が発見されたことから合宿は不穏な空気に包まれる。死体の傍には昨夜りら荘から紛失したトランプのスペードのAとレインコートが置かれてあったからだ。続いて、りら荘の管理人と学生が一人ずつ殺される。死体の傍らにはスペードの2と3がそれぞれ置かれていた。しかも、事件はこれで終わりではなかった。果たして殺人犯の正体は?
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『不連続殺人事件』や『犬神家の一族』などと並ぶ戦後館ものミステリーの大傑作です。派手な大トリックこそありませんが、犯人の周到な計画とちょっとしたトリックの積み重ねによって捜査陣や読者をミスリードさせ、そのうえで細やかな伏線回収によって真相を暴きだしていく手管が見事です。また、生き残っている登場人物の数が残り少なくなっても『グリーン家殺人事件』とは異なり、なかなか犯人が特定できない点も秀逸です。好感が持てる人物が皆無で終盤に登場する名探偵も魅力に乏しいのは小説としていかがなものかと思うものの、次々と新たな事件が起き、探偵が登場してからは怒涛の伏線回収が始まるので全く退屈せずに読むことができます。凄い勢いで人が殺されているのにりら荘から逃げようとする者がいなくて警察も新たな惨劇を一向に食い止められないという展開はリアリティ皆無ですが、そこは『不連続殺人事件』と同様、お約束として流すべきでしょう。ちなみに、本作は昭和の作品としては珍しい、一族の因縁などが存在しない、学生たちを中心とした館ものです。そういう意味では平成型館ものミステリーの原点といえるかもしれません。
りら荘事件 (創元推理文庫)
鮎川 哲也
東京創元社
2006-05-27


1957年(昭和32年)

迷路荘の惨劇(横溝正史)
明治維新の功労者の一人として知られる古館種人伯爵は常に命を狙われていたことから、秘密の脱出路など、さまざまな仕掛けを施した屋敷に住んでいた。屋敷の正式な名称は名琅荘だったが、人々はいつしかこれを迷路荘と呼ぶようになる。種人伯がこの世を去って以降、古館家は没落の一途をたどり、息子の古館一人の代にはめぼしい財産は名琅荘を残すのみとなっていた。そんな折、美しい妻・加奈子と遠縁にあたる尾形静馬との仲を疑った一人伯が加奈子を刀で殺害し、続いて静馬の左手を斬り落とす。静馬は一人伯を返り討ちにし、隠し通路から地下洞へと逃げだしたものの、その後の行方は杳として知れなかった。それから数年後。名琅荘に真野信也と名乗る片腕の男が訪ねてくる。女中がその男を客間に案内したところ、男は忽然と姿を消してしまうのだった。ただならぬ事態に現在の名琅荘の所有者である篠崎慎吾は、知人のつてで探偵・金田一耕助を呼び寄せるが、彼が到着するなり事件が起きる。名琅荘の前の所有者である古館辰人が馬車の中から死体となって発見されたのだ。しかも、死体の胴体には左腕が固定されており......。
◆◆◆◆◆◆
『八つ墓村』における過去の惨劇や洞窟探検、『悪魔が来りて笛を吹く』におけるフルート、横溝作品恒例の怪人物など、過去の代表作の要素を詰め込んだ集大成的な作品です。しかし、詰め込み過ぎてごたごたした印象になっていますし、それらの要素がミステリーとしてうまく活かしきれていません。真相は無駄に複雑なうえに説得力が乏しいものとなっており、装飾を付け過ぎて収集がつかなくなったといった印象です。密室トリックも子供だましで、トリックを用いる必然性にも欠けています。以上の点から、本格ミステリとしては決して高い点数をあげることはできませんが、地下洞窟の探索や凄惨な死体といった横溝ワールドならではの雰囲気はたっぷり堪能することができます。


1958年(昭和33年)

三角館の恐怖(江戸川乱歩)
隅田川のほとりに聳え立つL字型の西洋館。そのL字の右側と左側でそれぞれ所有権を主張するように対角線で2つに分けた正方形の敷地。蛭峰家の館はその形状から三角館と呼ばれている。この館の右側には双子の兄・健作とその家族が、左側には弟の康造一家が住んでいた。健作と康造は長生きをした方に全財産を譲るという先代の遺言が原因で仲たがいをしており、それぞれの家族も館の中央にあるエレベーターを共用している他は全く接点のない暮らしをしていた。ところが、兄の健作が心臓病を患い、残りわずかな命となってしまう。家族の将来を案じた健作は弁護士の森川にどちらが先に死んでも財産を両家族が均等に分けあうものとする新たな遺言状の作成を依頼し、その遺言状に対する合意を康造に迫っていた。そんななか、一発の銃声が響く。康造が食堂で胸を撃ち抜かれて殺されたのだ。給仕や家族の証言によると顔を隠した片足の不自由な男が訪ねてきていきなり康造を撃ったのだという。警視庁の名探偵こと篠警部が捜査を開始するが......。
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本作はロジャー・スカーレットが1932年に発表した『エンジェル家の殺人』の翻案です。当然、基本的なストーリーは『エンジェル家の殺人』と同じです。その代わり、描写が淡白でいささか盛り上がりに欠けていた原作に装飾を施し、おどろおどろしい乱歩ワールドへと染め上げることに成功しています。しかも、原作には存在しなかった読者への挑戦まで付加し、密室トリックや異様な動機をより印象深いものにしているのが見事です。したがって、『エンジェル家の殺人』と『三角館の恐怖』のどちらを読むかで迷っている人には断然本作の方をお勧めします。
三角館の恐怖 (江戸川乱歩文庫)
江戸川乱歩
春陽堂書店
2019-09-04


1964年(昭和39年)

虚無への供物(中井英夫)
宝石商として財を成した氷沼家は代々その当主らがただならぬ死に方をしていた。まず現当主である蒼司の曾祖父・誠太郎が狂死。祖父の光太郎は函館の大火に巻き込まれて焼死し、叔父夫婦の黄司と朱美は原爆により広島で死亡。さらに、もうひと組の叔父夫婦である菫三郎夫妻と両親の紫司郎夫妻が洞爺丸転覆事故で帰らぬ人となっていた。そして、一連の悲劇はアイヌ狩りの暗い過去の因縁だと噂されているという。その話を聞いた駆け出しシャンソン歌手でミステリー作家志望の奈々村久生は名探偵を気取り始め、今後起きるであろう「ザ・ヒヌマ・マーダー」を解決へと導くために彼女の友人で蒼司の高校時代の同級生でもある光田亜利夫をワトソンに見立てて氷沼家に派遣するのだった。それからしばらくして久生の予言通り事件が起きる。内側から鍵のかかった浴室で蒼司の従弟である紅司が死体となって発見されたのだ。久生はミステリー好きの仲間を集めて推理合戦を始めるが......。
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『ドグラマグラ』や『黒死館殺人事件』と並ぶ日本三大奇書、あるいは日本屈指のアンチミステリーとして有名な作品ですが、ストーリーは一見オーソドックスな館ものミステリーの体裁をとっています。『黒死館殺人事件』のような難解さはありませんし、連続密室殺人や推理合戦の趣向は普通に面白そうです。これのどこが奇書なのかと思っていると、読み進めるうちに段々違和感を覚えてきます。ワクワクするはずの推理合戦はどうもパッとしませんし、次々と事件が起きているのに作中における緊張感が著しく欠けているのです。実はそれこそが本作をアンチミステリーといわしめている所以であり、作品の真の意図は最終章で明らかにされます。現代でも日本ミステリー史上五指に入る名作として評価されている本作ですが、これを館ものミステリーとしてどう評価するかは正直悩ましいところです。
虚無への供物 (講談社文庫)
中井 英夫
講談社
1974-03T


1976年(昭和51年)

朱の絶筆(鮎川哲也)
超売れっ子作家の篠崎豪輔が軽井沢の山荘で何者かによって絞殺される。現場には絶筆原稿と犯人が意図的に焼却したと思われる原稿の束が残されていた。篠崎は傲慢な性格で多くの人間から恨みを買っており、山荘に滞在中の元編集者、挿絵画家、作家志望者、ホステスなど、総勢9名のうち6人には明白な動機があった。だが、有力な手掛かりに乏しく、警察の捜査は難航する。そんななか、新たな殺人が......。
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『りら荘事件』『白の恐怖』に続く星影龍三シリーズの長編第3弾です。名作と名高い『りら荘事件』に比べると完成度は落ちるものの、さまざまな仕掛けで楽しませてくれます。特に、第1の殺人におけるアリバイ工作は秀逸です。また、毒殺トリックなどもなかなかよく考えられています。ただ、もともと中編作品だったものを長編にリライトした影響で、思わせぶりなシーンが事件と全く関係ないなどの水増し感が生じています。それに、名探偵・星影龍三の出番も電話で真相を説明するシーンのみというのはいかがなものでしょうか。せっかく名探偵を登場させるのならもっと見せ場を増やしてキャラの魅力をアピールしてほしかったところです。本格としては十分に魅力的ながらも物語としての瑕疵が目立つ点が惜しまれます。


1977年(昭和52年)

崖の館(佐々木丸美)
高校生の涼子とその従姉妹たちは資産家の叔母が住んでいる崖の館を訪れる。しかし、館に足を踏み入れてから間もなく、壁に飾られていた絵の消失や密室間での人間移動などといった不思議な現象に遭遇する。この館は2年前に叔母の娘である千波が命を落とした場所であり、そのこととこの現象には何か関係があるのだろうか?雪に閉ざされた館で少女たちは推理をめぐらせるが、ついに悪意の手が新たな犠牲者に伸びる!
◆◆◆◆◆◆
本作は少女漫画チックな恋愛ファンタジーを得意とする著者の作品群のなかで最もミステリー色が強いことで知られています。いわくのある屋敷で次々と不可思議な事件が起きるという点では典型的な館ものミステリ-といえますが、この手の作品では定番といえるおどろおどろしい雰囲気は希薄です。その代わり、雪で覆われた幻想的な風景が強調され、事件の謎そのものもファンタスチックな味わいに装飾されていきます。特に、謎が解かれたあとの結末の美しさは特筆ものです。ただ、トリックや動機については説得力に欠ける面があり、その辺りが本作の弱点といえます。どちらかといえば、ミステリアスな雰囲気を楽しむべき作品ではないでしょうか。なお、本作の続編として『水に描かれた館』と『夢館』の2作がありますが、これらはミステリー小説というよりも幻想文学に近い作品です。
崖の館 佐々木丸美コレクション
佐々木 丸美
復刊ドットコム
2012-06-01


1982年(昭和57年)

斜め屋敷の犯罪(島田荘司)
オホーツク海を見下ろす高台に建てられた流氷館はその奇妙な形状から「斜め屋敷」と呼ばれていた。3階建ての西洋館と円筒形の塔がセットになったその建物はわざと斜めに傾けられていたのだ。あるとき、斜め屋敷でクリスマスパーティーが開催される。一代で大企業の会長となり、流氷館を自ら設計した浜本幸三郎の元に集ったのは、その家族や使用人及び取引先の重役たちだった。その夜、取引先の社長・菊岡栄吉の秘書兼愛人である相倉クミが窓の外から不気味な顔が覗き込んでいたといってちょっとした騒ぎになるも周囲に異常はなく、夢でも見たのだろうという話になった。しかし、翌朝に菊岡の運転手・上田が登山ナイフを心臓に突き立てられた状態で発見される。しかも、上田の泊まっていた部屋は内側から鍵が掛けられており、完全な密室だった。さらに不思議なことに、骨董品室にあるはずのゴーレム人形が手足と首をバラバラにされた状態で雪の上に横たわっていたのだ。警察が呼ばれ、刑事たちは泊まり込みで捜査にあたるが、今度は菊岡社長の刺殺死体が地下の密室で発見され.......。
◆◆◆◆◆◆
従来の一族ものミステリーから脱却し、館を完全に主役にした作品です。館そのものを用いたトリックは前代未聞気宇壮大で多くの人が驚いたことでしょう。ただし、そのトリックは現実味に乏しく説得力に欠けるという問題があります。それを許容できるかどうかが評価の分れ目です。とはいえ、本作は決して荒唐無稽な一発ネタに頼っただけの作品ではありません。メイントリックを支える数々のサブトリックや物語を盛り上げる細やかな演出によってミステリーとしての説得力を高めています。それに加え、名探偵・御手洗潔の奇人ぶりがシリーズ中最も顕著に描かれている点が探偵小説としての味わいを深めています。メイントリックの好き嫌いを別にすれば、欠点は犯人に意外性がないことぐらいでしょうか。古き良き時代の探偵小説の香りを放ちつつも新しい時代の到来を予感させる、館ものミステリーの大傑作です。


1987年(昭和62年)

十角館の殺人(綾辻行人)
大分県K大学の推理小説研究会メンバー7人は角島と呼ばれる孤島を訪れる。その目的はこの島で半年前に起きた凄惨な殺人事件の調査をすることにあった。当時角島には建築家の中村青司と妻の和枝が住んでいたのだが、自宅が突如全焼し、焼け跡からは中村夫妻と使用人2人の他殺死体が発見されたのだ。ちなみに、その日島を訪れていたはずの庭師の姿はなく、そのまま行方知れずとなる。さらに、和枝の遺体から左手首が切り取られ、何者かによって持ち去られていた。島に到着した研究会一行は中村青司が設計した十角形の塔・通称十角館に入り、部屋割りを決める。その後、島の調査を始めるも、めぼしい手掛かりは得られなかった。一方、推理小説研究会の元会員・江南孝明は推理小説研究会の新年会において中村千織が急性アルコール中毒で急死した事件の真相を告発する怪文書を送りつけられていた。彼は事実関係を確認するために千織の唯一の肉親であり、同時に中村青司の弟でもある中村紅次郎を訪ねる。そこで、紅次郎の大学の後輩・島田潔に出会い、一連の事件の真相を一緒に探ろうという話になる。その頃、研究会メンバーのいる十角館では恐るべき連続殺人が発生し......。
◆◆◆◆◆◆
本作は新本格ブームを巻き起こし、日本のミステリーシーンを大きく変えていくきっかけとなった記念碑的名作であると同時に、館ものミステリーの概念を変容させた作品としても知られています。まず、それぞれ個別のジャンルであった館ものミステリーとクローズドサークルの融合が進み、しばしばセットで語られるようになったのはこの作品がきっかけです。また、それまで単なる舞台装置にすぎなかった館そのものの存在感が一気に高まってきたのも本作以降です。同時に、いわくありげな一族の相克といった要素は決して消失するわけではありませんが、絶対的な要件ではなくなっていきます。なにより、館ものミステリー&クローズドサークルの爆発的な増加は本作が新本格ブームの端緒となったからこそです。以上のように、『十角館の殺人』はさまざまな意味でエポックメイキング的な作品だったのです。もちろん、そういった歴史的意義などとは関係なく、あの衝撃の一行をはじめとして純粋に本格ミステリとして優れていることはいうまでもありません。
1988年(昭和63年)

水車館の殺人(綾辻行人)
幻想画家の藤沼一成は一代で莫大な財を成すも、その一人息子である藤沼紀一は事故で手足と顔に大けがを負い、父の遺産で建てた「水車館」と呼ばれる屋敷に引きこもってしまう。孤独に暮らす紀一だったが一年に一度だけ来客たちが訪れる。父の絵を見るためだ。だが、一年前に2人が死に、1人が行方不明になるという事件が発生する。その事件に疑問を持った島田は常連客に混じって絵の見学に参加していた。彼は一年前の事件について検証していくもその夜、新たな事件が起き......。
◆◆◆◆◆◆
『十角館の殺人』で新しい館ものミステリーの形を提示してみせた綾辻行人ですが、本作では大きく後退し、古典的な昭和型へと回帰しています。メイントリックも同じく非常に古典的なものであり、ミステリーをある程度読んでいる人ならすぐにピンとくるレベルです。他にもサブトリックがいくつかありますが、どれもパッとしません。しかし、仮面の男、幽閉された美少女、怪しげな執事や家政婦などといった要素を散りばめたクラシカルな雰囲気には捨てがたい魅力があります。謎解きのわかりやすさには目をつぶり、館ものミステリーとしての芳醇な香りを楽みたい作品です。


迷路館の殺人(綾辻行人)
夏風邪をこじらせて寝込んでいた島田のもとに一冊の本が送られてくる。あとがきによれば、これは実際に起きた殺人事件を題材としたものであり、著者自身もこの事件に関わっているというのだ。物語は、隠居したミステリー作家・宮垣葉太郎のパーティに招待された弟子や身内が迷路館と呼ばれる彼の邸宅に向かうところから始まる。ところが、迷路館に集まった彼らが宮垣の秘書から聞かされたのは、彼が自殺した事実だった。しかも、遺言状には遺産の半分を4人の弟子の一人に贈ると書かれているという。ちなみに、相続人を決めるプロセスは「5日間は迷路館にとどまり、その間に原稿用紙百枚からなる短編ミステリーを書くこと」「小説の内容は迷路館を舞台とし、登場人物はパーティー参加者のみで被害者は作者自身でなければならない」「そのうえで、他のパーティ参加者に審査をしてもらい、宮垣葉太郎の後継者にふさわしい者を決める」というものだった。多額の遺産に目がくらんだ作家たちは各々執筆を始めるが、彼らは自ら書いた小説の通りに殺されていき......。
◆◆◆◆◆◆
館シリーズ第3弾。地下迷宮のような迷路館の構造と被害者が書いた作中作を全編に挿入していくという構成、さらには莫大な遺産を巡って推理小説で競い合うという展開も相俟って、シリーズ中でも特に現実感に乏しい作品となっています。そのため、物語に入り込みずらいと感じる人も少なくないでしょう。一方で、ダイイングメッセージや密室殺人をはじめとしてさまざまなガジェットを詰め込んだつくりは、本格マニアにとってたまらないものがあります。なにより、作中作の入れ子構造を利用した多段階のどんでん返しが見事です。その他のサブトリックもよく考えられていますし、パズラーとしてはかなり高いレベルにあるといえるでしょう。ただ、首切りの理由と犯人特定のロジックに関してはいささか無理があるようにも思えます。また、叙述トリックがアンフェアだと感じる人がいるかもしれません。その辺りが好みを分けそうです。


1989年(昭和64年)

十字屋敷のピエロ(東野圭吾)
十字屋敷と呼ばれる館には竹宮産業創設者の一家が暮していた。しかし、ある夜、2代目社長の竹宮頼子がバルコニーから飛び降りて自殺する。その瞬間を竹宮家に持ち込まれたピエロ人形だけが目撃していた。そして、頼子の四十九日に彼女の姪である竹宮水穂が十字屋敷を訪れる。母の琴子から「頼子の死の真相を探ってほしい」と頼まれたからだ。しかし、そこにピエロ人形を作った人形師の息子・ 悟浄が現れ、「あのピエロは持ち主に不幸をもたらす悲劇のピエロだから買い取らせてほしい」と持ちかけられる。しかし、ピエロの所有者である頼子の夫・竹宮宗彦は墓参りに出掛けていたため、出直してもらうことになった。その夜、宗彦が刺殺されるのをピエロ人形だけが目撃する。しかも、翌朝には宗彦だけでなく、不倫相手の秘書・三田理恵子も彼と並んで刺殺死体として発見されたのだ。警察は現場の状況から外部犯説へと傾いていくが、竹宮家の人間にはみな宗彦を殺す動機を有しており.......。
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オーソドックスな館ものミステリーにピエロ人形の視点を加えることで一種異様なムードを醸し出すことに成功しています。しかも、ピエロ人形の目を通すことによって真相をミスリードしていく手管が見事です。また、十字屋敷の構造を活かしたトリックもシンプルながらよく考えられています。二転三転する展開も読み応え満点で引き込まれていきます。ただ、惜しいのは登場人物がテンプレすぎて印象が薄いうえに館ものミステリーとしての演出も非常に弱い点です。ひとことでいえばハッタリ不足です。結果、物語として平板な印象を与えてしまっており、新本格に慣れ親しんでいる読者にとってはいまひとつパンチが弱いものとなっています。強いていうなら、昭和型館ものミステリーと平成型館ものミステリーの過渡期的な作品といったところでしょうか。
十字屋敷のピエロ (講談社文庫)
東野 圭吾
講談社
1992-02-04





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最新更新日2021/05/12☆☆☆

Next⇒エンタメ職人!ディーン・クーンツ作品ガイド【90~00年代編】

80年代後半から90年代前半にかけてモダンホラーブームというものがありました。古びた洋館や幽霊船などを舞台にしたクラッシックな怪奇小説の殻を破り、現代社会の闇や現代人の日常に忍び寄る恐怖といった、より身近に感じられるテーマを積極的に取り入れた新世代型欧米ホラーが人気を博したのです。その際にさまざまな海外ホラー作家が紹介されていきましたが、その中でも2大巨頭というべき存在がスティーブン・キングとディーン・R・クーンツです。しかし、キングはいまや巨匠の名を不動のものにしているのに対し、クーンツは新刊の翻訳自体は続いているものの、21世紀に入って以降、存在感はすっかり希薄なものになってしまいました(もっとも世界的には21世紀以降も依然人気作家であり続け、アメリカの作家の中でもトップクラスの収入額を誇っていますが)。今ではクーンツ自体を知らないという人も多いのではないでしょうか。そこで、どういった作品があるのかを知ってもらうために、150作近い著作の中から邦訳されているものを紹介していきます。まずは自分のスタイルを模索して試行錯誤を続けていた70年代と、スタイルが完成して怒涛の快進撃を続けた80年代の作品です。なお、その中でも特におすすめの作品はタイトルの右側に『※オススメ!』と表記しておくので参考にしてください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

1970年代

人類狩り(1970) 
人類は爬虫類型エイリアンとの星間戦争に敗れ、地球は焦土と化す。人類掃討作戦が開始され、エイリアンの部隊長フランも地球に降り立った。ところが、そこで怪我を負った人間の子どもと遭遇し、思わずその子を救ってしまう。裏切り者の烙印を押されたフランは少年・レオと共に逃亡を続けるが......。
◆◆◆◆◆◆
1968年に『スタークエスト』でデビューしたクーンツの作品群の中でも最初期にあたる作品です。もともとは『ビーストチャイルド』のタイトルで出版されていたのですが、それを改稿のうえで改題したのが本作です。侵略者である宇宙人が主人公という点では異色といえるかもしれませんが、全体的には昔懐かしい古典SFの味わいがあります。まだ、ホラー作家としての地位を確立する前の作品であり、物語としてやや淡白な点が物足りなくはあります。しかし、クーンツ独自のテンポの良さや映像的な文章はすでにこのころから顕著です。著者ならではの人情話の要素も盛り込まれており、ベストセラー作家としてブレイクする下地ができてきているのを感じさせてくれます。本作自体はまだまだ習作といった感じですが、クーンツの原点を知るには絶好の書といえるのではないでしょうか。
人類狩り (創元SF文庫)
ディーン・R. クーンツ
東京創元社
1997-11T


夜の終わりに(1972)
ベンジャミン・チェイスはベトナムからの帰還兵。戦地での功績によって英雄と称えられていたが、戦場での経験は彼の心に深い傷を刻み込んでいた。ある日、彼は公園でアベックが標的の殺人事件に遭遇し、犯行を妨害したことで逆恨みした犯人に狙われることになる。チェイスはわずかな手掛かりを元に犯人の正体を突き止めようとするが.......。
◆◆◆◆◆◆
クーンツが25歳のときに発表したサスペンスミステリーです。クーンツらしくツボを抑えた展開でそつなくまとめられているものの、手に汗握る展開も驚きのどんでん返しといったものも特になく、全体的にあっさりとしすぎています。ベトナム帰還兵の問題を扱った最初期の作品という評価をされることもありますが、それに関しても内容的には特筆すべきほどのものではありません。ブレイク前のいかにも若書きといった感じの作品です。
夜の終りに (扶桑社ミステリー)
ディーン・R. クーンツ
扶桑社
1989-06-01


デモン・シード(1973) 
科学者のアレックス・ハリスは自らの力で細胞分裂をし、自己増殖が可能な人口知能・プロテウス4を開発する。だが、プロテウス4はいつしか自意識に目覚め、次第にハリスの指示に従わなくなる。一方、ハリスの妻であるスーザンは研究に没頭する夫とは疎遠になっていた。プロテウス4はそんなスーザンに目を付け、彼女を屋敷に監禁する。プロテウス4の目的は彼女に自分の子どもを産ませることだったのだが......。
◆◆◆◆◆◆
発売当初はそれほど反響があったわけではないのですが、1977年に映画化されたことにより、200万部の大ベストセラーとなった作品です。物語は一種の監禁サスペンスですが、犯人がAIでしかも目的が自分の子供を産ませるためというものが意表をついています。ただ、プロテウス4の思考があまりにも人間的(AIというよりただのストーカー男のようです)なので、未知の存在に襲われる恐怖はあまり感じませんし、SFらしい雰囲気も希薄です。テンポが良くて一気読みしてしまうだけの面白さはあるものの、俗っぽすぎてあとに残るものがあまりありません。ちなみに、本作に限らず、俗っぽすぎて深みがないという批判はその後のクーンツ作品にもずっと付きまとい続けることになります。なお、本作は当初『悪魔の種子』の邦題で発売されていましたが、映画公開に合わせて『デモン・シード』に改題されており、さらに、大幅改訂を行って90年代に再発売された完全版も存在します。
デモン・シード (集英社文庫)
ディーン クーンツ
集英社
1988-05T
デモン・シード 完全版 (創元SF文庫)
ディーン クーンツ
東京創元社
2000-07T


ストーカー(1973) 
アレックスは愛車のサンダーバードに乗り込み、11歳になる義弟のコリントともに新妻の待つサンフランシスコに向けてアメリカ大陸横断の旅にでる。ところが、1台のバンが執拗に彼らの後をつけてくるのだった。クルマに心当たりのない2人はそれを不気味に感じる。そして、真夜中のホテルでクルマの運転手らしき男に襲われるのだが........。
◆◆◆◆◆◆
もともと『狂った追走』の邦題で発売されていたものを改題したものです。1台のクルマに追い回されるというストーリーは1971年にテレビ映画として製作されたスピルバーグ監督の『激突!』を彷彿とさせます。しかし、本作の方は早々と犯人の正体がわかってしまうので、あちらほどの不気味さはありません。例によってそつなくまとめられているものの、全体的にあっさり風味で今一つ物足りないといった感じです。ただ、主人公がヒッピーっぽい恰好をしているので誰からも助けてもらえず、窮地に陥っていく展開はアメリカの世相を反映していて興味深いものがあります。それでも、トータル的には凡作の域を出ていないことは否めないところです。
ストーカー (創元推理文庫)
ディーン・R. クーンツ
東京創元社
1999-02T
狂った追走 (創元推理文庫)
ディーン・R. クーンツ
東京創元社
1986-06T


逃切(1974)
競馬界に恨みを持つ元調教師のギャリスンは各分野のエキスパートを集め、復讐計画を開始する。センチュリーオークス競馬場の金庫に眠る200万ドルを強奪しようというのだ。一方、競馬場の守り手である支配人のキリガンや警備員のクーパーは、廃棄業者のストによる馬糞処理問題や詐欺事件の捜査などで忙殺されていた。やがて、襲撃計画を実行する日がやってくるが........。
◆◆◆◆◆◆
表紙やタイトルは競馬ミステリーの第一人者として60~70年代にかけて絶大な人気を誇っていたディック・フランシスの作品のようです。しかし、フランシス作品のような繊細な人物描写はなく、アクの強い登場人物が次々と登場するものの、一人一人の描き込みが薄いという問題があります。その結果、全体的に散漫で物語の焦点がぼやけている印象です。また、競馬ネタをこれでもかというぐらいに詰め込んでいる点は大いに楽しめるのですが、肝心の現金強奪計画は大掛かりな割に仕掛けとしては凡庸なので物足りないものがあります。魅力的な要素も多々見受けられるものの、まだまだ習作の域を脱していないという印象です。
逃切 (創元推理文庫)
ディーン・R. クーンツ
東京創元社
1999-02T


殺人プログラミング(1976)
ペンタゴンの研究員・ソールズベリは視覚プログラムと薬剤を使って人を自在に操る研究を進めていた。そして、彼はその研究の成果を確かめるべく、スポンサーである大富豪と共謀し、人口400人の田舎町・ブラックリヴァーで人体実験を始めるのだった。実験は成功し、村人たちは彼のいいなりとなる。しかし、そのとき休暇で訪れた親子3人が村の異常に気付く。彼らは洗脳を免れた数人の村人たちと合流し、陰謀に立ち向かおうとするが......。
◆◆◆◆◆◆
当時恐るべき洗脳方法だと信じられていたサブリミナル効果を設定に持ち込んだパニックサスペンスです。田舎の村をまるごと人体実験の実験場にするというスケールの大きな物語が語られていますが、肝心のサスペンスがいま一つ盛り上がりません。ご都合主義が目につき、緊迫感が伝わってこないのです。畳み掛けるテンポの良さは悪くないものの、底の浅いストーリー展開はいかんともしがたいものがあります。サブリミナル効果自体が現代ではエセ科学と位置付けられてしまっているのも痛いところです。
殺人プログラミング (光文社文庫―海外シリーズ)
ディーン・R・クーンツ
光文社
1989-03T


アイスバウンド(1976)
深刻の度合いを増す水不足に対し、アメリカ政府は北極の氷山を曳航して使用するという計画を立案し、遠征隊を派遣させる。だが、彼らの前には嵐、津波、海底爆発と次々と危機が襲いかかる。そして、曳航途中の氷山はコントロールを失い、8人の隊員を乗せたまま漂流を始めるのだった。
◆◆◆◆◆◆
クーンツとしては珍しい海洋冒険小説です。設定てんこ盛りなうえに次々とピンチに見舞われ、読者を飽きさせないサービス精神はさすがです。ただ、その一方で、ディテールの描き込み不足のせいで登場人物が皆類型的であり、その言動にも底の浅さを感じてしまいます。プロットは凝っているのですが、冒険小説には必要不可欠な臨場感が圧倒的に不足しているのです。そのため、どんなにピンチになっても手に汗握るところまでは至らないのが惜しまれます。ちなみに、日本で発売されているものは1976年に『Prison of Ice』のタイトルで発表したものを1995年に改定したバージョンです。
アイスバウンド (文春文庫)
ディーン クーンツ
文藝春秋
1997-04T


悪魔は夜はばたく(1977)
霊能力者のメアリーは殺人鬼が殺人を起こす瞬間を幻視できる能力を有していた。しかし、その能力によって追いつめられた犯人は警官に撃たれ、息を引き取る直前に「メアリー・バーゲンが....」という言葉を漏らす。犯人はなぜ知り得るはずのないその名を口にしたのか?それはさらなる大量殺人への予兆だった.......。
◆◆◆◆◆◆
ホラー小説をベースとしながらも大胆なジャンルミックスを行い、一大エンタメ小説を創り上げるというクーンツの基本パターンを完成させたことで知られている作品です。そして、本作では幻視やポルターガイストといったオカルト要素とフーダニットを基調としたサスペンスミステリーをミックスしています。そのため、見所満載でエンタメ小説としては非常に楽しめる作りに仕上がっています。ただ、ミスリードがあまりにもあからさまなので真犯人がすぐに予想がついてしまうのが難点だといえるでしょう。散りばめられた伏線も回収し切れておらず、ミステリーとしては決してレベルが高いとはいえません。それでも、話のテンポが良くて読んでいる間は十分な面白さを提供してくれる点はさすがです。
悪魔は夜はばたく (創元推理文庫)
ディーン・R. クーンツ
東京創元社
1999-02T


マンハッタン魔の北壁(1977)※オススメ!
世界的な登山家であるグレアム・ハリスは転落事故により、足に再起不能の怪我を負ってしまう。その代わりに、透視能力を身に付けるのだが、意図的になんでも透視できるというわけではなく、勝手にビジョンが脳内に浮かび上がってしまうという代物だった。そして、テレビ出演中に殺人鬼の犯行現場を透視してしまう。それを知った殺人鬼ボリンジャーはグレアムを次なる標的に定める。まず、記録的な暴風雪が吹き荒れる夜に彼のいるビルに赴き、ビル内に残っていた警備員とビジネスマンを殺害。その後、グレアムと彼の恋人がいる40階へと向かい始める。一方、異変に気付いた2人はビルから脱出しようとするが、ボリンジャーによって逃走経路をすべて封鎖されてしまう。果たしてグレアムたちはこの窮地から生還することができるのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
クーンツが作家として一皮むけたと評されることが多い作品です。王道すぎて先の展開が読みやすいのは難ですが、主人公がトラウマを抱えた元登山家という設定がうまく活かされており、事件を通しての成長物語として読み応えがあります。一方、殺人鬼の禍々しいキャラクターもインパクトがあり、サスペンスを大いに盛り上げてくれます。それに、マンハッタンの高層ビルを山脈の絶壁に見立てたアイディアが秀逸です。軽快なテンポで物語が進み、サイコホラー的な恐怖よりもエンタメ小説のワクワク感が全面に押し出されている点は好みが分かれるものの、本作によってクーンツの作風は一気に完成形へと近づいていきます。なお、本作は1990年にCBSによるテレビ映画が製作され、日本でも翌年に『処刑ハンター』のタイトルでビデオソフトが発売されています。
マンハッタン魔の北壁 (角川ホラー文庫)
ディーン・R・クーンツ
角川書店
1993-04T


真夜中への鍵(1979)
京都でナイトクラブを営んでいるジョアンナは鋼鉄の手を持つ男に襲われる悪夢に悩まされていた。一方、休暇旅行で京都に訪れていた私立探偵のアレックスはジョアンナを見て驚く。彼女は数年前に捜索を依頼されて結局見つけることができなかった上院議員の娘だったからだ。しかも、ジョアンナは過去の記憶を操作されていた。果たしてその背後に潜む陰謀とは?
◆◆◆◆◆◆
京都を舞台にした作品ですが、ハリウッド映画でトンデモ日本描写が当たり前だった時代において、日本で暮らしていたわけでもないのにかなり正確に京都を描けている点に感心させられます。ただ、肝心のストーリーは今一つの出来です。テンポ良く飽きさせない展開はさすがクーンツといったところですが、全体的に安っぽく、サスペンスミステリーとして特筆すべき点もありません。やはりクーンツはミステリーよりもホラー向きの作家だという感じがします。
真夜中への鍵 (創元推理文庫)
ディーン クーンツ
東京創元社
2001-01T


1980年代

ファンハウス(1980)
1955年。抑圧的な両親に育てられたエレンは移動遊園地の中にあるお化け屋敷・ファンハウスのオーナーであるコンラッドと出会い、恋に落ちる。両親を捨ててコンラッドと結婚したエレンだが、今度はコンラッドから暴力を受け、生まれてきた子供も障害を負って怪物のような姿をしていた。自分の不遇な身の上に対する怒りをわが子に向けるようになったエレンはある夜、赤ん坊を殺してしまうのだった。怒り狂ったコンラッドに追い出されたエレンはその後忌まわしい過去を隠して別の男と結婚する。それから20年以上の月日が過ぎ、エレンの住む町にカーニバルがやってきた。そのなかにはあのコンラッドの姿もあった......。
◆◆◆◆◆◆
本作はトビー・フーパー監督のホラー映画『ファンハウス/惨劇の館』のノベライズなのですが、映画の製作が遅れたため、公開よりも1年も早く出版されています。しかも、内容が映画とは全くの別物です。映画はカーニバルのお化け屋敷に入った若者たちが殺人鬼に襲われる話なのですが、小説ではその部分は最終章でサクッと語られるのみです。代わりに、映画では端役に過ぎなかったエレン(映画の主人公はエレンの娘)の物語に大部分を割いています。そのため、惨劇が起こるまでの背景がじっくりと描かれることになり、物語に厚みを持たせることに成功しています。陰惨な過去の因縁や母親となったヒロインの葛藤なども読み応えありです。映画版が好きな人は補完的な意味で読んでみるのも良いのではないでしょうか。ただ、プロローグをじっくりと描いているのに対して、惨劇の部分があっけなく、取ってつけたような感じなのが残念です。本作を読んでその部分が物足りなかった人はそれを補完するために、映画版を観賞するというのも一つの手です。
ファンハウス (扶桑社ミステリー)
風間 賢二
扶桑社
1990-09T


ウィスパーズ(1980)※オススメ!
ハリウッドで新進気鋭の脚本家として成功を収めたヒラリー・トーマスは幼い頃にアル中の両親から受けたDVが原因で人付き合いが苦手な性格になっていた。そのため、豪邸に籠り、親しい人間を作らないように気をつけていたのだが、ある日、ナイフを手にした暴漢の侵入を許してしまう。あわや強姦殺人の被害者になりかけたところで、拳銃を手にしたヒラリーは何とか暴漢を撃退することに成功する。暴漢の正体は以前取材で一度だけ会ったことのあるワイナリー経営者のブルーノ・フライだった。すぐさま警察に通報するヒラリーだったが、刑事が確認したところ、ブルーノにはアリバイがあった。警察はヒラリーの狂言だと決めつけ、護身用の拳銃まで奪われてしまう。そして数日後、ブルーノが再度彼女の家に侵入してきた。死に物狂いで反撃し、ヒラリーはブルーノを逆に刺し殺す。これですべてが終わったはずだったのだが、本当の悪夢はこれからだった。なんとブルーノが三度彼女の前に現れたのだ.....。
◆◆◆◆◆◆
アローン・ウルフ、ジョン・ヒル、レイ・ニコルズ、オーヴェン・ウエストなどなど。10以上のペンネームを使い分けながら、さまざまなジャンルの作品を書きまくっていたクーンツは、どの作品も一定のクオリティはキープしていたものの、突き抜けたものがなく、器用貧乏という印象を拭えませんでした。そんなイメージを払拭し、作家として確固たる地位を築いたのが本作です。これまでの作品と比べると抜群の面白さと完成度を誇っており、最初から最後まで手に汗握る展開が続きます。サスペンスミステリー、ホラー、ラブロマンスといったあらゆるエンタメ要素が極めて高いレベルで融合しています。前半のサイコサスペンスな物語だけでも十分面白いのにそこから二転三転していくのが見事です。後半になるにつれてテンポが上がっていくのはまるでジェットコースタームービーのごとくでページをめくる手が止まらなくなり、やがて衝撃的なウイスパーの正体に驚くことになります。ラストがややあっけない点に物足りなさを感じるかもしれませんが、それ以外はほぼ完璧といっていいエンタメ小説の大傑作です。本作の成功を契機にクーンツは押しも押されぬ人気作家となっていきます。ちなみに、本作は1989年に映画化されていますが、そちらの方は日本では劇場未公開のうえに駄作の烙印を押されているのであまりおすすめできません。


呪われた少女(1981)
精神科医のキャロル・トレーシーは降りしきる雨の中、突如現れた金髪の少女を轢いてしまう。外傷はなかったものの、彼女は記憶を失っていた。ちょうど養子縁組の話が流れた直後だったこともあり、キャロルは少女を引き取り、記憶を取り戻すための睡眠療法を施していく。ところが、その直後からキャロルは悪夢や奇妙な現象に悩まされるようになる。突如起こるポルターガイストに凶暴化する猫。どうやらそれらは少女に原因があるらしい。彼女は一体何者なのか?
◆◆◆◆◆◆
さまざまな怪奇現象が起こり、軽快なテンポでサスペンスを盛り上げていくのはいつものクーンツですが、一つ一つの描写があっさりしすぎてやや物足りないものがあります。展開そのものもお約束通りで意外性などは皆無です。邪悪なる存在として登場する敵のスケールの小ささも気になりますし、最後も尻切れトンボであっけなさを感じます。クーンツの職人芸的なうまさは随所に見られるものの、突出したものがなく、全体的には凡庸な作品だといえます。
呪われた少女 (扶桑社ミステリー)
Dean R Koontz
扶桑社
1990-04-01


闇の眼(1981)
雪の降り積もったシエラ山中でボーイスカウトを乗せたバスが転落し、全員が死亡してしまう。その事故から1年。未だに息子の死を受け入れられないティナの周辺で奇怪な出来事が起き始める。誰もいないはずの子供部屋が荒らされ、黒板には「シンデハイナイ」との殴り書き。そして、コンピューターの画面に「ココカラダシテ」というメッセージが浮かび上がったのだ。果たしてティナの息子は生きているのか?思いつめた彼女は遺体の発掘を弁護士に相談するが......。
◆◆◆◆◆◆
武漢が発生源といわれる新型コロナの流行を予言していたと喧伝された作品ですが、本作は超常現象ものでパンデミックとは全くなんの関係もありません。単に武漢には恐ろしげなウイルス研究所があることを言及しているだけです。しかも、もともとはソ連の研究所という設定だったのが改訂版を出す際に、ソ連崩壊に合わせて武漢に書きなおしたという経緯があります。したがって、本作を予言書と思って読むとひどくがっかりすることになります。それではホラー小説としてはどうかというとこれもパッとしません。怪奇現象の裏には国際的な陰謀があり、ヒロインを助ける元凄腕工作員などが登場するのですが、どれもこれもどうにも安っぽいのです。ひと山いくらの駄菓子のようなお手軽サスペンスといった感じです。しかし、最初からB級だと割り切っていれば、サクサク読める娯楽作品として気軽に楽しむことができます。ラストが投げやり的に終わるのも相変わらずですが、暇つぶしには最適の一冊です。
闇の眼 (光文社文庫)
ディーン R.クーンツ
光文社
1990-06-20


ベストセラー小説の書き方(1981)
クーンツが売れっ子作家としての地位を確立した時期に発表した作家になるためのハウツー本です。しかも、専門用語などを並べたりせず、噛み砕いた言葉で非常にわかりやすく説いているのがいかにもクーンツです。本書の内容を簡単にまとめると、とにかく本をたくさん読んで書きまくれということに尽きます。そして、そのうえで、読者が何を読みたいかを意識して、綿密なプロットを考えていくことが大切だと主張しています。ちなみに、一時期クーンツのライバルと目されていたスティーブン・キングは自著の『書くことについて』でこれとは全く異なることを主張しているので読み比べてみるのも一興ではないでしょうか。たとえば、クーンツの作品はハッピーエンドが多く、本書でも「読者はハッピーエンドを好む」と主張しているのに対して、キングの作品はビターエンドが多いのも好対照です。日本人がハウツー本として読むには実例として挙げている海外作品が馴染みが薄くて時代遅れのものが多いのでピンとこないという難点があります。しかし、熱量の高さはビンビン伝わってきますし、作家・クーンツの人となりを知るには絶好の書だといえます。
ベストセラー小説の書き方 (朝日文庫)
ディーン・R. クーンツ
朝日新聞社
1996-07-01


雷鳴の館(1982)13
スーザンは見知らぬ病室で目を覚ました。医師の話によると彼女は3週間前に交通事故で運び込まれ、そのままずっと昏睡状態にあったのだという。だが、彼女には交通事故を起こした記憶などなかった。しかも、自分のことは覚えているのに職場や同僚の名前だけが思い出せない。さらに、彼女は信じられないものを目にすることになる。13年前にボーイフレンドを殺した男たちが当時の若い姿のままで患者として入院していたのだ。そして、その後も怪異は起こり続ける。一体、彼女の身に何が起きたのか?
◆◆◆◆◆◆
次々と信じられないことが起きる悪夢のようなエピソードの積み重ねは読んでいてゾクゾクし、心霊ホラーとしての読み応えは申し分なしです。ところが、終盤になってストーリーは大きく動き始め、なんと心霊ホラーから謀略サスペンスへと反転していきます。実は物語全体に本格ミステリさながらのトリックが仕掛けられていたのです。このどんでん返しに素直に驚くか、バカバカしい茶番と感じるかで本作の評価は大きく変わってくるでしょう。良くも悪くも開いた口が塞がらない問題作です。
雷鳴の館 (扶桑社ミステリー)
Dean R. Koontz
扶桑社
1989-11-01


ファントム(1983)※オススメ!
小さな田舎町・スノーフィールドで医師をしているジェニーは妹と会うために町を離れ、姉妹で戻ってきて呆然とする。約500人が暮らしている町が人気のないゴーストタウンと化していたのだ。探索を続けるうちに異様な死体を何体か発見するものの、大部分の人間は行方不明のままだった。一方、サンタ・ミラの保安官、ブライスはジェミーからの通報を受け、部下を引き連れてスノーフィールドに向かう。だが、そんな彼らも正体不明の敵の前に次々と犠牲になっていく。政府は未知の伝染病を疑い、軍と科学者からなる調査団を派遣して町を封鎖するが.......。
◆◆◆◆◆◆
日本でクーンツブームを巻き起こすきっかけとなった作品です。1988年に邦訳されるとその面白さはたちまち評判となり、その後、次々とクーンツ作品が翻訳されることになります。ジャンル的には『遊星からの物体X』や『エイリアン』のようなモンスターホラーものなのですが、さまざまなアイディアを次々と投入して読者をぐいぐいと引き込んでいく手管が見事です。お得意のジェットコースター展開で読者を飽きさせませんし、生き残りを賭けての怪物との闘いは手に汗握ります。ただ、モンスターに人格を与えてしまったのは賛否がわかれるところです。知能が高いうえにかなり俗っぽい性格をしているために得体のしれない恐怖というものは途中から全く感じられなくなってしまいます。そのため、本作はホラーとしてではなく、SFスリラーとして読むのが正解だといえるでしょう。それから物語が予定調和に進む点についても物足りなさを感じる人もいるかもしれませんが、そういった部分が気にならないという人にとっては抜群の面白さを誇る傑作です。なお、本作は1998年に映画化されています。クーンツ自身が脚本・総指揮を手掛けた意欲作ですが、日本では全く話題にならず、出来の方も原作に比べると今一つのようです。


邪教集団トワイライトの追撃(1984)※オススメ!
母・クリスティーンと6歳になる息子のジョーイはカリフォルニアのコスタメサでショッピングを楽しんでいた。ところが、ショッピングセンターの駐車場で突然怪しげな老婆がまとわりついてきたのだ。その場は何とか逃れたものの、それからというもの、謎の狂信者たちによる脅迫が始まる。老婆は新興宗教・黄昏教団の教祖であり、ジョーイが悪魔が地上を支配するために送り込んだ反キリストの化身だと信じているのだ。クリスティーンは私立探偵のチャーリーに護衛を依頼するが、狂信者たちは追撃の手を緩めない。ジョーイの愛犬を殺し、ボディーガードに手をかけ、家まで焼き払って執拗に追ってくるのだった。説得も交渉もできない敵を撃退しながら、命がけの逃避行が続くが.....。
◆◆◆◆◆◆
冒頭からアクセル全開で読んでいて手に汗握ります。話自体は単に敵から逃げているだけなのですが、手を変え品を変え次々と新しいイベントが起きるのでぐいぐい引き込まれていくのです。逃げても逃げても的確に居場所を突き止め、執拗に追ってくる黄昏教団が怖すぎです。また、クーンツにしては珍しく、単純なハッピーエンドにはせず、含みを持たせた終わり方をしているところも独自の味わいがあります。ハッピーエンドが好きな人はすっきりしないかもしれませんが、クーンツのお約束的ハッピーエンドには飽きたという人にはおすすめです。なお、本作は『スティグマ 邪神降臨』というタイトルで1991年に映画化されています。


闇の殺戮(1984)
夜遅く、11歳のペニーは不審な物音に気付いて目を覚ます。すると、闇の向こうから不気味な目をした謎の生き物が群れをなして彼女を見つめていた。ペニーは恐怖に震え上がる。一方、ペニーの父親であるドーソン刑事は不可解な殺人事件の謎を追っていた。被害者はいずれも内部から鍵のかかった部屋で殺されており、体には無数の噛み跡がつけられていたのだ。一連の事件の裏にはブードゥ教の呪術師の影が.......。
◆◆◆◆◆◆
犯人をブードゥ教の呪術師にすることで刑事サスペンスものにホラーの要素を加えた、クーンツお得意のジャンルミックス作品です。しかも、相変わらず、見せ場の連続で息つく暇もありません。特に、ゴブリンたちが群れをなして教会を蹂躙するシーンは、ある意味痛快で大いに読み応えがあります。また、キリスト教とは対極をなすブードゥ教の倫理観も興味深いものがあります。異教に焦点を当てたなかなかユニークな作品です。ただ、全体的に伏線や布石が不足しており、話の流れが唐突で、物語としての説得力に欠けているのが惜しいところです。
闇の殺戮 (光文社文庫)
ディーン・R. クーンツ
光文社
1992-08T


12月の扉(1985)
雨に濡れる街角で全裸の少女が保護される。それは6年前に夫とともに行方不明になっていたローラの娘・メラニーだった。しかも、近くの家からは滅茶苦茶に破壊された実験室と男たちの死体が発見される。彼らはいずれもなんらかの力によって押し潰されており、その中にはローラの夫の姿もあった。愛する娘と再会を果たしたローラだったが、虚ろな目のまま口もきけない彼女を前にして途方に暮れてしまう。その夜、ひとりぼっちの病室でメラニーは避けぶ。「12月への扉が...だめえ!!」と。やがて、メラニーを追う謎の組織が現れ、母娘はダン刑事やボディーガードであるアルの助けを借りて逃走を続けるが......。
◆◆◆◆◆◆
全裸の少女と男たちの無惨な死体が発見される冒頭のシーンは大いに興味をそそられますが、クーンツにしては若干テンポが悪いのが気になるところです。また、登場人物がいつも以上にステレオタイプで今一つ魅力を感じませんし、怪物の正体が最初からみえみえの点も含め、お約束すぎる展開にも物足りなさを感じます。それでも後半になるにつれて次第にテンポアップし、しっかりと見せ場を作っている点はさすがクーンツです。その代わり、ラストが若干投げっぱなしになっているといういつもの悪癖もみられます。トータルすると可もなく不可もない平均的な作品といったところです。
12月の扉〈上〉 (創元ノヴェルズ)
ディーン・R. クーンツ
東京創元社
1989-03T


ストレンジャーズ(1986)※オススメ!
作家は夢遊病に苦しみ、医師はパニック症候群でキャリアを台無しにしかけ、元軍人は暗所恐怖症を発症する。別々の場所で無関係の人々が時を同じくして得体のしれない恐怖に襲われていた。実は彼らには一年前の夏にあるものを目撃したという共通点があり、その記憶はなんらかの力によって封印されていたのだ。そして、その事実が彼らをネバダ州のとあるモーテルへと導いていく。そこには人類の未来を左右しかねないある重要な秘密が隠されているのだが......。
◆◆◆◆◆◆
本作は本国アメリカで高い評価を受け、大ベストセラーとなります。すでに売れっ子作家であったクーンツですが、この作品を発表したことにより、押しも押されぬ一流作家の地位を確固たるものにしていったのです。そんな本作の魅力といえば、一つは謎が謎を呼ぶ展開です。何かとんでもないことが起こっているに違いないという不穏な空気にぐいぐいと引き込まれていきます。話の展開はいつものクーンツ作品に比べるとゆったりしているものの、いろいろな要素を詰め込んで飽きさせない作りになっています。まるでエンタメ作品のアイディア見本市のようです。特に、仲間が集結していくくだりなどは最高にワクワクします。ただ、そこからが尻すぼみで最後があっけなさすぎるのが少々物足りなくはあります。とはいえ、前半の大風呂敷を広げていくところだけでも十分すぎるほどの魅力がつまっており、全体として抜群の面白さを誇る作品であることには違いありません。
ストレンジャーズ〈上〉 (文春文庫)
ディーン R.クーンツ
文藝春秋
1991-08T


トワイライト・アイズ(1987)
17歳の少年・スリムは薄明眼〈トワイライトアイズ〉という能力の持ち主だった。そして、その能力を使えば、人間社会に溶け込んでいるゴブリンを見つけ出すことができる。ゴブリンは人に化け、人間を苦しめたうえで殺戮することに執念を燃やす邪悪な存在だ。ある日、スリムは義伯父に化けたゴブリンを倒してカーニバルの人ごみに逃げ込む。だが、ほっとしたのもつかの間、スリムは恐るべき事実に直面する。いつの間にか街がゴブリンの巣窟と化していたのだ。やがて、カーニバルとともに血も凍る惨劇が始まり.......。
◆◆◆◆◆◆
クーンツとしては珍しく、少年を語り手に配してノスタルジックな雰囲気の物語世界を構築しています。まるでスティーブン・キングの作品のようです。いつもの作風とのギャップに戸惑うものの、その陰鬱で切ないムードは決して悪くはありません。しかし、本作は2部構成になっており、第2部に入るといつものジェットコースターエンタメに早変わりしていきます。このギャップがなんともアンバランスな印象を与えてしまっています。ちなみに、第1部(1985)と第2部(1987)では発表時期に1年以上のブランクがあるのですが、その間に著者の心境に大きな変化があり、それが作風のズレにつながっているようです。いずれにしても第1部を堪能したあとでの第2部は蛇足としか思えず、全体の完成度を大きく落としてしまっている点が惜しまれます。
トワイライト・アイズ〈上〉 (角川文庫)
ディーン・R・クーンツ
角川書店
1996-08T


ウォッチャーズ(1987)※オススメ!
かつて特殊部隊に所属していたトラヴィスは愛する人たちが次々と非業の死を遂げていく現実に絶望し、孤独な隠棲生活を送っていた。ある日、彼が山を歩いていると一匹のゴールデンレトリバーに出会う。その犬は人懐っこそうではあったが、何かに怯えているようだった。トラヴィスは彼を家に連れて帰り、アインシュタインという名を与える。普通の犬とは異なる高い知性のようなものが感じられたからだ。実はアインシュタインはある研究所から逃げ出した実験体であり、高い知性は研究の成果だった。しかし、その研究に従事していた研究者たちは、殺し屋の手により次々と亡き者にされていく。国家安全保障局の人間が殺人鬼を追うが、脅威はそれだけではなかった。アウトサイダーと呼ばれるもう一匹の実験体がアインシュタインをつけ狙っていたのだ。巨大な猿のような醜い外見のアウトサイダーはアインシュタインを激しく憎悪しており、彼を亡き者にしようとしていた......。
◆◆◆◆◆◆
おそらく日本で最も愛されているクーンツ作品です。本作は一気に紹介されすぎた反動でクーンツ人気がやや下火になってきた1993年に邦訳されたのですが、アインシュタインの愛らしさが犬好きの日本人の琴線に触れ、発売されるや否やたちまち大きな評判を呼び起こすことになります。物語自体はいつものようにハリウッド映画のテンプレ作品のようでいささかマンネリ気味ではあるものの、本作にはそんなことが気にならないほどの魅力にあふれています。まず、主人公とトラウマを抱える女性とのお決まりのロマンスが描かれているのですが、それよりもむしろ、2人の仲を取り持とうとするアインシュタインの健気さがたまりません。ちなみに、アインシュタインは犬ではなく、人為的に創造された新種の生命体です。人の言葉を理解することができ、その高い知性に裏付けされたチャーミングさは読者の心をなごませてくれます。一方、忘れてはならないのが悪役であるアウトサイダーの存在です。徹底して邪悪に描かれながらも、生まれながらに背負わされた残酷な宿命と彼が抱える深い悲しみには思わず涙してしまいます。このアインシュタインとアウトサイダーのエピソードを交互に挿入することで物語にメリハリをつけているのが見事です。それに加え、ヒロインであるノーラがトラヴィスやアインシュタインたちに心を癒され、トラウマを克服していく成長物語としても読み応えがあります。「泣けるホラー」の看板に偽りなしの傑作です。なお、本作は1988年に『ウォッチャーズ 第三生命体』のタイトルで映画化されているものの、これは本作の基本設定だけを借りた別物です。主人公が少年に変更されていますし、出来自体もあまりよくありません。また、その続編もあるのですが、さらに原作からかけ離れたものになっています。スティーブン・キングとは異なり、つくづく映像化に恵まれていない作家です。
ウォッチャーズ〈上〉 (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
1993-06T


戦慄のシャドウファイア(1987)※オススメ!
エリック・リーベンは天才的な遺伝子工学の学者であり、その才能を活かして立ち上げたベンチャー企業で大成功を収めていた。その一方で、夫婦関係は完全に冷え込んでおり、妻のレイチェルとは離婚訴訟の真っ最中だった。レイチェルはエリックに対し、慰謝料はいらないので早く別れたいという。プライドを傷つけられて憤慨したエリックは不用意に車道に飛び出し、車に轢かれてあっけなく死んでしまう。だが、事態はこれで終わりではなかった。エリックの遺体が死体公示所から忽然と姿をけしたのだ。レイチェルはある可能性に思い当たり、慄然とする。彼女は恋人のベンとともに調査を開始するが、彼らの前に謎の追手が立ちふさがり........。
◆◆◆◆◆◆
1989年に翻訳され、日本でのクーンツ人気を決定付けた作品です。内容はB級モンスター映画そのものですが、圧倒的なスピード感と畳み掛ける怒涛の展開によってページをめくる手が止まらなくなってしまいます。クーンツの弱点である人物描写の薄っぺらさやリアリティの欠如も話が面白すぎて全く気になりません。衝撃的なオープニングから始まった物語は、死んだはずの夫が怪物となって追い掛けてくるというサスペンスフルな展開を経て、クライマックスまで一気に駆け抜けます。エンタメ職人の面目躍如というべき傑作です。
戦慄のシャドウファイア〈上〉 (扶桑社ミステリー)
ディーン・R. クーンツ
扶桑社
1989-05T


ライトニング(1988)※オススメ!
孤児院育ちのローラは守護天使によって守られていた。幼い頃からピンチに陥ると稲妻とともに金髪碧眼の青年が現れ、窮地を救ってくれたのだ。しかし、彼は天使などではなく、時間跳躍装置を用いて過去からやってきた人間だったのだ。果たして、彼の目的は?
◆◆◆◆◆◆
本作は80年代のクーンツ作品としては珍しくホラー要素が一切ありません。しかし、「究極の徹夜本!」というウリ文句の通り、読み始めるとぐいぐいと物語に引き込まれていきます。最初は天涯孤独の少女がいかにして未来を切り開いていくかという話が描かれており、孤児院での奮闘ぶりも読み応え十分です。そしてなんといっても、彼女が生死の淵に立たされると、閃光とともに守護天使が現れるという設定がぶっ飛びすぎて興味を掻き立てられます。そして、後半のとんでもない展開に驚かされることになるのです。凡百の作家がこれをやるとあまりの荒唐無稽さに本を投げ捨てられてしまうかもしれませんが、力技で納得させてしまうのがクーンツならではです。ただ、それでも気になる部分はいくつかあります。特別な能力があるわけでもないローラが強大な敵に対して無双しはじめるのは、やりすぎ感がないでもありませんし、SF的な設定もツッコミどころ満載です。しかし、本作はそうした粗を補ってあまりある面白さに満ちています。特に、ハリウッド大作やメロドラマといったものが好きな人にはおすすめの作品です。
新装版 ライトニング (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
2014-08-06


ミッドナイト(1989)※オススメ!
カリフォルニア北部に位置する美しい海辺の町ムーンライト・コーヴ。この町にはコンピューター会社を経営する天才学者トーマス・シャダックがいた。彼は新人類を創造し、新しい世界秩序を打ち立てようと企んでいた。そして、手始めにムーンライト・コーヴを掌中に収めようとする。町の住人たちを無感情のまま働き続ける労働マシーンに改造してしまうシャダック。しかし、そんな彼にも予想できなかった事態が発生する。改造した人類が次々と怪物の姿になり、人々を襲い始めたのだ。だが、計画の破綻を前にしてもシャダックは人類の改造を推し進めようとする。一方、町の異変を調査していたFBI捜査官は生き残った数少ない住人たちと共にシャダックの野望を打ち砕こうとするが......。
◆◆◆◆◆◆
マッドサイエンティストが創り出した怪物が登場するという極めて古典的な設定の作品ですが、それもそのはず、これは『ドクターモローの島』のオマージュなのです。しかし、物語の基本プロットはいつものクーンツです。四面楚歌の危機的状況で仲間たちが集結し、悪に立ち向かう展開はやはりワクワクするものがあります。心に傷を負った捜査官が困難を乗り越えて成長する描写も手慣れたものです。クーンツ節全開で上質なエンタメホラーに仕上がっています。ただ、終盤が駆け足で肩すかしを覚えてしまうのも相変わらずです。そうした物足りなさは若干あるものの、本作はクーンツが長年培ってきた技巧を存分に注ぎ込んだ良作だといえます。
ミッドナイト (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
1991-01T





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最新更新日2021/07/27☆☆☆

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勢いに任せて書きまくっていた感の強かったクーンツの作風も90年代に入ると変化が生じます。基本的な物語構造に大きな変化はないものの、熟練の味が増してそれまで顕著だったご都合主義的展開やリアリティの欠如といったものがあまり感じられなくなったのです。そのため、クーンツの作品は90年代以降のものが好きだという人も少なくありません。しかし、その一方で、細かい辻褄合わせなどは無視して怒涛のごとく突き進む80年代のパワフルな作風こそ至高だという人もいます。そこで、具体的にクーンツの作風がどのように変化していったのかをみるために、90年代と00年代の作品を紹介していきます。なお、その中でも特におすすめの作品はタイトルの右側に『※オススメ!』と表記しておくので参考にしてください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

バッド・プレース(1991)
路地裏で目を覚ましたフランク・ポラードはなぜ自分がこんなところにいるのかわからなかった。思わずパニック状態に陥るが、自分が何者かに追われていることだけは理解していた。本能的にこの場から去った方がいいと悟り、フランクは手元にあった旅行かばんを手に取ると路上に停めてあった車を盗んでこの場から立ち去ろうとする。そのとき、激しい閃光に襲われるものの、なんとか逃げおおすことに成功し、一息ついたフランクは鞄の中身を確認する。中には大量のドル紙幣と知らない名前の身分証が入っていた。そして、そのまま、モーテルに宿泊したフランクだったが、翌朝になると、シーツが血まみれになり、自分の手には黒い砂が握られていた。恐怖にかられたフランクは夫婦が営んでいる探偵社に依頼し、自分の身に何が起きているのかを調べてもらうことにするが.....。
◆◆◆◆◆◆
相変わらず、ホラーを軸としながらもミステリー、SF、ヒューマンドラマといった具合にさまざまな要素を詰め込んだ、これぞクーンツワールドといったごった煮エンターテイメントです。遺伝子改造のモンスター、宇宙人、超能力者たちが入り乱れ、ページをめくる手が止まらなくなります。B級感満載ではあるものの、謎めいた導入部で読者に興味を持たせ、後半に向かうにつれて加速していく展開はエンタメ小説のお手本だといえるでしょう。ただ、ワクワクする設定の割に謎解きメインでアクション要素が少なめな点とアンモラルな展開に関しては好みが分かれるかもしれません。多少のグロ要素くらいは大丈夫という人におすすめです。
バッド・プレース (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
1994-04T


コールド・ファイア(1992)
オレゴンでは酔っ払い運転の車に轢かれかけた少年を助け、モハーヴェ砂漠では誘拐犯から母娘を救出するなど、数カ月の間に12人の命を救った男は何者なのか?新聞記者のホリー・ソーンはその正体を探っていく。一方、その男・ジム・アイン・ハートは他人の危機を察知する能力を有しており、ひたすら人助けに奔走していた。果たして彼の能力は何によってもたらされているのか?
◆◆◆◆◆◆
謎めいた導入部から一気に引き込まれ、その後の謎解きと主人公の活躍を牽引力としたテンポの良い物語にぐいぐい引き込まれていきます。この辺りはクーンツならではの名人芸であり、抜群の面白さです。ただ、派手な展開の前半に対して後半がこじんまりまとまりすぎているきらいがあります。同時に、前半の圧倒的なエンタメ感に比べて後半がやたらと観念的なのも好みの分かれるところではないでしょうか。
コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
1996-08T


ハイダウェイ(1992)
5歳の息子を癌で亡くしたハッチとリンジーは失意の中にあった。しかも、不幸はさらに続く。雪山で車を走らせていた最中にスリップして谷底に落ちてしまったのだ。救急隊によって救出されたものの、ハッチはすでに息をしていなかった。彼は緊急蘇生プロジェクトが行われている病院に運ばれ、なんとか一命を取り戻す。だが、それ以降、ハッチは意味不明の悪夢に悩まされることになる。自分ではない誰かになり、見たこともない風景の中を進んでいる夢だ。それは、ハッチと同じく死の淵から蘇った人物と意識を共有しているために見た夢だった。しかも、その人物というのが稀代の殺人鬼で...。
◆◆◆◆◆◆
偶然意識がリンクしてしまった善良な男と殺人鬼の対決を描いたサスペンスホラーです。本作もやはり掴みが素晴らしく、ハッチと殺人鬼・ヴァサゴの意識がシンクロして恐怖を呼び起こす手管は見事としかいいようがありません。死体のオブジェを芸術作品に見立てる悪役の造形もインパクト大です。ただ、クライマックスの対決があまりにもあっけないのには拍子抜けしてしまいます。クーンツの良い面と悪い面が同時に出てしまった、竜頭蛇尾を絵に描いたような作品です。ちなみに本作は1995年に映画化されていますが、作品の出来も興行的にも今一つの結果に終わっています。
ハイダウェイ (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
1994-11T


ミスター・マーダー(1993)
マーティは売れっ子ミステリー作家であり、作中で大勢の人間を殺しているところから、マスコミの間ではミスターマーダーの名で親しまれていた。だが、素顔の彼は妻子を愛する家庭的な男だ。幸せに包まれていたマーティだったが、突然、記憶の欠落に悩まされることになる。そんなある日、家に帰ると、自分そっくりな男が待ち構えていた。男はマーティに対していう。「なぜおれの人生を盗んだ?」と。男の正体は殺し屋であり、マーティを殺すべく彼の家を訪れたのだ。しかし、どうして彼はマーティにそっくりで、どういうわけで彼を殺そうとしているのか?
◆◆◆◆◆◆
作家として成功した自分をもう一人の自分が殺しにやってくるというプロットはスティーヴン・キングが1989年に発表した『ダーク・ハーフ』にそっくりです。両者を比較した場合、深みという点ではキングに軍配が上がるものの、代わりにクーンツは追いつ追われつのサスペンスで物語を盛り上げていきます。しかも、テンポが良くてメリハリが効いており、最後まで読者を飽きさせないのはさすがの名人芸です。また、主人公がすべてにおいて小説思考なのに対して、殺し屋が映画思考という対比もユニークです。ただ、もう一人の自分の正体はSFとしては凡庸ですし、最後がやや呆気ないという弱点もいつもの通りなのは惜しいところです。なお、本作は1998年にテレビドラマのミニシリーズになっています。
ミスター・マーダー〈上〉 (文春文庫)
ディーン クーンツ
文藝春秋
1998-06T


ドラゴン・ティアーズ(1993)
優等生警官のハリー・リヨンとアウトローな女性警官コニー・ガリバーは特別プロジェクトに参加し、そこでコンビを組んでいた。ある日、2人がレストランで昼食をとっていたところ、突然ひとりの男が銃を乱射し始める。ハリーとコニーは協力して男を射殺し、一件落着かと思われた。だが、ときを同じくして、近隣で正体不明の怪物が出没し...。
◆◆◆◆◆◆
クーンツの諸作のなかでもとびっきりの難敵が登場します。その正体は超能力者なのですが、怪力の化物や無数の蛇を出現させられるうえに、時を止めてしまうこともできるのです。そんな敵が殺戮を繰り広げながら主人公たちに迫ってくるので手に汗握ります。また、犬が主人公たちと共に戦う展開は『ウォッチャーズ』ファンにとってはうれしいところではないでしょうか。ただ、敵の能力がなんでもありで、その限界がどこにあるのかが曖昧なために、相手を出し抜いて倒しても「その程度でやられてしまうの?」といった肩すかし感は拭えないところです。読んでいる間はそれなりに面白いものの、全体の粗さが気になります。
ドラゴン・ティアーズ〈上〉 (新潮文庫)
ディーン クーンツ
新潮社
1998-07T


ウインター・ムーン(1994)
LA市警に勤務するジャックは白昼の銃乱射事件に遭遇し、必死に応戦して犯人を射殺する。ジャックも負傷して入院するが、その間に家族が思わぬ災難に見舞われる。ジャックが射殺したのはカルト的な人気を誇るヤク中の映画監督であり、その死を悼むファンから、逆恨みによる嫌がらせを受けていたのだ。一方、家族を亡くして郊外の牧場でひっそりと余生を送るエドゥアルドは奇妙な現象に遭遇するが....。
◆◆◆◆◆◆
上巻では都会でジャック一家が体験するリアルな恐怖とエドゥアルドが体験する理解不能な超常現象が並行して語られ、一見無関係な2つの事件がどう繋がっていくのかという興味で読者を引き込んでいきます。そして、下巻で敵の正体が明らかになると怒涛の展開が始まり、ページをめくる手が止まらなくなります。まさにクーンツが得意とするジェットコースター展開そのものです。また、未知の敵が有する能力や生態の描写も興味深いものがあります。SFとホラーを巧みに融合した佳品だといえるでしょう。ただ、本作においても敵を強く設定した故に感じてしまう決着の呆気なさは相変わらずです。
ウィンター・ムーン〈上〉 (文春文庫)
ディーン・R. クーンツ
文藝春秋
1995-12T


心の昏き川(1994)
元ロサンジェルス市警の捜査官であり、顔に大きな傷を持つスペンサー・グラントは偶然立ち寄ったバーで出会ったヴァレリーという名の女に強く惹かれる。ところが、彼女の家を訪ねたところ、いきなり謎の集団による襲撃を受ける。彼らの正体はSWATであり、ヴァレリーはなんらかの理由で政府の特殊機関から追われていたのだ。スペンサーはSWATの追撃を振り切り、自身も追われる身となりながらヴァレリーを探す。一方、彼らを追う特殊機関工作員のロイには殺人鬼という裏の顔があり...。
◆◆◆◆◆◆
心に傷を持つ主人公が運命の女性と出会う物語ですが、政府特殊機関の要職に就いている悪役も運命の女性と出会い、最凶カップルが誕生するという展開がユニークです。核兵器を用いずに地球の人口を10分の1にするにはどうすればよいかについて真剣に語り合うカップルなど前代未聞ではないでしょうか。しかも、そんなカップルが国家権力を背景に追い掛けてくるのはなかなかの恐怖です。また、本作はいつものジェットコースターストーリーにくわえて、主人公やヒロインにも秘密の部分が多いという特徴があります。その秘密を徐々に明らかにすることにより、読者の興味をつないでいくことに成功しています。ただ、前半の主人公があまりにも陰気でストーカーじみている点については好みが分かれそうです。その代わり、後半に入ると主人公は快活さを取り戻し、それに歩調を合わせるかのように物語も盛り上がってきます。このあたりは手に汗握る面白さで、特にUFOやゴジラが登場する展開には驚かされます。なお、本作はクーンツ作品としては珍しく勧善懲悪の結末を迎えていません。そのことから、続編の構想があったのではとも考えられています。
心の昏き川 (上) (文春文庫)
ディーン・クーンツ
文藝春秋
1997-12T


インテンシティ(1995)
大学で心理学を学んでいるチーナは友人の実家に遊びに行き、その家族に歓迎される。そして、客室に泊まることになったのだが、朝早く、突如響き渡る悲鳴に目が覚める。何者かが部屋に近づく気配にとっさにベッドの下に隠れてやりすごすものの、その後他の部屋の様子を見にいくと、友人と彼女の両親は無惨に殺されていた。チーナは犯人のキャンピングカーに忍び込み、盗み聞いた発言から彼が少女を監禁している事実を知る。その少女を救いだそうと決意するチーナを乗せたキャンピングカーは、やがて、森の奥深くにある一軒家にたどり着くが...。
◆◆◆◆◆◆
陰謀、超常現象、モンスターなどといった要素がごった煮ないつものクーンツ作品に比べると、登場人物が少なくて話のスケールもかなり小さなものになっています。しかし、それでも冒頭でいきなり殺人鬼が現れて、急転直下の展開でぐいぐい読ませる手管はさすがだといえます。それに、サイコパスである犯人の不気味さもかなりなものです。ただ、いつもよりシンプルな話であるのに上下巻はいささか冗長すぎるような気がします。一冊にまとめた方が完成度は高くなったのではないでしょうか。なお、本作は1997年に『インテンシティ/緊迫』のタイトルでテレビ映画化されており、クーンツの映像化作品の中では出来は良い方です。
インテンシティ上
ディーン クーンツ
アカデミー出版
1999-03-20


チックタック(1996)
幼い頃に家族と共にベトナムからアメリカに亡命してきたトミーは、成功を夢見て下積み生活を続け、ようやく作家一本で食えるようになる。そして、晴れて会社を円満退職して帰宅すると、玄関前に手作りの人形が置かれていた。とりあえず人形を家に持ち込むも、突如その人形がトミーに襲いかかってくる。パソコンの画面には「デッドラインは夜明けまで」の文字。トミーは購入したばかりのコルヴェットに乗って逃げ出すが、人形は執拗に追いかけてくる。しかも、その姿は次第に巨大になっていくのだった。果たして、トミーは夜明けまで逃げ切ることができるのだろうか?
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本作はクーンツ作品では定番ともいえるモンスターからの逃走劇ですが、途中から登場するヒロインとの掛け合い漫才を基調としたコメディ作品となっている点が異彩を放っています。相変わらずのジェットコースター小説であるうえに、コメディタッチなのでいつも以上にさらっと読むことが出来ます。ただ、敵が強い割に最後が呆気ないのは相変わらずですし、コミカルな味付けをしすぎてホラーとしての怖さやサスペンスアクションとしての緊迫感が後退してしまったのも否定できないところです。決してつまらなくはないものの、人によって大きく好みの分かれそうな作品となっています。
チックタック 〈上〉 (扶桑社ミステリー ク 1-12)
ディーン・クーンツ
扶桑社
2008-03-28


生存者(1997)
飛行機の墜落事故により妻と娘を失ったジョー・カーペンターは生きる気力を失っていた。そんなある日、ジョーは墓場でローズという女性に遭遇する。驚くべきことに彼女は全員死亡と発表されていた飛行機事故の生存者だというのだ。それが事実なら妻や娘も生きているかもしれない。そう考えたジョーは藁にもすがる思いで単身調査を開始する。ところが、犠牲者遺族を尋ね歩いてみると、彼らは次々と不審死を遂げていったのだ。その裏にはある陰謀が蠢いていた......。
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矢継ぎ早のサスペンスで読者の興味を惹きつけていく手管は相変わらずの上手さです。ただ、謎の女性が現れては核心には触れず、意味ありげな台詞だけ残して去っていく展開に苛立ってしまいます。それに、謎を引っ張るだけ引っ張って唐突に種明かしといった感じなので、今ひとつ盛り上がりに欠けます。主人公のキャラも魅力に乏しく、80年代以降のクーンツ作品としては標準以下の出来です。
生存者 上
ディーン クーンツ
アカデミー出版
1998-10-20


何ものも恐れるな(1998)
青年クリストファー・スノーは先天性の遺伝子異常のために日の光を目にすることができず、外出は夜に限られていた。しかも、母が事故で亡くなったのに続いて父も癌でこの世を去ってしまう。父親の遺体を引き取るために日没後に病院へ向かうスノーだったが、父の遺体とホームレスの惨殺死体をすり換えようとしている現場に遭遇。遺体を取り戻すべく奔走するスノーは、やがて、町の人々全員が何かを隠している事実に気付き始める。果たしてその秘密とは?
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この頃のクーンツは『生存者』『インテンシティ』、そして、この『何ものも恐れるな』といった具合に超訳版で出版されることが多くなり、日本では作家として一線級とはいえなくなっていました。本作も超訳だけあってテンポは良いものの、いささかあっさりしすぎている感は否めません。それに、謎を引っ張る割に解決があっさりしているという、『生存者』と同じ欠点も有しています。町を駆けまわりながら実質2日で謎を解いていく展開は臨場感に富み、一気に読ませるだけの面白さはあるのですが、読み終わってみるとどうにも消化不良です。全体としては凡作の域を出ていない作品だといえます。
何ものも恐れるな〈上〉
ディーン・R. クーンツ
アカデミー出版
1999-11T


汚辱のゲーム(1999)
ゲームデザイナーのマーティは、心優しい夫と充実した毎日を過ごしていたが、突如残虐な殺人衝動がわき上がる。夫のダスティは妻の変化に驚き、原因を探ろうとする。そして、行きついたのは天才精神科医アーリマン博士の存在だった。マーティは彼によってマインドコントロールを施されていたのだ。しかも、洗脳されていたのはマーティだけではなく...。
◆◆◆◆◆◆
本作は邪悪な精神科医によって善良な若夫婦が奈落の底に突き落とされるサイコサスペンス的な物語なのですが、マインドコントロールの恐ろしさを描いた前半の描写は少々くどすぎて冗長さを感じてしまいます。しかも、精神科医が俳句マニアで下手くそな句を連発するのがなんとも間抜けです。それでも、後半に入るとアクション中心の怒涛の展開が始まりかなり盛り返してくるものの、全体的な完成度という点では今ひとつです。肝心のマインドコントロールも肉付けにページを費やした割にご都合主義的な設定という印象を拭えきれていませんし、これなら、1巻でまとめて、勢いで押し切った方がよかったのではないでしょうか。
汚辱のゲーム 上 講談社文庫 く 52-1
ディーン クーンツ
講談社
2002-09T


サイレント・アイズ(2000)※オススメ!
イーノック・ジュニアは突如殺人衝動に囚われ、愛する妻を山の展望台から突き落とす。そして、愛読書であるシーザー・ゼッド博士の全著作を車に積み込むと逃亡生活に入っていくのだった。博士の代表作は『あなたは幸せになる権利がある』であり、ジュニアはその言葉にしたがって、必要とあらば殺人も厭わずに自らの幸せを追求していく。一方、父なき子として生まれながらも母の愛を一心に受けて成長していく神童バーティと、レイプの末にこの世に生をうけた黒人少女のエンジェルもそれぞれの人生を歩んでいた。やがて、彼らは運命の糸に引き寄せられるように邂逅を果たしていく..。
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最初は独立した3つのエピソードが個別に語られていくかなり長大な物語ですが、登場人物のキャラがみんな濃く、それに付随するエピソードもインパクト満点なのでぐいぐいと読み進めていけます。なかでも、超ナルシストでイケメンサイコパスのジュニアの個性が際立っています。悪の権化でありながら妙な愛嬌や人生に対する真摯さが感じられ、クーンツの歴代キャラの中でもその存在感は圧倒的です。また、単なるサイコサスペンスかと思っていると、思わぬSF展開に繋がっていくのにも驚かされます。とにかく、そのストーリーは意表を突く展開の連続であり、大風呂敷を広げつつも、最後にはそれを見事に収束させてみせるアクロバチックな手管が見事です。ただ、本作はいつも以上に勧善懲悪の構図がはっきりしすぎているので、善悪に複雑性を求める人には向いていないかもしれません。しかし、そうした部分を除けば文句なしに面白い、クーンツ作品としては久しぶりの快作です。
サイレント・アイズ〈上〉 (講談社文庫)
ディーン クーンツ
講談社
2005-07T


対決の刻(2001)※オススメ!
職を探しているミッキー・ベルソングは叔母のトレイラーハウスに身を寄せ、そこで、隣に越してきた9歳の少女レイラニ・クロンクと出会う。彼女は生まれつき手足が不自由で自分のことをミュータントだと言い張っていた。しかも、母親のシンセミーリャは宇宙人との交信を切望するドラッグ中毒者で、義理の父親であるプレンストン・マドックは11人もの人々を惨殺した殺人鬼だというのだ。そのうえ、兄のルキペラは、体の治療のために宇宙人がUFOで連れ去ったのだという。一方、私立探偵のノアは議員の女性関係疑惑を調査し、少年は見えない敵から必死に逃げようとしていた。果たしてこれらの物語はどう結びついていくのか?
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複数の独立したエピソードが並行して語られ、それが後半に入ると互いに絡まり合って大きな流れを作っていくというのは前作の『サイレント・アイズ』と同じです。タフな双子のキャシーとポリーなど、脇を固める登場人物が魅力的な点も共通しています。一方、悪役の方も、優生学の信奉者で老人や身体障害者を抹殺して理想社会の建設を夢見てついには障害を抱える自分の息子まで手にかける男から、邪悪なエイリアンまで登場して実に個性豊かです。そのうえ、物語もSF・ホラー・サスペンス・アクションといった具合に、さまざまな要素を絡めて楽しませてくれます。なにより、前半で一人ひとりの登場人物のドラマをじっくりと味わい、後半からはクライマックスに向けて一気に盛り上がっていくという2段構えの構成が秀逸です。さらに、名作『ウォッチャーズ』のように、犬が大きな役割を果たしている点も犬好きの人にとってはうれしいところではないでしょうか。ただ、メインキャラの一人であるレイラニなどの章は少々描写がくどすぎて冗長に感じるかもしれません。間違いなく面白い作品ではあるのですが、『サイレント・アイズ』と比べると前半から中盤にかけてのテンポがやや悪く、その辺りが評価をわける要因となりそうです。
対決の刻(上) (講談社文庫)
ディーン・クーンツ
講談社
2008-01-16


オッド・トーマスの霊感(2003)※オススメ!
南カリフォルニアのピコ・ムンドという街に住むオッド・トーマスは、霊が見える能力を有していた。彼自身は平穏な暮らしを望んでいたものの、その能力のせいでそれを果たせずにいたのだ。そんな彼が20歳のとき、勤務先のレストランで悪霊に取り憑かれた男を目撃する。不吉な予感を覚えたオッドは男の家を訪ねて中に入るが、そこで目にしたのは、悲惨な死に呼び寄せられるという悪霊ボダッハの群れだった。町に危機が迫っていることを察知したオッドはそれを未然に防ぐべく行動を起こすが...。
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主人公の一人称によって彼を取り巻く人々が生き生きと描かれ、そこから豊潤な物語が立ち上ってくるさまは従来のクーンツには見られなかったものであり、作家として熟練の域に達したことを感じさせてくれます。クライマックスを除いて派手な見せ場はありませんが、個性的な登場人物たちとの交流シーンが面白くてぐいぐい引き込まれていきます。そしてなにより、そんな彼らの一人一人に物語上での役割をきちんと与えているのが見事です。また、本作は優れたミステリー作品でもあり、特殊設定を逆手にとっての仕掛けにはうならされます。さらに、衝撃のラストまで用意されており、全編を通して全く隙がありません。クライマックスに入ると腰砕けになることが多かった今までのクーンツ作品と比べると頭一つ抜けた完成度の高さです。人によっては主人公の饒舌ぶりにうんざりする可能性もあるものの、その辺は好み次第でしょう。ちなみに、映画化作品にはことごとく恵まれていないクーンツですが、本作を原作とした『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主(2013)』はうまくまとまった佳品に仕上がっています。もっとも、諸事情によってアメリカでは劇場未公開に終わっており、クーンツの映画化運のなさは、もはや呪いかと思ってしまうレベルです。
オッド・トーマスの霊感 (ハヤカワ文庫 NV ク 6-7)
ディーン・クーンツ
早川書房
2009-03-31


オッド・トーマスの受難(2005)
オッド・トーマスの知人である医師の霊が彼の前に現れる。オッドは霊に導かれて医師の家を訪ね、そこで彼の死体を発見する。しかも、医師の養子でオッドの親友でもあるダニーの姿がどこにも見当たらなかった。さらに、家に潜んでいた男からの襲撃を受け、オッドは窮地に陥るも、友人の警察署長によって救われる。一体この家で何が起きたのか?オッドはダニーの行方を追うが...。
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傑作と名高い『オッド・トーマスの霊感』の続編である本作は、残念ながら不評意見が目立つ結果となっています。というのも、前作にあったテンポの良さが失われ、オッドの語りも妙に説教くさくなってしまっているのです。おまけに、前作のウリだった仲間との交流や悪霊ボダッハの出番が著しく減っている点も物足りなさを覚える要因となっています。おまけに敵のインパクトも今一つです。とはいえ、オッドの軽妙なキャラクター性は健在なので、1作目でオッド・トーマスに魅力を感じた人なら、それなりに楽しめるのではないでしょうか。
オッド・トーマスの受難 (ハヤカワ文庫 NV )
ディーン・クーンツ
早川書房
2009-10-30


ヴェロシティ(2005)
元作家でバーテンダーのビリーは、事故に遭って4年以上昏睡を続けている婚約者のバーバラを見守りながら、極力人を避けて暮らしていた。事故の賠償金を元金とした信託基金をバーバラの双子の妹であるダードルが狙っているのは気になるところだが、そのことを除けば彼の生活は平穏そのものだった。ところが、そんな彼の元に一通の手紙が届く。そこには殺人を予告すると同時に、その犠牲者をビリーが選ぶように書かれてあった。もちろん、彼は誰も選ばなかったが、それを無視するかのように殺人は行われる。巧妙に仕組まれた恐怖のゲームの幕が今開かれる。
◆◆◆◆◆◆
ぶっとんだ設定からサスペンス展開に持ち込んでいく手管はいつものクーンツですが、本作の場合は主人公の行動がいささか短絡的すぎる点が賛否を分けるのではないでしょうか。また、情報を小出しにしすぎている点がテンポを悪くしてしまっています。ただ、物語は後半になるにつれてテンポアップしていき、二転三転の展開にページをめくる手が止まらなくなります。その代わり、最後があっさりとしすぎて盛り上がりに欠ける点は否めないところです。とはいえ、余韻の残るラストは悪くなく、前半の冗長ささえ乗り切れば十分に楽しめる作品だといえます。
ヴェロシティ(上) (講談社文庫)
ディーン・クーンツ
講談社
2010-10-15


フランケンシュタイン 野望(2005)※オススメ!
天才科学者フランケンシュタインの生み出した怪物はデュカリオンと名乗って現代社会に溶け込んでおり、一方のフランケンシュタイン博士もヴィクター・ヘリオスと名を変えて現代までその生を永らえていた。ヴィクターは人造人間による人類支配を目論み、ニューオリンズで研究を進めていたのだ。そんななか、ニューオリンズでは外科医と呼ばれる連続殺人鬼が現れ、街を恐怖のドン底に突き落とす。その手口は若い女性を殺し、体の一部を切り取るというものだった。事件の担当者である2人の刑事、カースンとマイケルは被害者の心臓が2つあったという事実を聞かされて驚愕する。やがて、デュカリオン、ヴィクター、カースン、マイケルの4人の運命が交錯し......。
◆◆◆◆◆◆
B級映画のような設定ながらも、元ネタをうまく活用し、一級のエンタメ作品に仕上げています。フランケンシュタインの怪物が大量に出てくる展開に驚かされ、テンポの良さも相俟ってぐいぐいと引き込まれていきます。荒唐無稽ながらもさまざまなエピソードを縦横無尽に語り尽くし、ひとつにまとめあげる手腕が見事です。スピード感とプロットの緻密さが両立している点も唸らされます。そのうえ、主人公サイドだけでなく、悪役側のキャラクターも魅力たっぷりに描かれている点も高ポイントです。極めて完成度の高いダークファンタジーの傑作だといえるでしょう。なお、本作は元々クーンツ脚本のテレビドラマとして準備が進められてきた作品ですが、88分のパイロット版を残して企画が頓挫してしまったために、それを小説として転用したという経緯があります。ちなみに、ドラマ版のタイトルはデュカリオン(原題はFrankenstein)です。
フランケンシュタイン野望 (ハヤカワ文庫 NV ク 6-12)
ディーン・クーンツ
早川書房
2011-02-18


フランケンシュタイン 支配(2005)
刑事のカースンとマイクルはいつの間にかニューオリンズが人造人間だらけになっていることに気づく。一方、人造人間第一号であるデュカリオンはフランケンシュタイン博士ことヴィクター・ヘリオスの研究所を突き止めようとしていた。野望を阻もうとする彼らに対し、ヴィクターは人造人間の殺し屋夫婦を差し向ける。だが、その頃、ヴィクターの経営する廃棄物処理場ではある異変が起きており......。
◆◆◆◆◆◆
フランケンシュタインシリーズの第2弾です。ここにきて物語は急展開を迎えます。ヴィクターが作り上げた数多の人造人間が暴走を始めるのです。この展開は先が読めなくてかなりドキドキします。ただ、その一方で、ヴィクターと主人公サイドとの闘いが始まったばかりなのに勝手に敵が暴走し始めるという展開には唐突感を覚えるのも確かです。そのため、物語の流れについていけないと感じた人も多いのではないでしょうか。また、カースンとマイクルが終始受け身なせいもあって物語の密度がどこか薄味です。それでも、殺し屋夫婦などのキャラクターは魅力的で、テンポも良いので細かいことを気にしなければ十分に楽しめる作品だといえるでしょう。
フランケンシュタイン支配 (ハヤカワ文庫 NV ク 6-13)
ディーン・クーンツ
早川書房
2011-06-05


オッド・トーマスの救済(2006)※オススメ!
オッドは心の平静を求めてシエラネヴァダ山脈の修道院に滞在する。だが、そこでまたしても大惨事の前触れを示す悪霊ボダッハを目撃するのだった。オッドは惨劇を未然に防ぐために調査を始めるが、その矢先に修道士が行方不明となり、さらには、得体の知れない怪物が修道院を襲い始める。オッドは修道院で暮らすみなし子たちを守ろうとし.......。
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オッド・トーマスシリーズの第3弾。今回はこれまで慣れ親しんできたピコ・ムンドを離れ、吹雪で閉ざされた山間の修道院が舞台となっています。謙虚で優しいオッドの魅力は相変わらずですし、修道士のキャラも個性豊かです。前2作で活躍したおなじみの登場人物が出てこないのは寂しいものの、魅力という点では新しく登場する人たちも負けていませんし、オッドと死者の絆も感動的です。さらには、今回登場する敵がとんでもない怪物で、クライマックスは大いに盛り上がります。そのため、本作をシリーズの最高傑作に挙げている人も少なからず存在します。ただ、一方で、敵が現実離れしすぎているうえに、SFとオカルトを中途半端に掛け合わせた結果、物語の説得力が乏しくなってしまったという声もあります。確かに、ピコ・ムンド編が好きな人にとってはギャップがありすぎると感じるかもしれませんが、その辺りは好み次第でしょう。


ハズバンド(2006)
造園業を営むミッチの元に妻を誘拐したとの電話がかかってくる。しかも、決して多くの収入や財産があるわけでもない彼に対して法外な身代金を要求してきたのだ。さらに、警察に知らせれば妻の命はないと告げ、単なる脅しでないことを証明するために無関係の人間を射殺してみせる。ミッチは独力で妻を救う決意をするが、彼の前には想像もしなかった敵が立ちふさがり......。
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シンプルなプロットながらも、テンポの良さと意外な展開のつるべ打ちで読ませるのはさすがクーンツです。中盤以降、一介の庭師がハイテク犯罪集団相手に逆襲に転じる展開も痛快で、最後には愛が勝つクーンツ的王道展開がしっかりと押さえられています。大傑作というわけではないものの、手堅くまとまった佳品だといえるでしょう。ただ、どんでん返しの連続だった割に、ラストが唐突であっさりと終わってしまったのには物足りなさが残ります。その後が気になるエピソードもいくつかあっただけに、エピローグをつけ足してフォロしてほしかったところです。
ハズバンド (ハヤカワ文庫NV)
ディーン クーンツ
早川書房
2007-04-01


善良な男(2007)
レンガ職人のティムがなじみのバーで酒を飲んでいると、見知らぬ男が近寄ってきて、札束の入った封筒を渡される。そして、「残りは女が消えてからだ」と告げると足早に去っていった。ティムは人違いで殺しの依頼をされたのだと気付くがすでに男の姿はない。そこで、標的の女性を探しだして忠告するも、すでに殺し屋は彼らの近くまで迫っており.....。
◆◆◆◆◆◆
クーンツ得意の逃走ものです。クレージーな殺し屋が主人公たちを執拗に追いかけ、激しいカーチェイスを繰り広げるという黄金パターンもしっかり組み込まれています。しかし、いささかテンプレすぎて新鮮味に欠けるのも事実です。そのため、驚きの展開などは一切ありませんし、敵が殺し屋のみというのも物足りなさがあります。とはいえ、エンタメとしてのツボはしっかりと押さえており、気軽に楽しめる作品に仕上がっています。全体的には可もなく不可もなくといったところでしょうか。
善良な男 (ハヤカワ文庫NV)
ディーン クーンツ
早川書房
2008-06-01


一年でいちばん暗い夕暮れに(2007)
ドックレスキューのエイミーと恋人のブライアンはある日、一匹のゴールデン・レトリバーを保護し、一目見てその犬の飼い主になることを決意する。ニッキーと名付けられた彼には不思議な魅力があり、周囲の人々に安らぎを与えていった。だが、その頃、邪悪な男女が長年追い続けた獲物を捕える罠を完成させていた。果たして、因縁で結ばれた2組の男女の運命は?
◆◆◆◆◆◆
名作『ウォッチャーズ』を彷彿とさせるゴールデン・レトリバーものです。しかし、あちらは起伏に富んだ派手な展開だったのに対して、本作は地味なほのぼの路線なので同じものを期待すると失望は免れないでしょう。その代わり、登場人物の描写が的確で犬と人間の触れ合いには静かな感動があります。したがって、犬好きな人なら読んで損はないのではないでしょうか。ただ、ラストの展開があまりにもご都合主義で完全に破綻しています。そのことによって、全体の完成度が大きく下がってしまったのが残念です。


オッド・トーマスの予知夢(2008)
オッド・トーマスが次に訪れたのは海辺の町だった。そこに腰を落ちつけ暮らし始めたオッドはほどなく、海と空が血の色に染まる悪夢を繰り返し見るようになる。ある日、桟橋でアンナ・マリアと名乗る女性と出会うが、彼女は彼のことを知っているようだった。やがて、夢と関係があると思われる男たちが現れ、アンナを狙う。オッドは彼女を守りながら、この町で何が起きているのかを探っていくが......。
◆◆◆◆◆◆
オッド・トーマスシリーズの第4弾。今回は悪霊ボダッハが登場せず、全体的にホラー色の薄い作りになっています。どちらかといえば陰謀サスペンスです。しかも、人類滅亡につながりかねないスケールの大きな陰謀が明らかになります。今までとあまりにも毛色が異なる路線なので戸惑う人も多いのではないでしょうか。実は本作は新章突入の導入部的な役割を担っているのですが、以後のシリーズの邦訳は久しく途絶えたままです。ちなみに、本国アメリカでは2つの中編集を含めて全11作が発売されています。それだけに日本での続刊が待たれるところです。
オッド・トーマスの予知夢 (ハヤカワ文庫NV)
クーンツ,ディーン
早川書房
2010-12-17


フランケンシュタイン 対決(2009)
ヴィクターの研究所を突き止めたデュカリオンは、その内部に侵入し、彼の野望を食い止める手掛かりを探す。一方同じ頃、当のヴィクターは正体不明の人物から電話を受けていた。電話の主は、廃棄物処理場で復活したと語り、彼の墓を処理場に用意したという。危機が迫っていることを察知したヴィクターは脱出を図るも、その先にはカースンとマイクル、そして、デュカリオンが待ち受けていた。果たして、宿命の対決の行方は?
◆◆◆◆◆◆
いよいよクライマックスのフランケンシュタインシリーズですが内容的にはどうにも盛り上がりません。人造人間たちの反乱をはじめとして色々伏線を散りばめてきたものの、それがうまく回収しきれていないのです。そのため、物語はどうしても散漫とした印象になっています。敵も自滅に近い形なので盛り上がりに欠けますし、それになんといっても、話の中心になるのが救世主という存在で、デュカリオンもカースン&マイクルも大して活躍しないのがいただけません。色々と詰め込みすぎて収集がつかなくなったという印象です。とはいえ、培養液の中の美女や個性的なキメラなど、魅力的なギミックは盛りだくさんなのでB級だと割り切ればそれなりに楽しめるかもしれません。なお、本作は三部作の完結編という立ち位置ではあるのですが、本国では第2部としてさらに2冊のフランケンシュタインシリーズが発売されています。
フランケンシュタイン 対決 (ハヤカワ文庫NV)
ディーン クーンツ
早川書房
2011-09-22


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最新更新日2021/6/15☆☆☆

さまざまなタイプの格闘家たちが一堂に介して闘う異種格闘技戦というものは男の浪漫を掻き立てるものがあり、それを主題とした漫画も少なくありません。一方、実写映画ではさまざまな制約があるため、そういった作品を作るのは難しそうです。しかし、探してみれば異種格闘技の趣向を取り入れた映画も少なからず存在していることがわかります。そこで、具体的にどのような作品があるのかを紹介していきます。
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1970年

吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー(監督:ジミー・ウォング)
中国拳法を教えている忠義武館に柔道家のタオが道場破りにやってくる。師匠不在のなか、弟子たちが相手をするもことごとく敗れてしまう。だが、そのタオも戻ってきた師匠のリーに一方的に打ちのめされ、その土地から追放されてしまうのだった。それから1カ月余りが過ぎた頃、タオは日本人の空手家を引き連れて再訪し、リーを含む全員を皆殺しにしてしまう。ただ、リーの一番弟子のレイだけは重傷を負いながらもなんとか命を取り留める。彼は復讐を誓い、厳しい修行の後にタオたちとの宿命の対決に挑むが....。
◆◆◆◆◆◆
カンフーといえば香港映画の代名詞とでもいうべき存在ですが、香港も最初からカンフー映画が盛んだったわけではありません。むしろ、60年代までは日本のチャンバラ映画に似た武侠ものが大部分を占めていました。そこに新機軸を持ち込もうとカンフーの要素を初めて本格的に取り入れたのが、本作で監督・脚本・主演を務めたジミー・ウォングです。しかも、敵役として柔道家・空手家・剣術家が登場し、異種格闘技戦の要素まで取り入れているのです。ただ、ジミー・ウォングに格闘技の経験はありませんでしたし、カンフー映画というものが存在していなかった当時の香港映画界において本格的な格闘技の動きができる役者も皆無でした。そのため、現代のカンフー映画と比較すると格闘シーンの動きは明らかにもっさりとしており、アクション映画としての説得力に欠けている点は否めないところです。しかし、だからといって、この映画がつまらないかといえば決してそんなことはありません。動きに迫力がない点はハッタリと過剰演出で補い、客を楽しませる要素に事欠かない作品に仕上げているのです。実際、本作は香港において1970年の映画興行成績トップを記録し、アジアでも大ヒットを飛ばすことになります。空手家は壁や天井をやたら破壊しまくり、剣術家は忍者のように手裏剣を投げ、やられれた者はダメージを受けた部位に関係なく必ず大量の血を吐くなどなど、ツッコミどころ満載の作品ではあるのですが、とにもかくにも飽きずに観られることは確かです。また、降りしきる雪の中での決闘や賭場での100人斬りなど、後世に影響を与えたシーンも少なくありません。ちなみに、本作をアメリカで観賞したブルース・リーは格闘シーンのあまりのひどさに愕然とし、自らカンフー映画を製作する決意をしたといいます。つまり、この映画は二重の意味でカンフー映画の発展に決定的な影響を与えた作品だといえるのです。
吼えろ ! ドラゴン 起て ! ジャガー [DVD]
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パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-09-13


1972年

片腕ドラゴン(
監督:ジミー・ウォング
正徳武館でカンフーの修行を積むチェンロンは、料理屋で男たちに絡まれていた客を助けようとして乱闘となる。ところが、チェイロンが叩きのめした男たちは正徳武館と敵対している鉄鉤門の門下生であり、しかも、彼らは鉄鉤門師匠のチャオに対して「チェイロンがいきなり殴りかかってきた」と嘘の報告をするのだった。怒り狂ったチャオは一門を引き連れて正徳武館に殴り込みをかけるものの、チェイロンや道場主のハンによって返り討ちにされてしまう。雪辱に燃えるチャオは柔道・沖縄武術・ムエタイ・テコンドーなど、アジア各国から総勢10名の凄腕の格闘家たちを雇い、再度正徳武館を襲う。恐るべき力を持つ格闘家に次々と倒されていく門下生たち。チェイロンだけは善戦し、テコンドーの男を倒すものの、続いて戦った沖縄武術の二谷太郎の手刀によって右腕を切り落とされてしまう。その後、ハンとその門下生たちは皆殺しにされ、治療のために道場から運び出されていたチェイロンだけがかろうじて生き延びる。道端で倒れているところを医師とその娘に助けられたチェイロンは、医師の助言を得ながら厳しい修行を積んでいくのだった。そして、残った左腕を岩をも砕く鋼の拳に変えてチャオ一味に再度戦いを挑むが.......。
◆◆◆◆◆◆
『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』を大ヒットさせたジミー・ウォングは1972年に再び監督・脚本・主演の三役を務める大作カンフー映画に挑戦します。それが後に伝説的なカルト映画となった『片腕ドラゴン』です。とはいえ、物語自体にはそれほどオリジナリティがあるわけではありません。主人公が片腕で戦うという設定はジミー・ウォング自身の出世作である『片腕必殺剣』をそのまま踏襲していますし、異国の格闘家たちに道場が全滅させられ、復讐戦を挑むというストーリーラインは『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』と全く同じです。しかし、そんな細かいことはどうでもいいと思えるほど、この映画にはおもちゃ箱をひっくり返したような魅力が詰まっているのです。まず、登場する格闘家たちがバラエティに富んでおり、一人一人のキャラが立ちまくっています。殴ってばかりでキックを全く使わないテコンドーの達人、戦う前にどこからともなく流れる音楽に合わせて儀式の舞を踊るムエタイ兄弟、なぜか逆立ちをしながら戦うヨガ使いのなんちゃってインド人、体を膨らませて『北斗の拳』のハート様のように相手の攻撃を無効化するラマ僧などなど、ツッコミどころが多すぎて逆に楽しくなってきます。また、見せ場見せ場の連続で、退屈する暇が一切ないのも大きな美点です。門下生が皆殺しにされた後は速攻で修行を終えて復讐戦に挑み、ダレそうな場面はダイジェストで大胆に流す潔さも素敵です。そして、最終決戦では、次々と現れる強敵たちとの対決で盛り上がりは最高潮に達し、そのままラスボス戦へとなだれ込みます。カンフー映画としてのレベルは低くても娯楽性の高さという点でこれを越える映画はなかなかないのではないでしょうか。
片腕ドラゴン〈日本語吹替収録版〉 [DVD]
タン・シン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2014-11-12



ドラゴン怒りの鉄拳(監督:ロー・ウェイ)

清朝末期の上海で精武館の創始者・霍元甲が謎の死を遂げる。その死に疑問を抱いた弟子の陳真は精武館を敵視している日本人の柔道道場が怪しいと睨む。そして、単身殴り込みを掛け、そこにいた門下生たちを叩きのめすのだった。それを知った道場主の鈴木寛は激怒し、弟子たちに精武館を襲わせる。一方、陳真は独自に調査を行い、元甲の死が鈴木の陰謀によるものだという事実をついに突き止める。だが、鈴木は日本の憲兵たちと結託して逆に陳真を指名手配したうえで、彼を引き渡さないと精武館を閉鎖に追い込むと脅す。怒りに燃える陳真は雌雄を決するべく、鈴木のいる道場に再び殴り込みをかけるが.....。
◆◆◆◆◆◆
1971年に公開された『ドラゴン危機一発』の大ヒットを受けて製作されたブルー・スリー主演映画の第2弾です。本作でブルー・スリーは香港における映画興行収入の新記録を打ち立てます。そこまで大成功をもたらした要因としては、かつて中国を抑圧していた日本人をカンフーで叩きのめす爽快感と、ジミー・ウォングなどの映画には欠けていた本格的な格闘シーンにあったと考えられます。しかも、1作目の『ドラゴン危機一発』と比べてアクションがさらに洗練されており、見応え満点です。ちなみに、師匠を殺した日本人への復讐が物語の主軸になっているところや敵役が柔道家などといった点は『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』を彷彿とさせるものがあります。同作品はブルー・スリーが香港映画に出演するきっかけとなったといわれているだけに、見比べてみるのもおもしろいのではないでしょうか。また、異種格闘技戦としての見所は、中盤の柔道の師範、終盤のロシア人のボクサー(もっとも、彼はブルースリーの弟子なので実質的には同門対決ですし、蹴りや寝技も劇中で普通に使っています)及び日本刀を手にして戦う鈴木といったところです。特に、鈴木を演じている橋本力は『眠狂四郎』や『座頭市』にも出演しているベテランの時代劇役者なので刀の扱い方が本格的で、ブルース・リーとの対決は短いながらも緊迫感に満ちた名シーンに仕上がっています。
ドラゴン怒りの鉄拳 [Blu-ray]
ティエン・ファン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2010-11-26



1974年

アンジェラ・マオ/ ザ・トーナメント(監督:ファン・フェン)
リウ道場の門下生であるヤンは小さな食堂を経営していたが、ショバ代を払うことができなかったために娘を連れ去られてしまう。そこで、娘を取り返す金を稼ぐために、リウの息子とともにタイで行われるムエタイの試合に出場する。だが、2人とも惨敗したうえに、ヤンは命を落としてしまうのだった。武術協会はカンフーの名を汚したと激怒し、道場主のリウは自殺に追い込まれてしまう。リウの娘・フォンは閉鎖的な中国武術界に嫌気がさし、打倒ムエタイを宣言して兄と共にムエタイに渡るが......。
◆◆◆◆◆◆
元祖女ドラゴンとして70年代のカンフーブームの一翼を担ったアンジェラ・マオの主演作です。しかし、ブームのただ中にあって中国拳法がムエタイに全く歯が立たないという妙にリアルな設定が目を引きます。時代を考えればかなりの異色作品だといえるのではないでしょうか。もっとも、その後、女ドラゴンことアンジェラ・マオが男性格闘家と真っ向からやり合うのは完全にファンタジーですが。それでも、アンジェラの華麗な蹴りは美しく、映画としての迫力は十分です。ストーリー的にはややテンポが悪いのが惜しまれますが、ムエタイとの試合の他に、若手時代のサモ・ハン・キンポーや日本人空手家などとの対決もあり、カンフー映画としての見どころには事欠きません。ちなみに、無名時代のユン・ピョウも出ていますが、こちらは単なるやられ役です。
ザ・トーナメント [DVD]
サモ・ハン・キンポー
キングレコード
2008-03-12


片腕カンフー対空とぶギロチン(監督:ジミー・ウォング
右腕を失いながらも血のにじむような特訓の末に復讐を果たしたチェンロンは自分の道場を構え、弟子たちに武術を教える日々を過ごしていた。そんなある日、チェンロンの元に「今度開催される武道大会にぜひ出場してほしい」との招待状が届く。だが、彼は「武術は自己鍛錬のためのものであり、名誉など不要」といって出場を断るのだった。一方、先の戦いで自分の弟子を殺された盲目のラマ僧・フンシェンは武道大会に出場していた日本の武道家・奇怪な体術を使うインド人・ムエタイ使いの3人を雇い、チェンロンの首を狙う。それを知ったチェンロンは弟子たちとともに策を巡らせるが......。
◆◆◆◆◆◆
伝説のカルト映画『片腕ドラゴン』の続編であり、しかも、トンデモ度では前作を遥かに凌いでいるという問題作です。まず、序盤の武道大会が奇人変人大集合で珍妙な格闘技が次々と登場します。鋼の肉体を持つ大男に始まり、忍者・トンファー侍・腕が伸びるインド人となんでもありです。ちなみに、腕の伸びるインド人は『ストリートファイターⅡ』のダルシムの元ネタとしても知られています。しかし、本作の最大の見所はそこではありません。最も注目すべきは主人公の戦いぶりです。前作では真正面から正々堂々と敵を撃破したチェンロンですが、本作では道場を構えて保身の心が芽生えたのか、まともに戦おうとしません。正面から撃破したのは最初に戦ったインド人のみで、あとは卑怯な手を使いまくりです。特に、裸足のムエタイ使いを床が鉄板の小屋に閉じ込め、槍を持った大勢の弟子に囲ませて火を放つやり口は卑怯を通り越して単なる虐殺です。確かに、他の作品にも卑怯な手を使う主人公はいないではありませんが、清廉潔白そうなキャラクター性や前作のイメージとのギャップがなんともすさまじいインパクトを放っています。その他にも、さまざまなギミックが盛りだくさんで、カンフー映画としては空前絶後の怪作です。
片腕カンフー対空飛ぶギロチン [DVD]
ドリス・ロン
ツイン
2004-02-04


1978年

死亡遊戯(監督:ロバート・クローズ)
巨大国際シンジゲートのボスであるドクター・ランドはアクションスター・ビリーの人気に目をつけ、終身契約を迫る。しかし、ビリーは要求を拒否し、脅しにも屈しなかった。ドクター・ランドはそんな彼を始末しようと、撮影現場のエキストラのなかに殺し屋を紛れ込ませる。そして、映画のラストシーンである銃撃シーンの撮影中に実弾の入ったサイレント銃でビリーを撃ったのだ。だが、ビリーは奇跡的に一命を取り留めていた。そして、医者に彼は死んだと発表させ、密かにドクター・ランドの組織壊滅に乗り出す。まずはドクター・ランドの手下である格闘家のカールを試合会場の控室で殺害し、そのままドクター・ランドのアジトへと乗り込む。だが、そこには恐るべき敵が待ち構えていた......。
◆◆◆◆◆◆
香港映画デビュー以来、大ヒットを続けていたブルー・スリーは3作目の『ドラゴンへの道』を公開したあとに新作の撮影に取りかかっていました。しかし、ハリウッドから『燃えよドラゴン』の主演の話が持ち上がったために製作は途中で中断してしまいます。しかも、『燃えよドラゴン』の公開直前にブルー・スリーが急死してしまったために結局、この映画は未完成のままに終わってしまったのです。それをわずかな撮影済みフィルム、他作品のブルース・リーの映像、それから、代役による追加撮影を合わせて1本の映画に無理矢理まとめたのが本作です。そのため、ストーリーの流れが強引なうえに代役のシーンは不自然さが目立ち、とても完成度が高いとはいえません。その代わり、ブルース・リー本人が演じているクライマックスの戦いはさすがの迫力です。また、フィリピン武術のカリの使い手、韓国式合気道の達人、NBAのスーパースターが演じる2m18cmの巨人といった具合に階段を上るたびにタイプの異なる格闘家が登場するという趣向は後世にも大きな影響を与えることとなります。それだけに、この映画が本来の形で完成しなかったのが非常に残念です。
死亡遊戯 [Blu-ray]
カリーム・アブドゥル=ジャバー
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2010-11-26



 四角いジャングル 格闘技世界一(監督:後藤秀司)
1976年。新日本プロレスのアントニオ猪木はプロレスが最強であることを証明するために他の格闘技への挑戦を表明する。そして、柔道王の赤鬼ルスカ、ヘビー級ボクシングの統一チャンピオンであるモハメド・アリ、プロ空手の世界ヘビー級王者モンスターマンらと激闘を繰り広げていった。一方、1977年には世界キックボクシング協会ライト級チャンピオンのベニー・ユキーデが来日。さらに、同年にはキックボクサーの藤原敏男が日本人で初めてムエタイの王者となり、日本は空前の格闘ブームに沸きたつが......。
◆◆◆◆◆◆
アントニオ猪木の異種格闘技戦を中心に添えた格闘技のドキュメンタリー映画です。プロレス、キックボクシング、ムエタイ、マーシャルアーツなどを始めとして、70年代の日本の格闘シーンを知ることができる貴重な映像が数多く収められています。特に、藤原敏男のスピーディな蹴りは今見ても衝撃的です。一方で、総合格闘技がすっかり競技として定着した現在から見ると、異種格闘技戦などはツッコミどころ満載ですが、映像を通して当時の熱気を感じることはできます。いずれにしても、70年代の格闘技ムーブメントがどのようなものであったかを知るには格好の資料だといえるでしょう。
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アントニオ猪木
エー・アール・シー株式会社
2007-01-01



 1979年

四角いジャングル 激突!格闘技(
監督:後藤秀司
異種格闘技戦で激闘を繰り広げてきたアントニオ猪木は正体不明の黒人カラテ家・ミスターXと対戦し、これを下す。そんななか、極真空手ニューヨーク支部首席師範代、熊殺しのウイリー・ウイリアムスがアントニオ猪木に挑戦状を叩きつけてきた。一方、キックボクシングの藤原敏男は宿敵であるシープレー・ギャッティソンポップとの再戦のときを迎えようとしていた。
◆◆◆◆◆◆
四角いジャングル3部作の第2弾です。ここではアントニオ猪木とウイリー・ウイリアムスの強者ぶりを紹介しつつ、2人の激突が描かれる第3弾へとつなげていくという構成になっています。いわば前哨戦です。もっとも、アントニオ猪木の対戦相手が悪名高きミスターXなので盛り上がらないことこのうえありません。体が大きいだけの肥満体の素人相手に、猪木がなんとか試合を盛り上げようと空回りする姿だけが浮き彫りになってしまっているのです。また、ウイリー・ウイリアムスの方も熊との茶番戦がちらっと紹介されているだけで、試合のシーンなどは一切ないためにその凄さがいま一つ伝わってきません。代わりに、本作を盛り上げてくれるのがキックボクシングの選手であるベニー・ユキーデと藤原敏男の2人です。特に、藤原敏男とシープレー・ギャッティソンポップの壮絶な試合は非常に見応えがあります。他にも、70年代後半のプロレスや極真空手の試合などが紹介されているので格闘技好きな人にとっては興味深いものがあるのではないでしょうか。




1980年


 四角いジャングル 格闘技オリンピック(監督:南部秀夫)
浪人生の森田茂は予備校の帰り道に若者たちが殴り合いの喧嘩をしているのを目撃し、自分の中で何かが弾けるのを感じた。自分もあんなふうに戦ってみたいという想いが膨れ上がり、そして、日本格闘術連盟が主催する腕っ節日本一大会に出場する決意をするのだった。それからというもの、彼は独自に考案した練習メニューで自らを鍛えていく。一方、アントニオ猪木とウイリー・ウイリアムスの両雄はついにリングの上でぶつかり合う。その死闘の行方は?
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シリーズ3部作の完結編です。しかし、これまでドキュメンタリー映画の体裁を保っていたのに対し、本作では突如、森田茂なる若者が現れ、アマチュア格闘トーナメントに挑戦するという物語が始まるのでどうにもとまどってしまいます。しかも、そのトーナメントも1回戦の様子を紹介しただけで終わってしまっているのがいただけません。クライマックスの猪木・ウイリー戦はさすがの迫力ですが、こちらも引き分けに終わってしまい、やはり中途半端です。本作に関しては猪木VSウイリーしかネタがなく、尺を埋めるために無理矢理アマチュア格闘トーナメントを挿入した印象があります。まあ、アマチュアトーナメントに関してはローラースケートを履いて格闘技の練習をするなど、嘘くさいシーン満載の代わりにケレン味があって、意外と飽きずに観れたのがせめてもの救いでしょうか。
四角いジャングル 格闘技オリンピック RAX-103N [DVD]
ウイリー・ウイリアムス
エー・アール・シー株式会社
2007-01-01



1987年

ブラッド・スポーツ(監督:ニュート・アーノルド)
日本の空手家・田中から田中流空手を学んだフランクは香港でアンダーグラウンドの無差別格闘トーナメント〈クミテ〉が開催されることを知る。フランクは恩義ある師匠のために田中流の名を広めるべく、トーナメントへの参加を決意する。だが、アメリカ政府は怪しげな大会への参加に難色を示し、彼の出場を阻止すべく捜査官を派遣する。そうした妨害を乗り越え、トーナメントへの参加を果たすフランクだったが、彼の前には世界中から香港へと乗り込んできた強敵たちが立ちふさがり.......。
◆◆◆◆◆◆
ジャン=クロード・ヴァン・ダムの初主演作品なのですが、本篇の半分以上を異種格闘技の試合で占められているという異色の作品となっています。出場選手も空手、カンフー、相撲、カポエイラなど、バラエティー豊かです。まるで『グラップラー刃牙』の最大トーナメントのようですが、刃牙はおろか異種格闘技トーナメントの元祖といわれる『修羅の門』よりも早く公開されていたことが驚きです。ちなみに、本作は実話の形をとっています。忍術道デューク流の創設者で329試合無敗と言われるフランク・ウウィリアム・デュークスの実録映画だというのです。そういうといかにも胡散臭い感じがしますが、一応トーナメントの様子を撮影した動画も残されています(もっともその動画の内容はアンダーグランドの異種格闘技戦ではなく普通のカンフートーナメントですが)。ともあれ、マッチョな男たちが集まってルール無用の格闘試合を繰り広げるさまはかなりの迫力です。ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画などに比べるとスピード感に欠け、動きがもっさりしている感は否めませんが、その点は個性豊かな格闘術の数々とダイナミックなモーションで補っています。特に、『燃えよドラゴン』にも登場したヤン・スエとのマッチョ同士のラストバトルはヤンの卑怯な攻撃などもあり、手に汗握ります。また、この時代にありがちな怪しげな日本文化の描写も良い味を出しており、B級映画好きな人なら見逃せない怪作です。なお、本作はシリーズ化されており、1995年にダニエル・バーンハード主演で2作目と3作目が製作されています。
ブラッドスポーツ [DVD]
ボロ・ヤン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2002-10-04


1995年

餓狼伝(監督:佐々木正人)
最強を目指して修行を続けている若き格闘家・丹波文七は自分の強さを証明するためにプロレスの練習場を訪れ、道場破りを行う。しかし、前座レスラーの梶原年男のタスネスさと関節技の前に破れてしまうのだった。それから3年。打倒梶原を誓う文七は関節技を習得するべく元柔道家でサンボの使い手である河野勇に技を教えてくれるように頼みこむが.......。
◆◆◆◆◆◆
夢枕獏の同名小説の映画化作品です。ストーリー的には原作の1巻と外伝である『秘編 青狼の拳』をミックスした形になっており、『梶原との対戦→空手家やヤクザとの抗争→サンボ習得→梶原との再戦』という流れになっています。本作の最大の魅力はなんといっても丹波役の八巻健志です。極真空手で世界大会優勝を果たした直後に出演しただけあってその迫力は圧倒的です。代わりに台詞は見事な棒読みですが、プロの俳優ではないのでその点はいたしかたないところでしょう。また、宿敵である梶原年男はプロレスラーの石川雄規が演じており、こちらも説得力十分です。ただ、この2人以外の格闘家を演じているのがみなプロの俳優であるため、187センチあるうえに鍛えまくっている八巻健志と並ぶと貧弱に見えてしまうのが難点です。出演している俳優の中には柔道経験者の本田博太郎や極真空手師範代の石橋雅史などもいるのですが、肉体的なボリュームの差はいかんともしがたいものがあります。そのため、演技の素人と体格的な説得力に欠ける俳優が共演していることによるバランスの悪さが目立つ結果となっています(唯一、藤原組長こと藤原喜明だけは見た目の説得力と演技力の両方が備わっていましたが)。以上のように色々問題はあるものの、B級と割り切れば決してつまらない作品ではありません。八巻健志の格闘シーンだけでも観る価値は十分にあります。
餓浪伝<劇場版> [VHS]
八巻建志
東北新社
1995-05-26


1996年

クエスト(監督:ジャン=クロード・ヴァン・ダム)
1925年。ディユボアは孤児たちと窃盗団を結成し、裕福な人間から金を盗んで生計を立てていた。しかし、ギャングのボスの金を盗んだために警察とギャングの双方から追われる羽目になってしまう。高跳びしたディユボアは苦難の末にバンコクにたどり着く。そして、いつしか屈強な格闘家へと成長し、数年に一度開かれる格闘トーナメント「ガンゲン」の出場を目指すようになっていた。そこで優勝すれば莫大な価値のある黄金の竜を手にできるのだ。ある日、アメリカのヘビー級ボクサー・ディヴァインがその大会に招待されていることを知り、ディユボアは大会関係者だといって彼に近づく。正体は見破られたものの、ディヴァインと闘うことになり、これに勝利する。ディボアが自分より強いことを認めたディヴァインは招待状を彼に譲って去っていった。こうしてディユボアはついに大会への出場権を手にするのだが、その先には未知の強敵たちが待ち構えていた.....。
◆◆◆◆◆◆
本作の物語は、チンピラが数奇な運命を経て異国で格闘家になるまでの前半と、格闘トーナメントに参加して優勝を目指す後半の2部構成になっています。このうち、ジャン=クロード・ヴァン・ダムのバリエーション豊かなアクションが堪能できる前半の冒険譚も悪くはないのですが、本番はやはり後半の格闘トーナメントでしょう。世界中から16人の格闘家が集まって最強を決めるストーリーはヴァン・ダムの初主演作である『ブラッド・スポーツ』と同様にワクワクするものがあります。カポエイラ・中国拳法・モンゴル相撲などといった具合に格闘技の種類もバラエティに富んでいますし、それぞれの肉体的な迫力や技のキレも申し分ありません。ちなみに、日本からは元横綱の北尾が出演しており、パワフルな戦いを披露してくれます。ただ、16人のトーナメントを100分たらずの映画の後半だけで行っているのでどうしても無理があり、ダイジェストのような展開になってしまっているのは少々残念です(技のキレやスピード感という点では『ブラッド・スポーツ』を上回るものの、作品の濃密さという点ではあちらの方がはるかに上でしょう)。実際、そうした構成の悪さから本作は駄作の烙印を押されています。しかし、登場する格闘家たちの戦いっぷりはかなりの迫力なので格闘技好きな人なら一見の価値があるのではないでしょうか。
クエスト [DVD]
ジェームズ・レマー
ハピネット・ピクチャーズ
1998-06-25


2000年

BRUCE LEE in G.O.D 死亡的遊戯(監督:大串利一)
『死亡遊戯』はブルー・スリーの死後に代役を使って完成させた映画であり、彼自身が登場する場面はわずか11分にすぎません。実際のところは、それ以外にもかなりの量の未公開フィルムが残されていたのですが、1本の映画としての辻褄を合せるためにそのほとんどを没にしてしまったのです。そして、残りのフィルムは日の目を見ることなく、長い間倉庫で眠り続けていました。そのフィルムの版権を日本の映画会社が買取り、出来る限りブルー・スリーが意図したであろう通りに再編集したのが本作です。とはいえ、残っているフィルムは塔のシーンだけなので、とても1本の映画にすることはできません。そこで、当時の撮影状況を再現したドキュメンタリータッチのドラマなどで尺を埋めているのですが、正直なところ、この部分に関してはかなりの低クオリティです。ぶっちゃけ、前半部は飛ばして後半のアクションシーンだけをみれば十分だといえます。そのアクションシーンですが、全部で40分近くあり、『死亡遊戯』とは全く異なるものになっています。まず、ブルー・スリーは一人ではなく、2人の男と一緒に塔を登っていますし、彼らがコテンパンにやられてからブルー・スリーが戦うというのが基本パターンです。あっけなく倒されてしまった印象のある合気道の池漢載に関しても本作の映像を見れば、かなりの強敵として描かれていたことがわかります。なにより、『死亡遊戯』では寡黙な印象だったブルー・スリーが結構しゃべっているのでキャラクターの印象自体が全く異なるものになっているのです。『死亡遊戯』しか見ていないという人はぜひともその違いを実際に確認してみることをおすすめします。
ブルース・リー・イン G.O.D 死亡的遊戯 [DVD]
ダン・イノサント
アートポート
2001-07-25


2005年

トム・ヤム・クン!(監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ)
子どもの頃からずっと一緒だった象をベトナム人のジョニーによって盗まれたカームは、象を取り戻すべく、シドニーにやってくる。ジョニーはその地でタイ料理店の「トム・ヤム・クン」を経営していた。しかも、裏では中国人のマダム・ローズが率いる密輸組織が暗躍していたのだ。カームは彼らに戦いを挑むが、思わぬ強敵たちが立ちふさがり.....。
◆◆◆◆◆◆
2003年のタイ映画『マッハ!』に続いてトニー・ジャンの超絶ムエタイアクションが堪能できる傑作です。前半のバギーやモーターボートを用いたスピード感あふれるアクションも見応えがありますが、本番はやはり中盤以降の肉弾戦でしょう。螺旋階段でのワンカット長回しアクションをはじめとし、VSカンフー・VSカポエイラ・VS剣術・VSプロレスといった異種格闘技戦の趣向も盛りだくさんです。特に、超人的な身体能力を駆使したカポエイラ使いとの戦いは格闘映画史上に残る名勝負だといえるでしょう。また、最終決戦の意表をついた戦いもなかなかに驚かされます。はっきりいってストーリーの方はかなりぐだぐだですが、そんなことはどうでも良いと思えるほどにアクションの魅力がたっぷり詰まった作品です。
トム・ヤム・クン! プレミアム・エディション [DVD]
ボンコット・コンマライ
ジェネオン エンタテインメント
2006-09-22



2010年

イップ・マン 葉問(監督:ウィルソン・イップ)

詠春拳の達人であるイップ・マンは終戦直後にイギリス領の香港に渡り、そこで武術道場を始める。ところが、弟子のウォンが洪拳の門下生と揉め事を起こし、拉致されてしまう。イップ・マンは門下生が働いている魚市場に乗り込んでウォンを救いだすが、洪拳の師範で香港武術界の元締めでもあるホンが現れ、香港で武館を開くのであればその資格があることを証明しなければならないというのだった。拳法の力量を測る試験としてイップ・マンは足場が不安定なテーブルの上で各流派の師範と闘うことになり、彼らを次々と打ち破る。そして、最後にホンと対決し、一進一退の攻防の末に勝負は引き分けとなった。イップ・マンの強さを認めたホンは会費を払うことを条件に武館を開くことを認める。だが、イップ・マンはホンが会費を集めて私腹を肥やしているのだと判断し、彼の提案を拒否。結局、その後に起きた互いの弟子たちの争いが元でイップ・マンの道場は閉鎖に追い込まれてしまう。納得できないイップ・マンはホンの元に赴き、彼の弟子の行為と会費にこだわる彼自身の態度を非難する。しかし、ホンが集金にこだわるのはその金を香港警察に賄賂として渡し、香港武術界の安泰を図るためだった。それからしばらくして、イギリスのボクシングと香港武術との共催でイベントを行うことになるが、ボクシングチャンピオンのツイスターがホンの門下生たちを侮辱し、乱闘騒ぎとなる。謝罪を要求するホンに対し、ツイスターは「俺に勝つことが出来たら謝ってやる」と言いだす。こうして、ボクシングと中国武術との異種格闘技戦が執り行われることになるが......。
◆◆◆◆◆◆
伝説的な武術家であるイップ・マンこと葉問の半生を描いたシリーズ第2弾です。とにかく、イップ・マンを演じるドニー・イェンの技のキレが素晴らしく、アクション映画として一級の出来に仕上がっています。特に凄かったのがサモハン・キン・ポー演じるホンとの対決です。スピーディな技の応酬に思わず見入ってしまいます。さすがは新旧を代表するカンフースター同士の戦いです。また、後半からはボクシングVS中国武術の異種格闘技戦が話の中心になるのですが、変則的な動きで相手の技を受け流す中国拳法とスピードとパワーで押し切るボクシングが対照的に描かれ、非常に見応えがあります。ロッキー4の影響が見られるストーリーは大味で、深みなどは感じられないものの、アクション映画としては抜群の面白さです。
イップ・マン 葉問 [DVD]
ホァン・シャオミン
Happinet
2021-01-08





2012年


トーナメント(監督:西冬彦)
2012年。格闘技界にとって衝撃的な事件が起きる。最強の呼び声高い空手道場が一人の少年に襲撃され、その模様がインターネットで拡散されたのだ。道場破りを行った少年は自らを空水流と名乗る。格闘技界に挑戦状を叩きつけた少年に対し、最強を自認する挌闘家たちが立ち上がる。こうして前代未聞の異種格闘技トーナメントが開催されることになったのだが.......。
◆◆◆◆◆◆
ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『クエスト』と同じく異種格闘技トーナメントを題材にした作品ですが、本作の場合はストーリー性を廃し、ドキュメンタリータッチというか、ほとんどバラエティ番組のノリでトーナメントの様子を描いている点に特徴があります。トーナメントが開催されるまでの経緯も試合を実況しているアナウンサーが説明するだけです。したがって、トーナメントの試合が本作の見所のすべてなのですが、どうにもこれがパッとしないのです。とはいえ、俳優陣が素人で動きがぎこちないというわけではありません。本物の格闘家も多数参加している出演者たちの技のキレは本物で十分に説得力があります。それではなにが問題なのかというと、撮り方です。たとえ一流の格闘家を揃えても本当に闘うわけではなく、あくまでも闘っているふりなので、それを迫力があるようにみせるには演出やカメラワークなどを工夫する必要があります。ところが、本作の場合はドキュメンタリータッチにこだわるあまり、そういったものが一切なく、ただ撮っているだけなのです。その結果、ぎこちないごっこ遊びのような闘いを延々と見せられることになります。特に、主人公の繰り出す技は完全にダンサーの動きなので華麗ではあっても重みが感じられず、ノックアウトシーンの説得力が皆無です。したがって、迫力のある格闘シーンに期待すると間違いなく失望します。その代わり、最初からバカ映画として割り切っていれば見所満載です。中二病にしかみえない剣術家やあっけなく倒される忍者、イキリ傭兵などなど、謎のキャラが次々と現れるのでその辺りをツッコミながら見ればかなり楽しめるのではないでしょうか。
トーナメント [DVD]
児玉秀人
インターフィルム
2020-06-03


2015年

イップ・マン 継承(監督:ウィルソン・イップ)
1959年。イップ・マンは香港で武館を開き、詠春拳を教えながら妻子と暮らしていた。ところが、息子の通う小学校が不動産王のフランクに地上げの対象にされたことから、嫌がらせをするフランクの手下たちと小学校を守ろうとするイップ・マン一門は抗争状態となる。一方、イップ・マンと同じく詠春拳の達人であるチョン・フォンは、自分の武館を持つという夢のためにフランクの仕切る格闘技の賭け試合で名を挙げていく。チョンは自分とイップ・マン、どちらの詠春拳が上か雌雄を決するために対決を希望するが...。
◆◆◆◆◆◆
イップ・マンシリーズ第3弾。最初から最後までアクションの連続で非常に見応えのある作品です。まず、若き日のブルース・リー登場でテンションが上がりますし、ラストの詠春拳VS詠春拳もシリーズ屈指の名勝負です。しかし、異種格闘技映画という意味ではやはりマイク・タイソン演じるフランクとの1ラウンド勝負に尽きるでしょう。懐かしのピーカブススタイルで距離を詰めつつ、重いパンチを放つタイソンは迫力満点ですし、そのパンチを肘打ちで迎撃しつつ、蹴りで下半身を攻めていく展開はいかにも異種格闘技戦といった趣があります。他にもエレベーターでの対ムエタイ戦などもあり、見所には事欠きません。ストーリー的にはグダグダな部分がないではないのですが、それを差し引いても素晴らしいアクション映画だといえます。
イップ・マン 継承 [DVD]
チャン・クォックワン
ギャガ
2018-08-02



★★★
以下の作品はAmazon Prime Videoでも視聴可能です。希望の作品の画像をクリックするとPrime Videoの該当ページに行くことができます。




最新更新日2022/03/09☆☆☆

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SFが読みたい!2022
対象作品である2020年11月1日~2021年10月31日5発売の国内SF&ファンタジー作品の中からベスト20の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、ジャンルや作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。以上の点はあらかじめご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします
SFが読みたい!2022年版
早川書房
2022-02-10



SFがよみたい!国内版版 最終予想(2022年1月25日)

1位.異常論文(樋口恭介・編)→1位(実際の順位)※20位まで記載
人類と異星人との間で起きた抗争の顛末を高等数学を用いて分析した『決定論的自由意志利用改変について』、空中に伸びていくロープに登っていくという伝説のインドロープ魔術の真相を民俗学視点から解明しようとする『インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ』など、全23編を収録。
SF作家による架空の論文を収録したアンソロジーですが、検証の確かさに唸らされたり、あまりの奇想ぶりにな抱腹絶倒したりと、論文の方向性も実にさまざまです。特に、SF作家を実名で挙げながらその倒し方を解説していく小川哲の『SF作家の倒し方』が秀逸。ただ、冒頭の円城塔作品は難解すぎ。


2位.七十四秒の旋律と孤独(久永実木彦)→5位
時空間転移の際に生じる人間に認識不可能な74秒の間隙をついて宇宙船を襲う海賊とその対抗策として造られた人型戦闘兵器との戦いを描いた表題作と、漂流中の宇宙船の中で目覚めた8体の人工知性体がとある惑星で1万年の時を過ごすことになる『マ・ニ クロニクル(全5話)』を収録。
人工知性マ・フたちの運命を描いた年代記。いかにもハードSFといった設定を用いつつも、醸し出される雰囲気は極めて文学的です。小難しい理論はなく、どこまでも詩的で美しい物語が綴られていきます。哀しいトーンに彩られてはいますが、優しい語り口から得られる読後感は決して悪くありません。
七十四秒の旋律と孤独 (創元SF文庫)
久永 実木彦
東京創元社
2023-12-11


3位.感応グラン=ギニョル (空木春宵)→3位
昭和初期。浅草六区の片隅にある芝居小屋では夜ごと欠損少女による残酷ショーが行われていた。ある日、一座に無花果という名の新人がやってくる。彼女は五体満足で非常に美しかった。訝しがる少女たちに座長は告げる。彼女には心がないのだと。無花果の参加によって一座は大きく変貌していくが.....。
しばしば古典をモチーフとし、そこにSF的アイディアを絡めて残酷で退廃的な世界を描くというのが基本的な作風であり、なかでも『地獄を縫い取る』が強烈。VR児童買春を摘発するための囮AI開発話と伝説の遊女のエピソードが交互に語られ、やがてとんでもない結末を迎えます。極めて刺激的な作品集。
感応グラン=ギニョル (創元日本SF叢書 18)
空木 春宵
東京創元社
2021-07-29


4位.ポストコロナのSF(小川哲・柞刈湯葉・林譲治etc)→6位
コロナ禍により開催が困難となった神社の福男選びに代わってVR空間でのオンラインレースが人気を博していく『オンライン福男』、生身の肉体を捨てることでウィルスの脅威を克服したはずの人類が量子コンピューターにとりつく新たなウイルスに悩まされる『愛しのダイアナ』など、全19編収録。
日本SF界を代表する19人の作家がコロナ以後の世界を描いたアンソロジー集です。多少玉石混合な部分はあるものの、これからの世の中を考えるためのヒントとなる刺激的な作品が数多く収録されています。コロナの現実をリアルに描いたものから遥か未来の話まで幅広い作風を網羅した贅沢な一冊です。


5位.まぜるな危険(高野史緒)→4位
清姫を捨ててソ連へと帰国したアントンを大蛇と化した清姫が追い、焼き殺すという悲劇が起きる。それから月日が過ぎ、日本の大学で研究をしている物理学者は時間砲を用いて友人のアントンを救おうとしていた。ところが、時間砲が実用段階に入ったと聞かされた彼の甥の周辺で異変が起きはじめ......。
『清姫伝説』『ドグラ・マグラ』『屍者の帝国』『悪霊』などなど、古今東西のテキストを悪魔合体して創り上げたパロディ的作品集です。そのぶっとんだ発想が楽しく、元ネタを知らなくても十分楽しめる作品に仕上がっています。もちろん、知っていればより楽しめるのはいうまでもありません。
まぜるな危険
高野 史緒
早川書房
2021-07-16


6位.るん(笑)(酉島伝法)→2位
大流行した伝染病によって医療崩壊を経験し、医学よりも迷信が信じられるようになった世界。38度の熱を出した夫に対して妻は水をマドラーで一晩中かき混ぜて作った癒水を用意し、末期の蟠りで病院に入院していた老女もすぐに退院させられて「るん(笑)」と呼ばれる治療を始めることになるが.....。
科学を否定し、スピリチュアルなものに頼るようになった世界を描いた一種のディストピア小説。人々の歪んだ認識にぞっとする一方で、星座占いやアニミズム信仰などを混ぜ合わせたごった煮の世界観はあまりにもカオスで逆にユニークですし、著者独自の言語感覚もその世界観とよくマッチしています。
るん (笑) (集英社文庫)
酉島 伝法
集英社
2023-09-20


7位.大日本帝国の銀河(林譲治)→13位
1940年。天文学教授の秋津俊夫の元に旧友で海軍中佐の武園義徳が訪ねてくる。正体不明の爆撃機が突如現れ、搭乗員2名の内1名を射殺したというのだ。しかも、爆撃機は現代の技術では製造不可能なもので、生き残った搭乗員は火星から来たと言っているらしい。秋津は真偽の解明を依頼されるが.....。
宇宙人とのファーストコンタクトものですが、太平洋戦争前夜という情勢もあって各勢力の思惑が入り乱れているうえに宇宙人の真意もわからず、一筋縄でいかない展開に独自の面白さがあります。宇宙人の超技術で無双といった単純な話ではなく、絡め手を駆使した物語は大いに読み応えありです。
8位.日本SFの臨界点 中井紀夫 山の上の交響楽(著:中井紀夫/編:伴名練)→19位
山頂にある楽堂で数千年規模の交響楽を200年以上演奏し続けている楽団の舞台裏を描いた表題作、超低速時空に閉じ込められたバスだけが時の流れに取り残されていく『暴走バス』、突如目の前に現れた男たちが殴り合いを始める『殴り合い』、壁の果てを求めて旅する『見果てぬ風』など、全11篇収録。
日本SF界のレジェンドたちの埋もれた作品を俊英・伴名練が発掘していくアンソロジー企画の第3弾です。今回は奇想文学の名手と呼ばれる中井紀夫をフィーチャー。星雲賞受賞の表題作の他に、単行本初収録のものを含めた傑作が盛りだくさんです。伴名練による50ページ超の解説も読み応えあり。


9位.日本SFの臨界点 石黒達昌 冬至草/雪女 (著:石黒達昌/編:伴名練)→7位
弁護士の父親が悪性腫瘍と共存するホヤを研究することで神経芽細胞腫に冒された幼い娘を助けようとする『希望ホヤ』、旭川の郷土図書館で押し葉として発見された新種の冬至草の異様な生態が戦時中のアマチュア研究家の記録から明らかになる『冬至草』など、全8篇を収録した傑作選。
医師であり、3度に及ぶ芥川賞候補の実績もある石黒達昌のSF方面での業績を一冊にまとめたものです。物語としての面白さもさることながら、専門家だけあって医学や生命に関する考察が真に迫っていて圧倒されます。特に、新生物の生態とそれを研究する科学者の業に迫った『冬至草』が秀逸。


10位.
人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル(竹田人造)→11位
ハイテクを駆使して犯罪者を丸裸にする首都圏ビッグデータ保安システム特別法の制定によって首都圏での凶悪犯罪は激減する。そんな折、親の借金のカタに臓器を摘出される寸前だった元人工知能技術師の三ノ瀬はフリーランスの犯罪者である五嶋と出会い、現金輸送車の襲撃計画を持ちかけられるが.....。
第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作品。現実と地続きの近未来が舞台であり、SFというよりはハイテクサスペンスといった感があるのは好みの分かれるところです。一方、最先端のテクノロジーを駆使したサスペンスとしては非常によくできています。キャラも立っており、爽快感も申し分なしです。


11位.統計外事態(芝村裕史)※ランク外
2041年。世界人口が減少に転じ、日本も地方の過疎化が加速していた。そんななか、統計分析官の数宝数人は静岡の廃村で水道使用量が異常に増えているのを発見する。現地調査に赴く数人だったが、そこで見たものは全裸で駆け回る国籍不明の子供たちだった。しかも、さらに大きな騒動が巻き起こり.....。
統計SFとでもいうべき異色作です。統計学のスペシャリストを主人公に据え、統計学を通して近未来を活写しているところに独自の面白味があります。また、主人公と相棒役との掛け合いがテンポよく描かれ、上質なバディものとしても楽しめます。さらに、アクションシーンも満載なエンタメ傑作です。
統計外事態 (ハヤカワ文庫JA)
芝村 裕吏
早川書房
2021-02-17


12位.観念結晶大系(高原英理)※ランク外
芸術家たちが地上から遠く離れた結晶世界に想いを馳せる『物質の時代』、2人の少年がヴンダーベルトと呼ばれる結晶で覆われた世界を探索する『精神の時代』、石化症という奇病が流行して若者たちの肉体が少しずつ白い石になっていく『魂の時代』。全3部からなる夢想と変革の物語。
本作は思弁小説と呼ばれており、ジャンル的には哲学小説と幻想小説を掛けあわせたようなものだといえます。ストーリーは難解を極めますが、イマジネーションの奔流にうまく身を任せられれば、美しい物語を堪能することができるでしょう。特に、鉱物世界を探索する第2部の描写が圧巻です。
観念結晶大系
高原英理
書肆侃侃房
2020-11-21


13位.蒸気と錬金 Stealchemy Fairytale(花田一三六)※ランク外
蒸気錬金術によってエーテルの生成に成功し、その技術を用いて大きな発展を遂げた19世紀の大英帝国。一方、ロンドンで売れない小説を書いていた私は困窮し、編集者からアヴァロンへの取材旅行を提案される。見知らぬ青年から蒸気錬金式幻燈機を格安で売ってもらった私は意気揚々と旅立つが.....。
蒸気錬金術に関する記述は意外と少なく、奇想に満ちた世界観に期待すると肩すかしを喰らうでしょう。その代わり、三文作家である主人公のどこかピントのずれた語りと、蒸気錬金式幻燈機によって一種のAIナビとして出現する毒舌な妖精との掛け合いが独特の面白さを醸し出しています。


14位.ひとりぼっちのソユーズ (七瀬夏扉)※ランク外
僕は幼い頃、近所に引っ越してきた外国人の家を探索している最中にユーリヤという少女と出会う。ユーリヤは僕が彼女のスプートニクなることを求め、その日から2人は常に一緒に過ごすようになる。やがて、宇宙飛行士として月に立つこと夢見るようになった2人はその後、別れと再会を繰り返し......。
魅力的な2人のヒロインを配した切ないボーイミーツガールの物語と軽やかな文章ででライト層の心を掴みつつも、それを起点としてハードSF的なテーマへと話は広がっていき、SFファンにとっても読み応えのある作品に仕上がっています。何より、ラブストーリーとして幕を閉じるラストが感動的。
ひとりぼっちのソユーズ 上
七瀬 夏扉
主婦の友社
2021-09-10


15位.日本SFの臨界点 新城カズマ 月を買った御婦人(著:新城カズマ/編:伴名練)→16位
メキシコ帝国の公爵令嬢が求婚者たちに月の献上を求めたことから技術開発競争が勃発する表題作、参議院選の公開ディスカッションの最中に第三者が割り込んでくる『議論の余地はございましょうが』、職を失った母子が困窮から逃れるたに架空人になることを選ぶ『雨ふりマージ』など、全10編収録。
ラノベ作家として知られる著者のSF作品を集めたアンソロジー。多才な著者だけあってバラエティに富んだ作品が並んでいますが、特に、ベーシック・インカムをいち早く扱った『議論の余地はございましょうが』、著者の重要概念の一つである架空人が初めて登場する『世界終末ピクニック』などが秀逸。


16位.高原英理恐怖譚集成 (高原英理 )※ランク外
実録怪談の記事を書いて生計を立てている男は顔が半分しかない少年の噂を聞きつけ、彼が出没するという五丁目の路地について取材を行う。ところが、近くの別の路地では切断された大人の足首が発見されるという事件が起きていた。しかも、孤児にまつわる村ぐるみの犯罪が明らかになり......。
2009年に発売された『抒情的恐怖群』に5編の短編を加えた全12編の短編集。怪談の根源を探っていく『町の底』や青年とゾンビの恋人との愛の物語が切ない『グレー・グレー』なども安定の面白さですが、新規収録の「 闇の司」や「かごめ魍魎」などにもゾクゾクするような怖さと魅力に溢れています。
高原英理恐怖譚集成
高原英理
国書刊行会
2021-07-15


17位.ヴィンダウス・エンジン(十三不塔)
→18位
韓国人のテフンはヴィンダウス症に侵され、静止物が全く見えなくなってしまう。だが、試行錯誤の末に静止物が視認可能な寛解状態を保つことに成功する。そして、そのことにより、中国の研究所からヴィンダウス症の寛解者と都市機能AIを接続するという途方もない実験の協力を要請されるのだが......。
第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞。ヴィンダウス症という独創的なガジェットを巧みに用いて描かれる近未来が魅力的です。特に、電脳都市と化した中国が印象的で、そこで展開されるAIとの戦闘シーンは思わず手に汗握ります。ただ、少々詰め込みすぎでリアリティに欠ける場面があるのが難です。


18位.一千一ギガ物語(藤井青銅)※ランク外
オンライン授業を導入している学校に通う陽菜の元に、オンライン学習システムを通して一晩に一話づつのショートショートが配信されるようになる。その物語は奥深さを感じさせる寓話からドタバタコメディまでバラエティに富んでいた。次第に物語の世界に引き込まれていく陽菜だったが.......。
本作には作中作として28篇のショートショートが収録されており、完成度の高いショートショート集として楽しむことができます。そのうえ、通して読むことでひとつの大きな物語が浮かび上がってくるという仕掛けが見事です。読後に感じる一抹の不気味さも印象的なメタSFの傑作です。
一千一ギガ物語
藤井青銅
猿江商會
2021-06-25


19位.ヒトコブラクダ層ぜっと(万城目学)※ランク外
異能の力を持つ三つ子の兄弟、梵天・梵地・梵人。彼らは貴金属泥棒で大金を手に入れるも、ライオンを連れた謎の女に脅されて自衛隊に入隊するはめになる。しかも、PKOでイラクに派遣され、上司の女性尉官と共に古代遺跡の眠る砂漠をさ迷う羽目になるのだった。彼らがそこで見たものとは?
1000ページ近い大作で、前半は人物紹介や前振りが丁寧すぎてやや冗長な面があるものの、砂漠での冒険が始まってからは一気に面白くなっていきます。洗練された文章から繰り出される奇想天外波乱万丈の物語にぐいぐいと引き込まれていくのです。古代文明のロマン溢れる冒険ファンタジーの傑作です。
※文庫化の際に『ヒトコブラクダ層戦争』に改題
ヒトコブラクダ層ぜっと(上)
万城目 学
幻冬舎
2021-06-23


20位.Y田A子に世界は難しい(大澤めぐみ)※ランク外
人間そっくりのAIロボットの瑛子はわけあって和井田家に居候中。しかも、家族の勧めで高校に入学することになる。そこで彼女はアルバイトや部活をしたり、友人を作ったりして青春を謳歌していく。彼女にとっての世界はゆるかに変化し、やがて瑛子は自分の将来に想いを馳せるようになるが........。
会話劇が秀逸な作品で、高性能だがどこかずれている美少女型AIロボットと登場人物たちとの掛け合いは爆笑必死です。一方で、徐々に人間性を獲得し、周囲の人々と友情を育んでいく後半の展開は王道ながらもぐっとくるものがあります。極めて完成度の高いエンタメ作品です。
Y田A子に世界は難しい (光文社文庫)
大澤 めぐみ
光文社
2021-02-09



その他注目作30

21.庶務省総務局KISS室 政策白書(はやせ こう)
庶務省総務局通称KISS室は他省庁をたらいまわしにされた課題を押し付けられる左遷部署。ある日、地球温暖化実務者協議の準備を進めていた中村は、島崎室長の無駄話から流氷を沈めて海水温を低下させることを思いつく。参加者が会議そっちのけで食事に夢中になるなか、中村の案はなぜか採用され.....。
SF要素を絡めて現在の社会問題を皮肉った、全15編収録の風刺小説集。思わず脱力してしまうような企画が国際会議の場でなんとなく採用されてしまう展開が楽しい。全体にゆるい作品ですが、随所に辛辣な皮肉をまぶしているのが良いアクセントになっています。気軽に読めて考えさせられる良作です。


22.100年越しの君に恋を唄う。(冬野夜空)
作曲家の夢を親に反対された与一は家出をし、思い出の霧山村に向かう。そして、その地で記憶喪失の少女・結と出会うのだった。与一は結に惹かれていくが、やがて彼女は100年前からある使命を帯びて現代にやってきたのだという事実を思い出す。結が使命を終えて過去に帰ることを恐れた与一は.....。
ボーイミーツガールのラブストーリーを基調としつつも、SF面での設定が凝っており、時間SFとしてしっかり楽しめる作品に仕上がっています。しかも、後半からの畳み掛ける展開が見事であり、伏線回収の妙をたっぷりと堪能させてくれます。そして、その末に至る美しいラストが実に感動的です。


23.逡巡の二十秒と悔恨の二十年(小林泰三)
川で一緒に遊んでいた幼馴染を見殺しにしてしまった男が20年間の悔恨の末にたどり着いた場所を描いた表題作、食用の人間が 流通する世界で若い女の活き作りにハマってしまった女性の末路を描いた『食用人』、ある朝、妻や同僚がエイリアンに乗っ取られたことに気付く『侵略の時』など全9編収録。
2020年に亡くなった著者の単著未収録作品を集めた短編集。内容はバラエティに富んでいますが、決して残り物の寄せ集めといった印象はありません。特に、著者ならではのグロテスクさに満ちた『食用人』が強烈です。侵略ものや都市伝説ホラーのパロディ的な『侵略の時』や『メリイさん』も楽しい。


24.私立図書館・黄昏堂の奇跡 持ち出し禁止の名もなき奇書たち(岡本七緒)
新人司書の湊(みなと)が勤める私立図書館の黄昏堂は、鬱蒼とした雑木林に囲まれいるせいか来館者が異常に少なかった。その数少ない来客のひとりが忽然と姿を消す。消えた来客を探している最中に館長の空汽(うつろぎ)に案内されたのは地下書庫の隠し扉だった。その扉は異界へとつながっており......。
 第8回ネット小説大賞受賞作です。本を巡る冒険譚を描いたビブリオファンタジーですが、軽快な文章とは裏腹に本を巡る深い考察があり、本好きの人であれば引き込まれていくのではないでしょうか。ローファンタジーの世界の中に狂気やサスペンスなどの要素が散りばめられおり、読み応えは満点です。


25.君たちは絶滅危惧種なのか?Are You Endangered Species?(森博祠)
国定自然公園の湖岸で釣りをしていた男性が何者かに襲われ、重傷を負う。また、公園内の動物園でも1カ月前にスタッフが殺害されており、それ以前から正体不明の大型動物も目撃されている。グアトたちはそれが人工生命体ウォーカロンなのかの判定をしてほしいという情報局からの依頼を受けるが.....。
WWシリーズ第5弾。肉体を放棄してヴァーチャル世界への移行が進行しているなかでのモンスター騒動が描かれています。そのせいかアクション満載なのにどこか冷え冷えとした印象を受けます。ヴァーチャル優位の世界において現実とは何かを問うシリーズのテーマをより一層深化させた一編です。


26.ほねがらみ(芦花公園)
大学病院に勤務している私は趣味で怪談を収集している。さまざまなつてを伝って集めた情報は呪われた村、手足のない体、白蛇伝説など多種多様だ。しかし、一見バラバラに思えた怪談はやがて一本の線で繋がり始める。そして、私は知らず知らずのうちに恐怖の沼へと引きずりこまれようとしていた。
とにかく主人公の語り口がうまくて思わず話に引き込まれていきます。都市伝説から宗教ホラー、サイコパスと多種多様な怪談が扱われ、それらの関連性が明らかになって下りにゾッとします。巧みな伏線回収によって思いもよらぬ真相が浮かび上がってくる構成力も見事です。存分に怖さを味わえる傑作。
ほねがらみ (幻冬舎文庫 ろ 1-1)
芦花公園
幻冬舎
2022-05-12


27.怖ガラセ屋サン(澤村伊智)
浦部は怪談収集が趣味の会社の後輩から子供たちの間で流行っている怪談を調べてほしいと頼まれる。息子に取材をし、妻に後輩の話をすると「怪談なんてバカバカしい。本当に怖いのは人間」だという。だが、後輩と彼女の婚約者を夕食に招待し、そのことに触れたところ彼の周辺で奇怪な出来事が......。
依頼を受けて人々を恐怖のどん底に叩き落とす怖ガラセ屋サンの暗躍を描いた連作集です。怪談として完成度が高いうえに、なかにはミスディレクションを施したミステリーとして楽しめる作品もあります。恐怖とはなにかという恐怖談義も興味深く、オチも一編ごとに工夫が凝らされた傑作です。
怖ガラセ屋サン (幻冬舎単行本)
澤村伊智
幻冬舎
2021-10-27


28.異端の祝祭(芦花公園)
就職活動に失敗し続けている島本笑美。その原因は生者と死者の区別がつかないことにあった。しかも、異形の者たちは自分の姿に気づいている笑美にまとわりついてくるのだ。ようやく食品会社に就職が決まったものの、その研修で彼女が目にしたのは奇声を上げながら這いずり回る人々だった...。
『ほねがらみ』のスピンオフ作品ですが、グロテスクではあるものの、怖さに関してはそこまでではありません。その代わり、民俗学や宗教学を駆使してカルト集団の謎に迫っていくプロセスには引き込まれます。緻密なロジックで謎を解きつつも、次第に狂気に侵食されていく物語がなんとも魅力的です。
異端の祝祭 (角川ホラー文庫)
芦花公園
KADOKAWA
2021-05-21


29.裏世界ピクニック 6 Tは寺生まれのT(宮澤伊織)
空魚はある日突然記憶喪失になる。自分が大学生であることは覚えているが、鳥子を含め、裏世界に関わるすべての記憶が失われていたのだ。そのことを知った鳥子たちは空魚にDS研の医療施設で精密検査を受けさせる。だが、異常は全く発見できなかった。右目が失明していることを除いて.....。
ネット怪談の中でも異色中の異色作『寺生まれのTさん』をモチーフにした一編です。今回も怖さという点ではさほどでもありませんが、空魚の記憶喪失から始まり、混迷を深めていく謎に引き込まれます。キャラの関係性の描写も濃厚で百合好きな人にとっても読み応えのあるエピソードだといえます。


30.隷王戦記1.フルースィーヤの血盟(森山光太郎)
東西中央の3つの世界の内、東方世界は牙の民の王・エルジャムカが怒涛の進軍を続けていた。そして、草原の民に対しても「服従か死か」の選択を迫る。剣士カイエンは想い人を救うために剣を取るが破れ去り、中央世界の砂漠都市に流れ着く。軍人奴隷となった彼はさらなる戦乱に身を投じるが......。
シリーズ3部作の第一弾。海外の本格的なハイ・ファンタジーと比べるとキャラや世界観の描き込みに物足りなさは感じるものの、読みやすい文章で描かれる戦闘シーンは迫力満点です。また、主人公が奴隷に身を落としながらも這い上がってくる王道的な展開も読み応えがあります。なかなかの良作です。
31.裏世界ピクニック 5 八尺様リバイバル(宮澤 伊織) 
突如開催されることになったラブホ女子会。空魚と鳥子、それに友人3名を集めて行われたのだが、空魚は酔い潰れて途中から記憶がない。しかも、鳥子たちに尋ねても、昨夜何があったのかを教えてくれないのだ。空魚は右目の能力が暴走してみんなに迷惑をかけたのではないかと心配するが.....。
シリーズも5巻を数え、初期にあった都市伝説ホラーのゾクゾク感はほとんど感じられないほどに希薄になっています。その代わり、百合テイストは濃厚さを増す一方で、もはやガチの領域に入っています。ストーリー的な進展もあまりなく、主に空魚と鳥子の掛け合いを楽しむ巻だといえるでしょう。


32.ゴールデンタイムの消費期限(斜線堂有紀)
小学生で作家デビューし、天才と謳われた綴喜文彰は4年間全く新作を書けないでいた。高校3年になり、焦燥感にかられる彼は天才再教育の国家事業『レミントン・プロジェクト』への参加を決意する。それはAI・レミントンとのセッションによって才能をリサイクルするというものだった。
AIとのセッションというSF的ガジェットを用いて才能に行き詰った6人の若き天才たちの苦悩と葛藤を描いた青春小説です。SFとしての目新しさやヒネリなどは特にないものの、人間の才能とAIとの絡め方が巧みで興味深く読むことができます。爽やかな結末も好印象です。


33.銀獣の集い 廣嶋玲子短編集(廣嶋 玲子)
老人は5人の男女に対し、最も優れた銀獣を連れてきた者に自分の財産をすべて譲ると告げる。それから1年後。5人は再び老人の元に集まるが、中には銀獣を連れてくることが出来ない者もいた。老人はその者たちにも経緯を説明するように促し、面白い話なら褒美を取らせないでもないというのだが......。
ファンタジー小説を3篇収録した作品集。いずれも、ドロドロとした人の欲望や残酷な運命を美しい筆致で描き上げ、印象深い物語に仕上げています。なかでも、石の卵から生まれ、所有者の想いを反映させながら人々を狂気や悲劇へと誘っていく銀獣を描いた表題作が秀逸です。
銀獣の集い 廣嶋玲子短編集
廣嶋 玲子
東京創元社
2021-01-09


34.白き女神の肖像(鴇澤亜妃子)
”東方之女神”という絵が話題を呼び、画家のショーンは一躍時代の寵児となる。だが、絵のモデルである妻はその絵の女は自分ではないという感覚に囚われていく。次第に彼女は憔悴し、命を落としてしまうのだった。しかも、彼女に代わってモデルを務めることになった女性も同じことを口にし始め.......。
本作は、芸術を巡る幻想譚であり、庭や祭りの描写一つ一つに独特の美が感じられ、思わず引き込まれていきます。また、人を死へと追いやる肖像画の存在には読んでいてぞくぞくするものを感じます。非常に魅力的な雰囲気を纏った作品ですが、全体的に説明不足な点は好みのわかれるところです。
白き女神の肖像
鴇澤 亜妃子
東京創元社
2020-12-10


35.SIP 超知能警察 山之口 洋 | 2021/10/21
戦争と区別がつかなくなっ犯罪を取り締るべく超知能警察が誕生した。2029年。科学研の第四室長の逆神に特命が下る。東北各県における卒業アルバム損壊多発事件などの3つの事件の真相を究明せよというのだ。一見無関係なそれらの事件はやがて東アジアの安全保障を脅かす危機へと繋がっていく.....。
近未来の警察小説です。近未来といっても今から数年後の世界なので現実離れした秘密道具などは登場せず、現時点ですでに研究中の技術が用いられています。その中にあって執事風AIアシスタントの存在がユニーク。ミステリーとしてもバラバラな事象が次第に繋がっていく展開は読み応えありです。
SIP 超知能警察
山之口 洋
双葉社
2021-10-21


36.ホワイトバグ 生存不能(安生正)
世界各地で起きる怪現象。いずれも猛吹雪の中での出来事であり、吹雪が去ったあとには死体の山が築かれていた。日本の気象観測隊も襲撃を受けたことから、事態を重くみた政府は同業者からツマハジキにされてる登山家や研究者を招集し、事態究明のためにアフガニスタンに向かわせるが......。
著者十八番の破滅ものですが、今回は破滅の引き金となるものの正体がなかなかユニークです。過去の大絶滅と絡めてくるところなどは知的好奇心が刺激されます。ただ、登場人物たちが常にいがみ合っているので読んでいてストレスが溜まります。お約束展開とはいえ、少々やりすぎな感が拭えません。
37.おきざりにしたリグレットを拾いに。あの日のきみへと、もう一度(板橋雅弘)
バンドグループを結成し、高校2年の文化祭でステージに立った6人。それから、40年近くが過ぎ、メンバーの一人だった木村が亡くなる。孤独死だったという。葬儀に集まった残りの5人は旧交を温めつつ、心に抱えてきた苦い思いを打ち明ける。そのとき、大地震が起き、5人は過去に戻されるが....。
人生やり直し系のタイムスリップものです。過去に戻るのが中盤辺りと結構長いため、SF展開を期待して読み始めた人はかなりジリジリするかもしれません。一方、タイムスリップの設定を上手く活かして結末に繋げるやり方はなかなかよくできています。SFの形を借りた青春群像劇として秀逸です。


38.ぜんしゅの跫(澤村伊智)
負傷した妹の真琴に代わって”見えない通り魔事件”の調査を請け負った琴子が巨大な化物の謎に挑む表題作、結婚式に参列した男が錯乱した醜女の花嫁に「お父さん!」といってしがみつかれる『鏡』、病院で赤い学生服の少女を目撃した患者が次々と死んでいく『赤い学生服の女子』など、全5編収録。
霊能力姉妹の活躍を描いた比嘉姉妹シリーズ5弾。短篇集であるためか過去4作の長編作品と比べると派手さには欠けるきらいがあります。しかし、怖さはしっかり味わえますし、意外な人物が意外なところで登場するなど、シリーズのファンにとっては興味深い内容となっているのがうれしいところです。


39.拝み屋念珠怪談 緋色の女(郷内心瞳)
拝み屋・郷内心瞳はかつての依頼者である女性から12冊のノートを渡される。それは、郷内に勧めに応じて怪談話を収集したものだった。しかも、怪談体験者に別の体験者を紹介してもらうという、リレー方式で構成されていた。郷内はそれを読み進めるうちにある異様な符合に気がつくが......。
前作の『幽魂の蔵』で完結した実録怪談シリーズの続編。本作ではバラエティに富んだ怪談話が紹介されており、それらの相互作用によって不穏な空気を強めていきます。そして、その末に迎える結末がインパクト大です。実録系だけに明快な解決もなく、それが底冷えのする恐怖を一層際立たせています。


40.君の心を読ませて(浜口倫太郎)
エマは感情を有し、高度な演算能力よって相手が何を考えているか洞察することができるAIだ。人の心に寄り添い、常にサポートを欠かさない彼女に人々は魅了され、今やエマなしの生活は考えられないまでになっていた。ところが、エマとの共同生活プロジェクトの最中に、若者の一人が謎の死を遂げ.....。
AIの反乱をテーマにした近未来SFです。閉鎖空間でクローズドサークルミステリーのごとく次々と登場人物が死んでいく展開は手に汗握ります。また、平易な文章でテンポ良く描かれているのでサクサク読めるのも美点だといえるでしょう。ただ、終盤の展開に関しては少々肩透かしな感あり。
君の心を読ませて
浜口 倫太郎
実業之日本社
2021-03-12


41.沼の国 (宮田光)
母の内縁の夫であるDV男から逃れ、亮介たち一家四人はぬばんぼという怪物が棲むと噂される沼のほとりに建つ亡き曾祖母の家に引っ越してきた。しかし、母はそこでも新しい男を作り、その男は亮介たちを虐待し始める。やがて悲劇が起き、恐るべきぬまんぼが姿を現す。果たしてその正体とは?
ぬばんぼの恐怖を描いたホラー小説かと思いきや、児童虐待の問題が予想以上に大きなウエイトを占めているので読んでいてぐったりしてきます。ぬまんぼの意外な正体にも驚かされ、それと絡む一家の秘密に慄然とします。また、男に依存する女が我が子を犠牲にする社会問題を描いた作品としても秀逸。
沼の国 (二見ホラー×ミステリ文庫)
宮田 光
二見書房
2021-10-21


42.バイター(五十嵐貴久)
伊豆半島沖の島で未知のウイルス感染が広がり、罹患者は血肉を求める暴徒と化していく。政府はそれをバイターと名付けて対策に乗り出すが、問題の島には中学生になる総理大臣の娘が訪れていた。彼女を救うべく、警察と自衛隊の混成チーム”ブラッド・セブン”が結成されるが.......。
王道的なゾンビもので、ストーリー的な目新しさは特にありませんが、ゾンビのおぞましさや人間の愚かしさといったお約束描写がしっかりと描かれていてホラー映画好きの人であれば安心して楽しめる作りになっています。ただ、同じようなシーンの繰り返しが多くて少々冗長な面があるのが難です。
バイター
五十嵐 貴久
光文社
2020-12-22





43.君が笑うまで死ぬのをやめない 雨城町デッドデッド(砂糖悪糖)
大学に進学した灰原雅人は一人暮らしをすることになり、アパートを借りる。そして、部屋に入るなり髪の長い女に刺殺されてしまう。だが次の瞬間、赤い服を着た少女が時を巻き戻し、雅人は生き返るのだった。少女は自分をサンタクロースだといい、もうこの部屋には入るなと忠告するが.......。
死ぬたびに過去へと戻るいわゆるループものですが、ループする回数が尋常ではありません。悪霊に何度殺されても部屋に入ることを諦めない主人公の猪突猛進ぶりが笑えます。しかし、後半になると悪霊の身の上が明らかになり、切なさはが募ってきます。笑いとシリアスとの配分が絶妙なうえに、テンポよく読むことができるポップな文体が秀逸です。完成度の高いライトSFだといえます。


44.ホーンテッド・キャンパス 待ちにし主は来ませり(櫛木理宇)
クリスマスイブの夜。森司は高校時代から想い続けていたこよみとのデートをついに実現する。幸せを噛みしめる森司だったが、そんなときにも怪異は起きる。ツリーの根本で発見した異様な姿をした人形。それは1年前にオカ研に持ち込まれたいわくつきの人形ですでに供養されたはずなのだが......。
クリスマスを舞台にした短編3作を収録したシリーズ18弾です。今回は主人公のデートイベントと並行して他のキャラクターたちのエピソードも語られ、群像劇的な趣向になっています。恒例の蘊蓄も安定の面白さです。ただ、最後に話が壮大になりすぎた点は好みのわかれるところかもしれません。


45.クロウ・ブレイン(東一槇)
日本新聞社会部の新人記者である権執院怜一はカラスが人を襲う事件が多発していることを知り、カラスの生態に詳しい学者に取材を行う。だが、その学者は取材直後に自殺し、カラスに襲われた人々からは鳥インフルエンザが広まっていく。そして、彼自身も公園でカラスの群れの襲われるが......。
第19回このミステリーがすごい大賞・隠し玉作品。ライトな作風で話のテンポもよくサクサクと読むことができます。一方で、生物学やマスコミ業界の蘊蓄もたっぷり盛り込んでいるので知的好奇心を満たせる作りなっています。ただ、暴走する主人公とあっさりしたラストは好みの分かれるところです。


46タイムスリップしたら、また就職氷河期でした(南綾子)
2019年。桜井凛子は就職氷河期の時代に就活で挫折を繰り返し、婚活にも失敗した挙句、気がつけばアラフォーとなっていた。人生に絶望する彼女の頭上に突如雷が落ち、気がつくと1999年にタイムスリップしていた。彼女は同じく過去に戻ってきた男性と再会し、共に逆転人生を目指そうとするが......。
よくある過去に戻って人生やり直し系SFですが、未来の知識を使って無双!とはなかなかいかないところが逆に新鮮。また、人生を再体験することで若い頃の未熟さに気付いて成長していく展開は地味ながらも読み応えありです。実際に氷河期を経験している人はより共感を得られるのではないでしょうか。


47.ゴーストリイ・サークル ――呪われた先輩と半端な僕 (栗原ちひろ)
浅井行(ゆき)には霊が視える力を有しており、芸術大学進学のために引っ越してきた下宿先でも初日から不穏な電話や物音に悩まされる。それを知った美しい先輩・瀬凪ほのかは彼に霊をやり過ごすことを提案する。やがて、2人は霊をやり過ごすためのサークル「コンテンツ研究会」を立ち上げるが......。
怪異への対処法として祓うのではなく共存を目指すというのは小野不由実の『営繕かるかや怪異譚』などにありますが、やり過ごすというのはなかなか斬新。全体的な雰囲気はホラーというよりもほろ苦い青春ものといった感じですが、それでも日常に潜む怪異の描写はなかなかの不気味さです。それに、怪異をやり過ごすといってもそれで完全解決するわけではないという点も物語の説得力を高めています。


48.京都くれなゐ荘奇譚 呪われよと恋は言う(白川紺子)
長野で暮らす16歳の澪は幼い頃から黒い陽炎のようなものに「お前は二十歳まで生きられないよ」と言われ続けていた。彼女の生家は蠱師の一族で、伯父はなぜか澪に長野を出てはいけないと告げる。彼女は無断で京都に行き、そこで邪霊に襲われる。高良という高校生に窮地を救われる澪だったが...。
呪詛・巫女・式神などが登場する伝奇小説です。とはいえ、それほどオドロオドロしいものではありません。悲恋と転生が主題で先が気になる作りになっています。テンポが良くてサクサク読める良作ですが、世界観の描写があっさりしすぎている点とワガママ系ヒロインは好みのわかれるところ。


49.下町不思議町物語(香月日輪)
小学6年の直之は西方からやってきた転校生で、クラスでは方言の抜けないことをからかわれていた。また、母親はなく、家では祖母につらくあたられている。それでも直之は明るさを失うことがない。なぜなら、不思議な下町にいる師匠や仲間たちがいつでも彼を暖かく迎えてくれるからだ。
ファンタジックな要素を組み入れた少年の成長物語です。心温かな物語にほのかなユーモアを織り交ぜ、ほんわりした気分にさせてくれます。主人公の健気な性格が可愛らしく、関西弁もいい味を出しています。子ども向けの体裁を取りながらも大人でも十分に楽しめる傑作です。
下町不思議町物語 (徳間文庫)
香月日輪
徳間書店
2021-04-14


50.大正幽霊アパート鳳銘館の新米管理人 (竹村優希)
23歳の鳳爽良は強い霊感を有しており、幼い頃から霊の存在に悩まされてきた。就職しても霊感体質のせいで長続きしない。そんなある日、彼女は疎遠になっていた祖父から「鳳銘館を相続してほしい」という遺言が届く。大正時代の華族の洋館を改装したそのアパートには謎多き住人たちが住んでおり...。
シリーズ第1弾。レトロな雰囲気の洋館を舞台にした幽霊譚は、ホラーとハートフルな要素が絶妙に混じり合っており、読み応えがあります。幼馴染の無口な青年やアパートで飼われている犬なども魅力的ですが、主体性に欠けるヒロインのキャラに関しては好き嫌いが分かれるかもしれません。



チェック漏れ作品

万博聖戦 (牧野修 )→8位
森贄人・御厨悟・波津乃未明の3人は子供こそが本来の人類であり、大人たちは侵略者である大人人間が憑依した姿だという事実に気付く。子供たちは長きに渡ってその支配を逃れるために戦い続けていたのだ。そして、1970年。コドモ軍は大阪万博で大人人間と激突し、ついに勝利を手にするが...。
1970年と2037年の2つの大阪万博を巡る戦いが、前半はノスタルジックに、後半はサイバーパンク風に描かれています。1970年の物語は分かりやすくて魅力的ですが、後半は話の展開が目まぐるしく分かりにくさを感じるかもしれません。日本の現状におけるストレートすぎる風刺も好みの分かれるところ。
万博聖戦 (ハヤカワ文庫JA)
修, 牧野
早川書房
2020-11-05


機龍警察 白骨街道(月村了衛)→9位
軍事機密を他国に売り飛ばそうとした国際指名犯の君島がミャンマーの奥地で逮捕される。だが、紛争の続くミャンマーでは警察が機能しておらず、身柄を引き取るには現地まで出向かなくてはならないという。官邸の指名によって突入班の3名がミャンマーに足を踏み入れるが、そこには様々な罠が....。
警察小説としてミステリーファンから高い評価を受けているシリーズですが、今作はSFアクションとして読み応え十分です。特に、ミャンマーの密林で行われる装甲兵装のバトルは手に汗握ります。しかも、物語が進むにつれて戦いもスケールアップしていくのでテンションは上がりっぱなしです。


テスカトリポカ(佐藤究)→10位
メキシコの麻薬密売組織を牛耳る四兄弟は抗争の末に3人が殺されてしまう。唯一生き残った三男のバルミロは国外へと逃れ、その途上で出会った日本人臓器ブローカーと共に日本で新手の臓器ビジネスを始める。一方、メキシコ人女性とヤクザの間に生まれた土方コスモはバルミロに才能を見いだされ...。
本作はジャンル的にはノワールであり、間違ってもSFやファンタジーではありません。そういう意味において本作のランクインは驚きです。しかし、全編を彩る血と暴力の物語にはアステカ神話のエッセンスが散りばめられており、そこから滲みでる神話性が多くの人にSF的魅力を感じさせるのでしょう。


播磨国妖綺譚 あきつ鬼の記(上田早夕里)→11位
室町時代の播磨国。兄の薬師・律秀と弟の僧侶・呂秀の2人は物の怪を退ける法師陰陽師でもある。物の怪が見えるのは呂秀だけだが、優秀な律秀は弟と協力して村で起きる怪異を解決していく。ある日、かつて蘆屋道満に仕えていたという式神が現れ、蘆屋家の血を引く呂秀に自分の主になれというが....。
物の怪をテーマに下連作短編ですが、おどろおどろしさはなく。むしろ優しい雰囲気に包まれている点に独自性があります。簡易ながらも美しい文章が魅力的で、庶民の暮らしやぶりや播磨の風土、さらには猿楽などの当時の文化といったものが物語に絡みつつ活写されているのも大きな読みどころです。
播磨国妖綺譚 あきつ鬼の記 (文春文庫)
上田 早夕里
文藝春秋
2023-12-06


山の人魚と虚ろの王(山尾悠子)→14位
男は年の離れた従妹と結婚し、新婚旅行に出掛けるが、そこで伯母の訃報が飛び込んでくる。彼女は有名な舞踏団の主宰者で”山の人魚”と呼ばれていた。男は妻と共に夜の宮殿で伯母の追悼公演を鑑賞し、そこで奇妙な体験をする。さらに、山のお屋敷での葬儀で伯母の相続人に指名された妻が攫われ....。
曖昧模糊とした物語はまるで夢のようであり、話の内容を理解するのは至難を極めます。その代わりに、機械仕掛けの山や踊り狂うバレエ団などといった絢爛たる描写は圧倒されるばかりです。無理にストーリーを理解しようするのではなく、美しいイメージの奔流に身を任せたいところです。
山の人魚と虚ろの王
山尾悠子
国書刊行会
2021-02-27


レオノーラの卵 日高トモキチ小説集 (日高トモキチ) →15位
チェロ弾きや眠り鼠たちが店に集まってレオノーラという娘の卵から生まれるのは男か女かを賭ける表題作、ある港町を訪れた旅人が万有引力先生や笛木女史の協力を得て作業船に乗っていた人々が閃光と共に消えたという13年前の事件の謎に挑む『旅人と砂の船が寄る波止場』など、全7篇収録。
漫画家と小説家と2つの顔を持つ著者ですが、小説に関してはこれが初の作品集です。その作風は一言でいうと自由奔放。起承転結や伏線回収にはこだわらず、様々なオマージュやパロディを気ままに盛り込みつつ、自らのセンスだけを頼りに物語を転がしていく手法はパワフルな楽しさに満ちています。
レオノーラの卵~日高トモキチ小説集~
日高 トモキチ
光文社
2021-05-25


彼岸花が咲く島(李琴峰)→17位
彼岸花が咲き乱れる島に流れ着いた記憶喪失の少女はヨナという娘に助けられる。島は女性によって統治されており、ヨナはその島の歴史を継承するノロになりたいのだという。一方、少女は宇美という名を与えられるも、島で暮らすにはノロになる必要があった。そのためには女語を習得しなければならず...。
第165回芥川賞受賞作品である本作最大の特徴は"ニホン語"”ひのもとことば""女語”という日本語に近い3つの架空言語が混在している点です。それにより、異文化コミュニケーションをファンタジックに再現した楽しさがあります。ただ、主題であるフェニミズムの思想がやや類型的な点は好みの分かれるところ。
【第165回芥川賞受賞作】彼岸花が咲く島 (文春e-book)
李 琴峰
文藝春秋
2021-06-25


失われた岬(篠田節子)→20位
自然志向の主婦がついには限界集落に居を移し、そのまま行方をくらましてしまう。そして、ノーベル賞作家や深窓の令嬢らも同じく北の果ての岬へと消えていく。しかも、その中の一人は「霊的な世界に繋がる場所を知っている」という謎めいた言葉を残していた。失踪者の家族や友人は彼らの行方を追うが...・
失踪者を巡る前半の物語は、サスペンスミステリのフォーマットを踏襲しているものの、後半に入ると舞台が未来に飛ぶなど、SF色を強めてきます。しかも、ホラー的でもあり、現代社会に警鐘を鳴らすテーマ性も見逃せません。こうしたた面性が魅力である一方、人によっては詰め込み過ぎだと感じるかも。
失われた岬 (角川書店単行本)
篠田 節子
KADOKAWA
2021-10-29


2022年2月15日追記
予想結果
ベスト5→5作品中4作的中
ベスト10→10作品中7作的中
ベスト20→20作品中12作的中
順位完全一致→20作品中2作品

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最新更新日2022/02/17☆☆☆

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SFが読みたい!2022
対象作品である2020年11月1日~2021年10月31日発売の海外SF&ファンタジー作品の中からベスト20の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、ジャンルや作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。以上の点はあらかじめご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします
SFが読みたい!2022年版
早川書房
2022-02-10



SFがよみたい!海外版 最終予想(2022年1月22日)

1位.三体Ⅲ 死神永生(劉慈欣)→1位(実際の順位)※20位まで記載
羅輯の奇手により、三体文明と人類との間に不戦条約が結ばれる。ようやく訪れた平和な世界の下で人類と三体文明は共存の道を歩んでいくものと思われていた。だが、微妙なバランスで保たれていた平和は突如瓦解する。三体文明の計略によって人類はオーストラリアに強制移住させられたのだ...。
シリーズ完結編。前巻で大団円かと思われた物語はさらにスケールアップを遂げ、読者の想像力の限界に挑んできます。難解さは増した一方で、ハードSFとしての読み応えはシリーズ中随一です。テンポも良く、一気に時空の彼方へと飛ばされていくような疾走感がたまりません。SF史に残る大傑作です。
三体Ⅲ 死神永生 上
劉 慈欣
早川書房
2021-05-25


2位.ネットワーク・エフェクト: マーダーボット・ダイアリー (マーサ・ウェルズ )→13位
人型警備ユニットの弊機は新たな任務のために調査隊の宇宙船に乗り込んでいた。しかし、その宇宙船は航行用のワームホールを抜け出たところで何者かのミサイル攻撃を受ける。しかも、敵船はドッキングして移乗攻撃を仕掛けようとしていた。果たして弊機は乗組員たちを守り切ることが出来るのか?
前作に続いて本作も海外SF賞を総なめにした傑作です。その魅力はなんといっても、高性能かつ有能でありながら内面ではぼやきまくっている弊機の語り口にあります。それに加えて、激しいアクションや未知の星系の謎といったSF的な面白さも満載です。極めて優れたエンタメ作品だといえるでしょう。


3位.わたしたちが光の速さで進めないなら(キム・チョヨプ)→4位
始まりの地へ巡礼の旅に行くと帰らないことを選択する者が出る『巡礼者たちはなぜ帰らない』、寿命が数年しかない異星人の不思議な生態が地球人の目を通して語られる『スペクトラム』、故郷に帰るためにもう出ることのない宇宙船を宇宙停留所で待ち続けている老女を描いた表題作など、全7編収録。
ワームホール、コールドスリープ、マインドアップロードなどといったSF的な設定を詰め込みながらも、それを平易な文章で綴り、誰でも理解できる普遍的な物語に仕上げています。派手な展開こそありませんが、科学的好奇心と物語に対する感受性を同時に満たしてくれる希有な作品集です。
わたしたちが光の速さで進めないなら
キム チョヨプ
早川書房
2020-12-03


4位.火星へ (メアリ・ロビネット・コワル)※ランク外
1952年の巨大隕石衝突によって環境が悪化しつつある地球。人類は新天地を求めて月に拠点を築き、次なる目標を火星入植に定めていた。1961年。女性宇宙飛行士エルマは航法計算士として初の火星有人探査のクルーに選ばれるが、宇宙開発よりも地球自体の問題改善に力を入れるべきとの声も多く......。
SF賞総なめの『宇宙へ』の続編。本シリーズは現実より数倍の速度で宇宙開発が進むIFの世界を描いており、歴史改変SFとしての面白さがあります。同時に、SFの形を借りて社会のあり方を問う優れた社会小説でもあるのですが、前作とは主人公の立場が反転しているのが興味深く色々考えさせられます。
火星へ 上 (ハヤカワ文庫SF)
メアリ ロビネット コワル
早川書房
2021-07-14


5位.宇宙の春(ケン・リュウ)→5位
ビッグバンから収縮までの宇宙の一生を四季に例えて描く表題作、愛国心を疑われて捕虜との交換で日本に送られた日系二世のアメリカ人女性がオカルト研究を行っている98部隊に配属される『マクスウェルの悪魔』、歴史の真実とは何かを問う『歴史を終わらせた男ードキュメンタリー』など全10編収録。
短編SFの名手であるケン・リュウの日本オリジナル編集の作品集第4弾で、あいかわらず質の高い作品がずらりと並んでいます。特に、731部隊を題材にして、タイムマシーンを用いても収まることのない歴史論争の根深さを描いた『歴史を終わらせた男ードキュメンタリー』は読み応えのある傑作です。
宇宙の春 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ケン リュウ
早川書房
2021-03-17


6位.サハリン島(エドゥアルド・ヴェルキン)→15位
全面核戦争と人々をゾンビ化させる恐るべき伝染病により、鎖国政策を敷いた日本以外の国は滅亡の淵に追い込まれていた。そんななか、ロシア人の血を引く未来学者・シレーニは調査のために大陸との緩衝地帯であるサハリン島へと渡る。ゾンビと犯罪者がはびこる地で彼女が見たものとは.........。
核戦争後に日本領となったサハリン島を舞台に、ヒロインの地獄巡りを描いたデストピア小説。緻密な設定に基づく狂った世界観が強烈で、読みやすい訳文も相俟ってぐいぐいと引き込まれていきます。残酷さとユーモアが入り混じったイマジネーションの奔流が忘れ難い読後感を与えてくれる傑作です。
サハリン島
エドゥアルド・ヴェルキン
河出書房新社
2020-12-22


7位.こうしてあなたたちは時間戦争に負ける(アマル・エル=モフタール /マックス・グラッドストーン)→3位
あらゆる時空の覇権をめぐって戦いを繰り広げている〈エー ジェンシー〉と〈ガーデン〉。それぞれの工作員であるレッドとブルーは幾多の時間線で邂逅し、次第にお互いを好敵手として意識するようになっていく。いつしか2人は密かに手紙を交換し合う関係となり、さまざまな話をしていくが....。
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国SF協会賞を受賞。宇宙大戦ものですが、物語のほとんどを女性2人の手紙のやり取りで構成している点が異彩を放っています。情感たっぷりの手紙に多様なSF的アイディアを盛り込み、避けられない運命のクライマックスへと流れ込んでいく展開が秀逸です。


8位.クララとお日さま(カズオ・イシグロ)→18位
子どもの愛玩用アンドロイドとして開発された人工フレンドのクララ。人格を有している彼女は毎日店の窓から外を観察していたが、ある日、14歳の少女、ジョージの家庭に買われていった。ジョージとクララは互いに信頼し合って仲を深めていくも、やがてクララは一家の大きな秘密を知ることになり.....。
日系イギリス人である著者のノーベル文学賞受賞後第一作。物語はクララの視点から描かれており、世界に対する認識の未熟さを表現するために文体は児童書っぽくなっています。そのなかでアンドロイドから見た人間の本質が浮かび上がってくる構成が見事です。また、近未来SFとしてのギミックも満載。
クララとお日さま (ハヤカワepi文庫)
カズオ イシグロ
早川書房
2023-07-19


9位.ビンティ─調和師の旅立ち─ (ンネディ・オコラフォー)※ランク外
遥か未来。アフリカのビンバ族の少女・ビンティは銀河系随一の名門であるウウムザ大学に合格し、生体宇宙船に乗って旅立つ。だが、その途中でウウムザ大学と敵対している異星種族メデュースの襲撃を受ける。彼女は自分は調和師師範だと名乗り、命の保証を条件に大学との交渉役を引き受けるが.....。
ヒューゴー賞&ネビュラ賞受賞。アフリカ少数部族の伝統や風習をSFに絡めた点が興味を掻き立てられます。また、主人公が調和師師範の能力使って様々な対立構造を粘り強く解決していく姿には小気味よさを感じます。特殊な用語に慣れるまでが大変ですが、それを乗り越えて読む価値のある傑作です。


10位.この地獄の片隅に(編:J・J・アダムス編作:ジャック・キャンベル他)→19位
空調の調整から娯楽の提供まで至れり尽くせりのパワードスーツに搭載された恐るべき機能を描いた表題作、深海作業用のパワードスーツが極秘情報を拾ったことで謎の勢力との戦闘に発展していく『深海採集船コッペリア号』、19世紀の蒸気アーマーが登場する『ケリー盗賊団の最期』など、全12編収録。
パワードスーツをテーマにしたアンソロジーです。23編が収録されていた2013年刊行の原書を12編に絞り込んだものですが、それでもボリュームはかなりのもので色々なタイプのパワードスーツを堪能できます。パワードスーツの起動描写はどれもかっこ良く、バラエティに富んだ世界観も魅力的です。


11位.時の子供たち (エイドリアン・チャイコフスキー )→2位
地球の終焉を察知した人類は他の惑星のテラフォーミング計画を進める。ドクター・カーンが担当する惑星では、猿たちが地球の文明を引き継ぐ手筈になっていたが、人類至上主義者の妨害によって失敗に終わってしまう。しかし、絶滅した猿に代わって蜘蛛たちがナノウイルスによる進化を始め...。
2016年度アーサー・C・クラーク賞受賞。小難しい作品の多い昨今のSFに対し、ストレートに楽しめるエンタメSFに仕上がっています。本作は人類パートと蜘蛛パートに分かれていますが、特に面白いのは後者であり、人類とは異なる独自の文化や技術はセンスオブワンダーにあふれてワクワクします。
時の子供たち 上 (竹書房文庫)
エイドリアン・チャイコフスキー
竹書房
2021-08-02


12位.マザーコード(キャロル・スタイヴァース)※ランク外
2049年。アフガニスタンのゲリラ鎮圧のために使用されたバイオ兵器は想定外の事態によって暴走し、パンデミックを引き起こす。人類滅亡を前にして科学者たちは遺伝子操作によってバイオ兵器に免疫を持つ子供たちを作りだし、すべてをマザーと呼ばれるAIロボットに託した。そして、12年が過ぎ......。
パンデミックに立ち向かう人々の奮闘と人類滅亡後の新人類の世界を並行して描いていく終末SF。ただ、パニック映画のような派手な展開はなく、いかに人類を存続させるかというプロジェクトが中心になっています。地味ではあるものの、プロジェクトの内容は知的好奇心が刺激されてワクワクします。
マザーコード (ハヤカワ文庫SF)
キャロル スタイヴァース
早川書房
2021-04-14


13位.時間の王(宝樹)→8位
事故の影響で過去の自分に意識を移動できるようになった男が幼少期に親しかった白血病の少女を助けようと奮闘する表題作、タイムトラベルが実用化された世界で"曹操が食べたラーメン"というどう考えてもインチキな宣伝文句を歴史的事実にしてしまおうとする『三国献麺記』など、全7篇を収録。
時間をテーマにした作品集ですが、ユーモラスで軽めの作品が多いので中国SF入門編として最適です。なかでも、甘酸っぱいテイストを満喫できる表題作や散りばめられた歴史ネタが楽しい『三国献麺記』、不老不死になった男と時間を逆行している女のラブロマンスを描いた『成都往事』などが秀逸。
時間の王
宝樹
早川書房
2021-09-16


14位.最終人類(ザック・ジョーダン)※ランク外
多様な種族がひしめくネットワーク宇宙。人類は忌むべき存在とされ、滅ぼされる。だが、一人の少女だけが生き残り、ウィドウ類のシェンヤに拾われていた。彼女は身の安全のために別の種族になりすましていたが、あるとき正体を暴かれてしまう。逃げ出した少女は自らの出自の謎を探る旅に出る....。
広大な宇宙を冒険するスペースオペラですが、個性豊かな知性体の描写にSF心をくすぐられ、ワクワクします。また、知性体にも階層があり、レベルの異なる種の間でのやり取りが一筋縄ではいかない点がユニークです。物語も荒削りではあるものの、後半にいくほどスケールアップし、読みごたえは十分。
最終人類 上 (ハヤカワ文庫SF)
ザック ジョーダン
早川書房
2021-03-17


15位.帝国という名の記憶 (アーカディ・マーティーン)※ランク外
遥か未来。辺境の地に住むマヒートは銀河を支配するテイクスカラアン帝国に大使として派遣され、そこで前任の大使がアナフィラキシーによって窒息死した事実を聞かされる。真相究明のために宮邸の奥深くにまで踏みこんでいった彼女は、やがて皇位継承権を巡る闘争に巻き込まれいくが......。
2020年度ヒューゴ賞受賞。デビュー作でありながらその描写力は卓越しており、帝国の文化やテクノロジーを豪華絢爛に描き上げています。一方、複雑な人間関係を紐解きつつ、陰謀劇のドラマを盛り上げていく手管も申し分ありません。驚くようなギミックこそないものの、じっくり読ませる傑作です。
帝国という名の記憶 上 (ハヤカワ文庫SF)
アーカディ マーティーン
早川書房
2021-08-18


16位.6600万年の革命(ピーター・ワッツ)※ランク外
銀河系にワームホール網を構築するべく、亜光速恒星間宇宙船エリオフェラ号が3万人の乗組員を乗せて地球を旅立ってから6500万年の歳月が過ぎていた。そして今、数千年に1度しか目覚めない乗組員たちと、宇宙船の全機能を制御するAIとの100万年に及ぶ攻防が始まる......。
短編集『巨星』の一編で直径2億kmの巨大知性体との邂逅を描いた『島』の前日譚です。専門用語が多すぎて難解だと思うかもしれませんが、これでもワッツの作品としてはわかりやすい方です。そこを乗り越えれば、著者お得意の「人ならざる知性体」の描写をたっぷり満喫することができるでしょう。
6600万年の革命 (創元SF文庫)
ピーター・ワッツ
東京創元社
2021-01-09


17位.新しい時代への歌 (サラ・ピンスカー)→11位
テロと伝染病の蔓延化に伴い、観客を入れてのライブは参集規制法によって禁じられているようになっていた。そんな中、アバターで顧客に対応する仕事に従事していたローズマリーは仮想空間でのライブに触れたことで音楽の新たな魅力を知り、ミュージシャンを発掘するスカウトに転職するが......。
2020年度ネビュラ賞受賞作。人々の直接的接触が禁じられ、それによって犯罪率の減少や貧富の差の是正といった具合により良い世界になっている側面を描きつつも、それだけでは満たされず、ライブの熱狂を追い求める人々の姿が感動的。自分らしい生き方へのこだりをSFに託して描いた傑作です。
新しい時代への歌 (竹書房文庫 ぴ 2-1)
サラ・ピンスカー
竹書房
2021-09-15


18位.人之彼岸(郝景芳)→20位
AIによって自分の分身を作りだせる世界を描いた『あなたはどこに』、どんな重症患者でも入院すれば全快になるという病院の謎を追う『不死病院』、AI開発者に対する傷害事件が契機となってAIが人間に反逆する可能性についての論争が巻き起こる『愛の問題』など、全6編収録。
中国SFを代表する作家の一人であり、日本でも『折りたたみ北京』で注目されるようになった郝景芳によるAIをテーマにしたエッセイ&短篇集です。ただ、本作に関してはどこかで見たような話やオチが多いのが少々残念。とはいえ、『乾坤と亜刀』は本作のテーマ性を総括するトリの作品として見事です。
19位.中国史SF短篇集-移動迷宮(編:大恵和実/作:馬伯庸、韓松、夏笳・他)→10位
孔子が天を支えるとされる泰山を目指す『孔子、泰山に登る』、諸葛亮孔明がコーヒーの栽培を成功させたことによってコーヒーが中国史に深くかかわるようになるというifの世界を描いた『南方に嘉蘇あり』、幽霊で溢れかえった洛陽を骸骨の巨人が引っ張る『陥落の前に』など、全7編収録。
ここ数年は中国SFのアンソロジーが次々と発売されていますが、本作は中国史をテーマにしたものばかりを集めているのが目を惹きます。孔子や諸葛亮孔明といった日本でもお馴染みの偉人が意外な活躍をしたり、有名な史実が思わぬ奇談へとながっていたりするので興味深く読むことができます。
20位.時の他に敵なし(マイクル・ビショップ )→6位
ジョシュアは幼少のころより、しばしば太古の夢を見ていた。しかし、夢と呼ぶにはそれはあまりにもリアルだった。成長したジョシュアが古人類学者のブレアに相談したところ、実際に時間旅行をしている事実が明らかになる。そして、彼は国家タイムトラベルプロジェクトに参加することになるが...。
タイムトラベルがテーマですが、歴史改変ものではなく、更新世前期を舞台に主人公と旧人類であるホモ・ハビリスとの原始生活がひたすら描かれていきます。波乱万丈な展開こそないものの、文化人類学的な知見に富み、知的好奇心が刺激される一冊です。さりげなく散りばめられたユーモアも好印象。
時の他に敵なし (竹書房文庫 び 3-1)
マイクル・ビショップ
竹書房
2021-05-31



その他注目作25

21.黒魚都市(サム・J・ミラー)
異常気象によって都市は次々と水没し、国家の秩序は崩壊していった。故郷を失った難民たちは北極圏に建てられた洋上巨大都市・クアヌークへと逃げ込む。だが、その地には性交した相手の記憶が流れ込み、死に至るという奇病が蔓延していた。そこにシャチと北極熊を引き連れた謎の女性が訪れるが.....。
巨大海上都市を舞台にした近未来SFです。水没した世界、AI都市、死に至る謎の病、動物と意思の疎通を可能にするナノマシンといった具合にさまざまなギミックを散りばめ、SFマインド溢れる作品に仕上がっています。また、立場の違う5人の語り手を用意して物語に奥行きを与えている点も秀逸です。


22.不死身の戦艦 銀河連邦SF傑作選(編:J・J・アダムズ /作:アレステア・レナルズ他)
銀河連邦がそろそろ身を固めようと、他の銀河から結婚相手を探す『星間集団意識体の婚活』、中央諸世界に所属するサイボーグ宇宙船だったヘルヴァが銀河を翔けめぐる『還る船』、星間連合の星々を旅し、そこで目にしたさまざまな文明を手紙に綴った『ジョーダンへの手紙』など、全16篇収録。
J・J・アダムズ 編纂のアンソロジー第3弾。今回のテーマは銀河帝国ですが、既存のイメージにとらわれることなく、バラエティーに富んだ作品が集められています。なかでも、『星間集団意識体の婚活』は銀河連邦が婚活するという抱腹絶倒の一編です。その他にもクオリティの高い作品が盛りだくさん。
不死身の戦艦 銀河連邦SF傑作選 (創元SF文庫)
キャサリン・M・ヴァレンテ
東京創元社
2021-07-21


23.蛇の言葉を話した男(アンドルス・キヴィラフク)
かつて森で暮らす民は蛇の言葉を用いて動物たちと意思の疎通を行っていた。そして、1万人の人々が集まれば、空飛ぶ大蛇サラマンドルを呼び寄せることも出来たという。だが、今ではその言葉を使える者は10人に満たない。少年はその一人である叔父に蛇の言葉を教わりながら成長していくが......。
本作は古い森の伝統と森の外にある村のキリスト教的価値観との対立をファンタジーの形を借りて描いた作品ですが、登場する人物や動物がぶっ飛んでいるため、エンタメとしても抜群に面白い作品仕上がっています。両方の実情を知っているために森と村のいずれにも与することのできない少年が印象的。
蛇の言葉を話した男
アンドルス・キヴィラフク
河出書房新社
2021-06-26


24.だれも死なない日(ジョゼ・サラマーゴ)
ある日を境にその国の人間は誰も死ななくなった。国民は最初歓喜に沸き立つが、すぐに絶望へと変わる。不死になっても怪我や病気が治るわけではなく、老化現象も以前と同じように継続されていたからだ。死だけがなくなったことで国内は混乱に陥り、死を求める人々は国外への脱出を試みるが.......。
1998年にポルトガルで初めてノーベル文学賞を受賞した著者の2005年の作品です。人類の悲願である不老不死のうち、不死だけが実現したらどうなるのかという緻密なシュミレーションと死に対する鋭い考察は非常に読み応えがあります。また、中盤以降の急展開と意外な結末にも驚かされる傑作です。
だれも死なない日
ジョゼ・サラマーゴ
河出書房新社
2021-09-23


25.複眼人(呉明益)
大学教師のアリスは山で夫と子を失い、自殺を考えながら海岸沿いで日々を過ごしていた。一方、神話的世界のワヨワヨ島に住む少年・アトレは次男として生まれた者の掟に従い、生誕より180回目の満月の夜に終わりなき海の旅へと出る。死への旅路だったが、やがて彼はゴミで出来た漂流島に漂着し.....。
現実とは微妙に異なる世界が多くの登場人物の視点から語られ、やがて一つの物語へと集約されていく群像劇です。各エピソードは最初単なる断片にすぎないのですが、それがイメージの奔流と共に一つとなり、やがて世界の全体像が明らかになってゆくさまに圧倒されます。終末的幻想小説の傑作です。
複眼人 (角川書店単行本)
小栗山 智
KADOKAWA
2021-04-05


26.蜂の物語 (ラリーン・ポール )
女王を頂点とし、労働を称える教理に従って多くの働きバチが過酷な労役に従事する蜂社会。フローラ七一七はそんな蜂社会の最下層として生まれれるが、高い知性を有していたために次第に重要な役割を任されるようになる。そして、巣の存続の危機が迫ったとき.、彼女は神聖なる母性を手にする...。
本作は知性を持つ蜂を主人公に据え、蜂社会をリアルに描いた擬人化小説です。その結果、ディストピア小説の味わいが出ているのがいかにもユニーク。作中で描かれる蜂社会はなんとも神話的ですし、スズメバチとの死闘も読み応えがあります。唯一無二の読書体験をもたらしてくれる異色作です。
蜂の物語
ラリーン・ポール
早川書房
2021-06-16


27.猫の街から世界を夢見る(キジ・ジョンスン)
猫の街ウルタールで大不祥事が起きる。女子カレッジに通うクラリーが"覚醒する世界"からやってきた男と駆け落ちしてしまったのだ。彼女の祖父である神が目覚め、その事実を知れば街は灰燼に帰すだろう。かつて旅人だった女性教授のヴェリトはクラリーを連れ戻すべく旅に出るが......。
世界幻想文学大賞中編部門受賞作。ストーリー的な起伏には欠けるものの、登場する猫が愛らしく、不思議な世界を旅する紀行ものとしても楽しく読むことができます。クトゥルー神話を下地にした世界観にもワクワクします。ただ、展開がゆったりしすぎている感があるのは好みの分かれるところです。
猫の街から世界を夢見る (創元SF文庫)
キジ・ジョンスン
東京創元社
2021-06-30


28.レイヴンの奸計(ユーン・ハ・リー )
数学と暦が物理法則を凌駕する暦法によって星間帝国を支配する六連合。だが、隣国ハフンによる侵攻が始まり、大艦隊を迎撃に向かわせるも突如現れた反逆者ジェダオに艦隊を乗っ取られてしまう。しかも、ジェダオは六連合ではなく、ハフンと戦うことを宣言するのだった。はたしてジェダオの思惑は?
『ナインフォックスの覚醒』の続編。ジャンル的にはスペースオペラですが、オリジナリティに富んだ技術体系や社会文化を背景とした難解さはハードSF的でもあります。難解さ故の読みにくさはあるものの、スペースオペラを現代風にバージョンアップし、スタイリッシュな物語に仕上げたのは見事です。
レイヴンの奸計 (創元SF文庫 リ 2-2)
ユーン・ハ・リー
東京創元社
2021-08-12


29.死人街道(ジョー・R・ランズデール)
19世紀の半ば。無頼の牧師、ジュビダイア・メーサーは腰に銃を下げて荒野を旅していた。銃は邪悪なるものを討ち滅ぼすためのものだ。そして、彼は街に溢れる死人の群れや魔道書によって召喚された怪物などといった闇の存在と対峙し、神に対して呪詛の言葉を吐きながら戦いに身をと投じていく...。
全5編の連作短編。低俗趣味満載のB級ホラーで、神を呪いながら戦い続ける牧師がクールです。クトゥルフ神話に派手な西部劇アクションをプラスした作風も痛快で、極上の娯楽作に仕上がっています。
死人街道
ジョー・R・ランズデール
新紀元社
2021-06-01


30.中国・アメリカ謎SF(編:柴田元幸、小島敬太/作:ヴァンダナ・シン、梁清散・他
「絶対ケースを開けるな」と書かれた試作パソコンの動作チェックをしている内にそのパソコンと打ち解けていく『マーおばさん』、食べごろの豚バラ肉が蠢く灼熱の惑星に不時着した宇宙飛行士がなんとか焼肉を食べようと悪戦苦闘する『焼肉プラネット』など、米中のSFを6編収録。
2人の編集者が日本ではあまり知られていない作家の作品をそれぞれ米中から持ち寄り、1冊の本にまとめたアンソロジー。共通したテーマはないものの、中米中米と交互に読んでいくと中国とアメリカのSF観の違いが鮮明に浮かび上がってくるのがユニークです。ちなみにアメリカ側の作家はすべて女性。
中国・アメリカ 謎SF
白水社
2021-01-30


31.断絶ーエクス・リブリスー(リン・マー)
2011年。中国で発生した未知の伝染病・シェン熱はたちまち世界中に広がっていく。この病気は感染すると機械的に生活習慣を繰り返すゾンビと化し、やがて死に至るのだ。幼い頃に中国からアメリカに移住したキャンディスは一人ニューヨークに残り、ゾンビに囲まれながら日常生活を続けるが.......。
中国系米国作家による2018年発表のパンデミック小説。ただ、その中身は主人公が自身の半生を振り返る私小説的な内容になっており、パニック小説のようなものを期待すると肩すかしを覚えるかもしれません。その代わり、抑制された筆致で綴られる寂寥感溢れる描写は終末ものとして読み応えありです。
断絶 (エクス・リブリス)
リン・マー
白水社
2021-03-25


32.旱魃世界(J・G・バラード)→14位
世界的な旱魃により、今や文明社会は崩壊しようとしていた。分子膜が海面を覆い、水の循環が完全にストップしてしまったのだ。海面が後退し、地表は塩と砂で覆われていく。そんななか、破滅までの時間を怠惰に過ごしていた医師のランサムは建築家ローマックスの不穏なたくらみに巻き込まれ..。
破滅三部作の第2弾として1964年に米国で発売された『燃える世界』には英国バージョンが存在します。それを半世紀後に初邦訳したのが本作です。しかも、全面的な改稿がなされているために著者ならではの退廃の美が全面に押し出され、『燃える世界』とは全くテイストの異なる物語になっています。
旱魃世界 (創元SF文庫)
J・G・バラード
東京創元社
2021-03-19


33.幻夢の英雄 (ブライアン・ラムレイ)
地球と異世界を行き来するデイヴィッド・ヒーローと放浪者のエルディンはひょんなことからコンビを組むことになり、魔法の杖を盗んできてほしいという依頼を受ける。その杖は、巨岩の城塞で冥き神・イブ=ツトゥルを奉じる神官スィニスター・ウッドが持っているという。だが、それは狡猾な罠で......。
クラシカルなヒロイックファンタジーとクトゥルフ神話を融合させた幻夢境シリーズの一編です。クトゥルフ神話といえば強大な旧支配者を前にして登場人物たちがひたすら翻弄され続けるのが定番のところを互角に渡り合っている点が異彩を放っています。トラックで異世界転生するという設定も楽しい。
幻夢の英雄 (青心社文庫)
ブライアン ラムレイ
青心社
2021-05-28


34.キャクストン私設図書館 (ジョン・コナリー)
1968年秋。本をこよなく愛するバージャーは、列車に飛び込んでも蘇る不思議な女性と出くわす。女は古い倉庫の私設図書館入っていくが、そこではハムレット、ホームズ、ドラキュラといった創作上の有名人が命を与えられて生活していのだ。それを知ったバージャーはある驚くべき行動に出る...。
本や物語をテーマにしたエピソードを4編収録した中短編集です。その内、表題作と『ホームズの活躍』は本好きの読者にとって実に楽しい作品に仕上がっています。一方、『虚ろな王』や『裂かれた地図』といった不気味な怪異譚もホラー好きな人にとってはぞっとした恐怖を味わえる好編です。
キャクストン私設図書館
ジョン・コナリー
東京創元社
2021-05-19


35.夜の獣、夢の少年(ヤンシィー・チュー)
大英帝国領マラヤのダンスホールでバイトを始めたジーリンは男性客とダンスを踊らされ、無意識に男のポケットから小瓶を抜き取ってしまう。瓶の中にはミイラ化した指が入っていた。彼女は男の行方を探すが、彼はすでに死亡していた。その小指は病院の看護婦から手に入れたものらしかったのだが...。
戦前のマレーシアを舞台に繰り広げられるオリエンタルなムードに満ちたファンタジーミステリー。冒険あり、謎解きあり、ロマンスありのエンタメ作品としてよくできており、物語の背景として語られる歴史背景や当時の文化なども興味深いものがあります。繊細な描写も申し分のない傑作です。
夜の獣、夢の少年 上 (創元推理文庫)
ヤンシィー・チュウ
東京創元社
2021-05-10


36.《ドラキュラ紀元》われはドラキュラ(ジョニー・アルカード)
フランシス・フォード・コッポラがマーロン・ブランドを迎えてブラム・ストーカーの〝歴史改変〟小説『吸血鬼ドラキュラ』を映画化しようとする『コッポラのドラキュラ  AD1976-77』、オーソン・ウェルズが『ドラキュラ』の撮影を試みる『真夜中の向こうへ  AD1981』など、全12編+αの作品集。
ドラキュラが世界を支配したパラレルワールドを描いたドラキュラ紀元シリーズにおける初の中短編集です。過去にさまざまな場所で発表されたものに新作書き下ろしを加え、全体で大きな流れを持つ連作集に仕上げています。映画をテーマにしており、実在の人物が話にどう絡んでくるかが大きな見所。



37.ミステリアム(ディーン・クーンツ)
高機能自閉症ながらもIQ186の天才ハッカーである11歳の少年ウッディは、密かに父の死の真相を探っていた。ある日、ハイテク企業の極秘研究所が爆発事故が発生し、彼のパソコンに不気味な文字列が浮かび上がる。一方、一匹のゴールデンレトリバーが声に導かれてウッディの元に向かっていた.....。
名作『ウォッチャーズ』と類似した設定を用いた後継機的作品。よく言えば王道、悪く言えば予定調和の物語は好みのわかれるところですが、善良な人々VS邪悪な存在という構図の中にいろいろな要素を詰め込んで読者を全く飽きさせないのはさすがです。エンタメ職人クーンツの熟練の味が光る佳品。
ミステリアム (ハーパーBOOKS)
ディーン クーンツ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-04-16


38.きらめく共和国(アンドレス・バルバ)
南米に位置するサンクリストバルは貧しくも緑豊かなジャングルに囲まれた美しい町だった。だが、1994年に先住民らしい32人の子供たちが現れ、その町を蹂躙し始める。警察は彼らが潜んでいると思われるジャングルを捜索するが居場所を突き止めることができない。それから数カ月が過ぎ......。
本作で描かれているのは子供たちの残忍さと未知のものを恐れる大人たちの心の弱さです。幻想譚の形を借りながら人間の本質を暴きだしていく一種の文明論的作品としてよくできています。また、過去を淡々と振り返っていく語り口により、ノンフィクションのような臨場感を醸し出しているのも秀逸。
きらめく共和国
アンドレス・バルバ
東京創元社
2020-11-11





39.クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界(ヤニス・バルファキス)
2025年。ギリシャに住むコスタは、自分の望む世界を脳内で疑似体験できる装置・HALPEVAMシステムを構築中に、偶然にも平行世界の自分と通信を交わす。そこでは2008年のリーマンショックを契機に資本主義が打倒され、新たな経済社会が構築さているという。それはどのようなものなのだろうか?
ギリシャの経済学者で急進左派の政治家でもある著者が資本主義に代わる体制を提言した思考実験的な作品です。ただ、本作で描かれている資本主義後の世界はどうにもツッコミ所が多すぎて上手くいくような気がしません。その代わり、資本主義崩壊のプロセスについてはなかなか読み応えがあります。
クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界
ヤニス・バルファキス
講談社
2021-09-14


40.小惑星ハイジャック(ロバート・シルヴァーバーグ)
23世紀。宇宙開発の発展は著しく、資源の宝庫であるアステロイドベルトは開発ブームに沸いていた。24歳のジョン・ストームも大企業の誘いを断って宇宙に飛び出す。それから2年。ジョンは大鉱脈の眠る小惑星を発見して地球に戻るが、登記したはずの小惑星はおろか自分の記録すら抹消されており.....。
1964年の作品ですが、昔懐かしの大衆SFといった感じで、当時全盛を誇っていたニューウェイブSFなどと比べると古臭さを感じます。ただ、その分、小難しさはなく、サクっと読むことができます。ワクワクするアクションシーンやヒネリのある展開も用意されており、エンタメとしては申し分なしです。
小惑星ハイジャック (創元SF文庫)
ロバート・シルヴァーバーグ
東京創元社
2021-04-28


41.世界を超えて私はあなたに会いに行く (イ・コンニム)
15歳のウニュは父と2人暮らし。だが、父は彼女に関心を示そうとはせず、なぜ母がいないかも教えてくれようとはしなかった。ある日、ウニュの元に手紙が届く。差出人は彼女と同じ名で、しかも、1982年を生きているという。過去のウニュは彼女に対して母親がいなくなった原因を探るというが......。
一種の定番ともいえるタイムリープを用いた感動ものです。世代を超えた2人のやり取りがユーモラスに語られ、そこから徐々に互いの家族の問題に踏み込んでいくことで読者の心を揺さぶっていきます。過去のウニュの正体についてはわかりやすいきらいがあるものの、感動の結末に導く手管は見事です。
世界を超えて私はあなたに会いに行く
イ・コンニム
KADOKAWA
2021-10-29


42.夜の声(スティーヴン・ミルハウザー)
開発ブームに沸く街がいつしか迷宮のようになってしまう『近日開店』、人魚の死体が打ち上げられた町の熱狂を描いた『マーメイド・フィーバー』、幽霊と共存する不思議な町の奇妙な実態をその住人が誇らしげに語る『私たちの町の幽霊』、夜中に少年が自分を呼ぶ声を聞く表題作など全8篇収録。
なんとも奇妙な世界を描きつつも精密な筆致でリアリティを高めていくという、著者ならではの特徴が存分に発揮されている作品集です。『マーメイド・フィーバー』や『私たちの町の幽霊』などがその典型だといえるでしょう。一方、『場所』は自分の居場所というものについて考えさせられる傑作です。
夜の声
スティーヴン・ミルハウザー
白水社
2021-10-29


43.エンド・オブ・オクトーバー(ローレンス・ライト)
インドネシアの難民キャンプで謎の伝染病が蔓延する。アメリカCDCのヘンリーは感染症対策班を率いて現地の調査に向う。そして、迅速な対応によって致死率70%以上のコンゴリウイルスを封じ込めるのだった。だが、やがて、感染者の一人が300万人の巡礼者が集まるメッカに向かったことが判明し...。
『倒壊する巨頭』でピュリツァー賞受賞の著者によるパンデミックサスペンス。数ある類似作の中でも本作はメリハリのある展開や圧倒的な情報量によって非常に読み応えのある作品に仕上がっています。
エンド・オブ・オクトーバー 上 (ハヤカワ文庫NV)
ローレンス・ライト 
早川書房
2021-05-18


44.アウトサイダー(スティーヴン・キング)
少年野球のコーチであるテリー・メイランドが少年殺しの容疑で逮捕される。複数の目撃証言、指紋、DNAとすべての証拠が揃っており、彼が犯人であることは明白だった。だが、彼は犯行時刻に遠く離れた場所にいた事実が逮捕後に証明される。この矛盾が解消されぬまま、初公判の日を迎えるが........。
物語の前半は少年惨殺事件を巡る捜査の模様が描かれ、その不可解な状況にぐいぐいと引き込まれていきます。まるで極上の本格ミステリを読んでいるかのようです。一方、後半になると物語はホラーへと様相を変え、こちらも読み応え十分です。ただ、ミステリーを期待した人にとっては肩透かしかも。
アウトサイダー 上 (文春文庫 キ 2-69)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2024-01-04


45.骸骨:ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚(ジェローム・K・ジェローム)
クリスマスイヴの夜にいわくつきの伯父の屋敷で客たちが怪異譚を披露しあう『食後の夜話』、仕事でインドに出向した男が臆病な妻を蛇の死骸を使って驚かせようとして思わぬ悲劇を招く『蛇』、偶然訪れた館の娘に恋をして20年後に当時と変わらぬ姿の彼女と再会する『二本杉の館』など全17篇収録。
1891年発表の短編集。怪異譚を軸にしながらもユーモアや悲哀を感じさせる話なども多数含まれており、バラエティに富んだ奇妙な味の物語を楽しむことができます。怪異譚としては徐々に恐怖がこみ上げてくる『骸骨』が秀逸ですし、恋愛ファンタジーの『二本杉の館』も心に染み入るものがあります。
骸骨:ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚
ジェローム・K・ジェローム
国書刊行会
2021-07-23


チェック漏れ作品

町かどの穴(R・A・ラファティ)→7位
帰宅した男が緑色のバケモノを夫だと思い込んで抱きしめている妻を目撃する表題作、惑星探査隊があらゆるものを盗んでしまうエイリアン・どろぼう熊に悩まされる『どろぼう熊の惑星』、考古学者たちが奇妙な絵文字が刻まれた石の謎に取り憑かれる『つぎの岩につづく』など全19編収録の傑作選。
『九百人のお祖母さん』など奇想天外なSF小説を多数遺した著者の魅力を網羅した短編集の第1弾です。どれも珍妙な話ばかりで読後忘れ難い印象を読者に与えます。たとえば、クレイジー度が突き抜けている表題作などはその代表例だといえるでしょう。他にも著者ならではの異形の傑作が盛り沢山。
過ぎにし夏、マーズ・ヒルで(エリザベス・ハンド)→9位
病を癒す存在がいるといわれているマーズ・ヒルの地で乳癌の母とひと夏を過ごしていた少女がその存在と電撃的な邂逅を果たす表題作、焼失した”世界初の飛行実験”の記録フィルムを元スミソニアン博物館の男たちが模型を使って再現しようとする「マコーリーのベレロフォンの初飛行}など全4篇収録。
世界幻想文学大賞やネビュラ賞を受賞した選りすぐりの中短編が収録された珠玉の作品集です、ただし、SFやファンタジーの要素は希薄なのでそのあたりに期待すると肩すかしを喰らうでしょう。その代わり、それらの要素を隠し味に用いて描く、儚くも美しい叙情性に満ちた物語の味わいは一級品です。


海の鎖(編集:伊藤典夫/作:ブライアン・W・オールディズ他)→11位
異星人の来訪に騒然となるなかで彼らとのコンタクトを試みるAIと人類の破滅を察知する少年を描いた表題作、大統領の依頼で世界最大のショウを行うことになった企業が100年前の広島原爆の再現に挑む『リトルボーイ、再び』、侵略宇宙人と科学者たちが頭脳戦を繰り広げる『擬態』など、全8篇収録。
SF翻訳家・伊藤典夫精選のアンソロジー集第3弾。6、70年代の作品を中心に非常に攻めたセレクションとなっています。特に、日本の名だたるSF作家たちを激怒させたという『リトルボーイ、再び』の不謹慎さは今なお衝撃的です。また、凝った構成の表題作も破滅SFとしてインパクトのある秀作です。
海の鎖 (未来の文学)
ガードナー・R・ドゾワ
国書刊行会
2021-06-27


オベリスクの門(N・K・ジェミシン)→16位
第5の季節と呼ばれる数百年周期の天変地異。これまでは甚大な被害を出しながらも特殊な能力を持つオロジェンたちによって絶滅を免れていたが、今度こそ決定的な破局が訪れるという。そして、ついに第5の季節がやってきた。降りしきる灰のなか、エッスンの娘・ナッスンは父と共に南極を目指すが...。
史上初の3年連続ヒューゴ賞を受賞した破滅三部作の第2弾です。前作『第5の季節』の思わせぶりな展開から一転、本作では遂に破局が始まり読み応えもアップ。ただ、場面があちこちに飛ぶ冗長な描写は相変わらずです。少々忍耐が必要かもしれませんが、確信に近づいている物語は見逃せないところ。
オベリスクの門 (創元SF文庫)
N・K・ジェミシン
東京創元社
2021-09-13


2000年代SF傑作選(編集:橋本輝幸/作:N・K・ジェミシン他)→17位
炭鉱の石炭を燃やして液化するという新技術が思わぬ大災厄を招く『地火』、オルタナティブ数学の世界の住人との邂逅を果たした前作『ルミナス』の10年後に不可侵条約が破られて数学理論を巡る大戦が勃発する『暗黒整数』、極めて確率の低い事象が次々と起きる『確率はゼロじゃない』など9篇収録。
名アンソロジーとして知られる『80年代SF傑作選』の意匠を継いだ00年代バージョンです。バラエティに富んだ作品が並んでいるものの、特にイーガンの『暗黒整数』は難解ながらもエンタメストーリーを数学定理を使って行っているのがユニーク。劉慈欣の中華SF『地火』も読み応えあり。
2000年代海外SF傑作選 (ハヤカワ文庫SF)
アレステア レナルズ
早川書房
2020-11-19



2022年2月15日追記
予想結果
ベスト5→5作品中3作的中
ベスト10→10作品中4作的中
ベスト20→20作品中14作的中
順位完全一致→20作品中2作品

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最新更新日2021/01/12☆☆☆

ミステリーの世界には究極のトリックと呼ばれるものが存在します。それが「犯人=読者」です。本を読んでいる読者がその本の中で描かれている犯罪の犯人であるという事実を作中の探偵によってロジカルに証明する。そんな話を成立させるためのトリックです。もちろん、到底可能だとは思えませんし、実際、それを完全な形で成し遂げた作家は誰もいません。おそらくは錬金術や永久機関と同様に、見果てぬ夢なのでしょう。しかし、そんな不可能ごとにあえて挑戦し、不可能を可能にしようと試みた作品もいくつか存在します。具体的にどのような作品があり、その結果はどうだったのかについて紹介していきます。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

※注意事項
当然ながら、「犯人=読者」に挑戦した作品を紹介するというのは、犯人が誰かを教えることであり、ネタバレに直結します。もっとも、「犯人=読者」のテーマを扱った作品において重要なのは犯人が読者であるという事実ではなく、それをどのようにして成立させるかです。したがって、犯人が読者だと事前に知っていたとしても読書の楽しみが奪われるといったことはおそらくないでしょう。それでも、犯人が私たち読者だと判明したときの衝撃をいつの日か予備知識なしで味わいたいという人は、ここから先には進まずに引き返すことをおすすめします。

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1


1964年

虚無への供物(中井英夫)
宝石商として成功を収め、財を成した氷沼家はある日を境に不幸の連鎖に見舞われる。まず当時の当主だった誠太郎が1934年の函館大火に巻き込まれて焼死し、続いて長女の朱美とその息子である黄司が広島の原爆投下により死亡。さらには、1954年の洞爺丸事故によって氷沼家現当主・蒼司の父と叔父である紫司郎及び菫三郎が溺死したのだ。しかも、事故からわずか数カ月後には蒼司の弟の紅司が内側から鍵がかけられた浴室で謎の死を遂げる。紅司の裸体には鞭で打たれた痕跡が残っていたものの、死因につながるような外傷や毒物の使用は認められなかった。本来なら変死ということで警察を呼ぶべきだが、鞭の痕跡が氷沼家の不名誉につながる可能性を慮り、蒼司は弟の死を病死として処理する。しかし、ラジオライターで駆け出しシャンソン歌手の奈々村久生を始めとする蒼司の知り合いたちはみなミステリーマニアだったため、この一件を密室殺人だと断じ、真相を突き止めるべく推理合戦を行うことになるが.......。
◆◆◆◆◆◆
『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』に並んで日本三大奇書と謳われた作品です。4つの密室殺人に推理合戦という豪華絢爛な趣向を盛り込みながら、それらの面白さを全否定して最後にちゃぶ台返しを決めるのが本作の肝であり、それ故、アンチミステリーとも呼ばれています。そのアンチミステリーの一環として「犯人は読者」という話が出てくるのですが、これは一種のレトリックであり、「考え方によっては読者にも事件に対する責任の一端があるかもしれない」と言っているに過ぎません。いわば、社会派ミステリー的なアプローチであって、ロジカルに読者が犯人だという結論に至るわけではないのです。そういう意味で、「犯人=読者」というネタに過度な期待をすると肩透かしを喰らうことになります。とはいえ、それを抜きにしても本作はミステリー史に燦然と輝く異形の傑作であることには違いないので、興味のある人はぜひ一読してみることをおすすめします。


1972年

仮題・中学殺人事件(辻真先
漫画原作者の石黒竜樹が殺され、少女漫画家の山添みはるが逮捕される。そのうえ、石黒とコンビを組んでいた千晶留美にも嫌疑がかけられる。その事件の謎に挑むのは、女子中学生のスーパーこと可能キリコとその同級生で冴えない外見に反して優れた推理力を有するポテトこと牧薩次の2人だった。彼らは真犯人のアリバイトリックを見破って見事に事件を解決に導くが、2人の前には新たな事件が........。
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当時は『エイトマン』『サザエさん』などのアニメ脚本家として知られ、2020年には88歳にして年間ミステリーランキング3冠を達成した辻真先の実質的な作家デビュー作です(それ以前にも短編小説が雑誌に掲載されたことはありますが)。著者は本作の冒頭で、犯人は読者だと高らかに宣言し、物語の最後において見事にそれを証明してみせます。ただし、これは一種のミスディレクションであり、本当の意味で読者が犯人だったわけではありません。とはいえ、このアイディアは読み手の意表をつくものであり、独創性に満ちた仕掛けとして大いに評価したいところです。ただ、本作は元々中高生を対象としたジュブナイル作品であったためか、密室やアリバイといったサブトリックがあまりにも小粒かつ凡庸です。また、青春小説としても今読むと気恥ずかしいものを感じてしまいます。本作に挑戦するのであれば過大な期待は避け、あくまでも「犯人=読者」のネタを確認するために読むのだという割り切りが大切です。
1981年

宇宙戦艦富嶽殺人事件(辻真先)
ポテトこと牧薩次は大学4年になり、ミステリー作家として1本立ちしたいと考えていたが、なかなかうまくいかない。そんなとき出版社から執筆の依頼が入ってくる。神戸六甲大学アニメ研究会が宇宙戦艦ヤマトのパロディ作品として自主制作した「宇宙戦艦富嶽」を題材に「宇宙戦艦富嶽殺人事件」というミステリー作品を書いてくれというのだ。しかも、読者が探偵で被害者で犯人であることが条件だった。とりあえず、ポテトは取材のために神戸に出向くが........。
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スーパー&ポテトシリーズの第7弾です。シリーズ第1弾の『仮題・中学殺人事件』では「犯人=読者」のトリックを成功させた著者が、今度は「読者=探偵=被害者=犯人」というさらに高いハードルに挑戦しています。しかし、さすがに難易度が高すぎたようで、提示された真相は無理矢理感が強すぎてアイディアとしても評価しがたいところです。その代わり、本業がアニメ脚本家だけあって、当時のアニメブームの様子を生き生きと描くことに成功しています。また、本作よりシリーズ自体が一般レーベルに移籍したこともあって、青春小説としてはジュブナイル小説の『仮題・中学殺人事件』より、こちらの方が読み応えがあります。
1989年

犯人 存在の耐えられない滑稽さ(辻真先)
新進気鋭のミステリー作家である佐々環が先輩作家の若狭いさおの作品を批判したことに端を発し、2人の関係は拗れに拗れ、ついには果たし合いで決着をつけようということになる。決闘の場は伊良湖岬近くの小島にある若狭の別荘。それを知った文英局編集者の面々は慌てて島に駆けつけるが、若狭は密室と化した別荘ですでにこと切れていた。果たして犯人は佐々環なのか?
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複数の作中作を挿入したメタ構造に密室殺人、一人二役、アナグラムと本格ミステリのガジェットをこれでもかというくらい詰め込んだサービス満点の作品です。しかし、その分、一つ一つが薄味で、特にメイントリックだと思われる作中作の仕掛けは上手く機能しているとは思えません。読者が犯人だというネタもその一つであり、最後の最後でその仕掛けが明らかになるものの、はっきりいってどうでもいいレベルです。おそらく辻真先ほど「犯人=読者」のネタにこだわった作家もいないと思われますが、結局、トリックの出来としてはデビュー作の『仮題・中学殺人事件』を越えることはできずにいます。


1991年

予告された殺人の記録(高原伸安)
アメリカに滞在中の若手心理学者がロサンゼルスの高級住宅街で起きた殺人事件に巻き込まれる。しかも、ことはそれだけでは収まらず、彼の周辺では次々と怪事件が起きていく。果たして犯人は密室で自殺した男なのか?
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新本格ミステリブームの波に乗って発売された一冊ですが、知名度は決して高いとはいえません。実際、新本格ブームを振り返ったガイドブック『本格ミステリクロニクル300』で取り上げられたことによって初めて本書の存在を知ったという人も多いようです。しかし、これがなかなかの意欲作で密室殺人、アリバイ工作、ダーイングメッセージと本格ミステリのガジェットが盛りだくさんのうえに、舞台設定を活かした意外な真相もよくできています。ただ、作中で『薔薇の名前』の真相をバラしているため、未読の方は要注意です。また、肝心の「犯人=読者」の趣向ですが、これは先行作を踏まえたうえでの創意工夫は見られるものの、ちょっと納得しがたいものがあります。魅力的な要素はいろいろあるのですが、トータル的には壮大な失敗作といったところではないでしょうか。


1994年

蝶たちの迷宮(篠田秀幸)
1979年の秋。同人誌”停車場”のメンバーである篠田秀幸以下3名の大学生は下宿で眠っていたところを大音量の音楽で叩き起こされる。その音楽は同人誌の顧問をしている大学OB・香川京平の部屋から聞こえてくるのだが、ノックをしても返事がない。しかたなく、大家に合鍵を借りて戻ってみると音楽はぴたりと止んでいた。その代わり、部屋の中から女性の悲鳴があがる。慌てて鍵を開けて中に入ってみると、そこには京平の絞殺死体が転がっていた。しかも、悲鳴をあげていたはずの女の姿がどこにもないのだ。一方、以前”停車場”に原稿を持ち込んできた高校生が自殺をしていたことが判明する。秀幸たちは2つの事件に関連があるとみて独自に調査を始めるが........。
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著者は冒頭で「犯人は探偵であり、証人であり、被害者であり、作者であり、そして読者でもある」という、およそこれ以上はないと思われる大風呂敷を広げています。しかし、そんな欲張りな試みがそうそううまくいくはずもなく、案の定、空中分解を引き起こしています。「読者=犯人、他諸々」を成立させるためにレトリックにレトリックを重ねているのですが、それが訳のわからない域にまで突き抜けてしまっているのです。これで「犯人は読者だ!」と言われても納得できる人はまずいないでしょう。また、物語の方は学生運動や家庭内暴力の問題を中心に据えた社会派ミステリー風に仕上げているのですが、これがまた青臭くて読むのが苦痛なレベルです。そのため、バカミスと割り切って楽しむのも困難であるうえに、癖のある文章と必要以上に複雑な構成が本書を一層読みにくいものにしています。創作に対する溢れんばかりの情熱には大いに共感を覚えながらも、それが完成度につながっていない点がいささか残念です。
蝶たちの迷宮 (ハルキ文庫)
篠田 秀幸
角川春樹事務所
1999-07T


1998年

歪んだ創世記(積木鏡介)
男は見知らぬ部屋で目を覚ます。手には斧が握られており、それを使って部屋の扉を破壊した形跡があるものの、なぜ自分がこんなところにいるのかは全く覚えていなかった。やがて、ベッドの下に女性が潜んでいるのを見つけるが、彼女も何一つ覚えていないという。建物を探索した彼らはやがて3体の他殺死体を発見する。慌てて建物の外にでると、そこは大海原に囲まれた孤島だった。2人はしばらく島の様子を調べ、再び建物の中に戻る。すると、いつの間にか死体は消え失せ、壊された扉も元に戻っていた。一体ここはどこで何が起きているというのだろうか?
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初期のメフィスト賞は『コズミック 世紀末探偵神話』『六枚のとんかつ』『Jの神話』と怪作・問題作を連発していましたが、第6回受賞作の本作もそれらに負けず劣らずのトンデモ作品に仕上がっています。出だしこそ典型的なクローズドサークルものに見えるものの、やがて脱線を始め、作者や編集が登場するメタフィクションと化していくのです。そのうえ、作者の力すら及ばない超越者まで登場し、もはやなんでもありといった様相を呈します。これを悪ふざけだと考えて呆れてしまうか、斬新だと感じて楽しめるかによって作品の評価は大きく変わってくるでしょう。しかし、いずれにせよファンタジー要素を持ち込んだことによって、本作はミステリーとしてはまともに評価できないものになっています。ただし、惨劇の責任を読者に帰結させるための仕掛けなどはなかなかユニークであり、捨てがたい魅力があるのも確かです。惜しむらくは、後半の無茶苦茶な展開や無駄に当て字が多い(虚呂虚呂と書いて「キョロキョロ」と読ませるなど)ことでやらと読みづらい代物になってしまっていることです。もう少し、まとまりがあれば、怪作として評価されていた可能性もあったのではないでしょうか。とはいえ、稚気に満ちたマニアックな作品が好きだという人なら一読の価値はあるかもしれません。
歪んだ創世記 (講談社ノベルス)
積木 鏡介
講談社
1998-02T


2000年

幽霊病院の惨劇(篠田秀幸)
1969年夏。沼から小学生男子の首なし死体が引き上げられる。それを知った篠田秀幸を始めとする小学5年生の3人組は少年探偵団を結成し、真相究明に奔走する。だが、今度はクラスメイトの女の子が病院で首なし死体となって発見されたのだ。結局、事件は未解決に終わり、26年の歳月が過ぎた。そして、阪神大震災の発生を契機として過去のものとなっていたはずの事件が再び動き出し.....。
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『蝶たちの迷宮』の著者が再び「犯人=読者」に挑戦した作品です。前作に比べると随分と読みやすくなっており、前半の展開はそれなりに引き込まれるものがあります。しかし、後半になると量子物理学などの説明が始まり、途端に読みづらくなってきます。実は、この部分が「犯人=読者」を成立させるためのポイントになっているのですが、思ったような効果は挙げられていません。ミステリーとしては反則ですし、説得力も皆無です。京極夏彦の作品のように蘊蓄でけむにまく系の仕掛けだと思われるものの、両者を比べると完成度に雲泥の差があります。それから、タイトルが『幽霊病院の惨劇』という割に病院が舞台装置としてそれほど大きな役割を果たしていないのも気になるところです。
幽霊病院の惨劇 (ハルキ・ノベルス)
篠田 秀幸
角川春樹事務所
2000-02T


2006年

パラドックス学園 開かれた密室(鯨統一郎)
ワンダー・ランドは大学でミス研に入るつもりでいたものの、入学したパラドックス学園にはミス研がなかく、仕方なくパラレル研究会(通称パラパラ研)に入部することになる。そこには部長のポーを始めとして、ドイル、ルブラン、アガサといった名だたるミステリ作家がいた。しかも、彼と同じ新入部員もカー、フレデリック(※エラリー・クイーンのプロット担当)、マンフレッド(※エラリー・クイーンの文章担当)という錚々たるメンツだった。しかし、彼らはみなミステリー小説など書いたことがないという。それどころか、この世界ではミステリー小説自体が存在していなかったのだ。そうした状況の中、学園内のシェルターで密室殺人が発生する。パラパラ研の面々は真相解明に乗り出すが......。
◆◆◆◆◆◆
『ミステリアス学園』に続く湾田乱人シリーズ第2弾です。とはいえ、前作とは直接的な繋がりはなく、主人公の名前も湾田乱人からワンダー・ランドに変更となっています。いわば前作のパラレルワールド的な物語です。ストーリーはパロディ色満載でカーが密室殺人の被害者になるなど、ミステリマニアならニヤリとできるネタが随所に散りばめられています。また、肝心の「犯人=読者」の趣向に関しては、「読者が本に対して読む以外に出来る行為とは何か?」というアプローチからたどり着く結論がなかなか衝撃的です。ただ、その着想は悪くないものの、そこから実際に「犯人=読者」を証明するくだりになると、途端にロジックの切れ味は鈍くなってしまいます。無茶に無茶を重ねた感じでどうにも説得力がありません。本という媒体ならではの仕掛けは大いに評価したいところですが、ミステリーとしての完成度は今一つです。


2007年

ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!(深水黎一郎)※文庫化の際に『最後のトリック』と改題
新聞に小説を連載している作家の元に香坂誠一と名乗る男から連絡が入る。「読者=犯人」というトリックを思いついたので、そのアイディアを2億円で買取ってほしいというのだ。どう考えても胡散臭い話だが、彼は興味を抱く。ただ、多忙な日々を送っていたために結論をうやむやにしていたところ、香坂から私小説めいた内容の手紙が次々と送られてくる。しかも、「文才がないので自分ではこの素晴らしいアイディアを小説にできない」という話だったのに、そこに書かれている内容は非常に読み応えのあるものだった。そんなある日、作家の家に2人組の刑事が現れ.......。
◆◆◆◆◆◆
本作は第36回メフィスト賞を受賞した著者のデビュー作です。ミステリーとしての仕掛けは「犯人=読者」一本に絞り、じっくりと腰を据えて取り組んでいます。そのため、このテーマを扱ったものとしては未だかつてないほど堅実な作品に仕上がっています。読者が犯人であることを成立させるべく、実に細やかにロジックを積み重ねているのです。完成度という点では「犯人=読者」ものの最高峰といっても過言ではないでしょう。しかし、それはあくまでも既存の作品と比べればという話です。これですべての読者が「自分が犯人だったのか!」と納得できるかといえば、大いに疑問が残ります。「犯人=読者」を成立させる難しさを知っているミステリマニアからはよく頑張ったと称賛されるでしょうが、そういった背景を知らないと、壁に本を投げつけたくなるかもしれません。まず、死因が特殊なものであるという点をすんなり受け入れられるかという問題があります。それに、百歩譲って被害者の死の要因が読者に起因するものであったとしても、それはあくまでも要因であって読者が犯人とはいえないだろうというツッコミも当然予想されます。なにより、雑誌や新聞での連載ならこのトリックはある程度有効ですが、発表から何年も過ぎた現在においては仕掛け自体がもはや意味を失っているのではないかというのが正直なところです。少なくとも、ミステリーの仕掛けとしては『仮題・中学殺人事件』の方が数段上だといえます。ただ、『仮題・中学殺人事件』は厳密には読者が犯人というわけではありませんし、その他の作品と比べれば説得力が高い仕掛けであることは間違いないところです。今後「犯人=読者」に挑戦するならば、本作を越えられるかが成否の目安となるのではないでしょうか。
最後のトリック (河出文庫)
深水黎一郎
河出書房新社
2014-12-26


おわりに
今回のレビューは他の記事に比べて極端に辛口になった気がしますが、それだけこのテーマの難易度が高いことを意味しています。実際のところはチャレンジしたという事実だけで評価されるべきなのかもしれません。「犯人=読者」というトリックは創作する側にとって、それほどまでに手強い相手なのです。果たして今後もこのテーマに挑戦する作家は現れるのか。大いに注目したいところです。



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最新更新日2021/01/03☆☆☆

戦後の日本に長編本格ミステリを根付かせたのが横溝正史であり、社会派ブームのただ中にあって本格ミステリの火を消させまいと奮闘したのが鮎川哲也だとすれば、社会派ブームの終焉から新本格ブーム勃発までの空白期に中継ぎリリーフ的な役割を果たしたのが泡坂妻夫だといえるのではないでしょうか。43歳でデビューという比較的遅咲きの作家ながら、1976年のデビューから新本格ブームが起きるまでの十余年の間に謎解きミステリの傑作をいくつもものにしています。しかも、超一流のアマチュアマジシャンというバックボーンを活かして独創的な仕掛けを次々と考案したトリックメーカーでもあるのです。そんな彼の代表作を一挙紹介していきます。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

11枚のとらんぷ(1976)
真敷市民公民館創立20周年記念のイベントの一環として奇術同好会のマジキクラブによるマジックショーが行われる。ところが、いざ始まってみると、マジックで使うはずの鳩が死んでいたり、危険物である氷酢酸の瓶をひっくり返したり、はたまた外出して会場に戻ろうとした術者が入場券の提示を求められて騒動になったりとトラブルの連続だった。それでもなんとかフィナーレまでこぎつけるが、最後に仕掛けの中から登場するはずの水田志摩子が行方不明となる。しかも、彼女はその後、アパートの自室で他殺死体となって発見されたのだ。死体の周囲には破壊された奇術の小道具が散乱しており、その小道具はマジキクラブの座長である鹿川瞬平の書いた奇術小説集『11枚のトランプ』に登場するものばかりだった。果たしてこの事件と『11枚のトランプ』の関係は?
◆◆◆◆◆◆
泡坂妻夫は奇術愛好家としても有名で、1968年には創作奇術の分野で貢献した人に贈られる石田天海賞を本名の厚川昌男名義で受賞しています。その奇術師としてのノウハウを存分に活かして書き上げたのが長編デビュー作の本作です。まず、殺人事件の謎を解くヒントが作中作である11編の奇術小説の中に隠されているという構成がよくできており、最後に明らかになる犯人特定の手掛かりには思わず唸らされてしまいます。しかも、個々の短編自体がバラエティ豊かなトリック小説として楽しませてくれるという点が秀逸です。奇術の蘊蓄が随所に散りばめられており、トリック好きのミステリーファンなら興味深く読むことができるのではないでしょうか。そして、最後の解決編ですべての伏線がきれいに繋がっていくのが見事です。小説を書き慣れていない時代の作品であるためか、少々読みにくさを感じる部分があるのが難ですが、この時代に書かれたものとしては極めて完成度の高い本格ミステリの傑作です。
11枚のとらんぷ【新装版】 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
2023-11-13


乱れからくり(1977)
元ボクサーの勝敏夫は雑誌の求人広告を見て、寺内経済研究所を訪れる。その会社は寺内舞子という元警察官が一人で切り盛りをしており、興信所の下請けのような仕事を行っていた。面接に出向くと彼はあっさり採用され、尾行の仕事を一緒に行うことになる。依頼者は玩具メーカーの老舗であるひまわり工芸の社長の甥・馬割朋浩であり、妻の浮気調査をしてほしいということだった。ところが、尾行の途中で馬割夫妻の乗っていた車が隕石と激突し、朋浩は命を落としてしまう。しかも、それからというもの、馬割一族の人々が次々と奇怪な死を遂げていくのだった......。
◆◆◆◆◆◆
ねじ屋敷と呼ばれるからくり屋敷を舞台にした連続殺人を扱っており、この時代には珍しいオドロオドロしい雰囲気の作品に仕上がっています。まず、隕石の激突によって人が死ぬという冒頭のぶっとんだ展開により、一気に物語に引き込まれていきます。それに続くからくり仕掛けの歴史や蘊蓄にも興味深いものがありますし、次々と起きる不可能犯罪や隠された財宝探しといった要素も探偵小説好きにはたまりません。最後に明かされるトリックにも驚かされますし、周到に張り巡らされた伏線を巧みに回収していく手管などはさすがの一言です。リアリティに欠けるという点で不満を抱く人もいるかもしれませんが、そもそも本作にそれを期待するのはお門違いでしょう。この作品は明らかな法螺話をさまざまなテクニックを駆使していかにもっともらしく語るかというところにその真価があるのです。『11枚のとらんぷ』が巧みなテーブルマジックだとすれば本作は壮大なスケールのイリュージョンといったところではないでしょうか。瑕疵は少なくないものの、それを補ってあまりある豪華絢爛な仕掛けと騙しのテクニックに彩られています。『11枚のとらんぷ』と双璧をなす初期の代表作です。
第31回日本推理作家協会賞受賞
乱れからくり (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
1993-09-12


湖底のまつり(1978)
9月初旬。会社を辞めた香島紀子は玉助温泉からさらに山奥にある獅子吼峡に向かう。ところが、山間に位置する川が急に増水し、紀子は濁流にのみ込まれてしまう。その窮地を救ってくれたのが地元の村の青年である埴田晃二だった。ロープを投げ込み、溺れかけていた彼女を救ってくれたのだ。心を許した紀子は晃二の住む小屋で彼と一夜を共にする。しかし、目覚めると晃二の姿はなかった。彼を探すべく、おまけさん祭で賑わう神社を訪れる紀子だったが、そこで彼女は村人から晃二は1カ月前に毒殺されたという事実を聞かされる。それでは紀子が一夜を共にした相手は一体誰だったのか?
◆◆◆◆◆◆
本作は泡坂妻夫3作目の長編ミステリーであり、騙し絵ミステリーとして蓮城三紀彦と綾辻行人から大絶賛を博した作品でもあります。とはいえ、トリック自体はかなり無理があるように感じます。しかし、それを全編を覆う幻想的な雰囲気でうまく説得力を持たしているのが実に巧みです。それから、前2作とは異なり、官能的な描写がやたら多くなっていますが、これに関しても単なる読者サービスなどではなく、ミステリーの仕掛けと不可分な要素となっているところに感心させられます。『11枚のとらんぷ』『乱れからくり』に本作と、一作ごとに全く趣向の異なる力作を送り出している事実にミステリーに賭ける情熱がうかがえます。ただ、本作で用いられているトリックは現代では陳腐化しており、新本格などを読み慣れたミステリーファンに大きな驚きを与えることは難しいかもしれません。『11枚のとらんぷ』や『乱れからくり』に比べると知名度がいま一つなのもその辺りに原因があるのではないでしょうか。
湖底のまつり (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
1994-06-18


亜愛一郎の狼狽(1978)
旅客機のDL2号に対して何者かによる爆破予告があったものの、厳格な検査によって爆弾は持ち込まれていないことが確認され、予定通り離陸する。目的地の空港では警備も兼ねて羽田刑事がDL2号機の到着を待っており、彼の他にも写真を撮影している3人組や実業家の柴を迎えにきた運転手・緋熊五郎の姿があった。無事着陸したDL2号機から柴が降りてきて、「爆破予告があったのになんだこの手薄な警備体制は!署長に抗議しておく」と毒づく。そして、実際に抗議を受けたために、羽田が柴邸に出向くとまたしても3人組の男に出くわし、そのうえ、血だらけの緋熊が柴の邸宅から飛び出してきたのだ。一体何が起きているのか?そして、DL2号機の爆破予告との関連は?
◆◆◆◆◆◆
第1回幻影城新人賞佳作入選を果たした泡坂妻夫のデビュー作『DL2号機事件』を含む全8編の連作短編ミステリーです。同時に、イケメンなのに常に挙動不審で奇行が目立つ超個性派の名探偵・亜愛一郎の活躍を描いたシリーズの第1弾でもあります。泡坂妻夫は奇術的なトリックの他にしばしば逆説的なロジックを用いたところから「日本のチェスタトン」と呼ばれることがありますが、その特徴が最も顕著に現れたのがこのシリーズだといえるでしょう。たとえば、『DL2号機事件』ではある男の奇妙な行動を意表を突くロジックで解明していますし、未開の地だからこそ成立する異形のロジックに基づく『ホロボの神』のトリックも忘れ難い味わいがあります。その他にも、マジックショー的な空中密室のトリックが見事な『右腕山上空』、巧みな心理トリックに唸らされる『曲がった部屋』、錯誤を利用した消失トリックが印象深い『G線上の鼬』など名品揃いです。連作短編としてはチェスタトンのブラウン神父シリーズに比肩する出来だといえるのではないでしょうか。
亜愛一郎の狼狽
泡坂 妻夫
東京創元社
2013-08-30


花嫁のさけび(1980)
平凡な人生を送ってきた伊津子は人気俳優の北岡早馬と結婚したことで豪邸での華やかな生活に身を投じることになる。だが、その家の人々が前妻である貴緒の美しさや才能をなにかにつけて褒めたたえるなど、屋敷には故人の影が色濃く染みついていた。1年前に謎の事故死を遂げた貴緒の存在感の強さが伊津子に重くのしかかっていく。そんな頃、早馬が殺人鬼役で出演していた映画”花嫁のさけび”がクランクアップし、北岡家で結婚祝いを兼ねた打ち上げパーティーが開かれる。ところが、余興で毒杯ゲームなるものを始めたところ、本当に毒殺事件が発生し.......。
◆◆◆◆◆◆
本作のストーリーはあからさま過ぎるほどにヒッチコック監督の名作映画『レベッカ』をなぞっています。しかし、単なる模倣作品だと油断していると見事に足元をすくわれることになります。それ自体をミスディレクションとして用い、『レベッカ』のストーリーを知っている人ほど騙されやすい作りになっているのです。犯人が誰かを悟らせないためのミスリードを用意周到に施す一方で、犯人の正体を示す伏線を大胆に配置しており、実に端正な本格ミステリに仕上がっています。仕掛けを成立させるために作りものめいた雰囲気になっているのは好みが分かれるところですが、技巧の冴えに関しては一級品です。
花嫁のさけび (河出文庫)
泡坂妻夫
河出書房新社
2018-02-09


迷蝶の島(1980)
大学生の山菅達夫は親が資産家であるのをいいことに趣味の文学やヨットに没頭する日々を過ごしていた。ある日、親に買ってもらったクルーザーを操縦していたところ、ヨットとぶつかりそうになり、それが縁で2人の女性と知り合うことになる。一人は大学のOBでヨットのコーチをしている磯貝桃季子、もう一人は財閥の令嬢である中将百々子だった。達夫は百々子に想いを寄せるも、成り行きで桃季子と肉体関係をもってしまう。しかし、百々子への想いは断ちがたく、次第に桃季子の存在が邪魔になってくる。そして、彼女の妊娠を知った達夫はついに桃季子をヨットから突き落として亡きものにするのだった。ところが、その後、無人島に漂着するとその島から桃季子が姿を現し......。
◆◆◆◆◆◆
本作は3部からなっており、第1部が達夫の手記、事件発生後の第2部は捜査官の報告書や関係者の証言、第3部が別の人物の手記という構成になっています。登場人物の心理描写に重きをおいた作風はまるでフレンチミステリーのようであり、特に、主人公が次第に追い込まれていくプロセスは真に迫っており、なかなかの読み応えです。後半になるにつれて手記の内容が非現実性を帯びてくるのも一種の異常心理ものとしての迫力があります。とはいえ、そのままでは終わらないのが泡坂ミステリーです。語り手の妄想としか思えなかった事象の数々が第3部でロジカルに解かれていくのには唸らされます。トリック自体はシンプルなのでミステリーを読み慣れた人なら途中でカラクリに気付くかもしれませんが、単純な仕掛けで最大限の効果を上げる手管は見事です。ただ、登場人物がクズ揃いで共感できる人間が皆無であるため、物語として楽しめるかは意見の分かれるところかもしれません。
迷蝶の島 (河出文庫)
妻夫, 泡坂
河出書房新社
2018-03-03


煙の殺意(1980)
とあるマンションで32歳のホステスが殺され、望月警部は現場の捜査に駆り出されていた。とはいえ、容疑者はすでに犯行を認めており、事件は解決したも同然だった。容疑者の供述によると、上の階から洗濯機の水が溢れて自室を水浸しにしたトラブルに端を発した衝動的な犯行だという。そういう状況も手伝って、テレビ好きの望月警部は捜査そっちのけでテレビの画面に釘付けになっていた。そこには高級デパートで発生した史上最悪の火災現場が映し出されている。一方、鑑識の斧技官はおかしなことに気付く。浴槽の中で全裸になっていた死体の指先には朱肉がついていたのだ。彼女は全裸で荷物の受け取りをしたとでもいうのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
著者初の読み切り短編集ですが、長編小説に負けず劣らずの傑作がずらりと並んでいます。まず表題作はホワイダニットものとして秀逸で殺人事件と火災との思わぬ関係に驚かされます。また、『樺山訪雪図』は水墨画に仕込まれたたくらみが殺人事件解明の糸口になるという、文字通り絵になる名品です。幻想味溢れる雰囲気といい、全8編の収録作品の中ではこれがベストではないでしょうか。その他にも、本格というよりも奇妙な味ミステリーに近い作風から衝撃のラストに繋げていく『紳士の園』、謎解きよりも独特の語り口や山伏の詐術テクニックが楽しい『狐の面』、さらには倒叙ミステリーにヒネリを加えた『歯と胴』などなど、読み応え満点の作品集です。
煙の殺意 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
2015-05-19


亜愛一郎の転倒(1982)
崖崩れで列車が進めなくなり、亜愛一郎一行は歩いて駅を目指すことになる。しかし、徒歩で山を越えようとして見事に迷ってしまうのだった。なんとか民家を見つけて泊めてもらうことになったのだが、そこで不思議な出来事に遭遇する。家の主が窓を開けたときには、確かに見えていた合掌造りの向かいの家が朝になると影も形もなく消え失せていたのだ。一体何が起きたのか?
◆◆◆◆◆◆
全8編からなる亜愛一郎シリーズの第2弾であり、名作として名高い前作と比べても決して引けを取らない粒揃いの連作ミステリーに仕上がっています。中でも特に印象深いのが家一軒を一夜で消して見せる『砂蛾家の消失』です。家を消し去る一大イリュージョンを成立させた巧みなトリックもさることながら、それ自体をミスディレクションに用いてもう一つのトリックを隠蔽する手管には思わず唸らされてしまいます。また、逆転の発想が見事な『病人に刃物』も短編ならではの切れ味が光る傑作です。さらに、タクシーから降りたはずの客が後部座席で殺されている『三郎町路上』は不可能犯罪ものとして良くできていますし、見立て殺人をテーマにした『意外な遺骸』におけるぶっ飛んだ動機にも驚かされます。『亜愛一郎の狼狽』と並ぶ珠玉の作品集です。
亜愛一郎の転倒 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
1997-06-21


天井のとらんぷ(1983)
※『奇術探偵 曾我佳城全集』の項を参照
天井のとらんぷ (講談社文庫)
泡坂 妻夫
講談社
1986-08T


亜愛一郎の逃亡(1984)
雑誌記者の亀沢は「2つの頭を持つ巨大な蛸を見た」という情報を入手し、調査のために山奥の霧昇湖に向かう。そこには亜愛一郎がいたが、彼は蛸ではなく、別の調査をしているらしい。一方、亀沢は湖の中を調べるために数人のダイバーを連れてきていたのだが、その一人がボートの上で撃ち殺されてしまう。凶器は岸に投げ捨てられていた猟銃であることが判明するが、問題は誰がその銃を撃ったのかだ。犯行当時、湖畔にいたのは亀沢を含めて6名。果たして、この中に犯人がいるのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
亜愛一郎シリーズの完結編です。この巻では全体に張り巡らされた伏線が回収され、シリーズを通しての謎が明らかになります。そういう意味ではシリーズのファンにとっては大いに楽しめる作品だといえるでしょう。ただ、各短編におけるミステリーとしての切れ味は全2作と比べると少々落ちます。そんななかにあって大胆なトリックを切れ味鋭いロジックで解き明かす『火事酒屋』が秀逸です。また、本シリーズらしからぬオーソドックスな作品ながらも巧妙なトリックで不可解な謎を演出した『双頭の蛸』や楽しいドタバタ騒ぎの末に意外な真相が浮かび上がる『歯痛の思い出』なども良くできています。そして、最終話の『亜愛一郎の逃亡』では亜愛一郎にまつわる謎も解き明かされ、見事なグランドフィナーレを飾っています。ミステリーとしてのクオリティは前2作よりも落ちるとはいえ、その分、物語の充実度が高まっている面もあり、凡百の連作短編にくらべれば読み応えは遥かに上です。未読の人はぜひともシリーズ3作を順番に読むことをおすすめします。海外でいえば、ホームズシリーズやブラウン神父シリーズに匹敵する短編連作ミステリーの金字塔です。


ヨギ ガンジーの妖術(1984)
地方の新興都市に建てられたホテルでは市の主催による文化倶楽部の定例会が催されていた。有名人を招いて講演をしてもらい、参加者に募金を募るというのが会の趣旨だ。今回は妖術師のガンジーがゲストとして招かれ、見事な心霊術を披露する。ところが、定例会が終わって募金箱を開いてみると、お金が1円も入っていなかったのだ。毎回大金が集まる倶楽部の募金箱に誰もお金を入れなかったとは考え難い。しかも、募金箱は終始監視下にあり、そんななかで、金を盗み出すなど不可能だった。一体何が起きたというのだろうか?そのときガンジーが意外な事実を指摘し......。
◆◆◆◆◆◆
亜愛一郎と曾我佳城に続く、第3の名探偵であるヨギ ガンジーの活躍を描いたシリーズ第1弾です。本作は7編の短編からなっており、超常現象にしか見えない出来事をガンジーが見事な推理で解き明かしていくというのがお決まりのパターンになっています。ヨギ ガンジーシリーズといえば大仕掛けに驚かされる後続の2作が有名ですが、本作はどちらかといえばオーソドックスな連作ミステリーです。それだけに、後続作品を先に読んだ人は普通すぎて物足りないと感じるかもしれません。しかし、連作ミステリーとしての完成度は決して低くはなく、泡坂妻夫の名人芸が光る良作に仕上がっています。まず、第1話の『王たちの恵み』では”あるはずのものがない”という謎に対して見事な逆説的解答を提示していますし、『ヨシ ガンジーの予言』におけるシンプルなトリックを効果的に用いる手管も鮮やかです。作品ごとの出来不出来が大きいのはやや難ですが、肩の凝らない謎解きを気軽に楽しみたい人にとってはピッタリの良書だといえるでしょう。


ゆきなだれ(1985)
男が老舗の和菓子屋に婿入りしてから20余年が過ぎた。妻に先立たれ、一人身となった彼はある日、修行時代に愛した女と再会する。彼女は一夜を共にしたきり、姿を消してしまっていたのだ。長い歳月の末に再び巡り合った2人だったが、彼らの周辺で謎めいた出来事が起き.......。
◆◆◆◆◆◆
『煙の殺意』に続くノンシリーズ短編集の第2弾ですが、前作とは趣がかなり変わっています。『煙の殺意』と比べるとミステリー色は大きく後退し、純文学の色が全面に押し出されているのです。その傾向は後の短編作品でも続いていくことになるのですが、中でも本作は、文学的味わいとミステリー的な仕掛けのバランスという意味において頭一つ抜けています。2つの要素が絶妙に絡まり合うことで物語を効果的に盛り上げているのです。たとえば、謎が解けることで切ない真実が浮かび上がってくる表題作などは読んでいて熱いものがこみあげてきます。また、1年に1度だけの逢瀬を重ねる身元不明の女を描いた『迷路の出口』は幻想的な謎の提示が素晴らしく、その謎を解くことで文学めいた味わいを堪能できるところが秀逸です。一方、よりミステリー色の強い作品としては『雛の弔い』があります。主人公の元師匠が水の入っていない風呂桶で絶命するという謎を描いた作品で、そこから、大戦中の妻の死という別の謎が浮かび上がり、その謎が解けると同時に師匠の死の真相も明らかになるという構成がよくできています。その他にも、香気漂う余韻が素晴らしい『厚化粧』や事の真相に慄然とする『鳴神』なども忘れ難い味わいの傑作です。文学的な作品にミステリーのテクニックを盛り込み、物語に深みを与えることに成功した希有な作品集だといえます。それだけに、泡坂作品のなかではあまり知名度が高くないのが残念です。
ゆきなだれ (文春文庫)
泡坂 妻夫
文藝春秋
1988-04T


しあわせの書ー迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術(1987)
ヨギ ガンジーの元に行方不明になった人物を探してほしいという依頼が舞い込む。その人物は新興宗教団体である惟霊講会の熱心な信者だという。そこで、手掛かりを求めて惟霊講会の集まりに潜り込んだ結果、会では他にも信者の失踪が相次いでいるという事実を知るのだった。さらに、ガンジー一行はその失踪に関連があるらしい布教用の小冊子”しあわせの書”を手に入れる。そして、迷路のような本部施設を調べているうちに監視員に見つかってしまったガンジーと彼の二番弟子である美保子は、すったもんだの騒動のすえになぜか惟霊講会の後継者を決める断食修行の指導者兼判定員を務めることになるのだった。一方、その裏では”しあわせの書”に絡んだ驚くべき陰謀が進行していた......。
◆◆◆◆◆◆
本作のストーリーはさして驚くべきものではありません。ガンジー一行が新興宗教の後継者争いに巻き込まれて繰り広げるドタバタ劇はそれなりに楽しめるものの、内容自体は凡庸といっても差し支えのない出来ですし、作中に仕掛けられたトリックも泡坂作品にしてはそこそこといったレベルです。しかし、驚くべきは”しあわせの書”に関する真の秘密です。それを理解した瞬間、多くの人は前代未聞空前絶後の仕掛けにのけぞってしまうでしょう。アマチュアマジシャンとしても有名な著者はこれまでも多くのトリックを考案してきましたが、これはそれらとは次元の異なる一大イリュージョンです。『11枚のトランプ』『乱れからくり』『亜愛一郎の狼狽』といった名作を押しのけ、本作を泡坂妻夫の最高傑作に挙げる人が多いのもうなずけます。ただ、この仕掛けは流し読みしていると存在そのものに気付かず、何がすごいのかわからなかったということにもなりかねません。ぜひとも注意深く読み進めていくことをおすすめします。


折鶴(1988)
縫箔職人の田毎敏は馴染みの女将から、旅先の宿帳で彼の名を見たといわれる。だが、田毎には全く覚えがなかった。住所も同じだったという女将の話が本当なら、誰かが自分の名前を騙っていることになる。一方、ときを同じくして、かつての恋人である鶴子の店から若い娘が弟子入り志願にやってくる。そして、あるパーティーに参加したときに、鶴子自身との再会も果たすのだった。しかも、互いに伴侶を持つ身ながら、再会するや否やかつての想いが再燃し........。
◆◆◆◆◆◆
大人の恋愛模様に謎解きの要素を絡めた恋愛ミステリーを4編収録した中編集です。『ゆきなだれ』と同じく純文学よりの作風なのですが、4編の主人公がすべて時代遅れの職人ということで、紋章上絵師でもあった著者の職人としての側面が色濃くでた作品集に仕上がっています。その内容は本格ミステリとしては少々物足りなさを感じる反面、時代から取り残されつつある職人の葛藤を描いた物語としては大いに読み応えがあります。特に、そうした主人公の悲哀にミステリーの仕掛けが絡み合って悲劇的な結末になだれ込む表題作が秀逸です。一方、主人公と三味線ひきの芸妓との恋愛模様に幽霊譚を絡めた『忍山恋唄』はトリックこそバカミス一歩手前といった感じですが、官能的な雰囲気の物語を本格ミステリに落とし込むプロットには忘れ難い味わいがあります。ちなみに、この2編はいずれも直木賞候補作です。他の2編にしても読んでいる内に文学の香気が立ち上り、その中に謎解きの要素が自然に溶け込んでいるのが持ち味だといえます。奇術ミステリーと呼ばれる作品群とはまた違った意味で著者の技巧が光る佳品です。
第16回泉鏡花文学賞受賞
折鶴 (文春文庫)
泡坂 妻夫
文藝春秋
2012-09-20


花火と銃声(1988)
※『奇術探偵 曾我佳城全集』の項を参照
花火と銃声 (講談社文庫)
高井 研一郎
講談社
1992-08-11


びいどろの筆ー夢裡庵先生捕物帳(1989)
八丁堀定町廻り同心の富士宇衛門は空中楼夢裡庵という名の文人としても知られていた。そのうえ、柔術は名人級の腕前だ。そんな彼が正月早々、絵師殺しの事件に遭遇する。死因は矢によるものだったが、奇妙なのは壁に掛けられた絵馬の人物が矢を放った直後の格好をしている点だ。つまり、絵の中の人物が絵師を射殺したように見立てているのだ。悪趣味な趣向に夢裡庵は渋い顔をするが、ある本に「絵の人物に矢を放させる術」という奇術を見つけ.......。
◆◆◆◆◆◆
本作は夢裡庵先生捕物帳シリーズの第1弾であり、後期作品の大きな部分を占めることになる時代ミステリーの代表作としても知られています。本作の特筆すべきところは謎解きの面白さもさることながら、全7編からなる短編の探偵役が次々と変わっていく点が挙げられます。つまり、夢裡庵先生捕物帳と銘打ちながら謎を解く役目を担うのは夢裡庵とは限らないのです(夢裡庵も同心として事件解決には関与しますが)。そのため、先の読めない面白さがあります。それに、江戸の情緒や市井の人々の心情を巧みに描き出しており、時代小説としても秀逸です。個々の作品としてはまず、冒頭の『びいどろの筆』がミステリーとしてよくできています。見立て殺人という魅力的な謎に加えてその理由が意表をついていますし、伏線の貼り方も巧みです。また、『南蛮うどん』や『砂子四千両』の奇術的なトリックもユニークですし、その先にある意外な動機にも驚かされます。半七捕物帳やなめくじ長屋に連なる時代ミステリーの佳品です。
1989年度このミステリーがすごい!国内編第11位


黒き舞楽(1990)
小学校教師の胡島奏江は昔の教え子であり、一刀彫りで郷土人形を作る家業を継いだ銛口繁雄の話を耳にする。彼は交通事故で前妻を亡くし、その後、元同級生の三千代と再婚するが、彼女も体調がすぐれずに入院するというのだ。漠然とした不安を抱く奏江だったが、一週間後に三千代は心臓発作で死んでしまう。入院を頑なに拒否した結果だった。警察は一連の死に疑念を抱いて繁雄のアリバイを追及し、それに対して、繁雄は教育員会の阿尾木晴香にアリバイの偽証を依頼するのだった。繁雄の頼みを引き受けた晴香はのちに繁雄と祝言を上げるが、彼女も翌年に喀血し、そのまま亡くなってしまう。一体、銛口家に嫁いだ女はなぜ死んでしまうのか?そして、江戸時代から伝わる美しい浄瑠璃人形と銛口家とのただならぬ因縁とは?
◆◆◆◆◆◆
『湖底のまつり』以来、定期的に発表し続けていた泡坂流官能ミステリーの到達点です。著者ならではの純和風な世界観の中に、一刀彫りの家へ嫁いだ女が次々と死んでいくという謎と先祖からの因縁話を絡み合わせ、強烈なサスペンスを生みだしています。そして、その末に明らかになる異形ともいえる性愛の姿が衝撃的です。驚くべきトリックなどはありませんが、伏線の貼り方も巧みで本格ミステリとしても申し分のない出来だといえるでしょう。中編ほどの長さの中に性の快楽と恐怖を詰め込んだ著者渾身の力作です。
1991年度このミステリーがすごい!国内編第12位
黒き舞楽 (新潮文庫)
泡坂 妻夫
新潮社
1993-12T


蔭桔梗(1990)
紋章上絵師の章次のもとにかつて想いを寄せあっていた女性から蔭桔梗の紋入れの依頼があった。しかも、その依頼内容は20年前に事情があって下職に回してしまったものと同じだったのだ。それは彼女が密かな願いをかけて託した紋入れだったのだが.......。
◆◆◆◆◆◆
泡坂妻夫は本作に収録されている表題作で見事直木賞を受賞しています。ただし、受賞作を含め、全11編からなるこの短編集にはミステリー作品はありません。『ゆきなだれ』や『折鶴』のような恋愛ミステリーというわけではなく、完全な恋愛小説となっているのです。したがって、ミステリーにしか興味がないという人はスルーしても差支えないでしょう。とはいえ、たとえただの恋愛小説であっても随所にミステリー作家ならではのテクニックが組み込まれているのには思わず唸らされます。たとえば、表題作ではミステリー的なヒネリによってラストをより感慨深いものにしていますし、ミステリー的技巧を用いつつ、心暖まるエピソードを盛り上げていく『十一月五日』の手管も見事です。また、上絵師をしながら作家活動を続ける主人公が登場する『増山雁金』は著者の半自伝小説のようであり、興味深く読むことができます。もちろん、ミステリー作家としてのテクニックだけではなく、恋愛小説としてのクオリティも申し分ありません。泡坂妻夫の多彩な一面を知ることができる珠玉の短編集です。
第103回直木賞受賞
蔭桔梗(新潮文庫)
泡坂 妻夫
新潮社
2016-06-17


生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術(1994)
ある日、奇術バーに中村千秋という記憶喪失の美青年が迷い込み、紆余曲折の末にそこで働くことになる。それから1年が過ぎた頃、腕を磨いた千秋は客の前で銀貨を空のグラスから出現させるというテレポーション奇術を披露する。見事な腕前に驚く一同だったが、突然トランス状態に陥った千秋は銀貨を指で動かしたあとに意識を失ってしまうのだった。一方、銀貨の動きを目で追っていた客の一人は、それが文字によるメッセージだと気付く。メッセージの内容は「ハンコウハマスコシンジ」というものだった。なんと、世間を騒がしている殺人事件の犯人の名を告げていたのだ。一体、千秋は何者なのか?
◆◆◆◆◆◆
ヨギ ガンジーシリーズの第3弾です。前作の『しあわせの書ー迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』では驚くべきイリュージョンを読者に披露した泡坂妻夫ですが、本作はそれ以上に手の込んだ仕掛けを用意しています。なんと、本が16ページごとに袋とじになっているのです。そして、そのままの状態にして読むと上記で紹介した物語が短編ミステリーとして展開されていきます。しかし、袋を破って再度読み直すと、さっき読んだはずの短編ミステリーは消え失せ、あらたな長編ミステリーが出現します。つまり、袋とじの中の文章と既読の短編ミステリーが合体し、一つの大きな物語になったのです。まさに、文字の魔術であり、本という媒体でしかできない一大イリュージョンです。これには読者の多くが驚いたのではないでしょうか。ただ、その魔術を成立させるために、話が辻褄合わせに終始しており、内容自体は決して評価できるものではありません。起承転結がぎこちなく、無理矢理話を終わらせた感さえあります。仕掛けのために物語性を犠牲にした作品であり、それに関しては評価のわかれるところです。
1996年度このミステリーがすごい!国内編第17位


自来也小町(1994)
矢型連斎という謎の作家が残した蛙画は一見なんの変哲もない絵だったが、幸運を呼び寄せる吉祥画であるという噂が広まり、なんと百両もの値が付くようになる。すると、その絵が自来也と名乗る盗賊に、次々と盗まれるようになり.......。
◆◆◆◆◆◆
江戸時代を舞台に岡っ引き辰の活躍を描いた、宝引の辰捕者帳シリーズの第2弾です。このシリーズも夢裡庵先生捕物帳と同じく1作ごとに語り手が変わっていく形式を採用していますが、人間味溢れる辰親分のキャラクターが魅力的であり、江戸に生きる人々の人情と男女の機微を描いた作品としてもよくできています。ちなみに、シリーズ第1弾である『鬼女の鱗』は1988年度このミステリーがすごい!において18位にランクインしています。しかし、ミステリーとしての充実度は本作の方が上でしょう。シリーズ全6作の中でもその完成度は群を抜いています。収録されている7つの短篇はどれも秀作揃いですが、なかでも表題作の巧みなミスディレクションと鮮やかな推理が見事です。また、『毒を喰らわば』にはユニークな毒殺トリックが用いられていますし、『忍び半弓』で次々と仮説が飛び出してくるところなどはテンポのよい多重解決ものとして楽しめます。しかし、本作の白眉はなんといっても『夜光亭の一夜』でしょう。著者ならではの逆説的なロジックによって導き出されるトリックが鮮やかです。なお、本作を含むこのシリーズは1995年に『宝引の辰捕者帳』のタイトルでNHKによってドラマ化もされています。


亜智一郎の恐慌(1997)
江戸幕府開闢から250年が過ぎ、太平の世の中で御庭番はすっかり腑抜けになっていた。そこで、彼らに代わる存在として隠密方を拝命したのが、現代の気象予報士に当たる雲見番の番頭でやたらと長袴が似合う亜智一郎、全身に普賢菩薩を刻む小普請方の古山奈津之助、遠祖役小角の奥義を極める甲賀忍者の藻湖猛蔵、優男の隻腕隠密・緋熊重太郎といった面々だった。内憂外患の幕末において、彼らは次々に起きる騒動を解決すべく奔走するが......。
◆◆◆◆◆◆
亜愛一郎の先祖が活躍するシリーズ番外編です。とはいっても、本編のようなバリバリの本格ミステリではありません。どちらかといえば、陰謀劇や時代劇、あるいはドタバタ喜劇が主軸となっており、そこにいくばくかの謎解き要素を加えた作りになっています。そのため、亜愛一郎シリーズのような逆説やロジック満載の謎解きミステリーを期待すると肩すかしを喰らうことになるでしょう。その代わり、幕末の江戸が生き生きと描かれており、時代小説としては大いに読み応えがあります。しかも、主役の亜智一郎を始めとして登場人物のキャラが立ちまくっているので、エンタメ小説としても申し分ありません。ちなみに、収録されている7作品のなかで最も本格ミステリ色が強く、完成度も高いのは『補陀落往生』でしょう。藩主が数十人の藩士を惨殺して寺に埋めた事件と、老人たちを手も触れずに安楽死へと導く不可解な葬儀・補陀落往生との意外な繋がりに驚かされます。なお、亜智一郎シリーズは本作の他にも7作品が書かれており、それらは作者が没したのちに出版された『泡坂妻夫引退公演』に収録されています。
亜智一郎の恐慌 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
2004-01-01


奇術探偵 曾我佳城全集(2000)
新星の如く現れ、わずか2年で引退した美貌のマジシャン・曾我佳城は卓越した推理力の持ち主でもあり、さまざまな難事件を解決してきた。そして、そんな彼女が長年夢見てきた奇術博物館・佳城苑、通称"魔術城”の完成が目前に迫っていた。まずは親しい人だけに披露することになったのだが、その最中に悲劇が起きる。ラスベガスで成功を収め、20年ぶりに帰国した奇術師のイサノが佳城苑の舞台でいつの間にか開いていたセリから転落して死亡したのだ。一体誰がセリを開けたのか?
◆◆◆◆◆◆
本作は曾我佳城シリーズの完全版であり、既刊の『天井のトランプ(1983)』と『花火と銃声(1988)』、さらには単行本未収録作品7作を1冊の本にまとめています。トータルで22作の短編小説が収録されており、それぞれの収録作品は以下の通りです。

『天井のとらんぷ』より収録

・天井のとらんぷ
・シンプルの味
・空中朝顔
・白いハンカチーフ
・バースデイロープ
・ビルチューブ
・消える銃弾
・カップと玉

『花火と銃声』より収録

・石になった人形
・七羽の銀鳥
・剣の舞
・虚像実像
・花火と銃声
・ジグザグ
・だるまさんがころした

新規収録作品

・ミダス王の奇跡
・浮気な鍵
・真珠夫人
・とらんぷの歌
・百魔術
・おしゃべり鏡
・魔術城落成

探偵役が元奇術師ということもあり、本作はさながら奇術トリックの見本市といった趣になっています。まさに泡坂ミステリーの集大成といえるシリーズで、著者ならではの技巧をたっぷりと楽しむことができます。内容もバラエティに富んでおり、天井に貼りついたトランプからダイイングメッセージを読み取る『天井のとらんぷ』、曾我佳城の痕跡を消していっているかのような不気味な事件が続く中で鮮やかな逆トリックが決まる『ビルチューブ』、二重三重のトリックと巧みなミスディレクションの合わせ技が印象的な『消える銃弾』、盲点を突いたトリックで人間消失を演出してみせる『虚像実像』、足跡トリックの新たなパターンを創出した『ミダス王の奇跡』などなど、秀作・力作が目白押しです。なかには出来がいま一つのものもありますが、奇術のネタをこれだけずらりと並べられるとそれもある種の味として楽しむことができます。ただ、曾我佳城は亜愛一郎やヨギ ガンジーといった他の探偵に比べると個性が弱くて印象が薄い感があるので、その点については好みのわかれるところではないでしょうか。また、最終話の『魔術城落成』もシリーズの締め方としては賛否両論です。しかし、最終話の真相につながる伏線はかなり前から貼られており、計算づくの最終回であったことがわかります。このあたりはさすが泡坂妻夫です。なお、本作の講談社文庫版はなぜか各短編の収録順が本来の時系列とは異なるものとなっています。曾我佳城をめぐる人間模様の変化も読みどころの一つであるだけに、できるならばハードカバー版か創元推理文庫版を選択することをおすすめします。
2001年度このミステリーがすごい!国内編第1位
2001年度本格ミステリベスト10国内編第1位
奇術探偵 曾我佳城全集 上 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
2020-01-22
奇術探偵 曾我佳城全集 下 (創元推理文庫)
泡坂 妻夫
東京創元社
2020-01-22





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最新更新日2021/12/03☆☆☆

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このミス2022
対象作品である2020年10月1日~2021年9月30日発売のミステリー&エンターテイメント作品の中からベスト20の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、ジャンルや作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。以上の点はあらかじめご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします


このミステリーがすごい!国内版最終予想(2021年11月18日)

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記載方法は以下のようになっています。
予想順位.タイトル(作者名)このミスの順位(文春の順位 読みたいの順位 本ミスの順位
ただし、「→このミスの順位(文春の順位 読みたいの順位 本ミスの順位 の部分が記載されているのは予想ランキングあるいはこのミスで20位以内のものだけです。
なお、文春、 読みたい、本ミスはそれぞれ「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」「本格ミステリ・ベスト10」の略です。
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1位.テスカトリポカ(佐藤究)2位(文春2位 読みたい2
メキシコで麻薬売買を生業とするカサソラ4兄弟は抗争に敗れ、3男のバルミロだけが生き延びる。そして、逃亡先で出会った日本人と臓器ビジネスを始めるために日本へ渡る。一方、13歳の時にメキシコ人の母と暴力団幹部の父を殺した土方コシモはその数年後にバルミロと運命の出会いを果たすが....。
世界を股にかけた凶悪犯罪に古代アステカ文明の魔術を絡めた暗黒小説。血飛沫舞う圧倒的暴力の物語がジェットコースターの如き勢いで語られ、その濃密さに圧倒されてしまいます。神話的傑作です。


2位.機龍警察 白骨街道 (月村了衛)3位(文春7位 読みたい3
日本初の国際機甲兵開発計画に関する機密を持ち出し、不正競争防止法違反で国際指名されていた君島洋右がミャンマーの奥地で拘束される。官邸からの指名によって龍機兵搭乗員3名が身柄確保に向かうも、その帰路に何者かの襲撃を受けるのだった。一方、特捜部はその事件の裏を探ろうとするが......。
近未来警察小説の第7弾。ミャンマーにおける民族浄化と虐殺というタイムリーなテーマを重厚なタッチで描きつつも、エンタメ性を高いレベルで維持しているのが見事です。シリーズ屈指の傑作。


3位.黒牢城(米澤穂信 )1位(文春1位 読みたい1位 本ミス1
織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、信長からの使者である黒田官兵衛を幽閉してしまう。それからしばらくして、城内外で怪事件に続発するようになり、村重はその処理に頭を悩ますこととなる。やむを得ず、牢に閉じ込めていた官兵衛の智恵を借りる村重だったが....。
荒木村重の裏切りという歴史的一大イベントにミステリーの謎を絡めて話を盛り上げていく手管が見事です。戦国時代を生きる人々も魅力的に描かれており、歴史小説としても一級品に仕上がっています。
黒牢城 (角川書店単行本)
米澤 穂信
KADOKAWA
2021-06-02


4位.兇人邸の殺人 (今村昌弘)4位(文春3位 読みたい5位 本ミス3
剣崎比留子と葉村譲が依頼主に連れてこられたのは地方のテーマパークだった。園内にある異様な建物に招かれた不法就労者が次々と行方不明となり、しかも、建物の中には班目機関の研究成果が隠されているという。深夜、依頼主たちと共に建物に忍び込んだ2人だったが、そこに異形の殺戮者が現れ......。
シリーズ第3弾。例によってホラーと本格の融合形ですが、ホラー部分が面白くてぐいぐい引き込まれています。ミステリー要素もやや小粒ではあるものの、様々な工夫が施されており、悪くありません。
兇人邸の殺人 屍人荘の殺人シリーズ
今村 昌弘
東京創元社
2021-07-29


5位.invert 城塚翡翠倒叙集(相沢沙呼)6(文春12位 読みたい9位 本ミス9
元捜査一課の敏腕刑事で大手探偵事務所を営んでる男は、自分の裏の顔を知った部下を殺す。捜査に訪れた顔見知りの刑事たちに混じって捜査協力者だという若い女がいた。城塚翡翠と名乗る彼女がただ者ではないことはすぐにわかったが、彼は刑事と探偵で培ったノウハウでその追及をかわしていき......。
城塚翡翠シリーズの第2弾。タイトルの通り、倒叙ミステリーの中編が3篇収録されています。なかでも、犯人との手に汗握る対決の末にどんでん返しへと至る『信用ならない目撃者』には驚かされます。
6位.六人の嘘つきな大学生(浅倉秋成)8(文春6位 読みたい8位 本ミス4
注目のIT企業が行う初めての新卒採用。6人の就活生は最終選考に挑むが、その課題は6人の中から一人の内定者を決めるというものだった。一つの椅子を巡ってディスカッションが行われるなか、彼らに宛てた6通の封筒が発見される。封筒の中には「××は人殺し」といった告発文が書かれており.......。
就活をテーマにした異色のサスペンスミステリーで、テンポの良さと二転三転する展開にぐいぐい引き込まれていきます。就活の歪さを浮き彫りにしつつ、ミステリーとしての仕掛けも素晴らしい傑作。
六人の嘘つきな大学生 (角川文庫)
浅倉 秋成
KADOKAWA
2023-06-13


7位.灼熱 (葉真中顕 )※ランク外
1934年。沖縄生まれの勇はブラジルに渡り、日本人入植地の弥栄村で日系移民2世のトキオと出会う。2人は次第にかけがえのない存在になっていった。しかし、日本が戦争に勝ったという誤報によって引き起こされた日系移民を二分する「勝ち負け抗争」が、2人の友情にも暗い影を落とすことになり.......。
本作は、勇とトキオの友情を軸に、移民の辿った軌跡と戦後に起きた「勝ち負け抗争」の実態を描いた2部構成になっており、歴史の悲劇とデマの恐ろしさを実感させられる力作に仕上がっています。
灼熱
葉真中 顕
新潮社
2021-09-24


8位.蒼海館の殺人(阿津川辰海)5(文春8位 読みたい4位 本ミス2
先の事件で名探偵としての在り方を見失った葛城は実家に引き籠ってしまう。そんな彼を相棒の田所は友人の三宅と共に迎えに行くべく、山奥にある葛城家の本宅へと向かう。そこには祖父の法要のために、葛城家の一族が集まっていた。やがて、激しい雨が降りしきる中、連続殺人の幕が開ける......。
濁流が押し寄せる館を舞台にしたクローズドサークルもの。二重三重の謎と巧みな伏線、犯人の巧緻な罠に緻密なロジックといった具合に本格ミステリの魅力をこれでもかと詰め込んだ傑作です。
蒼海館の殺人 (講談社タイガ)
阿津川辰海
講談社
2021-02-16


9位.孤島の来訪者(方丈貴恵)13読みたい13位 本ミス7
竜泉祐樹は事故で幼馴染を失うが、それは仕組まれたものだった。その事実を知った祐樹は復讐を誓い、テレビ局のADとして標的3名とともにロケ地の孤島に赴く。だが、彼が手を下す前に標的の一人が殺されてしまう。しかも、事件にはスタッフに紛れ込んだ人ならざるものが関与しており......。
竜泉一族シリーズ2弾。クローズドサークルにオカルトネタを盛り込んだ特殊設定ミステリーですが、怒涛の推理と伏線回収、そして、読者への挑戦後に展開されるどんでん返しの連続に圧倒されます。
10位.幻月と探偵(伊吹亜門)18読みたい16位 本ミス16
1938年。官僚である岸信介の秘書が急死した。秘書は元陸軍中将・小柳津義稙の孫娘の婚約者で、小柳津邸での晩餐会において毒を盛られた疑いがあるという。岸に真相究明を依頼された私立探偵の月寒三四郎は調査に乗り出す。すると、義稙宛てに古い銃弾と脅迫状が届いていたことが判明し.......。
大戦前夜に満州で起きた連続毒殺事件を描いた歴史ミステリであり、昭和の妖怪と呼ばれた岸信介がいかに事件に関わっているのかが読みどころとなっています。ホワイダニットミステリーとしても秀逸。
幻月と探偵 (角川書店単行本)
伊吹亜門
KADOKAWA
2021-08-30


11位.忌名の如き贄るもの(三津田信三)7(文春10位 読みたい6位 本ミス8
虫くびり村には奇妙な風習があった。7、14、21歳を迎えると一人で忌名を書かれた御札を三頭の門の先にある祝りの滝壺に投げ込まなければならず、行き帰りの途中で忌名を呼ばれても決して振りかえってはいけないというのだ。ところが、儀式の最中に事件が起きる。刀城言耶はその謎に挑むが......。
刀城言耶シリーズの長編第8作。シリーズの中では犠牲者の数が少なく、話も地味ですが、忌名儀礼をはじめとする怪奇ムードたっぷりの雰囲気に引き込まれます。特に、犯人の異様な動機が秀逸。
忌名の如き贄るもの
三津田信三
講談社
2021-07-28


12位.白鳥とコウモリ(東野圭吾)14(文春5位
高潔な人柄で評判の弁護士が他殺死体となって発見された。やがて、1984年に起きた殺人事件との繋がりが明らかになり、初老の男が容疑者として浮上する。男は殺人を認め、自供を始める。だが、自供の内容に納得できない容疑者の息子と被害者の娘はそれぞれ独自に事件の真相を追い求めるが.....。
意外な事実が次々と判明し、錯綜していくプロットは読み応え十分。分厚い本ですが、先が気になってページをめくる手が止まらなくなります。人間ドラマも充実しており、渾身の力作といえる一作です。
白鳥とコウモリ
東野 圭吾
幻冬舎
2021-04-07


13位.メルカトル悪人狩り(麻耶 雄嵩)20読みたい20位 本ミス19
まるで犯行予告のカウントダウンの如く有名作家の許に毎日届くトランプの謎を描いた「メルカトル・ナイト」を始め、天女伝説をなぞったような殺人事件が発生する『天女五衰』、難事件を前にしてメルカトルならではのロジックが炸裂する『メルカトル式捜査法』などなど全8編収録。
ミステリーお約束をぶち壊していくような往年の先鋭的なスタイルを期待すると肩すかしをくらうかもしれませんが、銘探偵メルカトルの味を存分に発揮した一級のキャラクター小説に仕上がっています。


14位.雷神(道尾秀介)10(文春13位 読みたい14
30年前の祭りの日に起きた毒キノコ事件は母を殺された父による復讐だったのか?ならば、姉と私に落ちた雷は父の行為に対する天罰なのだろうか?そして今、新たな悲劇とともに過去が蘇る。私と姉、それから19歳になる娘の夕実は、真実を求めて古き因習が残る故郷の村への潜入調査を試みるが......。
本作で描かれる不幸の連鎖による悲劇は読んでいて胸を抉られます。同時に、その中にさまざまなテクニックを駆使して読者をミスリードさせる手管が秀逸。謎解きとドラマが見事に融合した傑作です。
雷神 (新潮文庫 み 40-23)
道尾 秀介
新潮社
2024-02-28


15位.アクティベイター(沖方丁)20
羽田空港に突如中国のステルス爆撃機が飛来する。空港に降り立ったパイロットの女性は亡命を希望するも、何者かによって拉致されてしまう。それを救ったのは警備員の真丈だった。彼女の身柄を巡って暗闘する米中露の工作員。しかも、ステルス機に搭載されている核には起爆のおそれがあり........。
タイプの異なる義兄弟の活躍を描いた謀略サスペンス。肉弾戦と政治的駆け引きという動と静の闘いが密接に絡み合うことで物語を盛り上げることに成功しています。ただ、説明過多で冗長な部分もあり。


16位.雨と短銃(伊吹亜門)※ランク外
慶応元年。坂本龍馬が薩長同盟の成立のために京で西郷吉之助を説き伏せた矢先、ともに上洛していた長州藩藩主の小此木鶴羽が何者かに斬られてしまう。しかも、下手人は逃げ場のない袋小路から煙のように消え失せたのだ。尾張公用人の鹿野師光は龍馬に呼び出され、下手人の捜索を依頼されるが......。
『刀と傘 明治京洛推理帖』の前日譚です。前作と同様に史実に架空の事件を巧みに織り交ぜ、魅力的な物語に仕上げています。また、ミステリーとしても巧妙な伏線や時代性を背景にした動機が秀逸。
雨と短銃 (ミステリ・フロンティア)
伊吹 亜門
東京創元社
2021-02-22


17位.化け者心中(蟬谷めぐ実)※ランク外
ある夜、江戸の芝居町で作者や役者たちが集まって本の読み合わせをしていたところ、車座の中央に生首が転がり出る。次の瞬間、蝋燭が消え、明かりがついたときにはすでに生首はなく、代わりに血だまりと肉片が残されていた。足を失って引退した元女形の魚之助と鳥屋の藤九郎がこの謎に挑むが.......。
江戸の芝居小屋の雰囲気をリアリティ豊かに描いた時代ミステリーの秀作。凸凹コンビのバディものとしても楽しく、役者の裏の顔を暴いていくプロセスも実に読ませます。ただ、謎解き要素は薄めです。
化け者心中 (角川文庫)
蝉谷 めぐ実
KADOKAWA
2023-08-24


18位.非弁護人(月村了衛)※ランク外
上層部に嵌められ、実刑判決を喰らった元特捜検事の宗光彬は出所後に裏社会の人間を顧客とする弁護ビジネスを始める。ある日、宗光はパキスタン人の少年から失踪した韓国人の少女を探してほしいという依頼を受ける。その調査の過程で、底辺に落ちた元ヤクザたちを喰い物にする男の存在を知り......。
社会的弱者の問題に焦点を当てつつ、ダークヒーローの活躍を描いた傑作エンターテイメント。裏社会の人間や自分を裏切った相手と手を組む展開が熱いですし、緻密な法廷シーンも読み応えがあります。
非弁護人 (徳間文庫)
月村了衛
徳間書店
2024-03-08


19位.花束は毒(織守 きょうや)※ランク外
元医学生である真壁の元に続けさまに送られてくる「結婚をやめろ」という脅迫状。ワケありの様子の彼を見かねて知人の木瀬は探偵・北見理花に調査を依頼する。しかし、その結果、真壁のトンデモない過去を知ってしまう。衝撃を受け、混乱する木瀬を尻目に事態は新たなる展開を迎え......。
前半は淡々と進むので結構冗長に感じられるかもしれません。しかし、後半過ぎから怒涛の展開が始まり、ページを繰る手がとまらなくなります。二転三転の末にたどり着く、ぞっとする結末が秀逸。
花束は毒 (文春e-book)
織守 きょうや
文藝春秋
2021-07-28


20位.あと十五秒で死ぬ(榊林銘)12( 読みたい15位 本ミス10
死神から与えられた余命15秒で自分を撃った犯人の告発方法を考える『十五秒』、ミステリードラマ終了15秒前に登場人物が突然急死する『このあと衝撃の結末が』、首が取れても15秒間は死なない世界で首のない焼殺死体が発見される『首が取れても死なないぼくらの首無殺人事件』など、4作収録。
”15秒後に死ぬ”というシチュエーションの作品ばかりを集めた中編集です。作品ごとに出来不出来はありますが、『首が取れても死なないぼくらの首無殺人事件』の奇想ぶりには驚かされます。
あと十五秒で死ぬ (創元推理文庫)
榊林 銘
東京創元社
2023-08-31



その他注目作品50

21.アンブレイカブル(柳広司)
1925年に治安維持法が成立し、罪状捏造に走る特高警察。それに対して信念を貫こうとする男たちがいた。蟹工船の取材に熱中する小林多喜二と彼を罠にかけようとする特高の駆け引きを描いた『雲雀』、非国民的思想犯として特高の監視を受ける川柳作家を憲兵の立場から語る『叛徒』など全4篇収録。
内務省官僚のクロサキを狂言回しとし、戦前を生きた実在の文化人と体制側の戦いを描いた連作集。反戦文学の形をとりつつも、ミステリーとしての仕掛けも充実している極上のエンタメ小説です。
アンブレイカブル (角川文庫)
柳 広司
KADOKAWA
2024-01-23


22.闇に用いる力学( 竹本健治)11(文春19位
都心の住宅街に人喰い豹が出現し、人々を恐怖に陥れ、旅客機の墜落や爆弾事件が相次ぐ。終末ムード漂うなか、今度は高齢者を狙い打つ殺人ウイルスが流行し、さらには高齢者の延命治療に反対するウバステリズムの思想が広がっていく。しかも、一連の事件には背後で暗躍する謎のグループが......。
1997年の赤気篇発表以降、刊行がストップしていたのを黄禍篇、青嵐篇の発売で24年越しの完結。多彩な展開をみせる終末小説として読み応えありですが、こじんまりとした結末は賛否のわかれるところ。
闇に用いる力学 合本版
竹本 健治
光文社
2021-07-28


23.硝子の塔の殺人(知念実希人)9(文春4位 読みたい12位 本ミス5
大富豪でミステリーマニアの神津島は重大発表を行うために長野県の山奥にある豪邸"硝子館"に知人たちを招待する。一方、神津島に殺意を抱く専属医の一条遊馬は毒による殺害を計画していた。ところが、思わぬアクシデントに見舞われ、しかも、自分の預かり知らぬところで連続密室殺人が起き......。
著者初の本格ミステリですが、物語の節々に本格愛が感じられ、しかも、事件の真相まで本格愛のこもったぶっとんだものだったのには思わずのけぞってしまいました。賛否両論が予想される問題作です。
硝子の塔の殺人
知念 実希人
実業之日本社
2021-07-30


24.泳ぐ者(青山文平)
68歳になる寝たきりの元勘定方組頭が別れた妻に刺し殺されるという事件が起きる。男は長年妻を大事にしてきたのだが、「同じ墓に入りたくない」という理由で数年前に離縁したのだという。一方、徒目付の片岡直人はもう10月だというのに溺れそうになりながら大川を泳いで往復する男を目撃し......。
このミス2017で4位の『半席』の続編。今回は長編ですが、事件の裏に潜む動機を探っていく構成は前作と同様です。動機の解明とともに心の闇が露わになり、読む者をやるせない気分にさせる力作。
泳ぐ者 (新潮文庫 あ 84-4)
青山 文平
新潮社
2023-09-28





25.パラダイス・ガーデンの喪失(若竹七海)14( 読みたい20
身元不明の老女の自殺、所轄署のクラスター騒ぎ、老人ホームを巡る詐欺事件、幼稚園児身代金誘拐などなど。次々と発生する不穏な事件に葉崎市の住人たちは振り回されてんやわんやの騒動に発展していく。葉崎署の二村貴美子警部補も捜査に乗り出すが、葉崎市に隠されていた闇に行き当り......。
10年ぶりの葉崎市シリーズ。今作は大勢の登場人物が織りなす群像劇になっており、それぞれの事件の繋がりが徐々に明らかになり、大きな絵図を描き出す構成が見事です。ビターなテイストも健在。


26.羊は安らかに草を食み(宇佐美まこと)
86歳の益恵は認知症を患い、過去の記憶に苦しめられるようになっていた。これまで理性で抑えつけていたものが溢れ出しているのだ。俳句仲間のアイと富士子はそんな彼女を何とか救いたいと考え、思い出の地を巡る旅に連れ出す。敗戦後に満州から引き揚げた過去を持つ彼女が隠し続けた秘密とは?
本作は一種の戦争文学であり、時代に翻弄された主人公の過去が克明に描かれています。そして、その過去があまりにも壮絶で思わず息をのむほどです。一方、ミステリーとしては俳句の使い方が秀逸。
羊は安らかに草を食み
宇佐美まこと
祥伝社
2021-02-09


27.四元館の殺人 ―探偵AIのリアル・ディープラーニング (早坂吝)
犯人AI以相が開催した闇オークションで犯罪コーディネート依頼の権利を落札したのは従姉の復讐に燃える少女だった。一方、探偵のAI・相以と助手の輔が以相の計画を計画を阻止すべくたどり着いたのは雪山に佇む奇怪な館・四元館だった。そこで彼らは次々巻き起こる不可思議な変死事件に遭遇し...。
探偵AIシリーズ第3弾。今回は館ものの中に恒例ともいえる稚気に富んだアイディアを盛り込んで楽しませてくれます。ただ、荒唐無稽すぎるのと館ものとして緊迫感に欠ける点は好みのわかれるところ。


28.インドラネット(桐野夏生)
25歳の八目晃は契約社員として空しい日々を過ごしていた。ある日、高校時代に親しくしていた野々宮空知と彼の美人姉妹が揃って音信不通になっていることを知る。晃は空知の行方を追ってカンボジアへと飛ぶが、初めての海外であるうえに、出会う人々は誰もが一癖も二癖もある人物ばかりで...。
頼りない主人公が怪しげなムード満点のカンボジで体験する冒険紀行はテンポが良いうえに、予想外の展開の連続でぐいぐい引き込まれていきます。ただ、ラストのオチは好みが分かれるかもしれません。
インドラネット (角川書店単行本)
桐野 夏生
KADOKAWA
2021-05-28


29.葛登志岬の雁よ、雁たちよ(平石 貴樹) 
函館近郊の家で主婦が殺されるが、奇妙なことに死体の額には十字傷がつけられていた。しかも、家の近所では以前白骨死体が発見されたことがあるというのだ。事件解決の糸口がつかめないまま時が過ぎ、やがて新たな殺人が起きる。その死体にも第一の事件同様、額に十字傷が刻まれていたのだが.....。
函館シリーズの第3弾であり、巧みな伏線とミスディレクションが冴えまくる一級のパズラーに仕上がっています。ただ、淡々とした捜査パートとキャラの造形が古臭い点は好みの分かれるところ。
葛登志岬の雁よ、雁たちよ
平石 貴樹
光文社
2021-07-27


30.鬼哭の銃弾(深町秋生)
多摩川河川敷で発砲事件が発生し、捜査一課の刑事である日向直幸が捜査にあたることになった。ところが、弾丸に残された線条痕から、22年前のスーパーいちまつ強盗殺人事件と同じ銃が使用されたことが判明する。それは鬼刑事と呼ばれ、家庭を崩壊させた父が追っていた因縁の事件だった........。
父子2代に渡る刑事ドラマですが、父親である繁の事件に対する執念の凄まじさと狂犬ぶりが強烈です。期待通りのバイオレンス描写に加え、ミステリーとしても驚きの展開が用意されています。
鬼哭の銃弾
深町 秋生
双葉社
2021-01-20


31.帝国の弔砲(佐々木譲)
ロシア沿海州に入植した小條夫妻の次男・登志矢はその地で鉄道技能士となる。だが、第一次世界大戦でロシア帝国に徴兵され、激戦を生き延びて復員すると革命の嵐が吹き荒れていた。その嵐に否応なく飲み込まれた彼はやがて共産党員となる。そして、日本へスパイとして潜入するのだが........。
日本が日露戦争で敗れたifの世界を描いた歴史改変シリーズの第2弾です。主人公の数奇な運命や本来の史実といかにしてずれていったかのプロセスなどが興味深く描かれ、読み応えがあります。
帝国の弔砲 (文春文庫)
佐々木 譲
文藝春秋
2023-12-06


32.アンダークラス(相場英雄)
老人入居施設で暮らす老人の死体が近隣の水路で発見される。容疑者として浮上したのが外国人技能実習生として施設で働くベトナム人のアイン。彼は癌に侵されている老人に乞われて自殺幇助を行ったと自供する。これで一件落着かと思われたが、警視庁継続捜査班の田川は死体の手に疑念を抱く....。
老人の死を契機として日本のさまざまな問題が浮き彫りになっていく、社会派ミステリーです。世界的通販サイト、下請け企業、外国人技能実習生などの実態は読んでいて暗澹たる気分にさせられます。
アンダークラス
英雄, 相場
小学館
2020-11-11


33.ババヤガの夜(王谷晶)
喧嘩に明け暮れていた新道依子はヤクザを叩きのめしたことでその腕を買われ、暴力団会長の一人娘・尚子の護衛を務める羽目になる。尚子は高飛車なお嬢様で最初は取り付く島もなかったが、互いの境遇を知って次第に心を通わせるようになる。だが、依子には残忍な性格のフィアンセがおり......。
女性2人がメインのバイオレンス小説で、歯切れの良い文章から繰り出される暴力シーンが鮮烈です。悪役も含めてキャラも立ちまくりな痛快エンターテイメントであり、切ないラストもぐっときます。
ババヤガの夜 (河出文庫)
王谷晶
河出書房新社
2023-05-03


34.アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿(澤村伊智)
新人ライター・湾沢陸男が行くところに怪事件あり!アウターQは単なるエンタメサイトなのに彼がかかわるとホンモノを呼び寄せてしまうのだ。あるとき、陸男は15年ぶりにパンダ公園を訪れ、子供たちを震え上がらせてきた露死獣の呪文の解読に挑む。だが、そこには恐ろしい秘密が隠されていた......。
全7編からなる連作ミステリー。漫画チックなタイトルに油断していると、1話目からゾッとさせられます。すべての事件が一つにつながる終盤の展開も見事。心の闇を描いた怪奇ミステリーの傑作です。
35.エゴに捧げるトリック(矢庭優日)
人類は謎の怪物EGOの襲撃によって存亡の危機に立たされていた。彼らに通常兵器は通用せず、唯一有効なのは催眠術だった。その養成機関の卒業式の日に殺人事件が発生する。しかも、目撃者全員が身に覚えのない吾妻福太郎を犯人だと証言しているのだ。催眠術でみんなを操っているのは誰なのか?
第10回アガサ・クリスティー賞最終候補作。催眠術が強大な力を持つ世界を描きつつも、ご都合主義に陥るのを避け、催眠術を使ったトリックや捜査をあくまでもロジカルに描いている点が見事です。


36.ボーンヤードは語らない(市川憂人)
空軍基地内で発生した機密漏洩疑惑に絡んだ変死事件にジョン・ニッセン少佐が挑む表題作、高校生時代の九条漣が密室状況の雪小屋の死体に遭遇する『赤鉛筆は要らない』、マリアが警察官を目指すきっかけとなった事件について語られる『レッドでビルは知らない』など、全4編が収録された短編集。
本格ミステリとしては軽量級ですが、お馴染みのキャラクターたちの過去のエピソードが描かれているのはファンとしては嬉しいところです。過去話からコンビ結成後の事件へと繋げる流れも秀逸。


37.揺籠のアディポクル(市川憂人)
ウイルスすら完全に遮断する無菌病棟クレイドルでは少年と隻腕隻眼の少女が闘病生活を続けていた。ところが、ある大嵐の日、貯水槽によって通路が分断され、クレイドルは孤立する。翌朝、少年が目を覚ますと少女はメスで胸を刺されて死んでいた。完全密閉の部屋で一体誰が彼女を殺したのか?
ボーイミーツガールからクローズドサークルの話になり、そこからさらにスケールアップしていく展開に思わず引き込まれます。余韻の残るラストも良い感じ。一方で、謎解ミステリーとしてはイマイチ。
揺籠のアディポクル
市川 憂人
講談社
2020-10-14


38.ミステリー・オーバードーズ(白井智之)
フンミシ食い王決定戦の最中に毒殺事件が起きる『ちびまんとジャンボ』、主人公が、人々が肛門で食事をして口から排泄する異世界に転生する『げろがげり、げりがげろ』、麻薬を盛られた探偵たちが幻覚に苛まれながら推理を繰り広げる『ディティクティブ・オーバードーズ』など全5編収録。
あまりにも悪趣味で概要を読んだだけでも食欲が失せてしまいそうですが、特殊設定を活かした謎解きとしては一級品。ただ、描写はかなり強烈なのでこの手のネタが苦手な人はスルーした方が無難です。
39.死体の汁を啜れ(白井智之)
小さな港町である牟黒市は異様に殺人が多く、その発生率は南アフリカのケープタウンに匹敵するほどだ。しかも、豚の頭をかぶった死体、頭と手足を切断された死体、胃袋が破裂した死体などといった具合に異様な事件ばかりが起きる。推理作家、悪徳刑事、やくざ、女子高生らが事件の謎を追うが......。
著者十八番の猟奇事件を扱った連作ミステリー。描写はおとなしめで一般層にもお勧めしやすい作品です。その分、マニアには物足りないかもしれませんが、終盤エピソードの壮絶なサプライズは秀逸。
死体の汁を啜れ
白井 智之
実業之日本社
2021-08-30


40.密室は御手の中(犬飼 ねこそぎ )
探偵の安威和音は雑誌記者を装い、新興宗教"こころの宇宙"に潜入する。100年前に瞑想中の開祖が密室状態の堂をすりぬけ、山中で発見されたという逸話を有する教団だったが、ある事故によって弱体化し、現在では9人の男女がひっそりと共同生活を送っていた。その堂から凄惨な死体がみつかり.....。
阿津川辰海を輩出したカッパ・ツー企画の第2回入選作です。小説としての粗さが目立ち、動機に関しても説得力に欠けるものの、大胆なトリックやロジックの切れ味には目を見張るものがあります。
密室は御手の中
犬飼 ねこそぎ
光文社
2021-07-27


41.信長島の惨劇(田中啓文)
本能寺の変から十数日が過ぎた頃、羽柴秀吉、柴田勝家、高山右近、徳川家康らの元に招待状が届く。招待主の名はなんと織田信長となっていた。信長の死に対してそれぞれ後ろめたいものがある4人は招待状にしたがって三河湾に浮かぶ小島を訪れる。それが、わらべ歌連続殺人の始まりだった......。
歴史上の有名武将たちが『そして誰もいなくなった』のように孤島で次々と殺されていくというトンデモ展開や史実とのつじつま合わせが楽しい歴史ミステリーの怪作です。


42.透明な螺旋(東野圭吾)
房総沖で男性の銃殺死体が発見される。捜査を進めていくと同棲していた女性の存在が浮上し、しかも、彼女は事件直後に正体不明の老婦人を伴って消息を断っていた。そんな中、事件関係者の一人として、天才物理学者・湯川の名が浮上する。警視庁の草薙刑事は両親と暮らす彼の元を訪れるが......。
ガリレオシリーズの第10弾。今回はシリーズ主人公・湯川の抱える問題や過去が明らかになっていくところが読みどころとなっています。ファンにとっては必読のしょですが、ミステリー的興味は薄め。
透明な螺旋
東野 圭吾
文藝春秋
2021-09-03


43.廃遊園地の殺人(斜線堂有紀 ) 
20年前のプレオープンの日に銃の乱射事件が起きて閉園に追い込まれた遊園地に廃墟マニアやかつての関係者たたちが招待される。招待主は資産家の十嶋庵であり、園内に隠された宝を見つけたものに譲るという。こうして宝探しが始まるが、園内には不気味な着ぐるみが徘徊し、ついには殺人事件が......。
廃墟の遊園地はゾクゾクして雰囲気は悪くありませんし、さくさくと読める文章も好印象です。伏線の回収なども見事。ただ、事件が起きるまでが長く、物語が平板な印象なのは好みの分かれるところ。
廃遊園地の殺人
斜線堂 有紀
実業之日本社
2021-09-22


44.トリカゴ(辻堂ゆめ)
強行犯係の森垣里穂子は、殺人未遂事件の女性を逮捕するが彼女には戸籍がなかった。結局、彼女は証拠不十分で釈放されるが、里穂子は密かに捜査を続ける。そして、無戸籍者が隠れ住む生活共同体を発見す戸籍児童の問題を扱った重厚な社会派ミステリーです。戸籍の問題について勉強になると同時に、25年前の事件が現代の事件とどう結びついていくかなど、ミステリーとしても読み応えのあります。
トリカゴ
辻堂 ゆめ
東京創元社
2021-09-30


45.影踏亭の怪談(大島清昭)
怪談ルポルターである姉が自宅のマンションにて粘着テープで拘束された状態で発見された。しかも、両瞼が彼女自身の髪の毛で縫い付けられていたのだ。現場は密室状態であり、姉の自作自演としか考えられない。その姉は事件から1カ月が過ぎても昏睡したままだ。僕は独自に調査を開始するが......。
怪談ルポルター呻木叫子を探偵役に据えた連作ミステリー。トリックは比較的単純なものばかりですが、怪談とミステリーとの配合が絶妙で推理だけでは解明しきれない謎が恐怖心を掻き立てます。
影踏亭の怪談 (創元推理文庫)
大島 清昭
東京創元社
2023-06-19


46.ブラック・チェンバー・ミュージック(阿部和重)
フリーランスの映像作家だった横口健二30代後半で映画監督デビューのチャンスを手にするが大麻取締法違反で起訴されて初監督作品はお蔵入りになってしまう。それから2年。借金に追われ、派遣仕事で糊口をしのぐ彼に北朝鮮から密入国したという女性からやばい仕事がもちこまれ...。
著者本来フィールドである純文学性を廃し、エンタメに徹した国際謀略ラブサスペンス。筋運びが軽快でちょっとゆるい主人公をはじめとしてキャラの魅力も申し分ありません。小ネタも楽しい。
ブラック・チェンバー・ミュージック
阿部 和重
毎日新聞出版
2021-06-21


47.インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー (皆川 博子)18読みたい7
独立戦争の最中にある1775年のアメリカ。記者のロディは牢獄に収監されている英国兵エドワード・ターナーを訪ねた。その目的は、彼がなぜ植民地開拓者と先住民族の息子であるアシュリーを殺したのかを確かめるためだった。一方、エドワードはアシュリーの手記から驚くべき推理を展開するが...。
『開かせていただき光栄です』『アルモニカ・ディアボリカ』に続くシリーズ完結編。手記による事件パートと推理パートが交互に描かれ、予想外の事実が浮かび上がってくる展開に引き込まれます。
48.八月のくず 平山夢明短編集(平山夢明)
〈本〉を読んで傷を回復させていた地下レスラーが施設で妹のようにかわいがっていたサヲと再会する「不死身のちょんぼ」、異星でノックスという生物に奴隷として使役されている少年が偶然ノックスの少女を助ける「いつか聴こえなくなる唄」など、全10篇の短編を収録した作品集。
表紙のデザインは爽やかげなイメージですが、中身は安心の平山ワールド。絶望に満ちた異形の物語が詰まっています。特に、自分の子を怪物に育て上げようとする「あるグレートマザーの告白」が秀逸。
八月のくず 平山夢明短編集
平山 夢明
光文社
2021-09-22


49.蝶として死す:平家物語推理抄(羽生飛鳥)
1183年。木曾義仲の進軍におそれをなし、平家は西国へと逃れた。だが、平家を見限った平頼盛は妻子とともに京に留まっていた。そんな彼に、一門きっての知恵者との噂を聞きつけた義仲が意外な頼み事をしてくる。5つの首なし死体の中から斎藤別当実盛の屍を特定してほしいというのだが......。
平家の異端児・平頼盛を探偵役に据えた連作短編。歴史的事件を絡めた謎解きはそれぞれ興味深いもの
がありますが、それ以上に、誇りを捨ててでも一門を守り抜こうとする頼盛の生きざまに痺れます。


50.神の悪手(芦沢央)
避難所での指導対局中にわざと悪手を打ち続ける少年の意外な動機を描いた『弱い者』、将棋雑誌の詰将棋コーナーに送られてきた滅茶苦茶な創作詰将棋に秘められた謎を紐解いていく『ミイラ』、ある理由から奨励会の青年が三段リーグの対局に決死の覚悟で挑む羽目になる表題作など全5編収録。
叙述ミステリー、暗号解読、感動話などなど、さまざまなタイプの作品が楽しめる短編将棋ミステリー。いずれも人生の一場面を鮮やかに活写しつつ、ミステリーとしての面白さも申し分ない傑作です。
神の悪手
芦沢央
新潮社
2021-05-20


51.サーカスから来た執達吏(夕木春央)
大正14年。樺谷子爵家にサーカス出身の少女が訪ねてくる。名をユリ子といい、晴海商事から借金の取り立てにやってきたのだという。返すあてなどない樺谷家は担保に三女の鞠子を差し出す。2人は借金返済のために財宝探しを行うことになり、行きついたのが14年前に名家で起きた未解決事件だった。
本作は名家令嬢の鞠子とサーカス少女のユリ子の冒険譚になっており、楽しいバディものとしてよくできています。それでいてミステリーとしても秀逸で、特に終盤における怒涛の謎解きは圧巻です。
52.時空犯(潮谷 験)
私立探偵の姫崎は情報工学の権威である北神博士から自分が同じ1日をループし続けている原因を突き止めてほしいという成功報酬1000万円の依頼を受ける。そして、同じく依頼を受けた各分野のエキスパートたちと共に謎の液体を飲むと全員が1日前にタイムリープするが、なぜか北神博士が殺され......。
タイムリープの最中に起きた殺人の謎を描いた特殊設定ミステリーです。しかも、その殺人というのが一筋縄ではいかず、想定外の展開にぐいぐい引き込まれていきます。精緻な謎解きが楽しめる佳品。
時空犯 (講談社文庫)
潮谷験
講談社
2023-01-17


53.スイッチ 悪意の実験(潮谷験)
大学生たちに持ちかけられた風変わりなアルバイト。スイッチを押すと幸せな家族が破滅するというアプリをインストールして、そのスイッチを押しても押さなくても1カ月後には100万円が支払われるというのだ。押しても何のメリットもないのにスイッチを押す者などいるはずがないと思われたが......。
第63回メフィスト賞。破滅スイッチなる奇抜な設定に引き込まれ、そこから続く人間の本質に迫る描写も読み応えありです。謎解きも良く出来ていますが、宗教に関する長い描写は好みの分かれるところ
54.老虎残夢 (桃野雑派) 
南宋の時代。武術の達人・梁泰隆は弟子の蒼紫苑に修行をつけながら養女の梁恋華とともに3人慎ましく暮らしていた。ある日、泰隆は突然3人の武俠を呼び寄せ、そのうちの一人に奥義を授けると紫苑に告げる。だが、ささやかな宴会の翌朝、泰隆は死体で発見される。腹に匕首を刺された状態で.......。
第67回江戸川乱歩賞受賞作品です。中国が舞台の武俠ミステリーで主役&ヒロインが百合カップルという変わり種ですが、語り口が巧みで引き込まれます。中国史を絡めた事件の背景も読み応えあり。
老虎残夢
桃野雑派
講談社
2021-09-15


55.ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人(東野圭吾)
寂れた観光地である名もなき町は再び観光客を呼び寄せるプロジェクトが進行中だった。だが、それもコロナ渦で頓挫してしまう。そんんな中、殺人事件が発生。すべてが謎だらけの事件だったが、その謎を警察より先に宣言する男が現れる。彼は被害者の弟で元マジシャンだというのだが........。
コロナ以後の社会を物語にうまく絡めた本格ミステリ。話のテンポも良く、ソツのない面白さを提供している点はさすが東野作品です。ただ、探偵役があまりにも万能すぎでリアリティに欠けるのが残念。
56.冬の狩人(大沢在昌)
3年前の未解決殺人事件の重要参考人・阿部佳奈からH県警にメールが届く。彼女は行方知れずになっていたのだが、新宿署のマル暴刑事・佐江を護衛につけるのなら出頭するというのだ。しかし、佐江は管轄違いのうえにすでに辞職を提出した身だという。彼女はなぜそんな男を護衛に指名したのか?
狩人シリーズ第5弾。展開がやや無理筋と思わないではないですが、立ちまくっているキャラと怒涛の勢いで一気に読ませてしまうのはさすが大沢作品です。ただ、過去作と比べて突出した部分はなし。
冬の狩人 (Gentosha novels)
大沢 在昌
幻冬舎
2022-08-24


57.不可逆少年(五十嵐律人)
狐面を被った子供による殺人生中継が動画サイトに投稿される。実の姉を含む3人を殺害したのは13歳の少女だった。瀬良真昼はどんな子どもも見捨てないという信念を抱く若き家庭裁判所調査官だが、その事件を前にして信念が揺らぐ。さらに別の事件が起き、それらは複雑に絡み合っていき......。
衝撃的な事件に一気に引き込まれ、矯正不能の不可逆少年という概念にも考えさせられるものがあります。少年法のあり方に一石を投じる佳品です。ただ、冒頭の事件が主題でなかったのは少々肩透かし。
不可逆少年
五十嵐律人
講談社
2021-01-26


58.リボルバー(原田マハ)
パリの小さなオークション会社に勤める高遠冴のもとに錆ついたリボルバーが持ち込まれる。所有者の女性によると、これはゴッホが自殺に使ったものだという。ただし、証拠に欠けるため、冴たちは調査を開始する。やがて浮かび上がってきたのはゴッホは自殺ではなく、殺されたという説だった....。
一丁リボルバーを巡るゴッホとゴーギャンの物語は鬼気迫るものがあり、非常に読み応えがあります。人間ドラマとしては申し分ありません。ただ、ミステリーとしてはもうひとひねりほしかったところ。
リボルバー (幻冬舎文庫 は 25-7)
原田 マハ
幻冬舎
2023-07-06


59.君が護りたい人は (石持浅海)
10年前に両親と死別した成富歩夏は彼女の後見人で20も年上の奥津悠斗と婚約した。三原一輝は奥津を殺して彼女を救い出すことを決意し、それを友人で弁護士の芳野友晴に打ち明ける。そして、キャンプ場にトラップを仕掛けようとするが、ゲストとして参加した碓氷優佳によって計画は狂い始め......。
碓氷優佳シリーズの長編第5弾。今回は共犯者的立場の人物の視点という変則的な倒叙もので、犯行の全貌が掴めないことで独自の緊迫感を持たせることに成功しています。結末の意外性もなかなかです。
君が護りたい人は (NON NOVEL)
石持浅海
祥伝社
2021-09-03


60.悪魔には悪魔を(大沢在昌)
麻薬取締官の加納良が潜入捜査の最中に失踪する。一方、彼の双子の弟である将が20年ぶりに日本に帰ってきた。若い時に悪さを重ねていた彼は逃げるようにアメリカに渡り、そのまま米国陸軍に入隊していたのだ。彼は当局に捜査協力を求められ、良になりすましてベトナム犯罪組織に接近するが......。
ご都合主義的展開が目立つものの、ハードボイルドな面白さは相変わらず。テンポ良く読むことができ、後半の怒涛の展開は手に汗握ります。マッチョな女性刑事など、個性的なサブキャラも魅力的。
悪魔には悪魔を (講談社ノベルス)
大沢 在昌
講談社
2023-04-26


61.新 謎解きはディナーのあとで(東川敦哉)
令嬢刑事こと宝生麗子は晴れて警視庁に栄転するものの、大きなミスをして国立署に舞い戻る羽目になってしまう。そして、新たに加わった天然の新人刑事・若宮愛理らとともにダーイングメッセージやアリバイ工作などの謎に挑む。しかし、それらの謎を解くのはおなじみの毒舌執事の影山で.......。
ベストセラーとなった前作の9年ぶりの新作。相変わらず軽快なテンポの掛け合いが楽しく、ミステリーとしても手堅い良作が揃っています。ただ、売りだった毒舌の切れは少々パワーが落ちているかも。
新 謎解きはディナーのあとで
東川篤哉
小学館
2021-03-31


62.そして、海の泡になる(葉真中顕)
バブル期に前代未聞の4300億円という負債を抱えて自己破産した朝比奈ハル。かつて「北浜の魔女」と呼ばれて多くの信者を生んだ彼女は平成の最後の年に獄中でひっそりと人生の幕を下ろす。獄中でハルと親しかった女性は彼女の生涯を本にまとめようと、ハルに関わった人々に取材を試みるが......。
『Blue』と同様に史実を絡めて時代を敷衍的にとらえた作品です。また、インタビュー形式にすることで臨場感を高めることに成功しています。ミステリーとしてのヒネリを効かせた終盤の展開も見事。
そして、海の泡になる (朝日文庫)
葉真中 顕
朝日新聞出版
2023-12-07


63.邪教の子(澤村 伊智)
平凡なニュータウンにカルト教団の信者の家族が引っ越してくる。悪魔や地獄という言葉で近隣住民に布教を始める危ない人たちで、しかも、娘の茜はどうやら虐待を受けているらしい。当時まだ11歳の少女だった慧斗は同い年の彼女がそんな境遇に置かれているのを見かね、救出作戦を実行するが......。
前半の子どもたちの冒険譚は一見王道的ジュブナイルのように見えてどこか違和感があります。そして、そこからの怒涛のどんでん返しが読み応え満点です。ただ、物語の結末は賛否の分かれるところ。
邪教の子 (文春e-book)
澤村 伊智
文藝春秋
2021-08-24


64.地べたを旅立つ 掃除機探偵の推理と冒険(そえだ信)
33歳の鈴木勢太は札幌方面西方警察署の刑事だったが、ある日暴走車にはねられ、気が付くとスマートスピーカ―機能付きの掃除ロボットになっていた。しかも、隣の部屋には中年男性の死体が転がっていたのだ。信じられない状況の中、勢太は引き取った姪を守るべく、小樽まで30キロの旅に出るが......。
第10回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作品。ぶっとんだ設定ながら、掃除機ロボットの機能を駆使して困難を乗り越えていく展開が非常に楽しい作品です。ただし、探偵や推理といった要素は希薄です。


65.この本を盗む者は(深緑野分
深冬の曾祖父は本の蒐集家で、その蔵書は御倉館という建物に集められていた。以後、御倉館は曾祖父の親族によって管理されていたが、深冬は本が好きではなかった。ある日、御倉館から本が盗まれたことで呪いが発動し、街が変容していく。深冬は街を元に戻すべく、本の世界へと足を踏み入れるが.....。
ミステリー作家のイメージが強かった著者によるファンタジー小説。さまざまな本の世界を冒険するということで本好きにはたまらない作品に仕上がっていますが、謎解き要素は薄味です。
この本を盗む者は (角川文庫)
深緑 野分
KADOKAWA
2023-06-13


66.薔薇のなかの蛇(恩田陸)
首と胴が切断された死体が英国で発見され、世間を騒がせていたころ、留学中のリセは友人のアリスから薔薇の館のパーティーに誘われていた。このパーティーで館の主は一族に伝わる秘宝を披露するのだという。だが、屋敷の敷地内で例の事件を思わせるバラバラ死体が発見され、さらに新たな事件が....。
理瀬シリーズ17年ぶりの第3弾です。荘厳な雰囲気の屋敷で起きる事件はムードたっぷりで引き込まれますが、本作自体が以後の物語のプロローグといった感じで終盤の盛り上がりに欠けるのが残念。
薔薇のなかの蛇
恩田陸
講談社
2021-05-25


67.火喰鳥を、喰う(原浩)
信州で暮らす久喜雄司の元に大伯父で太平洋戦争末期に戦死した久喜貞市の日記が送られてくる。そして、その日を境に雄司の周辺では異様な事件が起こり始める。日記を発見した記者の発狂、祖父の失踪。さらには、「ヒクイドリヲクウ、ビミナリ」という一文が日記の中に突如出現し......。
第40回横溝正史ミステリー&ホラー大賞大賞受賞作品。読ませる力はかなりなもので、日記が届いたことを契機に始まる怪異や火喰鳥にまつわる謎には引き込まれるものがあります。ただ、ホラーという割に怖さはさほどでもなく、ミステリーとしてはいささか説明不足な点が目立つのが残念です。
68.雪に撃つ(佐々木譲)
さっぽろ雪まつりの前日。札幌大通署の刑事・佐伯宏一は自動車窃盗の現場に向かっていた。一方、生活安全課の小島百合は家出少女が釧路から札幌に向かっているという電話を受ける。さらに、機動捜査隊の津久井卓は住宅街で発砲事件発生との報を聞く。果たして一連の事件はどう繋がっているのか?
道警シリーズの第9弾。巨悪に立ち向かうといった初期作品のような派手さはないものの、技能実習生などの社会問題を絡めつつ、さまざまな事件がテンポよく語られていきます。安定の面白さです。
雪に撃つ 北海道警察 (ハルキ文庫)
佐々木譲
角川春樹事務所
2022-05-15


69.二十面相暁に死す(辻真先)
敗戦の翌年。焼け野原だった東京も活気を取り戻し、疎開していた少年探偵団も次々と戻ってきた。だが、時を同じくして怪人二十面相も活動を再開する。その暗躍は留まる事を知らず、ついには明智小五郎や小林少年の偽物まで現れる始末だった。果たして明智は二十面相を捕えることができるのか?
『焼け跡の二十面相』に続く、シリーズ第2弾。ミステリーとしては前作ほどの驚きはありませんが、変装や活劇といった定番のシーンがたっぷりと入っており、良質なパスティーシュとして楽します。
70.悪の芽(貫井徳郎)
あるアニメイベントで男が多くの人々を殺した末に火炎瓶で自殺するという事件が起きる。銀行員の安達はそのニュースを聞いて愕然とする。犯人はひどいイジメを受けていた元同級生で、しかも、イジメの原因を作ったのは彼自身だったのだ。安達は罪悪感から犯人の動機について調べ始めるが......。
人間の悪意について正面から描いた力作であり、いろいろ考えさせられる作品です。また、重いテーマだけに希望の持てるラストにはほっとさせられます。ただ、宣伝文句の驚愕の真相は誇大広告気味。
悪の芽 (角川書店単行本)
貫井 徳郎
KADOKAWA
2021-02-26



チェック漏れ作品


神よ憐れみたまえ (小池 真理子)16
1963年11月9日。三井鉱山炭じん爆発と国鉄鶴見の事故が相次ぎ、魔の土曜日といわれた日の夜に12歳の黒沢百々子は何者かに両親を惨殺された。母親譲りの美貌と音学の才能を有していた百々子だったが、その事件は彼女に重くのしかかり、どす黒い悪夢を紡ぎだす。果たしてその先にあるものとは?
犯人は途中で分かるため、ミステリーとしての面白さは希薄です。その代わり、細やかな心理描写によって描き出された悪女の半生は非常に読み応えがあり、600ページ近い長さを感じさせません。
神よ憐れみたまえ(新潮文庫)
小池真理子
新潮社
2023-10-30


アンデッドガール・マーダーファルス 3 (青崎有吾)17読みたい18位 本ミス19
《鳥籠使い》の一行は人狼の里と繋がっているといわれる隠れ里で、まさにその人狼の仕業と思われる連続少女惨殺事件に遭遇する。彼らは人狼の里を見つけ出すが、そこでも同じような凶行が繰り返されていた。互いを疑い、憎悪に染まった人間と人狼の間で遂に戦争が始まる。果たして真相は?
シリーズ第3弾。ミステリー要素が希薄だった前作に比べると仕掛けはかなり凝っていますが、本作最大の見せ場はやはり個性豊かなキャラたちの大乱戦でしょう。読んでいて楽しくなる作品です。


2021年12月3日追記
予想結果
ベスト5→5作品中4作的中
ベスト10→10作品中7作的中
ベスト20→20作品中15作的中
順位完全一致→20作品中1作品

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最新更新日2021/12/03☆☆☆

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このミス2022
対象作品である2020年10月1日~2021年9月30日発売のミステリー&エンターテイメント作品の中からベスト20の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、ジャンルや作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。以上の点はあらかじめご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします


このミステリーがすごい!海外版最終予想(2021年11月15日)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
記載方法は以下のようになっています。
予想順位.タイトル(作者名)このミスの順位(文春の順位 読みたいの順位 本ミスの順位 
ただし、「→このミスの順位(文春の順位 読みたいの順位 本ミスの順位 の部分が記載されているのは予想ランキングあるいはこのミスで20位以内のものだけです。
なお、文春、 読みたい、本ミスはそれぞれ「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」「本格ミステリ・ベスト10」の略です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

1位.自由研究には向かない殺人(ホリー・ジャクソン)2位文春2 読みたい1位 本ミス2 
5年前に起きた女子高生失踪事件。殺されたと推定されるも死体は見つからず、容疑者である男子高校生の自殺で幕引きとなった。17歳のピップは自由研究の課題にこの事件の再調査を選ぶ。自殺した少年とは親交があり、無実を証明したかったからだ。彼女は持ち前の行動力で調査を進めていくが......。
ヤングアダルト小説ならではのバイタリティあふれる主人公が魅力的で、ユーモアに富んだ楽しい作品に仕上がっています。インタービューなどを通して真相に迫っていく手法などもユニークな傑作です。
自由研究には向かない殺人 (創元推理文庫)
ホリー・ジャクソン
東京創元社
2021-08-24


2位.ヨルガオ殺人事件(アンソニー・ホロヴィッツ)1位文春1 読みたい2位 本ミス1 
『カササギ殺人事件』から2年。クレタ島で小さなホテルを経営していた元編集者の私の元に裕福な夫妻が訪ねてくる。8年前に彼らが所有するホテルで殺人事件が起きたのだが、その真相をある本で見つけたと連絡してきた娘がそのまま失踪したというのだ。その本とはかつて私が編集したミステリで…。
超話題作『カササギ殺人事件』の続編。今回も名探偵ピュントが活躍する作中作と現実の事件の2本立てが楽しめるうえに、作中作に現実の事件の謎を解く鍵を織り込むなどの技巧に唸らされます。
ヨルガオ殺人事件 上 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2021-09-13


3位.チェスナットマン (アン・スヴァイストロプ) ※ランク外(文春14位 )
コペンハーゲンで身体の一部を生きたまま切断されるという連続殺人事件が発生。被害者は若い母親ばかりで、現場にはいずれも小さな人形が残されていた。しかも、人形から検出された指紋は誘拐のうえ殺された少女のものだった。トゥリーン刑事らは服役中の犯人や事件の関係者を調べ始めるが.....。
衝撃的なとシーンで始まった物語はスピーディな展開と共に二転三転していき、ページをめくる手が止まらなくなります。不穏なラストも印象的。謎解きの面白さもあるサイコサスペンスの傑作です。
チェスナットマン (ハーパーBOOKS)
セーアン スヴァイストロプ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-07-16


4位.三時間の導線(アンデシュ・ルースルンド)※ランク外
ストックホルムの病院の死体安置場に置かれていた死体がいつのまにか22体から23体に増えていた。増えたのはアフリカンの男性だが身元は不明。しかも、翌日にはアフリカ系の女性の遺体まで発見されたのだ。捜査を進める内に、港のコンテナからなんと68体もの遺体が発見され、さらに新たな遺体が.....
グレーンス警視シリーズ第8弾。移民問題に絡んだ凄惨な事件で始まる重苦しい内容ながらもアクション満載のテンポの良い物語にぐいぐい引き込まれていきます。意外な真相にも驚かされる傑作です。
三時間の導線 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アンデシュ ルースルンド
早川書房
2021-04-28


5位.台北プライベートアイ(紀蔚然)5位文春1 読みたい9位
大学教授兼劇作家の呉誠は長年うつ病とパニック障害に悩まされてきた。ある日、日頃の鬱憤が爆発してみんなを酒席で罵倒してしまう。恥いった呉誠は職を辞して隠遁し、私立探偵の看板を掲げることになる。だが、台北を震撼させている猟奇事件に巻き込まれ、警察からは犯人だと疑われる羽目に...。
台湾発のハードボイルドですが、テンポがよくユーモアが散りばめられているのでサクサク読むことができます。また、日本の探偵小説を始めとする蘊蓄も楽しく、台湾の生活を生き生きと描けています。
台北プライベートアイ (文春e-book)
紀 蔚然
文藝春秋
2021-05-13


6位.父を撃った12の銃弾(ハンナ・ティンテ)
4位文春5 読みたい4位
12歳のルーは父とともに亡き母の故郷に移り住む。各地を転々としていた父のサミュエルが娘に真っ当な生活をさせようと決意したからだ。だが、ルーは母が亡くなった理由も父の体に刻みこまれた12の銃痕の理由も知らされていなかった。やがて、その因縁が父娘の元に忍び寄ってきて.......。
銃痕の由来が語られる過去のエピソード一つ一つが完成度の高い短篇となっており、最後に少女の成長物語と絡み合う構成が見事です。クライムサスペンスとしても青春小説としても一級の傑作。
父を撃った12の銃弾 上 (文春文庫)
ハンナ・ティンティ
文藝春秋
2023-05-09


7位.TOKYO REDUX 下山迷宮(デイヴィッド・ピース)9位文春8 読みたい13位
1949年7月。GHQ占領下の東京で国鉄総裁が出勤途中に姿を消し、深夜の鉄路で轢断死体として発見された。スウィーニー捜査官は裏社会とのコネを頼りに占領都市の暗部へと潜ってゆく。一方、東京オリンピック目前の1964年6月には下山事件の取材を行っていた探偵小説作家の黒田浪漫が失踪し......。
東京三部作の完結編。3部構成の第1部は米国捜査官が主役のいかにも海外ミステリーといった赴きですが、2部では幻想譚めいた探偵小説となり、3部で怒涛の大団円を迎えます。万華鏡のような傑作です。
TOKYO REDUX 下山迷宮 (文春e-book)
デイヴィッド・ピース
文藝春秋
2021-08-24


8位.警部ヴィスティング 鍵穴(ヨルン・リーエル・ホルスト)※ランク外
大物政治家のクラウセンが心臓発作で急逝する。その件でヴィスティング警部は検事総長に呼び出される。クラウセンの別荘から8000万クローネ(約14億円)を越える外国紙幣が発見されたのだという。しかも、その翌日に別荘は放火され、焼け跡から若者の失踪事件への関与を示唆する証拠が出てきて.....。
警部ヴィスティングシリーズの第13弾です。地道な捜査が続く地味な展開ながらも主人公の魅力とテンポの良さで物語に引き込まれていきます。孫や共に事件を追っていく娘との関係にもほっこり。
警部ヴィスティング 鍵穴  ~THE INNERMOST ROOM~ (小学館文庫)
ヨルン・リーエル・ホルスト
小学館
2021-03-05


9位.木曜殺人クラブ(リチャード・オスマン)8位文春4 読みたい3位
クーパーズ・チェイスは現役を退いた高齢者のための施設。そこに元警官の入居者が持ち込んだ捜査ファイルに基づいて未解決事件の調査を行っているグループがあった。その名は"木曜殺人クラブ"。一癖も二癖もある彼らは施設経営者の一人が何者かに殺されたことを知り、真相究明に乗り出すが......。
前半は個性豊かな老人たちのユーモアあふれるやりとりが楽しく、中盤以降は様々な謎に引き込まれていきます。ただ、終盤は謎解きというより、重い過去の暴露に終始するのは好みが分かれるところ。
木曜殺人クラブ (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2021-09-02


10位.第八の探偵(アレックス・パヴェージ)10位文春7 読みたい6位 本ミス4 
作家のグラント・マカリスターは1940年代に独自の数学理論に基づいて書きあげたミステリー短編集を刊行して以来、地中海の小島に引き籠っていた。そこに女性編集者のジュリアが訪れ、短編集の復刊話を持ちかける。2人は収録作を一つずつを読み返して議論を重ねるが、その先には大きな謎が......。
さまざまな謎を独自の数学理論で紐解いていく展開がパズラーファンにとっては堪りません。本格ミステリを外側から解体していくメタミステリであると同時に本筋のどんでん返しも楽しめる傑作です。
第八の探偵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アレックス パヴェージ
早川書房
2021-04-14


11位.越境者(C・J・ボックス)※ランク外
猟区管理官のジョーは一度は職を辞したものの、知事の意向で現場に復帰する。彼が新たな任務として手掛けたのは製薬会社の跡取り失踪事件だ。跡取り息子は暗殺業を営んでいると目されるテンプルトンの標的にされた可能性があるという。さらに、ジョーの友人のネイトが現場近くで目撃されており...。
ジョー・ピケットシリーズの第14弾です。今回もシリーズの魅力であるアクションと自然描写が満載で大いに楽しませてくれます。さらに、ジョーの家族やネイトとの友情の物語も読み応えがあります。
越境者 (創元推理文庫)
C・J・ボックス
東京創元社
2021-06-30


12位.狩られる者たち (アルネ・ダール)※ランク外
雪原の中の病院で目を覚ました男は記憶を失っていた。医師からはサムと呼ばれていたが何も思い出すことが出来ない。やがて彼は衝動にかられるように病院から逃げ出した。バスにはねられ、病院に連れ戻された彼は自分がブロンドの髪の女によってこの病院に連れてこられたことを思い出すが......。
このミス2021で8位だった『時計仕掛けの歪んだ罠』の続編。かなり入り組んだ展開でストーリーを追うのに骨が折れますが、慣れてくるとサスペンスたっぷりな二転三転の展開に引き込まれていきます。
狩られる者たち (小学館文庫)
アルネ・ダール
小学館
2021-07-06


13位.宿敵(リー・チャイルド )※ランク外
大学のキャンパスで一人の若者が拉致されようしている現場に居合わせたジャック・リーチャーは彼を救うべく悪漢ども射殺。勢い余って警官までも射殺し、その場から逃げだしてしまう。救出した若者は輸入業者のザカリー・ベックの息子だった。リーチャーはDEAの要請でザカリーに接近するが.......。
2003年発表の第7弾。シリーズ最高傑作との呼び声も高く、危機また危機の連続には手に汗握ります。山場の連続すぎて深みが足りない面はあるものの、極上のエンタメであることは間違いなしです。
宿敵(上) (講談社文庫)
リー・チャイルド
講談社
2021-08-12


14位.評決の代償 (グレアム・ムーア)※ランク外
2009年。大富豪の娘が行方不明となり、黒人教師のボビーが逮捕されるも陪審となったマヤの主張によって無罪判決となる。だが、最後まで有罪を主張していた黒人のリックは10年後に当時の陪審員たちを集め、TV番組での再検証始める。ところが、リックがマヤの部屋で殺され、彼女は逮捕されるが......。
『十二人の怒れる男』のオマージュ的作品ですが、そこからさらに2段3段構えになっているのが本作の妙味です。優れたリーガルサスペンスであり、同時に謎解きや社会派としても一級品です。
評決の代償 (ハヤカワ・ミステリ)
グレアム ムーア
早川書房
2021-07-03


15位.悪童たち(紫金陳)11位文春15
中学2年の朱朝陽は孤児院から脱走してきた幼馴染みの丁浩と妹分の普普を匿うことになる。ある日、3人は山に遊びに行くが、撮影した動画を見返してみると、人が崖から突き落とされる場面が映っていた。犯人は義父母の財産を狙う張東昇だ。彼らは東昇から金を脅し取る計画を画策するが......。
子供たちの容赦ない転落人生を描いたサスペンス作品であり、同時に、その子供たちも一筋縄ではいかないところが本作の読みどころとなっています。特に、終盤の展開は驚愕のひとことです。


16位.文学少女対数学少女陸秋槎13位文春12 読みたい18位 本ミス3 
女子高生の陸秋槎は校内誌の新企画として自分の書いた犯人当てミステリーを掲載する。しかし、彼女の同級生で数学の天才である韓采蘆は秋槎自身が想定していなかった真相を論理的矛盾なく導き出してしまう。秋槎は采蘆に自作のアドバイザーになってもうおうとするが、彼女は想像以上の変人で.....。
後期クイーン問題にこだわったメタミステリーで作中作をミステリー論と数学論を比較しながら紐解いていく手法がユニーク。また、百合ミステリーとしても秀逸です。ただ、現実での事件は蛇足かも。


17位.ラスト・トライアル(ロバート・ベイリー)※ランク外
相棒のリックが父の急死で法律事務所を一時離れたため、一人で弁護を請け負うことなったトム。そんな彼の元に少女が訪れる。殺人事件の容疑者となった母を弁護してほしいというのだ。しかも、被害者はトムとリックの宿敵で母親も因縁の相手だった。トムは勝ち目のない裁判に挑む決意をするが......。
1作目2作目の登場人物が事件で重要な役割を果たすという、大河小説の趣を感じさせてくれるシリーズ第3弾です。盟友と袂を分かち、自身の病と対峙しながらも信念を貫くトムの生きざまに痺れます。
ラスト・トライアル (小学館文庫 ヘ 2-3)
ロバート・ベイリー
小学館
2021-01-04


18位.夜と少女 (ギヨーム・ミュッソ)※ランク外(文春19位 読みたい19位
1992年、コート・ダジュールの名門高校にて、魅力的な女生徒だったヴィンカが忽然と姿を消した。状況から哲学教師のアレクシスと駆け落ちしたとの結論に至り、以来25年、彼らを見た者はいない。一方、事件に関わる重大な秘密を抱えたまま卒業したトマは体育館改築の知らせに母校を再訪するが.....。
高校時代の美少女失踪事件を巡る物語であり、著者ならではの先の読めない展開にぐいぐい引き込まれていきます。テンポが良く、息つく暇もない面白さですが、アンモラルな結末は賛否が分かれそう。
夜と少女 (集英社文庫)
ギヨーム・ミュッソ
集英社
2021-11-04


19位.誕生日パーティー (ユーディト・W・タシュラー )15位文春13 
キムはオーストリアで暮らすカンボジア移民。50歳の誕生日パーティーに次男のヨナスはサプライズとして幼なじみのテヴィを招待する。だが、彼女はポル・ポト政権下での苦難を共に乗り越えてきた妹のような存在であるとともに、キムにとって最も会いたくない人物だった。一体過去に何があったのか?本作は現代パートの間にポルポト政権下での描写を挿入する形をとっており、その悲惨さには目を背けたくなります。しかし、そこからどんでん返しに至る手管が見事で読後感は決して悪くありません
誕生日パーティー
ユーディト・W・タシュラー
集英社
2021-05-26


20位.彼と彼女の衝撃の瞬間 (アリス・フィーニー)7位文春20 読みたい7位
ロンドンから車で2時間ほどの場所にあるブラックタウンの森で女性の死体が発見される。彼女の爪には"偽善者"と記されていた。BBC記者のアンは故郷の町で起きたその事件の取材に向かう。一方、刑事のジャックも捜査を開始する。だが、彼らは何かを隠しているようで2人の話は微妙に食い違い......。
物語は記者と刑事の交互の視点で語られていきますが、両者ともいわゆる信用できない語り手であり、意外な事実が次々明らかになっていく後半の展開には驚かされます。ヒネリの効いた傑作サスペンス。
彼と彼女の衝撃の瞬間 (創元推理文庫 M フ)
アリス・フィーニー
東京創元社
2021-08-31



その他注目作品50

21.見知らぬ人 (エリー・グリフィス)18位文春3 読みたい8位 本ミス10 
中学校の教師であるクレアは仕事の傍ら、ヴィクトリア朝時代の作家ホランドについて研究していた。この学校はもとはホランドの邸宅だったのだ。ところが、ある日、彼女の同僚が何者かに殺される。しかも、遺体のそばにはホランドの怪奇小説『見知らぬ人』の一文が書かれたメモが残されており......。
2020年エドガー賞受賞。教師殺害事件を主軸とし、そこに作中作である怪奇小説を挿入することで不気味な雰囲気を盛り上げることに成功しています。テイストの異なる3人の女性の語りも読み応えあり。
見知らぬ人 (創元推理文庫)
エリー・グリフィス
東京創元社
2021-07-21



22.オクトーバー・リスト(ジェフリー・ディーヴァー)5位文春6 読みたい5位 本ミス10 
ガブリエラは娘のサラを誘拐され、犯人は解放の条件にある秘密のリストを彼女に要求する。誘拐犯との交渉は友人にまかせ、ガブリエラは隠れ家でその帰りを待つことになる。だが、やがて姿を現したのは娘を誘拐した犯人自身だった。果たして事件の鍵を握るオクトーバーリストとは何なのか?
最終章から始まり、過去へと遡っていく時間逆行ミステリー。特殊な構成のために前半は読みづらさを感じますが、最後に炸裂する大仕掛けには驚かされ、用意周到に張り巡らされた伏線に唸らされます。
オクトーバー・リスト (文春文庫)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2021-03-09


23.ブート・バザールの少年探偵(ディーパ・アーナパーラ)
インドのスラム街で暮らす9歳の少年ジャイは大の刑事ドラマ好きだった。ある日、彼のクラスメイトが行方不明になるが、警察は賄賂なしでは動かない。そこで、ジャイは少年探偵団を結成し、独自に捜査を開始する。だが、失踪事件はその後も続き、ジャイは想像を超える事態に巻き込まれていく........。
2021年エドガー賞受賞作品。子供の活躍を描いたライトミステリーの形を取りながら、インドの闇を徐々に浮かび上がらせていく手法に引き込まれます。ただ、ミステリーとしては特筆すべき点はなし。
ブート・バザールの少年探偵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ディーパ・アーナパーラ
早川書房
2021-04-14


24.鬼火( マイクル・コナリー )
新人時代のボッシュの相棒で恩師でもあるトンプソン元刑事が亡くなり、葬儀に参列したところ、未亡人から一冊の調書を託される。それは1990年に起きた未解決の殺人事件についての調書だった。ボッシュは恩師のこだわっていた事件を再調査すべく、ハリウッド署のバラード刑事に協力を求めるが......。
ボッシュ、ミッキー・ハラ―、バラードとオールスターキャストのシリーズ第22弾です。3つの事件が絡まり合っていくのがスリリングで、後半の怒涛の展開に引き込まれていきます。著者熟練の傑作。
鬼火(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2021-07-15


25.もう耳は貸さない(ダニエル・フリードマン)
元殺人課の刑事バック・シャッツも89歳になり、体の衰えが顕著になってくる。そんななか、ラジオ番組んのレポーターから過去の捜査についての取材を求められる。かつて彼が逮捕した殺人犯が死刑直前になって暴力で自白を強要されたと主張しているというのだ。バックは改めて事件を振り返るが.....。
シリーズ第3弾。ジジイがマグナムをぶっ放すような爽快感は影を潜め、内省的な作品になったのは好みの分かれるところです。一方で、死刑制度の是非を問う社会派ミステリーとしては読み応えあり。
もう耳は貸さない バック・シャッツ・シリーズ (創元推理文庫)
ダニエル・フリードマン
東京創元社
2021-02-22


26.血の葬送曲(ベン・グリード)20位読みたい11位
スターリン統治下のレニングラード。凍てついた線路の上に歯を抜かれ、顔の皮を剥がされた5つの死体が並べられるという事件が発生する。しかも、一人はMGBの人物らしい。人民警察のロッセル警部補は捜査を進める内に、犯人を捕えられるのは元ヴァイオリニストの自分しかいないと気付くが.......。
通常の警察小説とは異なり、政治的に正しい捜査をしなければ粛清されるという状況が独特の緊迫感を生んでいます。また、その中で真実を求め続ける主人公が魅力的。ただ、後半は少々荒唐無稽な面も。
血の葬送曲 (角川文庫)
ベン クリード
KADOKAWA
2021-04-23





27.老いた殺し屋の祈り(マルコ・マルターニ)17位
オルソは還暦をとうにすぎた老人だったが、組織一の殺し屋として名を轟かせていた。だが、心臓発作で倒れたことにより、彼は行き別れた恋人と娘に一目会いたいと願うようになる。そして、オルソは組織に背き、イタリアに中部の田舎町を目指す。ところが、その途上で、何者かの襲撃を受け......。
凄腕の殺し屋でありながら、一般人には礼儀正しく心優しい主人公が魅力的です。また、苛烈な暴力シーンとほのぼのとしたシーンとのメリハリも絶妙で、優れたエンタメ作品に仕上がっています。
老いた殺し屋の祈り (ハーパーBOOKS)
マルコ マルターニ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-02-17


28.ホテル・ネヴァーシンク(アダム・オファロン・プライス)
20世紀初頭。ユダヤ系移民のアッシャー・シコルスキーは苦難の末にキャッキル山地にたどり着き、そこで始めたホテル業で大成功を収める。ところが、1950年の事件を契機にホテル周辺で子どもの行方不明事件が続発し、ホテルは次第に没落していく。その裏には経営者一族の秘密が.....。
複数の語り手によって半世紀以上の物語が紡がれていく大河ミステリー。断片的な情報によって徐々に真相が見えてくる趣向に加え、歪なエピソードを紡ぎ合わせた構成には迷宮の如き魅力があります。
ホテル・ネヴァーシンク (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
プライス,アダム・オファロン
早川書房
2020-12-03


29.天使と嘘 (マイケル ロボサム)
臨床心理士のサイラスは嘘を見破るという能力を有したイーヴィという少女と邂逅する。一方、15歳にしてフィギュアスケートの女子チャンピオンであるジョディは花火大会の翌日に遺体で発見される。その捜査に心理学のエキスパートとして参加したサイラスはイーヴィとともに、事件の謎を追うが...。
主人公視点と少女視点で語り口ががらりと変わるのがユニーク。ミステリーとしてはやや弱いですが、悲しい過去を持つ彼女に主人公が寄り添う姿にはぐっとくるなど、ドラマとしては読み応えあり。
天使と嘘 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
マイケル・ロボサム
早川書房
2021-06-16


30.帰らざる故郷(ジョン・ハート)
1972年。ベトナム戦争の最中に軍を不名誉除隊させられ、刑務所に入っていたジェイソンは数年ぶりに弟と再会する。だが、そのジェイソンに女性殺しの容疑がかかり、弟は真実を突き止めるべく奔走する。兄に寄り添おうとする弟、弟を自分から遠ざけようとする兄。そこに隠されていた事実とは?
ベトナム戦争の傷跡と兄弟の絆を描いた作品であり、激しい憎悪とつかの間の安らぎが入り混じった物語は読者の心を激しく揺さぶります。余韻が残るラストも印象深いクライムノベルの佳品です。
帰らざる故郷 (ハヤカワ・ミステリ 1967)
ジョン・ハート
早川書房
2021-04-28


31.ランナウェイ:RUN AWAY(ハーラン・コーベン)
金融アナリストのサイモンはボーイフレンドに薬漬けにされて寮から姿を消した娘を苦難の末に見つけ出す。だが、娘のボーイフレンドを殴り飛ばした映像がSNSにアップされたことで、彼は誹謗中傷にさらされてしまう。しかも、そのボーイフレンドが殺され、殺人の嫌疑までかけられることになり....。
テンポの良いサスペンスに引き込まれ、謎の殺し屋コンビや探偵の存在が読者の興味を掻き立てます。そして、一見無関係なそれらの断片を繋ぎ合わせ、驚くべき真相を浮かび上がらせる構成が見事です。
ランナウェイ: RUN AWAY (小学館文庫)
コーベン,ハーラン
小学館
2020-12-08


32.運命の証人(D・M・ディヴァイン )14位文春16 読みたい16位 本ミス6 
弁護士のジョン・プレスコットは2件の殺人事件で告発されており、ほとんどの人間は彼が有罪だと信じていた。そもそものはじまりは6年前。のちに妻となるノラ・ブラウンとの出会いが彼の人生の歯車を狂わせたのだ。絶望的な状況のなか、果たして裁判の行方は?そして、真犯人の正体とは?
回想によって語られる、2人の女性を巡るドラマは非常に濃密で読み応え十分。そして、そのなかにさり気なく手掛かりを紛れ込ませ、真相に迫っていく過程でそれを浮き彫りにしていく手管が見事です。驚くような仕掛けこそないものの、ドラマと謎解きの融合という点では極めて高いレベルにある傑作。
運命の証人 (創元推理文庫 M テ)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2021-05-31


33.スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ (ジョセフ・ノックス )3位文春10 読みたい9位 本ミス8 
十数年前に一家4人を惨殺した犯人が余命宣告される。マンチェスター市警のエイダンは犯人の収容された病院の警護にあたるも突然何者かの襲撃を受け、犯人が殺されたうえに相棒のサティが重傷を負う。襲撃犯は一体なぜ死にかけの男をリスクを冒してまで殺したのか?エイダンは謎を追うが.......。
エイダンシリーズの第3弾であり、三部作の完結編に位置づけられた作品です。そのため、動機の謎を追いつつも最後はノワールらしい結末を迎えます。ヒネリを加えつつも王道的にまとめた佳品です。


34.燃える川(ピーター・ヘラ―)
親友同士のジャックとウィンは大学の休みを利用してカヌー旅行に出掛ける。ところが、その途中で山火事と遭遇し、計画の変更を迫られるのだった。深い霧の中で男女が口論する声を聞き、翌日、怪我を負った女性を発見する。そして、一行は生き延びるためのサバイバルを余儀なくなさるのだが......。
前半は壮大なスケールの自然に圧倒され、後半は森林火災の恐怖に手に汗握るといった具合に、卓越した描写力が光ります。大自然を舞台にした冒険サスペンスとしてよくできた作品です。
燃える川 (ハヤカワ文庫NV)
ピーター ヘラー
早川書房
2021-01-21


35.花嫁殺し(カルメン・モラ)
公園で若い女性の死体が発見される。被害者は結婚を控えた女性だったが、顔が変形するまで殴られているうえに、頭蓋骨の穴からウジ虫を埋め込められていた。スペイン警察の精鋭・特殊分析班を率いるエレナ警部は被害者の姉も7年前に同じ手口で殺されていることを知る。だが、犯人は服役中で......。
馴染みの薄いスペインミステリーですが翻訳が秀逸でサクサク読めます。奔放な性格で悲しい過去を持つエレナのキャラが立っており、後半の怒涛の展開も見事です。グロい内容は好みのわかれるところ。
花嫁殺し (ハーパーBOOKS)
カルメン モラ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-04-16


36.三体Ⅲ 死神永生(劉慈欣)
危機紀元2008年。面壁者の一人である羅輯の計略により、ついに三体文明の侵略を食い止めることに成功する。だが、平和の訪れと共に人類は危機感を喪失し、人類同士での諍いを始めるようになる。一方、面壁計画の裏で密かに発動していた階梯計画が進行し、人類の運命を大きく変えることに...。
シリーズ完結編である本編では前作までのエンタメ寄りのSFからハードSFへと色を変え、SFガジェットの乱れ打ちが始まります。天井知らずのスケールと充実の人間ドラマが見事に融合した傑作です。
三体Ⅲ 死神永生 上
劉 慈欣
早川書房
2021-05-25


37.狼たちの城 (アレックス・ベール)12位読みたい14位 
1942年。ゲシュタポ高官の愛人である人気女優がニュルンベルク城内で喉を掻き切られて殺される。一方、ユダヤ人古書店店主のアレックスはナチスの目を欺き、家族を守るためにゲシュタポ特別捜査官になりすます。そして、捜査の素人であるにも関わらず、難事件解明に挑むことになるのだが...。
偽探偵が絶体絶命の窮地の中で探偵小説の知識を駆使して密室殺人に挑むという設定が絶妙。前半は少々冗長ではあるものの、後半からの怒涛の展開に一気に引き込まれます。時代背景も興味深い。
狼たちの城 (扶桑社BOOKSミステリー)
アレックス・ベール
扶桑社
2021-06-02


38.マイ・シスターキラー(オインカン・ブレイウェイト)
アフリカ最大の都市・ラゴスで看護婦をしているコレデには悩みがあった。セクシーな妹・アヨオラが新しい恋人を作っては次々と殺害し、死体の処理を自分に押し付けてくるのだ。しかも、彼女が想いを寄せている医師が妹に一目惚れをしてしまう。一方、警察の捜査は次第に姉妹の元に迫っていき.....。
アフリカ人作家によるクライム文学。おぞましい状況をユーモラスに描いたブラックコメディとして秀逸で、姉妹の過去が明らかになるにつれて滲み出る切なげな雰囲気にも味わい深いものがあります。
マイ・シスター、シリアルキラー (ハヤカワ・ミステリ 1963)
オインカン・ブレイスウェイト
早川書房
2021-01-07


39.誘拐:P分署捜査班(マウリツゥオ・テ・ジョパンニ)
学校行事で美術館を訪れていた10歳の少年が姿を消す。所轄のP分署捜査班が初動捜査を行うなか、次第に事件は誘拐の様相を強めていく。一方、捜査班を率いるロヤコーノ警部はスポーツジム経営者宅の空き巣事件を調べていた。さらに、副署長が独自捜査を行っていた連続自殺事件も新たな展開が...。
シリーズ第2弾。捜査班の面々の個性が際立ち、警察小説として前作以上に読み応えのある作品に仕上がっています。また、ミステリーとしての目新しさはないものの、ラストの展開には驚かされます。
集結 (P分署捜査班) (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2020-05-29


40.素晴らしき世界(マイクル・コナリー)
女刑事レネイ・バラードは見ず知らずの男が古い事件のファイルを漁っているのを発見する。男は元ロス市警刑事のハリー・ボッシュで、かつてハリウッド署で起きた、15歳の家出少女が殺害された事件を調べているのだとう。レネイはボッシュを追い出すが、彼女もその事件に興味を覚え........。
『汚名』の続編である本作でボッシュは『レイト・ショー』の主人公レイネとコンビを組みます。主人公が2人になったためにやや冗長な感もありますが、最強コンビの活躍は痛快で読み応えありです。
素晴らしき世界(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2020-11-13


41.暗殺者の献身 (マーク・グリーニー)
ジェントリーは重篤な感染症に蝕まれながらも、治療を切り上げてベネズエラに向かう。米国情報員が失踪する事件が世界中で続出しており、その謎を解く鍵となる人物を連れ出す任務をCIAから任務を託されたからだ。だが、目標の人物の確保には成功するものの、謎の傭兵チームからの攻撃を受け......。
グレイマンシリーズの第10弾。今回は10カ国ほどの諜報員数十人が入り乱れる展開なので頭の中を整理するのが大変ですが、その分、世界情勢の描写がリアルで、駆け引きや戦いなども臨場感満点です。
暗殺者の献身 上 グレイマン (ハヤカワ文庫NV)
マーク グリーニー
早川書房
2021-09-16


42.暗殺者の悔恨(マーク・グリーニ)
グレイマンは依頼に基づき、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争における戦争犯罪人を暗殺する。だが、そのことで国際的な性的人身売買を行っている巨大組織を敵に回してしまう。しかも、拉致された女性たちに危害が及ぶことを知ったグレイマンは、彼女たちを救うべく行動を開始するが......。
グレイマン・シリーズの第9弾。一人称のグレイマンは最初違和感がありますが、三人称との使い分けが巧みで次第に気にならなくなります。下巻からの派手なノンストップアクションは安定の面白さ。
暗殺者の悔恨 上 (ハヤカワ文庫NV)
マーク・グリーニー
早川書房
2020-11-19


43.危険な男(ロバート・クレイス)
銀行員の女性・イザベルが拉致される現場を目撃した私立探偵のパイクは彼女を無事救出する。ところが、捕えた犯人は保釈され、同時にイザベルが失踪してしまうのだった。しかも、釈放された犯人はその直後に殺されていた事実が判明する。一体イザベルの身に何が起きたのか?
パイクシリーズの第5弾。寡黙で強いパイクの魅力は相変わらずで、激しいアクションをたっぷり堪能することができます。ただ、思慮の浅いヒロインの言動については好みのわかれるところです。
危険な男 (創元推理文庫)
ロバート・クレイス
東京創元社
2021-01-28


44.ファントム 亡霊の罠(ジョー・ネスボ)
ハリーの元恋人の息子であるオレグが殺人容疑で逮捕される。幼い頃の彼をよく知るハリーはとても信じられず、独自に調査を開始する。だが、オレグは母と自分を捨てたハリーを責め、何もしゃべろうとはしなかった。しかも、調べれば調べるほどオレグに不利な証拠ばかりが揃い.......。
刑事ハリー・ホーレシリーズ第9弾。刑事ではなくなったハリーですが、相変わらず満身創痍で事件に立ち向かっていく姿が描かれます。そして、その末に至るラストがなんとも切なくて衝撃的です。


45.石を放つとき(ローレンス・ブロック)
マット・スカダーはエレインの昔馴染みからストーカー被害の相談を受ける。なんとかストーカー行為をやめさせてほしいとのことだが、加害者の名前も顔も全くわからないというのだ。五里霧中のなか、果たしてスカダーは男を見つけ出し、目的を達成することができるのだろうか?
アメリカで2018年に発表された中編と2011年発表の11編収録短編集との合本です。驚くような展開があるわけではないものの、ネオハードボイルドの旗手が放つ熟練の味わいが堪能できる好編です。
石を放つとき (マット・スカダー・シリーズ)
ローレンス・ブロック
二見書房
2020-11-26


46.つけ狙う者(ラーシュ・ケプレル)
国際警察のヨーナ・リンナ警部が消息を絶ってから8カ月。巷では独身女性を狙った惨殺事件が続発していた。犯人は被害者の顔をめった切りにし、そのうえ、犯行直前の映像を警察に送りつけていたのだ。被害者同士の接点はなく、警察は過去の犯罪歴から容疑者を絞ろうとするが......。
ヨーナ・リンナ刑事シリーズの第5弾。とはいえ、前半は肝心の主人公が不在で、やや散漫な印象を受けます。しかし、後半からは強烈なサスペンスと怒涛の展開が始まり、一気に引き込まれます。
つけ狙う者(上) (扶桑社BOOKSミステリー)
ラーシュ・ケプレル
扶桑社
2020-12-25


47.ウサギ狩り人(ラーシュ・ケプレル )
ストックホルムの高級住宅街で殺人事件が発生する。被害者はスウェーデンの外務大臣であり、売春婦と行為に及んでいる最中に銃殺されたのだ。国家を揺るがす凶悪犯を追跡するために服役中の身から恩赦を受けて復帰したヨーナ元警部は、犯人がさらなる殺害計画を目論んでいることを看破し.......。
ヨーナ・リンナ刑事シリーズの第6弾。前作『つけ狙う者』でボロボロになったヨーナが颯爽とした姿を見せるのがファンにとっては嬉しいところです。物語も後半から怒涛の展開で安定の面白さ。
ウサギ狩り人(上) (扶桑社BOOKSミステリー)
ラーシュ・ケプレル
扶桑社
2021-09-29


48.消える魔術師の冒険 聴取者への挑戦IV (エラリー・クイーン)
交差点で急に動かなくなったタクシーから男の他殺死体が発見される『タクシーの男の冒険』、甥や姪に対してこの中に犯罪者がいる旨を告げるともに遺言状の書き換え及び警察への告発を宣言した汽船会社社長が雪密室と化した小屋で殺される『見えない足跡の冒険』など、全七篇を収録。
ラジオドラマシナリオ集第4弾。相変わらず余技とは思えない質の高い作品が並び、雪密室・犯罪者だらけのなかでのフーダニット・クイーン親子の推理合戦と、さまざまな趣向で楽しませてくれます。


49.ナイト・エージェント(マシュー・クワーク)
FBI局員のピーターの役割はホワイトハウスの危機管理室でめったにかかってこない深夜の緊急連絡を取り次ぐだけの退屈なものだった。ところが、ある夜、取り乱した女の声で「赤の台帳、オスプレイ、6日後」と告げられ、それがきっかけで彼は国家的陰謀に巻き込まれることになり......。
誰が敵で誰が味方かわからない状況で殺し屋から命を狙われるスリル満点の謀略スリラー。テンポがよくて一気に読めますし、ホワイトハウスの内実を描いた物語としても興味深いものがあります。
ナイト・エージェント (ハーパーBOOKS)
マシュー クワーク
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2020-11-17


50.ガン・ストリート・ガール(エイドリアン・マッキンティ)
富豪の夫婦が射殺されという事件が発生。ほどなくして最有力容疑者と目されていた被害者夫婦の息子が崖の下から死体となって発見される。自殺だと思われ、遺書も残されていた。だが、ショーン・ダフィ警部補は不審なものを感じ、新人刑事と共に事件を追うも、関係者から新たな犠牲者が......。
シリーズ4弾。国際的な陰謀や本格めいた謎解きは少々唐突感があるものの、混迷極まる80年代の北アイルランドを背景に展開される、史実を絡めた人間ドラマは読み応えがあります。新キャラも魅力的。


51.猿の罰(J・D・バーカー)
50代のベテラン刑事のサム・ポーターはシカゴを震撼させる連続殺人鬼〈四猿〉を追っていたが、なんとポーターと四猿が知り合いであることを示唆する写真が発見される。拘留され、追い詰められるポーター。一方、「父よ、お許しください」という句が添えられた祈る死体が各地で発見され.......。
四猿シリーズ三部作の完結編です。それだけに展開は今まで以上に派手で、特に最終章は怒涛の展開で読み応え満点です。ただ、登場人物が多すぎるので1作目からまとめて読まないと分かりにくいかも。
猿の罰 〈四猿〉シリーズ (ハーパーBOOKS)
J・D バーカー
ハーパーコリンズ・ジャパン
2020-10-16


52.「グレート・ギャツビー」を追え(ジョン・グリシャム)
アメリカの文豪・フィッシュジェラルドの直筆原稿が厳重な警備をかいくぐって大学図書館から盗まれる。捜査線上に浮かび上がったのはフロリダで書店を経営している男。彼には希覯本収集家というもう一つの顔があった。真相を探るべく、新進気鋭の女流作家マーサー・マンが彼に接近するが.......。
法廷ものではないグリシャム作品。ミステリーとしての仕掛けは大したことはないものの、村上春樹の訳も相まって肩の凝らない軽妙な娯楽作品に仕上がっています。本の業界の蘊蓄も興味深く読めます。
「グレート・ギャツビー」を追え (中公文庫 む 4-13)
ジョン・グリシャム
中央公論新社
2022-11-22


53.地の告発(アン・クリーヴス)
英国のシェットランド諸島。マグナス老人が病死し、ペレス警部たちが葬儀に参列する最中、大規模な地滑りが発生し、辺り一帯が土砂で埋まってしまう。しかも、掘り出した空家の中から身元不明の女性の絞殺死体が発見されたのだ。ペレスたちの捜査が続く一方で、新たな殺人事件が発生し.......。
シェットランド諸島シリーズ第7弾。相変わらず派手な展開とは無縁ですが、島の自然やそこに住む人々の細やかな描写には引き込まれるものがあります。伏線を丁寧に紐解いていく謎解きも秀逸。
地の告発 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2020-11-30


54.マハラジャの葬列(アビール・ムカジー)
1920年6月。英国からインド帝国警察に赴任したウィンダム警部はオリッサ藩王国の第一王位継承者を目前で殺されてしまう。しかも襲撃者はその場で自殺。警部は殺された皇太子の同窓生だという相棒のバネルジー部長警部とともに、事件の謎を解明するべくサンバルプールに赴くが......。
『カルカッタの殺人』に続くウィンダム警部シリーズの第2弾。相変わらず当時のインドでの文化や風俗が興味深く描かれており、特に後宮の描写は圧巻です。ただ、ミステリーとしてはやや凡庸。
マハラジャの葬列 (ハヤカワ・ミステリ)
アビール ムカジー
早川書房
2021-03-03


55.亡国のハントレス(ケイト・クイン)
ドイツ占領下のポーランドにはザ・ハントレスと呼ばれた殺人鬼がいた。その正体はナチス親衛隊将校の愛人だった。1950年春。ザ・ハントレスに弟の命を奪われた元英国従軍記者のイアンはナチハンターとして彼女の行方を追い、大西洋を渡る。一方、17歳のジョーダンは父の再婚相手に不審を抱き……。
本作は3つの視点から女殺人鬼の正体に迫る構成になっており、特に元ソ連軍女性飛行士であるニーナの章が鮮烈。また、各エピソードが結び付き、徐々に謎が明らかになっていく展開にワクワクします。
亡国のハントレス (ハーパーBOOKS)
ケイト クイン
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-09-17


56.僕が死んだあの森(ピエール・ルメートル)
12歳の少年・アントワーヌは森に入り、隣に住む6歳の男の子を一時の激情にかられて殺してしまう。死体は森にある深い穴の中に隠したものの、帰宅後に腕時計をなくしていることに気がつく。もし、死体のそばでそれが見つかればすべてがおしまいだ。やがて、警察や村人による森の捜索が始まり...。
図らずも殺人を犯してしまった少年の心理を丹念に追ったサスペンス小説。警察との駆け引きなどは全くないのでミステリー的な要素は希薄ですが、先が気になる展開で読ませます。意外なラストも秀逸。
僕が死んだあの森 (文春文庫)
ピエール・ルメートル
文藝春秋
2023-10-11


57.殺人者の手記(ホーカン・ネッセル)
バルバロティ捜査官の元に「エリック・ベリマンを殺す」という手紙が届く。悪戯だと思いつつも、念のためにエリック・ベリマンなる人物の確認調査を行うが、特定に手間取っている間に遺体となって発見される。しかも、彼の元には新たな予告状が届く。果たして殺人の前に殺人予告を行う目的は?
2007年スウェーデン推理作家アカデミー賞受賞作。次々と届く殺人予告や挿入される犯人の手記など、謎めいた展開が魅力的で伏線回収も見事です。ただ、事件に関係ない主人公の私生活描写は少々冗長。
殺人者の手記 上 (創元推理文庫)
ホーカン・ネッセル
東京創元社
2021-04-21


58.すべてのドアを鎖せ(ライリ―・セイガ―)
仕事はリストラでクビになったうえに同棲中の恋人の浮気が発覚して家を飛び出したジュールズ。宿なし金なしの彼女は超高級アパートメントでオーナー不在の間だけ留守番すれば高額報酬がもらえるという求人広告に飛びつく。だが、幸運を喜んだのもつかの間、周囲で奇怪な出来事が起き始め.....。
不穏な空気を纏った物語がテンポよく語られていくので先が気になってページをめくる手が止まらなくなります。ヒネリのある展開などは特にないものの、素直に面白いと思えるサスペンススリラーです。


59.殺人記念日(サマンサ・ダウニング)
フロリダに住む夫婦は倦怠期を迎えていたが、殺人とその隠蔽を協力して行うことで絆を深めることに成功する。それからというもの、彼らは殺人を楽しみ、常に次の獲物を探し求めるようになっていた。だが、ある日、隠していた死体が警察に発見される。彼らは昔の殺人鬼に罪を被せようとするが.....。
主人公は殺人鬼ですが、直接的な殺人の場面がなく、家庭では良き父親なので感情移入しやすい作りになっています。そして、破滅へと向かっていく展開はサスペンス感たっぷりで手に汗握ります。
殺人記念日 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
サマンサ ダウニング
早川書房
2021-03-17


60.誠実な嘘 (マイケル・ロボサム)
アガサは15歳のときに既婚者に騙されて妊娠し、子供は養子に出されてしまう。一度結婚したものの、今度は死産したことで夫婦仲が悪化して離婚。さらに、新しい恋人は彼女の妊娠を知って離れていった。そんな彼女が、家庭にも仕事にも恵まれている妊娠中のメグと知りあったことから悲劇は起き...。
ゴールドダガー賞受賞作の『生か、死か』や『天使と嘘』などとは全く異なる作風で、ゴーストライター時代に培った多才ぶりを見せつけてくれます。社会派サイコサスペンスの佳品です。
誠実な嘘 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
マイケル・ロボサム
二見書房
2021-06-21


61.閉じ込められた女(ラグナル・ヨナソン)
冬のアイスランド。人里離れた農場にひとりの男が訪ねてくる。ハンティング中に仲間とはぐれたというのだ。しかし、外は猛吹雪であり、こんな日に狩りをするとは考えがたかった。農場主の夫が男のバッグを調べてみるとなかから大金とナイフが出てきた。夫は男と対峙し、妻は地下室に逃げ込むが...。
女性警部フルダシリーズの完結編。本シリーズは事件そのものもさることながら、1作目から時間が逆行しているため、死に行く者があらかじめわかっている点が静かで重いサスペンスを醸成しています。
閉じ込められた女 (小学館文庫)
ラグナル・ヨナソン
小学館
2021-07-06


62.手/ヴァランダーの世界( ヘニング・マンケル) 
田舎暮らしをするために家を探していたヴァランダー刑事は、同僚に紹介された物件を見にいくが、庭で何かにつまずいてしまう。よく見るとそれは地面から突き出た人間の手の骨だった。地面を掘り返すと、全身骨格と衣裳が出てくる。ヴァランダーは家の歴代所有者を過去に遡って調べていくが...。
未収録作を集めた短編集で、シリーズ最終巻。相変わらず人間身溢れるヴァランダーが魅力的であり、作者自身のシリーズ解説・登場人物索引などの巻末付録も大充実。ファン必読の一冊です。


63.魔の山(ジェフリー・ディーヴァー)
懸賞金ハンターのコルター・ショウは発砲事件の容疑者である男を追い詰めるも、目の前で投身自殺図られてしまう。一方、自己啓発カルトのオシリス財団に関する記事を書いた記者が強盗に殺害されるという事件が起きる。ショウは一連の出来事の関連性を疑い、オシリス財団の施設に潜入するが......。
コルター・ショウシリーズ第2弾。追跡劇からカルト組織への潜入と見せ場の連続で楽しませてくれますし、スリリングな展開も読み応えありです。ただ、ステレオタイプなカルト描写には物足りなさも。
魔の山 コルター・ショウ (文春e-book)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2021-09-24


64.ハートに火をつけないで (ジャナ・デリオン )
身分を偽って小さな町で暮らすCIAスパイのフォーチューンは、カフェ店員のアリ―の家が火事になり、しかも、それが放火だったことを知る。この町で初めてできた同年代の友人の力になりたいと考えたフォーチューンは老婦人コンビのアイダ・ベル&ガーティと共に放火犯探しを始めるが......。
ワニの町へ来たスパイシリーズの第4弾。フォーチュン、アイダ、ガーティのトリオは今回も絶好調で数々のドタバタ騒ぎはどれも爆笑ものです。一方、主人公とアリ―との友情にはぐっとくるものが。


65.アニーはどこにいった(C・J・チューダー)
ジョーン・ソーンは「妹のアニーに再び同じことが起きようとしている」という不吉なメールを受け取り、故郷に呼び戻される。そこで彼は英語教師の職を得るが前任の教師は息子を惨殺したのちに「息子じゃない」というメモを残して自殺したという。8歳のときのアニー失踪事件と現在の事件の関係は?
作者が敬愛するスティーヴン・キングの影響を色濃く受けた作品です。濃厚な怪奇ムードの中、バラバラだったピースが怪異の要素を絡めつつも一つにつながっていく構成が見事です。
アニーはどこにいった (文春e-book)
C・J・チューダー
文藝春秋
2020-10-15


66.ミラクル・クリーク(アンジー・キム)
19位
バージニア州郊外のミラクル・クリーク。そこで韓国移民の一家が営む高濃度酸素カプセル施設・ミラクルサブマリンで火災が発生し、2名が死亡する。警察は利用者の一人であるエリザベスを逮捕するが、裁判が始まるとミラクル・サブマリンを巡るさまざまな家族の問題が浮き彫りになってきて.......。
エドガー賞最優秀新人賞など新人賞3冠を達成。裁判を通して徐々に真実が見えてくると同時に、4組の家族の軋轢や人間性が浮き彫りになっていくプロセスがヒューマンドラマとして読み応えがあります。


67.スクリーム (カリン・スローター) 
ウィルは服役中の殺人犯から刑務所内で起きた殺人の情報を提供する代わりに8年前に起きた連続強姦殺人の再調査を持ちかけられる。彼は不正捜査によって逮捕されたというのだ。だか、捜査にあたった人物はウィルのよく知る人物だった。一方、その頃、8年前の事件を彷彿とさせる殺人が発生し......。
ウィルシリーズ12弾であると同時に過去編の主人公をグランド郡シリーズのジェフリー署長が務めるクロスオーバー作品でもあります。陰惨な事件とラブロマンスに意外な犯人と今回も読応え満点です。
スクリーム 〈ウィル・トレント〉シリーズ (ハーパーBOOKS)
カリン スローター
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-06-17


68.ざわめく傷痕(カリン・スローター)
週末のスケート場で13歳の少女が少年に銃を突きつけるという事件が発生。少女は警官によって射殺され、近くのトイレからは彼女が産んだと思われる未熟児の遺体が発見される。検死官のサラは遺体に暴行の痕跡を発見し、彼女がまともに出産できない体であったことを知る。そして、新たな事件が.......。
グランド郡シリーズの第2弾。残虐描写の多い著者の作品の中でも本作のそれは群を抜いています。児童虐待の闇の深さを突き付けられると暗澹たる気分にさせられます。後味の悪さもかなりのもの。
ざわめく傷痕 (ハーパーBOOKS)
カリン スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2020-12-17


69.わたしたちに手を出すな(ウィリアム・ボイル)
60歳のリナはマフィアの大物だった夫を亡くし、孤独な毎日を過ごしていた。そんな折、近所の老人に言い寄られ、はずみで彼を殴り殺してしまう。娘の家に逃げ込んだリナだったが、そこで殺し屋の襲撃を受ける。娘の愛人がマフィアの金を強奪したというのだ。こうしてリナの逃避行が始まるが......。
ハンマーを持つ殺し屋をはじめとする悪役担当の男性陣も勇猛果敢な元ポルノ女優などの女性陣もみなエキセントリックな魅力に満ちていてぐいぐい引き込まれます。家族再生の物語としても秀逸。
わたしたちに手を出すな (文春文庫)
ウィリアム・ボイル
文藝春秋
2021-08-03


70.ポー殺人事件(ヨルゲン・ブレッケ)
ヴァージニア州リッチモンドのエドガー・アラン・ポー博物館で館長が殺され、ポーの像に磔にされるという事件が発生する。しかも、死体には頭部がなく、皮膚を剥がされていた。リッチモンド署のフェリシア刑事は事件の謎を解くカギが館長によって分析に出されていた書物にあると考えるが......。
ポー博物館での猟奇殺人という題材に冒頭から一気に引き込まれ、めまぐるしい展開にページをめくる手が止まらなくなります。ただ、エンタメに徹した深みに欠ける作風は好みのわかれるところ。
ポー殺人事件 (ハーパーBOOKS)
ヨルゲン ブレッケ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-08-17



チェック漏れ作品


ビーフ巡査部長のための事件(レオ・ブルース)16位
ケント州の森で死体が発見された。頭部を銃で撃ち抜かれており、地元警察はこれを自殺として処理する。それに納得できない被害者の妹は警察を退職して私立探偵を営んでいるビーフに再調査を依頼する。一方、その一年前、ウェリントン・チックルは動機なき殺人計画を記した日記を書き始めた......。
1947年発表のビーフ巡査部長シリーズ第6作。一見、普通の倒叙ミステリーだと思わせ、そこにヒネリを加えた仕掛けがユニークです。ビーフとワトソン役のタウンゼントとの関係性も楽しい好篇です。
ビーフ巡査部長のための事件 (海外文庫)
レオ・ブルース
扶桑社
2021-01-31


2021年12月3日追記
予想結果
ベスト5→5作品中3作的中
ベスト10→10作品中7作的中
ベスト20→20作品中11作的中
順位完全一致→20作品中2作品

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最新更新日2021/11/21☆☆☆

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本ミス2022

対象作品である2020年11月1日~2021年10月31日の間に発売された謎解き主体のミステリー作品の中からベスト20の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。それらの点についてはあらかじめご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします
2022本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2021-12-04


本格ミステリベスト10国内版最終予想(2021年11月21日)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
記載方法は以下のようになっています。
予想順位.タイトル(作者名)本ミスの順位(このミスの順位 文春の順位 読みたいの順位)
ただし、「→本ミスの順位(このミスの順位 文春の順位 読みたいの順位)」の部分が記載されているのは予想ランキングあるいは本ミスで20位以内のものだけです。
なお、このミス、文春、 読みたいはそれぞれ「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」の略です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

1位.兇人邸の殺人 (今村昌弘)3位(このミス4位 文春3位 読みたい5位)
シリーズ第3弾。今回は不気味な屋敷で異形の殺人鬼に追いかけられながら殺人の謎を解いていくことになります。ホラーとしては抜群に面白く、また、ミステリーとしても語り手を2人配するなど様々な工夫で楽しませてくれます。ただ、過去作と比べて目玉となる仕掛けに乏しい点に物足りなさも。
兇人邸の殺人 屍人荘の殺人シリーズ
今村 昌弘
東京創元社
2021-07-29


2位.invert 城塚翡翠倒叙集(相沢沙呼)9位(このミス6位 文春12位 読みたい9位)
シリーズ第2弾。本作は倒叙ミステリーの形式をとりつつも、トリックは終盤まで明かされません。そのため、ヒロインと読者が推理を競いあう形になります。そして、その形式を逆手にとって読者を驚かせる第3話の『信用ならない目撃者』が秀逸です。古畑任三郎のパロディも楽しい傑作。
3位.蒼海館の殺人(阿津川辰海)2位(このミス5位 文春8位 読みたい4位)
濁流に包囲された館での連続殺人を描いたクローズドサークルものであり、その状況を巧みに利用した犯罪計画は驚嘆すべきものがあります。また、それに対する精緻な推理も見事としか言いようがありません。緊迫感も申し分なく、文句なしの傑作です。ただ、苦悩する名探偵は好みの分かれるところ。
蒼海館の殺人 (講談社タイガ)
阿津川辰海
講談社
2021-02-16


4位.孤島の来訪者(方丈貴恵)7位(このミス13位 読みたい13位)
『時空旅行者の砂時計』と世界観を同じにする外伝的続編。一見典型的なクローズドサークルのようですが、実際は前作と同様の特殊設定ミステリーです。しかも、その完成度は本ミス7位の前作以上で、怒涛の伏線回収とヒネリの効いた真相が見事です。ただ、B級ホラー的展開は好みが分かれるかも。
5位.黒牢城(米澤穂信 )1位(このミス1位 文春1位 読みたい1位)
織田信長に叛旗を翻した荒木村重が立て籠る有岡城を舞台に、幽閉中の黒田官兵衛が安楽椅子探偵を務める連作ミステリー。トリックや仕掛け自体は小粒ではあるものの、歴史的事実と事件を絡めることで謎を魅力的なものとし、真相をより衝撃的なものにしています。超一級の歴史ミステリーです。
黒牢城 (角川書店単行本)
米澤 穂信
KADOKAWA
2021-06-02


6位.忌名の如き贄るもの(三津田信三)8位(このミス7位 文春10位 読みたい6位)
忌名儀礼の最中にその名を呼ばれても振り返ってはいけないという因習が残る村。その儀式の最中に起きた殺人事件の謎に刀城言耶が挑む長編第8弾。今回は盛り上がりに欠け、物語的には地味ですが、その代わりに、ホワイダニットを巡る真相が強烈です。事件に民俗学の要素をうまく絡めた構成も見事
忌名の如き贄るもの
三津田信三
講談社
2021-07-28


7位.メルカトル悪人狩り(麻耶雄嵩)19位(このミス20位 読みたい19位)
メルカトル鮎を探偵役に据えた全8篇収録の短編集。メルカトルのぶっ飛んだ推理法は健在で、特に唖然とするようなロジックで事件を解決へと導く「メルカトル式捜査法」には驚かされます。他にも『黒死館殺人事件』のパロディである「水曜日と金曜日が嫌い」など個性豊かな作品が盛りだくさん。


8位.あと十五秒で死ぬ(榊林銘)10位(このミス12位 読みたい15位)
第12回ミステリーズ新人賞佳作受賞作を含む4篇を収録した中編集であり、15秒縛りというお題で統一されているのがユニークです。特に、死神にもらった15秒の余命で被害者が犯人に逆襲する『十五秒』とぶっとんだ設定ながら緻密なロジックが光る『首が取れても死なない僕らの首無殺人事件』が秀逸。
あと十五秒で死ぬ (創元推理文庫)
榊林 銘
東京創元社
2023-08-31


9位.大鞠家殺人事件(芦辺拓)6
物語は、大阪の商家に嫁いだ娘が夫の出征中に発生した連続殺人の謎に挑むというものですが、戦時中の人々の暮らしや国の状況が丁寧に描写されており、それが謎解きと密接に結びついているのが見事です。また、動機もこの時代ならではものであり、ハワイダニットについてもよく考えられています。
大鞠家殺人事件
芦辺 拓
東京創元社
2021-10-12


10位.幻月と探偵(伊吹亜門)16位(このミス18位 文春16
大戦前夜の満州で起きた連続毒殺事件の謎を私立探偵の月寒三四郎が追う。基本的には探偵が満州の闇に足を踏み入れていくハードボイルドタッチな物語なのですが、犯人の意外性や巧みなミスディレクションは本格ミステリとして高い完成度を誇っていますし、驚愕の動機もインパクトがあります。
幻月と探偵 (角川書店単行本)
伊吹亜門
KADOKAWA
2021-08-30


11位.硝子の塔の殺人(知念実希人)5位(このミス9位 文春4位 読みたい12位)
人里離れた巨大な塔で起きる連続密室殺人にミステリ談義といった具合に本格ミステリのガジェットをこれでもかと詰め込んだ作品。個々のトリックは正直ショボイのですが、そのこと自体が真相に大きく関わっていたのには唸らされました。まさかのバカミス的発想と巧みなフーダニットが光る怪作です。
硝子の塔の殺人
知念 実希人
実業之日本社
2021-07-30


12位.雷神(道尾秀介)※ランク外(このミス10位 文春13位 読みたい14位)
古き因習が残る村という横溝正史的な舞台装置の中に巧妙な手管で散りばめられた錯誤トリックの数々に唸らされます。悲劇的で陰鬱なドラマに気を取られているとたやすく足元をすくわれることになります。大技こそありませんが、精緻に構築された、道尾ミステリーの集大成とでもいうべき傑作です。
雷神 (新潮文庫 み 40-23)
道尾 秀介
新潮社
2024-02-28


13位.六人の嘘つきな大学生(浅倉秋成)4位(このミス8位 文春6位 読みたい8位)
本作は就活の最終選考を巡るサスペンスミステリーですが、過去の就活パートと現代パートの2部構成になっており、現代の状況が明らかになるにつれて真相が浮かび上がってくる構成が実にスリリングです。また、伏線やロジックもよく考えられており、真相の意外性も申し分ありません。
六人の嘘つきな大学生 (角川文庫)
浅倉 秋成
KADOKAWA
2023-06-13


14位.密室は御手の中(犬飼ねこそぎ)12
阿津川辰海に続くKappa-Twoの第2期受賞作。100年前に瞑想中の修験者が密室の壁をすり抜けたといわれる御堂で起きた密室殺人に探偵が挑むというもので、密室トリックの奇抜な仕掛けには驚かされます。全体的に荒削りな面はあるものの、ロジックや推理合戦などの魅力がたっぷりな佳品です。
密室は御手の中
犬飼 ねこそぎ
光文社
2021-07-27


15位.救国ゲーム(結城 真一郎)17
首なし死体とそれに付随する国民8000万人を人質とするテロを描いたスケールの大きな社会派本格ミステリです。まず、ドローンの特性を利用して構築した鉄壁のアリバイに唸らされます。同時に、大掛かりな劇場型犯罪もスリリングで読み応え満点です。ただ、伏線が丁寧すぎて真相はわかりやすいかも。
救国ゲーム
結城真一郎
新潮社
2021-10-20


16位.葛登志岬の雁よ、雁たちよ(平石貴樹) ※ランク外
函館を舞台にフランス人青年ジャン・ピエールが探偵役を務めるシリーズの第3弾。今回は額に十字傷を刻む不可解な連続殺人に挑むというもので、巧みな伏線回収の末に明らかになる意外な真相に驚かされます。ミスディレクションの扱いも一級品であり、これぞパズラーという出来に仕上がっています。
葛登志岬の雁よ、雁たちよ
平石 貴樹
光文社
2021-07-27


17位.エゴに捧げるトリック(矢庭優日)※ランク外
催眠術が強大な力を持つ世界で殺人事件が起きる特殊設定ミステリー。ミステリーの世界に催眠術を持ち込むとなんでもありになりがちですが、そこに厳格なルールを設け、あくまでもロジカルに謎を解いていくことで非常に読み応えのある作品に仕上がっています。まさかのラストもインパクト大です。


18位.影踏亭の怪談(大島清昭)※ランク外
怪談作家の呻木叫子が取材先で怪異としか思えない現象に遭遇し、謎を解き明かしていく連作ミステリーです。ミステリーとしての仕掛けは単純なものが多いのですが、臨場感満点のホラー描写が絶妙なミスディレクションとして機能しています。ホラー×本格ミステリの理想形とでもいうべき秀作です。
影踏亭の怪談 (創元推理文庫)
大島 清昭
東京創元社
2023-06-19


19位.雨と短銃(伊吹亜門※ランク外
本格ミステリ大賞受賞作『刀と傘 明治京洛推理帖』の前日譚。坂本龍馬の目の前から人斬りが忽然と消えるという魅力的な謎を扱っていますが、トリック自体は小粒です。その代わり、巧みな伏線回収や時代背景を絡めた事件の構図はよく考えられています。また、時代小説としても読み応えありです。
雨と短銃 (ミステリ・フロンティア)
伊吹亜門
東京創元社
2021-02-22


20位.サーカスから来た執達吏(夕木春央)14
物語は、大正時代を舞台にひょんなことから財宝探しを行うことになった少女2人が14年前に密室から消失したという財宝の謎に挑むというもの。キャラが立っており、財宝探しの道中も楽しめるうえに最後の謎解きも良くできています。特に、怒涛の伏線回収と真相悟らせないミスディレクションが秀逸。

その他注目作品50

21.四元館の殺人 ―探偵AIのリアル・ディープラーニング (早坂吝)
シリーズ第3弾。 オーソドックスな館ものの形を借りながらも著者ならではの奇想が次第に露わになっていく点が読みどころの作品です。さまざまなアイディアが盛り込まれ、特に犯人の意外性には驚かされます。ただ、あまりにもぶっ飛びすぎている発想についていけない人もいるかもしれません。


22.ミステリー・オーバードーズ白井智之18
5編収録の短編集。口と肛門が逆転した世界やフナムシ食い大会などの描写があるので苦手な人は注意が必要です。一方で、特殊設定ミステリーとしては良くできており、特に、LSDによってトリップした探偵たちが妄想推理を繰り広げながら真相に辿りつく『ディティクティブ・オーバードーズ』が秀逸。
23.信長島の惨劇(田中啓文)
序盤は本能寺の変の顛末がシリアスに語られ、まるで真っ当な歴史小説のようです。しかし、殺されたはずの信長から招待状が届き、秀吉や家康らの有名武将が孤島を訪れてからはバカミスに早変わり。連続殺人のトリックに新味はないものの、史実とのつじつま合わせが楽しい作品に仕上がっています。


24.僕が答える君の謎解き 2 その肩を抱く覚悟 (紙城境介)11
シリーズ第2弾。今回は短編+長編の計2話という構成になっているのですが、短編の方は小手調べといった感じで長編からが本番となります。そして、この話で行われるクラスメイト35人の嘘を一つずつ暴いていくロジックのドミノ倒しが前作を凌駕する素晴らしさです。パズラーの極といえる傑作。


25.ボーンヤードは語らない(市川憂人)
4つの短編の内、3作がコンビ結成以前の過去エピソードで構成されている〈マリア&漣〉シリーズの第4弾。全体的に謎や仕掛けが小粒でミステリーとしては物足りないものがありますが、そのなかにおいて、密室とホワイダニットの謎を舞台設定と絡めて描き切った『レッドデビルは知らない』が秀逸。


26.僕が答える君の謎解き 明神凛音は間違えない(紙城境介)
ひきこもり少女の凛音は人間離れした計算能力でどんな事件の犯人も即座に言い当ててしまうものの、その理由を論理的に説明できず、代わりに主人公が答えの根拠を解明してく。ヒネリの効いた設定に緻密な推理が光る連作日常ミステリの傑作であり、ラブコメ設定を逆手に取ったオチにも驚かされます。


27.死体の汁を啜れ(白井智之)
豚の頭をかぶった死体や胃袋が破裂した死体など、殺人の発生率が異様に高い港町で次々に起きる異様な殺人の謎を描いてた連作ミステリーです。事件のインパクトに対して謎解きが微妙な作品も混じっていますが、フーダニットとしてよくできている「生きている死体」のように秀逸なエピソードもあり。
死体の汁を啜れ
白井 智之
実業之日本社
2021-08-30


28.むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。(青柳碧人)
前作の『つるの倒叙返し』や『絶海の鬼ヶ島』の如きインパクトには欠けるものの、かぐや姫の求婚エピソードが多重解決ものへとシフトし、わらしべ長者の裏で血の惨劇が進行するといった具合に、昔話をミステリに仕立てる手管は一級品です。ただ、猿蟹合戦前後編はくどくて切れ味に欠けるのが残念。
29.廃遊園地の殺人(斜線堂有紀 ) 
20年前に閉館して廃墟と化した遊園地はムード満点で、串刺しにされた着ぐるみの死体などといった謎も魅力的。また、事件が起きるまでが少々長いものの、そこに細かい伏線を散りばめて後半で回収していく手管も見事です。それだけに、トリックや動機にあまり説得力が感じられないのが惜しまれます。
廃遊園地の殺人
斜線堂 有紀
実業之日本社
2021-09-22


30..時空犯(潮谷験)15
同じ1日を何度も繰り返すなかで殺人が起きるSFミステリー。次々と起きる予想外な展開に惹き込まれ、そのなかにさりげなく伏線を散りばめていく手管が見事です。ロジカルな推理も鮮やかな一級のフーダニットですが、派手な展開の割にミステリーとしての仕掛けが小粒な点は好みが別れるかも。
時空犯 (講談社文庫)
潮谷験
講談社
2023-01-17


31.スイッチ 悪意の実験(潮谷験)
第63回メフィスト賞受賞作品。押すと幸せな家族が破滅する破滅スイッチのアプリをインストールした6人の学生を巡る物語が描かれているのですが、そこから派生する謎が非常によくできており、フーダニットとしてもホワイダニットとしても一級品です。ただ、宗教の話は冗長だと感じる人がいるかも
32.Butterfly World 最後の六日間(岡崎琢磨)
VR空間を舞台に描いた特殊設定ミステリー。最近徐々に増えてきているジャンルであり、舞台装置としては目新しいものはありません。しかし、それでも、アバターが次々と殺されていくという謎は強烈。終盤におけるロジカルな推理も読み応えがありますし、特に、消去法推理による犯人特定が秀逸。
Butterfly World 最後の六日間
岡崎 琢磨
双葉社
2021-07-29


33.蝶として死す:平家物語推理抄(羽生飛鳥)
平清盛の異母弟・平頼盛を探偵役に据え、歴史的事件の絡んだ謎を解いていく連作ミステリーです。いずれも平家物語ならではの謎が設定されており、歴史好きな人にとっては興味深い内容となっています。特に、フーダニットとしてもホワイダニットとしてもよくできている『禿髪殺し』が秀逸。


34.花束は毒(織守きょうや)
「結婚をやめろ」という脅迫状を元医学生に送り続ける脅迫者の正体を女探偵が突き止めていくサスペンスミステリですが、調査の過程で意外な事実が明るみになっていく展開は読み応えがあります。しかし、本作の真の魅力は最後に明らかになる真相です。予測不可能なブラックな結末はインパクト大。
花束は毒 (文春e-book)
織守 きょうや
文藝春秋
2021-07-28


35.君が護りたい人は (石持浅海)
碓氷優佳シリーズ第6弾。愛する女性のためにキャンプ場で彼女の婚約者を殺そうとする話ですが、語り手がそのことを犯人から聞いているものの、具体的な手段は知らないというのがポイント。結果、いつどうやって標的を殺すのかをリアルタイムで推理していくスリリングな作品に仕上がっています。
君が護りたい人は (ノン・ノベル)
石持浅海
祥伝社
2021-08-07


36.泳ぐ者(青山文平)
『半席』に続くシリーズ第2弾。今回は「数年前に離縁された妻はなぜ今になって夫を刺し殺したのか?」「毎日大川を泳いで渡っていた男はなぜ侍に切り捨てられた時に笑っていたのか?」という2つの謎が提示されるのですが、一筋縄でいかない真相究明の面白さと共に人間の業の深さにぞっとします。
泳ぐ者
青山 文平
新潮社
2021-03-17


37.星空にパレット(安萬純一)
クローズドサークル、メタミステリー、密室殺人といった具合に、一作ごとに異なる趣向の謎解きが楽しめる、4話収録の短編集です。どれも純度の高い本格ミステリであり、犯人のトリックを暴いていく緻密なロジックは読み応えがあります。ただ、トリックに必然性が感じられないものがあるのが難。
星空にパレット (創元推理文庫)
安萬 純一
東京創元社
2021-01-20


38.老虎残夢 (桃野雑派)
第67回江戸川乱歩賞受賞作品。『「館」×「孤島」×「特殊設定」×「百合」!』と謳っていますが、そうした新本格的な部分はトリックも小粒で大したことはありません。その代わり、南宋の歴史を背景にした武俠たちの物語を謎解きを交えて描いた時代ミステリーとしては大いに読み応えがあります。
老虎残夢
桃野雑派
講談社
2021-09-15


39.透明な螺旋(東野圭吾)
ガリレオシリーズの第10弾。事件の裏に隠されていた複雑な人間関係を解きほぐしていくプロセスは捜査小説として一定の面白さがありますし、その人間関係の中に主人公の湯川が浮上する展開はなかなかにスリリングですです。ただ、トリックらしいトリックが皆無な点は物足りなさを覚えてしまいます。
透明な螺旋
東野 圭吾
文藝春秋
2021-09-03


40.新 謎解きはディナーのあとで(東川敦哉)
全5編の連作短編を収録した9年ぶりの新作。相変わらずテンポの良い掛け合いと手堅い謎解きで楽しませてくれる良作に仕上がっています。特に、目覚まし時計を巡る不可解な状況の裏に隠された意味を読み解くことでアリバイの問題を反転させ、犯人指摘へと結びつく『五つの目覚まし時計』が秀逸です。
新 謎解きはディナーのあとで
東川篤哉
小学館
2021-03-31


41.ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人(東野圭吾)
アフターコロナの描写に初期の作風を彷彿とさせる王道的本格を絡めた作品です。元マジシャンという探偵役のキャラ造形やテンポの良い物語はなかなかよくできています。ただ、探偵がマジックで何でも解決してしまう点はリアリティ不足かも。謎解きも小粒で、マジックが推理に寄与してないのも残念。
42.神の悪手(芦沢央)
本作は本格ミステリではないのですが、将棋をテーマにした5編の短編には謎解きの要素が意表を突く形で含まれています。特に、詰将棋に暗号の要素を絡めて意外な解答にたどり着く『ミイラ』が秀逸。また、なぜかわざとミスを繰り返す対局相手を描いた『弱い者』もホワイダニットとして印象的です。
神の悪手
芦沢央
新潮社
2021-05-20


43.スリーピング事故物件(西澤保彦)
21年前に殺人事件のあったマンションで共同生活を送っている3人の女性が、ワープロから送信される死者のメッセージに基づいて真相を探っていく特殊設定ミステリ。真相を知ると、序盤から伏線が大胆に配置されているのに驚かされます。真相そのものにもインパクトがあり、なかなかの快作です。
スリーピング事故物件
西澤 保彦
コスミック出版
2021-07-14


44.或るギリシア棺の謎(柄刀一)13
国名シリーズ第2弾。前作が連作なのに対して本作は長編となっています。しかし、文章が読みにくいうえに展開が地味で冗長なので読み進めるのが苦痛に感じる人もいるかもしれません。その一方で、意外な手掛かりから明らかになる思わぬ真相には驚かされます。ミステリーとしての技巧は一級品です。
或るギリシア棺の謎
柄刀 一
光文社
2021-02-23


45.幸福の密室(平野俊彦)
移り住めば必ず幸せになるという村で起きた密室殺人の謎を描いた作品でばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した『報復の密室』に比べると破綻は少なく文章も読みやすくなっています。ただ、ミステリーとして綺麗にまとまってはいるものの、大きな驚きには欠ける点が少々残念です。
幸福の密室
平野 俊彦
講談社
2021-09-16


46.亜シンメトリー(十市社)
新聞部の不可解なインタビュー原稿やシンメトリーの漢字ゲームなど、謎の設定が凝っており、思わず引き込まれていきます。しかも、表面上の謎だけでなく、物語自体にも罠が仕掛けられているという二段仕掛けが秀逸。ただ、表題作は難解なうえに明確な解答が提示されていない点が賛否をわけるかも。
亜シンメトリー
十市 社
新潮社
2021-03-17


47.天の川の舟乗り(北山猛邦)
気弱な探偵・音野順と助手の白瀬白夜が活躍するシリーズの12年ぶりの新作です。相変わらず2人の掛け合いが楽しく、著者得意の物理トリックも健在。派手さはありませんが、堅実に楽しめる作品集に仕上がっています。特に、古城の財宝の謎と人間消失トリックをうまく絡めた『怪人対音野要』が秀逸。
天の川の舟乗り (名探偵音野順の事件簿)
北山 猛邦
東京創元社
2021-03-19


48.前夜(森晶麿)
映画スターの兄が密室で殺された謎を弟が追う青春本格ミステリー。兄弟が吸血鬼の末裔で、死んだ兄も1年後に復活するらしいという設定を巧みに用いて大仕掛けを炸裂させる手管が見事です。伏線が十分ではないためにやや唐突感はあるものの、十分に驚かせてくれます。余韻の残るラストも印象的。
前夜
森 晶麿
光文社
2021-03-24


49.怨み籠の密室(小島正樹)
古い因習の残る村での殺人事件を描く海老原浩一シリーズ第8弾。密室殺人の謎はあるものの、やりすぎミステリーと呼ばれている過去作と比べると不可能趣味は控えめです。その代わり、トリックに頼ることなく、緻密なプロットを用いて真相の意外性を演出している所に作家としての成長を感じます。
怨み籠の密室 (双葉文庫)
小島正樹
双葉社
2021-02-10


50.報復の密室(平野俊彦)
第13回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞。密室トリックを用い、自殺に見せかけて殺された娘の父親が、薬理学教授ならではの知識を用いて犯人をあぶり出す話です。最初の密室トリックがしょぼいなど荒削りな面もありますが、発想とプロットのユニークさで読者を惹きつける力はかなりのものです。
報復の密室
平野 俊彦
講談社
2021-02-24


51.Ghost ぼくの初恋が消えるまで(天称涼)
主人公が連続通り魔事件の犠牲となった6歳年上の幼馴染の幽霊とともにさまざまな謎に挑む連作ミステリー。ヒロインが幽霊という設定を上手く活かした特殊ミステリーとしてよくできており、特に、それまでの伏線を一気に回収する最終話が圧巻です。また、切ない青春小説の良作でもあります。


52.死の黙劇: 山沢晴雄セレクション (山沢晴雄)
このミス2008で6位にランクインした『離れた家』と収録作品が一部重複する作品集。アリバイ崩しを中心としたザ・本格といった内容ですが新規収録作品の出来がいま一つなのは残念。ただし、典型的な時刻表トリックだと思わせておいて、そこにヒネリを加えた『京都発“あさしお7号”』は秀逸。


53.指切りパズル (鳥飼否宇)
動物園でアイドルの指がレッサーパンダに噛み切られたのを皮切りに連続指切り事件が起きるという不可思議な謎が魅力的で、コンビを組むことになる動物園の警備員と警部補の掛け合いも楽しい。謎の奇想度に比べて真相が手堅くまとまりすぎている感があるものの、結末のインパクトはなかなかです。


54.袋小路くんは今日もクローズドサークルにいる (日部星花)
事件が起きると強制的にクローズドサークルになる呪いが発動するというぶっとんだ設定からユーモアミステリーかと思いきや、意外に重い話です。また、ミステリーとしては個々の事件の推理もそれなりに楽しめましたが、目玉はなんといっても最後のどんでん返しです。これには驚かされました。


55.誰も死なないミステリーを君に 眠り姫と五人の容疑者 (井上悠宇)
主人公の佐藤と死を予見する能力を持つ志穂との出会いを描いたエピソード0的な作品。ミステリーとしては予見した死を回避しようとすることで逆に死線が増加していく謎が魅力的ですし、その謎が登場人物の人間関係と密接に関連しているところも良くできています。コンビ結成前の2人の関係も新鮮。


56.居酒屋「一服亭」の四季(東川篤哉)
2代目安楽ヨリ子が活躍する『純喫茶「一服堂」の四季』の続編。4つの猟奇殺人を扱った連作ミステリーでそれぞれヒネリの効いた仕掛けで楽しませてくれます。トリックは少々凝りすぎてリアリティに欠ける面はあるものの、ヨリ子を始めとするぶっ飛んだキャラの存在がその不自然さを中和しています。
居酒屋「一服亭」の四季
東川篤哉
講談社
2021-09-29


57.臨床法医学者・真壁天 秘密基地の首吊り死体(高野結史)
第19回このミステリーがすごい!大賞隠し玉部門受賞。死体分析のエキスパートである法医学者を探偵役に据えた作品で、首吊り婆の都市伝説に絡めて児童虐待を指摘された親が次々と首吊り死体となって発見される謎が魅力的です。意外な真相もよく考えられており、なかなかの佳品だといえます。


58.二十面相暁に死す(辻真先)
『焼け跡の二十面相』に続くシリーズ第2弾。二十面相と明智小五郎&小林探偵との対決を描いた作品で、パスティーシュとして安定した面白さがあります。また、ミステイリーとしても前作のような大仕掛けはありませんが、時刻表トリックや終盤の二転三転する推理などで楽しませてくれます。
59.月下美人を待つ庭でー猫丸先輩の妄言ー(倉知淳)
フリーターの猫丸先輩がさまざまな謎を解いていくシリーズの第6弾。5つの短編が収録されていますが、15年ぶりの新作ということもあってか出来にバラツキがあるのが気になるところ。その中では、奇妙な謎を鮮やかに推理する『ついているきみへ』と逆説的推理が光る表題作がよくできています。
60.傍聴者(折原一)
~者シリーズの第14弾。自殺に見せかけて次々と交際相手を殺していた女性の裁判を巡る物語です。大トリックこそないものの、騙しのテクニックを駆使して隅々にまで仕掛けを施しているのはさすがです。傍聴席のミステリマニアによるミステリーネタも本格好きなら楽しめるのではないでしょうか。
傍聴者 (文春文庫 お 26-20)
折原 一
文藝春秋
2023-11-08


61.偶然にして最悪の邂逅(西澤保彦)
著者にしては珍しいノンシリーズ短編集。その出来は玉石混合といったところですが、巧みなロジックとダークなオチが印象深い表題作とどんでん返しが見事に決まる『間女の隠れ家』はなかなかの佳品です。あとは幽霊が38年前の真相を探る『ひとを呪わば穴ふたつ』も物語として読み応えがあります。
偶然にして最悪の邂逅
西澤 保彦
東京創元社
2020-12-10


62.元彼の遺言状(新川帆立)
第19回このミステリーがすごい!大賞作品。「全財産を僕を殺した犯人に譲る」という遺言状の謎がインパクト満点なうえに、探偵役の女性弁護士が破天荒なキャラで楽しく読むことができます。著者が弁護士だけあって遺言状に関する謎解きも専門知識を上手く活用しています。ただ、動機は説得力に難あり。
元彼の遺言状
新川帆立
宝島社
2021-01-08


63.征服少女 AXIS girls (古野まほろ)
『終末少女』の続編であり、前作そのものが伏線及びミスディレクションとして機能しているところが凝っています。また、天使と人間の性質を前提とした特殊設定ミステリーとしてもよくできています。ただ、伏線を丁寧に貼りすぎているため、勘の良い人なら真相にたどり着きやすいかもしれません。
征服少女 AXIS girls
古野 まほろ
光文社
2021-07-27


64.薔薇のなかの蛇(恩田陸)
英国を舞台に描かれる理瀬シリーズの第3弾。遺跡の中で発見されたバラバラ死体に名家で起きる怪事件と、サスペンス性と提示される謎は非常に魅力的です。ただ、それに対して、事件解決に向けての盛り上がりに乏しく、終盤の展開が淡泊なのが残念。理瀬の出番が少なめなのも物足りないところです。
薔薇のなかの蛇
恩田陸
講談社
2021-05-25


65.豊臣探偵奇譚(獅子宮俊彦)
豊臣一族なかでもマイナーな存在である少年大名・豊臣秀保を探偵役に据え、次々と起きる怪異を論理的に解決していくという趣向がユニーク。ただ、謎は魅力的なのですが、トリックの説得力に欠けるものが多いのは少々残念ではあります。その代わり、最終話のラストはなかなか衝撃的です。
豊臣探偵奇譚 (ハヤカワ文庫 JA シ 15-1)
獅子宮 敏彦
早川書房
2021-05-18


66.麻倉玲一は信頼できない語り手(太田忠治)
死刑が廃止された近未来を舞台に最後の死刑囚・麻倉にフリーライターがインタビューを試みるサスペンスミステリー。麻倉のキャラが魅力的で、何が真実で何が嘘かわからないという展開に引き込まれます。ただ、作中に仕掛けられたトリックは凡庸なうえに、それを行う必然性が感じられないのが残念。


67.野球が好きすぎて(東川篤哉)
5編収録連作ミステリー。2016~2020年までのプロ野球シーズンで起きた象徴的なトピックトスを一つずつ取り上げ、それを事件の謎に絡めているのがユニーク。特に、某投手による冷蔵庫殴打骨折事件の見立殺人という意味不明っぷりには笑いました。小粒ながらも謎とユーモアが一体となった好編です。
野球が好きすぎて
東川 篤哉
実業之日本社
2021-05-31


68.楽園のアダム(周木律)
大災厄によって人類の99%以上が死滅した世界。人工知能による管理で恒久平和が実現したはずなのに不審死が立て続けに起きる謎が描かれています。終末的世界が美しく描かれており、事件の謎を解き明かす手管もなかなかに鮮やかですが、恒久平和を維持している仕組みについては説得力を感じられず。
楽園のアダム
周木律
講談社
2021-09-02


69.徳川埋蔵金はここにある-歴史はバーで作られる2- (鯨統一郎)
ミサキさんシリーズ第2 弾。著者が得意とするバーでの歴史談義もので、新説珍説が飛び交うところが読みどころとなっており、応仁の乱の真相、天草四郎の正体、徳川埋蔵金の隠し場所など、魅力的な謎で楽しませてくれます。仮説の真偽はともかく、気軽に歴史に親しむことができる好篇です。


70.炎舞館の殺人(月原渉) 
シズカシリーズ第5弾。陶芸家の師匠が行方不明となり、弟子たちの後継者争いが激化する山奥の函型の館でばらばら殺人が発生。過去作既読が前提の仕掛けがあるなどファン向けの作品ではあるものの、なかなかの良作です。ただ、メイントリックには既視感があるので勘の良い人ならわかりやすいかも。
炎舞館の殺人 (新潮文庫)
月原 渉
新潮社
2021-07-28


チェック漏れ作品

アンデッドガール・マーダーファルス 3 (青崎有吾)19位(このミス17位 読みたい18位)
ファンタジーと本格を融合したハイブリッド型ミステリーの第3弾。前作はバトル中心で謎解き要素が薄かったものの、本作は両方の要素を絶妙なバランスで両立させており、シリーズならではの魅力を引き出しています。特に、バトルに組み込まれた伏線と人狼の性質を踏まえての犯人特定のロジックが秀逸。


2021年12月6日追記
予想結果
ベスト5→5作品中3作的中
ベスト10→10作品中8作的中
ベスト20→20作品中15作的中
順位完全一致→20作品中0作品

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最新更新日2021/11/19☆☆☆

Nexst⇒2023本格ミステリベスト10 海外版予想
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本ミス2022
対象作品である2020年11月1日~2021年10月31日の間に発売された謎解き主体のミステリー作品の中からベスト10の順位を予想していきます。ただし、あくまでも個人的予想であり、順位を保証するものではありません。また、予想は作家の知名度や人気、作風、話題性などを考慮したうえで票が集まりそうな作品の順に並べたものであり、必ずしも予想順位が高い作品ほど優れているというわけでもありません。それらの点についてはあらかじめご了承ください。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします
2022本格ミステリ・ベスト10
探偵小説研究会
原書房
2021-12-04


本格ミステリベスト10海外版最終予想(2021年11月19日)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
記載方法は以下のようになっています。
予想順位.タイトル(作者名)本ミスの順位(このミスの順位 文春の順位 読みたいの順位)
ただし、「→本ミスの順位(このミスの順位 文春の順位 読みたいの順位)」の部分が記載されているのは予想ランキングあるいは本ミスで10位以内のものだけです。
なお、このミス、文春、 読みたいはそれぞれ「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」の略です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

1位.ヨルガオ殺人事件(アンソニー・ホロヴィッツ)1位(このミス1位 文春1位 読みたい2位)
編集者からホテル経営者となった私が新たな事件に巻き込まれる『カササギ殺人事件』の続編で、作中作と現実の事件との2本立ては相変わらず。トリックは小粒になった感があるものの、名探偵ピュントが活躍する『愚行の代償』は抜群の面白さ。そこに現実の事件を解く鍵を仕込ませる技巧も見事です。


2位.文学少女対数学少女(陸秋槎3位(このミス13位 文春12位 読みたい18位)
文学少女と数学少女が作中作の推理小説を検証していくという、全4編からなるメタミステリー。数学理論を応用しての推理には興味深いものがありますし、後期クイーン問題へのこだわりやメタ推理の数々も本格好きの人なら大いに楽しむことができるでしょう。特に百合好きな人にはおすすめです。


3位.第八の探偵(アレックス・パヴェージ)4位(このミス10位 文春7位 読みたい6位)
1940年代に発表した7つの短編ミステリーについて引退した作者と女性編集長がディスカッションしていくメタミステリー。不可能犯罪やフーダニットといったガジェットが盛りだくさんで本格好きの人なら引き込まれる内容です。ただ、伏線不足で本格と言い難い部分があるのは好みのわかれるところ。
第八の探偵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アレックス パヴェージ
早川書房
2021-04-14


4位.消える魔術師の冒険 聴取者への挑戦IV※ランク外
本格ミステリの巨匠エラリー・クイーンのラジオドラマシナリオ集第4弾。どれもクオリティの高い作品ばかりですが、特に、二転三転の推理の末に意外性満点の真相へとたどり着く『十三番目の手がかりの冒険』と、不可解な殺人事件がさらに思わぬ展開をみせる『タクシーの男の冒険』が秀逸。


5位.ブラックサマーの殺人 (M・W・クレイヴン)5位(文春18位 
『ストーンサークルの殺人』に続くシリーズ第2弾。殺されたはずの娘が突然姿を現すという冒頭の展開で一気に引き込まれ、6年前に逮捕された父親は冤罪か否かという謎が気になってページをめくる手が止まらなくなります。面白さは文句なしですが、トリックがいささかご都合主義なのが残念。


6位.運命の証人(D・M・ディヴァイン )6位(このミス14位 文春16位 読みたい16位)
主人公が2件の殺人事件によって裁判にかけられる場面から始まるのですが、誰が殺されたのかが明示されないまま回想シーンに入ることによってサスペンスを盛り上げることに成功しています。また、息詰まるドラマのなかにさり気なく伏線を張り巡らせ、意外な真相を浮かび上がらせる手管が見事です。
運命の証人 (創元推理文庫 M テ)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2021-05-31


7位.評決の代償 グレアム・ムーア※ランク外
著者は映画脚本家としても有名なグレアム・ムーア。『十二人の怒れる男』を意識したリーガルサスペンスと思わせつつも、そこから意外な展開に転がっていくので思わず引き込まれていきます。意表を突いた真相が幾つも用意されており、その全てを見破るのは困難でしょう。極めて巧妙な作品です。
評決の代償 (ハヤカワ・ミステリ)
グレアム ムーア
早川書房
2021-07-03


8位.オクトーバー・リスト(ジェフリー・ディーヴァー)10位(このミス5位 文春6位 読みたい5位)
映画『メメント』のように現在から過去へと遡っていく時間逆行ミステリーです。一見、息子を誘拐された母親と謎のリストを巡るサスペンス風の物語なのですが、入念なミスディレクションが施されており、読者が見ていた風景を次々とひっくり返していく手管が見事です。ただ、少々読みにくいのが難。
オクトーバー・リスト (文春文庫)
ジェフリー・ディーヴァー
文藝春秋
2021-03-09


9位.木曜殺人クラブ(リチャード・オスマン)※ランク外(このミス8位 文春4位 読みたい3位)
施設の老人たちが集まって事件の謎を解いていくという、アガサ・クリスティの『火曜クラブ』を彷彿とさせる作品です。メインとなるのは施設経営者殺しの犯人探しですが、他にもさまざまな謎で楽しませてくれます。ただ、読者の裏をかく仕掛けなどの要素に乏しいのは、本格としては物足りないかも。
木曜殺人クラブ (ハヤカワ・ミステリ)
リチャード オスマン
早川書房
2021-09-02


10位.混沌の王(ポール・アルテ)8位
オーウェン・バーンズシリーズの第1弾。降霊術・死を運ぶ白い仮面の怪人・雪密室などといった怪奇ムードたっぷりの謎は相変わらず魅力的です。しかし、真相やトリックはかなり凡庸でがかっりしてしまいます。これでは翻訳が後回しにされたのもやむなしといったところでしょうか。



その他注目作品16

11.地の告発(アン・クリーヴス)7位
ペレス警部シリーズの第7弾。物語はマグナス老人の葬儀の最中に大規模な地滑りが起き、土砂の中から身元不明の女性の絞殺死体が発見されるというもの。前半は女性の正体を巡って二転三転する展開で読ませますし、島の人間関係を紐解いていきながら真相に迫っていくプロセスも安定の面白さです。
地の告発 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2020-11-30


12.ビーフ巡査部長のための事件(レオ・ブルース)
頭部を撃ち抜かれた男が森で発見され、被害者の妹から相談を受けた元巡査部長の探偵ビーフが事件解明に乗り出す。容疑者の一人の殺人計画日誌を作中に挿入し、そこから意外な結末へと着地させる手腕が見事です。仕掛けそのものは手垢がついたものですが、ヒネリの利かせ方がよくできています。
ビーフ巡査部長のための事件 (海外文庫)
レオ・ブルース
扶桑社
2021-01-31


13.自由研究には向かない殺人(ホリー・ジャクソン)2位(このミス2位 文春2位 読みたい1位)
英国のヤングアダルト小説で純粋な本格ではないものの、17歳のヒロインがあの手この手で5年前の女子高生殺しの真相に迫っていくプロセスは読み応えありです。また、二転三転する謎解きも面白く、現代っ子らしい捜査手法も興味深いものがあります。色々な魅力の詰まった青春ミステリーの傑作。
自由研究には向かない殺人 (創元推理文庫)
ホリー・ジャクソン
東京創元社
2021-08-24


14.見知らぬ人 (エリー・グリフィス)10位(このミス18位 文春3位 読みたい8位)
かつて怪奇作家の住んでいた学校、随所に挿入される怪奇小説の作中作、そして見立て殺人と道具立ては盛りだくさんでワクワクします。しかし、実際はサスペンスに近い作品で本格度はそれほど高くありません。ただ、視点が変わるたびに怪しい別の人物か次々と浮かび上がっていく構成はユニーク。
見知らぬ人 (創元推理文庫)
エリー・グリフィス
東京創元社
2021-07-21


15.スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ (ジョセフ・ノックス )8位(このミス3位 文春10位 読みたい9位)
エイダン・ウェイツシリーズの第3弾。 警察ノワールと銘打ちながらも本格色が強いシリーズとして知られており、今回は死期が迫った囚人をわざわざ殺害したのなぜかというホワイダニットの謎を扱っています。ただ、ノワールとしては読み応えがあるものの、本格としての面白味は前作の方が上。
16.幸運は死者に味方する(スティーヴン・スポッツウッド)
自殺した実業家の妻が交霊会の後に密室状態の書斎で撲殺されるといういかにもクラシカルな事件を扱いながらも、1945年のニューヨークで女性の師弟コンビの探偵が登場する設定が斬新。バディものとして秀逸ですし、ミステリーとしては過去の事件を絡めたホワイダニットの謎がよくできています。
幸運は死者に味方する (創元推理文庫)
スティーヴン・スポッツウッド
東京創元社
2021-03-19


17.狼たちの城 (アレックス・ベール)
ユダヤ人の古本屋店主がナチスの手から逃れるために親衛隊の少佐に扮したところ、女優殺しの事件を捜査するはめになるという設定がユニーク。物語は必ずしも本格一色というわけではなく、冒険やスパイ小説の色が強いものの、過去の名探偵に倣っての捜査などは本格ファンとして大いに楽しめます。
狼たちの城 (扶桑社BOOKSミステリー)
アレックス・ベール
扶桑社
2021-06-02


18.ポー殺人事件(ヨルゲン・ブレッケ)
エドガー・アラン・ポー博物館での首なし殺人というシチュエーションはミステリーファン期待を否応なしに高めてくれます。ただ、事件の謎を解く鍵がポーの作品ではなく、500年前の司祭の書物というのが残念ではあります。それでも後半のめまぐるしい展開や複雑に入り組んだ謎は読み応えありです。
ポー殺人事件 (ハーパーBOOKS)
ヨルゲン ブレッケ
ハーパーコリンズ・ジャパン
2021-08-17


19.〈羽根ペン倶楽部〉の奇妙な事件(アメリア・レイノルズ・ロング)
B級ミステリの女王と呼ばれ、30年代後半~50年代前半にかけて活躍した著者の1940年の作品です。事件が起きるのが中盤近くというゆったりとした展開ながらも倶楽部の面々の掛け合いが楽しく、飽きずに読むことができます。また、張り巡らせた伏線を回収しながらの謎解きもなかなかの出来です。
〈羽根ペン倶楽部〉の奇妙な事件 (論創海外ミステリ 263)
アメリア・レイノルズ・ロング
論創社
2021-04-10


20.知られたくなかった男(クリフォード・ウィッティング)
1939年発表のハリー・チャールトン警部シリーズ第3弾。物語は、募金集めをしていた男が募金箱ごと失踪してクリスマスの夜に死体となって井戸から発見されるというもので、仄かなユーモアが心地よく、物悲しいラストも印象的。緻密なプロットに基づく謎解きも秀逸でなかなかの佳品だといえます。
知られたくなかった男 (論創海外ミステリ)
クリフォード・ウィッティング
論創社
2020-12-10


21.憐れみをなす者(ピーター・トレメイン)
7世紀のアイルランドを舞台に探偵役を務める修道女・フィデルマの活躍を描いたシリーズ第8弾。今回は船の上が舞台で、海洋冒険小説の味わいもあります。本格ミステリとしては推理の根拠が弱いのは残念ですが、関係者を集めての謎解きなどクラシカルな探偵小説の味わいを満喫することができます。
憐れみをなす者 上 (創元推理文庫)
ピーター・トレメイン
東京創元社
2021-02-22


22.モンタギュー・エッグ氏の事件簿(ドロシー・L・セイヤーズ)
ノンシリーズ6作、ピーター卿の事件簿1作を含めた全13作収録の短編集。その内、10作は過去に邦訳済みですが、ほとんどは戦前のもので、その多くが単行本未収録です。セイヤーズの短編の中から代表的なものを厳選したとのことで、彼女ならではの端正な謎解きやユーモアを堪能することができます。
モンタギュー・エッグ氏の事件簿 (論創海外ミステリ)
ドロシー・L・セイヤーズ
論創社
2020-11-20





23.ロンリーハート4122(コリン・ワトスン)
パーブライト警部シリーズの第4弾。結婚相談所会員の女性2人が失踪し、登録ナンバー4122の男が容疑者として浮上するも、次の犠牲者かと思われた女性も怪しげでという話です。派手な展開こそないものの、三つ巴の展開はユーモアが効いていて読ませます。ただ、勘の良い人なら真相に気付くかも。
ロンリーハート・4122 (論創海外ミステリ 262)
コリン・ワトソン
論創社
2021-02-10


24.裏切りの塔(G・K・チェスタトン )
初翻訳の戯曲『魔術』と、単行本未収録の期間が長かった中短編4作をまとめた作品集。力作揃いですが、なかでも秀逸なのが中編の『高慢の木』です。人や鳥獣を喰らうと伝えられている怪樹、奇妙な昼食会、市長が行方不明という一連の事柄に基づいて導きだされる逆説的な真相には唸らされます。
裏切りの塔 (創元推理文庫 M チ)
G・K・チェスタトン
東京創元社
2021-05-31


25.ボニーとアボリジニの伝説(アーサー・アップフィールド)
1962年発表のポニー警部シリーズ第27弾。巨大クレーターの中で他殺死体が発見されるという設定が目を惹き、そこに足跡が見当たらないとい謎が加わります。ただ、足跡トリックは大したことなく、本作の肝はなぜ死体をクレーターに遺棄したのかというホワイダニット。その解答がなかなかに興味深い。
ボニーとアボリジニの伝説 (論創海外ミステリ 272)
アーサー・アップフィールド
論創社
2021-08-20


26.マクシミリアン・エレールの冒険(アンリ・コーヴァン )
1871年のフランスミステリ。語り手の助手が医師で探偵役がアヘン中毒者などといった描写からホームズシリーズのモデルでは?といわれている作品です。犯人の正体が早々に明かされるため、謎解き要素は希薄ですが、毒殺の方法にヒネリがあり、夢遊病の女や凶暴な熊といった道具立ても魅力的。


2021年12月6日追記
予想結果
ベスト5→5作品中4作的中
ベスト10→10作品中7作的中
順位完全一致→10作品中3作品

Nexst⇒2023本格ミステリベスト10 海外版予想
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本ミス海外2022




最新更新日2020/12/08☆☆☆

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昨今ではさまざまな出版社から年間のミステリーランキングが発表されるようになってきています。それらのランキングは面白い作品を探す指針として大いに参考になる反面、ランキングから漏れた作品はつまらないという誤解を生む原因にもなっています。しかし、実際はランクインしなかった作品がすべてつまらないというようなことは決してありません。ランキングの趣旨から外れている、あるいは投票者の好みに合わないなどといった理由でランキングから外れてしまったものの、読む人が違えば非常に面白く感じる作品も少なくないのです。そこで、『このミステリーがすごい(ベスト20)』及び『本格ミステリベスト10』の2つをピックアップし、これらのランキングにランクインしていない、それどころか下記のリンク先でランキング候補にすら挙がっていないものの中からおすすめの作品を紹介していきます。

このミステリーがすごい!2021年版 国内ベスト20予想
本格ミステリベスト10・2021年国内版予想


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流浪の大地(本城雅人)
鬼塚建設の新井は2年前の談合事件の責任を問われて閑職に追いやられていたが、日本初の統合型リゾート(IR)の責任者に指名される。一方、新聞記者の那智は叔父の残した建設工事資料を解明していくうちにある疑惑に行き当たる。国家的プロジェクトの裏に潜む政財界を巻き込んだ陰謀とは?
◆◆◆◆◆◆
国家謀略サスペンスの形を取りながら、現在の日本の建築業界やマスコミ業界の問題点を浮き彫りにしていくプロセスにはずっしりとした読み応えを感じます。また、膨大な取材によって積み重ねられた圧倒的なリアリティは、新聞記者出身の作者ならではのものだといえるでしょう。それに加えて、主人公たちの家族や仲間とのエピソードを巧みに絡ませ、物語に膨らみを持たせることにも成功しています。新聞記者が不正を暴くという古典的な展開ながらも、それを極めて高いレベルで描き切った傑作です。
流浪の大地 (角川書店単行本)
本城 雅人
KADOKAWA
2020-02-28





刑事何森 孤高の相貌(丸山正樹)
埼玉県警の何森稔は仕事一筋ながらも一匹狼で周囲からは疎まれていた。ある日、障害のある娘を持つ母親が自宅の2階で撲殺されるという事件が発生する。娘は不審な物音を聞くも、障害のために2階に上ることはできず、彼女からの連絡を受けたケースワーカーが死体を発見したというのだが......。
◆◆◆◆◆◆
法廷・警察での手話通訳士の活躍を描いたデフ・ボイスシリーズの名脇役である何森刑事を主役に据えた、3話収録のスピンオフ作品です。本作は殺人事件を扱いつつも、決して派手な展開があるわけではありません。どちらかといえばかなり地味な作風です。その代わり、巧みな語り口と緊密なプロットでぐいぐいと読ませていきます。警察という組織の理論の中で自分の信念を貫こうとする主人公の姿も警察小説の王道といった感じで、その手の作品が好きな人には特におすすめです。そしてなによりも、社会的弱者の現状に一石を投じていくそれぞれの物語が、社会派ミステリーとしてよくできています。スピンオフながら、本編に負けないだけの完成度を誇る佳品です。
刑事何森 孤高の相貌 (創元推理文庫)
丸山 正樹
東京創元社
2023-11-30


静かなる太陽(霧島兵庫)
1900年5月。清国では後の世に義和団の乱と呼ばれる騒動が勃発していた。自国民保護を理由に各国は武力介入を始めるが、西太后はこれに反発して宣戦布告をし、紫禁城近くにある公使館への攻撃を開始する。赴任してきたばかりの紫五郎中佐も各国の大使館と団結しての籠城戦を余儀なくされ.......。
◆◆◆◆◆◆
義和団の乱の全容を非常にわかりやすく描いており、この手の歴史に興味のある人なら興味深く読むことができるでしょう。そのうえ、史実として記録されているエピソードだけでなく、各国の足の引っ張り合いや権力強化に走る西太后など、歴史の裏話としても秀逸です。リアリティ豊かで真に迫っているためにフィクションとノンフィクションの境界線が溶けて交わるような感覚を覚えます。また、後半からは手に汗握る展開が目白押しでエンタメ小説としても文句なしの面白さです。
静かなる太陽
霧島兵庫
中央公論新社
2020-03-18


羊の国のイリヤ(福澤徹三)
50歳にして子会社に飛ばされた入矢悟は本社への復帰を図ろうとするも、冤罪で逮捕されてしまう。会社に裏切られ、家族に捨てられた彼は殺し屋と出会い、裏社会の仕事に手を染める。やがて、娘の危機に彼は闇の勢力と対峙することになるが......。
◆◆◆◆◆◆
荒唐無稽なバイオレンス小説ですが、ノンストップで描かれる物語は勢いがあり、読み応え十分です。とはいうものの、前半は冴えない主人公のあまりにも悲惨な転落ぶりが見るに堪えず、読み進めるのが苦痛になるかもしれません。しかし、そこから逆転に転じる展開が実に爽快なのです。ご都合主義に感じる部分もなきにしもあらずですが、そういった細かな粗は怒涛の展開に突入することによって気にならなくなります。登場人物もみなキャラが立っており、痛快ノワールとしての面白さが満喫できる傑作です。
羊の国のイリヤ
福澤徹三
小学館
2020-03-25





深淵の怪物(木江恭)
中学校美術教師の変死事件を追う女刑事が自分のトラウマと向き合うことになる『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』、交通事故を目撃した交通誘導員が事件を調べている女子高生と共に真実を追う『メーデーメーデー』など、人間の心理を丹念に掘り下げた4編の短編ミステリーを収録。
◆◆◆◆◆◆
小説推理新人賞の奨励賞を受賞した『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』はぎこちなさが残るものの、他の作品は見違えるようにうまくなり、洗練された作品に仕上がっています。心の奥に潜む闇を巧みに描いており、特に、異様な殺人動機に驚かされる『さかなの子』がホワイダニットとして秀逸です。また、親に代わって自分を育ててくれた兄が殺され、兄の真の姿を知ることになる『人でなしの弟』も心の深淵を覗き込むような感覚にぞくぞくします。一方、ラストの『メーデーメーデー』はほっこりとした作風の楽しい話で、最後にほっとした気分にしてくれます。ただ、最後までダークな作風のほうが好みだという人もいるはずなので、その辺りは評価のわかれるところです。
深淵の怪物
木江 恭
双葉社
2019-11-20


同姓同名(下村敦史)
日本中を騒然とさせた女児惨殺事件の犯人が捕まった。当初犯人の名は伏せられていたが週刊誌が犯人の実名は大山正紀だと暴露する。それからというもの、偶然殺人犯と同姓同名だった名もなき大山正紀たちの人生が狂い始め......。
◆◆◆◆◆◆
文春ミステリ2021において13位にランクインした作品で、登場人物のほとんどが大山正紀という実験色の強い作風が目を引きます。読んでいるとちょっと混乱してきますが、特異な設定を活かしての騙しのテクニックはなかなかに鮮やかです。また、巧みに張り巡らせた伏線を回収していく技巧の冴えも見事としかいいようがありません。ただ、SNS上での罵詈雑言は読んでいて気分が悪くなるおそれがあるので、そういった描写が苦手な人は注意が必要です。また、同姓同名というだけでここまで追い詰められるのはリアリティがないと感じてしまう人もいるかもしれません。その辺りは好みが分かれるものの、今日的なテーマを取り上げつつ、それをミステリーとしての驚きに結び付けたのは技巧派として知られる著者ならではでしょう。
同姓同名 (幻冬舎文庫)
下村 敦史
幻冬舎
2022-09-08


向日葵を手折る(彩坂美月)
父親の死によって小学6年の高橋みのりは山形の山間にある分校に転校することになる。新しい級友たちともようやく打ち解け始めた夏、集落の恒例行事のために植えていた向日葵がすべて切り落とされるという事件が発生する。子供たちは向日葵男の仕業だと噂するが、不穏な出来事はまだまだ続き......。
◆◆◆◆◆◆
冒頭から不穏な空気が全開で、一気に物語に引き込まれます。向日葵を切って落として回る向日葵男の存在など、不気味な事件が立て続けに起きるのも、田舎の村特有の閉鎖的な雰囲気と相まってミステリアスなムードを盛り上げてくれます。ただ、青春小説の側面がかなり大きな部分を占めているため、ガチガチのミステリーを期待すると肩透かしをくらうかもしれません。その代わり、さりげなく張り巡らされた伏線が最後に過不足なく回収される技巧の冴えは見事です。4年にわたる少年少女の成長を描いた思春期小説の側面と謎めいたミステリー小説としての面白さが巧みに絡まり合い、残酷ながらも美しい物語にまとめ上げた傑作です。
向日葵を手折る
彩坂 美月
実業之日本社
2020-10-01


日南X(松本薫)
高校生の牟田口春日とその友人たちは赤猪岩神社で男の遺体らしきものを目撃する。だが、次の瞬間、それは消え去り、翌日に日南町の大石見神社から男の死体が発見される。春日の父親で新聞記者の直哉が事件の謎を追うが......。
◆◆◆◆◆◆
鳥取県日野郡シリーズの第3弾。最初はいろいろなエピソードが次から次に出てくるので、物語の全容を掴めずに読みにくさを感じるかもしれません。しかし、一見ばらばらに見えたピースの全体像が徐々に見え始めた辺りから俄然面白くなってきます。次から次へと意外な真実が明らかになり、ページをめくる手が止まらなくなってくるのです。それに、オオクニヌシの神話をなぞらえた見立て殺人などといった要素も読み手の興味をかきたてるのに寄与しています。そしてなんといっても、政治問題を柱にしつつ、シベリア抑留などといった過去の話を絡めて一本の線でつないでいく手腕が見事です。極めて上質なサスペンスミステリーの傑作だといえるでしょう。
日南X
薫, 松本
日南町観光協会
2019-11-01





メデューサの首 微生物研究室特任教授 坂口信(内藤了)
微生物学者の坂口は感染したマウスがお互いの肉体をむさぼり合うというおぞましいウィルスを発見する。しかも、後輩に処分をまかせたところ、後日、そのウィルスを入手したという団体から首相官邸に犯行予告が届く。人質は日本全国民。犯人の目的は一体何なのか?
◆◆◆◆◆◆
主人公の坂口や守衛3人組といった年配のキャラが立ちまくっていて物語を引っ張っていきます。扱っている題材は致死率100%のウイルスというえぐい代物ですが、著者ならではのユーモアが、緊迫感溢れる場を適度に和ませてくれます。そして、後半からの手に汗握る怒涛の展開はエンタメ小説として申し分ない出来です。メインストーリーそのものは手垢のついている感があるものの、スピード感あふれる展開でそれを感じさせないのはさすがだといえます。
メデューサの首 微生物研究室特任教授 坂口信 (幻冬舎文庫)
内藤 了
幻冬舎
2019-12-05





誘拐屋のエチケット(横関大)
誘拐は何も犯人側の都合で行われるものばかりではない。なかには人生崖っぷちに立たされ、誘拐されることを望む人もいる。そのために誘拐屋が存在するのだ。あるとき、腕利きの誘拐屋・田村健一は新人の根本翼とコンビを組むのだが、そのせいで思わぬトラブルに巻き込まれ.......。
◆◆◆◆◆◆
誘拐屋というユニークな職業を題材にした連作短編ですが、誘拐される人間には共通点があり、最後に一つの線でつながる構成にはうならされます。また、クールな仕事人である田村と情にもろい根本の凸凹コンビの掛け合いも楽しく、サクサク読むことができます。根本の影響を受けて田村が徐々に変わっていくという展開もバディもののお約束とはいえ、悪くありません。全体的にやや説明不足の感はあるものの、読後感の良さがそれを補ってくれる好編です。
誘拐屋のエチケット
横関 大
講談社
2020-03-25


ブラッド・ロンダリング 警視庁捜査一課殺人犯捜査二係(吉川英梨)
警視庁捜査一課に新人刑事の真弓倫太郎が配属されたその日に事件が起きた。駐車場で、車の天井に突き刺さった死体が発見されたのだ。先輩刑事の二階堂汐里と共に捜査に当たることになった倫太郎だったが、彼はなぜか不可解な行動を取り続ける。倫太郎にはある秘められた過去があったのだ.....。
◆◆◆◆◆◆
物語のメインテーマは加害者家族と世間の軋轢という非常に重いものです。加害者の子どもが世間から後ろ指を指されるという理不尽な現実には思わず暗然とした気持ちにさせられます。非常に考えさせられる作品だといえるでしょう。しかし、だからといって、本作は決して重苦しいだけの物語ではありません。シリアスなテーマを扱いながらも、主人公コンビや捜査陣の面々が魅力的でサクサクと読むことができますし、刑事同士の軽妙な掛け合いもたっぷり楽しむことができます。そして、ストーリーの方は中盤やや中弛みを感じるものの、被害者側と加害者側が寄り添っていく後半の展開が感動的です。ただ、個性的な刑事たちが中盤以降存在感が薄くなっていったのが警察小説としてはやや残念ではあります。それだけに、今後のシリーズ化を期待したいところです。
アウターライズ(赤松利市)
東日本大震災に匹敵する大災厄アウターライズに見舞われたのにも関わらず、東北地方の発表した死者の数はわずか6名だった。しかも、宮城県知事が突如独立宣言を行い、外部との一切の交流を断ったのだ。それから3年が過ぎ、ベールに包まれていた東北に外国のジャーナリストが招かれるが......。
◆◆◆◆◆◆
東北独立という仮定に基づいたシュミレーション小説で、前半の大災害との戦いの描写は迫力があります。また、「大震災が発生後になぜ自衛隊は迅速に対応ができたのか」「東北独立に必要な資金はどこからでたのか」などといった謎を散りばめ、卓越した筆力によって読者の興味を引っ張っていく手管が見事です。ただ、謎とされものの真相の一部が曖昧なままだったり、東北がユートピアとなる後半の描写がリアリティに欠けていたりする点はいささか残念です。しかしながら、痛烈な社会批判をまじえつつ、日本を訪問した新聞記者の視点からの謎解きが行われていくストーリーは読者の好奇心を巧みに刺激していき、いつのまにかページをめくる手が止まらなくなっていきます。冷静に考えると荒唐無稽な話ではありますがそこは現代を舞台にしたファンタジーと考えるべきでしょう。テーマ性の深さと娯楽性の高さが見事に融合した力作です。
アウターライズ (単行本)
赤松 利市
中央公論新社
2020-03-06





エージェントー巡査長 真行寺弘道ー(榎本憲男)
新大久保の店で酒を飲んでいた捜査一課刑事の真行寺弘道は、そこで殴り合いの現場に遭遇する。原因は選挙での新党躍進に沸き立つ支持者たちに男がケチをつけたためだ。男のケガは大したことはなかったものの、その翌日に駅のホームから突き落とされて轢死してしまう。真行寺は捜査を始めるが.......。
◆◆◆◆◆◆
シリーズ4作目。政界と日本経済の話を、実在の政界人がモデルと思われる人物を登場させながらわかりやすく解説してくれるので非常に勉強になります。特に、現代の経済学でよく話題になるMMT理論のポイントと弱点を指摘する下りは圧巻です。日本をとりまく状況に関心がありながらもあまりよくわからないという人にとっては最適の入門書となるのではないでしょうか。しかも、決してお堅いお勉強本ではなく、ユーモアを散りばめた物語が同時に進行していくので良くできた娯楽小説としても楽しむことができます。ただ、ミステリー要素は薄めなので、その点については過剰な期待はしない方が無難でしょう。
エージェント-巡査長 真行寺弘道 (中公文庫)
榎本 憲男
中央公論新社
2019-11-21





ロボジョ!杉本舞衣のパテント・ウォーズ(稲穂健市)
杉本舞衣は大学入学とともにロボット研究会を創設し、1年足らずで「お手伝いロボット選手権」で見事優勝を勝ち取る。そして、大会2連覇を果たすべく仲間とともに画期的な技術の開発にも成功するのだった。だが、その頃から不審な人物が舞衣の周辺に出没するようになり.......。
◆◆◆◆◆◆
ロボット開発に絡んだミステリー風味の物語を楽しみながら、知財(知的財産)について学べるお勉強本です。しかし、決して堅苦しい内容ではなく、娯楽性豊かな作品としてまとめられています。したがって、これから知財の勉強がしたい、知財関連の仕事をしているけれど、いま一つ根本の部分がわかっていないような気がするなどといった人には最適な入門書です。楽しみながら学習を積んでいくことができます。また、甘酸っぱい青春小説としてもなかなかの佳品です。


任侠シネマ(今野敏)
総勢6人の阿岐本組の親分、阿岐本雄蔵は困っている人をほおっておけない性格のうえに文化事業が大好きなヤクザだった。今回持ち込まれたのは映画館再建の話だ。ネットに客を奪われるという時代の流れに加えて、他にも問題が山積みの映画館を果たして親分と代貸の日村はいかにして守るのか?
◆◆◆◆◆◆
シリーズ第5弾。前作の『任侠浴場』では少々マンネリ化を感じたのですが、本作は今までと異なるアプローチで斜陽産業の再建を試みており、新たな面白さを引き出すことに成功しています。ただ、その影響で映画館のスタッフと直接触れ合うシーンがないのは物足りなさを感じるかもしれません。その代わり、独自の情報収集能力とヤクザならではの交渉術で問題を解決する手管は見事で、そのプロセスをたっぷりと楽しむことができます。また、登場するヤクザたちも相変わらずキャラが立ちまくっており、義理人情に厚いという設定には古き良き時代のヤクザ映画を彷彿とさせる、ノスタルジックな味わいがあります。スカッとした読後感が味わえる肩の凝らない娯楽小説です。
任侠シネマ
今野敏
中央公論新社
2020-05-20


プリズン・ドクター(岩井圭也)
医学部を卒業した堤永史郎は3年勤務すると奨学金返還免除となるということで、しぶしぶ刑務所医官の道に進む。囚人になめられ、助手には怒鳴られる鬱屈した日々。そんなある日、受刑囚が自殺を予告し、変死体となって発見される。永史郎は「朝までに死因を特定せよ」と所長に命じられるが.....。
◆◆◆◆◆◆
囚人の老齢化や認知症の問題など、一般の人にはあまりなじみのないテーマが扱われており、ちょっと風変わりな社会派ミステリーとして興味深く読むことができます。ただ、ミステリーの要素は終盤に向かうにつれて薄くなっていくので、その点に関して過剰な期待をすると肩透かしを喰らうでしょう。どちらかといえば、詐病や薬の盗難が日常茶飯事のなかで、一癖も二癖もある囚人たちと丁々発止の駆け引きを行うお仕事小説といった方が正確かもしれません。その代わり、主人公の成長物語としては読み応えありです。そして、最後に受刑者や家庭の問題に正面から向き合うことで悩みを乗り越えていくくだりは感動的ですらあります。物語として大きなインパクトがあるわけではありませんが、いろいろと考えさせられる良作です。
プリズン・ドクター (幻冬舎文庫)
岩井圭也
幻冬舎
2020-04-08


悪を与えよう(牛島薫子)
京子は重度のダウン症候群患者である弟を可愛がっていたが、その弟が無差別殺人に巻き込まれて殺されてしまう。原因は母親が圭人を盾にして自分の身を守ったからだ。父は母を責めることはせず、そんな2人を見限った京子は独立する。だが、アルバイトとして働き始めた障害者施設で事件が起き.......。
◆◆◆◆◆◆
ヒロインがブラジリアン柔術の達人であるなど、全体的にラノベっぽさが拭えない作品です。しかし、その軽い文体に反して、障害者とは何かという問いかけは非常に重く、考えさせられるものがあります。それに加え、現実の事件をモチーフにした狂気の描写は非常にショッキングです。しかも、誰もがたやすく狂気に落ちる可能性があることを暗に提示しており、読んでいてぞっとします。ショッキングなシーンの連続なのにラストが妙に爽やかに締められているなどといったアンバランスさはあるものの、そのカオスな部分も魅力だといえなくもない異色作です。読者を激しく選ぶ作品ではありますが、それ故に波長の合う人であれば忘れ難い読後感を得られるのではないでしょうか。
悪を与えよう
牛島 薫子
幻冬舎
2020-03-03





毒島刑事最後の事件(中山七里)
エリート社員連続射殺事件、OL連続塩酸傷害事件、出版社連続爆破事件と、次々に起きる凶悪犯罪に対し、捜査一課の毒島警部補は鋭い舌鋒と巧みな心理戦で容疑者たちを落としていく。だが、その裏には彼らを操る”教授”の存在が見え隠れする。果たして”教授”の正体とは?
◆◆◆◆◆◆
『作家刑事毒島』の前日譚を描いたシリーズ第2弾です。本作は、5つのエピソードからなる連作短編ですが、刑事時代の毒島が口八丁で犯人の精神的な弱点をつき、追い詰めていくプロセスは読み応えがあります。自意識の歪んだ犯人たちを次々とやり込めるのが実に爽快です。今回のテーマとなっているネットの闇と洗脳の恐ろしさについても興味深く読む事ができ、最後のどんでん返しも見事です。毒島が現役の刑事から作家になった経緯もユニークで全体的に極上のエンタメ作品に仕上がっています。ただ、すべての元凶である教授との対決が呆気なかったのには物足りなさを感じます。その点だけは、もうひとひねりほしかったところです。





ヒポクラテスの試練(中山七里)
光崎教授が率いる法医学教室に内科医の南条が訪れる。昨日病院に搬送されて急死した前都議会議員の死因に疑念があるというのだ。死因は一見肝臓癌のように見えるのだが、9か月前の健康診断では問題はなかったという。光崎が司法解剖を行ったところ、恐るべき感染症の存在が明らかになり.......。
◆◆◆◆◆◆
シリーズ第3弾。肝臓癌で死んだと思われていた男の恐るべき死因が明らかになり、そこから伝染病の感染経路を巡って二転三転する展開がスリリングです。また、パンデミックス・人種差別・偽装食品・議員の海外視察といった社会問題をこれまでもかというほどに詰め込みながらミステリーとしてそつなくまとめたプロットにも感心させられます。さらに、専門用語の飛び交う医学的な知見を分かりやすく解説してくれるので勉強にもなります。人間の業の深さを描いた社会派エンタメミステリーとして秀逸な作品です。ただ、物語の後味がかなり悪く、読後感が良いとは言い難い点については賛否の分かれるところです。


東京ホロウアウト(福田和代)
2020年7月。東京の新聞社に「オリンピックの開幕式の日にトラックの荷台に青酸ガスを仕掛ける」という予告電話がかかってくる。しかも、予告通りの事件が起き、さらに火災や土砂崩れなどで交通網が寸断される。陸の孤島となりつつあった東京の危機にトラックの運転手たちが立ち上がるが......。
◆◆◆◆◆◆
東京の生命線ともいえる物流。その崩壊の危機がテンポよく描かれ、非常に読み応えがあります。何より物流をテロの標的にすることで東京を機能不全に陥らせるという着眼点がユニークで、「物流は動脈、ゴミ処理は静脈」という言葉にはハッとさせられます。ハラハラドキドキの展開を交えながら社会的問題を浮かび上がらせていくプロットが秀逸です。また、キャラクターの面では物流を守ろうとするトラック野郎たちのかっこ良さに痺れます。ややご都合主義な点はあるものの、クライマックスの熱い展開も見事な一級のサスペンスミステリーです。
東京ホロウアウト (創元推理文庫)
福田 和代
東京創元社
2021-06-14


犬の張り子をもつ怪物(藍沢今日)
白昼の小学校で多数の生徒や教師が襲撃されるという事件が起きる。死者は35人にも及んだが、逮捕されたのはアリアという名の若い女性だった。彼女が鈴を鳴らすと人間の体が浮き上がり、バラバラに四散したというのだ。だが、警察官の夏木には張り子の巨大な犬が人々を食い殺すさまが見えていた.....。
◆◆◆◆◆◆
2019年『このミステリーがすごい大賞』隠し玉賞受賞作品。冒頭からスプラッタ満載の虐殺シーンが繰り広げられ、インパクトは満点です。むしろ、刺激が強すぎてグロい描写が苦手な人にはちょっとおすすめできないほどです。しかし、このままホラー展開が続くのかと思えば、そこから犯人が逮捕されて法廷ミステリーに移行するという異色の展開をみせます。そして、そのあとは実在を証明できない思念体による殺人をいかに裁くかという問題が物語の中心となるわけです。ホラー要素だけでなく、ミステリーとして興味深い内容が用意されている2段構えの構成です。ただ、不能犯を裁判で裁くという展開には少々強引さを感じないではありません。また、登場人物もアリア以外はキャラが薄いような気がします。とはいうものの、ストーリーのテンポがよく、ホラーとしてもなかなかの怖さなので刺激的な物語が読みたいという人にはおすすめです。


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最新更新日2020/12/06☆☆☆

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このミステリーがすごい!2021年版 海外ベスト20予想
本格ミステリベスト10・2021年海外版予想

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ジャパンタウン(バリー・ランセット)
サンフランシスコのジャパンタウン郊外で一家皆殺しの射殺事件が起きる。手掛かりは現場に残された一文字の漢字。市警の依頼で手掛かりの解読をすることになった探偵のジム・ブローディは、それと同じ文字が妻が亡くなった4年前の火災現場にもあったことに気づく。謎を解くためにジムは日本に飛ぶが....。
◆◆◆◆◆◆
一昔前のハリウッド映画によくあったトンデモ日本設定の一歩手前で踏みとどまったリアリティとハジケ具合の絶妙なバランスが秀逸です。敵が忍者っぽいなど多少のファンタジー要素が入り混じっているものの、日本の文化や社会の描写自体はかなり正確に描かれているのには感心させられます。そのうえ、ハードボイルド仕立ての物語もよくできており、巨大な闇組織に命を狙われる展開は手に汗握ります。さらに、終盤の畳みかけるようなアクションも読み応えありです。スピード感あふれるサスペンスハードボイルドの傑作だといえるでしょう。
ジャパンタウン (ホーム社)
バリー・ランセット
集英社
2020-01-24


チェリー(ニコ・ウォーカー)
平凡な大学生だった俺はイラク戦争に従軍し、複数の勲章を得て英雄として帰還する。だが、戦地で経験した凄惨な体験からPTSDを患い、その苦しみから逃れるためにヘロイン中毒になってしまう。やがて俺は銀行強盗に手を染めるようになり.......。
◆◆◆◆◆◆
連続銀行強盗の罪で逮捕された作者が獄中で書いた自伝的小説で、ユーモラスともいえる飄々とした文章によって人生を転がり落ちていくさまが生々しく描かれているところが読みどころとなっています。PTSDを患っていたとはいえ、主人公のやっていることはクズとしかいいようのないものです。しかし、それをどこか憎めないキャラとして描いている点に独自の味わいがあります。深刻な話なのに決して重くはならず、あくまでもライトなタッチで描き切っており、知らず知らずのうちにその語り口に惹き込まれていきます。新しい可能性を感じさせてくれるクライム文学の傑作です。
チェリー (文春e-book)
ニコ・ウォーカー
文藝春秋
2020-02-20


殺人の品格(イ・ジュソン)
ナム・チュンシクは北朝鮮の高官だったが、高級官僚の父親が策略によって失脚させられ、チュンシクもそれに連座する形で地方に飛ばされる。地位も財産も奪われたチュンシクに残されたのは妻子だけだった。地獄のような日々の中、やがて彼は脱北を決意する。だが、それは新たな地獄の始まりだった。
◆◆◆◆◆◆
脱北者である著者が自らの経験を交えて描いた小説ですが、その描写は目を背けたくなるものばかりです。人肉を食べたり、人糞を濾して食したりといったシーンはとてもまともな精神状態では読めません。韓国で出版拒否されたというのももっともな話だと思えてきます。実際、これ以上ダークな小説もなかなかないのではないでしょうか。しかも、北朝鮮を脱出したからそれで安心というわけではなく、逃げ出した先の中国でも女性は売春組織に売られ、子どもは臓器売買の対象にされるという悲惨な展開が続きます。ここで描かれているのはまさにこの世の地獄です。この本を手にする際には相当な覚悟をもって挑むことをおすすめします。
殺人の品格 (扶桑社BOOKS)
イ・ジュソン
扶桑社
2020-07-22


おれの眼を撃った男は死んだ(シャネル・ベンツ)
南北戦争で両親を亡くして叔父夫婦から虐待されていた少女は兄によって救い出されるが、さらに残酷な外の世界を知ることになる『よくある西部の物語』、売春宿を営む父親と彼の言いなりになっている娘のいびつな関係を描いた『死を悼む人々』など、人間の中の醜と美を描き出した10篇の物語。
◆◆◆◆◆◆
正確にはミステリーではありませんが、死と暴力が充満する世界における人間の醜さと一瞬の美しさを描いたこの作品集はよくできたノワールの如き味わいがあります。たとえば、O・ヘンリー賞を受賞した『よくある西部の物語』などはその代表例ともいえる作品で、憎悪と暴力に満ちた世界をさまざまな角度から描き出し、救いのない物語をバラエティ豊かに描き出している点が秀逸です。また、子ども故の残酷さを浮きぼりにしていく『アデラ』も忘れ難い味わいがあります。19世紀の匿名作品に現代の文学者が注釈をつけていくという体裁なのですが、その手法によって偏見や差別の本質が浮き彫りになっていく仕掛けが見事です。その他の収録作品もみな傑作揃いであり、まさに珠玉の短編集という言葉がぴったりです。
2014年に『よくある西部の物語』でO・ヘンリー賞受賞
おれの眼を撃った男は死んだ (創元推理文庫)
シャネル・ベンツ
東京創元社
2023-05-19


コックファイター(チャールズ・ウィルフォード)
60年代のアメリカ南部。勝負に敗れて闘鶏をすべて失い、一文無しになった闘鶏家のフランクは復活を期し、悲願の最優秀闘鶏家賞のメダルを手にするまでは誰ともしゃべらないという誓いを立てる。そして、まずは闘鶏に必要な資金を得るために金策に走るフランクだったが.......。
◆◆◆◆◆◆
1974年に公開された同名映画の原作です。本作自体はミステリーではありませんが、ノワール作家としてカルト的人気を誇る著者の作品だけあり、一風変わったピカレスクロマンの味わいを堪能できます。特に、家庭を顧みることなく、闘鶏にのめり込んでいく男たちの愚かしくもロマンチシズム溢れる描写が印象的です。また、主人公が金策に走る前半のユーモラスな展開と後半の鬼気迫る闘鶏シーンの対比もユニークですし、闘鶏の技法やお金の賭け方などといった蘊蓄に関する部分も興味深く読むことができます。なにより、いかにもノワール作家らしい言葉遣いやスピード感のある展開が堪りません。偏屈な男の生きざまを描いた小説として秀逸な異色傑作です。ちなみに、1974年の映画は闘鶏というニッチすぎる題材がたたって大コケしましたが、今ではカルト映画として一定の評価を得ています。
コックファイター (海外文庫)
チャールズ・ウィルフォード
扶桑社
2020-04-30





レッド・メタル作戦発動(マーク・グリーニ)
台湾を巡って米中の緊張が高まる中、スキャンダルの発覚によって米軍は混乱状態に陥っていた。その機に乗じてロシアが動き出す。レアメタルの宝庫であるアフリカの鉱山を奪取しようというのだ。作戦の第一段階としてロシアは欧州に侵攻するが、統合参謀本部のコナリー中佐がその狙いを看破し.......。
◆◆◆◆◆◆
世界各地が舞台となり、陸海空のさまざまな兵器が次々と登場する非常にスケールの大きな戦争小説です。それ故に荒唐無稽な感がなきにしもあらずですが、それを取材に基づいた圧倒的な情報量と巧みな展開で説得力のある物語に仕上げています。また、数の多い登場人物も決してステレオタイプにならず、一人一人の描き分けがしっかりできているのは見事です。ただ、舞台が多岐にわたり、兵器などの専門用語も多いのでこの手の小説を読み慣れていない人にとっては読みづらい部分があるかもしれません。また、前巻は説明過多で少々冗長ですが、その分、下巻から始まる怒涛の展開には手に汗握ります。21世紀における大規模戦争をリアリティ豊かに描いた傑作です。
レッド・メタル作戦発動 上 (ハヤカワ文庫NV)
H リプリー ローリングス四世
早川書房
2020-04-16


悪の分身船を撃て!(クライブ・カッスラー)
大西洋を航行中だった貨物船マンティコラが正体不明の敵の攻撃を受けて消息を絶つ。同じころ、ブラジル沿岸沖でも異変が起きていた。原子力潜水艦カンザスシティが沈没したのだ。さらには中南米で潜入工作中のCIA職員の電子ファイルが盗まれる。果たして一連の事件のつながりとは?
◆◆◆◆◆◆
日本では『タイタニックを引き揚げろ』で一躍有名になったクライブ・カッスラが2020年に亡くなりました。本作はそんな彼の代表作の一つであるオレゴンファアイルシリーズの最終作です。冒険小説作家としての腕前は晩年になってもいささかも衰えておらず、全編が手に汗握る展開で彩られています。どのページを開いてもアクションと策略のオンパレードで読み応え満点です。著者の集大成ともいうべき佳品に仕上がっています。
悪の分身船(ドッペルゲンガー)を撃て! (上) (海外文庫)
クライブ・カッスラー
扶桑社
2020-05-31





警視の謀略(ゲボラ・クロンビー)
左遷人事によって慣れないデスクワークに取り組んでいたキンケイド警視の元に、ロンドンのセント・パンクラス駅構内にあるライブ会場で爆破テロ発生の報が届く。ライブで使用する発煙筒が手榴弾にすり替えられていたのだ。捜査線上にはある人物が浮上するが、それは記録上存在しない男であった。
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ダンカン・キンケイドシリーズの第16弾。あいかわらず、家族や仲間の微笑ましいエピソードを交えつつも、後半に入るとサスペンス色が増し、ぐいぐいと引きこまれていきます。最後の引きも思わせぶりで次作への期待を高めてくれます。シリーズが長期化してもきっちりと楽しませてくれる安定のクオリティです。ただし、人間関係や事件は過去作のエピソードがかなり深く絡んでくるため、より楽しむためにはシリーズを順番に読んでいくことをおすすめします。
警視の謀略 (講談社文庫)
デボラ・クロンビー
講談社
2020-06-11





ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器(ポール・アダム)
ヴァイオリン製作学校の講師でもあるジャンニのかつての教え子が殺される。現場からはヴァイオリンに似た楽器であるハルダンゲル・フィルドが消えていた。犯人はなぜ値打ちのない楽器をわざわざ持ち去ったのだろうか?ジャンニはアントニオ刑事と共に事件の謎を追う。
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ヴァイオリン職人シリーズ第3弾。主な舞台となるノルウェーの風景が情感豊かに描かれており、思わず引き込まれていきます。ミステリーとしてはいま一つの感がありますが、そもそもこのシリーズの主眼はそこにはありません。読んでいるうちに北欧への憧憬が高まり、心が癒されていくのが本作における最大の魅力なのです。音楽家にまつわる豊富なエピソードなども興味深く、読んでいるうちにノルウェーに行ってみたいという気持ちが高まってきます。旅情ミステリーとでもいうべき佳品です。
ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器 (創元推理文庫)
ポール・アダム
東京創元社
2019-11-20


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最新更新日2021/06/12☆☆☆

1980年代に入るとビデオデッキが一般家庭に広く普及するようになり、同時に、アニメ業界にも大きな変化が生まれます。それまで子供向けだと思われてきたアニメが『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』などの登場を経て、大人のファンが付くようになったのです。こうした層は既存のアニメには飽き足らず、もっと刺激的な作品を求めるようになります。一方、アニメ制作に携わっていたクリエーターたちも子供向けの作品だけでなく、自分たちが真に作りたいものを手がけたいという欲求が高まってきます。しかし、当時は深夜アニメなどない時代です。大衆向けの番組が求められる夕方やゴールデンタイムのテレビでそのようなマニアックな作品を作るわけにはいきません。映画という手もありますが、劇場用アニメを作るには莫大な製作費が必要となり、無理をして作っても資金回収の目途が立たないというのが現実でした。そこで、目を付けたのがビデオソフトです。当時のビデオソフト作品は1本1万円以上もする代物だったので、誰でも手が出せるものではありませんでした。その代わり、全国で数千人ほどのマニアが買ってくれれば、それでビジネスとして成立するというメリットがあったのです。こうして、高額のビデオ作品を少数のマニアに向けて販売するというビジネスモデルが構築され、その結果、多種多様なアニメ作品が製作されることになります。この流れはその後、長きに渡って続いていくことになりますが、なかでも一番勢いがあったのがOVA勃興期の80年代です。具体的にどのような作品があったのか、OVAの歴史を振り返りながら紹介していきます。
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1983年

ダロス(監督:鳥海永行・押井守)
21世紀末。人口爆発や資源の枯渇などの問題を解決するために、地球連邦政府は月の開拓を推し進めていた。そして、月の裏側に都市「モノポリス」を建設し、豊富な鉱山資源を掘り当てたことで問題は一挙に解決する。しかし、その一方、月の開拓民であるルナリアンたちは統括局・スカラーの厳しい管理政策によって苦しめられていた。そんな彼らの心のよりどころが、モノポリスの近くにそびえ立つダロスだった。それは人面の形をした巨大な人工建築物だったが、一体誰が何のために建設したのかは謎に包まれている。やがて月日が過ぎ、月で生まれ育った第3世代が成長すると、彼らの間で反連邦政府の機運が高まっていく。そんななか、第3世代の少年・シュンと彼の幼馴染のレイチェルはいつしかゲリラのリーダーが主導する独立運動のただなかに巻き込まれていくが......。
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記念すべき世界初のOVA(オリジナルビデオアニメーション)作品です。とはいうものの、もともとはテレビアニメ用として準備されていた企画であり、それが実らなかったためにOVAに転用されたという経緯があります。その内容はシリアスなドラマや政治的な要素を取り入れたSFアニメであり、そういう意味では当時人気の高かった『機動戦士ガンダム』や『太陽の牙ダグラム』などに近いものがあるかもしれません。しかし、テレビとは異なり、スポンサーのために販促用ロボットなどを出す必要がないため、より本格的なSF群像劇に仕上がっているのが最大の特徴だといえます。SFならではの小道具も凝っており、特にテロリスト鎮圧のためにサイボーグ犬の大群が殺到するシーンはかなりの迫力です。ただ、本作はなぜか監督2人制を採用しています。一人はガッチャマンなどで知られる鳥海永行で、もう一人は彼の弟子で当時新進気鋭の演出家として注目されていた押井守です。そのため、話によって作風が全く異なるものになっているという弊害を生んでいます。しかも、当初、テレビアニメで全50話の作品として構想されていたものを強引に4話にまとめているため、全体的に説明不足及び描写不足が目立っている点は否めないところです。結果として、物語としての深みが感じられず、ステレオタイプな筋立てになってしまっています。光る部分もあるだけにいろいろ惜しいと思わせる作品です。
ダロス [DVD]
鵜飼るみ子
バンダイビジュアル
2004-02-25





1984年

街角のメルヘン(総監督:西久保瑞穂)

浩は新宿駅西口の地下道で美しい娘とぶつかる。急いでいた彼はそのまま立ち去るものの、落としていったノートを彼女が届けてくれたことがきっかけとなって交流を深めていく。ちなみに、ノートに描かれていたのは彼のイメージした街角の絵だった。浩はその絵のイメージを元にして絵本を作るのが夢だという。一方、娘の名前は裕子といい、何者かに追われていた。やがて2人は浩が作ろうとしている絵本・「街角のメルヘン」の導きによって不思議な世界へと誘われていくが........。
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『ダロス』に続いて製作されたOVAですが、ストーリーよりもイマジネーションを優先した作りになっています。起承転結といった物語性には乏しく、現実離れしたファンタジックなイメージを挿入歌とともに流し、まるでミュージッククリップのように紡いでいるのです。したがって、この作品を楽しめるかどうかは絵と音楽の世界に没頭できるかにかかっているといっても過言ではありません。しかし、次々と繰り出される挿入歌がなんとも癖が強く、かなり人を選ぶ作品となっています。それ故に、OVA黎明期に発売された3本の作品のうち、唯一ビジネス的に失敗しています。『ダロス』『BIRTH』とは異なり、DVD化もされていません。
街角のメルヘン [VHS]
ポニーキャニオン
1983-01-01

BIRTH(監督:貞光伸也/アニメーションディレクター:金田伊行
かつて繁栄していた惑星アクアロイドも今ではイノガニックと呼ばれる無機物知性体に支配され、生き残った人類も星の片隅でひっそりと暮らしているというありさまだった。アクアロイドに住む少年シュルギ・ナムはあるとき、天から落ちてきた不思議な剣を手に入れる。しかし、そのことで彼はイノガニックから追われる身となり、幼馴染であるユピテル・ラサを巻き込み、てんやわんやの追いかけっこが繰り広げられていく。実は、ナムが拾った剣はイノガニックを滅ぼすことのできる唯一の武器、聖剣(シェード)だったのだ。
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OVA黎明期のなかでも最初期の作品といえるのが『ダロス』と『街角のメルヘン』、それに本作を含めた3本です。いずれもテレビアニメではなかなか実現できない企画(ちなみに本作も『ダロス』と同じく元々はテレビシリーズとして企画されたものですが)に挑戦したという共通点はあるものの、『ダロス』は群像劇、『街角のメルヘン』は純文学アニメと銘打ってアニメならではの幻想的な世界を表現しているのに対し、本作は躍動感あふれる動きにこだわり抜いている点が大きな特徴となっています。逆に、ストーリーはあってなきがごとしで、画面上ではひたすらアクションが繰り広げられていきます。しかも、原作者でアニメーションディレクターを務めた金田伊行の個性が全面に押し出されており、金田パースと呼ばれるダイナミックな動きが印象的です。しかし、現代の感覚からすると、そのダイナミックさ故にキャラデザが崩れまくる結果となり、ヒロインを始めとするキャラの顔やプロモーションが安定しないのは大いに不満が残るところです。それに、いくら脚本よりアクション優先の作品といっても、ラストがまるで打ち切り漫画のような投げやり展開になっているのはいただけません。それでも当時としては画期的な作品であったことは確かで、1万8千本のセールスを記録し、ビジネス的にはまずまずの成功を収めています。
バース [DVD]
冨永みーな
ビクターエンタテインメント
2000-12-16




魔法の天使クリィミーマミ 永遠のワンスモア(チーフディレクター:小林治)
小学生の森沢優は魔法の力でクリーミー・マミに変身し、アイドルとして活動していたが、ファイナルステージを最後に引退し、小学生としての日常を過ごすようになっていた。しかし、そんなある日、マミのカムバック騒動が巻き起こる。身に覚えのない優と彼女の幼馴染でマミの正体を知る俊夫はありえないことだと一笑に付すが、実はかつてマミが所属していたパルテノンプロの若社長・立花真悟がマミ復活の極秘プロジェクトを進めていたのだ。果たしてその内容とは?
◆◆◆◆◆◆
『魔法の天使クリィミーマミ』は1983年7月~1984年6月まで放送されていたテレビアニメです。前年放送の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』と共に第2期魔法少女ブームを巻き起こした立役者でもあります。もともとは半年の放送予定だったものが好評を得て1年に延長され、それでも人気は冷めやらずに続編OVAシリーズが製作される運びになったのです。ちなみに、その第1弾にあたる本作は世界初のテレビアニメ続編OVAです。当初はオリジナル性の高い作品を制作するために誕生したOVAですが、わずか1年でその意図とは異なる活用方法が編み出されたことになります。しかも、発売するやいなや予想外のヒットを記録し、テレビアニメの続きはOVAでという現在でもよく用いられている手法を確立することになります。そういう意味でも画期的な作品です。ちなみに、本作の内容は総集編40分+続編40分の2部構成になっています。とはいえ、前半も単なる総集編ではなく、台詞をすべて録り直し、BGMも一部差し替えるなどかなり凝った作りになっている点が目を引きます。後半の新作もマミを安易に登場させるのではなく、復活を食い止めるストーリーになっているのがユニークです。そのうえ、テレビシリーズのテーマを巧みに継承しており、肝心のクリーミーマミが登場しなくても違和感なく観ることができます。世界初の試みながら、理想的な続編OVAの形を提示した傑作です。
魔法の天使 クリィミーマミ Blu-ray メモリアルボックス
島津冴子
バンダイビジュアル
2014-05-28



1985年

幻夢戦記レダ(監督:湯山邦彦)
女子高生の朝霧陽子はサッカー部の少年に憧れていたものの、その想いを告げる勇気を持てずにいた。そこで、自分の気持ちを音楽にしたピアノ曲を完成させ、それをヘッドフォンステレオで聴きながら彼に声を掛けようとする。だが、結局それも果たせず、陽子はひとり肩を落とすのだった。そのとき、突如異世界の扉が開き、彼女はアシャンティと呼ばれる世界に飛ばされてしまう。気が付くと陽子は奇妙な生物が徘徊する見知らぬ森にいた。次元の壁を超えて地球侵攻をたくらむ総統ゼルによって召喚されたのだ。ゼルの狙いは陽子の持つレダのハートだという。やがて、ゼルの兵士たちに襲われた陽子はかつてその地を支配していた女神レダの力を継承し、レダの戦士として覚醒するが......。
◆◆◆◆◆◆
当時の日本アニメとしては珍しいヒロイック・ファンタジーの世界を描いた作品であると同時に、美少女キャラや巨大メカが全面に押し出されているのがいかにも80年代風です。特に、覚醒後のヒロインの衣裳がビキニアーマーである点が目を引きます。ビキニアーマーは40年代のアメコミがその起源だとされていますが、この作品以降日本のアニメファンの間でも一気に注目度が高まることになります。一方、ストーリー的にはヒロインが異世界の闘いに巻き込まれて場当たり的に戦うだけなのでいまひとつ盛り上がりに欠けるのが難です。少なくとも、現代の目から見ると物語はありきたりで特筆すべき点は皆無だといえるでしょう。それでも、豪華声優の演技力や当時人気絶頂だったいのまたむつみによるキャラデザ、美麗かつ繊細な作画などといった要素が揃っており、かなり良質なアニメーション作品であったことは確かです。そうしたこともあり、本作は当時としては破格の大ヒットを記録することになります。
幻夢戦記レダ [DVD]
富山敬
パイオニアLDC
2001-09-07



メガゾーン23(監督:石黒昇)
豊かな時代を謳歌している1980年代の東京。いまどきの若者である矢作省吾はバイクを運転中に偶然出会ったダンサーの卵・高中唯に夢中になり、アプローチをかける。そんなとき、友人の中川真二に電話で呼び出される。彼は夢叶重工の試作ライダーなのだが、軍の機密情報である謎の大型バイク・ガーランドを盗み出したというのだ。その後、真二は軍によって射殺されるものの、省吾は真二から託されたガーランドとともに逃亡し、唯の家にかくまってもらう。軍に追われる省吾は人気絶頂のアイドル・時祭イヴが司会を務めるテレビ番組にテレビ電話を通して出演し、ガーランドの秘密を暴露しようとする。だが、テレビ局は軍の監視下にあり、放送は強制的に中断され、軍の特捜隊がガーランドの確保に向かうのだった。追い詰められた省吾だったが、そのとき、ガーランドが人型ロボットに変形し......。
◆◆◆◆◆◆
元々はテレビアニメ『機甲創生記モスピーダ』の後番組として企画されていた作品であり、製作発表当時は石黒昇・美樹本晴彦・平野俊弘、板野一郎といった『超時空要塞マクロス』のメインスタッフが再結集したことでも話題となりました。本作の内容を簡単にいえば、美少女+変形ロボット+歌であり、マクロスの人気要素をそのまま踏襲したものでした。そのうえ、女性キャラの可愛さや音楽のクオリティ、戦闘シーンの迫力なども申し分ありません。それに加えて、テレビアニメでは絶対に放映できないような濃厚なベッドシーンが挿入されているというおまけつきです。要するに、この作品には当時のアニメファンが求めていたものが集約されており、結果として、本作は累計2万7000本という当時のOVA売り上げ記録を達成します。その成功により、OVAビジネスは大きく可能性を広げていくことになります。『幻夢戦記レダ』と並んでOVA市場を開拓した初期の立役者だといえるでしょう。ただ、現代からみると、主人公を始めとしたいかにも80年代といった軽薄な若者像には共感しずらいものがあるかもしれません。また、主人公が大人の体現者であるB.D.に反抗を続けるだけで、彼自身が何をしたいのかがさっぱりわからないのも難点です。おそらくその辺りはラストの挫折と成長のシーンへとつなげるための布石なのでしょうが、そこに至るまでのプロセスに共感を得られないのは厳しいものがあります。とはいえ、当時としては最高級のクオリティを誇る作品であることは確かなので、興味があるのであれば観て損はない作品だといえるでしょう。
メガゾーン23 Blu-ray
宮里久美
ビデオメーカー
2017-04-07




ドリームハンター麗夢(原作・総監督:奥田誠治)
死神博士こと死夢羅は自分の欲望を満たすために若い女性に対する猟奇殺人を繰り返していたが、最後には榊警部率いる警官隊に取り囲まれ、射殺される。だが、それから5年が過ぎた頃、若い女性たちが睡眠中に惨殺されるという奇怪な事件が立て続けに起こるようになる。しかも、いずれの場合も部屋は内部から施錠され、押し入った形跡もないのだ。運良く生き延びた何人かの女性の話によると、彼女たちは口を揃えて夢の中でマント姿の怪人物に襲われたという。そして、その魔の手は榊警部の娘である榊ゆかりにも及び、夢の中の怪人物は彼女をすぐには殺さず、復讐のためになぶり殺しにすると宣言する。その正体は死んだと思われていた死夢羅だった。死夢羅は夢守の民の末裔で、その能力を使って死の間際に夢の中へ逃げ込んだのだ。榊警部は娘を救うために死夢羅と同じ夢守の民の末裔で、ドリームハンターを名乗る探偵・綾小路麗夢に事件の解決を依頼する。麗夢はゆかりの夢の中に入り込み、死夢羅と対峙するが.......。
◆◆◆◆◆◆
世界初のOVAである『ダロス』が発売されたのは1983年の12月ですが、そのわずか3カ月後の1984年2月には世界初の18禁OVAであるアダルトビデオアニメが登場します。その後このジャンルの発展ぶりには目を見張るものがあり、同年の8月には大ヒットシリーズ『くりいむレモン』の第1弾『媚・妹・Baby』が発売されたのをきっかけとして一気にブレイクし、一般向けを上回る勢いで作品の数を増やしていきました。そして、それらの作品群のなかでも特に異彩を放っていたのが本作です。この作品は1985年6月に18禁アニメとして発売されたものの、アダルト描写以外の部分で思わぬ高評価を受けたことからアダルトシーンを一般向けのものに差し替え、さらに第2話の『ドリームハンター麗夢スペシャルバージョン 惨夢 、甦る死神』も追加して同年12月に一般向けOVAとして再発売されることになったのです。その後もシリーズは一般向けとして第3弾まで作られました。さらに、制作元が倒産したあともコンテンツは別会社に引き継がれてコミカライズやCDなどのメディアミックス展開が行われることになります。ここまで高い人気を得たのは、当時としては過激なグロシーン、ビキニアーマーなどのアニメならではのお色気、良質なアクションシーンなどといった具合にB級エンタメの面白さに満ちていたからです。現代のオタク向けアニメのひな型の一つともいえる作品です。
ドリームハンター麗夢 DVD-BOX 1
銀河万丈
オンリー・ハーツ
2006-11-22



戦え!!イクサー1(監督:平野俊弘)
巨大隕石型の艦船で宇宙を放浪しながら惑星への侵略を繰り返すクトゥルフの民。次なる目標を地球に定めた彼女らはその尖兵として寄生モンスターを送り込む。だが、怪物たちはイクサー1と呼ばれる少女によって次々と倒されていく。イクサー1はクトゥルフのボディガードとして作られた人造人間だったが、良心回路を埋め込まれたことにより、いつしかクトゥルフの侵略から星々を守るために戦うようになっていたのだ。しかし、今のままではクトゥルフの本隊に勝つことはできない。イクサー1は闘いを繰り広げながら、シンクロして自分の真の力を引き出してくれる地球の少女を探していた。そうして見つけたのが17歳の少女・加納渚だった。一方、その事実を突き止めたクトゥルフは彼女を暗殺すべく、モンスターを渚の元へと向かわせる。結果、渚はイクサー1によって救いだされるも、彼女の両親が殺されてしまう。時を同じくして、イクサー1抹殺に燃えるクトゥルフの戦士・コバルトが巨大ロボット・デイロスΘと共に地球に降り立つ。イクサー1は渚に対して共に戦ってほしいと告げるが、両親を目の前で殺されたことにショックを受けた渚はイクサー1を拒絶し......。
◆◆◆◆◆◆
『超時空要塞マクロス』で美少女キャラクターの作画が評判となった平野俊弘の監督デビュー作です。原作は成人向け漫画雑誌・レモンピープルに連載されていた阿乱霊の作品ですが、猫型獣人だったイクサー1を人型にアレンジするなど、設定は大きく変わっています。一方で、レズビアン・触手責め・ロボットのコクピットに全裸で搭乗といった具合に原作が18禁だった名残りが色濃く残っており、平野俊弘のキャラクターデザインも相まってセクシーさを全面に押し出した仕上がりとなっています。また、人体破壊のグロ描写もかなりのもので、一種の見世物的アニメとしては80年代を代表する作品だといえるのではないでしょうか。一方で、本作は特撮ヒーロー&スーパーロボットもののオマージュ的作品でもあるのですが、その割にバトルシーンのクオリティは決して高いとはいえません。全体的に闘いがあっさりとしすぎており、しかもブツ切り感が半端ないのです。さらに、シリアスな話なのに時折他のパロディ要素が挿入されるなどといった、いかにも80年代的な遊び心も今観ると違和感が強すぎます。良くも悪くもOVA黎明期を象徴する作品だといえるでしょう。なお、本作は1986年に『イクサーΣの挑戦』、1987年に『完結編』が発売されたのち、1990年には続編の『冒険!イクサー3』へと続いていきます。
戦え!! イクサー1 Blu-ray BOX(初回限定版)
塩沢兼人
キングレコード
2016-04-27



軽井沢シンドローム(総監督:西久保瑞穂)
幼い頃に両親を亡くして松沼家で育てられた相沢耕平と彼の幼馴染である松沼純生はアメリカに渡ることを夢見て高校卒業と同時に家出をする。その後、耕平はカメラマンに、純生はイラストレーターになるもなかなか芽が出ず、金が底を尽いた2人は純生の姉である松沼薫が住む軽井沢の別荘に転がり込む。やがて、耕平は昔から彼に想いを寄せていた薫と結ばれることになるのだった。しかし、偶然知り合った暴走族「蟻(アント)」のリーダー・久遠寺紀子の窮地を救ったことがきっかけで、彼女とも肉体関係を持つことになり......。
◆◆◆◆◆◆
関東最大の暴走族「DEEP」の初代総長にして稀代の女たらし・相沢耕平と彼を取り巻く人々を描いた青春群像劇です。原作の特徴であるシリアスなシーンは8頭身で、コミカルなシーンは2頭身で描くという独特の手法が踏襲されており、さらに本作ではセクシーなシーンを実写で撮影という挑戦的なスタイルを採用しています。もっとも、実写バージョンはアニメファンの不評を買い、翌年にはすべてのシーンをアニメで再構成した『軽井沢シンドローム アニメバージョン』を発売しています。そして、実写バージョンはなかったことにされてしまったのです。しかし、実写バージョンもいかにもOVA黎明期らしいユニークな試みで、今となっては一つの表現方法として興味深いものがあります。また、肝心の本編の方も主役コンビ2人の声を当てた塩沢兼人と三ツ矢雄二の軽妙な演技が光り、原作の良さを活かした作品に仕上がっています。
軽井沢シンドローム アニメバージョン [DVD]
戸田恵子
ファイブエース
2002-06-19
軽井沢シンドロームアニメ+実写 [VHS]
ポニーキャニオン
1985-07-05


天使のたまご(監督:押井守)
ノアの方舟が陸地を見つけられなかったパラレルワールド。機械仕掛けの太陽が海に沈むと世界に夜が訪れる。廃墟の中で独りで暮らしている少女は日没と共に目を覚まし、巨大な卵を服の下に収めて夜の街に向かう。その途中で少女は不気味な形状をした巨大な戦車の一群に遭遇し、そのうちの一台から銃を抱えた青年が降り立った。青年は少女に問う。「そのたまごの中には何が入っているの」と。彼の言葉に、思わず逃げ出してしまう少女だったが.......。
◆◆◆◆◆◆
世界初のOVA『ダロス』を手掛けた際に監督の押井守は「OVAは少数のファンを獲得すればビジネスとして成り立つので、クリエーターが真に表現したいものが作れるはずだ」といった趣旨の言葉を残しています。その言葉を実践するかのように、押井守が創り上げた極めてオリジナリティの高い作品です。起伏に富んだストーリーなどといったものは皆無で、代わりに、廃墟と化した夜の世界が緻密な作画によって描かれています。つまり、本作はストーリーではなく、奇怪な戦車・石畳の路地・影だけで本体のない巨大魚・虚空を映す窓といった一連の描写から何かを感じ取ってもらおうという、表現に特化したアニメーション作品なのです。確かに、そこで描かれている戦車のパレードや巨大魚狩りのシーンなどには従来のアニメにはなかった独自の魅力があります。ただ、それはあくまでもワンシーンを切り取って見ればの話で、70分の作品として続けて見ると、あまりにも起伏がなさすぎるので眠気を催さずにはいられません。結局、本作は“採算に見合うだけの少数のファン”の獲得にも失敗し、大赤字を記録することになります。とはいえ、光と闇の魅せ方や少女の細やかな髪の動き、さらには水面の揺らぎなどといった具合に、アニメーションとしてはクオリティが高く、そういう意味では見どころ満載です。エンタメからは遠く離れた作品ですが、アートアニメとしては一見の価値ありです。
天使のたまご Blu-ray
兵藤まこ
ポニーキャニオン
2013-08-21


魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞(監督:湯山邦彦)
福引で1等賞の南極旅行を引き当てたパパとママを送り出したモモは一人留守番をしながら慣れない家事に悪戦苦闘していた。そんなとき、パパとママの乗った飛行機が太平洋上の”南の真ん中島”近海で消息を絶ったというニュースが飛び込んでくる。空飛ぶキャンピングカー・グルメポッポで救出に向かうモモだったが、島に近付くとグルメポッポは飛行能力を失って墜落してしまう。海中を潜航していた潜水艦にしがみついてなんとか島にたどり着くモモ。しかし、その潜水艦は島に忍び込もうとしていたギャングのものだった。実はこの島で莫大な未知のエネルギーが発見され、それを狙う世界各国のスパイやギャングが潜入を試みようとしていたのだ。だが、そのほとんどは空飛ぶドラゴンに襲われ、消息を絶ってしまう。やがて明らかになったのはこの島の山頂には空に浮かぶ空中都市があり、大人になりたくない子どもや子どもに戻りたい大人が世界中から集められているという事実だった。莫大なエネルギーは彼らが子どもで居続けるために使われていたのだ。モモは子どもの国に主であるペーターと出会って親交を深めるも、「大人になると子どもの頃の純粋な心を失ってしまうからずっと子どものままでいるべきだ」という彼の考えには賛同できないでいた。一方、謎のエネルギーには不老不死の力があることを知った各国首脳は、それを我がものにしようと軍隊を派遣する。子どもの国がミサイル攻撃に晒されるなか、モモはペーターに助太刀することを決意するが........。
◆◆◆◆◆◆
本作は1982年から1983年にかけて全63話が放映され、第2期魔法少女ブームの火付け役となった『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の番外編的作品です。ピーターパンの物語をモチーフに用いながらテレビ版に登場したキャラが総出演するというシリーズの集大成的な作品に仕上がっています。とはいっても、単なるファン向けの作品には終わっておらず、ミンキーモモらしいコミカルな場面を散りばめながらも大人になることの意味を問う、非常に見応えのあるドラマに仕上げているのが見事です。ちなみに、テーマ的には16年後に上映されることになる名作『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を彷彿させます。しかし、あの作品とは異なり、2つの考えがぶつかり合いながらも、最終的にはどちらの考え方も否定することなく終わっている点が本作の独自性だといえるでしょう。また、モモとペーターのほのかな恋や終盤におけるこどもの国VS軍隊のバトルも長編OVAならではの見どころとなっています。非常に完成度が高く、テレビアニメの番外編としては『魔法の天使クリィミーマミ 永遠のワンスモア』に並ぶ傑作です。
魔法のプリンセス ミンキーモモ Blu-ray Disc BOX 3 <最終巻>
塚田恵美子
バンダイビジュアル
2009-05-26



装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッド・ショルダー(監督:高橋良輔)
百年戦争の終結直前。ウドの街を脱出したキリコは、かつての戦友であるグレゴルーの誘いに応じ、バカラ・シティへとやってきた。グレゴルーは他の仲間たちと共にレッド・ショルダーの創設者であるヨラン・ペールゼンへの復讐をもくろんでいたのだ。キリコはペールゼンとつながっている秘密結社にフィアナがいるかもしれないという期待を胸に彼らと行動を共にする。一方、デライダ高地の地下にある秘密結社のアジトではパーフェクトソルジャー第2号のイプシロンが誕生しようとしていた.....。
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テレビアニメとしてカルト的な人気を誇っていた『装甲騎兵ボトムズ』は放送終了後に多数のOVAが製作されていますが、本作はその第1弾です。時系列的にはテレビ版の13話と14話の間に位置するエピソードであり、ウド編からクメン編に至るまでの空白の3カ月間に何が起きていたかを描いています。ただ、本作においてキリコは傍観者に近い立場であり、彼の八面六臂の活躍を期待すると肩透かしを喰らうでしょう。その代わり、TV版よりクオリティの高い戦闘シーンがたっぷりと楽しむことができます。OVAで初めて登場したキャラクターたちも魅力的ですし、テレビシリーズでは少々描写不足に思われたエピソードの掘り下げにも成功しています。本作だけを観て楽しめるかは微妙なところですが、テレビシリーズのファンにとっては傑作といっても差支えない出来です。その後に発売された作品もみな良作揃いであり、このOVA版ボトムズの成功が、テレビアニメの補完はOVAでという流れを作っていくことになります。
第3回日本アニメ大賞オリジナルビデオ作品最優秀作品賞受賞
装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッドショルダー [DVD]
富田耕生
バンダイビジュアル
2007-02-23


1986年

メガゾーン23 PART II 秘密く・だ・さ・い(監督:板野一郎)
B.D.との対決に敗れてから数年。村下智美殺害の容疑で指名手配された矢作省吾は友人のライトニングを頼り、暴走族・TRASHに身を寄せていた。一方、B.D.率いる軍によって掌握された巨大宇宙船都市メガゾーン23は、偽りの東京を装ったまま戦時体制へと移行する。また、巨大コンピューター・バハムードのプログラムである人気アイドル・時祭イヴも戦意高揚の広告塔として利用されていた。だが、バハムードは完全には軍の手に落ちておらず、かつてのイヴの人格を通して省吾との接触を図ろうとしていた。その頃、もう一つの巨大宇宙船都市であるデザルグがメガゾーン23に対して本格的な侵攻を開始する。迎撃に向かう軍もデザルグの圧倒的な戦力の前になすすべがない。そんななか、省吾は真実を知るためにバハムードの隠れセッションでイヴと会うが......。
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大ヒットOVA『メガゾーン23』の続編です。しかし、キャラクターデザイン兼作画監督が平野俊弘から梅津康臣にチェンジしており、絵のタッチがまるで別作品のようになっているのには驚かされます(時祭イヴのキャラデザだけは前作と同じく美樹本晴彦のままですが)。おまけに主人公を演じる声優まで変わっているので続けて鑑賞するとかなりの違和感を覚えるのは避けられないところです。一方で、敵役のB.D.はキャラデザが変更されたことで渋みが増し、前作以上にかっこ良さが際立っています。ストーリーも前作をしっかり踏襲し、スケールの大きなSF作品に仕上げている点は好感が持てます。それだけに、前作で成長の兆しを見せた主人公が(軽薄な雰囲気は抜けたとはいえ)相変わらず場当たり的な言動に終始しており、いまひとつ魅力に欠けるのがなんとも残念です。それでも、全体としての完成度は高く、なかなかの良作に仕上がっています。ちなみに、本作は劇場公開が決まった関係で主人公とヒロインのベッドシーンが大幅にカットされていましたが、DVD化された際にそのシーンも復活しています。
メガゾーン23 PARTII Blu-ray
宮里久美
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2017-04-07


カリフォルニア・クライシス 追撃の銃火(監督:西久保瑞穂)
サンディエゴで暮らす青年・ノエラは仕事でロサンジェルスに向かう途中、トレーラーと軍用車の銃撃戦に遭遇する。面倒事に巻き込まれるのはごめんだと、その場に居合わせたマーシャという名の少女を拾って逃げ出すが、マーシャはトレーラーから謎の球体を持ち出していた。しかも、その球体が墜落したUFOから回収された重要機密だったために2人は軍に追われる羽目になってしまう。焦るノエラを尻目にマーシャは「UFOを発見してビッグになるのだと意気込んでいたが......。
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従来のアニメーションとは異なり、色指定に用いるトレスを実線で表現することによって陰影の深い絵作りを試みた実験色の強い作品です。その表現方法はアメリカ西海岸のポップな雰囲気にマッチしており、作品のムードを盛り上げることに成功しています。また、アニメで表現されたハリウッド映画的なカーチェイスもなかなか見応えがあります。ストーリー的にはやや消化不良の感もありますが、45分程度の作品ではそれもいたしかたないところでしょう。今となっては知っている人も少ないマイナー作品ではあるものの、アニメの新しい可能性に挑戦しようとする姿勢には好感が持てる佳品です。


装鬼兵M.D.ガイスト(監督:池田はやと/原案:大畑晃一/演出:根岸弘)
惑星ジュラは長らく地球政府によって統治されてきたが、新世代人類のネグスロームはそれを快く思わず反旗を翻す。ジュラ正規軍は彼らの反乱を封じ込めようとするも、相手は一歩も引かず、やがて闘いは泥沼の様相を呈してくる。そんななか、ある人工衛星が故障により地表へと墜落した。なかにいたのはガイストという名の男だった。彼は元正規軍特殊部隊所属の兵士だったが、常人を遥かに超えた戦闘力と凶暴な性格故に危険視されて人工衛星の中に幽閉されていたのだ。彼が野に放たれたことにより、事態は風雲急を告げ......。
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主人公を悪の立ち位置に据えたピカレスクロマン風の挑戦的な作品です。しかも、目的のためには手段を選ばない悪人ながらも無関係な人間には手を出さず、その他大勢の悪役たちを豪快に殺していくので正統派ヒーローものとはまた違った爽快感を味わえる作品に仕上がっています。とにかく、殺戮マシーンとして描かれる主人公の存在感が圧倒的です。ただ、その分、主人公以外のキャラにいまひとつ個性や魅力といったものが感じられない点に物足りなさを覚えます。また、メカデザインは概ねカッコ良いのですが、そのなかで主人公の鎧姿だけが浮いているような気がしないでもありません。以上のように、細かな不満はいくつかあるものの、全体としては忘れ難い印象を残してくれるアンチヒーローものの佳品だといえるでしょう。


ガルフォース ETERNAL STORY(監督:秋山勝仁)
液状生命体のパラノイドと女性型単一生殖生命体のソルノイドは広大な宇宙を舞台に果てのない抗争を繰り広げていた。そして、第9星系においてもその戦いは激しさを増していく。そんななか、ソルノイド軍の巡恒艦スターリーフが被弾し、生き残った副艦長エルザ以下7名は艦隊司令部の命令により、惑星カオスへと向かう。だが、艦内にはパラノイドが送り込んだ怪物が忍び込んでいた。エルザはその怪物に襲われ、「私は絶対に拒絶する」という謎の言葉を残したのちに絶命する。一方、同じように怪物に襲われたパティも体調に異常をきたしていた。サブコマンダーのラビィはパティの体内に異物を発見し、摘出手術を行う。ところが、摘出された異物はみるみるうちに成長し、赤ん坊から少年へと育っていくのだった。その姿を見てとまどうラビィたち。単一生殖のソルノイドにとってその少年は初めて目にする男性だったのだ。やがて、彼女たちは両軍の上層部が極秘裏に進めてきた驚くべき計画を知ることになり........。
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メカと美少女という当時のマニア向けアニメの王道をさらに推し進めた作品で、主人公サイドを単一生殖という設定にすることで登場人物は謎の少年を除いてすべて美少女になっています。しかも、園田健一がキャラデザを担当した女性キャラたちは皆可愛くて魅力的です。ただ、それだけに、彼女たちが容赦なく殺されていく展開は衝撃的なものがあります。本作はSFやスペースオペラとして特筆すべき点があるわけではありませんが、キャラの可愛らしさと残酷な運命のギャップによって忘れ難い印象を残す作品となっているのです。また、小比類巻かほるが歌う主題歌『両手いっぱいのジョニー』も効果的に使われており、悲劇的な物語のクライマックスを盛り上げてくれます。尺が短いために掘り下げ不足の部分はありますが、異色のスペースオペラとして評価できる作品です。なお、本作は商業的には必ずしも成功とはいえなかったものの、熱狂的なファンに支えられ、『レアガルフォース』『ガルフォース 地球章』など、4部構成全14話という長期シリーズになっていきます。
ガルフォース エターナル・ストーリー [DVD]
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ガルフォース 地球章 [DVD]
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2003-11-27




蒼き流星SPTレイズナー ACTⅢ 刻印2000(
監督:高橋良輔)
異星人グラドス襲撃から3年後の1999年。地球はグラドスの占領下に置かれていた。一方、地球人とグラドス人の混血であるエイジをはじめとした一部の人間は地下に潜って抵抗を続けていたものの、到底勝ち目のない闘いだった。だが、意見の相違から地球占領軍司令のル・カインが父親である地球侵攻艦隊司令のグレスコを射殺したことでグラドスの支配体制にも綻びが見え始める。時を同じくして、エイジの姉であるジュリアはこの不毛な闘いを終わらせるべく、グラドス人の先祖がセーフティ装置として地球に遺した刻印を発動させる決意をするが...,
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『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』『機甲界ガリオン』などを手掛け、80年代を代表するロボットアニメの作り手として知られる高橋良輔監督。彼は1986年に新たなロボットアニメとして『蒼き流星SPTレイズナー』の監督を務めることになります。放送開始後の評判は上々で当初の2クール放送予定から4クールへの延長も決まります。そして、その後の視聴率も決して悪くはありませんでした(評判の方は2クール目になってから今一つのようでしたが)。ところが、プラモデルの売上不振などを理由に、スポンサーが降板し、38話での打ち切りが急遽決まってしまったのです。そのため、最終回は尺が足りず、辻褄の合わないズタズタな出来になってしまいます。そこで、『装甲騎兵ボトムズ』においてOVAでテレビシリーズの補完を行ったように、今度は不完全な形で放送せざるを得なかったテレビシリーズの修復をOVAで試みることになります。まず、37話と38話の間に本来入るべき話を新たに加え、そのうえで最終回のラストシーンを追加したのです。これにより、グラドス体制の崩壊からル・カインとエイジの最終決戦までの流れがテレビ版と比べて随分とわかりやすくなっています。また、父グレコスと息子ル・カインとの愛憎入り乱れた確執も勧善懲悪では割り切れない人間ドラマとして見応えがあります。なにより、追加されたラストがベタながらも感動的なので、このシーンだけでもOVAを観る価値はあるのではないでしょうか。ただ、1話増やしたといっても本来50話の話を実質39話でまとめなければならなかったために、そのあおりを受けて話が駆け足になり、ご都合主義的展開が目立ってしまった感は否めません。それでも、物語の体を成す形で完結したことは作品にとって幸せであり、そういう意味でもOVAの果たした役割は決して小さくないといえます。なお、本作はOVAシリーズの第3弾という位置付けですが、1巻は第1部にあたる1~24話の、2巻は26~37話の総集編となっています(25話はもともと総集編)。
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1987年

LILY-C.A.T.(監督:鳥海永行)
巨大企業シンカムは宇宙船サルデス号を惑星探査に向かわせる。乗員であるクルー6名と社員7名は到着までの20年間をコールドスリープで眠り続けるが、目覚めてみると宇宙船内に密航者2名が紛れ込んでいるとの情報が送られていた。密航者探しが始まるなか、船内では突如未知のバクテリアが増殖し、次々と乗組員たちに襲いかかる。果たして密航者は誰なのか?そして、バクテリアの正体は?
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アニメっぽさを極力排した、どちらかというとハリウッドのSF映画のような作品です。時間は70分程度とこの手の実写映画に比べるとかなり短めですが、その辺りはアニメ特有のテンポの良さでそつなくまとめられています。短い時間で少なくない登場人物の個性もきちんと描き分けており、謎めいた展開で視聴者の興味を引き付けていく構成もなかなかに見事です。また、殺人バクテリアの不気味さもよく表現できているように思います。ただ、尺の関係でキャラを十分掘り下げる前に殺さなくてはならない登場人物が何人かいた点は惜しまれます。それから、本業の声優ではないキャストが混じっていたため、その演技だけが浮いていた点も賛否が分かれるところです。とはいえ、全体的な完成度は決して低くはなく、昨今のいかにもアニメ的なアニメに食傷気味だという人には特におすすめです。









妖獣都市(監督:川尻善昭)
  
人間界と魔界は無用な争いを避けるため、平和条約を締結し、不干渉の名のもとに長きに渡って平和を維持し続けていた。その条約の期限切れが迫るなか、新たな平和条約の調印のために魔界の大物ジュゼッペ・マイヤートが来日する。だが、2つの世界のかりそめの平和をよしとしない魔界側のテロリストが調印を阻止すべく、マイヤートの命を狙う。それに対し、マイヤートには2人の護衛が付けられる。人間界の闇ガード滝蓮三郎と魔界の闇ガード麻紀絵だ。彼らは異形の技を使う恐るべき刺客たちと死闘を繰り広げるが.......。
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販促目的で劇場公開されたためにアニメ映画として扱われることも多い本作ですが、基本的にはOVAとして企画・販売された、れっきとしたオリジナルビデオアニメです。また、原作は菊池秀行の小説で、バイオレンスアクションアニメの第一人者である川尻善昭が監督として初めて本領を発揮した作品としても知られています。とにかくこれぞ川尻作品といった感じで、全編が、青と赤の配色を基調としたスタイリッシュ&グロテスクなシーンで溢れています。キャラクター的には25歳とは思えない渋みのある主人公も悪くはないのですが、やはり本作を印象深いものにしているのはヒロインである麻紀絵でしょう。クールな色気を漂わせながら敵を切り裂いていく、その妖艶な魅力がたまりません。一方、敵キャラでは不気味な蜘蛛女が観る者に強いインパクトを与えます。大胆なベッドシーンなども盛り込まれ、当時としては珍しい、過剰なまでにアダルティな作品に仕上がっています。一言でいえばかなり刺激的な作品です。しかも、アクションに次ぐアクションで娯楽性も申し分ありません。間違いなく80年代を代表するOVA作品の一つです。
第5回日本アニメ大賞オリジナルビデオ作品最優秀作品賞受賞
第1回ビデオでーたビデオソフト大賞 オリジナルビデオ部門受賞

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2020-02-05


トワイライトQ 迷宮物件 FILE538(監督:押井守)
東京上空で奇怪な事件が起きる。空中でジャンボジェット機が突然、巨大な鯉に姿を変えて消失したのだ。そのころ、とある探偵が調査を依頼される。調査対象は東京の片隅のアパートで暮らす冴えない中年男と幼女だった。2人はジャンボジェット機消失事件に関係があるらしい。果たして彼らは何者なのか。
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本作はタイトルからも分かる通り、テレビドラマとしてカルト的な人気を誇っていた『トワイライトゾーン』及び『ウルトラQ』を意識したオムニバス形式の作品です。OVAとして全6巻の発売が予定されていました。そして、1作目の『時の結び目 REFLECTION』は良くも悪くも正統派SFアニメとして無難にまとまっています。ところが、2作目である本作があまりにもわけのわからない代物だったので全く売れず、シリーズもそのまま打ち切りになってしまったのです。個人的には押井守の作品は結構好きなのですが、それでも30分間ひたすらモノローグが続くこの作品はかなりつらいものがあります。とにかく話が観念的すぎて娯楽性皆無なのです。これではシリーズが打ち切りになったのもやむなしだといえるでしょう。ある意味、OVA黎明期における最大の問題作です。ただ、旅客機が巨大な鯉に変身する冒頭のシーンだけはインパクトがあり、押井守ならではのセンスを感じさせてくれます。
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バンダイビジュアル
2004-02-25




ロボットカーニバル(監督:大友克洋、北久保弘之、森本晃司・他)
マッドサイエンティストの老人が世界征服を行うために巨大ロボットを起動させようとする『フランケンの歯車』、傷心の少女と遊園地で出会ったロボットの触れ合いを描いた『STAR LIGHT ANGEL』、人型の作業用ロボットが囚われの少女を救出するために自らを戦闘用ロボに改造する『DEPRIVE』、母の愛を知らない中年男と彼が造った少女が悲恋を奏でる『プレゼンス』など、全7作品を収録。
◆◆◆◆◆◆
大友克洋、北久保弘之、梅津秦臣など、8人のクリエイターがロボットをテーマにした短編アニメをそれぞれ手掛け、オムニバス形式でまとめた作品です。まず、なんといっても素晴らしいのが大友克洋が担当したオープニングムービーで、豪華絢爛なアニメーションに一気に引き込まれていきます。また、本編の方も一級のアニメーターたちが各作品の監督を務めているだけあって、それぞれ個性的な作画を堪能することができます。ただ、アニメーションには並々ならぬこだわりが感じられる一方で、物語としての起承転結に欠けているものや予定調和なものが多かったのは少々残念です。そんな中で、物悲しいストーリーを繊細なタッチで綴った『プレゼンス』と痛快娯楽活劇として素直に楽しめる『明治からくり文明奇譚』の完成度の高さが光ります。玉石混交ながらもこの時代ならではの試みは大いに買いたい意欲作です。
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2000-11-25


ブラックマジック M-66(監督:志郎正宗)
軍の輸送機が墜落し、輸送中だった2体の軍用アンドロイド・対人自動歩兵M-66が行方をくらます。出撃した特殊部隊によって1体は自爆に追い込むも、もう1体は取り逃がして市街地への侵入を許してしまうのだった。しかも、その機体には開発者Dr.マーシュの孫娘であるフェリスの暗殺プログラムが組み込まれていることが判明する。一方、軍の緊急出動に気付いたフリージャーナリストのシーベルは極秘裏に取材を開始するが、成り行き上、フェリスをM-66の襲撃から守ることになり.......。
◆◆◆◆◆◆
この作品は原作者である志郎正宗が自ら監督・脚本・絵コンテを務めており、それだけに隋所にこだわりを感じさせる作品に仕上がっています。とはいっても、物語的にはこれといって見るべき点はありません。よくある『ターミネーター』の亜流のような話で、50分弱の本編で描かれているのは最低限の状況説明を除けば、あとはひたすら続くアクションシーンだけです。しかし、このアクションが素晴らしく、ヌルヌルと動く作画は戦闘の臨場感を否応なしに高めてくれます。殺戮兵器であるM-88の不気味さもよく表現されており、対峙する特殊部隊もアニメでありがちな無駄口などを叩かずに黙々と戦っている感じが実にリアルです。緻密なミリタリー描写も相まってアクションアニメとしては当時、かなり高い評価を得た作品です。ただ、特殊部隊の描写の秀逸さに対して、主人公であるシーベルのキャラがいま一つ印象に欠けるといった弱点はあります。それから動きの素晴らしさに対して絵柄そのものに安っぽさを感じるのも賛否が分かれるところです。
ブラックマジック M-66 [DVD]
永井一郎
バンダイビジュアル
2002-07-25





魔龍戦紀(監督:大上浩明)
呪術の力を用い、かつては朝廷をも 影から操っていた鬼道衆は、絶大な力を持つ道祖復活のために四聖獣を現世に復活させようとする。しかし、その目論見は密教僧の玄道によって阻まれ、頭目の千代妓敏朗も殺されてしまう。それから18年後の1989年。敏朗の跡を継いだ千代妓美鬼は朱雀の気を持つ女子高生・村瀬美穂を発見し、我が物にしようとする。それに対し、玄道によって育てられた陶芸家の比勇恭一は囚われの美穂を救うべく美鬼と対峙する。そして、美穂の救出そのものは成功するも、恭一は美鬼との戦いの末に行方不明になってしまうのだった。一方、玄道と若き密教僧の綾羅・錦繍はすべてに決着を付けるべく、最後の戦いに挑もうとする。だが、3人の前には白虎として覚醒しかけ、自我を失った恭一が立ち塞がり......。
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『妖獣都市』と同系統のエログロバイオレンスを全面に押し出したアクションアニメです。ちなみに、『妖獣都市』は菊池秀行の小説が原作であるのに対して、本作は原作を持たないオリジナル作品です。しかし、その作風には当時菊池秀行と人気を2分していた夢枕獏の影響が色濃く見て取れます。陰陽道・戦う密教僧・エログロバトルといった要素は80年代の夢枕獏の作品そのもので、夢枕獏が原作だと言われれば思わず納得してしまうレベルです。しかも、その世界観を表現するための作画も素晴らしく、『妖獣都市』に負けない刺激的な娯楽アニメに仕上がっています。ただ、本作は全3巻からなっており、1巻は間違いなく素晴らしい出来なのですが、2巻以降は少々クオリティが落ちているのが残念です。まず、ラスボスである美鬼の他にも魅力的な敵キャラが何人か出てくるものの、尺の関係なのか、キャラとしての掘り下げがなされないままあっさりとやられてしまうのはいただけません。かなりの強敵として描かれているだけに、どうしても最期があっけなく感じてしまうのです。また、ラスボスとの戦い及びその決着にもカタルシスが感じられず、非常に後味の悪いものになっているのも大いに問題です。途中までは非常に魅力的な作品だっただけに、最後までそのテンションを保てなかったのが惜しまれます。
魔龍戦紀(3) [VHS]
大塚周夫
バンダイビジュアル
1989-07-22


破邪大星ダンガイオー(監督:平野俊弘)
天才科学者のターサン博士は自らが開発したスーパーロボット・ダンガイオーを4人のパイロットと共に宇宙海賊バンカーに売り渡そうとしていた。だが、パイロットであるミア、ロール、ランバ、パイの4人は当初ターサン博士の造った人造人間だとされていたものの、実は宇宙各地から集められ、記憶を操作された超能力者だと判明する。そのことを知った4人はダンガイオーを奪ってバンカーの元を脱出し、それぞれの故郷を目指そうとするが......。
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いかにも平野俊弘らしい美少女キャラを盛り込みつつも、70年代テイストのスーパーロボットアニメの復活を目指した作品です。ストーリー的には突出した点はないものの、宿敵との対決や神谷明の絶叫とともに繰り出される必殺技のオンパレードといった具合に、ツボを押さえた作りが光ります。スーパーロボット好きな人にとっては堪らない作品だといえるでしょう。ただ、OVAなのに2話のAパートが1話の総集編だというのはいただけませんし、4話以降が製作中止になったために3話がとってつけたような展開になってしまったのも残念です。なお、2001年には本作の続編として、『破邪巨星Gダンガイオー』がテレビアニメとして放映されましたが、こちらも未完のまま打ち切りになっています。
破邪大星ダンガイオー [Blu-ray]
緒方賢一
キングレコード
2016-04-27


バブルガムクライシス(監督:秋山勝仁・他)
西暦2032年。超過密都市であるメガロシティTOKYOは7年前に発生した第2次関東大震災からようやく完全復興を遂げようとしていた。ただ、その間に起きた急激な科学の発展と多人種の流入は社会構造の歪みを生み、富裕層と貧困層の差が浮き彫りになっていく。結果、治安は悪化し、作業用に開発された人型機械のブーマがしばしば犯罪に使用されるようになる。そうした犯罪は凶悪化の一途を辿り、いまやADポリスですら手に負えなくなっていた。そんな折、街にはびこる非合法ブーマから人々を守るために立ち上がる者たちがいた。4人の美女からなる闇の仕置人・ナイトセイバーズである。彼女たちは最新強化服のハードスーツに身を包み、ブーマ犯罪者を影から操る超集合企業体・ゲノムに立ち向かっていくが......。
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当時人気だった園田健一をキャラデザとメカニックデザインに迎え、メカと美少女とお色気といったオタク向けアニメの売れ線要素をそつなくまとめたOVAの人気シリーズです。とはいえ、アニメ作品としては当時としても突出したレベルにあったわけではありません。作画・演出ともに凡庸ですし、ストーリーもテンプレそのものです。しかし、8話だけは別です。冒頭のハードスーツとブーマの対決から一気に引き込まれ、小気味良いアクションとテンポの良いストーリーを堪能することができます。少なくとも、シリーズ前半の凡庸なアニメーションとは全くの別物です。この回だけでも観る価値はあります。なお、『バブルガムクライシス』自体はこの8話で一旦終了となりますが、その後も高い人気を維持し続け、リメイクや派生作品が数多く製作されています。
バブルガムクライシス [Blu-ray]
古川登志夫
バンダイビジュアル
2008-11-21


1988年

魔界都市〈新宿〉(監督:川尻善昭)
199X年。この世界を魔界に売り渡そうとする魔導士レヴィ・ラーと、それを阻止せんとする念法使いの十六夜弦一郎が激突する。結果、弦一郎は敗れ、ラーの放った邪悪なパワーはマグニチュード8.5の魔震を引き起こす。そのエネルギーは震源地となった新宿を魑魅魍魎が跋扈する魔界都市へと変貌させる。それから10年。長い眠りについていたラーが目覚め、自らの野望のために再び動き出す。弦一郎の息子である十六夜京也は連邦政府主席の娘・羅摩さやかの依頼を引き受け、打倒ラーのために立ち上がるが......。
◆◆◆◆◆◆
『妖獣都市』で脚光を浴びた川尻善昭が再び菊池秀行の原作小説のアニメ化に挑戦した作品です。相変わらず迫力のあるアクションシーンは素晴らしく、作画や美術のクオリティも申し分ありません。主人公が次々と現れる敵を打ち破っていく物語は王道的バイオレンスアクションとして十分に楽しめる出来です。ただ、こちらは原作がジュブナイル小説なのでエログロ描写などはかなり控えめであり、『妖獣都市』と比べるとインパクトに欠ける面があります。それに、キャラクターに関してもいま一つ面白みに欠けます。さらに、アクションもクオリティ自体は高いものの、尺の関係か、一つ一つが割とあっさり終わってしまうのが残念です。王道アクションアニメとして十分に楽しめる出来ではあるものの、『妖獣都市』や『獣兵衛忍法帖』といった川尻善昭の他の代表作を観たあとではどこか物足りなさを感じてしまいます。とはいうものの、過激さやアクの強さはかなり控えめであるため、そういった要素が苦手だという人にとっては逆におすすめかもしれません。
魔界都市<新宿> [Blu-ray]
屋良有作
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2020-02-05


冥王計画ゼオライマー(監督:平野俊弘)
多国籍企業を隠れ蓑にして暗躍する秘密結社・鉄甲龍(ハウドラゴン)は雌伏のときを経て、八卦ロボによる世界征服を開始した。組織の長である少女・幽羅帝は八卦衆の一人で自らの愛人でもある耐爬に日本政府の秘密基地・ラストガーディアンを襲撃させる。しかし、そこには最強ロボ・天のゼオライマーがあった。15年前に鉄甲龍を裏切った天才科学者・木原マサキの手によって強奪されたものた。ラスト・ガーディアンは秋津マサトという名の少年を拉致し・無理矢理ゼオライマーに搭乗させようとする。謎の少女氷室美久と一緒に八卦衆と戦えというのだ。訳もわからないままに戦闘に突入し、ゼオライマーを使いこなせずに苦戦するマサト。しかし、突如人が変わったように冷酷な表情を浮かべると、ゼオライマーは圧倒的な力を発揮し始める。果たしてマサキの身に何が起きたのか.......。
◆◆◆◆◆◆
原作は『戦え!!イクサー1』と同じく、レモンピープルに連載されていた成人向けロボット漫画で、基本設定を流用しながらも18禁要素をほぼ排除している点も共通しています。また、作画のクオリティは当時としてはかなり高く、ロボットのデザインも独自の魅力があり、巨大ロボットアニメとしてなかなか見応えのある作品だといえます。さらに、主人公や敵幹部の意外な正体にも驚かされますし、中盤までのサスペンスフルなストーリーも悪くありません。ただ、設定を説明するのにナレーションに頼り過ぎなせいで、どうにも物語に入り込みにくいのが難です。それに、全6話の予定が4話で打ち切りとなったために、最終回の展開がバタバタとしすぎているのが最大の欠点だといえるでしょう。同じ監督の『破邪大星ダンガイオー』と同様に当初の構想通りに描き切れなかったのが惜しまれます。
冥王計画 ゼオライマー(Blu-ray Disc)
塩沢兼人
バンダイビジュアル
2008-10-24


バオー来訪者(総監修・絵コンテ:鳥海永行)
秘密組織ドレスは列車で9歳の少女・スミレを研究所に搬送していた。彼女には予知能力があり、その力を研究して、軍事情報活動に転用しようというのだ。ところが、スミレは搬送途中に予知能力を使って監禁されていた貨車を抜け出し、騒動を起こす。しかも、実験体を閉じ込めていたカプセルのロックも解除され、中で眠っていたバオーが覚醒してしまったのだ。バオーとは遺伝子操作によって生み出された寄生虫バオーに寄生された人間のことである。寄生虫の力によって異形のものに変身し、恐るべき力を発揮するのだ。その力は核にも匹敵するという。バオーこと橋沢育朗はスミレと共に列車から逃げ出し、そのまま一緒に逃亡生活を続ける。だが、ドレスの刺客はすぐそこまで迫っていた......。
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原作者の荒木飛呂彦は1986年に連載を開始した『ジョジョの奇妙な冒険』でブレイクを果たしますが、その前に週刊少年ジャンプで連載していたのが『バオー来訪者』です。わずか17話で終了したものの、ケレン味たっぷりの荒木節はこのころから健在です。また、多くの打ち切り漫画にありがちな投げっぱなしジャーマンになることもなく、話も全2巻できれいにまとまっています。そのため、のちにカルト的な人気を得ることになるのですが、そんな作品にいち早く目を付けてOVA化を果たしたのが本作というわけです。そして、このアニメ版も原作に負けず劣らず素晴らしい出来です。物語のテンポがよく、畳みかけるようなアクションシーンも見応えがあります。また、テレビアニメでは見せられないグロテスクな人体破壊シーンをふんだんに盛り込んでいるのもOVAならではといえるでしょう。ただ、全2巻の原作とはいえ、17話を50分程度の尺にまとめるのは無理があったようで、原作のかなり重要な要素が削られているのが惜しまれます。
バオー来訪者 [DVD]
池田秀一
東芝デジタルフロンティア
2003-04-02


エースをねらえ!2(チーフディレクター:古瀬登/総監修:出崎統)
宗方コーチの厳しい指導にくらいつき、テニスプレイヤーとして大きく成長した岡ひろみはアメリカ遠征へと旅立ち、そこで準優勝という結果を残す。コーチにメダルを見せることができると喜ぶひろみだったが、帰国した彼女が目にしたのは宗方コーチの死だった。病魔に冒されていた彼はひろみの遠征中に「岡、エースをねらえ」という言葉を残して力尽きたのだ。コーチを失ったショックで抜け殻のようになるひろみ。そんな彼女に手を差し伸べたのが宗方コーチの無二の親友である桂大悟だった。宗方コーチからあとのことを託された大悟はひろみに厳しい修行を課すことでなんとか彼女を立ち直らせようとするが......。
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1970年代にスポ根少女漫画として大ブームを巻き起こした『エースをねらえ!』は2度のテレビアニメに加えて劇場版アニメまで公開されたにも関わらず、描かれたのは原作の第一部にあたる部分のみであり、第2部は手つかずのままでした。そこで、シリーズを完結させるために製作されたのが本作というわけです。ブームはとうに去っていましたが、OVAであれば、熱心なファンが買ってくれるので採算ラインに乗せることができるという判断から製作に踏み切ったのではないでしょうか。そして、出来上がった作品は確かにファンを満足させるに足る見事なものでした。出崎節が随所に炸裂し、これぞ70年代のスポコンアニメといった味わいを満喫できるうえに、70年代当時のアニメとは比べ物にならないクオリティでその世界を再現しているところがたまりません。また、宗方コーチが亡くなってから岡ひろみが立ち直るまでを描いた鬼気迫るシーンもドラマとして大いに見応えがあります。そして、コーチの死を乗り越えたひろみが雨のテニスコートでお蝶夫人と激闘を繰り広げるラストが感動的です。それに、ひろみとは違った形で心に傷を負った緑川蘭子の物語も、アニメオリジナルの展開として見逃せません。80年代スポーツアニメの最高峰の一つに数えられる名作です。
第6回日本アニメ大賞オリジナルビデオ作品最優秀作品賞受賞
TMS DVD COLLECTION エースをねらえ! 2 DVD-BOX
玄田哲章
バンダイビジュアル
2003-05-23


トップをねらえ!(監督:庵野秀明)
21世紀の初頭、人類は宇宙怪獣と呼称される謎の生命体と遭遇し、以来、外宇宙において度重なる攻撃を受けるようになっていた。そんななか、宇宙怪獣との交戦によって行方不明となったタカヤ・ユウゾウ提督の娘であるタカヤ・ノリコは宇宙パイロットになることを夢見て、沖縄のパイロット養成所に入学する。だが、彼女は運動神経こそ図抜けているものの、マシーン兵器の操縦はからっきしの落ちこぼれだった。それにも関わらず、タカヤ提督の部下だったオオタコーチに宇宙パイロットのエリート集団であるトップ部隊に抜擢されたことにより、周囲から嫉妬されイジメを受けるようになる。孤立感に苛まれ、落ち込むノリコだったが、コーチの特訓や憧れのお姉さまであるアマノ・カズミとの交流を経て次第に才能を開花させていく。そして、ノリコの抜擢に納得できないカシハラ・レイコとマシン兵器での決闘を行うことになるのだが........。
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『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』で知られる庵野秀明の監督デビュー作です。タイトルからも分かる通り、『エースをねらえ!』に映画の『トップガン』の要素をまぶした作品で、その他にもさまざまな特撮やアニメなどのパロディが散りばめられています。そのため、当初はコメディ作品だと思われていた節もありますし、そうした観点から鑑賞すると第1話は微妙な出来です。全体的に悪ふざけが過ぎますし、その割にメインストーリーはシリアスなのでドラマとしてどうにもチグハグな印象を受けてしまうのです。ところが、2話以降その印象は一変します。当時としてはかなり本格的なSF理論を物語の中に組み込み、SFアニメとして見応えのある作品へとジョブチェンジしていったのです。しかし、それだけで終わったのなら単なる良作どまりの作品にすぎなかったでしょう。本作の本領が本当の意味で発揮されるのは第4話からです。この回から主役ロボであるガンバスターが登場し、恐ろしく熱量が高い戦闘シーンが繰り広げられていきます。特に、第5話の数億匹の宇宙怪獣VSガンバスターはアニメ史上に残る名場面です。また、最終話である6話のラストシーンに至るまでの展開も非常に感動的で忘れ難いものがあります。本作がこれほどまでにインパクト満点の作品となったのも庵野秀明の卓越した演出力があればこそでしょう。それに、田中公平の音楽やタカヤ・ノリコを演じた日高のり子の熱演も素晴らしく、作品の魅力をさらに高いレベルまで押し上げています。OVA史の中で燦然と光り輝く名作中の名作です。なお、2004年には続編にあたる『トップをねらえ!2』が製作されていますが、こちらの監督は庵野秀明ではなく、ガイナックスの後輩で、のちにエヴァンゲリヲン新劇場版の監督(庵野秀明は総監督)を務めることになる鶴巻和哉です。
トップをねらえ! Blu-ray Box
若本規夫
バンダイビジュアル
2012-02-24



機動警察パトレイバー (監督:押井守)
1998年。テクノロジーの急速な発展と都市開発の需要の高まりにより、建設工事の現場には大量の人型作業機械・レイバーが投入されるようになっていた。しかし、いつしかレイバーは犯罪にも使用されるようになり、大きな社会問題となっていく。通常の警察組織ではこれに対抗できないことから、パトロールレイバーを用いて治安維持にあたる特車2課が設立され、その後、最新鋭機である98式AVイングラムの投入と共に第2小隊が新設されることになる。ところが、その実態は埋め立て地の果てのあばら屋を拠点とする窓際部署だった。期待の最新鋭機もトレーラーで輸送中に渋滞につかまり、なかなか届かない。そのとき、第2小隊に出動命令が下る。出動したくても肝心のレイバーがない状況のなか、第2小隊の後藤隊長はこちらから出向いてイングラムを受領し、そのまま出動するという奇策に打って出るが.......。
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本作はゆうきまさみの漫画が原作だと勘違いしている人もいますが、実際は、ヘッドギアというクリエーター集団が企画し、アニメ・漫画・小説・ゲームなどを同時展開させたメディアミックス作品です。ここまで多角的なメディアミックスは過去に例がなく、現代的なメディアミックス作品の先駆け的存在ともいわれています。しかも、当時1万円越えが当たり前だったOVAを4800円で発売するという驚異の低価格販売を実現したのも画期的でした。それを実現するためにOVAなのにCMを入れ、監督には予算管理及びスケジュール管理には定評があるということで、当時『天使のたまご』や『迷宮物件 FILE538』の商業的大失敗で干されていた押井守を起用しています。ただ、それでも予算不足はいかんともしがたく、全体的にチープな作りになっている点は否めません。ロボットアニメなのにレイバーを用いた派手なアクションなどは皆無ですし、作画も全体的に安っぽさが目立ちます。それでも、アクの強いキャラ同士の絡みやシチュエーションコメディでなんとか一定以上の面白さを保っているのはさすが押井守といったところでしょうか。また、全6話(のちに別監督による7話を追加)のうち、4話までは少なくともドラマとしては凡庸なものばかりですが、ラスト2話の『二課の一番長い日(前後編)』だけは非常に見応えのあるエピソードに仕上がっています。レイバーが動かないのは相変わらずではあるものの、自衛隊の一部勢力がクーデターを起こす物語はサスペンス感に満ちています。特に、第5話における不穏な空気が徐々に高まっていく描写が秀逸です。その後続いていく長大なシリーズの中でも屈指の傑作だといえるでしょう。結果として、この初期OVAシリーズは各巻5万本という大ヒットを記録し、名作との呼び声高い劇場用アニメ2作へと繋がっていくことになります。
第1話 第2小隊出動せよ!
(Amazonプライム・ビデオ)


銀河英雄伝説(監督:石黒昇)
遥か未来。銀河全域にまで勢力を伸ばした人類は、皇帝と貴族が支配する銀河帝国と、その帝国から脱出した共和主義者たちによって建国された自由惑星同盟の二大陣営に分かれて覇を争っていた。その戦いは150年にも及び、いつ果てるともしれなかったが、2人の英雄の出現によって歴史は大きく動こうとしていた。一人は帝国の貧しい貴族の家に生まれ、姉が皇帝の後宮に収まったのを契機として20歳の若さで帝国元帥まで上り詰めたラインハルト・フォン・ローエングラム。もう一人は自由惑星同盟の商人の子として生まれ、経済的理由から士官学校に入学したところ、思わぬ武勲を立ててエル・ファシルの英雄として祭り上げられたヤン・ウエンリーである。その2人がアスターテの会戦で初めて戦火を交える。同盟領に侵入したラインハルト率いる帝国軍に対して数に勝る同盟軍が包囲戦を仕掛けたところ、包囲網が完成するまでのタイムラグを利用した電光石火の各個撃破によって壊滅寸前にまで追い込まれてしまったのだ。同盟軍司令官のパエッタ中将が重傷を負ったことにより、艦隊の命運は指揮権を引き継いだヤン・ウェンリー准将の手に委ねられるが....。
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本作はもともとテレビアニメとして企画されたものですが、その企画が頓挫したことで低価格OVAに転用されたという経緯があります。しかも、『機動警察パトレイバー』とはまた違ったアプローチで低価格化を実現している点が目を引きます。通信販売によって製作会社から直接消費者に商品を届けることにより、中間コストが生まれないようにしたのです。その目論見は見事に当たり、1話25分の構成で本編110話、外伝52話、長編3話という、OVAとしては空前絶後の長期シリーズを実現することになります。また、販売形態だけでなく、作品自体の出来も見事の一言です。作画などのクオリティはそれほど高いわけではありませんが、壮大なスケールで描かれる原作の魅力を丁寧に再現しており、なかでも戦闘シーンのBGMをすべてクラシック音楽で統一した演出が秀逸です。そのおかげで、宇宙での戦いにおける荘厳な雰囲気を観る者に対してわかりやすく伝えることに成功しています。また、常勝の天才ことラインハルトや不敗の魔術師ことヤン・ウェンリーの両雄を始めとした登場人物もみな魅力的で、豪華声優陣の神がかった演技によってその魅力が一層高められています。歴史のうねりを感じさせる重厚なドラマも見応え充分であり、なにより、名将たちのぶつかり合いにおける戦術及び戦略上の駆け引きの面白さが特筆ものです。スペースオペラを扱ったアニメ作品としては最高峰に位置する名作です。
銀河英雄伝説 Blu-ray BOX スタンダードエディション 1
郷田ほづみ
ポニーキャニオン
2014-08-29
第1話「永遠の夜の中で」
(Amazonプライム・ビデオ)


1989年

エースをねらえ!ファイナルステージ(監督:出崎統)
宗方コーチの死を乗り越えた岡ひろみがテニスプレイヤーとして大きく成長しようとしていたころ、彼女の良き先輩である藤堂貴之はアメリカに渡ってプロ入りを果たす。だが、世界の壁は予想以上に厚く、アメリカでの試合は連敗続きだった。彼を心配したひろみは藤堂に会うために一人アメリカに渡る。一方、お蝶夫人と呼ばれ、日本女子テニス界に君臨し続けていた竜崎麗香もまた、世界のレベルを前にして、自分の限界を感じていた。そんな折、世界の強豪たちが日本に集う、クイーンズカップ'90の開催が決まり......。
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『エースをねらえ!2』に続くシリーズ完結編です。前作はオリジナル展開を交えながらも一応原作に沿って話が展開していったのに対して、本作は完全なオリジナルストーリーになっています。ちなみに、原作では後半になると竜崎麗香や藤堂といった国内強豪選手は一線を退いて岡ひろみを世界に送りだすために力を尽くすという展開になっています。つまり、ドラマ的には岡ひろみ一人に焦点が当てられる形になっているのです。それに対して、アニメ版である本作ではそれぞれのキャラクターに焦点を当て、その後のテニス人生をしっかりと描いている点が目を引きます。特に、『エースをねらえ!』という作品において象徴的な存在であり、圧倒的な強さを誇っていたお蝶夫人が世界のレベルについていけず、精神的に追い詰められていくシーンは衝撃的です。もちろん、世界のステージを駆け登っていく岡ひろみのドラマもスポーツアニメの王道的展開として見応え充分ですが、この完結編に関していえば、お蝶夫人・緑川蘭子・藤堂貴之といったサブキャラクターたちの敗者のドラマがより胸を打つ作りになっています。出崎節全開の群像劇として非常によく出来ており、いかにも少女漫画といった原作とはまた違った味わいのある傑作です。
エースをねらえ!ファイナルステージ DVD-BOX
山田栄子
バンダイビジュアル
2003-09-26


メガゾーン23 III イヴの目覚め(監督:荒牧伸志・八谷賢一)
メガゾーン23の生き残りが地球に帰還してから数百年の月日が流れていた。人類は超高性能コンピューター"SYSTEM”によって徹底的に管理されたエデンシティで暮らしていたが、それは人類を滅亡寸前にまで追い込んだかつての過ちを繰り返さないようにするためだった。だが、一部の人間は管理されることを嫌い、レジスタンスを結成して反攻作戦を開始する。天才ハッカーであるエイジ・タカナカはその腕を見込まれて、SYSTEMを管理するエリート集団E=Xに選抜される。そして、対レジスタント部隊のガーランド隊に編入され、思わぬ出会いを果たすことになるのだった。一方、SYSTEMは地球環境維持には人類の排除が必要だと考え、プロジェクト・ヘブンを発動するが......。
◆◆◆◆◆◆
OVA黎明期を支えた人気アニメの完結編です。とはいえ、舞台は前作の数百年後に設定されているため、登場するのはAIの時祭イヴを除いてすべて新キャラです。そのうえ、製作スタッフも総入れ替えになっているのでメガゾーン23らしさはほぼ皆無です。そうした理由から前作までのファンはがっかりするかもしれませんが、後半徐々に前作とのつながりが見え始める展開は悪くありません。1作目2作目と比べるといま一つインパクトに欠ける点は否めないものの、大河SFの締めくくりとしてはそれなりによくできた作品だといえます。
メガゾーン23 III Blu-ray
高岡早紀
ビデオメーカー
2017-04-07


御先祖様万々歳!(監督:押井守)
埋立地に建てられた高級マンションに両親と共に住んでいる四方田犬丸は、バットを手にしてメタルフェイスのドライバーを持つ父・甲子国と親子喧嘩を繰り広げていた。そんななか、マンションに一人の少女が訪ねてくる。彼女は自分のことを四方田麿子と名乗り、未来からやってきた犬丸の孫娘だと主張するのだった。とても信じられない与太話ではあるものの、犬丸と甲子国は打算からそれを受け入れる。しかし、そのことに納得できない母の多美子は家を出ていき......。
◆◆◆◆◆◆
スタジオピエロ10周年記念作品として製作された全6巻のOVA作品です。しかし、押井守に全権を委ねたのが運の尽きで、とても売れ線とはいえない内容になっており、商業的には失敗といっていい結果に終わっています。その代わり、コア層からは支持されている作品であり、舞台劇を思わせる演出と押井守ならではの長台詞で構成された物語はよく出来た不条理劇として高く評価する人も少なくありません。特に、第5話の強烈なオチは観る者に忘れ難いインパクトを与えてくれます。おそらく押井守自らが企画した作品群のなかでは世間的に最も評価されているのではないでしょうか。なお、本作は90分の長編アニメに再編集され、『MAROKO 麿子』のタイトルで劇場公開もされています。ただし、こちらの方は本作最大の見どころである5話のオチがバッサリとカットされているため、どちらか片方を観るのであればOVA版がおすすめです。


その後のOVA
大いなる可能性が感じられたOVAも登場から7年が過ぎた80年代末にはその限界が見えてきます。限界というのは、いくらOVAがマニア向けの媒体だったとしても売れないものは売れないという厳然たる事実です。マニアに売るためにはより多くのマニアに受けるものを製作しなくてはならず、そこから外れた作品は数千本という数字すら達成することが容易ではなかったのです。そして、80年代が終わる頃にはどのようなものが売れて、どのようなものが売れないのかが大体分かるようになってきます。その結果、90年代に入ると挑戦的なタイトルが少なくなり、次第にマニア向けの売れ線作品へと集約されていくことになるのです。また、2000年代に入ると、深夜アニメという新しい媒体が生まれることで、マニア路線という役割も奪われていきます。そうしたなかで、OVAは次第に目立たぬ存在となり、ODA(オリジナルDVDアニメーション)と名前を変えつつ、深夜アニメや人気コミックの補完的役割を担うようになります。たとえば、テレビアニメとして放送したものの、続編をテレビでやるほどでもない作品をファン向けにODAとして発売したり、人気コミックのおまけに低予算ODAを同封したりといった具合です。こうしてみると、やはり80年代が一番OVAの輝いていた時代だといえます。


★★★
以下の作品はAmazon Prime Videoでも視聴可能です。希望の作品の画像をクリックするとPrime Videoの該当ページに行くことができます。

第1話 リメンバー・バーソロミュー
ダロス



最新更新日2022/09/25☆☆☆

映画というのは観るだけでも十分楽しいものですが、観終わったあとにその映画について人と語り合うことができたならばその面白さは何倍にも膨れ上がるものです。また、お気に入りの映画を人にすすめたり、人からすすめられたりするのも映画好きの人にとっては至上の喜びだといえます。近年ではそういった楽しさを漫画にした作品が増えています。俗にいう映画レビュー漫画です。具体的にいつごろからそれが登場し、どういったものがあるのかを順を追って紹介していきます。
※紹介作品の各画像をクリックするとAmazon商品ページにリンクします

※西暦表記は連載を開始した(描き下ろしの場合は単行本の初巻を発売した)年です。
2004年

テレキネシス 山手テレビキネマ室(画:芳崎せいむ/作:東周斎雅楽)
山手テレビに入社した野村真希乃はドラマ部で働くことを希望し、歴史に残るドラマを制作するのだと意気込んでいたが、実際に配属されたのは映画事業部放映班の『金曜深夜テレビキネマ館』だった。いきなり深夜枠に飛ばされ、落胆する真希乃。しかも、上司の東崋山は社内でも評判の変わり者で、そのだらしなさにあきれる日々を送ることになる。しかし、傷ついた人間に対して彼らに合った映画をすすめることでその傷を癒していく姿を目のあたりにする内に、彼女は次第に崋山に対して信頼を寄せるようになっていく...。
◆◆◆◆◆◆
毎回登場人物の抱える悩みを描きつつ、それらの悩みを解消する糸口となる名画を紹介していく作品です。しかも、本編のストーリーと映画紹介のどちらかがおまけ扱いになっているわけではなく、両者ががっちりと絡み合いながら展開していくのが見事です。『サンセット大通り』『愛と青春の旅立ち』『ジャッカルの日』といった具合に、なつかしの映画が次々と登場するので、クラシック映画好きの人ならハマるのではないでしょうか。


2012年

ケンガイ(大瑛ユキオ)
大学を卒業した伊賀は就活戦線から離脱し、卒業後はレンタルDVDショップでバイトとして働き始める。そして、マニアックな映画以外には興味を示さない変な女としてバイト仲間の男性陣からは対象外扱いされている白川五十鈴に一目惚れをしてしまうのだった。伊賀は五十鈴と2人で飲みながら映画の話をしたり、一緒にオールナイト映画を観にいったりして果敢にアプローチをかけるのだが、なかなかその先に進めずにいた。果たして伊賀の恋が実る日はやって来るのだろうか?
◆◆◆◆◆◆
映画マニアでコンプレックスの塊のクセに高圧的という非常にメンドクサイ女に恋をしてしまった普通の青年の恋愛模様を描いた物語です。通常のラブストーリーと違い、物語が進んでいってもラブシーンやときめきを感じるような部分は皆無ですが、それぞれの心理描写が巧みで読んでいるうちに段々引き込まれていきます。また、ヒロインらの口を通してさまざまな映画の話が語られていくので、映画好きにはより一層楽しめる作りになっています。ラブストーリーというよりはどちらかといえば、ヒロインが他者に心を開くまでのプロセスを追ったヒューマンドラマといった感じの佳品です。
ケンガイ(1) (ビッグコミックス)
大瑛ユキオ
小学館
2014-02-17


2014年

木根さんの1人でキネマ(アサイ)
30代の独身OLである木根真知子は会社で課長を務めている一方、家に帰ると映画鑑賞と映画の感想ブログ更新を生きがいとする映画オタクと化すのだった。しかも、極端に偏ったジャンルを愛好しているため、職場では映画好きである事実を隠していた。自分の安寧の地はネットにしかないと思っていた木根さんだが、ある夜、世間的に評判の悪い『ターミネーター3』を褒めるレビューをアップしたところ、フォロワーたちの的外れな反論に合う。思わずブチ切れる木根さんだったが...。
◆◆◆◆◆◆
架空の人物が実在の映画をレビューする、映画レビュー漫画の先駆けとなった作品です。1話で最低でも1本の映画が紹介され、ラインナップもバラエティに富んでいるので映画好きな人にとっては興味深い内容に仕上がっています。そのうえ、映画オタクあるあるネタが散りばめられており、それがあまりにも的確なので思わず笑ってしまいます。その一方で、同じ趣味を共有する仲間と語り合いたいという木根さんの満たされない欲求は多くの人が持っているものであり、共感する人も多いのではないでしょうか。いずれにせよ、映画愛が深すぎてこじらせている木根さんというキャラが秀逸で、そのキャラの勢いで読ませる傑作です。ちなみに、タイトルは『木根さんの1人でキネマ』となっていますが、実際には早々に映画を語る相手が登場するので、そういう意味ではタイトル詐欺だといえるかもしれません。


2016年

私と彼女のお泊り映画(安田剛助)
佐藤小春と黒澤麻由美は高校時代からの仲良しで、違う大学に通うようになった今も週末ごとにお泊り映画鑑賞会を実施している。今夜は小春のおすすめで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観ることになる。ポーカーフェイスの麻由美はあまり表情には出さないものの、すっかり映画が気に入ったらしく、ギターを抱えたり、女戦士フェリオサの髪型にしてみようと考えたりし始めるが...。
◆◆◆◆◆◆
映画を観ながら女性2人がイチャイチャする微百合漫画です。映画を通して親友同士がさらに親睦を深めていくという百合要素とレビュー漫画の要素がほどよくブレンドされているので、映画と百合の両方が好きな人にはぴったりの作品だといえるのではないでしょうか。各話巻末に2人の採点レビューが掲載されているのも映画好きな人にとってはうれしいところです。ただ、どちらか片方にしか興味のない人にとっては中途半端な作品だと感じてしまうかもしれません。ちなみに、本作は3巻で完結しますが、続編として社会人になった2人を描いた『私と彼女の同棲生活』があります。ただし、こちらの作品には映画レビュー要素はなく、完全な百合漫画となっています。


怒りのロードショー(マクレーン)
映画オタクの高校生、シェリフ、ヒデキ、まさみ、ごんぞうの4人組はいつも愚にもつかない無駄話ばかりしているが、映画に対する愛だけは誰にも負けていなかった。ある日、ヒデキ、まさみ、ごんぞうの3人がランボーシリーズは2が駄作だから1しか観ていないと言い出し、それを聞いたシェリフは唖然としながらも、『ランボー2 怒りの脱出』は映画史に残る名作だと主張する。やがて、話題はシュワルツネッガーの『コマンド―』に移り...。
◆◆◆◆◆◆
本作は画力が優れているわけでもありませんし、映画に対する深い見識などといったものも皆無です。しかし、映画に対する熱量の高さは数あるレビュー漫画の中でも断トツです。悪ノリとさえいえるぶっとんだ展開のなかでも本当に映画が好きだということがビシバシと伝わってきて、彼らがおすすめの作品を思わずレンタルして観たくなる衝動に駆られます。また、そんな彼らに対して冷笑的な村山くんも憎まれ役ながらもキャラが立っていて目が離せません。同好の士が集まってワイワイ語り合う楽しさを思い出させてくれる感じが秀逸な力作です。
怒りのロードショー
マクレーン
KADOKAWA
2017-01-30


2017年

シネマこんぷれっくす!(ビリー)
梁木学園の新入生、熱川鰐人は映画に出てくるような熱い青春を送ることを目標としており、それに相応しい部活を探していた。しかし、これといった部が見つからないまま入学から2週間がすぎていく。そんなある日の放課後、『スターウォーズ』に登場するマークスマンH・コンバット・リモートが地面を移動しているのを目にする。思わず跡を付けていくと、待ちかまえていたのは映画研究会の先輩女子部員三人組だった。リモートは映画好きの新入生を映研に引きずり込むための撒き餌だったのだ。強引に入部を迫る彼女たちに対し、鰐人はそれをきっぱりと断る。なぜなら、映画制作もやっていない映研では熱い青春は送れそうもなかったし、3人の先輩は美人ではあるものの、世間からのつまはじき感が半端なかったからだ。だが、そこに現れた3年生の男子部員、祝厳鉄の口車に乗せられて、結局入部することになる。改めて鰐人は熱い青春を送るべく、映画を制作して文化祭で発表することを目標に掲げるが、いつの間にかそれもうやむやになる。結局、彼は先輩たちと映画談議を交わす無為な日々を送るようになり...。
◆◆◆◆◆◆
グラサンがトレードマークで黒澤映画のファンだという黒澤天喜、巨乳でカンフー映画大好き娘の花村瑞月、清楚な見た目に反してZ級映画ハンターの宮川一子という3人の女性キャラの個性が強烈で、そのうえ、映画を語る際の熱量も半端ない作品です。映画好きの人ならかなり楽しめるのではないでしょうか。映画あるあるネタは笑えますし、それを含めたギャグのテンポも申し分ありません。映画レビュー漫画としてはもちろん、青春コメディ漫画としてもよくできた秀作です。


邦画プレゼン女子高生 邦キチ!映子さん(服部昇大)
映画好きの高校生、小谷洋一は映画について語り合う仲間が欲しくて「映画について語る若人の部」を立ち上げるも、彼以外の部員を集められずにいた。そんなとき、ふいに入部希望者が現れる。1年生の邦吉映子という女生徒で、彼女も映画を語り合える友人に恵まれず悩んでいたのだという。大喜びの洋一は「私の趣味はマニアックすぎるらしくて周囲から理解されたためしがない」と言う彼女に対して、自分もそうだったとばかりに大きくうなずいてみせるのだった。だが、彼女の一番のお気に入り映画はまさかの実写版『魔女の宅急便』で...。
◆◆◆◆◆◆
作者は6代目『日ペンの美子ちゃん』で知られる服部昇大です。美子ちゃんと同じく本作の絵のタッチも70年代の少女漫画風なのですが、その画風と本作に登場するエキセントリックなキャラクターが妙にマッチしています。そして、そのなかでも特に強烈な印象を読者に与えているのが、邦キチこと邦吉映子です。この手の作品に登場する映画マニアの多くが洋画好きなのに対して、彼女は部類の邦画好きという特徴があります。まあ、そのこと自体は別にいいのですが、問題は作品のセレクションがあまりにも変なことです。『実写版 魔女の宅急便』を始めとして、『貞子3D』『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』『テラフォーマーズ』といった具合に、彼女のお気に入りラインナップには世間的に微妙な評価のタイトルがずらりと並びます。それらの作品を「わたくし~であります」という独特の口調を駆使して全力で誉めあげるのがなんともシュールです。ごくまれに評判の良い映画を紹介することもあるものの、いずれにせよ誉めるポイントが世評とは大きくずれており、常人には理解しがたい論法で数々の邦画を褒め殺していく姿には狂気すら感じます。そして、その感覚のずれっぷりを周囲のキャラが的確につっこんでいくことで、本作はすぐれたギャグ漫画として成立しているのです。数ある映画レビュー漫画の中でもインパクトという点では頭一つ抜けている怪作です。
映画大好きポンポさん(杉谷庄吾【人間プラモ】)
映画の都、ニャリウッドにある映画会社ペータゼンフィルム。その敏腕プロデューサーであるポンポさんことジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネットは映画のオーディションを受けにきたナタリーという娘を地味だという理由で落とす。だが、何か引っかかるものを覚えたポンポさんは結局、ナタリーを新進気鋭の女優・ミスティアの付き人として雇うのだった。一方、ポンポさんにはジーンという名の付き人がいた。死んだ魚の目をした青年だったが、映画に対する情熱は誰にも負けていない。そこに目を付けたポンポさんは、彼に自身の制作映画の予告フィルムを作らせたところ、それは予想以上の出来栄えだった。ジーンの才能を確信したポンポさんは彼に告げる。私が執筆した脚本でナタリー主演の映画を撮ってみろと...。
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本作は映画を鑑賞する側ではなく制作する側の視点から描いた作品です。しかし、登場人物はみな映画バカばかりなので、彼らの口からはさまざまな映画論や制作論が語られていき、その内容は映画好きの人にとっては非常に興味深いものとなっています。一方で、映画に夢を抱いた若者たちのサクセスストーリーとしても一級品です。要するに、トータル的にすごく面白い作品なのです。ちなみに、本作はもともと深夜の5分アニメとして企画されたものが元となっています。それがボツになり、その企画を再利用する形で話を膨らませて現在の形になったというわけです。つまり、廃棄物の再利用にすぎなかったのですが、その結果、予想外の反響を呼ぶことになります。漫画として非常に高い評価を得て、劇場用アニメーションとして改めて制作が決定するまでになったのです。これは漫画の内容に負けず劣らずドラマチックな展開だといえるのではないでしょうか。また、本作にはスピンオフ作品として『映画大好きフランちゃん』と『映画大好きカーナちゃん』があります。本編のストーリーとも密接につながっているため、合わせて読むと面白さも倍増です。
映画大好きポンポさん (MFC ジーンピクシブシリーズ)
杉谷 庄吾【人間プラモ】
KADOKAWA
2017-08-26
映画大好きフランちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES
杉谷 庄吾【人間プラモ】
KADOKAWA
2019-08-26
映画大好きカーナちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES
杉谷 庄吾【人間プラモ】
KADOKAWA
2020-09-26


2018年

おやすみシェヘラザード(篠房六郎)
名門女子高の千夜学園にはある噂が広まっていた。女子寮の13号室のそばを通ると長い黒髪の女性が手招きをして部屋に誘い込み、うっかり誘いに乗ると、あっという間に失神させられてしまうというのだ。初夏のある夜、1年生の二都麻鳥(にと・あさと)は自室のクーラーが壊れたので友人の部屋に泊めてもらうことになる。ただ、女子寮では就寝時刻以降の部屋の移動は禁じられていた。そのため、点呼のあとでこっそり友人の部屋に向かおうとしたところ、危うく巡回中の寮母さんに見つかりそうになる。そのとき、自室に引っ張り込んで救ってくれたのが13号室の住人である箆里詩彗(へらざと・しえ)だった。彼女は妖艶な雰囲気を漂わせる絶世の美女であり、しかも、礼をいって部屋から出ていこうとする麻鳥を引きとめて一夜をともにしようと言い出す。そういう趣味はないにも関わらず、この世のものとは思えない彼女の色香にあらがえずに麻鳥がベッドに入ると、詩彗はおもむろに映画の話をし始める。実は、彼女は無類の映画好きで自分の好きな映画の話を誰かにしたくてたまらなかったのだ。しかし、彼女はとんでもない説明下手で、その退屈さから二都はあっという間に深い眠りについてしまう。それからというもの、彼女は夜毎に詩彗先輩の超絶つまらない映画話を聞かされる羽目になり...。
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映画レビューというのはなるべく短い言葉でいかに的確に作品の魅力を伝えるかが肝だといえます。しかし、本作の映画レビューは思いついたことを片っ端から口にしているだけなのでまとまりがなく、話を聞いても、一体何が面白いのかさっぱりわかりません。そのため、普通の映画レビュー漫画だと思って読むと段々腹が立ってきます。それではどういった読み方が正しいかというと、ヒロインの映画に対する溢れんばかりの愛情をくみ取りつつ、見た目は妖艶な大人の女性なのに中身はポンコツというギャップからくる可愛らしさをひたすら愛でていくのです。そうすれば、この作品の魅力が段々理解できるようになってくるでしょう。それに加え、できれば実際に映画を観たうえで読むとよいかもしれません。そうすれば、あまりにもピントの狂った説明ぶりに思わず笑えてくるはずです。特に、『アウトレイジ』におけるダンカンの下りなどは爆笑ものです。逆に、映画を観ないで彼女のレビューを真面目に読んでいるとこちらまで眠くなってしまうおそれがあるので、その場合はレビューは斜め読みして、主に詩彗先輩のリアクション芸と麻鳥のツッコミにピントを合わせてストーリーを追うようにしましょう。間違っても、本作のレビューを参考にしてその映画を観るかどうかを決めようなどと思ってはいけません。数ある映画レビュー漫画の中でも特に読者の資質が問われる異色作です。


水曜日のシネマ(野原多央)
大学1年生の藤田奈緒はレンタルDVDショップで生まれて初めてのバイトをするが、無愛想で皮肉屋の店長とはそりが合わずに鬱屈した日々を過ごしていた。ところが、ふとしたきっかけで店長の意外な優しさや映画に対する無垢な愛情に触れ、次第に彼に惹かれるようになっていく。そして、もっと映画に詳しくなりたいといったところ、毎週水曜日にお店のバックヤードで店長と一緒に映画を観ることになり...。
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映画レビューものと年の差カップルものを掛け合わせた恋愛漫画です。ただ、正直序盤はピリッとしません。紹介される映画はベタなものばかりでレビューの内容も表層的で浅い感じがしますし、恋愛ものとしても全体的に描写が緩くてなんだか『恋は雨上がりのように』の下位互換のようです。ところが、これが中盤以降ぐっと面白くなります。単に映画をレビューするだけでなく、登場人物の体験と絡ませることで深みが出てくるようになりますし、一つ一つのエピソードもメリハリが効いていて読み応えがアップします。そして、年の差カップルものとしても、『恋は雨上がりのように』とはまた違った着地を鮮やかに決めてくれるのです。映画レビュー漫画であると同時に、それ自身が完成度の高い恋愛映画のように爽やかな感動をもたらしてくれる1本です。


シネマごはん(福丸やすこ)
町野あかりは祖父ゆずりの映画好き。特に大好きなのは映画に登場した料理と同じものを食べることだった。美味しい料理を口に入れると蘇ってくる映画の名シーン、そして、亡き祖母との思い出....。
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邦画の紹介に焦点を絞った作品ですが、そこにグルメ漫画の要素を加味した異色作です。登場する料理は素朴なものばかりですが、いずれも美味しそうに描かれており、読んでいると思わずお腹が空いてきます。また、主に古めの邦画を祖父の思い出とともに描いているのでノスタルジックな味わいもあります。そういう意味では映画にあまり詳しくない人にもお勧めしやすい作品です。
シネマごはん(1) (思い出食堂コミックス)
福丸やすこ
少年画報社
2019-05-13



その他映画をテーマにした主な作品

1983年

あどりぶシネ倶楽部(細野不二彦)
大学サークルによる映画製作を通して学生たちの人間模様を描いた作品。全1巻でこれといった劇的な展開もない地味目の作品ですが、青春時代における希望や挫折といったものを的確についた描写が光ります。映画に夢を追う若者たちの群像劇として極めて完成度の高い傑作です。


1984年

アクター(かわぐちかいじ)
『沈黙の艦隊』や『ジパング』などで知られるかわぐちかいじの出世作です。物語は、大衆演劇の女形だった主人公が俳優としての才能を見いだされ、その異才によって映画界に旋風を巻き起こすというもの。本作において主人公は3つの映画と1つのテレビドラマに出演しますが、その中でも最大の見どころといえるのが全編の半分以上を占める成人指定の四谷怪談こと”お梅の恋”の撮影シーンです。役者たちの情念がぶつかり合った演技合戦は鬼気迫るものがあり、目が離せなくなってしまいます。
アクター(1) (モーニングコミックス)
かわぐちかいじ
講談社
2012-11-19


2004年

平凡ポンチ(ジョージ朝倉)
商業デビューのチャンスをライバルに横取りされた30歳の自主映画監督と、彼のファンで貧乳コンプレックスの美少女が巨乳アイドルを殺害し、逃亡生活を送りながらも自主映画を撮影し続けるロードムービーラブコメディ。サスペンスとギャグが混然一体となった物語は展開が無茶苦茶で段々わけがわからなくなりますが、怒涛の勢いで最後まで駆け抜ける怪作です。
平凡ポンチ(1) (IKKI COMIX)
ジョージ朝倉
小学館
2013-06-24


2009年

群青シネマ(都戸利津)
60年代の四国を舞台に高校生3人組が自主制作映画に挑戦する話です。ノスタルジックで爽やかな青春物語としてよくできています。特に、最後に出てくるNG集の使い方が秀逸です。


2011年

デラシネマ(平野泰視)
戦後間もない日本。映画が娯楽の王様だった時代に大部屋俳優とフォース助監督が映画界のてっぺんを目指していく物語です。当時全盛だった時代劇映画を題材に、迫力ある殺陣や60年代に花開くことになるリアリズム時代劇の映画論などが描かれていきます。非常に熱量の高い力作だっただけに、物語がこれからというところで、不可解な打ち切りにあってしまったのが惜しまれます。


2012年

シネマちっくキネ子さん(OYSTER)

映画監督を目指す少女・キネ子と映画マニアの貧乏青年・大八の2人が織りなす日常を描いた四コマ漫画です。シュールでハイテンションなOYSTER節がたっぷりと堪能できる佳品で、ボクっ娘キネ子さんの可愛らしさがそこに彩りを与えています。2巻で終了したのが惜しまれる作品です。


2017年

赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD(山本おさむ)
合衆国政府が国内の共産主義者を社会の重要ポストから追放していった、いわゆるマッカーシズムが吹き荒れた1950年代。当時のハリウッド映画に焦点を当て、その裏で繰り広げられた赤狩りの実態を描いた実録漫画です。メインとなっているのは表現の自由を巡る政治ドラマなのですが、『ローマの休日』『猿の惑星』『波止場』『エデンの東』などといった名画の裏話がたっぷりと描かれているので、映画好きな人にとっては興味深いものがあるのではないでしょうか。


ショート・ピース(小林有吾)
高校の映像研究部に所属し、変人だが天才的な映像センスを持つ主人公と、彼と関わることで壁を乗り越えて前に進んでいく人々の姿を描いたヒューマンドラマです。物語としての勢いとテーマ性の奥深さを兼ね備えており、ギャグとシリアスのバランスも見事な傑作です。


2020年

海が走るエンドロール(たらちねジョン)
夫と死別した65歳の女性が映画館で偶然出会った美大生の青年に自分が映画を作る側の人間であることを指摘され、それがきっかけとなって大学の映像科に入学して映画作りの勉強を始める話です。歳をとっても本気で何かに取り組む姿が読者の共感を集め、「このマンガがすごい! 2022」ではオンナ編1位に輝いています。なぜ映画を撮りたいのか、どんな映画を撮りたいのかという点に焦点を当てつつ、登場人物たちの人間性を掘り下げていく手法も秀逸です。







最新更新日2020/08/14☆☆☆

60年代を代表する英国本格ミステリ作家であるD・M・ディヴァインと入れ替わるように登場し、70年代半ば以降の英国本格ミステリを牽引していったのがコリン・デクスターです。デクスターはクロスワードパズルのカギ作りの名手として知られ、彼の書いたミステリー小説もパズルのように試行錯誤しながら謎に挑んでいくスタイルに特徴があります。四半世紀の作家生活で彼の発表した長編小説は13作品に過ぎませんが、英国推理作家協会においてゴールドダガー賞とシルバーダガー賞を2度づつ受賞という栄誉に輝いていることからもわかるように、近年を代表する英国本格ミステリ作家の一人であることは間違いのないところです。ただ、絶大な人気を誇る本国に比べると日本の本格ミステリマニアの間では賛否両論あるようです。なぜ否定的な意見が少なからず存在するのか?実際のところ作品の出来はどうなのか?そのあたりのところを順を追って紹介していきます。
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ウッドストック行最終バス(1975)
若い2人の女性がウッドストック行きの最終バスを待っていたがなかなか来ない。しびれを切らした片方の女性、シルビアはヒッチハイクをしようと提案し、通りかかった赤い車に乗せてもらうことにするのだった。だが、その夜遅く、シルビアはブラックプリンスという酒場の中庭で撲殺死体となって発見される。しかも、性的暴行を受けた痕跡が残されていたのだ。さらに、もう一人の娘の行方は杳として知れなかった。一体彼女はどこに消えたのか?事件を担当することになったモース警部はその頭脳をフル回転させ、自分で組み立てた仮説を検証することで事件の真相に迫っていこうとするが.......。
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仮説を組み立てては崩していくという迷走推理でおなじみのモース警部ですが、シリーズ1作目ではその傾向はまだおとなしめです。モースに推理癖があるというよりは、物語の前半で怪我をして動けなくなったので、しかたなくベッドの中で推理を巡らせるという流れになっているのです。モースが常に自分の立てた仮説に溺れるようになったのは2作目以降であり、そういう意味では、本作はオーソドックスな謎解きミステリーに近いといえます。しかし、そんな中でも秀逸なのが人口1万人の町の中から、犯人を1人に絞り込む消去法推理です。モースの立てた仮説の一つなのですが、あまりにも机上の空論すぎて思わず笑ってしまいます。一方、真相の意外性も十分にインパクトのあるものであり、本格ミステリとしての完成度の高さではシリーズ中1、2位を争う傑作だといえます。


キドリントンから消えた娘(1976)
2年前に失踪して以来、行方の知れなかったバレリーから両親宛てに手紙が届く。そこには「元気だから心配しないで」と書かれてあった。彼女は一体どこで何をしているのか?そもそも失踪の原因はなんだったのか?謎は深まるばかりだが、前任者から事件を引き継いだモース警部は確信を抱いていた。バレリーはすでに死んでいると。だが、捜査を続けていく内に事件は意外な展開を見せ始め........。
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作者がその本領をいかんなく発揮した作品であり、コリン・デクスターの最高傑作だと祭り上げられた時期もありました。確かに、モースが仮説を立てては崩し、再び新たな仮説を立ててはまた崩していくといったプロセスには、まるで謎解きの森をさ迷っているような幻惑感があります。二転三転四転五転と反転を繰り返すどんでん返しの連続は、多重解決で有名な『毒入りチョコレート事件』や『ギリシャ棺の秘密』などを軽く上回る勢いです。その錯綜ぶりは前代未聞であり、そういう意味では新境地を築いた偉大な作品だといえなくもないでしょう。ただ、その一方で、モースの推理がほとんど思い付きに近いものなので、ロジカルな推理を期待した人にとっては物足りないものを感じてしまうかもしれません。あまりにもお手軽に仮説を出してくるのでもうどれでもいいやと思えてくるのです。それに、最後に提示される真相もいま一つパッとせず、不完全燃焼感があります。少なくとも、真相の意外性という点では前作の『ウッドストック行最終バス』の方が遥かに上です。何より、事件の発端となったあの謎が最後まで解かれていない点が大きな不満点です。したがって、本作は本格マニアが好みそうなロジカルな推理や意外な真相などではなく、錯綜する謎自体を楽しむべき作品だといえます。その辺りの楽しみ方が理解できるかどうかで評価は大きく変わってきそうです。


ニコラス・クインの静かな世界(1977)
海外学力検定試験委員会の新たな審議委員にニコラス・クインが推薦されたことで、委員会は騒然となる。なぜなら、クイン氏は極度の難聴であり、委員の役割をこなすのは困難だと考えられていたからだ。当然のことながら事務局長のパートレットはクイン氏の選出に難色を示したが、委員の一人であるループはクインの優れた知力と誠実な人柄を理由に委員推薦の意思を貫き通す。そして、彼が強硬な主張を続けた結果、6対5の投票結果をもってクイン氏の任命が決定したのだ。ところが、クイン氏は読唇術を使ってなんとか無難に業務をこなしていたものの、任命から3カ月後に毒殺されてしまう。人畜無害だと思われていたクイン氏を一体誰がどんな理由で殺したというのだろうか?モース警部はルイス部長刑事とともに捜査を開始するが........。
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前作の『キドリントンから消えた娘』では、全編を通してモースの迷走推理が繰り返されたのに対して、本作は中盤辺りまでは比較的まともな捜査が行われ、二転三転する展開はほぼラスト4分の1に集約されています。その結果、中盤がダレ気味なうえに終盤が少々詰め込み過ぎになっているのです。したがって、終盤の短い推理編の中でモースの考えがコロコロ変わっていくのについていけるかが、この作品を楽しめるかどうかの鍵だといえるでしょう。また、最終的に暴いた真相よりもそのひとつ前のダミー推理の方が魅力的なのも本格ミステリとしては微妙なところです。ダミー推理が優れていること自体は作品の魅力を高めるための重要なファクターではあるのですが、真相がその魅力を下回ればどうしても竜頭蛇尾な印象になってしまいます(まあ、デクスター作品の場合、それは本作に限った話ではないのですが)。さらに、ダミー推理を否定して新たな推理を採用するだけの根拠に乏しいのも問題です。とはいえ、考えが二転三転し、深まる謎に七転八倒するモースが好きだという人からは本作を含めて最初の3作品はいずれも高い評価を得ている作品ではあります。その評価が少し変わってくるのは次の4作目からです。


死者たちの礼拝(1979)
四月のまだ肌寒い日。休暇中のモースは暇を持て余して教会に訪れ、そこで昨年起きた奇妙な殺人事件の情報を入手する。信徒が教会で賛美歌を歌っている最中に教区委員の一人が聖具室で刺殺されたのだ。しかも、遺体の胃の中からは致死量のモルヒネが検出されたという。犯人はなぜ、彼を二重に殺害したのだろうか?さらに、その翌月には牧師が同じ教会で謎の墜落死を遂げていた。2つの事件はつながっているに違いないと感じたモースは独自の捜査を試みる。しかし、彼の捜査は遅々として進まず、しかも、協会関係者の腐乱死体が新たに発見され.......。
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コリン・デクスターが人気作家となるきっかけを作った作品であり、彼は本作で初のCWA賞(英国推理作家協会賞)を受賞しています。ただ問題は、本作ではこれまでシリーズのセールスポイントだったアクロバティックな推理がかなり控えめになっている点です。いろいろな仮説自体はでてくるものの、前3作に比べるとどうにもダイナミックスさに欠けているのです。さらに、犯人も行き当たりばったりな行動が多く、合理的な説明がなされない点が多いのも本格ミステリとしては物足りなさを感じてしまいます。しかし、その分、次々と死体が登場し、謎が謎を生む展開にはワクワクしますし、前作まではなかった容疑者同士の愛憎劇などといった要素も読み応えがあります。CWA賞ではそうした物語面での面白さが評価されたのではないでしょうか。それに、モースの七転八倒する迷走推理がうっとうしくて肌に合わないという人には比較的スマートに事件を解決する本作の方が楽しめる可能性は高いといえます。本来の魅力を抑え、正統派エンタメ小説に寄せた一冊です。
1979年CWAシルバーダガー賞受賞


ジェリコ街の女(1981)
モースはあるパーティに出席し、そこでジェリコ街に住んでいるアン・スコットという女性に出会う。すっかり意気投合したふたりは再会の約束をする。そして、パーティの数カ月後にモースは勤務途中でアンの自宅に立ち寄るが返事はなかった。モースは諦めて引き返すが、その後、彼女は首吊り死体となって発見される。一見自殺のように見えるものの、モースはその結論に納得がいかない。事件を担当することになったのは同僚のベル警部だが、モースも密かに事件を調べ始めるのだった。やがて、アンの隣家の男が何者かに殺されるに至り、モースの頭脳は激しく回転し始めるが......。
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前作に続きシルバーダガー賞を連続受賞したシリーズ第5弾です。しかし、本作でもお得意の迷走推理は封印したままで、ますます普通の本格ミステリに近づいていきます。いくつかユニークな仮説は出てくるものの、それらは十分に検証されないまま放置されてしまうのです。そのなかにあって、ミステリーとしての最大のセールスポイントだといえるのが最後に明らかになる意表を突いたトリックです。ただ、それも実現性という点では疑問が残り、手放しで褒められるものではありません。また、例によって真相よりもダミー推理の方が魅力的なのもすっきりしない点です。オイディプス王の悲劇に基づいた壮大な推理は奇想と納得度を兼ね備えたなかなかの完成度だけに、あれが真相でもよかったのではないでしょうか。一方で、全編に渡ってユーモラスな雰囲気に満ちており、癖がなくてすっきり読みやすいという点は前作以上です。それに、初期作品と比べると文章が格段にうまくなっていますし、悲劇的な結末も味わい深いものがあります。つまり、物語の完成度としては初期作品より遥かに上なのです。したがって、本作も『死者たちの礼拝』同様、『キガリントンから消えた娘』あたりの作風が苦手だという人にはおすすめの作品だといえます。
1981年CWAシルバーダガー賞受賞
謎まで三マイル(1983)
オックスフォード大学の教授が突如失踪する。そして、ほどなくして、運河から手足と頭部が切断された死体が発見される。持ち物から死体は失踪した教授のものだと思われた。モース警部もその線で捜査を開始する、だが、事件は思わぬ展開をみせる。当の教授から自分は生きているという手紙が送られてきたのだ。それでは死体の主は一体誰なのか?
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シリーズ6作目はいわゆる顔のない死体ものです。この場合、犯人は誰かという謎と同時に被害者が誰かという謎を解かなくてはならないのですが、特筆すべきは本作の登場人物の少なさです。主要人物といえるのが5人ほどしかいません。しかも、中盤を過ぎたあたりからその登場人物がどんどん消されていき、犯人候補も被害者候補もいなくなってしまうという驚くべき展開をみせるのです。真相もかなり意外なものであり、珍しく真っ当な本格ミステリとして面白い作品に仕上がっています。少なくとも、謎解きの魅力という点ではシルバーダガー賞を受賞した先の2作よりも上だといえます。また、まるでクローズドサークルもののように主要人物がほとんど死んでいく後半の展開も読み応えありです。ただ、謎解きの解法が複雑でわかりづらく、真相そのものも少々ご都合主義に感じられる点は賛否のわかれるところです。それに、後半が怒涛の展開なのに対して、中盤までがやや冗長に感じます。もう少し、前半をテンポ良くし、終盤の推理を丁寧に処理すれば、傑作になりえたのではないでしょうか。


別館三号室の男(1986)
大晦日にホテルに集まった人たちが新年を迎えてホテルを去ると、あとには一つの死体が残されていた。死体が発見されたのは別館三号室であり、殺されていたのは大晦日の夜に催された仮装コンテストの優勝者だった。新年早々捜査に駆り出されたモースは現場の状況と従業員の証言から犯人は仮装コンテストの出場者の中にいると判断する。だが、彼らの使っていた名前はすべて偽名だったために捜査は難航する。被害者には妻らしき女が同行していたというが、彼女も姿を消していた。手掛かりは何一つなく、被害者の名前さえわからない。だが、ルイスの地道な捜査が実を結び、ある事実が明らかになるのだが....。
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本作はモースの迷走推理は控えめなのに対して、ルイスと2人で事件についての考察を行いながら可能性を探っていくという描写が目立っています。2人のやりとりは楽しく、珍しくルイスが推理を披露するところも含め、いつもとは違った面白さがあります。また、今までモースに振り回されっぱなしだったルイスも逞しさが垣間見られるようになり、シリーズを追い掛けてきたファンにとっては感慨深いものがあるのではないでしょうか。さらに、冒頭の不可解な謎も申し分なく、被害者の身元もわからず、事件の関係者からの事情聴取すらできないなかで、一体どのようにして事件の真相に迫っていくのかといったプロセスにも興味がそそられます。ただ、肝心の事件の真相が凡庸です。魅力的な謎に対して真相の意外性がほとんど感じられない点はいかにも残念です。モースもあまり突飛な仮説を立てなくなったので、そういう意味でも物足りません。シリーズものの一編としては見逃せないものの、ミステリーとしての出来は水準以下です。


オックスフォード運河の殺人(1989)
モースは病院へと直行する救急車の中で横たわっていた。自宅で吐血して倒れていたところを発見されたのだ。モースの脳裏に自分の死亡記事が浮かぶ。だが、診断の結果は胃潰瘍だった。酒と煙草に溺れる長年の不摂生がたたったらしいが命に別条はないという。だが、しばらくは入院をしなければならなかった。モースは退屈を持て余し、『オックスフォード運河の殺人』という本を手に取る。素人郷土研究家による自費出版本であり、1859年に2人の船員が一人旅をしていた女性を殺して死刑になった事件の詳細をまとめたものだ。しかし、読み進めていくうちに、モースは著者が重要な事実を見落としていることに気付く。果たして船員たちは本当に女を殺したのか?モースの頭脳が激しく回転を始める。
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入院中のベッドの上で歴史的な事件に対して推理を巡らせるという、まるでジョセフィン・テイの名作『時の娘』を彷彿とさせる作品です。ちなみに、『オックスフォード運河の殺人』の方も本国ではその年の最高ミステリー小説に贈られるゴールドダガー賞を受賞するなど、非常に高い評価を受けています。しかし、残念ながら日本ではそこまでの高評価は得られていません。その理由としては、モースならではの論理的アクロバットがほとんどない点と歴史上の事件を扱っているために推理の根拠がいつも以上に薄弱という2点が挙げられます。少なくとも、ミステリーとしての出来は『時の娘』の方が数段上です。その一方で、話のテンポは良く、読み物としては悪くありません。特に、ユーモアを効かせて描かれるモースの入院生活のエピソードが結構面白かったりします。モースの謎のモテモテぶりを始めとして、彼のキャラクターとしての魅力を楽しむべき作品だといえるのではないでしょうか。
1989年CWAゴールドダガー賞受賞


消えた装身具(1991)
オックスフォードを訪れていたアメリカ人ツアー旅行客の老婦人がホテルで急死した。死因は冠状動脈血栓症による心臓麻痺で事件性はないとの結論が下される。一方で、彼女が持っていたはずの高価な中世の装身具がカバンごと紛失しており、そちらは盗難事件としてモース警部が担当することになった。最初はおざなりに捜査を行っていたモースだが、被害者から装身具を受納することになっていた博物館のスタッフが死体となって発見されるや、彼の頭脳は激しく回転を始める。だが、連続殺人の可能性が濃厚との考えに基づいてツアー客やガイドの証言を集めたものの、彼らの証言内容は激しく食い違っており......。
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本作はテレビドラマ用の脚本をノベライズしたもので、そのためか内容はシリーズの中でもかなり薄味なものになっています。一応、いつものように推理が二転三転するものの、一つの新事実によって仮説が根底からひっくり返るなどといったダイナミックスさに欠けているのです。軽く修正を加える程度なのでその辺りはどうしても物足りなさを感じます。真相が明らかになる最後のプロセスももたつき、どうにもパッとしません。登場するのも年寄りばかりでキャラクターの魅力もいまひとつです。最大の読みどころはオックスフォードの観光名所案内といったありさまで、いかにもテレビドラマ向けな軽量級の作品といった印象です。


森を抜ける道(1992)
休暇中の旅先でモースは『タイムズ』の見出しに目を止める。記事によると、1年前にイギリスを旅していたスウェーデンの娘がリュックだけを残して失踪した事件があったのだが、その真相を暗示しているともとれる詩が警察に送られてきたというのだ。詩の内容は「スウェーデン人の娘は森で殺されて埋められており、発見されるのを待ち望んでいる」と解釈できるものだった。その詩が頭から離れなくなったモースは休暇を早々に切り上げ、死体が埋められているという森を大々的に捜索する。そして、白骨化した死体を発見するのだが.......。
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『別館三号室の男』辺りからどうにもパッとしなかったシリーズが完全復活を遂げたとして、日本のミステリーファンの間では特に高い人気を誇る作品です。いくつもの仮説が乱れ飛ぶ点はシリーズ初期と同じ趣向なのですが、本作の場合はそれをモースの脳内で繰り広げるのではなく、新聞の記事を読んだ複数の読者が推理合戦を繰り返すところが新味となっています。もっとも、素人推理である分、モースの迷走推理以上に主観的な解釈になっている点は賛否の分かれるところですが、試みとしてはなかなかユニークです。ちなみに、枝葉の謎に関しては結構ヒネリが効いていたりするものの、メインの事件の真相はそこまで意外というわけではありません。推理の切れ味や結末の意外性よりも、どちらかといえば、不可解な事件に対する興味や先の読めない展開、あるいは各エピソードの面白さなどで引っ張っていく作品だといえます。ミステリーとしてのテクニックばかりが突出していた初期作品に対して、本作は小説としての総合力で読ませる佳品だといえるでしょう。
1994年度このミステリーがすごい!海外編 第5位
1992年CWAゴールドダガー賞
受賞


モース警部、最大の事件(1993)
クリスマスの日、ミセス・マイクルズは入院している娘のためにブドウを買い、買い物袋の中に400ポンドの寄付金が入った封筒をブドウと一緒に入れる。ところが、酒場のカウンターに買い物袋を置いて電話をかけている間に寄付金だけが封筒ごとなくなってしまったのだ。容疑者は店内にいた30名。しかも、金に困っている常連客ばかりで犯行のチャンスは全員にあった。モースは事件解決のために一計を案じるが........。
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1975年のデビュー以来、雑誌などにポツポツと掲載されていた作品を一冊にまとめた、コナン・デクスター唯一の短編集です。ちなみに、全11作品が収録されていますが、すべてがモース警部シリーズというわけではありません。モースが登場するのは全7編で、しかもその内、1作はほんのチョイ役で登場するだけです。したがって、実質的にはモースシリーズ6編、非モース作品5編という構成になっています。そして、どちらかというと、非モース作品の方が良い出来のものが多いように感じます。というのも、短編では尺が短すぎてモースお得意の迷走推理がうまく機能していないのです。一応どんでん返しはあるのですが、なんだか窮屈な印象を受けてしまいます。一方、非モース作品はいずれもユニークな発想が光り、特にシャーロック・ホームズのパスティーシュである『花婿は消えた?』が秀逸です。ホームズの名推理を兄のマイクロフトがひっくり返して新たな推理を開陳する展開にはワクワクしますし、それを最後に意外な人物が再度ひっくり返すのが皮肉が効いていて愉快です。また、オチがぶっ飛びすぎている『モンティの拳銃』も良い味を出しています。ちなみに、モースものでは男が語る奇妙なエピソードを聞いて、モースが驚愕の真相を導き出す『ドードーは死んだ』がベストでしょう。以上のように、注目すべき作品もあるものの、全編を通して読むと、やはりコリン・デクスターは長編でこそ真価を発揮する作家だという印象を受ける結果となっています。
カインの娘たち(1994)
大学の寄付金集めを担当していたフェリックス・マクルーア博士が何者かに刺殺された。捜査の結果、過去に博士に雇われていたことがあり、現在は博物館の警備員をしているテッド・ブルックスが容疑者として浮上する。しかし、彼はその直後から行方不明となり、数週間後に刺殺死体となって発見された。テッド殺しに使用されたナイフはマクルーア博士の刺殺痕と完全に一致する。しかも、そのナイフは博物館から盗まれたものだった。そして、テッドに深い恨みを持つ3人の女性の存在が明らかになるも、彼女たちには鉄壁のアリバイがあった.......。
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本作は最初から容疑者が絞り込まれているため、二転三転といった展開はほぼないといっていいでしょう。代わりに、このシリーズとしては珍しく、アリバイ崩しに焦点が置かれています。そのため、ごく普通のミステリーといった印象を受けます。すっきりとした構成で読みやすく、アリバイトリックもなかなかよく考えられているので、モースシリーズならではのゴチャゴチャした展開が苦手という人にもおすすめしやすい作品です。一方で、シリーズのファンにとっては事件の謎以上にモースの体調が気になるところです。緊急入院をし、引退をほのめかすなど明らかにシリーズを畳みにきています。実際、本作を含めたラスト3作がシリーズ最終章というべき展開になっており、事件よりもむしろモースの行く末に目が離せなくなってくるのです。


死はわが隣人(1996)
オックスフォード大学の学寮長引退が目前に迫り、後継者選びの選挙活動が激化するなか、大学にほど近い閑静な住宅街で住人の女性が射殺されるという事件が発生する。モースは糖尿病に悩まされながらも聞き込みを開始するが、被害者が人から恨みを買っていたなどといった話は皆無だった。しかし、一癖も二癖もある住人たちの錯綜する証言を突き合わせているうちに、モースは学寮長選挙との意外な接点を発見する.......。
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もともとシリーズ最終作として書かれた作品です。そのため、表面的な描写に終始していたモースとルイスの関係が本作では初めて内面まで深く踏み込んで描かれており、コンビとしての成長を実感できる作りになっています。この辺りはシリーズのファンにとっては必読のシーンだといえます。その一方で、ミステリーとしての出来は芳しくありません。モースによる大胆な仮説は皆無で、トリックも平凡、なによりモースが事件をきっちり解明する前になんとなく解決してしまった点がいただけません。ミステリー的な部分だけを取り出してみればシリーズでも最低の部類に入る凡作です。


悔恨の日(1999)
持病の糖尿病で療養中のモースの元に上司のストレンジ主任警視が現れ、1年前に起きた未解決事件の再調査を依頼する。その事件とは、全裸で手錠を掛けられた看護婦が自宅の寝室で撲殺死体となって夫に発見されるという異常なものだった。有力な手掛かりもなく、迷宮入りすると思われた事件だったが、最近になって匿名の情報提供者が現れたという。いかにもモースが好みそうな事件だったが、彼自身はなぜか再調査には乗り気ではない様子だった。そんなモースの態度に不安を覚えながらも、ルイスは捜査を開始するが.....。
◆◆◆◆◆◆
シリーズ最終作です。もともとは前作の『死はわが隣人』でシリーズは終了となる予定だったものの、ファンから抗議が殺到して急遽もう一冊書きあげたという経緯があります。そういった作品は得てして蛇足になってしまいがちなのですが、本作の場合は逆にファンの声が良い方向へと作用し、前作よりも最終作に相応しい作品に仕上がっています。ミステリーとしてのプロットもしっかりしていますし、長年モースの相棒を務めてきたルイスの活躍も見逃せません。それに何よりも、完結編らしい趣向をしっかり盛り込んでいる点に好感が持てます。初期作品を読んでいた頃にはまさかこのシリーズの最終作を読んで泣くことになるとは思いもしませんでした。本作単体ではなく、シリーズの完結編として評価したい佳品です。
悔恨の日 モース主任警部 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
コリン デクスター
早川書房
2015-11-30


あとがき
コリン・デクスターの読者には主に3つのタイプが存在します。1つ目は2転3転4転5転するめまぐるしいどんでん返しに魅了されてファンになった読者です。こういう人たちはシリーズの中でも特に3作目までを強く支持し、それに次ぐ作品として評価しているのがシリーズ10作目の『森を抜ける道』です。一方、モースとルイスのコンビや全編を覆う軽妙なユーモアが好きだという人は、キャラクター性や世界観が固まってくる中期以降の作品を好む傾向があります。さらに、ロジカルな本格ミステリを期待してモースシリーズを読む人も少なくありません。しかし、彼らの多くは推理の根拠となるロジックの弱さにがっかりして、デクスターの作品から離れていくことになります。このように、デクスターはそこに何を求めるかによって評価が大きく分かれている作家なのです。そのことを念頭に入れ、まずは自分の好みに合いそうな作品から挑戦してみてはいかがでしょうか。



最新更新日2023/06/27☆☆☆

シャーロックホームズの登場以来、全盛を誇っていた英国本格ミステリも第二次世界大戦以降は凋落の一途をたどることになります。まず、40~50年代にかけてはサスペンスミステリーの人気が高まり、60年代に入ると、英国ミステリー界全体がスパイ小説一色に染まったことで、本格ミステリは息も絶え絶えな状態になっていきます。そんななかで一人奮闘し、上質な本格ミステリを発表し続けたのがD・M・ディヴァインこと、ディヴィッド・マクドナルド・ディヴァインです。彼の作品は事件を鮮やかに解決する名探偵や驚嘆すべき大トリックなどといった要素には欠けており、悪くいえば地味です。しかし、同時に、彼の作品には黄金期の名作群とはまた違った味わいがあり、名探偵やトリックに頼らなくても優れた本格ミステリが書けることを証明しています。結果として、彼が残したのは13作品にすぎませんが、クオリティの高さは折り紙つきです。具体的にどのような作品があるのかを順を追って紹介していくことにします。
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兄の殺人者(1961)
弁護士のサイモン・バーネットは亡き父の跡を継ぎ、兄のオリバーと共に事務所を営んでいた。ある日の夜遅く、サイモンはオリバーから事務所に呼び出される。深い霧の中をさ迷いながらもなんとか事務所にたどり着いたサイモンだったが、そこで彼が目にしたのは何者かの手により惨殺された兄の姿だった。警察はオリバーが卑劣なゆすり屋だと決めつけ、彼にゆすられていたとされる兄の知人を逮捕する。サイモンは知人の冤罪を晴らすと同時に兄の名誉を回復するべく、独自に調査を開始するが......。
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1920年生まれのディヴァインが41歳のときに発表したデビュー作です。ちなみに、本作は探偵小説のコンテストに応募して審査員だったアガサ・クリスティの絶賛を受けますが、応募規約に違反していたために受賞を逃しています。しかし、あまりにも良い出来だったために、出版社の判断で本となる運びになったわけです。とはいえ、ミステリーとしては派手な展開はなく、驚くようなトリックがあるわけでもありません。それにも関わらず、本作が高い評価を受けているのは二転三転する展開や登場人物が魅力的で、物語として非常に高い完成度を誇っていたからです。一方、本格ミステリとしても本作は決して凡庸なわけではありません。大きな仕掛けがなくてもロジックを丁寧に積み重ねることによって意外な真相を浮かび上がらせる手管は、ミステリマニアを唸らせるほどに見事なものです。関係者を全員集めて謎解きを始めるという古典的な手法も本作では効果的に作用しています。デビュー作にして、匠の技が光る傑作です。
1995年度このミステリーがすごい!海外部門14位
兄の殺人者 (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2010-05-22


そして医師も死す(1962)
医師のアラン・ターナーはスコットランドの小さな街で診療所を経営していたが、あるとき、共同経営者のヘンダーソン医師が不慮の死を遂げる。陪審員では事故死だという判決が出たものの、事件から2カ月が過ぎた頃、市長のバケットから状況の不自然さを指摘される。アランはヘンダーソンの死が計画殺人だったのではないかと疑念を抱くが、そうなると最も疑われるべきはアラン自身だった。なぜなら、彼はヘンダーソンの妻、エリザベスとの密通の疑いをかけられており、犯行機会の点からいっても最有力容疑者となるべき立場だったからだ。アランは彼自身とエリザベスにかけられた疑惑を晴らすために、独自に事件を検証するが......。
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前作同様に巧みなプロットとロジカルな推論の積み重ねが光ります。ただ、主人公の優柔不断ぶりには読んでいてイライラさせられる部分があり、その点は賛否の分かれるところではないでしょうか。また、真相の衝撃も前作に比べると今一つ及んでいない気がします。しかし、逆にいえば、さほど意外でもないはずの真相を最後の最後まで悟らせないミスディレクションの冴えはやはり見事ですし、「論理の穴」を巡る推理も印象的です。したがって、本作は、過大な期待さえ抱かなければ十分に楽しめる、堅実な第2作品というのが妥当な評価だといえるのではないでしょうか。
2016年度このミステリーがすごい!海外部門16位
2016年度本格ミステリベスト10 海外部門
1
そして医師も死す (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2015-01-22


ロイストン事件(1964)
教師のスキャンダルを巡る名誉棄損訴訟において弁護士のマークは父の意に背き、義兄のデレクを偽証と証拠隠滅の罪で告発する。その結果、父の怒りを買って勘当されたマークだったが、4年後にその父から至急帰宅せよとの手紙が届く。困惑しながら久しぶりに実家に戻ってきたものの、結局、父との再会を果たすことはできなかった。なぜなら、デレクの勤める新聞社内で父が他殺死体となって発見されたからだ。父はマークが勘当されるきっかけとなったロイストン事件の再調査を行っていたという。果たして彼は何に気づき、そして、なぜ殺されたのか......。
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世間的にはあまり評価の高くない作品ですが、その理由は犯人の意外性に欠ける点と決め手となる証拠の曖昧さにあります。それによって、解決編のカタルシスが十分に得られないのは事実です。ただ、そこに至るまでの伏線の張り巡らせ方やロジックの構築といった要素はかなりのレベルですし、複雑な人間関係を分かりやすく書き分けながら物語を進めていく筋運びも見事です。なにより、謎解きミステリーというジャンルにこだわりぬいたうえで、丹念に練り込まれたプロットは非常に高い完成度を誇っています。ディヴァイン作品のなかでも特に地味で華に欠ける点は否定できないところですが、本格ミステリ好きなら読んで損のない作品であることは確かです。


こわされた少年(1965)
16歳の少年、イアン・プリットはかつては優等生だったものの、あることがきっかけで、不良少年たちとつるみ始め、生活も荒れていった。そして、霧の深い夜に家を出て行ってしまったのだ。姉のアイリーンは親に反抗しての単なる家出だろうと考えていたが、イアンを溺愛する母親に泣きつかれて警察に相談をする。ニコルソン警部とアイリーンは共に調査を開始し、失踪事件の背景と思われる事実が次第に浮かび上がってくる。だが、肝心のイアンの行方は杳として知れなかった。しかも、調査を進めるうちに、アイリーンの背後に魔の手が忍び寄り.......。
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少年失踪の調査が中心となる前半は派手な事件が一切起きず、読者によっては退屈に感じてしまうかもしれません。しかし、そんな中でも、複雑な人間関係の裏側が徐々に解き明かされていく展開は読み応えがありますし、語り手であるニコルソン警部やアイリーン自身の問題がそこに絡まり、話に奥行きを与えることにも成功しています。そして、中盤以降は新たな事実が次々と明らかになり、一気に面白さが増していきます。これまでと比べてやや変則的なプロットを採用しているものの、伏線やミスディレクションの配置、あるいは意外な犯人を演出する手管などはやはり見事です。ただ、全体的に話が暗く、ラストにも救いがない点に関しては好みが分かれるでしょう。


悪魔はすぐそこに(1966)
若き数学者のピーター・ブリームはハードゲード大学で講師として働いている。父のデモンズは世界的な数学者であり、同じ大学の教授をしていたのだが、8年前に亡くなっていた。ある日、亡父の友人である経済学者のハクストン講師がピーターに助けを求めてくる。横領の容疑をかけられ、免職の危機に陥っているというのだ。だが、ハクストンは審問会で脅迫めいた言葉を口にしたのちに、自宅で変死を遂げる。さらに、名誉学長の暗殺をほのめかす脅迫状が届く。果たして、一連の事件の裏には何が隠されているのだろうか?そして、8年前にデモンズを死に追いやった醜聞との関係は?
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ミステリー作家としてのディヴァインのテクニックが超絶技巧の域にまで達した作品です。まず、物語は登場人物の内面描写を交えながら三人称視点で語られていくのですが、巧妙なミスディレクションによって真犯人を隠匿する手管には感動すら覚えます。それに加えて、伏線の張り方もより巧妙になり、ヒントがたくさん示されているのにも関わらず、それらに気づかせない技の切れも超一級品です。同時に、登場人物の書き分けも巧みで、各キャラに明確な個性が与えられています。そのため、海外ミステリーにありがちな誰が誰だかわからないといった事態に陥ることもなく、読み手は印象深い登場人物たちを脳裏に焼きつけながら犯人探しに集中できるようになっています。もちろん、解決編の切れ味も抜群です。まさに、フーダニットミステリーのお手本であり、当たり外れの少ないディヴァイン作品のなかでも上位に位置する傑作だといえます。
2008年度このミステリーがすごい!海外部門5位
2008年度本格ミステリベスト10 海外部門 2
悪魔はすぐそこに (創元推理文庫)
D.M. ディヴァイン
東京創元社
2007-09-22


五番目のコード(1967)
スコットランドの地方都市で高校に勤める女性教師が帰宅途中に襲撃を受け、殺されかける。そして、その事件を皮切りに次々と殺人事件が発生するのだった。しかも、犠牲者はいずれも絞殺され、現場には必ず8つの取っ手(コード)のついた棺桶が描かれたカードが残されるという共通点があった。これは8人の人間を殺すという犯人の意思表示なのだろうか?一方、地方紙の記者であるジェレミー・ブードルは、すべての犠牲者たちと関わりがある唯一の人物であったために事件への関与を疑われる。彼は自らの疑惑を晴らすべく、犯人の正体を追い求めるが........。
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エラリー・クイーンの『九尾の猫』を彷彿とさせるシリアルキラーものの本格ミステリです。同作品と同様にミッシングリンクの謎が中心に添えられているのですが、巧みなミスディレクションによって犯人の意図を見えにくくするテクニックが見事です。また、人物造形が巧みで、主人公や彼に協力して事件の謎を追うヒロインなど、登場人物がみな魅力的に描かれています。そのため、非常に読みやすく、あっという間に作品世界に引き込まれていくことになるのです。人が次々と死んでいく割にはサスペンス性はさほど高くないのですが、ストリーテリングの妙で読ませるのはディヴァイン作品ならではです。緻密なプロットも相変わらずで、謎解きミステリーとしても一級のクオリティを保っています。ただ、ミステリーを読み慣れている人であれば、犯人の正体を当てるのはそれほど難しくはないでしょう。とはいっても、別に伏線があからさますぎるとか、ロジックが簡単すぎるとかといった理由からではありません。伏線やロジックは巧妙に仕込まれているにも関わらず、ミステリー小説あるあるネタが用いられているために直感的にピンと来てしまうのです。したがって、一定数の読者はかなり序盤から真犯人の正体に気づきながらの読書を強いられることになります。非常に完成度の高い作品だけにその点だけがいささか残念です。なお、本作は1971年に『Giornata Nera per L'ariete(邦題:新・殺しのテクニック/次はお前だ!)』のタイトルでイタリア映画として公開されています。現在のところ、D・M・ディヴァイン唯一の映画化作品です。
1995年度このミステリーがすごい!海外部門19位
五番目のコード (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2011-01-28


運命の証人(1968)
弁護士のジョン・プレスコットは6年前と半年前の2件の殺人の容疑で裁判にかけられていた。しかも、それを見守っている全員が彼を有罪だと信じており、味方であるはずの弁護人からも罪を認めるべきだと説得される始末だった。なぜこんなことになってしまったのか?始まりはひとりの美女を友人から紹介されたことだった。のちに妻となるノラ・ブラウンとの出会いが彼の人生の歯車を狂わせることになったのだ。そして、現在。被告席に立つ彼は既に闘う気力を失っていた。果たして裁判の行方は?
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現在の裁判を描きつつも、過去に遡って事件の経緯を描いていくカットバック方式のミステリーです。一見、法廷ものの形をとっていますが、事件の詳細は意図的に伏せられており、被害者が誰なのかすらわからないまま回想シーンへと入っていきます。しかし、被害者が伏せられている故にすでに殺されることが確定している人物は一体誰なのかという、オーソドックスなミステリー作品とはまた一味違ったサスペンスを味わうことができます。さらに、小さな町の中でのドロドロした人間関係が織りなすドラマも濃密で読み応え満点です。しかし、この作品の真の凄さはそうした優れたドラマ性の中にさりげなく真犯人の手掛かりを散りばめ、しかも、全く違和感なしに読者に提示している点にあります。この辺りはディヴァインの真骨頂であり、もはや名人芸の域です。一方、法廷シーンでは心が折れて無実を訴える気力すら失っていた主人公が(原題の『The Sleeping Tiger』が目を覚ますが如く)闘志を取り戻す場面で大いに盛り上がります。そして、物語がクライマックスを迎えたときに散りばめられていた伏線が一気に回収され、それまで巧妙に隠されていた真相が姿を見せる展開が実に見事です。本作はレベルの高いディヴァインの作品群の中にあって、ドラマとミステリーの融合という点では上位に位置しています。特段驚くようなトリックや仕掛けがあるわけではないものの、著者の卓越した技巧が存分に堪能できる傑作です。ただ、主人公が奥手な性格として描かれている割に、安易に女性と関係をもっては窮地に追い込まれるという展開を繰り返す点については賛否が分かれるかもしれません。
運命の証人 (創元推理文庫 M テ)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2021-05-31


すり替えられた誘拐(1969)
地方の大学で、ある生徒が窃盗を行って退学処分にされるも、冤罪との声が上がり、生徒たちによる抗議運動に発展する。一方、大学に巨額の寄付を行っている資産家の娘で素行不良のバーバラは、わがままのし放題で大学の講師とも関係を持っていた。そんな彼女を拉致する計画が進行しているとの情報が大学当局に飛び込んでくる。どうやら抗議運動の一環らしい。果たしてバーバラは誘拐されるが、それはあくまでも狂言誘拐のはずだった。だが、バーバラは殺され....。
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著者最後の翻訳作品です。これで1994年の『兄の殺人者』から始まったD・M・ディヴァインの翻訳は現代教養文庫から創元推理文庫へとレーベルを変えながらも30年かけてすべて完了したことになります。さて、そんな本作ですが。トリックや仕掛けなどは皆無の、本格としては極めて渋い作品ながらも、大学関係者による錯綜した人間関係のドラマはリーダビリティが高くて読ませます。それに加えて、中盤以降のサスペンス展開もなかなかのものです。一方、本格としては主人公サイドが得た情報に基づいてロジカルに犯人の特定をしていく推理のプロセスがなかなか見事です。しかも、犯人が特定されたあとも物語が続いていくという『死の接吻』方式が採用されています。本格ミステリをきたいしいると地味過ぎて肩すかしかもしれませんが、さまざまな要素で楽しませてくれるいぶし銀の佳品です。
すり替えられた誘拐 (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2023-05-31


紙片は告発する(1970)
タイピストのルースは思慮の浅い人間性ゆえに、町議会議員の娘であるのにも関わらず、周囲からは軽んじられてきた。家でも出来の良い姉と比較され、鬱屈した日々を過ごす彼女だったが、ある日、勤務先の町政庁舎で奇妙で怪しげなことが書かれた紙片を拾い、それを警察に届けるつもりだと同僚たちに話してしまう。その夜、彼女は何者かに殺害され、死体となって発見される。現在、この町は町長選挙で揺れており、多くの人間が秘密を抱えていたのだ。副書記官のジェニファーもその一人であり、不倫関係にあった書記官のジェフリーが2人の関係発覚につながる手紙を落としたのではないかという疑念にとらわれていた.......。
◆◆◆◆◆◆
本作は最も評価の低いディヴァイン作品だといっても過言ではないでしょう。しかし、だからといって、全然棒にも箸にもかからない愚作だというわけではありません。たとえば、ルースが語り手のときには幼い自意識のフィルターがかけられて曖昧模糊だった世界が、語り手を聡明なジェニファーにチェンジした途端に何が起こっているのかが明快になるといった描写の対比は見事ですし、町政庁舎で繰り広げられる醜い権力争いやドロドロした人間関係のドラマも読み応えがあります。しかし、肝心の謎解きがパッとしないのです。ミスディレクションはほとんど機能していませんし、出てくるヒントはヒネリに欠け、あまりにもあからさまです。ミステリー部分に関しては、これまでの超絶技巧ぶりが嘘のようにあっさり風味な仕上がりになっています。一方で、余韻の残るラストを含めてストーリー自体は悪くないので、本格ミステリとしてではなく、地方政治の暗部を描いた社会派ミステリーとして読むべき作品だといえるかもしれません。
2018年度本格ミステリベスト10 海外部門 7
紙片は告発する (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2017-02-26


災厄の紳士(1971)
ネヴィル・リチャードソンはハンサムな見た目だけが取り柄の根っからの怠け者だ。ジゴロを気取ってなんとか糊口を凌いでいたものの、決して裕福だとはいえなかった。そんなとき、ある筋からうまい話が転がり込んでくる。著名な作家エリック・ヴァランスの娘であるアルマが、父の反対を押し切って婚約した男に捨てられたというのだ。早速、その傷心に付け込んでアルマに接近を図るネヴィルは、最初こそ彼女のわがままな言動に手を焼くものの、共犯者の的確なアドバイスを得て確実に彼女の心を籠絡していく。ついにはヴァランス邸に招かれ、あと一歩で計画成功のところまでこぎつけるネヴィルだったが、そのとき、とんでもない災厄が彼に襲いかかる。ネヴィルは何者かによって殺されてしまった。打ちのめされたアルマのために姉のサラが事件の真相究明に乗り出すが.......。
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前半が結婚詐欺を巡るコメディ風味のコンゲームになっており、そこから一転して殺人事件を巡る本格ミステリに切り替わるコントラストがなんとも鮮やかです。しかも、事件発生までを被害者であるネヴィル視点で描くことが犯人の正体を隠すミスディレクションの役割を果たしているところにもうまさを感じます。物語としての面白さを保ちつつ、読者に真相を悟らせない技巧を施している点などはやはり、ディヴァインならではです。登場人物が少ないので、犯人を直感で当てる人はいるかもしれませんが、ちゃんとした推理で導き出せる人はまずいないのではないでしょうか。それでいて、犯人の正体を知ってから振り返ってみると、多くの読者は「犯人はその人物しかありえないのに何故気付かなかったのだろう?」といった感想を持つはずです。この作品に用いられているミステリーとしての仕掛けはそれほどまでに優れているのです。『野獣死すべし』を始めとして2部構成の本格ミステリというのはいくつかありますが、本作はそれらのなかでも、その形式がもっとも巧みに用いられた作品の一つだといえます。
2010年度このミステリーがすごい!海外部門14位
2010年度本格ミステリベスト10 海外部門 1
災厄の紳士 (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2009-09-30


三本の緑の小壜(1972)
夏休みに友人たちと泳ぎに出掛けた13歳の少女、ジャニス・アレンはその帰り道で行方不明となり、のちにゴルフ場で全裸死体となって発見された。有力な容疑者として町の診療所に勤める若い医師、テリー・ケンダルが浮上するも、ほどなくして彼は深夜の崖から転落して命を落としてしまう。犯行を苦にしての自殺だと噂されるなか、テリーの弟、マークは真相をつきとめるべく密かに調査を始めるのだった。ところが、再び13歳の少女が殺される。一体、犯人はなぜ13歳の少女ばかりを狙うのか?
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事件の発端が少女の全裸死体というのは、まるでサイコサスペンスを先取りしたかのような展開ですが、ディヴァイン作品だけあって猟奇的な趣向は極めて希薄です。その代わり、各章の冒頭に被害者たちに危険が忍び寄るシーンを配置することによって、サスペンス性を高めることに成功しています。また、語り手の一人となるマンディや13歳の少女アンなどといった登場人物も魅力的であり、物語世界に読者を引き込む牽引力になっています。さらに、語り手をバトンタッチしていき、さまざまな視点から事件を描くことで、ストーリーに深みを与えている点も見事です。特に、クライマックスに向けての盛り上がりには心踊らされるものがあります。ただ、本作は『紙片は告発する』と同じようにミスディレクションがあまり施されておらず、犯人の正体が分かりやすいのが玉に瑕です。そのため、ディヴァインの得意とするフーダニットミステリーとしては高い点数をあげることはできません。その代わり、心理サスペンスとしてみた場合は、実に読み応えのある傑作だといえます。
2012年度本格ミステリベスト10 海外部門 1
三本の緑の小壜 (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2011-10-29


跡形なく沈む(1978)
憎み続けていた母が死に、彼女の遺品から顔も知らない父の手掛かりを得たルース・ケラウェイは小都市シルブリッジに渡り、父親への復讐の準備に着手する。一方、シルブリッジの役所に勤めるケン・ローレンスは同じ職場で働くことになったルースに興味を惹かれ、やがて彼女が見知らぬ父を探しながら、数年前に起きた協議会議員選挙における不正についても調べていることを知るのだった。ルースの不可解な行動は町の人々の動揺を誘い、ついに事件が発生する。ルース・ケラウェイが何者かに殺されたのだ。ケンは元婚約者のジュディとともにその事件に巻き込まれていくが.........。
◆◆◆◆◆◆
デビュー以来、ほぼ毎年新作を発表し続けていたディヴァインにしては珍しく、前作から6年のインターバルを経て発表された作品です。しかも、本作は彼が生前最後に発表した作品でもあります。最大の読みどころはなんといっても、多彩な登場人物たちが織りなす人間模様です。視点人物が何度も変わるなかで、実に多くのキャラクターが登場しますが、彼らを見事に描き分け、それぞれの個性を鮮明に浮かび上がらせている点は作者の円熟の味を感じさせてくれます。同時に、それぞれの心理描写が見事で、人間関係が複雑に絡み合うドラマには引き込まれるものがあります。加えて、ルースによってまかれた火種が町の政治にまで波及していくなど、この先どうなっていくのかが気になる筋運びも秀逸です。さらには、主役2人による切ない恋愛模様も大きな見どころとなっています。このように、ドラマ的には非常に充実している本作ですが、謎解きミステリーとしては伏線が弱くて犯人を特定する推理にキレがないなど、全体的に完成度の低さが目につきます。とはいえ、犯人の正体が明らかになる終盤の展開はスリリングですし、ラストの締め方も印象的です。物語としては十分に読み応えがある佳品だといえます。
2014年度本格ミステリベスト10 海外部門 4
跡形なく沈む (創元推理文庫)
D・M・ディヴァイン
東京創元社
2013-02-28


ウォリス家の殺人(1981)
歴史学者のモーレス・スレイターは、少年時代に兄弟同然に育った人気作家のジェフリー・ウォリスの邸宅を訪問する。最近様子のおかしいジェフリーを心配した家族に懇願されての来訪だった。どうやらジェフリーは兄のライオネルから脅迫を受けているらしい。それに加え、ジェフリーが長年書き続けていた日記を出版しようという計画が、一族の複雑な人間関係に強い緊張感をもたらしていた。そして、ある夜、ジェフリーとライオネルは、コテージに争った痕跡と大量の血痕を残して行方不明となる。果たして、ここで何が起きたのか?
◆◆◆◆◆◆
死後に発表されたディヴァインの遺作です。ただ、彼が最後に書いた作品だというわけではないらしく、作中の年代などからデビュー作の『兄の殺人者』と同時期のものではないかと推測されています。そういえば、デビュー以降ずっと1年1作ずつ発表しているのに『そして医師も死す(1962)』と『ロイストン事件(1964)』の間にだけ1年の空白があるのですが、もしかすると、そのときに書かれた作品なのでしょうか。だとしたら、どうしてお蔵入りになったのか意味がわかりません。なぜなら、本作は『そして医師も死す』や『ロイストン事件』などよりずっと完成度が高いからです。登場人物が少なくてすっきりした読み応えなのにもかかわらず、犯人の正体を容易に悟らせないミスディレクションの冴えはかなりのものですし、読み直してみると犯人に直結するヒントを堂々と配置している大胆さにも驚かされます。それに、個性的な登場人物がドロドロのドラマを展開するというディヴァインならではのドラマ性の高さが備えられており、ジワジワとサスペンスを盛り上げていく手管も見事です。ただ、強いて挙げるならば、犯人を指摘するシーンがあっさりしすぎて盛り上がりに欠ける点が欠点だといえるかもしれません。とはいえ、極めてレベルの高い作品であることは確かで、代表作の一つに数えられるのは間違いのないところです。
2009年度このミステリーがすごい!海外部門10位
2009年度本格ミステリベスト10 海外部門 1
ウォリス家の殺人 (創元推理文庫)
D.M. ディヴァイン
東京創元社
2008-08-30



あとがき
D・M・ディヴァインが世に出した13の長編小説は力作揃いで、駄作というべきものは一冊たりとも存在しません。したがって、発表年数の順に読んでいくのも一つの手です。しかし、謎解きを存分に楽しみたいというのであれば、物語としては読み応えがありながらもフーダニットミステリーとしては比較的薄味の、『紙片は告発する』『三本の緑の小壜』『跡形なく沈む』の3作は避けたほうが無難かもしれません。また、本格ミステリ作家D・M・ディヴァインの極上の部分だけを味わいたいというのなら、『兄の殺人者』『悪魔はすぐそこに』『五番目のコード』『災厄の紳士』『ウォリス家の殺人』の5作品がおすすめです。いずれにしても、戦後の、特に60年代以降の英国ミステリーは謎解き要素が薄くてつまらないと思い込んでいる人はD・M・ディヴァインの作品を一度手にしてみることをおすすめします。きっと認識が変わるはずです。



最新更新日2023/10/05☆☆☆

『エースをねらえ!』『YAWARA!』『あさひなぐ』などを始めとして、女性を主人公にしたスポーツ漫画は数多くありますが、そのなかでも、女子野球漫画というジャンルは、他と比べて異彩を放っています。なぜなら、女子野球だけが、女性同士ではなく、女子VS男子の対決を基調としてきたからです。こうしたスタイルが一般的になっているスポーツ漫画はほかの競技ではまず見当たりません。とはいうものの、現在では、女性VS女性を描いた本来の意味での女子野球漫画も増えてきました。そこで、女子野球漫画の歴史を振り返りながら、「男女混合タイプ」と「女子オンリータイプ」の代表的な作品をそれぞれ紹介していきます。
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※西暦表記は連載を開始した(描き下ろしの場合は単行本の初巻を発売した)年です
A.男女混合タイプ
日本において野球は戦前から高い人気を誇るスポーツでしたが、その一方で、女性が競技者として参加することはほとんどありませんでした。1950年には女子プロ野球が設立されたものの、それも自然消滅していきます。そのため、女性同士のチームで試合をするなどといった状況はほぼありえないことだったのです。そうした現実を踏まえ、女子野球漫画といえば、女性が男性に混じって野球をするといった展開がほとんどでした。あるいは女性で結成されたチームがその他大勢の男性チームに挑んでいくという内容の作品もしばしば見られます。いずれにしても、体力に劣る女性がパワフルな男性選手にいかにして勝つかといった内容がドラマの中心にあったわけです。しかし、時代の流れと共に、そういったスタイルにも変化が生じてきます。具体的にどういった作品があるのかを順を追って説明していきます。

1972年

野球狂の詩(水島新司)
1975年のドラフトで東京メッツは水原勇気という無名の選手を1位で指名する。マスコミは水原勇気の在籍している高校に取材に行くが、そこで驚くべき事実が判明する。水原勇気は女性だったのだ。野球協約には支配下選手として登録できるのは男性だけであるという規定があり、それにもかかわらず独断で指名を決めた岩田鉄五郎に対して、球団オーナーは激怒する。また、水原自身も卒業後は獣医の道に進む予定であり、野球を続けるつもりはなかった。しかし、水原の才能に惚れぬいていた岩田は彼女を粘り強く説得し、入団を決意させる。さらに、オープン戦での強行登板などで投手としての実力をアピールすることで犬神総裁から選手登録の許可を取り付けるのだった。こうして公式戦初登板を迎えた水原は、序盤こそ左のアンダースローから繰り出す快速球とナチュラルに変化する独特の球筋でプロの打者を翻弄していくが、球質の軽さとスタミナ不足が露呈して最後は滅多打ちにされてしまう。二軍に落とされた水原はそこで軍曹の異名を持つ捕手の武藤と出会い、2人で夢の魔球・ドリームボールの開発に取り組むことになるが.......。
◆◆◆◆◆◆
男臭い野球漫画の世界に女性選手を初めて主人公として登場させた画期的な作品です。とはいえ、連載初期から中期にかけて水原勇気は登場しておらず、内容そのものも50代の現役投手・岩田鉄五郎を中心とした非常に泥臭いものでした。それだけに、連載4年目にして突如、華奢で可憐な水原勇気が新たな主人公として登場したのには驚かされました。しかも、安易に美少女投手を活躍させるのではなく、協約の壁や体力的な女性の限界をきっちりと描いている点にも感心させられます。そして、それらをいかにして乗り越えていくかというドラマは読み応えがあるものでした。何より、魔球・ドリームボールを巡る謎と相手打者との駆け引きが非常にスリリングです。また、水原勇気自身も可愛らしさと凛々しさを兼ね備えた魅力的なキャラであり、さすがは野球漫画史上最も有名な女性選手だけのことはあります。なお、『野球狂の詩』自体は1977年に連載終了となりますが、水原勇気はその後も『野球狂の詩 平成編』『野球狂の詩VS.ドカベン』『ドカベン ドリームチーム編』など、さまざまな作品に登場しています。


1987年

チェンジ(小山ゆう)

10歳の少女、高杉早は大の野球好きだったが、事故で足が動かなくなり、田舎の医療センターで入院生活を送っていた。あるとき、彼女は菊川西高の野球部員と出会い、エースの下田明から試合を見せてくれるという約束を交わす。ところが、試合当日に早は交通事故で命を落とす。それを不憫に思った新米の死神は自分の寿命を削って早に49日間の命を与えるのだった。高校生として生き返った早は菊川西高校に入学し、野球部に入部する。そして、他の野球部員たちと共に残り少ない日々を精一杯生きていくが.......。
◆◆◆◆◆◆
純粋無垢な女性キャラが多い著者の作品のなかでも本作のヒロインは中身がリアル10歳だけあってそれが、少々やりすぎの域にまで達しています。しかし、その無垢な描写が限られた命という設定とマッチして終始切ない雰囲気を醸し出すことに成功しているのです。また、真っすぐな性格の熱血主人公やクールに振舞いつつも勝負に執念を燃やすライバルといったキャラの配置も青春ドラマを盛り上げる要素として過不足ないものです。そして、何といっても最大の見どころは、早の秘密をみんなが知ってからの展開です。彼女に勝利をプレゼントするために一丸となって闘う姿にはぐっとくるものがあります。ラストがややご都合主義なのは賛否が分かれるかもしれませんが、それを差し引いても素晴らしいといえる感動傑作です。
チェンジ 1巻
小山 ゆう
ビーグリー
2015-09-25


1991年

メイプル戦記(川原泉)
1991年。野球協約改正に伴い、女性にもプロ野球の門戸が開かれることになる。それに伴って、1992年に誕生したのが、女性だけを集めたセリーグ7番目のチーム、スイート・メイプルスだ。入団資格を女性だけに限定した背景には、宝塚歌劇団の大ファンである球団オーナーの強い意向があった。そうして集められた選手たちは、ディスコ・クイーンやプロ野球選手の妻、元甲子園優勝投手のオカマといった個性的な面々。そんな彼女らを率いるのはかつて無名の高校を夏の全国大会準優勝に導いた広岡真理子監督だった。やがて開幕を迎え、メイプルスは大方の予想に反して快進撃を続けるが、対戦チームの油断がなくなり、戦力分析も一通りされたあたりから劣勢に立たされるようになる。しかも、チーム内ではアクシデントが続発し......。
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素人の女性監督が弱小野球部を甲子園に導いていく『甲子園の空に笑え!』の外伝的作品です。野球漫画だというのに泥臭さや熱血といった要素は希薄で、シリアスな問題について触れつつも、全体的にはのほほんとした雰囲気に包まれている点がいかにも川原作品です。『甲子園の空に笑え!』と同様に、既存の野球漫画とは全く異なる空気感を味わうことができます。そして、ユーモラスな展開に笑いながらも最後は野球漫画としてしっかりと盛り上げてくれるところが見事です。特に、後半戦で記録的な連敗を喫しながらも、各選手の奮闘によって巻き返していくくだりは燃えますし、最後は大いに泣かせてくれます。短い作品ながらも、野球を主題とした少女漫画の頂点に立つ作品といっても過言ではない傑作です。
メイプル戦記 1 (白泉社文庫)
川原泉
白泉社
2013-06-10


1992年

無敵のビーナス(池田恵)
森若は前の学校の野球部で問題を起こして退職したすちゃらか教師。だが、野球への未練を断ち切れず、朝香女子高の硬式女子野球部の監督を引き受けることになる。そこで彼は187センチという女性離れした体格を持ちながら、上がり症で実力を発揮できていない野球部員、斉藤光にピッチャーとしての素質を見出す。彼の指導により、やがて彼女は時速150キロの剛腕を誇るエースへと成長していく。一方、森若が前の学校で暴力事件を起こしていたことが問題視され、朝香女子高の大会出場が危ぶまれる事態となってしまう......。
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すっきりとした絵柄は読みやすく、キャラも一人一人を魅力的に描くことに成功しています。ただ、王道的スポーツ漫画とこの絵柄はややミスマッチの感があり、気弱なヒロインという設定も話を盛り上げる際の阻害要因になっているのは否めないところです。一方、第2部の後半からの畳みかける展開には素晴らしいものがあるだけに、盛り上がるまでに時間がかかってしまった点が惜しまれます。こうして見てみると、決して完成度は高いとはいえないものの、どこか忘れ難い味があるのも確かです。今読んで面白いかは微妙ですが、黎明期の女子野球漫画を語るうえで外せない一作だといえるでしょう。


1994年

君は青空の下にいる(森本里菜)
一ノ瀬渚は野球好きの少女で、小学生のときは天才ピッチャーとしてリトルリーグで活躍していた。ところが、中学生になると、女だからという理由でレギュラーから外され、渚は次第に野球に対する熱意を失っていく。そんなとき、高校野球の規定が変わり、女子でも公式戦に参加できるというニュースが飛び込んできた。やがて、美浜高校に入学した渚はピッチャー志望の選手として野球部に入り、厳しい練習にも喰らいついていく。しかし、他の男子部員は女子が自分たちと一緒に野球をやることを快く思っておらず.......。
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りぼんにしては珍しい、王道的スポコン野球漫画です。周りのイジメや偏見に負けずに自分の信念を貫き、やがて周囲との信頼関係が芽生えてくるという展開は、ベタながらも読んでいて胸が熱くなるものがあります。長髪の野球部員が多い、華奢な体つきの女性投手なのに時速140キロの速球を投げ込むといった具合に、超人系野球漫画というわけでもない割にはリアリティに欠けてますが、そこは少女漫画だと割り切って読むのが正解でしょう。さわやかな読後感を味わえる佳品です。


1997年

朝子の野球日記(水島新司)
櫟朝子は岐阜県にある弱小野球部のマネージャーをしながらも、高い野球センスを買われてバッティングピッチャーも務めていた。そんな朝子が、あるとき練習試合で投げることになり、思わぬ快投を披露する。その噂はたちまち岐阜県中に広まり、美人だったこともあって朝子の人気は急上昇。ついには高野連を説得して公式戦出場が認められるまでに至ったのだ。連戦連敗だった野球部も絶対的なエースが誕生したことでメキメキと力をつけ、甲子園を目指すまでになるが........。
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野球漫画の巨匠・水島新司が『野球狂の詩』以来、20年ぶりに描いた女子野球漫画です。とはいうものの、内容的にはいつもの水島作品で、これといった目新しさはありません。その代わり、安定した面白さはさすがで、また、女性が主人公だからか、水島作品としては珍しく、お色気シーンが多めなのも特徴的です。ちなみに、華奢な体でか弱さが強調されていた水原勇気に対して、朝子は雪山通学で培ったがっしりとした体つきをしており、逞しさを前面に押し出しています。一方、投手としては、ドリームボールに頼りっきりだった水原勇気とは違い、ノビのあるストレート、高速スライダー、スローカーブといった現実的な球種のコンビネーションで勝負している点も目を引きます。そうしたところに注目して両作品を読み比べてみるのも一興ではないでしょうか。なお、本作は高校の大会が終わって卒業後の進路に注目が集まるところまで描かれていますが、掲載誌であったビックコミック・ゴールドの休刊に伴い、その後がどうなったのかわからないまま終了しています。


2000年

Boy Meets Girl~マウンドの少女~(塀内夏子)

リトルリーグでショートとして活躍している森田文武は、負けず嫌いの少年で食事と睡眠以外はすべて野球に費やしていた。その彼が所属する富士見リトルに文武と同い年の神武しおりが入部する。しおりは女の子ながらも左腕から繰り出す速球と多彩な変化球によってめきめきと頭角を現していく。彼女の加入で強豪チームの一角となった富士見リトルのライバルは全国優勝の経験もある住吉リトルだった。このチームには十割バッターと噂される古荘勇樹と女金太郎の異名を持つ剛腕エースの立花アヤコがいる。練習試合では互いのエースの球を打ち崩せずに引き分けに終わるが、しおりは住吉リトルの強さを肌で感じるのだった。そして、今までの練習嫌いが嘘のように、真剣な姿勢で野球に取り組むようになっていく。一方、しおりと共に朝練で汗を流す文武は彼女に対して淡い恋心を抱きはじめる。しかし、しおり自身はライバルの勇樹が気になり始め......。
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『オフサイド』や『Jドリーム』などのサッカー漫画で知られる著者が野球に挑戦した作品です。野球描写自体は少々首をかしげるところもありますが、男女混合で行うリトルリーグならではの甘酸っぱい雰囲気がよくでています。また、野球をしたことがない人でもノスタルジックな雰囲気に浸れるのもこの作品ならではの特徴といえるでしょう。野球そのものよりも、思春期の入口にたった少年少女を描いた青春ものとしてよくできた佳品です。
Boy Meets Girl ~マウンドの少女~ 1巻
塀内夏子
電書バト
2016-04-08


キラリが捕るッ(高橋のぼる)
八百長事件に巻き込まれて球界を永久追放された父の汚名を晴らすべく、娘の美輪きららはキャッチャーとして東京ジャッカルズに入団する。史上初の女性プロ野球選手ということで周囲からは色眼鏡で見られ、チームメイトからも反発されるキララだったが、彼女の成長と共にチームも変わっていく。万年最下位だったジャッカルズがリーグ優勝を目指すまでになったのだ。やがて、ジャッカルズは首位争いをしているエレファンツとの天王山を迎えるが...。
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『土竜の唄』で知られる高橋のぼるの野球漫画ですが、ヒロインがプロ野球のキャッチャーという意表を突いた設定がいかにもといった感じです。癖のある絵柄と下品な作風は好みの分かれるところではあるものの、野球描写は意外としっかりしています。そのうえ、ヒロインがキャッチャーということで他の野球漫画にはない個性も加味されており、既存の女子野球漫画とは一味違った高橋ワールドを満喫することができます。全6巻と短い作品ではありますが、終盤の熱い展開といい、なかなかの良作だといえるのではないでしょうか。


2001年

剛球少女ー甲子園に賭けた夢ー(原作:/作画:千葉きよかず)
麻生遥はプロでエースとして活躍した夏川啓吾の娘だった。その啓吾は八百長疑惑でプロから追放され、3年後に無罪が証明されるも復帰戦当日に交通事故で亡くなっていた。遥は父の遺志を継ぐべく、彼の母校である港北大学附属湘南高校野球部に入部する。しかし、高校の公式試合では女子の出場は認められていない。それでも「あきらめない限り夢は叶う」という父の言葉を胸に練習に打ち込んでいくのだった。そんな彼女に選手や監督はつらく当たるが、練習試合での熱投によって周囲の見る目が違ってくる。こうして遥がチームから認められたことにより、全員一丸となって甲子園を目指すことになるのだが........。
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長年低迷していた元強豪校が一人の天才女性投手の登場によって、意識改革が行われ、高い目標にチャレンジしていくというかなり王道的な野球漫画です。また、周りからつらく当たられながらも決して諦めることなく、かといって変な気負いもない自然体なヒロインにも好感が持てます。絵も綺麗で、伸びのあるストレートとコントロール抜群のナックルを武器に強打者と渡り合う勝負シーンも読み応え満点です。ただ、全体的にヒネリのないベタなストーリーに対しては好みが分かれるかもしれません。その代わり、そのベタな展開をじっくりと描くことで熱いドラマに昇華している点は見事です。チームメイトとの友情やライバルとの間に芽生える心の絆に胸を打たれる力作です。


2002年

神様がくれた夏(えぬえけい)
夏希はリトルリーグでエースとして活躍していたが、中学になると野球をやめてしまう。想いを寄せていた男の子・英一から「野球をやっている女は好きになれない」という理由で振られてしまったからだ。それからというもの、クラスメイトたちとファッションや芸能人の話をし、女の子らしく振舞おうとするものの、心の中ではちっとも楽しめずにいた。そんなある日、夏希は顔見知りの監督から弱小チームをお前の力で救ってくれと懇願される。再び野球を始めた彼女は勝利を重ね、自分を振った男の子との対決の日を迎える.....。
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月刊少女漫画誌のなかよしに全2話で掲載された短編作品です。短いながらも緊迫感あふれる野球のシーンに少女漫画らしい恋愛要素を絡め、読み応えのある作品に仕上がっています。一方、可愛らしい絵柄も魅力となっており、特に、ラストで見せるヒロインの笑顔が印象的です。ちなみに、本作にはサッカーを題材にした『G・K・1』が収録されていますが、こちらもなかなかの傑作です。


2005年

アイドルA(あだち充)
超高校級の投手として騒がれ、東京オニオンズの指名を受けた平山圭太と人気急上昇中のグラビアアイドル・里見あずさは幼馴染。しかも、2人の間にはとんでもない秘密があった。実は平山圭太自身はなんのとりえもない凡人で、投手として活躍していたのは里見あずさだったのだ。圭太はあずさの2足の草鞋がばれないように彼女の影武者を努めていたのだが.......。
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青春野球漫画の第一人者であるあだち充のコメディ色の強い一作ですが、いくらコメディでも荒唐無稽さがひどすぎます。まず、ヒロインが華奢な体つきのグラビアアイドルでありながら、マウンドに上がれば碌に練習もしていないのに150キロ台のストレートを投げ込んで、プロのバッターをきりきり舞いさせるというのはありえなさすぎです。しかも、双子でもないのに20歳近い男女が入れ替わって、誰からも気付かれないなどということがあるはずもありません。もしこれを凡百の漫画家が描いたならば、棒にも箸にもかからない愚作になったでしょう。しかし、そこはさすがあだち充です。もともと主役級の顔はみな同じという欠点を逆手にとり、それに加えて独特の緩い空気感を押し通すことで、無茶な設定をなんとなく納得させてしまっているのです。話の展開も一見単調なようにみえながら、要所要所でメリハリをつけ、読者を飽きさせません。まさに、あだち充ならではの名人芸です。


2008年

高校球児ザワさん(三島衛里子)
都澤理沙は女性でありながら日践学院高校野球部に所属し、男子部員と共に練習に励んでいる。中学時代にはリトルシニアで投手兼遊撃手として関東大会優勝の経験もあり、兄はプロも注目している日践学院高校野球部のエースだ。規定により公式戦への出場はできないものの、理沙は練習試合には出場し、高校卒業後も野球を続けるつもりだった。そんな彼女の日常は........。
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男女混合型の女子野球漫画と言えば、ヒロインが規約の壁を突破して野球の公式戦に出場し、屈強な男子選手をきりきり舞いさせるというのが一つの定型でした。しかし、本作ではそういったファンタジックな要素は排除されており、女子野球選手の日常を淡々と描いている点が異彩を放っています。試合の場面はほとんどなく、部活動のシーンが大半を占めているので普通なら単調な作品になってしまいそうですが、多彩な視点からあるあるネタを盛り込んで飽きさせないのが見事です。また、露骨なお色気シーンなどはない代わりに、女性選手の何気ない仕草からほのかなフェティシズムを感じさせる仕様となっており、フェチすぎる野球漫画としてメディアに紹介されたこともあります。色々な意味で、女子野球漫画の常識を打ち破った一作です。


大正野球娘。(原作:
神楽坂淳/漫画:原作伊藤伸平)
1925年。東邦星華女学院に通う鈴川小梅は親友の小笠原晶子から野球を一緒にしてほしいとお願いされる。詳しく話を聞いてみると、パーティーで男性から「女性は主婦として家庭に入るべき」と言われたのが悔しくて、彼の得意な野球で見返したいのだという。小梅は晶子の考えに賛同するも、2人とも野球のことを全くといっていいほど知らなかった。そこで、級長の宗谷雪や学校一の秀才である川島乃枝の協力を得て、メンバー集めをしつつ、男子チームに勝つ方法を模索していくことになるが.......。
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2007年にライトノベルとして発表された作品のコミカライズです。2009年にはアニメ化もされており、先にそれらに触れていた場合はキャラデザがかなり異なるので違和感を覚えるでしょう。また、物語の大筋はどれも大体同じですが、原作やアニメ版のさわやかなスコポンコメディといったノリと比べると、コミック版はギャグテイストへと大きく舵を切っています。なにより、肝心の野球をあまりしていないのが気になるところです。一方で、原作とは別物だと割り切って読めば、キャラ同士の軽妙な掛け合いやブラックな笑いなどはかなり楽しめる出来に仕上がっています。それに、野球の試合も最終巻ではきっちりと描いており、手に汗握る展開を見せてくれます。ラストが少々あっけないのが残念ですが、好評だった原作やアニメとはまた違ったテイストを味わえる佳品です。
大正野球娘。 (1) (リュウコミックス)
伊藤 伸平
徳間書店
2009-02-20


2009年

夏草ホームベース(平手将之)
先輩が全員卒業し、唯一の野球部員となった古橋圭太。彼は部の存続のために行きすぎた勧誘活動を行い、幼馴染で生徒会副会長の水谷泉にいつもたしなめられていた。そんなとき、1年生の女の子・綿貫操が野球部に入部したいといってくる。大喜びの圭太だったが、実は彼に気のある泉は野球部を潰して圭太を生徒会に入れるべく、生徒会権限で野球部存続を賭けての勝負を強制する。しかも、彼女が助っ人として雇ったのは甲子園常連校の4番だった。あまりにも不利な条件だったが、ピッチャー志望の操がその勝負を受け、なんと150キロは超えていると思われる剛速球で相手のバットをへし折ってしまう。果たして彼女は何者なのか?
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部員の少ない弱小野球部を再建していくという王道的な展開の野球漫画ですが、全体的にラブコメタッチで絵も可愛らしいという点が持ち味となっています。ヒロインの操が高校に入ったばかりで150キロオーバーのストレートを投げるなど、あり得ないくらいチートなのも、ギャグとしてみれば悪くありません。話のテンポもよく、野球に詳しくない人でも気楽に楽しめる作品です。ただ、早々と打ち切りになったため、肝心の試合がかなりはしょられており、本格的な野球漫画を期待していた人にとっては物足りなさを感じるでしょう。それから、連載時は全22話だったものが、単行本2巻に収めるため全16話にカットされている点もいささか残念です。


2012年

しこたま(ニシカワ醇)
剛力たまは幼いころより野球好きの父に鍛えられ、日常生活においても全身に重りをつけて筋力強化を図るほどの熱血少女に育っていた。そして、足を高く上げることで男子顔負けの剛速球を繰り出すノーザンクロス投法を編み出し、野球の名門として知られる私立国際天上高校に入学する。だが、野球部への入部は、キャプテンにして高校野球屈指のスラッガーである橘スケキヨが猛反対をし、結局、女性だという理由で拒否される。そこで、たまはメンバー9人を集めて野球部に試合で勝ち、野球部そのものを乗っ取る計画を画策するが........。
◆◆◆◆◆◆
ノーザンクロス投法や龍笛打法といった必殺技が次々と飛び出す、昔の野球漫画のパロディのような作品です。しかも、女性キャラの可愛らしさに反して、いかにも少年チャンピオン的な下ネタが満載で、いろいろぶっ飛んでいるところがウリとなっています。野球漫画として読めばくだらなさすぎて脱力必至なのですが、そのくだらなさを楽しむべき作品です。



マウンドファーザー(野部利雄)
弱小球団東都エンジェルズの元投手・辺里教武は引退後にスカウトになるも、彼が探しだしてきた選手は皆使い物にならず、苦境に立たされていた。そんなある日、彼は女子高生の神堂マリと出会う。彼女は野球部に所属しており、しかも、練習試合では投手として21奪三振を記録したこともあるというのだ。彼女の投球を実際に目にした辺里は、これは金の卵だと直感し、球団オーナーを説得して彼女と入団契約を結ばせる。こうして史上初の女性プロ野球投手が誕生し、辺里プロデュースによる神堂マリ育成計画がスタートするが......。
◆◆◆◆◆◆
プロ野球関係者が女性選手の才能に惚れてプロ入りさせるという点は『野球狂の詩』と同じですが、本作の場合はそこから先が少し異なります。単に天才女性投手に無双させるのではなく、女性としての限界を踏まえたうえで、ヒロインの能力をプロの投手として最大限に活かすにはどうすればいいかを徹底的に考え抜いているのです。その創意工夫が既存の女子野球漫画にはなかった面白さにつながっています。それに、野球に関する蘊蓄も色々と盛り込まれており、たとえば、当時導入されたばかりの統一球に関する分析などは興味深いものがあります。比較的早い巻で打ち切りとなってしまったため、終盤の展開が駆け足なのは残念ですが、野球好きな人にこそ読んでほしい佳品です。


2013年

勝利の女神だって野球したい(松本ミヒ)
20XX年。スポーツ人口の減少から高等学校硬式野球公式試合にも女子の参加が認められるようになる。それから数年。当初は女子を参加させる高校は現れなかったものの、一人の天才少女の登場によって流れは大きく変わっていく。彼女は男子チームから無安打1失策のノーヒットノーランを達成したのだ。一方、その試合で敗北した槍慎高校の手越祐一監督は弱腰の采配が批判にさらされ、学校を去っていく。狭桜山高校に転勤した手越は廃部寸前の野球部の顧問を務めることになるも、投手が怪我で試合続行不能のピンチに陥る。そこに現れたのが1年A組の委員長で、野球経験者の風間藍香だった。彼女の活躍をきっかけに手越は才能ある女子生徒たちと出会い、野球部に勧誘していくが......。
◆◆◆◆◆◆
野球漫画としては突出した点はないものの、女の子の可愛らしさが光る作品です。特に、感情豊かに描かれる表情が秀逸です。本格的な野球シーンを期待した人にとっては肩透かしですが、ラブコメメインの野球漫画としては上質な作品といえるのではないでしょうか。それだけに、月刊コミック・アーススターの休刊に伴って早期終了となったのが惜しまれます。
勝利の女神だって野球したい! 1 (アース・スターコミックス)
松本 ミトヒ。
アース・スター エンターテイメント
2015-07-06


2015年

MAJOR 2nd(満田拓也)
元メジャーリーガー・茂野吾郎の息子である茂野大吾は父に憧れて小学4年のときに三船ドルフィンズに入団するも自分の才能のなさに挫折を味わう。しかし、佐藤寿也の息子である佐藤光との出会いによって再び野球と向き合う決意をするのだった。それから数年が過ぎ、中学2年生になった大吾は風林中学のキャプテンを務めていた。しかし、部員は大吾を含めて6人しかいない。しかも、そのうち4人が女性だった。実は部員の大部分が不祥事を起こして退部処分となったうえに、監督も責任をとって辞任してしまい、指導者すら不在の状態だったのだ。そんななか、大吾は新入生の入部に期待をかけ、謹慎明けの大会に備えてチーム作りを進めていくが.......。
◆◆◆◆◆◆
大ヒット野球漫画の主人公である茂野吾郎の息子の成長を描いた、いわゆる2世ものです。幼年期から順を追って物語を進めていっているのは前作と同じなのですが、大きく異なるのは中学生になった主人公のチームメイトが女性ばかりであるという点です(ちなみに、中学編は91話、単行本10巻から)。主人公を含めて主要メンバー9人中7人が女子で(その後、男子も女子も増えていきますが)、これではまるでハーレム漫画のようです。しかし、そのことによって前作とは全く異なったカラーを打ち出すことに成功し、それが独自の魅力となっています。俺様キャラで試合でも独り相撲になりがちだった吾郎に対し、大吾はあくまでも縁の下の力持ちに徹して女性選手たちをうまくコントロールしているという対比がユニークです。女性キャラも皆個性的で、女子野球漫画としてもかなりレベルの高い作品に仕上がっています。ただ、中学と異なり、高校野球は男子に混じっての女性選手出場は認められていないだけに、今後どのような展開になるのかが気になるところです。


2016年

クロスプレイーCLOSE PLAYー(芹之由奈)
人気急上昇中のアイドルグループ、Love Dogs。初のドーム公演は大いに盛り上がり、ライブも佳境に差し掛かる。ところが、そのとき、落雷による衝撃でメンバー9人はパラレルワールドに飛ばされてしまう。そこではLove Dogsのメンバーとプロ野球チームが野球の対戦を行っている最中であり、しかも、元の世界に戻るにはその試合に勝たなくてはならないというのだ。しかし、当然のことながら、女性アイドルとプロ野球選手では力の差は歴然としており、1回表だけで61点を奪われてしまう。絶望感が漂う中、さらに不思議な現象が起きる。時が巻き戻され、気がつくと彼女たちはプレイボール前のドーム球場に立っていた。果たして、Love Dogsのメンバーはこの野球無間地獄から抜け出すことができるのだろうか?
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女子野球というジャンルにループものの要素を取り入れた斬新すぎる設定が目を引く作品です。また、アイドルがプロ野球選手とガチ勝負するという展開も無茶すぎてインパクト大です。しかも、それをギャグとしてではなく、大真面目に描いているところに本作の妙味があります。ループという設定を活かして、絶望的な状況を覆していく展開は結構スリリングです。女の子たちの可愛らしさも申し分なく、うまくいけば思わぬ異色傑作となった可能性もあっただけに、早々と打ち切りになったのが惜しまれます。


2017年

フジマルッ!(詠里)
藤丸あさひは野球に夢中な女子高生。髪を短く切り、たった一人の女子部員として、男子部員たちに混じって白球を追っている。上手くなるためには努力を惜しまず、青春のすべてを野球に賭けていた。だが、そんな彼女も最初から野球好きだったわけではない。子供の頃はむしろ、何にも興味を示さない無気力な少女だったのだ。それがある日、父親と甲子園に野球観戦をしにいくことになり.......。
◆◆◆◆◆◆
ヒロインが男性相手に真っ向勝負を挑むというタイプの作品ではなく、等身大な野球女子の姿を描いているという点では『高校球児ザワさん』と相通ずるものがあります。しかし、あちらは野球女子の日常を比較的淡々と描いていたのに対し、本作はヒロインの幼少期を中心に据え、成長物語に焦点を当てている点が独自性だといえます。特に心理描写が巧みで、抜け殻のような無気力少女がふとしたきっかけで野球を始めるも、壁にぶち当たって葛藤するといった一連のシークエンスが秀逸です。また、迷いのない強さを見せる現在の藤丸と挫折の連続だった幼少期の彼女との対比も印象的で、読んでいるとすぐに引き込まれていきます。野球女子の成長を幼少期から追った希有な佳品です。ただ、個人的には現在の藤丸やその後の彼女の姿をもう少し見たかったような気もします。


2019年

リトル・ブル(原作:Cボ/作画:佐藤駿光)
4年連続地方大会決勝で敗れ、甲子園行きを逃している県立大手東高校。そこにはプロ注目のスラッガー・馬場亮介がいたが、代わりに、投手力が致命的に弱かった。その大手東高校にシニアリーグ時代に亮介から3三振を奪ったことのある牛島翔が入学する。亮介は早速彼を野球部に勧誘するも、翔はすでに野球を辞めたという。肩を落とす亮介に対し、代わりに翔が推薦したのは双子の妹のエミだった。実は3年前に亮介から三振を奪ったのは翔ではなく、エミだったのだ。こうして強力な戦力を得た大手東高校野球部だったが、女子は男子の公式試合には出場できない。そこで、亮介は一計を案じ........。
◆◆◆◆◆◆
よくある美少女投手が活躍する系の野球漫画ですが、本作の場合はヒロインの可愛らしさが大きなセールスポイントになっています。マウンドに立つと闘志むき出しで踏み込んだ足を地面にめりこませるほどのド迫力ですが、普段はおとなしくてちょっとおバカな女の子というギャップがたまりません。また、スリムな体型ではなくムチムチボディにすることにより、野球女子としての説得力とヒロインとしてのエロティシズムを同時に満たすことに成功しています。ただ、高校1年生のヒロインが160キロを出しちゃうような作品なので、野球漫画としてのリアリティに関してはあまり期待しないほうが無難でしょう。



B.
女子オンリータイプ
現実に女子だけで野球をするといったケースが皆無に近かったために、漫画においても女子チーム同士が対戦するという内容のものは異色作と呼ばれる作品がいくつか散見される程度でした。ところが、2010年に女子プロ野球が60年ぶりの復活を遂げたことにより、そういった作品も次第に数を増やしています。具体的にどのような作品があるのか、代表的なものをいくつか紹介していきます。

1990年

ボンジュール・ベースボール(中山星香)
三角翠は幼いころより祖母のシゴキを受けてスポーツ万能少女になっていくが、同時に、そのせいですっかりスポーツ嫌いになっていた。また、スポーツの実績で周囲から騒がれるのを嫌い、彼女は知り合いの誰もいない雷燕学園中等部に入学する。ところが、部活に入らなかったために祖母から弁当抜きの罰を受け、空腹を抱えながら学校に通う羽目になっていた。それを知った女子野球部の斬込神枝は弁当の差し入れと引き換えに練習試合に出場してほしいともちかけるが.......。
◆◆◆◆◆◆
おそらく、女子野球部の話をメインで描いた最初期の作品です。作者は『妖精国の騎士』や『花冠の竜の国』といったハイ・ファンタジー漫画の第一人者として知られる中山星香ですが、その絵柄と野球漫画という題材のギャップがなんともシュールです。また、タイトルのボンジュールとベースボールのミスマッチ感も独特の味わいがあります。中身は意外にもきちんと野球をやっているのですが、1巻で完結してしまっただけに消化不良なのは否めません。決して良作とはいえないものの、このジャンルが開拓される前の怪作として押さえておきたい作品です。
ボンジュール・ベースボール
中山 星香
ビーグリー
2016-12-22


1992年

ひと夏の少女(木下健二)

高山高校女子硬式野球部のキャプテン、森川穂積は全国高校女子野球選手権大会を目指して練習に明け暮れていたが、男子野球部員に占拠されてグランドを使えないのが悩みの種だった。地区大会が間近に迫り、穂積は週に一度でいいからグランドを使わせてほしいと頼むも、男子部員たちは一笑に付すだけだ。彼らの態度に腹をすえかねた穂積は、その場の勢いで、自分の退部を賭けて男子野球部との勝負を受けてしまう。一方、他の女性部員たちは最初から男子に勝てるなどとは思っておらず、穂積に冷たい視線を向ける。そんな彼女を見かねた男子野球部の次期エース、松崎は穂積のコーチを買って出るが........。
◆◆◆◆◆◆
女子野球部や女子野球の大会についてきちんと描いた最初期の作品で、実際に女子の公式大会が開かれるようになったのが90年代後半からであることを考えると、先見の明のある作品だといえるでしょう。とはいえ、前半は男子部員との試合がメインとなっており、従来の女子野球ものの要素も併せ持った過渡的な作品ともいえます。内容的には手に汗握る激しい試合やドラマチックな展開があるわけではなく、全体的に地味な点は否めません。絵柄が可愛らしいこともあってどちらかというと、ほのぼのとした雰囲気の作品です。その代わり、主人公やライバルなどの心情やチームの絆などがきちんと描かれている点には好感が持てます。ただ、当時の野球はサッカー人気に押されていたこともあり、本作はこれといって話題になることもなく、2巻で打ち切られてしまいます。そのため、終盤が駆け足になってしまったのはいかんともしがたいところです。


2000年

鉄腕ガール(高橋ツトム)
戦後間もない日本。化粧品メーカーの女社長、蘭崎五十鈴は女性がもっと活躍できる社会というビジョンを掲げていた。ある日、彼女は米兵相手に女給をしていた加納トメと出会う。その美しさと凶暴性にほれ込んだ五十鈴はトメを自社の広告塔として雇い、日本初の女子プロ野球の選手として登録する。最初、トメにとってそれは遊び半分の仕事にすぎなかった。しかし、五十鈴の弟である克己の思想に感化され、女性の力で戦勝国の米国に強烈な一撃をくらわせるという、野球対決プロジェクトに身を投じていくことになる.....。
◆◆◆◆◆◆
1950年から1951年にかけて日本で行われていた女子プロ野球をモチーフにした作品です。とはいえ、物語自体は史実とはかけ離れていますし、そもそも当時の女子プロ野球がどんなものであったのかも実はよくわかっていません。そういうわけで、ほとんどは作者の想像で描かれたものだと思われますが、一つの作品として独特の魅力を放っていることは確かです。まず、劇画調の絵柄と大ゴマの多用は既存の女子野球漫画にはない迫力を備えていますし、女性選手の可愛らしさではなく、女性解放の進む戦後の日本においてヒロインのロックな生きざまを描いている点も異彩を放っています。一方で、社会派的な作風の割には、マウンドに立ったヒロインがメジャーリーガーたちと対等に渡り合ったり、女子野球日米対抗試合で数兆円規模の賭けが成立したりと荒唐無稽な展開が続きます。しかし、絵の迫力のおかげでそういった荒唐無稽さがちっとも欠点になっていない点が見事です。ちなみに、野球漫画としての面白さは物語中盤の日米対抗試合が頂点であり、それ以降はトメを中心とした人間ドラマに移行してしまいます。そのため、後半になると野球は物語の背景にすぎなくなってしまうのが少々残念です。


2010年

球場のシンデレラ(小坂俊史)
高校3年生の児玉郁代は勉強は駄目だがスポーツ万能で、十種競技の選手として活躍していた。ところが、野球経験が全くないにも関わらず、なぜか発足したばかりの女子プロ野球チーム・東京メルヘンズにスカウトされる。しかも、プロとはいえ、東京メルヘンズはとんでもない貧乏球団で......。
◆◆◆◆◆◆
2010年に始まったばかりの女子プロ野球を題材とした4コマ漫画です。試合以外のネタが多いので野球に詳しくない人でも気軽に楽しめるようになっている一方、設定自体は細かく作り込まれており、野球好きとして知られる作者の愛が伝わってきます。4コマ漫画として安定した面白さがあり、特に女子野球ならではの貧乏ネタが秀逸です。主役以外のキャラも徐々に立ち始め、後半になるほど面白さも増していくのですが、それだけに1巻で完結してしまったのが惜しまれます。


2011年

マックミランの女子野球部(須賀達郎)
部活動が盛んなマンモス校・マックミラン高校に入学した正清大地は、家事全般をソツなくこなす家庭派男子。そんな彼が部活動に選んだのが昨年度全国ベスト4の実績を誇る女子野球部のマネージャーだった。個性的な女子部員を影から支え、大地は彼女たちと一緒に全国優勝を目指していくが.......。
◆◆◆◆◆◆
元々は『マックミラン高校女子硬式野球部』のタイトルで別冊少年マガジンに連載されていたものを、週刊少年マガジン移籍時に改題した作品です。チームのお母さんである男子マネージャーと個性あふれる女性部員たちとの絡みをコミカルに描いた4コマ漫画ですが、ギャグだけでなく野球の描写もしっかりしている点が目を引きます。また、男性キャラ一人に多数の美少女キャラといったハーレム構造になっているものの、主人公がお母さん気質であるため、恋愛フラグが全く立たないのも逆に新鮮です。また、一人一人のキャラの立て方が明快で、ネタが分かりやすい点も長所だといえるでしょう。ストーリーとギャグのバランスが取れた野球4コマの佳品です。



2015年

セーラーエース(しげの秀一)
関東女学院に通う桜木繭は女子野球部に所属し、投手として活躍していたが、今は休部中でギャル道を邁進していた。しかし、実際にやってみると思いのほか退屈なので再び野球に戻る決意をする。しかも、復活した繭の投球はなぜか、ストレートも変化球も以前より威力を増しており.......。
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『バリバリ伝説』や『イニシャルD』などで男同士の熱いバトルを描いてきたしげの秀一が次に選んだテーマはまさかの女子野球でした。しげの秀一に女性主人公はどうなんだ?と危惧されたものの、内容は意外と悪くありません。特に、モデル体型のギャルで飄々とした性格のヒロインが秀逸です。生意気な天才美少女が無双する話ですが、独特のとぼけた味が効いて嫌味になっていないのです。それに、ヒロイン以外のキャラもきちんと掘り下げがなされており、読み応えがあります。ただ、キャラの面白さに対して試合内容はやや凡庸な印象を受けますし、急遽打ち切りになったのか、それとも作者が飽きたのか、最後が尻切れトンボで終わってしまっている点はいただけません。


2016年

花鈴のマウンド(原作:紫々丸/漫画:星桜高校漫画研究会)
桐谷花鈴は都立星桜高校野球部のエースで甲子園に憧れる女の子だが、春の大会では京都雅高校の柊木美玲に完膚なきまでに打ち負かされてしまう。花鈴は美玲に勝ちたい一心から幼馴染で男子野球部主将の大門頼に指導を仰ぐ。そして、新しい武器を身につけるため、投球フォームや球の握り方などに工夫を凝らしていくのだが........。
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原作を日本女子プロ野球機構の創立者が担当しており、そのため、全体的に野球の入門書のような内容になっています。野球初心者にとってはなかなか興味深く読むことができるのではないでしょうか。ただ、ヒロインが高校3年のエースなのにその程度のことを今さら習得していくのか?といった点に関しては違和感が否めません。入門書的な内容にするならば、高校1年の新入部員が徐々にエースへと成長していくというふうな構成にしたほうが自然だったように思えます。一方で、絵に躍動感が乏しいという欠点はあるものの、試合自体は個性的なライバルキャラが次々と登場し、テンポよく進むので読み応えがあります。あとは、好きな男の子を巡っての三角関係といった少女漫画的ドロドロ展開が結構な比重を占めるため、その辺りに関しては好みの分かれるところでしょうか。
花鈴のマウンド新装版(1巻)
紫々丸
大垣書店
2010-01-27


球詠(マウンテンプクイチ)
埼玉県に住む武田詠は鋭い変化球が武器の投手だが、中学時代はそれを捕球できるキャッチャーに恵まれず、連敗を重ねていた。詠は野球の道をあきらめ、制服が可愛いという理由で新越谷高校に進学し、そこで幼馴染の山崎珠姫と再会する。2人は大きくなったら一緒に硬式野球をしようという約束をした仲だった。詠と珠姫はその約束を果たそうとするが、野球部は不祥事を起こしてほとんどのメンバーが退部しており、結局、メンバー集めから始めることとなる。初心者だが他の選手のフォームをコピーするのが得意な川口伊吹、天才的なバッティングセンスの持ち主で九州出身の中村希、剣道の全国優勝経験者ながらも野球に強い憧れを持つ大村白菊、旧野球部の残留組である先輩の岡田怜と藤原理沙など。経験も実力もバラバラながらも9人のメンバーが集まり、新越谷高校野球部は再始動する。そして、練習試合を重ねながらチーム力を高めていき、全国大会地区予選に臨むことになるのだが......。
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女子硬式野球がメジャースポーツになっているという設定に基づくパラレルワールド的な作品です。しかも、描かれているのは女性ばかりでモブも含めて男性キャラは全くでてきません。キャラ同士の関係も百合的なムードが濃厚なのはさすがきらら連載作品といったところですが、決してそれだけでは終わっておらず、野球描写に関してもかなり本格的な作品に仕上がっています。緻密な野球理論に基づく試合の駆け引きは手に汗握りますし、キャラクター一人一人の選手としての個性付けが試合展開の面白さにつながっているのも見事です。百合漫画と野球漫画の魅力を併せ持った希有な傑作だといえます。
球詠 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
マウンテンプクイチ
芳文社
2016-11-25


なでしこナイン(東元)
野球部に所属する女子高生の白井球子はある朝、神社の階段の上から転げ落ちてしまう。気がつくと周囲の風景が一変していた。なんと彼女は落下の衝撃で昭和24年にタイムスリップしてしまったのだ。当惑する球子だったが、元来の明るさからあっという間に昭和という時代になじんでしまう。そして、偶然の出会いからその時代の女の子たちと一緒に女子プロ野球チームの結成を目指すことになるのだが.......。
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1950年に発足した女子プロ野球誕生秘話をタイムスリップというSF要素を交えて活写した作品で、昭和風の絵が作品の舞台背景に実にマッチしています。そして、戦後間もない時代を懸命に生きる人々の姿を生き生きと描いた点がこの作品の魅力だといえるでしょう。また、女子プロ野球がドサ回りの興業から始まったというエピソードなども興味深いものがあります。女子プロ野球黎明期の描写を通して懐かしい時代の空気が満喫できる佳品です。
なでしこナイン1 (COMICAWA BOOKS)
東 元
主婦の友社
2017-02-01





2019年

オール・ザ・マーブルズ!(伊図透)
結城愛(めぐみ)は恵まれた体格を活かし、中学の野球部ではスラッガーとして男子顔負けの活躍をしている。しかし、家があまり裕福でなく、女が野球を続けても将来に繋がらないことから進路について悩んでいた。そんなある日、記念受験のつもりで受けた女子野球WCトライアウト会場で長身の投手・草吹恵と出会う。彼女はリトルリーグで男子に混じってエースを務めるほどの才能の持ち主だった。互いの存在に刺激を受けた2人は青春の全てを野球に賭けることを誓い合う。やかて、彼女たちは女子硬式野球部のある神北高校に進学するが…。
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本作は、2019年から月刊コミックビームで連載されていた『全速力の。』という作品を約2年の休載を挟んで大幅改稿したものです。最大の魅力はなんといってもその画力。女性選手ならではのしなやかな躍動感を大胆かつ繊細に描きあげているのが素晴らしく、特に、草吹恵の美しい投球シーンにはほれぼれするほどです。一方、ストーリーの方も世界大会を1巻で終わらせるなどといった怒濤の展開のなかに女子野球というマイナースポーツに携わる者の苦悩を織り込み、勢いと深みを両立させることに成功しています。女子野球の世界を真正面から描いた希有な傑作です。